(ハーレイが足りない…)
来てくれないよ、と小さなブルーは溜息をついた。
部屋を見渡し、空っぽの椅子をまじまじと見て。座る人のいない椅子を見詰めて。
そこはハーレイの指定席。
訪ねて来てくれたら、いつもハーレイが腰掛ける椅子。
前のハーレイのマントの色を淡くしたような座面、どっしりした木枠に籐を張った背もたれ。
二つある椅子の片方がハーレイ、片方がブルー。
どちらに座るかは自然と決まった、いつの間にか決まっていた指定席。
テーブルを挟んで向かい合わせで、こちらがハーレイ、こちらがブルー、と。
その指定席が空っぽのままで、もう何日が経っただろう。
この前の週末、土曜日はハーレイは其処に腰掛けていた。いつもの通りに。
他愛もないことを話して、甘えて、一日過ごして、それは満足したのだけれど。
次の日は会えずに終わってしまった、ハーレイに用事があったから。
柔道部の教え子たちを家に招くと言ったハーレイ、ブルーは混ぜては貰えない。
なにしろ柔道部員の集まり、まるで関係無いブルーが混ざれば親睦の会が台無しだから。
ハーレイの家で楽しくやろうと集まる部員に気を遣わせてしまうから。
(…ぼく一人では遊びに行かせて貰えないし…)
駄目だと禁じられてしまった訪問、キスと同じで大きくなるまで禁止になった。
だからブルーは待つ他は無くて、ハーレイが家に来てくれるのを待ち焦がれている日々なのに。
ハーレイの指定席は空っぽのままで、今日も空っぽ。
もう木曜日になるというのに、土曜日を最後に会っていないのに。
厳密に言えば、ハーレイとは会えているのだけれど。
学校で何度か立ち話をしたし、ハーレイが教える古典の授業も何回かあった。
けれども、それは学校でのこと。
ハーレイはあくまで「ハーレイ先生」、ブルーは生徒という関係。
いくらハーレイがブルーの守り役でも、そういうことになってはいても。
あまりに親しく口を利いては、それはマズイと思うから。
学校では敬語、必ず敬語。
話は出来ても、話す相手は「ハーレイ先生」。
穏やかな笑顔を向けてくれても、鳶色の瞳がいくら優しくても「ハーレイ先生」。
恋人とは違う、家で二人で話す時とは全く違う。
そんなハーレイにしか出会ってはいない、もう何日も。
ハーレイ先生としか話してはいない、恋人のハーレイとは先週の土曜日に話したきりで。
平日でも仕事が早く終わりさえすれば、ハーレイは訪ねて来てくれる。
いつもの指定席に座って、お茶とお菓子をお供に話せる。
それから両親も一緒の夕食、恋人同士の会話は無理でも一緒に食事を食べられる。
そういう時間がきっと取れると思っていたのに、月曜日にはと考えたのに。
日曜日が駄目になった分の埋め合わせに寄ってくれると期待したのに、外れた予想。
けれどハーレイにも都合があるから、火曜日には、と考え直した。
その火曜日が流れ去っても、水曜日には、と。
ところが水曜日も過ぎてしまって、木曜日の今日も鳴ってくれずに終わったチャイム。
ハーレイが来たら鳴る筈のチャイム。
もう五日にもなるんだけれど、とカレンダーを眺めたら溜息が漏れた。
五日も経ってしまったのかと、五日も会えていないのかと。
(…ハーレイが足りない…)
足りないんだけど、と呟いても椅子は空っぽのまま。
そこにハーレイの姿が足りないという意味で言っているのではなくて、足りないハーレイ。
自分にだけ向けてくれる笑顔も、恋人としての優しい言葉も、貰えないまま。
心がすっかり飢えてしまって、ハーレイが欲しいと訴える。
ずっとハーレイを食べていないと、お腹が空いて死にそうなのだ、と。
もちろん本当にハーレイを食べようと思いはしないし、また食べられる筈もない。
ハーレイはお菓子でも料理でもなくて、一人の人間なのだから。
ガブリと齧ってモグモグと噛んで、ゴクリと飲み下すようなことなど出来ない。
けれども飢えてしまった心。ハーレイが足りないと訴える心。
まるで食卓にパンだけしか載っていないかのように。
塗るためのバターもマーマレードも、喉を潤すミルクや紅茶も影も形も無いかのように。
とにかく足りない、こんなに会いたいと願っているのにハーレイが来ない。
ハーレイのための椅子は空っぽ、其処に座りに来てはくれない。
待って、待ち続けて、とうとう五日。
明日も駄目なら六日も会えない、一週間は七日なのに。
いつもだったら週末は二人で過ごすものだし、平日だって訪ねてくれる。
まるまる五日も会えずに過ごして、ハーレイの席は空っぽのまま。
ハーレイに会いたい気持ちが募って、心は飢える一方で。
(こんなにハーレイに会いたいのに…)
ホントのホントにハーレイ不足、と零れた溜息、もう幾つ目だか分からない。
昨日も一昨日も溜息をついた、今日もハーレイに会えなかったと。
それでも明日には会える筈だと思い直して、待ち続けたのに。
ハーレイは来ないままついに五日目、会えないままで五日も経った。
学校では会えているけれど。
立ち話だって、したのだけれど…。
(…お腹、減ったよ…)
本当にお腹が減ったわけではないけれど。
今日の夕食はちゃんと食べたし、学校から帰っておやつも食べた。
けれど満たされない心の空腹、お腹が減ったと訴える心。
ハーレイの優しい笑顔を食べたい、暖かい言葉をお腹一杯食べたいのだと。
どんなにお腹が減っていたって、どうすることも出来ないのに。
ハーレイが訪ねて来てくれない限り、飢えは決して満たされないのに。
ハーレイ不足だと、お腹が減ったと、寂しい気持ちで一杯だけれど。
明日は来てくれるかと望みを明日へと繋ぐけれども、金曜日。
金曜日の次の日はもう土曜日で、明日も駄目なら、丸一週間、会えないままで週末が来る。
この前の土曜日に会ったのが最後、それきりハーレイ不足なのに。
日に日に心の飢えが募って、もう本当に空腹なのに。
(…でも…)
こんな気持ちを抱えていたって、一層、飢えるだけだから。
ハーレイが足りないと椅子を眺めて、溜息を零すしか出来はしないから。
ここは気分を切り替えなくては、明日は無理でも明後日には、と。
土曜日には必ず会える筈だし、きっと空腹は癒されるから。
ハーレイの姿を思い描こう、あの椅子に腰掛ける恋人を。
すまなかったと、遅くなったと謝ってくれるに違いない人を。
そう、土曜日には、あの椅子にハーレイが座ってくれるのだから…。
ハーレイが足りない・了
※ブルー君がハーレイ欠乏症になると、こういう感じ。椅子を眺めて溜息の日々です。
早く来てくれないかと待ち焦がれてます、きっと感動の再会でしょうねv
(うーむ…)
ブルーが不足しちまった、とハーレイは眉間を指先でトンと叩いた。
この数日間、出会えていない。十四歳の小さなブルー。
正確に言えば、きちんと会えてはいるのだけれど。
学校で姿を見掛けるけれども、立ち話も少しは出来たけれども。
(あいつの家に行けていないんだ…)
これがキツイ、と零れた溜息。
いつもだったら、週末の土日はブルーの家へ。
ところが日曜日は、柔道部の教え子たちが遊びに来ていたものだから。
土曜日だけしかブルーの家には出掛けられずに終わってしまった、先の週末。
(…週明けには寄れると思ったんだが…)
仕事のある日も、早く終わればブルーの家に寄って帰ることもある。
ブルーの部屋でお茶とお菓子をお供に話して、それから夕食。
両親も一緒の夕食だから、恋人同士の会話は全く出来ないけれど。
それでもブルーと話は出来るし、同じ食事を食べられる。
平日の夕方から夜にかけての数時間の逢瀬、小さなブルーと過ごせる時間。
今週も取れると思っていた。
月曜日ならまず大丈夫だと考えていたし、火曜日だって。
ところがどっこい、蓋を開けたら次から次へと降って来る用事。
足を捻った柔道部員を病院に連れてゆき、その後、家まで送って行ったり。
仕事の後で一杯どうです、と教師仲間に誘われたり。
誘ってくれた教師仲間とは、日頃、親しくしているから。
これからも親しく付き合いたいから、たまには一緒に出掛けなければ。
早く終わる筈の会議が長引いたりもしたりで、気付けば既に木曜日の夜。
ブルーの家に全く行けなかった日が、今日で五日目。
カレンダーを眺め、またも零れてしまった溜息。
五日も会えていないのだった、と改めて数えて零れた溜息。
一週間は七日、その内の五日も会い損なってしまったブルー。
会えてはいても、学校で少し立ち話だけ。
(…学校じゃ、どうにもならんしなあ…)
恋人同士の会話は出来ない、小さなブルーも「ハーレイ先生」と呼んで敬語で話す。
これではとても逢瀬とは言えず、単に会ったと言うだけのこと。
どうにもこうにもブルーが足りない、小さなブルーを見ていない。
ちゃんとブルーを見てはいるけれど、立ち話だってしたけれど。
それは教え子としてのブルーで、恋人とは少し違っていて。
(…本当に不足しちまった…)
ブルーが足りない、小さなブルーが足りてはいない。
日々の食事が偏ってしまって、野菜不足になるかのように。
あるいは逆に野菜ばかりで、肉も魚も卵ですらも、まるで食べてはいないかのように。
空腹なのだと訴える心、ブルーが足りないと訴える心。
(…食いたいわけではないんだが…)
小さなブルーを食べてはいけない、手は出すまいと決めている。
唇へのキスも禁じたくらいに、小さなブルーに求められても、自分からは、けして。
まだ幼くて無垢なブルーに無茶はしないし、そういう分別も充分についた。
出会った頃には心の奥底で頭を擡げそうになっていた獣も、もういなくなった。
情欲という名の、ブルーを食べたいと蠢いた獣。
前のブルーと同じじゃないかと、小さくてもいいと舌なめずりをしていた雄の欲望。
いつの間にやら大人しくなった、まるで姿を消してしまった。
小さなブルーに牙を抜かれて、毒気をすっかり抜かれてしまって。
そんなこんなで、本当にブルーを食べたいわけではないけれど。
食べたいと思うわけもないけれど、ブルーが足りない。
小さなブルーに会えていないから、本当の意味でブルーと会えてはいないから。
(明日にはなんとかなりそう…なのか?)
どうだったか、と明日の予定を思い浮かべて、指を折ってみて。
何も無ければ帰りに寄れる、と考えたけれど、もう金曜日。
明日の夕方にブルーと会ったら、次の日はもう週末の始まり、土曜日が来る。
そう考えたら、一週間近くも会えなかったのか、と零れた溜息。
明日またしても会えなかったら、六日も会えずに、そのまま週末。
(…ブルー抜きのままで一週間近く…)
なんということだと嘆きたくなった、これではブルーが不足する筈。
小さなブルーが足りていないと、何度も溜息をつきたくなる筈。
これではいけない、もしも明日、会えなかったなら。
ブルーの家に行き損なったら、ブルー抜きのまま一週間が過ぎるのと同じ。
週末は大抵会っているのだし、平日だって週に一度くらいは…。
(腹ペコな筈だ…)
ブルーが足りていない筈だ、と溜息をついても始まらない。
明日の帰りには寄るつもりでいても、どう転がるかは分からない。
なにしろ週末、何かと誘いがかかりやすいのが金曜日。
一杯どうです、と誘う同僚やら、美味い店を見付けたから出掛けないかと誘う者やら。
(その手の誘いが来ちまったら…)
相手によっては断りにくいし、誘いを受ければ本物の胃袋は満たされるけれど。
(…ブルーが足りない…)
小さなブルーが不足したまま一週間、と大きな溜息、明日の夜にはどうなることやら。
(ブルーの家に寄って帰れればいいんだがなあ…)
寄って話が出来たなら。
小さなブルーの部屋で話して、それから両親も一緒の夕食。
たったそれだけで満たされる筈の、この空腹。
ブルーが足りないと訴え続ける、なんとも飢えている心。
けれども寄れるとは限っていなくて、また明日の夜も溜息なのかもしれないから。
とうとう六日も経ってしまったと、ブルー不足で一週間だと嘆いているかもしれないから。
(…ここは気分を入れ替えて、だな…)
明日は駄目でも明後日があるさ、と自分の額をピンと弾いた。
明後日には会える、ブルーの家で。土曜日なのだし、何の予定も無いのだし。
(うん、会える筈だ)
間違いなく、と自分自身に言い聞かせる。
要は気の持ちよう、明後日には確実に癒える空腹、解消される筈のブルーの不足。
だからブルーを思い浮かべよう、愛らしい小さなブルーの笑顔を。
もうすぐ心を埋めてくれる筈の、前の生から愛してやまない恋人の顔を…。
ブルーが足りない・了
※ハーレイ先生、ブルー君不足に陥ってしまったらしいです。ブルー君欠乏症。
けれど食べたいわけではなくって、会いたいだけ。なんとも健全な関係ですねv
(ハーレイ、今日は車かな?)
車だといいな、とブルーが夢見る夏休みの朝。
天気がいい日は歩いて来るのがハーレイだけれど、車で来る日は特別な日。
前のハーレイの制服のマントと同じ色の車、よく晴れた日にそれが来たなら始まりの合図。
どうだろうか、と二階の窓から下を見下ろすブルーだけれど。
胸を高鳴らせて、庭と生垣の向こうの通りを眺めるけれど。
(来た…!)
ハーレイの車、と濃い緑色の車をドキドキしながら見守った。
それがガレージへと入ってゆくのを、停まった車の運転席のドアが開くのを。
「持って来てやったぞ、テーブルと椅子」
今日もデートをしようじゃないか、とパチンと片目を瞑るハーレイ。
二階のブルーの部屋へ来て直ぐ、下へ行こうと、庭に出ようと。
「うん、見てた! ハーレイが車で来るのを見てたよ」
知っているよ、と元気に答えて、ハーレイと二人、階段を下りて。
玄関から日射しの眩い外へ歩き出す、二人並んで。
お前は先にあっちで待ってろ、と肩を叩かれ、庭で一番大きな木の下へ。
枝と茂った葉とが遮る、肌に痛いほどの強い真夏の日射し。
ハーレイが行ったガレージの方は、その照り返しで白く輝いて見えるほど。
濃い緑色の車も光を弾いているのだけれども、そのトランクがバタンと開いて。
中から引っ張り出されたテーブル、折り畳み式のキャンプ用。
それをハーレイは軽々と運んだ、両腕で抱えて。
ブルーが待っている木の下まで来て、パタンと広げて、脚などをしっかりと留めて確かめて…。
「お次は椅子だな」と戻ってゆくハーレイ。ガレージの車へ、椅子を取りに。
トランクから出て来たテーブルと、椅子と。
どちらも折り畳み式で、魔法のように木の下に出て来る。ハーレイの手で据え付けられる。
テーブルが一つに、椅子が二人分。
それが揃ったら、「座れ」と椅子に促されて。
向かい側にハーレイが腰を下ろすと、母がお茶とお菓子を運んでくれる。
アイスティーだったり、レモネードだったり、日によって違う。
お菓子も冷たいゼリーだったり、口当たりのいいムースケーキだったり。
庭で一番大きな木の下、ハーレイと二人きりでのデート。
初めてのデートも同じ場所だった、同じキャンプ用の椅子とテーブルで。
あの日はレモネードとパウンドケーキで、木漏れ日がシャングリラの形を描いた。
二人で見ていたテーブルの上に、光が描いたシャングリラ。
それは幸せだった初めてのデート、ハーレイと二人で初めて庭で過ごした日。
あれからすっかりお気に入りになった、庭で一番大きな木の下。
其処に据えられたテーブルと椅子と、ハーレイと過ごすティータイムと。
今日で何度目になるのだろうか、と幸せに酔って、暑くなる前に部屋に戻って。
ハーレイと二人であれこれ話して、甘えたりして、夕食の時間。
父がハーレイに「テーブルと椅子を買うことにしますよ」と言い出した。
いつも持って来て貰うのは申し訳ないし、買うことにすると。
(ハーレイの魔法がなくなっちゃう…!)
車のトランクから魔法みたいに出て来るテーブルと、椅子と。
それに晴れた日に濃い緑色の車が走って来るのを待つ楽しみまで消えてしまう。
とんでもない、と驚き慌てたブルーだけれど。
顔には出せない、デートだとバレたら大変だから。
デートなのだと両親に知れたら、魔法どころではないのだから。
ハーレイは「大して重くもないですし、いいですよ」と笑ったけれど。
次からも自分が持って来るから、と言ってくれたのだけれど、そのハーレイが帰った後。
「またな」と帰ってしまった後。
父と母とが「ハーレイ先生に申し訳ないから買わなくては」と始めた相談、買う相談。
とても言えない、「ハーレイが持って来てくれるから大丈夫」とは。
買わなくていいと言えはしなくて、黙っているしか出来なくて。
次の日には父がもうカタログを持って帰って来た。
どれにしようかと、どのテーブルと椅子を買ったらいいだろうかと。
母が覗き込み、「これがいいわ」と指差した白いテーブルと椅子。
「私も庭でお茶にしたいわ」と、「白いテーブルと椅子が素敵よ」と。
(…白だなんて…!)
それは違う、と思ったけれど。
ハーレイに似合いそうにないから嫌だ、と止めたいけれども、買うのは父と母だから。
意見を訊かれていないのだから、何も言えない。白は嫌だと口を挟めない。
そうして白いテーブルと椅子がやって来た。
庭で一番大きな木の下、ハーレイがいつも魔法を使った場所に。
晴れた日に走って来る濃い緑色の車のトランク、そこからテーブルを出していた場所に。
「お前の椅子だぞ」と、折り畳み式の椅子を据え付けてくれていた場所に。
見慣れたキャンプ用のテーブルと椅子とは違った代物、真っ白なものが置かれてしまった。
色もデザインもまるで違うのが、まるで似ていないテーブルと椅子が。
(…ハーレイの魔法…)
もう見られない、と溜息をついたブルーだけれど。
初めてのデートの思い出の場所を台無しにされた気分だったけれど。
白いテーブルと椅子がやって来た後、訪ねて来てくれたハーレイの笑顔。
「本当に買って貰ったんだな、テーブルと椅子」
早速デートといこうじゃないか、と誘われて、一気に晴れ上がった気分。
テーブルと椅子は変わったけれども、デートは出来るらしいから。
庭で一番大きな木の下、ハーレイと二人で座ってみた椅子。真っ白なテーブル。
(…ハーレイ、なんだか似合ってる…?)
似合わないとばかり思っていたのに、白い椅子が似合っているハーレイ。
そして訊かれた、「俺にシャングリラは似合わなかったか?」と。
「俺たちのシャングリラは白かったぞ」と。
(…そっか、シャングリラも真っ白だった…!)
どおりで似合う、と眺めた白いテーブルと椅子。
きっと、このテーブルと椅子でいいのだろう。デートをするには、ハーレイと二人で座るには。
このテーブルと椅子で、きっと幾つも思い出が出来る。
幸せな思い出が沢山、沢山、前のキャンプ用のテーブルと椅子とがそうだったように…。
白いテーブル・了
※庭に置いてある白いテーブルと椅子が大のお気に入りのブルー君ですが。
そうなる前にはキャンプ用のが好きだったようです、ハーレイ先生の魔法ですものねv
(そろそろ用意をしておかんとな?)
もうすぐシーズンになるのだから、とハーレイは物置の方へと向かった。
色々な物を仕舞ってある場所だけれど、今日の目的はテーブルと椅子。
これからの季節に活躍してくれる、折り畳み式のキャンプ用。
扉を開ければ直ぐに目に付く、きちんと整理してあるから。
埃除けにと被せてあった布を剥がして、「よし」と頷く。
テーブルも椅子も、去年の秋の終わりに仕舞った時から変わっていない。
元々が屋外で使用するために作られているものだから。
急な雨に降られたりしても傷まないように出来ているから、物置の中ならもう安心で。
折り畳む部分が錆びもしないし、他の部分も色褪せたりはしていない。
今年もこいつの季節が来たか、とテーブルと椅子を数えていて。
柔道部の教え子たちの顔を思い浮かべて、充分に足りると確認していて。
(…ん?)
不意に浮かんだ、柔道部とはまるで関係無い顔。
柔道部員ではない、小さなブルー。
五月の三日に再会を遂げた、前の生から愛した恋人。
まだ十四歳にしかならないブルーが頭に浮かんだ、キャンプ用のテーブルを見ていたら。
椅子は足りるかと、折り畳み式のを数えていたら。
教師になってから、幾つもの学校に赴任したけれど。
行く先々で柔道部や水泳部の顧問を任され、教え子たちを家に招いて来たけれど。
これからの季節は家の中よりも庭が定番、屋外の季節。
爽やかに晴れた初夏はもちろん、夏の盛りも運動部員たちには屋外が似合う。
そのために用意してある折り畳み式の椅子とテーブル、庭に据えて使うためのもの。
バーベキューやら、ピクニック風の軽食やらと、大活躍するキャンプ用。
大量に食べてワイワイと騒ぐ来客たちにはピッタリだけれど、彼らの御用達なのだけれど。
(…どうやら、こいつは使えそうだな)
ヤツらとは似ても似つかんが、と小さなブルーを想像してみた。
テーブルが一つと椅子が二つあれば、ブルーの夢を叶えてやれる。
叶えてやれないと断った夢を、今は無理だと断った夢を。
「食事に行きたい」と強請ったブルー。
いつもの場所とは違う所で食事をしたいと、ぼくを食事に連れて行って、と。
けれども、何処かへ食事に行くなら、教師と生徒。あくまで教師と生徒の関係。
親しく話すことなど出来ない、恋人同士の会話は出来ない。
「お前が言うのはデートじゃないか」と断った。
とてもではないが連れて行けないと、連れて行ってはやれないと。
小さなブルーはしょげたけれども、出来ないものはどうにもならない。
ブルーとデートに行けはしないし、食事にだって。
けれど…。
(こいつがあったら、違う所で食事が出来るぞ)
まずはお茶からだろうけど。
ブルーの母にお茶とお菓子を運んで貰って、ティータイムからだろうけれど。
それでも充分、デートにはなる。
いつもと違った所でのお茶、それからお菓子。
このテーブルと椅子を持って行ったら、ブルーの夢を叶えてやれる。
ブルーの家の庭の何処かに、テーブルと椅子を据えたなら。
これはいいな、と自画自賛したくなる思い付き。
テーブルも椅子も折り畳めるから、車のトランクに入れて運べる。
ブルーの家まで持って行ってやれる、そうしてデートの場所を作れる。
(こいつを置くのに似合いの場所は、と…)
運動部員ならば日当りのいい庭の真ん中に行きたがるけれど、ブルーは多分、逆だろう。
弱い身体に眩しい日射しは堪えるだろうし、置くのなら、日陰。
何処がいいか、とブルーの家の庭を頭に描いて、庭で一番大きな木の下がいいと思った。
広がった枝は丁度いい木陰をブルーのためにと作りそうだし、木漏れ日だって。
(うん、あそこだな)
あの木がいい、と心に決めて。
次にブルーの家へと出掛けた週末、明日も晴れだと天気予報が告げていたから。
一番大きな木の下はどんな具合なのかと観察してみた、枝が作る影や陽の当たり方。
思った通りに、あのテーブルと椅子を据えるのに良さそうだから。
ブルーに断って階下へと下りた、ブルーの母に明日の段取りを伝えるために。
「テーブルと椅子とを持って来るので、庭でティータイムにしたいのですが」と。
そうして次の日、車のトランクに詰めて、運んで行ったテーブルと椅子。
庭で一番大きな木の下、広げたキャンプ用のテーブルが一つと、二脚の椅子と。
「どうだ、木の下にお前の椅子が出来たぞ」
座ってみろ、とブルーを促し、始まったデート。初めてのデート。
いつものブルーの部屋とは違って、庭での二人きりのティータイム。
食事と違って、パウンドケーキと冷たいレモネードの時間だけれど。
ティータイムだけれど、それでもデート。
小さなブルーと二人きりのデート、まるで祝福するかのように揺れた木漏れ日。
それがシャングリラそっくりの形を作った、懐かしい白い鯨の姿を。
テーブルの上に、光が描いたシャングリラ。
ブルーと二人でそれを眺めて、遠い昔を懐かしんで。
持って来てやって良かったと思う、キャンプ用の椅子とテーブルを。
これの季節があって良かったと、思わぬ使い道があったものだと。
運動部員たちのためにと用意していた、これからの季節に役立つテーブルと椅子。
(…まさかブルーとのデートに使えるとはなあ…)
分からないものだ、と木漏れ日が描くシャングリラに心で呟いた。
あの船に居た頃には、夢にも思いはしなかった。
ブルーと二人で青い地球の上、デートをする日が来ようとは。
自分がキャンプ用のテーブルと椅子を車で運ぶ日が来ようとは。
夢のようだ、と心から思う。
地球に来られたと、ブルーとデートをしているのだと…。
キャンプ用の椅子・了
※ブルー君の家の庭にある、テーブルと椅子。始まりはキャンプ用のものでした。
教え子たちと庭でワイワイやっていたハーレイ先生ならではの思い付きですv
「ねえ、ハーレイ。…訊きたいことがあるんだけれど」
小さなブルーに真剣な瞳で見詰められて。
ハーレイは「ん?」と穏やかな笑みを浮かべた。
「なんだ、どうした? 質問か?」
「うん。…だけど、授業のことじゃなくって…」
宿題のことでもないんだけれど、と赤い瞳がチラチラと揺れる。
訊きたいけれども、訊いていいのか分からない。そんな所か、と思ったから。
「どうした、遠慮しないでいいんだぞ?」
俺とお前の仲じゃないか、と促してやった。
何を遠慮することがあるんだと、昔からの恋人同士じゃないか、と。
そうしたら…。
俄かに顔を輝かせたブルー。
さっきまでの躊躇いが嘘だったように、生き生きと煌めき始めた瞳。
今の言葉の何がブルーを揺さぶったのか、と思う間もなく問いをぶつけられた。
真っ直ぐな瞳で、愛らしい声で。
「あのね…。ぼくがチビでも、悲しくない?」
「はあ?」
掴み損ねた質問の意図。
小さなブルーはチビだけれども、それがどうして悲しいということになるのか。
ブルー自身は不満たらたら、「早く大きくなりたい」というのが口癖だけれど、自分は違う。
「しっかり食べて大きくなれよ」と言いはするけれど、「早く」と急かしたことはない。
小さなブルーも可愛らしいし、それが悲しいとも思いはしないし…。
ところがブルーは、そうは思っていないらしくて。
「ハーレイは悲しくなったりしないの、ぼくはこんなにチビなんだよ?」
前のぼくよりずっと小さい、と自分の身体を指差すブルー。
顔も子供なら身体も子供で、本当にチビで小さいのだと。
「…それがどうかしたか?」
子供だから当然のことだと思うが、と言ってやったら。
「悲しくないわけ、ハーレイは!?」
信じられない、と赤い瞳が真ん丸くなった。
ぼくはこんなに小さいのにと、これではキスも出来ないのにと。
(ふうむ…)
ブルーの言いたいことは分かった。
生まれ変わって再会するなり、前の通りの仲になりたいと願ったブルー。
曰く、「本物の恋人同士」。
心も身体も固く結ばれた恋人同士だった頃の通りに、というのがブルーの願い。
けれども、それは小さなブルーにはまだ無理だから。
一人前の恋人気取りで言いはするけれど、心も身体も子供だから。
そんなブルーの背伸びを封じておかなければ、と唇へのキスも禁じておいた。
前のブルーと同じ背丈になるまでは、と。
どうやら、それを言っているらしい小さなブルー。
自分がチビだと悲しくないかと、キスも出来ないチビの自分だと悲しくなってしまわないかと。
(今日はこの手で来たというわけか…)
キスを強請る代わりに捻って来たか、と苦笑した。
いつも駄目だと叱っているから、「そう言うお前はどうなのか」という所だろう。
悲しくなってしまわないかと、悲しいとは思わないのかと。
(悲しくないかと言われたらなあ…)
もちろん悲しくない筈がない。
小さなブルーが大人だったら、前と同じに育った姿であったなら。
もう早速にキスを交わして、それから先のことだって。
わざわざ将来を誓い合わずとも、結婚出来る年になっていたならプロポーズ。
そうして家へと連れて帰って、もう片時も離さない。
前の生では叶わなかった分まで愛して、それは大切に側に置くことが出来るのに…。
(…チビだとそうはいかんしな?)
キスも出来ない、家へと連れて帰れもしない。もちろん愛も交わせない。
悲しくないか、と問い掛けられたら、答えは決まっているのだけれど。
自分も悲しいのだけれど…。
それを言ったら、小さなブルーの思う壺だから。
「ね、ハーレイだって悲しいでしょ?」と揚げ足を取られてしまうから。
それは出来ない、キスを欲しがるブルーに捕まるわけにはいかない。
いくら悲しくても自分はブルーよりもずっと大人で、ちゃんと歯止めが利くのだから。
越えてはならない一線どころか、もっと手前で踏み止まることが出来るのだから。
本音は言えない、悲しくても。
それに小さなブルーも可愛い、今のブルーも愛らしいから。
「…生憎と、俺は悲しいとまでは思わんな」
待つ楽しみもあるってもんだ、と少し本音を織り込んだ。
お前が大きく育つまで待とうと、それまでの日々も楽しいものだと。
けれど、相手は小さなブルー。心も身体も幼いブルー。
秘めた本音を読み取る代わりにプウッと膨れた、頬を膨らませてキッと睨んだ。
「ハーレイ、ちっとも悲しくないんだ!?」
あんまりだよ、とプンスカと怒り始めたブルー。
恋人同士だと言ってくれたから期待したのにと、ハーレイの心は冷たすぎると。
もうプンプンと怒っているから、いつまでも膨れっ面だから。
反則だけれど、とっておきの手を繰り出した。
ブルーの右手をキュッと握って、「温かいだろ?」と微笑んでやる。
「俺の心は冷たいらしいが、手は充分に温かいんだが?」と。
途端にブルーの頬が緩んで、「あったかい…」と嬉しそうだから。
これで良しとしよう、膨れっ面ではなくなったから。
(右手は必殺技だよなあ…)
メギドで冷たく凍えてしまったブルーの右手。
最後まで持っていたいと願った温もりを失くして、冷たく凍えたブルーの右の手。
温めてやるとブルーは喜ぶ、笑顔になる。
赤ん坊をあやすようだと思うけれども、今日はこの手で許して貰おう。
前のブルーが失くしてしまった温もりを返しに、温めてやろう。
「悲しくないの?」と訊かれた問いには、答えを返してやれないから。
自分の心に秘めた答えは、けして口には出せないから…。
ぼくがチビでも・了
※あの手この手で、ハーレイ先生に揺さぶりをかけるブルー君。
大人相手に敵いっこないのに頑張る姿も、きっと見ていて可愛いのでしょうv