忍者ブログ

食べたくなったなら
(ママに、悪いことしちゃったかな?)
 ほんのちょっぴり、と小さなブルーが、ふと思い返した今日の出来事。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(…学校が終わって帰って来たら、ママが…)
 ちょうどケーキを焼き上げた所だった。
 オーブンから出して、仕上げの作業を始めている。
(今日のおやつは、レモンケーキよ、って…)
 母は、パウンドケーキのように見えるケーキに、刷毛でシロップを塗っていた。
 ケーキの名前は、レモンドリズルケーキ。
(ママが時々、作るケーキで…)
 遠い昔のイギリスで生まれた、少し酸っぱい味がするもの。
 レモンをたっぷり焼き込むケーキなのだけれど、仕上げのシロップがポイントらしい。
(…レモン果汁に、お砂糖を入れて…)
 甘さと酸っぱさが混じるシロップを作ってゆく。
 シロップが出来たら、たっぷりと塗って、味をしみ込ませる。
(ママだと、そのまま刷毛で塗ってるんだけれど…)
 欲張りな人は、焼き上がったケーキに、串をグサグサと刺して穴を幾つも作るほど。
 そうしておいたら、シロップが良くしみ込むから、と母はブルーに話してくれた。
(…串を刺しても、その穴は目立たないみたい…)
 火が通ったかを確かめる穴と変わらないしね、と「目立たない」理由はブルーにも分かる。
(それにシロップ、冷めて来たら白く固まるから…)
 ケーキの表面に開いていた穴は、白いシロップに隠れてしまう。
 欲張って幾つも穴を開けても、お客様に出せる見栄えのケーキが出来上がる仕組み。
(あのケーキ、美味しいんだよね…)
 出来たばかりのも、日が経ったのも、と美味しさは舌が覚えている。
 「どっちも、とっても美味しいものね」と、どちらが好きかは比較出来ない。


 そういう「おやつ」が待っていたのが、今日の午後だった。
 母は「着替えてる間に、出来上がるから」と、ケーキにシロップを塗ってゆく。
 「出来たばかりのも、大好きでしょ?」と、着替えてくるよう、促しながら。
(…だから急いで、制服を脱いで…)
 うがいと手洗いも忘れなかった。
 「次は、おやつ」と、階段を下りて、母が待っているテーブルに行くのも急ぎ足。
 レモンのケーキは、ちゃんと出来上がって、切り分けられるのを待っている。
(ブルー、どのくらい食べたいの、って…)
 母がケーキ皿を前にして尋ねて来た時、チャイムが鳴った。
 門扉の所につけてあるもので、窓越しに見たら、ご近所の奥さんの姿がある。
(…行って来るから、自分で切ってもかまわないのよ、って、ママ…)
 そちらへ行こうと出て行ったけれど、どうするのかが悩ましい。
(…ケーキくらいは、切れるんだけど…)
 テーブルの上には、お茶の支度もしてあった。
 熱い紅茶が入ったポットと、ティーカップ。
(…お客さんの用事、早く済んだら…)
 母も自分用に、紅茶を淹れることだろう。
 ケーキは出来上がったばかりなのだし、味見を兼ねてのティータイムで。
(…それなら、待っていようかな、って思うよね…?)
 切るのが面倒臭いからじゃなくて、と自分自身に言い訳をする。
 あの時は、確かに「そのつもり」だった。
 「ママが戻ったら、ママと食べよう」と、出来立てのケーキを目の前にして。


 ブルーの決断は、正しかった。
 ご近所さんは「何か、届け物」を持って来ただけで、母に渡して帰って行った。
(…お土産かな、って思って見てて…)
 何だろうか、と考えていたら、母が「お菓子でも入っていそうな箱」を持って戻った。
(…箱の中身、ぼくが思った通りで…)
 出掛けた先で買って来たという、酒饅頭が詰まった箱を届けに来てくれたらしい。
(ママが、箱をテーブルに置いて…)
 「この酒饅頭、とても美味しいらしいわよ」と、酒饅頭の箱を開けて微笑んだ。
 「出来立てを買って来て下さったの」と、「レモンケーキと、どっちがいい?」と。
(……ぼくはお酒は、駄目なんだけど……)
 酒饅頭は名前だけだし、「お酒が入った饅頭」ではない。
 美味しいことも承知している。
(しかも、出来立て…)
 これは間違いなく、「今、食べる」のが、一番美味しい。
 レモンドリズルケーキだったら、日が経った分、味わいが深まってゆくけれど…。
(…酒饅頭だと、ふかふかの皮が固くなっていって…)
 蒸し直したりしないと「出来立ての味」には戻ってくれない。
 どちらか選んで食べていいなら、酒饅頭の方に決まっている。
(…だから、酒饅頭にするよ、って…)
 母に聞かれるなり、即断即決、今日のおやつには「酒饅頭」が選ばれた。
 レモンドリズルケーキの方は退場、母がキッチンへ運んで行った。
 明日まで味を馴染ませるために、棚に置いておこう、ということだろう。
(…ママ、戻って来た時、お茶のセットも…)
 トレイに載せて、新しいものを持って来た。
 「酒饅頭には、紅茶は合わないでしょう?」と、熱い緑茶のを。
(…紅茶は、ママが後で飲むから、って…)
 母は紅茶のポットとカップを下げて、代わりに緑茶を注いでくれた。
 「せっかくだから、ママも一緒に食べるわ」と、自分用の湯呑にも、緑茶を淹れて。


(…酒饅頭、うんと美味しくて…)
 ブルーも母も、大満足だったティータイム。
 けれど、夜になって思い返してみたら、母に悪いことをしたような気がする。
(…もしも、ママがチャイムで出て行った時に…)
 自分でケーキを切り分けていたら、どうなったろう。
 母が「ご近所さん」と話し込んだ場合、戻って来るまでの間に…。
(…ケーキ、食べ始めちゃってるよね?)
 紅茶も自分で淹れて、レモンドリズルケーキを食べていたなら、酒饅頭が届けられても…。
(食べかけのケーキ、明日まで残しておくなんて…)
 出来はしないし、おやつは「ケーキ」の方だったのに違いない。
 「酒饅頭、待っていれば良かったかも…」と、少し残念な気分で箱を見ながら。
(…そっちだったら、ぼくが残念なだけで…)
 母が作ったケーキも、用意していた紅茶のポットも、ティータイムでの出番があった。
 酒饅頭に席を譲り渡して、下げられはせずに。
(…ママは、気にしてないんだろうけど…)
 それにケーキは、明日でも美味しいケーキなんだけど、と思いはしても、引っ掛かる。
 「ホントに、あれで良かったのかな?」と、巡り合わせを考えてみて。
 「ぼくが自分で切り分けていたら、違う展開になっていたよね?」と振り返って。


 日が経てば味わいが増すレモンドリズルケーキと、出来立てが美味しい酒饅頭。
 どちらを先に食べるべきかは、誰に聞いても、同じ答えが返るだろう。
 とはいえ、ほんの少しだけ「出会う時間がズレていたなら」、選ばれたのはケーキの方。
(…レモンのケーキが今日で、酒饅頭が明日になっても…)
 仕方ないとしか言えないわけで、そちらだったら「ママに悪かったかな」という気はしない。
(……うーん……)
 難しいよね、と考え込んでいる内に、ハタと気付いた。
 今日は「相手が母だった」けれど、いつかハーレイと暮らし始めたら…。
(…ハーレイが何か作ってくれてて、出来上がったトコで…)
 誰かが「今が一番美味しいんですよ」と、届けに来たなら、状況は今日と全く同じになる。
 ハーレイは「お前、どっちが食べたいんだ?」と笑顔で聞いてくれるだろう。
 「俺のは、明日でもいいんだしな」と、用意するのに掛かった手間も時間も、放り出して。
(…ぼくが選ぶの、今日と同じで…)
 後から届いた「何か」になるのか、それとも「ハーレイが作った方」を優先するのか。
(……ママだったから、迷わなかったけど……)
 それは「甘え」が入っていたからで、ハーレイの時は違うかもしれない。
 「どっちにする?」と自分に問い掛け、秤にかけて悩み始めそう。
 ハーレイの好意を無にする方か、「美味しい間に食べる」何かを選ぶべきなのか。
(…困っちゃうんだけど…!)
 でも、ハーレイが決めてくれそう、と決断を先送りにする道が見える気もする。
 ハーレイの方から「じゃあ、コレにするか」と、後から来た方を選んでくれるまで。


(…うん、きっとそう!)
 ハーレイだものね、と思うけれども、他のケースが浮かんで来た。
 二人で何処かへ出掛けた時に、不意に「食べたくなった」もの。
(…ぼくに、好き嫌いは無いんだけれど…)
 あれが食べたい、と思ったりはする。
 出掛けた先で、自分が食べたくなった「何か」を、ハーレイに提案する前に…。
(おっ、昼飯は、あそこにするか、って…)
 ハーレイが店に目を留めて、入ろうとスタスタ歩いてゆく。
 ブルーが「食べたい」ものは無さそうな、まるで違った品揃えに見える店の方へと。
(……どうするの!?)
 ぼくは違うのが食べたいのに、と主張するのか、ハーレイの気持ちを尊重すべきか。
(……それって、とっても……)
 困るんだけど、と考えただけで困ってしまう。
 もしも将来、急に何かを「食べたくなったなら」、どうするのか。
 ハーレイのためにグッと我慢するのか、自分の好みを押し通すべきか。
(…困っちゃうんだけど…!)
 ホントのホントに困っちゃうよ、と遠い未来の悩み事について、一人、ぐるぐると悩み続ける。
 まだ、その時は来てはいないのに。
 ずっと遥かな遠い未来で、婚約さえもしていないのに…。



             食べたくなったなら・了


※お母さんが作ったケーキよりも、頂き物の酒饅頭を選んでしまったブルー君。
 食べたい方を選んだだけなんですけど、ハーレイ先生と暮らし始めたら、事情は違うかもv






拍手[0回]

PR
COMMENT
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
 管理人のみ閲覧
 
Copyright ©  -- つれづれシャングリラ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]