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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(わあっ…!)
 焼き立てのスコーン、と小さなブルーは顔を輝かせた。
 学校から帰って、おやつの時間。
 母が焼いてくれたホカホカのスコーン、温かい内が美味しいから。
 冷めたスコーンも悪くないけれど、塗ったクリームが溶け出すほどのが最高だから。
 もうワクワクとテーブルに着いた、いつもの椅子に腰掛けた。
 熱い紅茶をコクリと一口、それからスコーン。熱々の焼き立てをパカリと割った。


 二つに割ったら中は熱くて、ホワンと熱気。オーブンの熱が残った内側。
 ジャムを乗っけて、それからクリーム。
 生クリームとバターの中間みたいな、濃くてコクのあるクロテッドクリームをたっぷりと。
 クロテッドクリームを先に塗ったら、スコーンの熱でバターみたいに溶けるから。
 溶けてしまうから先にジャムを塗って、その上にクロテッドクリームを乗せて。
 そういう食べ方も好きだけれども、たまには逆の気分にもなる。
 まずはクリーム、熱で溶けるのも気にせずクリーム。
 クロテッドクリームの味がしみ込んだスコーンにジャムを塗っても、また美味しい。


 今日はそっち、とクロテッドクリームを塗り付けた。
 熱でたちまちとろけるクリーム、その上にジャム、と思ったけれど。
 母が用意していたイチゴのジャムより、今日はブルーベリーのジャムな気分で。
 クリームを塗る前にジャムの瓶を取って来ておくべきだった、と向かったキッチン。
 冷蔵庫の中にブルーベリーのジャムが入っている筈で…。


(…あれ?)
 見当たらない、と冷蔵庫の中を見回した。
 イチゴのジャムの瓶が無いのは分かる。テーブルの上に出ていたから。
 スコーンに好きなだけつけられるように、母は瓶ごと出してくれていたから。
 冷蔵庫の中、アプリコットのジャムはあるけれど。
 リンゴのジャムもあるのだけれども、ブルーベリーのジャムが無い。
 昨日の朝には食べた筈なのに、トーストに塗って食べたのに。


 そういえば、昨日の朝に見た時。
 ブルーベリーのジャムは残り少なくて、「また買わなくちゃ」と言っていた母。
 あれから後に瓶は空になって、それきりになってしまったろうか?
 今朝のトーストはバターで食べたし、ジャムの瓶はチェックしなかった。
 父か母かが食べてしまって無くなったろうか、ブルーベリーのジャムの残りは?
 ならばこっち、と開けていないジャムなどを置いておく棚を覗いたけれど。
(…此処にも無いの?)
 ブルーベリーのジャムは無かった、冷蔵庫にも、新しい瓶の棚にも。


 見当たらないものは仕方ないから、こうする内にもスコーンが冷めてしまうから。
 イチゴのジャムでもかまわないや、とダイニングの元の椅子へと戻った。
 まだ温かいスコーンにイチゴのジャムをたっぷり、頬張ってみれば満足の味。
 スコーンにしみ込んだクロテッドクリームの味とイチゴのジャムとのハーモニー。
 けれども、やっぱり…。
(ブルーベリーのジャム…)
 そっちの気分だったのに、と惜しい気がする、思ってしまう。
 ブルーベリーのジャムがあったら最高だったと、イチゴよりも、と。


 そういったことを考えながらも、焼き立てのスコーンを味わっていたら。
 もう一個食べようと、そっちはジャムを先に塗ろうかと考えていたら。
 「食べ過ぎちゃ駄目よ?」と通り掛かった母に言われた。
 いくら美味しくても二つまでよと、三つも食べないでちょうだいと。
「うん、分かってる」
 次のでおしまい、と答えた所で、ブルーベリーのジャムを思い出したから。
 もしかしたら買ってあるかもしれないと、母が何処かに置いたのかも、と思ったから。
「ママ、ブルーベリーのジャムを知らない?」
 あれでスコーンを食べたいんだけど、と尋ねてみたら…。


 ごめんなさいね、と謝った母。
 買い物に行くのにメモを忘れたと、ジャムを買い忘れてしまったのだと。
「帰ってから思い出したのよ。明日でもいいと思ったんだけど…」
 まさか欲しいとは思わなくて、と母が謝ってくれるから。
 スコーンを焼いてしまったことまで、申し訳なさそうな顔をしているから。
「ううん、イチゴのジャムでもいいよ」
 焼き立てのスコーンは美味しいから、と笑顔で返した。
 ブルーベリーのジャムで食べるのは次の時でいいと、今日はイチゴのジャムでいいよと。


(…ママに悪いことしちゃったかな?)
 ブルーベリーのジャムが欲しいと言ったばかりに、母に謝らせてしまったから。
 きっと明日には買い物メモに書かれて、ジャムは戻って来るのだろうに。
 無かったことなど嘘だったように、ブルーベリーのジャムが詰まった瓶が。
 まるで買い置きがあったかのように、ちゃんと冷蔵庫か棚の何処かにあるのだろうに。
(…ぼくって、我儘?)
 イチゴのジャムはあったというのに、ブルーベリーのジャムだと言って。
 それで食べたかったと欲張りを言って、母を困らせてしまったようで。


 けれども、不意に掠めた記憶。
 遠い遠い昔、時の彼方のシャングリラ。前の自分が暮らしていた船。
 あそこでは言えはしなかった。
 用意して貰った料理を眺めて、この味よりも別のがいいとは、それが食べたいとは。
 出来上がる前なら言えたけれども、出来てしまったら言えない我儘。
 まして船では切らしているものを欲しいとは言えない、けして言えない。
 そんな事態は滅多に無かったけれども、大抵は上手くいっていたから。
 食料は充分に足りていたのだし、余程でなければ、切れることはなくて。


(…そっか、ぼくのは我儘だけど…)
 母が買い忘れたブルーベリーのジャム、それを探した自分は我儘だったけれども、それも幸せ。
 あれが足りないと、あれが欲しいと言える分だけ、前の自分よりもずっと幸せ。
 その幸せに気が付いたから。
 食べ終えた後で、キッチンの母に「御馳走様」とお皿やカップを返して、心の中で呟いた。
 「ブルーベリーのジャムを買い忘れてくれてありがとう」と。
 忘れられた買い物のお蔭で気付いたと、ぼくはとっても幸せだよ、と。
 あれがいいとか、これが食べたいとか、言ってもかまわない世界。
 そこに生まれたことが幸せ、ぼくはとっても幸せだから、と…。

 

       忘れられた買い物・了


※おやつの時間のブルー君。ブルーベリーのジャムな気分だったみたいですけど…。
 シャングリラだったら言えない我儘、それが幸せ。イチゴのジャムでも幸せなのですv





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(…しまった…)
 ウッカリ買うのを忘れちまった、と苦笑した。
 今日の夕食は自分の家で。ブルーの家には寄らなかったから。
 仕事帰りに食料品店に寄って、あれこれ買い込んで来たけれど。
 それで夕食を作ったけれども、さて食べようとテーブルに料理を並べた後で。
 これも出さねば、と開けた冷蔵庫。
 野菜サラダにかけるドレッシングを取り出そうとしたら、そこで気付いた。
 残り少なくなっていたことに、今夜使ったら、明日の朝の分しか残らないことに。


 ドレッシングは何種類か揃えてあるから、他のものでもいいのだけれど。
 違うドレッシングをかけたっていいし、手作りするのも好きだけれども。
(…こいつの気分なんだよなあ…)
 他の選択肢は思い浮かばない、冷蔵庫を開ける前から決めていたから。
 野菜サラダを作っていた時から、それのつもりで作っていたから。
 他の味でも、野菜サラダは食べられるけれど。
 冷蔵庫にあるドレッシングはもちろん、マヨネーズなどで手作りしたって美味しいけども。
 これにしようと決めていただけに、イメージが頭に出来ていただけに、変えられなくて。
 残り少なくても今夜はこれだ、と取り出した。
 明日の朝に使えば空になるけれど、今夜使えば、残りは一回分しか無さそうだけれど。


 それでも食べたい気分なんだ、とテーブルに置いたドレッシング。
 もう本当に残り少なくて、野菜サラダにたっぷりかけたら、底の方に少し残っただけ。
 どう見ても一度使えばおしまい、明日の朝に使えばそれでおしまい。
(でもまあ、買えばいいんだしな?)
 明日は忘れずに買って帰ろう、と心のメモに書き込んだ。
 家にあるのが定番なのだし、まるで無くなったら落ち着かない。
 そんな時に限って「あれで食べたい」と思うものだし、無ければ自分がガッカリする。
 買い忘れていたと、てっきりあると思ったのに、と。


(明日は買い物…)
 たかがドレッシングのことだけれども、買っておかねば。
 冷蔵庫を覗いて「無かったっけな」と溜息をつくのは避けたいから。
 そう考えながら頬張る夕食、野菜サラダの他にも色々。
 料理は好きだし、一人暮らしでも手抜きはしない。
 むしろ作るのが楽しみな方で、今日もあちこち眺めていたのに。
 食料品店の中をグルリと回って、何を買おうかと、どう食べようかと考えたのに。
 肉か、魚か、同じ肉でもビーフかポークか、チキンにするかと。
 魚もいいなと、どんな魚が今日はあるかと端から覗き込んだのに。
 なのに忘れたドレッシング。
 野菜のコーナーにはもちろん行ったし、あれもこれもと買ったのに。


 なまじ買い物を満喫したから、忘れたのかもしれないけれど。
 多分そうだと思うけれども、切らしてしまいそうなドレッシング。
 明日は買おうと、買いに行かねばと思った所で前の自分の記憶が掠めた。
 キャプテン・ハーレイだった頃。
 白いシャングリラの中が世界の全てだった頃。
(おいおいおい…)
 忘れるだなんてとんでもないぞ、と前の自分が呆れている。
 正確には今の自分の心に前の自分の記憶が重なる、有り得ないと。
 ドレッシングが切れそうだなどと、明日の朝には空になるから買おうだなどと。
 そうだったっけな、と自分の頭をコツンと叩いた。
 これがシャングリラなら大変なんだと、あってはならないミスなのだと。


 船の中だけが世界の全てだった白いシャングリラ。
 やむを得ず物資を補給するにしても、ちょっと其処までというわけにはいかない。
 ドレッシングを買いに出掛けるようにはいかない、シャングリラでは。
 切らしそうなものが何であっても、そういう事態を招くこと自体が重大なミス。
 常に余裕を見ておくべきだし、備蓄が無いなど有り得ない。
 明日には切れると、明日の朝にはゼロになるなどと寝言を言ってはいられない。
 そうした報告が上がって来たなら、管理部門の責任者を厳しく叱らねば。
 どうして早めに気付かないのだと、明日の朝以降はどうするのかと。


(…ちょっと買って来ます、とは言えないからなあ…)
 「忘れていました」では済まされない上に、補給も生産もそう簡単にはいかないから。
 どんなものでも備蓄は必須で、余裕がゼロなど、あってはならない。
 なのに自分はやってしまった、今の自分が。
 ついウッカリと買わずに帰った、ドレッシングは明日の朝には切れるというのに。
 空っぽの容器だけを残して、綺麗サッパリ。
 前の自分がそれをやったら、誰かがやったら、たとえドレッシングでも大変なことで。
(次の会議の議題だな)
 まず間違いなく、そうなるだろう。同じ事態を二度と起こさぬよう、繰り返さぬよう。


 実に大変な世界だった、と今の幸せに感謝した。
 明日の朝でドレッシングが切れても、容器がすっかり空になっても。
 店に行ったらいつでも買えるし、切らしてしまったと会議の議題になったりもしない。
 要は自分の心の中だけ、明日、買い忘れても困るのは自分一人だけのことで。
(…今だから油断出来るんだよなあ…)
 備蓄が無くても買いに行ける世界、ヒョイと簡単に補給できる世界。
 ついついウッカリ買い忘れていても、誰にも迷惑をかけない世界。
 この幸せを大いに満喫しようと思ったけれど。


(…待てよ?)
 いつかブルーと結婚したなら、忘れたら困るかもしれない。
 ブルーの気に入りのドレッシングがゼロになるとか、明日の朝で無くなりそうだとか。
 それではブルーが可哀相だし、「あると思ったのに…」とションボリされても悲しいから。
 やはり気を付けようと自分に誓った、今後に備えて。
 たかだか、ドレッシングの問題だけれど。
 今の世界では、店に出掛けたらいつでも補給が出来るのだけれど…。

 

        忘れた買い物・了


※ウッカリ買い忘れて切らしてしまっても、お店に行ったら新しいのを直ぐに買える世界。
 それが幸せだと気付いたハーレイ先生、明日はドレッシングのお買い物ですねv





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(前のぼくの部屋とは違うんだよね…)
 まるで全く似ていないんだよ、と小さなブルーが見回した部屋。
 両親と暮らしている家の二階、幼かった頃から此処で過ごして来たけれど。
 この部屋で大きくなったのだけれど、前の自分が暮らした部屋とはまるで違った。
 大きさも、見た目も、明るさも、全部。
 何もかもが全く違ってしまって、何一つ似てはいなかった。
 白いシャングリラにあった部屋とは。
 ソルジャー・ブルーだった自分が過ごした、あの青の間とは。


 それも仕方がないとは思う。
 今の自分はただの十四歳の子供で、ミュウの長ではないのだから。
 両親に守られて育つ最中、まだ学校の生徒の自分。
 子供用の部屋があれば充分、自分だけの部屋があったら充分。
 青の間のように大きな部屋など要りはしなくて、あの独特の構造も。
 満々と水を湛えていた部屋、緩くカーブして上るスロープ。
 深い海の底を思わせる暗さも、青く灯っていた照明も。
 どれも要らない、今の自分には。
 ただの子供には要りはしないし、それで充分なのだけど。
 今の部屋は好きで、青の間などよりずっと素敵だと思うけれども…。


 たまに青の間が恋しくなる。
 あの部屋へ無性に帰りたくなる。
 帰った所で、いいことなどありはしないのに。
 今の自由な自分の代わりに、ソルジャーの務めに縛られた自分がいるだけなのに。
 シャングリラの中だけが世界の全てで、青い地球など夢だった頃。
 其処へ行きたくても座標すら謎で、航路さえも描けなかった頃。
 今の自分は地球にいるのに、蘇った青い地球にいるのに。


 何の不自由も無い筈の自分、青い地球で暮らしている自分。
 優しい両親に温かな家に、好きに使える子供部屋。
 青の間よりも遥かに狭い部屋でも、ずっと自由に暮らせる空間。
 床で寝そべっても、散らかしていても、呆れ顔をするのは両親だけで。
 呆れ顔をしても、きっと許してくれる両親。
 頭ごなしに叱りはしないで、好きなようにさせてくれる両親。
 後できちんと片付けるならと、他の人の前ではお行儀よく、と言う程度で。


 つまりはソルジャー・ブルーだった頃よりも自由、何をしたってかまわない部屋。
 小さいけれども、青の間よりも狭いけれども、好きに使っていい空間。
 しかも地球の上、前の自分が焦がれ続けた青い地球の上に自分だけの部屋。
 なのにどうして青の間がいいのか、帰りたいなどと思うのか。
 帰った所で何も無いのに、ソルジャーの務めがあるだけなのに。
 ただ広いだけの部屋しか無いのに、その他には何も無い筈なのに。


(今の部屋の方が、ずっと素敵で…)
 狭くても自分のためのお城で、家具も本棚も馴染みのもの。
 本棚からヒョイと一冊取り出し、何処で読むのも自分の自由。
 勉強机の前で読もうが、ベッドで読もうが、床に広げて読んでいようが。
 もう青の間よりずっと自由で、ずっと素敵な筈なのに。
 窓の向こうを覗いたら其処に広がる景色も、前の自分が焦がれた地球の筈なのに。


 けれど時々帰りたくなる、前の自分がいた青の間へ。
 あの部屋がいいと、あの部屋の頃が良かったと。
(…なんで?)
 あそこには何があっただろうか。何があったというのだろうか。
 ソルジャーとしての務めしか無くて、それに縛られていたというのに。
 青の間はソルジャーだからこその居場所で、自分を縛る部屋だったのに。


(…帰ったって、何も…)
 いいことなんかは無い筈なのに、と今の自分の部屋を眺めた。
 自分のための小さなお城を、十四歳の子供の部屋を。
 勉強机にクローゼットに、それからベッド。
 本棚があって、来客用にと買って貰ったテーブルに、椅子に…。
 そこまで数えて気が付いた。
 来客用の椅子とテーブル、それを使っている人に。
 そのテーブルと椅子とを使って向かい合う人に、椅子に座りに来てくれる人に。


 青い地球の上で再び出会った、前の生から愛した人。
 今は教師になってしまったハーレイ、前はキャプテンだった恋人。
(そっか、ハーレイ…!)
 やっと分かった、どうして青の間に帰りたいなどと思うのか。
 自由が無かった筈のあの頃に、ソルジャー・ブルーだった頃の自分の部屋に。
 あの部屋に自由は無かったけれども、傍目には確かに無かったけれど。
 そんな部屋でも、密かに訪ねてくれた恋人。
 キャプテンの顔で青の間に来ては、抱き締めてくれていたハーレイ。


 青の間の頃はハーレイと会えた、恋人同士の時を過ごせた。
 今と違ってキスを交わして、その先のことも。
 誰にも言えない恋人同士の仲だったけれど、それでも二人で夜を過ごせた。
 甘い甘い夜を、熱くて優しい夜を。
 今と違って、あの青の間にいた頃は。
 ただ広いだけの部屋にいた頃は、誰よりも愛した恋人がいた。
 誰にも邪魔をされることなく、夜になっても「またな」と帰ってゆきもしないで。
 今の小さなお城と違って、前の自分が暮らした部屋には…。


(…ハーレイがセットだったんだよ…)
 セットというのは少し違うかもしれないけれど。
 もっと似合いの言い方があるかもしれないけれども、ハーレイがセット。
 それが青の間、だから帰りたくなると気付いた。
 自由が無くても、ソルジャーの務めしか無かった部屋でも。
(でも、我慢…)
 帰りたいなどと言ってはいけない、自分は自由になったのだから。
 いつかハーレイと暮らせるようになるのだから。
 今は青の間に帰りたくても、そんな気分など、いつか吹き飛ぶ。
 ハーレイと二人で暮らし始めたら、同じ屋根の下、二人きりの時が流れ始めたら…。

 

       帰りたい部屋・了


※ブルー君が帰りたくなる青の間、ホームシックではなかったみたいです。
 青の間にはセットでついてたハーレイ、それがお目当てだなんて可愛いですよねv








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(間違いなく俺の部屋なんだが…)
 そうなんだが、と改めて見回した書斎。
 本棚に机、寝室とはまた趣が異なった部屋で、ハーレイの気に入りなのだけど。
 夕食の後には直行することも珍しくなくて、寛ぎの空間なのだけれども。
 こうして見てみれば、自分の部屋にも、前の自分の部屋にも見える。
 重なる所は殆ど無いのに、机と本くらいなものなのに。


 前の自分が、キャプテン・ハーレイが暮らしたシャングリラ。
 白い鯨のキャプテンの部屋は、今の書斎とはまるで違った。
 なにしろ宇宙船の中。
 地面に建っている家とは違うし、もうドアからして異なっていた。
 防音性に気密性。そういったことが最優先だった宇宙船の中、ドアも然りで。
 外に明かりが漏れはしなくて、開け放すようなことも無かった。
 書斎には風を通すのに。
 天気の良い日は本の虫干しとばかりに、ドアを開け放っておくこともあるのに。


 違いは壁にも天井にも及び、もちろん床も。
 宇宙船と家では素材が異なる、構造だって違ってくる。
 照明も違うし、部屋の広さも、造りも全く違うというのに、何故だか重なって見える部屋。
 キャプテン・ハーレイだった自分に見せても、「ふむ」と頷きそうな部屋。
 自分の部屋だと腰を落ち着け、本を引っ張り出しそうな部屋。
 どれにしようかと棚の前に立って、気まぐれに一冊、これにしようと。


(その本からして違うんだがなあ…)
 同じ本でも中身が違った、タイトルも本文も、著者の名前も。
 今の自分の本棚に詰まった、小さな島国、日本の古典。
 名作、伝説、他にも色々、好きで集めた本の数々。
 前の自分の蔵書の中には無かったと思う、そういった本は。
 まるで嫌いではなかったけれども、日本の古典を持っていなかったと言うべきか。
 他にも読むべき本はあったし、日本にこだわる理由も無かった。
 地球で書かれた本なら古典で、どれでも興味深かったから。


 ついでに、前の自分の職業。
 シャングリラだけが全ての世界で職業と呼んでいいかはともかく、キャプテンなる職務。
 そのために必要な本も多くて、航宙学やら、宇宙の構造に関する本やら。
 今の自分でも、読めないことはないだろうけれど。
 理解出来ないこともないだろうけれど、出来ればお目にかかりたくはない。
 寛ぎの場所に来てまでそういった本は御免だと思う、もっと気ままに気軽に読みたい。
 今日はこれだと、この本がいいと引っ張り出して。
 コーヒー片手に読める一冊、そういう本との出会いがいい。
 前の自分が読んでいたような、生きるか死ぬかの局面に関わる本ではなくて。
 明日の航路をどうするべきかと、開いたような本ではなくて。


 好きに一冊選んでいい本、何を読んでもかまわない本。
 それに囲まれたこの部屋が好きで、とても落ち着くのだけれど。
 今の自分の職業柄かと、古典の教師になったくらいの人間だからと、頭から信じていたけれど。
(…前の俺かもな?)
 こうして部屋を見回すと思う、そうだったのかもしれないと。
 前の自分の記憶は無くても、取り戻す前でも、心の何処かでこの部屋を選んでいたのかも、と。
 家を持つなら、書斎も一つ。
 それが欲しいと、本に囲まれて寛いだ時間を過ごしたいと。


(前の俺の本とは別物なんだが…)
 この部屋に並んだ本を読んでもシャングリラは動かせないんだが、と笑いが漏れる。
 古典の教師になれる程度で、キャプテンはとても務まらないと。
 それでも前の自分が見たなら…。
(きっと一冊、ワクワクしながら選ぶんだ)
 そんな気がする、一冊選んで腰を落ち着け、ゆっくりと読むに違いないと。
 ページをめくってコーヒーを一口、いつしか冷めるのも忘れるくらいに。
 部屋の雰囲気と本とに捕まり、時間を忘れて過ごすのだろうと。


 違うようでも、似ている部屋。
 前の自分がゆったりと座りそうな部屋。
 本は違っても、部屋の造りがまるで違っても、何の違和感も覚えずに。
 自分の部屋だと椅子に腰掛け、気まぐれに選んだ本を広げて。
(…前の俺が欲しかったのかもなあ…)
 こういう部屋が、という気がした。
 自分のためだけにある本に囲まれた時間、そうした本たちと過ごす空間。
 船の航路も、仲間の命も、まるで関係無い本の数々。
 それを広げてコーヒーを飲んで、冷めてしまっても気にすることなく。


 きっとそうだな、と思ったけれど。
 前の自分が欲しがった部屋で、それゆえに何処か重なるのだろうと考えたけれど。
(…一つ足りんな)
 大切なものが一つ足りない、と零れた笑み。
 この部屋には欠かせない筈の一つが、それがまだ足りていないのだと。
 本でも家具でもなくて、もちろん壁紙などでもなくて。
(…俺の部屋には、あいつがいないと…)
 銀色の髪に赤い瞳の、前の生から愛したブルー。愛し続けて来た恋人。


 ブルーが来たなら、本の出番は無くなるけれど。
 本をゆっくり読む暇は無くて、ブルーに心を奪われるけれど。
 それでも、自分が過ごす部屋には…。
(…あいつが要るんだ)
 本が読めなくても、時間の全てをブルーに持ってゆかれても。
 ブルーが揃って初めて完成品だと思う。
 前の自分と同じ部屋を持つなら、何処か似ている部屋を持つなら…。

 

       気に入りの書斎・了


※ハーレイ先生のお気に入りの書斎、古典の他にも色々な本が揃っているのでしょう。
 キャプテン・ハーレイが見たら何を選ぶか、ちょっと知りたい気もしますよねv





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(シャツは洗濯…)
 暑かったもんね、とブルーは制服を脱いだ。
 今の季節は上着は無いから、白い半袖シャツだけれども。
 如何にも制服といった感じの襟付きのシャツと、夏物のズボン。
 それで全部で、普段着に着替えたら、ズボンはピシッと畳んで吊るした。
 こうしておいたら皺が伸びるし、明日も気持ち良く着られるから。
 シャツは洗濯、今の季節は二日続けては着られない。


 部屋の掃除は自分でするのがブルーだけれども、洗濯まではしないから。
 母任せだから、脱いだシャツを抱えて階段を下りた。
 おやつの前にと、洗濯用の籠に入れに行ったら。
 軽く畳んで籠に入れたら、通り掛かった母に言われた。
 「おやつを食べたら、昨日のシャツを部屋に持って行ってね」と。
 ダイニングに置いてあるという。
 ブルーの部屋まで届けるつもりが、来客があって行けていないと。
 プレスしてきちんと畳んであるから、持って帰ってと。


(んーと…)
 制服のシャツ、とダイニングを見回し、自分の椅子の上にそれを見付けた。
 上に腰掛けたら皺になってしまうし、隣の椅子へと移動させて。
 それから用意してあったおやつ、母が焼いておいてくれたレモンのケーキ。
 レモネードも自分でグラスに注いだ、氷を入れて。
 外の暑さがスウッと抜けてゆく、心地良さ。
 身体にこもった熱が薄れて、背筋がシャンと伸びてくる。
 今日は一日暑かったけれど、ダウンしないで元気でいられた。
 体育は日陰に逃げていたけれど、グラウンドだったから木陰で見学していたけれども。


 明日も元気に登校せねばと、おやつを食べ終えて立ち上がった。
 二時間目にあるハーレイの授業、それを逃したら大変だから。
 休んでしまったら悲しくなるから、体調管理は抜かりなく。
 冷たいレモネードがいくら美味しくても、飲みすぎたら身体を冷やすから。
 おかわりしたいのをグッと堪えて、空になったグラスとケーキのお皿をキッチンへ。
 母に「御馳走様」と渡して、ダイニングに戻って、さっきの制服。
 椅子に置いてあったシャツを抱えて、自分の部屋へ。
 足取りも軽く階段を上り、部屋の扉をパタンと開けて。


(えーっと、シャツは、と…)
 皺にならないよう先に仕舞っておかなくては、と覗いた引き出し。
 替えのシャツが何枚か入っているから、其処へと入れるだけなのだけれど。
(どれも、おんなじ…)
 洗った順番も分からないくらい、そっくりの顔をして並んだシャツたち。
 襟まできちんとプレスしてある白い半袖シャツの群れ。
 まるでおんなじ、と持って来たシャツを入れたら区別がつかなくなった。
 此処へ入れた、という記憶が無ければ、もうどのシャツだか分からない。
 制服のシャツだけに個性も何もありはしないし、そっくりのシャツが並んでいるだけ。


 ホントに同じ、と眺めている内に可笑しくなった。
 友達のシャツが紛れていたって、きっと分からないことだろう。
 明らかにサイズが違うとなったら分かるけれども、そうでなければ。
(名前でも書かなきゃ分からないよね?)
 一目で分かる襟の内側とか…、と見詰めたけれども、シャツに名前を書くなんて。
 まるで小さな子供みたい、と白いだけのシャツを眺めていたら。
 こんなシャツでは誰のシャツかも分かりやしない、とクスクス笑っていたら…。


(…みんなと同じ?)
 同じ制服、と急に視界がパアッと開けたような感覚。
 クリアに澄んだ意識の向こうで、前の自分の記憶が跳ねた。
 同じ制服だと、他のみんなと同じ制服を着ているのだと。
(そっか、制服…!)
 前の自分も常に制服を着ていたけれど。
 普段着は無くて、いつも制服だったけれども、その制服は自分一人だけ。
 他の仲間とは違った制服、ソルジャーだけが纏った制服。
 服だけを見れば誰でも分かった、それを着ているのが誰なのか。
 前の自分の顔を見ずとも、あの服だけで。
 それが今では…。


(…そっくり同じ…)
 誰の制服も自分と同じで、シャツもズボンもサイズが違うというだけのこと。
 学校の生徒は同じ制服、同学年の生徒はもちろん、それこそ最高学年でも。
 きっと服だけなら誰も分からない、ブルーなのか、他の生徒なのか。
 体格や顔が伴わなければ、きっと誰にも分かりはしない。
(今度の制服、ぼくだけじゃないよ…!)
 もう特別ではなくなったのだ、と嬉しくなった。
 みんな同じだと、誰でも同じ制服なのだと。
 つまりは軽くなった責任、ただ学校の生徒というだけ。
 制服を着ている年に相応しく、自覚を持って振舞えばいいというだけのことで。


(…すっごく自由…)
 同じ制服でも全然違う、とシャツを眺めた、さっき吊るしておいたズボンも。
 今の自分はただの生徒で、制服は学校に通っていることを示すだけのもので。
(なんだか素敵…)
 そっくりのシャツでも、名前が無ければ誰のか分からないような白いシャツでも。
 そういう制服を着てもいいのが今の時代で、今の自分で。
 ソルジャーではなくて、普通の生徒。
 それが最高に幸せな気分。
 名前を書かねば紛れてしまいそうな制服、それが自分の幸せの証。
 今度は制服に縛られはしなくて、みんなのと同じなのだから…。

 

        みんなと同じ服・了


※ブルー君の制服、すっかり平凡になったようです。ソルジャーだった頃と違って。
 みんなと同じデザインの制服で軽い責任、それが幸せなブルー君ですv





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