(あいつの願いは何でも叶えてやりたいんだが…)
そうしたいんだが、とついた溜息、夜の書斎で。
小さなブルーと過ごした一日、平日だけれど夏休みだから。
午前中から出掛けて行って夕食までを共に過ごした、小さなブルーと。
そうする間にブルーが願った、「お願い」と強請られたことが問題、叶えてやれない願い事。
何度頼まれてもキスは出来ない、唇へのキスはしてやれない。
小さなブルーは幼すぎるから、唇へのキスは早すぎるから。
再会してから何度も叱った、キスは駄目だと戒めて来た。
叱られる度にブルーは膨れた、あるいは「ケチ!」と尖らせた唇。
そういうブルーも可愛らしくて、キスを落としたくなるけれど。
思わず抱き締め、キスすることもあったけれども、それは唇へのキスではなくて。
額か、柔らかな頬かどちらか、つまりは子供向けのキス。
「おはよう」のキスや「おやすみ」のキスと変わらないキス、触れるだけのキス。
ブルーが両親から贈られるであろう、慈しみのキスと同じキス。
それが不満でたまらないブルー、今日も見事に膨れてくれた。
キスを強請るから叱ってやったら、子供には早いとピンと額を弾いたら。
「子供じゃないよ」と怒ったブルー。
前と同じだと、何も変わらないと拗ねて膨れて、仏頂面で。
けれど、それこそが子供の証で、大人だったらそうはならない。
前のブルーに「キスは駄目だ」と言おうものなら、どうなっていたか。
(きっと悲しそうな顔をしたんだ、あいつはな)
膨れる代わりに、きっと俯いた。
前のブルーなら、前の自分が愛したソルジャー・ブルーなら。
「キスは駄目だ」と言ってやったら、きっと泣かれた、声も上げずに。
瞳からポロポロと涙を零して、唇をキュッと引き結んで。
自分の何が悪かったのかと、何が機嫌を損ねたのかと、唇を噛んで。
このまま許して貰えないのかと、それは悲しげに、真珠の涙を幾つも零して。
もちろんブルーにそんなことはしない、前のブルーを苛めはしない。
「キスは駄目だ」と言わねばならない理由などありはしなかったから。
求められずともキスを贈った、頬に、額に、それに唇に。
しなやかだった手にもキスを落とした、甲に、指先に。
手だけではなくて、華奢な身体に余すところなく贈り続けた、幾つものキスを。
ブルーは大人だったから。
前のブルーはそれだけのキスを充分に貰える身体と心を持っていたから。
ところが、今の小さなブルー。
十四歳の幼い子供の身体と、それに見合った無垢な心と。
そんなブルーにキスは出来ない、大人向けのキスは。
ブルーの両親も贈るのであろう、慈しみのキスしかしてはやれない。
だから駄目だと何度も叱って、唇へのキスを禁じているのに。
前のブルーと同じ背丈に育つまでは駄目だと言ってあるのに、小さなブルーは諦めない。
キスが欲しいと、ぼくにキスしてと、懲りずに強請り続けるブルー。
今日も強請られた、「お願いだから」と。
断ったら仏頂面で膨れた、「ハーレイのケチ!」と。
ハーレイは何も分かっていないと、こんなにキスが欲しいのにと。
恋人の願いを断るだなんて、とても酷くて冷たすぎると。
(…苛めてるわけじゃないんだがな?)
小さなブルーを誰よりも大事に思っているから、今はまだキスを贈れない。
幼い子供にキスをするなど、唇にキスを落とすことなど、どう考えても酷すぎる。
年相応の心しか持たない小さなブルーにキスは早すぎる、唇へのキスは。
それを分かってくれない恋人、幼すぎるから分かっていない。
前の自分と同じつもりでキスを求める、「ぼくにキスして」と。
恋人同士のキスが何かも分からないままに、前の自分の記憶だけを抱いて。
断る度にブルーは膨れて、「ハーレイのケチ!」と言われるけれど。
今日も見事に膨れたけれども、やはり出来ない唇へのキス。
どんなにブルーが強く願っても、何度も強請り続けても。
(…あいつの願いは、本当に叶えてやりたいんだが…)
生まれ変わって再び出会った、前の生から愛した恋人。
どんな願いでも叶えてやりたい、どんな我儘でも聞いてやりたい。
前のブルーは何も願いはしなかったから。
我儘も言わず、強請りもしないで、前の自分の腕の中から飛び去ったから。
たった一人でメギドへと飛んで、二度と戻りはしなかった。
自分のことは何も願わず、それきり戻って来なかった。
そんなブルーの願い事。
青い地球の上に生まれ変わって、帰って来てくれたブルーの願い事。
どんなことでも聞いてやりたい、叶えてやりたい、出来ることなら。
今の自分に出来ることなら、それこそブルーの願いの全てを。
心の底からそう思うけれど、本当に叶えてやりたいけれど。
(…困ったもんだ…)
今の所は叶えられない願い事ばかり、叶えてやれないことばかり。
唇へのキスはもちろん駄目だし、その先のことも。
小さなブルーが願い続ける「本物の恋人同士」の関係とやらは、とんでもない。
それこそブルーが大人にならねば聞いてやれない、子供相手に出来るわけがない。
なのに分かってくれないブルー。
膨れては「ケチ!」と拗ねてしまうブルー。
それも可愛いのだけれど。
いつかは分かってくれるのだろうし、その頃にはブルーの願い事も。
(叶えてやれると思うんだがな?)
唇へのキスも、その先のことも。
共に暮らしたいという可愛い願いも、その頃にはきっと叶えてやれる。
デートもドライブも何だって出来る、ブルーの願いを何でも叶えてやれるのだけれど。
(…それまでの道が長いんだよなあ…)
ブルーの願いを全て叶えてやれるようになるまで、どのくらいかかることだろう。
何度ブルーの膨れっ面を見て、何度ケチだと言われるだろう。
(俺は当分、ケチのハーレイ…)
小さなブルーの唇から飛び出す、「ハーレイのケチ!」という言葉。
それをブルーが言わなくなる日は、いつか必ず来るのだけれど。
どんな願いも全て叶えて、愛おしむ日が来るのだけれど。
(…あいつ、分かっちゃいないんだ…)
ブルーは幼すぎるから。
幼くて無垢で小さすぎるから、まだ分からない。
自分がどれほど愛しているのか、それゆえにケチにしか見えないのか。
当分はケチで、ケチのハーレイ。
けれど、いつまでも言わせはしない。
ブルーの願いは全て叶えてやりたいのだから、いつかは全て叶えるのだから…。
叶えてやれない・了
※ブルーの願いを叶えてやりたいハーレイですけど、叶えられない願い事。
当分は「ケチのハーレイ」でしょうね、ブルー君にプウッと膨れられてねv
「ねえ、ハーレイ。…泳いでくれるって言ってたけれど…」
本当に? と突然訊かれて、ハーレイは心底、面食らった。
小さなブルーが言っている意味が分からない。まるで分からない、唐突すぎる問い。
泳ぐも何も、ブルーの家にはプールなど無くて、泳ぐのであれば学校のプール。
けれども、そちらはブルーの見学を禁止してあった、良からぬ目的を抱いていたから。
水着姿の自分を見ようと、水着一丁の姿を見たいと小さなブルーが考えたから。
そんなブルーに来られたら困る、熱心に見学されたら困る。
熱い瞳で見詰められたらどうにもならない、自分の方でもけしからぬ気持ちになってくる。
前のブルーと過ごした時間を、甘い時間を思い出すから。
二人抱き合い、交わした愛を思い出すから。
そうした理由でプールの見学は禁じてあるのに、何処で自分に泳げと言うのか。
泳いでやると約束をしてもいない筈だが、と小さなブルーをまじまじと見詰めた。
何か勘違いしてはいないかと、きっとそうだと。
「…俺がいつ泳ぐと言ったんだ?」
俺の憩いのプール見学は禁止したが、と問い返したら。
「確かに言ったよ、ハーレイ、約束してくれたよ。ちゃんと泳いで渡るって」
「はあ?」
ますます深まってしまった謎。
泳ぐどころか泳ぎ渡ると来た、これはプールでは有り得ない。
あまり泳げないと聞くブルーならばともかく、自分にとってはプールくらいは軽い距離。
泳ぎ渡らずとも何往復でも出来る場所だし、ブルーは何を言っているのか。
夢でも見たかと、そうではないかと考えたのに…。
「ハーレイ、もしかして忘れちゃった?」
天の川だよ、と小さなブルーが指差す天井。頭の真上。
今は昼間で、天の川などは見えないけれど。
たとえ夜でも天井が頭の上にあっては、天の川も夜空も見えないけれど。
それでもハタと思い当たった、何を泳ぐのか思い出した。
天の川だったと、それを泳ぐとブルーに約束したのだった、と。
古典の授業で教えた七夕、彦星と織姫に纏わる伝説。
アルタイルとベガ、今の時代は太陽なのだと知られた二つの明るい星たち。
遠い昔には天に住む人だと誰もが信じた、七夕の夜にだけ会える恋人同士なのだと。
天の川を挟んだアルタイルとベガ、普段は会えない恋人同士。
年に一度だけ、七夕の夜に天の川に橋が架けられる。
カササギが翼を並べて架けるという橋、それを渡って二人が会う。
七夕の夜は星合の夜で、二つの星が会うけれど。
年に一度の逢瀬だけれども、雨が降ったら二人は会えない。
天の川にカササギの橋は架からず、会えないままで終わってしまう。
七夕の夜に降る雨は二人の涙だとも、二人の涙を呼ぶ雨だとも言われて、催涙雨。
そんな話を授業で教えて、ブルーにも詳しく話してやった。
小さなブルーは熱心に聞いて、恋人同士の二つの星たちに自分を重ねて。
そうして自分も重ねてしまった、前の自分たちと二つの星を。
年に一度しか会えない二人に自分たちを重ねて、ブルーと二人で語り合って。
もしも天の川が自分たちの間にあったなら…、と話したのだった、どうするかと。
雨が降ってカササギの橋が架からず、天の川が溢れていたならば、と。
(泳いで渡ると言ったんだっけな…)
思い出した、と鮮やかに蘇る記憶。
天の川がどんなに広かろうとも、泳いで渡ると。
ブルーが待つ岸まで泳いでゆくと、だから信じて待っていろと。
それをブルーは訊いていたのだ、本当に泳いでくれるのかと。
プールの話とは全く違った、自分の勘違いだった。
すまん、と潔く頭を下げる。
俺が悪かったと、忘れちゃいないと。
「お前、いきなり訊くもんだから…。てっきりプールの話かと…」
まさか天の川のことだったとは、と謝ったら。
「ううん、ぼくの方こそ、ごめん…。きちんと言えば良かったね」
頭の中でだけ考えちゃってた、とブルーもペコリと頭を下げた。
勝手に話を組み立てていたと、自分の中では分かったつもりになっていたと。
昨夜、天の川を見上げていたのだという。
夜の庭に出て、どのくらいの広さがある川なのかと。
「天の川なあ…。あれは本気で広いぞ、おい」
此処から見るよりずっと広い、と話してやった。
遠い昔に前の自分が旅をした距離を、白いシャングリラで旅した宇宙を。
地球があるというソル太陽系を求めて巡った恒星たち。
アルタイルもベガも回ったけれども、あれの間が天の川ならとてつもないと。
「だろうね、授業でも教わるし…。星までの距離は」
でも…、と小さなブルーは微笑む。
彦星と織姫の間の川なら、そこまで広くはなさそうだよね、と。
カササギの橋が架けられる程度、とブルーは言った。
何羽ものカササギが翼を並べて橋を架けられるだけの川幅、と。
「まあなあ…。本物の宇宙の距離なら、そうはいかんな」
「でしょ? カササギを何羽並べればいいのか分からないよ」
カササギ同士でこんがらがりそう、と可愛い意見が飛び出した。
あまりに沢山のカササギだけに、何処に自分が並べばいいのか悩みそうだと。
「ふうむ…。ならばカササギで足りる程度か」
「それと、歩いて渡れる程度の橋だよ」
バスも車も無いんだから、とこれまた愛らしい考え方で。
カササギの橋は歩いて渡って会える程度の短い橋で、天の川もそれに見合った川で。
それでもブルーには広すぎるらしい、天の川。
きっと歩いて渡るにしたって自分には長い距離なのだ、と言い出した。
ハーレイだったら泳げそうだけども、自分は歩いて渡るとしても大変そうだ、と。
「だからね…。前にも言ったけれども、やっぱりハーレイが歩いて来てよ」
ぼくの所まで、と頼まれた。
カササギの橋が架かった時にも、ハーレイの方から歩いて来て、と。
「お前なあ…。あの時も言ったぞ、運動不足は良くないと」
ちゃんと歩け、と軽く睨んだけれども、ブルーは少しも動じなくて。
「ハーレイ、泳いでくれるんでしょ? それに比べたら歩くくらいは…」
きっと簡単、とブルーが言うから。
小さなブルーは自分を歩かせるつもりでいるから、苦笑する。
年に一度しか会えない二人でも、お前は俺を歩かせるのか、と。
「うーん、本当にそうなっちゃったら…」
一年に一度しか会えないんだったら考えるけど、とブルーは赤い瞳を瞬かせて。
これは夢だと、夢の話だから甘えてもいいと主張するから。
もう白旗を上げるしかない、小さなブルーに敵いはしない。
ブルーのためなら、天の川でも泳いで渡ると言ったから。
誓ったのだから、カササギの橋も歩けと言うなら歩いてゆこう。
今度こそブルーと共に生きられる、手を取り合って歩いてゆける。
天の川などに隔てられずに、何処までも、二人。
そんなブルーの夢の話なら、天の川でも泳いで渡る。
カササギの橋もブルーの許まで歩いて渡るし、そうしてブルーと二人、何処までも…。
天の川を渡って・了
※ハーレイ先生に「天の川を渡って来てよ」と強請るブルー君。ハーレイ先生の方から、と。
実に可愛い我儘ですけど、ハーレイ先生、惚れた弱みで全面降伏しちゃってますねv
(んーと…)
どのくらいの幅があるんだろう、って思った、ぼく。
窓から外を覗いてみたけど、ちょっと見えない真上の夜空。
だから庭まで出て来てみたんだ、「星を見て来る」って。
ちょっとだけだよって、夏だから風邪なんか引かないよ、って。
アルタイルとベガ、それからデネブ。
頭の上に夏の大三角形、去年までは何とも思っていなかった。
わし座のアルタイルと琴座のベガと、白鳥座のデネブ。
夏の夜空に輝く星たち、アルタイルとベガは七夕の星。彦星と織姫。
その程度の知識で見上げていた空、綺麗だと思って見ていた星。
それが今年から特別になった、こうして庭まで見に出るくらいに。
見たくなったら夜の庭まで、サンダルを履いて出て来るほどに。
庭の真ん中、暗いけれども家の明かりは見えるから。
足元の芝生もなんとか見えるし、庭の木だって黒々としてても怖くはないから。
庭で一番大きな木の下、白いテーブルと椅子もほの白く見える。
ぼくは夜の闇の底に一人じゃなくって、家の中にはパパとママ。
何ブロックも離れてはいても、同じ夜空の下にハーレイ。
(独りぼっちじゃないもんね…)
庭の真ん中に一人だけれども、周りはすっかり夜なんだけれど。
ちっとも寂しい気持ちはしなくて、アルタイルとベガをじっと見上げる。
ぼくの家の庭からは見えないけれども、あそこには天の川がある。
星で出来た川が、アルタイルとベガの間を流れて隔てる広い天の川が。
こうして夜空を仰ぐだけでも、広そうに見える天の川。
実際、とても広いんだと思う、アルタイルとベガのことを思えば。
アルタイルとベガの正体は恒星、早い話が太陽だから。
前のハーレイはアルタイルにもベガにも行ったと話した、前のぼくが深く眠っていた間に。
白いシャングリラで地球を探しに、地球を連れてるソル太陽系の太陽を探しに。
だけどアルタイルもベガも違った、青い水の星は其処には無かった。
遠い遠い距離をシャングリラで旅して、ようやく辿り着いたのに。
地球があるかと行ってみたのに、アルタイルもベガも地球を連れてはいなかった。
そんな話を聞いているから、宇宙についても勉強するから。
天の川の広さはとんでもないって分かっているけど、見に出て来ちゃった。
どのくらいかな、って。
彦星と織姫が年に一度だけ渡って会えるという天の川は、どのくらいの幅があるのかな、って。
(やっぱり広い…)
プールどころの幅じゃないや、ってポカンと見上げた、広すぎるよって。
ぼくじゃとっても泳げそうになくて、橋が無くっちゃ渡れないよ、って。
天の川の広さはよく分かったから、家に入って部屋に戻った。
もう一度窓から外を見たけど、やっぱり見えない、真上にある星。
(天の川、とっても広そうだったよ…)
前のぼくでも飛んでゆくなら一瞬ではきっと無理なんだけど。
本当の距離を考えてみたら、シャングリラでなくちゃ無理そうだけど。
でも…。
(ハーレイ、泳いでくれるって…)
そう言ってくれた優しいハーレイ、前のぼくだった頃からの恋人。
お互い知らずに同じ町にいて、今年の五月の三日に出会った。
前のぼくたちの記憶が戻って、ちゃんと恋人同士に戻れた。
ぼくがチビだから、本当に本物の恋人同士にはなれないけれど。
ハーレイはキスも許してくれずに、ぼくをチビだと子供扱いするけれど。
そのハーレイは古典の先生、七夕のことを教えてくれた。学校であった古典の時間に。
ぼくの家でも他に色々と話してくれた。七夕のことを、もっと詳しく。
聞いている内に、ぼくは自分を重ねてしまった、七夕の星に。
年に一度しか会うことが出来ない恋人たちの星に、ぼくとハーレイとを重ねてしまった。
七夕の夜に雨が降ったら、会うことが出来ない彦星と織姫。
天の川の水が溢れてしまって、カササギの橋が架からないから。
カササギが翼を並べて架けるとハーレイに聞いた、その橋が架かってくれないから。
そうなってしまったら二人は会えない、七夕の夜に雨が降ったら催涙雨。
二人の涙が雨になるとか、降った雨のせいで二人が泣くから催涙雨だとか。
要は会えない、雨が降ったら。
年に一度きりのチャンスを逃して、彦星と織姫は会えなくなる。
もしも、ぼくとハーレイとが、そんなことになってしまったら。
年に一度しか会えなくなったら、その日に雨が降ってしまったら。
カササギは橋を架けてくれなくて、ぼくはハーレイに会えなくなる。
どんなにハーレイに会いたくっても、橋が無ければどうにもならない。
いくら泣いても会えやしないし、諦めるしかないと思った、ぼく。
だけど、ハーレイの方は違った。
天の川を泳いでくれるって言った、橋が無いなら泳いで渡ると。
ぼくの所まで泳ぎ渡ると、天の川がどんなに広くても、と。
そのことを、ふと思い出したから、天の川の幅を見たいと思った。
どのくらいあるのか、どれほどの川をハーレイは泳いで渡るのかと。
(…ホントのホントに広かったよ…)
アルタイルとベガの間の本当の距離を抜きにしたって、広すぎるほどの天の川。
ぼくの家の庭から天の川の星は見えないけれども、あの辺りだな、って分かるから。
天の川の幅は学校のプールよりずっと広くて、ぼくにはとっても泳げそうになくて。
第一、ぼくは水の中には長く浸かっていられないから、天の川なんか泳げない。
星の川でも水は普通に冷たいだろうし、ぼくは浸かっていられない。
(でも、ハーレイは泳ぐって…)
学生時代は水泳の選手もしていたハーレイ、身体も頑丈に出来ている。
泳いで渡るって言ってくれたし、きっと本当にハーレイなら泳ぐ。
天の川がどんなに広い川でも、向こう岸なんか見えなくっても。
カササギの橋が架からないくらいに溢れていたって、ハーレイは泳ぐと言い切った。
二度と後悔したくないって、天の川を渡らずにいたくはない、って。
ハーレイも重ねてしまっちゃったから、七夕の話と前のぼくたちを。
だから今度は渡るって言った、天の川を泳いで渡るんだ、って。
さっき見て来た、天の川。
アルタイルとベガの間の夜空に流れてる筈の天の川。
それを泳いで渡ってくれるとハーレイは言った、ぼくを泣かせやしないって。
ぼくは信じて待てるんだけれど、ハーレイだったら泳いでくれると思うけれども。
(だけど、やっぱり…)
一年に一度しか会えないよりかは、いつでも会える方がいい。
それに、そうなる筈だから。
今は先生と生徒な上に、ぼくがチビだから、こうして分かれて住んでるけれど…。
きっといつかは、ハーレイと一緒。
おんなじ家で二人で暮らして、天の川なんか流れちゃいない。
天の川でも泳いで渡る、って言ってくれたほどのハーレイと二人、いつまでも一緒。
手を繋いで二人、何処までも一緒、天の川なんかを渡らなくっても、いつも二人で…。
天の川の幅・了
※天の川の広さに驚くブルー君ですけれど。それを泳ごうというのがハーレイ。
ブルー君、とっても愛されています、ホントに幸せ者ですねv
※本日、5月3日はハーレイ先生とブルー君の再会記念日。
お祝いにショートを上げておきます、再会とは全く無関係なお話ですけどね!
(はてさて、どのくらいあるのやらなあ…)
かなり離れているんだが、とハーレイが見上げた頭上の夜空。
アルタイルにベガ、それからデネブ。
ひときわ明るい星が描いた夏の大三角形、地球ならではの星の共演。
アルタイルは彦星、ベガは織姫。
何度も何度も授業で教えてきたけれど。
七夕の度に古典の授業で語ったけれども、今年の夜空は去年までとは違って見えた。
前の自分の遠い記憶が戻ったから。
キャプテン・ハーレイだった頃の自分が、自分の中に帰って来たから。
(アルタイルにもベガにも、地球は無くて、だ…)
白いシャングリラで旅をした宇宙。地球を探して彷徨った宇宙。
地球を擁するソル太陽系が何処にあるのか分からないままに、座標も掴めないままに。
幾つも幾つも星を巡った、銀河系の中の恒星たちを。
その星が地球を連れてはいないかと、青い水の星が其処に無いかと。
アルタイルもベガもそうして訪れ、地球は無かったと肩を落とした。
これも違ったと、かの星は何処にあるのだろうかと。
そうやって前の自分が巡った星たち、それが遥かな頭上に輝く。
足の下にはかつて探した青い地球。
前の自分はついに見られず、死の星だったと落胆した地球。あの頃は無かった青い星。
其処に自分は生まれて来た上、こうして空を仰いでいる。
夏の大三角形が綺麗に見えると、あれが彦星であれが織姫、と。
変われば変わるものだと思った、庭の真ん中に立ち尽くしたままで。
黒々とした木々が宿す闇やら、夜気に包まれた緑の葉たちが放つ香りやら。
どれも本物の地球にあるもので、自分は地球にやって来た。
前の生で愛して、失くしたブルーも青い地球の上に生まれて来た。
二人、巡り合って、今は教師と生徒だけれど。
それでも同じに恋人同士で、キスすら出来ないというだけのことで。
ブルーがあまりに小さいから。
十四歳にしかならない子供で、前と同じに愛し合うには心も身体も幼いから。
そんなブルーと話した七夕、授業で語った話の続き。
ブルーは自分たちを七夕の星になぞらえた、年に一度しか会えないわけではないけれど。
もしもそうだったら、どうだったろうと。
年に一度しか会えない恋人同士で、その七夕に雨が降ったらどうしようかと。
七夕の夜にカササギが翼を並べて作ると伝わる橋。
天の川を渡って会うための橋は、雨が降ったら架からない。
七夕の夜に降る雨のことを催涙雨と呼ぶ、カササギの橋が架からない雨を。
会えないと嘆く恋人たちの涙が雨になって降るとか、恋人たちが泣くからだとか。
そういう雨が降るのは嫌だと、悲しすぎると訴えたブルー。
小さなブルーが悲しそうだから、会えないなど自分も嫌だから。
前の自分がブルーを失くした時の思いも重ねてしまって、本当に嫌だと思ったから。
(泳いで渡ると言ったんだよなあ…)
自分たちの間に天の川があれば、年に一度しか会えないのならば。
その日を逃すともう会えないのに、天の川が溢れていたならば。
カササギの橋が架からないなら、自分は泳いで渡ることにすると。
ブルーの許まで泳ぎ渡って、何としてでも会いにゆくからと。
アルタイルとベガ、夜空に輝く二つの星たち。
前の自分が白いシャングリラで訪ねた恒星、あれは星だときちんと分かっているけれど。
あれもそれぞれ太陽なのだと分かるけれども、今の自分には彦星と織姫。
この庭からは天の川までは見えないけれど。
天の川もまた星で出来ていると知っているけれど、抱く思いが去年とは違う。
キャプテン・ハーレイだった自分とも違う、恒星を人になぞらえるなど。
あれは彦星と織姫なのだと、そう思って星を見上げるなど。
それぞれの星に自分とブルーを、恋人同士の互いの姿を重ねようとは…。
去年までは出会っていなかったブルー、存在さえも知りはしなかった。
この地球の上に前の生から愛した人がいることさえも。
なのに出会った、そして七夕の話を交わした、天の川で隔てられたらどうしようかと。
泳いで渡ると言ってしまった、小さなブルーに。
(泳ぐのはかまわないんだが…)
今の自分は馴染んだ水泳、学生時代は選手でもあった。
もしも自分が彦星だったら、雨でカササギの橋が架からなければ、泳ぐけれども。
ブルーが待っている向こう岸へと泳ぐけれども、その天の川。
どれほどの幅があるものなのかと、二つの星たちの間を見上げる。
あそこに天の川が流れていると、さて川の幅はどれほどなのか、と。
キャプテン・ハーレイだった自分ならば呆れることだろう。
アルタイルとベガの間を泳ぎ渡るなど、有り得ないと。
どれほどの距離だと思っているのだと、白いシャングリラでもどれだけかかったのかと。
生身で宇宙を渡ることなど、タイプ・ブルーでなければ出来ない。
それは分かっているのだけれども、ブルーに泳ぐと誓ったから。
今の自分が泳ぎ渡るのは宇宙ではなくて、夜空を流れる天の川だから。
(泳いで泳げんことはないんだ、彦星ならな)
天の川を渡って出会う恋人たちの片割れ、それが自分であるならば。
向こう岸にブルーが待っているなら、きっと自分は泳いで渡れる。
アルタイルとベガの間に横たわる川を、星たちで出来た川の流れを。
天の川に飛び込み、向こう岸へと泳いでゆこう。
川が溢れて渡れないなら、カササギの橋が無いのなら。
けしてブルーを泣かせはしないし、見事に泳ぎ渡ってみせる。
そしてブルーを強く抱き締める、泳いで来たぞと、待たせてすまんと。
濡れた服のままで、髪からも水が滴るままで。
(…水も滴るいい男、ってな)
文字通りだな、と可笑しくなった。
きっとブルーも笑ってくれる、「水も滴るいい男だろう?」と言ったなら。
濡れ鼠でもこれがいい男だぞと、言葉通りに水が滴ると。
(そうだな、そんな逢瀬がいいな)
天の川が如何に広かろうとも、泳ぐのに難儀しようとも。
泳ぎ渡ったら笑い合いたい、幸せな時を過ごしたい。
苦労したとは一言も言わず、年に一度の時を楽しもう、やっと恋人に会えたのだから。
待って待ち焦がれていてくれただろう、ブルーとの逢瀬なのだから。
けれど、欲張っていいのなら。
(…彦星と織姫になるよりはだな…)
いつでも会える二人がいい。
年に一度の逢瀬ではなくて、いつでも共にいられる恋人。
天の川を泳ぐ覚悟は充分あるのだけれども、やはりブルーと一緒にいたい。
今度こそ二人、離れることなく、何処までも手を繋ぎ合って…。
天の川を泳ごう・了
※ハーレイがブルーに「泳いで渡る」と誓った天の川。二人の間にあったら、ですが。
けれど一年に一度の逢瀬よりかは、いつも一緒がいいですよねv
「ハーレイ不足だったんだよ!」
いきなりの言葉に面食らったハーレイ。
小さなブルーの唇からそう飛び出して来た、「ハーレイ不足だったんだよ!」と。
目を白黒とさせるしかない。
ハーレイ不足とは何のことかと、まさか心を読まれたのかと。
この前の土曜日、ブルーの家を訪ねたけれど。
ブルーと二人で過ごしたけれども、その翌日は駄目だった。
日曜日で休みだったというのに、自分に用事。
柔道部の教え子たちを招いて食事で、ものの見事に一日潰れた。柔道部員のお相手で。
そうなることはブルーも承知で、「仕方ないよね」と頷いてくれたのに。
「また来てくれるよね」と健気に笑顔も見せてくれたのに、「また」が無かった。
月曜日も火曜日も、水曜日も。
どうしたわけだか次々に重なる用事や外食、木曜日までが潰れてしまった。
やっとのことで空いた金曜、仕事帰りにいそいそと訪ねて来たけれど。
ブルーの部屋へと通されたけれど、お茶とお菓子が出て来た後がこれだった。
小さなブルーの唇が告げた「ハーレイ不足」。
言葉には覚えがあったから。
「ハーレイ不足」は知らないけれども、「ブルー不足」なら何度も思ったから。
ブルーが足りないと、ブルー不足だと自分が何度も繰り返したから、それかと思った。
もしやブルーに読まれたのではと、読まれて逆を言われたのではと。
けれども、よくよく考えてみれば。
今の自分は前と同じにタイプ・グリーンで、前のブルーでも簡単に読めはしなかった心。
今のブルーに読めるわけがない、それも顔を合わせて間もない間に。
だから訊いてみた、「お前もなのか?」と。
お前はハーレイ不足なのか、と。
「…え?」
お前も、って何? と赤い瞳を見開いたブルー。
確かにハーレイ不足だけれども、「お前も」とはどういう意味なのか、と。
「ん? 実は俺もな、不足しててな。…俺の場合はブルー不足だ」
そう答えれば、ブルーは瞳を真ん丸くして。
「…ハーレイもなの? ハーレイはぼくが足りなかったの?」
「ああ、まるで全く足りなかったな。この一週間…って、まだ一週間にはなっていないか」
ギリギリってトコか、と苦笑した。
今日は来られたから一週間にはならなかったと、明日で一週間だった、と。
「…遅くなってすまん。また来ると約束していたのにな」
本当にすまん、と謝った。言い訳はしないと。
「でも、ハーレイ…。用事でしょ?」
「殆どはな。だが、一日だけは違うんだ」
楽しく飯を食いに出掛けた、と潔く詫びた。
同僚に「一杯どうです」と掛けられた声は、断れないこともなかったから。
それに誘われて入った店では、美味しく食べて楽しんだから。
酒も料理も文句なしの店、来て良かったと思えた酒席。
その頃、ブルーは寂しく俯いていたのだろうに、「ハーレイ不足」だと嘆いていたろうに。
すまん、と心から頭を下げたら、ブルーは「ううん」と首を左右に振って。
「用事が何でも、一日は食事に行ったとしても。ハーレイもぼくと同じでしょ?」
足りなかったんでしょ、と微笑んだブルー。
ぼくが足りなくてブルー不足、と。
「…それはそうだが…。俺の場合は自業自得で…」
飯さえ食いに行かなかったら、と謝ったけれど。
あの日に誘いを断っていたらブルー不足にはならなかったと詫びたけれども。
「ううん、ハーレイは悪くないよ。…次の日のことまでは分からないもの」
次の日に用事が入らなかったら来られたんだし、とブルーは言った。
未来の用事は読めはしないと、そうそう分かりはしないのだから、と。
「そうでしょ? フィシスでもそこまで読めたかどうか…」
だからおあいこ、とブルーはクスッと小さく笑った。
お互い足りなくてハーレイ不足とブルー不足でおあいこだよ、と。
「しかし、お前は…。俺より余計に一日分ほど…」
「そう思うんなら、ハーレイ不足だった分、ちょっとだけ…」
いいでしょ、と椅子から立って来たブルー。
自分の椅子を離れて来るなり、膝の上へとよじ登って来た。そして座った、膝の上に。
チョコンと、それは嬉しそうに。
「座らせておいてよ、そしたら治るよ、ハーレイ不足」
ね? とブルーは得意げだから。
下りはしないと、下りるものかと赤い瞳が主張するから。
「おい、お前…。もうすぐお母さんが来るんじゃないのか、晩飯が出来たと」
この格好はどうかと思うが、と注意したのに。
「平気だってば、まだお茶とお菓子が出たばかりでしょ?」
晩御飯の時間はもう少し先、と壁の時計を指差すブルー。
まだ半時間は充分にあると、一時間かもしれないと。
そうしてピタリとくっついて来た。胸に身体を預けてピタリと。
「お、おい、ブルー…」
下りろ、と何度か促したけれど。
胸から離れろとも言ったけれども、返って来た言葉は「ハーレイもでしょ?」で。
「ハーレイだってブルー不足になってたんでしょ、これで治るよ、ブルー不足も」
だから下りない、と言い張るブルー。
甘えん坊だけれど、頑固なブルー。
そう言われると、自分も覚えのあることだから。
ブルー不足だと嘆いた覚えは確かにあるから、もう敵わない。
降参だ、と全面降伏、と小さなブルーを思わずギュッと抱き締めていた。
両腕で強く胸に抱き込んで、銀色の髪に顔を埋めて。
「…すまん、俺もどうやらブルー不足だ」
「そうでしょ、ぼくもハーレイ不足」
まだ足りないよ、とブルーの腕がキュッと背中に回されたから。
ハーレイ不足が酷いんだよ、とくっつかれたから。
多分、お互い、ブルー不足でハーレイ不足。
一週間近くも会えずに過ごして、恋人同士の時を持てなくて。
学校で顔を合わせていただけ、ほんの少しの立ち話だけ。
きっと簡単には治らないから、ブルー不足もハーレイ不足も、そう簡単には治らないから。
夕食前まではこうしていようか、ブルーの母がやって来るまで。
階段を上る軽い足音が聞こえて来るまで、このままで。
その上、明日は土曜日だから。
二人で一日過ごせる日だから、明日も存分に足りなかった分を満たして、満たして貰って。
ブルー不足とハーレイ不足をきちんと治そう、また減ってしまわないように。
足りなくなったと、とても足りないと、お互い思わずに済むように。
また不足した時は、こうして治そう。
小さなブルーを強く抱き締め、小さなブルーに両腕でキュッと抱き付かれて…。
久しぶりに会えた・了
※ブルー不足とハーレイ不足の結末はこうで、治し方はこうみたいです。
健全なお付き合いだからこその治し方、ブルー君が育ったら治し方も変わりますよねv