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(…今日は、捕まっちまったな…)
 まあ、いいんだが、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
(…何の予定も無かったなんて、ブルーには、とても…)
 言えやしないぞ、と軽く肩を竦める。
 ブルーは今頃、部屋で膨れていることだろう。
 そうでなければ、寂しそうな顔で俯いているか。
(ハーレイ、今日は来なかったよね、と…)
 ガッカリしながら、自分自身に言い聞かせていそう。
 「きっと、ハーレイ、忙しかったんだよ」と、会議や部活などを思い描いて。
(でなきゃ、同僚と飯を食いに行ったと考えてだな…)
 そっちの場合は、頬っぺたを膨らませているコースになる。
 「ハーレイ、酷い!」と、プンスカ怒って、楽しそうな食事風景は想像したくも無くて。
(…あいつが知ったら、怒る方だな…)
 今日の俺は、とハーレイは溜息だけれど、ある意味、不意打ちでもあった。
 ハーレイにも「予測不可能」なもので、青天の霹靂とも言えるだろう。
(なんで、あいつが…)
 あんな所に、と頭の中に出て来る「あいつ」は、ブルーではない。
 前の学校の同僚の一人で、転任前の送別会を最後に、会えていなかった。
(気のいいヤツで、いつも話が弾んでたから…)
 送別会が終わって別れる時にも、交わした挨拶は「それじゃ、またな!」。
 近い間に会えるつもりで、軽く手を振り、家に帰った。
 転任先の学校に慣れて来たなら、連絡を取って、食事でもしよう、と算段をして。
(…あの時の予定じゃ、とうの昔に…)
 彼とは再び会えていた筈で、再びどころか、三度、四度と回を重ねていただろう。
 今の学校の同僚なども誘って、食事会もしたかもしれない。


(…しかしだな…)
 予定は、すっかり狂ってしまって、今の「ハーレイ」は、ブルー専属になっている状態。
 平日でさえ、仕事帰りに「ブルーの家まで」出掛けてゆくから、空き時間はゼロ。
(俺にしてみりゃ、うんと充実しているわけで…)
 何の不満も無いものだから、今日、会った「友」は、思い出しさえしなかった。
(いや、ちゃんと覚えてはいるし、どうしてるかな、と…)
 彼の家がある方を、眺めることもあったけれども、其処で「おしまい」。
(おい、どうしてる、と、だ…)
 通信を入れることはしなくて、食事に誘うこともしなかったから…。
(……捕まっちまった……)
 昔で言うなら、「お縄」ってヤツだな、と古典の教師らしく変換してみる。
(またな、と言ったきり、連絡もしないような俺は…)
 友人にすれば「なんてヤツだ!」で、向こうからも連絡が来ないとはいえ…。
(俺の都合もあるだろうし、と遠慮してたわけで…)
 実際、彼は、そう言っていた。
 「今の学校、とんでもなく忙しいのかと思ってたんだが…」と、呆れ果てた顔で。
(…そりゃまあ、呆れ果てるよなあ…)
 出くわした場所も悪かった、と自分でも思う。
 授業の間の空き時間に出掛けた、書店だったけれど、仕事の本のフロアではなくて…。
(誰が見たって、趣味の本を探しているとしか…)
 思えないフロア、ハーレイを見付けた友人の方も、そういった本を手に持っていた。
(レジに行こうとしてた所で、俺を見付けて…)
 姿形を確認した後、真っ直ぐやって来たという次第。
 本の棚を夢中で見ていた「ハーレイ」の肩を、その友人は、後ろからポンと叩いた。
 「久しぶりだな!」と、気のいい笑顔だったけれど…。
(あいつの顔には、デカデカと…)
 こういう文字が、と浮かんで来るのは「御用」の二文字。
 遠い昔の「御用提灯」も、もちろんセットになっている。
(俺を、お縄にするために…)
 友人は笑顔でやって来た。
 「御用だ!」と、「ハーレイを捕まえる」捕り物をしに。


 そういったわけで、今日のハーレイは「お縄」。
 友人の顔には「逃がさないぞ」と書いてある上、出くわした場所が場所だけに…。
(…申し開きは出来ないってな…)
 暇がたっぷりあるというのは、見ただけで分かる。
 今の学校は多忙どころか、空き時間に自由に出歩ける職場。
 友人にしても同じ状況、ハーレイを見付け出したからには、捕まえるしかない。
(仕事の後にも、時間あるだろ、と…)
 質問されたら、嘘をつくのは道に反する。
(ブルーの家に行きたいから、なんて言えやしないぞ…)
 恋人に会うのと、久しぶりに会った友人、どちらを優先するべきか。
 答えは後者で、しかも「恋人にかまけていた」のが、友人に「お縄にされた」原因そのもの。
(逃げられるわけがないってな!)
 仕方なく「お縄になった」結果は、放課後、店での待ち合わせだった。
 前の学校に勤めていた頃、友人と通った行きつけの店。
(店主も、俺を覚えていてくれて…)
 「お元気でしたか?」と、注文していない料理を振る舞ってくれた。
 「お車ですから、お酒は出せませんしね」と、酒を一杯、奢る代わりに粋なサービス。
(ついつい、話が弾んじまって…)
 友人や店主と楽しく過ごして、ついさっき、家に帰って来た。
 会えないままで「今日」を過ごした、「ブルー」は思い出しもしないで。
(……本当に忘れていたってな……)
 途中までは覚えていたんだが、と申し訳ない気分。
 けれど、ブルーは「特殊すぎる」だけに、そうそう話すわけにはいかない。
 「こういう生徒の守り役になって、忙しいんだ」とは、明かせない。
(もっと何度も会ってからしか…)
 俺の近況、全て話せはしないしな、と分かっているから、黙って通した。
 柔道部の話などは沢山しても、「ブルー」については、貝になって過ごしていたせいで…。
(…いつの間にやら、忘れちまって…)
 御機嫌で家まで帰って来てから、やっと思い出した。
 ガレージに車を入れる所で、「あいつ、膨れているだろうな…」といった具合に。


 もしも「お縄」にならなかったら、ブルーには会えていただろう。
 何も予定が無かったからこそ、「お縄」になって、友人と食事に出掛けて行った。
(…すまん、捕まっちまったんだ…!)
 悪いことなどしていないんだが、とブルーの家の方に向かって、心で謝る。
 「自覚は全く無かったんだが、追われてたんだ」と、「ついに捕まっちまってな」と。
(…俺は、あいつを探してなんかはいなかったわけで…)
 友人の方だけが「探していた」となったら、「追われていた」とも言えるだろう。
 「何処かでハーレイを見掛けた時には、捕まえないと」と、心に留めて。
(…捕まえて、どうこうしようってわけじゃなくても…)
 単に食事をしたいだけでも、一種の「捕り物」。
 「ハーレイ」を見付けることが出来なかったら、「お縄」には出来ない。
(…そして、とうとう、捕まっちまった…)
 今の「俺」でも、「追われる」ことがあるんだな、と時の彼方に思いを馳せる。
 遥かに遠くなった時代に、「前のハーレイ」は、常に「追われ続けて」生きていた。
 ミュウというだけで「処分された」時代、逃げるより他に道は無かった。
(…前のあいつと、懸命に逃げて…)
 燃えるアルタミラの地面を走って、仲間たちと宇宙に飛び立った。
 それが始まり、「追われ続ける」人生を生きて、ついに地球まで行ったけれども…。
(…地球に着く前に、前のあいつは…)
 いなくなってしまっていたから、前のブルーは「追われる」生き方しか知らないままだった。
 前の「ハーレイ」の方は、辛うじて…。
(最後の方では、人類よりもミュウが優位だったから…)
 追われてばかりの時代は終わって、追い詰める側になっていたのに、ブルーは「いない」。
 それが辛くて悲しすぎたから、「追われない生き方」を満喫などはしていない。
 ただ淡々と戦略を立てて、シャングリラを運んでいたというだけ。
 「早く地球へ」と、「地球に着いたら、俺の役目は終わるからな」と心で繰り返して。


 そんな人生を生きた「ハーレイ」が、今は「友人に追われる」時代。
 あまりに平和になってしまって、ピンと来ないくらいに「違い過ぎる」。
(…他に追われるモノと言ったら…)
 仕事くらいか、と可笑しくなるほど、今の時代は「追って来るもの」がいない。
(…時間も、たまに追い掛けて来るが…)
 その程度だな、と数え上げてみて、ブルーの顔を思い浮かべた。
 「前のブルー」ではなくて、「子供になった、今のブルー」の方。
(…あいつが、チビの間はだ…)
 俺が「何か」に追われていたって、無関係だが…、とブルーの家がある方に目を遣る。
 チビのブルーは、「今日のハーレイ」が「お縄になった」ことを知らない。
 仕事や時間に追われている時も、「チビのブルー」は、その場には「いない」。
(…しかし、いつかは…)
 二人で一緒に暮らすのだから、そうなった時は、ブルーも「居合わせる」ことがあるだろう。
(俺が、何処かで友達に…)
 お縄になってしまった時には、ブルーは、其処には「いない」けれども…。
(家に通信を入れて、「すまん!」と謝って…)
 帰れないことを、ブルーに詫びるか、あるいは「ブルーも」連れてゆくのか。
(…それもアリだな…)
 友人に「ちょっと迎えに行って来る!」と断りさえすれば、ブルーも同席出来る。
 もちろん「ブルー」は歓迎されて、友人とも仲良くなれるだろう。
 別れる時には、「また会いましょう!」で、実際、じきに「次の機会」があったりもして。
(…追って来るのが、仕事や時間だったら…)
 ブルーは「同じ家の中」でも、「ハーレイの邪魔にならないように」過ごすしかない。
 我慢させてしまうことになるけれど、「追って来るもの」を片付けた後は、ハーレイは自由。
 ブルーも「追われてなどはいない」し、直ぐにでも…。
(終わったぞ、と声を掛けてだ…)
 食事に出掛けて行くのもいいし、ドライブするのも悪くない。
 前のブルーとは、追われ続けるだけの人生だったけれど…。


(今だと、俺が追われていても…)
 ブルーは、危険な目には遭いやしないし、追われる俺にも、メリットはある、と愉快な気持ち。
 友人に追われているのだったら、「自慢のブルー」を紹介出来る。
 仕事や時間の方だった時は、「早く終わらせて、ブルーと出掛けるぞ!」と励みになる。
(…なんとも素敵な人生じゃないか…!)
 今の人生、追われていても、最高だぞ、と嬉しくなるほど、最高の未来が来るのが「今」。
(…前の俺には、申し訳ないんだが…)
 追われ続けて生きていた分、今度の人生、うんと楽しもう、とブルーと暮らす日が待ち遠しい。
 今の時代は、追われていても、平和だから。
 友人や仕事くらいしか追って来なくて、ブルーのお蔭で、それも楽しめるから…。



           追われていても・了


※ブルー君の家に行くつもりの日に、友人に捕まってしまったハーレイ先生。予定はパア。
 けれど今では、追い掛けて来るのは、うんと平和なものばかり。前の生とは大違いv





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「ねえ、ハーレイ。無理をするのは…」
 良くないよね、と小さなブルーが投げ掛けた問い。
 二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
 お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ? 無理をするって、それはどういう…」
 状況のことを指しているんだ、とハーレイは問い返した。
 確かに「無理のし過ぎ」は良くない。
(…しかしだな…)
 無理をしている中身によっては、良いこともある。
 実力以上を発揮したくて、自分の限界に挑む時などはそう。
 だから、確認することにしたのだけれど、ハタと気付いた。
(こいつは、無理をするタイプだった…!)
 前の生でも、そうだったブルー。
 身体がすっかり弱っていたって、何も言わずに普段通り。
(今のブルーも、やっぱり同じで…)
 学校に行くために無理をして起きて、倒れたりもしている。
 家を出る時は我慢出来ても、学校で具合が悪くなるとか。


 そういうヤツを指しているのか、とハーレイは納得した。
 これを機会に「改めよう」と思ってくれれば、有難い。
「おい、ブルー。念のために、確認したいんだが…」
 その無理は、今現在もやっているのか、と聞いてみた。
 「ハーレイが来るから、寝てられないよ」だと、いけない。
(…実際、やっていたこともあるモンだから…)
 風邪っぽいのに、隠していたとか、例は色々。
 病み上がりのくせに、平気そうな顔で起きていただとか。
(…今日もそうなら、寝かせないと…)
 せっかく自分で言い出したんだし、と心配になって来る。
 すると、ブルーは「うん」と小さく頷いた。
「なんだって!?」
 起きていないで、サッサと寝ろ、とハーレイは慌てた。
 ブルーが話題を持ち出したからには、具合は、かなり…。
(悪い方だぞ、熱っぽいとか…!)
 我慢出来ないレベルなんだ、と背筋が冷たくなって来る。
 無駄な会話をしてはいないで、一刻も早く寝かせないと。


「無理をするのは、良くないんだ!」
 無理の中身にもよるんだがな、とベッドの方を指差した。
「俺はいいから、今日は寝ていろ!」
 黙って帰りもしないから、とブルーに向かって約束をする。
 ブルーがベッドで眠る間も、この部屋にいる、と。
「晩飯の時間まで、ちゃんといてやる!」
 俺の飯も、此処で食ったっていい、と真剣に言った。
 ブルーが一人で寂しいのならば、両親と食べるのは断る。
 ハーレイの分の食事も運んで貰って、ブルーと一緒に夕食。
 それなら、ブルーも安心だろう。
 無理をしてまで起きていなくても、ゆっくり眠れる。
「いいな、とにかくベッドに入れ!」
 でないと、俺も安心出来んぞ、と赤い瞳を覗き込む。
 此処でブルーが倒れたりすれば、ハーレイだって辛い。
 「どうして無理をさせちまったんだ」と、自分を叱りたい。
 そうなる前に未然に防いで、ブルーを休ませるべきだろう。
「もしも立つのも辛いんだったら、運んでやるから」
 どうなんだ、とブルーに畳み掛けるけれど、無理強いも…。
(いいとは言えないトコがあるしな…)
 無理と同じで、無理強いも駄目だ、と、ぐるぐるして来る。
 ブルーが意地になってしまえば、逆効果でしかない。


 無理をさせるか、無理強いすべきか、判断が難しい場面。
 前のブルーだった時には、無理強いは常に裏目に出ていた。
(…大人しくしているどころか、全くの逆で…)
 何度、俺を振り切って、無茶をしたやら、と記憶が蘇る。
 今の場合は、ブルー自身が言ったことだし、休んで欲しい。
(…一言、寝ると言ってくれれば…)
 俺も大いに助かるんだが、と祈るような気持ち。
(あれこれ俺に聞き返さないで、サッサとだな…)
 ベッドに潜り込んでくれ、と思っていたら、赤い瞳が瞬く。
「ハーレイも、そう思うんだ?」
 無理のしすぎは、良くないんだね、とブルーが口を開いた。
「うんと無理して我慢するのは、最悪かな…?」
「当然だろう!」
 ゴチャゴチャ言わずに、早く寝てくれ、とハーレイは焦る。
 これは相当に具合が悪いに違いない、と恐ろしい。
 とにかくブルーを早く寝かせて、ブルーの母に伝えるべき。
(症状を聞いて、病院に行かなきゃ駄目な時には…)
 俺の車で送って行こう、と決断をした。


「何処が具合が悪いんだ? 病院に行くくらいなのか?」
 そうなりゃ、俺が運転しよう、とブルーに申し出る。
「行きも帰りも俺の車だ、それならいいだろ?」
 家に帰ってしまいやしない、とパチンとウインク。
「寝込んじまうような羽目になっても、見舞いに来るから」
 毎日は無理かもしれないがな、と苦笑交じりは仕方ない。
 学校の方の仕事もあるから、確約は出来ない。
 とはいえ、これだけ安心材料を並べておけばいいだろう。
 ブルーは「無理をしてまで」起きていなくても済む。
 ベッドでぐっすり眠るだけでも、かなり体力を回復出来る。
「分かったな? 無理をするのは良くない」
 俺に聞いてる暇があったら、ベッドに行け、と繰り返した。
 ブルーは、黙って聞いていたけれど…。

「そっか、ハーレイも、そう思うんなら…」
 だったら、ぼくにキスをしてよ、と赤い瞳が煌めく。
「もう長いこと、無理をして我慢してるから…」
 ホントに具合が悪くなりそう、とブルーはニッコリと笑む。
「早くキスして、無理をするのは良くないんでしょ?」
 キスが最高の薬なんだよ、と嬉しそうなのだけれど…。
(…そういう無理を指していたのか!?)
 無駄に心配させやがって、とハーレイは軽く拳を握った。
「馬鹿野郎!」
 それは無理とは言わないんだ、と銀色の頭を一発、コツン。
 「真面目に考えて損しちまった」と、しっかり「お返し」。
 「無理して我慢しておくことだな」と、釘も刺して…。



       無理をするのは・了




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(昼間は、危なかったよね…)
 パパのカップ、割れるトコだったよ、と小さなブルーが竦めた肩。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(……危機一髪……)
 ホントに危なかったんだから、と思い返して、首も竦める。
(ウッカリしていた、ぼくが悪いんだけど…)
 置いてあった場所も悪かったよね、と少しだけ、母に責任転嫁をしたくなった。
 なんと言っても、食器棚の中の置き場が、ブルーのカップと近すぎる。
(いつものカップを出そうとしたら、どうしても…)
 すぐ隣にある「父のカップ」に、ブルーの手だって近付いてしまう。
 近いわけだから、手が当たっても仕方ない。
 うんと離れて置いてあるなら、当たる心配などはゼロだけれども…。
(お隣さんでは、仕方なくって…)
 あそこに置いてるママも、ちょっぴり悪いだんだよ、と舌をペロリと出したい気分。
(…でも、舌なんか出せるのも…)
 カップが今も無事だからこそ、あそこで落として割っていたなら、そうはいかない。
(……きっと今頃、気分、ドン底……)
 父が叱るとは思えない上、母だって、きっと許してくれる。
 許すどころか、カップが割れた音に気付いて、すっ飛んで来て…。
(大丈夫!? 怪我はしてない? って…)
 大慌てするに違いない。
 「動かないでね、怪我をするから!」と、叱られる代わりに注意されるだろう。
 「ママが片付けるまで、動いちゃ駄目よ」と、床の破片を掃除しながら。
(…ぼくは、もちろん、謝るんだけど…)
 母の答えは、「仕方ないわよ、わざとやったんじゃないんだもの」で、叱られはしない。
 割れたカップが「父のお気に入り」でも、母の心は狭くはない。
(…それに、パパだって…)
 仕事から帰って「ごめんなさい! カップ、割っちゃった…」と謝れば、許してくれる筈。
 母と同じに「それより、怪我はしなかったのか?」などど、優しく尋ねてくれて。
(……そうなんだけどね……)
 きっとそうだよ、と分かっているから、「割ってしまっていた」時の気分が怖くなる。
 もう間違いなく「気分ドン底」、落ち込んだ夜になるだろうから。


 あそこでカップが割れていたって、誰一人として「怒らない」。
 父も母も、ブルーを「叱り付けない」。
(…子供なんだし、仕方ない、って済むような年じゃないのにね…)
 これが学校のカップだったら、場合によっては叱られる。
(…食堂でウッカリ落としたんなら、「注意してね」で済みそうだけれど…)
 友達と話に夢中になっていて、余所見していて肘が当たったとかだと、そうではない。
(…食事中には、気を付けて、だとか…)
 お喋りする前に、カップだけでも返しに来てね、って言われるよね、と想像はつく。
 食堂に「たまたま」先生がいたら、大目玉を食らうかもしれない。
 「お前たち、はしゃぎすぎだろう!」と、「カップよりも、話に夢中」だったことを。
(…学校だったら、叱られてしまう方が多そう…)
 だけど、家だと、違うんだよね、と「まだまだ子供」な扱いなことが、よく分かる。
 割れたカップよりも「ブルーの無事が優先」、怪我をしたなら、大変だから、という方向へ。
(…ぼくが、とっくに大人だったら…)
 家といえども、父の雷が落ちる可能性もありそう。
 なにしろ父の「お気に入りのカップ」、父とは長い付き合いになる「愛用品」。
(…お前は、何をしてたんだ、って…)
 うんと叱られて、「あのカップはもう、売っていないんだぞ!」とトドメの一撃。
(…そういうことだって、ありそうだよね…)
 カップの製造元の会社は今もあっても、「同じカップ」を作っているとは限らない。
 シリーズ自体は「定番」にしても、モチーフが同じというだけで…。
(形が少し変わってるとか、サイズが、ほんの少しだけ…)
 変わるというのは、よくあること。
 父が「このカップは、今もありますか?」と問い合わせてみたら、製造が終わっている悲劇。
(…似てるカップは、ちゃんとあるのに…)
 新しいカップを取り寄せてみても、父の手に馴染むカップかどうかは、届くまで謎。
(…パパには、合わないタイプだったら…)
 次の「お気に入り」を探すことになるから、当分、怒っているかもしれない。
 食後のコーヒーなどを飲む度、「今一つ、馴染まないんだよなあ…」などと、呟いたりして。
(…ぼくが大人になっていたなら、そうなんだけど…)
 子供の間は無罪放免、それが複雑な気分でもあるし、ドン底になりそうな理由。
 「本当は、ブルーが悪い」わけなのに、誰も「ブルーを叱らない」から。


(…そういうの、逆に落ち込んじゃいそう…)
 誰も「ブルーを叱らない」分、自分で自分を責める気持ちが膨らんでしまう。
 「どうして、あそこで落としちゃったの」と、「普段はやらないミス」を思い返して。
(…こうやって、考えてみてるだけでも…)
 ドン底の気分を「ほんのちょっぴり」味わえるだけに、昼間に割らなくて済んで良かった。
(あっ、危ない、って…)
 咄嗟に動いて「受け止められた」のが、幸運だったと言えるだろう。
 立っていた場所と、ブルーの運が良かった。
(…ちょっとだけ場所がズレていたとか、運が無かったとか…)
 どちらの場合も、父のカップは木っ端微塵に割れていた。
 食器棚から床へ真っ直ぐ、落っこちていって。
(……ホントのホントに、危機一髪……)
 もしも、あそこで割れていたなら、その後、ハーレイが寄ってくれていても…。
(…いつもみたいに、楽しくお喋り出来なかったよね…)
 父のカップを割ったショックで、気分は何処か沈んだまま。
 ドン底な部分は、「ハーレイに会えた」お蔭で消えていたって、カップを割ったことは現実。
 父が仕事から帰宅したなら、ハーレイに「ちょっと、下に行って来るね」と断って…。
(…パパの所に行って、「ごめんなさい」って…)
 謝らなくちゃ、と思うものだから、その方面にも神経を配ることになる。
 「パパの車、まだ帰らないかな?」だとか、「パパの車だ、行かなくっちゃ!」とか。
(…なんて謝るか、それで頭が一杯になって…)
 ハーレイと話す間にだって、上の空ということだって、ありそうな感じ。
 愉快な話をしてくれているのに、「うん」や「そうだね」と、生返事になって。
(…最悪だよ…)
 いろんな意味で最悪すぎ、と頭をポカポカ叩きたくなる。
 幸い、カップは割れなかったし、「割れた後に、ハーレイが来る」のも避けられたけれど…。
(……注意しなくちゃ……)
 注意しないと、いつかやりそう、と自分自身を戒めた。
 本当に割ってしまったが最後、「最悪のシナリオ」が始まってしまう。
 父も母も「ブルーを叱らない」のに、気分はドン底、ハーレイの前でも上の空なのが。


 そうならないよう、今日の反省を活かさなくては、と気を引き締めて、ハタと気付いた。
 今日のは「父のカップ」だったけれど、これから先の人生は長い。
 子供の間は「ほんの一瞬」、前の自分と同じ背丈になったら、じきに「大人」で…。
(…大人になってたら、パパの雷…)
 落ちそうだよね、という点はともかく、「大人の自分」が、いつまで家にいるか。
(…結婚出来る年になったら、ハーレイの家へ…)
 引っ越すわけで、ハーレイの家に移った後に「やりそうなミス」が大問題。
(…ウッカリ壊すの、パパのカップじゃないんだよね…?)
 ハーレイの大事なカップなんだよ、と背筋が冷えそう。
 前にハーレイの家に行った時に、目にした「大きなマグカップ」。
 あれが愛用のカップだと思う。
(…ハーレイの家には、二回だけしか…)
 行けていないけれど、その二回とも、記憶にあるのは同じカップだった。
 恐らく「ハーレイ愛用の品」で、きっと「大切にしている」カップ。
(…アレを割ったら、どうなっちゃうわけ…!?)
 ハーレイも、きっと、今の「父や母」のように、ブルーを叱りはしないだろう。
(割れた音を聞いて、すっ飛んで来て…)
 「大丈夫か!?」と叫んで、割れたカップよりも、ブルーの心配をする。
 「怪我してないか?」だとか、「動くなよ、すぐに掃除するから!」だとか。
(…だけど、ハーレイの、割れちゃったカップ…)
 何かの記念で貰った品とか、うんと愛着のある品だとか、父と同じで有り得るから怖い。
(…同じカップは、売っていなくて…)
 それでも、ハーレイは怒ることなく、いつも通りの優しい笑顔。
 「かまわないさ」と、「また新しいのを買えばいいしな」と、何事も無かったかのように。
(…ぼくの前では、そうだろうけど…)
 心の中までは、見えはしなくて、うんと悲しいのかもしれない。
 「俺のカップ、壊れちまったなあ…」と、カップとの日々を振り返って。
 「二度とお目にはかかれないんだ」と、寂しい気持ちで、捨てるために包み込みながら。
(…絶対、ぼくには、言ってくれなくて…)
 うんと叱ってくれればいいのに、そうはしないで、微笑むだけ。
 「次の休みに、新しいのを買いに行こうな」と、ブルーを誘ってくれたりもして。


(最悪だから…!)
 そんなの、ホントに最悪だよ、とゾッとするから、気を付けないとダメだろう。
 結婚した後は、今よりも、もっと。
 「父のカップを割ってしまう」よりも、「ハーレイのカップを割った」時の方が、ドン底。
(……一生、引き摺ってしまいそうだし……)
 ハーレイの「新しいカップ」を目にする度に、心がチリッと痛みそう。
(壊しちゃったら、そうなるよね…)
 カップ以外の「何か」でも、と気付かされたからには、気を付けよう。
 ハーレイの大事な愛用の品を、ウッカリ壊さないように。
 ほんの僅かな不注意のせいで、「ハーレイの前から、サヨナラ」にしてしまわないよう。
(…ハーレイだったら、「前のお前を失くしたショックに比べればな」って…)
 心の底から「大したことではないんだ、うん」と、考えていてくれそうではある。
 「ブルーが怪我さえしてなきゃ、いいさ」と、「ブルー」の無事だけを喜んでくれて。
(…きっとホントに、ハーレイなら、そう…)
 だから余計に注意しなくちゃ、と未来の自分に「気を付けてね!」と言い聞かせる。
 ハーレイの大切な「何か」を壊したら最後、その品が戻って来ないばかりか…。
(…前のぼくのことまで、思い出させちゃって…)
 悲しさが、うんと膨らむもんね、と「壊す前から」分かってしまうだけに、注意しないと。
(…ぼくがウッカリ壊しちゃったら、ハーレイまでが、うんとドン底…)
 道連れにしちゃうのは、確実だもの、と「遥か未来」に向けて気を引き締める。
(壊しちゃったら、ぼくも、ハーレイも、気分、ドン底…)
 それだけは避けて通らないと、と思うけれども、いつか、やりそう。
 やった時には、気分ドン底、ハーレイに助けて貰うしかない。
(…落ち込むなよ、って…)
 優しく肩を叩いて貰って、新しい品を選びに行く。
 「お前は、どれがいいと思う?」などと、笑顔で声を掛けて貰って。
 「お揃いのヤツにするのもいいな」と、二つ揃えて買って帰ったりして。
(それもいいけど…)
 壊さないのが一番だよ、と思いながらも、夢を見てしまう。
 「ハーレイの新しいカップを買うなら、お揃いになれば、嬉しいよね」と。
 「壊しちゃったら、そうなるかもね」と、気分ドン底になった先に来そうな、遠い未来を…。



            壊しちゃったら・了


※ハーレイ先生の大事な何かを、壊してしまったら、大変だよ、と怖くなったブルー君。
 けれど、ちょっぴり、その後の夢を見てしまうわけで、お揃いの品にするのも素敵かもv








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(さっきは、危なかったよな…)
 ちっとばかり、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それをお供に。
(…危うく、大事な、こいつとだ…)
 サヨナラしちまう所だった、と湯気を立てているマグカップを眺める。
(いつものことだ、と思ってるから…)
 食事の後に、コーヒーを淹れる時には、特に注意はしていない。
 手順通りの作業をこなせば、熱いコーヒーが出来るけれども…。
(ついつい、ウッカリ…)
 マグカップの何処かに、手が引っ掛かった。
 カップはコロンと倒れてしまって、テーブルの上で一回転して…。
(その角度がまた、悪かったってな…)
 持ち手の部分に近い所が、転がり始めた最初だったのだろう。
 文字通り、クルンと一回転の末に、テーブルの縁に着いていた。
(うわっ、落ちるぞ、と…)
 慌ててカップをグイと掴んで、転落事故は防いだのだけれど…。
(あそこで上手く掴めていなけりゃ、今頃は…)
 大事なカップは木っ端微塵で、ゴミ箱の中に行っていた筈。
 破片で怪我をする人が無いよう、不要な紙か何かで包み込まれて、紐も掛かって。
(……危なかった……)
 まだまだオサラバしたくはないし、と「コーヒーの友」を、まじまじと見る。
 こだわりの品と言っていいのか、このカップには愛着がある。
(なんてことないカップなんだが…)
 買った店さえ、「あそこだったな」と思う程度で、わざわざ選んだ店ではない。
 普段出掛ける店の一つで、「これにしよう」と買って来ただけ。
(そりゃまあ、決める前にだな…)
 重さやサイズを、手に取って確かめてはみた。
 幾つか候補のカップを「並べて、比べて」、「これがいいな」とレジに運んだ。
 ただ、それだけの「出会い」だけれども、今やすっかり、毎日の「友」になっている。
 コーヒーを飲むには「コレだ」と、迷いもしないで、出して来るカップ。
 もしも、あそこで割れていたなら…。
(ガッカリだよな…)
 立ち直れないような気がするぞ、と可笑しくなる。
 「たかがカップで、きっと同じの、売っているよな」とも、思えるから。


 そう、いくら大事に思っていたって、相手は「ただのマグカップ」。
 手に馴染むサイズで、いつも使うというだけのこと。
(前のあいつを、失くしたような時と違って…)
 代わりのカップを「買えばいいだけ」、それなのに、「立ち直れない」気がするなんて。
(…平和ボケとでもいうべきかな…)
 前の俺なら、有り得ないぞ、と時の彼方に思いを馳せる。
 毎日が死と隣り合わせの船だったから、カップくらいで「立ち直れない」などは言えない。
(そうは言っても、それなりにだ…)
 愛用の品はあったっけな、と思い出すのは、部屋にあった机。
(シャングリラが改造されるよりも、ずっと前から…)
 あいつとは長い付き合いだった、と今も鮮やかに覚えている。
 木で作られた、とてもレトロな品だったけれど、前の自分は好きだった。
(なにしろ素材が、本物の木だし…)
 磨けば磨くほど味わいが出る、と暇な時には、せっせと磨いた。
 お蔭で、とても深い色合い、そういう机になったのだけれど…。
(…壊れちまう前に、俺がサヨナラ…)
 地球の地の底で死んじまったし、と今では懐かしくもある。
 あの机はもう、残ってはいない。
(…シャングリラにあった備品は、トォニィが…)
 処分させてしまったと伝えられていて、実際、机も、前のブルーのベッドも、もう無い。
(…あったら、会いに行くかもなあ…)
 俺の机、と惜しくなるから、あの机もまた「愛用の品」では、あったのだろう。
 生きていた時には、気付いていなかっただけで。
(アレが突然、無くなっていても…)
 仕方ないな、と切り替えるしか無かった時代なのだし、気付かなくても不思議ではない。
 もっと遥かに「大切なもの」を、前の自分は背負っていた。
 船の仲間の命の前には、何もかもが霞む。
(…それに、ブルーだ…)
 前のブルーの「命」を守っていたのも、シャングリラだった。
 ブルーだけでも、きっと生きてはゆけたろうけど、それは寂しすぎる。
 ミュウの仲間の命を背負う「ソルジャー」とはいえ、責任よりも喜びが大きかった筈。
 「今日も、みんなが無事だった」と、安堵出来るのは、最高の気分だったから。


 そんなシャングリラで生きていたなら、「愛用の品」への愛は薄れる。
 正確に言えば、影が薄くなる。
(だから、机を失くしちまっても…)
 クヨクヨ引き摺ったりはしないし、新しい机にも、じきに馴染んだだろう。
(幸いなことに、俺の方からサヨナラで…)
 そういうシーンは無かったけれども、今、思い出すと「会いたくなる」のが面白い。
 時の彼方に消えた机が「今もあったら、会いに行くのに」と。
(…残っていたって、例の木彫りのウサギと一緒でだな…)
 博物館のケースの向こうで、一般人では、触ることなど出来ない。
 「世話になったな」と磨きたくても、それも出来ない。
(…そうなっちまえば、残念で…)
 ケースの前から離れ難いし、前の自分にも「愛用の品」への愛は、確かにあった。
 それと気付かず「生きていた」わけで、そうなると…。
(カップ一つで、立ち直れないような気がする、今の俺は、だ…)
 平和ボケしたとも言えるだろう。
 前の自分とは違う人生、青く蘇った地球に生まれて、自由気ままに生きて来たから。
(…たかが、カップで…)
 しかし、割れたら、ショックだよな、と「今の自分」だからこそ、分かる。
 カップ一つが割れた結果は、失われるものは「カップ」だけ。
 運が悪いと、絨毯に「コーヒーの染みが残ってしまって」、巻き添えが増えるくらいのこと。
(服も巻き添えにしたとしたって、絨毯も服も…)
 惜しいことをした、と悔やみはしても、誰の命も消えたりはしない。
 怪我人さえも出ないわけだし、「カップが一つ、消えて無くなる」だけなのだけれど…。
(…そいつが、なんとも…)
 寂しい気分になるんだよな、と今の自分は「よく知っている」。
 今日までの「新しい人生」の中で、何度か、そういう「悲しい別れ」を経験して来た。
(大事にしていた、鞄とかがだ…)
 ある日、不注意で破れたりして、お別れになる。
 ご飯茶碗や、カップなどでも、そういう「サヨナラ」があった。
 代わりの品は「ちゃんと、来てくれる」けれど、前の品物が忘れられない。
(あっちの方が、使いやすかったよなあ…、なんて…)
 思うものだから、惜しくて、寂しい。
 「もう少し、気を付けていたなら、失くさなかった」と。


 今日のカップは、まさに「その危機」。
 割れずに残ってくれたお蔭で、前の生まで思い返せて、有難いと思う。
(…割れちまってたら、今頃は…)
 気分ドン底だったかもな、とカップの縁を指で弾いて、ハタと気付いた。
(…待てよ?)
 今の自分に「愛用の品」があるなら、「今のブルー」も同じだろう。
 大事にしているカップにしても、きっと…。
(あいつの家には、ある…んだよな…?)
 俺といる時は、見ないだけで…、と顎に手を当てて記憶を探ってみる。
 ティータイムには、いつも、お揃いのカップ。
 けれど、夕食を一緒に食べる時には、どうだったろう。
(…俺がお客で、お邪魔してるし…)
 食後のお茶には、来客用のものが並んでいる覚えしかない。
(…しかしだな…)
 普段の「ブルー」の食事の席には、違うカップが置かれていそう。
 今のブルーが愛用している、お馴染みのものが。
(…子供によっては、幼稚園とかで…)
 クリスマスなどの機会に、プレゼントにカップを貰ったりする。
 「大きくなっても使えるように」と、大きめのカップ。
(…俺も貰って、使ってたっけな…)
 柔道と水泳に夢中になった頃には、仕舞われていたが…、と懐かしい。
 運動をするような子供は、マグカップなどで「ちびちび」飲んだりはしない。
 「喉が渇いた!」と、容器を掴んで、喉へと流し込む勢い。
(…そんな具合になったわけだし、もう使わない、と…)
 母が何処かに片付けただけで、「サヨナラ」はしていなかった。
 今でも、隣町の家に帰れば、納戸の奥に仕舞われている。
 母に在り処を聞きさえしたなら、会えるけれども…。
(…割っちまっていたら、サヨナラで…)
 寂しい記憶が残ってたよな、と思うものだから、「ブルー」が気になる。


(…今のあいつも、幼稚園で貰ったようなカップとかを…)
 とても大事に使っているなら、いつか一緒に暮らす時には…。
(引っ越し用の荷物の中に、ちゃんと包んで…)
 入れて運んで、この家に持って来ることだろう。
 そして毎日、馴染んだカップで、お茶を飲んだりするわけだけれど…。
(…その大切なカップを、俺がだな…)
 壊しちまったら、どうなるんだ、と背筋が一瞬、ゾクリとした。
(…あいつの目の前で、壊しちまったら…)
 赤い瞳が、真ん丸になるのを、スローモーションで「見る」ことになりそう。
 たちまち涙が盛り上がって来て、頬を伝ってゆく瞬間も。
(…マズいんだが…!)
 俺のを壊しちまうよりも、遥かにマズイ、と考えるまでもない。
 ブルーは、床に座り込んでしまって…。
(割れたカップを、じっと眺めて…)
 涙をポロポロ零し続けて、カップとの長い付き合いを思い出すのに違いない。
 何処で出会って、どんな具合に、今まで「一緒に」生きて来たのか、片っ端から。
(…謝ったくらいで済むようなことじゃ…)
 無さそうだぞ、と嫌というほど分かってしまう。
 ブルーは「許してくれそう」だけれど、寂しさも辛さも、分かるものだから…。
(今日の反省、未来に活かすしか…)
 俺のカップは割れちゃいないが…、と「割れそうになったカップ」に頭を下げた。
 「すまん」と、「お前のお蔭で、未来の俺が助かりそうだ」と。
(…ブルーのカップを壊しちまったら、もう取り返しがつかなくて…)
 それ以外の「大事なもの」も同じなんだ、と痛感する。
 遠く遥かな時の彼方と違って、今は「愛着のある品」を、お互い、持っている世界。
(…うんと注意して、扱わないと…)
 壊しちまったら、悲劇だしな、と自分自身に言い聞かせる。
 「いいか、しっかり覚えとけよ」と、何回も。
 「壊しちまったら、自分の大事なものも辛いが、壊された方は、もっと辛いんだ」と。
 今のブルーと暮らし始めた時には、注意するべき。
「 今のブルー」の大切なものを、ウッカリ壊さないように。
 赤い瞳から落ちる涙を、見るような羽目になってしまったら、お互い、悲しすぎるから…。



         壊しちまったら・了


※愛用のカップを壊しそうになった、ハーレイ先生。割れずに済んで、コーヒーの時間。
 けれど、将来、一緒に暮らすブルー君にも、大切なカップとかがありそう。注意しないとv






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「ねえ、ハーレイ。余った時間は、有効に…」
 使うべきだよね、と小さなブルーが投げ掛けた問い。
 二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
 お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ? 余った時間…?」
 今は、そういう時間なのか、とハーレイは目を丸くした。
 ブルーの家を訪ねて来たのは、今日の朝食が済んだ後。
 天気がいいからと、歩いて家を出て来た。
(とはいえ、時計は、ちゃんと見てたし…)
 ブルーの家に着いた時間は、車の時と変わっていない。
 早いわけでも、遅すぎもしない、丁度いい頃。
(朝飯の片付けとかが、終わった後で…)
 ブルーの両親も、のんびりしている、そういう時刻。
(それから、ずっと、この家で…)
 お茶を飲んだり、昼食を食べたりといった具合で今に至る。
(…俺とこうして過ごす時間は、ブルーには…)
 余った時間になっちまうのか、とハーレイは衝撃を受けた。
 ブルーが喜ぶと思うからこそ、都合をつけて来ているのに。


(…こんなことなら…)
 親父と出掛ければ良かったかもな、と少し悔しい。
 先日、釣り好きの父が、ハーレイの家に通信を寄越した。
 「次の週末、釣りに行くから、一緒にどうだ」と。
(…俺はブルーが最優先だと、親父も知っているんだが…)
 わざわざ誘って来るということは、特別な釣りに違いない。
 だから「何を釣るんだ?」と、即座に尋ねた。
 父は嬉しそうな声で、「分かったか?」と更に誘って来た。
 「釣り仲間で、船をチャーターするんだ、大物だぞ」と。
(大物は、船の話じゃなくてだな…)
 滅多に釣れない、美味と評判の大型の魚。
 鍋の食材で人気だけれども、高級魚としても名高い。
(…なにしろ、そうそう釣れやしないし…)
 釣れるポイントも、限られている。
 漁師が網を入れただけでは、獲れない魚だとも聞く。
(…親父が行くなら、勝算の方は充分で…)
 天気の方も、釣れそうな時期も、見定めての釣行の旅。
(…そっちに行ってりゃ、今頃は…)
 大海原から陸を見ながら、船の上で釣りの最中だろう。
 運が良ければ、ハーレイの糸に、お目当ての…。
(デカい魚が食い付いてくれて、皆で大騒ぎで…)
 掬い揚げようと網を持った者やら、「外すなよ!」の声援。
 最高の休日になっていたかもしれない。


 失敗したな、とハーレイはフウと溜息をついた。
(余った時間になっていたとは…)
 情けないぞ、と心の中で嘆いた所へ、ブルーが尋ねる。
「ハーレイ? 何か、勘違いしていない?」
「勘違い?」
「うん。溜息なんか、ついちゃってるし…」
 今のことだと思っちゃったの、と赤い瞳が瞬いた。
「ぼくが言うのは、違うんだけど…」
「そうだったのか?」
 つい早合点をしちまった、とハーレイは、ホッと安心した。
 違うのだったら、ブルーの家に来ていて正解。
 釣りの旅より、ブルーと過ごす休日の方が、遥かに楽しい。
 けれど、そうなら、余った時間というものは…。
「おい。それじゃ、余った時間は、いつを指すんだ?」
 問い掛けてみると、ブルーは、直ぐに答えた。
「えっとね…。ぽっかりと空いた時間、あるでしょ?」
 宿題が早く終わった時とか…、と説明もついた。
「本を読んでても、思ったよりも早く読み終わるとか…」
「あるな、俺にも」
 宿題じゃなくて本の方だが、とハーレイは苦笑いする。
 流石に、今の年では宿題は無い。


「そうでしょ? そういう時間のことだってば」
 有効に使うべきだと思わない、とブルーは首を傾げた。
「余ったからって、昼寝するよりは…」
「そうだな、夜に時間が余ったのなら、違うんだが…」
 夜なら断然、寝た方がいい、とハーレイは説いた。
 遅い時間まで起きているより、早寝早起きが効率がいい。
 子供はもちろん、大人の場合も同じことだ、と。
「しかし、昼だと、変わって来るぞ」
「有効活用する方にでしょ?」
「うむ。もっとも、それが昼寝になる時だって…」
 あるわけだから、気を付けろよ、と念を押す。
「睡眠不足や、疲れ気味の時なら、昼寝がいいんだ」
「そうかもね…。でも…」
 オススメは有効活用だよね、とブルーは微笑む。
 「ぼくも、有効活用したいんだけど」と。
「だってね、時間、余ってるから…」
「さっき、違うと言わなかったか?」
「今だけど、今じゃないんだってば!」
 最後まで、ちゃんと聞いてよね、とブルーは唇を尖らせた。
「ぼくの時間が、うんと余っているんだよ、今!」
 だって、育っていないから、とブルーの口から零れる溜息。
 「前のぼくと同じに育つまでの間、余っちゃってる」と。


(そう来たか…!)
 此処で頷いたら、俺の負けだぞ、とハーレイは悟った。
 ブルーが繰り返す「有効活用」の正体は…。
「分かった、その時間、有効活用したいんだな?」
「そう! 有効活用してもいいの?」
 許してくれる、と赤い瞳が煌めいている。
「もちろんだとも。まずは、深呼吸を一つしてだな…」
「次は、キスだね?」
「馬鹿か、お前は?」
 深呼吸の次は、ストレッチだ、とハーレイは笑んだ。
「お前みたいに弱いヤツには、オススメだぞ?」
 軽い運動で、夜もぐっすり眠れるし、と床を指差す。
 「教えてやるから、床に座れ」と。
「ちょ、ちょっと…!」
 そうじゃないよ、と慌てるブルーに、ハーレイは涼しい顔。
 「いや、合ってる」と、「時間は有効活用だ」と。
 「背丈だって、早く伸びるかもな」と、床に座って…。


            余った時間は・了







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