(うー…)
足が重たい、って思っちゃった、ぼく。
重たいって言うより、なんだかホントにうっとおしい。
ぼくの足にくっついてる靴が。
学校指定の靴が重たい、ついでにとってもうっとおしい。
バス停から家まで帰る途中の道なんだけれど。
頭の上から照り付けるお日様、それと地面の照り返し。
その両方とでジリジリ焼かれて、足まで重たくなってきた。
同じ制服でも半袖のシャツとか夏物のズボン、それは問題無いけれど。
重たいとまでは思いもしなくて、うっとおしくもないんだけれど。
足元は別で、きっと靴のせい。
学校指定の靴下を履いて、その上に靴。
二重に包まれてしまってる足が暑がってるんだ、窮屈だよ、って。
足に合わない靴じゃないけど、足をすっぽり包んじゃうから。
きっと息が出来ない気分の両足、ぼくの小さなサイズの足。
苦しいよ、って足が言ってる、靴のせいで息が出来ないよ、って。
そんな感じで重い両足、重たい感じがしちゃう足。
早く帰って脱いでしまおう、こんな靴。
家に帰ったら要らないんだから、靴なんかは。
暑い中を歩いて、家まで帰って。
バス停からのちょっぴりの距離を長く感じた、今日の帰り道。
これのせいだ、って靴を脱ぎ捨てた、途端に軽くなった足。
靴はそのまま捨てておきたい気分だけども…。
(でも、お行儀が悪いしね?)
それに足だって軽くなったし、と靴を揃えて置き直した。
端っこの方に。
お客さんが来た時に邪魔になったら駄目だから。
ド真ん中に置いておくものじゃないから、玄関スペースの端っこに。
やっとスッキリしてくれた足。
もう重たいって気分はしなくて、うっとおしくもなくなったから。
次は靴下、って制服を着替えたついでに脱いだ靴下。
新しいのを履く気なんかしない、こんな暑い日は。
もしも夜になって冷えて来たなら、その時に履けばいいんだから。
息が出来るよ、って喜んでる足、それをもう一度包んじゃったら可哀相。
ぼくだって足に「息が出来ないよ」って言われたくないし…。
裸足になったら気持ちいい床、部屋を出て階段をトントンと下りて。
ダイニングでママとおやつを食べてた間も裸足。
食べ終わって部屋に戻っても裸足。
帰り道の重たさが嘘だったみたいに軽い両足、靴が無いだけでこんなに違う。
靴下も少しは悪いだろうけど、重たかった原因は絶対に靴。
だって、家では履かないんだから。
「ただいま」って玄関のドアを開けたら、靴には「さよなら」なんだから。
学校指定の靴は重くはないけれど。
重さを量れば、きっとお洒落な革靴より軽いだろうけれど。
だけどやっぱり、今日みたいな日にはうっとおしい。
サンダルで学校に行ければいいのに、って思っちゃうくらい。
靴よりも遥かに軽いサンダル、それで充分いいのにね、って。
多分、お行儀とか、色々な意味で「駄目だ」って言われるだろうけど。
先生たちが怖い顔して、「サンダルで学校へ来ないように」って叱るだろうけど。
(…家だと脱いでもいいんだけどな…)
そうでなくっちゃ辛すぎる。
今日みたいな日に、重たかった靴を家でまで履いているなんて。
そんなことなんか出来やしないし、耐えられもしない。
此処に生まれて良かったと思う、家では靴を脱いでもいい場所。
遠い遥かな昔の島国、日本の文化を復興させてる、今のぼくが住んでるこの地域に。
地域によっては、家の中でも靴らしいから。
家に帰っても靴を履いてて、せいぜい部屋履きに履き替えるくらい。
そんなの嫌だ、と椅子に座って足をパタパタさせていて。
暑い季節に靴も靴下も要りやしない、って素足をパタパタ、それを見ていて。
(…あれ?)
前のぼくは一度もこんなことをしてはいなかった。
足にはいつでも行儀よく靴、それも靴どころかソルジャーのブーツ。
青の間の外へ出る時はもちろん、青の間でだって。
ハーレイの部屋へ出掛けた時にも、靴を脱いではいなかった。
嘘…、って思わず零れた言葉。
どんな時でも靴だったなんて、と驚いたけれど、本当に、そう。
白いシャングリラは靴を履くのが普通の世界で、誰でも靴を履いていた。
自分の部屋に一人きりの時も、きちんと靴を。
前のハーレイも、ぼくも、もちろん靴を。
脱いだりしないで履いていた靴、前のぼくだとソルジャーのブーツ。
あれはどの辺まであったっけ、って足を眺めてビックリした、ぼく。
玄関で脱いで来た靴なんかより、ずっと上まであった靴。
ピッタリしていたソルジャーのブーツ、前のぼくが脱がなかった靴。
(…脱ごうとも思っていなかったけど…)
履いているのが当然だったし、お風呂の時とか、寝る時だとか。
そういう時しか靴は脱がなくて、いつだって履いているもので。
前のぼくは変とも思っていなくて、うっとおしいとも思ってなくて…。
(あの靴は特別な靴だったけど…)
ソルジャー用にと開発されてて、重いと思ったことは無かった。
うっとおしいとも思わなかった。
だけど、いつでも両足に靴。
足は自由になれはしなくて、裸足になんかはなれなくて。
(…可哀相だった?)
前のぼくの足。
ハーレイもだけど、靴を脱がないのが当たり前だと思われてた足。
今は脱いでもいいけれど。
家に帰ったらポイと脱いでよくて、いくらでも裸足でいられるけれど。
靴下だって脱いでいいけど、前のぼくたちの足は違った。
いつも、いつでも靴の中。
ぼくの足にはソルジャーのブーツ、ハーレイの足にはキャプテンの靴。
青の間でも、ハーレイの部屋の中でも、いつだって、靴。
箱舟なんだと思っていた船、本当に箱舟だった船。
白いシャングリラは前のぼくたちの楽園みたいな船だったけれど。
其処で出来る限りの自由を手に入れて暮らしていたけど、靴に関しては…。
(…自由じゃなかった?)
履いているのが当たり前だった段階で。
脱いでいいですよ、って誰も言わなかった、思いもしなかった段階で。
裸足はこんなに気持ちいいのに、靴を脱いだら足はググンと軽くなるのに。
それを知らずに暮らしたぼくたち、白いシャングリラで暮らしたぼくたち。
靴は脱いでもいいものなんだ、って誰も考えてはいなかったから。
履いているのが当たり前のもので、部屋の中でも履いてて当然だったから。
(…前のぼくの足…)
あんなブーツに包まれたままで、脱いで貰えもしなくって。
どんなに窮屈だっただろう。
我慢強かった足は文句を言わなかったけど、きっと自由になりたかったと思う。
ブーツを脱いで欲しかったと思う、四六時中あんなのを履いていないで。
ちょっとくらい、って思っただろう、ほんの少しでいいから脱いで、って。
今日のぼくの足は文句を言っていたんだから。
足が重たいって、息が出来ないって、せっせと文句。
早く帰って自由にしてよって、この靴を脱いで外に出してよ、って。
前のぼくには無かった自由。
まるで全く気付いていなくて、自由じゃないとも少しも思っていなかったけれど。
(でも、脱げなかった…)
あのブーツは。
足にピッタリくっつくように出来上がっていたソルジャーのブーツ。
学校指定の今の靴より、うんと大袈裟だった白いブーツは。
どうして脱ごうと思わなかったのか、脱ぎたいとも思わなかったのか。
真面目に毎日履いたままでいて、部屋に一人でいる時だって。
ポイと捨てちゃって足をブラブラさせていたって、誰も気付きはしなかったろうに。
せいぜい、夜にハーレイが来た時、顔を顰める程度だったろうに。
(…あれが普通だと思っていたから…)
靴は脱いでもかまわないなんて、ちっとも思っていなかったから。
誰でも自分の部屋の中でも、きちんと靴を履いていたから。
(でも、今は…)
家の中なら脱いでもいい。
「ただいま」って玄関のドアを開けて入ったら、脱いでしまってかまわない靴。
どんなに軽くても、学校指定でも、脱いでもいい靴、叱られない靴。
もしかしなくても、今はとっても自由になったんだろうか、ぼくの足は?
前のぼくの足も、ハーレイの足も、今度はうんと自由だろうか?
(…うん、きっと…)
自由だと思う、だって脱いでもいいんだから。
ハーレイもぼくも、家に入ったら、靴なんか履いていなくてもいい。
ほんの小さなことだけれども、靴を脱いでもいい自由。
家に入ったら、脱いでもいい靴。
ぼくたちは、うんと自由になった。
前のぼくたちが生きた頃より、白いシャングリラの頃よりも自由。
靴は脱いでもいいんだから。
脱いでしまって裸足でいたって、誰も怒りはしないんだから…。
脱いでもいい靴・了
※ブルー君も気付いた、靴を脱いでもいい自由。小さなことでも、考えてみれば幸せです。
前は脱げなかった靴を脱いで裸足で足をパタパタ、今ならではの自由ですよねv
(さて、と…)
今日も一日無事に終わった、と車で帰り着いた家。
ブルーの家には寄り損なってしまったけれども、また明日がある。
白いシャングリラの頃と違って、ちゃんと来る明日。
太陽が昇れば新しい一日、次の日が消えてしまいはしない。
シャングリラで前のブルーと生きた頃には、そういう保証は無かったけれど。
夜の間に何が起こるか分かりはしなくて、明日があるとは言えなかったけれど。
それが今では明日があるから、必ず来ると分かっているから。
「また明日があるさ」と待ち侘びる心、明日が駄目でもまた次の日、と。
ブルーにはきっと何処かで会えるし、ブルーの家にも必ず行ける。
今日は行けずに終わったけれども、また次がある。
明日とか明後日、そのまた次の日。
いくらでも「明日」は訪れるのだから、それを思えば心も弾む。
ブルーに会いに行ける日はいつかと、明日に行ければいいのだが、と。
前の自分のマントの色をした愛車を停めたガレージを出て。
庭を横切って、玄関へ。
今の季節は昼が長いから、夜が来るのが遅いから。
まだまだ充分に庭は明るい、玄関のドアの辺りも、家も。
鍵を開けて家の中へと入って、ドアをパタンと閉じれば自由。
自分の好きに過ごせる空間、それは庭でも同じだけれど。
(…庭だと裸じゃいられないしな?)
まさか本当にはやらないけれども、家でも何か着ているけれど。
その気になったら素っ裸でいても、誰も文句を言わない家。
其処へ入ってドアを閉めたから、もう自由。
何をしようが、どう過ごそうが、好きにしていい自分の家。
まずは中へ、と脱いだ靴。
学校へ履いて出掛けた革靴、いつも自分で手入れする靴。
気に入りの靴ではあるけれど。
履きやすいものを選んで買ったのだけれど、やはり靴では…。
(あまり自由じゃないってな)
道を歩くには便利だけれども、足を余計に包む靴。
少し自由が失せる気がする、外はともかく、屋内では。
家でまで靴は履いていたくない、さっさと脱いでしまいたい。
ポイと脱ぎ捨てはしないけど。
きちんと揃えて置いておくけれど、やはり家では煩わしい靴。
それを脱げたと、もう自由だと踏み締めた床。
(靴下はまだ…)
靴に比べれば束縛されている気にはならない、所詮は薄い布だから。
革靴のように重たくはないし、足も自由に動かせるから。
(そうは言っても、だ…)
この季節は素足が一番なんだ、と歩いてゆく廊下。
荷物を置いてワイシャツを脱いだら、靴下も脱いでしまおうと。
素足に床が気持ちいい季節、そうしない手は無いのだから。
リビングのソファに荷物を下ろして、脱いだワイシャツ。
暑い夏でもこれでないと、と着込んで出掛ける長袖のシャツ。
学校に出掛ける時の制服、どんな季節も長袖のシャツで、それからネクタイ。
前の自分の制服よりかは、ずいぶんとラフなものだけど。
マントもついていないわけだし、御大層でもないのだけれど。
(だがなあ、制服は制服なんだ)
家ではこれじゃ落ち着かん、と半袖のシャツに着替えてしまう。
ズボンも家用のラフなズボンに。
そして靴下、それを脱いだら実に気持ちがいい素足。
やはりこれだと、靴も靴下も履いていられるかという気分になる。
自分の家ではこうでなくてはと、これでこそ自由な家なのだから、と。
真っ裸でいようとは思わないけれど、夏は素足でいるのが好み。
これに限ると、足が軽くなったと脱いだシャツなどを片付けに行って。
洗うものは此処、と決めてある籠に放り込んだら、もう靴下とはお別れで。
明日の朝まで履かなくて良くて、もちろん靴も。
(うん、こういうのが最高だってな!)
柔道も水泳も靴を履かないからなのだろうか、靴を脱いだらスッキリとする。
靴下も要らない、今の季節は家の中では履かなくていい。
やはり裸足が最高なのだと思ったけれど。
まして靴など履いていられるかと、誰が自分の家でまで履くか、と思ったけれど。
地域によっては、それが普通の所もあるから。
此処に生まれて良かったと思う、かつて日本があった辺りに。
小さな島国だった日本は、家では靴は履かなかったから。
家の中では土足厳禁、靴は玄関で脱いで入るのが日本の常識、日本の文化。
それを復興した地域に生まれた自分だからこそ、靴も靴下も要らないわけで。
此処で良かったと、素晴らしい場所だと、素足でリビングに戻って行って。
夕食の支度にかかる前にと、冷たく冷やしたお茶を一杯、と飲んでいて。
(……ん?)
待てよ、と掠めた遠い遠い記憶。
前の自分が生きていた船、ブルーと暮らした白いシャングリラ。
あの頃の自分は素足などでは…。
(…歩いていなかったぞ!)
そうだったのだ、と気が付いた。
靴を履くのが当たり前の世界、其処で自分は生きていたと。
今とはまるで違っていたと。
(……靴なあ……)
さっき玄関で脱いで来ちまったが、とソファに座って足を眺める。
靴下さえも履いていない素足、褐色の肌の鍛え上げられた足を。
柔道も水泳も足は大事で、特に柔道。
しっかりと床を踏み締めて掴む力が無ければ確実に負ける。
だから昔から鍛えていた足、素足になったらハッキリと分かる。
自分ではすっかり見慣れていた足、今の季節は家では素足と思うのに。
ごくごく見慣れた風景なのに…。
前の自分はそれを知らなかった、靴を脱ぐのが普通の世界を。
自分が自由に過ごせる空間、其処へ入ったら靴も靴下も要らない世界を。
いつもカッチリ着込んでいた制服、それと同じに靴だって。
白いシャングリラの中、何処へ行くにも足には靴。
自分の部屋でも、前のブルーと二人で過ごした青の間でも。
風呂に入るか、眠る時か。
そんな時しか脱がなかった靴、脱げなかった靴。
前の自分は何の不自由も感じていなかったけれど。
そういう記憶は無いのだけれども、今から思えば…。
(なんて窮屈な船だったんだ!)
やっていられん、と頭を振らずにはいられない。
制服はともかく靴だなんて、と。
自分の部屋でくらいは脱いでもいいのに、どうして律儀に履いていたかと。
(二度と御免だぞ、あんな生活…)
靴でなくても、あの生活は御免だけれど。
いくらブルーと暮らした船でも、船の中でしか生きられない世界は本当に御免蒙るけれど。
それの他にも靴があったか、と苦笑してしまう、なんと不自由な船だったか、と。
自分の部屋でも素足で歩けず、靴を履くのが普通だったとは、と。
(あの頃の俺は知らないにしても…)
靴を履かない暮らしがあるとは、思いもよらなかったのだけれど。
プライベートな場所に入ったら脱いでいいとは、本当に思いもしなかったけれど。
(俺もブルーも…)
クソ真面目に履いていたんだっけな、と前の自分たちの靴を思い浮かべた。
キャプテンだった自分はまだしも、ブルーの靴。ソルジャーのブーツ。
(あいつ、あんなのを律儀に履いて…)
脱いでいいかとも訊きはしなかった、二人きりでお茶を楽しむ時も。
ソルジャーとキャプテンの立場を離れて過ごす時にも。
(今のあいつなら…)
きっと自分と同じだろうな、と笑みが浮かんだ、家では靴を脱ぎたがるだろうと。
前のブルーのようなブーツを履いたままでいろと言われたならば、きっと困るだろうと。
今の暮らしは色々と自由だと思ったけれど。
本当に自由に生きられる世界、其処へ来られたと常々思っていたけれど。
(そうか、靴もか…)
脱いでいいのか、と顔が綻ぶ、此処では靴を脱いで自由に過ごせるのかと。
今の自分には当たり前のことで、家に入れば脱ぐけれど。
ブルーの家を訪ねた時にも、脱いで家へと入るけれども、それも今ならではのこと。
自分もブルーも脱いでいい靴、家では履かずに過ごせる靴。
ほんの些細なことだけれども、今の自由な世界の証。
今は脱いでもかまわない。
家に入るなら、靴を脱ぐ。
素足で床を踏んで歩いて、重たい靴など要りはしなくて。
自分もブルーも脱いでいい靴、今の時代は。
そういう時代に、そういう地域に生まれて来たから、脱いでいい靴。
本当に些細なことだけれども、それが嬉しい。
此処では靴を脱いでいいのかと、好きにしていい世界なんだな、と…。
脱いでいい靴・了
※キャプテンだった頃には履いているのが当たり前だった靴。自分の部屋でも。
今は自分の家に入ったら脱いでいいのです、それも自由の一つですよねv
(んーと…)
また伸びてる、と小さなブルーがついた溜息。
夏休みの朝の爽やかな時間、木陰だと充分に涼しい時間。
今朝は早くに目が覚めたから、朝食も早め。
ハーレイが来るまでには時間もあるし、と出て来た庭で出会ったもの。
母が育てているハーブガーデン、庭の一角に色々なハーブ。
薄紫の花が優しいラベンダーやら、カモミールやらもあるけれど。
メインはやっぱり料理に使えるローズマリーやタイムやミント。
ローズマリーは木になってゆくハーブだから。
大きく育つし、それで当然。
ただし、みるみる大きく育ちはしないけど。
いずれ木になる植物なだけに、ゆっくり育ってゆくのだけれど。
問題はミント、ちょっと葉っぱに触っただけでも涼しさを運ぶ香りがするミント。
これが見る間に育つものだから。
暑い夏にはミントティーにと母がチョキンと切ったりするのに、大きく切ってしまうのに。
切られた脇からまたも芽を出す、新しい茎と言うべきか。
その茎がぐんぐん大きく育って、いつの間にやら元通りのミント。
母が惜しげもなく切ってしまっても、ミントティーになってしまっても。
(切られちゃう前とおんなじくらい…)
この前、母が切って行った茎。
途中から伸びた新しい茎がすっかりと伸びて、よく見なければ分からない。
一度は切られて短かったことも、其処に葉っぱが無かったことも。
なんという生命力だろう。
それになんという速さなのだろう、ミントの茎が伸びるのは。
切られたからには元の通りに、と頑張るのだろうか、ミントの茎も。
早く育って清しい香りを放つ葉をつけて、夏の太陽からエネルギーを沢山貰おうと。
羨ましいくらいに早く伸びるミント、切られても切られても、ぐんぐんと。
負けてたまるかと、もっと伸びねばと、切られた場所から新しい茎。
そんな具合に少し曲がってしまっている茎、此処で切られたと分かる茎。
けれども、ミントは青々と茂っているものだから。
いくら切られても、ミントティーにされても、また伸びて茂っているものだから。
(よく伸びるんだけど…)
ミントティーは自分も飲んでいるから、よく伸びることは嬉しいけれど。
まるで伸びなくなってしまって、ミントティーが飲めなくなってしまうのは困るけど。
夏のお菓子に涼しさを添えるミントの葉っぱも、消えてしまったら悲しいけれど。
でも…。
どうしてミントはこんなにグングン育つのだろうか、切られても元に戻れるほどに。
母がどんなにチョキンと切っても、けして負けない逞しいミント。
切られたのなら、切られた分を取り戻す。
それ以上の丈にならんばかりの勢いで新しい茎をつけ、伸ばして緑の葉を茂らせる。
まだ伸びられると、また切られたなら、また伸びようと。
夏の日射しを受けられるように、葉から太陽を取り込めるように。
見に来る度に伸びていると分かるミントの茎。
この間チョキンと切られていたのに、そんなことなど無かったかのように。
そうでなければ伸びる途中で、もう少し経てば元通りだとか。
(…ぼくもこんな風に伸びればいいのに…)
少しも育ってくれない背丈。
ハーレイと再会した日から少しも変わらず、百五十センチから伸びない背丈。
いくら切られても伸びるミントとは、まるで逆様に。
ほんの一ミリも伸びはしなくて、大きくなってはくれなくて。
(このままだと、ホントに困るんだけど…!)
子供も草木も、夏は一番の成長期。
自分の経験からしてもそうで、だからググンと伸びると思った。
ハーレイと出会った五月の三日は春だったけれど、それから夏へと向かったから。
初夏が来て、夏が来て、そして夏休み。
それまでの間にどのくらい育つか、もう楽しみでワクワクしていた。
クローゼットに書いてある印、前の自分の背丈の高さの百七十センチ。
そこまで育てばハーレイとキスが出来るから。
今年の夏には無理だろうけれど、目標にはきっと近付けると期待していたから。
一センチは確実、上手く育てば夏休みまでに三センチ。
どのくらい伸びるか、夏休みに入れば更に何センチ伸びるのか。
ぐんぐん育つに違いないと思った、前の自分と同じ背丈を目指して、大きく。
きっと育つと信じていたのに、今の有様はどうだろう?
(…ちっとも伸びない…)
ミントはとってもよく伸びるのに、と溜息をつく。
よく伸びるんだけど、これはミントで、ぼくじゃない、と。
(ミントが大きくなったって…!)
劇的なことは何も起こらないと思う、母がチョキンと切ってゆくだけ。
「また伸びたからお茶にしましょう」と、「夏はミントティーが美味しいものね」と。
たったそれだけ、ミントがぐんぐん伸びたって。
切られた分だけ伸びて育っても、ミントティーになるというだけのこと。
でなければ、葉っぱを持ってゆかれて、お菓子の材料などになるとか。
伸びたところで、ぐんぐん大きく育ったところで、ミントはただのハーブだから。
自分と違って、切実な悩みは抱えていなくて、太陽が欲しいだけだから。
なのに、見る間に伸びてゆくミント。
今日もやっぱり伸びているミント、この前に見に来た日よりも、ずっと。
ほんの二日ほど、見ていないというだけなのに。
ハーブガーデンになった一角、其処へ来なかっただけなのに。
ミントのくせに、と思ってしまう。
伸びてもミントティーになるだけ、葉っぱが料理の材料になるだけ。
それなのに、こんな速さで伸びてゆくなんて、と。
同じ伸びるなら、自分の背丈。
それが伸びればいいと思うのに、そちらは少しも伸びてくれない。
今は夏休み、一番伸びる時期なのに。
どうしたわけだか伸びてくれない、どう頑張っても。
毎朝ミルクを飲んでいるのに、背が伸びるようにと祈る気持ちで飲んでいるのに。
(ミント、ホントによく伸びるんだけど…)
何か秘訣があるのだろうか、太陽の光や水や土からの栄養の他に。
それがあるなら知りたいけれども、是非とも教えて欲しいけれども。
ミントの葉っぱをチョンとつついても、爽やかな香気が立ち昇るだけ。
指に香りが移るというだけ。
ミントの声は聞こえてこなくて、コツも秘訣も習えはしない。
こうすればとてもよく伸びるだとか、背を伸ばすのならこうだとか。
役に立たない、と溜息をついた、此処を覗きに来た時と同じに。
ミントはぐんぐん育ってゆくのに、自分はそうはゆかないと。
チョキンと切られてもまた育つミント、前とそっくり変わらないほどに。
自分だってそうしたいのに。
前とそっくり同じ姿に育ちたいのに、まるで伸びてはくれない背丈。
ミントにとっては容易いことで、今日も大きくなっているのに。
前に見た時よりグンと育っているのに、自分の役には立たないミント。
ミントティーになるというだけで。
料理やお菓子に使われるだけで、それ以外の役に立ちはしなくて。
(…ミントが伸びても仕方ないのに…)
そう思うけれど、どうしてミントは伸びるのだろうと悲しいけれど。
伸ばしたいものは自分の背丈で、ミントではないと悲しい気持ちになるけれど。
ハーブガーデンに入ってみたって、ミントを踏み付けて立ってみたって…。
(…伸びないよね?)
自分はミントと違うのだから。
其処に立っても、突っ立っていても、お腹が減ってしまうだけ。
太陽の光も、降り注ぐ水も、土も栄養をくれないから。
すっかりお腹が減ってしまって、育つどころか栄養不足で倒れるだけ。
それが分かるから、ハーブガーデンに自分を植えても無駄だから。
(よく伸びるんだけど…)
其処で伸びるのはミントやタイムやローズマリーで、人間ではなくて。
本当に自分が育ちたいなら、背丈をグンと伸ばすのなら。
(…やっぱり栄養…)
きっと食べるしかないのだろう。
沢山食べるのは苦手だけれども、そこは精一杯、頑張って。
ミルクも欠かさず飲むべきだろう、ミントの茎が水を土から吸い上げるように。
前の自分と同じ背丈に育ちたいなら、ハーレイとキスをしたいなら。
ハーブガーデンに突っ立ってミントの真似をするより、しっかりと食事。
よく伸びるミントが羨ましくてたまらないけれど、コツも秘訣も習えないから。
ミントは教えてくれないから。
よく伸びるけれど、自分の役には立ってくれない、秘訣を教えてくれないミント。
だから大きな溜息をつく。
本当によく伸びるんだけどと、ぼくも大きくなりたいのに、と…。
よく伸びるんだけど・了
※ぐんぐんと育つミントが羨ましくてたまらないブルー君。ミントのくせに、と。
ハーブガーデンに立っても無駄なんですから、しっかり食べるしかないですねv
(うーむ…)
また伸びてるな、とハーレイがついた溜息、夏の日の庭。
夏は夜明けが早いから。
それに夏休みで、今日の行き先は小さなブルーの家だから。
早く着きすぎたら迷惑になるし、こういう日の朝の過ごし方は色々。
涼しい内にとジョギングに出掛けることだってあるし、ジムのプールで泳ぐ日も。
今日はゆっくり朝食を食べてのんびりと、と思ったけれど。
目を遣った庭の芝生に夏草、いつの間にやら伸びた雑草。
直ぐに育って種を落とすものは、早めに抜いておくけれど。
雑草といえども種類は色々、クローバーなどは抜かずに残す。
白いクローバーの花は綺麗だし、茂りすぎて芝を駆逐しない程度に刈り込んだりして。
クローバーはまだ丈の低い方、育ってもたかが知れている。
春に出て来るスミレやタンポポ、そういうものだって残してある。
けれど、今、目に付いた夏草はお世辞にも可憐とは言えないもので。
菊を思わせる小さな花はともかく、花が咲くまでに伸びる丈。
五十センチではとてもきかない、八十センチはいくだろう。
そんなのが生えた、気を付けていたのに。
見付けたら早めに抜いていたのに。
とはいえ、一本、見落としたのも面白いから。
花が咲いたら直ぐに抜けばいいし、そうすれば増えはしないから。
たまには花を見てみたくなった、逞しすぎる雑草の花を。
花の名前はヒメジョオン。
遥かな遠い昔の地球では、この辺りに日本があった頃には帰化植物。
一度は滅びた地球が蘇った時、そのまま戻さず放っておいても良かったろうに。
あまりにも日本に馴染んでいたのか、クローバーなどと一緒に戻った。
元は無かった植物だけれど、日本にはこれが必要だろうと。
そんな由来も知っているから、なおのこと。
ヒメジョオンの白い花を見ようと、花が咲いたら直ぐに抜こうと残した一本。
これが驚くほどに早く伸びる、見ていない間にニョキッと伸びるかと思うほどに。
ちょっと目を離したらニョキニョキニョキと伸びているのではなかろうか、と。
抜き損なったと気付いた時には、まだまだ小さかったのに。
二十センチも無かったと思う、独特の姿で「生えて来たか」と分かっただけで。
仕事から帰ったら抜きに行かねばと思った程度の姿だった草。
ところがウッカリ抜き忘れたから。
その日も次の日もすっかり忘れてしまっていたから、その間に伸びた。
ダイニングの窓からよく見える場所、其処の芝生でグングンと。
上手い具合に庭木の緑に紛れて、いないふりをしていたヒメジョオン。
四十センチくらいになってしまっていた、もう一度「あれだ」と気付いた時は。
流石に抜かねばと朝食を終えるなり出て行ったけれど、側に立ったら考え直した。
せっかく此処まで伸びたのだし、と。
もう少しだけ置いてやろうと、白い小さな花が咲くまで、と。
どうして花に同情したのか、それも迷惑な雑草に。
大して美しい花でもなければ、可憐とも言えない逞しい草に。
(気まぐれなんだと思っていたが…)
たまには花を見るのもいいし、と起こした気まぐれ、伸びる夏草。
下手に育てば一メートルを越えることもあるヒメジョオン。
何処の庭でも直ぐに抜かれる、「増える前に」と。
現に自分も他の株は抜いて捨てたのに。
生えて来て直ぐの姿を見付けて、「これは駄目だ」と抜き去ったのに。
何故だか残ってしまった一株、残しておこうと思った一株。
それがまた伸びた、昨日よりも。
昨日ではなくて一昨日かもしれないけれど。
「今日はこれだけ」と記録しているわけではないから、特に気をつけてもいないから。
それでも確かに伸びた草丈、この前にそれを見た時よりも。
グンと大きくなった草丈、きっと蕾もついたろう。
遠目でも分かる、少し頭を垂れた姿で。
シャンと伸びたら花が咲くのだと、迷惑な種を落とす花が、と。
見る度に伸びるヒメジョオン。
夏の暑さを物ともしないで、我が世の春だと言わんばかりに。
今は春ではないけれど。草木もうだる夏なのだけれど。
なのに負けずに伸びる夏草、逞しく生きるヒメジョオン。
何処まで伸びるか、花を咲かせて「もう抜かんとな」と引っこ抜かれる前に。
白く小さな花を見た後、根元から抜いて駆除するまでに。
(ある意味、俺との勝負だな)
抜かれる前に何処まで伸びるか、どれだけの背丈を誇れるか。
ヒメジョオンの中でも立派な部類になるまで育つか、そこそこまでか。
花が咲いたらゲームオーバー、庭の持ち主に頃合いを見て抜かれてしまう。
もうここまでだと、充分に楽しく伸びただろうが、と。
(はてさて、何処まで伸びるやらなあ…)
何処まで頑張るつもりなんだか、と考えた所で思わずプッと吹き出した。
伸びるどころか、ちっとも背丈が伸びないブルー。
再会した日と少しも変わらず、百五十センチしかないままのブルー。
夏は草木が一番育つ時期なのに。
それと同じに子供も育って、夏休みの前と後とでまるで背丈が違う子供もいるというのに。
再会した日が五月三日で、あの頃は春。
直ぐに迎えた初夏から夏へと移り変わる時期、ブルーは育ちもしなかった。
ただの一ミリも、ほんの一ミリだけさえも。
出会った頃と全く同じに百五十センチ、そこから全く育たないブルー。
夏休みが近付く頃になっても、夏休みに入った今になっても。
(あいつ、ヒメジョオンにも負けてやがるな)
小さなブルーに出会った頃には、まだ種だったろうヒメジョオンに。
芝生の下で深く眠って、目を覚ましてもいなかった草に。
それがニョキリと顔を覗かせ、運良く草むしりの手から逃れて生育中。
何処まで伸びるか、花が咲いたら抜こうとしている自分と勝負の真っ最中。
また伸びていると、まだ伸びるのかと、今朝のように溜息をつかれたりもして。
さっさと抜いてしまいたいんだがと、所詮は雑草なのだからと。
その雑草がグングンと伸びる、小さなブルーが見たら「酷い!」と怒り出しそうなほどに。
あれは伸びるのに、ぼくの背丈は伸びないと。
雑草なんかに負けるだなんてと、ぼくは大きくなりたいのにと。
(ふうむ…)
気まぐれで残したヒメジョオン。
どうせ一本だけなのだからと、たまには花を見てみるのもいいと残したけれど。
今にして思えば、無意識の内に…。
(あいつと比べていたのかもな?)
まるで伸びないチビのブルーと、背丈が少しも伸びないブルーと。
小さなブルーは愛らしいから、急がずゆっくり育って欲しいと思うから。
見る度に草丈が伸びてしまっているヒメジョオンのように急がずともいいと思うから。
ブルーの代わりにヒメジョオンを見て、そして楽しんでいたろうか?
あんなに逞しくなることはないと、ゆっくり、のんびり育って欲しいと。
グングン伸びるのはアレに任せて、ブルーはゆっくり育てばいいと。
(…案外、そうだったのかもなあ…)
小さな花だけを見れば菊にも似ているけれども、花壇には無いヒメジョオン。
ふてぶてしいと思えてしまうほどの草丈、それと姿が邪魔をして。
何処から見たって立派な雑草、花壇の花にはなれないから。
ブルーが早く育ってしまって、愛らしいチビの姿を失うよりかは、もっとゆっくり。
今の小さなブルーの姿を眺めていたいと、早く育つのは雑草に任せてしまおうと。
昨日よりも今日、今日よりも明日と伸びてゆくのがヒメジョオン。
小さなブルーは育たないのに、面白いほどにニョキニョキと。
目を離したら伸びているかと思うくらいに、夏の暑さを物ともせずに。
(うん、大急ぎでデカくなるのはだな…)
ヒメジョオンだけで充分だと思う、もうここまでだという限界まで急いでグングン伸びるのは。
昨日よりも今日、今日よりも明日と成長し切った姿になるまで急ぐのは。
(よく伸びるんだが…)
本当に逞しく伸びるんだが、とヒメジョオンを見て苦笑する。
小さなブルーは「ぼくもあんな速さで育ちたいよ!」と言いそうだけれど、ゆっくりがいい。
急いでぐんぐん伸びなくてもいい、今の小さなブルーの背丈は。
前のブルーが失くしてしまった子供時代の幸せの分まで、幸せに生きて欲しいから。
子供だからこそ味わえる幸せ、それを満喫して欲しいから。
急いで伸びるのは任せておきたい、あのヒメジョオンに。
もうすぐ「花が咲いちまったしな?」と抜かれるのだろう、庭の逞しい雑草に…。
よく伸びるんだが・了
※子供がぐんぐん育つ夏にも、背が伸びないのがブルー君。庭の雑草に負けてます。
でも、その姿が愛おしいのがハーレイ先生、チビでも愛されているのですv
(朝なんだけどな…)
とっくに夜は明けているのに、とブルーがついた小さな溜息。
休日の朝に。
学校が休みの、晴れた日の朝に。
ベッドで目覚めて直ぐに分かった、いい天気だと。
カーテンの隙間から射している陽で、朝の光でよく晴れていると。
けれど、鳴ってはいなかった時計。
休日でもかける目覚まし時計。
寝過ごしたろうか、と手に取ってみれば、時間はいつもよりずっと早くて。
これでは起きて行ったところで、持て余すに違いない時間。
母はとうに起きてキッチンにいるだろうけれど。
もしかしたら父も、ダイニングでコーヒーを飲んでいるかもしれないけれど。
(でも、起きてったら…)
きっと悲劇になるだろう朝。
丁度いいからと普段の休日よりも早い朝食、「もっと沢山食べなさい」と言われるに違いない。
せっかく早く起きたのだからと、時間をかけてしっかり食べろと。
母はオムレツの卵を増やしてしまうかもしれない、「残してもいいから」と。
父も「これくらいは食べておかんとな?」と寄越すかもしれない、自分のお皿のソーセージを。
朝からそんなに食べられないのに。
朝でなくても、自分は沢山食べることなど出来ないのに。
そうなることが分かっているから、ここは居留守を決め込んだ。
居留守と言おうか、狸寝入りと言うべきか。
とっくに目は覚めているのだけれども、目などは覚めていないふり。
まだ寝ているのだと、起きていないと、ベッドからは出ずに知らんぷり。
運が良ければまた眠くなると、目覚ましが鳴るまで眠れるだろうと。
コロンと丸くなって、枕に埋めてしまった顔。
カーテンから射す陽が見えないように。
周りから朝を追い払うように。
なのに、ちっとも訪れない眠気。
眠気どころか冴え返る意識、休日なのだと思ったら。
今日は休みでよく晴れている、と思ったら。
(ハーレイ、今日は歩いて来るよ)
まだ来ないけど、と高鳴る胸。
きっと訪ねて来る筈の恋人、前の生から愛したハーレイ。
そのハーレイがやって来るのが休日だから。
午前中から家に来てくれて、夕食まで一緒に過ごせる日だから。
晴れた日には歩いて来るハーレイ。
何ブロックも離れた所に住んでいるのに、そんな距離など物ともせずに。
「俺には大した距離じゃないしな?」とパチンと片目を瞑るハーレイ。
このくらいの距離はなんでもないと。
走ってだって来られるくらいで、ジョギングだったらもっと長い距離を走っていると。
残念なことに、この家はハーレイのジョギングコースではないけれど。
いくら家の表で立っていたって、ハーレイが走っては来ないのだけれど。
(ハーレイ、今頃、走ってるのかな?)
それともジムに出掛けただろうか、朝早くから開いていると前に聞いたから。
もしかしたら泳いでいるかもしれない、ジョギングではなくて。
ハーレイの好きな水の世界で、プールを何往復もして。
(そうなのかも…)
自分は狸寝入りで居留守の最中だけれど、ハーレイの方は有意義に。
ジョギングか、プールで泳いでいるか。
そんな具合で休日の朝を、早い時間からうんと有意義に。
それを思うと情けない自分、朝食が多いと困ってしまうと居留守の自分。
オムレツの卵が増えたら嫌だと、狸寝入りで。
父がソーセージを寄越したら困ると、ベッドで居留守で。
(…有意義の逆…)
なんと言ったろうか、そういう言葉。
有意義という言葉の反対語。
俄かには思い出せないけれども、きっと酷いに違いない。
怠け者だとか、サボっているとか、そんな言葉がぐるぐると回る、頭の中を。
(居留守で、狸寝入りをしてて…)
おまけにサボリで、怠け者。
朝早くから目が覚めているのに、起きもしないで寝ている自分。
目覚ましはまだ鳴っていないんだからと、早く起きたら悲劇だからと。
「沢山食べなさい」と言われてしまって、困るのが目に見えているから。
こんなに早く起きて行っても、ろくなことにはならないのだから。
(ハーレイだって、まだ来ないんだし…)
まだまだ訪ねて来ない恋人、早い時間には決して来ない。
朝食が済んで一段落して、来客があってもかまわない時間になるまでは。
非常識だと言われない時間、そういう時間が来るまでは。
だからハーレイが早く起きたら、その時間を時計が指すまでは。
この家に来てもかまわない時間に此処へ着くよう、家を出る時間が来るまでは…。
(…きっと有意義…)
ジョギングするとか、ジムに行くとか。
そうでなくても書斎でゆっくり読書してから、のんびり支度をするだとか。
居留守のハーレイは思い浮かばない、狸寝入りのハーレイも。
一人暮らしでは居留守も狸寝入りも要らないけれども、怠惰に過ごすハーレイなどは…。
(…有り得ないよね?)
前の生からそうだった。
ハーレイは白いシャングリラのキャプテンだったし、時間を無駄にはしなかった。
もちろん休憩時間はあったし、無駄話だってしていたけれど。
仕事の合間に青の間に来て、お茶を飲んでいたこともあったけれども、怠惰ではなくて。
今の自分がやっているように、居留守だの狸寝入りだのは…。
(…きっと一度も…)
していない筈で、やっていない筈。
早い時間に目覚めたというのに、時間を無駄に費やすなどは。
何もしないで居留守を使って、狸寝入りを決め込むなどは。
そう考えたら情けないとしか言えない状況、今の自分は。
たかが朝食、それが困ると狸寝入りで居留守の自分。
(でも、朝御飯…)
多すぎると困ってしまうというのは本当だから。
母がオムレツの卵を増やしてくれたら残してしまうに決まっているし…。
(パパのお皿のソーセージだって…)
ほら、と寄越されたら、もう食べるしかないのだから。
お腹一杯になってしまっても、詰め込むしかないソーセージ。
なんとも迷惑で困る朝食、早く起きたらそうなるのが分かっている朝食。
やっぱり狸寝入りに限ると、居留守にしようと目を瞑るけれど。
朝日に背中を向けるけれども、有意義だろうハーレイの朝。
自分と違ってジョギングやジムで、朝から活動的なハーレイ。
居留守なんかは使っていなくて、狸寝入りもしてはいなくて、有意義に。
町を颯爽と走ってゆくとか、プールで泳いでいるだとか。
此処で寝ている自分と違って、狸寝入りの自分と違って。
(…うんと有意義…)
考えるほどに情けないから、情けない気持ちになってくるから。
なんて自分は子供なのだろうと、これだから「チビ」と言われるのだとも思うから。
(ハーレイ、まだまだ来ないけど…)
まだ来ないけれど、このまま狸寝入りを続けるよりは。
情けない気持ちで居留守よりかは、起きた方がまだ有意義だろうか?
多めの朝食が待っていようと、食べ切れないと困る運命が待っていようと。
(…ただの朝御飯…)
それを「運命」などと呼んだら、「運命」に笑われてしまうかもしれない。
前のお前の運命というヤツはどうだったのだと、メギドも運命の内なのだが、と。
あまりにも辛くて悲しかった最期、あれこそが運命の最たるものだと思うから。
メギドの前には、朝御飯など吹けば飛ぶようなものだから。
(…やっぱり、頑張って…)
起きるべきだろう、狸寝入りをしていないで。
居留守を使って逃げていないで、真正面から立ち向かうべき朝御飯。
ハーレイが来るには早すぎるけれど、もう目が覚めてしまったのだから。
怠惰は駄目だと、朝は有意義にと、決意を固めて起きたけれども。
ベッドから下りてパジャマも着替えて、顔も洗って戦いの場へと向かったけれど。
「おはよう!」と入ったダイニングに漂う朝食の匂い、笑顔の両親。
母は「あら、早いのね」とオムレツの卵を増やしてくれた。
「ハーレイ先生がいらっしゃるんだし、朝はしっかり食べなさいね」と。
それだけでもすっかり困り顔なのに、父だって。
「パパのも分けてやるとするかな、美味いぞ、今日のソーセージ」
マスタードも少しつけてみるか、と寄越されてしまったソーセージ。
やはりダイニングは胃袋にとっては立派な戦場、勝てるわけなどなかったから。
(ハーレイのせいだよ…!)
まだ来ないけど、と部屋の窓から庭の向こうの通りを睨んだ、恋人のせいだと。
お腹一杯でもう死にそうだと、朝からとんでもない目に遭ったと。
けれど、そう言ったら「俺と一緒に軽く走るか?」と返しそうなのがハーレイだから。
「腹一杯なら、運動がいいぞ」と言われそうだから、文句は言わない方がいい。
生垣の向こう、恋人の姿はまだ無いけれど。
まだ歩いては来ないけれども、ハーレイならきっと、今朝の出来事を笑うだろうから…。
まだ来ないけど・了
※ハーレイ先生が来る日なんだ、と思ったら二度寝が出来なくなったブルー君。
起きたばかりに悲惨な目に遭ったようですけれども、それも幸せな光景ですよねv