(んー…)
この窓からはちょっと無理、とブルーが見上げた夜の空。
ハーレイが「またな」と帰って行った後、名残惜しげに外を眺めた後で。
夏休みだから、ハーレイは明日も来てくれるけれど。
それは充分に分かるけれども、やはり「またな」と言われると辛い。
ハーレイと一緒に帰りたくなる、自分の家は此処なのに。
まだハーレイとは暮らせないのに、「ぼくも一緒に帰りたかった」と。
だからハーレイを家の表で見送った後は、部屋の窓から外を見る。
「またな」と手を振りながら歩いて帰って行った恋人、その姿が消えた方角を。
ハーレイの家はあっちの方だ、と何ブロックも離れた方を。
いくら見詰めても、連れて帰っては貰えないのに。
ハーレイが戻ってくる筈もなくて、今夜はこれでお別れなのに。
じいっと暗い外を眺めて、溜息をついて。
もう遅いから、と閉めようとした窓、その向こうに瞬く星に気付いた。
黒々と茂る庭の木々の上に、住宅街の屋根の上の空に。
星が見える、と思った途端に探したくなった二つの星。
アルタイルとベガ、彦星と織姫。
天の川を隔てて向き合う星たち、恋人同士だと伝わる星。
ハーレイの古典の授業で習った催涙雨。
七夕の夜に雨が降ったら、天の川が溢れて恋人たちは会えなくなる。
カササギが翼を並べて架けるという橋、それが架かってくれないから。
一年に一度しか会えない二人が涙を流すことになるのが、七夕の夜に降る雨、催涙雨。
もしも自分とハーレイが天の川で隔てられたなら。
ハーレイは「泳いで渡るさ」と言った、カササギの橋が架からなければ。
広い天の川を泳ぎ渡って、会いに行くからと笑った恋人。
きっとハーレイなら泳ぐだろうから、水泳が得意だと聞いているから。
七夕の夜に雨が降っても、天の川が溢れてしまったとしても、今の自分は泣かなくていい。
前の自分が生の終わりに泣きじゃくったように、悲しい涙を流さなくていい。
もうハーレイには会えないのだと、絆が切れてしまったからと泣きながら死んだ、前の自分は。
右の手に持っていたハーレイの温もり、それを失くして。
最後まで抱いていようと思った恋人の温もり、それを失くして凍えた右手。
あの涙はもう流さなくていい、ハーレイとの絆は切れないのだから。
たとえ天の川を泳ぎ渡ってでも、ハーレイが会いに来てくれるのだから。
今度は切れない、ハーレイとの絆。
二人で生まれ変わって来た地球、その上で生きてゆくことが出来る。
前の自分たちの約束の場所で、白いシャングリラで目指した星で。
ハーレイが泳いで渡ると約束してくれた天の川。
あれほどに広い川があっても、天を流れる川があっても、切れない絆。
それを見たいと、恋人同士の二つの星と天の川を、と窓から見上げてみたけれど。
少し角度が悪かった。
そうでなくてもアルタイルとベガ、それに白鳥座のデネブ。
三つの星が作る夏の大三角形、天頂に近い星座たち。
窓から見るには乗り出すしかない、頭の真上を見たいのならば。
(…落っこちたら、馬鹿…)
窓辺に腰掛けて上半身を外に出そうかと思ったけれども、落ちそうな自分。
バランスを崩して、アッと言う間に。
夢中で星を見上げる間に、窓の外へと真っ逆様に。
前の自分の頃と違って、今はサイオンが不器用だから。
空を飛ぶどころか、ろくに浮けない有様だから。
窓から落ちたら怪我をするだけ、庭まで落ちて何処かを打つだけ。
上手い具合に屋根の端っこに引っ掛かっても、自分で上がって来られない。
大声で叫んで父と母とを呼ぶ羽目になって、赤っ恥な上に叱られるオチ。
仕方ないから、アルタイルとベガは諦めた。
一階に下りて庭に出たなら、ちゃんと夜空にあるだろうけれど。
デネブもセットの夏の大三角形、それが見付かるだろうけれども、どうせ見えない天の川。
住宅街の庭では見えない、天の川は。
もっと光が少ない所へ行かない限りは、ほのかに輝く星の川は。
(ハーレイが泳いでくれる天の川は見えないんだし…)
今夜の所は別にいいか、と元の通りに閉めかかった窓。
閉めてカーテンを引こうとした窓。
アルタイルもベガも此処からは無理、と。
けれど…。
(…星だよね?)
星の海だ、と気が付いた。
太陽が輝く昼の間は、青い空が邪魔をするけれど。
星は一つも見えないけれども、今は何処までも見渡せる空。
空の向こうは宇宙に続いて、其処に輝く幾つもの星。
怖いくらいに澄んでいる夜空、遥か彼方まで広がり散らばる星たちの海。
銀河系を抜けてその向こうまでも、長い長いワープを繰り返してようやく着ける星までも。
そう、この空には果てが無い。
前の自分が旅を続けた、暗い宇宙の海と同じに。
白いシャングリラで地球を目指した、あの星たちの海と同じに。
そう思ったら、まるで夜空に吸い込まれるよう。
前の自分が自由自在に飛んでいた宇宙、生身で駆けていた宇宙。
何処までも飛翔することが出来た、サイオンの青い光を纏って星々の中を。
メギドへと飛んだ最後の旅路は悲しかったけれど、辛かったけれど。
二度と戻れない白いシャングリラ、戻れないハーレイの腕の中。
ともすれば止まりそうになる自分を叱って、ミュウの未来を思って飛んだ。
今はこれしか無いのだからと。
自分が行かねば白い鯨は沈んでしまって、ミュウの未来も消えるのだからと。
けれども、それよりも前の自分は何度宇宙を駆けただろう。
皆のためにと物資を奪いに飛んで行ったり、シャングリラを外から眺めてみたり。
暗い宇宙は馴染んだ世界で、星たちの中を飛んでいた。
白い鯨がそうだったように、前の自分も星の海の中を。
流石に地球へは飛べなかったけれど、瞬かない星が散らばる宇宙を。
(うん、あの星たちは輝いてただけ…)
大気の無い真空の宇宙空間、其処では星は瞬かないから。
今の自分が眺める星たち、窓の向こうの星たちのように瞬いたりはしないから。
チラチラと瞬く幾つもの星、遠く宇宙まで見渡せる夜空。
その中の何処にアルテメシアがあると言うのか、赤いナスカがあったと言うのか。
どちらも地球からは遠く離れて、見えはしないと授業で習った。
長く潜んだ雲海の星を擁したクリサリス星系、そこに至るまでは遥かに遠い。
赤いナスカがあった恒星、ジルベスター星系の二つの太陽も遠い。
この窓からは見えはしなくて、探すだけ無駄で。
それは分かっているのだけれども…。
(…あの空をぼくが旅してた…)
前の自分が、白い鯨で。
前のハーレイが舵を握っていた船、白いシャングリラで旅をしていた。
いつかは地球へ辿り着こうと、ハーレイと何度も夢を語り合って。
青く輝く星に着いたら、母なる地球に降りられたなら。
あれをしようと、これもしようと、幾つもの夢が、望みがあった。
ハーレイと一緒に青い地球へと、いつか必ず辿り着こうと。
けれど、夢へと旅立つより前。
青い地球へと船出する前に、前の自分の寿命は尽きた。
雲海の星に潜む間に、地球の座標さえ手にしない内に。
もう進めないと、地球への旅は出来はしないと、何度も何度も流した涙。
自分の代では行けはしないと、地球へ行くのは次の世代だと。
そうして迎えたジョミーのお蔭で、思いがけなくも永らえた命。
アルテメシアからは外に出られた、赤いナスカで終わったけれど。
地球の座標も分からない内にメギドを沈めて死んだけれども、雲海の星から宇宙には出た。
力尽きて深い眠りに就いたままでも、地球を探しにゆく船で。
広い宇宙を、幾つもの星を巡り続けながら、地球を求めるシャングリラで。
アルタイルとベガ、其処へも行ったとハーレイに聞いた。
キャプテン・ハーレイではない今のハーレイ、生まれ変わって来たハーレイに。
前の自分を乗せていた船は、彦星と織姫の周りをも飛んだ。
其処から何処をどう巡ったのか、シャングリラの旅路は知らないけれど。
(…あの空を旅して…)
前の自分は地球を目指した、深い眠りに就いたままでも。
方角も座標も定まらない旅路、それでも地球を探して飛んでゆく船に乗っていた。
前のハーレイが舵を握って、ジョミーが守っていただろう船に。
辿り着くことは無かったけれども、ナスカで降りてしまったけれども、地球へ向かう船に。
白いシャングリラで探し続けて、彷徨い続けて、着けなかった地球。
前の自分がいなくなった後、シャングリラは地球に着いたけれども。
青い水の星は無かったという、赤い死の星があっただけ。
なのに、自分は地球にいる。
遠い遠い昔にあの空を旅して、辿り着けずに終わった星に。
蘇った青い水の星の上に。
(…これって、奇跡…)
聖痕も奇跡だと思うけれども、ハーレイと二人、生まれ変わって辿り着けた地球。
それが最高の奇跡だと思う、前の自分が旅をした空を見ている今が。
あの空を旅して地球を目指したと、部屋の窓から夜空を見上げて遠い星の海を思い出す今が…。
あの空を旅して・了
※ブルー君が見上げて、気付いた夜空。前の自分が旅した空だと、暗い宇宙を旅していたと。
旅しても辿り着けなかった地球。其処から夜空を見上げられる今は幸せですよねv
(アルタイルか…)
それにベガか、とハーレイが見上げた夜空の星。
ブルーの家から帰る途中に仰いだ頭上。そこに輝く夏の星座たち。
彦星に織姫、それだと授業で教えた二つの星。
アルタイルとベガ。
七夕の星たち、恋人同士の二つの星たち。
今夜は綺麗に晴れているから、天の川まで見えそうな気がする。
小さなブルーに「俺は泳いででも渡ってやるぞ」と約束してやった天の川。
もしも、天の川にブルーとの間を引き裂かれたら。
年に一度しか会えなくなったら、七夕の夜には泳いで渡る。
カササギの橋が架からなかったら、雨が降って天の川が溢れたならば。
(あいつ、俺が橋を踏み抜くとか言いやがって…)
体重のせいで抜けそうだとブルーが笑ったカササギの橋。
確かに自分の体重だったら、カササギが翼を並べた橋は壊れてしまうかもしれないけれど。
なんとも愉快な話ではある、体重で抜けるカササギの橋。
そうなった時も泳ぐしかない、天の川が溢れた時と同じに。
向こう岸で待つブルーの許まで、全力で泳いで渡るしかない。
(宇宙空間なんだがなあ…)
しかもとてつもない距離なんだが、と苦笑しながら夜道を歩いて。
夏休みに入ってから何度も眺めた夜空を仰いで、のんびりと目指す自分の家。
明日も休みで、ブルーの家を訪ねるだけだから。
急ぎの用も何も無いから、「夏の大三角形だよな」などと考えながら。
門灯が灯った家に帰って、生垣に囲まれた庭に入って。
また改めて見上げてみた空、アルタイルにベガ、それからデネブ。
流石に街の中からは見えない天の川。
(あの辺りにある筈なんだがなあ…)
海辺で、郊外で、何度も目にした天の川。
それは美しい星で出来た川、星だと知らねば空を流れる光の川。
輝き煌めく光ではなくて、ほのかに淡く空をゆく川、夜空を流れる神秘の川。
遠い遥かな昔の人には本物の川に見えただろう。
だから呼ばれた、「天の川」と。
彦星と織姫の話も生まれた、夜の空に住む恋人たちの物語。
此処からは見えない天の川。
もう少し暗くなくてはいけない、あの星の川が見たければ。
とはいえ、他の星たちの輝きは充分に見える、この庭からも。
(うん、星は沢山見えるんだ)
SD体制が始まるよりも昔、地球が滅びに向かっていた頃。
人間が作り出す人工の明かりが眩しすぎたから、星たちは消えていったという。
夜の空から一つ、二つと、暗い星から姿を消して。
空を仰いでも星は全く見えなかった地球、地上に立ち並ぶ高層ビル群。
そうして地球は滅びてしまった、人に窒息させられて。
生き物の棲めない死の星になって。
その反省が今もあるから、蘇った地球を二度と滅ぼしてはならないから。
昔と違って見える星たち、天の川までは流石に無理でも。
明るすぎない今の地球の夜空、星は幾つも瞬くもの。
住宅街の中にある家の庭から空を仰いでも、鮮やかに浮かぶ星座たち。
アルタイルの鷲座、ベガがある琴座。
白鳥の姿の中に輝くデネブ、嘴の先にはアルビレオ。
天の川が無くとも夜空には星、それを見上げて頬が緩んだ。
なんと綺麗な星たちだろうかと、流石は地球だと、母なる星だと。
かつて目指した約束の場所。
白いシャングリラで行こうとした地球、前のブルーと暮らした船で。
前の自分が舵を握って、ブルーが守った白い船。
いつかは地球へと夢を見ていた、ブルーと一緒に辿り着こうと。
(なのに、あいつは…)
ブルーは地球まで行けはしなくて、暗い宇宙に散ってしまって。
前の自分は独り残された、巨大な白いシャングリラに。
それでもブルーに頼まれたから。
ジョミーを支えてくれとブルーが言い残したから、ただひたすらに地球を目指した。
其処へ着いたら全て終わると、自分の役目も終わるのだからと。
(…本当に終わっちまったが…)
文字通りに終わった前の自分の長い生。
ブルーを失くした悲しみの中で孤独に生きた生は終わった、地球の地の底で。
これでブルーの許へゆけると、自分は死ぬのだと笑みさえ浮かべて。
地球はそういう星だったから。
前の自分が目にした死の星、赤かった地球はさほど記憶に残ってはいない。
赤く濁った毒の大気に覆われていた地球、前の自分が降りた地球。
ユグドラシルで一夜を過ごしたけれども、生憎と夜空は記憶に無い。
真円の月は辛うじて覚えてはいても、他の星たちは。
月の光で見えなかったか、濁った大気が邪魔をしていたか。
それとも目には入らなかったか、それさえも自分は覚えてはいない。
死に絶えた地球に出会った衝撃、ブルーの夢が砕けた瞬間。
そこから後は、景色などを見る心の余裕を失くしていたから。
(しかし、ああいう星ではなあ…)
夜空を見たとて、何の感慨も無かっただろう。
他の星の方がよほどマシだと、アルテメシアやノアの方が、と溜息をついたことだろう。
こんな醜い空は要らないと、もっと美しい夜空でないと、と。
銀河の海に浮かぶ一粒の真珠、青く輝く母なる星。
青い水の星は何処へ行ったかと、こんな星など誰も求めていないのに、と。
けれども、今では蘇った地球。
其処へ自分は還って来た。
ブルーと二人で生まれ変わって、新しい身体と命を貰って。
こうして夜空も見上げていられる、幾つもの星が瞬く空を。
天の川は無くても、アルタイルにベガ、それにデネブも、アルビレオも。
もう最高に素晴らしい人生、ブルーと二人で辿り着いた地球。
夢のようだと、此処からは見えない天の川だって泳ぎ渡れると高揚する気持ち。
ブルーのためなら泳ぎ渡るし、そうでなくては始まらない。
今度こそ共に生きるのだから。
ブルーと二人で、この地球の上で。
幾つもの星が夜空にある星、青く蘇った母なる星。
其処でブルーと生きてゆく。
誰にも恋を隠すことなく、いつか結婚して、同じ家で暮らして。
(天の川だって見に行かなきゃな)
何処で見るかな、とドライブの行き先を思案していて。
郊外もいいし、海辺で眺める雄大な天の川もいいし、と考えていて。
(…待てよ?)
あの空だった、と仰いだ夜空。
アルタイルにベガ、彦星と織姫、今の自分が七夕の授業で教えている星。
(…俺はあそこを旅していたんだ…)
前のブルーを乗せていた船で。
アルテメシアを追われて彷徨った宇宙、地球を探して巡った星たち。
深い眠りに就いたブルーを乗せていた船で、白いシャングリラで。
座標も掴めない地球を求めて、端から巡った恒星系。
アルタイルもベガも訪ねたのだった、もしかしたら地球がありはしないかと。
この星系が地球を抱いてはいないかと、ソル太陽系ではないのだろうかと。
幾つも幾つも巡った星たち、その内の幾つがこの星空にあるのだろう。
前の自分が旅した宇宙は、どれほどの範囲になるのだろう。
(…まるで見当もつかんな、これでは)
アルタイルとベガは分かるけれども、それよりも遠い星たちは。
此処からは見えないジルベスター星系、赤いナスカがあった星系。
天の川を渡るどころではない距離を自分は旅した、あのシャングリラで。
ブルーの命が続く間に着ければいいがと、舵を握って。
けれども、着けなかった地球。
前のブルーの命ある間に、探し出せずに終わった星。
やっと見付けても赤い死の星、旅の終わりでしかなかった地球。
其処へ自分はまた還って来た、ブルーと共に。
生まれ変わった小さなブルーと地球で出会った、前の自分たちの夢だった星で。
あれほど長い旅をしたのに、探し出せなかった青い地球の上で。
前の自分たちが生きた頃には、何処にも無かった青い地球の上で。
(…そうか、あそこを旅していたのか…)
あの空を俺は旅したのか、と星を数える、一つ、二つと。
アルタイルにベガ、あちらの星にも行っただろうかと。
地球から見上げてみても分からない、前の自分が辿った旅路。
旅をした宇宙。
途方もない距離を旅したのだと驚くしかない、今の地球の夜空。
それだけの旅をしたというのに、挙句に死の星だった地球しか無かったのに。
(いったい、何がどうなったんだか…)
自分はストンと地球に着いていた、ブルーと一緒に。
まるで奇跡だ、と空を見上げる、これが本当の奇跡だろうと。
地球の地の底で死んだというだけ、なのにストンと辿り着いた地球。
なんとも不思議な話だよな、と家の庭から仰いだ夜空。
あの空を旅した、遠い遥かな時の彼方で。
前のブルーを乗せていた船で、地球へ行こうと、白いシャングリラで。
夢だった地球に、自分はいる。
あの空を旅したと星を見上げて、前のブルーと二人で夢見た青い地球の上に…。
あの空を旅した・了
※キャプテン・ハーレイが旅をした宇宙。それを地球から見上げられる不思議、今の人生。
あそこを旅した、と眺めるハーレイ先生、今では地球の住人なのですv
(いいお天気…)
今日も青空、とブルーが眺めた窓の外。
夏休みの朝、目が覚めて一番に自分の部屋のカーテンを開けて。
目覚ましが鳴るよりも前に起きたら射し込んでいた朝日。
カーテンが少し開いていたのか、その隙間から。
もうそれだけで晴れているのだと分かったけれども、確かめずにはいられない。
雲一つ無い夏の青空を、まだ暑さよりも爽やかさが勝る朝の景色を。
暑い季節は苦手だけれども、この時間なら涼しい風も吹いてゆくから。
夜の間に降りた夜露や、冷えた地面が空気を冷やしてくれているから。
(うん、涼しい…!)
自然のクーラー、と窓も大きく開け放ってみた。
サアッと吹き込んで来た清々しい風を、胸一杯に吸い込んで。
せっかくだからと深呼吸もして、身体中の細胞が目覚めた気分。
パジャマ姿で顔も洗っていないけれども、誰も気にしていないだろうから。
二階の窓からパジャマの子供が外をしげしげ眺めていようが、伸びをしようが。
子供でなくても、庭と生垣を隔てた向こうを通る人は気にも留めないだろうから。
気持ちいい、と大きく吸い込んだ空気、肌に心地良い朝の風。
昼の間はジリジリと暑い夏の太陽も、今の時間は強く眩く輝くだけ。
もっともっと高く昇っていったら、酷い暑さになるけれど。
生まれつき身体の弱い自分は、とても仲良く出来ないけれど。
(朝の間は大丈夫…)
ハーレイと夜明けを眺めた日だって、朝の食事は庭だった。
庭で一番大きな木の下、お気に入りの白いテーブルと椅子で二人で朝食。
涼しい朝だったから全く平気で、むしろ気持ちが良かったくらい。
ダイニングで食べる、いつもの朝食よりも。
父や母と囲む朝の食卓よりも。
(ハーレイがいたっていうのもあるけど…)
前の生から愛した恋人、生まれ変わって再び出会えた大切な恋人。
そのハーレイと二人きりの朝食、それは特別だった朝食。
暗い内から日の出を待って、白いシャングリラでは見られなかった光景に二人で酔って。
それから食べた朝食だったし、余計に素晴らしかったのだろう。
朝の空気の清々しさも、お気に入りの木陰のテーブルと椅子も、何もかも。
忘れられない夏休みの思い出、その中の一つ。大切な一つ。
夏休みはまだまだ続いてゆくから、思い出はもっと増えてゆくけれど。
幾つも、幾つも、きっと沢山。
こうして眺める窓の外。
朝食を食べに下りてゆくにはまだ早い時間、風を涼しく感じる時間。
いい天気だから、ハーレイは今日も歩いてやって来るだろう。
何ブロックも離れた所に住んでいるのに、そんな距離など物ともせずに。
高く昇ってゆく夏の太陽、照り付ける日射しも気にもしないで。
けれど、それには早すぎる時間。
早起きだと聞くハーレイはとうに起きてはいるだろうけれど…。
(非常識だ、って言うんだよ)
あまりにも早い時間に訪ねて来ることは。
自分はちっともかまわないのに、両親だって気にしないのに。
教師というハーレイの仕事柄なのか、前と同じに律儀な性格のせいなのか。
「夏の夜明けは早いんだぞ?」と言っていたから、早い時間に起きていることは確実で。
それなのに早くは来ないハーレイ、朝食を食べに来てはくれない。
その気になったら来られるだろうに、充分に間に合うのだろうに。
だから、こうして窓から外を覗いていたって…。
(ハーレイは歩いて来ないんだよ)
来るならあっち、とその方向を向いたって。
じいっと通りを眺めていたって、見慣れた姿は現れない。
この時間には来る筈もなくて、家でのんびり朝食なのか、ジムへひと泳ぎしに出掛けたか。
はたまた軽くジョギングだろうか、この家の辺りはコースに入らないらしいけれども。
(もうちょっと待てば、来るんだろうけど…)
朝食を済ませて待っていれば。
もちろん顔をきちんと洗って、パジャマも着替えて、それから食事。
部屋の掃除もすっかりと終えて、椅子にチョコンと座っていたなら来るだろう待ち人。
勉強机の前に座って本を読んでいる日も多いけれども、窓から見ていることもある。
もう来るだろうかと、そろそろだろうかと、いつもハーレイと座る窓辺の椅子で。
自分の指定席になった方の椅子で、まだか、まだかと窓の外を見て。
けれども、それにはまだ早い時間。
待っていたってハーレイは来ない、朝早くには。
でも…。
(あっちの方から来るんだよね)
いつも、と椅子に腰掛けた。窓辺の椅子に。
前のハーレイのマントの色を淡くしたような苔色の座面、背もたれに籐が張ってある椅子に。
普段はパジャマで座らない椅子、よそゆきの椅子。
自分の部屋の椅子なのだから、よそゆきも何も無いけれど。
どんな格好でいてもいいのだけれども、何故だか「よそゆき」な気がする椅子。
たまには座りたい気分になるし、とパジャマで座って、外を眺めて。
待っていたって来ない恋人、まだ現れない恋人が歩いて来るだろう方を見下ろして。
(流石に早すぎ…)
朝御飯にも早い時間なんだし、と視線を移した空の方。
まだ太陽はそれほど高くは昇っていなくて、吹いてくる風も涼しくて。
気持ちいいよね、と足をブラブラさせていて…。
ハタと気付いた、窓の向こうに広がる朝の景色に。
この前、ハーレイと二人で見ていた時間よりかは遅いけれども、爽やかな朝の光と風に。
木々の間を吹いて来る風、眩しく輝く朝の太陽。
白いシャングリラには無かったのだった、こういう朝の光景は。
夜が明けても雲海が白くなるというだけ、昇る朝日は見られなかった。
長く潜んだアルテメシアの白い雲海、其処からの浮上は死に繋がるから。
船の存在を知られてしまって、追われるより他に道は無いから。
人類軍の船に追われて、沈むまで続いただろう攻撃。
だからシャングリラに朝日は無かった、雲海の中では見られないから。
それでハーレイに強請ったのだった、二人で一緒に朝日を見ようと。
暗い内から待って見ようと、二人で夜明けを見てみたいのだと。
そうして実現させたというのに、ハーレイと日の出を見たというのに。
アルテメシアどころか地球の夜明けを見たというのに、綺麗に忘れた、その有難さ。
前の自分が焦がれ続けた青い地球。
行けずに終わってしまった地球。
其処の朝日をハーレイと二人、窓から見られた奇跡のことを。
(ぼくの部屋の窓じゃなかったけれど…)
東向きの大きな窓がある部屋、其処で二人で待ったけれども。
あの日に二人で眺めた夜明けは地球の夜明けで、窓の向こうに今も地球。
パジャマ姿で見ている景色は、朝の景色は青い地球のもので。
吹いて来る風も、まだ暑くはない眩い日射しも、何もかもが青い地球の上のもので。
(…ハーレイが歩いて来る道だって…)
地球の地面の上にあるのだった、前の自分が行きたいと願い続けた星に。
辿り着けずに終わってしまった、青く輝く夢の星の上に。
前の自分が生きた時代に、青い水の星は無かったけれど。
死に絶えた星しか無かったけれども、青く蘇った母なる地球。
その地球の上に自分は生まれた、ハーレイと二人で生まれ変わってやって来た。
当たり前のように其処にある地球、窓の向こうに朝の地球。
もうすぐ太陽が高く昇って、ハーレイが歩いてやって来る。
他所の家を訪ねてもかまわない時間になったなら。
ハーレイが自分で決めている時間、それが訪れたら、窓の向こうにハーレイの姿。
今は夏だから、半袖のシャツで。
涼しそうな夏物のズボンやジーンズ、そういったラフな格好で。
今の自分が見慣れた光景、この窓の側で待っていたなら見られる光景。
夏の暑さを物ともしないで颯爽と歩いて来るハーレイ。
なんとも思わずにいたのだけれども、今もパジャマでその光景を思い描いていたけれど。
(窓の向こうに、ハーレイが見えて当たり前、って…)
時間になったら来て当たり前だと思ったハーレイ、窓の向こうに見えるハーレイ。
それは今では当然だけれど、夏休みだから来てくれる日も多いけれども。
(…地球なんだっけ…)
窓の向こうも、この家の下も、丸ごと全部。
何もかもが全部、前の自分が焦がれ続けた地球の上。
朝の光も、涼やかな風も、ハーレイが歩いて来てくれる地面も。
夢みたいだ、と頬を抓った景色だけれど。
窓の向こうに地球だなんてと、ハーレイまでついているだなんて、と思ったけれど。
きっとパジャマを脱いでいる内に、顔を洗う内に、素晴らしい奇跡を忘れるのだろう。
今の自分には、この風景と日常が当たり前だから。
窓の向こうに地球はあるもの、それが普通のことだから。
だから忘れてしまう前に、と窓の向こうにペコリとお辞儀をしておいた。
凄い奇跡をありがとう、と。
いつも忘れてしまってごめんと、今のぼくには窓の向こうに地球があるのが普通だから、と…。
窓の向こうに・了
※ブルー君の部屋の窓の外、見える景色は当たり前に地球。見慣れた景色ですけれど…。
前のブルーは地球を見てさえいないのです。その地球が日常になった今は幸せですよねv
(よし!)
いい天気だな、と大きく伸びをしたハーレイ。
カーテンを開け放った窓の向こうに昇った朝日。
目覚めて直ぐに窓も開けてみた、この時間なら夏でも涼しいから。
朝の心地よい風が入って来るから、胸一杯に朝の空気を吸い込もうと。
ベッドから起き出して、パジャマのままで。
顔も洗わない内から開け放った窓、誰が見ているわけでもないし、と。
夏休みだから、今日は部活の予定も無いから、ゆっくり過ごせる自由な日。
朝食を食べて暫く経ったら、ブルーの家へと出掛けてゆく日。
いい天気だから、もちろん歩いて。
気の向くままに道を選んで、庭木や生垣、花壇の花などを楽しみながら。
けれど、出掛けるにはまだ早い時間。
ただでも夏の夜明けは早いし、こんな時間に訪ねて行っても…。
(大迷惑な上に、ブルーは寝てるぞ)
夢の中だな、とクッと笑った。
早起きは得意だと言っていたくせに、夏の夜明けが何時なのかを知らなかったブルー。
「ハーレイと一緒に夜明けを見たい」と頼まれて凄い時間に訪ねた、先日。
まだ暗い内に家を出発して、ブルーと二人で眺めた朝日。
あの日よりかは遅いけれども、朝の光で蘇る思い出、地球の夜明けだと。
白いシャングリラでは無かった光景、夜明け自体が見られなかったと。
アルテメシアの雲海の中に隠れ住んでいた白い船。
浮上することは死を意味したから、船は朝日を浴びられなかった。
夜が明けても暗かった雲が白くなるだけ、昇る朝日は見られなかった。
だからブルーと二人で眺めた、ブルーの家で。
ブルーの部屋とは違う部屋の窓で、東に向かって開いた窓で。
夜空に残っていた星が一つ、二つと消えて行った後に明るさを帯びた東の空。
みるみる白さを増して行った空、朝日が射すなり色づいた世界。
あの光景には敵わないけれど、朝日は昇った後だけれども。
(…地球なんだなあ…)
それにシャングリラじゃ見ることもなかった景色なんだ、と窓の向こうをグルリと見渡す。
こんな風に照らし出された世界も、朝日も無縁だった船。
其処で暮らした前の生の自分、アルテメシアを落とした後には船の外へも出たけれど。
幾つもの星で、ノアでも地上に降りたけれども、生憎と朝日の記憶など無い。
感動を覚えたことすらも無い。
ブルーを失くしてしまったから。
世界の全ては色を失い、生きる意味さえ失くしたから。
ブルーと二人で目指した地球。
白いシャングリラで辿り着こうと夢に見た星、其処へ行く夢さえ、もう意味は無くて。
辿り着いたら全て終わると、自分の役目は其処で終わると、ただそれだけ。
ブルーに託されたキャプテンの務め、ジョミーを支えて地球へゆくこと。
それが終われば自由になれると、飛び去ったブルーを追っていいのだと思っていた地球。
ようやっと着いた地球は赤くて、青い星ではなかったけれど。
死に絶えた星で、命の影さえ無かったけれども、それすらも、もう…。
(…あいつの夢が砕けちまった、と思いはしたが…)
こんな星のためにブルーは逝ってしまったのか、と考えはしても、辛く悲しく思いはしても。
自分のためにはどうでも良かった、夢の星ではなくて終着点だったから。
青く美しい水の星の景色、それをブルーに見せたかっただけで、自分はどうでも良かったから。
そのせいだろうか、地球で夜明けは見ていない。
ユグドラシルに泊まったのだし、見ようと思えば見られただろうに。
汚染された大気と無残に朽ちた高層ビル群、其処から昇るものであっても地球の夜明けを。
朝の光が照らし出す地球を。
(…寝ちまってたかな…)
それとも何の興味も抱かず、カーテンを開けもしなかったのか。
朝日が見えそうな場所を探して歩くことさえしなかったのか。
おぼろげな記憶に残ってはいない、前の自分の生が終わった日の朝のことは。
地球の夜明けを見なかったことは確かだけれど。
(そいつが今では当たり前なのか…)
早起きをすれば夜明けが見られる、地球の夜明けが。
ユグドラシルまで出向かなくても、今の自分が暮らす家から。
窓のカーテンをサッと開ければ、朝日が昇る時間に東が見える窓から覗きさえすれば。
だからこそブルーと二人で見られた、地球の夜明けを。
前の自分が失くしてしまった愛おしいブルー、帰って来てくれた小さなブルーと。
いつかは二人でゆきたいと願った夢の星、地球。
其処へ二人で生まれ変わって、暗い内から夜明けを待って。
当たり前の光景になってしまった、地球の朝。
こんな風にパジャマ姿で見られる朝の風景、顔も洗わずに。
誰が見ているわけでもないし、と寝室の窓を開けて覗いて、胸一杯に朝の空気を吸い込んで。
(前の俺だったら…)
どうしただろうか、「地球の夜明けを見せてやろう」と言われたら。
ブルーは気持ちよく眠っているけれど、早起きをして一人で見てみないかと誘われたなら。
(あいつが眠っていたとしたって…)
見てみないかと誘いが来るなら、次の機会もあるのだろうし。
ブルーと二人で眺めるチャンスも来るのだろうし、と下見の気分で眺めただろう。
どんなものかと緊張しながら、「ブルーにも教えてやらなければ」と目を凝らして。
(顔を洗っていないなんぞは有り得んな)
きっと約束の時間よりも早く起きて身支度、顔を洗って髪もきちんと撫で付けて。
キャプテンの制服をカッチリ着込んで、背筋もピシッと伸ばしただろう。
地球の夜明けに敬意を表して、もしかしたら敬礼したかもしれない。
直立不動で見たかもしれない、昇って来る地球の太陽を。
ところが今の自分ときたら。
パジャマ姿で顔も洗わず、寝起きのままでカーテンを開けた。
この時間の風は心地良いからと窓も開け放った、何の敬意も表さずに。
いい天気だからと伸びをしただけで、誰が見ているわけでもないし、と隙だらけ。
前の自分が地球の夜明けに向き合ったならば、一分の隙も無かったろうに。
これが夜明けかと、ブルーに教えてやらなければと、真剣に見詰めていたのだろうに。
(…まったく、とんだ格好だよなあ…)
酷いもんだ、と見回した身体。
寝起きで皺が出来たパジャマに、スリッパさえ履いていない素足で。
顔を洗っていないのだから、きっと髪だってクシャクシャだろう。
好き勝手な方へと跳ねてしまって、寝癖までついて。
(昔は、朝日というのはだな…)
SD体制が始まるよりも、遥かな昔の時代の地球。
この辺りにあった小さな島国、日本では朝日は神聖なもの。
朝一番に昇る太陽に頭を下げたり、拝んだ人さえあったという。
普段はそこまでしなかったとしても、新しい年を迎える元日、その日の朝は。
初日の出と呼ばれた元日の朝日、それに敬意を表する行事は長く続いていたというから。
(…まったくもって酷いもんだよなあ…)
今の自分の、この格好。
地球がどれほど有難いものか、地球の夜明けが如何に貴重か、誰よりも知っている筈なのに。
遠い昔に白いシャングリラで辿り着いた死の星、それを目にした筈なのに。
地球の朝日に失礼すぎるな、と思うけれども、これが日常。
今日はたまたま気付いたけれども、「やっちまった」と苦笑したけれど、明日にはきっと。
(また忘れちまって、寝起きでパジャマだ)
二階の窓など誰も見ない、と寝癖がついたクシャクシャの髪で、皺の寄ったパジャマで。
顔も洗わずに「いい天気だな」と窓を開け放って、伸びをして。
胸一杯に朝の空気を吸い込んだ後は、「さてと…」と朝食の段取りだろう。
何を食べようか、トーストにするか田舎パンか、などと考えながら。
地球の朝日を気にも留めずに、有難いとも思いもせずに。
(こうなっちまった原因は、だな…)
窓の向こうが当たり前のように地球だからだな、と肩を竦めて朝日に詫びた。
前はともかく、今の自分が目にする窓の向こうは地球。
自分の家でも、ブルーの家でも、窓の向こうはいつでも地球。
これでは慣れて当たり前だし、前の生の記憶が戻る前から見ていたのだし…。
(夢の風景だが、こうも見慣れてしまうとなあ…)
申し訳ない、と朝日に詫びる。
前の自分が地球で見上げた筈の太陽、その太陽は今も同じだから。
同じ星だから、詫びておく。
有難さを忘れちまってすまんと、窓の向こうは当たり前に地球になっちまったから、と…。
窓の向こうは・了
※ハーレイ先生が朝一番に「いい天気だな」と眺める窓の外。当たり前の景色。
けれども、キャプテン・ハーレイだった頃なら貴重品。それが普通になった幸せv
(暑くなりそうなんだけど…)
そんな感じのお日様だけど、とブルーが眺める窓の外。
夏休みの朝、朝食を終えて、二階の自分の部屋の窓から。
茂った庭の木々や芝生を照らす太陽、真夏の朝の明るい日射し。
今の時間はさほど暑くはないけれど。
木陰にいたなら涼しい風だって抜けてゆくのだし、まだ充分に爽やかな朝。
もう少し経てば、そうも言ってはいられなくなってしまうけど。
暑くて駄目だと、涼しい場所へと、家に駆け込むだろうけれども。
生まれつき身体が弱いから。
丈夫でないから、夏の眩い日射しは苦手。
暑すぎる太陽も身体には毒で、出来るだけ日陰を選んでしまう。
夏の太陽は肌だけでなくて、身体ごと焼いてしまうから。
下手をしたなら暑くなりすぎて、身体を壊してしまうから。
夏は草木を育てる季節で、背丈も伸びそうな気だってするのに。
ぐんぐん伸びてゆく草や木のように、自分も大きくなれそうなのに。
前の自分と同じ背丈になれる日を目指して、ぐんぐんと。
夏の日射しを身体に浴びれば、健やかに伸びてゆけそうなのに。
けれども無理だと分かっているから、夏の日射しも暑さも身体に悪いから。
暑くなりそうな日は何かと苦手で、家に引っ込んでしまうのが自分。
庭で一番大きな木の下、白いテーブルと椅子でハーレイとお茶を楽しむくらいで。
それも暑さが酷くない日の午前中だけ、涼しい風が吹く間だけ。
暑さが増したら「そろそろ中に入らんとな?」とハーレイが言うか、母がやって来るか。
「暑いから中に入りなさい」と、「お茶は運んであげるから」と。
そんな具合で、夏の暑さと仲がいいとはとても言えない。
夏が大好きな子供は多いし、夏休みと言えば子供にとっては天国なのに。
海で泳げて、プールで泳げて、太陽の下で駆け回れる季節。
草木もへばってしまう暑い盛りはアイスクリームを買って食べたり、水に飛び込んだり。
公園の噴水で水浴びしてしまう子供だって多い、涼しいからと。
服を着たまま噴水を浴びて、濡れた服のままで遊び回って。
「涼しいんだぜ!」と友達に教えられたけれど、自分には無理な服での水浴び。
服が自然に乾くよりも前に、きっと気分が悪くなる。
びっしょりと濡れた服を乾かしてくれる、真夏の暑い太陽のせいで。
燦々と照り付ける暑い日射しで、それでクラリとしてしまって。
生命力に溢れている夏、窓越しでも分かる命の輝き。
木々の緑は力強いし、芝生の緑も他の季節よりもずっと鮮やか。
日盛りの昼間は暑さのあまりに色褪せたようになってしまっても、夕方になれば元通り。
暑すぎる太陽が傾いてゆけば、シャンと力を取り戻す。
庭の木々も芝生も息を吹き返して、涼やかな風が吹いてゆく。
夕方の風が、夜の涼しさの先触れの風が。
(お日様が沈んでる間は涼しいんだけどな…)
星が瞬く夜は涼しい、窓を開けたら冷房が要らなくなるほどに。
夏の夜空に輝く星たち、その煌めきから冷たい夜露が降り注ぐのかと思うくらいに。
暑い太陽とはまるで違って清かな光の月や星たち、夜風も肌に心地良い。
痛いほどの日射しが照り付け、身体ごと焼かれる昼と違って。
眩しすぎる太陽が支配している昼間と違って。
今日も朝から太陽の光は元気一杯、空には雲の欠片も見えない。
急に湧き上がる入道雲くらいしか期待出来ない、あの太陽を遮るものは。
ザッと夕立を降らせる雲でも湧かない限りは、暑くなる一方としか思えない昼間。
夕方になって陽が陰るまで。
元気すぎる真夏の暑い太陽が、西の空へと落ちてゆくまで。
太陽が沈めば涼しい夜が来るけれど。
身体に優しい夜になるけれど、それまではきっと暑そうな今日。
そんな暑さを物ともしないで、ハーレイは歩いて来るだろうけれど。
前の生から愛した恋人、褐色の肌の夏の太陽が似合う恋人。
(…ハーレイは暑いの、平気だもんね…)
柔道と水泳が得意なハーレイ、水泳をやるなら夏が一番。
部活で学校へ行って来た日はプールでひと泳ぎして来るという。
自分は長くは入れないプール、そこで泳いで、それから歩いてこの家まで。
なんとも元気すぎる恋人、夏の太陽と同じに元気な恋人。
あんな風に暑さに馴染めたならと、仲良く出来たらと思うけれども、出来ない相談。
弱すぎる身体に夏は酷な季節、夜くらいしか仲良くなれそうもない季節。
庭で一番大きな木の下、それが作ってくれる日陰も長く続きはしないから。
日陰にいたって風が暑くなって、家に入るしかなくなるから。
(あのお日様のせいなんだけど…)
朝だというのに他の季節よりも高く昇っている太陽。
其処から照り付ける眩しすぎる日射し、それがどんどん強くなる。
昼間に向かって、日盛りに向かって、暑さは増してゆく一方で。
雲が隠してくれない限りは、うだるような日になるのだろう。今日だって、きっと。
凶悪とまでは言わないけれども、暴力的に暑い太陽のせいで。
一年で一番元気な季節の太陽のせいで。
もう少し和らいでくれないだろうかと、せめて陰ってくれないだろうかと見上げた太陽。
朝だというのに他の季節より高く昇っている太陽。
あれのせいだと、あのせいで夏は暑いんだからと眩しい光を睨んだ途端。
目を細めつつもキッと睨んでやった途端に気が付いた。
(…本物の太陽…)
あれが本物、と前の自分が心の何処かで飛び跳ねた。
ずっと焦がれていた星なのだと、あの星を夢見て自分は生きたと。
フィシスの記憶で見ていた地球。
機械が与えた映像だけれど、それは充分、知っていたけれど。
本物なのだと信じた映像、地球へ行くにはこういう風に旅をしてゆくのだと。
銀河の海に浮かぶ母なる地球。青い水の星。
其処への標がソル太陽系を照らす太陽、人間を生み出した地球の恒星。
遠い昔には太陽は一つだけしか無かった、地球を照らしていた太陽しか。
それ以外の星は全部恒星、太陽と呼ぶ者はいなかった。
人が宇宙へと船出するまで、幾つもの星に根を下ろすまで。
漆黒の宇宙に散らばる星たち、その中のたった一つの太陽。
青い地球を連れて宇宙に浮かんだ、ソル太陽系の真ん中の星。
それを幾度も夢に見ていた、其処へ向かって旅立ちたいと。
青い地球まで辿り着こうと、本物の太陽を目指して飛ぼうと。
けれど、叶わなかった夢。
前の自分が命尽きた星に、赤いナスカに太陽は二つ。
青い地球では有り得ない光景、本物の太陽は一つだけしか無いのだから。
長く潜んだ雲海の星の太陽は一つだったけれども、地球とは違ったアルテメシア。
輝いていた太陽はクリサリス星系の星で、本物の太陽などではなかった。
ジョミーを救って力尽きた自分が深い眠りに就いていた間、仲間たちは地球を探したけれど。
白いシャングリラで宇宙を旅したけれども、ソル太陽系は見付からなくて。
そして自分は命を落とした、赤いナスカで。
二つの太陽が存在していた、地球が見えもしないジルベスター星系の片隅で。
それを思えば、なんという幸せなのだろう。
本物の太陽が輝く地球に自分は生まれた。
ハーレイと二人、生まれ変わって青い地球まで辿り着けた。
前の自分が焦がれ続けて、行けずに終わってしまった地球へ。
あの星を標に旅をしようと夢を見続けた、本物の太陽が輝く地球へ。
(…太陽がこんなに暑かったなんて…)
夢にも思いはしなかった。
肌を焼く真夏の太陽の日射しも、草木も項垂れてしまうほどの夏も。
これほどに力強い星とは、太陽がこれほど眩いとは。
(…本物の太陽は元気一杯…)
フィシスの映像とはまるで違う、と窓の外を見た、夏の太陽を。
これからどんどん高く昇って、酷い暑さを運んで来そうな元気すぎる夏の太陽を。
今の自分には夏の暑さは辛いけれども、身体にも良くはないのだけれど。
これが本物の太陽だから。
前の自分が夢に見続けた、青い地球を照らす太陽なのだから。
(暑いけれども、これが本物…)
元気一杯の夏の太陽でも、元気すぎる暑さが辛くても。
急に素敵な気持ちがして来た、なんと元気な星だろうかと。強い太陽なのだろうかと。
この太陽が青い地球を育てて、人を生み出して、今も照らして。
自分は其処に生まれて来たから、地球に来られたから、夏の暑さを知っている。
今日もこれから暑くなりそうだと空を見上げる、少し陰ってくれればと。
(…なんて贅沢…)
前の自分が憧れ続けた地球の太陽、それに陰って欲しいだなんて。
雲でも湧いてくれればいいとか、夜の方が涼しくて好きだとか。
今日くらいは少し我慢をしようか、暑いけれども、この太陽は本物だから。
前の自分が夢に見続けた、本物の地球の太陽だから…。
暑いけれども・了
※夏の暑さが苦手なブルー君。でも、その暑さが何処から来るのか気付いたら…。
暑いけれども我慢してみようかと思ったようです、無理はしないでねv