(アルタイルか…)
それにベガか、とハーレイが見上げた夜空の星。
ブルーの家から帰る途中に仰いだ頭上。そこに輝く夏の星座たち。
彦星に織姫、それだと授業で教えた二つの星。
アルタイルとベガ。
七夕の星たち、恋人同士の二つの星たち。
今夜は綺麗に晴れているから、天の川まで見えそうな気がする。
小さなブルーに「俺は泳いででも渡ってやるぞ」と約束してやった天の川。
もしも、天の川にブルーとの間を引き裂かれたら。
年に一度しか会えなくなったら、七夕の夜には泳いで渡る。
カササギの橋が架からなかったら、雨が降って天の川が溢れたならば。
(あいつ、俺が橋を踏み抜くとか言いやがって…)
体重のせいで抜けそうだとブルーが笑ったカササギの橋。
確かに自分の体重だったら、カササギが翼を並べた橋は壊れてしまうかもしれないけれど。
なんとも愉快な話ではある、体重で抜けるカササギの橋。
そうなった時も泳ぐしかない、天の川が溢れた時と同じに。
向こう岸で待つブルーの許まで、全力で泳いで渡るしかない。
(宇宙空間なんだがなあ…)
しかもとてつもない距離なんだが、と苦笑しながら夜道を歩いて。
夏休みに入ってから何度も眺めた夜空を仰いで、のんびりと目指す自分の家。
明日も休みで、ブルーの家を訪ねるだけだから。
急ぎの用も何も無いから、「夏の大三角形だよな」などと考えながら。
門灯が灯った家に帰って、生垣に囲まれた庭に入って。
また改めて見上げてみた空、アルタイルにベガ、それからデネブ。
流石に街の中からは見えない天の川。
(あの辺りにある筈なんだがなあ…)
海辺で、郊外で、何度も目にした天の川。
それは美しい星で出来た川、星だと知らねば空を流れる光の川。
輝き煌めく光ではなくて、ほのかに淡く空をゆく川、夜空を流れる神秘の川。
遠い遥かな昔の人には本物の川に見えただろう。
だから呼ばれた、「天の川」と。
彦星と織姫の話も生まれた、夜の空に住む恋人たちの物語。
此処からは見えない天の川。
もう少し暗くなくてはいけない、あの星の川が見たければ。
とはいえ、他の星たちの輝きは充分に見える、この庭からも。
(うん、星は沢山見えるんだ)
SD体制が始まるよりも昔、地球が滅びに向かっていた頃。
人間が作り出す人工の明かりが眩しすぎたから、星たちは消えていったという。
夜の空から一つ、二つと、暗い星から姿を消して。
空を仰いでも星は全く見えなかった地球、地上に立ち並ぶ高層ビル群。
そうして地球は滅びてしまった、人に窒息させられて。
生き物の棲めない死の星になって。
その反省が今もあるから、蘇った地球を二度と滅ぼしてはならないから。
昔と違って見える星たち、天の川までは流石に無理でも。
明るすぎない今の地球の夜空、星は幾つも瞬くもの。
住宅街の中にある家の庭から空を仰いでも、鮮やかに浮かぶ星座たち。
アルタイルの鷲座、ベガがある琴座。
白鳥の姿の中に輝くデネブ、嘴の先にはアルビレオ。
天の川が無くとも夜空には星、それを見上げて頬が緩んだ。
なんと綺麗な星たちだろうかと、流石は地球だと、母なる星だと。
かつて目指した約束の場所。
白いシャングリラで行こうとした地球、前のブルーと暮らした船で。
前の自分が舵を握って、ブルーが守った白い船。
いつかは地球へと夢を見ていた、ブルーと一緒に辿り着こうと。
(なのに、あいつは…)
ブルーは地球まで行けはしなくて、暗い宇宙に散ってしまって。
前の自分は独り残された、巨大な白いシャングリラに。
それでもブルーに頼まれたから。
ジョミーを支えてくれとブルーが言い残したから、ただひたすらに地球を目指した。
其処へ着いたら全て終わると、自分の役目も終わるのだからと。
(…本当に終わっちまったが…)
文字通りに終わった前の自分の長い生。
ブルーを失くした悲しみの中で孤独に生きた生は終わった、地球の地の底で。
これでブルーの許へゆけると、自分は死ぬのだと笑みさえ浮かべて。
地球はそういう星だったから。
前の自分が目にした死の星、赤かった地球はさほど記憶に残ってはいない。
赤く濁った毒の大気に覆われていた地球、前の自分が降りた地球。
ユグドラシルで一夜を過ごしたけれども、生憎と夜空は記憶に無い。
真円の月は辛うじて覚えてはいても、他の星たちは。
月の光で見えなかったか、濁った大気が邪魔をしていたか。
それとも目には入らなかったか、それさえも自分は覚えてはいない。
死に絶えた地球に出会った衝撃、ブルーの夢が砕けた瞬間。
そこから後は、景色などを見る心の余裕を失くしていたから。
(しかし、ああいう星ではなあ…)
夜空を見たとて、何の感慨も無かっただろう。
他の星の方がよほどマシだと、アルテメシアやノアの方が、と溜息をついたことだろう。
こんな醜い空は要らないと、もっと美しい夜空でないと、と。
銀河の海に浮かぶ一粒の真珠、青く輝く母なる星。
青い水の星は何処へ行ったかと、こんな星など誰も求めていないのに、と。
けれども、今では蘇った地球。
其処へ自分は還って来た。
ブルーと二人で生まれ変わって、新しい身体と命を貰って。
こうして夜空も見上げていられる、幾つもの星が瞬く空を。
天の川は無くても、アルタイルにベガ、それにデネブも、アルビレオも。
もう最高に素晴らしい人生、ブルーと二人で辿り着いた地球。
夢のようだと、此処からは見えない天の川だって泳ぎ渡れると高揚する気持ち。
ブルーのためなら泳ぎ渡るし、そうでなくては始まらない。
今度こそ共に生きるのだから。
ブルーと二人で、この地球の上で。
幾つもの星が夜空にある星、青く蘇った母なる星。
其処でブルーと生きてゆく。
誰にも恋を隠すことなく、いつか結婚して、同じ家で暮らして。
(天の川だって見に行かなきゃな)
何処で見るかな、とドライブの行き先を思案していて。
郊外もいいし、海辺で眺める雄大な天の川もいいし、と考えていて。
(…待てよ?)
あの空だった、と仰いだ夜空。
アルタイルにベガ、彦星と織姫、今の自分が七夕の授業で教えている星。
(…俺はあそこを旅していたんだ…)
前のブルーを乗せていた船で。
アルテメシアを追われて彷徨った宇宙、地球を探して巡った星たち。
深い眠りに就いたブルーを乗せていた船で、白いシャングリラで。
座標も掴めない地球を求めて、端から巡った恒星系。
アルタイルもベガも訪ねたのだった、もしかしたら地球がありはしないかと。
この星系が地球を抱いてはいないかと、ソル太陽系ではないのだろうかと。
幾つも幾つも巡った星たち、その内の幾つがこの星空にあるのだろう。
前の自分が旅した宇宙は、どれほどの範囲になるのだろう。
(…まるで見当もつかんな、これでは)
アルタイルとベガは分かるけれども、それよりも遠い星たちは。
此処からは見えないジルベスター星系、赤いナスカがあった星系。
天の川を渡るどころではない距離を自分は旅した、あのシャングリラで。
ブルーの命が続く間に着ければいいがと、舵を握って。
けれども、着けなかった地球。
前のブルーの命ある間に、探し出せずに終わった星。
やっと見付けても赤い死の星、旅の終わりでしかなかった地球。
其処へ自分はまた還って来た、ブルーと共に。
生まれ変わった小さなブルーと地球で出会った、前の自分たちの夢だった星で。
あれほど長い旅をしたのに、探し出せなかった青い地球の上で。
前の自分たちが生きた頃には、何処にも無かった青い地球の上で。
(…そうか、あそこを旅していたのか…)
あの空を俺は旅したのか、と星を数える、一つ、二つと。
アルタイルにベガ、あちらの星にも行っただろうかと。
地球から見上げてみても分からない、前の自分が辿った旅路。
旅をした宇宙。
途方もない距離を旅したのだと驚くしかない、今の地球の夜空。
それだけの旅をしたというのに、挙句に死の星だった地球しか無かったのに。
(いったい、何がどうなったんだか…)
自分はストンと地球に着いていた、ブルーと一緒に。
まるで奇跡だ、と空を見上げる、これが本当の奇跡だろうと。
地球の地の底で死んだというだけ、なのにストンと辿り着いた地球。
なんとも不思議な話だよな、と家の庭から仰いだ夜空。
あの空を旅した、遠い遥かな時の彼方で。
前のブルーを乗せていた船で、地球へ行こうと、白いシャングリラで。
夢だった地球に、自分はいる。
あの空を旅したと星を見上げて、前のブルーと二人で夢見た青い地球の上に…。
あの空を旅した・了
※キャプテン・ハーレイが旅をした宇宙。それを地球から見上げられる不思議、今の人生。
あそこを旅した、と眺めるハーレイ先生、今では地球の住人なのですv