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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(快晴ってな)
 ハーレイが何の気なしに仰いだ空。
 夏休みの一日、ブルーの家へ歩いて向かう途中に。
 日が昇るのが早い季節だから、強い日射しに目を細めながら。
 雲の一つも見当たらない空、予報通りの青い空。
 こんな日には海が似合いだけれども、生憎と今年は御無沙汰の海。
 ブルーに会いにゆくのが優先、自分の趣味は二の次と言えば聞こえがいいけれど。
(…俺もブルーに会いたいんだ)
 前の生から愛した恋人、再び出会えた小さなブルー。
 まだ十四歳にしかならないブルーは無垢な子供で、キスどころではないのだけれど。
 唇へのキスはもちろん、愛を交わすことなど夢のまた夢、いつになるやら分からないけれど。
 それでも会いたい、会いにゆきたい。
 海に泳ぎに出掛けてゆくより、海へと車を走らせるより。


 去年までなら夏休みには何度も通った海。
 きっと日射しが眩しいだろうと、水平線まで真っ青な海が広がるだろうと心がざわめく。
 灼けた砂浜を裸足で歩いて、波打ち際からザブザブ入って。
 そうして泳いでゆく海もいいし、岩場へ出掛けてゆくのもいい。
 遠浅ではなくて岩場から直ぐに深くなる海、其処を泳いで潜るのも。
 どちらもいいな、と思うけれども、当分は縁が無さそうで。
(あいつが大きく育つまではな)
 今は小さなブルーが育って、前のブルーと同じ背丈になったなら。
 キスを交わせるほどになったら、行こうと約束しているドライブ。
 愛車の助手席にブルーを座らせ、海へもドライブしてゆこう。
 それまでの間は、海と言ったら…。
(仕事絡みだな)
 柔道部の教え子たちを遊びに連れてやるくらい。
 そうでなければ海から近い場所での研修、そのくらいしか縁が無さそうな海。


 同じ青でも空とは違った海の青。
 あの空の青を映した色ではあるのだけれども、もっと細かく決まった仕組み。
 青空の色をそのまま反射するのではなくて、太陽の光を反射して青く光るのが海。
(…はてさて、どういう仕組みだったか…)
 俺には範疇外だからな、と苦笑する。
 今の自分は古典の教師で、海と言ったら物語や遠い昔の日記が対象。
 キャプテン・ハーレイだった頃にしたって、海とはさほど縁が無かった。
 アルテメシアにも海はあったけれども、シャングリラからは見えなかった海。
 雲海の中から海は見えない、真っ白な雲に隠されていて。
 白いシャングリラが地上からは見えなかった以上、その逆のことも有り得ない。
 青い海の上を飛んでいたって、眼下には雲。
 海は何処にも見えはしなくて、何処までも雲が広がるばかりで。
(…その雲だってモニター越しだ)
 巨大な船には、窓は殆ど無かったから。
 ブリッジからも直接見えはしなくて、一番近い窓と言ったら公園の天窓だったから。


 つくづく海とは縁が無いんだ、と思うけれども、今の自分は好きな海。
 柔道と同じに好きな水泳、海が無くては始まらない。
 プールも悪くないのだけれども、ジムのプールなら年中いつでも泳げるけれど。
(やっぱり海には敵わないんだ)
 遥か彼方の水平線まで、その向こうまでも遠く広がる青い海。
 前の自分がブルーと目指した地球の色の青、それは海から来ていた青。
 そうとも知らずに今の自分は海が大好きで、夏になったら海に出掛けていたけれど。
 両親と出掛けた子供時代はもちろん、車に乗れるようになったら行き先も選び放題で。
(砂浜も岩場も、どっちも魅力があるからなあ…)
 今年は出掛けられないんだが、と残念に思う気持ちが半分、未来へと膨らむ夢が半分。
(あいつと行くなら、まずは見物か)
 ブルーと出掛ける海へのドライブ、最初は初夏といった所か。
 今も身体が弱いブルーは海に入っても長くは泳いでいられないから。
 まずは見るだけ、それなら初夏の頃がいい。
 さほど暑くはなっていなくて、けれども充分に夏の輝きを湛えた海。
 それを見るなら初夏がいいよな、と。


 ブルーと二人で出掛けてゆく海、その日も空は青いだろう。
 今日と同じに雲一つ無くて、何処までも青い初夏の空。
 ただし夏ほど暑くはないから、きっとブルーも日射しに負けたりすることはなくて。
(帽子さえきちんと被せてやったら、もうのんびりと…)
 二人で海を眺められるだろう、遥か彼方まで広がる海を。
 地球の海だと、前の自分たちが目指した青だと、この地球の上を覆って青く染める海を。
 前の自分は見られなかった、青い地球を作り出す海を。
(もっとも、二人で出掛けて行ったら…)
 そんなことなど綺麗に忘れていそうだよな、と浮かべてしまった苦笑い。
 海はデートにやって来た場所で、今の自分たちのための場所だから。
 前の自分たちが夢に見た星、いつか行こうと目指した地球でも、今ではそれが普通だから。
(…きっとあいつも忘れているんだ)
 地球の海だということを。
 前の自分が焦がれ続けた青い水の星、その青が広がる海辺に来たということを。


 二人して見事に忘れていそうで、帰るまで綺麗に忘れていそうで。
 帰りの車で不意に思い出して、二人で笑い転げるのだろう。
 せっかく海に行ったというのに、すっかり忘れてしまっていたと。
 二人で初めて眺めた筈の青い地球の海、その有難さに微塵も気付きはしなかったと。
(間違いなくそのコースだよなあ…)
 出掛ける時には「海へ行こう」と二人で決めて車で走り出しても、いざ海を見たら。
 砂浜が広がる海岸だろうが、ゴツゴツとした岩場だろうが。
(俺にとっては馴染みの場所だし…)
 ついつい語り始めていそうな、自分の其処での過ごし方。
 夏ならどんな風に泳ぐか、岩場だったらどんな楽しみがあるのかと。
(でもって、あいつも…)
 海を知らないわけではないから、今のブルーは知っているから。
 夢中で話に聞き入るのだろう、「何処まで泳いで行けるの?」だとか。
 遠浅の海の沖合に浮かべてあるブイよりも向こうに行ったことがあるかと尋ねてみたり。
 岩場だったら、どの辺りへ行けば潜って貝などが獲れるのかだとか。


 もう間違いなく、地球からはズレてゆきそうな話題。
 今の自分たちの世界に引かれて、今の時間に引き寄せられて。
 きっと忘れる、二人揃って。
 青い地球の海を見にやって来たことも、前の自分たちは見られなかった海だということも。
 けれども、それも幸せの形なのだろう。
 前のブルーが焦がれていた地球、青いと信じて夢に見た地球。
 ブルーを失くしてしまった後にも、前の自分は地球を目指した。
 それをブルーが望んだから。
 ジョミーを支えてくれと言い残してメギドへと飛んでしまったから。
 独り残された白いシャングリラで青い水の星を目指していたというのに、辿り着いた地球は…。
(…赤かったんだ…)
 青い海など何処にも無かった、赤い死の星。
 前のブルーが夢見た地球などありはしなくて、青い星などただの幻で。
 あの時の衝撃を忘れてはいない、「ブルーにはとても言えない」と思った死の星のこと。
 それなのに地球は青く蘇り、自分たちは其処にやって来た。
 気軽に車を出してドライブ、シャングリラではなくて車で辿り着ける海。
 日帰り出来る所にある海、「海へ行くか」と思い立ったら出掛けられる場所に。


 今では当たり前の海。何処までも青く広がる海。
(二人揃って忘れちまっても…)
 まるで有難味を感じないままで海を眺めて、今の話題に興じてしまって。
 帰りの車で「忘れていた」と気付いて二人で大笑いして。
 そんなドライブが似合いだと思う、幸せの形なのだと思う。
 前の自分たちの切ない思いを、悲しかった記憶を忘れ果てて海を眺めることが。
 初めて二人で海に行っても、「海に来たのは初めてだな」とブルーに説明してやって。
 「俺は夏には此処で泳ぐんだ」と、「夏になったらお前も来るか?」と。
 遠浅の海で二人で遊ぶか、と誘ってやったり、岩場で獲物を獲るのを見るかと誘ったり。
 きっとブルーは赤い瞳を輝かせて「うん」と言うのだろう。
 「ぼくも来たい」と、「夏になったらまた来ようね」と。


 今はその夏、海のシーズンなのだけど。
 去年までなら車で海を目指したけれども、今年は道を歩いている。
 真夏の青空の下を歩いて、海へは向かわずブルーの家へと。
(いつかはブルーと海に行けるさ)
 あいつが大きく育ったらな、と夢を見ながら歩いてゆく。
 前のブルーと二人で目指した地球の海。
 その青を作る海だと忘れて、きっと二人で眺めるのだろう。
 遠浅の砂浜や、岩がゴツゴツと並ぶ岩場で、水平線まで広がる海を。
 今日は海までドライブに来たと、夏になったら今度は遊びに来るのもいいと…。

 

         海が似合う季節・了


※今年の夏は海に行くよりブルー君の家なハーレイ先生。海より断然、恋人です。
 けれども、いつか二人で行きたい海。幸せ一杯の楽しいドライブになりそうですよねv





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(…いいな…)
 涼しそう、とブルーが眺めた新聞記事。
 夏休みの朝に、朝食の後で。
 今日は早くに目が覚めたから、朝食も早め。
 トーストに卵一個のオムレツ、それが精一杯だけど。
 背を伸ばそうと頑張って毎朝飲んでいるミルク、それだけでお腹一杯だけれど。
 部屋の掃除に出掛けてゆくにはまだ早いから、と広げた新聞。
 其処に載っていた川遊びの記事、夏に人気の川下り。


 一年中やっているのだけれども、やっぱり夏が一番人気。
 時には飛沫を浴びたりする船、急な流れを幾つも越えて川をゆく船。
 下の学校に行っていた頃に、両親と一緒にこの船に乗った。
 ドキドキしながら乗って下った、熟練の船頭が操る船に。
 乗り場では緩やかだった川の流れは、進んでゆく内に早くなっていって。
 逆に川幅はグンと狭くなった、乗った時には広かったのに。
 ずいぶん大きな橋がかかっていると見上げて乗った筈なのに、ぐんぐん狭くなった川。
 流石に自分は無理だけれども、泳ぎの上手な友達だったら渡れそうな幅に。
 川の流れさえ早くなければ、如何にも危なそうな渦が無ければ。


 そうして下っていった川。
 みるみる早くなってゆく流れ、狭くなった川に幾つもの岩。
 急流を一つ船が落ちる度に、そう、落ちたかのように流れ下る度に上がった飛沫。
 頭の上から水が降って来た、キラキラと眩しく煌めきながら。
 小さく砕けた水の雫が涼しい雨を降らせてくれた。
 ほんの一瞬、降り注ぐ雨。
 服が濡れても直ぐに乾く雨、パシャンと弾けた水飛沫。
 船に乗っていた他の子たちも、自分も歓声を上げて下った。
 もっと速くと、もっと先へと、大はしゃぎして。
 「立たないで下さい」と注意されなければ、きっと立ち上がっていたくらいに。


 涼しいんだよね、と思い出した夏の川下り。
 今と同じに夏休みだった、父の車で出掛けて行った。
 帰りの車は何処に停めたかと思ったけれども、記事を読んだら解けた謎。
 車の客にはサービスがあった、頼めば運んで貰える車。
 川をゆく船が辿り着く場所、其処の近くの駐車場まで。
 父もそうしておいたのだろう、船に乗る前に車のキーを係に預けて。
(新聞に載ったし、今日は混むかな?)
 川下りをしたくなった人たちがドッと出掛けて行って。
 夏の暑い日はこれに限ると、涼を求めて殺到して。


 きっとそうだと、今日は大人気、と閉じた新聞。
 「御馳走様」と部屋に戻って、掃除してから勉強机の前に座って。
 恋人が来るにはまだ早すぎると、もう少し後の時間だから、と大きな伸びを一つ。
 今日も暑そうな日なのだけれども、ハーレイは歩いて来るのだろうと。
 なんて元気な恋人だろうと、自分にはとても真似出来ないと。
(…暑い日は無理…)
 照り付ける夏の日射しの下など、好き好んで出歩きたくもない。
 母が被せてくれる日除けのつばの大きな帽子も、それほど役には立たないから。
 暑い太陽に丸ごと焼かれて、ヘトヘトになってしまうのが自分。
 涼しい風がいつも吹き付けてくれるならともかく、自然はそこまで優しくないから。


 こんな真夏に外へ出るなら、日射しを浴びにゆくのなら。
 さっき新聞で目にしたような川下り。
 ただでも涼しい川をゆく船、風が水面を渡ってくる船。
 それに乗って川を進むのがいい、どんどん流れが早くなる川を。
 急流を下れば上がる水飛沫、夏の暑さも吹き飛ばすような冷たい飛沫が飛び散る川を。
(流石に今だと、立とうとしたりはしないけど…)
 立ち上がったら危ないことを知っているから、ちゃんと座って乗ってゆく。
 船頭に注意をされるまでもなく、割り当てられた場所に腰を下ろして。


(…川下り…)
 行きたい気持ちになって来たけれど、両親に頼めば行けそうだけれど。
 それもいいなと思ったけれども、頭に浮かんだ恋人の顔。
 同じ乗るなら恋人と乗りたい、褐色の肌のハーレイと。
 前の生から愛し続けて、この地球で会えた愛おしい人と。
(絶対、そっち…)
 そっちがいい、という気がする。
 暑い真夏に川をゆくなら、川を下りにゆくのなら。


 ハーレイと二人、あの船に乗って。
 穏やかな流れの船着き場を出て、早くなってゆく流れに乗って。
 川幅がぐんと狭くなったら、急な段差を一つ、二つと落ちてゆく。
 まるで落ちるように滑ってゆく船、急流を流れ下る船。
 一つ落ちる度に上がる飛沫と、乗っている人たちが上げる歓声と。
 大人だって歓声を上げていたのだし、自分も叫んでいいだろう。
 ハーレイはきっと叫ばないけれど、穏やかな笑みを湛えて余裕たっぷりなのだろうけれど。


(はしゃいでるのは、きっとぼくだけ…)
 水泳と柔道で鍛えた恋人、ハーレイはきっと、船が揺れても動じない。
 早い流れを滑り落ちても、派手に水飛沫が上がっても。
(平気な顔して乗ってるんだよ)
 これくらいのことで騒いでどうする、と路線バスに乗っているかのように。
 川をゆく船がいくら揺れても、投げ出されそうなほどに傾いても。
 ハーレイならきっと、とクスッと笑った。
 「お前、さっきから騒ぎすぎだぞ」と苦笑いしているのだろうと。
 乗ろうと言うから乗りに来たのに、そんなに怖がるとは思わなかった、と。


 スリル満点の川下り。
 ハーレイと乗りに行きたいけれども、今は連れては貰えない。
 頼んだとしても断られるオチ、「今は駄目だ」と顰めっ面が目に見えるよう。
(だって、ドライブ…)
 川下りに行くなら、乗り場までの道はハーレイの車でドライブだから。
 路線バスでも行けないことはないのだけれども、それで行くなら「デート」と言われる。
 「どうしてお前とデートに行かねばならんのだ」と。
 川下りに行くのは立派なデートで、チビのお前とはまだ行けないと。


 頼むだけ無駄な川下り。
 もっと大きく育たない限り、ハーレイと二人で行けはしなくて。
 川をゆく船に乗り込めはしない、ハーレイと一緒に船には乗れない。
 今の季節は楽しいだろうに、涼しさだって充分なのに。
 川を渡る風も、水の飛沫も、スリルも涼をくれるのに。
 おまけに泰然自若と構えたハーレイ、どっしり落ち着いた恋人の姿。
 船がどんなに揺れていようが、他の人たちが声を上げようが、涼しい顔で。
 こんな揺れなど物の数にも入りはしないと、船が本当に傾いたわけでもあるまいし、と。


(うん、きっとそう…)
 ハーレイならば、と言い切れる。
 船が本当に岩にぶつかるとか、船頭が持っている竿が流されて操船不能にならない限りは。
 普通に川を下っているなら、どんなに揺れても悠然と乗っているのだろうと。
 何故なら自分は知っているから。
 白いシャングリラのブリッジに毅然と立っていた姿、それを今でも覚えているから。
 前の自分がジョミーを救いに飛び出した後に、シャングリラの浮上を決めたハーレイ。
 降り注ぐ幾つもの爆弾の中、揺れるシャングリラでハーレイは毅然と立ち続けた。
 投げ出されて額に傷を負った後も、懸命に船を指揮し続けた。
 もっとも、それは船に戻った自分が回復してから見た映像の中の姿だけれど。
 記録されていた映像で初めて知ったハーレイの雄姿なのだけど。


 だから今でも同じだと思う、あのシャングリラで立っていたのがハーレイだから。
 皆が悲鳴を上げていた中、冷静に指揮を続けていたのがハーレイだから。
(きっと船くらい…)
 なんでもないよ、と思った所で気が付いた。
 川をゆく船も船だけれども、白いシャングリラも船だったと。
 前の自分たちが「船」と言ったら、それはシャングリラのことだったと。
 ミュウの箱舟だった船。
 前の自分が守っていた船、ハーレイが舵を握った船。
 あれの他には船は無かった、前の自分たちが乗ってゆける船は。
 乗っていい船は他に無かった、シャングリラの他にはただの一つも。


(ギブリとかは載せていたけれど…)
 シャトルは幾つもあったけれども、シャトルでは宇宙を越えてゆけない。
 青い地球まではとても行けない、あんな小さな小型艇では。
 前の自分たちが乗っていた船、世界の全てだった船。
 そのシャングリラの舵を握っていたのがハーレイ、守ったのが自分。
 途中で自分は力尽きたけれど、命も尽きてしまったけれど。
 ハーレイはあれを運んだのだった、前の自分たちが目指した地球へ。
 約束の場所だった青い地球まで、その地球は青くなかったけれど。


 あれも船だと、シャングリラもまた船だったのだと気付いたら。
 気付かされたら、もっと乗りたくなってきた。
 ハーレイと二人で川をゆく船に、青い地球の川を下る川遊びのための小さな船に。
(ぼくとハーレイと、他のお客さんと…)
 その船に乗って川を下ろうとやって来た人たち、川を下る間だけの仲間の人たち。
 シャングリラの頃と違って遊びで乗る船、生き延びるための船ではない船。
 それに乗りたい、乗ってゆきたい。
 どんなに揺れても「大したことはないだろうが」と笑うのだろうハーレイと。
 「もっと揺れるぞ」と、「その先でもっと揺れる筈だが」と笑っていそうなハーレイと。


 今は頼んでも無駄だろうけれど、きっと「駄目だ」と言われるけれど。
 いつか大きく育ったら。
 デートに行ける年になったら、ハーレイに「乗ろう」と強請ってみたい。
 川をゆく船、遊びで乗ってゆける船。
 それに乗ろうと、二人で川を下りにゆこうと、水飛沫が涼しそうだからと…。

 

         川をゆく船・了


※ブルー君も行きたい、ハーレイ先生との川下り。あれも船だ、と気付いたら。
 早く大きくなって、「乗りに行こうよ」と強請れる日が来るといいですよねv





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(おっ…?)
 涼しそうだな、とハーレイが目を留めた新聞記事。
 夏休みの朝、ブルーの家へと出掛ける前に。
 家を出るにはまだ早い時間、朝食を終えてのんびり開いた新聞。
 其処に載っていた夏の川遊び、船に乗っての急流下り。
 一年中やっているのだけれども、今が一番人気の季節。
 船頭が操る船で下る川、時には水の飛沫も浴びる。
 急な段差を下った時やら、流れが早くて逆巻く所をゆくような時に。


 両親や友人たちと何度か乗っているから分かる。
 あれに乗るなら夏が一番、飛び散る飛沫を被りながらの川下り。
(ブルーも喜びそうなんだが…)
 乗せてやったら喜ぶと思う、小さなブルーも。
 車を出したら充分に日帰り出来る場所。
 川下りの船に乗り込む前に車とキーとを預けておいたら、車はちゃんと運んで貰える。
 船で下って辿り着く場所、其処の近くの駐車場まで。
 キーを受け取って乗って帰るだけ、船に乗った場所まで戻らなくても済むサービス。
 乗りに行くのは簡単なのだし、帰って来るのも簡単だけれど…。


(…問題はあいつがチビだってことで…)
 大喜びでついて来そうなブルー。
 「ホントにいいの?」と車に乗り込み、川下りに行くのだとはしゃぎそうなブルー。
 容易に想像出来るけれども、如何せん、ブルーは十四歳にしかならない子供。
(…ただの教え子というだけだったら…)
 川下りにだって連れて行ってやれる、他の子たちに遠慮はせずに。
 学校からも、生徒たちからも「贔屓だ」と文句は出はしない。
 自分は守り役なのだから。
 聖痕を持った小さなブルーが二度と出血を起こさないよう、側にいるのが役目だから。


 ただの守り役と、守られる方の教え子と。
 それだけだったら、いつでも行ける川下り。
 「今日は天気がいいから行くか」と車で乗り付け、ブルーを乗せて。
 ブルーの両親だって何も言わない、それどころか御礼を言われるくらい。
 「わざわざ車を出して貰ってすみません」と、「ブルーをよろしくお願いします」と。
 川下りの費用も払うと言い出しかねない、二人分を。
 息子が乗せて貰うのだからと、もしかしたら「お昼御飯もどうぞ」と余分に。
 そうして笑顔で見送るのだろう、一人息子を乗せた車を。
 角を曲がって見えなくなるまで、「行ってらっしゃい」と手を振りながら。


 連れてやるのは簡単だけれど、何の問題も無いけれど。
 川下りの船にも乗れるけれども、今のブルーの年が問題。
(本当に、ただの教え子だったらいいんだが…)
 二人きりで車に乗って行っても、遊びに行くというだけだから。
 今が一番のシーズンだからと、川下りをしに行くだけだから。
 けれどもブルーは実は恋人、前の生から愛したブルー。
 どうしたわけだか、幼くなってしまっただけで。
 青い地球の上、二人揃って生まれ変わって出会ったけれども、小さなブルー。
 前の生でメギドに飛んだ時より、恋人同士だった頃より。


 幼くなった小さな恋人、それでも同じに愛おしいブルー。
 再会して直ぐの頃には何度も途惑い、小さなブルーの姿に惑いもしたけれど。
 この姿でも恋人なのだと、ブルーなのだと心がざわめき、騒いだけれど。
 今ではすっかり落ち着いた心、育つまで待とうと生まれた余裕。
 心も身体も幼い恋人、小さなブルーが前と同じに育つまでは、と。
 唇へのキスも、その先のことも、ゆっくりと待てる。
 今のブルーの子供ならではの幸せな日々を、愛らしい顔を見守りながら。


 自分の方ではそうなのだけれど、とうに心は決まったけれど。
 納得しないのが小さなブルーで、何かと言ったら強請られるキス。
 「キスしてもいいよ?」と誘ったりもする、小さな子供の姿のくせに。
 無垢で愛くるしい笑みしか出来はしないくせに、一人前の恋人気取りで。
 きっと自分では、妖艶な顔をしているつもり。
 前のブルーがそうだったように、甘く香しい花がふわりと綻ぶように。
(…見事に失敗してるんだがな?)
 今のあいつにそんな魅力があるもんか、とクックッと笑う。
 暗闇でも人を誘いそうな花、そんな花とは違って愛らしい花、と。


 けれども、ブルーはまるで分かっていないから。
 待とうと決めた自分の心を突き崩そうと、あの手この手で頑張るから。
(二人きりだと危ないんだ、うん)
 何をしでかすのか分からないブルー、二人きりでのドライブとなれば。
 川下りに出掛けてゆくとなったら、それこそ頭をフル回転で。
(…思い付く限りの手を繰り出すぞ)
 これはデートだと、勢い込んで。
 千載一遇のチャンスなのだと、せめてキスくらいは勝ち取ってやろうと。


 そうなってくると、自分の覚悟のほども怪しい。
 二人きりの車内、ブルーがせっせと繰り出す攻撃、あの手この手で。
 どんなはずみに懐に向けて撃ち込まれるか分からない。
 自分の心を射抜くような弾を、キスはしないと決めた心を微塵に砕いてしまう弾を。
(…絶対に無いとは言い切れないしな…)
 自分もブルーも、人だから。
 いくら心を決めていたって、聖人君子ではない自分。
 ブルーの方でも、チビはチビでも中身はブルー。
 恋に夢中で、夢は「本物の恋人同士」で、前のブルーの記憶もしっかり抱えたままで。
 子供の声でも、子供の顔でも、前のブルーと重なることもあるだろう。
 出会って間もない頃の時期には、そうしたこともあったのだから。


 だから危ない、いくら川下りが楽しそうでも。
 ブルーが喜んでついて来そうでも、ブルーの両親が御礼を言ってくれそうでも。
(…連れてやるには危なすぎてなあ…)
 まだまだ先になりそうだよな、と眺めた新聞記事の中。
 涼しげに川を下ってゆく船、夏の日射しに煌めく飛沫。
 この船がまたいい、遠い遥かな昔の日本で使われた船と同じ川舟。
 和船と呼ばれる木で出来た船が、「船」と書くより「舟」が似合う船が。
 華奢なように見えて、実は頑丈らしい船。
 逆巻く急流も乗り越えてゆく船、川下りの魅力は船にもあって。


(…今どきの船では味わいがなあ…)
 川下りをするならこういう船だ、と覗き込む写真。
 いつかブルーと乗りに行こうと、ブルーが大きくなったなら、と。
 水の飛沫が似合う季節に、夏の盛りに、「涼みに行くか」と車を出して。
 ブルーと二人で少しドライブ、川下りの船の乗船場所でキーを預けて、この船に乗って。
 同じ乗るなら前の方。
 船の速さを、流れ下る川を、飛び散る飛沫を満喫できる場所がいい。
 川を下って進んでゆく船、それの魅力を楽しめる場所が。


 断然前だと、船を一隻見送ってでも前に乗ろうと思った所で。
 ブルーと二人で並んで座って、川を下ろうと思った所で。
(…船なんだよな?)
 これも船だ、と気が付いた。
 華奢に見えてしまう川下りの船、「舟」と書きたくなるような船。
 木で出来た船で、川を下ってゆくだけの船で、それにブルーと乗るのだけれど。
 並んで乗ろうと思ったけれども、船ならブルーと乗っていた。
 前のブルーと、ずうっと船に。
 川を下るための遊びの船とは違って、仲間たちの命を、ミュウの未来を乗せていた船に。


 楽園という名を持っていた船、箱舟だったシャングリラ。
 あの白い船で宇宙を旅した、前のブルーと広い宇宙を。
 船と言ったらシャングリラだった、前の自分とブルーにとっては。
 遊びで乗っていた船とは違って、地球を目指して乗っていた船。
 ミュウの未来を掴み取ろうと、青い地球まで辿り着こうと。


(…他に船なんかは…)
 無かったのだった、ブルーと二人で乗れる船などは。
 シャングリラの格納庫にはギブリなどのシャトルもあったけれども、あっただけ。
 仲間を救出する時だとか、ナスカとシャングリラの往復だとか。
 そういう時にだけ使っていた船、ブルーと乗れる船ではなかった。
 シャトルでは地球に行けないから。
 小さな機体しか持たないシャトルは、とても地球まで飛べないから。


 なのに、この船はどうだろう。
 ブルーと二人でいつか乗ろうと、前の方がいいと思った川舟。
 「舟」という字が相応しい船、シャトルよりもずっと小さな和船。
 それにブルーと乗ってゆく。
 シャングリラで地球を目指す代わりに、水の飛沫を浴びながら。
 青い地球の上の川を下って、川遊びのために乗ってゆく舟。
(…これにあいつと乗れるのか…)
 二人きりで、と笑みが零れた、なんと素敵な船だろうかと。
 シャングリラよりも遥かに小さく、まるでオモチャのような船。
 それに乗れると、ブルーを誘って乗りに行ける日が訪れるのだと。


(うん、船だな…)
 今日はブルーに話してやろうか、「船と言っても色々だよな」と。
 前の自分たちが乗ってゆけた船は一つだったけれど、今は沢山ありそうだよな、と。
 ただし、川下りの計画は内緒。
 小さなブルーは「今、行きたいのに!」と膨れっ面になるだろうから。
 大きくなるまで待てと言ったら、きっとプンスカ怒り出すから…。

 

         川を下る船・了


※ハーレイ先生が計画している川下り。シャングリラと違って、遊ぶための船で。
 同じ船でも形も意味も違うのです。ブルー君と早く乗りに行けるといいですよねv





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(お月様…)
 あんな所に、と小さなブルーが眺めた三日月。
 今の季節は日が沈むのが遅いから。
 太陽の名残を留めている空、其処にほんのり浮かんだ月。
 細いけれども、ピカピカ光りはしないけれども、月だと分かる。
 これから満ちてゆくのだろう月、まだまだ細い姿の月。


 今日は学校があった日だから、ハーレイは来てはくれなくて。
 仕事帰りに寄ってくれるかと待ったけれども、駄目だった。
 とうの昔に過ぎてしまった、ハーレイが寄ってくれそうな時間。
 こんな時間から来てはくれない、日暮れの遅い今の季節に夕陽が沈んでしまっては。
 細い三日月が西の空にあると、眺めて気付く時間には。
(…昼の間は分かんなかった…)
 三日月なんて、と考える。
 何度も空を仰いだけれども、細い月には気付かなかった、と。


 もしやハーレイが来てはくれないかと、ハーレイの車が見えはしないかと出た家の外。
 門扉の向こうの通りまで出て、暫く待ってみたのだけれど。
 ハーレイの車が来るならこっち、と眺めてみたり、そちらへと少し歩いてみたり。
 そうして待っていたというのに、やはりハーレイは来てくれなくて。
 前のハーレイの背にあったマント、それと同じ色の車は走って来なくて。
 やっぱり駄目だと、待っていたのに、と戻ろうとした家の中。
 溜息をついて門扉に手を掛けた時に気付いた三日月、西の空にほっそり光る月。
 昼間は気付かなかったのに。
 青い空に月はあったのだろうに、まるで気付かなかった三日月。


(…ぼくと同じでチビのお月様…)
 だから見付からなかったのだと思う、あまりに小さな月だから。
 まだ生まれたてと言っていいほど、三日しか経たない月なのだから。
(ぼくの方がまだ大きいくらい?)
 十四歳にはなっているのだし、あと四年経てば十八歳。
 ハーレイと結婚出来る年になる、四年待ったら、十八歳に。
 そこまで育って来てはいるのだし、三日月よりかは大きく育っているかもしれない。
 なんと呼ぶのか分からないけれど、あの三日月よりも太った月。


 そう思ったら、俄かに覚えた親近感。
 細っこいチビの三日月に。
 これから日に日に満ちてゆくだろう、満月を目指してゆく月に。
(…今はぼくの方が先輩だけど…)
 生まれて三日しか経たない月より先輩の自分、大きな自分。
 けれども、月は直ぐに自分を追い越してゆく。
 少しも背丈の伸びない自分を、十八歳になるまでに四年もかかる自分を。
 アッと言う間に満ちてゆく月、二週間も経たずに丸くなる月。
 すっかり育って立派な満月、それが夜空に昇ってくる。
 けれど…。


(今はホントにチビなんだしね?)
 あの月はきっと、本当に子供なのだろう。
 早く育って満月になろうと、夜空を明るく照らし出そうと、夢を見ている子供の月。
 まだ三日月にしかなっていないと、まだまだチビで光も弱いと。
 昼の間は見えないのだから。
 青空に月はあったのだろうに、気付いてくれる人は本当に少なかっただろうから。
 自分と同じに小さな三日月、生まれて三日目の細い月。
 それに力を貰った気がした、自分だって今に大きくなれると。
 大きく育って満月になれると、ハーレイと結婚出来る日が来ると。


 細っこい月に、「おんなじだね」と心で呼びかけて。
 「ぼくの方が少し先輩だよ」と、「大きいんだよ」と自慢して。
 西の空に向かって手を振った。
 そちらにハーレイの車は無いのだけれども、月に向かって。
 生まれて三日しか経たない三日月、自分と同じにチビの細い月に。


 家に入ったら、もう三日月は見えなくて。
 そうでなくても、きっと沈んでしまっただろう。
 沈む間際に「あそこに見える」と気付く細い月、それが三日月なのだから。
 太陽が輝く昼の間は、気付いて貰えないのだから。
 今頃は山や地平線の向こうに沈んでしまって、育ってゆく日を待っている月。
 しっかり眠って明日は育とうと、今日より大きな月になろうと。


(明日も会えるかな?)
 今日よりも少し育った月に。
 ほんの少しだけ大きく育って、「月があるよ」と早めに気付いて貰えそうな月に。
(…ハーレイが来てくれたら、忘れそうだけど…)
 月の光が見えそうな頃は、きっと話に夢中だから。
 部屋のテーブルを挟んで座って、あれこれ話しているだろうから。
 そうでなければハーレイの膝にチョコンと乗っかっていそうな自分。
 この時間なら母は来ないと、甘えていても大丈夫だと。


 もしもハーレイが来てくれたならば、忘れそうな月。
 今日より少し育ったろうかと、眺めに出るのを忘れそうな月。
(そうやって、一日忘れちゃったら…)
 一日見るのを忘れていたなら、月は大きく育つのだろう。
 これがチビだった三日月なのか、と思うくらいに。
 同じように欠けた細い月でも、ずいぶんしっかりしたんだけれど、と。


 二日忘れたら、その分だけ。
 三日忘れたら三日分だけ、細かった月は育ってゆく。
 チビの三日月はぐんぐん育って、チビの自分を追い越してゆく。
(…次に会ったら、ぼくより大きい?)
 満月は何歳になるのだろうか、と考えてみた。
 結婚出来る十八歳なのか、お酒が飲める二十歳なのか。
 どちらだろうかと勉強机の前に座って、首を捻って、窓の外を見て。


(…十八歳?)
 一番綺麗に見えると言われる月が、満月で十五夜なのだから。
 結婚出来る年が似合う気がした、お酒が飲めるようになる年よりも。
 二十歳よりも十八歳だと、満月はきっとそういう年だと。
 月に年齢があるのなら。
 生まれたての月がどんどん育って、大人になってゆくのなら。


 丸く大きく満ちた満月が十八歳なら、今の自分と同い年の月はどれだろう。
 どのくらいの月が自分と同じで、十四歳の月になるのだろう。
(んーと…)
 生まれたての月が零歳だから、と指を折る。
 十五夜の月が十八歳なら、三日月は三歳と少しだろうか、と。
 その勘定でいけば、多分、満月の少し前。
 二日ほど前が十四歳の月なのだろうか、今の自分と同い年の。
 きっとそうだと、同い年だと、その月を思い浮かべたけれど…。


 負けた、と悲しくなった月。
 月の名前はまるで詳しくないのだけれども、上弦の月は知っていた。
 七日ほど経った頃の月の見え方、ちょうど半分くらいの月。
 そこから更に六日も経ったのが満月の二日ほど前の月。
 何処から見たって、三日月のような形の月では有り得ない。
 どちらかと言えば丸に近い月、満月なのかと間違えそうなくらいに丸いのだろう、その月は。
 十四歳ならこのくらいだと、同い年だと思った月は。


 チビで小さな自分と違って、もうすぐ満月になりそうなほどに育った月。
 結婚出来る年は直ぐそこなのだと、こんなに大きく育ったのだと。
(…ぼくはホントにチビなのに…)
 見た目も、ハーレイが言うには中身も。
 前の自分と違って子供で、ハーレイはキスもしてくれない。
 「キスは駄目だ」と、「チビには頬と額だけだ」と。
 もっと自分が大きかったら、そうは言われなかっただろうに。
 前の自分と同じ背丈に育つまでは駄目だと言われもしないで、キスの一つも貰えたろうに。


 負けてしまった、と悔しい月。
 今はチビでも、生まれて三日しか経たない月でも、直ぐに育って一人前。
 十八歳になった満月だったら、負けて諦めもつくけれど。
 あれは大人のお月様だと、結婚出来る年なのだからと、納得して仰ぎもするけれど。
(…ぼくと同い年でも、きっと丸くて…)
 大きいのだろう、満月の二日ほど前の夜の月は。
 さっき自分が勘定してみた、十四歳くらいになるだろう月は。


(…今はチビなのに…)
 本当にチビの月だったのに、と悔しい三日月、羨ましい月。
 十四歳になった頃には一人前かと思えそうなくらいに丸いだろう月、満ちてゆく月。
 月のくせに、と膨れてしまった、昼間は見えもしなかったくせに、と。
 気付いていた人は少ないだろうに、ぼくよりもチビの月のくせに、と。
 怒ったって月には届かないのだし、膨れているだけ無駄なのだけど。
 月はとっくに沈んでしまって、今の自分の膨れっ面さえ知らずに眠っているのだけれど。
 明日にはもっと大きくなろうと、しっかり眠って育たなくては、と。


 育つために沈んで行った月。
 今は眠っているのだろう月、生まれてから三日しか経たない三日月。
 それはくるりと地球を回って、明日になったらまた昇ってくる。
 今日よりも少し遅い時間に、今日よりも少し育った姿で。
(…くるっと回れば育つだなんて…)
 おまけに十四歳までにうんと大きく育つだなんて、とプウッと膨れて。
 月のくせにと、今はぼくよりもチビのくせにと窓の向こうをキッと睨んで、気が付いた。


 真っ暗になった窓の外。
 月は無いから星たちの世界、そういう夜空があるだろうけれど。
 幾つもの星が見えるだろう空、十日も経てば十四歳の月が輝くだろう空。
(…地球の空だよ…)
 それに月も、と驚いた自分。
 前の自分が焦がれていた地球、地球の周りを回っている月。
 夢に見た星で、青い地球の上で、地球の月に向かって膨れっ面をしていたなんて。
 月のくせにとプウッと膨れて、チビのくせにと、地球の三日月に。


 生意気な月だと思ったけれども、もう許すしかないだろう。
 前の自分が焦がれた地球。
 その地球の上に、ハーレイと二人で来たのだから。
 だからこそ羨ましかった月。
 同い年のきっと丸いだろう月、それに負けたとプウッと膨れていたのだから…。

 

        チビの三日月・了


※チビの三日月に負けてしまったと膨れっ面のブルー君。月のくせに、と。
 けれども地球の月だと気付けば、もう許すしかないようです。地球にいる幸せv





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(ほう…)
 月か、とハーレイが眺めた西の空。
 今の季節は日が暮れるのが遅いから。
 今の時間も西の空を明るく見せている太陽の名残、これから降りてくる夕闇。
 其処にほのかに浮かんでいる月、ほっそりと白く浮かんだ月。
 満月ほどの輝きは無くて、それほどの大きさも全く無くて。
 頼りないほどに細い三日月、まだ若い月。
 眉月とも夕月とも言うのだったか、こういう月は。
 これから満ちてゆく月は。


 七日月には早すぎる月。
 上弦の月とも、弓張月とも呼ばれる半分ほど満ちた月のこと。
(…あれは昼間の月なんだ)
 正午に昇ってくる半月が上弦の月。
 真昼の青空に浮かぶけれども、今の季節は太陽の輝きに負けてしまって忘れられがち。
 何人の人が気付くのだろうか、昼間に月が昇っていると。
 半分しか満ちていない月が青空にあると、あの白いのが月なのだと。


 今の三日月もそうだけれども、太陽に負けてしまいがちな月。
 一緒に空に昇った時には、主役は圧倒的に太陽。
(もう少し太れば夕方でも綺麗に見えるんだろうが…)
 でなければ日暮れが早い季節、と眺める三日月。
 家のガレージに車を入れた後、わざわざ表の通りまで出て。
 庭からだと木々などの陰に隠れて見えなくなるから、頼りなさげな細い月を。
 こういう月もなかなかにいいと、細くても味わいがあるものだと。


 眉月に三日月、それから若月。
 同じ形の月であっても、幾つもの名前。
 これから満ちてゆくのに合わせて増えてゆく名前、空に輝く月を指す名前。
 七日経ったら上弦の月。
 弓張月で七日月になる、あの三日月が太ったら。
 それまでの間は夕月だったか、弓張月には足りない月。
 上弦の月が更に満ちてゆけば、もっと名前が増えてゆく。
 十三夜の月に、十四夜の月。
 見事に満ちたら満月で十五夜、夜空を煌々と照らす望月。


(…まだまだだな)
 十日以上もかかるんだ、と庭に入って別れを告げた。
 さっきよりかは明るさを増した三日月に。
 もうすぐ西の空に沈むのだろう、細く頼りない眉月に。
 庭に入ればもう見えない月、やがて宵闇が降りてくる。
 月は沈んでしまったのだから、星たちが煌めき輝く夜が。
 月の光に打ち消されないで、幾つもの星が空一面に散らばる夜が。
 そういう夜も嫌いではない、月の無い夜空。
 主役は自分だと言わんばかりに、星たちが幾つも煌めく夜空。


 玄関を開けて入った家。
 着替えをしたり、夕食の支度をしたりする間に、とっぷりと暮れて。
 さて食べるか、とダイニングのテーブルに着いた頃には真っ暗な庭。
(このくらい暗くなっていればな…)
 眉月だって綺麗に光っていただろう。
 細いなりにも、銀色の針か何かのように。
 夜空に爪で入れた切り込み、そんな風にも見える輝き。
 季節がまるで逆の頃には、お目にかかれる明るい三日月。
 冷え込む夜の訪れを前に、西の夜空に浮かぶ眉月。


(今の季節じゃ、そうはいかんし…)
 強く輝く細い月を見るなら、朝早く。
 満月から欠けて細くなった月、二十六夜と名前がついた細い月。
 欠けている側は、今日の月とは逆様になっているけれど。
 三日月とは逆の側がすっかり影になった月、二十六夜と呼ばれる月。
(十日どころか、もっと先だぞ)
 うんと先だ、と窓の向こうの庭に目を遣る。
 二十六夜の月が夜明け前の暗い空に昇るまでには、まだどのくらいかかるだろうか、と。


 三日月が満ちて、丸くなるまでに十日以上はかかるから。
 満月の次の日が十六夜の月で、その次の日が立待月。
 人は満月が好きだからだろうか、月の名前はググンと増える。
 まだか、まだかと月が昇るのを立って待つから立待月。
 その次の日には立って待つのに疲れてしまうから、座って待つ月、居待月。
 そのまた次の日は、寝て待つことになって臥待月と呼ばれる月の名。
 寝て待ったならば充分だろうという気がするのに、まだ次があった。
 夜が更けるまで待っているから更待月、と。


 月を待ち侘び、幾つも名前を付けて昇るのを待った人々。
 遥かな遠い昔の地球で。
 SD体制など誰も思いもよらなかったろう、滅びる前の青かった地球で。
 その人々も、夜更けまで待った更待月を見たら満足したのか、疲れ果てたか。
 一日刻みの月の名前は其処で途切れて、二十三夜の下弦の月まで無い名前。
 二十三日目の夜の月だから二十三夜で、次はまたまた途切れる名前。
 三日月の逆の二十六夜が昇ってくるまで、ついていない名前。


(つくづく、よくも名付けたもんだ)
 これだけの名前を、と苦笑いした、月なんだが、と。
 夜空で満ちては欠けてゆく月、ただの衛星に過ぎないんだが、と。
 さっきの三日月も、これから満ちたら見える満月も、月は月。
 地球の周りを巡る衛星、ただ一つきりの地球の衛星。
 幾つ名前をつけた所で月は月だし、その姿までは変わりはしない。
 太陽の光を受けて光る面、その大きさが変化するだけで。
 月と太陽の位置の関係、それで変わってゆくというだけで。


 けれども、遠い昔の人には仕組みも分からなかっただろう。
 月は地球の衛星ではなくて神秘の天体、太陽と同じに崇められたもの。
 その輝きを忌む人々もあったけれども、月の神までいたのだから。
 太陽の女神の弟の一人が月の神。
 まさか衛星だとは、誰も思っていなかったろう。
 地球の周りを巡っていることも、一ヶ月かけて巡る間に満ち欠けることも、知られないまま。
 人は暦を作っただけ。
 次に満月が来るのはいつかと、この日の月は何になるのかと。


(…それでだな…)
 さっきの月は三日月で間違いなかったろうか、と開いた新聞。
 天気予報の欄についている、今日の月齢。
 確かめてみたら、やはり三日月、思った通りに眉月だった月。
 まだ若いから若月な月、夕方に見えているから夕月。
 朔の名を持つ新月から三日しか経っていないのが三日月だから。
(やっぱり当分かかるんだな、うん)
 名前だらけの月が毎晩続けて昇るまでには。
 十三夜の月に十四夜の月、見事に満ちた十五夜の月。
 十六夜が過ぎたら立待月で、居待月が来て、臥待月から更待月。


 ズラリ並んだ月の名前は、前の自分が知らなかったもの。
 白いシャングリラから月は見えなくて、第一、キャプテンには要らない知識。
 月の周りを飛ぼうというなら、名前ではなくて月そのもののデータ。
 軌道や重力、そういったもの。
 月がシャングリラに及ぼすだろう力や、シャングリラとの距離などのデータ。
 それさえあったら船は飛べたし、月の名前は必要無かった。
 三日月だろうが、満月だろうが、三日月とはまるで逆の形の二十六夜の月であろうが。


(…知らなくっても当然だよな)
 要らないものは、と額を指でピンと弾いた、「今は必須の知識なんだが」と。
 月の名前も分からなくては、古典の教師は務まらない。
 遠い遥かな昔の人々、彼らが記した文の味わいも、余韻も読み取ることが出来ない。
(でもって、逆にだ…)
 今は要らない、月の軌道や重力のデータ。
 宇宙船のパイロットをするわけではないし、持っていたって役には立たない。
 シャングリラを地球まで運ぶためには必要不可欠だったけれども。
 白い鯨で地球に行くには、月の軌道も重力のデータも、他にも色々要ったのだけれど。


 そこまで考えてハタと気付いた、夜空に浮かぶ月なるもの。
 地球の周りを巡る衛星、たった一つしか無い地球の月。
(…おいおい、あれが本物じゃないか)
 正真正銘、あれが月だ、と前の自分が驚いた。
 今の自分には当たり前の月で、一ヶ月かけて満ちて欠ける月。
 地球を回るたった一つの衛星、夕方の空にあった三日月。
 今でも一年は十二ヶ月だし、一ヶ月は三十日前後。


 けれども、それが当てはまる場所は。
 月が一ヶ月かけて満ち欠け、星の周りを巡ってゆく場所は…。
(…本家本元は地球の月だぞ)
 あの三日月だ、と気が付いた。
 前の自分が目指していた地球、白いシャングリラから一度だけ目にした地球の衛星。
 此処を越えれば地球が見えると、青い水の星があると飛び越えた月の向こうに…。
(…無かったんだった、青い地球なんぞは)
 どれほど辛く悲しかったか、月を越えた向こうにあった死の星。
 前のブルーが夢に見た星、焦がれ続けて求めた星。
 それは何処にも無かった筈で、月の向こうに約束の場所は無かったけれど。


 今は夜空にその月が浮かぶ、幾つもの名前を持っている月が。
 遠い遥かな昔と同じに、地球が滅びる前と同じに。
(…あの時と同じ月なんだがな?)
 前の自分が白いシャングリラで飛び越えた月。
 青い地球があると信じて越えて行った月。
 それから長い長い時を飛び越え、本物の青い地球に来た。
 前の生から愛し続けたブルーと二人で、月を従えた青い地球の上に。
 そして月には名前が戻って、今の自分がそれを数える。
 三日月に十五夜、十六夜の月と。
 立待月の次の月は居待月、その次の月は臥待月、と…。

 

       三日月の夜に・了


※ハーレイ先生、今ではすっかり古典の教師の世界です。月の名前をズラズラと挙げて。
 キャプテンだった頃には要らなかった知識、それを幾つも持てる幸せv





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