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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(今日も一日…)
 無事に終わったってな、と心で呟くハーレイ。
 ブルーの家には寄り損なったけれど、それを除けば順調だった日。
 朝起きてから仕事に出掛けて、会議も済ませて帰って来た。
 着替えをしたら夕食の支度、食材もちゃんと買って来たから。
 鼻歌交じりに作った夕食、ダイニングのテーブルでゆっくり食べたら…。
(コーヒーにするかな)
 食後はやっぱりコーヒーがいい。
 ブルーの家では滅多に飲まないけれど。
 コーヒーが苦手なブルーに合わせて、お茶の時間にはいつでも紅茶。
 夕食を御馳走になった後には、たまにコーヒーも出るけれど…。
(あいつが膨れているからなあ…)
 顔に出さなくても、声に出さなくても、ブルーの心は手に取るように分かる。
 「仲間外れになってしまった」と悔しそうにしている小さなブルー。
 両親もコーヒーを飲んでいるから、「どうしてぼくだけ」と。
 一度、強請ってコーヒーを飲んで酷い目に遭ってしまったくせに。
 苦くて飲めなかったばかりか、目が冴えて眠れなかったという有様のくせに。
(…しかし、あいつは懲りてないんだ)
 前の生から変わらない頑固さ、今もコーヒーを飲みたいと思っているらしい。
 仲間外れは嫌だから、と。
 そのせいでどうも落ち着かないのが、ブルーの家で飲むコーヒー。
 食後に「どうぞ」と出て来るコーヒー、美味しいけれども苦いコーヒー。


 コーヒーは苦いものだけど。
 苦みも美味しさの内だけれども、御機嫌斜めなブルーを横目に飲むコーヒーは…。
(ほろ苦いの意味が違うんだよなあ…)
 舌が喜ぶ苦さとは違って、心を掠めてゆく苦み。
 自分だけ美味しく飲んでいいのかと、ブルーはこれが飲めないんだが、と。
 ブルーの母が淹れるコーヒーは香り高くて、豆もいいもので。
 御馳走になったら「美味しいですね」と手放しで褒めてしまうし、実際、美味で。
 店で出たなら、もう間違いなく贔屓の店になるだろう。
 次に近所を通り掛かったら、是非とも入ってコーヒーを飲もう、と。
(…せっかく美味いコーヒーなんだが…)
 小さなブルーの恨みがましい視線を感じてしまうコーヒー。
 みんなズルイと、ぼくのコーヒーは無いのにと。
 ブルーの両親は慣れているから、そんなものだと気にしていない。
 それこそブルーが赤ん坊の頃から、夫婦で何度もコーヒーを飲んでいただろうから。
 家ではもちろん、喫茶店でも、家族で出掛けたレストランでも。
 要はブルーにはまだ早いコーヒー、それだけのこと。
 「ソルジャー・ブルーも苦手だったらしい」と知った今でも、変わりはしない。
 自分たちの息子はコーヒーが苦手、たったそれだけ。
 飲めないのだからブルーの分まで淹れなくていいし、紅茶で充分、と。


 ところが、そうはいかない自分。
 ブルーを育てた両親と違って、「仲間外れにしておく」ことに慣れてはいない。
 それどころか逆で、今の自分も慣れないけれども…。
(前の俺だって慣れてないんだ!)
 ソルジャー・ブルーと呼ばれて、気高く美しかった前のブルー。
 前の自分が愛したブルー。
 小さなブルーと違って大人だったけれど、「仲間外れ」を嫌がった。
 正確に言うなら、前の自分と「飲み物の好みが違う」ことを。
 前の自分が好んだコーヒー、それから酒。
 どちらも前のブルーには合わず、何かと言えば零していた。
 「何処が美味しいのか分からないよ」と、「ぼくは好きではないんだけれど」と。
 好き嫌いは全く無かったブルーだけれども、嗜好品となれば別だった。
 酒が無くても死にはしないし、コーヒーも同じことだから。
 シャングリラに欠かせない食料ではなくて、無くても「我慢しろ」で済むものだから。
 好む者だけが欲しがる飲み物、そういったせいもあっただろう。
 前のブルーがコーヒーも酒も全く受け付けなかったのは。
 飲まねばならない必要はなくて、「ぼくは駄目だ」で済んだのだから。


 なのにブルーは我儘を言った、「ぼくも飲みたい」と。
 「君が美味しそうに飲んでいるから」と、コーヒーや酒を。
 酷い目に遭うと分かっているのに、自分の舌には合わないのに。
 強請られる度に断り切れずに、コーヒーや酒をブルーに出していたのが自分で…。
(あいつを無視して俺だけコーヒーっていうのはだな…)
 どうにも苦手で落ち着かなかった、前のブルーがチラリと見るから。
 「美味しいのかい?」と、「君は本当にそれが好きだね」と。
 そんなわけだから、ブルーの前では大抵、紅茶で。
 ブルーに合わせて飲んでいたから、それを今でも引き摺っている。
 おまけに今でも小さなブルーとお茶を飲む時は紅茶が基本。
 ジュースの類も出たりするけれど、コーヒーは出ない。
 夕食の後で、ブルーの両親が「どうぞ」と勧めてくれる時だけしか。
 小さなブルーが「ぼくの分が無い…」と膨れているのが手に取るように分かる時しか。
 ブルーは膨れていないけれども、顔は笑顔でいるのだけれども、心に溢れている不満。
 「ぼくだけ仲間外れになった」と、「ハーレイだってコーヒーなのに」と。
 両親とブルーだけの席であったら、きっと膨れはしないだろうに。
 そういうものだと幼い頃から慣れているから、普通だろうに。


(俺がいるっていうだけでだ…)
 ブルーの心は我儘になる。仲間外れは嫌だと膨れる。
 自分がブルーの恋人だから。
 その恋人と同じものがいいと、同じ飲み物を飲みたいのにとブルーの心が溜息をつく。
 愛らしいけれど、ブルーの心が分かるから。
 仲間外れの寂しさも不満も、自分にはちゃんと伝わるから。
(…絶品のコーヒーが苦くなるんだ)
 美味しさが増す苦味とは違って、心に苦み。
 小さなブルーを仲間外れにしてしまうという心の痛みと、チリッと走る苦み。
 だから落ち着かない、ブルーの家で味わうコーヒー。
 その辺りの店で出されるコーヒーなどより、ずっと美味しいコーヒーなのに。
 ブルーの両親の客であったら、彼らがブルーの親と違って友人だったら…。
(もう絶対にコーヒー談義だ)
 何処の豆かと訊くのに始まり、淹れ方のコツも訊くだろう。
 自分も上手く淹れられるけれど、もっと他にも秘訣があるかもしれないから。
 それをプラスしたら、家で淹れるコーヒーの味も格段に上がるかもしれないから。


 けれども未だに訊けない秘訣と、一度も出来ないコーヒー談義。
 小さなブルーが膨れているから、顔に出さなくても不満そうだから。
 ブルーの家で飲むコーヒーにはつきものの苦み、ブルーの不満。
 小さなブルーの膨れっ面。
 膨れていなくても、心の中では「仲間外れだ」と不満たらたら。
(あれじゃコーヒーの美味さもなあ…)
 落ちるってもんだ、と淹れたコーヒー、いつもの自分のやり方で。
 ブルーの家で出される美味しいコーヒー、それの秘訣はまだ訊けないから。
 ともあれ、愛用の大きなマグカップにたっぷり、熱いコーヒーを注ぎ入れて。
 これが美味いと、今日も一日無事に終わったと椅子にゆったり背中を預ける。
(淹れる時から楽しいんだ…)
 コーヒーってヤツは、と頬が緩んだ、ひと手間かけるのが嬉しいコーヒー。
 時間があるなら豆から挽いて、出来上がるまでの時間も味わう。
 絶妙な苦さを含んだ一滴、それをゆっくりと淹れる贅沢。
(…こいつはブルーの前ではなあ…)
 膨れちまうから出来ないだろうな、と苦笑した。
 小さなブルーはきっと怒り出す、「どうしてそんなに時間をかけるの!」と。
 「ぼくが飲めないものを、時間をかけて淹れるなんて酷い!」と。
 そんな暇があったら…、と怒りそうなブルー。
 ぼくに構ってと、話をするのでも何でもいいから、と。


 そういうコースで間違いないな、と思ったけれど。
 小さなブルーがいないからこそ、コーヒーをゆっくり淹れて飲めるのだと思ったけれど。
(…待てよ?)
 毎晩のように淹れるコーヒー、楽しみながら淹れるコーヒー。
 前の自分にそんな余裕があっただろうか?
 たとえブルーがコーヒーが苦手でなかったとしても、二人でコーヒーだったとしても。
(…やってやれないことはなかったが…)
 前のブルーと過ごした青の間、それにキャプテンだった自分の部屋。
 どちらでもコーヒーは淹れられたけれど、それを習慣に出来るほどには…。
(…余裕ってヤツが無かったかもしれん)
 そういう習慣を持っていたとしても、無かったかもしれなかった明日。
 今日はコーヒーを淹れられたとしても、明日の夜には…。
(俺もブルーも…)
 死んでいたかもしれないのだった、人類軍からの攻撃を受けて。
 白いシャングリラごと沈んでしまって、次の日の朝は永遠に来なくて、コーヒーだって。
(…淹れるどころか、飲めないんだ…)
 死んでしまっては、味わえないから。
 淹れることさえ出来ないから。
 それが今では当たり前のようにコーヒーを淹れて、こうして飲んで。
 ブルーの膨れっ面を思って、家で飲むのがいいと思って…。


(…当たり前の時間なんだと思っていたが…)
 こうしてコーヒーを味わう時間も、淹れる時間も。
 前の自分が持たなかった時間、訪れると分かっている明日がある日々。
 それと気付いたこんな夜には、コーヒーをゆっくりと味わおう。
 当たり前にあるコーヒータイム。
 今ならではの贅沢なのだと、それが出来る世界に今の自分は生まれて来たと…。

 

         当たり前の時間・了


※ハーレイ先生のコーヒータイム。愛用のマグカップで寛ぎのひと時ですが…。
 それを毎日楽しめるという保証が無かったシャングリラ。今だから出来る贅沢なのですv





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(んーと…)
 ぼくなんだけど、とブルーが覗いてみた鏡。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ふと目に付いたから覗いた鏡。
 其処に映った自分の顔。
 ごくごく見慣れたいつもの顔で、自分はこういう顔なのだけれど。
 ちょっと違う、と覚えた違和感、「ぼくじゃないよ」という気持ち。
 どうしてなのかはもう分かっている、原因を探るまでもなく。
(…同じ顔だけど、ぼくじゃないんだよ)
 自分の顔はこうだけれども、本当なら違う筈だった。
 こんな子供の顔とは違って、大人びた顔が映る筈の鏡。
 もっと育った自分の顔。
 何歳くらいと断言出来はしないけれど、多分…。
(十八歳くらい?)
 それくらいだと思う、鏡に映るべき自分の顔は。
 向こう側からこちらを眺めて、目が合う筈の鏡の世界の自分の顔は。
 今の自分よりずっと大人だと思える顔立ち、それが鏡に映らなければいけないのに。
 自分の顔はそうあるべきだと思っているのに、映ってくれないこの現実。
 同じ顔でもチビの顔。
 十四歳にしかならない子供の自分が鏡に映って、十八歳の自分は何処にもいない。
 少年と言える年ではあっても、十八歳なら立派に大人。
 お酒は飲めない年だけれども、結婚だって出来るのだから。


 いくら鏡を覗き込んでも変わってくれない自分の顔。
 幼い頃から長い付き合い、幼稚園の帽子が似合う顔立ちはとっくに卒業したけれど。
 下の学校の低学年の顔にも「さよなら」を告げて来たのだけれども、やっぱり今でも幼い顔。
 理想の自分は映ってくれずに、子供の自分が映っている。
 それが違和感、「ぼくじゃないよ」と思う原因。
 ちゃんと自分の顔なのに。
 赤ん坊の頃から成長して来て、今のこの顔になったのに。
 アルバムには証拠とも言える写真が何枚もあるし、両親だって息子の顔だと思っている筈。
 生まれつき身体の弱い子だったけれど、元気に大きく育ってくれたと。
 まだこれからも育つのだから、成長の記録はまだまだ増えると。
(…その背だって伸びてくれないんだけど…)
 どうしたわけだか少しも伸びない、今年の春から。
 早く育ちたいと祈るような気持ちでミルクを飲んでも、一ミリも伸びてくれない背丈。
 これでは全く話にならない、子供の顔から変わらない筈。
 育たないのでは顔も変わらない、大人びた顔になってはくれない。
(ゆっくり育てよ、って言われたって…!)
 その言葉を言った恋人を思う、それは些か酷すぎないかと。
 自分は早く育ちたいのに、ゆっくり育てとはあんまりすぎると。


 両親にも誰にも内緒の恋人、今はまだ言えない秘密の恋人。
 自分が通う学校の古典の教師で、ついでに守り役。
 ちょっと厄介な聖痕なるもの、それを背負った自分のためにとついた守り役。
 けれど、守り役は表向きのこと、本当の所はまるで違った。
 前の生から共に暮らしたキャプテン・ハーレイ、それが恋人の正体で。
 自分はと言えばソルジャー・ブルーで、今の時代には伝説の人。
 遠く遥かに過ぎ去った昔、ミュウの未来を守るためにとメギドを沈めて散った英雄。
 キャプテン・ハーレイはソルジャー・ブルーの右腕だったと伝わるから。
 だから前世の思い出を存分に語り合えるようにと、守り役というのが実態だけれど。
(…本当は、もっと…)
 右腕どころじゃないんだけどな、と鏡の向こうの子供の顔を覗き込む。
 この顔がもっと大人だったら、何もかも違っていたろうに。
 恋人同士なことを隠す必要はなくて、ずっと一緒にいられただろうに。
 そう、前世の記憶が戻った途端に結婚だって出来た筈。
 鏡の自分がチビでなければ、十四歳にしかならない子供でなければ。
 十八歳になっていたなら、今頃はきっと…。
(…こんな所で鏡なんかは見ていないんだよ)
 お風呂上がりに自分の部屋の壁に掛かった鏡など。
 同じ鏡を覗き込むにしても、きっと全てが違っていた筈。
 「何を見てるんだ?」と後ろから来たハーレイの姿が映るとか。
 そのハーレイに「なんでもないよ」と微笑み掛けて、そのままキスを交わすとか。


 ところが、それが出来ない自分。
 ハーレイと一緒に暮らすどころか、キスさえ許して貰えない自分。
 前の自分がメギドへと飛んで別れた時から、少しも変わっていないハーレイ。
 生まれ変わっても全く同じに変わらない姿、そのハーレイに言われてしまった。
 「前のお前と同じ背丈に育つまでは俺は決してキスはしない」と。
 子供にキスなどとんでもないと、唇へのキスは絶対駄目だと。
 お蔭で今でも…。
(キスはおでこと頬っぺただけ…)
 欲しいと願っても貰えないキス、強引に強請ればキスの代わりに指で額を弾かれる。
 「チビのくせに」と、「お前にはキスは早すぎるんだ」と。
 そういう目にも遭っているから、余計に納得出来ない鏡。
 子供の顔立ちの自分を映し出す鏡。
 自分は自分のままなのに。
 前の自分と同じに自分で、記憶の中身はソルジャー・ブルー。
 キャプテン・ハーレイだったハーレイとは長く恋人同士で、やっと再会出来たのに。
 「ただいま」と挨拶もしたと言うのに、抱き締めて貰っておしまいだった。
 再会のキスは叶わなかった、そして未だに叶わないまま。
 自分がチビのままだから。
 どんなに鏡を覗いてみたって、子供の顔しか映らないから。


(…おんなじ顔だと思うんだけど…)
 間違いなく同じ顔なんだけど、と鏡の自分に溜息をつく。
 今の顔だって、前の自分と同じ顔には違いない。
 ミュウの歴史の始まりの英雄、ソルジャー・ブルーのアルタミラでの顔はこう。
 十四歳で成人検査を受けた時のまま、成長を止めてしまっていたから。
 この顔の時に前のハーレイと出会ったのだし、もうそれだけで充分なのに。
 ハーレイにとっては見知った顔立ち、恋人だったソルジャー・ブルーの顔なのに。
(…前のぼくだった時ならともかく…)
 出会って直ぐに恋人同士になったわけではなかったのだから、前のハーレイなら仕方ない。
 キスをしようと思わなくても、キスのその先をしたい気持ちにならなくても。
 けれども、今のハーレイは違う。
 前の自分と恋を育み、本物の恋人同士だったハーレイ。
 キスも、キスのその先の色々なことも、前のハーレイと自分の間では…。
(…普通だったし、して当たり前…)
 何度も何度も交わしたキス。
 愛を交わして、熱くて甘い夜を過ごした、互いの部屋で。
 それを知っているのが今のハーレイ、記憶は残っている筈なのに。
 ハーレイ自身もそう言っているのに、相手にしては貰えない。
 「チビの間は駄目だ」とばかりに門前払いで、キスの一つも貰えない。
 自分は同じ顔なのに。
 前の自分とそっくり同じで、この顔立ちの時にハーレイと前の自分は出会ったのに。


 自分では何処も変わらないと思う、だから余計に悔しくなる。
 こうして鏡を覗けば違和感、「ぼくじゃないよ」と思えてしまう。
 同じ顔でもこの顔ではなくて、見慣れたソルジャー・ブルーの頃の顔。
 その顔が鏡に映る筈なのに、チビの自分が映るだなんて、と。
 なんとも悲しくて情けない事実、鏡の向こうの自分の顔。
 何処から見たって子供でしかなくて、大人びた所は少しも無くて。
(…同じ顔だけど、ぼくじゃない…)
 こんなのじゃないよ、と引っ張った目尻。
 子供っぽく見える大きな目。
 これがもう少し細くなったら、前の自分の顔になるだろうかと。
(んー…)
 真横に向かって引っ張ってみても、変な顔になっただけだった。
 ならば、と吊り上げ気味にしてみたら、さっきの顔より酷かった。
 どうやら大きな目のせいではない、自分が望んだ顔が鏡に映らないのは。
 子供の特徴の丸い輪郭、これが駄目かと頬っぺたをキュッと両手で引き締めてみても。
(………)
 これも違う、とガッカリしただけの輪郭が変になった顔。
 唇まで引っ張れてしまったのだから、顔のパーツが狂っただけ。
 鏡に映った顔は望み通りになりはしなくて、まるで睨めっこをしているよう。
 笑ってしまえ、と鏡の向こうの自分が変な顔をする。
 これだけ変な顔をしたなら勝てるだろうと、お前が笑ってしまって負けだと。


 鏡の向こうに前の自分を見たいのに。
 前の自分とそっくり同じに生まれて来たのに、前の自分は完成していない。
 同じ顔でも、前の自分の子供時代で止まっている顔。
 ハーレイがキスもしてくれないような子供の顔で、十四歳にしかならない顔で。
(…なんでこうなっちゃったんだろう…)
 本当だったら、前の自分とそっくり同じに育って再会だっただろうに。
 ソルジャー・ブルーだった頃の顔立ち、それで出会えていたろうに。
 その顔だったら、もう間違いなくハーレイと結婚出来ていた。
 わざわざキスを強請らなくても、好きなだけキスを交わせた筈で。
(…ハーレイとおんなじ家で暮らして…)
 キスも、その先のことだって。
 ハーレイは駄目だと言いはしなくて、望むだけのキスを降らせてくれた。
 唇だけでは済まないキスを。
 恋人同士だからこそ貰うことが出来る沢山のキスを、優しくて熱い甘いキスの雨を。
 鏡に映った顔が子供の顔でなければ。
 同じ顔でも完成品なら、ソルジャー・ブルーだった頃の顔になるまで育っていたら。
 なんとも悔しい限りだけれども、鏡を覗けば違和感を覚えてしまうのだけど。
(…今だけの我慢…)
 あと何年か、と鏡の自分を睨み付ける。
 今に大きく育つんだから、と。
 前の自分と同じに育って、ハーレイとキスして、結婚だって出来るんだから、と…。

 

         同じ顔だけど・了


※鏡を覗いても、お望みの顔が映ってくれないブルー君。子供の顔しか映りません。
 頑張ってみても前の自分の顔は再現不可能ですけど、いつかはちゃんと育ちますよねv





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(ふうむ…)
 こうして見ると俺なんだが、とハーレイが覗き込んだ鏡の中。
 風呂から上がって、パジャマ姿で入った寝室、目に付いたから覗いた鏡。
 其処に映った姿は確かに自分だけれど。
 パジャマの模様も形も見慣れたものだけれども、フイと掠めて行った感覚。
 違和感とは違って、さりとて親近感でもなくて。
 何と言えばいいのか、適切な言葉が見付からない。
 これでも古典の教師なのに。
 SD体制が始まるよりも遠く遥かな昔の日本の文学などを教える立場なのに。
(…なんと言ったらいいのやら…)
 どうにも分からん、と言葉選びは放棄した。
 言葉などより、この現実が大切だから。
 鏡に映った自分の姿が、それが映る今が大切だから。
 何処から見たって自分は自分で、それ以外ではないけれど。
 柔道と水泳が得意な古典の教師で、三十代も後半の独身男なのだけど。
(…周りから見りゃ、それで終わりで…)
 それ以上でも以下でもない。
 生憎と柔道も水泳の方も、プロの選手にはならなかったから。
 そっちで名前は売れていないし、ただの古典の教師に過ぎない。
 同じ柔道や水泳をやる人からなら、一目置かれているけれど。
 プロの道には行かなかっただけでプロ級の人だと、それを知らないようでは駄目だと。


 けれど、所詮は其処までのこと。
 道を歩いてもサインを求められたりはしない、ただの古典の教師だから。
 教師の方なら生徒に人気で、「先生、サイン!」と強請られることもあるけれど。
 卒業前とか、何かの記念に「書いて欲しい」と。
 頼まれれば生徒に向けての言葉だって書く、格言だったり、自分で考えた言葉だったり。
 つまりはそれが自分の全てで、本当だったら…。
(他の顔など無い筈なんだが…)
 今まで赴任してきた学校で出会った、教師仲間たち。
 中には「休みの日には農業をしている」などと言う者もあった。
 親や、もっと前の代からの農家、お蔭で農地があるものだから、と。
 休日になったらリフレッシュとばかりに農家の仕事で、それがなかなかに楽しいと。
 彼らから「昨日の収穫」とキュウリなどを貰ったことも多いし、農業をやっている者は多い。
 変わった所では漁師などもいた、趣味と言うのか、半ばプロなのか。
 金曜日の仕事が終わった途端に車を飛ばして実家のある海辺の町へ出掛けて、週末は漁師。
 たった一日かそこらのことでも、楽しいのだと言っていた。
 「疲れるどころじゃないですよ」と。
 「ハーレイ先生も御存知でしょうが、海は見ているだけでもいいもんですよ」と。
 そういった同僚が持っていたのが「別の顔」。
 教師だけれども農家だったり、プロと呼んでいい漁師だったり。


 ところが、自分は普通だから。
 隣町の家も農家や漁師ではないから、まるで無い筈の別の顔。
 週末は柔道の道場に出掛けて指導をするとか、ジムのプールで泳ぐだとか。
 あくまで普段の自分の延長、誰も驚いてはくれないもの。
 別の顔だと言えはしないし、主張するだけ無駄というもの。
(…俺は俺でだ、ずっとこの顔で…)
 別の仕事も無い筈なんだが、と鏡の向こうの自分を眺めた。
 あまりにも見慣れた自分の顔。
 この年になるまで馴染んできた顔、それなのに今は…。
(…どういうわけだか、別の顔ってな)
 自分でも信じられないんだが、と触ってみた頬。
 朝に綺麗に剃って出掛けた顔だったけれど、この時間になるとチクリと髭の感触。
 見た目には分からないけれど。
 それほど伸びてはいないわけだし、褐色の肌に金色の髭では目立たないから。
(この感覚まで同じなんだ…)
 まるで俺だ、と覗き込む鏡。
 俺は俺だが別の俺だと、今の俺とは違う俺だと。
 出来てしまった「別の顔」。
 誰にも言ってはいないけれども、口にしたなら誰もが驚くだろう顔。


 農家ではなくて、漁師でもなくて、それはとんでもない「別の顔」。
 自分は変わっていないのに。
 柔道と水泳が得意な古典の教師で、何も変わりはしないのに。
 周りから見れば何一つ変わらず、自分の目で見ても…。
(…こうして鏡を覗く限りは、俺のままだぞ)
 何も変わっちゃいないんだが、と触ってみる顎、少しチクリとしている髭。
 それを自分は知っている。
 自分の顔だから当然と言えば当然だけれど、そうではなくて。
 鏡に映った自分ではなくて、もっと別の場所で。
 時間が逆さに流れ始めて、今の自分がぐんぐん小さな子供に戻ってしまうよりも前。
 子供どころか赤ん坊だった頃も通り過ぎ、欠片すらも消えてしまっても、まだ…。
(…足りないどころの騒ぎじゃないんだ)
 自分がこうして顎を触っていた頃は。
 髭が少しだけ伸びて来たな、と鏡を眺めて顎に手をやっていた頃は。
 そう、とてつもなく遠い遠い昔、この地球がまだ無かった頃。
 正確に言えば地球はあっても、青い地球ではなかった頃。
 遥かな遠い時の彼方に自分がいた。
 今と全く同じ姿で、こうして鏡を覗き込んで。


(あれも確かに俺だったんだ)
 懐かしい白いシャングリラ。白い鯨に似ていた船。
 あの船で鏡を覗いていた。
 今と同じに顎を触って、「少し伸びたか」と髭の感触を確かめながら。
 剃るのにはまだ早い感じだけれども、一日一度はやはり剃らねばならないだろうと。
 さして面倒とは思わないものの、これが生えない人間もいるな、と。
(…前のあいつはチビじゃなかったが…)
 前の自分が今のような顔になった頃には、ブルーも既にチビではなかった。
 今も世間に広く知られたソルジャー・ブルーで、若いとはいえ大人ではあった。
 それなのに生えなかった髭。
 前のブルーの頬は滑らかで、産毛くらいしか生えていなくて。
 ゆえに髭など剃りはしなくて、たまに羨ましくも思えたもので。
(忙しい朝でも、顔を洗えば終わりなんだからな)
 前の自分は髭を剃らねば、ブリッジに行けなかったのに。
 船を纏めるキャプテンが朝から髭を剃らずに出て行ったのでは、皆に示しがつかないから。
 「あの格好でもいいらしい」と流れるだろう噂は、船の仲間を怠惰にさせてしまうから。
 キャプテンたるもの、いつでも制服をカッチリ着込んで、皆の手本に。
 こうあるべきだと、こうするべきだと、全身でそれを示しておかねばならないから。


 それが自分の「別の顔」。
 誰も信じてくれなかろうが、今の所は明かすつもりも無かろうが。
(…キャプテン・ハーレイと来たもんだ…)
 若い頃から何度も訊かれた、「生まれ変わりか?」と。
 今も残っているキャプテン・ハーレイの写真、アルタミラ時代の記録写真で始まるもの。
 人類が資料にと残していた写真、それは世間に知られているから、似ていると分かる。
 自分でも思った、「他人とはとても思えないな」と。
 そうは思っても、他人の空似はありがちなこと。
 きっと偶然だと考えていたし、周りの者たちもそれは同じで。
 生まれ変わりかと尋ねる声には、いつも混じっていた笑い。
 どうしてそんなに似ているのかと、顔だけならともかく体格まで、と。
(…その内に変わると思ってたんだが…)
 年を重ねれば顔も変わるし、いずれ瓜二つとは言えなくなる日が来るのだろうと。
 「昔はそっくりだったんだぞ?」と教室で話して、生徒たちが「まさか」と笑う日が来ると。
 ところが、ますます似てしまった顔。
 学校によっては「キャプテン・ハーレイ」と渾名をつけた生徒がいたほど。
 廊下などで会ったら「キャプテン!」と声を掛けられ、パッと敬礼されるとか。
 あの時の生徒に「本物だったぞ」と教えてやったら何と言うだろう?
 口をパクパクとさせてしまうのか、「本当ですか?」と頬を紅潮させるか。
 かなり大きくなった筈だから、インタビューを始めてしまうかもしれない。
 「シャングリラの生活は如何でしたか?」などと。


(俺は俺には違いないんだが…)
 何も変わっちゃいないんだが、と鏡を覗いても、変わらない顔。
 ブルーと出会って前の自分の記憶が戻る前と少しも変わっていない顔。
 だから誰一人気付きはしない。
 今の自分には別の顔があると、実はキャプテン・ハーレイなのだと。
(農家や漁師より、よっぽど凄いが…)
 スケールってヤツが違うんだが、と鏡の自分にニッと笑い掛けた。
 「お前はシャングリラを動かしてたしな?」と、「漁船どころの騒ぎじゃないぞ」と。
 今の自分から見れば、眩しすぎるほどのキャプテン・ハーレイ。
 遠く遥かな時の彼方に白いシャングリラが消えてしまっても、今も語られるその名前。
 あの船を地球まで運んだ人だと、偉大なキャプテンだったのだと。
(…一方、俺は古典の教師で…)
 同じほどの時間が流れた後には、誰も覚えていないだろう。
 今の自分が存在したことも、そういう教師がいたことも。
 キャプテン・ハーレイの名前は今後も残るけれども、今の自分の名前の方は。
(…俺が名前を残すとしたらだ…)
 生まれ変わりだと明かすしかなくて、そうして残るのはキャプテン・ハーレイの名で。
 それを思うと可笑しくなる。
 同じ顔だが、同じ中身だが、こうも違うかと。
 鏡に映った顔は同じでも、中身の自分が同じでも。
(…俺は俺だが…)
 こういう俺も好きなんだ、と鏡の自分に片目を瞑った。
 同じ顔だが、俺はお前よりずっと上だと、いずれはブルーと結婚なんだ、と…。

 

        同じ顔だが・了


※ハーレイ先生には無い筈の「別の顔」。週末は農家だとか、海で漁師をやってますとか。
 けれども凄すぎる別の顔。キャプテン・ハーレイも今では普通の教師なのですv





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(これがママの味…)
 ハーレイの好きなパウンドケーキ、と小さなブルーが頬張ったケーキ。
 おやつに出て来たものをパクリと、一口サイズにフォークで切って。
(んーと…)
 モグモグと噛んでみたけれど。
 舌の上でも転がしたけれど、どうにも掴めないケーキの味わい。
 パウンドケーキはパウンドケーキで、そういう味しか分からない。
 小麦粉とバターと砂糖と卵。
 それぞれ一ポンドずつ使って作るからパウンドケーキで、由来そのままに…。
(…バターとお砂糖…)
 卵と小麦粉の味はこれだと言い切れないけれど、砂糖の甘さはよく分かる。
 バターの風味も、多分、この味。
 けれどもそこまで、それよりも先は掴めない。
 料理上手でお菓子作りも得意な母のパウンドケーキ。
 今のハーレイの好物だという味の秘密は、それが何処から生まれるのかは。
(フルーツケーキなら、まだ分かるんだけど…)
 たっぷりのドライフルーツを入れて焼き上げるケーキ、そっちだったら謎も解きやすい。
 母も手作りするドライフルーツ、それの中身で味が変わると思うから。
 ケーキにしっとりと含ませる酒、その銘柄でも変わるだろうから。


 ところがパウンドケーキとなったら、決め手が何も見付からない。
 小麦粉の質だの、バターや砂糖のメーカーだので味が変わると言うのなら…。
(ハーレイ、とっくに作っているよね?)
 好物だという味のパウンドケーキを、ハーレイの母が焼くのと同じ味のケーキを。
 隣町の家に帰ったついでに、「何処のバターだ?」と訊いたりして。
 庭に夏ミカンの大きな木がある、ハーレイの両親が住んでいる家。
 其処の冷蔵庫や貯蔵用の棚、それを覗いても分かるだろう。
 ハーレイの母が使うバターや砂糖が何処のものなのか。
 小麦粉のメーカーだって分かるだろうし、卵にしたって…。
(特別な卵だったら、すぐ分かるよね?)
 これでなければ、とハーレイの母が決めている卵があるなら、パッケージで。
 ハーレイの父が何処かでこだわりの卵を買っていたにしたって、やっぱり分かる。
(農場で買ったら、農場の名前…)
 パッケージに何も書かれていなくても、「何処のだ?」とハーレイは訊くだろう。
 「俺も其処のを買いたいから」と、「車で行ったらすぐだろうし」と。
 材料に秘密があるというなら、もうハーレイは解いている。
 どうすれば自分の母が作るのと同じ味をしたパウンドケーキが焼き上がるのか。
 とっくに秘密を掴んでしまって、きっと味にもこだわらない。
 自分もそれを作れるのならば、「この味が好きだ」とこだわるよりも…。


(きっとアレンジ…)
 それを始める、ハーレイだったら。
 料理は好きだと聞いているから、パウンドケーキもひと工夫。
 小麦粉とバターと砂糖と卵。
 それぞれ一ポンドずつの基本はマスターしたのだからと、もっと美味しく作ろうと。
 バナナやオレンジ、そういったものを入れて焼くものもあるのだから。
 チョコレート風味やブランデー入り、そんな味のもあるのだから。
(…ママも作るし…)
 様々な味のパウンドケーキ。
 名前の由来からは少し外れてしまうけれども、バナナでもチョコでもパウンドケーキ。
 ハーレイの好物がパウンドケーキだと分かってからでも、母は変わり種を焼いたりもする。
 「今日はチョコレートにしてみましたわ」などと微笑みながらハーレイに出す。
 だからハーレイでも、きっと同じになるだろう。
 自分が「これだ」と納得できるパウンドケーキが焼けるようになったら、別の味。
 どんなフルーツで作るのがいいか、何を加えてみようかと。
 それが出来るだけの料理の腕前を持っているのがハーレイなのに…。
(…無理なんだよね?)
 この味がするパウンドケーキを作るのは。
 今日のおやつ、と自分がパクリと頬張るケーキを焼き上げるのは。


 何度も頑張ったらしいハーレイ、「おふくろの味」を再現しようとしたハーレイ。
 けれど失敗に終わった挑戦、謎は未だに解けてはいない。
(ママのパウンドケーキがおんなじ味ってトコまでしか…)
 ハーレイが驚いた母が作るケーキ。
 「おふくろがコッソリ持って来たのかと思ったぞ」とまで言っていたケーキ。
 以来、ハーレイの好物だけれど、謎は解けたのか、それとも逆に深まったのか。
(…どっち…?)
 どちらかと言えば、深まってしまった方なのだろう。
 ハーレイの母とはまるで縁の無い、自分の母が同じ味のを焼くのだから。
 いったい何処に秘密があるのか、秘訣は何かとハーレイも思ったことだろう。
 レシピだとしたら、悩むまでもなく解けている謎。
 ハーレイの母に「あれのレシピはどれなんだ?」と訊きさえすれば済むのだから。
 小麦粉とバターと砂糖と卵、それの配分が変わると言うなら、レシピを貰えば分かるから。
 誰にでも違いが分かるのがレシピ、それさえあったら普通は同じに出来上がる味。
 それが違うから悩むハーレイ、母のケーキの味に驚いてしまったハーレイ。
(…これの秘密って、何処にあるわけ?)
 口へと運んで味わってみても、舌で転がしても分からない。
 パウンドケーキはパウンドケーキ。
 チョコレート味や、バナナなどが入ったものでなければ、母のはいつもこの味だから。


 すっかり最後まで食べ終わっても、今日も解けずに終わった謎。
 パウンドケーキはパウンドケーキで、自分の舌ではどう頑張ってもそれが限界。
(ママのケーキはママの味だし…)
 こういう味だとしか思っていないのが自分、小麦粉の味も分かっていない。
 卵の味だって掴めていなくて、砂糖の甘さとバターの風味を感じ取るのが精一杯。
 これではケーキの謎は解けない、母の味の秘密は解き明かせない。
 秘訣があるのか、それとも秘密か、それも分からない魔法のケーキ。
 ハーレイの舌と胃袋とを魅了するケーキ、なんとも不思議なケーキだから。
(…ハーレイに作ってあげたいんだけどな…)
 ぼくの夢の一つなんだけど、と部屋に帰って零した溜息。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わって再び出会えたハーレイ。
 そのハーレイのために作ってあげたい、今のハーレイが大好きな味を。
 ハーレイが挑み続けても無理だったケーキ、おふくろの味だというパウンドケーキを。
(…ぼくは作って貰ってばかり…)
 前の自分たちが生きた頃から。
 ソルジャー・ブルーだった頃から、ハーレイは作ってくれていた。
 キャプテンの仕事が忙しくても、ブリッジを抜けて野菜のスープを。
 そして今でも同じスープを作りに家まで来てくれる。
 病気で寝込んでしまった時には、「これくらいなら食えるんだよな?」と。
 「野菜スープのシャングリラ風だぞ」と、お洒落な名前になったスープを。


 前の生から作って貰ってばかりの自分。何も御礼をしていない自分。
 もちろん「ありがとう」と御礼は言ったけれども、前の自分はたったそれだけ。
 ハーレイのためにと料理はしなくて、何も作りはしなかった。
 スープも、お菓子も、ただの一度も。
 いつも作って貰うばかりで、お返しは作っていなかった。
(…だから今度は、ケーキくらいは…)
 作ってあげたい、ハーレイのために。
 母が作るのと同じ味のケーキを、単純すぎるレシピのパウンドケーキを。
 それなのに、それが難しい。
 料理上手のハーレイでさえも再現出来なかったらしい味。
 どうやらレシピに秘密などは無くて、材料の方にも秘密は無くて。
(…魔法ってことは…)
 まさか無いとは思うけれども、そんなことまで考えてしまう。
 材料を混ぜ合わせる時に唱える呪文があるとか、オーブンに呪文を唱えるだとか。
(…ママが作るのを見ていたら…)
 最初から最後まで眺めていたなら、魔法の呪文が分かるだろうか?
 呪文でなくても、「これなんだ!」と分かる発見があるのだろうか?
 そうは思うけれど、母の隣で、あるいは後ろで、テーブルの向かいで見ていたいけれど…。


(…怪しすぎるよ…)
 普段から母のお菓子作りを見学するのが大好きだったら、問題無かったろうけれど。
 「何が出来るの?」とワクワクしていたら、「ぼくも手伝う!」とはしゃいでいたなら…。
(ママだって、きっと…)
 見学どころか手伝わせてくれて、パウンドケーキの秘密も解けていたのだろう。
 ハーレイに「これだよ!」と得意満面で説明出来たし、もしかしたら…。
(ぼくが焼いたんだよ、ってハーレイに御馳走出来たかも…)
 そういうことだってあったかもしれない、お菓子作りが好きな子だったら。
 母と一緒に作りたがるような、料理の上手な子だったら。
(……絶望的……)
 自分は全く当てはまらなくて、パウンドケーキ作りの時だけ出掛けて行ったら怪しいだけ。
 どうしてパウンドケーキなのかと母は訝ることだろう。
(…前のぼくの恩を返したいから、って言ったら出来る…?)
 ちょっといいかな、と思ったけれど。
 言い訳としては素敵だろうと考えたけれど、その場合。
(…上手く焼けるまで、練習ばっかり?)
 来る日も来る日もパウンドケーキで、おやつは毎日パウンドケーキ。
 それもどうかと思ってしまうし、ハーレイだって「またか?」とウンザリするだろうから。
(…ごめんね、作ってあげたいんだけど…)
 今は無理みたい、とハーレイに心で頭を下げた。
 いつかはママにちゃんと習うから、それまで待って、と。
 とっても作ってあげたいけれども、今のぼくには無理そうだから、と…。

 

         作ってあげたい・了


※ハーレイ先生にパウンドケーキを作ってあげたいブルー君。今の好物らしいから、と。
 けれど時間がかかりそうです、今、習ったら怪しすぎ。早くお母さんから習えますようにv





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(たまには手抜きも悪くないってな)
 今夜はコレだ、とハーレイが心に決めているメニュー。
 一人暮らしでも夕食に手抜きはしない主義だし、料理をするのも好きだけれども。
 ふと思い付いた、手抜きの極みの炒め物。
 それにしようと、あの味を食べてみたいからと。
(悪ガキどものお蔭で材料はあるし…)
 何かと言えば押し掛けて来たがる、柔道部員の教え子たち。
 夏場に来たなら定番は庭でのバーベキューだから、そのために買ってあるソース。
 手作りするのも美味しいけれども、ガツガツと食べる運動部員たちには…。
(猫に小判っていうヤツなんだ)
 ケチャップや隠し味の醤油や、おろしニンニクなども加えて作るソースは。
 彼らは味など気にしてはいない、質よりも量な運動部員。
 肉も野菜もとにかく沢山、量さえあったら大満足なのが運動部員の胃袋だから。
 かつては自分も所属していた世界なのだから、よく分かる。
(合宿なんぞでシェフを気取っても…)
 誰も値打ちが分からんしな、と思い出しても苦笑い。
 決められた時間と予算をやりくり、素敵に美味しく出来たと思っても誰も分かってくれなくて。
(美味い! の一言で終わりなんだ)
 工夫のことなど誰も意識せず、レシピを訊かれることもなかった。
 そういう世界にいたから覚えた、運動部員向きの手抜き料理を。


 懐かしくなった、あの頃の味。
 ただ豪快に炒めるだけで出来上がる料理、味付けは市販のバーベキューソース。
 今も教え子たちとのバーベキューのために買ってある。
 ああいうヤツらに手作りなんぞはもったいないと、どうせ味より量なのだから、と。
 そのバーベキューソースの瓶を引っ張り出し、「よし」と頷く。
 後は野菜を刻むだけだと、肉も適当に切るだけだと。
(しかしだな…)
 いざ夏野菜などを刻み始めたら、出てくる欲。
 どうせだったら美味しく食べたい、同じ手抜きな料理でも。
 むさ苦しい運動部員に囲まれて食べた学生時代も懐かしいけれど、今では自分の家もある。
(…わびしく手抜き料理というのも…)
 ちょっと寂しい、と加えることに決めたニンニク。
 スライスして入れてやるだけでグンと香ばしさも味も増すから。
 貯蔵場所から取って来た一欠片、薄皮を剥いたら更に凝りたくなってしまった。
 スライスよりかは、おろすのがいいと。
 ひと手間余計にかかるけれども、その方が風味がいいのだからと。
 ニンニクをおろすと決めてしまったら…。
(やっぱり肉にも下味ってな)
 そのままポイと放り込むより、塩コショウ。
 同じ振るならハーブ入りのだと、肉料理向けのハーブソルト、と。


 ついつい凝りたくなる料理。
 手抜き料理を作るつもりで始めた料理が、いつの間にやら。
 おろしニンニク作りもそうだし、切った肉に振ったハーブソルトも…。
(…なんだって揉み込んでいるんだか…)
 ローストビーフを作るわけではないんだが、と自分でも呆れる肉の下味。
 振っただけでは今一つかと、ハーブソルトをしっかりまぶして揉み込む自分。
 これでは手抜き料理どころか…。
(いつもの食事と変わらんぞ?)
 出来上がるのが手抜きな炒め物だというだけで、と苦笑してしまう料理好きの血。
 母はもちろん、釣り好きの父も自分で料理をする家だから。
 そんな血筋を引き継いだ上に…。
(…前の俺まで、料理ってヤツとは無縁じゃないと来たもんだ)
 間違いなく血だな、とクックッと笑う。
 キャプテン・ハーレイは料理をしなかったけれど…。
(…野菜スープだけは作っていたんだ)
 前のブルーに飲ませるために。
 寝込んでしまって食欲が失せて、何も食べないブルーのために。
 何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ素朴なスープ。
 あのスープだけは前の自分の役目で、厨房のスタッフたちは作らなかった。
 ブリッジを抜けたり、勤務が終わった後に急いだり、何度あのスープを作ったことか。
 前のブルーのために煮込んだことか…。


(…あれも手抜きはしていないんだ)
 今でも小さなブルーが寝込むと、作りに出掛けてやるスープ。
 材料こそ酷いスープだけれども、味付けは手抜きの極みだけれど。
 初めてそれを作った時には、ブルーの母が見かねてアドバイスをしたほどだけれど…。
(あいつには、あの味だってな)
 味に凝るより、コトコトと煮込む手間の方。
 野菜がすっかり柔らかくなって透けるくらいに煮込む間に、スープに溶けだす優しい味わい。
 前のブルーはそれを好んだ、味付けは基本の調味料だけ。
 後は野菜の持っている味、それが溶け込んだ素朴なスープを。
 だから…。
(その分、手抜きは厳禁なんだ)
 入れる野菜は出来るだけ細かく刻むこと。
 早く熱を通そうと炒めたりせずに、じっくり時間をかけて煮ること。
 最初に軽く炒めておいたら、柔らかくなるのも早いのだけど。
 それではバターや油の味が混じって、ブルーの好む味にはならない。
(…ちょいとバターを落とせば美味いと思うんだがな?)
 今の自分はそう思うけれど、その発想も今だからこそで。
 スープが生まれた経緯を思えば、バターの風味は余計なもので。
 小さなブルーも「これはハーレイのスープじゃないよ」と首を傾げるのに違いない。
 いつもと味が違うけれどと、「いったい何を入れちゃったの?」と。


 今も昔も手抜きが出来ない、ブルーのために作る野菜のスープ。
 そんなスープを前の自分は何度も何度も作ったのだし…。
(もう本当に血なんだな、うん)
 料理に凝りたくなっちまうのは、と手抜き料理を作りにかかった。
 豪快に切った肉と野菜をフライパンへと放り込むだけ、それをジュウジュウ炒めるだけ。
 けれど、ここでも…。
(やっちまうんだ…)
 肉が先だ、と下味をつけた肉を炒めて、脇へとどける。
 いい具合に火が通った頃合い、そこで一旦、皿へと移す。
(俺は手抜きの料理をだな…)
 作ってるつもりなんだがな、と肉汁が残ったフライパンで炒め始めた野菜。
 本当だったら肉も野菜も一緒に入れるものなのに。
 肉が少々炒めすぎになろうが、焦げていようが、気にしないのが運動部員。
 量さえあればそれで満足、大皿にドカンと盛られていれば。
 それこそが手抜き料理の真髄、味の決め手は市販のバーベキューソース。
 たっぷり絡めてザッと炒めて皿に盛るだけ、たったそれだけ。
 なのに、何故だか凝っている自分。
 下味までつけて先に炒めた肉を後からフライパンに足し、それからバーベキューソース。
(なんだって、こうなっちまうんだか…)
 血だから仕方ないんだが、とバーベキューソースをフライパンへと入れていて。
 このくらいか、と味の加減を考えながら適量を入れて、仕上げの炒めにかかろうとして。


(…この味なあ…)
 ブルーは全く知らないんだっけな、と気が付いた。
 前のブルーが知るわけがないし、今の小さなブルーの方も。
 運動部などとは無関係な家で料理上手の母の料理で育ったブルーは、これを知るまい。
(美味いんだがな?)
 ここまで凝って作らなくても、バーベキューソースの味だけで充分、美味しく作れる。
 好き嫌いの無いブルーの舌なら、きっと満足だろう味に。
 それをこうして凝って作れば、手抜き料理の炒め物といえども…。
(あいつ、大喜びなんだ…)
 ブルーの笑顔が見える気がする、「美味しいね」と喜ぶ顔が。
 「これが運動部員の好きな味なの?」と、「美味しいから、また作ってよ」と。
 そうに違いない、と考えながら仕上げた料理。
 手抜きの極みの野菜と肉とのバーベキューソース炒め、運動部員の御用達。
 うっかり凝ってしまったけれど。
 味も調理も、こだわって作ってしまったけれど。


 大皿に盛り付け、炊き上がったばかりの御飯を茶碗によそって来て。
 さて、と取り分けて頬張った味は、懐かしい記憶の中の料理と…。
(似て非なるものか、これでいいんだか…)
 思い出の味は、ともすれば美味しさをプラスされがちだから。
 本物のそれを食べた時より、ぐんと美味しい記憶が残りがちだから。
(…こういう味ではなかった筈だが…)
 肉も野菜も焦げているのが定番だったが、と思うけれども、何故だか記憶と同じ味。
 ずっと美味しくなった筈なのに、遥かに美味しく出来上がっている筈なのに。
(…ふうむ…)
 これならブルーに自信を持って勧められるな、と思ったけれど。
 作ってやりたいと思ったけれども、今は叶わないその望み。


(チビのあいつに、俺の手料理は…)
 御馳走する機会が来ないのだった、野菜スープを除いては。
 前のブルーだった頃からブルーが好んだ、素朴なスープを除いては。
(…なんだかなあ…)
 手抜き料理でも今は作ってやれないのか、と考えると寂しくなるけれど。
 ブルーとの間に横たわる距離を思い知らされてしまうけれども、きっといつかは。
(俺が作って、あいつが横から覗き込んでて…)
 この料理だって二人で食べられるだろう、「俺の思い出の味なんだぞ」と。
 他にも幾つも、今の自分の思い出の味はあるわけだから。
 凝った料理も手抜き料理も、幾つも幾つもレパートリーがあるのだから。
 作ってやりたい、いつかブルーに。
 思い出の中身を語り聞かせながら、「美味いんだぞ」と片目を瞑りながら…。

 

        作ってやりたい・了


※ハーレイ先生の手抜き料理。運動部員時代の思い出の味ですが、凝ってしまうようです。
 いつかブルー君に御馳走する時も、凝ったバージョンで作るのでしょうねv





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