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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(…前のぼくだったら…)
 絶対に上手くいったんだけど、と小さなブルーが零した溜息。
 ハーレイが訪ねて来てくれた日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドの端にチョコンと腰を下ろして。
(上手く不意打ち…)
 したと思った、油断していたハーレイを。
 ハーレイの膝の上に座って甘えて、他愛ないお喋りなんかもして。
 すっかりハーレイが油断した頃、スルリと首に回した両腕。
 前の自分がやった通りに、「ぼくにキスして」と。
 表情も上手に作ったと思う、前の自分に似せたと思う。
 ハーレイがドキンとするらしい顔、前の自分がキスを強請った時の表情に。
 ところがコツンと小突かれた額、キスは貰えもしなかった。
 「チビのくせに」と、「キスは駄目だと言っただろうが」と。
 それはすげなく断られたキス、おまけに膝から下ろされた。
 「さっさと自分の椅子に戻れ」と、「悪戯小僧にはそれが一番のお仕置きだ」と。
 そう言われたら、もう膝の上には戻れないから。
 また座りたいと視線を向けても、ジロリと睨まれただけだから。
 仕方なくスゴスゴと戻るしかなかった、自分の椅子に。
 テーブルを挟んで向かい側にある、本来、自分が座るべき椅子に。


 ションボリと椅子に腰掛けた途端、ニヤリと笑みを浮かべたハーレイ。
 「お前、バレていないと思っていたのか?」と。
 どうやらすっかりバレていたらしい、自分の企み。
 油断させておいてキスを貰おうと思った、ハーレイの不意をつく企み。
 ハーレイは全てお見通しだった、最初から。
 自分がハーレイの膝の上に座った時から、正確に言うなら座る前から。
(…心が零れちゃってたなんて…)
 何度もそれで失敗したから、自分でも気付いている弱点。
 ふとしたはずみにポロリと零れる心の欠片が問題なのだ、と。
(…どうせ不器用…)
 前の自分のようにはいかない、心を遮蔽する力。
 今の時代は誰でも自然に出来るというのに、自分もその中の一人に含まれる筈なのに。
 どうしたわけだか、今の自分はサイオンの扱いが不器用だから。
 前と同じにタイプ・ブルーで、最強の力を持っている筈なのに、駄目だから。
 心の欠片がポロリと零れる、ワクワクしている時には、特に。
 名案を思い付いたと自分で嬉しくなるような時は、もうコロコロと零れてしまう。
 そしてハーレイに拾い上げられる、「こんなことを考えているのか」と。
 どんな企みも計画もバレる、いともアッサリと心のせいで。
 遮蔽まで不器用な心が零した欠片のせいで。


 そんなわけだから、今日も失敗。
 キスの代わりに小突かれた額、もう溜息をつくしかなくて。
(…前のぼくなら…)
 絶対、失敗しないんだけどな、と嘆いた所でどうにもならない、今の能力。
 決して自分がチビなせいではないだろう。
 ソルジャー・ブルーだった頃の自分より小さいせいではないだろう。
(…だって、前のぼく…)
 アルタミラでは、とうに立派なミュウだったから。
 今と変わらない姿形で、強いサイオンに目覚めたからこそ始まった悲劇。
 成人検査をパスする代わりに、実験動物になってしまった。
 檻に押し込められ、繰り返された人体実験。
(今のぼくだと、パス出来そうだよ…)
 ミュウだとバレずに、そのままスルリと。
 記憶を消される件はともかく、人間扱いはして貰えたろう。
 サイオンなんぞは無いも同然、心もポロリと零れるような不器用さでは。
 マザー・システムもそれと気付かず、検査は終わっていただろう。
 養父母の記憶は薄れてしまっていただろうけれど、自分でも気付かないままで。
 今日から大人の仲間入りだと、ドキドキしながら教育ステーションに旅立ったろう。
 前の自分が、今の自分のように不器用だったら。
 タイプ・ブルーとは名前ばかりで、心の中身が零れ放題の子供だったなら。


 世の中、なんとも上手くいかない。
 持っている力が逆様だったら、前の自分には幸せな人生があっただろう。
 ミュウとして閉じ込められる代わりに、教育ステーションで教育を受けて、別の人生。
(今のぼくだって…)
 強い力を持っていたなら、ハーレイに心を読まれはしないし、今日だって。
 上手くいったらキスが貰えて、今頃はホクホクしていたかもしれない。
 次もハーレイの隙を狙おうと、油断させるのがいいらしいと。
(…ホントのホントに、逆様だったら良かったのに…)
 そしたらお互い平和だった、と前の自分を思い浮かべてみたけれど。
 あの時代の教育ステーションの制服はまるで知らないから、後の時代のを着せてみたけれど。
(…きっと似合うよね?)
 今の自分の制服とは違った、キースやシロエが着ていた制服。
 あれも似合っていただろう。
 銀色の髪に赤い瞳のアルビノの自分には、黒っぽい服も映えるのだから。
 少し大人びた雰囲気になって、落ち着いた「お兄ちゃん」といった感じで。
 そうやってステーションの制服を纏って、勉強をして。
 いつか何処かでハーレイと会って…、と考えた所で気が付いた。
 その人生を歩んでいたなら…。


(…もしかして、ハーレイとは出会えないまま?)
 前の自分は、ハーレイよりもずっと年上だったから。
 成長を止めていたせいで子供の姿を保っていただけ、ハーレイの方が大人だっただけ。
 それに自分の姿にしたって…。
(…アルビノじゃないよ…)
 サイオンが目覚めてミュウになったのが、前の自分の変化の引き金。
 それまではアルビノなどではなかった、ごくごく普通の姿の子供。
 金色の髪に青い瞳で、銀色の髪に赤い瞳の前の自分はいなかった。
 顔立ちはともかく、アルビノでなければ…。
(…前のぼくでも、目立たないかも…)
 ハーレイに出会っても、「ふうん?」と思われておしまいだった可能性もある。
 恋人にはならずに、友達にさえもならないままで。
(それに、会っても、ぼくが年上…)
 遥かに年上だった自分が前のハーレイと出会う頃には、どんな姿になっていたのか。
 第一、ハーレイが成人検査でミュウと判断されていたなら…。
(前のぼくが研究者だったってことも…)
 まるで無いとは言えないのだった、どんなコースを歩むかは機械が決めていたのだから。
 ミュウを研究する学者の道を歩んでいたなら、もしハーレイと出会ったとしても…。
(…睨まれて終わり…)
 きっとハーレイには嫌われただろう、嫌うどころか憎まれただろう。
 そして自分も、ハーレイのことを…。
(…ただの実験動物だ、って…)
 人とは思わず、酷い実験をしたのだろう。
 ハーレイに恋をする代わりに。
 生まれ変わっても、また出会えるほどの強い絆を育む代わりに。


 それは困る、と肩をブルッと震わせた。
 前の自分と今の自分のサイオンの力が入れ替わった人生、その方が素敵に思えたけれど。
 お互い、幸せな人生になると思ったけれども、もう、とんでもない勘違い。
 下手をしたなら、ハーレイと出会っても憎まれるだけ。
 自分の方でもハーレイを好きになりもしないで、酷い実験を繰り返すだけ。
(…そんな出会いになってたら…)
 今の幸せな人生は無くて、ハーレイと二人、青い地球に生まれては来なかった。
 生まれたとしても他人同士で、きっと出会っても…。
(…ただの先生と教え子なんだよ)
 ハーレイは自分に恋してくれない、もちろんキスもしてくれない。
 唇へのキスは絶対に無いし、頬や額への優しいキスも。
 前の生の記憶もお互いに無くて、憎んだり、憎まれたりは無かったとしても…。
(…ハーレイは、ぼくを好きになったりは…)
 してくれないだろう、ただの教え子なのだから。
 自分の方が何も知らずに恋したとしても。
 前の生でハーレイに自分が何をしたのか、まるで知らずに恋をしても。
 ラブレターを書いて渡したとしても、「好きです」と打ち明けに行ったとしても…。
(きっと、笑われておしまいなんだよ…)
 ハーレイの顔が見える気がする、「それはお前の勘違いだな」と微笑む顔が。
 「そいつは恋じゃなくって憧れってヤツだ」と、「俺はお前のヒーローなだけだ」と。
 そうして多分、誘われるのだろう、「なら、柔道部に入らないか?」と。
 「俺と一緒に練習できるし、きっとお得だと思うんだがな?」と。


 とんでもないことになってしまうらしい、前の自分のサイオンが不器用だった時。
 今の自分の不器用なサイオン、それと取り替えてしまった時。
 ハッピーエンドになりはしなくて、悲惨な結末になりそうだから。
 おまけに前の自分が前のハーレイ相手に、酷い実験までしていそうだから。
(…ぼくは不器用だった方が平和…)
 そうなのだと思う、前の自分と取り替えるよりは。
 前の自分の強いサイオン、それが今も自分のものだったなら、と思うけれども…。
(…取り替えちゃったら、大変だしね?)
 ハーレイと恋に落ちるどころか、憎まれて終わりな前の生。
 そして生まれ変わった今、ハーレイに恋を打ち明けてみても実らずに終わりそうだから。
 最悪の場合、そうなることもありそうだから、と溜息をついて諦めた。
 今の自分は不器用だけれど、きっとその方がいいんだよ、と。
 ハーレイとキスも出来ないけれども、心の欠片が零れてばかりの不器用なぼくで、と…。

 

        不器用なぼく・了


※サイオンの扱いが不器用すぎるブルー君。前の自分と取り替えたら丁度良さそうですが…。
 そうなった場合、ハーレイ先生との恋が駄目になりそう。不器用な方がいいですよねv





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(…今日も心が零れてたってな)
 つくづく不器用になったもんだ、とハーレイの唇から零れた笑み。
 ブルーの家へと出掛けた日の夜、コーヒー片手に入った書斎で。
 愛用のマグカップにたっぷりのコーヒー、それを飲みながら思い返す恋人。
 今日も会って来た小さな恋人、前の生から愛したブルー。
 青い地球の上に生まれ変わって、名前も同じにブルーだけれど。
 透けるような肌に銀色の髪と赤い瞳で、アルビノなのも同じだけれど。
 小さくなってしまった恋人、十四歳にしかならないブルー。
 前の生でメギドへと飛んだブルーは、逝ってしまった愛おしい人は少年の姿で帰って来た。
 アルタミラで出会った頃の姿で、あの頃とそっくり同じ顔立ちで。


(しかし中身が違うんだ…)
 同じ中身でもサイオンの方が、と可笑しくなる。
 前のブルーはソルジャーだったし、誰よりも強いサイオンを誇っていたのに。
 ジョミーが来るまでは一人しかいなかったタイプ・ブルーで、誰も敵いはしなかったのに。
(…敵うどころか、レベルが違いすぎたってもんだ)
 誰も足元にも及ばなかったサイオン能力、全てにおいて。
 防御力ではタイプ・ブルーに匹敵すると言われた前の自分の力も、本当にそこまでだったのか。
 比べてはいないし、勝負してもいない。
 だから分からないし、きっと敵わなかったと思う。
 それが今では…。
(この俺に勝てやしないんだ)
 あいつときたら、と小さなブルーを思い浮かべて深くなる笑み。
 今日も心が零れていたな、と。


 人間が皆、ミュウになっているのが今の世界で。
 誰でも持っているのがサイオン、マナーとして心は読まないもの。
 そうしなくとも、普通は遮蔽が出来るもの。
 息をするようにごくごく自然に、誰もに備わっている筈の力。
(その辺を歩いていたってだな…)
 誰かの心が零れてはいない、コロコロと転がって来たりはしない。
 ベビーカーに乗っているような赤ん坊でも、母親と手を繋いだ幼稚園児でも。
(泣き喚いていれば話は別だが…)
 ショーウインドウの前でオモチャが欲しいと踏ん張っているとか、菓子を欲しがるとか。
 感情が爆発している時なら、心が零れていることもある。
 その子が欲しいものが何なのか、何が目当てで懸命に駄々をこねているのか。
 もっとも、そういう時になったら…。
(心と同時に言葉の方でも叫んでいるしな)
 あれを買って、と誰の耳にも聞こえる声で。
 買ってくれるまで帰らないんだから、と指差していたり、見詰めていたり。
 零れた心を拾わなくても誰にでも分かる、その子のお目当て。
 微笑ましくなる子供の我儘、泣き喚いてのおねだり攻撃。
 心がポロリと零れ落ちるほどに、遮蔽すら出来なくなっているほどに。


 今はそういう時代なのだし、よほどでなければ心の中身は零れていない。
 通りすがりに拾えはしないし、教室にいても拾えない。
 自分が授業をしている最中に、けしからぬことを企む生徒がいようとも。
 「先生は絶対、気付かないから」と机の下で別の本を読むとか、そういったこと。
 彼らの心は零れてこなくて、自分の目で見抜いてやるしかない。
 あそこの生徒はどうも怪しいと、顔付きからして授業を聞いてはいないようだ、と。
 そうして見付けて近付いてゆけば、生徒の方では気付いていなくて本に夢中で。
 もしも心が零れていたなら、ワクワクと本の世界の住人になって…。
(冒険の旅をしていやがったりするんだろうな)
 きっと愉快な心の欠片がキラキラと零れているのだろうけれど、それは落ちていない。
 だから机をトンと叩いてやる、「面白いか?」と。
 「楽しい旅をしているようだが、今は伝説の勇者か、うん?」と。
 飛び上がらんばかりに驚く生徒は、それは見もので。
 その瞬間に「しまった」と零れ落ちる心、ギクリと飛び跳ねた心臓の音。
 けれども、その先は落ちてはこない。
 「没収だな」と本を取り上げられても、顔に「そんな…」と書いてあるだけ。
 どうすべきかと悩む心は零れてこなくて、だから余計に面白い。
 いつ謝りにやって来るのか、それすらも読めはしないから。


 要は心が落ちていない時代、幼い子供も学校の生徒も心を滅多に零さない時代。
 なのに小さなブルーときたら…。
(零れ放題だと言うべきだろうな)
 何を考えているのか手に取るように分かる、ブルーの心が弾んでいれば。
 ワクワクと期待に溢れていたなら、もう本当に零れ放題の心。
 煌めくようにコロコロと零れ落ちては、自分が拾うことになる。
 またしてもキスを狙っているなと、まったく懲りない困ったヤツだと。
(キスは駄目だと言ってあるのに…)
 あの手この手で強請るのがブルー、唇へのキスを。
 こうすればキスが貰えるだろうかと計画を練っているのがブルー。
 上手くいくだろうと思った時にはポロリと零れるブルーの心。
 そして自分が拾い上げてしまう、「またか」と心で苦笑しながら。
(…キス以外でも、だ…)
 ふとしたはずみに零れているのがブルーの心で、コロンと零れて落っこちている。
 ブルーが言うには、両親には拾えないらしいのだけれど。
 どうやら自分が敏いらしいけれど、それにしたって…。
(…前のあいつだと、いくら俺でも…)
 そうそう読めはしなかったんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
 あいつの本当の心の中は、と。


 前のブルーが完璧に遮蔽していた心。
 強引に読みはしなかった。
 ブルーはそれを望まないから、そうしようとしても恐らく読めはしないから。
 大切なことはブルーが言葉にするまで待っていた。
 ブルーがそれをしないのだったら、それは「誰にも言いたくない」こと。
 知られたくないと思っているだろうこと、それを読み取ってはならないと。
 たとえブルーが腕の中で深く眠っていても。
 「今なら読める」と思った時でも、ただの一度も。
 ブルーの方でも、眠っている時も心が零れはしなかった。
 遮蔽された心は常に閉ざされ、眠りでさえも崩せなかった壁。
(…そのせいで、俺は…)
 ブルーの言葉を聞き損なった。
 きっとブルーは言うつもりすらも無かった言葉だろうけれど。
 固く封じて、自分がそれを思ったことすら…。
(…きっと気付いちゃいなかったんだ…)
 そうなのだと思う、ブルーはソルジャーだったから。
 前の自分の恋人であるよりも前に、ソルジャー・ブルーだったのだから。


 遠く遥かに過ぎ去った昔、流れ去った長い時の彼方で別れた時。
 メギドへとブルーが飛び立つ直前、ブリッジで交わした短い会話。
 あの時、ブルーは自分に「言葉」を送って寄越した、触れた腕から滑り込ませて。
 他の誰にも届かない思念、それで「ジョミーを支えてやってくれ」と。
 何も返せず、聞いているしかなかった言葉。
 ブルーとの別れになるだろう言葉。
(頼んだよ、ハーレイ、っていうトコだけしか…)
 他の者たちには聞こえなかったのだった、あの時、ブルーが残した言葉は。
 まさかブルーが死に赴くとは、誰も気付きはしなかった。
 何を頼んだのかが分からないのだし、ナスカの仲間やシャングリラのことだと思っただろう。
 けれども自分にだけは分かった、これが別れの言葉なのだと。
 ブルーは二度と戻らないのだと、シャングリラには帰って来ないのだと。
(それなのに…)
 ただの一言も届かなかった、別れの言葉。
 三百年以上も共に暮らして、恋をして、一緒だったのに。
 あれほどに深く愛し合ったのに、「さようなら」とも「愛していた」とも。
 ブルーは欠片も残さずに行った、メギドへと飛んで行ってしまった。
 きっと最後に想っただろう、前の自分への言葉は何も。
 恋人への立ち切り難い想いは、ほんの小さな欠片でさえも。


(…何も無かったわけがないんだ)
 前の自分へのブルーの想い。
 それを抱いてメギドへ飛んだからこそ、ブルーはメギドで独りぼっちになってしまった。
 右手に持っていた前の自分の温もりを失くして、泣きじゃくりながら逝ってしまった。
 そんな悲しい最期を迎えたのなら、あの時、ブルーの心には、きっと…。
(さよならも、俺への言葉も、きっと…)
 本当は確かにあったのだろう。
 ブルー自身も気付かなかったかもしれないけれども、抑え難い想いが、強い想いが。
 なのにブルーは何も伝えず、読み取られもせずに行ってしまった。
 固く遮蔽した心は漏れては来ないから。
 欠片が零れて落ちはしないから。
 それを思えば…。


(とことん不器用になったな、あいつ)
 今では零れ放題の心。
 小さなブルーの心は零れて、自分には拾い放題だから。
 不器用なブルーも愛らしいと思う、それが嬉しくてたまらない。
 ブルーが心を隠さなくても済む世界。
 青く平和な地球の上に来たと、今のブルーは心が零れ放題でもかまわないのだから、と…。

 

        不器用なあいつ・了


※サイオンの扱いが不器用なのがブルー君。ハーレイ先生、心の欠片を拾い放題らしいです。
 けれど、前のブルーでは、それは有り得なかったこと。ハーレイ先生、幸せでしょうねv





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(…雨になっちゃう?)
 ちょっと心配、とブルーが庭から仰いだ空。
 起きた時には青空だったのに、いつの間にか雲が出ていたから。
 空の半分を雲が覆って、太陽も隠れてしまったから。
(ハーレイが来てくれる日なのに…)
 雨は嫌だよ、と祈るような気持ちで庭に出て来た。
 ハーレイは雨でも来てくれるけれど、ちゃんと車で来るのだけれど。
(…やっぱりお天気の方がいいよね?)
 柔道と水泳が得意なハーレイ、運動が好きな今のハーレイ。
 晴れた日だったら、何ブロックも離れた場所から歩いて此処までやって来る。
 「俺にとっては散歩だからな」と、軽い運動を兼ねての道中。
 帰り道も歩いて帰ってゆくから、きっとハーレイは本当に歩くのが好きなのだろう。
(ぼくだと、とっても歩けないけど…)
 歩こうとしても途中で倒れてしまいそうだけれど、ハーレイにとっては散歩の距離。
 途中で目にした花の話や、出会った動物の話やら。
 そういう土産話も幾つもして貰ったから、好きなのに違いない散歩。
 雨になったら散歩は出来ずに、車で来るしかないわけで。
 ハーレイの楽しみが減りそうだから、と見上げた空。
 この雲は雨を降らせるだろうか、と。


 雲の見方はよく分からないし、さほど詳しくもないけれど。
 十四歳の今まで生きて来た自分の経験からして、この雲ならば…。
(大丈夫だよね?)
 その内に流れて消えて青空、と頷いた。
 早かったならば、家に入って朝食を食べる間にも。
 母が用意をしているトースト、それから卵が一個のオムレツ。
 父に「もっと沢山食べないとな?」とよく言われるから、もしかしたら今日も…。
(…ソーセージが来ちゃう?)
 注文してもいないのに。
 ソーセージは父が食べるものなのに、その父の皿からフォークで「ほら」と。
 「分けてやろう」と、「一本やるぞ」と。
 休日の朝によくある光景、断り切れないソーセージ。
 今日も来るかもしれないけれども、こうして庭まで出て来たのだし…。
(いつもよりかは、ちょっと運動…)
 その分、お腹も減っていますように、と家に戻った。
 運動したから、ソーセージもきっと大丈夫、と。
 雨が降りそうにない雲と同じで大丈夫だよね、と。


 けれど、少々、甘かった読み。
 ダイニングに入ってテーブルに着いたら、「庭に出てたな」と笑顔の父。
 「ちゃんと体操して来たか?」などと訊くものだから。
 体操って、と訊き返したら、父が言うのは朝の体操。
 朝一番に庭に出たなら体操するもの、それが子供の健康づくり。
 そうは言われても、体操などはしていないから。
 雲を眺めに出ただけだから、「やってないよ」と答えるしかなくて、嘘は言えなくて。
 「いかんな」と父にジロジロ見られた、「それでは丈夫になれないぞ」と。
 ハーレイ先生のようになりたかったら…、とニヤリと笑った父。
 体操しないのなら食べることだと、まずは身体を作らないと、と。
「庭に出たなら、少しは運動になっただろうし…。今日は二本だな」
 しっかり食べろ、と父の皿からソーセージが二本。
 一本でも多いと思っているのに、二本もポンと入れられた。
「酷いよ、パパ!」
 朝からこんなに食べられないよ、と言ったのに。
「なあに、時間をかければ大丈夫さ。なあ、ママ?」
「そうねえ、ゆっくり食べれば入るわよ」
 きちんと噛めば、と微笑んだ母。
 「ハーレイ先生がいらっしゃるまでには、充分時間があるでしょう?」と。
 学校に遅刻するわけではないから、残さずにちゃんと食べなさいね、と。


 庭に出て空を見上げたばかりに、ソーセージが二本。
 一本でも自分には多すぎるというのに、二本も。
(…こんなに沢山…)
 無理だと言っても、聞いてはくれなかった両親。
 母は普段と同じ分だけトーストをキツネ色に焼いてくれたし、オムレツだって。
 ミルクを減らせば大丈夫かも、と思ったけれども、ミルクは大切。
 前の自分と同じ背丈に育ちたいなら、欠かせないミルク。
 そんなわけだから、ソーセージが二本増えた分だけ、頑張るしかなくて。
 父が「御馳走様」と席を立った後も、母がすっかり食べ終えた後も…。
(…なんで、ぼくだけ…)
 ポツンと一人で残されたテーブル、たった一人きりの朝食の席。
 お皿の上には手強い朝食、父が増やしたソーセージ。
 食べ終わらない限り、このテーブルとは別れられない。
 自分の椅子にチョコンと座って、モグモグとやっているしかない。
(…独りぼっち…)
 あんまりだよ、と思ったけれども、もっと悲しい独りぼっちを知っているから。
 前の自分がメギドで迎えた、悲しすぎる最期を知っているから。
(…朝御飯で独りぼっちでも…)
 文句は言えない、キッチンには母がいるのだから。
 父はリビングに行ったか、二階の部屋か。
 それにハーレイも、もう少しすれば家を出て此処へと散歩を始めてくれるのだから。


 独りぼっちでも我慢しよう、と頬張った父のソーセージ。
 父は平気でペロリと何本も平らげるけれど、自分にとっては大敵で。
 フォークで口へと運んで一口、また一口と齧るだけ。
(ちっとも減らない…)
 ガブリと大きく齧らないから、当然と言えば当然だけど。
 ほんの少しずつ食べていたのでは、一向に減りはしないのだけど。
 とんでもないことになってしまった、と独りぼっちの朝のテーブル。
 いつになったら此処から脱出できるのだろう、とソーセージと格闘していたら。
(あっ、晴れてる…!)
 まるで気付いていなかった。
 トーストやオムレツやソーセージと戦いを繰り広げていて、外を見ていなかったから。
 窓の外など、見ている余裕が無かったから。
 知らない間に晴れていた空、明るく射し込む朝の太陽。
 雲は何処かへ消えてしまった、庭から仰いで思った通りに。
 その内に晴れると予想した通り、綺麗な青空。
 そこにぽっかり白い雲がある、羊みたいにフワフワの雲が。
 空を半分覆っていた雲、それの名残が。
(…ぼくとおんなじ…)
 残されちゃってる、と雲に覚えた親近感。
 「御馳走様」と消えてしまった両親、テーブルに独りぼっちの自分。
 それと同じに雲も置き去り、一つだけ残った白い雲。


(…羊みたい…)
 フワフワのモコモコ、と窓の向こうの空を眺めた。
 雲の羊が一匹だけ。
 仲間の羊は行ってしまったのに、どういうわけだか一匹だけ。
(…朝御飯かな?)
 他の羊は食べ終わって行ってしまったのだろうか、「御馳走様」と次の所へ。
 飛び跳ねて遊べるような何処かへ、走り回れる空の原っぱへ。
 残った一匹は食事の最中、そういうことだってあるかもしれない。
 「全部食べなさい」と言われた分だけ、食べ終わらないと一緒に行けないだとか。
(…そうなのかも…)
 雲の羊が空にいるよ、と心強い気分になってきた。
 自分と同じで食事が終わらない、頑張って食べている羊。
 一人ぼっちのテーブルだけれど、雲の羊でも、空に仲間がいるのなら…。
(頑張らなくっちゃ…!)
 羊と競争、とソーセージを齧ってモグモグ噛んだ。
 食べ終えるまでに羊の雲が去って行ったら、また置き去りにされるから。
 空に仲間がいる間にと、雲の羊がいてくれる内に、と。


 白い雲の羊と競争で食べて、頑張って。
 やっと食べ終えられた朝食、キッチンの母に「御馳走様」と言うことが出来た。
 お腹は一杯になったけれども、なんとか食べられた多すぎた朝食。
(羊のお蔭…)
 雲の羊に出会えたお蔭、と二階の自分の部屋に戻って見上げた青空。
 風が出て来たのか、食事を終えたか、雲の羊が流れてゆく。
 仲間の雲たちが去った方へと、ふわりふわりと。
(早く追い付けるといいね)
 先に行っちゃった仲間たちに、と雲の羊を眺めていたら。
(…前のぼく…)
 独りぼっちで終わりだった、と蘇って来たメギドでの記憶。
 仲間たちを乗せた白いシャングリラを守るためにと、たった一人で死んでいった自分。
 飛び立つシャングリラの姿すらも見られず、独りぼっちで。
 ハーレイの温もりも失くしてしまって、右手が冷たく凍えてしまって。
(…雲の羊…)
 せっかく自分と一緒に食事をしたのだから。
 朝御飯を頑張って食べたのだから、独りぼっちで消えて欲しくない。
 ちゃんと仲間に追い付いて欲しい、前の自分は駄目だったけれど。
 独りぼっちで死んでしまったけれども、白い雲の羊は消えずに仲間の所まで。


 頑張って其処まで辿り着いてと、仲間の所へ、と雲が流れてゆく方の部屋に飛び込んだ。
 そっちの窓から外を見たなら、仲間が見えるかもしれないから。
 行ってしまった羊の仲間が、白い雲の羊の大きな群れが。
(雲の羊…!)
 お願い、と覗いた窓の外。
 待っていてあげて、と眺めた青空、もう一匹の雲の羊が待っていた。
 ダイニングにいた時は気付かなかった羊、見えなかった白い羊が一匹。
 そして、その向こうに羊の群れたち。
(あの雲の羊…)
 きっと恋人、と白い羊の雲を見上げた、残された羊を待っていた雲の白い羊を。
(ぼくとハーレイみたいだよね)
 雲の羊は二匹一緒に空を流れてゆくのだろう。
 仲間の羊の群れの所まで、二匹で仲良く青空を歩いて。
 朝から出会えた素敵なカップル、きっといい日になるに違いない。
 もうすぐハーレイがやって来るから、自分の所にも恋人が訪ねて来てくれるから…。

 

        白い雲の羊・了


※ブルー君が見付けた白い雲の羊。一匹だけだと思っていたら、恋人の羊がいたようです。
 雲の羊でも、前の自分と重ねてしまったからには、幸せになって欲しいですよねv






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(この様子だと…)
 じきに晴れるな、とハーレイが庭から仰いだ空。
 ブルーの家へと出掛ける日の朝、まだまだ早い時間だけれど。
 朝食もこれからという早朝だけども、ふと気になって出てみた庭。
 いつの間にやら雲が出ていて、青かった空を半分ほど覆ってしまっていたから。
 もしや降るかと、それなら車で出掛けなければと眺めに出て来た。
 天気予報では今日は快晴、雨など降らない筈の休日。
 けれども天気は気まぐれなもので、予報が外れることだってある。
(調べれば分かることなんだが…)
 何処かで雨が降っているのか、単に曇っているだけか。
 そういうデータは常に見られる、調べさえすれば。
(しかしだ、俺の性分でだな…)
 データよりかは勘なんだ、と雲を見上げて、観察して。
 雲の様子や風向きなどから弾き出した答えが「もうすぐ晴れる」。
 広がった雲は風に流され、遠くへと去ってゆくだろう。
 多分、朝食を食べている内に。
 今日は茹で卵な気分の朝食、そのための卵を鍋で茹でたりしている内に。


 よし、と戻った家の中。
 固ゆで卵やサラダを作って、分厚いトーストなんぞも焼いて。
 熱いコーヒーを淹れた愛用のマグカップ、朝食のテーブルに着いた頃には…。
(やはり晴れたか)
 燦々と射し込む朝の光と、開け放った窓からの爽やかな風と。
 青い空には雲の欠片が幾つかポツンと、まるで迷子の羊のように。
 空の半分を埋め尽くしていた雲の羊たち、その群れは去って行ったのに。
 この辺りの空にあったらしい牧草、それを食べ尽くして次の場所へと旅立ったのに。
(…まあ、あの程度の羊ならな?)
 食べ残しの草もあるだろうさ、とガブリと齧った茹で卵。
 サラサラの塩をパラリと振って。
 切って食べるより丸かじりがいいと、殻を綺麗に剥いた卵を。
 朝食には卵を二つは食べたい、二つ茹でてある固ゆで卵。
 空に残った雲の羊にも、丁度いい量の草が残っているのだろう。
 群れを外れてしまった後にも、食べていられるくらいの草が。
(はてさて、迷子か、それとも自分で残ったか…)
 美味しそうな草がまだあるから、と空にのんびり残ったろうか?
 食いしん坊の雲の羊が何匹かいるというのだろうか。
 食べ終わったら、慌てて群れを追ってゆく羊。
 他の仲間に追い付かなければ、と空を走って、流れ去った雲の羊たちを追って。


(雲の羊なあ…)
 フワフワだな、と茹で卵を頬張りながら見上げて、本当に羊だと思う。
 羊雲という言葉の通りに、羊さながら。
 よく言ったものだ、と思う羊雲。
 秋に出るのが羊雲だけれど、他の季節でも雲は羊に見えるもの。
 ふわふわと空に浮かんでいたら。羊よろしく、ほわほわとした姿だったら。
 空には雲の羊たちが住む、それに牧草も。
 さっきまで空の半分を覆っていた羊たちが群れる牧草が。
 これは美味だと空に群がり、雨を降らせるつもりもないのに太陽を翳らせてしまうほど。
(よっぽど美味い草があったんだな、今朝は)
 あちこちから羊がやって来るほど、空の半分を埋めるほど。
 今朝の空には、この町の空には美味しい牧草。
 食べ尽くされた後にも残っている草、それを食べようと雲の羊がいるほどに。
 全部食べてから群れを追おうと、まだ何匹か。
(迷子と言うより、そっちなんだろう)
 本当に美味い草なんだろうな、と齧ったトースト。
 茹で卵を一個食べ終わったから、マーマレードをたっぷりと塗って。
 隣町の家の庭の夏ミカン、それを使って母が作るもの。
 このトーストや茹で卵のように美味しい朝食、空の羊も朝食だろう。
 青い空に生えた牧草を食べて、まだこっちにもあると群れから外れて。


 雲の羊は空をゆっくりと流れてゆく。
 まるで本物の羊のように、牧草を食べにのんびりと歩いてゆくように。
 トーストを齧って、茹で卵を頬張って、それを眺めていたけれど。
 空に羊がいると思っていたけれど。
(…待てよ?)
 今の自分には見慣れた雲。
 空を仰げば羊だっているし、ついさっきまでは群れていたほど。
 雨になるのかと庭に出て行って空を見たほど、雲の具合はどうなのかと。
 けれども、それを当たり前のように思う自分は…。
(…今の俺だからだ…)
 前の俺だと有り得なかった、と雲の羊をポカンと眺めた。
 雲を眺めて羊のようだと考えた上に、空に牧草があるなどと。
 雲の羊が食べる牧草、よほど美味なのが生えていたのだと青い空を見て思うなど。
(…雲はいつでも船の周りで…)
 羊どころか、真っ白な壁。
 その向こう側すらも見透かせない壁、肉眼ではとても。
 シャングリラの周りは雲の海だった、どんな時でも。
 前のブルーと暮らした頃には、二人で笑い合った頃には。


(…ナスカで地面に降りた時には…)
 とうにブルーは眠っていたから、雲の羊を楽しむ余裕は自分には無かったのだろう。
 前のブルーを失くした後には、もう雲などは…。
(…見えていても、見てはいなかったんだ…)
 そうだったのだ、と前の自分を思い返した。
 ブルーを失くして一人残されて、白いシャングリラに独りぼっちで。
 仲間たちはいても心は孤独で、旅の終わりだけを思っていた。
 地球に着いたら全て終わると、ブルーの許へと旅立てるのだと。
 魂はとうに死んでしまって屍のようだった、あの頃の自分。
 キャプテンとしての務めは果たしたけれども、時に笑いもしたけれど。
(あくまで付き合いだったんだ…)
 生きてゆくなら、仲間たちとも触れ合わなければならないから。
 ただのミュウなら部屋に籠って誰にも会わずにいられたとしても、前の自分は…。
(キャプテンじゃ、そうはいかないってな)
 船を纏める立場だから。
 前のブルーに「ジョミーを支えてやってくれ」と頼まれて生きていたのだから。
 その思いだけで、生きていた自分。
 仲間たちとは笑い合っても、一人の時には…。
(…何も感じやしなかったんだ…)
 地面に降りても、空を仰いでも。
 かつてはシャングリラを覆っていた雲、それが羊に見える形で浮かんでいても。


 今だからこそか、と気付いた羊。青い空をゆく羊の雲。
 気付けば、雲は見上げるものになっていた。
 船の周りを覆い尽くす代わりに、遥かな頭上で流れてゆくもの。
 牧草目当てで群れた羊か、と愉快な考えを呼び起こすほどに。
 群れから外れた食いしん坊の羊がいるな、と流れ去った雲の名残を数えるほどに。
(…前の俺だと、空の上には牧草どころか…)
 羊だって見えやしなかった、とコーヒーのカップを傾けた。
 それなのに今は羊が見えると、空の上には牧草が生えているらしいと。
 キャプテン・ハーレイだった頃には、夢にも思いはしなかった。
 雲が羊だとも、羊がいるなら牧草が生えているのだとも。
 美味しいからと群れを外れて食べている羊の雲があるとも、ただの一度も。
(きっと、あいつだって…)
 前のブルーも、雲の羊は考えたことも無かっただろう。
 自分と違って船の外へと出ていたけれども、雲も仰いでいたのだけれど。
 それでもブルーはソルジャーだったし、船の外へと出た時には…。
(少しのんびりしていたとしても、雲を眺めて羊とまでは…)
 きっと考えなかっただろう。
 もしもブルーがそれを思ったなら、前の自分も聞いただろうから。
 二人でゆっくりと過ごす時間に、きっとブルーが笑顔で話してくれたろうから。
 「知っているかい?」と。
 「この船の周りは羊だらけだよ」と、「羊でギュウギュウ詰めなんだよ」と。


(…うん、あいつなら言っただろうな)
 それは楽しそうに、面白そうに。
 シャングリラを取り巻く雲の隠れ蓑、外へ出られはしない雲海。
 安全だけれど、ある意味、牢獄とも言えた。
 外へ出る自由が無いのだから。出たくとも出られないのだから。
 その真っ白な雲の牢獄、それを羊だと思えば時には笑うことだって出来ただろう。
 今日も羊がギュウギュウ詰めだと、羊だらけで出られはしないと。
(雲だと思えば自由も無いが…)
 羊の大群に捕まったのなら、ギュウギュウと押し寄せられて動けないなら、また違う。
 きっと愉快な気持ちにもなれた、「今日も羊が一杯ですね」と。
 あの頃は本でしか知らなかった世界、羊の群れが横切る道路。
 全部の羊が渡り終えるまで、車は停まって待つのだと聞く。
 青く蘇った地球の上でも見られる光景、羊を放牧している場所なら。
(…其処へ行った気分になれただろうさ)
 船の周りに一杯の羊、雲の羊の群れが去るまで動けそうにないシャングリラ。
 今だから頭に浮かぶ光景、雲の羊とシャングリラと。
(平和な時代になったもんだな)
 まだ食ってるな、と白い雲を仰ぐ。
 群れから外れて牧草を食べている雲の羊を、自分と同じに朝食を食べる雲の羊を…。

 

         空に住む羊・了


※ハーレイ先生が見付けた羊の雲。シャングリラの頃には雲は羊に見えなかったのに。
 今は空の上に沢山の羊がいるようです。同じ雲でも羊に見えるのが幸せですよねv





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(今日は何かな?)
 ママのおやつ、とブルーが弾ませた心。
 学校から帰れば待っているのが、ダイニングでのおやつの時間。
 制服を脱いで着替える間に用意されるおやつ、それが楽しみ。
 大抵は母の手作りのお菓子、たまに貰ったものや母が買って来たもの。
 「頂いたのよ」と出る時もあるし、「美味しそうだったから」と出されることも。
 手作りのお菓子も、貰ったものでも、買ったお菓子でも…。
(どれも楽しみ…)
 母がテーブルに出してくれるのが、飲み物と一緒に置いてくれるのが。
 どんなお菓子でも美味しいから。
 母が「はい、どうぞ」と出してくれるものは美味しいに決まっているのだから。
 それこそ物心ついた頃から好きな時間で、楽しみな時間。
 学校から帰ればおやつはあるもの、当たり前のように出て来るもの。
 幼稚園の時にもそうだった。
 帰って来る時間が今より早くて、早い時間に食べていただけで。
 今と同じに食が細かったから、「晩御飯も食べなきゃ駄目よ?」と何度も念を押されただけで。
 家に帰れば、いつでもおやつ。
 幼稚園の頃も、下の学校でも、今の学校に上がってからも。
 今日だって絶対に何かあるのに決まっているから。
 母が「着替えたら下りていらっしゃい」といつものように言っていたから。
(着替えたら、おやつ…)
 いそいそと着替える、制服を脱いで。
 家で着るシャツをバサッと被って、ズボンも履いて。


 階段をトントン下りて行く間も、弾む足取り。
 おやつの時間は大好きだから。
 食事と違って「沢山食べなさい」と注意されはしないし、叱られもしない。
 用意された分だけ、好きに食べてもいいおやつ。
 もっと欲しかったら、おかわりだって。
 たまに失敗するけれど。
 美味しかったからと欲張った末に、気付けば一杯になっているお腹。
 夕食までに空いてくれればいいのだけれども、弱い身体では「ちょっと運動」とはいかなくて。
 ひとっ走りして、膨れたお腹を減らすわけにはいかなくて。
 父と母とに二人がかりで叱られる。
 「おやつよりも食事が大切だろう」と、「おやつは食事と違うのよ?」と。
 小さい頃から何度もやってしまった失敗、流石に今ではあまりやらない。
 自分の胃袋の限界は分かるし、それよりも…。
(おやつ、控えめにしておかないと…)
 悲劇が起こってしまうから。
 夕食の時間までには減るだろうお腹、そのくらいに食べておいたとしても。
(…だって、ハーレイ…)
 仕事が早めに終わったから、と寄ってくれることがある大事な恋人。
 そのハーレイが来てくれた時は…。
(ママがお菓子を出すもんね?)
 もちろんお茶もきちんとつけて。
 その時に自分のお腹が一杯だったら、お菓子は食べられないのだから。


 来てくれるかもしれない恋人、お菓子は是非とも一緒に食べたい。
 自分の分だけ、お菓子のお皿が無いだとか。少なめだとかは、とても悲しい。
 「おやつを沢山食べていたから」と母が減らしてしまった結果。
 それが悲劇で、一番起こって欲しくないこと。
 今の所は一度も起こっていないけど。
 母はハーレイが遠慮しないよう、公平に二人分を運んで来るから。
 とはいえ、注意をされる日もある。
 「おやつを食べ過ぎては駄目よ?」と。
 学校から帰って、多めに食べていた日には。
 母の目から見ても、「今日は多い」と思われた日には。
 そうした時にはハーレイに言われる、「お前、ほどほどにしておけよ?」と。
 「お母さんのお菓子が美味いのは分かるが、まずは食事だ」と。
 恋人にまで注意されたら、もう迂闊には食べられなくて。
 そういう日には「残しても後で食べられそうなお菓子」が出してあるから…。
(…ぼくが食べるの、ちょっとだけ…)
 ハーレイと二人で楽しくお菓子を食べたくても。
 お皿を綺麗に空にしたくても、残すしかなくなる美味しいお菓子。
 時にはハーレイが「どれ」と手を伸ばして残りを持って行ったりもする。
 「俺は菓子くらいで腹が膨れはしないからな?」と。
 ハーレイに美味しいお菓子を譲ることには何の文句も無いけれど…。
(…ぼくは一緒に食べたいのに…)
 せっかく恋人と二人で過ごせるティータイム。
 お菓子が控えめでは悲しすぎるから、そうならないよう、おやつの量は心して。


 頭では分かっているのだけれども、人間だから。
 おまけに子供で、美味しいお菓子に弱いから。
 誘惑に負けてしまってパクパクと食べて、後で後悔する時もある。
(ハーレイは今日は来ないだろう、って思って食べたら来ちゃうんだよ…)
 何度かやってしまった失敗、けれども無いのが鉄の自制心。
 前の自分のようにはいかない、あれほどに我慢強くはない。
 ハーレイとの恋も、地球への思いも捨ててメギドへと独り飛んだ自分。
 おやつとは比べ物にならないものを二つも、あっさりと捨てて。
(…今のぼくだと、おやつだって…)
 ちょっとくらい、と食べ過ぎるのだし、自制心にきっと欠けている。
 我慢強さだってまるで足りなくて、もっと、もっととおやつを食べては…。
(…お腹一杯…)
 自分でも馬鹿だと思うけれども、何度かやった。
 「ハーレイは来そうにないんだから」と自分自身に言い訳しながら、おかわりしたおやつ。
 そんな日に限ってポッカリと空いてしまったハーレイの時間、門扉の横のチャイムが鳴って。
 窓から見たなら手を振るハーレイ、「やっちゃったよ…」と零す溜息。
 まだまだお腹は減っていないのに、恋人が来てしまったと。
 今日は二人で一緒におやつを食べられないと。


 避けたい失敗、おやつの食べ過ぎ。
 けれども好きでたまらないおやつ、ダイニングのテーブルで食べるひと時。
 小さな頃からこれが好きだし、子供用の椅子にチョコンと座っていたような頃から…。
(おやつの時間が大好きだしね?)
 もっと食べろと注意されないし、食事と違って自由だから。
 美味しいお菓子と、それにピッタリの飲み物と。
 ゆっくり楽しみながら頬張って、飲んで、もう最高に幸せな時間。
 幸せは色々あるのだけれども、おやつの時間も間違いなく幸せの中の一つで、キラキラと光る。
 どんなおやつが待っているかと、ダイニングに向かう所から。
 テーブルに置かれたおやつのお皿に大喜びしたり、運ばれて来るのを待っていたりと輝く時間。
 幸せ一杯で過ごす時間で、今日のおやつは…。
(わあ…!)
 パウンドケーキ、と胸がドキンと高鳴った。
 今のハーレイの好物だというパウンドケーキが焼かれていたから。
 ハーレイの母が焼くのと同じ味だと、ハーレイを驚かせた母のパウンドケーキ。
 それを聞いて以来、母のパウンドケーキは特別なもので、魔法のケーキ。
 パウンドケーキが待っていたから、今日のおやつは最高に幸せな時間になって…。


 母に頼んで、最初は一切れ。
 「薄く切ってよ」と注文をつけて、本当だったら一切れだろう厚みを半分にして。
 こうすれば二切れ食べても、一切れ。
 ハーレイが好きなパウンドケーキを二切れも食べて、幸せな気分。
(今が一切れ目で…)
 紅茶をお供にフォークで口へと、ふうわりと広がる幸せの味。
 恋人の大好物の味はこれだと、ハーレイが好きなパウンドケーキ、と噛み締めながら。
(食べちゃっても、まだ二切れ目…)
 一切れ目をゆっくり、ゆっくりと食べて、細かい欠片も綺麗に食べて。
 母が切っておいてくれた二切れ目をケーキ皿に載せたら、大満足で。
(まだこんなに…)
 たっぷりとあるのがパウンドケーキ。
 幸せの味の、ハーレイの好物のパウンドケーキ。
(ハーレイはこれが大好きなんだし…)
 食べている時にも、ハーレイはとても嬉しそうだから、それは美味しそうに食べるから。
 自分もそういう顔で食べたい、幸せ一杯の笑顔で食べたい。
 意識せずとも、ちゃんとそうなっているのだけれど。
 自分では全く気付かないだけで、傍から見たなら最高に幸せそうなのだけれど。
(…すっごく美味しい…)
 恋人の好物だというだけで。
 美味しそうに食べる恋人の顔を思い浮かべているだけで。


 ふと気付いたら、もう二切れ目は残り僅かで。
 けれど、見てみればテーブルの上にはパウンドケーキがまだあって。
(…もうちょっとくらい…)
 かまわないよね、とキョロキョロと見回したダイニング。
 母はいなくて、代わりに一切れ切ってあるケーキ。
 かなり薄めに切ってあるから、どう見てもこれは…。
(ぼくが欲しくなった時のための、おかわりの分…)
 よし、と添えてあったフォークで自分のお皿に取り分けた。
 このくらいならまだ大丈夫、と。
(…今日はハーレイ、来ないだろうしね?)
 そんな気がする、パウンドケーキが焼いてあるのに残念だけれど。
 きっと来られない、そういう予感。
(だから食べても平気なんだよ)
 夕食までには、お腹が空くだろう量だから。
 母も心得て薄めに切っておいてくれたのだから。
 もう最高に幸せな気分、パウンドケーキが今日は三切れ目。
 おやつの時間は毎日あって当たり前だけれど、今日は特別、そう思える日。
 大喜びで食べて、満足して。
 「御馳走様」と母にお皿やカップを返して、自分の部屋へと帰ったのだけれど…。


(……嘘……)
 ハーレイが来ちゃった、と嬉しいのだか、ションボリだかの暫く後。
 来ないと思った恋人が訪ねて来てくれた上に、おやつに出されたパウンドケーキ。
 もうこれ以上は食べられないから、お皿を睨んでいるしかないから。
「おい、どうかしたか?」
 食べないのか、とハーレイに訊かれて、「お腹一杯…」と答えて、笑われて。
 「おやつの時間に欲張ったな?」と額をコツンとやられたけれども、そうされるのも…。
(…ハーレイと二人で、地球に来たから…)
 そして当たり前のようにパウンドケーキのおやつもあるからなのだ、と気が付いたから。
 失敗してしまったおやつだけれども、幸せな気分。
 今はおやつが当たり前。
 学校から帰って食べる毎日のおやつも、ハーレイと二人で食べる時間も…。

 

        当たり前のおやつ・了


※パウンドケーキを食べ過ぎてしまったブルー君。おやつの時間に欲張って。
 でも、おやつの時間が当たり前にあるのが幸せの証拠。今ならではの時間なのですv





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