(んーと…)
ぼくなんだけど、とブルーが覗いてみた鏡。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ふと目に付いたから覗いた鏡。
其処に映った自分の顔。
ごくごく見慣れたいつもの顔で、自分はこういう顔なのだけれど。
ちょっと違う、と覚えた違和感、「ぼくじゃないよ」という気持ち。
どうしてなのかはもう分かっている、原因を探るまでもなく。
(…同じ顔だけど、ぼくじゃないんだよ)
自分の顔はこうだけれども、本当なら違う筈だった。
こんな子供の顔とは違って、大人びた顔が映る筈の鏡。
もっと育った自分の顔。
何歳くらいと断言出来はしないけれど、多分…。
(十八歳くらい?)
それくらいだと思う、鏡に映るべき自分の顔は。
向こう側からこちらを眺めて、目が合う筈の鏡の世界の自分の顔は。
今の自分よりずっと大人だと思える顔立ち、それが鏡に映らなければいけないのに。
自分の顔はそうあるべきだと思っているのに、映ってくれないこの現実。
同じ顔でもチビの顔。
十四歳にしかならない子供の自分が鏡に映って、十八歳の自分は何処にもいない。
少年と言える年ではあっても、十八歳なら立派に大人。
お酒は飲めない年だけれども、結婚だって出来るのだから。
いくら鏡を覗き込んでも変わってくれない自分の顔。
幼い頃から長い付き合い、幼稚園の帽子が似合う顔立ちはとっくに卒業したけれど。
下の学校の低学年の顔にも「さよなら」を告げて来たのだけれども、やっぱり今でも幼い顔。
理想の自分は映ってくれずに、子供の自分が映っている。
それが違和感、「ぼくじゃないよ」と思う原因。
ちゃんと自分の顔なのに。
赤ん坊の頃から成長して来て、今のこの顔になったのに。
アルバムには証拠とも言える写真が何枚もあるし、両親だって息子の顔だと思っている筈。
生まれつき身体の弱い子だったけれど、元気に大きく育ってくれたと。
まだこれからも育つのだから、成長の記録はまだまだ増えると。
(…その背だって伸びてくれないんだけど…)
どうしたわけだか少しも伸びない、今年の春から。
早く育ちたいと祈るような気持ちでミルクを飲んでも、一ミリも伸びてくれない背丈。
これでは全く話にならない、子供の顔から変わらない筈。
育たないのでは顔も変わらない、大人びた顔になってはくれない。
(ゆっくり育てよ、って言われたって…!)
その言葉を言った恋人を思う、それは些か酷すぎないかと。
自分は早く育ちたいのに、ゆっくり育てとはあんまりすぎると。
両親にも誰にも内緒の恋人、今はまだ言えない秘密の恋人。
自分が通う学校の古典の教師で、ついでに守り役。
ちょっと厄介な聖痕なるもの、それを背負った自分のためにとついた守り役。
けれど、守り役は表向きのこと、本当の所はまるで違った。
前の生から共に暮らしたキャプテン・ハーレイ、それが恋人の正体で。
自分はと言えばソルジャー・ブルーで、今の時代には伝説の人。
遠く遥かに過ぎ去った昔、ミュウの未来を守るためにとメギドを沈めて散った英雄。
キャプテン・ハーレイはソルジャー・ブルーの右腕だったと伝わるから。
だから前世の思い出を存分に語り合えるようにと、守り役というのが実態だけれど。
(…本当は、もっと…)
右腕どころじゃないんだけどな、と鏡の向こうの子供の顔を覗き込む。
この顔がもっと大人だったら、何もかも違っていたろうに。
恋人同士なことを隠す必要はなくて、ずっと一緒にいられただろうに。
そう、前世の記憶が戻った途端に結婚だって出来た筈。
鏡の自分がチビでなければ、十四歳にしかならない子供でなければ。
十八歳になっていたなら、今頃はきっと…。
(…こんな所で鏡なんかは見ていないんだよ)
お風呂上がりに自分の部屋の壁に掛かった鏡など。
同じ鏡を覗き込むにしても、きっと全てが違っていた筈。
「何を見てるんだ?」と後ろから来たハーレイの姿が映るとか。
そのハーレイに「なんでもないよ」と微笑み掛けて、そのままキスを交わすとか。
ところが、それが出来ない自分。
ハーレイと一緒に暮らすどころか、キスさえ許して貰えない自分。
前の自分がメギドへと飛んで別れた時から、少しも変わっていないハーレイ。
生まれ変わっても全く同じに変わらない姿、そのハーレイに言われてしまった。
「前のお前と同じ背丈に育つまでは俺は決してキスはしない」と。
子供にキスなどとんでもないと、唇へのキスは絶対駄目だと。
お蔭で今でも…。
(キスはおでこと頬っぺただけ…)
欲しいと願っても貰えないキス、強引に強請ればキスの代わりに指で額を弾かれる。
「チビのくせに」と、「お前にはキスは早すぎるんだ」と。
そういう目にも遭っているから、余計に納得出来ない鏡。
子供の顔立ちの自分を映し出す鏡。
自分は自分のままなのに。
前の自分と同じに自分で、記憶の中身はソルジャー・ブルー。
キャプテン・ハーレイだったハーレイとは長く恋人同士で、やっと再会出来たのに。
「ただいま」と挨拶もしたと言うのに、抱き締めて貰っておしまいだった。
再会のキスは叶わなかった、そして未だに叶わないまま。
自分がチビのままだから。
どんなに鏡を覗いてみたって、子供の顔しか映らないから。
(…おんなじ顔だと思うんだけど…)
間違いなく同じ顔なんだけど、と鏡の自分に溜息をつく。
今の顔だって、前の自分と同じ顔には違いない。
ミュウの歴史の始まりの英雄、ソルジャー・ブルーのアルタミラでの顔はこう。
十四歳で成人検査を受けた時のまま、成長を止めてしまっていたから。
この顔の時に前のハーレイと出会ったのだし、もうそれだけで充分なのに。
ハーレイにとっては見知った顔立ち、恋人だったソルジャー・ブルーの顔なのに。
(…前のぼくだった時ならともかく…)
出会って直ぐに恋人同士になったわけではなかったのだから、前のハーレイなら仕方ない。
キスをしようと思わなくても、キスのその先をしたい気持ちにならなくても。
けれども、今のハーレイは違う。
前の自分と恋を育み、本物の恋人同士だったハーレイ。
キスも、キスのその先の色々なことも、前のハーレイと自分の間では…。
(…普通だったし、して当たり前…)
何度も何度も交わしたキス。
愛を交わして、熱くて甘い夜を過ごした、互いの部屋で。
それを知っているのが今のハーレイ、記憶は残っている筈なのに。
ハーレイ自身もそう言っているのに、相手にしては貰えない。
「チビの間は駄目だ」とばかりに門前払いで、キスの一つも貰えない。
自分は同じ顔なのに。
前の自分とそっくり同じで、この顔立ちの時にハーレイと前の自分は出会ったのに。
自分では何処も変わらないと思う、だから余計に悔しくなる。
こうして鏡を覗けば違和感、「ぼくじゃないよ」と思えてしまう。
同じ顔でもこの顔ではなくて、見慣れたソルジャー・ブルーの頃の顔。
その顔が鏡に映る筈なのに、チビの自分が映るだなんて、と。
なんとも悲しくて情けない事実、鏡の向こうの自分の顔。
何処から見たって子供でしかなくて、大人びた所は少しも無くて。
(…同じ顔だけど、ぼくじゃない…)
こんなのじゃないよ、と引っ張った目尻。
子供っぽく見える大きな目。
これがもう少し細くなったら、前の自分の顔になるだろうかと。
(んー…)
真横に向かって引っ張ってみても、変な顔になっただけだった。
ならば、と吊り上げ気味にしてみたら、さっきの顔より酷かった。
どうやら大きな目のせいではない、自分が望んだ顔が鏡に映らないのは。
子供の特徴の丸い輪郭、これが駄目かと頬っぺたをキュッと両手で引き締めてみても。
(………)
これも違う、とガッカリしただけの輪郭が変になった顔。
唇まで引っ張れてしまったのだから、顔のパーツが狂っただけ。
鏡に映った顔は望み通りになりはしなくて、まるで睨めっこをしているよう。
笑ってしまえ、と鏡の向こうの自分が変な顔をする。
これだけ変な顔をしたなら勝てるだろうと、お前が笑ってしまって負けだと。
鏡の向こうに前の自分を見たいのに。
前の自分とそっくり同じに生まれて来たのに、前の自分は完成していない。
同じ顔でも、前の自分の子供時代で止まっている顔。
ハーレイがキスもしてくれないような子供の顔で、十四歳にしかならない顔で。
(…なんでこうなっちゃったんだろう…)
本当だったら、前の自分とそっくり同じに育って再会だっただろうに。
ソルジャー・ブルーだった頃の顔立ち、それで出会えていたろうに。
その顔だったら、もう間違いなくハーレイと結婚出来ていた。
わざわざキスを強請らなくても、好きなだけキスを交わせた筈で。
(…ハーレイとおんなじ家で暮らして…)
キスも、その先のことだって。
ハーレイは駄目だと言いはしなくて、望むだけのキスを降らせてくれた。
唇だけでは済まないキスを。
恋人同士だからこそ貰うことが出来る沢山のキスを、優しくて熱い甘いキスの雨を。
鏡に映った顔が子供の顔でなければ。
同じ顔でも完成品なら、ソルジャー・ブルーだった頃の顔になるまで育っていたら。
なんとも悔しい限りだけれども、鏡を覗けば違和感を覚えてしまうのだけど。
(…今だけの我慢…)
あと何年か、と鏡の自分を睨み付ける。
今に大きく育つんだから、と。
前の自分と同じに育って、ハーレイとキスして、結婚だって出来るんだから、と…。
同じ顔だけど・了
※鏡を覗いても、お望みの顔が映ってくれないブルー君。子供の顔しか映りません。
頑張ってみても前の自分の顔は再現不可能ですけど、いつかはちゃんと育ちますよねv