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(おや…?)
 風か、とハーレイの耳に届いた音。
 ブルーの家には寄れなかった日、夕食の後で。
 後片付けを手早く済ませて、寛ぐために淹れたコーヒー。
 愛用のマグカップにたっぷり注いで、移動しようとしていた所。
 書斎でのんびり本でも読もうと、ダイニングを後に。
 そこへ庭先を吹き抜けた風。
 書斎と違って大きな掃き出し窓があるから、音が聞こえた。
 カーテンは閉まっていたのだけれども、吹いてゆく音が。
(…冷える予報じゃなかったが…)
 風ってヤツは気まぐれだしな、とカーテンの隙間から覗いてみた。
 庭園灯に照らされた庭で、木々の梢が揺れている。
 さっきほど強くは吹いていなくても、枝を揺すってゆく程度の風。
(冷え込まないといいんだがなあ…)
 ブルーが風邪を引いちまうしな、と心配なのは恋人のこと。
 十四歳にしかならないブルーは、今の生でも身体が弱い。
 風邪を引くのも珍しくなくて、喉を傷めることもしばしば。
 「喉風邪には、これがいいんだぞ」と金柑の甘煮を贈ったほどに。
 隣町で暮らす母のお手製、金柑の実をコトコト煮込んだものを。
(…天気予報だと、大丈夫な筈で…)
 明日も暖かいと言っていたから、ただの風だと思いたい。
 単なる空気の流れのせいで、この町を吹いてゆくだけだと。
(ふむ…)
 収まって来たな、と弱まり始めた風を見詰めて頷いた。
 正確に言えば「風は見えない」から、木々の動きを見るだけだけれど。
 これなら今夜は、きっと冷えない。
 もう安心だ、とマグカップを手に向かった書斎。
 ただの風なら心配は無いし、ブルーも風邪は引かないから。


 いつもの書斎に灯りを点けて、向かった机。
 ゆったりと椅子に腰を下ろして、熱いコーヒーを一口飲んだ。
(落ち着くなぁ…)
 今夜は何の本を読もうか、読みかけの本もいいけれど…。
(前に読んだ本を読むっていうのも、いいモンなんだ)
 どれにするかな、と本棚を眺めて追った背表紙。
 様々な本があるのだけれども、ふと思い出した机の引き出し。
(…此処にも、大事な一冊が…)
 あるんだっけな、と引き出しは開けずに、視線を落とす。
 其処に仕舞った一冊の本。
 読み物ではなくて、写真集。
 前のブルーの写真を集めて編まれた、『追憶』というタイトルの。
 とても有名なブルーの写真が表紙に刷られた、宝物とも呼べる一冊。
 いつも自分の日記を被せて、布団代わりにしてやっている。
 ブルーが寂しがらないように。
 自分が留守にしている間も、「ハーレイ」を感じていられるように。
(ブルーに知れたら、確実に嫉妬されるしな…)
 小さなブルーには、この本は、内緒。
 持っていることさえ話していないし、自分だけの秘密。
 それのページを繰るのもいいな、と考えた所で、掠めた記憶。
 遠く遥かな時の彼方で、ナキネズミのレインが言っていたこと。
 「ブルーは風の匂いがしたね」と。
 前のブルーがいなくなった後、青の間でレインと出会った時に。
 一人と一匹で思い出話をしていた折に。
 青の間はブルーがいなくなっても、そのままの形で残されていた。
 たまに一人で訪ねて行ったら、先客のレインがいたことも多い。
 そういった時はあれこれ話して、前のブルーを懐かしんだ。
 他の者とは、ブルーの話は、それほど出来なかったから。
 どうしても辛くなってしまって、涙が溢れて来そうになって。


(前のあいつは、風の匂いか…)
 それを感じたことは無かった。
 前のブルーを前にした時、「風の匂いだ」と思ったことは。
(シャングリラで吹いていた風は…)
 人工の風で、公園を彩る風物の一つ。
 四季折々の草木を植えていたから、それに合わせて。
 春なら暖かい風を流して、冬には冷たく肌寒いものを。
 ただそれだけの人工の風に、匂いがあったかどうかも謎。
 花の香りが混じることなどは、あったけれども。
(ついでにレインは、本物の風の匂いなんぞは…)
 知らない筈だと思っていたから、今のブルーと考え込んだことがある。
 レインが言った「風の匂い」とは、何だったのか、と。
(ジョミーを救出した時の、硝煙の匂いかもしれん、って話まで…)
 出たのだけれども、結論としては、「雨上がりの風」に落ち着いた。
 前のブルーは、降りないままで終わったナスカ。
 赤い星には恵みの雨が降り注いだし、レインの名前も、そこからついた。
 レインは雨上がりの風の匂いを、「ブルーの匂いだ」と思ったのだろう、と。
 前のブルーが暮らした青の間、其処には水が満ちていたから。
 巨大な貯水槽が造られ、いつも澄んだ水を湛えていた。
 だから部屋にも水の匂いがしていただろう。
 前の自分やブルーは慣れてしまって、まるで気付いていなくても。
 「水の匂いだ」と思ったことさえ、一度も無かったままであっても。
(…だからレインには、前のあいつは、雨上がりの風と同じ匂いで…)
 風の匂いがしたのだと懐かしんでいた。
 もう、いなくなってしまった人を。
 主を失くして空っぽの部屋で、空になったベッドの持ち主を指して。


(…今のあいつは、風の匂いはしないよなあ…)
 小さなブルーの部屋には、貯水槽は無い。
 熱帯魚なども飼っていないから、水槽も無い。
 レインが感じた「風の匂い」は、今のブルーには無いだろう。
 代わりに何か匂いがあるなら、その日に食べた甘いお菓子の匂いだろうか。
(そうなってくると、ケーキ屋の前に行かないと…)
 今のブルーの「風の匂い」は、きっと吹いては来てくれない。
 焼き立てのパイや、オーブンから出したばかりのケーキの匂いを纏った風。
(…さっき吹いてったような風だと…)
 お菓子の匂いは混じらないから、今のブルーの匂いはしない。
 ついでに雨の予報でもないし、前のブルーの匂いでもない。
(せっかくの、地球の風なんだがなあ…)
 前のブルーが焦がれた地球。
 最後まで「肉眼で見たい」と思って、見られないことに涙した星。
 その地球の上に、二人で来た。
 気が遠くなるほどの時を飛び越え、青く蘇った水の星の上に。
 吹く風は、その地球の息吹で、この星の呼吸。
 青い地球が生きている証拠。
(もっとも、前の俺が見た地球も…)
 赤茶けた死の星だったけれども、風くらいは吹いていたのだろう。
 有毒の大気が覆っていたから、出ることも叶わなかった外。
 吹いてゆく風も毒を含んで、生き物の命を奪っただろう。
 それでも「匂い」はあったのだと思う。
 ブルーの匂いとは似ても似つかない、悪臭としか呼べないものでも。
 吸い込んだ途端に息が止まるか、意識を失うものであっても。


 その地球の上に、今は清らかな風が吹く。
 木々の梢を鳴らして吹き抜け、この町を通り過ぎてゆく。
(あいつの匂いじゃないってトコが…)
 残念だがな、と思うけれども、風の匂いも様々なもの。
 シャングリラの頃には分からなかった、地球ならではの自然の恵み。
 青葉の季節と、冬の最中では、すっかり違う匂いになる。
 みずみずしい新芽が萌え出る季節と、うだるような夏の季節でも。
(…今のあいつは、どういう風が似合うんだろうな?)
 風の匂いがするかはともかく、イメージとして。
 甘いお菓子の香りではなく、小さなブルーに似合いそうな風。
(身体も弱いし、まだチビだから…)
 とても柔らかな春風だろうか、それは穏やかに、花びらをそっと揺するような。
 暖かな陽だまりに座っていたなら、心地よく頬を撫でてゆくような。
(…そんな風かもしれないなあ…)
 ブルーは、まだまだ子供だから。
 本人が何と言っていようと、子供なことは確かだから。
(そうして、いつか育ったら…)
 前のブルーと同じ背丈に育ったならば、今度は、どんな風だろう。
 雨上がりの風のような匂いは、きっと纏っていないから…。
(爽やかな初夏の風ってトコか?)
 今のブルーのお気に入りの場所が、庭で一番大きな木の下。
 其処に据えられた白いテーブルと椅子が、ブルーの大好きなティータイムの場所。
(あそこで吹いていくような…)
 風がブルーに似合うだろうか。
 木漏れ日が細かいレース模様を描き出す上で、木の葉を鳴らしてゆくような。
 けして強くはない風だけれど、「吹いているな」と感じる風が。


(…先のことは、まだ分からんが…)
 どういう風が似合うのやらなあ、と思いを馳せる。
 これからも何度も思うのだろうか、今夜のように風が鳴ったら。
 「ブルーは風の匂いがしたね」とレインが語った、あの日を思い出したなら。
 そんな日も、きっと悪くない。
 吹いてゆく風は地球の呼吸で、ブルーと地球に来たのだから。
 今のブルーと二人で暮らせる時が来るまで、ゆったりと待てばいいのだから…。

 

           風が鳴ったら・了


※前のブルーは風の匂い。レインにしか分からなかった匂いですけど、雨上がりの風。
 生まれ変わった今のブルーには、どういう風が似合うのでしょう。育つまでが、楽しみv











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「…ぼく、馬鹿だった方が良かったかも…」
「はあ?」
 どうしたんだ、とハーレイが思わず見開いた瞳。
 ブルーと過ごす休日の午後に、テーブルを挟んで座りながら。
 お茶の時間の真っ最中で、二人で楽しく話していた筈。
 そこへいきなり「馬鹿だった方が…」と言い出したブルー。
 本当に何の前触れもなくて、突然、話をぶった切って。
「…だから、馬鹿だった方が良かったかな、って…」
 成績だって、うんと悪くて…、とブルーがフウとついた溜息。
 「いい頭なんて、意味が無さそうだから」と。
「おいおいおい…」
 なんでそうなる、と慌てたハーレイ。
 小さなブルーは成績優秀、今の学年では、当然、トップ。
 具合の悪い時でもなければ、テストは満点ばかりなのだから。


(…なんだって馬鹿の方がいいんだ?)
 分からんぞ、と湧き上がる疑問。
 今の小さなブルーはもちろん、前のブルーも良かった頭。
 そうでなければ、ソルジャーなどは務まらない。
 場合によってはキャプテン以上に、瞬時に下すべき判断。
 一つ計算が狂ってしまえば、シャングリラが沈みかねないから。
 常に最善の道を選んで、そちらへと皆を導く立場。
(…まあ、実際には、そこまでのことは…)
 それほど多くは無かったけれども、前のブルーは優秀だった。
 地球の男が逃げた時にも、ただ一人きりで対峙したほどに。
 長い眠りから覚めたばかりの、まだ満足には動けない身体で。
(…今のこいつも、忘れてはいない筈なんだがな…)
 前のブルーが取った行動。
 それらの判断を下すためには、優れた頭脳が必要なことも。


 なのに小さなブルーは「馬鹿」だった方が良かったらしい。
 実際は「馬鹿ではない」ものだから、「そっちが良かった」と。
「お前なあ…。どうして馬鹿の方がいいと思うんだ?」
 俺にはサッパリ分からんのだが、と投げ掛けた問い。
 ブルーが馬鹿になりたい理由が、まるで全く分からないから。
 そうしたら…。
「あのね…。馬鹿だったら、何も悩まないでしょ?」
 今と違って…、と答えたブルー。
 なまじ頭が良すぎるばかりに、悩み事が増えてゆくのだと。
「悩みって…。どうも穏やかじゃないな」
 俺で良ければ相談に乗るが…、と小さなブルーの瞳を見詰めた。
 ブルーが悩んでいると言うなら、相談に乗ってやらなければ。
 前の生から愛した人だし、今の生でも愛している。
 もちろん恋を抜きにしたって、教師としては大切な務め。
 教え子が悩みを抱えているなら、きちんとそれに向き合うべき。
 子供の手には余るものなら、大人ならではの助言を与えて。


「ハーレイ、相談に乗ってくれるの?」
 赤い瞳が輝いた。
「もちろんだとも。お前の悩みというのは、何だ?」
「えっとね…。前のぼくも、今のぼくも、ハーレイが好きで…」
 おんなじように、とブルーが曇らせる顔。
 そうなるのは頭が良すぎるからで、馬鹿ならきっと悩まないと。
 恋など理解できない筈だし、単純に「好き」なだけだろう、と。
「ほほう…。そのせいで、馬鹿の方がいいのか?」
「うん。ハーレイも、そっちの方がいいでしょ?」
 今みたいに困らないもんね、というブルーの言葉で気が付いた。
 これは罠だと、「賢い方がいい」と言おうものなら思う壺だと。
「その手に乗ると思うのか? 俺は賢いお前がいいな」
 素晴らしい頭で悩み続けろ、とニヤリと笑う。
 「俺は子供にキスはしない」と、賢いならば分かる筈だ、と…。




       馬鹿だった方が・了









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「…ハックション!」
 ブルーの口から飛び出したクシャミ。
 何の前触れもなく、突然に。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、お風呂上がりに。
 いつものようにパジャマ姿で、チョコンと腰掛けていたベッド。
 そこでいきなりクシャミが出たから、驚いた。
(え、えっと…?)
 冷えちゃったかな、と見回した自分の部屋の中。
 今は秋だけれど、今日の昼間は、暖かすぎるほどだった。
 きっとハーレイなら「小春日和」と言うのだろう。
 これから寒さに向かう季節に、何故だか春を思わせる陽気。
 そういった日を「小春日和」と呼ぶのだそうで、前に古典の授業で聞いた。
(…あの日も、暖かかったから…)
 教室もポカポカ暖まっていて、窓辺の生徒は「暑い」と言っていたくらい。
 制服のシャツの袖をまくって、半袖にしている男子もいた。
 それをハーレイがチラリと眺めて、始めた雑談。
(…英語だと、インディアン・サマー…だったっけ?)
 確か、そういう名前だった筈。
 地球が滅びてしまうよりも前に、アメリカ大陸で生まれた呼び名。
 当時のアメリカに、元から住んでいた人々のことを、インディアンと言った。
(……アメリカは、インドじゃないんだけれど…)
 高価な香辛料を求めて、インドに向かって船出していった冒険者たち。
 彼らは西へ、西へと懸命に船を進めていった。
 香辛料が採れるインドへは、東に行くのが当然のことで、近道だけれど…。
(…地球は丸いから、西へ行っても、グルッと遠回りするだけで…)
 必ずインドに辿り着くから、船乗りたちは西に向かった。
 そうして大西洋を渡って、見付けた大陸がアメリカだから…。
(住んでいるのはインドの人で、インディアン…)
 彼らは全く別の人々、インディアンではなかったのに。
 衣服も言葉もまるで別物、大陸だって違う場所だったのに。


 ハーレイが学校で教えてくれた、古典とは関係ない話。
 小春日和という言葉で始めて、インディアン・サマーを持ち出して。
(…あの話も、面白かったっけ…)
 興味津々で聞き入っていた、大勢のクラスメイトたち。
 同じ話を歴史の授業で聞かされたならば、みんな退屈したのだろうに。
(…歴史だと、アメリカ発見なだけで…)
 黒板にもそういう風に書かれて、それをノートに書き写すだけ。
 船乗りたちの冒険談など、誰も夢にも思わずに。
 新しい大陸を見付け出すまでに至った理由も、きっとつまらない。
(……香辛料は高いから、って……)
 歴史の先生にそう言われたって、「はい、そうですか」としか思わない。
 これがハーレイの雑談だったら、誰もが心を躍らせるのに。
 西に向かって船出した後、首尾よくインドに辿り着くことが出来たなら…。
(金と同じ値段で取引されてる、胡椒とか…)
 シナモンだとかカルダモンだとか、それは色々な名前のスパイス。
 船乗りたちはそれを手に入れ、ドッサリと船に積み込める筈。
 そうして故郷に戻って来たなら、それらを売って、たちまち大金持ちに。
(おまけに、王様たちが出資してるから…)
 地位や名誉も手に入る。
 インドに至る航路を見付けた英雄として。
 新しい船を建造したいと思ったならば、スポンサーだってつくだろう。
 英雄が再びインドを目指して、西へと出航するのだから。
(…考えただけでワクワクするよね?)
 それは素晴らしい冒険の旅。
 たとえ彼らが行き着いた先が、本物のインドではなかったとしても。
 全く別の新しい土地で、後にアメリカと呼ばれる場所でも。


 小春日和は、インディアン・サマー。
 けれど語源になったインディアンの方は、インドとは違う土地の人。
(確かに地球は、丸いんだけど…)
 西へ西へと向かって行ったら、確かに、いつかはインドにも着く。
 アメリカ大陸の南の果てを回って、太平洋へと進んだら。
 途轍もなく広い大海原を旅して、西へ西へと、幾つもの波を越えて行ったら。
(…そっちだと、世界一周の旅…)
 アメリカ大陸が見付かった後に、そちらに挑んだ人々もいた。
 「インディアン」たちが住んでいる場所、其処はインドではなかったから。
 インドだとばかり思っていたのに、実のところは「新大陸」。
 それなら次に目指すべきなのは、本物のインドに辿り着くこと。
 丸い地球の上を回って、東とは逆の西に向かって。
 インドに行くなら東へ行くのを、「地球は丸い」ことを信じて。
(……海は平らで、端まで行ったら大きな滝になっていて……)
 海の果てまで行き着いた船は、落ちるのだと皆が思っていた。
 滝に向かう流れに吸い込まれたなら、もはや逃れる術などは無くて。
 当時の船は、帆を張って走る帆船。
 風の力だけで走る船では、世界の果てから落ちる滝には歯が立たない。
 そうだと皆が信じた時代に、西を目指した冒険者たち。
 「地球は丸い」という説を頼りに、命を懸けて。
 本当に地球が丸いのかどうか、確かめる手段は無かったのに。
 人工衛星などは無いから、誰も「地球の姿」を知らない。
 それが丸いのか、平らなのか。
 西へ西へと旅をしてゆけば、インドに着くとは限らなかった。
 乗った船ごと、真っ逆様に滝から落ちてゆくかもしれない。
 もしも地球が丸くなければ、世界一周などは出来ずに。
 無事にインドに辿り着く代わりに、世界の端から落ちてしまって。


(…それでも旅をして行ったんだよ…)
 世界一周をした船乗りたちは…、と遠い昔に思いを馳せる。
 インディアンが住む新大陸の端を回って、太平洋という海に出て。
 世界の果ての滝を恐れもしないで、本物のインドに辿り着くために。
(凄いよね…)
 前のぼくたちの旅より凄かったかも、と傾げた首。
 白いシャングリラは地球を求めて、長い長い旅をしたのだけれど…。
(…地球の座標が謎だっただけで、宇宙の何処かに地球があるのは…)
 間違いようもない真実。
 宇宙の果ては今も謎だけれども、地球に行くには、あの時代でも困らなかった。
 広い宇宙の何処であろうと、宇宙船で行ける範囲の宙域。
 けして「宇宙の端」から落ちはしないし、そういう意味では安全な旅。
 敵は人類だけだったから。
 人類軍に船を壊されなければ、いつかは地球に着けるのだから。
(……度胸だけなら、きっと昔の船乗りの方が……)
 シャングリラにいた仲間たちより、上だったろう。
 いくらハーレイがキャプテンとして優れていたって、宇宙の端から落ちるリスクが…。
(…あるんだったら、地球を探して旅したかどうか…)
 どう考えても、危ういと思う。
 前のハーレイの最大の務めは、仲間たちの命を守ること。
 そのために人類と戦いはしても、冒険の旅には出られない。
 宇宙の端から落っこちるかもしれない旅など、白いシャングリラには「させられない」。
 確実に地球に着ける航路を見付けなければ、地球には行けない。
 昔の船乗りたちと違って、シャングリラだけが「ミュウの未来」を負っていたから。
 白いシャングリラはミュウの箱舟、冒険の旅をする船ではない。
 人類軍との戦いだったら、ギリギリの賭けをしてはいたって。
 今もハーレイが自慢している、三連恒星の重力の干渉点からワープするような。


 きっと昔の船乗りの方が度胸があるよ、と眺めた窓の方。
 今はカーテンが閉まった向こうに、ずっと先の方に、広がっている筈の地球の海。
 遥かな昔に「地球は丸い」と信じた人々、彼らが船で旅をした場所。
 地球を一周することは叶わず、世界の果てから落ちる危険があったのに。
(…ホントに凄い…)
 尊敬しちゃう、と思った所で、頭を掠めた「小春日和」という言葉。
 ハーレイが授業で話してくれた、インディアン・サマーだったのが今日の昼間で…。
(忘れてた…!)
 さっきのクシャミ、と竦めた肩。
 あれが無ければ、きっと昔の船乗りのことは、思い出しさえしなかった。
 本でも広げて読んでいたのか、あるいはのんびり座っていたか。
(…冷えちゃったのかも…)
 お風呂に入って温まった身体が、夜になって気温が下がったせいで。
 部屋の空気が思った以上に、実は冷たくなっているとか。
(風邪引いちゃったら、とても大変…!)
 船乗りの話どころじゃないよ、と慌ててベッドにもぐり込んだ。
 「寒い」という気はしないけれども、用心した方がいいだろう。
 クシャミが出たなら風邪の前兆、そういったことも少なくはない。
 今の生でも身体が弱くて、ふとしたはずみで風邪を引くから。
 昼間はポカポカ陽気の日だって、朝晩は油断出来ないから。
(……手遅れじゃありませんように……)
 お願いだから、と暖かな布団を肩の上まで引っ張り上げる。
 ハーレイの雑談を思い出したせいで、ベッドに入るのが遅れてしまって…。
(風邪を引いたら、本末転倒…)
 学校を休む結果になったら、ハーレイの話を聞き損ねる。
 そんなのは御免蒙りたいから、願わくば…。


(…誰かが噂を…)
 していたんだよ、と思いたい。
 クシャミが出たなら、誰かが噂をしているのだ、と聞いたから。
 そっちの方なら、さっきのクシャミも安心だから。
(……神様、お願い……)
 風邪の方じゃありませんように、と暗くした部屋で目を閉じる。
 暖かいベッドでぐっすり眠って、明日は元気に起きたいから。
 今のハーレイがしてくれる素敵な話を、学校でも聞いていたいのだから…。

 

       クシャミが出たなら・了


※昼間は小春日和だった日の夜、クシャミが出たのがブルー君。夜は冷えるのかも。
 けれど頭は別の方へ行って、ハーレイ先生の雑談を思い出して…。風邪を引きませんようにv











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「ハーックション!」
 突然、ハーレイの口から飛び出したクシャミ。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で寛いでいたら。
 コーヒー片手の夜のひと時、急にムズムズした鼻の奥。
 「ありゃ?」と頭で思うよりも先に、派手なクシャミが飛んで出た。
 猫のミーシャが今もいたなら、驚いてピョンと跳ねそうなほどに。
 もしも膝の上で眠っていたなら、きっと慌てて逃げただろう。
(…ミーシャがいた頃の俺だったら、子供だったしなあ…)
 同じクシャミでも、もっと小型で、ミーシャは驚かなかったかもしれない。
 飛び起きたとしても、「ふあぁ…」と欠伸で、すぐに目を閉じて…。
(寝ちまったろうな…)
 だが、今のだと…、と考えるクシャミ。
 ずいぶん身体が大きくなったし、ミーシャにとっては凄い騒音。
 膝の上にいたなら、振動だって大きいだろう。
(……とんだ目に遭った、と……)
 恨みがましく見上げる瞳が、見えるかのよう。
 白い毛皮によく映えた、青く輝く瞳。
 それが自分をジッと見詰めて、「うるさいじゃない」と。
 とてもゆっくり寝られやしないと、喋れない分、苦情を山ほど詰め込んで。
(…そうなってたかもしれないなあ…)
 一人で良かった、と見回す書斎。
 幸いなことにミーシャはいないし、同居人だっていない家。
 そこは、ちょっぴり残念だけど。
 小さなブルーがいてくれたならば、今のクシャミで…。
(風邪ひいたの、って…)
 心配してくれたかもしれない。
 ミーシャのように飛びのく代わりに、近付いて来て。
 心配そうな瞳で、覗き込んで。


 けれど、この家にブルーはいない。
 一緒に暮らせるようになる日は、まだまだ、ずっと先のこと。
 クシャミが出たって、ブルーの耳に届きはしなくて、今の時間なら…。
(…寝ちまってるな…)
 いつもより夜更かししていない限り、暖かなベッドにもぐり込んで。
 夢の世界の住人になって、もしかしたなら…。
(…前の俺と、デート中かもなあ…)
 そいつは嬉しくないんだが、と零れた溜息。
 小さなブルーが夢の世界で幸せだったら、それ自体はいい。
 前の生の悲しい思い出よりかは、幸せだった時の夢を見ていて欲しい。
 そうは思っても、夢の中でデートされたなら…。
(今の俺の立場が無くなっちまうし…)
 ついでに、次にブルーの家に行ったら、御機嫌斜めかもしれない恋人。
 「前のハーレイは、優しかったのに」と、夢の話を持ち出して。
 キスもくれない「ケチなハーレイ」よりも、遥かに素敵な恋人だった、と。
(……さっきのクシャミは……)
 まさかソレか、と見開いた瞳。
(誰かが噂をしていたら…)
 クシャミが口から飛び出すという。
 夢の世界で、小さなブルーが言っただろうか。
 とても優しい恋人の、「前のハーレイ」に。
 「今のハーレイは、ケチなんだよ」と。
 信じられないくらいにケチだと、「ハーレイとは比べられないくらい」と。
(…おいおいおい…)
 勘弁してくれ、と頭を抱えたくなる。
 所詮はブルーの夢であっても、そんな不名誉な噂は勘弁。
 ブルーのためを思っているから、絶対にキスはしないのに。
 いくらブルーが誘おうとも。
 あの手この手で求められても、「ハーレイのケチ!」と詰られても。


(…前の俺と、噂話というのは…)
 有難くない話だけれども、口からクシャミが出たのは事実。
 小さなブルーが夢の世界で噂しているか、それとも他の誰かだろうか。
(飲みに行ったヤツらは、いない筈だが…)
 同僚は全員、今夜は真っ直ぐ自分の家へと帰った筈。
 「酒の肴」になってはいない、と考えたものの、世界は広い。
(…前の学校の同僚ってことも…)
 有り得るだろうし、もっと範囲を広げたならば…。
(この地球じゃなくて、何処か他所の星で…)
 誰かが噂したかもしれない。
 「そういえば…」と、「ハーレイ」のことを思い出して。
 教師仲間か、柔道仲間か、はたまた昔の同級生か。
(……うーむ……)
 心当たりがありすぎるぞ、と頭の中に浮かんでくる顔。
 もはや特定不可能なほどに。
 「俺の噂をしていただろう?」と尋ねたならば、同時に幾つも手が挙がるほどに。
(…こいつが、前の俺だったなら…)
 直ぐに誰だか分かったろうな、と考えてみる。
 白いシャングリラは、とても大きな船だったけれど…。
(所詮は、ミュウの箱舟でしかなかった船で…)
 閉じた世界に過ぎなかったから、「噂をしていた人物」の特定くらいは簡単。
 監視カメラを端から当たれば、じきに答えが出ただろう。
 そうでなければ、前のブルーに尋ねさえすれば…。
(ちょっと待ってて、とクスッと笑って…)
 シャングリラ中に張り巡らせていた、サイオンの糸を辿ったと思う。
 思念で紡がれた細い細い糸は、誰にも見えない。
 けれどブルーは、それを使って、いつだって船を見守っていた。
 深い眠りに就いた後にも、その糸は健在だったくらいに。
 物騒な地球の男に気付いて、目覚めたばかりの身体で果敢に対峙したほどに。


 前のブルーが船を守った、サイオンの糸。
 それを辿って行きさえすれば、「誰がハーレイの噂をしたか」は、一瞬で分かる。
 不名誉な噂か、そうでないかも、手に取るように。
(…しかし、あいつも…)
 それに俺も、とシャングリラの頃を思い出す。
 たとえクシャミが出たとしたって、噂は放っておいただろう、と。
 ただでも娯楽が少ない船では、噂話も楽しみの種。
 船に不安が満ちてゆくような噂だったら、直ちに消さねばならないけれど…。
(俺がしでかした失敗談なら、大いに笑って貰って、だ…)
 愉快な気分になって貰って、笑いが船に広がってゆく方がいい。
 噂の出処がブリッジだったら、其処から機関部、更に厨房や農場にまでも。
 「キャプテンが、こんな失敗を…」と皆で笑って、噂をして。
(…うん、きっとそうだ…)
 あいつも、俺も放っておくな、と白い鯨の仲間たちの笑顔を思ったけれど。
 彼らが笑っていてくれるのなら、噂されても良かったけれど…。
(……ちょっと待てよ?)
 クシャミをしたら噂だったか、と顎に当てた手。
 さっきクシャミが飛び出した時に、「噂かもな」と考えた自分。
 そして始めた犯人捜し。
 小さなブルーか、同僚なのか、はたまた古い知り合いなのか、と。
(…だが、前の俺は…)
 そんなことなどしなかった。
 クシャミが出たら「風邪か?」と不安が掠めたもの。
 キャプテンが風邪を引こうものなら、たちまち船に影響が出る。
 操舵は誰かに任せるとしても、他にも山とある仕事。
 代わりの者では瞬時に判断出来ない、船の航路の変更などが、その筆頭。
 寝込んでなどはいられないから、体調には常に気を付けていた。
 うっかり風邪など引かないように。
 下手に疲労を溜め込んだりして、病を呼び込まないように。


(クシャミが出たら、噂ってのは…)
 今の俺だ、と気付いた自分の考え方。
 青く蘇った水の星の上で、新たに学んだ日本の文化。
(一つだったら、誰かが噂していて…)
 そういえば「良い噂」だった、と今になってから思い至った。
 クシャミの回数で決まってゆくのが、噂の中身。
 一つだったら良い噂、二つだったら悪い噂といった具合に。
(すると、ブルーが夢で噂をしていても…)
 悪口の方ではなかったろうか。
 夢で「前のハーレイ」とデートをしていて、「今のハーレイ」のことを語っても。
(…ふむふむ…)
 それなら逆に嬉しいもの。
 その上、「噂か?」と、あれこれ思い巡らせたことも。
(……前の俺だと、知りようもなかったことなんだ……)
 クシャミが出たら、噂をされたと思う文化は。
 機械が統治していた時代は、日本の文化は消されていた。
 他の「余計な文化」も消されて、神さえも一人しかいなかったほど。
(…クシャミが出たら、ゴッド・ブレス・ユー、だっけな?)
 そう言う地域もあるのが今。
 クシャミと一緒に魂が抜けてしまわないよう、周りの者が唱える言葉。
(…それだって、誰も言わなかったさ…)
 そんな文化も消えていたしな、と満ちてゆくのは幸せな思い。
 ブルーと二人で青い地球までやって来たから、クシャミが出ても要らない心配。
 今の自分が風邪を引いても、仲間に危険が及びはしないし、その逆に…。
(噂が娯楽になると思って、大いにやってくれ、とだな…)
 考えたのが今の自分で、今はそういう時代だから。
 青く輝く水の星では、クシャミひとつで、あれこれと思い悩めるから…。

 

         クシャミが出たら・了


※ハーレイ先生の口から飛び出したクシャミ。ブルー君が夢で噂をしているのかも。
 あれこれ考えたわけですけれど、シャングリラの頃には無かった考え方。幸せですよねv










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「ねえ、ハーレイ…。今も好物、変わってないよね?」
 前の時と、と小さなブルーが傾げた首。
 二人きりで過ごす休日の午後に、向かい合わせで腰掛けて。
 ブルーの部屋にある、いつものテーブルと椅子。
 其処で出て来た、そういう質問。
「好物って…。変わっていないということは無いぞ」
 前の俺とは違う部分も大いにあるな、と答えたハーレイ。
 何故なら、本当にそうだったから。
「変わっちゃったの?」
 なんで、とブルーは目を丸くする。
 今のハーレイも前と同じで、好き嫌いというものが無いから。
 そうだと何度も聞いているから、解せなくて。


「変わった理由か? それはだな…」
 まずは地球だな、と立てた人差し指。
 今のブルーも、今のハーレイも、住んでいる場所は青い地球。
 遠く遥かな時の彼方で、前のブルーが焦がれた星。
 蘇った母なる水の星の上では、何もかもが前と違っている。
 其処にある物も、地球で暮らしている人々も。
 だから自然と異なるものだ、とハーレイはブルーに話した。
 今のハーレイの大好物は、母が作ったパウンドケーキ。
 幼い頃から馴染んだ味で、その母は血が繋がった母。
 SD体制の時代には何処にも無かった、本物の「おふくろ」。
 「おふくろの味」が出来てしまえば、何もかも変わる。
 前のハーレイは、「おふくろ」を知らなかったから。
 育ててくれた養父母でさえも、まるで覚えていなかったから。


 そんなこんなで、変わった好物。
 前のハーレイなら、どうでも良かったパウンドケーキ。
 きっとブルーもそうだろうから、「分かるだろう?」と。
「そっか…。それなら、ぼくも同じかも…」
「ほらな。変わらない方がおかしいんだ」
 時代に合わせて変わっちまう、と浮かべた笑み。
 「見た目はともかく、前の俺とは違うもんだ」と。
「うーん…。だけど、お酒は好きなんじゃないの?」
 ぼくのパパとも飲んでるものね、と返したブルー。
 「前のハーレイも好きだったでしょ」と、赤い瞳を瞬かせて。
「酒か…。あれなら今でも好きだな、うん」
「ほら、変わってない」
「いやいや、今は地球の水で仕込んだ美味い酒があるし…」
 酒の好みは変わったかもな、と笑顔で返す。
 同じ酒でも、あの頃とは違うものだから。
 白いシャングリラで飲んだ酒とも、改造前の船にあった酒とも。


「お酒の好みも変わっちゃったの? でも…」
 飲み方は変わっていないでしょ、とブルーは興味津々。
 酒を入れる器の種類などは増えても、酒には違いないから、と。
「それはまあ…。熱燗だとか、そういうのはあるが…」
「無礼講だって、今もあるでしょ?」
「あるな」
 なかなかに愉快な酒の席だ、と緩んだ頬。
 そうしたら…。
「次はお酒を用意しておくね。無礼講なら、いいんでしょ?」
「はあ?」
「酒の上なら、ハーレイがぼくにキスしちゃっても…」
「馬鹿野郎!」
 この部屋で酒は決して飲まん、とブルーの頭を軽く小突いた。
 小さなブルーに、キスはしないと決めているから。
 無礼講でも酒の上でも、ブルーの罠には掛からないから…。




           酒の上なら・了







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