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(この様子だと…)
 じきに晴れるな、とハーレイが庭から仰いだ空。
 ブルーの家へと出掛ける日の朝、まだまだ早い時間だけれど。
 朝食もこれからという早朝だけども、ふと気になって出てみた庭。
 いつの間にやら雲が出ていて、青かった空を半分ほど覆ってしまっていたから。
 もしや降るかと、それなら車で出掛けなければと眺めに出て来た。
 天気予報では今日は快晴、雨など降らない筈の休日。
 けれども天気は気まぐれなもので、予報が外れることだってある。
(調べれば分かることなんだが…)
 何処かで雨が降っているのか、単に曇っているだけか。
 そういうデータは常に見られる、調べさえすれば。
(しかしだ、俺の性分でだな…)
 データよりかは勘なんだ、と雲を見上げて、観察して。
 雲の様子や風向きなどから弾き出した答えが「もうすぐ晴れる」。
 広がった雲は風に流され、遠くへと去ってゆくだろう。
 多分、朝食を食べている内に。
 今日は茹で卵な気分の朝食、そのための卵を鍋で茹でたりしている内に。


 よし、と戻った家の中。
 固ゆで卵やサラダを作って、分厚いトーストなんぞも焼いて。
 熱いコーヒーを淹れた愛用のマグカップ、朝食のテーブルに着いた頃には…。
(やはり晴れたか)
 燦々と射し込む朝の光と、開け放った窓からの爽やかな風と。
 青い空には雲の欠片が幾つかポツンと、まるで迷子の羊のように。
 空の半分を埋め尽くしていた雲の羊たち、その群れは去って行ったのに。
 この辺りの空にあったらしい牧草、それを食べ尽くして次の場所へと旅立ったのに。
(…まあ、あの程度の羊ならな?)
 食べ残しの草もあるだろうさ、とガブリと齧った茹で卵。
 サラサラの塩をパラリと振って。
 切って食べるより丸かじりがいいと、殻を綺麗に剥いた卵を。
 朝食には卵を二つは食べたい、二つ茹でてある固ゆで卵。
 空に残った雲の羊にも、丁度いい量の草が残っているのだろう。
 群れを外れてしまった後にも、食べていられるくらいの草が。
(はてさて、迷子か、それとも自分で残ったか…)
 美味しそうな草がまだあるから、と空にのんびり残ったろうか?
 食いしん坊の雲の羊が何匹かいるというのだろうか。
 食べ終わったら、慌てて群れを追ってゆく羊。
 他の仲間に追い付かなければ、と空を走って、流れ去った雲の羊たちを追って。


(雲の羊なあ…)
 フワフワだな、と茹で卵を頬張りながら見上げて、本当に羊だと思う。
 羊雲という言葉の通りに、羊さながら。
 よく言ったものだ、と思う羊雲。
 秋に出るのが羊雲だけれど、他の季節でも雲は羊に見えるもの。
 ふわふわと空に浮かんでいたら。羊よろしく、ほわほわとした姿だったら。
 空には雲の羊たちが住む、それに牧草も。
 さっきまで空の半分を覆っていた羊たちが群れる牧草が。
 これは美味だと空に群がり、雨を降らせるつもりもないのに太陽を翳らせてしまうほど。
(よっぽど美味い草があったんだな、今朝は)
 あちこちから羊がやって来るほど、空の半分を埋めるほど。
 今朝の空には、この町の空には美味しい牧草。
 食べ尽くされた後にも残っている草、それを食べようと雲の羊がいるほどに。
 全部食べてから群れを追おうと、まだ何匹か。
(迷子と言うより、そっちなんだろう)
 本当に美味い草なんだろうな、と齧ったトースト。
 茹で卵を一個食べ終わったから、マーマレードをたっぷりと塗って。
 隣町の家の庭の夏ミカン、それを使って母が作るもの。
 このトーストや茹で卵のように美味しい朝食、空の羊も朝食だろう。
 青い空に生えた牧草を食べて、まだこっちにもあると群れから外れて。


 雲の羊は空をゆっくりと流れてゆく。
 まるで本物の羊のように、牧草を食べにのんびりと歩いてゆくように。
 トーストを齧って、茹で卵を頬張って、それを眺めていたけれど。
 空に羊がいると思っていたけれど。
(…待てよ?)
 今の自分には見慣れた雲。
 空を仰げば羊だっているし、ついさっきまでは群れていたほど。
 雨になるのかと庭に出て行って空を見たほど、雲の具合はどうなのかと。
 けれども、それを当たり前のように思う自分は…。
(…今の俺だからだ…)
 前の俺だと有り得なかった、と雲の羊をポカンと眺めた。
 雲を眺めて羊のようだと考えた上に、空に牧草があるなどと。
 雲の羊が食べる牧草、よほど美味なのが生えていたのだと青い空を見て思うなど。
(…雲はいつでも船の周りで…)
 羊どころか、真っ白な壁。
 その向こう側すらも見透かせない壁、肉眼ではとても。
 シャングリラの周りは雲の海だった、どんな時でも。
 前のブルーと暮らした頃には、二人で笑い合った頃には。


(…ナスカで地面に降りた時には…)
 とうにブルーは眠っていたから、雲の羊を楽しむ余裕は自分には無かったのだろう。
 前のブルーを失くした後には、もう雲などは…。
(…見えていても、見てはいなかったんだ…)
 そうだったのだ、と前の自分を思い返した。
 ブルーを失くして一人残されて、白いシャングリラに独りぼっちで。
 仲間たちはいても心は孤独で、旅の終わりだけを思っていた。
 地球に着いたら全て終わると、ブルーの許へと旅立てるのだと。
 魂はとうに死んでしまって屍のようだった、あの頃の自分。
 キャプテンとしての務めは果たしたけれども、時に笑いもしたけれど。
(あくまで付き合いだったんだ…)
 生きてゆくなら、仲間たちとも触れ合わなければならないから。
 ただのミュウなら部屋に籠って誰にも会わずにいられたとしても、前の自分は…。
(キャプテンじゃ、そうはいかないってな)
 船を纏める立場だから。
 前のブルーに「ジョミーを支えてやってくれ」と頼まれて生きていたのだから。
 その思いだけで、生きていた自分。
 仲間たちとは笑い合っても、一人の時には…。
(…何も感じやしなかったんだ…)
 地面に降りても、空を仰いでも。
 かつてはシャングリラを覆っていた雲、それが羊に見える形で浮かんでいても。


 今だからこそか、と気付いた羊。青い空をゆく羊の雲。
 気付けば、雲は見上げるものになっていた。
 船の周りを覆い尽くす代わりに、遥かな頭上で流れてゆくもの。
 牧草目当てで群れた羊か、と愉快な考えを呼び起こすほどに。
 群れから外れた食いしん坊の羊がいるな、と流れ去った雲の名残を数えるほどに。
(…前の俺だと、空の上には牧草どころか…)
 羊だって見えやしなかった、とコーヒーのカップを傾けた。
 それなのに今は羊が見えると、空の上には牧草が生えているらしいと。
 キャプテン・ハーレイだった頃には、夢にも思いはしなかった。
 雲が羊だとも、羊がいるなら牧草が生えているのだとも。
 美味しいからと群れを外れて食べている羊の雲があるとも、ただの一度も。
(きっと、あいつだって…)
 前のブルーも、雲の羊は考えたことも無かっただろう。
 自分と違って船の外へと出ていたけれども、雲も仰いでいたのだけれど。
 それでもブルーはソルジャーだったし、船の外へと出た時には…。
(少しのんびりしていたとしても、雲を眺めて羊とまでは…)
 きっと考えなかっただろう。
 もしもブルーがそれを思ったなら、前の自分も聞いただろうから。
 二人でゆっくりと過ごす時間に、きっとブルーが笑顔で話してくれたろうから。
 「知っているかい?」と。
 「この船の周りは羊だらけだよ」と、「羊でギュウギュウ詰めなんだよ」と。


(…うん、あいつなら言っただろうな)
 それは楽しそうに、面白そうに。
 シャングリラを取り巻く雲の隠れ蓑、外へ出られはしない雲海。
 安全だけれど、ある意味、牢獄とも言えた。
 外へ出る自由が無いのだから。出たくとも出られないのだから。
 その真っ白な雲の牢獄、それを羊だと思えば時には笑うことだって出来ただろう。
 今日も羊がギュウギュウ詰めだと、羊だらけで出られはしないと。
(雲だと思えば自由も無いが…)
 羊の大群に捕まったのなら、ギュウギュウと押し寄せられて動けないなら、また違う。
 きっと愉快な気持ちにもなれた、「今日も羊が一杯ですね」と。
 あの頃は本でしか知らなかった世界、羊の群れが横切る道路。
 全部の羊が渡り終えるまで、車は停まって待つのだと聞く。
 青く蘇った地球の上でも見られる光景、羊を放牧している場所なら。
(…其処へ行った気分になれただろうさ)
 船の周りに一杯の羊、雲の羊の群れが去るまで動けそうにないシャングリラ。
 今だから頭に浮かぶ光景、雲の羊とシャングリラと。
(平和な時代になったもんだな)
 まだ食ってるな、と白い雲を仰ぐ。
 群れから外れて牧草を食べている雲の羊を、自分と同じに朝食を食べる雲の羊を…。

 

         空に住む羊・了


※ハーレイ先生が見付けた羊の雲。シャングリラの頃には雲は羊に見えなかったのに。
 今は空の上に沢山の羊がいるようです。同じ雲でも羊に見えるのが幸せですよねv





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(今日は何かな?)
 ママのおやつ、とブルーが弾ませた心。
 学校から帰れば待っているのが、ダイニングでのおやつの時間。
 制服を脱いで着替える間に用意されるおやつ、それが楽しみ。
 大抵は母の手作りのお菓子、たまに貰ったものや母が買って来たもの。
 「頂いたのよ」と出る時もあるし、「美味しそうだったから」と出されることも。
 手作りのお菓子も、貰ったものでも、買ったお菓子でも…。
(どれも楽しみ…)
 母がテーブルに出してくれるのが、飲み物と一緒に置いてくれるのが。
 どんなお菓子でも美味しいから。
 母が「はい、どうぞ」と出してくれるものは美味しいに決まっているのだから。
 それこそ物心ついた頃から好きな時間で、楽しみな時間。
 学校から帰ればおやつはあるもの、当たり前のように出て来るもの。
 幼稚園の時にもそうだった。
 帰って来る時間が今より早くて、早い時間に食べていただけで。
 今と同じに食が細かったから、「晩御飯も食べなきゃ駄目よ?」と何度も念を押されただけで。
 家に帰れば、いつでもおやつ。
 幼稚園の頃も、下の学校でも、今の学校に上がってからも。
 今日だって絶対に何かあるのに決まっているから。
 母が「着替えたら下りていらっしゃい」といつものように言っていたから。
(着替えたら、おやつ…)
 いそいそと着替える、制服を脱いで。
 家で着るシャツをバサッと被って、ズボンも履いて。


 階段をトントン下りて行く間も、弾む足取り。
 おやつの時間は大好きだから。
 食事と違って「沢山食べなさい」と注意されはしないし、叱られもしない。
 用意された分だけ、好きに食べてもいいおやつ。
 もっと欲しかったら、おかわりだって。
 たまに失敗するけれど。
 美味しかったからと欲張った末に、気付けば一杯になっているお腹。
 夕食までに空いてくれればいいのだけれども、弱い身体では「ちょっと運動」とはいかなくて。
 ひとっ走りして、膨れたお腹を減らすわけにはいかなくて。
 父と母とに二人がかりで叱られる。
 「おやつよりも食事が大切だろう」と、「おやつは食事と違うのよ?」と。
 小さい頃から何度もやってしまった失敗、流石に今ではあまりやらない。
 自分の胃袋の限界は分かるし、それよりも…。
(おやつ、控えめにしておかないと…)
 悲劇が起こってしまうから。
 夕食の時間までには減るだろうお腹、そのくらいに食べておいたとしても。
(…だって、ハーレイ…)
 仕事が早めに終わったから、と寄ってくれることがある大事な恋人。
 そのハーレイが来てくれた時は…。
(ママがお菓子を出すもんね?)
 もちろんお茶もきちんとつけて。
 その時に自分のお腹が一杯だったら、お菓子は食べられないのだから。


 来てくれるかもしれない恋人、お菓子は是非とも一緒に食べたい。
 自分の分だけ、お菓子のお皿が無いだとか。少なめだとかは、とても悲しい。
 「おやつを沢山食べていたから」と母が減らしてしまった結果。
 それが悲劇で、一番起こって欲しくないこと。
 今の所は一度も起こっていないけど。
 母はハーレイが遠慮しないよう、公平に二人分を運んで来るから。
 とはいえ、注意をされる日もある。
 「おやつを食べ過ぎては駄目よ?」と。
 学校から帰って、多めに食べていた日には。
 母の目から見ても、「今日は多い」と思われた日には。
 そうした時にはハーレイに言われる、「お前、ほどほどにしておけよ?」と。
 「お母さんのお菓子が美味いのは分かるが、まずは食事だ」と。
 恋人にまで注意されたら、もう迂闊には食べられなくて。
 そういう日には「残しても後で食べられそうなお菓子」が出してあるから…。
(…ぼくが食べるの、ちょっとだけ…)
 ハーレイと二人で楽しくお菓子を食べたくても。
 お皿を綺麗に空にしたくても、残すしかなくなる美味しいお菓子。
 時にはハーレイが「どれ」と手を伸ばして残りを持って行ったりもする。
 「俺は菓子くらいで腹が膨れはしないからな?」と。
 ハーレイに美味しいお菓子を譲ることには何の文句も無いけれど…。
(…ぼくは一緒に食べたいのに…)
 せっかく恋人と二人で過ごせるティータイム。
 お菓子が控えめでは悲しすぎるから、そうならないよう、おやつの量は心して。


 頭では分かっているのだけれども、人間だから。
 おまけに子供で、美味しいお菓子に弱いから。
 誘惑に負けてしまってパクパクと食べて、後で後悔する時もある。
(ハーレイは今日は来ないだろう、って思って食べたら来ちゃうんだよ…)
 何度かやってしまった失敗、けれども無いのが鉄の自制心。
 前の自分のようにはいかない、あれほどに我慢強くはない。
 ハーレイとの恋も、地球への思いも捨ててメギドへと独り飛んだ自分。
 おやつとは比べ物にならないものを二つも、あっさりと捨てて。
(…今のぼくだと、おやつだって…)
 ちょっとくらい、と食べ過ぎるのだし、自制心にきっと欠けている。
 我慢強さだってまるで足りなくて、もっと、もっととおやつを食べては…。
(…お腹一杯…)
 自分でも馬鹿だと思うけれども、何度かやった。
 「ハーレイは来そうにないんだから」と自分自身に言い訳しながら、おかわりしたおやつ。
 そんな日に限ってポッカリと空いてしまったハーレイの時間、門扉の横のチャイムが鳴って。
 窓から見たなら手を振るハーレイ、「やっちゃったよ…」と零す溜息。
 まだまだお腹は減っていないのに、恋人が来てしまったと。
 今日は二人で一緒におやつを食べられないと。


 避けたい失敗、おやつの食べ過ぎ。
 けれども好きでたまらないおやつ、ダイニングのテーブルで食べるひと時。
 小さな頃からこれが好きだし、子供用の椅子にチョコンと座っていたような頃から…。
(おやつの時間が大好きだしね?)
 もっと食べろと注意されないし、食事と違って自由だから。
 美味しいお菓子と、それにピッタリの飲み物と。
 ゆっくり楽しみながら頬張って、飲んで、もう最高に幸せな時間。
 幸せは色々あるのだけれども、おやつの時間も間違いなく幸せの中の一つで、キラキラと光る。
 どんなおやつが待っているかと、ダイニングに向かう所から。
 テーブルに置かれたおやつのお皿に大喜びしたり、運ばれて来るのを待っていたりと輝く時間。
 幸せ一杯で過ごす時間で、今日のおやつは…。
(わあ…!)
 パウンドケーキ、と胸がドキンと高鳴った。
 今のハーレイの好物だというパウンドケーキが焼かれていたから。
 ハーレイの母が焼くのと同じ味だと、ハーレイを驚かせた母のパウンドケーキ。
 それを聞いて以来、母のパウンドケーキは特別なもので、魔法のケーキ。
 パウンドケーキが待っていたから、今日のおやつは最高に幸せな時間になって…。


 母に頼んで、最初は一切れ。
 「薄く切ってよ」と注文をつけて、本当だったら一切れだろう厚みを半分にして。
 こうすれば二切れ食べても、一切れ。
 ハーレイが好きなパウンドケーキを二切れも食べて、幸せな気分。
(今が一切れ目で…)
 紅茶をお供にフォークで口へと、ふうわりと広がる幸せの味。
 恋人の大好物の味はこれだと、ハーレイが好きなパウンドケーキ、と噛み締めながら。
(食べちゃっても、まだ二切れ目…)
 一切れ目をゆっくり、ゆっくりと食べて、細かい欠片も綺麗に食べて。
 母が切っておいてくれた二切れ目をケーキ皿に載せたら、大満足で。
(まだこんなに…)
 たっぷりとあるのがパウンドケーキ。
 幸せの味の、ハーレイの好物のパウンドケーキ。
(ハーレイはこれが大好きなんだし…)
 食べている時にも、ハーレイはとても嬉しそうだから、それは美味しそうに食べるから。
 自分もそういう顔で食べたい、幸せ一杯の笑顔で食べたい。
 意識せずとも、ちゃんとそうなっているのだけれど。
 自分では全く気付かないだけで、傍から見たなら最高に幸せそうなのだけれど。
(…すっごく美味しい…)
 恋人の好物だというだけで。
 美味しそうに食べる恋人の顔を思い浮かべているだけで。


 ふと気付いたら、もう二切れ目は残り僅かで。
 けれど、見てみればテーブルの上にはパウンドケーキがまだあって。
(…もうちょっとくらい…)
 かまわないよね、とキョロキョロと見回したダイニング。
 母はいなくて、代わりに一切れ切ってあるケーキ。
 かなり薄めに切ってあるから、どう見てもこれは…。
(ぼくが欲しくなった時のための、おかわりの分…)
 よし、と添えてあったフォークで自分のお皿に取り分けた。
 このくらいならまだ大丈夫、と。
(…今日はハーレイ、来ないだろうしね?)
 そんな気がする、パウンドケーキが焼いてあるのに残念だけれど。
 きっと来られない、そういう予感。
(だから食べても平気なんだよ)
 夕食までには、お腹が空くだろう量だから。
 母も心得て薄めに切っておいてくれたのだから。
 もう最高に幸せな気分、パウンドケーキが今日は三切れ目。
 おやつの時間は毎日あって当たり前だけれど、今日は特別、そう思える日。
 大喜びで食べて、満足して。
 「御馳走様」と母にお皿やカップを返して、自分の部屋へと帰ったのだけれど…。


(……嘘……)
 ハーレイが来ちゃった、と嬉しいのだか、ションボリだかの暫く後。
 来ないと思った恋人が訪ねて来てくれた上に、おやつに出されたパウンドケーキ。
 もうこれ以上は食べられないから、お皿を睨んでいるしかないから。
「おい、どうかしたか?」
 食べないのか、とハーレイに訊かれて、「お腹一杯…」と答えて、笑われて。
 「おやつの時間に欲張ったな?」と額をコツンとやられたけれども、そうされるのも…。
(…ハーレイと二人で、地球に来たから…)
 そして当たり前のようにパウンドケーキのおやつもあるからなのだ、と気が付いたから。
 失敗してしまったおやつだけれども、幸せな気分。
 今はおやつが当たり前。
 学校から帰って食べる毎日のおやつも、ハーレイと二人で食べる時間も…。

 

        当たり前のおやつ・了


※パウンドケーキを食べ過ぎてしまったブルー君。おやつの時間に欲張って。
 でも、おやつの時間が当たり前にあるのが幸せの証拠。今ならではの時間なのですv





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(今日も一日…)
 無事に終わったってな、と心で呟くハーレイ。
 ブルーの家には寄り損なったけれど、それを除けば順調だった日。
 朝起きてから仕事に出掛けて、会議も済ませて帰って来た。
 着替えをしたら夕食の支度、食材もちゃんと買って来たから。
 鼻歌交じりに作った夕食、ダイニングのテーブルでゆっくり食べたら…。
(コーヒーにするかな)
 食後はやっぱりコーヒーがいい。
 ブルーの家では滅多に飲まないけれど。
 コーヒーが苦手なブルーに合わせて、お茶の時間にはいつでも紅茶。
 夕食を御馳走になった後には、たまにコーヒーも出るけれど…。
(あいつが膨れているからなあ…)
 顔に出さなくても、声に出さなくても、ブルーの心は手に取るように分かる。
 「仲間外れになってしまった」と悔しそうにしている小さなブルー。
 両親もコーヒーを飲んでいるから、「どうしてぼくだけ」と。
 一度、強請ってコーヒーを飲んで酷い目に遭ってしまったくせに。
 苦くて飲めなかったばかりか、目が冴えて眠れなかったという有様のくせに。
(…しかし、あいつは懲りてないんだ)
 前の生から変わらない頑固さ、今もコーヒーを飲みたいと思っているらしい。
 仲間外れは嫌だから、と。
 そのせいでどうも落ち着かないのが、ブルーの家で飲むコーヒー。
 食後に「どうぞ」と出て来るコーヒー、美味しいけれども苦いコーヒー。


 コーヒーは苦いものだけど。
 苦みも美味しさの内だけれども、御機嫌斜めなブルーを横目に飲むコーヒーは…。
(ほろ苦いの意味が違うんだよなあ…)
 舌が喜ぶ苦さとは違って、心を掠めてゆく苦み。
 自分だけ美味しく飲んでいいのかと、ブルーはこれが飲めないんだが、と。
 ブルーの母が淹れるコーヒーは香り高くて、豆もいいもので。
 御馳走になったら「美味しいですね」と手放しで褒めてしまうし、実際、美味で。
 店で出たなら、もう間違いなく贔屓の店になるだろう。
 次に近所を通り掛かったら、是非とも入ってコーヒーを飲もう、と。
(…せっかく美味いコーヒーなんだが…)
 小さなブルーの恨みがましい視線を感じてしまうコーヒー。
 みんなズルイと、ぼくのコーヒーは無いのにと。
 ブルーの両親は慣れているから、そんなものだと気にしていない。
 それこそブルーが赤ん坊の頃から、夫婦で何度もコーヒーを飲んでいただろうから。
 家ではもちろん、喫茶店でも、家族で出掛けたレストランでも。
 要はブルーにはまだ早いコーヒー、それだけのこと。
 「ソルジャー・ブルーも苦手だったらしい」と知った今でも、変わりはしない。
 自分たちの息子はコーヒーが苦手、たったそれだけ。
 飲めないのだからブルーの分まで淹れなくていいし、紅茶で充分、と。


 ところが、そうはいかない自分。
 ブルーを育てた両親と違って、「仲間外れにしておく」ことに慣れてはいない。
 それどころか逆で、今の自分も慣れないけれども…。
(前の俺だって慣れてないんだ!)
 ソルジャー・ブルーと呼ばれて、気高く美しかった前のブルー。
 前の自分が愛したブルー。
 小さなブルーと違って大人だったけれど、「仲間外れ」を嫌がった。
 正確に言うなら、前の自分と「飲み物の好みが違う」ことを。
 前の自分が好んだコーヒー、それから酒。
 どちらも前のブルーには合わず、何かと言えば零していた。
 「何処が美味しいのか分からないよ」と、「ぼくは好きではないんだけれど」と。
 好き嫌いは全く無かったブルーだけれども、嗜好品となれば別だった。
 酒が無くても死にはしないし、コーヒーも同じことだから。
 シャングリラに欠かせない食料ではなくて、無くても「我慢しろ」で済むものだから。
 好む者だけが欲しがる飲み物、そういったせいもあっただろう。
 前のブルーがコーヒーも酒も全く受け付けなかったのは。
 飲まねばならない必要はなくて、「ぼくは駄目だ」で済んだのだから。


 なのにブルーは我儘を言った、「ぼくも飲みたい」と。
 「君が美味しそうに飲んでいるから」と、コーヒーや酒を。
 酷い目に遭うと分かっているのに、自分の舌には合わないのに。
 強請られる度に断り切れずに、コーヒーや酒をブルーに出していたのが自分で…。
(あいつを無視して俺だけコーヒーっていうのはだな…)
 どうにも苦手で落ち着かなかった、前のブルーがチラリと見るから。
 「美味しいのかい?」と、「君は本当にそれが好きだね」と。
 そんなわけだから、ブルーの前では大抵、紅茶で。
 ブルーに合わせて飲んでいたから、それを今でも引き摺っている。
 おまけに今でも小さなブルーとお茶を飲む時は紅茶が基本。
 ジュースの類も出たりするけれど、コーヒーは出ない。
 夕食の後で、ブルーの両親が「どうぞ」と勧めてくれる時だけしか。
 小さなブルーが「ぼくの分が無い…」と膨れているのが手に取るように分かる時しか。
 ブルーは膨れていないけれども、顔は笑顔でいるのだけれども、心に溢れている不満。
 「ぼくだけ仲間外れになった」と、「ハーレイだってコーヒーなのに」と。
 両親とブルーだけの席であったら、きっと膨れはしないだろうに。
 そういうものだと幼い頃から慣れているから、普通だろうに。


(俺がいるっていうだけでだ…)
 ブルーの心は我儘になる。仲間外れは嫌だと膨れる。
 自分がブルーの恋人だから。
 その恋人と同じものがいいと、同じ飲み物を飲みたいのにとブルーの心が溜息をつく。
 愛らしいけれど、ブルーの心が分かるから。
 仲間外れの寂しさも不満も、自分にはちゃんと伝わるから。
(…絶品のコーヒーが苦くなるんだ)
 美味しさが増す苦味とは違って、心に苦み。
 小さなブルーを仲間外れにしてしまうという心の痛みと、チリッと走る苦み。
 だから落ち着かない、ブルーの家で味わうコーヒー。
 その辺りの店で出されるコーヒーなどより、ずっと美味しいコーヒーなのに。
 ブルーの両親の客であったら、彼らがブルーの親と違って友人だったら…。
(もう絶対にコーヒー談義だ)
 何処の豆かと訊くのに始まり、淹れ方のコツも訊くだろう。
 自分も上手く淹れられるけれど、もっと他にも秘訣があるかもしれないから。
 それをプラスしたら、家で淹れるコーヒーの味も格段に上がるかもしれないから。


 けれども未だに訊けない秘訣と、一度も出来ないコーヒー談義。
 小さなブルーが膨れているから、顔に出さなくても不満そうだから。
 ブルーの家で飲むコーヒーにはつきものの苦み、ブルーの不満。
 小さなブルーの膨れっ面。
 膨れていなくても、心の中では「仲間外れだ」と不満たらたら。
(あれじゃコーヒーの美味さもなあ…)
 落ちるってもんだ、と淹れたコーヒー、いつもの自分のやり方で。
 ブルーの家で出される美味しいコーヒー、それの秘訣はまだ訊けないから。
 ともあれ、愛用の大きなマグカップにたっぷり、熱いコーヒーを注ぎ入れて。
 これが美味いと、今日も一日無事に終わったと椅子にゆったり背中を預ける。
(淹れる時から楽しいんだ…)
 コーヒーってヤツは、と頬が緩んだ、ひと手間かけるのが嬉しいコーヒー。
 時間があるなら豆から挽いて、出来上がるまでの時間も味わう。
 絶妙な苦さを含んだ一滴、それをゆっくりと淹れる贅沢。
(…こいつはブルーの前ではなあ…)
 膨れちまうから出来ないだろうな、と苦笑した。
 小さなブルーはきっと怒り出す、「どうしてそんなに時間をかけるの!」と。
 「ぼくが飲めないものを、時間をかけて淹れるなんて酷い!」と。
 そんな暇があったら…、と怒りそうなブルー。
 ぼくに構ってと、話をするのでも何でもいいから、と。


 そういうコースで間違いないな、と思ったけれど。
 小さなブルーがいないからこそ、コーヒーをゆっくり淹れて飲めるのだと思ったけれど。
(…待てよ?)
 毎晩のように淹れるコーヒー、楽しみながら淹れるコーヒー。
 前の自分にそんな余裕があっただろうか?
 たとえブルーがコーヒーが苦手でなかったとしても、二人でコーヒーだったとしても。
(…やってやれないことはなかったが…)
 前のブルーと過ごした青の間、それにキャプテンだった自分の部屋。
 どちらでもコーヒーは淹れられたけれど、それを習慣に出来るほどには…。
(…余裕ってヤツが無かったかもしれん)
 そういう習慣を持っていたとしても、無かったかもしれなかった明日。
 今日はコーヒーを淹れられたとしても、明日の夜には…。
(俺もブルーも…)
 死んでいたかもしれないのだった、人類軍からの攻撃を受けて。
 白いシャングリラごと沈んでしまって、次の日の朝は永遠に来なくて、コーヒーだって。
(…淹れるどころか、飲めないんだ…)
 死んでしまっては、味わえないから。
 淹れることさえ出来ないから。
 それが今では当たり前のようにコーヒーを淹れて、こうして飲んで。
 ブルーの膨れっ面を思って、家で飲むのがいいと思って…。


(…当たり前の時間なんだと思っていたが…)
 こうしてコーヒーを味わう時間も、淹れる時間も。
 前の自分が持たなかった時間、訪れると分かっている明日がある日々。
 それと気付いたこんな夜には、コーヒーをゆっくりと味わおう。
 当たり前にあるコーヒータイム。
 今ならではの贅沢なのだと、それが出来る世界に今の自分は生まれて来たと…。

 

         当たり前の時間・了


※ハーレイ先生のコーヒータイム。愛用のマグカップで寛ぎのひと時ですが…。
 それを毎日楽しめるという保証が無かったシャングリラ。今だから出来る贅沢なのですv





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(んーと…)
 ぼくなんだけど、とブルーが覗いてみた鏡。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ふと目に付いたから覗いた鏡。
 其処に映った自分の顔。
 ごくごく見慣れたいつもの顔で、自分はこういう顔なのだけれど。
 ちょっと違う、と覚えた違和感、「ぼくじゃないよ」という気持ち。
 どうしてなのかはもう分かっている、原因を探るまでもなく。
(…同じ顔だけど、ぼくじゃないんだよ)
 自分の顔はこうだけれども、本当なら違う筈だった。
 こんな子供の顔とは違って、大人びた顔が映る筈の鏡。
 もっと育った自分の顔。
 何歳くらいと断言出来はしないけれど、多分…。
(十八歳くらい?)
 それくらいだと思う、鏡に映るべき自分の顔は。
 向こう側からこちらを眺めて、目が合う筈の鏡の世界の自分の顔は。
 今の自分よりずっと大人だと思える顔立ち、それが鏡に映らなければいけないのに。
 自分の顔はそうあるべきだと思っているのに、映ってくれないこの現実。
 同じ顔でもチビの顔。
 十四歳にしかならない子供の自分が鏡に映って、十八歳の自分は何処にもいない。
 少年と言える年ではあっても、十八歳なら立派に大人。
 お酒は飲めない年だけれども、結婚だって出来るのだから。


 いくら鏡を覗き込んでも変わってくれない自分の顔。
 幼い頃から長い付き合い、幼稚園の帽子が似合う顔立ちはとっくに卒業したけれど。
 下の学校の低学年の顔にも「さよなら」を告げて来たのだけれども、やっぱり今でも幼い顔。
 理想の自分は映ってくれずに、子供の自分が映っている。
 それが違和感、「ぼくじゃないよ」と思う原因。
 ちゃんと自分の顔なのに。
 赤ん坊の頃から成長して来て、今のこの顔になったのに。
 アルバムには証拠とも言える写真が何枚もあるし、両親だって息子の顔だと思っている筈。
 生まれつき身体の弱い子だったけれど、元気に大きく育ってくれたと。
 まだこれからも育つのだから、成長の記録はまだまだ増えると。
(…その背だって伸びてくれないんだけど…)
 どうしたわけだか少しも伸びない、今年の春から。
 早く育ちたいと祈るような気持ちでミルクを飲んでも、一ミリも伸びてくれない背丈。
 これでは全く話にならない、子供の顔から変わらない筈。
 育たないのでは顔も変わらない、大人びた顔になってはくれない。
(ゆっくり育てよ、って言われたって…!)
 その言葉を言った恋人を思う、それは些か酷すぎないかと。
 自分は早く育ちたいのに、ゆっくり育てとはあんまりすぎると。


 両親にも誰にも内緒の恋人、今はまだ言えない秘密の恋人。
 自分が通う学校の古典の教師で、ついでに守り役。
 ちょっと厄介な聖痕なるもの、それを背負った自分のためにとついた守り役。
 けれど、守り役は表向きのこと、本当の所はまるで違った。
 前の生から共に暮らしたキャプテン・ハーレイ、それが恋人の正体で。
 自分はと言えばソルジャー・ブルーで、今の時代には伝説の人。
 遠く遥かに過ぎ去った昔、ミュウの未来を守るためにとメギドを沈めて散った英雄。
 キャプテン・ハーレイはソルジャー・ブルーの右腕だったと伝わるから。
 だから前世の思い出を存分に語り合えるようにと、守り役というのが実態だけれど。
(…本当は、もっと…)
 右腕どころじゃないんだけどな、と鏡の向こうの子供の顔を覗き込む。
 この顔がもっと大人だったら、何もかも違っていたろうに。
 恋人同士なことを隠す必要はなくて、ずっと一緒にいられただろうに。
 そう、前世の記憶が戻った途端に結婚だって出来た筈。
 鏡の自分がチビでなければ、十四歳にしかならない子供でなければ。
 十八歳になっていたなら、今頃はきっと…。
(…こんな所で鏡なんかは見ていないんだよ)
 お風呂上がりに自分の部屋の壁に掛かった鏡など。
 同じ鏡を覗き込むにしても、きっと全てが違っていた筈。
 「何を見てるんだ?」と後ろから来たハーレイの姿が映るとか。
 そのハーレイに「なんでもないよ」と微笑み掛けて、そのままキスを交わすとか。


 ところが、それが出来ない自分。
 ハーレイと一緒に暮らすどころか、キスさえ許して貰えない自分。
 前の自分がメギドへと飛んで別れた時から、少しも変わっていないハーレイ。
 生まれ変わっても全く同じに変わらない姿、そのハーレイに言われてしまった。
 「前のお前と同じ背丈に育つまでは俺は決してキスはしない」と。
 子供にキスなどとんでもないと、唇へのキスは絶対駄目だと。
 お蔭で今でも…。
(キスはおでこと頬っぺただけ…)
 欲しいと願っても貰えないキス、強引に強請ればキスの代わりに指で額を弾かれる。
 「チビのくせに」と、「お前にはキスは早すぎるんだ」と。
 そういう目にも遭っているから、余計に納得出来ない鏡。
 子供の顔立ちの自分を映し出す鏡。
 自分は自分のままなのに。
 前の自分と同じに自分で、記憶の中身はソルジャー・ブルー。
 キャプテン・ハーレイだったハーレイとは長く恋人同士で、やっと再会出来たのに。
 「ただいま」と挨拶もしたと言うのに、抱き締めて貰っておしまいだった。
 再会のキスは叶わなかった、そして未だに叶わないまま。
 自分がチビのままだから。
 どんなに鏡を覗いてみたって、子供の顔しか映らないから。


(…おんなじ顔だと思うんだけど…)
 間違いなく同じ顔なんだけど、と鏡の自分に溜息をつく。
 今の顔だって、前の自分と同じ顔には違いない。
 ミュウの歴史の始まりの英雄、ソルジャー・ブルーのアルタミラでの顔はこう。
 十四歳で成人検査を受けた時のまま、成長を止めてしまっていたから。
 この顔の時に前のハーレイと出会ったのだし、もうそれだけで充分なのに。
 ハーレイにとっては見知った顔立ち、恋人だったソルジャー・ブルーの顔なのに。
(…前のぼくだった時ならともかく…)
 出会って直ぐに恋人同士になったわけではなかったのだから、前のハーレイなら仕方ない。
 キスをしようと思わなくても、キスのその先をしたい気持ちにならなくても。
 けれども、今のハーレイは違う。
 前の自分と恋を育み、本物の恋人同士だったハーレイ。
 キスも、キスのその先の色々なことも、前のハーレイと自分の間では…。
(…普通だったし、して当たり前…)
 何度も何度も交わしたキス。
 愛を交わして、熱くて甘い夜を過ごした、互いの部屋で。
 それを知っているのが今のハーレイ、記憶は残っている筈なのに。
 ハーレイ自身もそう言っているのに、相手にしては貰えない。
 「チビの間は駄目だ」とばかりに門前払いで、キスの一つも貰えない。
 自分は同じ顔なのに。
 前の自分とそっくり同じで、この顔立ちの時にハーレイと前の自分は出会ったのに。


 自分では何処も変わらないと思う、だから余計に悔しくなる。
 こうして鏡を覗けば違和感、「ぼくじゃないよ」と思えてしまう。
 同じ顔でもこの顔ではなくて、見慣れたソルジャー・ブルーの頃の顔。
 その顔が鏡に映る筈なのに、チビの自分が映るだなんて、と。
 なんとも悲しくて情けない事実、鏡の向こうの自分の顔。
 何処から見たって子供でしかなくて、大人びた所は少しも無くて。
(…同じ顔だけど、ぼくじゃない…)
 こんなのじゃないよ、と引っ張った目尻。
 子供っぽく見える大きな目。
 これがもう少し細くなったら、前の自分の顔になるだろうかと。
(んー…)
 真横に向かって引っ張ってみても、変な顔になっただけだった。
 ならば、と吊り上げ気味にしてみたら、さっきの顔より酷かった。
 どうやら大きな目のせいではない、自分が望んだ顔が鏡に映らないのは。
 子供の特徴の丸い輪郭、これが駄目かと頬っぺたをキュッと両手で引き締めてみても。
(………)
 これも違う、とガッカリしただけの輪郭が変になった顔。
 唇まで引っ張れてしまったのだから、顔のパーツが狂っただけ。
 鏡に映った顔は望み通りになりはしなくて、まるで睨めっこをしているよう。
 笑ってしまえ、と鏡の向こうの自分が変な顔をする。
 これだけ変な顔をしたなら勝てるだろうと、お前が笑ってしまって負けだと。


 鏡の向こうに前の自分を見たいのに。
 前の自分とそっくり同じに生まれて来たのに、前の自分は完成していない。
 同じ顔でも、前の自分の子供時代で止まっている顔。
 ハーレイがキスもしてくれないような子供の顔で、十四歳にしかならない顔で。
(…なんでこうなっちゃったんだろう…)
 本当だったら、前の自分とそっくり同じに育って再会だっただろうに。
 ソルジャー・ブルーだった頃の顔立ち、それで出会えていたろうに。
 その顔だったら、もう間違いなくハーレイと結婚出来ていた。
 わざわざキスを強請らなくても、好きなだけキスを交わせた筈で。
(…ハーレイとおんなじ家で暮らして…)
 キスも、その先のことだって。
 ハーレイは駄目だと言いはしなくて、望むだけのキスを降らせてくれた。
 唇だけでは済まないキスを。
 恋人同士だからこそ貰うことが出来る沢山のキスを、優しくて熱い甘いキスの雨を。
 鏡に映った顔が子供の顔でなければ。
 同じ顔でも完成品なら、ソルジャー・ブルーだった頃の顔になるまで育っていたら。
 なんとも悔しい限りだけれども、鏡を覗けば違和感を覚えてしまうのだけど。
(…今だけの我慢…)
 あと何年か、と鏡の自分を睨み付ける。
 今に大きく育つんだから、と。
 前の自分と同じに育って、ハーレイとキスして、結婚だって出来るんだから、と…。

 

         同じ顔だけど・了


※鏡を覗いても、お望みの顔が映ってくれないブルー君。子供の顔しか映りません。
 頑張ってみても前の自分の顔は再現不可能ですけど、いつかはちゃんと育ちますよねv





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(ふうむ…)
 こうして見ると俺なんだが、とハーレイが覗き込んだ鏡の中。
 風呂から上がって、パジャマ姿で入った寝室、目に付いたから覗いた鏡。
 其処に映った姿は確かに自分だけれど。
 パジャマの模様も形も見慣れたものだけれども、フイと掠めて行った感覚。
 違和感とは違って、さりとて親近感でもなくて。
 何と言えばいいのか、適切な言葉が見付からない。
 これでも古典の教師なのに。
 SD体制が始まるよりも遠く遥かな昔の日本の文学などを教える立場なのに。
(…なんと言ったらいいのやら…)
 どうにも分からん、と言葉選びは放棄した。
 言葉などより、この現実が大切だから。
 鏡に映った自分の姿が、それが映る今が大切だから。
 何処から見たって自分は自分で、それ以外ではないけれど。
 柔道と水泳が得意な古典の教師で、三十代も後半の独身男なのだけど。
(…周りから見りゃ、それで終わりで…)
 それ以上でも以下でもない。
 生憎と柔道も水泳の方も、プロの選手にはならなかったから。
 そっちで名前は売れていないし、ただの古典の教師に過ぎない。
 同じ柔道や水泳をやる人からなら、一目置かれているけれど。
 プロの道には行かなかっただけでプロ級の人だと、それを知らないようでは駄目だと。


 けれど、所詮は其処までのこと。
 道を歩いてもサインを求められたりはしない、ただの古典の教師だから。
 教師の方なら生徒に人気で、「先生、サイン!」と強請られることもあるけれど。
 卒業前とか、何かの記念に「書いて欲しい」と。
 頼まれれば生徒に向けての言葉だって書く、格言だったり、自分で考えた言葉だったり。
 つまりはそれが自分の全てで、本当だったら…。
(他の顔など無い筈なんだが…)
 今まで赴任してきた学校で出会った、教師仲間たち。
 中には「休みの日には農業をしている」などと言う者もあった。
 親や、もっと前の代からの農家、お蔭で農地があるものだから、と。
 休日になったらリフレッシュとばかりに農家の仕事で、それがなかなかに楽しいと。
 彼らから「昨日の収穫」とキュウリなどを貰ったことも多いし、農業をやっている者は多い。
 変わった所では漁師などもいた、趣味と言うのか、半ばプロなのか。
 金曜日の仕事が終わった途端に車を飛ばして実家のある海辺の町へ出掛けて、週末は漁師。
 たった一日かそこらのことでも、楽しいのだと言っていた。
 「疲れるどころじゃないですよ」と。
 「ハーレイ先生も御存知でしょうが、海は見ているだけでもいいもんですよ」と。
 そういった同僚が持っていたのが「別の顔」。
 教師だけれども農家だったり、プロと呼んでいい漁師だったり。


 ところが、自分は普通だから。
 隣町の家も農家や漁師ではないから、まるで無い筈の別の顔。
 週末は柔道の道場に出掛けて指導をするとか、ジムのプールで泳ぐだとか。
 あくまで普段の自分の延長、誰も驚いてはくれないもの。
 別の顔だと言えはしないし、主張するだけ無駄というもの。
(…俺は俺でだ、ずっとこの顔で…)
 別の仕事も無い筈なんだが、と鏡の向こうの自分を眺めた。
 あまりにも見慣れた自分の顔。
 この年になるまで馴染んできた顔、それなのに今は…。
(…どういうわけだか、別の顔ってな)
 自分でも信じられないんだが、と触ってみた頬。
 朝に綺麗に剃って出掛けた顔だったけれど、この時間になるとチクリと髭の感触。
 見た目には分からないけれど。
 それほど伸びてはいないわけだし、褐色の肌に金色の髭では目立たないから。
(この感覚まで同じなんだ…)
 まるで俺だ、と覗き込む鏡。
 俺は俺だが別の俺だと、今の俺とは違う俺だと。
 出来てしまった「別の顔」。
 誰にも言ってはいないけれども、口にしたなら誰もが驚くだろう顔。


 農家ではなくて、漁師でもなくて、それはとんでもない「別の顔」。
 自分は変わっていないのに。
 柔道と水泳が得意な古典の教師で、何も変わりはしないのに。
 周りから見れば何一つ変わらず、自分の目で見ても…。
(…こうして鏡を覗く限りは、俺のままだぞ)
 何も変わっちゃいないんだが、と触ってみる顎、少しチクリとしている髭。
 それを自分は知っている。
 自分の顔だから当然と言えば当然だけれど、そうではなくて。
 鏡に映った自分ではなくて、もっと別の場所で。
 時間が逆さに流れ始めて、今の自分がぐんぐん小さな子供に戻ってしまうよりも前。
 子供どころか赤ん坊だった頃も通り過ぎ、欠片すらも消えてしまっても、まだ…。
(…足りないどころの騒ぎじゃないんだ)
 自分がこうして顎を触っていた頃は。
 髭が少しだけ伸びて来たな、と鏡を眺めて顎に手をやっていた頃は。
 そう、とてつもなく遠い遠い昔、この地球がまだ無かった頃。
 正確に言えば地球はあっても、青い地球ではなかった頃。
 遥かな遠い時の彼方に自分がいた。
 今と全く同じ姿で、こうして鏡を覗き込んで。


(あれも確かに俺だったんだ)
 懐かしい白いシャングリラ。白い鯨に似ていた船。
 あの船で鏡を覗いていた。
 今と同じに顎を触って、「少し伸びたか」と髭の感触を確かめながら。
 剃るのにはまだ早い感じだけれども、一日一度はやはり剃らねばならないだろうと。
 さして面倒とは思わないものの、これが生えない人間もいるな、と。
(…前のあいつはチビじゃなかったが…)
 前の自分が今のような顔になった頃には、ブルーも既にチビではなかった。
 今も世間に広く知られたソルジャー・ブルーで、若いとはいえ大人ではあった。
 それなのに生えなかった髭。
 前のブルーの頬は滑らかで、産毛くらいしか生えていなくて。
 ゆえに髭など剃りはしなくて、たまに羨ましくも思えたもので。
(忙しい朝でも、顔を洗えば終わりなんだからな)
 前の自分は髭を剃らねば、ブリッジに行けなかったのに。
 船を纏めるキャプテンが朝から髭を剃らずに出て行ったのでは、皆に示しがつかないから。
 「あの格好でもいいらしい」と流れるだろう噂は、船の仲間を怠惰にさせてしまうから。
 キャプテンたるもの、いつでも制服をカッチリ着込んで、皆の手本に。
 こうあるべきだと、こうするべきだと、全身でそれを示しておかねばならないから。


 それが自分の「別の顔」。
 誰も信じてくれなかろうが、今の所は明かすつもりも無かろうが。
(…キャプテン・ハーレイと来たもんだ…)
 若い頃から何度も訊かれた、「生まれ変わりか?」と。
 今も残っているキャプテン・ハーレイの写真、アルタミラ時代の記録写真で始まるもの。
 人類が資料にと残していた写真、それは世間に知られているから、似ていると分かる。
 自分でも思った、「他人とはとても思えないな」と。
 そうは思っても、他人の空似はありがちなこと。
 きっと偶然だと考えていたし、周りの者たちもそれは同じで。
 生まれ変わりかと尋ねる声には、いつも混じっていた笑い。
 どうしてそんなに似ているのかと、顔だけならともかく体格まで、と。
(…その内に変わると思ってたんだが…)
 年を重ねれば顔も変わるし、いずれ瓜二つとは言えなくなる日が来るのだろうと。
 「昔はそっくりだったんだぞ?」と教室で話して、生徒たちが「まさか」と笑う日が来ると。
 ところが、ますます似てしまった顔。
 学校によっては「キャプテン・ハーレイ」と渾名をつけた生徒がいたほど。
 廊下などで会ったら「キャプテン!」と声を掛けられ、パッと敬礼されるとか。
 あの時の生徒に「本物だったぞ」と教えてやったら何と言うだろう?
 口をパクパクとさせてしまうのか、「本当ですか?」と頬を紅潮させるか。
 かなり大きくなった筈だから、インタビューを始めてしまうかもしれない。
 「シャングリラの生活は如何でしたか?」などと。


(俺は俺には違いないんだが…)
 何も変わっちゃいないんだが、と鏡を覗いても、変わらない顔。
 ブルーと出会って前の自分の記憶が戻る前と少しも変わっていない顔。
 だから誰一人気付きはしない。
 今の自分には別の顔があると、実はキャプテン・ハーレイなのだと。
(農家や漁師より、よっぽど凄いが…)
 スケールってヤツが違うんだが、と鏡の自分にニッと笑い掛けた。
 「お前はシャングリラを動かしてたしな?」と、「漁船どころの騒ぎじゃないぞ」と。
 今の自分から見れば、眩しすぎるほどのキャプテン・ハーレイ。
 遠く遥かな時の彼方に白いシャングリラが消えてしまっても、今も語られるその名前。
 あの船を地球まで運んだ人だと、偉大なキャプテンだったのだと。
(…一方、俺は古典の教師で…)
 同じほどの時間が流れた後には、誰も覚えていないだろう。
 今の自分が存在したことも、そういう教師がいたことも。
 キャプテン・ハーレイの名前は今後も残るけれども、今の自分の名前の方は。
(…俺が名前を残すとしたらだ…)
 生まれ変わりだと明かすしかなくて、そうして残るのはキャプテン・ハーレイの名で。
 それを思うと可笑しくなる。
 同じ顔だが、同じ中身だが、こうも違うかと。
 鏡に映った顔は同じでも、中身の自分が同じでも。
(…俺は俺だが…)
 こういう俺も好きなんだ、と鏡の自分に片目を瞑った。
 同じ顔だが、俺はお前よりずっと上だと、いずれはブルーと結婚なんだ、と…。

 

        同じ顔だが・了


※ハーレイ先生には無い筈の「別の顔」。週末は農家だとか、海で漁師をやってますとか。
 けれども凄すぎる別の顔。キャプテン・ハーレイも今では普通の教師なのですv





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