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(…この家に来てからも、けっこう経つな…)
 今やすっかり俺の家だ、とハーレイが見回した自分の寝室。
 眠る前に、ふと思い浮かべた隣町の家。
 今も両親が暮らしている家。
 庭に夏ミカンの大きな木がある家で育った、子供の頃には真っ白な猫のミーシャもいた。
 あの家から父と釣りに出掛けたし、母に料理も教わった。
 他にも沢山の思い出が詰まった、学生時代までを過ごした家。
(教師になろう、って決めた時にだ…)
 父が買ってくれたのが今の家。
 「いずれ嫁さんも来るんだから」と子供部屋までついていた。
 教え子も遊びに来るだろうし、とバーベキューなどが出来る庭まで。
 其処に一人で引越して来て、この町で始めた今の生活。
 馴染みの店などもすぐに出来たし、近所に知り合いも大勢出来た。
 道を歩けば挨拶してくれる人が何人も、ジョギングから戻れば飲み物をくれる人もいる。
 「丁度よかった」と呼び止めてくれて、自慢の手作りジュースの類。
 梅のジュースや八朔のジュース、色も鮮やかな紫蘇ジュースなど。
 「御馳走になります」と有難く飲んで、それから走る残り僅かになった道。
 嬉しい心遣いのお蔭で、羽が生えたように軽くなる足。
 元々、重くはないけれど。
 自分のペースで楽々と走っているのだけれども、心が弾むと空を飛ぶよう。
(あいつは空は走らなかったが…)
 走っていたわけじゃないんだが、と恋人の顔を思い出す。
 今は小さくなったブルーを、生まれ変わって来たソルジャー・ブルーを。


 何ブロックも離れた所に、今のブルーが住んでいる。
 まだ十四歳にしかならない子供で、両親と一緒に暮らしているブルー。
 前のブルーは空を飛べたのに、今のブルーはまるで飛べない。
 サイオンを上手く扱えないから、前と同じにタイプ・ブルーでも何も出来ない。
 空を飛ぶどころか心も読めない、それが今のブルー。
(…上手い具合に、俺はこの町に来ちまったんだ…)
 ブルーが生まれてくるとも知らずに、それよりも前に。
 まだ母親の胎内に宿りもしない内から、この町で教師になろうと決めた。
 隣町でも、教師のポストはあったのに。
 今の自分の経歴だったら、何処でも採用して貰えたのに。
 柔道も水泳もプロの選手にならなかっただけ、学校にとっては欲しい人材。
 クラブの指導を任せておいたら、素質のある生徒が在籍していれば必ず結果を出せるから。
 大会に出られて賞だって取れる、プロ級の自分が才能を伸ばしてやるのだから。
(…何処でも教師になれたんだがなあ…)
 隣町でも、もっと遠くにある町でも。
 泳ぐのが好きだし、海辺の町に行くという選択もあった。
 その道を選んでいたとしたなら、シーズンになれば海で泳ぎ放題。
 泳げない季節も父に仕込まれた釣りを楽しむとか、海辺ならではの充実した日々。
 なのに、何故だか、来てしまった町。
 小さなブルーが生まれてくるのだと、まるで気付いていたかのように。


 ただ単純に「この町がいい」と思って選んだ今の町。
 家を買って貰って住んでいるのも、考えてみれば不思議ではある。
 通おうと思えば通える距離だし、そうする人も多いから。
 隣町から勤めに来る人も、逆に隣町へと朝から出勤してゆく人も。
(…なんだって、此処に来たんだか…)
 小さなブルーと再会してから、何度も不思議に思ったこと。
 どうしてこの町にやって来たのか、此処に住もうと決めたのか。
 何度も何度も考えたけれど、これという理由が見当たらない。
 「この町がいい」と自分が思った、それだけのこと。
 特に気に入った場所があったとか、何処かに行くのに便利だとか。
 そうした小さな理由さえも無い、この町に住もうと決めたこと。
(此処に、この町があったから、としか…)
 格好をつけて言うのだったら、それより他には無いだろう。
 SD体制が始まるよりも遥かな昔の登山家の言葉、それをもじって。
 「どうして山に登るのか」と問われて、「そこに山があるから」と答えた登山家。
 地球が燃え上がった時に失われた、かつての地球の最高峰。
 未踏峰だった峰の頂を目指して、二度と帰らなかった登山家。
 今の自分は彼のように後世に名前を残しはしないだろうけれど、彼の言葉を借りるしかない。
 「此処に、この町があったから」と。
 だから自分は引越して来たと、この町で教師になったのだと。


(マロリーなあ…)
 確かそういう名前だったか、あの登山家は。
 彼が戻って来なかった日から、長い歳月が流れた後。
 別の登山家が彼を見付けた、真っ白な蝋の塊のようになってしまった彼の身体を。
 彼はエベレストの頂を見たのか、そうではないのか。
 それは分からないままだった。
 持っていた筈のカメラは見付からなかったから。
 けれども彼の言葉は残った、遥かな後まで。
 地球が一度は滅びた後まで、再び青く蘇るまで。
(…そういうヤツもいるってこった)
 しかし俺だって負けてはいない、と思い描いた小さなブルー。それに前のブルー。
 ソルジャー・ブルーと言えば知らない人などはいない、今の世界には。
 前の自分の名前も同じで、キャプテン・ハーレイの名を知らないのは幼い子供くらいなもの。
 それも本当に小さな子供と赤ん坊だけ、学校に行けばすぐに教わる。
 前のブルーの名も、自分の名前も。
 エベレストを目指したマロリーの名前を知らない人は多くても…。
(前の俺たちの名前を知らないヤツはいないんだ)
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
 誰もが知っている名前。
 写真も教科書に載っているのだし、ブルーの場合は写真集まである有様。
 それほどに偉大なキャプテン・ハーレイ、もっと偉大なソルジャー・ブルー。
 今も言葉が残る登山家より、エベレストに消えたマロリーよりも。


 その自分たちが再び出会った、この地球の上で。
 今の自分が引越して来たこの町で。
 「此処に、この町があったから」としか言えない理由でやって来た町で。
 あまりに不思議に過ぎる出来事、どう考えても…。
(偶然ではない筈なんだ…)
 きっと何処かで、神の力が働いた。
 神が起こしてくれた奇跡で、また自分たちは巡り会えた。青い地球の上で。
 そう考えることが一番自然で、いつもその答えに辿り着く。
 どうしてこの町にやって来たのか、それを考え始める度に。
(俺はあいつを待っていたんだ…)
 そのためにやって来たのだろう。この町に引越して来たのだろう。
 いずれブルーが生まれてくる日を待とうと、一足お先に住んで待とうと。
(そうやって待って、あいつと出会って…)
 失くした筈のブルーと出会って、また始まった自分たちの恋。
 前の自分たちの恋の続きが始まったけれど、今度は結婚するのだけれど。
(…それまでの間は何処にいたんだ?)
 これも分からない、解けない謎。
 小さなブルーも覚えてはいない、この地球の上に生まれてくる前。
 何処にいたのか、どうやって長く遥かな時を飛び越え、此処に生まれて来たのかを。


(そいつがサッパリ分からないんだ…)
 思い出せやしない、と頭を振った。
 前の自分の最後の記憶は、死の星だった地球の地の底。
 カナリヤと呼ばれていた人間の子供たち、それにフィシスを白いシャングリラに送った後。
 崩れ落ちて来た天井と瓦礫、それが自分を押し潰した。
 そこで記憶は途切れてしまって、今の自分に続いている。
 まるで分からない、抜け落ちた時間。
 地球が蘇るほどの長い長い時を何処で過ごしたのか、それが謎のまま。
(…マロリーの言葉を借りるんなら、だ…)
 こう言ってみたい、「そこにブルーがいたから」と。
 何処であっても、何処であろうとも、自分はブルーと共にいたのだと。
 今は覚えていないけれども、ブルーがいたのだろう何処か。
 そこでブルーと二人で過ごして、この地球に来たと思いたい。
 何の証拠も無いのだけれども、ブルーが側にいた気がするから。
 一人ではなかったように思うから。
(此処にこの町があったから、と同じで…)
 そこにブルーがいたのだと思う。
 何処であっても、何処にいたとしても。
(うん、きっとそうだ)
 そして俺たちは地球に来たんだ、と浮かんだ笑み。
 何処にいたんだか、今も謎だが…、と。
 きっとブルーと離れずにいた。
 何処であっても、何処にいたとしても、そこにブルーがいた筈だから…。

 

        此処に来た理由・了


※ハーレイ先生がブルー君と同じ町に住んでいる理由。偶然だとは思えないのですが…。
 考えても分からないらしい理由、きっと神様が起こした奇跡の一つなのでしょうねv





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(…前のぼくだったら…)
 絶対に上手くいったんだけど、と小さなブルーが零した溜息。
 ハーレイが訪ねて来てくれた日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドの端にチョコンと腰を下ろして。
(上手く不意打ち…)
 したと思った、油断していたハーレイを。
 ハーレイの膝の上に座って甘えて、他愛ないお喋りなんかもして。
 すっかりハーレイが油断した頃、スルリと首に回した両腕。
 前の自分がやった通りに、「ぼくにキスして」と。
 表情も上手に作ったと思う、前の自分に似せたと思う。
 ハーレイがドキンとするらしい顔、前の自分がキスを強請った時の表情に。
 ところがコツンと小突かれた額、キスは貰えもしなかった。
 「チビのくせに」と、「キスは駄目だと言っただろうが」と。
 それはすげなく断られたキス、おまけに膝から下ろされた。
 「さっさと自分の椅子に戻れ」と、「悪戯小僧にはそれが一番のお仕置きだ」と。
 そう言われたら、もう膝の上には戻れないから。
 また座りたいと視線を向けても、ジロリと睨まれただけだから。
 仕方なくスゴスゴと戻るしかなかった、自分の椅子に。
 テーブルを挟んで向かい側にある、本来、自分が座るべき椅子に。


 ションボリと椅子に腰掛けた途端、ニヤリと笑みを浮かべたハーレイ。
 「お前、バレていないと思っていたのか?」と。
 どうやらすっかりバレていたらしい、自分の企み。
 油断させておいてキスを貰おうと思った、ハーレイの不意をつく企み。
 ハーレイは全てお見通しだった、最初から。
 自分がハーレイの膝の上に座った時から、正確に言うなら座る前から。
(…心が零れちゃってたなんて…)
 何度もそれで失敗したから、自分でも気付いている弱点。
 ふとしたはずみにポロリと零れる心の欠片が問題なのだ、と。
(…どうせ不器用…)
 前の自分のようにはいかない、心を遮蔽する力。
 今の時代は誰でも自然に出来るというのに、自分もその中の一人に含まれる筈なのに。
 どうしたわけだか、今の自分はサイオンの扱いが不器用だから。
 前と同じにタイプ・ブルーで、最強の力を持っている筈なのに、駄目だから。
 心の欠片がポロリと零れる、ワクワクしている時には、特に。
 名案を思い付いたと自分で嬉しくなるような時は、もうコロコロと零れてしまう。
 そしてハーレイに拾い上げられる、「こんなことを考えているのか」と。
 どんな企みも計画もバレる、いともアッサリと心のせいで。
 遮蔽まで不器用な心が零した欠片のせいで。


 そんなわけだから、今日も失敗。
 キスの代わりに小突かれた額、もう溜息をつくしかなくて。
(…前のぼくなら…)
 絶対、失敗しないんだけどな、と嘆いた所でどうにもならない、今の能力。
 決して自分がチビなせいではないだろう。
 ソルジャー・ブルーだった頃の自分より小さいせいではないだろう。
(…だって、前のぼく…)
 アルタミラでは、とうに立派なミュウだったから。
 今と変わらない姿形で、強いサイオンに目覚めたからこそ始まった悲劇。
 成人検査をパスする代わりに、実験動物になってしまった。
 檻に押し込められ、繰り返された人体実験。
(今のぼくだと、パス出来そうだよ…)
 ミュウだとバレずに、そのままスルリと。
 記憶を消される件はともかく、人間扱いはして貰えたろう。
 サイオンなんぞは無いも同然、心もポロリと零れるような不器用さでは。
 マザー・システムもそれと気付かず、検査は終わっていただろう。
 養父母の記憶は薄れてしまっていただろうけれど、自分でも気付かないままで。
 今日から大人の仲間入りだと、ドキドキしながら教育ステーションに旅立ったろう。
 前の自分が、今の自分のように不器用だったら。
 タイプ・ブルーとは名前ばかりで、心の中身が零れ放題の子供だったなら。


 世の中、なんとも上手くいかない。
 持っている力が逆様だったら、前の自分には幸せな人生があっただろう。
 ミュウとして閉じ込められる代わりに、教育ステーションで教育を受けて、別の人生。
(今のぼくだって…)
 強い力を持っていたなら、ハーレイに心を読まれはしないし、今日だって。
 上手くいったらキスが貰えて、今頃はホクホクしていたかもしれない。
 次もハーレイの隙を狙おうと、油断させるのがいいらしいと。
(…ホントのホントに、逆様だったら良かったのに…)
 そしたらお互い平和だった、と前の自分を思い浮かべてみたけれど。
 あの時代の教育ステーションの制服はまるで知らないから、後の時代のを着せてみたけれど。
(…きっと似合うよね?)
 今の自分の制服とは違った、キースやシロエが着ていた制服。
 あれも似合っていただろう。
 銀色の髪に赤い瞳のアルビノの自分には、黒っぽい服も映えるのだから。
 少し大人びた雰囲気になって、落ち着いた「お兄ちゃん」といった感じで。
 そうやってステーションの制服を纏って、勉強をして。
 いつか何処かでハーレイと会って…、と考えた所で気が付いた。
 その人生を歩んでいたなら…。


(…もしかして、ハーレイとは出会えないまま?)
 前の自分は、ハーレイよりもずっと年上だったから。
 成長を止めていたせいで子供の姿を保っていただけ、ハーレイの方が大人だっただけ。
 それに自分の姿にしたって…。
(…アルビノじゃないよ…)
 サイオンが目覚めてミュウになったのが、前の自分の変化の引き金。
 それまではアルビノなどではなかった、ごくごく普通の姿の子供。
 金色の髪に青い瞳で、銀色の髪に赤い瞳の前の自分はいなかった。
 顔立ちはともかく、アルビノでなければ…。
(…前のぼくでも、目立たないかも…)
 ハーレイに出会っても、「ふうん?」と思われておしまいだった可能性もある。
 恋人にはならずに、友達にさえもならないままで。
(それに、会っても、ぼくが年上…)
 遥かに年上だった自分が前のハーレイと出会う頃には、どんな姿になっていたのか。
 第一、ハーレイが成人検査でミュウと判断されていたなら…。
(前のぼくが研究者だったってことも…)
 まるで無いとは言えないのだった、どんなコースを歩むかは機械が決めていたのだから。
 ミュウを研究する学者の道を歩んでいたなら、もしハーレイと出会ったとしても…。
(…睨まれて終わり…)
 きっとハーレイには嫌われただろう、嫌うどころか憎まれただろう。
 そして自分も、ハーレイのことを…。
(…ただの実験動物だ、って…)
 人とは思わず、酷い実験をしたのだろう。
 ハーレイに恋をする代わりに。
 生まれ変わっても、また出会えるほどの強い絆を育む代わりに。


 それは困る、と肩をブルッと震わせた。
 前の自分と今の自分のサイオンの力が入れ替わった人生、その方が素敵に思えたけれど。
 お互い、幸せな人生になると思ったけれども、もう、とんでもない勘違い。
 下手をしたなら、ハーレイと出会っても憎まれるだけ。
 自分の方でもハーレイを好きになりもしないで、酷い実験を繰り返すだけ。
(…そんな出会いになってたら…)
 今の幸せな人生は無くて、ハーレイと二人、青い地球に生まれては来なかった。
 生まれたとしても他人同士で、きっと出会っても…。
(…ただの先生と教え子なんだよ)
 ハーレイは自分に恋してくれない、もちろんキスもしてくれない。
 唇へのキスは絶対に無いし、頬や額への優しいキスも。
 前の生の記憶もお互いに無くて、憎んだり、憎まれたりは無かったとしても…。
(…ハーレイは、ぼくを好きになったりは…)
 してくれないだろう、ただの教え子なのだから。
 自分の方が何も知らずに恋したとしても。
 前の生でハーレイに自分が何をしたのか、まるで知らずに恋をしても。
 ラブレターを書いて渡したとしても、「好きです」と打ち明けに行ったとしても…。
(きっと、笑われておしまいなんだよ…)
 ハーレイの顔が見える気がする、「それはお前の勘違いだな」と微笑む顔が。
 「そいつは恋じゃなくって憧れってヤツだ」と、「俺はお前のヒーローなだけだ」と。
 そうして多分、誘われるのだろう、「なら、柔道部に入らないか?」と。
 「俺と一緒に練習できるし、きっとお得だと思うんだがな?」と。


 とんでもないことになってしまうらしい、前の自分のサイオンが不器用だった時。
 今の自分の不器用なサイオン、それと取り替えてしまった時。
 ハッピーエンドになりはしなくて、悲惨な結末になりそうだから。
 おまけに前の自分が前のハーレイ相手に、酷い実験までしていそうだから。
(…ぼくは不器用だった方が平和…)
 そうなのだと思う、前の自分と取り替えるよりは。
 前の自分の強いサイオン、それが今も自分のものだったなら、と思うけれども…。
(…取り替えちゃったら、大変だしね?)
 ハーレイと恋に落ちるどころか、憎まれて終わりな前の生。
 そして生まれ変わった今、ハーレイに恋を打ち明けてみても実らずに終わりそうだから。
 最悪の場合、そうなることもありそうだから、と溜息をついて諦めた。
 今の自分は不器用だけれど、きっとその方がいいんだよ、と。
 ハーレイとキスも出来ないけれども、心の欠片が零れてばかりの不器用なぼくで、と…。

 

        不器用なぼく・了


※サイオンの扱いが不器用すぎるブルー君。前の自分と取り替えたら丁度良さそうですが…。
 そうなった場合、ハーレイ先生との恋が駄目になりそう。不器用な方がいいですよねv





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(…今日も心が零れてたってな)
 つくづく不器用になったもんだ、とハーレイの唇から零れた笑み。
 ブルーの家へと出掛けた日の夜、コーヒー片手に入った書斎で。
 愛用のマグカップにたっぷりのコーヒー、それを飲みながら思い返す恋人。
 今日も会って来た小さな恋人、前の生から愛したブルー。
 青い地球の上に生まれ変わって、名前も同じにブルーだけれど。
 透けるような肌に銀色の髪と赤い瞳で、アルビノなのも同じだけれど。
 小さくなってしまった恋人、十四歳にしかならないブルー。
 前の生でメギドへと飛んだブルーは、逝ってしまった愛おしい人は少年の姿で帰って来た。
 アルタミラで出会った頃の姿で、あの頃とそっくり同じ顔立ちで。


(しかし中身が違うんだ…)
 同じ中身でもサイオンの方が、と可笑しくなる。
 前のブルーはソルジャーだったし、誰よりも強いサイオンを誇っていたのに。
 ジョミーが来るまでは一人しかいなかったタイプ・ブルーで、誰も敵いはしなかったのに。
(…敵うどころか、レベルが違いすぎたってもんだ)
 誰も足元にも及ばなかったサイオン能力、全てにおいて。
 防御力ではタイプ・ブルーに匹敵すると言われた前の自分の力も、本当にそこまでだったのか。
 比べてはいないし、勝負してもいない。
 だから分からないし、きっと敵わなかったと思う。
 それが今では…。
(この俺に勝てやしないんだ)
 あいつときたら、と小さなブルーを思い浮かべて深くなる笑み。
 今日も心が零れていたな、と。


 人間が皆、ミュウになっているのが今の世界で。
 誰でも持っているのがサイオン、マナーとして心は読まないもの。
 そうしなくとも、普通は遮蔽が出来るもの。
 息をするようにごくごく自然に、誰もに備わっている筈の力。
(その辺を歩いていたってだな…)
 誰かの心が零れてはいない、コロコロと転がって来たりはしない。
 ベビーカーに乗っているような赤ん坊でも、母親と手を繋いだ幼稚園児でも。
(泣き喚いていれば話は別だが…)
 ショーウインドウの前でオモチャが欲しいと踏ん張っているとか、菓子を欲しがるとか。
 感情が爆発している時なら、心が零れていることもある。
 その子が欲しいものが何なのか、何が目当てで懸命に駄々をこねているのか。
 もっとも、そういう時になったら…。
(心と同時に言葉の方でも叫んでいるしな)
 あれを買って、と誰の耳にも聞こえる声で。
 買ってくれるまで帰らないんだから、と指差していたり、見詰めていたり。
 零れた心を拾わなくても誰にでも分かる、その子のお目当て。
 微笑ましくなる子供の我儘、泣き喚いてのおねだり攻撃。
 心がポロリと零れ落ちるほどに、遮蔽すら出来なくなっているほどに。


 今はそういう時代なのだし、よほどでなければ心の中身は零れていない。
 通りすがりに拾えはしないし、教室にいても拾えない。
 自分が授業をしている最中に、けしからぬことを企む生徒がいようとも。
 「先生は絶対、気付かないから」と机の下で別の本を読むとか、そういったこと。
 彼らの心は零れてこなくて、自分の目で見抜いてやるしかない。
 あそこの生徒はどうも怪しいと、顔付きからして授業を聞いてはいないようだ、と。
 そうして見付けて近付いてゆけば、生徒の方では気付いていなくて本に夢中で。
 もしも心が零れていたなら、ワクワクと本の世界の住人になって…。
(冒険の旅をしていやがったりするんだろうな)
 きっと愉快な心の欠片がキラキラと零れているのだろうけれど、それは落ちていない。
 だから机をトンと叩いてやる、「面白いか?」と。
 「楽しい旅をしているようだが、今は伝説の勇者か、うん?」と。
 飛び上がらんばかりに驚く生徒は、それは見もので。
 その瞬間に「しまった」と零れ落ちる心、ギクリと飛び跳ねた心臓の音。
 けれども、その先は落ちてはこない。
 「没収だな」と本を取り上げられても、顔に「そんな…」と書いてあるだけ。
 どうすべきかと悩む心は零れてこなくて、だから余計に面白い。
 いつ謝りにやって来るのか、それすらも読めはしないから。


 要は心が落ちていない時代、幼い子供も学校の生徒も心を滅多に零さない時代。
 なのに小さなブルーときたら…。
(零れ放題だと言うべきだろうな)
 何を考えているのか手に取るように分かる、ブルーの心が弾んでいれば。
 ワクワクと期待に溢れていたなら、もう本当に零れ放題の心。
 煌めくようにコロコロと零れ落ちては、自分が拾うことになる。
 またしてもキスを狙っているなと、まったく懲りない困ったヤツだと。
(キスは駄目だと言ってあるのに…)
 あの手この手で強請るのがブルー、唇へのキスを。
 こうすればキスが貰えるだろうかと計画を練っているのがブルー。
 上手くいくだろうと思った時にはポロリと零れるブルーの心。
 そして自分が拾い上げてしまう、「またか」と心で苦笑しながら。
(…キス以外でも、だ…)
 ふとしたはずみに零れているのがブルーの心で、コロンと零れて落っこちている。
 ブルーが言うには、両親には拾えないらしいのだけれど。
 どうやら自分が敏いらしいけれど、それにしたって…。
(…前のあいつだと、いくら俺でも…)
 そうそう読めはしなかったんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
 あいつの本当の心の中は、と。


 前のブルーが完璧に遮蔽していた心。
 強引に読みはしなかった。
 ブルーはそれを望まないから、そうしようとしても恐らく読めはしないから。
 大切なことはブルーが言葉にするまで待っていた。
 ブルーがそれをしないのだったら、それは「誰にも言いたくない」こと。
 知られたくないと思っているだろうこと、それを読み取ってはならないと。
 たとえブルーが腕の中で深く眠っていても。
 「今なら読める」と思った時でも、ただの一度も。
 ブルーの方でも、眠っている時も心が零れはしなかった。
 遮蔽された心は常に閉ざされ、眠りでさえも崩せなかった壁。
(…そのせいで、俺は…)
 ブルーの言葉を聞き損なった。
 きっとブルーは言うつもりすらも無かった言葉だろうけれど。
 固く封じて、自分がそれを思ったことすら…。
(…きっと気付いちゃいなかったんだ…)
 そうなのだと思う、ブルーはソルジャーだったから。
 前の自分の恋人であるよりも前に、ソルジャー・ブルーだったのだから。


 遠く遥かに過ぎ去った昔、流れ去った長い時の彼方で別れた時。
 メギドへとブルーが飛び立つ直前、ブリッジで交わした短い会話。
 あの時、ブルーは自分に「言葉」を送って寄越した、触れた腕から滑り込ませて。
 他の誰にも届かない思念、それで「ジョミーを支えてやってくれ」と。
 何も返せず、聞いているしかなかった言葉。
 ブルーとの別れになるだろう言葉。
(頼んだよ、ハーレイ、っていうトコだけしか…)
 他の者たちには聞こえなかったのだった、あの時、ブルーが残した言葉は。
 まさかブルーが死に赴くとは、誰も気付きはしなかった。
 何を頼んだのかが分からないのだし、ナスカの仲間やシャングリラのことだと思っただろう。
 けれども自分にだけは分かった、これが別れの言葉なのだと。
 ブルーは二度と戻らないのだと、シャングリラには帰って来ないのだと。
(それなのに…)
 ただの一言も届かなかった、別れの言葉。
 三百年以上も共に暮らして、恋をして、一緒だったのに。
 あれほどに深く愛し合ったのに、「さようなら」とも「愛していた」とも。
 ブルーは欠片も残さずに行った、メギドへと飛んで行ってしまった。
 きっと最後に想っただろう、前の自分への言葉は何も。
 恋人への立ち切り難い想いは、ほんの小さな欠片でさえも。


(…何も無かったわけがないんだ)
 前の自分へのブルーの想い。
 それを抱いてメギドへ飛んだからこそ、ブルーはメギドで独りぼっちになってしまった。
 右手に持っていた前の自分の温もりを失くして、泣きじゃくりながら逝ってしまった。
 そんな悲しい最期を迎えたのなら、あの時、ブルーの心には、きっと…。
(さよならも、俺への言葉も、きっと…)
 本当は確かにあったのだろう。
 ブルー自身も気付かなかったかもしれないけれども、抑え難い想いが、強い想いが。
 なのにブルーは何も伝えず、読み取られもせずに行ってしまった。
 固く遮蔽した心は漏れては来ないから。
 欠片が零れて落ちはしないから。
 それを思えば…。


(とことん不器用になったな、あいつ)
 今では零れ放題の心。
 小さなブルーの心は零れて、自分には拾い放題だから。
 不器用なブルーも愛らしいと思う、それが嬉しくてたまらない。
 ブルーが心を隠さなくても済む世界。
 青く平和な地球の上に来たと、今のブルーは心が零れ放題でもかまわないのだから、と…。

 

        不器用なあいつ・了


※サイオンの扱いが不器用なのがブルー君。ハーレイ先生、心の欠片を拾い放題らしいです。
 けれど、前のブルーでは、それは有り得なかったこと。ハーレイ先生、幸せでしょうねv





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(…雨になっちゃう?)
 ちょっと心配、とブルーが庭から仰いだ空。
 起きた時には青空だったのに、いつの間にか雲が出ていたから。
 空の半分を雲が覆って、太陽も隠れてしまったから。
(ハーレイが来てくれる日なのに…)
 雨は嫌だよ、と祈るような気持ちで庭に出て来た。
 ハーレイは雨でも来てくれるけれど、ちゃんと車で来るのだけれど。
(…やっぱりお天気の方がいいよね?)
 柔道と水泳が得意なハーレイ、運動が好きな今のハーレイ。
 晴れた日だったら、何ブロックも離れた場所から歩いて此処までやって来る。
 「俺にとっては散歩だからな」と、軽い運動を兼ねての道中。
 帰り道も歩いて帰ってゆくから、きっとハーレイは本当に歩くのが好きなのだろう。
(ぼくだと、とっても歩けないけど…)
 歩こうとしても途中で倒れてしまいそうだけれど、ハーレイにとっては散歩の距離。
 途中で目にした花の話や、出会った動物の話やら。
 そういう土産話も幾つもして貰ったから、好きなのに違いない散歩。
 雨になったら散歩は出来ずに、車で来るしかないわけで。
 ハーレイの楽しみが減りそうだから、と見上げた空。
 この雲は雨を降らせるだろうか、と。


 雲の見方はよく分からないし、さほど詳しくもないけれど。
 十四歳の今まで生きて来た自分の経験からして、この雲ならば…。
(大丈夫だよね?)
 その内に流れて消えて青空、と頷いた。
 早かったならば、家に入って朝食を食べる間にも。
 母が用意をしているトースト、それから卵が一個のオムレツ。
 父に「もっと沢山食べないとな?」とよく言われるから、もしかしたら今日も…。
(…ソーセージが来ちゃう?)
 注文してもいないのに。
 ソーセージは父が食べるものなのに、その父の皿からフォークで「ほら」と。
 「分けてやろう」と、「一本やるぞ」と。
 休日の朝によくある光景、断り切れないソーセージ。
 今日も来るかもしれないけれども、こうして庭まで出て来たのだし…。
(いつもよりかは、ちょっと運動…)
 その分、お腹も減っていますように、と家に戻った。
 運動したから、ソーセージもきっと大丈夫、と。
 雨が降りそうにない雲と同じで大丈夫だよね、と。


 けれど、少々、甘かった読み。
 ダイニングに入ってテーブルに着いたら、「庭に出てたな」と笑顔の父。
 「ちゃんと体操して来たか?」などと訊くものだから。
 体操って、と訊き返したら、父が言うのは朝の体操。
 朝一番に庭に出たなら体操するもの、それが子供の健康づくり。
 そうは言われても、体操などはしていないから。
 雲を眺めに出ただけだから、「やってないよ」と答えるしかなくて、嘘は言えなくて。
 「いかんな」と父にジロジロ見られた、「それでは丈夫になれないぞ」と。
 ハーレイ先生のようになりたかったら…、とニヤリと笑った父。
 体操しないのなら食べることだと、まずは身体を作らないと、と。
「庭に出たなら、少しは運動になっただろうし…。今日は二本だな」
 しっかり食べろ、と父の皿からソーセージが二本。
 一本でも多いと思っているのに、二本もポンと入れられた。
「酷いよ、パパ!」
 朝からこんなに食べられないよ、と言ったのに。
「なあに、時間をかければ大丈夫さ。なあ、ママ?」
「そうねえ、ゆっくり食べれば入るわよ」
 きちんと噛めば、と微笑んだ母。
 「ハーレイ先生がいらっしゃるまでには、充分時間があるでしょう?」と。
 学校に遅刻するわけではないから、残さずにちゃんと食べなさいね、と。


 庭に出て空を見上げたばかりに、ソーセージが二本。
 一本でも自分には多すぎるというのに、二本も。
(…こんなに沢山…)
 無理だと言っても、聞いてはくれなかった両親。
 母は普段と同じ分だけトーストをキツネ色に焼いてくれたし、オムレツだって。
 ミルクを減らせば大丈夫かも、と思ったけれども、ミルクは大切。
 前の自分と同じ背丈に育ちたいなら、欠かせないミルク。
 そんなわけだから、ソーセージが二本増えた分だけ、頑張るしかなくて。
 父が「御馳走様」と席を立った後も、母がすっかり食べ終えた後も…。
(…なんで、ぼくだけ…)
 ポツンと一人で残されたテーブル、たった一人きりの朝食の席。
 お皿の上には手強い朝食、父が増やしたソーセージ。
 食べ終わらない限り、このテーブルとは別れられない。
 自分の椅子にチョコンと座って、モグモグとやっているしかない。
(…独りぼっち…)
 あんまりだよ、と思ったけれども、もっと悲しい独りぼっちを知っているから。
 前の自分がメギドで迎えた、悲しすぎる最期を知っているから。
(…朝御飯で独りぼっちでも…)
 文句は言えない、キッチンには母がいるのだから。
 父はリビングに行ったか、二階の部屋か。
 それにハーレイも、もう少しすれば家を出て此処へと散歩を始めてくれるのだから。


 独りぼっちでも我慢しよう、と頬張った父のソーセージ。
 父は平気でペロリと何本も平らげるけれど、自分にとっては大敵で。
 フォークで口へと運んで一口、また一口と齧るだけ。
(ちっとも減らない…)
 ガブリと大きく齧らないから、当然と言えば当然だけど。
 ほんの少しずつ食べていたのでは、一向に減りはしないのだけど。
 とんでもないことになってしまった、と独りぼっちの朝のテーブル。
 いつになったら此処から脱出できるのだろう、とソーセージと格闘していたら。
(あっ、晴れてる…!)
 まるで気付いていなかった。
 トーストやオムレツやソーセージと戦いを繰り広げていて、外を見ていなかったから。
 窓の外など、見ている余裕が無かったから。
 知らない間に晴れていた空、明るく射し込む朝の太陽。
 雲は何処かへ消えてしまった、庭から仰いで思った通りに。
 その内に晴れると予想した通り、綺麗な青空。
 そこにぽっかり白い雲がある、羊みたいにフワフワの雲が。
 空を半分覆っていた雲、それの名残が。
(…ぼくとおんなじ…)
 残されちゃってる、と雲に覚えた親近感。
 「御馳走様」と消えてしまった両親、テーブルに独りぼっちの自分。
 それと同じに雲も置き去り、一つだけ残った白い雲。


(…羊みたい…)
 フワフワのモコモコ、と窓の向こうの空を眺めた。
 雲の羊が一匹だけ。
 仲間の羊は行ってしまったのに、どういうわけだか一匹だけ。
(…朝御飯かな?)
 他の羊は食べ終わって行ってしまったのだろうか、「御馳走様」と次の所へ。
 飛び跳ねて遊べるような何処かへ、走り回れる空の原っぱへ。
 残った一匹は食事の最中、そういうことだってあるかもしれない。
 「全部食べなさい」と言われた分だけ、食べ終わらないと一緒に行けないだとか。
(…そうなのかも…)
 雲の羊が空にいるよ、と心強い気分になってきた。
 自分と同じで食事が終わらない、頑張って食べている羊。
 一人ぼっちのテーブルだけれど、雲の羊でも、空に仲間がいるのなら…。
(頑張らなくっちゃ…!)
 羊と競争、とソーセージを齧ってモグモグ噛んだ。
 食べ終えるまでに羊の雲が去って行ったら、また置き去りにされるから。
 空に仲間がいる間にと、雲の羊がいてくれる内に、と。


 白い雲の羊と競争で食べて、頑張って。
 やっと食べ終えられた朝食、キッチンの母に「御馳走様」と言うことが出来た。
 お腹は一杯になったけれども、なんとか食べられた多すぎた朝食。
(羊のお蔭…)
 雲の羊に出会えたお蔭、と二階の自分の部屋に戻って見上げた青空。
 風が出て来たのか、食事を終えたか、雲の羊が流れてゆく。
 仲間の雲たちが去った方へと、ふわりふわりと。
(早く追い付けるといいね)
 先に行っちゃった仲間たちに、と雲の羊を眺めていたら。
(…前のぼく…)
 独りぼっちで終わりだった、と蘇って来たメギドでの記憶。
 仲間たちを乗せた白いシャングリラを守るためにと、たった一人で死んでいった自分。
 飛び立つシャングリラの姿すらも見られず、独りぼっちで。
 ハーレイの温もりも失くしてしまって、右手が冷たく凍えてしまって。
(…雲の羊…)
 せっかく自分と一緒に食事をしたのだから。
 朝御飯を頑張って食べたのだから、独りぼっちで消えて欲しくない。
 ちゃんと仲間に追い付いて欲しい、前の自分は駄目だったけれど。
 独りぼっちで死んでしまったけれども、白い雲の羊は消えずに仲間の所まで。


 頑張って其処まで辿り着いてと、仲間の所へ、と雲が流れてゆく方の部屋に飛び込んだ。
 そっちの窓から外を見たなら、仲間が見えるかもしれないから。
 行ってしまった羊の仲間が、白い雲の羊の大きな群れが。
(雲の羊…!)
 お願い、と覗いた窓の外。
 待っていてあげて、と眺めた青空、もう一匹の雲の羊が待っていた。
 ダイニングにいた時は気付かなかった羊、見えなかった白い羊が一匹。
 そして、その向こうに羊の群れたち。
(あの雲の羊…)
 きっと恋人、と白い羊の雲を見上げた、残された羊を待っていた雲の白い羊を。
(ぼくとハーレイみたいだよね)
 雲の羊は二匹一緒に空を流れてゆくのだろう。
 仲間の羊の群れの所まで、二匹で仲良く青空を歩いて。
 朝から出会えた素敵なカップル、きっといい日になるに違いない。
 もうすぐハーレイがやって来るから、自分の所にも恋人が訪ねて来てくれるから…。

 

        白い雲の羊・了


※ブルー君が見付けた白い雲の羊。一匹だけだと思っていたら、恋人の羊がいたようです。
 雲の羊でも、前の自分と重ねてしまったからには、幸せになって欲しいですよねv






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(この様子だと…)
 じきに晴れるな、とハーレイが庭から仰いだ空。
 ブルーの家へと出掛ける日の朝、まだまだ早い時間だけれど。
 朝食もこれからという早朝だけども、ふと気になって出てみた庭。
 いつの間にやら雲が出ていて、青かった空を半分ほど覆ってしまっていたから。
 もしや降るかと、それなら車で出掛けなければと眺めに出て来た。
 天気予報では今日は快晴、雨など降らない筈の休日。
 けれども天気は気まぐれなもので、予報が外れることだってある。
(調べれば分かることなんだが…)
 何処かで雨が降っているのか、単に曇っているだけか。
 そういうデータは常に見られる、調べさえすれば。
(しかしだ、俺の性分でだな…)
 データよりかは勘なんだ、と雲を見上げて、観察して。
 雲の様子や風向きなどから弾き出した答えが「もうすぐ晴れる」。
 広がった雲は風に流され、遠くへと去ってゆくだろう。
 多分、朝食を食べている内に。
 今日は茹で卵な気分の朝食、そのための卵を鍋で茹でたりしている内に。


 よし、と戻った家の中。
 固ゆで卵やサラダを作って、分厚いトーストなんぞも焼いて。
 熱いコーヒーを淹れた愛用のマグカップ、朝食のテーブルに着いた頃には…。
(やはり晴れたか)
 燦々と射し込む朝の光と、開け放った窓からの爽やかな風と。
 青い空には雲の欠片が幾つかポツンと、まるで迷子の羊のように。
 空の半分を埋め尽くしていた雲の羊たち、その群れは去って行ったのに。
 この辺りの空にあったらしい牧草、それを食べ尽くして次の場所へと旅立ったのに。
(…まあ、あの程度の羊ならな?)
 食べ残しの草もあるだろうさ、とガブリと齧った茹で卵。
 サラサラの塩をパラリと振って。
 切って食べるより丸かじりがいいと、殻を綺麗に剥いた卵を。
 朝食には卵を二つは食べたい、二つ茹でてある固ゆで卵。
 空に残った雲の羊にも、丁度いい量の草が残っているのだろう。
 群れを外れてしまった後にも、食べていられるくらいの草が。
(はてさて、迷子か、それとも自分で残ったか…)
 美味しそうな草がまだあるから、と空にのんびり残ったろうか?
 食いしん坊の雲の羊が何匹かいるというのだろうか。
 食べ終わったら、慌てて群れを追ってゆく羊。
 他の仲間に追い付かなければ、と空を走って、流れ去った雲の羊たちを追って。


(雲の羊なあ…)
 フワフワだな、と茹で卵を頬張りながら見上げて、本当に羊だと思う。
 羊雲という言葉の通りに、羊さながら。
 よく言ったものだ、と思う羊雲。
 秋に出るのが羊雲だけれど、他の季節でも雲は羊に見えるもの。
 ふわふわと空に浮かんでいたら。羊よろしく、ほわほわとした姿だったら。
 空には雲の羊たちが住む、それに牧草も。
 さっきまで空の半分を覆っていた羊たちが群れる牧草が。
 これは美味だと空に群がり、雨を降らせるつもりもないのに太陽を翳らせてしまうほど。
(よっぽど美味い草があったんだな、今朝は)
 あちこちから羊がやって来るほど、空の半分を埋めるほど。
 今朝の空には、この町の空には美味しい牧草。
 食べ尽くされた後にも残っている草、それを食べようと雲の羊がいるほどに。
 全部食べてから群れを追おうと、まだ何匹か。
(迷子と言うより、そっちなんだろう)
 本当に美味い草なんだろうな、と齧ったトースト。
 茹で卵を一個食べ終わったから、マーマレードをたっぷりと塗って。
 隣町の家の庭の夏ミカン、それを使って母が作るもの。
 このトーストや茹で卵のように美味しい朝食、空の羊も朝食だろう。
 青い空に生えた牧草を食べて、まだこっちにもあると群れから外れて。


 雲の羊は空をゆっくりと流れてゆく。
 まるで本物の羊のように、牧草を食べにのんびりと歩いてゆくように。
 トーストを齧って、茹で卵を頬張って、それを眺めていたけれど。
 空に羊がいると思っていたけれど。
(…待てよ?)
 今の自分には見慣れた雲。
 空を仰げば羊だっているし、ついさっきまでは群れていたほど。
 雨になるのかと庭に出て行って空を見たほど、雲の具合はどうなのかと。
 けれども、それを当たり前のように思う自分は…。
(…今の俺だからだ…)
 前の俺だと有り得なかった、と雲の羊をポカンと眺めた。
 雲を眺めて羊のようだと考えた上に、空に牧草があるなどと。
 雲の羊が食べる牧草、よほど美味なのが生えていたのだと青い空を見て思うなど。
(…雲はいつでも船の周りで…)
 羊どころか、真っ白な壁。
 その向こう側すらも見透かせない壁、肉眼ではとても。
 シャングリラの周りは雲の海だった、どんな時でも。
 前のブルーと暮らした頃には、二人で笑い合った頃には。


(…ナスカで地面に降りた時には…)
 とうにブルーは眠っていたから、雲の羊を楽しむ余裕は自分には無かったのだろう。
 前のブルーを失くした後には、もう雲などは…。
(…見えていても、見てはいなかったんだ…)
 そうだったのだ、と前の自分を思い返した。
 ブルーを失くして一人残されて、白いシャングリラに独りぼっちで。
 仲間たちはいても心は孤独で、旅の終わりだけを思っていた。
 地球に着いたら全て終わると、ブルーの許へと旅立てるのだと。
 魂はとうに死んでしまって屍のようだった、あの頃の自分。
 キャプテンとしての務めは果たしたけれども、時に笑いもしたけれど。
(あくまで付き合いだったんだ…)
 生きてゆくなら、仲間たちとも触れ合わなければならないから。
 ただのミュウなら部屋に籠って誰にも会わずにいられたとしても、前の自分は…。
(キャプテンじゃ、そうはいかないってな)
 船を纏める立場だから。
 前のブルーに「ジョミーを支えてやってくれ」と頼まれて生きていたのだから。
 その思いだけで、生きていた自分。
 仲間たちとは笑い合っても、一人の時には…。
(…何も感じやしなかったんだ…)
 地面に降りても、空を仰いでも。
 かつてはシャングリラを覆っていた雲、それが羊に見える形で浮かんでいても。


 今だからこそか、と気付いた羊。青い空をゆく羊の雲。
 気付けば、雲は見上げるものになっていた。
 船の周りを覆い尽くす代わりに、遥かな頭上で流れてゆくもの。
 牧草目当てで群れた羊か、と愉快な考えを呼び起こすほどに。
 群れから外れた食いしん坊の羊がいるな、と流れ去った雲の名残を数えるほどに。
(…前の俺だと、空の上には牧草どころか…)
 羊だって見えやしなかった、とコーヒーのカップを傾けた。
 それなのに今は羊が見えると、空の上には牧草が生えているらしいと。
 キャプテン・ハーレイだった頃には、夢にも思いはしなかった。
 雲が羊だとも、羊がいるなら牧草が生えているのだとも。
 美味しいからと群れを外れて食べている羊の雲があるとも、ただの一度も。
(きっと、あいつだって…)
 前のブルーも、雲の羊は考えたことも無かっただろう。
 自分と違って船の外へと出ていたけれども、雲も仰いでいたのだけれど。
 それでもブルーはソルジャーだったし、船の外へと出た時には…。
(少しのんびりしていたとしても、雲を眺めて羊とまでは…)
 きっと考えなかっただろう。
 もしもブルーがそれを思ったなら、前の自分も聞いただろうから。
 二人でゆっくりと過ごす時間に、きっとブルーが笑顔で話してくれたろうから。
 「知っているかい?」と。
 「この船の周りは羊だらけだよ」と、「羊でギュウギュウ詰めなんだよ」と。


(…うん、あいつなら言っただろうな)
 それは楽しそうに、面白そうに。
 シャングリラを取り巻く雲の隠れ蓑、外へ出られはしない雲海。
 安全だけれど、ある意味、牢獄とも言えた。
 外へ出る自由が無いのだから。出たくとも出られないのだから。
 その真っ白な雲の牢獄、それを羊だと思えば時には笑うことだって出来ただろう。
 今日も羊がギュウギュウ詰めだと、羊だらけで出られはしないと。
(雲だと思えば自由も無いが…)
 羊の大群に捕まったのなら、ギュウギュウと押し寄せられて動けないなら、また違う。
 きっと愉快な気持ちにもなれた、「今日も羊が一杯ですね」と。
 あの頃は本でしか知らなかった世界、羊の群れが横切る道路。
 全部の羊が渡り終えるまで、車は停まって待つのだと聞く。
 青く蘇った地球の上でも見られる光景、羊を放牧している場所なら。
(…其処へ行った気分になれただろうさ)
 船の周りに一杯の羊、雲の羊の群れが去るまで動けそうにないシャングリラ。
 今だから頭に浮かぶ光景、雲の羊とシャングリラと。
(平和な時代になったもんだな)
 まだ食ってるな、と白い雲を仰ぐ。
 群れから外れて牧草を食べている雲の羊を、自分と同じに朝食を食べる雲の羊を…。

 

         空に住む羊・了


※ハーレイ先生が見付けた羊の雲。シャングリラの頃には雲は羊に見えなかったのに。
 今は空の上に沢山の羊がいるようです。同じ雲でも羊に見えるのが幸せですよねv





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