忍者ブログ

「おっ、新顔か?」
 初めて見るな、とハーレイが声を掛けた猫。
 若いと一目で分かる三毛猫、帰って来たらヒョッコリ顔を覗かせた。
 ブルーの家には寄れなかった日、ガレージから庭に入ったら。
 何処かで寛いでいたのだろうか、「ミャア」と一声、艶やかな毛並み。
「よしよし。…迷子ってわけでもなさそうだな?」
「…ミャア?」
「何か食って行くか、ミーシャ…ではないな、お前さんの名前は何なんだ?」
 俺には分からないんだが、と訊いたけれども、猫が答える筈もない。
 とりあえず猫はミーシャなんだ、と撫でてやった頭。
 子供時代に、隣町の家で母が飼っていた猫。
 真っ白な毛皮で甘えん坊だった猫、その名前がミーシャだったから。
 名前を知らない猫は「ミーシャ」で、白でも三毛でも、黒でもミーシャ。
(ふうむ…)
 こいつも甘えん坊か、と眺めた三毛猫。
 頭を撫でて貰った後には、足に身体を擦り付けるから。
「おいおい、ズボンを汚さないでくれよ?」
「ミャア!」
 分かってます、といった具合に聞こえた鳴き声。
 暫く足と戯れた後で、猫は悠然と歩き始めた。
 しなやかな尻尾を誇らしげに立てて、「それじゃ、さよなら」と。
 庭を横切り、生垣をくぐって見えなくなった新顔の三毛。
 多分、家へと帰るのだろう、夕食を食べに。
 此処でおやつを食べているより、自分好みの食事をくれる飼い主の家に。


 行っちまったか、と見送った後で入った家。
 玄関の明かりで確かめたけれど、ズボンについてはいない猫の毛。
(一本も無しか…)
 こりゃ見事だな、と感心させられた毛皮の手入れ。
 飼い主もせっせとブラッシングをしているだろうけれど…。
(あいつが自分で手入れしないと、こうはいかんぞ)
 さっきみたいに生垣を抜けたり、あちらこちらに入ってみたり。
 そういうのが猫の散歩なのだし、毛皮もあちこち引っ掛かるから。
 一本、二本と引っ掛かったら抜けてしまう毛、それをくっつけて歩きがち。
 だからズボンにも毛の四本や五本くらいは、と考えたのに。
(毛皮自慢のミーシャだったか…)
 俺にとってはあいつもミーシャ、と新顔の三毛を心で褒めた。
 毛皮の手入れがよく出来ていたと、親猫の躾もいいのだろうと。
 人間では躾けられないから。
 子猫の間に親が毛皮をつくろってやって、「こうだ」と教える毛づくろい。
(たまに酷いのがいるんだよなあ…)
 自分では一切やりません、とばかりに手入れは人間任せの猫が。
 面倒だからと放りっ放しで、飼い主が少し留守にしたなら…。
(抜け毛だらけと来たもんだ)
 人間任せにしているくせに、飼い主以外には任せられないと思い込んでいる毛皮の手入れ。
 自分では全くやらないのだから、アッと言う間にくたびれる毛皮。
 それでも少しも悪びれもせずに、我が物顔でのし歩く。
 「飼い主はちょっと留守にしてます」と、「留守番の人なんか、どうでもいいです」と。
 何度かその手の猫に出くわして、抜け毛だらけにされたズボン。
 なまじ名前を知っていたりすると、ウッカリ呼んでしまうから。
 猫の方でも「呼びましたか?」と近付いて来ては、ズボンに懐いてくれるから。


 今日のミーシャはいい猫だった、と夕食の後にも覚えていた猫。
 書斎でのんびりコーヒー片手に眺めたズボン。
 スーツは着替えてしまっているから、あのズボンではないけれど。
 抜け毛を一本も残さなかった猫、その素晴らしさを示したズボンは履き替えたけれど。
(なんて言うんだろうなあ、あいつの名前…)
 きっと近所の猫だろうから、その内に分かることだろう。
 ジョギングの途中でバッタリ会ったりした時に。
 飼い主と一緒に庭にいたなら、声を掛ければ名前を教えてくれるから。
 あの猫ではなくて、飼い主が。
 「この子の名前は…」と、「可愛がってやって下さいね」と。
(名前が分かるまではミーシャなんだ)
 猫なら白い毛皮でなくても、と大きく頷く。
 物心ついた時には、家にミーシャがいたものだから。
 真っ白なミーシャと暮らしていたから、親しみをこめて呼ぶなら「ミーシャ」。
(寄るな、触るなって感じの猫でも…)
 ミーシャなんだよな、とクックッと笑う。
 猫はミーシャだと思っているから仕方ない、と。
 本当の名前が分からない内は、どれでもミーシャ、と。


 猫を呼ぶなら、いつでもミーシャ。
 他の名前は思い付かない、猫の名前は幾つもあるのに。
(モカに、マロンに…)
 この近所だけでも沢山あるぞ、と挙げてみたけれど、しっくりくるのはやっぱりミーシャ。
 本当の名前が分かった途端に、モカやマロンになるけれど。
 それだと分かれば、モカやマロンの方がストンと納得出来るのだけれど。
(面白いもんだな、人間ってのは)
 馴染んだ名前が一番らしい、と思った所で不意に浮かんだ恋人の顔。
 十四歳にしかならないブルーは、前の生から愛した人。
 前とそっくり同じ姿に生まれたブルーは、やっぱりブルー。
 「ソルジャー・ブルー」と呼ばれないだけで。
(あの姿だから、ブルーって名前になったんだろうが…)
 赤い瞳に銀色の髪。
 生まれながらにアルビノのブルー、誰でも偉大なミュウの長を連想するだろう。
 あやかりたいと「ブルー」と名付けるだろうし、現にブルーも「ブルー」だけれど。
(…違う名前ってことだってあるぞ?)
 ソルジャー・ブルーと同じアルビノの息子が生まれて来たって、違う名前を選ぶ親。
 いつか息子が生まれた時にはこの名にしよう、と決めていたなら。
 そちらの方が断然いいと思っていたなら、付けるだろう名前。
 銀色の髪に赤い瞳でも。
 誰が見たってソルジャー・ブルーな姿に育つだろう子でも。
(ベルファイアだとか、オーガストだとか…)
 あるいはヘンリー、デヴィッドだってあるだろう。ロバートとかも。
 ブルーとは似ても似つかない名前。
 息子が生まれたらこの名前だと、ブルーの両親が思ったならば。
 ブルーがこの世に生まれて来た時、「会いたかったよ」とその名で呼んだなら。


(ヘンリーにロバート…)
 それにベルファイアにオーガスト、と頭を抱えてしまった名前。
 どれもブルーに似合いそうもない、愛おしい小さなブルーには。
 前と同じに育ったとしても、やっぱり似合いそうにない。
 気高く美しかった恋人、彼の名前がヘンリーだなんて。
 あるいはロバート、ベルファイアなんて。
(オーガストでも、デヴィッドでも…)
 まるで違うという気がする。
 ブルーがどんなに自分を慕って、前と同じに恋してくれても。
 「好きだよ」と甘く囁いてくれても、その名を「ブルー」と呼べない恋人。
 「俺も好きだ」と抱き締めてみても、腕の中にはブルーはいない。
 中身はブルーの魂だというのに、今の名前は違うから。
 違う名前で育って来たから、小さなブルーはベルファイア。
 そう呼ぶしかなくて、ブルーの方でも…。
(…ブルーと呼んでもいい、と言ってくれても…)
 きっと馴染みが薄いことだろう、前の自分の名前でも。
 前は確かにブルーだった、と記憶をすっかり取り戻していても。
(今の人生が優先だしな?)
 優しい両親に見守られて育って来たブルー。
 前の生とは比較にならない、幸せな時代に生きているブルー。
 きっとブルーも、今の名前で生きる自分が好きだろう。
 ロバートだろうがヘンリーだろうが、ベルファイアだろうが、デヴィッドだろうが。
(あいつの名前が…)
 違っていたら、と愕然とさせられた今の状況。
 それは充分に有り得たことだと、小さなブルーはオーガストだったかもしれない、と。


 そいつは困る、と溜息が零れたブルーの名前。
 前の生で初めて出会った時から、ブルーをブルーと呼んでいた。
 三百年以上も共に暮らして、恋をした時にも同じにブルー。
 前のブルーを失くした後にも、何度も名前を呼び続けていた。
 「待っていてくれ」と、「地球に着いたら追ってゆくから」と。
 どうしたわけだか生まれ変わって、青い地球の上で出会ったけれど。
(あいつはブルーで…)
 なんとも思わず、「俺のブルーだ」と抱き締めていた。
 やっと会えたと、ブルーが帰って来てくれたと。
(しかし、それがだ…)
 ブルーではなかった可能性も、と今頃になってようやく気付いた。
 もしもブルーの両親の中に、こだわりの名前があったなら。
 息子が生まれたらこの名前だと、用意していた名があったなら。
(俺はあの名前に感謝するぞ…!)
 ブルーは俺にとってはブルーだ、と改めて思い浮かべた恋人。
 あの名前がいいと、ブルーはブルーなんだから、と。
(猫はどれでもミーシャになるのと同じでだな…)
 俺の恋人はブルーなんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
 あまりにも慣れてしまったから。前の生から数え切れないほど、呼んで呼び続けた名前だから。
 だから嬉しい、ブルーの名前。
 今も同じにブルーな恋人、本当にブルーと呼んでいいから。ブルーは今でもブルーだから…。

 

         あいつの名前・了


※ブルー君の名前が違っていたら、と今頃になって気付いたハーレイ先生。
 困るでしょうねえ、あのビジュアルで名前がまるで違っていたら。ブルーで押し通すかもv
 ズラズラ羅列していた名前は、海外ドラマの「ワンス・アポン・ア・タイム」から。
 ちょいとオマージュ、ルンペルシュティルツキンと息子ベルファイアに捧ぐ。





拍手[0回]

PR

「ねえ、ハーレイ。…小鳥は親子でキスをするよね?」
 毎日沢山、と小さなブルーがぶつけた質問。
 何事なのか、とハーレイは首を傾げたけれども、親子でキス。
「羽繕いか?」
 チビの間は親が見てやらないと駄目だし、そうなるだろうな。
 羽根の手入れは大切だから、と答えたのに。
 ブルーは「ううん」と首を横に振った。
「違うよ、キスだよ! 唇同士で、本物のキス!」
 だってそうでしょ、雛は自分で餌を取りには行けないから…。
 お母さんとか、お父さんとか、いつもキスしているじゃない!
 でないと御飯が食べられないよ、小鳥の雛は。
「お前なあ…。あれはキスとは言わないぞ」
 口移しと言うんだ、よく覚えておけ。
 食べやすいように千切ったりして、雛用の餌を作るんだ、親は。
 そいつを口から口へと渡してるだけだ、キスとはまるで違うんだ。


 お前だからキスに見えるだけだ、と腕組みをして軽く睨んだ。
 何かと言えばキスを強請るのがブルーだから。
 唇へのキスは駄目だと言っているのに、懲りることなく。
 キスが欲しいと思っているから、小鳥までそう見えるのだろう。
 親がせっせと餌を運ぶのを、親子でキスをしているだなどと。
(まったく、こいつは…)
 ロクなことを思い付かないヤツだ、と呆れていたら。
 小さなブルーが「口移し?」と傾げた首。
 小鳥のキスはキスじゃないの、と。
「少なくとも親子のヤツは違うな、絶対に」
 鳥によっては、プロポーズに餌を渡す種類もいるそうだから…。
 雄が差し出した餌を雌が受け取ったら、プロポーズ成立らしいから。
 そういう時なら、キスになるかもしれないが…。
 親から雛への餌は違うぞ、ちゃんと口移しと覚えておくんだな。
 でないと何処かで大恥をかくぞ、その話で。


 気を付けろよ、と小さなブルーに教えた知識。
 小鳥の親子はキスをしないと、あれは口移しというものだと。
 そうしたら…。
「分かった、小鳥が雛に餌をあげる時はキスじゃないんだね?」
「そうだ、しっかり覚えておけよ」
「うん、覚えた。…じゃあ、今度してね」
「はあ?」
 何をするんだ、と見開いた瞳。
 ブルーは愛くるしい笑みを浮かべてこう言った。
「口移しだよ、口移しはキスじゃないんでしょ?」
 この次、ぼくが寝込んだ時には口移し。
 ハーレイが作ってくれるスープを、口移しでぼくに食べさせてよ。
 ぼくは弱っているんだから。
 起き上がって野菜スープを飲むより、寝たままの方が楽なんだから。
「馬鹿野郎!」
 誰がするか、と小突いた小さな銀色の頭。
 お前の魂胆はそれだったのかと、眉間にグッと皺を刻んで。
 起きられないなら、スプーンで口まで運んでやると。
 それで飲めないなら飲まなくていいと、スープだけ置いて帰るからと。
 起きられるようになったら食べろと、お前に口移しはまだ早い、と…。



         小鳥のキス・了




拍手[0回]

(…そろそろかな?)
 ハーレイが持って来てくれるかな、と小さなブルーが眺めた瓶。
 金色をしたマーマレードが入っている瓶、かなり減った中身。
 夏ミカンの実で作られたそれは、ハーレイが届けに来てくれる。
 残りが少なくなってきた頃に、「ほら」と金色がたっぷり詰まった瓶を。
 だからもうすぐ、とスプーンで掬ってトーストに塗った。
 夏ミカンの実の金色を。
 お日様の光をギュッと集めて作ったみたいな、少しビターなマーマレードを。
 キツネ色に焼けたトーストに似合う、金色に輝くマーマレード。
 齧ると胸に溢れる幸せ、「ハーレイの朝御飯とおんなじ味」と。
 ハーレイもトーストを食べているなら、きっと同じになるのだろう。
 隣町にある家で、ハーレイはこのマーマレードを食べて育ったらしいから。
 今もやっぱりお気に入りの味で、朝食に欠かせないらしいから。
(ホントにいいもの、貰っちゃった…)
 それに美味しい、と顔が綻ぶ。
 ハーレイの母の手作りだというマーマレードは、何か賞でも取れそうな味。
 母だって、前にそう言っていた。
 「マーマレードのコンクールに出せば、賞が取れると思うわよ?」と。
 残念なことに、自分やハーレイが暮らす地域に、そのコンクールは無いけれど。
 もしもあったら、本当に賞が取れるだろう。
 このマーマレードを食べた後では、市販品だと物足りないから。
 「ハーレイがくれたマーマレードの方がいいな」と、子供の自分でも思うのだから。
 そんな素敵なマーマレードを、今朝も美味しく食べられた。
 休日の朝だから、ゆっくりと。
 この味が好き、とトーストと一緒に噛み締めながら。


 朝御飯の後は二階の自分の部屋に帰って、きちんと掃除。
 ハーレイが来てくれる前にと、テーブルも椅子もちゃんと並べて。
 それが済んだらハーレイを待つだけ、今日はあるかもしれないお土産。
 マーマレードが詰まっている瓶、金色が詰まったガラス瓶。
 大きな瓶は、ハーレイの母が蓋をした瓶。
 マーマレードが傷まないよう、きっちりと。
(そのまま、開けていないんだから…)
 瓶の中には、きっと素敵な場所の記憶も詰まっている筈。
 ハーレイが育った隣町の家、其処のキッチンの優しい光景。
 採れたばかりの夏ミカンの実を、「まだまだあるぞ」と運び込んでいるハーレイの父。
 それを洗って皮を剥いてゆくハーレイの母。
 皮を刻んで、中の実も使って、大きな鍋でグツグツ煮詰めてゆくのだろう。
 とても美味しいマーマレードを作り上げるために、焦げないように。
(そういう景色も詰まってるよね…)
 瓶の蓋を開けたら、ふわりと広がるかもしれない。
 ハーレイの両親の声や笑顔や、キッチンに溢れる夏ミカンの匂い。
 もいだばかりの実の匂いだとか、皮を剥いた時の酸っぱい匂い。
 マーマレードが煮える甘い匂いも、温かな湯気も。


(前のぼくなら、分かるんだけどな…)
 知りたいと思えば、探れただろう思念の残り。
 瓶の蓋を閉めたハーレイの母が残した、キッチンの記憶。
 心をこめて閉めた蓋なら、きっと思いが残るから。
 「美味しく食べて貰えますように」と、ハーレイの母が閉めた蓋。
 その時にキッチンにあった空気も、匂いも残っているだろう。
 さっき想像してみた光景、それの欠片がきっと幾つも。
(…ちょっと覗いてみたいよね?)
 どんな景色か、幸せが溢れるキッチンを。
 黄色く熟した夏ミカンの実が、山と積まれたキッチンを。
 けれど出来ない、叶わない夢。
 今の自分は、タイプ・ブルーというだけだから。
 名前ばかりの強いサイオン、実の所は不器用な自分。
 思念波もろくに紡げはしないし、前の自分とは大違い。
 マーマレードの瓶の蓋を開けても、見えるわけがない素敵な光景。
 蓋を開けたら、マーマレードが見えるだけ。
 誰もスプーンを突っ込んでいない、詰めた時のままのマーマレードが。
 滑らかな金色が詰まっているだけ、幸せな景色は見えてはこない。
 どんなに努力してみても。
 ウンウン唸って頑張ってみても、マーマレードしか見えない自分。
 タイプ・ブルーとは名前ばかりで、何も出来ないから。
 不器用すぎるチビの自分は、手も足も出ない夢の瓶なのだから。


 悔しいけれども、それが現実。
 読み取れはしない、ハーレイの母が残した思念。
 マーマレードがたっぷり詰まった大きな瓶を、ハーレイが届けてくれたって。
 「ほら、持って来たぞ」と、新しい瓶をくれたって。
 蓋を開けても見えない光景、幸せなそれが見たいのに。
 ハーレイと自分が結婚すると聞いて、「新しい子供が出来た」と喜んでくれた人たちを。
 まだ結婚もしない内から、家族だと思ってくれる人たち。
 優しくて温かいハーレイの両親、その人たちがいるキッチンを。
(見たいんだけどな…)
 いつか自分を迎えてくれて、両親になってくれる人たち。
 夏ミカンのマーマレードを毎年、毎年、作る人たち。
 太陽の色に熟した果実を、キッチンに山と積み上げて。
 沢山のマーマレードを作って、ご近所や友人に配る人たち。
 少しでいいから見てみたいのに、今の自分は見られない。
 前の自分なら、きっと簡単だっただろうに。
 マーマレードの瓶を手にして、蓋の上に手を重ねたら。
 蓋を閉めるのに使った力は、どんな具合かと追い掛けたなら。
(ハーレイのお母さんの心ごと…)
 キッチンも、其処に漂う匂いも、マーマレードの鍋だって見えた。
 瓶に詰める前の、煮詰める途中の甘い金色。
 それを木べらで混ぜている手も、きっと簡単に見えたのに…。


 今の自分はまるで駄目だ、と零れた溜息。
 ハーレイがそろそろ、新しい瓶をくれそうなのに。
 「切れちまう前に持って来ないとな?」と、「約束だしな」と、マーマレードを。
 せっかく素敵な瓶を貰っても、今の自分には使えない魔法。
 魔法だとしか思えないサイオン、そのくらい不器用になってしまった自分。
(なんで、こうなの?)
 前のぼくみたいな力があれば、と悔しくてたまらないけれど。
 マーマレードの瓶に詰まった夢の光景、それを覗き見したいのだけれど。
 まるで出来ないから、いつか本当に行ける時まで我慢するしかないのだろう。
 ハーレイの車の助手席に乗って、隣町の家に行く日まで。
 庭の大きな夏ミカンの木を、この目で眺めて見上げる日まで。
(マーマレードを作る時にも…)
 きっと連れて行って貰えるだろうし、そしたら現実になる光景。
 キッチンに運び込まれる夏ミカンの実も、マーマレードを煮詰める鍋も。
(ぼくも、お手伝い…)
 出来るといいな、と描いた夢。
 マーマレードを上手に煮るのは無理でも、実を洗うことは出来るから。
 皮を上手に刻めなくても、果汁は搾れるだろうから。
 そういう時がやって来るまで、見えないらしい幸せなキッチン。
 マーマレードの新しい瓶は、キッチンの記憶を秘めているのに。
 出来上がった時に閉めたままの蓋、それを開けたら中から夢が溢れ出すのに。


 どうして自分は駄目なのだろうと、前のぼくなら、と悲しい気持ち。
 ハーレイが届けてくれる瓶から、前ならきっと見えたのに。
(…マーマレードの瓶の蓋…)
 こんな風に手を重ねるだけで、と自分の左手に重ねた右手。
 左手が瓶の蓋のつもりで、そっと重ねてみたのだけれど。
(えーっと…?)
 この手、と見詰めた自分の右手。
 冷たく凍えてしまったのだった、前の自分の右の手は。
 ハーレイの温もりを失くしてしまって、メギドで独りぼっちになった。
 そして泣きながら死んでしまった、ハーレイには二度と会えないと。
 温もりを失くして右手が凍えて、絆が切れてしまったから。
(でも、生きてる…)
 いつも忘れてしまうのだけれど、新しい身体と、新しい命。
 それをもう一度貰ったのだった、青い地球の上で。
 ハーレイと二人で生まれ変わって、今度は幸せになれるよう。
 平和な時代に、前の自分が焦がれた星で。
 今度は恋を隠すことなく、いつか迎えるハッピーエンド。
 その先で出会える夢のキッチン、ハーレイの母がマーマレードを作るキッチン。
 甘い匂いも、もぎたての夏ミカンの酸っぱい匂いも、全部いつかは本当になる。
 マーマレードの瓶の蓋から、記憶を何も読み取れなくても。
 其処に詰まった夢の景色を見られないほど、サイオンが不器用な自分でも。


 そうなのだった、と気付いた今。
 幸せすぎる毎日ばかりで、それが当たり前になってしまって、零してしまった小さな不満。
 「前のぼくなら」と、「マーマレードの瓶の蓋から」と欲張って。
 隣町の家の幸せなキッチン、それを見たいと望んだけれど。
 そういう力を持っていた頃は、そんな夢など見られなかった。
 前の自分も、前のハーレイも、シャングリラの中が世界の全て。
 庭に夏ミカンの大きな木がある家などありはしなかった。
 其処から届くマーマレードも、ハーレイの優しい父と母も。
(…欲張っちゃってた…)
 前の自分は持たなかった世界、それを自分は持っているのに。
 いつか必ず手が届くのに、先に見たいと欲張った。
 前の自分の力があればと、どうして今はそれが無いのかと。
(…あんな力があったって…)
 夢の世界が無いのだったら、手を伸ばしても届かないなら、意味などありはしないから。
 儚く消えてしまう夢より、手が届く世界がいいに決まっているのだから。
(欲張っちゃ駄目…)
 マーマレードの新しい瓶を貰えるだけで幸せだもの、とパチンと叩いた自分の頬っぺた。
 きっと今日あたり、ハーレイが届けてくれるから。
 お日様の金色を閉じ込めたような幸せの瓶が、この家にやって来るのだから…。

 

        マーマレードとぼく・了


※ハーレイ先生が届けてくれるマーマレード。その瓶に残った思念が見たいブルー君。
 「前のぼくなら…」と思う気持ちは分かりますけど、欲張りすぎたら駄目ですよねv





拍手[0回]

(俺にとっては馴染みの味で…)
 朝の定番だったんだがな、とハーレイが眺めるマーマレード。
 トーストに塗り付けた蜜のような金色、夏の太陽を思わせる色。
 ガブリと齧れば、いつもの味。
 甘いけれども少しビターな、夏ミカンで出来たマーマレード。
 幼い頃から、朝のテーブルにあったそれ。
 大きなガラスの瓶に一杯、いつでも朝の日射しの中に。
(おふくろ、いつから作ってたんだか…)
 物心ついた頃には、今と変わらない味だった。
 きっとレシピも変わっていなくて、いつでも同じ味なのだろう。
(加減をするとは言ってたが…)
 その年の夏ミカンの出来に合わせて、入れる砂糖や蜂蜜の量を。
 煮詰める時間も変わるのだろう、夏ミカンの皮が含んだ水分の量も色々だから。
(俺も手伝ってはいたんだがなあ…)
 レシピそのものを聞いてはいない。
 わざわざ自分で作らなくても、不自由はしないマーマレード。
 隣町の家に出掛けて行ったら、大きな瓶を渡されるから。
 「ほら、いつもの」と手渡されるのが常だから。
 夏ミカンの金色が詰まった瓶を。
 母の手作りのマーマレードがたっぷり入ったガラスの瓶を。


 子供の頃から舌に馴染んだ味、一年に一度、母がせっせと作る味。
 自分が育った隣町の家、其処の庭にある夏ミカンの実で。
 庭のシンボルと言っていいほど、目立つ大きな夏ミカンの木。
 もっと背の高い木もあるというのに、幾つも実る金色の実。
 それがドッサリ、そのせいで目立つ。
 通りすがりの散歩の人でも、足を止めて暫し眺めるほどに。
 なんと見事な夏ミカンの木かと、手入れもきっと大変だろうと。
(大した手入れはしてないんだがな?)
 枝の剪定と、肥料を入れてやるくらい。
 手がかからないのが両親の自慢で、手間いらずで実る夏ミカン。
(おまけに、当たり外れもないし…)
 果樹にありがちな、当たり年とか外れ年。
 個人の庭で育つ果樹だと、気まぐれな木が多いもの。
 食べ切れないほどの実をつけた翌年、数えるほどしか実が出来ないとか。
(しかし、あの木は優秀な木で…)
 そうなったことは一度も無かった、自分の記憶にある限り。
 季節になったら実る金色、その数はいつも変わらない。
 数えていたなら、「今年は少し少ないな」と思う年もあるかもしれないけれど。
 ほんの二個だか、三個だかの差で。
 きっとそういう木なのだと思う、両親もそう言っているから。
 当たり外れのない夏ミカンの木だと、褒めるのを何度も聞いているから。


 夏ミカンの実は、秋に黄色くなるけれど。
 他のミカンとそっくりだけれど、食べようとしたら失敗する実。
 名前の通りに夏が食べ頃、正確に言うなら初夏の頃。
 それまでは酸っぱいだけのミカンで、甘くなるのは冬を越してから。
(甘くなったら、マーマレード作りの季節ってな)
 沢山の実をもいで、キッチンに運んで、其処で始まるマーマレード作り。
 母がグツグツと大鍋で煮詰める、太陽の金色のマーマレード。
(本当に俺には馴染みの味で…)
 朝のテーブルには欠かせないんだ、と眺めるマーマレードの瓶。
 トーストと一緒に頬張った味も、多分、一種のおふくろの味。
 料理とは違うものだけど。
 それだけで一品になりはしなくて、トーストに塗ったり、料理のソースの隠し味にしたり。
(まさか、こいつがプレゼントになるとは思わなかったぞ)
 両親はマーマレードが出来上がる度に、「どうぞ」と配って回るけど。
 近所の人や友人たちにと、届けに出掛けてゆくのだけれど。
(俺もお使いに行ったもんだが…)
 マーマレードの瓶を抱えて、近所の家へ。
 隣町の家に住んでいた頃には、「こんにちは」とチャイムを鳴らして。
 けれどそこまで、あくまで「お使い」。
 自分の友達にプレゼントしたりはしなかった。
 家に来た友達が「美味いな」と褒めたら、母が土産に持たせた程度。
 プレゼントするのは父か母かで、自分は常に脇役だった。


 ところが、今では変わった事情。
 夏ミカンの実のマーマレードを小さなブルーが食べている。
 前の生から愛したブルーが、生まれ変わって再び出会えた恋人が。
(あいつ、ホントに気に入っちまって…)
 まるで宝物のような扱い、マーマレードは金色なだけで、黄金とは違うものなのに。
 本物の金では出来ていないのに、顔を輝かせた小さなブルー。
 両親からの贈り物だ、と初めて届けてやった日に。
 「俺の嫁さんになるお前にプレゼントだそうだ」と、両親の言葉を伝えた時に。
 それは嬉しそうに、マーマレードの瓶を見ていたブルー。
 表向きはブルーの両親への御礼だったのに。いつも御馳走になっているから。
(そのせいで、先に食われちまったんだっけな)
 ふと思い出して、零れた笑い。
 小さなブルーが開けるよりも前に、マーマレードの瓶を開けてしまっていた両親。
 「ぼくよりも先に食べられちゃった」と、泣きそうな顔をしていたブルー。
 まるでこの世の終わりのように。
(親父たちからのプレゼントだしなあ…)
 自分が思ったよりも遥かに、ブルーには大切だったのだろう。
 両親から預かって来たマーマレードが、最初の贈り物だった瓶が。
 「パパとママも気に入ってるから、直ぐ無くなるよ」と肩を落としていたブルー。
 せっかく貰ったマーマレードなのに、アッと言う間に無くなっちゃう、と。
 だから、急いで慰めてやった。
 隣町の家で毎年、山のように実る夏ミカン。
 マーマレードも山ほど出来るし、またプレゼントしてやると。
 気に入ったのなら、いくらでも、と。


(そして、その通りになったんだよなあ…)
 隣町で暮らす両親にも、報告したから。
 小さなブルーは気に入ったようだと、これからも届けてやりたいと。
 もちろん喜んでくれた両親、「いくらでも持って行くといい」と。
 だから今では、自分からブルーへのプレゼント。
 「おふくろのマーマレードを届けに来たぞ」と、「そろそろ無くなる頃だろう?」と。
 大喜びで受け取るブルー。
 「ありがとう!」と、「ハーレイのお母さんたちにもよろしくね」と。
 今朝もブルーは食べているだろう、自分と同じに、あの金色を。
 夏ミカンの実のマーマレードを、キツネ色のトーストにたっぷりと塗って。
(俺がマーマレードを届けに行くのは、いつもお使いだったんだがなあ…)
 今じゃ俺からのプレゼントだ、と浮かべた笑み。
 前の生から愛したブルーに、心をこめて。
 「お前の好きなマーマレードだ」と、「また持って来てやるからな」と。
 恋人に贈るマーマレード。
 両親の使いで行くのではなくて、自分のために。
 小さなブルーの喜ぶ顔を見たいから。
 「ありがとう!」と弾ける笑顔が、もう嬉しくてたまらないから。
 なんとも素敵な贈り物になった、幼い頃からの馴染みの味。
 当たり前のように朝のテーブルにあった、夏ミカンの金色のマーマレード。
 それを恋人に届けにゆくのが今の自分で、マーマレードは立派な贈り物。
 作っているのは母だけれども、それはプレゼントにありがちなこと。
 店で買った品物を贈るのだったら、自分の手作りではないのだから。
 菓子にしたって、食べ物にしたって、プロが作ったものだから。


 だからいいんだ、と頬を緩めたマーマレードのプレゼント。
(あいつも喜んでくれるんだしな?)
 もう最高のプレゼントなんだ、とトーストに塗ったマーマレード。
 この味がいいと、おふくろの味だが今はブルーも気に入りの味、と。
(また、その内に届けてやらんと…)
 新しい瓶を持って行ってやろう、と思い浮かべたブルーの顔。
 きっと今度も喜んでくれる、「ありがとう!」と瓶を抱き締めて。
 「お母さんたちにもよろしくね」と、それは愛くるしい笑みを湛えて。
 本当に最高のプレゼントだな、とマーマレードの瓶を眺めて頷いたけれど。
(…待てよ…?)
 小さなブルーがいつも口にする、両親への言葉。
 「よろしくね」と、「ハーレイのお母さんたちにも」と。
 もしかしたら、マーマレードを届けにゆくのは自分だけれども、ブルーの中では…。
(おふくろたちからのプレゼントなのか…!?)
 気付いた瞬間、そうだと分かった。
 ブルーだけでなくて、自分の両親の方もそのつもり。
 隣町の家に出掛けて行ったら、「ブルー君の分も」と持たされるから。
(俺は今でも、お使いだってか…?)
 マーマレードの瓶を届けに出掛ける先が変わっただけか、と苦笑するしかない現実。
 どうやら自分は変わらないらしい、隣町の家にいた頃と。
 近所の家へと瓶を抱えて、お使いに出掛けていた頃と。
(まあ、いいんだがな…)
 小さなブルーが、マーマレードを喜んで貰ってくれるなら。
 笑顔になってくれるのだったら、それでいい。
 「ハーレイも同じのを食べてるんだよね」と、「これが大好き」と。
 マーマレードが繋ぐ食卓、小さなブルーの家の朝食にも、この金色があるのなら…。

 

       マーマレードと俺・了


※ハーレイ先生には馴染みのマーマレード。今はブルーへのプレゼント。
 いそいそ届けているようですけど、お使いだったらしい実態。それでも幸せなんですよねv





拍手[0回]

(んーと…)
 喉が渇いた、と小さなブルーが見回した部屋。
 自分のためのお城だけれども、生憎と飲み物は置かれていない。
 クッキーなどの食べ物だって。
 ハーレイが来た時は、母が運んで来てくれるけれど、普段は置かれていないもの。
 紅茶が飲みたい気分なのに。
 カップに一杯、熱い紅茶を。そういう気分。
 ストレートでも、レモンティーでも、ミルクティーでもかまわないから。
(…おやつの時に、お茶…)
 飲まなかったっけ、と思い出した。
 学校から帰って、直ぐに食べたおやつ。母が焼いてくれた胡桃のタルト。
 「飲み物は?」と訊かれて、頭に浮かんだココア。
 ホットココアが欲しかったから、母に頼んで美味しく飲んだ。
 胡桃のタルトを味わいながら、熱いココアを。
(失敗しちゃった…)
 甘かったココアは、紅茶よりもずっと味が濃いから。
 ホイップクリームもたっぷり浮かんでいたから、もう充分だと覚えた満足。
 タルトも食べたし、ココアも飲んだ、と。
 けれども、今日の午後にあった体育の授業。
 負担にはならなかったのだけれど、弾んでいた息。
 あれから水を飲んではいない。
 ほんの少しだけ、授業が終わった直後に学校で喉を潤した。
 喉を傷めてしまわないよう、湿らせようと。
 それが最後の水分補給で、お次がココア。
 たった一杯しか飲まなかったココア、きっと水分不足だろう。
 紅茶を選ばなかったから。うっかりココアにしてしまったから。


 おやつに紅茶を選んだ時だと、母がポットを持ってくる。
 「はい、どうぞ」と。
 時間が経って紅茶が濃くなる時に備えて、差し湯のポットがつくことも。
 ポットの紅茶なら二杯は飲めるし、二杯飲んでもまだ残る。
 お湯を使えば四杯分以上になるだろう。
 流石にそんなに飲めないけれども、体育の授業が午後だった日は紅茶。
 身体がそういう気分だから。
 水を沢山、と思うから。
(だけど、失敗…)
 ハードではなかった今日の体育、息は弾んでも楽しかった。
 ごく簡単なマット運動、順番待ちの方が長かったから。
 マット運動も遊びのようなものだったから。
(身体、疲れていなかったから…)
 紅茶という気分がしなかった。
 どちらかと言えば甘い飲み物、そっちが欲しいと。
 だから選んだホットココア。
 今から思えば、ミルクティーにすべきだったのだろう。
 あれなら沢山飲めるから。
 砂糖を多めに入れてやったら、充分に甘くなるのだから。
 間違えて選んだ、おやつの飲み物。
 紅茶の代わりにホットココア。
 喉が渇いて、どうにもならない。
 部屋に飲み物は置いていないのに、見回したって出て来ないのに。


(ハーレイ、来るかな…)
 もしもハーレイが来てくれたならば、部屋に紅茶がやって来る。
 母が運んで来てくれる。
 ハーレイの分と、自分の分を。
 いつもだったらカップに一杯、そのくらいしか飲まないけれど。
 カップに半分の時もあるけれど、母はポットにたっぷり持ってくるから…。
(沢山飲めるよ、おかわりをして)
 そしたら飲める、と時計を眺めた。
 ハーレイが来るなら、あと少しだけの我慢だから、と。
 なのに、一向に来ないハーレイ。
 チャイムの音も聞こえて来ないし、窓から見たって車は来ない。
 前のハーレイのマントの緑をした車。ハーレイの愛車。
 たまに生垣の向こうを走ってゆくのは、違う色をした車ばかりで。
(…今日は駄目みたい…)
 もうこんな時間、と溜息が零れた時計の針が指す時間。
 ハーレイが来ないということは…。
(紅茶、持って来てくれないよ、ママ…)
 部屋にポツンと座っていたって、けして紅茶は届かない。
 扉を開けて「ママ、紅茶!」と叫べば、届くかもしれないけれど。
(…でも、来なさいって言われるよね?)
 多分そっち、とハッキリ分かる。
 この部屋は自分のお城だけれども、一人だけでは飲んだり食べたりしないから。
 ハーレイか、友達か、いわゆるゲスト。
 そういう誰かが来た時だけしか、紅茶のポットは届かないから。


 なんとも困った、乾いた喉。
 紅茶が飲みたい気分の喉。
 夕食は父が帰ってからだし、まだまだ先に決まっている。
(晩御飯まで待てないよ…)
 それまでに何か飲まなくちゃ、と諦めてお城の外に出た。
 階段を下りて、キッチンへ。
 紅茶は上手く淹れられないから、冷蔵庫の牛乳か何かでいいや、と。
 運が良ければジュースが入っているかもしれない。
 たまに朝食用にオレンジジュースなどを母が買うこともあるのだから。
(牛乳か、ジュース…)
 ホントは紅茶の気分なんだけど、と冷蔵庫を開けて覗いたら。
「あら、ブルー?」
 お腹空いたの、と母に訊かれた。夕食の支度をしていた母に。
「ううん、牛乳かジュース…」
 喉が渇いてしまったから、と冷蔵庫の中を覗き込んでいたら。
「…そんなのでいいの?」
 温かい飲み物の方がいいわよ、この時間なら。
 嫌でなければ、紅茶を淹れてあげるから、飲んで行ったら?
「ホント!?」
 淹れてくれるの、と喜んだ。
 早速、お湯を沸かしている母。
 「ちょっと待ってね」と、「ダイニングに持って行ってあげるから」と。


 思いがけなく淹れて貰えた紅茶。
 熱いポットと、差し湯を満たした小さなポット。
 好みで入れられるミルクもたっぷり、砂糖の壺も。
 母に「ありがとう」と御礼を言って、カップに注いだ香り高い紅茶。
 牛乳やジュースとは違う飲み物、ひと手間かかっている飲み物。
(ふふっ、ぼく用…)
 来て良かった、と傾けたカップの幸せの味。
 ミルクも加えたまろやかな紅茶、砂糖の甘みがとても優しい。
 牛乳やジュースではこうはいかない、ふうわりと幸せが広がりはしない。
 喉の渇きが癒えるだけのことで、それっきり。
 余韻も無ければ、口へと運ぶ楽しみも、きっと。
(紅茶を淹れて貰えて良かった…)
 ママだもんね、と浮かんだ笑み。
 きっと母なら、頼めば淹れてくれたのだろう。
 冷蔵庫を覗き込むよりも前に、「紅茶を淹れて」と言ったなら。
 忙しくしていても、手を止めて。
 「ちょっと待ってね」と、さっきのように。
 そして紅茶にありつけただろう、今の自分が飲んでいるように。
 熱い紅茶を満たしたポットと、差し湯のポット。
 ミルクも添えて、砂糖壺まで。
 本当だったら、お茶の時間はとっくに終わった後なのに。


 この幸せは母のお蔭だ、と嬉しくなった。
(ママ、優しいもの…)
 きっと母なら、これが夜中でも紅茶を淹れてくれるのだろう。
 もしも自分が欲しがったならば、母も必要だと判断したら。
 どんな時間でも、いつだって紅茶。
 熱い紅茶を淹れて貰えて、幸せたっぷりで飲めるのだろう。
(ママがいるから、いつだって…)
 紅茶でなくてもココアだって、と思った所で気が付いた。
 今の自分には当たり前の母、夕食の支度の途中でも紅茶を淹れてくれた母。
 学校から帰れば家にいてくれて、病気で休んでしまった時にもいてくれる母。
 すっかり当たり前になっているけれど、その母は…。
(…前のぼくには、いなかったんだよ…)
 母はもちろん、父だって。
 どちらも育ての親だっただけで、その記憶さえも失くしてしまった。
 シャングリラで暮らしていた頃の自分は、こんな風に紅茶を飲めなかった。
 「はい、どうぞ」と母が淹れてくれる紅茶。
 牛乳やジュースよりも紅茶の方が、と気遣ってくれる母は何処にもいなかった。
 今はいつだって、母の紅茶が飲めるのに。
 たとえ夜中に飲みたくなっても、それが身体のためならば。
 母もそれがいいと思ったならば。
 いつも、いつだって飲める母が淹れた紅茶。
 今の自分には母がいるから、本物の母がいてくれるから。


(ぼくって、とっても幸せなんだ…)
 前のぼくよりずっと幸せ、と眺め回したダイニング。
 もう少ししたら、母が夕食の準備をしにやって来るのだろう。
 テーブルの上を綺麗に拭いて、取り分けるためのお皿などを並べに。
 その時、自分がのんびり紅茶を飲んでいたなら、邪魔にならない所へ置きに。
(…準備が出来たら、パパが帰って来て…)
 母は夕食の仕上げを始める。
 熱い料理を、出来立ての料理を並べられるように。
 美味しい料理が、今日も幾つもテーブルに運ばれて来るのだろう。
 それまで紅茶を飲んでいたって、母は叱りはしないだろう。
 「晩御飯もちゃんと食べるのよ?」と注意するだけで。
 こんな時間でも飲んでいい紅茶、いつだって飲める母が淹れた紅茶。
(前のぼくだと、ママはいなくて…)
 紅茶を飲むなら自分で淹れるか、ハーレイが淹れるか、でなければ青の間の係の誰か。
 ハーレイには「紅茶が飲みたいな」と甘えられても、それはハーレイが恋人だから。
 今のハーレイにはまだ甘えられない、一緒に暮らしていないから。
 それに、前のハーレイは恋人である前にキャプテンで…。
(いつでも頼めはしなかったよ、紅茶…)
 キャプテンの仕事が優先だから。
 いくらソルジャーが偉い存在でも、ソルジャーの紅茶よりシャングリラの方が大切だから。
(今のぼくだと、ママが紅茶を淹れてくれて…)
 いつかはハーレイも淹れてくれるよ、と思ったら溢れた幸せな気持ち。
 今のハーレイなら、前のハーレイより時間に余裕があるだろうから。
(明日は仕事なんだが、って言っていたって…)
 母と同じに、夜中でも淹れてくれそうな紅茶。眠い目を擦りながらでも。
 なんて幸せなのだろう、と紅茶のお蔭で気付いた幸せな今。
 いつだってぼくは紅茶を飲めると、今はママで、いつかはハーレイだよねと…。

 

        いつだって飲める・了


※ブルー君が飲みたくなってしまった紅茶。お母さんに淹れて貰えて、幸せ一杯。
 それだけでも充分、幸せだったのに、気付いた前の自分との違い。もう最高に幸せですよねv





拍手[0回]

Copyright ©  -- つれづれシャングリラ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]