(今日ものんびり過ごしてたわけで…)
コーヒーは抜きというのが辛いトコだが、とハーレイが浮かべた苦笑い。
休日の夜に、いつもの書斎で。
机に愛用のマグカップ。中に満たした熱いコーヒー。
小さなブルーと過ごした一日、幸せな時間を恋人と満喫して来た日。
午前中から出掛けて行って、お茶に食事に、と。
今の生での話も色々、前の生での思い出話もしたりして。
(有意義で素晴らしい時間なんだが…)
コーヒー抜きというのがな、とカップのコーヒーを傾ける。
やっぱりこいつが美味いんだ、と。
紅茶には無い苦味と深み。それから香り。
(紅茶も悪くはないんだが…)
あちらにはあちらの魅力があって、と充分、分かっているけれど。
ブルーの母が淹れる紅茶は美味なものだし、香りも高いのだけれど。
(やっぱり、こっちが落ち着くってな)
なにしろ俺は前からコレで、と味と香りを楽しむコーヒー。
前の生でもそうだったけれど、今もコーヒー党だから。
コーヒーと紅茶、どちらが好きかと尋ねられたら、直ぐに「コーヒー」と答えるから。
けれども、ブルーは苦手なコーヒー。
前のブルーも今のブルーも同じに苦手で、だからコーヒーは滅多に出ない。
ブルーの家を訪ねて行ったら紅茶ばかりで、コーヒーは…。
(あいつのお父さんたちが…)
飲みたい気分になった時だけ、夕食の後で出されるだけ。
そしてブルーが膨れっ面になる、仲間外れにされてしまって。
一人だけ紅茶のカップを置かれて、それはそれは不満そうな顔。
だからといって、コーヒーを貰っても飲めないくせに。
砂糖とミルクをたっぷりと入れて、甘いホイップクリームも入れない限りは。
そんなわけだから、ブルーの家へと出掛ける休日、コーヒーは無い。
無いと思っておいた方がいい、余程でないと出て来ないから。
明らかにコーヒーと相性がいいと思えそうな料理、それが夕食に出た時だけ。
(普段だったら、あいつの親も…)
きっと遠慮なく、そういう食事をするのだろう。
食後は一杯の熱いコーヒー、それが似合いの夕食を。
ブルーには「ほら」と紅茶を渡しておいて、父と母とがコーヒーで。
長い年月、そうして来たに違いない。
小さなブルーが生まれる前から、両親はカップルなのだから。
ブルーが赤ん坊だった時やら、紅茶も飲めないチビだった時代。
食事をしながらブルーをあやして、あるいは同じテーブルに着いて、両親は好きな飲み物を。
そうやって育った小さなブルーは、きっと怒りはしないから。
両親が食後にコーヒーを美味しく飲んでいたって、それはいつもの光景だから。
「ぼくにはコーヒー、出さないでよ?」と自分から念を押しそうなほどに。
その苦いのは飲めないからと、ちゃんと紅茶を淹れて欲しいと。
(しかしだ、俺が其処に加わると…)
ガラリと変わってしまう事情。
小さなブルーは仲間外れで不満たらたら、子供らしく文句を言うものだから。
「紅茶、ぼくだけ?」と残念そうな顔をするものだから。
せっかくの和やかなお茶の時間に漂う不協和音。
(お父さんたちと俺の話が、弾んでいれば弾むほど…)
ブルーの顔にありありと浮かぶ、「コーヒーなんか」という不満そうな色。
なんだって今日はコーヒーなのかと、食後は紅茶でいいのにと。
もちろんブルーの両親も気付く、可愛い息子の不平と不満。
ゆえに避けられるコーヒーが似合う夕食のメニュー、ブルーのためにと。
多分、自分が行く日だけ。
両親しかいない食卓だったら、ブルーには慣れたことなのだから。
一人だけ紅茶を出されても。両親はコーヒーを楽しんでいても。
今日も出ないで終わったコーヒー、影も形も無かったコーヒー。
ひたすら紅茶ばかりの一日、夕食の後も出なかった。
(…ちょっとだけ期待してたんだがな?)
もしかしたら、と。
この料理ならばコーヒーも合うし、出て来るかも、と。
ブルーの両親は知っているから、コーヒー党だということを。
けれど外れてしまった期待。
いつもの通りに食後は紅茶で、小さなブルーの好みが優先。
両親にとっては可愛い一人息子な上に…。
(俺のいない日なら、コーヒー、飲み放題だしなあ…)
コーヒーも紅茶も合うメニューならば、自分がいる日は紅茶の方を選ぶだろう。
大事な息子が膨れっ面にならないように。
「ぼくだけ紅茶?」と零さなくても済むように。
だから出ないで終わったコーヒー、食後も紅茶が淹れられただけ。
お蔭で、帰ってから淹れたこのコーヒーが…。
(美味いんだ、実に)
生き返るような気がするな、と言いたいほどに。
これが飲みたかったと、この味だと。
(朝に飲んで、それっきりだしな?)
自分はコーヒー党なのに。
前の生でも、今の生でも変わりなく。
学校で仕事をしている時でも、休憩となればコーヒータイム。
コーヒーを好む同僚たちと飲んだり、一人でゆっくり楽しんだり。
(あいつと再会出来たのはいいが…)
コーヒー切れになっちまうんだ、と漏らした苦笑。
朝に飲んだら、後は夜までお別れだから。
いくら飲みたくても、コーヒーが出ないブルーの家。
運が良くても、コーヒーが飲めるのは夕食の後。
それまでは決して出ないのだから。
小さなブルーは愛おしいけれど、チビでも恋人なのだけれども。
(コーヒー切れはなあ…)
今の俺には辛いんだ、と嘆きたい気分。
青く蘇った水の星の上、生まれ変わって生きた年月。
前の自分の記憶が戻って来るまで、謳歌していた今の人生。
コーヒーを好む年になったら、飲みたい時に飲んでいた。
休み時間はもちろんのことで、家でも、出掛けて行った先でも。
(すっかりコーヒーに慣れちまったのに…)
まさかコーヒー断ちの刑を食らうとは、夢にも思っていなかった。
恋人の家に出掛けたが最後、夜まで飲めなくなるコーヒー。
(前の俺はよく我慢したなあ…)
あいつと恋人同士になってから何年なんだ、と折ってみた指。
今の自分が生きて来たより遥かに長い、その歳月。
よくもコーヒー断ちに耐えたと、流石はキャプテン・ハーレイだった、と舌を巻く。
俺ならとても耐えられはしないと、何処かでコッソリ飲むだろうと。
そうでなければブルーが怒っていたとしたって、「私はコーヒー党ですから」と宣言だとか。
(しかし、どっちもやらなかったわけで…)
ひたすらブルーに付き合い続けた、前の自分のお茶の時間。
紅茶党だった前のブルーと飲んでいた紅茶、コーヒーはたまに淹れただけ。
(…なんて忍耐力なんだ…)
本当に俺には真似が出来ん、と思った所で気が付いた。
キャプテン・ハーレイだった前の自分は、確かに忍耐強かったけれど。
(…キャプテンの仕事は、ブリッジ勤務…)
おまけに年中無休だった、と思い出した前の自分の職業。
ミュウの仲間を乗せた箱舟、楽園という名のシャングリラ。
その楽園の舵を握っていたから、土曜も日曜もあるわけがない。
纏まった休みがありはしないし、朝から晩まで青の間でブルーとお茶を飲むなど…。
(出来るわけがないんだ、そんな過ごし方…!)
何処かで行かねばならないブリッジ、キャプテンだった自分の職場。
行けない理由がない限り。…それこそ病気でもしない限りは。
(ブリッジ勤務をしてたってことは…)
何処かで休憩時間が入る。
長時間、一人で舵を握っている時であっても。
此処は自分にしか出来ない時だ、と懸命に舵を握った後には、必ずあった休憩時間。
「お疲れ様です」と誰かがコーヒーを淹れてくれたり、休憩室に出掛けたり。
そうでない日も、ブリッジにいれば巡ってくるのが休憩時間。
集中力を切らさないために、リフレッシュして仕事に取り組むために。
(…そういう時には、俺はコーヒー…)
淹れて貰ったり、自分で淹れたり、ホッと一息のコーヒータイム。
いつもコーヒーを口にしたのがキャプテン・ハーレイ、ブリッジ勤務の息抜きに。
つまりは、前の自分の場合は…。
(コーヒー切れは有り得なかったんだ…!)
ブルーと一日、一緒にいたりはしなかったから。
「またコーヒーかい?」と顔を顰めた前のブルーは、いつも一緒ではなかったから。
前の自分が何を飲もうが、自分の勝手。
嫌がるブルーがいないのだったら、コーヒーを好きに飲めるのだから。
(うーむ…)
前の俺はコーヒー断ちなどしていなかった、と気付いたけれど。
少し羨ましい気もするのだけれども、それを言ったら神様の罰が当たるだろう。
今はブリッジ勤務などは無くて、小さなブルーと午前中からずっと一緒で…。
(夜までコーヒー断ちでも、だな…)
のんびりとお茶で、食事で、お喋り。
ブリッジへ仕事に急ぐ代わりに、ブルーの部屋で椅子に座って。
贅沢すぎる時間を過ごしているらしいのが、自分だから。
その副産物がコーヒー断ちだから、不満を言っては駄目だろう。
休日があって、それをブルーと過ごすのだから。
コーヒー断ちがセットとはいえ、山ほどの時間をブルーと過ごしていられるのだから…。
山ほどの時間・了
※ブルー君の家に出掛けたら最後、コーヒー断ちになってしまうらしいハーレイ先生の休日。
前の生ではコーヒー断ちはしてないそうです、でもコーヒーより二人一緒の休日ですよね?
「ハーレイ、夜逃げの危機って何?」
小さなブルーに尋ねられたから、ハーレイの方が面食らった。
ブルーと二人で生まれ変わって来た、青い地球。
蘇った青い水の星は平和で、誰もが幸せに暮らしている時代。地球でなくても、広い宇宙で。
つまり「夜逃げ」などは、あるわけがなくて。
(…古い本でも読んだのか?)
きっとそうだな、と考えたから、穏やかな笑みを浮かべて返した。
「そんな言葉を何処で覚えた?」
夜逃げの危機とは穏やかじゃないが…。いつの時代の本なんだ?
前の俺たちが生きた時代も、今の時代も、夜逃げなんかは無い筈なんだが。
夜逃げの危機もな。
「えっと…。本じゃなくって…」
ブルーは赤い瞳を何度か瞬かせてから、「ホントにあるの?」と訊いて来た。
「夜逃げ」という言葉と「夜逃げの危機」。
そういう言葉は本当にあるのかと、遠い昔には有ったのかと。
「まあな。今の時代じゃ、とうに死語ってヤツなんだが…」
いや、古語なんだと言うべきか。
SD体制に入るよりも前は、そいつは存在していたからな。
それで、お前は何処でその言葉を知ったんだ?
夜逃げも、それに夜逃げの危機も。
「んーと…」
お告げかな?
ホントにそういう言葉があるなら、お告げなんだよ。
そうだと思う、とブルーが答えた「お告げ」なるもの。
お告げとくれば、それは神様が下さるもので。
どう転がったら小さなブルーが貰えるのかも不明な上に…。
(…夜逃げの危機だぞ?)
あまりに変だ、と思うけれども、今の状況をよくよく考えてみれば。
(ブルーは聖痕を持っているわけで…)
そのお蔭で再会出来たわけだし、自分とブルーの記憶も戻った。
遠い昔にはどう生きていたか、前の自分たちは誰だったのか。
つまりブルーは神から深く愛された存在、聖痕をその身に貰えるほどに。
ならば、お告げを貰うことだってあるだろう。
少々、いや、かなり物騒な中身だとはいえ、「夜逃げの危機」というお告げを。
(…相当にヤバイ感じだが…)
確認せねば、と思ったお告げ。
ブルーは何処でそれを聞いたか、どんな具合に貰ったのかを。
だから…。
「お前、そいつを何処で貰った?」
夜逃げの危機っていうお告げ。
誰がお前にくれたというんだ、その妙なヤツを。
「何処って…。夢の中だけど…」
夢で聞いたんだよ、夜逃げの危機だ、って。
このまま行ったら夜逃げなんだって。
ますますもって穏やかではない、夜逃げの危機。
「このまま行ったら」と前置きがあるなら、もう本物の夜逃げだろう。
借金がかさんでどうにもならないとか、毎日のように取り立てが押し掛けてくるだとか。
とてもマズイから、とにかく逃げる。
行き先も告げずにトンズラすること、それがいわゆる「夜逃げ」なる言葉。
いったい誰が夜逃げなのか、と寒くなった背筋。
お告げを聞いた、ブルーの身に危機が迫っているだとか…?
「…ブルー、聞かせてくれないか?」
誰が夜逃げをすると言うんだ、夜逃げの危機なのは誰なんだ?
「分かんないけど…。そう聞こえたよ?」
ぼくとハーレイがいる世界じゃなくって、此処を覗いている誰か。
楽しく見ていたらしいけれども、なんだかリーチでヤバイんだって。
「ふうむ…。そいつはよく分からんな」
「でしょ? ぼくにも全然、意味が分からなくて…」
だけど焦っているみたい。
夜逃げってなあに、どういうものなの?
「ああ、それはだな…」
ずっと昔の時代の話だ。
商売をやってて失敗するとか、借りた金が返せなくなるだとか。
今の時代は、そういう危険は無いわけだが…。
SD体制の時代にキッチリ作っちまったしな、セーフティーネットというヤツを。
だが、それよりも前の時代はそいつが無かった。
借金まみれで返せなくなったら、家を放り出して逃げるしかない。
しかし昼間に逃げて行ったら、誰かがしっかり見ていそうだろう?
それで真っ暗な夜の間にコッソリ逃げるというわけだ。
だから夜逃げで、夜逃げの危機っていうのも、もう分かるだろ?
此処まで言えば、と話してやったら、ブルーは「うん」と頷いた。
「分かった…。それじゃ、夜逃げの危機って人は…」
ぼくたちの世界に夢中になってて、借金が増えてしまったのかな?
覗く度にお金が必要なのかもしれないね。…ぼくたちの世界。
「それはあるかもしれないな。…拝観料っていうヤツで」
一度覗くにはこれだけです、と神様が集めているかもなあ…。
やっと蘇った地球なんだから。
他の世界から覗きに来る人がいたら、今までにかかった経費を頂くとかな。
「ありそうだよね、それ…」
神様だって、とっても大変だったんだろうし…。
滅びちゃった地球を作り直して、今みたいな青い地球にするのは。
タダで見るより、お金を払って下さいね、って言われそう。
きっと天使が料金箱を持ってるんだよ、「大人は一回これだけです」って。
子供だったら半額だとか、学生割引もありそうだよね。
「拝観料を払い過ぎたわけだな、夜逃げの危機だっていう奴は」
自業自得だ、自分の懐具合も把握出来ないようでは話にならん。
俺たちの世界を覗くのはいいが、覗きすぎちまって夜逃げの危機っていうのはなあ…。
「うん…。ぼくもそう思うよ、お小遣い帳、つけていなかったんだよ」
どれだけ減ったか、ちゃんと書いてたら大丈夫なのに…。
今月はこれだけ払っちゃったから、もう我慢、って覗かなかったら大丈夫なのに。
お小遣いの前借り、許して貰えなくなるよりも前に。
「まったくだ。もう馬鹿だとしか言いようがないな」
こんな世界を覗き過ぎちまって、夜逃げの危機に陥るなんて…。
だがまあ、夢の話だしな?
神様が拝観料を取りすぎるってこともないだろう。
夜逃げの危機だと叫んでる奴を、本物の夜逃げに追い込んだりはしないさ、うん。
お告げじゃなくって、ただの夢だな、と笑ったハーレイ。
「夢のお蔭で一つ知識が増えただろうが」と。
夜逃げという古語を覚えられたし、賢くなったと思っておけ、と。
「そっか、うんと昔の言葉だもんね!」
ハーレイ、それって古典の授業で出て来たりする?
有名なお話に出て来るんなら教えてよ、と小さなブルーは御機嫌で。
ハーレイの方も、「さてなあ…?」などと、自分の頭のデータベースを調査中だけれど。
二人揃って夜逃げを話題に、ブルーの部屋でお茶を楽しんでいるのだけれど…。
「マジでヤバイって…!」
もう本当に、と焦っている馬鹿が一人いた。
青い地球での、小さなブルーとハーレイのとても微笑ましい恋物語。
それをせっせと覗き込んでは、幸せに浸っている人間。
(もう大赤字…)
拝観料を支払い続けて、既に2年を超えたのだけれど。
少しでも回収しようと思って、自分が眺めた恋物語を下手な文章で綴るのだけれど。
それがサッパリ売れてくれない、滅多に読みに来て貰えない。
(pixivに置いてるチラシの方は…)
たまに手に取って貰えるというのに、肝心の店がサッパリだった。
2016年1月末で108話ほど並べた、「ハレブル別館」という名の本店。
そちらのお客は860名、たったそれだけ。
ショートが170話ほど並んだ、「つれづれシャングリラ」なる支店ときたら…。
(……84名様……)
営業開始から1年とはいえ、あまりに悲惨な営業成績。
本店も支店も大赤字どころか、何処から見たって倒産の危機で。
(激しくヤバすぎ…)
客を呼ぼうとした多角経営、そいつが更に引っ張った足。
従来の客まで逃がしたらしくて、先週、ついに閲覧者ゼロと相成った。
1週間の間に来た客がゼロで、「いらっしゃいませ」とも言えない有様。
(…ハレブル抱えて夜逃げするしか…)
ないんだろうか、と泣きたいキモチの大馬鹿が一人、マジで夜逃げの危機だけれども。
(倒産したって…)
覗きたいのが青い地球なわけで、生まれ変わったハーレイとブルーの恋物語。
質屋に散々通い続けて、もはやホームレス寸前なのに。
家とパソコンしか持っていなくて、食べる物にも困っているのに。
(…誰か、お客様…)
少しでいいから、お客様が来てくれないだろうかと、マジで誰か、と絶叫する馬鹿。
このまま行ったらマジで夜逃げだと、拝観料だってもう払えないと。
そんなこととは夢にも知らない、ハーレイとブルーはティータイム中。
遠い昔は存在していた「夜逃げ」について語り合いながら。
「差し押さえなんかもあったらしいな」
こう、ベタベタと赤札を貼られて、貼られた道具は使えないんだ。
「ふうん…? 赤い札なら、シャングリラに貼ったら目立ちそうだね」
赤と白だし、おめでたい感じがするじゃない。
あっ、でも…。差し押さえられたら使えないんだよね、シャングリラ…。
「そうなっちまうな、舵輪にもベッタリ貼られちまうんだ、赤札を」
昔は怖い時代だったんだよなあ、今はすっかり平和だが…。
お前が見ちまった変な夢にしても、仮に本当だとしたって、だ…。
計画性のない奴が悪いな、きちんと計算しないとな?
自分の財布の中身ってヤツも分からないんじゃ、本当に夜逃げになっちまう。
取り返せるといいんだがなあ、その借金。
俺たちはこんなに幸せなんだし、それを見過ぎて夜逃げなんかは、本当に可哀相だしな?
そうは言っても、来ないのがお客様だった。
倒産寸前の赤字サイトで、夜逃げの危機の馬鹿は叫び続ける。
「誰か助けて」と、「マジでヤバイ」と。
このまま行ったら本気で倒産、ハレブルを抱えて夜逃げしかないと。
pixivに置くためのチラシを刷るにも、先立つモノが要るんだから、と…。
夜逃げの危機です・了
※激しく赤字な、管理人の懐具合とやら。ここまで人が来ないというのが泣ける現実。
もうヤケクソだとネタにしたオチ、頭に「夜逃げ」って浮かんだから…。
(今日も握って貰ったんだけど…)
とても温かかったけれど、と小さなブルーが眺めた右手。
ハーレイが訪ねて来てくれた日の夜、お風呂上がりにパジャマ姿で。
一人、ベッドにチョコンと座って。
その手を温めてくれていた人は、とうに帰ってしまったから。
温かくて大きな手の持ち主は、自分の家へと帰ったから。
「またな」と軽く手を振って。
いつも右手を温めてくれる、その手で別れの合図をして。
ハーレイの家は何ブロックも離れた所で、手を伸ばしても届かない。
温かい手は此処には無くて、何ブロックも離れた所。
(今頃は、きっと…)
コーヒーを満たしたマグカップを持っているのだろう。
取っ手にしっかり指を通して、握っているのはマグカップ。
そうでなければ、白い羽根ペン。
日記を書こうと、インクに浸して。
恋人のことなど書いてくれない日記を、航宙日誌を書くかのように。
中身はせいぜい今日の天気と、出掛けていたということくらい。
「ブルーの家へ」と書いてはくれずに、「生徒の家へ」と。
(…どうせ、そういう書き方なんだよ…)
恋人どころか名前も書かずに、「生徒」とだけ。
前のハーレイの航宙日誌もそうだったっけ、と零れる溜息。
「俺の日記だ」と決して読ませてくれなかったから、あれこれ想像していた中身。
けれども、前の自分との恋は微塵も書かれていなかった。
だから今度の日記も同じで、書かれはしない恋のこと。
今日も二人で過ごしていたのに、右手も握って貰ったのに。
恋人同士で手を握り合うのとは少し違った、右手を握って貰うこと。
前の自分の悲しすぎた最期、それを和らげて貰うこと。
起こってしまったことは変わりはしないけど。
時の彼方に戻れはしないし、最期は変えられないけれど。
(でも、悲しくて辛かったんだよ…)
前の自分が失くしてしまった、右手に持っていたハーレイの温もり。
最後まで持っていたいと願って、それを貰って行ったのに。
別れ際に触れたハーレイの左腕から、そっと。
この温もりを持っていたなら、自分は一人ではないのだと。
けれど、落として失くしてしまった。
青い光が溢れるメギドの制御室で。
キースに撃たれた傷の痛みで、それに耐えるのが精一杯で。
(気が付いた時には、失くしちゃってた…)
最後に右の瞳を撃たれて、真っ赤に塗り潰された世界で。
半分だけになった視界が戻った時には無かった温もり。
ハーレイとの絆は切れてしまって、独りぼっちになっていた自分。
最後まで一緒の筈だったのに。
右手の温もりをしっかりと抱いて、永遠に眠る筈だったのに。
(前のぼく、泣いて…)
泣きじゃくりながら死んでしまった、独りぼっちで。
もうハーレイには二度と会えないと、死よりも恐ろしい絶望の中で。
それで終わりで、前の自分は消えたのに。
奇跡のように貰った新しい命と、新しい身体。
青く蘇った水の星の上で。
ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって、また巡り会えた。
絆は切れてしまっていなくて、恋の続きが始まったけれど。
幸せな日々が訪れたけれど、消えてくれない悲しい記憶。
右手が凍えたメギドでの最期、だからハーレイに強請ってしまう。
「温めてよ」と右手を差し出して。
大きな褐色の手で握って貰って、その温もりで包んで貰う。
前の自分が持っていた温もり、それは微かなものだったのに。
ハーレイは制服を纏っていたから、その腕から貰った温もりだから。
(ほんのちょっぴりだったんだよ…)
本当に僅かだった温もり、けれど大切だった温もり。
貰ったものより遥かに温かく、頼もしく感じられた温もり。
「此処にハーレイがいるんだから」と。
一人ではないと、ハーレイも一緒なのだから、と。
(ちょっぴりでも、とても温かかった…)
温かくて大切だったのに、と今でも思い出せる悲しみ。
失くしてしまって、独りぼっちで泣きながら死んだ時の悲しみ。
だからハーレイに強請ってしまう、「温めてよ」と。
今日も強請って、貰った温もり。
温かくて幸せだった時間を過ごして、お茶を飲んだり、食事をしたり。
そしてハーレイは帰ってしまった、「またな」と軽く手を振って。
何ブロックも離れた所へ、あの温かな手を連れて。
(今は、羽根ペンかマグカップ…)
それが独占しているのだろう、ハーレイの手を。
此処にあった時は、「温めてよ」と強請れば右手を優しく握ってくれたのに。
優しく包んでくれていたのに、あの手は帰って行ってしまった。
ハーレイと一緒に家に帰って、今は羽根ペンかマグカップの面倒を見ているのだろう。
自分はポツンと置いてゆかれて、独りぼっちになったのに。
両親がいる暖かな家でも、ハーレイは此処にいないのに。
(温めて欲しくても、あの手は無くて…)
羽根ペンかマグカップに盗られてしまった、温かな手を。
いつも温もりを分けてくれる手、好きでたまらない恋人の手を。
(いいな、マグカップは…)
それに羽根ペン、と羨ましくなるハーレイの持ち物。
ハーレイの家で一緒に暮らして、あの手で握って貰える物たち。
他にも幾つも、幾つもある筈。
新聞はその日限りの付き合いだけれど、本なら何度も手に取るだろうし…。
(お皿も、フォークも…)
ハーレイの温もりを貰い放題、あの手を独占し放題。
出番となったら、何度でも。
自分のようにポツンと置いてゆかれはしなくて、ハーレイが帰って来る家で。
留守にしていても、ちゃんと帰って来る家で。
(いいな…)
羨ましいな、と思い浮かべる本やお皿や、フォークやスプーン。
ハーレイの家にあるというだけで、何度も握って貰えるのだから。
大きなあの手で、温かくてがっしりしている手で。
羨ましい羽根ペンやマグカップたち。
ハーレイの家で暮らす物たち、どれもハーレイに握って貰える。
日記を書こうとしたなら羽根ペン、コーヒーを飲むならマグカップ。
食事をするならお皿やフォークで、本を読むなら、その日のお供をする本が。
(羽根ペンとかマグカップになりたいよ…)
いつでも握って貰えるんだもの、と眺めた自分の小さな右手。
ハーレイに置いてゆかれた手。
この家に置き去りにされてしまって、羽根ペンたちがハーレイと一緒。
「お帰りなさい」とハーレイを迎えて、日記を綴る役に立ったり、熱いコーヒーを満たしたり。
フォークやスプーンも、明日の朝にはきっと出番がやって来る。
あの大きな手に握って貰って、ソーセージやマーマレードを運んで。
(ぼくの手は握って貰えないのに…)
ハーレイの家に、自分は出掛けてゆけないから。
前と同じに育つまでは駄目で、行っても入れては貰えないから。
羨ましくてたまらない物たち、ハーレイの家に住む物たち。
マグカップも、羽根ペンも、色々な本も。
フォークもスプーンも、それにお皿も。
(ホントにいいな…)
いつもハーレイと一緒に暮らして、握って貰える色々な物。
自分は「またな」と置いてゆかれて、一人ポツンと座っているのに。
ハーレイと一緒に帰りたくても、連れて帰っては貰えないのに。
(ぼくの手、握って欲しいのに…)
昼間みたいに温めてよ、と心でどんなに呼んでみたって、いないハーレイ。
何ブロックも離れた所で、他の何かを握っているから。
羽根ペンだとか、マグカップとかを。
(いいな、羽根ペン…)
それにマグカップ、と思った所で気が付いた。
今は離れて暮らしているから、右手を握って貰えないけれど。
羽根ペンやマグカップにハーレイの手を盗られたけれども、きっといつかは…。
(ぼく、ハーレイと暮らすんだよね?)
前と同じに育ったら。
結婚出来る年になったら、ハーレイと結婚するのだから。
そしたら自分も、今の羽根ペンやマグカップたちと同じにハーレイの家に住む。
「お帰りなさい」とハーレイを迎えて、抱き付いてキスも出来る筈。
右手を握って貰うどころか…。
(一緒に食事で、一緒に眠って…)
身体ごと抱き締めて貰えるのだった、その時が来たら。
ハーレイは羽根ペンやマグカップたちよりも、自分の方を選んでくれる筈だから。
(ぼくとコーヒー、どっちが大事、って…)
尋ねた途端に、「お前に決まっているだろう!」と返って来そうな答え。
たとえ相手が日記でも。
「どっちが大事?」と訊いたなら。
きっといつかは、あの大きな手を独占できる時が来る筈。
羽根ペンよりも、マグカップよりも、大切に握って貰えそうな右手。
もう何年か経ったなら。
ハーレイと一緒に暮らす時が来たら。
(それに、家だけじゃなくて…)
外でも握って貰えるのだろう、「温めてよ」と強請らなくても。
手を繋いで二人でデートする時は、今よりもずっと幸せな気持ちで…。
(右手、握って貰えるよね?)
ハーレイと並んで歩くんだから、と胸がじんわり温かくなる。
早くその日が来るといいなと、いつも右手を握って貰って二人一緒に歩くんだもの、と。
あの手で握って貰えるのならば、右手でなくてもかまわない。
右手だろうが、左手だろうが、キュッと握ってくれるなら。
そんな気持ちさえしてくる不思議。
「右手でなくてもかまわないよね」と、「握ってくれる手はどっちでもいいよ」と。
きっとその頃には、右手に残った悲しみも消えて、幸せ一杯だろうから。
ハーレイと二人で並んで歩いて、二人一緒に暮らすのだから…。
握って欲しい手・了
※羽根ペンやマグカップが羨ましくなったブルー君。いつもハーレイに握って貰えるから、と。
でも、結婚したら握って貰い放題になるのがブルー君の右手。幸せな未来が待ってますv
(あいつの手…)
ずいぶん小さくなっちまった、とハーレイが眺めた自分の手。
ブルーの家へと出掛けて来た日に、夜の書斎で。
今日もブルーが「温めてよ」と強請った右手。
前の生の最後に冷たく凍えた、小さな右手。
(俺の温もりを失くして凍えた時には…)
小さくなかった筈なのに。
手の持ち主はソルジャー・ブルーだったから。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が愛していた人。
気高く美しかった恋人、生まれ変わって小さなブルーになった人。
(もっと大きな手だったよなあ…)
自分のように、武骨な手ではなかったけれど。
前の自分の記憶の中では、小さくて華奢な手なのだけれど。
(だが、あいつよりは大きい手なんだ)
それは間違いないことだ、と言い切れる。
十四歳にしかならないブルーは、まだ子供。
まだまだ幼い顔と同じで、手だって柔らかな子供の手。
前のブルーとは小ささが違う、華奢な手と幼い手とでは違う。
(俺が若けりゃ、違ったのか?)
今のブルーとそっくりだった、アルタミラで初めて出会ったブルー。
成長を止めていたブルー。
あの頃は自分も若い姿で、青年の姿だったから。
そういう姿で今のブルーに出会っていたら、と考えたけれど。
(…手の大きさは変わらんか…)
俺の方の、と苦笑い。
年を取ってはいなかっただけで、もう充分に大人だったのが当時の自分だったから。
自分の方の手の大きさは、前の生から変わらない。
青年だったか、今と同じに中年の姿だったかの違い。
(もっと年寄りになってたんなら、同じあいつの手でもだな…)
また感覚が違っただろうか、今のブルーの手を握ったら。
(ゼルやヒルマン並みの年寄りだったら…)
皺だらけの手で前のブルーの手を取っていたら、今の小さなブルーの手は…。
(孫みたいなもんかな、可愛らしくて)
ちょっと握ってみたかった、と浮かんだ考え。
どんなに愛らしい手なのだろうか、老いた手で握るブルーの手は。
愛くるしくて無垢な笑顔そのまま、日だまりのように暖かだろうか。
「温めてよ」とブルーが差し出してくる手、それは冷たくないのだから。
ブルーが温もりを恋しがるだけで、けして冷えてはいないのだから。
たまに、本当に冷たい時もあるけれど。
「どうしたんだ?」と驚かされることも、時によってはあるけれど。
(大抵は温かい手をしてるしな?)
孫みたいな手を握れたら、きっと幸せだろう。
「俺のブルーが帰って来た」と思う気持ちも、ひとしおだろう。
こんなに小さな紅葉のような手、孫かと思うくらいの手。
やっと帰って来てくれたのだと、これから大きく育つんだな、と。
小さなブルーが育つのを待つ、その楽しみも大きいだろう。
「今はこんなに小さいんだが、いずれ大きく育つんだしな?」と。
前のブルーと同じ姿に、気高く美しい人に。
(皺だらけの手で、あの手をなあ…)
いいだろうな、と広がる想像。
年を取るのは嫌いではないし、小さなブルーと出会わなかったら…。
(まだまだ年を取っていたんだ)
ゼルやヒルマンほどになったかどうかは分からないけれど、きっと重ねただろう年齢。
だから孫のようなブルーの手も取ってみたい、叶うものなら。
どんな感じか、キュッと握って。
「小さな手だな」と、「柔らかいな」と。
そうして菓子を握らせてやって…、と夢を膨らませていたのだけれど。
(待てよ…?)
皺だらけの手で、小さなブルーの手を握る夢。
今は絶対に出来はしないこと、今よりも年を取るということ。
(あいつ、怒るぞ…)
年を取るのはやめる、と約束したのだから。
前の自分とそっくり同じな今の姿を、このまま保ち続けるために。
なのに自分が年を取ったら、ブルーは間違いなく怒る。
「なんてことをしたの!」と、「元には戻れないんだよ!」と。
それに自分もきっと困ってしまうのだろう。
孫のようなブルーは可愛いけれども、結婚となったらどうなることか。
年の差が大きすぎるカップル、二人で街を歩いたとしても…。
(爺さんと孫にしか見えないよな?)
ブルーが前と同じに育ったとしても、自分がゼルやヒルマン並みの年寄りならば。
手を繋いで仲良く歩いていたって、祖父と孫にしか見えないだろう。
ちゃんと結婚したというのに、祖父と孫。
それは駄目だ、と自分でも分かる。
分かっているから止めた年齢、前の自分と同じ姿で。
ブルーの方はチビだけれども、まだまだこれから育つのだけれど。
小さなブルーの小さな手。
孫のような手を握りたいけれど、一度握ってみたいけれども。
(出来やしないぞ、どう考えても)
せめて前の俺の感覚だけでもあったなら…、と違う方へと向かった思考。
今の自分が皺だらけの手になれないのならば、前の自分にそういう記憶、と。
(あいつの手が小さくなっちまったことは分かるんだから…)
ちゃんと引き継がれている記憶。
キャプテン・ハーレイとして生きていた頃の、時の彼方の記憶と感覚。
前の自分が皺だらけの手を持っていたなら、それを頼りに想像出来る。
その手でブルーの手を握ったらと、今のブルーの愛らしい手をどう感じるかと。
(そっちだったら、あいつも別に怒りはしないし…)
夢を見るのも俺の勝手だ、と改めて眺めた自分の手。
今は年相応だけれども、皺だらけだったらどんな風かと。
(こんな具合に、こう皺が寄って…)
そういう手を持っていたならなあ…、と前の自分に思いを馳せた。
ゼルやヒルマンと肩を並べて年を取ったら、そんな手になっていたろうに、と。
皺だらけの手を持っていたのだろうし、その感覚を今に活かせる。
あの手でブルーの手を取ったならと、きっと可愛くて柔らかいんだ、と。
(この手で握るより、ずっと…)
愛おしいのに違いない。
なんと愛らしい手で戻って来たかと、生きて帰って来てくれたのかと。
生まれ変わりでも、ブルーは帰って来たのだから。
新しい身体と命を貰って、今の自分と生きてゆくために。
いつか大きく育った時には、自分と結婚するために。
その幸せが何十倍にも、何百倍にも膨らみそうなブルーの手。
孫のような手を実感出来たら、あの小さな手を握れたら。
けれど、生憎と持っていないのが皺だらけになった手の記憶。
前の自分は年を重ねはしなかったから。
今と変わらない姿で止めてしまった年齢、皺だらけの手は持っていなかった。
ゼルやヒルマンたちのお蔭で、容易に想像出来るだけ。
「こんな風だな」と、「こうなるだろう」と。
せっかくブルーが愛らしい手で帰って来たのに、どうやら握れないらしい。
前の自分の記憶と感覚、それを重ねて「可愛い手だ」と。
孫のようだと、なんと柔らかな手なのだろうか、と。
(俺にもお楽しみってヤツがだ…)
あればいいのに、と零れた溜息。
小さなブルーの手を握る時は、充分、幸せなのだけれども。
メギドで凍えた記憶を秘めた手、それを温めてやっている時は。
それでも今夜は欲張ってしまう、夢を描いてしまったから。
年老いた手でブルーの手を握ったらと、きっと幸せが何百倍にも、と。
幸せも、それに愛おしさも。
「本当に帰って来てくれたんだ」と、「俺のブルーだ」と。
皺だらけの手で握れたら。
孫のように思える小さな右手を、その感覚で手に取れたなら。
(なんだって、前の俺はだな…)
もう少し年を取らなかったんだ、と思った所で気が付いた。
青年ではなかった前の自分だけれども、前のブルーと育んだ恋。
白いシャングリラで二人、恋をして、こうして生まれ変わったけれど。
青い地球の上で出会ったけれども、前の自分が年寄りだったら。
ゼルやヒルマンのように年を重ねていたなら、ブルーとの恋はあったのだろうか?
気高く美しかったブルーと、年老いた自分との恋は。
(どうだったんだ…?)
恋は出来たと思うけれども、想いを寄せるだけだったとか。
自分だけがブルーに恋をしていて、ブルーは振り向きもしなかったとか。
(…俺が年寄りだと…)
あったかもしれない、そういうことも。
皺だらけの手はともかく、年老いた顔で、すっかり白髪。
もしかしたら禿げていたかもしれない、ゼルと同じに綺麗サッパリ。
そんな自分がブルーに恋を打ち明けてみても、ブルーの方は…。
(ありがとう、と答えるだけでだな…)
キスさえくれなかったとか。…くれても、額か頬にだったとか。
(それは大いに困るんだが…!)
一方通行で片想いの恋、ブルーの方では笑みを返してくれるだけ。
「ぼくも好きだよ」と言ってくれても、友情からのキス程度。
その可能性に思い至った、皺だらけの手から。
小さなブルーの孫のような手、それを握れたらと夢見たせいで。
(…あの手は握りたいんだが…)
皺だらけの手で、と思うけれども、あまりに危険すぎるから。
ブルーとの恋まで壊れそうだから、夢に留めておくべきだろう。
前の自分がブルーに振り向いて貰えなかったら、今の幸せは無いのだから。
小さなブルーの小さな右手を、温めてやることも出来ないから…。
握ってみたい手・了
※孫のような手を握ってみたい、と思ってしまったハーレイ先生。皺だらけの手で。
叶ったら幸せなんでしょうけど、ブルー君との恋が壊れそう。夢に留めて下さいねv
「駄目よ、グレイブ!」
そっちへ行っちゃ、とブルーの耳に届いた声。
(グレイブ?)
マードック大佐、と直ぐにピンと来た英雄の名前。
SD体制が崩壊した時、地球を救った偉大な軍人。
グランド・マザーが指示を下した、メギドによる地球の破壊を阻止して。
乗っていた船ごと体当たりをして沈めたメギド。
歴史の授業で必ず教わる、グレイブ・マードック大佐の名前。
写真も教科書に載っているから、今の自分も知っている顔。
(えーっと…?)
グレイブは何処、と振り返った学校からの帰り道。
路線バスを降りて家まで歩く途中で、この近所には…。
(グレイブって名前の子供、いないよ?)
きっと遊びに来た子供だろう、友達の家か親戚の家に。
母に連れられて、バスか徒歩かで。
グレイブは直ぐに見付かったけれど。
(……嘘……)
ちっとも似てない、と驚かされた幼い男の子。
眼鏡なんかはかけていないし、髪の色だって全く違う。
どちらかと言えばサムなのでは、と思うくらいに似ていない子供。
けれど、母の声も聞かずに走ってゆく子の名前はグレイブ。
何度も「グレイブ!」と呼んでいる母、「平気だもーん!」と走るグレイブ。
とうとう派手に転んでしまった、バランスを崩してアッと言う間に。
平気どころか、後は大泣き。「痛いよ」と「ママ」と、そればっかりで。
凄いグレイブだったんだけど、と帰り着いてからも思い出し笑い。
制服を脱いで着替える間も、おやつを食べる間にも。
(マードック大佐って、あんな子だったわけ…?)
まさかね、と可笑しくなってくる。
伝説の英雄は、教育ステーションにいた時代からエリートだったらしいから。
さっき出会ったような子供だと、エリートコースに入るどころか…。
(ジョミーみたいに叱られてばかりで、メンバーズなんて…)
夢のまた夢、と前の自分の記憶を眺める。
ジョミーもああいう子供だったと、小さい頃からその片鱗が、と。
(さっきのグレイブ…)
いったい誰の趣味なのだろうか、父親か、それとも母親か。
マードック大佐のファンも少なくない時代。
正義漢だったマードック大佐、おまけに女性に優しくもあった。
彼に最後までついていった女性がいたほどに。
メギドに突っ込むと分かっていた船、其処に残ったパイパー少尉。
そんな具合だから、子供に「グレイブ」と名付けたい親もいるだろう。
マードック大佐にあやかって。
強い子供に育って欲しいと、あるいは強くて優しい子に、と。
さっきの子供がどちらなのかは分からないけれど。
(でも、グレイブ…)
似てもいないのに、あの子はグレイブ、と零れる笑み。
どちらかと言えばジョミーなのにと、きっとそういう風に育つよ、と。
もっとも、ジョミーにも全く似てはいないのだけれど。
ジョミーよりかはサムに似た子で、金髪ですらもなかったけれど。
面白いよね、と戻った二階の自分の部屋。
勉強机に頬杖をついて、思い浮かべたさっきのグレイブ。
(中身はジョミーにそっくりな子でも…)
あの子の名前はグレイブのまま。
学校で「ジョミー」と渾名が付こうが、本名はグレイブなのだから。
クラスのムードメーカーになるような子に育ったって、名前はやっぱりグレイブのまま。
(グレイブらしくしろよ、って言われるんだよ)
きっと学校の先生に。
ジョミーが叱られていた先生よろしく、入った学校の先生に。
(ハーレイだったら、どう言うのかな?)
あのグレイブが育った生徒が、受け持ちのクラスに来たならば。
ジョミーみたいにヤンチャばかりで、叱る立場になったなら。
(おいこら、そこのマードック大佐、って…)
言いそうだな、と思ったハーレイ。
キャプテン・ハーレイだったことなど隠したままで、澄ました顔で。
「規律違反だ、軍法会議モノだな、それは」と、「軍法会議は今は無いがな」と。
それでも軍法会議にかけるぞ、と笑って脅かしそうなハーレイ。
「次の成績表が楽しみだよな?」と、「軍法会議は俺が開く」と。
如何にもやりそうなのがハーレイ、生徒の名前がグレイブならば。
「軍人だったら大人しくしろ」と、「成績、下げて欲しいのか?」と。
平和になった今の世界に、軍人などはいないのに。
軍法会議もありはしなくて、歴史かドラマの世界なのに。
(ハーレイがやったら、威厳たっぷり…)
なにしろキャプテン・ハーレイにそっくりだから。
キャプテンの制服を着ていないだけで、顔も髪型もそのままだから。
(人類軍じゃなくって、ミュウだけれども…)
あの時代の偉い人間だったことに変わりはないから、「軍法会議」と言っても似合う。
今のハーレイがそれを開いた結果が、さっきの子供の成績でも。
叱られてばかりの生徒のグレイブ、彼の古典が酷い評価になったとしても。
(キャプテン・ハーレイにやられちゃったら仕方ないよね)
きっと反省するのだろうし、新学期は頑張ることだろう。
軍法会議にかけられないよう、成績が元に戻るよう。
(グレイブ、ハーレイには気を付けてね?)
いつかハーレイに教わるのなら、と心で呼び掛けた幼いグレイブ。
帰り道で出会った男の子。
あの子のお蔭で面白かったと、想像の世界が広がったよ、と思ったけれど。
ハーレイだったら、軍法会議も似合いそうだと考えたけれど。
(ちょっと待ってよ…?)
マードック大佐に似ていない子がグレイブだったら、似たようなことは多いのだろう。
自分は出会っていないけれども、まるで似ていないジョミーやキース。
ヒルマンやゼルもいるかもしれない、憧れる人はいるのだから。
博識なヒルマンや、器用だったゼルに。
似合わない名前がついている子供や、大人が大勢いるのだったら…。
(ハーレイだって…)
違う名前になっていたかもしれない。
キャプテン・ハーレイに瓜二つなのに、もっと平凡な普通の名前。
前の生と同じウィリアムなんかはまだマシな方で、マイケルだとか。
ジェイムズやニールや、アーチーなんかも。
(ハーレイじゃなくて、ニールにアーチー…)
それはちょっと、と愕然とさせられたハーレイの名前。
前と全く同じ姿でも、名前がマイケル。
ジェイムズだったり、ニールだったり、アーチーだったり。
(どれもハーレイじゃないんだけれど…!)
ウィリアムですらもないんだけれど、と当てはめてみた恋人の名前。
前の自分は、ウィリアムの名前でハーレイを呼びはしなかった。
最初にハーレイが名乗った名前は、「ウィリアム」の方ではなかったから。
ハーレイ自身も、滅多にそちらを口にしたりはしなかったから。
(たまにヒルマンが呼んでたくらいで…)
誰もが「ハーレイ」と呼んでいた世界。
前の自分もそう呼んでいたし、ウィリアムはどうもしっくり来ない。
元からあったウィリアムでもその有様なのに…。
(マイケルでジェイムズでアーチーなの?)
おまけにニール、とハーレイの姿を思い描いても、少しも重なってくれないイメージ。
ハーレイじゃない、と。
それはそうだろう、そういう名前なら、最初から「ハーレイ」ではないのだから。
マイケルやジェイムズやアーチーだったり、ニールだったりするのだから。
(周りの人だって、きっと…)
「おい、マイケル!」と呼ぶのだろうし、アーチーもニールも、そういった感じ。
ハーレイ自身も「俺はジェイムズだ」と自己紹介したり、握手をしたりするのだろう。
それがごくごく当たり前のことで、自然なこと。
今のハーレイの名前がそれなら、動かし難い現実というもの。
ジェイムズだろうが、アーチーだろうが、ニールだろうが。
そんなハーレイはとても困る、と思ったけれども、起こり得たこと。
青い地球の上でまた巡り会えた、恋人の名前が違うということ。
「ただいま、ハーレイ」と呼び掛けたけれど、抱き締めてくれたハーレイだけれど。
そうやって自分を抱き締めながら、耳元で告げられていたかもしれない。
「今はニールだ」と、「今の俺の名前はニールなんだ」と。
皆の前ではそう呼んでくれと、特に学校では気を付けてくれ、と。
(ぼくも、とっても困るんだけど…)
ハーレイだって、きっと困惑するのだろう。
二人きりの時に「ハーレイ」と名前を呼んだなら。
今の名前の方が身近で、「ハーレイ」よりも馴染んだ名前だろうから。
もしかしたら、直ぐには分からないかもしれない、「自分のことだ」と。
「ねえ、ハーレイ」と呼び掛けたって。
今のハーレイの頭の中では、名前は「ニール」なのだから。
ジェイムズだったり、アーチーだったり、マイケルだったりするのだから。
(…そんなの、酷い…)
ぼくはハーレイのことが好きなのに、と泣きそうな気持ち。
それを想像しただけで。
「俺の名前はニールなんだが」とか、「ジェイムズなんだが」とか言うハーレイを。
ハーレイのことが好きなのに。
前の生から何度も何度も、繰り返し呼んだ名前なのに。
(でも、ハーレイは今もハーレイで…)
ハーレイのまま、とホッと零れた安堵の溜息。
ジェイムズでもニールでもアーチーでもない、今のハーレイ。
(マイケルだって御免だものね)
愛した人の名前が変わるだなんて、それを呼ばねばならないだなんて。
今もハーレイのままで良かった、と感謝した今日の帰り道の出来事。
あのグレイブに出会わなかったら、今も気付いていなかったから。
前と同じにハーレイと呼べる幸せに。恋人の名前が、今も昔も変わらないことに…。
君の名前・了
※ハーレイの名前が前と同じで良かった、とホッとしているブルー君。
そりゃそうですよね、せっかく再会出来たというのに別の名前なんて。同じ名前が一番ですv
ズラズラ鏤めた名前の一部は、海外ドラマの「ワンス・アポン・ア・タイム」から。
ちょこっとオマージュ、ミスター・ゴールドと息子のニールに捧ぐ。
