(もっと早くに目が覚めてたら…)
せっかく飛んで行けたのに、と小さなブルーは肩を落とした。
メギドの悪夢を見てしまった夜、瞬間移動で飛んでしまったハーレイの家。
悪夢を見た後、泣きながら眠って、そのまま無意識に瞬間移動。
何も知らずに眠ったままで。夢の一つも見ないままで。
ブルーにとっては二度目の訪問、チャイムも押さずに飛び込んだ家。
しかもベッドに飛び込んだ。ハーレイが眠っていたベッドに。
「大きくなるまで来てはいけない」と言ったハーレイが眠るベッドに。
狙ったつもりは無かったけれども、きっとハーレイに惹かれて飛んだ。
温もりが欲しくて飛び込んで行った、自分の中の前の自分が。
前の自分が意識していたか、そうでないかは分からないけども。
とにかく、そうして飛んで行った家。
大きくなるまで行けはしないと、入れて貰えないと諦めていた家に飛び込んだ。
駄目だと止める声も無ければ、放り出されることも無いまま。
何の邪魔も全く入らないまま、ハーレイの家へ、ハーレイが眠るベッドの中へ。
最高だとしか言えない幸運、まさに幸運そのものだけれど。
(なんにも覚えていないだなんて…!)
ホッとしたことは覚えている。
眠りながら安心していたことも。
此処は安全だと、暖かくて幸せな場所なのだと。
けれどそれだけ、他には少しも残っていない記憶。
ハーレイの温もりも、朝までくっついて眠っていたらしい身体の逞しさも。
(ぼくのバカ…!)
どうして目を覚まさなかったのだろう。
ほんの一瞬、目を開けていたら、全ては違っていたのだろうに。
ハーレイのベッドで眠っていたのに、朝までぐっすり眠ったのに。
神様はなんと意地悪なのだろう。
夢にまで見そうなハーレイの家へ連れて行ってはくれたけれども、そこでおしまい。
ハーレイの寝顔も見られなかったし、寝息も聞こえてこなかった。
いや、正確には聞きそびれた。
安心し切って眠っていたから、夢の世界の住人になってしまっていたから。
(ほんのちょっぴり、目を開けていたら…)
ウトウトしながら夢の外の世界を覗いていたら。
そうしたらきっと、違うと気付いた。自分のベッドではないと分かった。
何かが居ると手探りしてみて、ハーレイのパジャマか何かに触れて。
そうなっていたら、夢の世界は消えてしまっていただろう。
驚いて起きたか、あるいは欠伸か伸びでもしたか。
意識は目覚める方向へ向いて、夢の世界から抜け出して…。
(色々と体験出来たんだよ、きっと)
ハーレイが深く眠っていたなら、どんな寝顔か覗き込むとか。
寝息を聞くとか、胸の鼓動を聞いてみるとか、考えただけでワクワクすること。
胸がドキドキするようなこと。
けれども自分は起きるどころか朝までぐっすり、何も知らずに眠りこけた。
ハーレイの寝息の一つも聞かずに、鼓動の一つも聞かないままに。
(バカバカ、寝ちゃったぼくのバカ…!)
起きていれば、と後悔しきりで、もう泣きそうな気持ちだけれど。
ハーレイの家には飛んでゆけなくて、意識して飛べるものではなくて。
仕方ないから、次のチャンスに賭けるしかないと自分に誓った。
この次に、もしも飛べたなら。
ハーレイの家に、ハーレイのベッドに飛んでゆけたら、今度は起きよう。
そしてハーレイの寝息を、鼓動を、心ゆくまで味わってみよう。
次のチャンスが来たならば、きっと…。
眠っていたから・了
※ハーレイ先生が眠るベッドに飛び込んでしまったブルー君。
きっと悔しくてたまらないのです、自分がぐっすり寝てたことがねv
(どうも慣れんな…)
軽すぎるからだな、とハーレイは右手のペンを眺めた。
白い羽根ペン、ブルーからの誕生日プレゼント。
小さなブルーはこれを贈りたいと思ったらしいけれども、買おうと出掛けたようだけれども。
生憎と子供には高すぎる値段、買えずに手ぶらで帰る羽目になった。
勇んで出掛けた百貨店から。羽根ペンを買おうと入って行った文具売り場から。
それでもブルーは諦め切れずに、夏休みの明るい日射しの中でも悩み続けて。
なんとか羽根ペンを買えないものかと考え続けて、とうとう瞳に憂いの色。
まさか羽根ペンのせいとは思わないから、ブルーも口にはしないから。
何の悩みかとこちらも悩んで、折を見て訊けば、理由は羽根ペン。
(恋の悩みなんだと思ってたがなあ…)
小さなブルーにありがちな悩み、本当の恋が出来ない自分自身への恨み節。
背丈が足りなくてキスも出来ないとか、本物の恋人同士になれないだとか。
その手の悩みなら切って捨てようと思っていたのが、なんと羽根ペン。
誕生日に贈りたいけれども予算が足りない、と悩み続けていたブルー。
お小遣いの一ヶ月分ではとても買えないと、貯金を使えば買えるけれど、と。
けれども、貯金を崩さねばならないような品は、子供が買うには高すぎるという意味だから。
それではハーレイも困るだろうと、贈られても困ってしまうだろうと。
頭では無理だと分かっているのに、羽根ペンを諦められなかったブルー。
贈りたいと思っていてくれたブルー。
いじらしくて、そして愛おしくて。
羽根ペンを贈らせてやりたくなった。ブルーから羽根ペンを貰いたくなった。
だからブルーの予算の分だけ、出して貰った羽根ペン代。
残りは自分で全部払った。買いに行くのも自分で出掛けた。
ギフト用にと包んで貰って、迎えた自分の誕生日。
羽根ペンの箱をブルーの家に持ってゆき、ブルーの手から贈って貰った。
「おめでとう」と、三十八歳の誕生日を祝う言葉と共に。
その日から、羽根ペンは書斎の机に置かれたけれど。
インク壺や吸い取り紙と一緒に並べて、前の自分の机の一部が其処に再現されたけれども。
(…どうにも扱いにくいんだ…)
羽根だからな、と呟いた。
なにしろ羽根ペン、羽根で出来たペン。軸の部分が丸ごと羽根。
「羽根のように軽い」と言うくらいだから、羽根ペンの軸も当然、軽い。
愛用していたペンとは重さがまるで違うし、感覚が狂うと言うべきか。
おまけに書くのにひと手間かかる。
ペンの先こそ万年筆と瓜二つの顔をしているけれども、そこからインクは出てこない。
ペン先をインクの壺に浸して、ようやく書くための準備が整う。
長い文を書くなら、途中で補給。インクに浸して足してやらねば書けない文字。
そういう仕組みになった羽根ペン、軽すぎる上に手間までかかる。
(前の俺はよっぽど慣れていたんだなあ…)
こんな厄介な代物に、と溜息をついてから気が付いた。
前の自分と羽根ペンの付き合いが長かったことに、百年ではとても足りないことに。
(石の上にも三年か…)
三年もかかりはしないだろう。この羽根ペンに慣れるまでには。
毎日せっせと使っていたなら、きっと早いに違いないから。
(まずは練習ありきだな)
千里の道も一歩からだ、と羽根ペンの先をインクに浸けた。
毎晩、日記をつける時には書く練習をしているから。
今夜も羽根ペンを使う練習、書く練習。
そうしてスラスラと書けるようになれば、日記も羽根ペンで書くつもり。
前の自分が航宙日誌を羽根ペンで書いていたように。
(…こんなもんかな)
今日はここまで、と練習を終えて結びの言葉の代わりに書いた。
「ブルー」と、小さなブルーの名前を。
この羽根ペンを贈りたいと願って、贈ってくれたブルーの名前を。
まだ扱いに慣れないペンでも、これだけは書ける。
誰よりも愛しい人の名前は、この名前だけは、まるで魔法の呪文のように…。
軽すぎるペン・了
※ハーレイ先生が貰った羽根ペン、きっと最初はこういう感じで使うのでしょう。
練習に何を書いているのか、ちょっと覗いてみたいですよねv
(あんまりだよ…)
どうしてなの、とブルーは膝を抱えて俯いたけれど。
ベッドの上でしょげたけれども、どうしようもない残酷な事実。
「駄目だ」と言われてしまったキス。
ハーレイにキスを断られた。よりにもよって再会のキスを。
ようやっと巡り会えたのに。長い長い時を越えて出会ったというのに、断られたキス。
(せっかくハーレイと会えたのに…)
もう二度と会えないと思った恋人。
メギドに向かって飛び立つ前に、これが最後だと触れたハーレイの腕。
その温もりを覚えておこうと思った。最後まで持っていようと右手に握った。
けれど失くしてしまった温もり。撃たれた痛みが消してしまった温もり。
独りぼっちだと、もうハーレイには会えないのだと泣きながら死んだ。
もう会えないと泣きじゃくりながら。
ところが、気付いたら地球の上に居た。
あんなにも焦がれた青い地球の上に、今の自分の身体があった。
その上、目の前にハーレイの姿。
身体に現れた聖痕の痛みで意識は薄れていったけれども、ハーレイの記憶と交差した記憶。
流れ出し、流れ込んで来た膨大な記憶。
その瞬間に思い出した。全てを、自分が誰であるかを。ハーレイは自分の何だったかを。
痛みのあまりに失った意識。
目覚めた時には病院のベッドで、もうハーレイはいなかった。
学校へ戻ってしまっていた。
其処で仕事が待っているから。ハーレイは教師だったから。
それでも再び会えた事実は、けして揺らぎはしないから。
ハーレイは姿を消しはしないし、自分も消えるわけではないから。
後は待つだけだと思って待った。
二人、再会を喜び合う時を、抱き合って感慨に浸る時を。
それなのに、現実は残酷すぎた。
病院から家に帰して貰って、部屋でハーレイを待っていたのに。
大事を取って寝かされたベッドで待ち続けたのに。
仕事が終わって来てくれたハーレイに「ただいま」と、「帰って来たよ」と告げたのに。
(抱き合えた所までは良かったんだよ…)
やっと会えたと、また会えたのだとハーレイと二人、固く抱き合った。
そうして言葉を交わす間に、来てしまった母。紅茶とクッキーを運んで来た母。
再会のキスを交わすよりも前に、まだそこまでもいかない内に。
逃してしまった再会のキス。唇と唇が重なるキス。
最初のチャンスこそ逃したけれども、仕切り直せばいいと思った。
ハーレイは何処へも行きはしないし、自分だって消えはしないのだから。
(…そういうムードになった時に、って思ったのに…)
ゆっくりとキスを交わせる時間。二人きりの世界。
それさえあればと、再会のキスを今度こそ、とハーレイの首に腕を回したのに。
「駄目だ」と一言、断られたキス。
子供だからと、子供にキスは早すぎるのだと。
(酷いよ、ハーレイ…)
巡り会えたのに、出来ないキス。断られてしまった、唇へのキス。
再会のキスは叶わなかった。夢物語に終わってしまった。
前の生で別れて、また会えたのに。
青い地球の上に生まれ変わって、奇跡のように再会できたのに。
(キス無しだなんて…)
これでは片手落ちだと思う。
神様は酷いと、ハーレイも酷いと、小さなブルーは膝を抱えて蹲る。
して欲しかったキス、再会を互いに喜び合うキス。
とても悔しくて、唇を噛むしかないのだけれど。
(また、きっといつか…)
チャンスはある筈、と思い直した。
巡り会えた恋人、前の生からの絆の続き。
再会のキスを、喜びのキスを交わすチャンスもあるだろう。
だから懲りずに強請ることにしよう。キスしてと、ぼくにキスをして、と…。
断られたキス・了
※ハーレイ先生にキスして貰えないブルー君。禁止されちゃっていますけど…。
再会のキスも出来なかったんだよね、とガッカリな気分を書きましたv
(よし、久しぶりに…)
洗ってやるぞ、とハーレイは愛車をポンと叩いた。
小さなブルーと再会してから、週末は大抵、出掛けていたから。
ブルーの家へと出向いていたから、洗えなかった車。
もちろん洗ってやってはいた。
愛車なのだし、汚れたままにはさせられない。
なにしろ汚れが目立つ色の車、前の自分のマントの色。
埃がついたら一目で分かる。
それを綺麗に乗ってやるのが好きだった。
汚れてきたな、と思えば休日にせっせと洗ってやっていた。自分の手で。
ところがブルーと出会ってしまって、そうそう時間が取れなくなって。
車を洗ってやれなくなった。
自分の手では、自分の家のガレージでは、とても。
けれども大事な車だから。大切に乗ってやりたいから。
「すまないな」と謝りながらも、プロに任せて洗って貰った。
俺が洗ってやれなくてすまんと、暫くは我慢してくれと。
そうして迎えた、よく晴れた週末。
いつもよりずっと早い時間に目が覚めた。
ブルーの家に出掛けてゆくには早すぎる時間に、気持ち良く。
(飯を食っても時間が余るぞ…)
軽くジョギングでも、と考えかけて気が付いた。ハタと思い出した。
ガレージに停めてある、あの緑色の車のことを。
(あいつを洗ってやればいいんだ)
ジョギングにゆくのも気持ちいいけれど、車も気持ち良くなりたいだろう。
ピカピカに洗って欲しいだろう。
ついこの間、プロに任せたばかりだけれど。
洗車を頼んだばかりだけれども、洗ってやりたい、自分の手で。
(うん、充分に…)
時間はあるな、と腹ごしらえから。
(腹が減っては戦が出来ぬ、と言うからな)
トーストを焼いて、ソーセージにオムレツ、もちろんサラダも。
時計はまだまだ早い時間で、朝の日射しも眩しいから。
もう絶好の洗車日和というものだ。
朝からピカピカ、車だってきっと最高の気分になってくれるだろう。
(生憎と今日は乗らないんだがな)
ブルーの家には運動を兼ねて歩いてゆくから。
天気のいい日には歩いてゆこうと決めているから、今日は乗らない車だけれど。
(すまなかったな、俺が洗ってやれなくて)
今日は洗ってやるからな、と洗車用のホースを持ち出した。
乗れる間は大切に乗ってやりたい車。
いつかブルーが大きくなったら、最初のドライブに行きたい車。
まだまだお世話になりたい愛車なのだし、心をこめて洗ってやろう。
洗車のプロに任せておくより、やはり自分の手でピカピカに。
(いつかは、あいつと洗うのもいいな)
ブルーが大きくなったなら。
「大事に洗ってやってくれよ」と声を掛けながら、二人で洗車。
そんな休日もいいだろう。
今はまだ一人で洗うけれども、ブルーの家へと出掛ける前の洗車だけれど。
ピカピカに洗って、綺麗にして。
大切に乗ってやりたい車。
いつかブルーとドライブするまで、ブルーと二人で洗える日まで。
「よろしく頼むぞ」
ずっと元気に走ってくれよ、と車を洗う。週末の朝に、今日は乗らない緑色の愛車を…。
洗車・了
※ハーレイ先生の愛車。汚れが目立ちそうな色なんですよね、綺麗ですけど。
大切な車を洗ってピカピカ。ハーレイ先生、きっと御機嫌v
とても痛かったんだけど。
とっても、とっても痛かったけれど、ぼくの大事な宝物。
ぼくの身体に現れた聖痕、前のぼくがキースに撃たれた傷痕。
痛くて気絶しちゃったけれども、あれがハーレイを連れて来てくれた。
ハーレイともう一度会わせてくれた。この地球の上で。
(痛かったんだけどね…)
チビのぼくには痛すぎた傷。
前のぼくはきっと、とっても我慢強かったんだ。
気絶しないでメギドを沈めた。
あんなに沢山撃たれたのに。最後は右目まで撃たれたのに。
(でも、前のぼくだって…)
傷は頑張って耐えたけれども、痛みにはちゃんと勝ったんだけれど。
大切なものを失くしてしまった。
あまりに痛くて、傷の痛みが酷すぎて。
右手に持ってたハーレイの温もり、それを落として失くしてしまった。
(今のぼくは気絶しちゃったけれど…)
ハーレイが駆け寄って来てくれていたのも、ろくに覚えていやしない。
抱き起こしてくれたのも、記憶が曖昧。
救急車の中でハーレイが手を握って励ましてくれたらしいけど…。
「大丈夫だからな」「すぐ病院に着くからな」って、声を掛けてくれてたらしいんだけど。
それはなんにも覚えていないし、声も温もりも覚えていない。
ハーレイが握ってくれていた筈の手のことも、何もかも、まるで。
だけどハーレイは握ってくれていたんだ、気絶しちゃったぼくの手を。
前のぼくが温もりを落として失くした、その手を、きっと。
(ハーレイの温もり…)
聖痕はとっても痛かったけれど、ぼくから温もりを奪わなかった。
奪う代わりに返してくれた。
温もりだけじゃなくって、ハーレイを丸ごと。
前のぼくが失くした温もりをくれる、ハーレイを丸ごと連れて来てくれた。
だから聖痕は、ぼくの宝物。
痛いのは二度と御免だけれども、ぼくの大事な宝物。
(それに、聖痕…)
また起こさないように、っていう理由で守り役になってくれたハーレイ。
それも無期限、いつまでも側にいてくれる。
ぼくに聖痕が出来ちゃったから。
(ホントのホントに痛かったけど…)
前のぼくはホントに痛い目に遭ったし、大切なものを失くしたけれど。
同じ傷の痕が、ずうっと後になってから宝物になるって知っていたなら…。
(右手、凍えなかったのかな?)
いつかハーレイとまた出会えるよ、って分かっていたら。
独りぼっちでも、泣きじゃくらないで微笑んで死んでいったんだろうか…?
またハーレイと会えるんだ、って。
(きっと、そう…)
そうなんだろうと思うから。
撃たれちゃったぼくに、前のぼくに教えてあげたいけれど。
ぼくの声はきっと届かない。
届くわけがないから、そうっと宝物を抱き締める。
ハーレイを連れて来てくれた傷痕、会わせてくれた大事な聖痕。
撃たれた時には痛いだけだった、あの傷とそっくり同じに出来てる、ぼくの聖痕。
もう二度と浮かびはしないけれども、聖痕は大切な宝物だから…。
痛かったけれど・了
※チビのブルー君には痛すぎた聖痕、気絶しちゃったわけですけれど。
こんな感じで宝物です、痛かったのとは別みたいですよ?