(はてさて、どのくらいあるのやらなあ…)
かなり離れているんだが、とハーレイが見上げた頭上の夜空。
アルタイルにベガ、それからデネブ。
ひときわ明るい星が描いた夏の大三角形、地球ならではの星の共演。
アルタイルは彦星、ベガは織姫。
何度も何度も授業で教えてきたけれど。
七夕の度に古典の授業で語ったけれども、今年の夜空は去年までとは違って見えた。
前の自分の遠い記憶が戻ったから。
キャプテン・ハーレイだった頃の自分が、自分の中に帰って来たから。
(アルタイルにもベガにも、地球は無くて、だ…)
白いシャングリラで旅をした宇宙。地球を探して彷徨った宇宙。
地球を擁するソル太陽系が何処にあるのか分からないままに、座標も掴めないままに。
幾つも幾つも星を巡った、銀河系の中の恒星たちを。
その星が地球を連れてはいないかと、青い水の星が其処に無いかと。
アルタイルもベガもそうして訪れ、地球は無かったと肩を落とした。
これも違ったと、かの星は何処にあるのだろうかと。
そうやって前の自分が巡った星たち、それが遥かな頭上に輝く。
足の下にはかつて探した青い地球。
前の自分はついに見られず、死の星だったと落胆した地球。あの頃は無かった青い星。
其処に自分は生まれて来た上、こうして空を仰いでいる。
夏の大三角形が綺麗に見えると、あれが彦星であれが織姫、と。
変われば変わるものだと思った、庭の真ん中に立ち尽くしたままで。
黒々とした木々が宿す闇やら、夜気に包まれた緑の葉たちが放つ香りやら。
どれも本物の地球にあるもので、自分は地球にやって来た。
前の生で愛して、失くしたブルーも青い地球の上に生まれて来た。
二人、巡り合って、今は教師と生徒だけれど。
それでも同じに恋人同士で、キスすら出来ないというだけのことで。
ブルーがあまりに小さいから。
十四歳にしかならない子供で、前と同じに愛し合うには心も身体も幼いから。
そんなブルーと話した七夕、授業で語った話の続き。
ブルーは自分たちを七夕の星になぞらえた、年に一度しか会えないわけではないけれど。
もしもそうだったら、どうだったろうと。
年に一度しか会えない恋人同士で、その七夕に雨が降ったらどうしようかと。
七夕の夜にカササギが翼を並べて作ると伝わる橋。
天の川を渡って会うための橋は、雨が降ったら架からない。
七夕の夜に降る雨のことを催涙雨と呼ぶ、カササギの橋が架からない雨を。
会えないと嘆く恋人たちの涙が雨になって降るとか、恋人たちが泣くからだとか。
そういう雨が降るのは嫌だと、悲しすぎると訴えたブルー。
小さなブルーが悲しそうだから、会えないなど自分も嫌だから。
前の自分がブルーを失くした時の思いも重ねてしまって、本当に嫌だと思ったから。
(泳いで渡ると言ったんだよなあ…)
自分たちの間に天の川があれば、年に一度しか会えないのならば。
その日を逃すともう会えないのに、天の川が溢れていたならば。
カササギの橋が架からないなら、自分は泳いで渡ることにすると。
ブルーの許まで泳ぎ渡って、何としてでも会いにゆくからと。
アルタイルとベガ、夜空に輝く二つの星たち。
前の自分が白いシャングリラで訪ねた恒星、あれは星だときちんと分かっているけれど。
あれもそれぞれ太陽なのだと分かるけれども、今の自分には彦星と織姫。
この庭からは天の川までは見えないけれど。
天の川もまた星で出来ていると知っているけれど、抱く思いが去年とは違う。
キャプテン・ハーレイだった自分とも違う、恒星を人になぞらえるなど。
あれは彦星と織姫なのだと、そう思って星を見上げるなど。
それぞれの星に自分とブルーを、恋人同士の互いの姿を重ねようとは…。
去年までは出会っていなかったブルー、存在さえも知りはしなかった。
この地球の上に前の生から愛した人がいることさえも。
なのに出会った、そして七夕の話を交わした、天の川で隔てられたらどうしようかと。
泳いで渡ると言ってしまった、小さなブルーに。
(泳ぐのはかまわないんだが…)
今の自分は馴染んだ水泳、学生時代は選手でもあった。
もしも自分が彦星だったら、雨でカササギの橋が架からなければ、泳ぐけれども。
ブルーが待っている向こう岸へと泳ぐけれども、その天の川。
どれほどの幅があるものなのかと、二つの星たちの間を見上げる。
あそこに天の川が流れていると、さて川の幅はどれほどなのか、と。
キャプテン・ハーレイだった自分ならば呆れることだろう。
アルタイルとベガの間を泳ぎ渡るなど、有り得ないと。
どれほどの距離だと思っているのだと、白いシャングリラでもどれだけかかったのかと。
生身で宇宙を渡ることなど、タイプ・ブルーでなければ出来ない。
それは分かっているのだけれども、ブルーに泳ぐと誓ったから。
今の自分が泳ぎ渡るのは宇宙ではなくて、夜空を流れる天の川だから。
(泳いで泳げんことはないんだ、彦星ならな)
天の川を渡って出会う恋人たちの片割れ、それが自分であるならば。
向こう岸にブルーが待っているなら、きっと自分は泳いで渡れる。
アルタイルとベガの間に横たわる川を、星たちで出来た川の流れを。
天の川に飛び込み、向こう岸へと泳いでゆこう。
川が溢れて渡れないなら、カササギの橋が無いのなら。
けしてブルーを泣かせはしないし、見事に泳ぎ渡ってみせる。
そしてブルーを強く抱き締める、泳いで来たぞと、待たせてすまんと。
濡れた服のままで、髪からも水が滴るままで。
(…水も滴るいい男、ってな)
文字通りだな、と可笑しくなった。
きっとブルーも笑ってくれる、「水も滴るいい男だろう?」と言ったなら。
濡れ鼠でもこれがいい男だぞと、言葉通りに水が滴ると。
(そうだな、そんな逢瀬がいいな)
天の川が如何に広かろうとも、泳ぐのに難儀しようとも。
泳ぎ渡ったら笑い合いたい、幸せな時を過ごしたい。
苦労したとは一言も言わず、年に一度の時を楽しもう、やっと恋人に会えたのだから。
待って待ち焦がれていてくれただろう、ブルーとの逢瀬なのだから。
けれど、欲張っていいのなら。
(…彦星と織姫になるよりはだな…)
いつでも会える二人がいい。
年に一度の逢瀬ではなくて、いつでも共にいられる恋人。
天の川を泳ぐ覚悟は充分あるのだけれども、やはりブルーと一緒にいたい。
今度こそ二人、離れることなく、何処までも手を繋ぎ合って…。
天の川を泳ごう・了
※ハーレイがブルーに「泳いで渡る」と誓った天の川。二人の間にあったら、ですが。
けれど一年に一度の逢瀬よりかは、いつも一緒がいいですよねv
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