『可哀相な動物』
「ねえ、ハーレイ。…可哀相だとは思わない?」
いきなりぶつけられた問い。
ハーレイは鳶色の目を訝しげに細め、「何がだ?」と訊いた。
「いったい何が可哀相なんだ、怪我をした鳥でもいたというのか?」
学校の帰り道で見たのか、と尋ねたら。
「ううん、鳥よりもずっと大きなもの」
このくらいかな、と小さなブルーが広げた両腕。
もう一杯に広げているから、鳥などではないと一目で分かった。
犬にしたって大きすぎるし、ブルーは何を見たのだろう?
サッパリ謎だ、と見詰めたけれども、ブルーの方は。
「この大きさで分からない?」
これだけだよ、と強調する。自分の両腕を広げたサイズを。
いくらブルーが小さくても。チビだと言っても、両腕の分。
それを一杯に広げた大きさ、そんな生き物はそうそういないから。
動物園に行くか、牧場に行くか、そのくらいしか思い付かないから。
はてさてブルーはいつの間に出掛けたのだろうか、と思う。
今日のような週末は大抵、自分が此処に来ているのに。
出掛けてゆく暇は無い筈なのに。
(学校の遠足…)
それも考えたが、その学校は自分の職場。
小さなブルーの学年が遠足に行っていないことは直ぐに分かった。
動物園も牧場もブルーは見ていない筈で、そうなってくると…。
(ニュースか何か…)
きっとそういうものだと思った、だからブルーに訊き返した。
「その可哀相なヤツっていうのは、何処にいるんだ?」
「これだけ言っても分からないの?」
呆れた、とブルーは目を丸くして。
「…可哀相な筈だよ、この大きさの生き物が…」
「はあ?」
ますます分からん、と首を捻ったハーレイだけれど。
小さなブルーは「これだけだってば!」と、また手を広げて。
「両手を一杯に広げた大きさ、身長と同じだって言うじゃない!」
「…それで?」
「だから、ぼくだよ、可哀相なの!」
ハーレイにキスもして貰えないから可哀相だ、と主張された。
とても可哀相な動物なのだと、たまには同情してやってくれと。
けれども、キスは贈れないから。唇へのキスは厳禁だから。
「知らんな」と紅茶のカップを傾けておいた、涼しい顔で。
可哀相な動物は膨れたけれども、かまわない。
自分で「可哀相だ」と言い出す分だけ、我儘な動物なのだから。
甘えん坊なだけで、可哀相ではないのだから…。
可哀相な動物・了
「ねえ、ハーレイ…」
温めてくれる? とブルーが右手を差し出した。
ハーレイと向かい合わせで座ったテーブル、その上に手を。
「かまわないが…。暑くないのか?」
夏なんだが、と苦笑いをしながら手を取るハーレイ。
褐色の大きな両の手でそうっと、包み込むように。
まるで宝物を包むかのように、ブルーの小さな右の手を、そっと。
前の生でブルーが失くした温もり、落として失くしてしまった温もり。
キースに撃たれた傷の痛みで、メギドで撃たれた傷の痛みで。
最後まで持っていたいと願ったハーレイの温もりを失くしたブルー。
右の手から消えてしまった温もり、ブルーは独りぼっちになった。
ハーレイの温もりを失くして、独り。
もう会えないのだと泣きながら死んだ、たった一人で。一人きりで。
そんな悲しい記憶があるから、今でも忘れられないから。
小さなブルーは温もりを求める、ぼくの右の手を温めて、と。
出会ったばかりの五月の初めの頃なら、肌寒い夜もあったけれども。
今では季節はすっかりと夏で、夏真っ盛りの夏休み。
なのにブルーは右手を差し出す、「温めてくれる?」と。
そう願う気持ちは分かるけれども、いくらでも温めてやりたいけども。
(…夏なんだしな?)
季節を思えば、今の幸せな日々を思えば少し意地悪したくなる。
悪戯心が頭をもたげる。
小さなブルーと青い地球の上、それは幸せな毎日だから。
共に暮らせはしないけれども、引き裂かれることはもう無いのだから。
懸命に温もりを求めなくとも、ブルーは一人ではないのだから。
外は暑い夏、命の輝きが眩しい季節。
ちょっぴりブルーを苛めてみようか、小さなブルーを。
「なあ、ブルー…。俺は思うんだが」
「なあに?」
どうしたの、とブルーが首を傾げるから。
「こうして右手を温めなくても、部屋の冷房…」
切っちまって窓を開けようじゃないか、と提案してやった。
そうすれば充分に暖かいぞ、と。
「嫌だよ、それ!」
暖かいんじゃなくって暑いの間違い、とブルーが叫ぶから。
暑くて嫌だと騒ぎ出すから、パチンと片目を瞑ってやる。
ただの冗談だと、この手は俺が温めてやる、と…。
温もりが欲しい・了
週末、ブルーの家を訪ねたハーレイだったけれど。
ブルーの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせに座ったけれど。
「あっ…!」
上がった、ブルーの小さな悲鳴。
フルーツタルトの上を飾っていたベリーがコロンと落っこちた。
食べようとしていたブルーの手から。
フォークの上からポロリと零れて、床の上へと。
「やっちゃった…」
小さなブルーは椅子から屈んで、赤いベリーを拾い上げて。
そのままカチンと固まった。
指先でベリーをつまんだままで。
けれども瞳は動いているから。
ハーレイを見たり、タルトを見たり。
指先の赤いベリーを見たりと、忙しい瞳。忙しない瞳。
(ふうむ…)
ブルーが言いたいことは分かった。
考えているだろうことも、すっかり分かった。
心を読むまでもなく、手に取るように。
固まったブルーと、指先のベリーと、その瞳だけで。
だから優しく促してやる。
「食ってもいいぞ」と。
拾い上げたベリーを食べてもいいと、美味しいベリーなのだから、と。
「ホント!?」
食べてもいいの、とブルーの瞳が輝いた。
落っこちてしまったベリーだけれども、食べていいのかと。
「いいさ、お前のベリーだろうが」
「でも…。ぼく、床に…」
落としちゃったよ、落っことしちゃった。
拾い上げて食べるの、とてもお行儀が悪いんでしょ?
パパとママに注意されてるよ。他所の家ではやっちゃ駄目だ、って。
今はお客様の前なんだし…、と小さなブルーが悩んでいるから。
本当に食べても大丈夫なのかと、つまんだベリーを眺めているから。
「おいおい、俺がお客様ってか?」
今更だろうが、と微笑んでやった。俺はお前の何だった? と。
「…ぼくの恋人…」
「ほらな、お客様とは違うだろうが」
家族並みだ、と笑みを湛える。いつかは家族になる予定だし、と。
遠慮などしないで食べてしまえと。
「それとも、お前。俺を客扱いしたいのか?」
「ううん、ちっとも!」
そっか、家族になるんだよね、とブルーはベリーを頬張った。
パクリと、それは嬉しそうに。
行儀が悪くても、恋人の前。落ちたベリーでも食べていいんだ、と…。
小さな躊躇い・了
「すまん、少し外す」
すぐ戻るから、とブルーの部屋から出て行ったハーレイ。
階段を下りてゆく足音がした後、静かになってしまったから。
(ハーレイ、まだかな…?)
一人残されたブルーは部屋の扉をそうっと開けた。
けれども聞こえない、ハーレイの声。母の声もしない。
(…リビングかな?)
リビングに入ってしまったのなら、もう聞こえない。
話の中身が聞こえはしない。
(ちょっと残念…)
何か楽しい計画だったら、コッソリ盗み聞きしたかったのに。
サプライズは無くなってしまうけれども、少しでも早く知りたいのに。
(でも…)
単なる相談事かもしれない。
明日もハーレイは訪ねて来ることに決まっているから、そのことで。
少し遅れるとか、早めに帰るから夕食の支度は要らないだとか。
(遅れるのも、早めの帰りも嫌だな…)
そういう相談ではありませんように、と扉を閉めて祈っていたら。
階段を上がる足音が耳に届いた。
ハーレイの足だと、その足音だと直ぐに分かる音が。
(ママの足音より重いんだよ)
それにゆっくり、と頬が緩んだ。
心なしか母よりもゆっくりに聞こえる、ハーレイが階段を上がる音。
母に案内されて来る時も、そういった風な足音がする。
同じ速さで階段を上がっている筈なのに。
母より遅れてはいないのに。
(もしかして、身体が大きいから?)
そうかもしれない、落ち着いた音だと自分の耳が感じるから。
今だって、そう。
すぐに戻ると言ったからには、ゆっくりと歩く筈がないのに。
(でも…)
もしかしたら、ゆっくり歩くのだろうか?
小さな自分と一緒の時間はつまらないから、わざとゆっくり。
(まさかね…?)
急に心配になって来た。
もしもそうなら、と確かめようと扉を開けたら。
「なんだ、どうした?」
目の前に立っていたハーレイ。
その瞳には「遅くなってすまん」と書いてあったから。
「すまん、待たせたか?」と言われたから。
「ううん、なんでもない…!」
ブルーの心配は吹き飛んだ。
ハーレイがわざと、ゆっくりと歩くわけがない。
こんな笑顔をくれるのだから、すまんと詫びてくれるのだから…。
足音・了
夏だけれども、もうピッタリとくっつくには暑い季節だけれど。
小さなブルーはハーレイの膝の上に座るのが好きで、何よりも好きで。
今日も膝の上、母の姿が見えなくなるなり膝の上。
「ふふっ、あったかい」
ハーレイの身体は温かい、とブルーが頬を寄せてくるから。
胸にくっついて甘えてくるから、ハーレイは銀色の髪を撫でながら。
「温かいどころか、外は暑いと思うがな?」
健康的に外へ出ようじゃないか、と提案してみる。
庭の白いテーブルと椅子に行こうと、もっと身体が温まるぞ、と。
「嫌だよ、それじゃ暑いだけだもの」
温かいんじゃなくて暑いだけだよ、とブルーは唇を尖らせた。
部屋の中は冷房が効いて涼しいけれども、外は暑いと。
「だからこそ外へ出るんじゃないか。お前、温まりたいんだろ?」
「それはハーレイ限定だから!」
この温もりが好きなんだから、とギュッと抱き付く。
遠い昔にこれを失くしたと、その分を身体中で取り戻すのだと。
「右手だけより、身体中だよ。あったかいのがいいんだよ」
「お前なあ…。今の季節が分かってるのか?」
傍目にも暑苦しいと思うが、とハーレイが苦言を呈すれば。
「えっ、素敵だと思うけど?」
うんと素敵、と答えが返った。
きっと誰もが羨ましがるよ、と。
「どう素敵なんだ?」
この格好が、と抱き付いているブルーを見下ろして訊くと。
「暑苦しいんじゃなくって、熱々」
そう言うんでしょ、と小さなブルーは微笑んだ。
こんな風にピッタリくっつき合っている恋人たちを。
彼らの姿をそう呼ぶのだろう、と。
「熱々って…。どう見ても甘えるチビでしかないが?」
「いいんだってば、ホントに恋人同士なんだし!」
パパやママにも秘密の恋人同士なんだよ、とブルーはクスクスと笑う。
人目を忍んで会っているのだと、熱々なのだと。
「暑苦しいの間違いだろうと思うがな?」
「そう思うのって、ハーレイだけだよ」
ぼくの気分は熱々だから、とブルーはギュウッと強く抱き付いた。
暑い夏でも、恋人の胸にくっついていれば幸せだから。
前の自分が失くした分まで、温もりを取り戻したいのだから、と。
熱々の季節・了