「ハーレイは好き嫌いが無いんだよね?」
確か一つも、と尋ねた小さなブルー。
向かい合わせで座ったテーブル、ブルーの部屋で。
「そうだが…。親父たちに躾けられたってわけでもないのにな」
お前もそうだろ、と浮かべてみせた苦笑い。
好き嫌いは全く無いんだよな、と。
小さなブルーは身体も弱いし、如何にも好き嫌いが多そうなのに。
意外にも全く好き嫌いが無い、頑丈な身体の自分と同じで。
原因はどうやら、前の生。
二人揃ってアルタミラの地獄で生きていたから、そうなったらしい。
食べられるだけで幸せなのだと、何を食べても美味しいと。
ブルーの場合は例外も少しあるけれど。
酒とコーヒーは苦手だけれども、単なる嗜好品だから。
好き嫌いには入らないだろう、この二つは。
ところが、困ったような表情のブルー。
暫く迷って、赤い瞳がパチパチして。
「えっとね…。ぼく、食べられないものがあったみたいで…」
どうしてもそれは無理みたい。
好き嫌いなんかしていちゃ駄目だ、と思うんだけど…。
「なんだって? そんな食べ物があったのか、お前」
まさか、と目を丸くしたのだけれども、ブルーの方は暗い顔をして。
「…ホントに食べられないんだよ…」
挑戦しようとか、それ以前の問題。
食べなくちゃ駄目だと思っているけど、食べられないから…。
駄目だよね、とブルーは俯いた。
食べられないものがあるだなんて、と。
「お前なあ…。前のお前はどうだったんだ、それは」
食べていたのか、と確かめてみれば「うん」という返事。
「前のぼくはちゃんと食べられたんだよ、だけど今は駄目」
「おいおい…。そいつはいかんな、前は食えたというのなら」
今度もきちんと食べないと、と軽く睨んだ。
それでは大きくなれやしないぞ、と。
「やっぱり、ハーレイもそう思う?」
これじゃ駄目かな、とブルーが訊くから。
「当たり前だろう、好き嫌いがあるなら克服しないと」
頑張って食べられるように努力をしろ、と腕組みをした。
そんなことではチビのままだと、背が伸びないと。
「…そっか…。じゃあ、ハーレイも協力してくれる?」
一人じゃ頑張れそうもないから、と縋るような視線。
ぼくと一緒に食べてくれる、と。
それでブルーが食べようという気になるのなら。
苦手なものでも挑戦するなら、お安い御用というものだから。
「よしきた。今度、一緒に食ってやる」
「ありがとう! でも、今すぐでもいいんだけれど…」
「はあ?」
ブルーの苦手は何なのだろう、テーブルの上にはお茶とお菓子だけ。
どれが駄目なのだ、と眺めていたら。
「ハーレイのキスが食べられないんだよ、どう頑張っても!」
苦手を克服、と自分の唇を指差したブルー。
食べられるように努力するから、ぼくにキスして、と。
「馬鹿野郎!」
それは苦手なままでいい、と額をコツンと小突いてやった。
まだまだ苦手でかまわないと。
食べられなくても困りはしないと、お前にキスはまだ早いんだ、と…。
苦手を克服・了
(前と同じだと思うんだけど…)
変わらない筈だと思うんだけど、と小さなブルーが見詰めたもの。
自分の部屋で、椅子にチョコンと腰掛けて。
テーブルを挟んだ向こう側を見る、其処に座った恋人の姿。
(何処から見たって、前のままだよ?)
服が違っているくらい、と赤い瞳でまじまじと。
ハーレイは何処も変わっていないけれど、と。
前の生で自分が愛した恋人、愛してくれたキャプテン・ハーレイ。
今では自分の学校の教師、それに聖痕を持った自分の守り役。
肩書きこそ変わってしまったけれども、姿形は同じだと思う。
がっしりとした身体も、褐色の肌も、金色の髪も。
(全部、おんなじ…)
今も向けられている優しい視線。
それをくれる鳶色の瞳も、前の自分の記憶そのまま。
何処も変わっていないというのに、変わってしまったハーレイの中身。
こうして二人きりで向かい合っていても、ハーレイの目は…。
(恋人じゃなくって、チビを見てるんだよ)
口では「俺のブルーだ」と言ってくれるけれど、それは言葉だけ。
言葉に見合ったものをくれない、行動が何も伴わない。
愛を交わすのは無理だとしたって、キスくらいはしてくれなければ。
本当に恋人だと思っているなら、「俺のブルーだ」と言うのなら。
顎を捉えてキスの一つもしてくれなくては駄目だと思う。
(…ハーレイの目には、チビが見えているから…)
そのせいなのだと分かってはいる、ハーレイがキスをくれない理由。
自分があまりに幼いから。
十四歳にしかならない子供だから。
けれど、中身は前の自分と変わらない。
ソルジャー・ブルーだった頃の記憶も持っているのに、チビ扱い。
それが解せない、どうしてそういうことになるのか。
ハーレイは何処も変わっていないと思うのに…。
「なんだ、俺の顔がどうかしたのか?」
その恋人に尋ねられたから。
「…顔じゃなくって、ハーレイの目かな…」
「俺の目だと?」
何処か変か、と瞬く鳶色の瞳。
「うん、ちょっと…」
変だと思う、と切り出した。
その目は何処かおかしくないか、と。
「赤くなってるか?」
擦ったつもりはないんだが、と首を捻っている恋人。
「ううん、見た目は変わらないけど…。見え方が変」
「はあ?」
「ぼくがチビにしか見えないだなんて、絶対に変だと思うけど…」
だってハーレイの恋人なんだよ、と大真面目な顔で言ったのに。
前と同じに見えないなんて、と指摘したのに。
「ふうむ…。ならば、眼科に行くとするかな」
今日は帰って、と立ち上がろうとするから、慌てて止めた。
「待ってよ、なんで眼科になるの!?」
「俺にはチビしか見えないわけだし、そいつを治療しに行かんとな」
目が治ったらまた来るから、とハーレイは帰るふりをするから。
諦めるしかない、チビに見える目。
帰られてしまって会えないよりかは、一緒の方がいいのだから…。
チビに見える目・了
「えーっと…」
鏡の向こうの自分を眺めて、頬っぺたをチョンとつついてみて。
「よし!」とブルーは満足そうな笑みを浮かべる。
十四歳の子供の柔らかな頬。
自分で言うのもどうだろうかとは思うけれども。
(…食べ頃だよね?)
今が旬だと思うから。きっと美味しい筈なのだから。
そんなわけだから、今日は朝から自信たっぷり。
早くハーレイが来ないものかと、何度も窓から外を眺めて。
やっと来てくれた恋人を迎えて、テーブルを挟んで向かい合わせで。
「ねえ、ハーレイ。…食べ物の旬って、大切だよね?」
旬の食べ物が一番だよね、と尋ねてみれば。
「もちろんだ。そいつが料理の基本だってな」
大事なことだぞ、と応える料理が上手な今のハーレイ。
白いシャングリラには無かった料理も、あれこれと作る器用な恋人。
ハーレイは早速、披露し始めた、今の季節なら何が旬かと。
魚ならこれで、より美味しさを引き出す料理がこれだとか。
野菜だったらこんな具合で、そのままでも良し、煮るのも良し、と。
「要はアレだな、旬の食べ物は身体にもいいということだ」
美味しく食べて健康づくりだ、お前には持ってこいだと思うが。
お母さんも色々作ってくれてるだろう、と言われたから。
「うん、だから大事だってこと、知ってるんだよ」
旬の間に食べるのが一番、と微笑んだら。
「偉いぞ、その調子で頑張るんだな」と褒められたから。
頭をクシャリと撫でられたから。
「ぼくも頑張るけど、早く大きくなりたいんだけど…」
だけど旬が、と俯き加減でチラリと見上げた恋人の顔。
このままだと旬を過ぎちゃいそうで、と。
「…はあ? 旬が過ぎるって、なんの話だ?」
これからが美味い季節なんだが、とハーレイは夏の食べ物を挙げる。
魚に野菜に、それから果物。
夏の日射しをたっぷりと浴びて育つ野菜や、海が育む魚たちや。
「んーと…。そういうのは来年も旬だろうけど…」
「そりゃまあ、なあ? 来年の夏も美味いだろうさ」
ついでに今年の旬は今から、と語る恋人、料理も順に挙げてゆくから。
「そういうのじゃなくて、ぼくの旬だよ」
今が食べ頃、と自分の顔を指差した。
来年だったら育ってしまって、きっと食べ頃を逃すから、と。
「…なんだと?」
「だから、食べ頃! 今のチビのぼく!」
美味しい筈だから、味見しない? と自信満々で言ったのに。
ゴツンと頭に降って来た拳、顰めっ面になったハーレイ。
「お前の食べ頃はまだまだ先だ」と、「育ってからだ」と。
そして額も指先でピンと弾かれる。
「チビのくせに」と、「お前の旬など、ずっと先だ」と…。
今が食べ頃・了
「ねえ、ハーレイ。…ひょっとして、下手くそになっちゃった?」
膝の上にチョコンと座ったブルーに、愛くるしい瞳で見詰められて。
ハーレイは「はあ?」と首を傾げた。
「下手って…。何がだ?」
そんなことを言われる覚えなど無い。
「下手になった?」と訊かれそうなものの心当たりもない。
今の自分の得意と言ったら柔道に水泳、そんな所で。
どちらもブルーとは無縁の代物、腕前を知っているわけがない。
下手になろうが上達しようが、判断がつくとも思えない。
意味が不明なブルーの質問、愛らしい顔で見上げるブルー。
桜色の唇が「えっとね…」と言葉を紡ぎ出して。
「もしかしたら、下手になっちゃったのかな、って…」
「だから、何がだ? 何が下手になると言うんだ、俺が」
お前は何も知らない筈だが、と顔を顰めてしまったハーレイ。
柔道も水泳も、俺の腕など知らないだろうが、と。
「うん、知らない。…それに見たって分からないしね」
多分、と答えた小さなブルー。
勝ったか負けたか、そのくらいしか分からないよ、と。
「だったら、何がどう下手になったと言いたいんだ、お前?」
俺の授業は分かりにくいか、と軽く睨んだ。
自信を持って教えているのに、少々自信が揺らぎそうだが、と。
「んーと…。ハーレイの授業は分かりやすいよ、教えるのは上手」
他の先生よりずっと上手、と褒められて悪い気はしないけれども。
そうなると、ますます分からない。
自分は何が下手だと言うのか、ブルーは何に気が付いたのか。
これはしっかり訊いておかねば、と赤い瞳を覗き込んで。
小さな身体をヒョイと抱えて座り直させて、改めて訊いた。
「ハッキリ言ってくれないか、ブルー? 何が下手だと思うんだ?」
俺は何が下手になっていそうなんだ。それを教えて欲しいんだが。
そう尋ねたら、返った答え。
「キスだよ、下手になっちゃったんでしょ?」
そのせいでキスをしないんでしょ、と得意げな瞳が煌めくから。
赤い瞳が見上げてくるから、気が付いた。
これは罠だと、自分を釣ろうとしているのだと。
だから…。
「ああ、下手だとも!」
下手に決まっているだろうが、とブルーの額を指で弾いた。
子供相手にキスはしないし、下手に決まっているだろうがと。
ついでに「下手だ」と言われたくもないし、キスは絶対しないからと。
「俺のプライドの問題だしな?」と涼しい顔。
お前に下手だと笑われるより、キスしないのが一番だしな、と…。
下手くそになった? ・了
「ねえ、ハーレイ。…お腹が空かない?」
テーブルを挟んで、向かい合わせで座ったブルーにそう訊かれて。
「いや?」とハーレイは首を横に振った。
「腹が減るって…。食ったトコだしな?」
朝飯もちゃんと食って来たし、と指差すテーブル。
空のケーキ皿が載っているけれど、ついさっきまではケーキがあった。
ブルーの母が焼いた美味しいケーキが。
身体の大きいハーレイのために、と大きめに切られていたケーキが。
それに、ティーポットにはまだお茶がたっぷり。
暑い季節だから、ガラスのポットに露を浮かべたアイスティー。
昼食までは充分に持つだろう腹具合。
紅茶をおかわりするだけで。乾いた喉を潤すだけで。
なのにブルーは、また訊いて来た。
「お腹、空かない?」と。
無邪気な瞳で、小首を傾げて。
「お前なあ…。足りなかったのか、ケーキ?」
それとも朝飯を食ってないのか、と問い返したら。
ブルーは「ううん」と首を横に振って。
「食べたよ、いつもと同じ分だけ。それにミルクも」
背が伸びるように飲んだもの、と答えるブルー。
ぼくのお腹は空いてないよ、と。
「ふうむ…。なら、俺を気遣ってくれている、と」
「そうだよ、お腹が空いているかと思って」
ハーレイ、ホントに大丈夫…?
ペコペコじゃないの、と心配そうな顔だから。
苦笑しながら「いつものことだろ?」と壁の時計を示した。
「午前のお茶で、それから昼飯。普段と変わらん時間じゃないか」
俺は一度も腹が減ったと言ったことなど無い筈だがな?
そう思わんか、と言ってやったら。
「御飯の方はそうだろうけど…。でも、お腹…」
食べたくならない? と訊き返された。
きっとペコペコ、と。
「俺は充分、満足してるが?」
今、食った分で大丈夫だ、と答えたら。
「そうじゃなくって! ハーレイのお腹!」
ぼくを長いこと食べてないでしょ?
お腹ペコペコで、食べたくならない…?
「馬鹿野郎! チビのくせに!」
誰が食うか、と銀色の頭をコツンと叩いた、痛くないように。
けれども、しっかり釘を刺すように。
そういう台詞はまだまだ早いと、もっと育ってから言えと。
前のお前と同じ背丈にと、それまではキスも駄目だからな、と…。
お腹が空かない? ・了