(明日の授業は、と…)
このクラスと此処と、とハーレイが数える明日の授業。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
授業の準備はとうに済んでいるし、頭に浮かんだというだけのこと。
「何処のクラスで授業だっけな?」と、何の気なしに。
一つ考えると続きがあるもの。
明後日は…、と授業の予定を確認、ついでに明日行くクラスの方も…。
(明日にやって、その次に行くのはだな…)
この日なんだ、と数えてゆく。
自分が受け持つクラスの授業を、この次はいつ、といった具合に。
気付けば来週の分まで数えて、会議の予定も織り込んでいた。
「この日は会議もあったっけな」とか、「この会議は早めに終わるヤツだ」とか。
教師の仕事は先が読みやすい。
決まった範囲を、決まった時間の間に教えるのが役目だから。
少なくとも「授業」に関してだったら、先の先まで予定を立てられる。
(予定は未定、なんて言うヤツだっているほどだから…)
あくまで予定なんだがな、と思いはしたって、その気になったら年度末まで予定は組める。
この日に此処まで進めておいて、と。
此処でテストで、成績の悪い生徒のためには此処で補習をしてゆこう、と。
遅れる生徒が増えそうだったら、この頃までに少しペースを落として復習を、とか。
(ザッと予定を立てさえすれば…)
それを基本に臨機応変、年度末までの「未来」を描ける。
「だいたい、こんな感じだな」と。
「これで一年分が終わるぞ」と、「続きは次の年次第だな」などと。
翌年も自分が担当するかは、その頃まで読めはしないもの。
異動がなくても、学校の中でどう変わるかは謎だから。
それでも一年分は描ける、と思った「未来」。
今からだと数か月分だけれども、年度末までの「未来」の授業。
教室に立つ自分の姿も見えるよう。
教科書を広げて、前のボードに次々と文字を書いてゆくのが。
「分かったか?」と、「お前たち、ちゃんとノートに書けよ!」と見回す姿も。
そして合間に生徒を名指しで、「此処を読め」と音読させてゆく所。
手を挙げた生徒を「よし!」と当てては、答えに頷く光景だって。
(うんうん、いつもそうだってな)
何処の学校でも、何年生を担当しても、授業の流れは変わらない。
年度初めに一年分を「描いて」しまえる、「未来」の授業。
(生徒の方でも、その気になれば…)
一年分の勉強の予定が立てられそうだが、と教科書の中身を考える。
プリントなどを配りはしたって、授業の基本は教科書の方。
年度初めに手にしたならば、「今年はこれを教わるのか」と分かる筈。
ならば授業の中身を先取り、いわゆる「予習」。
「この頃までに此処までやっておこう」とか、「夏休みまでに此処までやる」とか。
そうやって予習をしておいたならば、ずいぶんと楽になるのだろうに…。
(あいつらときたら、まずやらないな)
予習をしようというタイプでも、直前にやっているのが普通。
先の先まで見据えて先取り、そんな生徒は滅多にいない。
(よっぽど好きな科目にしても…)
そうそう数はいないんだ、と分かっているのが「先の先まで予習する」生徒。
未来の予定は立てられるのだし、その気になったら出来るのに。
現に「教える」自分の方では、一年分の「未来」を直ぐに描けるのに。
(まあ、あいつらには未来が山ほど…)
ありすぎて忙しいからな、と苦笑する。
友達と遊ぶ予定が入れば、もうそれだけで変わるのが「未来」。
予習どころか、宿題さえも「忘れ果てる」のが生徒だから。
同じ教科書でも、こうも変わるか、と可笑しくなる。
教師の自分には「一年分の未来が描ける」予定表なのに、生徒は違う。
次の授業の分の未来ですらも、描かないのが生徒たち。
予習なんかはしても来なくて、当たろうものなら大慌て。
(前の日にちゃんと読んでおいたら…)
ああはならんぞ、と思う酷い音読、それは教室で馴染みの光景。
「そう読むのか?」と眉間に皺を寄せながら、「読み直しだ!」とやることも。
なにしろ古典は、今の文章とは違うから。
同じ文字でも、今のようには読まないことも多いから。
(明日もそういうパターンだろうな)
誤読する生徒や、答えられなくて「えっと…」と詰まる生徒やら。
「未来を先取り」して来た生徒は、皆無に近い教室で。
(まったく、若いヤツらってのは…)
俺にも覚えはあるんだがな、と学生時代を覚えているから、怒りはしない。
「未来がドッサリある」状態では、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
「明日はテストだ」と分かっていたって、ついつい遊びに行くだとか。
家に帰って勉強しようと帰宅したって、気付けば「やっていなかった」とか。
(テストで酷い点を取っても、死にやしないし…)
音読に詰まって赤っ恥でも、ただ笑われるだけで済む。教師には叱られるけれど。
まるで危機感が無いのも当然、「命懸け」ではないのだから。
(俺の方でも、命は懸かっていないしな?)
お互い様だ、と思った所で気が付いた。
当たり前のように描いた「未来」。
年度末まで描けると思って、一年分でもスラスラと描ける「未来」の予定。
それをこなして一年が過ぎて、来年はまた「未来」を描く。
「この学年の担当なのか」と、「ならば教えるのはコレだよな」と。
前の年から教えた学年を引き継ぐのならば、そういったことも織り交ぜて。
未来はいくらでも「描けるもの」で、一年分の授業の未来も描けるけれども…。
(…その未来ってヤツを…)
持っていなかったのが前の俺だ、と蘇って来た遠い遠い記憶。
今の青い地球に生まれて来る前、キャプテン・ハーレイと呼ばれた頃。
白いシャングリラで、地球を目指して進んでいた時。
(…あの頃の俺は、もう未来なんか…)
既に持ってはいなかった。
前のブルーをメギドで失くして、魂はとうに死んでしまっていたようなもの。
ブルーの望みを果たすためにだけ、「地球」という星を目指していた。
地球には何の夢も抱かず、旅の終着点として。
「地球に着いたら全て終わる」と、「そしたら、ブルーを追ってゆこう」と。
そうなる前には、「未来」を持っていたというのに。
「いつかブルーと青い地球へ」と夢を見た頃は、確かに「未来」があったのに。
あった筈の未来は消えてしまって、未来の代わりに何を見たのか。
「死」だけを思って生きていたって、「未来」はまるで無いのと同じ。
「地球へ行かねば」という目標だけで、それは「未来」と呼べないもの。
予定と呼んでいいのかどうかも、怪しいと言っていいくらい。
(…その目的を果たしたって、だ…)
待っているのは「死」という「終わり」。
ブルーを追って旅立つだけで、それは「先へと繋がりはしない」。
流れる時間の更に「先」へは。
「これが済んだら、次はこうだ」と、続いてゆきはしないもの。
キャプテン・ハーレイは死んでしまって、時の流れの中から消える。
それでは、何も始まらない。
少なくとも、「時の流れ」の中では。
ブルーを追い掛けて旅立った先で、どんな幸せがあろうとも。
(前の俺が、ああやって生きてた時には…)
無かったよな、と気付かされた未来。
地球のその先は「無かった」から。「地球に着いたら、終わり」だったから。
なんてこった、と見詰めてしまった自分の手。
前と同じに生まれ変わって、見た目はあの頃と変わっていない。
コーヒーが入ったマグカップを傾ける手は、授業の時に文字を書いたりする手は。
(だが、今の俺は…)
前の自分と同じようでも、再び「未来」を手に入れた。
遠く遥かな時の彼方で、一度は失くしてしまった「それ」を。
夢見ることさえ忘れた「未来」を、当たり前のように「描いていた」。
「一年分だって描けるんだ」と、「生徒たちだって、その気になったら描けるんだ」と。
前の自分は、それを「失った」のに。
愛おしい人を失くしてしまって、もう「未来」などは無かったのに。
(…そうか、俺には普通なんだが…)
一度は失くしてしまったんだ、と気付かされたら、「今がある」のがとても嬉しい。
こうして未来を描き続けて、もう何年か経ったなら…。
(あいつが嫁に来てくれるんだ)
今はまだまだチビなんだがな、と思い浮かべる小さなブルー。
愛おしい人とまた生きてゆける、幸せな今。
もう一度、「未来」を手に入れたから。
「未来がある今」を生きているから、何処までも「未来」を描けるから…。
未来がある今・了
※授業の「未来」はいくらでも描ける、と思ったハーレイ先生。その気になれば一年分でも。
今では当たり前に「未来」があるのに、それは一度は失ったもの。考えてみると幸せなことv
(ふふっ、ホットケーキ…)
これが大好き、とブルーはパクンと頬張った。
焼き上がったばかりのホットケーキが二枚、お皿の上に乗っかっている。
(ぼくは沢山食べられないから…)
少し小さめ、そういうのが二枚。
ホットケーキは「重ねてある」のが、より美味しそうに見えるから。
大きなものを一枚焼くより、断然、二枚の方がいい。
(メープルシロップたっぷりで…)
熱で溶けてゆく金色のバター、それも大切。
ホットケーキそのものも美味しいけれども、バターとメープルシロップもいい。
(両方揃うと、うんと美味しくなるんだよ)
果物やホイップクリームなどをトッピングするより、基本の食べ方が一番好き。
メープルシロップと金色のバター、これが最高だと思う。
(だって、本物のメープルシロップ…)
合成品ではなくて、砂糖カエデの樹液で出来たメープルシロップ。
混じり気なしの、樹液を煮詰めた甘いシロップは、たっぷりかけても「くどくない」。
バターの方も、地球の草を食んで育った牛のミルクのバター。
牧場で搾ったばかりのミルクを、直ぐに運んで加工してバターの出来上がり。
(食べてる草が美味しいから…)
ミルクもバターも、とても美味しくなって当然。
白いシャングリラの中で育てた、牛たちのミルクのバターより。
(ホットケーキは、こうでないとね?)
朝御飯でなくても、うんと美味しい、とナイフとフォークで食べてゆく。
こういう素敵な「ホットケーキの朝食」、それが自分の夢だったから。
「いつか地球で」と夢を抱いて、食べたいと願い続けたから。
本物のメープルシロップも、地球の草で育った牛のミルクのバターも、船には無いもの。
青い地球まで辿り着かないと、けして食べられはしないもの。
夢だった筈のホットケーキを、美味しく食べている自分。
溶けたバターを塗り付けながら、メープルシロップを絡めてやりながら。
(バターとメープルシロップの味が混ざって…)
ホントに美味しい、と頬っぺたが落ちそうに感じるほど。
前の自分の夢が叶った、地球でしか食べられないホットケーキ。
(今だと、これが当たり前で…)
その気になったら、毎朝だって食べられる。
今日のように「おやつ」になる日だってあるし、ホットケーキは食べ放題。
胃袋さえ悲鳴を上げないのならば、三枚も、それに四枚だって。
(本の挿絵とかにあるみたいに…)
ドッサリ重ねて、メープルシロップをかけたっていい。
山のような量のホットケーキに行き渡る量を、惜しみなく。
バターもたっぷり、好きなだけの大きさに切り取って。
(そういうのだって、今なら出来ちゃう…)
母に頼んで、沢山焼いて貰ったら。
「本当に全部食べられるの?」と呆れられても、「大丈夫!」と言いさえすれば。
それで残してしまったとしても、母は「やっぱりね」と苦笑するだけ。
「そんなことだと思っていたわ」と、「このホットケーキは、どうしようかしら?」と。
きっと母なら、いい使い道を考えてくれる。
メープルシロップと溶けたバターまみれの、ホットケーキの山だって。
チビの自分が食べ切れないで、「もう入らないよ」と途中で降参した後だって。
(晩御飯には使えなくても、デザートに変身しちゃうとか…)
次の日の朝に、思わぬ形に化けてテーブルに現れるとか。
「昨日のブルーのホットケーキよ」と、母がテーブルに運んで来て。
(ママなら、きっとそうだよね?)
料理上手で、お菓子作りも得意な母。
ホットケーキが山ほど残れば、それを使って別の何かを作るのだろう。
そのまま残して、次の日の朝に温め直したりはしないで。
ママだもんね、と顔が綻ぶ。
とても優しくて、叱る時でも声を荒げはしない。
山のようなホットケーキを作って貰って、残したとしても、怒鳴られはしない。
(…パパには話すんだろうけど…)
それを話して、「叱ってやって」とは言わない母。
聞いた父の方も、「此処に来なさい」と怖い顔になって怒りはしない。
どちらかと言えば、父の場合は…。
(ママにきちんと謝ったのか、って…)
確認するだけで、「謝ったよ」と答えた時には、「よし」と頭を撫でるのだろう。
「ちゃんと謝ったんならいい」と、「次から我儘、言うんじゃないぞ?」と。
(ホットケーキの残りで作った、デザートとかも…)
父は「美味いぞ」とパクパクと食べて、「怪我の功名だな」と笑顔になりそう。
「お前が沢山残さなかったら、こいつは食べられないからな?」と。
(パパもママも、うんと優しいんだから…)
ぼくのホントのパパとママだし、と嬉しくなる。
前の自分は、両親を忘れてしまったから。
十四歳になるまで育ててくれた、優しかったのだろう養父母。
その人たちを忘れてしまって、とうとう思い出せないまま。
どんな顔だったか、どんな声をした人たちだったか。
(…顔だけだったら、写真が残っていたのにね…)
テラズ・ナンバー・ファイブを倒した後に、引き出された膨大な「ミュウに関する情報」。
その中に前の自分のもあって、養父母の写真も残されていた。
今のハーレイが覚えていたから、今の自分にも伝わったけれど…。
(声はデータが無かったから…)
養父母の声は分からない。
今の両親なら、直ぐに頭に浮かぶのに。
どういう言葉を口にしそうか、それだって直ぐに分かるのに。
ホントに残念、と思うけれども、今は幸せなのだし、いい。
血が繋がった本物の両親、それが自分の父と母。
(ホットケーキも、ちゃんと本物…)
前のぼくの夢のホットケーキ、と食べる間に、不安になった。
これは本当のことだろうか、と。
本物の母が焼き上げてくれた、二枚重ねのホットケーキ。
地球の草で育った牛のミルクのバターに、砂糖カエデから採れたメープルシロップ。
(夢みたいだけど…)
こっちが夢の出来事かも、と自分の頬っぺたを抓ってみた。
夢の中なら痛くない、と前に何処かで聞いたから。
(えーっと…?)
キュッと抓っても、ギュウと抓っても、痛くない。
まさか、と頬っぺたを引っ張ってみても、少しも感じない痛み。
(…これって、夢なの…?)
どおりで「夢のホットケーキ」が此処にある筈。
山ほどの量のホットケーキを焼いてくれそうな、「本物の母」が家にいる筈。
(…ぼくはママなんか忘れてしまって…)
父の顔だって覚えていなくて、子供時代の記憶も無い。
それが自分で、「ソルジャー・ブルー」。
白いシャングリラで暮らすミュウたちの長で、向かおうとしているのが青い地球。
その地球でしか、こんなホットケーキは食べられない。
地球に着いても、「本物の両親」なんかはいない。
SD体制が敷かれた時代に、血縁のある親子は存在しないから。
子供は全て、人工子宮から「外の世界」に出されるから。
(…そうだよね…)
こんな素敵な世界なんかは何処にも無いよ、と気付かされた。
ホットケーキも、優しい両親も、全部、自分が見ている夢。
目が覚めたならば、そんな世界は無いのだから。
これは夢だ、と分かってしまうと、夢の世界にしがみ付きたくなる。
夢の世界から出たくなくなる。
(目が覚めちゃったら、ホットケーキも、ぼくのパパとママも…)
消えてしまって、それっきり。
ホットケーキなら、いつか地球まで辿り着いたら、きっと食べられるだろうけれど…。
(パパとママには…)
会えはしないし、一緒に暮らすことも出来ない。
夢の中なら、両親の家に住んでいるのに。
この夢の中で「ママ!」と呼んだら、「どうしたの?」と母が来てくれるのに。
夕食が出来る頃になったら、父も帰って来てくれる。
「ただいま」と玄関の扉を開けて、「今日も学校、楽しかったか?」と。
けれど、何もかも夢の産物。
もうじき夢は覚めてしまって、自分は「ソルジャー・ブルー」に戻る。
今は小さな子供なのに。
十四歳にしかなっていなくて、甘えん坊のチビなのに。
(起きたくないよ…)
ずっとこの夢の中にいたいよ、と我儘な気分。
ソルジャーに、それは許されないのに。
目覚ましが鳴ったら直ぐに起き出し、ソルジャーの衣装に着替えなければ。
そして船での一日が始まる。
ホットケーキが朝食に出ても、メープルシロップは合成品の船。
バターはあっても、船の中で育てた牛のミルクで作られたバター。
(ホットケーキを、ぼくが残しちゃっても…)
美味しく変身させてくれる母はいなくて、「ママに謝ったか?」と訊く父だっていない。
SD体制が敷かれた世界に、「本物の両親」はいないから。
どんな子供にもいる筈の養父母、その人たちも自分は忘れたから。
いられるものなら、この夢の中にいたいのに…。
それは出来ない、と分かっているから零れる涙。とても悲しくて。
(パパ、ママ…)
消えてしまわないで、と泣く自分の声で目が覚めた。
頬を濡らした冷たい涙で、意識が少しずつ冴えてゆく。
(……消えちゃった……)
パパもママも、それにホットケーキも…、と指で涙を拭おうとしたら。
(あれ…?)
青の間じゃないよ、と見上げた天井。
あそこの天蓋はこうじゃなかった、と暗い部屋の中を見回してみて…。
(こっちが本物…!)
ぼくの家だ、と弾んだ胸。
今の自分は十四歳にしかならない子供で、青い地球の上に生まれて来た。
さっきの夢に出て来た両親、それが本物の「パパとママ」。
夢が覚めても、消えはしなかった「夢の中の世界」。…それが「本物」だったから。
(ぼくって、幸せ…)
ホントに幸せ、と今度は嬉しくて泣きたい気分。
ハーレイにこれを話してみようか、「幸せな夢を見たんだよ」と。
「前のぼくが、今のぼくの夢を見てたよ」と、「夢が覚めても、夢は本物だったんだよ」と…。
夢が覚めても・了
※今の自分の夢を見ていたブルー君。「ソルジャー・ブルーになった」夢の中で。
何もかも夢だと思っていたのに、夢が覚めても消えなかった世界。幸せすぎる現実ですv
(いかん…!)
これはマズイ、と前方を睨んだハーレイ。
シャングリラのブリッジから見える、大きなスクリーンに映る映像。
船の外部を捉えたもので、刻一刻と船の行く手を皆に知らせてくれるのだけれど…。
他の様々なデータからして、この先は多分、機雷原。
どう避けるかが運命の分かれ目、面舵でゆくか、取舵なのか。
(しかし…)
普通の機雷だったらともかく、思考機雷なら避けるだけ無駄。
あの種の機雷は追尾どころか、船に向かって襲い掛かるもの。
ただし、「シャングリラ」という船にだけ。
人類の敵のミュウの母船を追い掛けるだけで、人類を乗せた船に危害は与えない。
船の乗員が海賊だろうが、軍規違反で逃亡中の軍人だろうが。
思考機雷に搭載された、思念波を拾うサイオン・トレーサー。
アルテメシアを追われた時に初めて出会って、それ以来、ミュウの天敵の機械。
(あれはどっちの機雷なんだ…!)
データを集めさせたいけれども、それをやったら命取り。
シャングリラの主だった機能は全て、「サイオンを使用している」から。
ステルス・デバイスも、サイオン・シールドも、レーダーでさえも。
(サイオン・レーダーの感度を高くしたなら…)
出力を上げるためにと使われるサイオン、思考機雷は「それ」を捉えて寄って来る。
普通の機雷原ならいいが、と主任操舵士のシドに叫んだ。
「面舵いっぱーい!」
「おもかーじ!」
大きく右へと変えられた進路、吉と出るのか、凶と出るのか。
並みの機雷なら、これで遭遇しないで済む。
航路は変更されたわけだし、もうこの先には機雷原など無い筈だから。
けれども、読みは甘かった。
そちらに進路を変えて間もなく、前方に機雷原の反応。
さっきの「アレ」は思考機雷で、移動したのに違いない。
「シャングリラを捕捉した」ものだから。
ミュウの母船を葬り去るべく、その前方へと回り込むのが思考機雷。
(…ワープするか!?)
ワープしたなら、この空間から一気に離脱出来るのだけれど…。
(距離が足りんぞ…!)
ワープドライブを直ぐに起動したって、「直ちに亜空間ジャンプ」は不可能。
転移先の選定に座標設定、その計算にかかる時間も必要。
ついでにワープドライブ自体も、「車のようには」いかないもの。
キーを差し込み、エンジンをかけて、急発進など出来はしなくて…。
(…車だと?)
いったい何を馬鹿なことを、と自分自身を叱咤した。
シャングリラの中には車など無いし、第一、運転したこともない。
現実逃避の最たるもので、「今の状態」から逃げ出したいから、そう考えてしまうだけ。
(落ち着かんか、馬鹿め!)
キャプテンの俺が逃げてどうする、と前方の機雷原を相手に戦う算段。
思考機雷は「追って来る」から、ワープで逃走出来ないのなら…。
「サイオン・キャノン、一斉射撃!」
前方の思考機雷を撃て、と命じた。
「サイオン・キャノン、斉射三連! 撃て!」
シャングリラが放った光の矢たち。
遙か彼方で星屑のように機雷が弾けて、誘爆しているようだけれども…。
いきなり船がガクンと揺れた。
「船尾損傷、シアンガス発生!」
「なんだと!?」
何処からなのだ、と血の気が引くよう。他にも敵が現れたのか、と。
思考機雷が載せたサイオン・トレーサー。
それを頼りに、人類軍の船が急襲ワープで追って来たという所だろう。
「敵艦か!?」
「はい、後方からの攻撃です!」
「艦種識別! 何隻いる!?」
「三隻、全てアルテミス級! 会敵予想時刻まで、あと…」
告げられた数字に愕然とした。
思考機雷を全て叩く前に、後方からの敵と遭遇する。
(どっちと先に戦うべきか…)
敵艦か、それとも思考機雷の群れなのか。
この距離でさえなかったならば、ワープで両方振り切れるけれど…。
(亜空間ジャンプをするだけの余裕は…)
とても無さそうで、出来ることは「全力で戦う」だけ。
このシャングリラの総力を挙げて、サイオン・シールドを強化して。
サイオン・キャノンを撃って撃ちまくって、逃走ルートを何処かに見付けて。
そう考える間に、またも揺れた船。
「機関部に被弾! ワープドライブ、大破!」
「くそっ…!」
他の箇所にも食らった攻撃、被害を拡大させないためには…。
「気密隔壁、閉鎖! ワープドライブは、今は必要ない!」
本当だったら「使いたい」のがワープドライブ。
使えるだけの距離と余裕があるのなら。
けれども最初から無理だったわけで、この状況でワープドライブが大破したなら…。
(逃げられないと気付けば、皆がパニック…)
それは避けねば、と「必要ない」と叫んだだけ。
本当は「それが欲しい」のに。
ワープで此処から逃げられるのなら、誰よりも先にワープを決断したいのに。
なんてことだ、と「打てそうな手」を考える。
このシャングリラが逃げ延びるために、残された手は何があるかと。
(ワープドライブが使えないなら…)
もう文字通りに「戦う」ことしか出来ないだろう。
メインエンジンが被弾する前に、突破口を何処かに作り出す。
(敵艦を落とすか、思考機雷を全部叩くか…)
どっちが早い、と考えるけれど、敵艦は三隻、それも最大のアルテミス級。
思考機雷の群れにしたって、いつも以上の数がある。
どちらを相手に向かって行っても、そう簡単に抜けられるとは思えない。
(これが渋滞だったなら…)
ちょいと横道に入るって手もあるんだが、と思ってはみても、事情が違う。
ズラリ繋がった車の列と、思考機雷やアルテミス級の戦艦とでは。
(どうして車の列になるんだ…!)
それに横道なんぞがどうした、と自分を殴りたい気分。
「現実逃避にも程があるぞ」と、「シャングリラを沈めたいのか!」と。
冷静になるべき場面なのに。
車がどうとか、渋滞だとか、「ありもしないこと」を考えるなどは論外なのに。
(今日の俺は、本当にどうかしてるぞ…)
いくらパニックになったとしても、と情けない。
今の自分の頭の中身が皆に知れたら、船は大混乱だろう。
「もう逃げられない」と、「キャプテンだって、あの有様だ」と。
シャングリラとはまるで無縁な世界の、「車」や「渋滞」を思い浮かべているのだから。
「横道があれば、そっちに入れる」と、夢物語のような解決策を。
(しっかりしろ…!)
思考機雷か、敵艦の方か、と懸命に思考を組み立ててゆく。
車なんぞは頭の中から追い出して。
道路を埋め尽くす渋滞のことも、あれば入りたい横道のことも。
そうして考え続ける間も、敵の攻撃は続いているから、次々と指示を下し続けて…。
(…何処に逃げ道があると言うんだ…!)
これでは見付け出せそうもない、と焦りながらも、「落ち着け」と皆に何度も叫んだ。
「本船はまだ持つ!」と、「諦めるな!」と、被弾する度に。
(本当に、これが車だったら…!)
こんなことにはならないんだが、と思った所で、ハッと「目覚めた」。
明かりを落とした「自分の部屋」で。
夜の夜中に、ぽかりと開いた目。浮上した意識。
(…今のは…?)
俺じゃなかったのか、とベッドの中から部屋をぐるりと見回した。
敵艦などは何処にもいなくて、思考機雷の群れも無い。
第一、ブリッジも、あのスクリーンも…。
(…あるわけがないな、今の時代じゃ…)
シャングリラはもう無いんだった、と気が付いた。
前の自分が指揮していた船、白いシャングリラは広い宇宙の何処にも無い。
あれから遥かな時が流れて、「今の自分」は地球の上にいる。
青く蘇った水の星の上に、かつて自分が目にした時には「死の星だった」地球に。
(…夢だったのか…)
どおりで酷い状況だった、とホッと息をつく。
あのまま行ったら、シャングリラが沈むのは「時間の問題」。
青の間で深く眠ったままだった、前のブルーを逃がせもせずに。
ブルーの所へ駆け付けることも叶わないまま、最期までブリッジで指揮を執り続けて…。
(とんでもない最期になるトコだったぞ?)
前のあいつと心中には違いないんだが、と零れる苦笑。
「しかし、それだと叱られるよな」と、「あいつにも顔向け出来やしない」と。
(夢だったんなら、車も渋滞も、横道のことも…)
俺がブリッジで考えるわけだ、とクックッと一人、笑い出す。
夢が覚めたら「いつもの世界」で、この時間なら小さなブルーもベッドの中。
「この夢をあいつにも話してやろう」と、「あいつだって、きっと面白がるぞ」と…。
夢が覚めたら・了
※キャプテン・ハーレイ、最大のピンチ。もはや「沈む」しか道が無さそうなシャングリラ。
けれど何もかも夢だったわけで、気付けば青い地球の上。本当に「夢で良かった」ですよねv
けれど、覚えていない天国。
前の自分も、その天使たちに会ったのだろう。
ホントに何にも覚えていない、と惜しい気持ちが募る天国。
きっとそうして、幸せに生きていたのだろう。
(いつか、ハーレイと結婚できて…)
(はてさて、俺たちは何処から来たんだか…)
まるで記憶に無いんだよな、とハーレイが浮かべた苦笑い。
ブルーの家へと出掛けて来た日に、夜の書斎でコーヒー片手に。
今日は休日、ブルーと二人で過ごしたけれど。
「キスは駄目だと言ったよな?」と、お決まりの台詞も口にしたけれど。
それでブルーが膨れっ面でも、とても幸せだった一日。
「いい日だった」と思い返して、ふと考えた。
今のブルーと、今の自分は、いったい何処から来たのだろうと。
(地球がすっかり青くなるほど…)
長い時間が経っていた。
前の自分が、死の星だった地球の地の底で、命尽きた日から。
ブルーはと言えば、もっと前から「とうに失くしていた」命。
白いシャングリラを守るためにと、一人きりでメギドを沈めて逝った。
けれど、お互い、それから後の記憶が無い。
何処にいたのか、二人一緒に過ごしていたのか、ほんの欠片さえも。
(天国だろうとは思うんだがな?)
ブルーとそういう話になる度、いつも出てくる「天国」の名前。
こうして一人で考えていても、やはり同じに天国だと思う。
今の時代は「英雄」として称えられている、前のブルーや自分たち。
機械が治めた歪んだSD体制を倒し、ミュウが平和に暮らせる世界を築いた英雄。
(…シャングリラを地球まで運んだだけの、俺はともかく…)
ブルーは間違いなく、天国に行けたことだろう。
白い翼の天使に連れられ、あのメギドから真っ直ぐに。
(俺だって、地獄行きってことはない筈だよな?)
人類軍との戦いの中で、何隻もの船を沈める指揮を執ってはいても。
「サイオン・キャノン、一斉射撃!」とブリッジで何度も叫んでいても。
地獄でないなら、行き先はブルーと同じに天国。きっとその筈。
そうは思っても、全く覚えていはしない。
ブルーと暮らした筈の天国、其処に長年いたのだろうに。
白いシャングリラで過ごした以上の、気が遠くなるような長い歳月。
死の星だった地球が蘇るほどの時を、天国で生きていた筈なのに…。
(生きてたんだと言っていいのか、其処は難しい所だが…)
天国でブルーと笑い合ったり、語り合ったり。
それは満ち足りた時だったろうに、生憎と「記憶が無い」ときた。
ブルーも自分も、まるで全く無い記憶。
天国は雲の上にあったか、其処から地上は見えたのか。
地球はもちろん、宇宙の全てを「雲の上から」見下ろすことが出来たのか。
(天国って言うほどなんだから…)
もう最高に素晴らしい世界だったのだろう。
戦いも無ければ、飢える心配も、暑さも寒さも、けして襲っては来なかった世界。
前の自分たちが生きた世界からすれば、何処を取っても「素晴らしい」場所。
(そいつを覚えていないってのは…)
残念だよな、と思ってしまう。
せっかく「最高の世界」にいたのに、何も覚えていないだなんて。
長年そこで暮らした記念に、欠片くらいは記憶があったら良かったのに。
(雲を見上げて、「あそこだった」と思うとか…)
天使の絵を見て、「こういう人が大勢いたな」と懐かしい気分に包まれるとか。
けれど「無い」のが天国の記憶。
自分の記憶をいくら探っても、小さなブルーに「覚えているか?」と尋ねてみても。
欠片も残さず消えた天国、何処にあるかも分からない世界。
「帰りたい」とは言わないけれども…。
(残念無念、というヤツだ)
前の自分の記憶なら、持っているだけに。
「そっちはあるのに、天国を忘れてしまうなんて」と。
遠い昔から、多くの人たちが憧れた世界。
それが天国、遥か雲の上にあるという場所。
大勢の人が其処を夢見た。「何処よりも素晴らしい世界なのだ」と。
地上での暮らしが厳しかったら、苦しかったら、なおのこと。
「いつか天国に行きたいものだ」と、大金を払った者までもいた。
「死んだら、必ず天の扉が開くように」と、神に仕える者たちに依頼するために。
(大金を積んでも行きたい世界で、そりゃあ素晴らしい場所でだな…)
絵にも描かれたし、本にも書かれた。
どれほど美しい世界なのかと、「其処には何の苦しみも無い」と。
(そういう所に行って来たのに…)
もったいないよな、という気分。
例えて言うなら、観光名所に行って来たのに、ド忘れしたと言うべきか。
桜の花が満開の頃に、花見で名高い場所に出掛けて、桜の下で弁当も広げた筈なのに…。
(…弁当どころか、桜の花も覚えてないとか…)
紅葉の季節に、わざわざ出掛けた紅葉狩り。
あちこちで写真も撮った筈なのに、写真もろとも「出掛けた」記憶を失くしたとか。
(そんなトコだが、それとは比較にならないぞ?)
自分が「忘れてしまった」天国。
桜や紅葉の名所などとは、格が違っているのが天国。
きっと天国なら、桜も紅葉も…。
(あるとしたなら、もう一年中…)
いつでも見頃なのだろう。
其処に出掛けてゆきさえしたなら、心ゆくまで楽しめる桜。あるいは紅葉。
他の様々な景色にしたって、天国だったら眺め放題。
(毎日の飯の方もだな…)
天国に「食事」があるというなら、望みの料理を好きなだけ。
食べたい時にはポンと出て来て、どんなに希少な「珍味」だろうと、選び放題。
そうでなければ、「天国」と呼ばれるだけの価値が無いから。
考えるほどに、悔やまれるのが「忘れた」こと。
ブルーも自分も、欠片も覚えていない「天国」。
(俺としたことが…)
ついでにブルーの方もなんだが、と苦笑するしかない事実。
二人揃って忘れてしまって、思い出すための手掛かりも持っていないから。
天国に行く前に生きた時代の、「前の自分たち」の記憶だったら今もあるのに。
(本当に片手落ちってヤツで…)
出来れば覚えていたかったよな、と思うけれども、忘れたものは仕方ない。
どんなに素敵な場所であろうが、最高に素晴らしい世界だろうが。
(うーむ…)
なんてこった、と傾けるコーヒーのカップ。
何処よりも素敵な「天国」に行って来たというのに、それを忘れてしまうとは、と。
これが観光名所だったら、周りにも呆れられるだろう。
「なんてヤツだ」と、「そんなことなら、俺が代わりに行ったのに」と。
代わりに出掛けて景色を楽しみ、けして忘れはしないのに、とも。
(俺だって、そうは思うんだがなあ…)
本当に忘れてしまったのだから、天国の欠片を追ってみたって、見付からない。
それの代わりに浮かんで来るのは、今日も見て来たブルーの笑顔。
十四歳にしかならないブルーは、すっかり子供になったけれども…。
(今もやっぱり、俺のブルーで…)
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
ブルーの家へと出掛けて行ったら、いつでも会える。
それは幸せそうなブルーに、今はちょっぴり困らされてしまう恋人に。
(ぼくにキスして、と言われてもだ…)
子供相手に、恋人同士の唇へのキスは贈れない。
だから断っては、ブルーにプウッと膨れられてしまう。「ハーレイのケチ!」と。
今日もブルーは同じに怒って、ご機嫌斜めだったのだけれど。
プンスカ膨れるブルーをからかい、苛めたりもして過ごしたけれど…。
(…待てよ?)
今の暮らしも天国だよな、と気が付いた。
子供になってしまったとはいえ、ちゃんと「ブルーがいる」世界。
前の自分は、それを失くした。前のブルーがメギドへと飛んで、二度と戻らなかった時から。
(あいつは、船に戻って来なくて…)
それからの日々は、深い孤独と絶望の中。
けれど地球まで行く他はなくて、どれほどに辛い日々だったか。
ブルーがいなくなった世界は、どんなに悲しいものだったか。
(…俺は生きちゃいたが、ただそれだけで…)
世界の全ては色を失くして、きっと楽しみさえも無かった。
何を食べても味気ないだけ、「命を繋ぐ糧」というだけ。
あの辛かった日々に比べたら、今の自分が生きる世界は…。
(まさに天国というヤツじゃないか!)
いくらブルーがチビの子供で、キスさえ交わせはしない日々でも。
同じ家で暮らすにはまだ早すぎて、訪ねて行っては「またな」と帰って来るしかなくても。
(なるほどなあ…)
天国ってヤツは此処にあったか、と嬉しくなる。
「本物の方は忘れちまったが、天国だったら、此処もそうだな」と。
今の世界も天国だよなと、もう最高に素晴らしい場所に、今の俺は生きているんだから、と…。
天国だよな・了
※天国のことを忘れてしまった、と残念な気分のハーレイ先生。きっと最高の場所だけに。
けれど気付けば、今の世界も充分、天国。ブルー君が生きていてくれるだけで、最高の世界v
