忍者ブログ

(切羽詰まった状態でだ…)
 仕事はしない主義なんだが、とハーレイが眉間に寄せた皺。
 ブルーの家には寄れなかった日に、夜の書斎で。
 愛用のマグカップにたっぷりと淹れたコーヒー、それは机にあるけれど。
 コーヒーの香りもするのだけれども、ゆったりと飲むわけにはいかない。
(なんたって、非常事態だからな…!)
 明日の会議に必要な資料、それを作ってゆかなければ。
 それも「今夜の間」に、という本当に切羽詰まった状況。
 明日、学校に着いてからでは、足りない時間。
 朝は柔道部の朝練があるし、それが終われば授業が始まる。
(授業の合間に作りたくても…)
 そういう時に限って「やって来る」のが、質問などがある生徒。
 彼らの相手をしていたならば、休み時間は無いも同然。
 空き時間の方にしても同じで、何かと入りがちな雑用。
(資料作りで忙しいから、と言えば断れるんだが…)
 それは自分の信条に反する。
 「放課後の会議」のための資料を、「ギリギリで」作っているなどは。
 どんな理由があるにしたって、誰もが納得してくれたって。
(…この俺に任せられたからには…)
 何が何でも今日中なんだ、と学校で渡された文書の山を繰ってゆく。
 それを纏めて資料を作って、明日の会議に間に合わせる。
 この仕事のために、ブルーの家にも寄らずに真っ直ぐ帰ったほど。
(もっとも、ギリギリではあったがな…)
 そっちの方も、と思いもする。
 資料作りを引き受けた後に、学校でやった打ち合わせ。
 ついでに文書なども受け取り、遅い時間になってはいた。
 ブルーの家へと出掛けてゆくには、もうギリギリだと言える時間に。


 だから、そちらは「諦めた」。
 ギリギリの時間に出掛けて行って、夕食を食べてくるような暇があるなら…。
(このギリギリの仕事の方を、だ…)
 一刻も早く仕上げてこそだ、と考えたから。
 急いで帰宅し、手早く作った今夜の食事。
 後片付けもサッサと済ませて、コーヒーを淹れて、取り掛かる作業。
(俺の名誉のために言うなら…)
 ギリギリになったのは、俺のせいではないからな、と誰にともなく言い訳する。
 自分が「引き受けた」仕事だったら、資料はとっくに出来ている筈。
 余裕を持たせて、遅くとも三日ほど前までには。
 早い話が、「自分のもの」ではなかった仕事。
 少なくとも、「今日の」昼休みまでは。
 其処で「お鉢が回って来る」までは、他の教師の担当だった「それ」。
(……急病じゃ、仕方ないんだが……)
 それにしても、と零れる溜息。
 自分が「その教師」の立場だったら、資料はとっくに出来ていた。
 今日の朝になって具合が悪くて、「休みます」と連絡をするよりも前に。
(…資料さえ、出来ていたんなら…)
 欠勤の連絡を寄越すついでに、「取りに来て下さい」と言えば済むこと。
 誰でもいいから、手の空いた先生を家に寄越して下さい、と。
(酷い風邪とかで、移る恐れがあるにしたって…)
 受け渡しの方法は幾らでもある。
 本人が律儀に渡さなくても、家族の誰かに託すとか。
 妻だの、それこそ幼稚園に出掛ける前の子供にだって。
 「これを頼む」と言いさえすれば、「どうぞ」と使いの誰かに届く。
 妻であろうが、幼稚園の制服を着た子供だろうが、資料を持って家の表まで出て。
 そうしないのなら、ポストが使える。
 資料の束を突っ込んでおいて、「持って帰って下さい」と連絡しておけば。
 取りに出掛けた使いの者が、ポストから「それ」を引っ張り出せば。


(俺の場合は、そうなったろうな…)
 急病など、まず有り得ないけれど、万一、罹ってしまったら。
 今朝、起きた時に「これはマズイ」と欠勤を決めて、病院に行くことにしたのなら。
(手渡してくれる家族はいないし…)
 資料をポストに押し込んでおいて、病院に出掛けたことだろう。
 そうすれば「誰も困らない」のだし、迷惑をかけるのは一人だけ。
 「資料を取りに来る」羽目になった誰か、その一人にだけ、後で詫びればいい話。
(それにしたって、お互い様だし…)
 取りに来た者も「お気になさらず」と笑っておしまい。
 「次は、私かもしれませんしね」などと、「急な病気で」休んだ件は責めないで。
(…今日、休んじまったヤツにしてもだ…)
 お互い様には違いない。
 明日は「自分」がそうならないとは、誰にも言えはしないのだから。
(しかしだな…)
 資料は「早めに」作っておいて欲しかったんだが…、と思う気持ちは止められない。
 「彼」には「彼の事情」があって、そうなったとは分かっていても。
 休日ともなれば家族サービス、資料作りよりも遊園地だとか、ショッピングだとか。
(家族がいるなら、そっちが優先…)
 分かっちゃいるが、と百も承知でも、納得できない「自分」の現状。
 切羽詰まった仕事なんかは「やりたくない」から、何事も「早め」。
 引き受けた仕事は責任を持って、早め、早めに仕上げるもの。
 「急病で欠勤」になってしまったなら、「資料はポストに入れておきます」と言えるように。
 自分は病院に出掛けるけれども、「その間に取りに来て下さい」と。
 ところが、そうではなかった同僚。
 資料作りは「ギリギリでいい」と思っていたのか、自分に自信があったのか。
(今日、帰ってから取り掛かっても…)
 充分だろうと決めてかかって、まるで手を付けていなかったとか。
 それの結果が「急な欠勤」、ついでに「全く出来ていない」資料。
 明日の会議には「それ」が要るのに、会議は明日の放課後に迫っているというのに。


 そんなこんなで、大騒ぎになった昼休み。
 明日までに「資料を作れる」教師が、誰かいないかと。
(そういった時に、真っ先に外されちまうのが…)
 既に仕事を山と抱えている教師。
 テストを控えて、問題を作成中だとか。
 終わったテストの山を採点している途中で、どう見ても忙しそうだとか。
 レポートなどの課題を課したばかりの者も免除で、他にも色々。
(…俺は、どれにも当て嵌まらないし…)
 その上、気ままな独身生活。
 当然のように打診されたから、「断る」わけにはいかなかった仕事。
 此処で断ったら、他の誰かが代わりに苦労することになる。
 ギリギリに迫った仕事を引き受け、「今の自分」がそうであるように。
(そいつは、些か気の毒ってモンで…)
 そう思ったから、「私で良ければ」と名乗りを上げた。
 「なんとかします」と文書を貰って、作るべき資料の内容なども詳しく聞いて…。
(もう文字通りに、切羽詰まって、ギリギリで…)
 仕事中だ、と手に取るマグカップ。
 気分転換にコーヒーをゴクリ、カップを置いたら作業の続き。
 文書の山を端からめくって、「こうだったか?」と照らし合わせてみて。
 間違ったことを書いていないか、指でなぞるように確認もして。
(此処まで出来たら…)
 後は仕上げだ、と残りを急いで、なんとか形になったとは思う。
 ギリギリで作業をしていたものとは、思えない出来に。
 数日前には「ちゃんと出来上がって」、何度も読み返しをしたかのように。
(よーし…)
 これでいいな、と肩をトントンと叩き、眉間の皺も揉みほぐしてやる。
 資料は無事に出来上がったから、明日の会議に立派に間に合う。
 ブルーの家にも寄らずに帰って、懸命に作業したのだけれど…。


(……うーむ……)
 忘れちまっていた、と思う「恋人」。
 前の生から愛し続けて、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
(…あいつの家にも寄れなかった、と…)
 残念に思いつつ作業を始めて、どの辺りで「忘れてしまった」のだろう。
 片時さえも「忘れない」人を、いつも心に住んでいる人を。
(……忙しい時は、それどころではないってか?)
 ブルーのことさえ忘れちまうのか、とショックな気分。
 これが小さなブルーに知れたら、間違いなく膨れっ面になる。
 「ハーレイ、酷い!」と、「ぼくのことを忘れてしまうだなんて!」と、プンプン怒って。
 キスを断られた時と同じに、まるでフグみたいに頬を膨らませて。
(…あいつも怒るし、俺だって大いに不本意でだな…)
 こんなのは好かん、と思うものだから、「ギリギリの仕事」は御免蒙りたい。
 自分が仕事を引き受けた時は、余裕を持たせて早めがいい。
(…あいつのことさえ、忘れちまうなんて…)
 忙しい時は、そうなるのならば、いつでも余裕たっぷりでいたい。
 愛おしい人を、忘れないように。
 いつも心に住んでいる人を、「ウッカリ」忘れたりはしないで、愛おしめるように…。

 

          忙しい時は・了


※切羽詰まった仕事をしている間に、ブルー君のことを忘れてしまったハーレイ先生。
 これはショックだ、と思ったようです。同じことが二度と起こらないよう、仕事は早めにv









拍手[0回]

PR

「…どうした、ブルー?」
 妙に元気が無いようだが、と尋ねたハーレイ。
 今日は休日、ブルーの家に来たのだけれども、元気が無いブルー。
 いつもだったら、弾けるような笑顔なのに。
 テーブルを挟んで向かい合うだけで、ブルーは御機嫌な筈なのに。
 それに、ブルーは身体が弱い。
 無理をして「起きている」のだったら、それは良くない。
 早めにベッドに押し込まないと、熱を出したりしかねない。
 そう思ったから、「どうした?」とハーレイは訊いたのだけれど。
「……昨日から、痛くて……」
 今も痛い、とブルーが言うから、もう大慌てで問い掛けた。
「何処だ、お腹が痛いのか? それとも、頭か?」
「……口の中……」
 頬っぺたの内側がとても痛い、と小さなブルーが指差した口。
 「昨日の夜から痛いんだよ」と、「何か食べると、もっと痛い」と。


(……うーむ……)
 多分、口内炎だろうな、とハーレイが思う、ブルーの症状。
 あれは確かに「痛い」もの。
 柔道や水泳で鍛えたハーレイだって、たまに出来たら痛くはある。
(俺の場合は、滅多に出来んが…)
 ブルーと違って丈夫なのだし、口内炎などは「そうそう出来ない」。
 何かのはずみに、頬の内側でもウッカリ「噛んだ」時でもなければ。
(それでも、出来にくいんだがな…)
 普通は「噛んだ」だけで出来ると聞くから、出来にくい体質。
 頑丈な身体は、そう簡単には「やられない」ということだろう。
 けれどブルーは虚弱なのだし、口内炎なども出来やすい感じ。
 おまけに「出来たら」、治りも遅いに違いない。
 そう思ったから、「見せてみろ」と覗いた、ブルーの口の中。
 椅子から立って、テーブルの向こうに回り込んで。


 案の定、「あった」口内炎。
 ブルーが自分で治療しようにも、薬が塗りにくそうな場所。
(…塗ってやるとするか)
 そのくらいのことは…、とブルーに取って来させた口内炎の薬。
「口を大きく開けてろよ? よし、そのままだ」
 動くんじゃないぞ、と綿棒で口内炎の上を拭って、お次は薬。
 しっかりと塗ると、「もういいぞ」と口を閉じさせた。
 後は薬がよく効くように、三十分ほどは飲食禁止といった所か。
「ありがとう、ハーレイ…」
 ブルーも嬉しそうな顔だし、「お安い御用だ」と微笑んだ。
「口内炎の薬くらい、いつでも塗ってやる。任せておけ」
「本当に?」
「もちろんだ。口内炎は痛いものだしな」
 俺だって、出来た時には痛い、と顔を顰めてみせたハーレイ。
 「鍛えた俺でも痛いんだから、チビのお前は尚更だろう」と。


 そうして「次も塗ってやるぞ」と、ハーレイは約束したのだけれど。
「じゃあ、お願い。…頑張らなくちゃ」
「はあ?」
「口内炎の薬、ハーレイが塗ってくれるんでしょ?」
 次は唇に出来るように頑張る、とブルーはニコリと微笑んだ。
 「口の中もいいけど、唇の方がもっと嬉しい」と花が綻ぶように。
(……なんだって!?)
 さては、こいつ…、とハーレイはブルーを睨み付けた。
 もう間違いなく「よからぬこと」を考えていたのだろう、ブルー。
 綿棒で口の中を拭った時にも、薬を塗っていた時も。
「馬鹿野郎!」
 唇くらいは自分で塗れ、とハーレイはブルーを叱り付ける。
 「其処は自分で塗れる筈だ」と、「口の中とは違うからな!」と。
 ついでに「二度と塗ってはやらん」と、眉間に深い皺まで。
 口内炎は可哀相だと思うけれども、余計な連想はして欲しくない。
 何かと言ったら「ぼくにキスして」が、ブルーの口癖。
 そんなブルーに口内炎の薬なんかは、藪蛇でしかなさそうだから…。



        痛いんだけど・了







拍手[0回]

(どんな時だって…)
 ふと、小さなブルーの頭に浮かんだ言葉。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰掛けていたら。
 流行りの歌の歌詞などではなくて、本で読んだというわけでもない。
 けれども、何故だか、そう思った。
 「どんな時だって」と、突然に。
 今日は来てくれなかった、ハーレイ。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 その人のことを、忘れはしない。
 どんな時だって、何処にいたって。
(絶対に、忘れないんだから…)
 忘れたりなんかしないんだから、と心の底から強く思うし、忘れもしない。
 そう、今だって「そう」考えたように。
 「どんな時だって、忘れないんだから」と、ハーレイのことを。
 遠く遥かな時の彼方で、前の自分が愛した人。
 白いシャングリラで恋をした人を、けして忘れるわけがない。
 何があろうと、何処へゆこうと。
 どんな時だって、片時さえも。
(ハーレイのことを、忘れる筈がないじゃない…!)
 今日みたいに来てくれなかった日でも、と思うけれども、その人のこと。
 「忘れない」と思ったハーレイのことを、「自分」は忘れていなかったろうか。
 十四年ほど…、と指を折ってみる。
 「今の自分」が生まれた時から、この年になるまでの間に流れた歳月。
 十四歳になって一ヶ月と少し、今の学校に入って暫く経った頃。
 五月の三日に、自分のクラスで「今のハーレイ」と再会を果たす前までは…。
(……ハーレイのことは、何も覚えていなくって……)
 思い出しさえしなかった。
 キャプテン・ハーレイの名前を聞いても、教科書などで写真を見ても。


 SD体制を倒した英雄、ジョミー・マーキス・シンと、キース・アニアン。
 その二人にこそ及ばないけれど、キャプテン・ハーレイも英雄の一人。
(記念墓地に、立派な墓碑だってあるし…)
 何よりも、「シャングリラ」の初代のキャプテン。
 白い鯨にも似たシャングリラは、今の時代も人気の高い宇宙船。
 遊園地に行けば、それを象った遊具が幾つも。
(小さかった頃に見た、海に浮かんでいたシャングリラだって…)
 海水浴場に来た客に人気の、変わり種のバナナボートだったというくらい。
 その「シャングリラ」の舵を握っていた、キャプテン・ハーレイ。
 ミュウの箱舟を地球まで運んだ英雄。
(前のぼくみたいな、写真集は出ていないけど…)
 パイロットの卵たちにとっては、キャプテン・ハーレイは「憧れの人」。
 同じ英雄のゼルやヒルマンよりも、遥かに知られているだろう。
 その名も、どういう姿だったかも。
(今のぼくだって、ちゃんと知ってて…)
 幼稚園時代はともかく、下の学校に入った後には、ごくごく自然に覚えたもの。
 「この人がキャプテン・ハーレイなんだ」と、顔も名前も。
 ちょっぴり怖そうな顔の「おじさん」だけれど、ミュウの箱舟のキャプテンだった人。
 きっと「優しいおじさん」なんだ、と思いもして。
 ミュウの子供が泣いていたなら、肩車で歩いてくれるような。
(…それで間違いなかったんだけど…)
 前のハーレイは、実際、そういうキャプテンだった。
 白いシャングリラで雲海の星に辿り着いた後、船に初めて迎えた子供。
 養父母から離され、怖い思いまでした小さな子供を、ハーレイは放っておかなかった。
 「これもキャプテンの仕事だろう」と、船に馴染めるよう、心を砕いた。
 新しい子供を迎え入れる度、多忙であっても相手をして。
 広い船の中を、あちこち連れて歩きもして。
 それを目にした「前の自分」が、「子供に嫉妬した」ほどに。
 そのせいで、「ハーレイのことが好きだ」と、恋にさえ気付いてしまったほどに。


 子供たちにも優しかったのが、キャプテン・ハーレイ。
 今の自分も「きっと、そうだよ」と考えたけれど、「思い出した」わけではなかったろう。
 「ミュウの箱舟のキャプテン」だから、そういう人だと、勝手に想像しただけで。
 「そうじゃないかな」と感じただけで。
 本物のハーレイの人となりは、何も知らないままで。
 欠片さえも思い出しはしないで、忘れたままで。
(……うーん……)
 本当に忘れてしまっていたし…、と「今のハーレイ」の姿を頭に描く。
 今では当たり前に恋して、「どんな時だって」忘れないのに、すっかり忘れ果てていた。
 前の自分は、「ハーレイ」を忘れはしなかったのに。
 それこそ「どんな時だって」。
 アルテメシアを後にしてからの、十五年間もの、長い長い眠り。
 深い眠りの底にいてさえ、きっと忘れてはいなかった。
 目覚めた時には記憶が無くても、「ハーレイの夢」を見ていたことだろう。
 星の瞬きにも思えたくらいの、一瞬の眠りのようであっても。
 「夢さえも見てはいなかった」と、あの時の「自分」は思っていても。
(……夢の中では、きっとハーレイと一緒だったよ……)
 まるで目覚めているかのように、幸せな夢を見ていただろう。
 青の間で二人で過ごす夢やら、船の通路を歩く夢やら。
 あるいは「地球」へも行っただろうか。
 夢の中なら、青い地球にも辿り着けたと思うから。
(…ハーレイと二人で青い地球を見て、二人で降りて…)
 幾つもの夢を端から叶える、夢さえも見ていたかもしれない。
 「地球に着いたら」と、前の自分が夢見たこと。
 寿命の残りが少ないと悟って、描くのを諦めた夢の数々。
 それを「夢の中で」叶えていたのだろうか、「前のハーレイ」と青い地球に降りて。
 二人で青い地球で暮らして、スズランの花束を贈り合ったりもして。
 五月一日には、恋人同士の二人が贈り合う、とても小さな花束。
 「いつの日か、地球で」と、前のハーレイと約束を交わした日もあったから。


 前の自分は、夢の中でも、ハーレイを忘れていなかっただろう。
 だから夢から覚めた時にも、ただハーレイを想っていた。
 「ミュウの未来」を守るためには、「別れしかない」と分かっていても。
 ただ一人きりで船を離れて、死んでゆくのだと「自分の未来」に気付いていても。
(…あの時だって、忘れていないし…)
 メギドでも忘れはしなかった。
 右手に持っていた「ハーレイの温もり」、それを落として失くした後も。
 撃たれた痛みで消えてしまって、右手が冷たく凍えた時も。
(もうハーレイには、二度と会えない、って…)
 泣きじゃくりながら死んだ、前の自分。
 あまりにも悲しい最期だったけれど、「ハーレイ」を忘れることはなかった。
 「もう会えない」という、とても辛くて痛みしかない「想い」でも。
 会うことは二度と叶わなくても、「ハーレイ」のことが「好き」だったから。
 諦めて忘れることは出来なくて、最後まで想い続けていた。
 もう会えなくても、「ハーレイが好きだ」と、命が潰える瞬間まで。
 いつ死んだのかは分からないけれど、息が絶えただろう、その時まで。
(どんな時だって、ホントに忘れなかったんだよ…)
 前のぼくは…、と今も鮮やかに思い出せること。
 十五年もの深い眠りの中でも、「夢で」ハーレイを追っていただろう。
 二人で地球に降りる夢さえ、前の自分は見ていただろう。
 そうして長く眠り続けて、「終わり」がやって来た時でさえも…。
(やっぱり、ハーレイを忘れられなくて…)
 前の自分は、泣きながら死んだ。
 二度と会えない人を想って、その人を忘れられなくて。
 もしも「忘れてしまえた」ならば、あの時の辛さは無かったろうに。
 ミュウの未来と、シャングリラの無事とを祈り続けて、ソルジャーとして死んだだろうに。
(でも、そんなこと…)
 出来る筈もないし、したくもなかった。
 「ハーレイ」を忘れてしまうなど。
 恋をした人を記憶から消して、安らかな最期を迎えるなどは。


(どんな時だって、忘れなくって…)
 忘れないまま、前の自分は遥かな時の彼方に消えた。
 それから流れた、気が遠くなるほどの長い時。
 死の星だった地球が青く蘇り、こうして人が住める星に戻るくらいに。
(ハーレイと二人で、地球に来たのは…)
 きっと今度こそ、一緒に生きてゆくためなのだ、と分かっている。
 この身に神が刻んだ聖痕、それは祝福の証だろうと。
(…それなのに、ぼくはハーレイのことを…)
 思い出しもせずに、十四年間も生きてしまっていた。
 キャプテン・ハーレイの名前を聞いても、写真を見ても思い出さないままで。
 なんとも酷い話だけれども、これに関しては「お互い様」。
 ハーレイだって、「ソルジャー・ブルー」を、忘れ果てたままでいたのだから。
(…これから先に、忘れなかったら…)
 それでいいよね、と浮かべた笑み。
 もう一度、巡り会えたからには、二度と忘れはしないから。
 どんな時だって、ハーレイのことを忘れはしない。
 前の自分が、そうだったように。
 最後の息が絶える時まで、ハーレイを想い続けたように…。

 

         どんな時だって・了


※どんな時だって、ハーレイのことは忘れない、と思ったブルー君ですけれど…。
 実は忘れていたのが、生まれ変わってから後のこと。でも、これからは忘れなければ大丈夫v









拍手[1回]

(どんな時でも、か…)
 ふと、ハーレイの頭に浮かんだ言葉。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎に座っていたら。
 愛用のマグカップにたっぷりと淹れたコーヒー、それを傾けた時のこと。
 「どんな時でも」と、本当に、不意に。
 何かの歌の歌詞などではなくて、何処からかやって来た言葉。
 けれども、直ぐに愛おしい人に結び付く。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 まだ十四歳にしかならないブルーへと、飛んでゆく想い。
 「どんな時でも、忘れやしない」と。
 どんな時でもブルーを想うし、想っている、と。
 そう、今だって「そう」だった。
 「どんな時でも」と思い付いたら、ブルーのことを想っていた。
 どんな時でも忘れやしない、と青い地球の上で再び出会えた人を。
(……長いこと、忘れていたくせにな?)
 三十七年ほど忘れていなかったか、と苦笑する。
 「その人」のことを、すっかり忘れていなかったかと、自分に向かって。
 今の自分は三十八歳だけれど、その誕生日を迎えるより前。
 五月の三日に「ブルーのクラスで」再会するまで、何も覚えてはいなかった。
 遠く遥かな時の彼方で、誰よりも愛した人のことを。
 その人の名前も、面影でさえも。
(ソルジャー・ブルーの写真だったら…)
 嫌というほど見たんだがな、と記憶は山ほど。
 かの人の名前も、いったい何回、聞かされたことか。
 入学式の挨拶などでは、名が挙がるのが定番だけに。
 今の平和なミュウの時代を築く礎になった人。
 「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」と、何処の学校でも説かれるもの。
 こうして勉強できる学校、それがあるのもソルジャー・ブルーのお蔭なのだから、と。


 下の学校に通った頃から、今の自分が教えるような学校まで。
 もう何年もの長い年月、聞き続けて来た「ソルジャー・ブルー」の名前。
 生徒として耳にしたのが最初で、今では教師の立場で聞く。
 入学式などに出席する度、「ふむ…」と頷いて。
 その挨拶を「生徒たち」は真面目に聞いているかと、見回しもして。
(…真面目に聞いてる生徒もいれば、居眠ってるのも…)
 いるんだよな、と教師だからこそ分かること。
 入学式では、流石に寝る子はいないけれども、始業式なら何人もいる。
 「またか」と、長い挨拶に飽きて。
 恐らくは前夜の夜更かしなどで、ウトウトと眠くなってしまって。
(俺は居眠ってはいなかったが…)
 聞き飽きてはいたな、と思う、かの人の名前。
 「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」と、校長が挨拶する度に。
(…この名前が出たら、挨拶はもう後半で…)
 運が良ければ、あと一分もしない間に終わるもの。
 話を短く切り上げるのが、好きな校長だった場合は。
 長い話をするタイプならば、まだ「その先」があるのだけれど。
 SD体制の時代がどうのと、ソルジャー・ブルーが生きた時代まで持ち出して。
 今の時代は「如何に恵まれているか」を、滔々と話し続けたりして。
(それにしたって、もう後半だし…)
 前半で十五分ほども話していたって、あと十五分ほどで終わる筈。
 「もう少しだけの辛抱だ」と、生徒だった頃には考えていた。
 校長の挨拶の内容なんかは、まるで気にさえ留めないままで。
(…教師になったら、そこの所は変わったんだが…)
 たとえ定番の挨拶だろうが、校長の個性などは出る。
 「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」と口にするまでに、何を語るか。
 生徒たちに向けてのメッセージなどが、気にかかるもの。
 「大いに遊べ」と語るタイプか、「まずは勉強」と言い出す方か。
 教師の耳なら、そちらを聞く。
 「この校長は、どっちなんだ?」と。


 そんな具合だから、馴染み深かったブルーの名前。
 前の生での、恋人の名前。
 「ソルジャー」の尊称をつけて呼ばれていた「ブルー」。
 けれど、覚えていなかった。
 生徒だった頃から何回も聞いて、教師になってからも聞き続けても。
 何度となく耳にしていても。
(ソルジャー・ブルーに感謝しましょう、とくればだな…)
 挨拶も後半に入ったのだ、と思うだけ。
 その名を聞いても、「ソルジャー・ブルー」の顔さえ浮かびはしなかった。
 「ああ、コレが出たら後半だ」と感じただけで。
 ソルジャー・ブルーが「どういう人か」は、少しも考えさえせずに。
(ミュウの時代の、始まりの英雄というヤツで…)
 自分とは無縁の「大英雄」だと、頭の中で「理解していた」だけ。
 印象的な筈の、その姿さえも思いはせずに。
 「ソルジャー・ブルー」は単なる記号で、挨拶の決まり文句でしかない。
 その名が出て来て、「感謝しましょう」と続いたならば、挨拶はもう後半だ、と。
(綺麗サッパリ、忘れちまってた…)
 あいつのことを、と情けない気持ち。
 前の生で深く愛し続けて、失った後も同じに愛した。
 シャングリラで地球を目指す旅路で、魂は死んでしまっていても。
 生ける屍のような日々でも、「ブルー」を忘れた日など無かった。
 本当に、ただの一度でさえも。
(あいつの夢を見ちまって…)
 それが「ブルーが生きている夢」で、そのままパチリと目が覚めた時。
 「もういないのだ」と現実を知って、どれほどに涙したことか。
 夢の中では、ブルーは生きていただけに。
 他愛ない話をして笑い合って、その続きに目が覚めたなら。
 そうした夢を見ない時でも、朝、目覚める度、ただ悲しかった。
 いつも隣で眠っていた人、その人は二度と戻らないのだと。


(あいつが深く眠っちまってからは…)
 一緒に眠りはしなかったけれど、心はいつでも追い掛けていた。
 どんな時でも、かの人のことを。
 いつか目覚めてくれた時には、何から話せばいいだろう、などと。
(なのに、あいつは逝っちまって…)
 一人きりで白い船に残され、それでも想い続けていた。
 けして忘れる時などは無くて、本当に「どんな時」であっても。
(前の俺は、そうやって生きて、地球まで行って…)
 其処でも「ブルー」を想い続けながら、長すぎた生を終えた筈。
 「これでブルーの許へ行ける」と、地球の地の底で、笑みさえ浮かべて。
 そうして全ては終わってしまって、「ブルーと二人で」飛び越えた「時」。
 遥かな後の時代の地球まで、青く蘇った水の星まで。
(今度こそ、あいつと生きてゆくために…)
 地球に来たんだと思うんだがな、と確信してはいても、「忘れていた」名前。
 「ソルジャー・ブルー」の名前を何度聞いても、全くピンと来なかった。
 胸がドキリと跳ねはしないし、鼓動が速くなることも無し。
 ただ淡々と聞いていただけで、顔さえも思い浮かべなかった。
 「それ」は「かの人」の名前なのに。
 前の自分が愛し続けた、「ソルジャー・ブルー」の名前だったのに。
(……うーむ……)
 ものの見事に忘れちまって、それっきりか、と呻きたくなる。
 最愛の人の名を忘れ果てたかと、それだと気付きもしなかったかと。
(薄情だと言うか、何と言うべきか…)
 たとえ記憶が戻らなくても、何かがあれば良かったのに。
 「ソルジャー・ブルー」と耳にしたなら、心臓がドクンと跳ねるとか。
 理由もないのに、耳について離れないだとか。
(そういったことが、一つだけでもあったなら…)
 今のあいつに語れもするが…、と思いはしても「無かった」兆し。
 ブルーへの想いも、時を飛び越えるほどの恋さえも。


 考えるほどに、悔しい「それ」。
 「なんだって、俺は忘れたんだ」と、嘆きたいほど。
 こうして思い出した今では、どんな時でも忘れないのに。
 前の自分がそうだったように、「ブルー」を想い続けているのに。
(忘れちまったものは、仕方ないんだが…)
 それにお互い様でもあるし、と「今のブルー」を思ってみる。
 ブルーの方でも、「ハーレイ」を覚えていなかった。
 五月の三日に「出会って」、記憶を取り戻すまで。
 聖痕がブルーの身体に現れ、互いの記憶が戻った時まで。
(つまりは、おあいこ…)
 お互い「忘れ去っていた」ことを責めはしないし、責められもしない。
 これからの日々で忘れなければ、それで済むこと。
 だから「忘れまい」と、自分に誓う。
 誓わなくても、ブルーを忘れはしないけれども。
 それこそ頭に浮かんだ通りに、「どんな時でも」。
 ブルーに会えずに終わった時でも、会えない日ばかり続いたとしても…。

 

          どんな時でも・了


※どんな時でも、ブルー君を「忘れはしない」のがハーレイ先生。会えない日でも。
 けれど、記憶が戻る前には、「忘れていた人」。それはちょっぴり悔しいですよねv







拍手[1回]

(…あれっ…?)
 今の…、と小さなブルーが眺め回した部屋の中。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろしていたのだけれど。
 耳に届いた微かな羽音。
 もちろん、鳥の羽音ではなくて…。
(…今の音って…)
 カメムシだよね、とキョロキョロと見回す天井や壁。
 「プーン…」と聞こえた独特の羽音、アレは「そうだ」と思うから。
 触ったらとても「臭い」カメムシ、それが「この部屋にいる」ようだから。
(……どうしよう……)
 放っておいたら大変だよね、と分かる「ソレ」。
 飛んでいるだけなら害は無くても、ウッカリ触れば悲劇になる。
 カメムシが放つ最後っ屁。
 部屋も、最後っ屁がついた所も、とんでもない臭いに覆われて。
 通学鞄に臭いがついたら、学校に行くのも恥ずかしい気分になることだろう。
 友達は直ぐに気付くだろうし、学校に行く路線バスの中でも…。
(…何処かからカメムシの臭いがする、って…)
 他の乗客が視線と鼻で捜して、「あの子の鞄だ」と見詰めてくるのに違いない。
 なんて臭いをさせているのだと、呆れ顔で。
(…鞄からだ、って分かってくれれば、まだいいけれど…)
 勘違いする人もいるかもしれない。
 臭いは通学鞄からではなくて、制服からだとか。
 もっと酷ければ、「あの子の髪の毛にカメムシがいる」といった具合に。
(…髪の毛にくっついてるんなら…)
 不幸な事故だと思ってくれもするだろうけれど、家を出る前に「ついた」と思う人だって。
 こちらの方をチラチラ見ながら、「洗って来ればいいのに」と。
 カメムシの臭いがちゃんと取れるまで、シャンプーで髪を洗って来れば、と。


 そういうのは御免蒙りたい。
 通学鞄に臭いがつくのも、明日、着て行こうと置いてある制服なんかにくっつくのも。
(…制服は替えがあるけれど…)
 朝、「着てしまってから」カメムシが来たら、手遅れになるということもある。
 そういう朝に限って寝坊で、着替える時間は「もう、無い」とかで。
(…制服の中に隠れちゃうことも…)
 ありそうだよね、と分かっているから恐ろしい。
 カメムシの身体は、とても薄いもの。
 制服の中に「よいしょ」と潜って入っていたって、「着てしまうまで」気付かない。
 袖を通して、それから臭いがしてくるまで。
 「制服の中に入ってたんだ…!」と、カメムシの臭いで悟るまで。
(…そんなの、嫌だよ…!)
 行きのバスでも、学校に着いて教室に行っても、注目を浴びるだろう自分。
 「カメムシ臭い」と、誰もが気付いて。
 友達だったら、きっと容赦なく肩を叩いてくれるだろう。
 「今日のお前は、凄く臭うぜ?」などと、カメムシの臭いを指摘して。
(…廊下でハーレイに会っちゃっても…)
 「ハーレイ先生」は、笑顔で挨拶してゆくのだろう。
 「おっ、新作の香水か?」と可笑しそうに。
 カメムシは香水などではないのに、「香水」は校則で禁止されていると思うのに。
 「その香水は何処のなんだ?」とでも訊くかもしれない。
 「俺は使いたいとは思わないんだが、お前の趣味はソレなんだな?」と。
(……ハーレイに、そう言われちゃったら……)
 「ハーレイ先生」ではなくなった時に、「香水」の話が出てきそう。
 仕事の帰りに寄ってくれた日や、休日に訪ねて来てくれた時に。
 「今のお前が好きな匂いは、変わってるよな」と、「例の香水」の臭いを挙げて。
 カメムシなんだと知っているくせに、それを香水扱いで。
(…そんなに好きなら、いつかプレゼントしてやろう、って…)
 からかいだってするのだろう。
 「チビのブルー」が前と同じに育った時には、カメムシの香水を贈ってやる、と。


 欲しいと思わないプレゼント。
 ハーレイが「くれる」ものなら何でも欲しいけれども、「ソレ」は要らない。
 カメムシの臭いの香水なんかは、貰っても困る。
(…まさか無いとは思うけど…)
 ハーレイだったら、「冗談だ」と言いながらも、「持って来そう」ではある。
 「育ったブルー」ではない、「チビのブルー」に。
 カメムシを香水の空き瓶に詰めて、恩着せがましく「お前の好きな香水だ」と。
(それって、断ったら駄目なんだよね…?)
 どんなに迷惑な臭いがしたって、ハーレイからのプレゼント。
 それも「香水」、「チビのブルー」には、まだ「早すぎる」だろう洒落た品物。
 たとえ冗談の贈り物でも、香水瓶の中身は「カメムシの臭い」でも。
(ありがとう、って受け取って…)
 早速、つけるべきなのだろうか。
 香水瓶の蓋を外して、中身のカメムシが放つ臭いを。
 なんと言っても「香水」なのだし、それっぽく「香る」だろう場所に。
(…ママの香水……)
 耳の後ろや、手首につけているのを知っている。
 それと同じに、「ハーレイに貰った」カメムシ入りの香水瓶の「臭い」を纏うのだろうか。
 「プレゼントして貰った」からには、その場で、笑顔で。
 心の中では泣いていたって、「とても嬉しい!」と感激して。
(……カメムシの臭い……)
 嫌だよ、と思う「酷い香水」。
 けれどハーレイからのプレゼントならば、冗談が詰まった香水瓶でも…。
(うんと喜んでおかないと…)
 いつか大きく育った未来に、プレゼントを貰えないかもしれない。
 「お前、喜ばなかったからな?」と、「カメムシ入りの香水瓶」の話をされて。
 誕生日などの記念日だったら「何か貰えても」、普段は「何も貰えない」とか。
 いわゆる、サプライズというヤツは。
 思いがけないプレゼントの類は、「お前は、喜ばなかったから」と。


(それは困るよ…!)
 サプライズのプレゼントが「貰えない」未来も、カメムシ入りの香水瓶も。
 どちらも嫌だし、避けたいもの。
 カメムシの臭いを「させていた」せいで、そんな運命を辿るのは。
(……退治しなくちゃ……)
 そうなる前に、と引き出しから出した粘着テープ。
 カメムシ退治にはコレが一番、と母が教えてくれたのだったか。
 幼かった頃に「掴んでしまって」、大泣きした日に。
 「こうして捕まえればいいの」と、最後っ屁を「放ってしまった」虫の背中に貼って。
(…先に粘着テープを貼ったら…)
 もう最後っ屁は放てない。
 次に羽音が聞こえて来たなら、コレを使って捕まえないと。
 通学鞄や制服に「臭い」がついてしまって、悲しい思いをしたくなければ。
 ハーレイが「カメムシ入りの香水瓶」を持って来るとか、サプライズは無しの未来とか。
(…絶対、嫌だよ…!)
 徹夜してでも捕まえてやる、と粘着テープを手にして待った。
 独特の羽音が聞こえて来るのを、カメムシが動き始める時を。
 漏れそうになる欠伸を噛み殺しては、「カメムシ退治…」と心で繰り返して。
(来た…!)
 あそこ、と見付けた羽音の持ち主。
 天井の近くを飛んでいるから、まだ届かない。
(見失ったら、おしまいだから…)
 しっかり見据えて、チャンスを待った。
 粘着テープで捕まえられる場所に止まるのを。
 チビの自分の手でも充分、届く所にやって来るのを。
(…今だ…!)
 クローゼットの扉に止まった所を、そっと近づいて、ペタリと貼った粘着テープ。
 カメムシが最後っ屁を放たないよう、背中にペタンと。
 嫌な臭いが、部屋中に満ちてしまわないように。


(やった…!)
 もう大丈夫、と粘着テープに「くっついた」虫を包んで捨てた。
 ゴミ箱にポイと、テープごと。
 これで「カメムシ入りの香水瓶」を、ハーレイからプレゼントされないで済む。
 「お前、喜ばなかったからなあ…」と、「サプライズが貰えない」未来が来るのも回避した。
(…良かったよね……)
 そんな悲劇にならなくて…、と笑みを浮かべた所で気が付いた。
 今のハーレイなら「香水か?」と、酷い冗談を言いそうだけれど。
 カメムシ入りの香水瓶まで「好きな香水だろ?」と「持って来そう」なほどなのだけど…。
(…前のハーレイだと、カメムシなんか…)
 きっと臭いさえ知らなかったろう。
 シャングリラにいた虫はミツバチだけで、蝶さえもいない船だったから。
 「役に立たない」生き物なんかは、白い箱舟にはいなかったから。
(……ぼくに冗談で贈りたくても……)
 前のハーレイは、香水の空き瓶に「カメムシを詰める」ことは無理だった。
 そういう香水瓶が無いなら、前の自分も「貰えなかった」。
 迷惑そうな顔をしつつも、「カメムシ入りの香水」を纏うべきかどうかも「悩めない」。
 前のハーレイが「くれない」のならば、悩むことさえ出来ないから。
(……うーん……)
 今だから貰えるんだよね、と気付かされた「カメムシ入りの香水」。
 ハーレイが「酷い冗談」を思い付きそうなのも、「今だからこそ」。
 カメムシは嫌われ者の虫でも、白いシャングリラには「いなかった」虫。
 青い地球の上に二人で来たから、「カメムシ入りの香水瓶」の出番なんかもあるのだろう。
(…そんなプレゼントは欲しくないけど…)
 嫌われ者でも、可哀相なことをしちゃったかな…、という気がする。
 前の自分は、カメムシ入りの香水瓶などは「貰うことさえ」出来なかった、と分かったら。
 平和な青い地球の上でしか、貰えないのだと気付いたら。
 とはいえ、欲しくはないけれど。
 同じプレゼントを貰うのだったら、「もっと素敵な何か」が欲しいと思うけれども…。

 

            嫌われ者でも・了


※ブルー君が避けたい、カメムシ入りの香水瓶を「ハーレイ先生から、貰う」こと。
 けれど、前のブルーだと「貰えなかった」香水瓶。地球ならではの迷惑なプレゼントですv








拍手[0回]

Copyright ©  -- つれづれシャングリラ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]