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「ねえ、ハーレイ…」
 ちょっとお願いがあるんだけれど、とブルーが傾げた首。
 二人きりで過ごす休日の午後に、愛らしく。
 お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
(…お願いだって?)
 こいつはロクなことではないぞ、と内心、思ったハーレイ。
 小さなブルーの「お願い」とくれば、まず間違いなく…。
(ぼくにキスして、というヤツなんだ!)
 その手に乗るか、とハーレイは腕組みをして問い返した。
「ほほう…。今日は、どういうお願いなんだ?」
 中身によっては聞いてやろう、と先に釘を刺す。
 「聞けるお願いと、そうでないのがあるからな」と。
 するとブルーは、「分かってるよ」と素直に頷いた。
 「だって、ハーレイのお腹にも、都合があるもんね」と。


「はあ?」
 あまりにも予想外の返事に、ハーレイがポカンと開けた口。
 腹具合とは、いったい何のことだろう、と。
(昼飯だったら、さっき食ったし、今はケーキで…)
 今日のケーキも美味いんだが、と眺めるベリーのケーキ。
 もちろん、ブルーの母の手作り、当然、美味しい。
(…だが、俺の腹具合とブルーに、何の関係が…?)
 分からんぞ、と首を捻っていたら、ブルーが重ねて言った。
 「ぼくが欲しいの、ハーレイのケーキなんだけど」と。
「ケーキだって?」
 お願いというのはソレなのか、とハーレイの目が丸くなる。
 そんな「お願い」は、考えさえもしなかったから。
 けれどブルーは、ハーレイの皿を指差して…。
「あのね、そこのベリーが挟まってるトコ…」
 美味しそうだよ、と無邪気に微笑む。
 「ぼくのケーキも美味しいんだけど、ハーレイのがね」と。


(……ふうむ……)
 言われてみれば、と改めてブルーのと比べたケーキ。
 どちらもベリーをサンドしたもので、切り分けた一切れ。
(確かに、同じケーキからカットしたって…)
 見た目は、ちょいと変わってくるよな、と納得した。
 ブルーの皿のケーキに比べて、ベリーが少し多めな印象。
(こいつは、ブルーが欲しくなるのも…)
 無理はないかもしれないな、と可笑しくなった。
 「なるほど、それで腹具合か」と。
 ブルーにケーキを分けてやったら、その分、取り分が減る。
 たかがケーキを少しとはいえ、ブルーにすれば…。
(食が細いから、うんと大きな量ってわけだ)
 俺が腹ペコになる可能性、と想像がつくブルーの思考。
 「ぼくがケーキを分けて貰ったら、お腹が減るかも」と。
 「ハーレイは、身体が大きいものね」などと。
(可愛いじゃないか)
 たまにはマトモなことも言うな、と嬉しくなった。
 「今日の「お願い」は普通だったか」と。
 しかもケーキが欲しいだなんて、子供らしくて可愛いから。


 そういうことなら、とハーレイは大きく頷いた。
「よしきた、俺のケーキだな?」
 お前は、どのくらい食えるんだ、とケーキを指差す。
 「欲しい分だけ切ってやるから」と、「一口分か?」と。
「えっとね…。食べ過ぎちゃうと駄目だから…」
 一口分で、とブルーが言うから、フォークで切った。
 欲しいと言われたベリーの部分を、「これでいいか?」と、
 ベリーが多めに入るようにと、加減して。
「ほら、ご注文のケーキだぞ」
 皿を寄越せ、とケーキをフォークに刺そうとしたら…。
「それじゃ駄目だよ!」
 フォークじゃ駄目、と抗議の声を上げたブルー。
 「お皿に移すっていうのも駄目」と、「それは違うよ」と。
「なんだって?」
 じゃあ、どうやって食うと言うんだ、と首を捻った。
 フォークも駄目で、皿に移すのも駄目だなんて、と。
 そうしたら…。


「決まってるでしょ、口移しだよ!」
 まず、ハーレイの口に入れてね、と赤い瞳が煌めいた。
 「それから、ぼくの口に入れてよ」と、笑みを浮かべて。
 「小鳥みたいで、ちょっといいでしょ」と。
 「そうやって餌を持って来るよね」と、得意そうに。
(口移しだと…!?)
 つまりキスってことじゃないか、と分かったから。
 ブルーの魂胆が判明したから、軽く握った右手の拳。
「馬鹿野郎!」
 その手に乗るか、とブルーの頭をコツンとやった。
 口移しでケーキを食べようだなんて、早すぎるから。
 「お前にキスは早すぎるんだ」と、「口移しもな」と…。




       一口ちょうだい・了











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(今日は、ハーレイに会えなかったよね…)
 一度も会えないままだったよ、と小さなブルーが零した溜息。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は会えずに終わったハーレイ。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 毎日でも会っていたいというのに、こうして会えない日だってある。
 ハーレイが教える古典の授業は、今日は無かった。
 学校の廊下でも出くわさないまま、遠目に姿を見てさえもいない。
(ツイていないよ…)
 だけど、と明日へと気持ちを向ける。
 あと半日も経たない内に、次の日の朝がやって来る。
 日付だけなら、数時間もすれば、明日という日が来る勘定。
(きっと明日には、来てくれるよね?)
 学校では会えずに終わっちゃっても、仕事の後で、と切り替えた思考。
 そうそう毎日、用事は続かないだろう。
 連日のように会議は無いし、柔道部だって、長引くことは少ないから。
(うん、明日までの我慢…)
 ちょっぴり寂しくなるのは今日だけ、と気分がフワリと軽くなってゆく。
 明日の今頃には、すっかり満足している自分がいることだろう。
 「今日はとってもいい日だったよ」と、御機嫌でベッドに腰を下ろして。
 ハーレイと一緒に過ごした時間を思い返して、幸せになって。
(…だって、来てくれたら…)
 まずは二人きりのティータイムから。
 窓辺に置かれた椅子とテーブル、其処で、ゆっくり。
 母が運んで来てくれたお茶と、母が作った美味しいお菓子で。


(……ママのお菓子、明日は何だろう?)
 パウンドケーキの日だといいな、と我儘なことを考えた。
 どのお菓子でも美味しいけれども、パウンドケーキは特別なケーキ。
(材料は、とっても単純だけど…)
 バナナもオレンジも入ってはいない、プレーンなパウンドケーキがいい。
 砂糖とバターと小麦粉と卵、それだけを使ったパウンドケーキ。
 どれも、それぞれ1ポンドずつ、使って焼くから「パウンド」ケーキと呼ぶらしい。
(…ママが焼くのと、ハーレイのお母さんが焼くのと…)
 何故だか、不思議に、そっくり同じな味のケーキになるという。
 ハーレイが初めて口にした時、「おふくろの味だ」と笑顔になった。
 「おふくろが焼いて、コッソリ届けに来たのかと思ったぞ」と言ったくらいに同じ味。
 だからハーレイの大好物で、食べる時にも、とびきりの笑顔。
(なんでも美味しそうに食べるんだけど…)
 それに好き嫌いも無いんだけれど、と可笑しいけれども、本当にパウンドケーキは特別。
 毎日だって、母にリクエストをしたいくらいに。
 「今日のおやつも、普通のパウンドケーキがいいな」と、朝から強請って。
(…だけど、絶対、飽きちゃうし…)
 いくらハーレイの好物でもね、と分かってはいる。
 どんなに美味しいお菓子も料理も、同じものが続けば飽きるもの。
 「たまには別のものが食べたい」と言いたくもなるし、不満も募ってしまいそう。
 「なんて無能な料理人だ」と、美味しいことは棚上げで。
 贅沢な食材を使ってあっても、「安くていいから、別のものを」と。
(…パウンドケーキも、それとおんなじ…)
 毎回、毎回、出し続けていたら、ハーレイは困ってしまうだろう。
 来客の身では、面と向かって「別のケーキに出来ませんか」と言えるわけがない。
 「たまには、バナナを入れて下さっても…」と、遠回しに言うことだって。
(パウンドケーキ地獄になっちゃう…)
 ふふっ、と時の彼方を思った。
 いろんな地獄があったっけね、と。


 前の自分が暮らした船。
 最初はコンスティテューション号だった、シャングリラ。
 燃えるアルタミラから脱出した後、その船で旅が始まった。
 船には豊富な食材が載っていたのだけれども、皆で食べれば、じきに無くなる。
(…このままじゃ、みんな飢え死にしちゃう、って…)
 前の自分は、たった一人で、生身の身体で宇宙を駆けた。
 人類を乗せた宇宙船へと、食材を奪いにゆくために。
(ちゃんと奪って帰って来たけど…)
 前のハーレイは酷く心配して、次から奪いに出てゆく時には…。
(コンテナの中身は、何でもいいから、って…)
 いちいち選んで探して来るな、と釘を刺された。
 「とにかく、サッサと帰って来い」と。
 見付からないから大丈夫だ、と何度言っても、「絶対に駄目だ」と睨み付けて。
 お蔭で、選べなかった食材。
 船の倉庫に運び込んだら、コンテナの中身が偏っていたのは、よくあったこと。
(…ジャガイモだらけだとか、キャベツだらけとか…)
 そんな話はしょっちゅうのことで、その度に、船は地獄になった。
 来る日も来る日も、ジャガイモ料理が続いてゆくのが、ジャガイモ地獄。
 キャベツだったらキャベツ地獄で、何処まで行っても、キャベツ料理が並ぶだけ。
 船の中だけが全ての世界では、食事も楽しみの内なのに。
 「今日の食事は、何が出るかな」と、皆が食堂にやって来るのに。
(…ジャガイモもキャベツも、美味しいんだけどね?)
 そのまま食卓に乗るのではないし、きちんと調理してあった。
 前のハーレイが腕を揮って、せっせと作った、様々な料理。
 それでもやっぱり、皆の不満は募ってゆくから、ジャガイモ地獄が誕生する。
 キャベツばかりならキャベツ地獄で、新しい食材が来るまで、地獄。
 改造する前のシャングリラでは、食べられるだけでも、とても幸せだったのに。
 飢えて死ぬことを考えたならば、不満を言える筈も無いのに。
 けれど「地獄だ」と言っていたのが船の仲間で、それを思うと…。


(パウンドケーキばかり出してたら…)
 いくらハーレイの大好物でも、パウンドケーキ地獄になることだろう。
 「たまにはバナナでも入れて下さい」とは、言えないで。
 「他のケーキがいいのですが」とは、逆立ちしたって言えなくて。
 それではハーレイに申し訳ないし、パウンドケーキは、やっぱり、たまに。
 母が作ろうと思った時に、焼いてくれるのが一番いい。
(ママなら、何のお菓子を作ったのかは…)
 決して忘れる筈が無いから、いいタイミングで出て来るだろう。
 その日までに作ったお菓子の数々、それらとバランスのいい時に。
 「そろそろ、パウンドケーキの出番ね」と、母が思ってくれた日に。
(…ハーレイが、ママのパウンドケーキが大好きだ、ってこと…)
 もちろん母も知っているから、以前よりも増えた登場する日。
 そう、ハーレイが来るようになってから。
 前の生での記憶が戻って、今の自分が「ソルジャー・ブルー」だったと知った頃から。
(パウンドケーキは、今のハーレイのお母さんのだけれど…)
 おふくろの味は最高らしくて、自分でも焼こうと何度も試みたらしい。
 なのに一度も成功しなくて、この家に来て…。
(ママのケーキで、とってもビックリしたんだよ)
 だからホントに特別なケーキ、とパウンドケーキを思い浮かべる。
 明日、出て来るかは謎だけれども、それがお皿に載っていたなら…。
(…ハーレイの幸せそうな顔…)
 見られることは確実だから、ちょっぴり我儘を言いたくなる。
 明日の朝、母に「パウンドケーキを作ってよ」と。
 「今日はハーレイが来ると思うから、パウンドケーキ」と。
 会えずに終わった今日の分まで、うんと幸せなティータイム。
 窓辺に置かれたテーブルと椅子で、二人、ゆっくりと向かい合って。


 いいよね、と夢見る明日の幸せ。
 パウンドケーキがあっても無くても、本当に幸せなことだろう。
 そしてハーレイが帰った後にも、満ち足りた心で、ベッドの端に腰を下ろして…。
(ホントにいい日だったよね、って…)
 交わした話を思い返して、頬を緩めているのだと思う。
 話の中身は、ごく他愛ないものだって。
 前の生の記憶の欠片なんかは、まるで絡んでいなくても。
(柔道部の生徒の話とかでも、うんと幸せ…)
 ハーレイと二人で過ごせるだけで、充分だから。
 学校の話ばかりで終わってしまっても、それで全然、かまわない。
 ハーレイに会えれば、幸せだから。
 仕事の帰りに寄ってくれれば、幸せな時間が持てるのだから。
(…早く、明日になったらいいのに…)
 日付が変わるのも、まだ先だよね、と壁の時計に目を遣った。
 そんな時間まで夜更かししたなら、今の生でも弱い身体が悲鳴を上げてしまうだろう。
 体調を崩してしまったら最後、ハーレイと幸せな時間は持てない。
 だからその前に、潜り込まねばならないベッド。
(…そしたら、じきに眠くなるから…)
 寝ている間に夜を飛び越え、明日という日がやって来る。
 目を覚ましたら、部屋に朝日が差し込んで。
 もしも曇りや雨の日だって、部屋が明るくなっていて。
(お日様は、ちゃんと昇るんだから…)
 雨の日でもね、と思った所で気が付いた。
 今ではすっかり当たり前の「明日」、それが無かった時代のことに。
 前の自分が生きた頃には、来るとは限らなかった「明日」。
 白い鯨に改造された後の時代でも、シャングリラという船に「明日」が来るかは…。
(……誰にも分からなかったんだよ……)
 夜の間に沈められたら終わりだから、と身を震わせた。
 今でこそ「明日」は当然のように来るのだけれども、違ったのだ、と。


(…今だと、夜になったって…)
 さっきまでのように、明日を夢見ていられる。
 明日という日が、どんな日になるか、あれこれ楽しく想像して。
 母に我儘を言ってみようか、と、ちょっぴり企んだりもして。
 けれども、前の自分は違った。
 夜が来る度、次の日のことを恐れないではいられなかった。
 「明日という日は、来るのだろうか」と。
 太陽など昇らない暗い宇宙を、長く旅していた時も。
 アルテメシアに落ち着いた後も、夜には、やはり不安になった。
 「この船に、明日は来てくれるのか」と。
 それを思えば、今の自分は…。
(ホントのホントに、うんと幸せ…)
 なんて幸せなのだろうか、と浮かんだ笑み。
 「夜になったって、少しも不安にならないものね」と。
 明日という日を夢見ていられて、我儘にだってなれるんだもの、と…。

 

         夜になったって・了


※ハーレイ先生に会えなかった日の夜、明日を夢見るブルー君。ちょっぴり我儘なことも。
 けれど前の生では、明日が来るとは限らなかったのです。今はとっても幸せですよねv











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(今日はあいつに会えなかったな…)
 残念ながら、とハーレイがフウと零した溜息。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 愛用のマグカップにたっぷりと淹れた、コーヒー片手に。
 今日は会えずに終わったブルー。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた、愛おしい人。
 会えなかったことは残念だけれど、きっと明日には…。
(うん、学校で会えるだろうさ)
 学校では駄目でも、家に行くって手もあるんだし、と大きく頷く。
 明日は会議の予定は無いから、仕事の帰りに寄れるだろう。
 ブルーが待っている家に。
 生垣に囲まれた、すっかり見慣れてしまった家へと、帰り道に車を走らせる。
 真っ直ぐ家に帰るのではなく、寄り道をしに。
 愛おしい人の顔を眺めに、ゆっくりと話をするために。
(…お茶と夕食を御馳走になろう、というんだし…)
 なんとも厚かましい限りだけれども、それにも今では慣れてしまった。
 出迎えてくれるブルーの母にも、家族のような親しみを感じているのが今。
 「お邪魔します」と挨拶はしても、気持ちの方は「ただいま」に近いかもしれない。
 隣町の実家に帰るのと同じで、まるで遠慮はしていないから。
(…本当に、実に厚かましいな)
 しかし、あちらも、そういう具合になっているし、と苦笑する。
 十四歳にしかならないブルーは、「ハーレイ先生」が大のお気に入り。
 訪ねてゆく度、大歓迎で、夕食の席でもはしゃぐほど。
(ご両親の方では、俺に気を遣って…)
 子供の相手ばかりでは大変だろう、と色々な話題を持ち出すけれども…。
(あいつときたら、ろくに中身が分かってなくても…)
 隙あらば会話に混ざり込もう、と虎視眈々と狙っている。
 「パパとママに、ハーレイを盗られちゃった」と、子供らしい独占欲に駆られて。
 自分だって話に混ざりたいのに、と内心、不満たらたらで。


 そういうブルーに、明日になったら会える筈。
 仕事の帰りに、寄り道をすれば。
 家のガレージを目指す代わりに、別の方へとハンドルを切れば。
(もう少しばかり、寄り道ってのも…)
 ひょっとしたら、あるかもしれないな、とコーヒーのカップを傾ける。
 今の時点では、そんな予定は無いけれど…。
(なにしろ、明日まで、まだたっぷりと…)
 時間があると来たもんだ、と時計を眺めて折ってゆく指。
 明日の朝までには、まだ何時間、と。
 ついでに仕事が終わるまでには、もう何時間ある勘定なのか、と。
(…丸一日とまでは、いかないんだが…)
 半日以上は優にあるから、これから思い出すかもしれない。
 前のブルーと過ごした時代の、とても懐かしい思い出を。
 今は記憶の底に沈んで、すっかり忘れていることを。
(…そいつを、ヒョイと思い出したら…)
 ブルーの家へと出掛ける前に、寄り道することもあるだろう。
 ひょっこり戻った記憶の欠片に、何か食べ物でも絡んでいれば。
 何処にでもある食料品店、其処で簡単に手に入る品が、それならば。
(こればっかりは、流石の俺にも…)
 読めないんだよな、と思う、記憶の不意打ち。
 今日までに何度も体験して来て、食料品店にも何度も寄った。
 「こいつを買って行かないとな」と、お目当ての品を手に入れに。
 小さなブルーに「懐かしいだろ?」と、思い出話をするために。
(はてさて、明日はどうなることやら…)
 寄り道する先が一つ増えるのか、それとも真っ直ぐ、ブルーの家か。
 それは全く読めないけれども、ブルーの家には行けるだろう。
 会議の予定は無いのだから。
 柔道部だって、余程でなければ、長引くことなど有り得ないから。


 よし、と頭に思い描くのは「明日」のこと。
 寄り道する先が一つ増えるか、あるいは真っ直ぐ、ブルーの家か、と。
(一つ増えれば、楽しいんだがな…)
 あいつの喜ぶ顔も見られる、と思い出話の切っ掛けに期待するけれど。
 何かを思い出しはしないか、胸を弾ませて考えるけれど…。
(そうそう上手くはいかないもんだ)
 運なんだよな、と分かってはいる。
 記憶の底に沈んだ欠片を、拾えるかどうかは運次第。
 まるで川底の砂を掬い上げて、その中から砂金を探すみたいに。
(砂金もそうだし、宝石ってヤツも…)
 場所によっては、そうやって探すモンらしいしな、と思うくらいに、本当に、運。
 ツイていたなら、最初に掬った砂の中から、砂金の粒が採れるだろう。
 宝石だって、コロンと混じっているのだと思う。
 けれども、ツイていない時には、たとえ何日、掬い続けようと…。
(砂金も採れなきゃ、宝石だって…)
 全く採れずに、ただ努力だけが空回り。
 記憶の欠片を拾い上げるのも、そういう作業に何処か似ている。
 だから、どんなに思い出そうとしてみても…。
(…俺には、どうにもならないってな)
 お手上げなんだ、と軽く両手を広げた。
 今夜は思い出せそうにない、と記憶の欠片は諦めて。
 明日の寄り道はブルーの家だけ、きっとそうなるに違いない、と。
(だがまあ、あいつの家には行けるし…)
 小さなブルーの顔を見られれば、もうそれだけで充分ではある。
 思い出話の欠片は無しでも、愛おしい人に会えるから。
 今日は会えずに終わった恋人、その人と話が出来るのだから。
(厚かましく、お邪魔しちまって…)
 ブルーの部屋で、お茶とお菓子を御馳走になって。
 二人きりでゆっくり話した後には、両親も交えた夕食の席で。
 きっと会話が弾むだろうから、それだけでいい。
 記憶の欠片は拾えなくても、寄り道する先が増えなくても。


(うん、充分に幸せだってな)
 明日になるのが楽しみだ、とカチンと弾いたマグカップの縁。
 あと何時間か過ぎた後には、明日という日がやって来る。
 コーヒーを飲み終えて、片付けしてから、ベッドに入って、ぐっすり寝れば。
 夜が明けたら、明日が来るから、ブルーの家に出掛けるまでに…。
(運が良ければ、何かを思い出すかもなあ…)
 ツイていればな、と白いシャングリラを思い浮かべる。
 あの船で起こったことでもいいし、改造する前の船でもいい、と。
 何か記憶の欠片を拾って、寄り道の先が一つ増えればいいんだが、と。
(…そうすりゃ、明日は、もっといい日に…)
 なるんだがな、と思った所で気が付いた。
 「明日」という日の存在に。
 さっきからずっと、当たり前のように想像していた、「明日」の重みに。
(…俺がシャングリラにいた頃は…)
 改造前の船はもちろん、白い鯨になった船でも、「明日」が来るとは限らなかった。
 暗い宇宙を旅した時代は、朝日は昇らなかったのだけれど。
 いつでも外は暗かったけれど、それでも「明日」の概念はあった。
 船の中だけが世界の全てで、外の世界は無かったから。
 たとえ夜明けは来なかろうとも、一日の始めと終わりは必要。
 そうでなければ、人は健康に暮らせはしない。
 夜勤に入った者はともかく、そうでない者は…。
(夜になったら、寝るモンで…)
 次の日の朝を知らせる合図で、ベッドから起きて活動を始める。
 まずは洗顔、それから着替えで、支度が出来たら食堂に行って…。
(朝飯を食ったら、持ち場に出掛けて…)
 その日の仕事に取り掛かっていた。
 外は真っ暗な宇宙であろうと、「朝が来たから」と。
 「今日も一日、しっかりやろう」と、それぞれの持ち場で気を引き締めて。
 けれど、何処にも保証は無かった。
 次の日の朝が、やって来るとは。
 夜を迎えたシャングリラという船、その船に「明日」があるかどうかは。


 人類に追われるミュウの箱舟、いつ襲われるか分からない船。
 夜の間に沈められたら、次の日などはあるわけが無い。
 いくら準備をしていても。
 「明日の作業は、これとこれだ」と、皆が段取りしていたとしても。
(前の俺は、その船のキャプテンで…)
 シャングリラの全てを背負っていたから、何度、不安を覚えたろうか。
 「もしも」と、「明日が来なかったら」と。
 人類軍の船が近くを飛んでゆく度、恐れを抱いて夜を迎えた。
 そうでない時も、常に何処かで思っていた。
 「無事に、明日の朝を迎えられればいいが」と。
 シャングリラに、夜が訪れる度。
 夜も昼も無い宇宙を旅していた時も、アルテメシアの雲海に潜んでいた時も。
(…その筈だったが、今の俺は、だ…)
 実に気楽に暮らしているな、と愛用のマグカップを、しみじみと見る。
 ついさっきまで、当たり前のように夢を見ていたのが「明日」。
 「記憶の欠片が拾えるといいが」と、更に欲張りな夢を描いて。
 ブルーに会えることは確実なのだし、どうせなら、もっと、と寄り道をしたくて。
 前の生での記憶の欠片を、運良く、拾えたらいい、と。
 もし拾えたら、それに纏わる「何か」を買いに行けたらいい、と。
(…前の俺だと、夜は不安になったモンだが…)
 今では夢見る時間らしいな、と見回した書斎。
 此処で寛ぐ安らぎの時間、それが今では「夜」のようだ、と。
 今の時代は明日は必ず訪れるもので、夜は、それまでの待ち時間。
 何も不安になることは無くて、ただのんびりと明日を待つだけ。
 コーヒーを飲んで、後は片付け、それからベッドに潜り込んで。
 「明日はブルーに会えるんだしな」と、沢山の夢まで思い描いて。
(うんと贅沢になったモンだな、今の俺はな)
 夜になっても、自分の時間をゆっくり楽しむだけなんだしな、と浮かべた笑み。
 「本当に、俺は幸せ者だ」と。
 明日は必ずやって来る上、明日はブルーに会えるのだから…。

 

           夜になっても・了


※明日はブルー君に会いに行ける、とハーレイ先生が夢見る明日。寄り道もしたい、と。
 寛ぎの時間が夜ですけれども、前の生では違ったのです。今の世界は、幸せな世界v












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「あのね、ハーレイのお父さんとお母さんって…」
 怒ると怖い? と小さなブルーが投げ掛けた問い。
 二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に何の前触れも無く。
 お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
 ハーレイの両親の話などは、していなかったものだから…。
「はあ? いきなり、急にどうしたんだ?」
 なんだって親父たちなんだ、とハーレイは目を丸くした。
 ブルーの両親の話も出てはいないし、まるで無い切っ掛け。
 けれどブルーは「気になったから」と、赤い瞳を瞬かせた。
 「ハーレイのお父さんたちは、怖いの?」と。
 普段は優しそうだけれども、怒った時には怖いのかな、と。
「俺の親父と、おふくろか…」
 それは、まあな、とハーレイは苦笑しながら頷いた。
 生徒の前では言えないけれども、ブルーだったら、と。


「いいな、他の生徒には言うんじゃないぞ?」
 絶対、調子に乗りやがるからな、とブルーに釘を刺す。
 「ハーレイ先生の威厳が台無しだしな」と、キッチリと。
「うん、分かってる。それで、本当に怖いわけ?」
 小さなブルーは興味津々、身を乗り出して聞いている。
「いつもは怒らないんだが…。俺が悪さをした時には…」
 そりゃ怖かったな、文字通りに雷が落ちるというヤツだ。
 おやつ抜きとかは当たり前だったし、お前の両親とは…。
 随分違うな、とブルーに微笑み掛ける。
 「お前なんかは、叱られたって怖くないだろう?」と。
 おやつ抜きの刑を食らいはしないし、甘い筈だ、と。
「うん、パパとママは優しいよ。叱るだけだし」
 罰は無いよね、とブルーは両親を自慢した。
 「ホントに、とっても優しいんだから」と、得意そうに。


「そりゃ良かった。俺も安心していられるな」
 優しいお父さんたちで、とハーレイの胸も温かくなる。
 ブルーが幸せでいてくれることが、何よりだから。
 するとブルーは、首を傾げて、こう言った。
「でしょ? だからね、言い付けようと思うんだ」
「言い付ける?」
 誰に、何を、とハーレイはポカンと口を開いた。
「決まってるでしょ、ハーレイのお父さんたちにだよ」
 ハーレイがとっても意地悪なこと、とブルーは胸を張る。
 「キスをくれないことはともかく、ゲンコツだってば」と。
 いつも頭をコツンとやるから、叱って貰う、と。
「なるほどなあ…。それは親父も怒りそうだが…」
 お前を苛めているとなったら、とハーレイは吹き出した。
 「だが、どうやって、言い付けるんだ?」と。
 「親父たちの家、知っているのか」と、「連絡先は?」と。


「あっ…」
 どっちも知らない、とブルーがしょげるものだから。
 「それじゃ叱って貰えないよ」と小さな肩を落とすから…。
「ふむ、今回は俺の勝ちだってな」
 だからゲンコツはお見舞いしないし、安心しろ。
 それにいつでも言い付けていいぞ、とクックッと笑う。
 「親父たちは、とても怖いからな」と。
 「未来の嫁さんを苛めたとなれば、ゲンコツだろう」と。
 言い付けられるわけがないから、可笑しくて。
 連絡先が分かる頃には、キスを交わしているだろうから…。




          言い付けてやる・了












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(幸せだよね…)
 今のぼくって、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(…ついさっきまでは…)
 不幸のドン底だったんだけど、と可笑しくなる。
 今の自分はとても不幸で、悲しくなるほどツイていない、と嘆いていた。
 仕事の帰りに、ハーレイが寄ってくれなかったから。
 学校でもハーレイに会えずに終わって、一度も顔を見られなかった。
 古典の授業が無かった上に、廊下でも擦れ違わなかったせいで。
(……ツイてなくって……)
 最悪な日だ、と思っていたのだけれども、明日には会えるかもしれない。
 古典の授業は無い日だとはいえ、ハーレイは学校にいるのだから。
(朝一番から、柔道部の朝練があるもんね?)
 運が良ければ、登校して直ぐに会えるだろう。
 其処で駄目でも、廊下や階段で擦れ違うだとか、チャンスは山ほど。
 それに明日なら…。
(学校の帰りに、来てくれるかも!)
 会議や、柔道部で何かが無ければ、ハーレイは寄ってくれる筈。
 そうすれば今日の不幸は一転、幸せな時がやって来る。
 窓辺のテーブルと椅子でお茶の時間で、夕食だって、ハーレイと一緒。
(晩御飯の時は、二人っきりじゃないけれど…)
 両親も食卓に着くのだけれども、それでも充分、幸せではある。
 ハーレイの主な話し相手が、両親になってしまっても。
 子供の自分は置き去りにされて、大人同士の話題に花が咲いたって。
(…それでも、ハーレイがいるんだもんね?)
 ぼくの側に、と嬉しくなる。
 声が聞けたら、鳶色の瞳を見ていられたら、それで充分、と。


 ついさっきまでは、そうは思っていなかった。
 本当の本当に不幸のドン底、悲しくて泣きそうだったほど。
 「今日はハーレイに会えなかったよ」と、心の中で繰り返して。
 何度も大きな溜息をついて、「今日は最悪」と嘆いてもいた。
 けれど、明日には、と思った所で、今の幸せに気が付いた。
 「そうだよ、明日があるんだっけ」と。
 今はすっかり夜だけれども、暗い夜中を通り過ぎたら、日が昇る。
 そうして明日の朝を迎えて、外では小鳥が鳴き出すだろう。
 もしも天気が雨だとしたって、雨音の向こうで、夜が明けてゆく。
 雨だと小鳥は鳴かないけれども、代わりに聞こえるだろう音。
(屋根に落ちて来る雨の音とか、表の道を走る車が…)
 濡れた道を通ってゆくタイヤの音で、雨の日なのだと知らせてくれる。
 他にも色々、晴れた日とは違う、雨の日の朝。
(…うん、ちゃんと朝が来るんだよ)
 朝が来たなら、ベッドから出て、学校へ行く支度をする。
 顔を洗って、制服に着替えて、それから朝食。
(……ホットケーキの朝御飯かも……)
 もしかしたら、と心が弾む。
 母が焼いてくれるホットケーキは、もちろん、美味しいのだけれど…。
(前のぼくの、憧れの朝御飯…)
 本物の地球のホットケーキ、と心は時の彼方へと飛ぶ。
 白いシャングリラで暮らしていた頃、前の自分が、何度も夢見た。
 いつか地球まで辿り着いたら、と幾つも描いた夢の一つが、ホットケーキ。
(…ホットケーキに、地球の草を食べて育った、牛のミルクのバターを乗っけて…)
 サトウカエデの森で採られた、本物のメイプルシロップを、たっぷりとかける。
 そういう素敵なホットケーキを、朝御飯の時に食べたい、と。
(前のぼくの夢、そこまでだけど…)
 ホットケーキには地球の小麦や、地球で育った鶏の卵も使われている。
 なんとも贅沢な限りの朝食、今の自分には、普通だけれど。
 ごく当たり前のメニューだけれども、前の自分には、夢で終わってしまった朝食。
 青い地球には辿り着けずに、ただ一人きりで、メギドで生を終えたのだから。


(…今のぼくって、うんと幸せ…)
 当たり前に明日の朝が来るのも、前の自分が生きた頃には無かったこと。
 白いシャングリラが出来上がった後も、「明日が来る」とは限らなかった。
 夜の間に人類軍に沈められたら、其処で全てが終わってしまう。
 誰一人として、次の日の朝は、迎えられずに。
 翌朝の朝食を用意していた、厨房で働く者たちも。
(…それに比べたら、ホントに幸せ過ぎるよね…)
 今のぼくは、と頬っぺたを軽く抓ってみた。
 「夢じゃないよね?」と。
 ベッドにチョコンと腰掛けた自分、チビの自分は夢ではないか、と。
 前の自分が、青の間のベッドで見ている夢。
 青い地球まで辿り着いたら、こんな風に生きてゆけたらいい、と。
(だけど、頬っぺた、痛いから…)
 これは間違いなく現実なのだし、第一、前の自分は死んだ。
 遠く遥かな時の彼方で、命と引き換えに、メギドを一人きりで沈めて。
 白いシャングリラとミュウの未来を、たった一人で守り抜いて。
(…今じゃ、英雄扱いだけど…)
 英雄なんかじゃなかったんだよ、と今でも決して忘れられない、前の自分の悲しい最期。
 右手に持っていたハーレイの温もり、それを失くして泣きじゃくっていた。
 「もうハーレイには、二度と会えない」と。
 「絆が切れてしまったから」と、絶望の淵に突き落とされて。
 泣きじゃくりながら死んだ前の自分は、英雄からは遠いと思う。
 もしも誰かが見ていたならば、「あの泣き虫が?」と呆れるだろう。
 英雄だったら、毅然としたまま、笑みさえ浮かべているだろから。
 右の瞳を撃たれていたって、左の瞳で前を見据えて。
 ミュウの未来は守り抜いたと、自分の役目を果たしたことに満足して。
 自分の命は消えるけれども、仲間たちの命は続いてゆく、と。
(…誰も見ていなくて良かったよね?)
 見られていたなら、どうなったかな、とクスッと笑う。
 「大英雄には、なれなかったかも」と。
 写真集はドッサリ出ていたとしても、顔だけを評価された結果で。


 今の時代も語り継がれる、ソルジャー・ブルー。
 ミュウの時代の始まりを作った、大英雄だと讃えられて。
(でも、そんなことは、今のぼくには…)
 少しも関係無いもんね、と十四歳の子供になった今の自分の右手を眺めた。
 前の自分が失くしてしまった、「最後まで持っていたい」と願った、ハーレイの温もり。
 それを失くして「右手が冷たい」と、泣きじゃくっていた前の自分。
 右手が冷たく凍えたままで、前の自分は死んでいったのに…。
(…今のぼくの手、少しも冷たくないんだよ)
 温かいお風呂にゆっくり浸かって、今だって、まだ身体ごと温かい。
 部屋も少しも寒くはないから、手が冷たくなる心配も無い。
(それに、冷たくなったって…)
 暖房を入れるとか、ベッドの中に潜り込むとか、温める方法は幾らでもある。
 おまけに、どうしようもなく冷えた時には…。
(…ハーレイに貰った、サポーター…)
 それを着ければ、右手は、たちまち温かくなる。
 メギドの悪夢に悩まされていた時、ハーレイがくれたサポーター。
 「こいつを着ければ、右手は冷たくならないさ」と。
 ハーレイが大きな手で握ってくれる時の、力加減まで再現してあるから。
(だから、安心…)
 こうしてパジャマで起きていたって、と幸せな気分に包まれる。
 「本当に、なんて幸せなんだろう」と。
 不幸のドン底だと思っていたのに、そう考えたことさえ、嘘だったように。
(ホントに、幸せ過ぎちゃうくらいで…)
 前のぼくには、夢のまた夢、と白いシャングリラを思い出す。
 白い箱舟で生きた頃には、あれでも充分、幸せだった。
 明日の朝が来る保証など無い、降りる地面さえ持たない白い箱舟でも。
 それでもミュウの楽園だったし、「シャングリラ」の名に相応しかった。
 船の中では、人らしく生きてゆけたから。
 人体実験をされることもなく、きちんと三度の食事も出来て。


(あの頃の、ぼくに比べたら…)
 本当に幸せ過ぎる暮らしを、今の自分は送っている。
 毎日、毎日、当然のように。
 それが特別幸せなのだと、こうして気付くことさえせずに。
(…うんと幸せで、ちゃんとハーレイだっているのに…)
 不幸のドン底だと嘆くだなんて、前の自分が耳にしたなら、きっと叱られることだろう。
 「メギドで死んだ時の自分」でなくても、赤い瞳でキッと見据えて。
 「今の自分を、よく見たまえ」と、「何処が不幸だと言うんだい?」と。
(……うーん……)
 もう間違いなく叱られるよ、と首を竦めた。
 前の自分が此処にいたなら、お説教を食らうことだろう。
 「君が不幸だと言うんだったら、ぼくと代わってやってもいい」と。
 そうすれば毎日、必ずハーレイに会えるわけだし、幸せに暮らしてゆけるだろう、と。
(ハーレイと本物の恋人同士にも、なれるんだけど…)
 今の幸せは、全て消し飛ぶ。
 明日の朝が来るとは限らない日々、おまけに青い地球だって「無い」。
 母が焼いてくれるかもしれない、朝御飯のホットケーキも、全部。
(パパとママがいる家も無くなっちゃって、学校も無くて…)
 これから先にある筈の未来、それもすっかり消え失せてしまう。
 結婚出来る年になったら、ハーレイと結婚することも。
 同じ家で暮らしてゆける未来も、二人であちこち旅をすることも。
(それじゃ困るよ、そんなの、絶対、嫌なんだから…!)
 だけど、ホントに言われちゃいそう、と前の自分を思い浮かべる。
 仲間たちには優しかった前の自分だけれども、自分自身には厳しかった。
 そう、命さえも、投げ出したほどに。
 ハーレイの温もりだけを握って、一人きりでメギドへ飛び去ったほどに。
 「ソルジャー・ブルー」と同じ魂を持っているのに、今の自分は、どうだろう。
 叱られてしまいそうなくらいに、うんと我儘で、贅沢で…。


(きっと、幸せ過ぎちゃうと…)
 それに慣れちゃって、忘れちゃうんだよね、と軽く叩いた自分の頬っぺた。
 「もっと、しっかりしなくっちゃ」と。
 不幸だなどと嘆いていないで、今の幸せを噛み締めて。
 前の自分と比べてみたなら、自分は、うんと幸せだから。
 幸せ過ぎると言えるくらいに、幸せが当たり前なのだから…。

 

          幸せ過ぎちゃうと・了


※ハーレイ先生に会えなくて、不幸のドン底だったブルー君。でも、考えたら幸せな今。
 幸せ過ぎるくらいに幸せ過ぎて、それを忘れてしまうほど幸せな日々。それこそが幸せv












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