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(そろそろ用意をしておかんとな?)
 もうすぐシーズンになるのだから、とハーレイは物置の方へと向かった。
 色々な物を仕舞ってある場所だけれど、今日の目的はテーブルと椅子。
 これからの季節に活躍してくれる、折り畳み式のキャンプ用。
 扉を開ければ直ぐに目に付く、きちんと整理してあるから。


 埃除けにと被せてあった布を剥がして、「よし」と頷く。
 テーブルも椅子も、去年の秋の終わりに仕舞った時から変わっていない。
 元々が屋外で使用するために作られているものだから。
 急な雨に降られたりしても傷まないように出来ているから、物置の中ならもう安心で。
 折り畳む部分が錆びもしないし、他の部分も色褪せたりはしていない。


 今年もこいつの季節が来たか、とテーブルと椅子を数えていて。
 柔道部の教え子たちの顔を思い浮かべて、充分に足りると確認していて。
(…ん?)
 不意に浮かんだ、柔道部とはまるで関係無い顔。
 柔道部員ではない、小さなブルー。
 五月の三日に再会を遂げた、前の生から愛した恋人。
 まだ十四歳にしかならないブルーが頭に浮かんだ、キャンプ用のテーブルを見ていたら。
 椅子は足りるかと、折り畳み式のを数えていたら。


 教師になってから、幾つもの学校に赴任したけれど。
 行く先々で柔道部や水泳部の顧問を任され、教え子たちを家に招いて来たけれど。
 これからの季節は家の中よりも庭が定番、屋外の季節。
 爽やかに晴れた初夏はもちろん、夏の盛りも運動部員たちには屋外が似合う。
 そのために用意してある折り畳み式の椅子とテーブル、庭に据えて使うためのもの。
 バーベキューやら、ピクニック風の軽食やらと、大活躍するキャンプ用。


 大量に食べてワイワイと騒ぐ来客たちにはピッタリだけれど、彼らの御用達なのだけれど。
(…どうやら、こいつは使えそうだな)
 ヤツらとは似ても似つかんが、と小さなブルーを想像してみた。
 テーブルが一つと椅子が二つあれば、ブルーの夢を叶えてやれる。
 叶えてやれないと断った夢を、今は無理だと断った夢を。


 「食事に行きたい」と強請ったブルー。
 いつもの場所とは違う所で食事をしたいと、ぼくを食事に連れて行って、と。
 けれども、何処かへ食事に行くなら、教師と生徒。あくまで教師と生徒の関係。
 親しく話すことなど出来ない、恋人同士の会話は出来ない。
 「お前が言うのはデートじゃないか」と断った。
 とてもではないが連れて行けないと、連れて行ってはやれないと。
 小さなブルーはしょげたけれども、出来ないものはどうにもならない。
 ブルーとデートに行けはしないし、食事にだって。
 けれど…。


(こいつがあったら、違う所で食事が出来るぞ)
 まずはお茶からだろうけど。
 ブルーの母にお茶とお菓子を運んで貰って、ティータイムからだろうけれど。
 それでも充分、デートにはなる。
 いつもと違った所でのお茶、それからお菓子。
 このテーブルと椅子を持って行ったら、ブルーの夢を叶えてやれる。
 ブルーの家の庭の何処かに、テーブルと椅子を据えたなら。


 これはいいな、と自画自賛したくなる思い付き。
 テーブルも椅子も折り畳めるから、車のトランクに入れて運べる。
 ブルーの家まで持って行ってやれる、そうしてデートの場所を作れる。
(こいつを置くのに似合いの場所は、と…)
 運動部員ならば日当りのいい庭の真ん中に行きたがるけれど、ブルーは多分、逆だろう。
 弱い身体に眩しい日射しは堪えるだろうし、置くのなら、日陰。
 何処がいいか、とブルーの家の庭を頭に描いて、庭で一番大きな木の下がいいと思った。
 広がった枝は丁度いい木陰をブルーのためにと作りそうだし、木漏れ日だって。


(うん、あそこだな)
 あの木がいい、と心に決めて。
 次にブルーの家へと出掛けた週末、明日も晴れだと天気予報が告げていたから。
 一番大きな木の下はどんな具合なのかと観察してみた、枝が作る影や陽の当たり方。
 思った通りに、あのテーブルと椅子を据えるのに良さそうだから。
 ブルーに断って階下へと下りた、ブルーの母に明日の段取りを伝えるために。
 「テーブルと椅子とを持って来るので、庭でティータイムにしたいのですが」と。


 そうして次の日、車のトランクに詰めて、運んで行ったテーブルと椅子。
 庭で一番大きな木の下、広げたキャンプ用のテーブルが一つと、二脚の椅子と。
「どうだ、木の下にお前の椅子が出来たぞ」
 座ってみろ、とブルーを促し、始まったデート。初めてのデート。
 いつものブルーの部屋とは違って、庭での二人きりのティータイム。


 食事と違って、パウンドケーキと冷たいレモネードの時間だけれど。
 ティータイムだけれど、それでもデート。
 小さなブルーと二人きりのデート、まるで祝福するかのように揺れた木漏れ日。
 それがシャングリラそっくりの形を作った、懐かしい白い鯨の姿を。
 テーブルの上に、光が描いたシャングリラ。


 ブルーと二人でそれを眺めて、遠い昔を懐かしんで。
 持って来てやって良かったと思う、キャンプ用の椅子とテーブルを。
 これの季節があって良かったと、思わぬ使い道があったものだと。
 運動部員たちのためにと用意していた、これからの季節に役立つテーブルと椅子。


(…まさかブルーとのデートに使えるとはなあ…)
 分からないものだ、と木漏れ日が描くシャングリラに心で呟いた。
 あの船に居た頃には、夢にも思いはしなかった。
 ブルーと二人で青い地球の上、デートをする日が来ようとは。
 自分がキャンプ用のテーブルと椅子を車で運ぶ日が来ようとは。
 夢のようだ、と心から思う。
 地球に来られたと、ブルーとデートをしているのだと…。

 

       キャンプ用の椅子・了


※ブルー君の家の庭にある、テーブルと椅子。始まりはキャンプ用のものでした。
 教え子たちと庭でワイワイやっていたハーレイ先生ならではの思い付きですv





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「ねえ、ハーレイ。…訊きたいことがあるんだけれど」
 小さなブルーに真剣な瞳で見詰められて。
 ハーレイは「ん?」と穏やかな笑みを浮かべた。
「なんだ、どうした? 質問か?」
「うん。…だけど、授業のことじゃなくって…」
 宿題のことでもないんだけれど、と赤い瞳がチラチラと揺れる。
 訊きたいけれども、訊いていいのか分からない。そんな所か、と思ったから。
「どうした、遠慮しないでいいんだぞ?」
 俺とお前の仲じゃないか、と促してやった。
 何を遠慮することがあるんだと、昔からの恋人同士じゃないか、と。
 そうしたら…。


 俄かに顔を輝かせたブルー。
 さっきまでの躊躇いが嘘だったように、生き生きと煌めき始めた瞳。
 今の言葉の何がブルーを揺さぶったのか、と思う間もなく問いをぶつけられた。
 真っ直ぐな瞳で、愛らしい声で。
「あのね…。ぼくがチビでも、悲しくない?」
「はあ?」
 掴み損ねた質問の意図。
 小さなブルーはチビだけれども、それがどうして悲しいということになるのか。
 ブルー自身は不満たらたら、「早く大きくなりたい」というのが口癖だけれど、自分は違う。
 「しっかり食べて大きくなれよ」と言いはするけれど、「早く」と急かしたことはない。
 小さなブルーも可愛らしいし、それが悲しいとも思いはしないし…。


 ところがブルーは、そうは思っていないらしくて。
「ハーレイは悲しくなったりしないの、ぼくはこんなにチビなんだよ?」
 前のぼくよりずっと小さい、と自分の身体を指差すブルー。
 顔も子供なら身体も子供で、本当にチビで小さいのだと。
「…それがどうかしたか?」
 子供だから当然のことだと思うが、と言ってやったら。
「悲しくないわけ、ハーレイは!?」
 信じられない、と赤い瞳が真ん丸くなった。
 ぼくはこんなに小さいのにと、これではキスも出来ないのにと。


(ふうむ…)
 ブルーの言いたいことは分かった。
 生まれ変わって再会するなり、前の通りの仲になりたいと願ったブルー。
 曰く、「本物の恋人同士」。
 心も身体も固く結ばれた恋人同士だった頃の通りに、というのがブルーの願い。
 けれども、それは小さなブルーにはまだ無理だから。
 一人前の恋人気取りで言いはするけれど、心も身体も子供だから。
 そんなブルーの背伸びを封じておかなければ、と唇へのキスも禁じておいた。
 前のブルーと同じ背丈になるまでは、と。


 どうやら、それを言っているらしい小さなブルー。
 自分がチビだと悲しくないかと、キスも出来ないチビの自分だと悲しくなってしまわないかと。
(今日はこの手で来たというわけか…)
 キスを強請る代わりに捻って来たか、と苦笑した。
 いつも駄目だと叱っているから、「そう言うお前はどうなのか」という所だろう。
 悲しくなってしまわないかと、悲しいとは思わないのかと。


(悲しくないかと言われたらなあ…)
 もちろん悲しくない筈がない。
 小さなブルーが大人だったら、前と同じに育った姿であったなら。
 もう早速にキスを交わして、それから先のことだって。
 わざわざ将来を誓い合わずとも、結婚出来る年になっていたならプロポーズ。
 そうして家へと連れて帰って、もう片時も離さない。
 前の生では叶わなかった分まで愛して、それは大切に側に置くことが出来るのに…。
(…チビだとそうはいかんしな?)
 キスも出来ない、家へと連れて帰れもしない。もちろん愛も交わせない。
 悲しくないか、と問い掛けられたら、答えは決まっているのだけれど。
 自分も悲しいのだけれど…。


 それを言ったら、小さなブルーの思う壺だから。
 「ね、ハーレイだって悲しいでしょ?」と揚げ足を取られてしまうから。
 それは出来ない、キスを欲しがるブルーに捕まるわけにはいかない。
 いくら悲しくても自分はブルーよりもずっと大人で、ちゃんと歯止めが利くのだから。
 越えてはならない一線どころか、もっと手前で踏み止まることが出来るのだから。
 本音は言えない、悲しくても。
 それに小さなブルーも可愛い、今のブルーも愛らしいから。


「…生憎と、俺は悲しいとまでは思わんな」
 待つ楽しみもあるってもんだ、と少し本音を織り込んだ。
 お前が大きく育つまで待とうと、それまでの日々も楽しいものだと。
 けれど、相手は小さなブルー。心も身体も幼いブルー。
 秘めた本音を読み取る代わりにプウッと膨れた、頬を膨らませてキッと睨んだ。
「ハーレイ、ちっとも悲しくないんだ!?」
 あんまりだよ、とプンスカと怒り始めたブルー。
 恋人同士だと言ってくれたから期待したのにと、ハーレイの心は冷たすぎると。


 もうプンプンと怒っているから、いつまでも膨れっ面だから。
 反則だけれど、とっておきの手を繰り出した。
 ブルーの右手をキュッと握って、「温かいだろ?」と微笑んでやる。
 「俺の心は冷たいらしいが、手は充分に温かいんだが?」と。
 途端にブルーの頬が緩んで、「あったかい…」と嬉しそうだから。
 これで良しとしよう、膨れっ面ではなくなったから。


(右手は必殺技だよなあ…)
 メギドで冷たく凍えてしまったブルーの右手。
 最後まで持っていたいと願った温もりを失くして、冷たく凍えたブルーの右の手。
 温めてやるとブルーは喜ぶ、笑顔になる。
 赤ん坊をあやすようだと思うけれども、今日はこの手で許して貰おう。
 前のブルーが失くしてしまった温もりを返しに、温めてやろう。
 「悲しくないの?」と訊かれた問いには、答えを返してやれないから。
 自分の心に秘めた答えは、けして口には出せないから…。

 

        ぼくがチビでも・了


※あの手この手で、ハーレイ先生に揺さぶりをかけるブルー君。
 大人相手に敵いっこないのに頑張る姿も、きっと見ていて可愛いのでしょうv



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(わあっ…!)
 焼き立てのスコーン、と小さなブルーは顔を輝かせた。
 学校から帰って、おやつの時間。
 母が焼いてくれたホカホカのスコーン、温かい内が美味しいから。
 冷めたスコーンも悪くないけれど、塗ったクリームが溶け出すほどのが最高だから。
 もうワクワクとテーブルに着いた、いつもの椅子に腰掛けた。
 熱い紅茶をコクリと一口、それからスコーン。熱々の焼き立てをパカリと割った。


 二つに割ったら中は熱くて、ホワンと熱気。オーブンの熱が残った内側。
 ジャムを乗っけて、それからクリーム。
 生クリームとバターの中間みたいな、濃くてコクのあるクロテッドクリームをたっぷりと。
 クロテッドクリームを先に塗ったら、スコーンの熱でバターみたいに溶けるから。
 溶けてしまうから先にジャムを塗って、その上にクロテッドクリームを乗せて。
 そういう食べ方も好きだけれども、たまには逆の気分にもなる。
 まずはクリーム、熱で溶けるのも気にせずクリーム。
 クロテッドクリームの味がしみ込んだスコーンにジャムを塗っても、また美味しい。


 今日はそっち、とクロテッドクリームを塗り付けた。
 熱でたちまちとろけるクリーム、その上にジャム、と思ったけれど。
 母が用意していたイチゴのジャムより、今日はブルーベリーのジャムな気分で。
 クリームを塗る前にジャムの瓶を取って来ておくべきだった、と向かったキッチン。
 冷蔵庫の中にブルーベリーのジャムが入っている筈で…。


(…あれ?)
 見当たらない、と冷蔵庫の中を見回した。
 イチゴのジャムの瓶が無いのは分かる。テーブルの上に出ていたから。
 スコーンに好きなだけつけられるように、母は瓶ごと出してくれていたから。
 冷蔵庫の中、アプリコットのジャムはあるけれど。
 リンゴのジャムもあるのだけれども、ブルーベリーのジャムが無い。
 昨日の朝には食べた筈なのに、トーストに塗って食べたのに。


 そういえば、昨日の朝に見た時。
 ブルーベリーのジャムは残り少なくて、「また買わなくちゃ」と言っていた母。
 あれから後に瓶は空になって、それきりになってしまったろうか?
 今朝のトーストはバターで食べたし、ジャムの瓶はチェックしなかった。
 父か母かが食べてしまって無くなったろうか、ブルーベリーのジャムの残りは?
 ならばこっち、と開けていないジャムなどを置いておく棚を覗いたけれど。
(…此処にも無いの?)
 ブルーベリーのジャムは無かった、冷蔵庫にも、新しい瓶の棚にも。


 見当たらないものは仕方ないから、こうする内にもスコーンが冷めてしまうから。
 イチゴのジャムでもかまわないや、とダイニングの元の椅子へと戻った。
 まだ温かいスコーンにイチゴのジャムをたっぷり、頬張ってみれば満足の味。
 スコーンにしみ込んだクロテッドクリームの味とイチゴのジャムとのハーモニー。
 けれども、やっぱり…。
(ブルーベリーのジャム…)
 そっちの気分だったのに、と惜しい気がする、思ってしまう。
 ブルーベリーのジャムがあったら最高だったと、イチゴよりも、と。


 そういったことを考えながらも、焼き立てのスコーンを味わっていたら。
 もう一個食べようと、そっちはジャムを先に塗ろうかと考えていたら。
 「食べ過ぎちゃ駄目よ?」と通り掛かった母に言われた。
 いくら美味しくても二つまでよと、三つも食べないでちょうだいと。
「うん、分かってる」
 次のでおしまい、と答えた所で、ブルーベリーのジャムを思い出したから。
 もしかしたら買ってあるかもしれないと、母が何処かに置いたのかも、と思ったから。
「ママ、ブルーベリーのジャムを知らない?」
 あれでスコーンを食べたいんだけど、と尋ねてみたら…。


 ごめんなさいね、と謝った母。
 買い物に行くのにメモを忘れたと、ジャムを買い忘れてしまったのだと。
「帰ってから思い出したのよ。明日でもいいと思ったんだけど…」
 まさか欲しいとは思わなくて、と母が謝ってくれるから。
 スコーンを焼いてしまったことまで、申し訳なさそうな顔をしているから。
「ううん、イチゴのジャムでもいいよ」
 焼き立てのスコーンは美味しいから、と笑顔で返した。
 ブルーベリーのジャムで食べるのは次の時でいいと、今日はイチゴのジャムでいいよと。


(…ママに悪いことしちゃったかな?)
 ブルーベリーのジャムが欲しいと言ったばかりに、母に謝らせてしまったから。
 きっと明日には買い物メモに書かれて、ジャムは戻って来るのだろうに。
 無かったことなど嘘だったように、ブルーベリーのジャムが詰まった瓶が。
 まるで買い置きがあったかのように、ちゃんと冷蔵庫か棚の何処かにあるのだろうに。
(…ぼくって、我儘?)
 イチゴのジャムはあったというのに、ブルーベリーのジャムだと言って。
 それで食べたかったと欲張りを言って、母を困らせてしまったようで。


 けれども、不意に掠めた記憶。
 遠い遠い昔、時の彼方のシャングリラ。前の自分が暮らしていた船。
 あそこでは言えはしなかった。
 用意して貰った料理を眺めて、この味よりも別のがいいとは、それが食べたいとは。
 出来上がる前なら言えたけれども、出来てしまったら言えない我儘。
 まして船では切らしているものを欲しいとは言えない、けして言えない。
 そんな事態は滅多に無かったけれども、大抵は上手くいっていたから。
 食料は充分に足りていたのだし、余程でなければ、切れることはなくて。


(…そっか、ぼくのは我儘だけど…)
 母が買い忘れたブルーベリーのジャム、それを探した自分は我儘だったけれども、それも幸せ。
 あれが足りないと、あれが欲しいと言える分だけ、前の自分よりもずっと幸せ。
 その幸せに気が付いたから。
 食べ終えた後で、キッチンの母に「御馳走様」とお皿やカップを返して、心の中で呟いた。
 「ブルーベリーのジャムを買い忘れてくれてありがとう」と。
 忘れられた買い物のお蔭で気付いたと、ぼくはとっても幸せだよ、と。
 あれがいいとか、これが食べたいとか、言ってもかまわない世界。
 そこに生まれたことが幸せ、ぼくはとっても幸せだから、と…。

 

       忘れられた買い物・了


※おやつの時間のブルー君。ブルーベリーのジャムな気分だったみたいですけど…。
 シャングリラだったら言えない我儘、それが幸せ。イチゴのジャムでも幸せなのですv





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(…しまった…)
 ウッカリ買うのを忘れちまった、と苦笑した。
 今日の夕食は自分の家で。ブルーの家には寄らなかったから。
 仕事帰りに食料品店に寄って、あれこれ買い込んで来たけれど。
 それで夕食を作ったけれども、さて食べようとテーブルに料理を並べた後で。
 これも出さねば、と開けた冷蔵庫。
 野菜サラダにかけるドレッシングを取り出そうとしたら、そこで気付いた。
 残り少なくなっていたことに、今夜使ったら、明日の朝の分しか残らないことに。


 ドレッシングは何種類か揃えてあるから、他のものでもいいのだけれど。
 違うドレッシングをかけたっていいし、手作りするのも好きだけれども。
(…こいつの気分なんだよなあ…)
 他の選択肢は思い浮かばない、冷蔵庫を開ける前から決めていたから。
 野菜サラダを作っていた時から、それのつもりで作っていたから。
 他の味でも、野菜サラダは食べられるけれど。
 冷蔵庫にあるドレッシングはもちろん、マヨネーズなどで手作りしたって美味しいけども。
 これにしようと決めていただけに、イメージが頭に出来ていただけに、変えられなくて。
 残り少なくても今夜はこれだ、と取り出した。
 明日の朝に使えば空になるけれど、今夜使えば、残りは一回分しか無さそうだけれど。


 それでも食べたい気分なんだ、とテーブルに置いたドレッシング。
 もう本当に残り少なくて、野菜サラダにたっぷりかけたら、底の方に少し残っただけ。
 どう見ても一度使えばおしまい、明日の朝に使えばそれでおしまい。
(でもまあ、買えばいいんだしな?)
 明日は忘れずに買って帰ろう、と心のメモに書き込んだ。
 家にあるのが定番なのだし、まるで無くなったら落ち着かない。
 そんな時に限って「あれで食べたい」と思うものだし、無ければ自分がガッカリする。
 買い忘れていたと、てっきりあると思ったのに、と。


(明日は買い物…)
 たかがドレッシングのことだけれども、買っておかねば。
 冷蔵庫を覗いて「無かったっけな」と溜息をつくのは避けたいから。
 そう考えながら頬張る夕食、野菜サラダの他にも色々。
 料理は好きだし、一人暮らしでも手抜きはしない。
 むしろ作るのが楽しみな方で、今日もあちこち眺めていたのに。
 食料品店の中をグルリと回って、何を買おうかと、どう食べようかと考えたのに。
 肉か、魚か、同じ肉でもビーフかポークか、チキンにするかと。
 魚もいいなと、どんな魚が今日はあるかと端から覗き込んだのに。
 なのに忘れたドレッシング。
 野菜のコーナーにはもちろん行ったし、あれもこれもと買ったのに。


 なまじ買い物を満喫したから、忘れたのかもしれないけれど。
 多分そうだと思うけれども、切らしてしまいそうなドレッシング。
 明日は買おうと、買いに行かねばと思った所で前の自分の記憶が掠めた。
 キャプテン・ハーレイだった頃。
 白いシャングリラの中が世界の全てだった頃。
(おいおいおい…)
 忘れるだなんてとんでもないぞ、と前の自分が呆れている。
 正確には今の自分の心に前の自分の記憶が重なる、有り得ないと。
 ドレッシングが切れそうだなどと、明日の朝には空になるから買おうだなどと。
 そうだったっけな、と自分の頭をコツンと叩いた。
 これがシャングリラなら大変なんだと、あってはならないミスなのだと。


 船の中だけが世界の全てだった白いシャングリラ。
 やむを得ず物資を補給するにしても、ちょっと其処までというわけにはいかない。
 ドレッシングを買いに出掛けるようにはいかない、シャングリラでは。
 切らしそうなものが何であっても、そういう事態を招くこと自体が重大なミス。
 常に余裕を見ておくべきだし、備蓄が無いなど有り得ない。
 明日には切れると、明日の朝にはゼロになるなどと寝言を言ってはいられない。
 そうした報告が上がって来たなら、管理部門の責任者を厳しく叱らねば。
 どうして早めに気付かないのだと、明日の朝以降はどうするのかと。


(…ちょっと買って来ます、とは言えないからなあ…)
 「忘れていました」では済まされない上に、補給も生産もそう簡単にはいかないから。
 どんなものでも備蓄は必須で、余裕がゼロなど、あってはならない。
 なのに自分はやってしまった、今の自分が。
 ついウッカリと買わずに帰った、ドレッシングは明日の朝には切れるというのに。
 空っぽの容器だけを残して、綺麗サッパリ。
 前の自分がそれをやったら、誰かがやったら、たとえドレッシングでも大変なことで。
(次の会議の議題だな)
 まず間違いなく、そうなるだろう。同じ事態を二度と起こさぬよう、繰り返さぬよう。


 実に大変な世界だった、と今の幸せに感謝した。
 明日の朝でドレッシングが切れても、容器がすっかり空になっても。
 店に行ったらいつでも買えるし、切らしてしまったと会議の議題になったりもしない。
 要は自分の心の中だけ、明日、買い忘れても困るのは自分一人だけのことで。
(…今だから油断出来るんだよなあ…)
 備蓄が無くても買いに行ける世界、ヒョイと簡単に補給できる世界。
 ついついウッカリ買い忘れていても、誰にも迷惑をかけない世界。
 この幸せを大いに満喫しようと思ったけれど。


(…待てよ?)
 いつかブルーと結婚したなら、忘れたら困るかもしれない。
 ブルーの気に入りのドレッシングがゼロになるとか、明日の朝で無くなりそうだとか。
 それではブルーが可哀相だし、「あると思ったのに…」とションボリされても悲しいから。
 やはり気を付けようと自分に誓った、今後に備えて。
 たかだか、ドレッシングの問題だけれど。
 今の世界では、店に出掛けたらいつでも補給が出来るのだけれど…。

 

        忘れた買い物・了


※ウッカリ買い忘れて切らしてしまっても、お店に行ったら新しいのを直ぐに買える世界。
 それが幸せだと気付いたハーレイ先生、明日はドレッシングのお買い物ですねv





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(前のぼくの部屋とは違うんだよね…)
 まるで全く似ていないんだよ、と小さなブルーが見回した部屋。
 両親と暮らしている家の二階、幼かった頃から此処で過ごして来たけれど。
 この部屋で大きくなったのだけれど、前の自分が暮らした部屋とはまるで違った。
 大きさも、見た目も、明るさも、全部。
 何もかもが全く違ってしまって、何一つ似てはいなかった。
 白いシャングリラにあった部屋とは。
 ソルジャー・ブルーだった自分が過ごした、あの青の間とは。


 それも仕方がないとは思う。
 今の自分はただの十四歳の子供で、ミュウの長ではないのだから。
 両親に守られて育つ最中、まだ学校の生徒の自分。
 子供用の部屋があれば充分、自分だけの部屋があったら充分。
 青の間のように大きな部屋など要りはしなくて、あの独特の構造も。
 満々と水を湛えていた部屋、緩くカーブして上るスロープ。
 深い海の底を思わせる暗さも、青く灯っていた照明も。
 どれも要らない、今の自分には。
 ただの子供には要りはしないし、それで充分なのだけど。
 今の部屋は好きで、青の間などよりずっと素敵だと思うけれども…。


 たまに青の間が恋しくなる。
 あの部屋へ無性に帰りたくなる。
 帰った所で、いいことなどありはしないのに。
 今の自由な自分の代わりに、ソルジャーの務めに縛られた自分がいるだけなのに。
 シャングリラの中だけが世界の全てで、青い地球など夢だった頃。
 其処へ行きたくても座標すら謎で、航路さえも描けなかった頃。
 今の自分は地球にいるのに、蘇った青い地球にいるのに。


 何の不自由も無い筈の自分、青い地球で暮らしている自分。
 優しい両親に温かな家に、好きに使える子供部屋。
 青の間よりも遥かに狭い部屋でも、ずっと自由に暮らせる空間。
 床で寝そべっても、散らかしていても、呆れ顔をするのは両親だけで。
 呆れ顔をしても、きっと許してくれる両親。
 頭ごなしに叱りはしないで、好きなようにさせてくれる両親。
 後できちんと片付けるならと、他の人の前ではお行儀よく、と言う程度で。


 つまりはソルジャー・ブルーだった頃よりも自由、何をしたってかまわない部屋。
 小さいけれども、青の間よりも狭いけれども、好きに使っていい空間。
 しかも地球の上、前の自分が焦がれ続けた青い地球の上に自分だけの部屋。
 なのにどうして青の間がいいのか、帰りたいなどと思うのか。
 帰った所で何も無いのに、ソルジャーの務めがあるだけなのに。
 ただ広いだけの部屋しか無いのに、その他には何も無い筈なのに。


(今の部屋の方が、ずっと素敵で…)
 狭くても自分のためのお城で、家具も本棚も馴染みのもの。
 本棚からヒョイと一冊取り出し、何処で読むのも自分の自由。
 勉強机の前で読もうが、ベッドで読もうが、床に広げて読んでいようが。
 もう青の間よりずっと自由で、ずっと素敵な筈なのに。
 窓の向こうを覗いたら其処に広がる景色も、前の自分が焦がれた地球の筈なのに。


 けれど時々帰りたくなる、前の自分がいた青の間へ。
 あの部屋がいいと、あの部屋の頃が良かったと。
(…なんで?)
 あそこには何があっただろうか。何があったというのだろうか。
 ソルジャーとしての務めしか無くて、それに縛られていたというのに。
 青の間はソルジャーだからこその居場所で、自分を縛る部屋だったのに。


(…帰ったって、何も…)
 いいことなんかは無い筈なのに、と今の自分の部屋を眺めた。
 自分のための小さなお城を、十四歳の子供の部屋を。
 勉強机にクローゼットに、それからベッド。
 本棚があって、来客用にと買って貰ったテーブルに、椅子に…。
 そこまで数えて気が付いた。
 来客用の椅子とテーブル、それを使っている人に。
 そのテーブルと椅子とを使って向かい合う人に、椅子に座りに来てくれる人に。


 青い地球の上で再び出会った、前の生から愛した人。
 今は教師になってしまったハーレイ、前はキャプテンだった恋人。
(そっか、ハーレイ…!)
 やっと分かった、どうして青の間に帰りたいなどと思うのか。
 自由が無かった筈のあの頃に、ソルジャー・ブルーだった頃の自分の部屋に。
 あの部屋に自由は無かったけれども、傍目には確かに無かったけれど。
 そんな部屋でも、密かに訪ねてくれた恋人。
 キャプテンの顔で青の間に来ては、抱き締めてくれていたハーレイ。


 青の間の頃はハーレイと会えた、恋人同士の時を過ごせた。
 今と違ってキスを交わして、その先のことも。
 誰にも言えない恋人同士の仲だったけれど、それでも二人で夜を過ごせた。
 甘い甘い夜を、熱くて優しい夜を。
 今と違って、あの青の間にいた頃は。
 ただ広いだけの部屋にいた頃は、誰よりも愛した恋人がいた。
 誰にも邪魔をされることなく、夜になっても「またな」と帰ってゆきもしないで。
 今の小さなお城と違って、前の自分が暮らした部屋には…。


(…ハーレイがセットだったんだよ…)
 セットというのは少し違うかもしれないけれど。
 もっと似合いの言い方があるかもしれないけれども、ハーレイがセット。
 それが青の間、だから帰りたくなると気付いた。
 自由が無くても、ソルジャーの務めしか無かった部屋でも。
(でも、我慢…)
 帰りたいなどと言ってはいけない、自分は自由になったのだから。
 いつかハーレイと暮らせるようになるのだから。
 今は青の間に帰りたくても、そんな気分など、いつか吹き飛ぶ。
 ハーレイと二人で暮らし始めたら、同じ屋根の下、二人きりの時が流れ始めたら…。

 

       帰りたい部屋・了


※ブルー君が帰りたくなる青の間、ホームシックではなかったみたいです。
 青の間にはセットでついてたハーレイ、それがお目当てだなんて可愛いですよねv








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