「ハーレイ不足だったんだよ!」
いきなりの言葉に面食らったハーレイ。
小さなブルーの唇からそう飛び出して来た、「ハーレイ不足だったんだよ!」と。
目を白黒とさせるしかない。
ハーレイ不足とは何のことかと、まさか心を読まれたのかと。
この前の土曜日、ブルーの家を訪ねたけれど。
ブルーと二人で過ごしたけれども、その翌日は駄目だった。
日曜日で休みだったというのに、自分に用事。
柔道部の教え子たちを招いて食事で、ものの見事に一日潰れた。柔道部員のお相手で。
そうなることはブルーも承知で、「仕方ないよね」と頷いてくれたのに。
「また来てくれるよね」と健気に笑顔も見せてくれたのに、「また」が無かった。
月曜日も火曜日も、水曜日も。
どうしたわけだか次々に重なる用事や外食、木曜日までが潰れてしまった。
やっとのことで空いた金曜、仕事帰りにいそいそと訪ねて来たけれど。
ブルーの部屋へと通されたけれど、お茶とお菓子が出て来た後がこれだった。
小さなブルーの唇が告げた「ハーレイ不足」。
言葉には覚えがあったから。
「ハーレイ不足」は知らないけれども、「ブルー不足」なら何度も思ったから。
ブルーが足りないと、ブルー不足だと自分が何度も繰り返したから、それかと思った。
もしやブルーに読まれたのではと、読まれて逆を言われたのではと。
けれども、よくよく考えてみれば。
今の自分は前と同じにタイプ・グリーンで、前のブルーでも簡単に読めはしなかった心。
今のブルーに読めるわけがない、それも顔を合わせて間もない間に。
だから訊いてみた、「お前もなのか?」と。
お前はハーレイ不足なのか、と。
「…え?」
お前も、って何? と赤い瞳を見開いたブルー。
確かにハーレイ不足だけれども、「お前も」とはどういう意味なのか、と。
「ん? 実は俺もな、不足しててな。…俺の場合はブルー不足だ」
そう答えれば、ブルーは瞳を真ん丸くして。
「…ハーレイもなの? ハーレイはぼくが足りなかったの?」
「ああ、まるで全く足りなかったな。この一週間…って、まだ一週間にはなっていないか」
ギリギリってトコか、と苦笑した。
今日は来られたから一週間にはならなかったと、明日で一週間だった、と。
「…遅くなってすまん。また来ると約束していたのにな」
本当にすまん、と謝った。言い訳はしないと。
「でも、ハーレイ…。用事でしょ?」
「殆どはな。だが、一日だけは違うんだ」
楽しく飯を食いに出掛けた、と潔く詫びた。
同僚に「一杯どうです」と掛けられた声は、断れないこともなかったから。
それに誘われて入った店では、美味しく食べて楽しんだから。
酒も料理も文句なしの店、来て良かったと思えた酒席。
その頃、ブルーは寂しく俯いていたのだろうに、「ハーレイ不足」だと嘆いていたろうに。
すまん、と心から頭を下げたら、ブルーは「ううん」と首を左右に振って。
「用事が何でも、一日は食事に行ったとしても。ハーレイもぼくと同じでしょ?」
足りなかったんでしょ、と微笑んだブルー。
ぼくが足りなくてブルー不足、と。
「…それはそうだが…。俺の場合は自業自得で…」
飯さえ食いに行かなかったら、と謝ったけれど。
あの日に誘いを断っていたらブルー不足にはならなかったと詫びたけれども。
「ううん、ハーレイは悪くないよ。…次の日のことまでは分からないもの」
次の日に用事が入らなかったら来られたんだし、とブルーは言った。
未来の用事は読めはしないと、そうそう分かりはしないのだから、と。
「そうでしょ? フィシスでもそこまで読めたかどうか…」
だからおあいこ、とブルーはクスッと小さく笑った。
お互い足りなくてハーレイ不足とブルー不足でおあいこだよ、と。
「しかし、お前は…。俺より余計に一日分ほど…」
「そう思うんなら、ハーレイ不足だった分、ちょっとだけ…」
いいでしょ、と椅子から立って来たブルー。
自分の椅子を離れて来るなり、膝の上へとよじ登って来た。そして座った、膝の上に。
チョコンと、それは嬉しそうに。
「座らせておいてよ、そしたら治るよ、ハーレイ不足」
ね? とブルーは得意げだから。
下りはしないと、下りるものかと赤い瞳が主張するから。
「おい、お前…。もうすぐお母さんが来るんじゃないのか、晩飯が出来たと」
この格好はどうかと思うが、と注意したのに。
「平気だってば、まだお茶とお菓子が出たばかりでしょ?」
晩御飯の時間はもう少し先、と壁の時計を指差すブルー。
まだ半時間は充分にあると、一時間かもしれないと。
そうしてピタリとくっついて来た。胸に身体を預けてピタリと。
「お、おい、ブルー…」
下りろ、と何度か促したけれど。
胸から離れろとも言ったけれども、返って来た言葉は「ハーレイもでしょ?」で。
「ハーレイだってブルー不足になってたんでしょ、これで治るよ、ブルー不足も」
だから下りない、と言い張るブルー。
甘えん坊だけれど、頑固なブルー。
そう言われると、自分も覚えのあることだから。
ブルー不足だと嘆いた覚えは確かにあるから、もう敵わない。
降参だ、と全面降伏、と小さなブルーを思わずギュッと抱き締めていた。
両腕で強く胸に抱き込んで、銀色の髪に顔を埋めて。
「…すまん、俺もどうやらブルー不足だ」
「そうでしょ、ぼくもハーレイ不足」
まだ足りないよ、とブルーの腕がキュッと背中に回されたから。
ハーレイ不足が酷いんだよ、とくっつかれたから。
多分、お互い、ブルー不足でハーレイ不足。
一週間近くも会えずに過ごして、恋人同士の時を持てなくて。
学校で顔を合わせていただけ、ほんの少しの立ち話だけ。
きっと簡単には治らないから、ブルー不足もハーレイ不足も、そう簡単には治らないから。
夕食前まではこうしていようか、ブルーの母がやって来るまで。
階段を上る軽い足音が聞こえて来るまで、このままで。
その上、明日は土曜日だから。
二人で一日過ごせる日だから、明日も存分に足りなかった分を満たして、満たして貰って。
ブルー不足とハーレイ不足をきちんと治そう、また減ってしまわないように。
足りなくなったと、とても足りないと、お互い思わずに済むように。
また不足した時は、こうして治そう。
小さなブルーを強く抱き締め、小さなブルーに両腕でキュッと抱き付かれて…。
久しぶりに会えた・了
※ブルー不足とハーレイ不足の結末はこうで、治し方はこうみたいです。
健全なお付き合いだからこその治し方、ブルー君が育ったら治し方も変わりますよねv
(ハーレイが足りない…)
来てくれないよ、と小さなブルーは溜息をついた。
部屋を見渡し、空っぽの椅子をまじまじと見て。座る人のいない椅子を見詰めて。
そこはハーレイの指定席。
訪ねて来てくれたら、いつもハーレイが腰掛ける椅子。
前のハーレイのマントの色を淡くしたような座面、どっしりした木枠に籐を張った背もたれ。
二つある椅子の片方がハーレイ、片方がブルー。
どちらに座るかは自然と決まった、いつの間にか決まっていた指定席。
テーブルを挟んで向かい合わせで、こちらがハーレイ、こちらがブルー、と。
その指定席が空っぽのままで、もう何日が経っただろう。
この前の週末、土曜日はハーレイは其処に腰掛けていた。いつもの通りに。
他愛もないことを話して、甘えて、一日過ごして、それは満足したのだけれど。
次の日は会えずに終わってしまった、ハーレイに用事があったから。
柔道部の教え子たちを家に招くと言ったハーレイ、ブルーは混ぜては貰えない。
なにしろ柔道部員の集まり、まるで関係無いブルーが混ざれば親睦の会が台無しだから。
ハーレイの家で楽しくやろうと集まる部員に気を遣わせてしまうから。
(…ぼく一人では遊びに行かせて貰えないし…)
駄目だと禁じられてしまった訪問、キスと同じで大きくなるまで禁止になった。
だからブルーは待つ他は無くて、ハーレイが家に来てくれるのを待ち焦がれている日々なのに。
ハーレイの指定席は空っぽのままで、今日も空っぽ。
もう木曜日になるというのに、土曜日を最後に会っていないのに。
厳密に言えば、ハーレイとは会えているのだけれど。
学校で何度か立ち話をしたし、ハーレイが教える古典の授業も何回かあった。
けれども、それは学校でのこと。
ハーレイはあくまで「ハーレイ先生」、ブルーは生徒という関係。
いくらハーレイがブルーの守り役でも、そういうことになってはいても。
あまりに親しく口を利いては、それはマズイと思うから。
学校では敬語、必ず敬語。
話は出来ても、話す相手は「ハーレイ先生」。
穏やかな笑顔を向けてくれても、鳶色の瞳がいくら優しくても「ハーレイ先生」。
恋人とは違う、家で二人で話す時とは全く違う。
そんなハーレイにしか出会ってはいない、もう何日も。
ハーレイ先生としか話してはいない、恋人のハーレイとは先週の土曜日に話したきりで。
平日でも仕事が早く終わりさえすれば、ハーレイは訪ねて来てくれる。
いつもの指定席に座って、お茶とお菓子をお供に話せる。
それから両親も一緒の夕食、恋人同士の会話は無理でも一緒に食事を食べられる。
そういう時間がきっと取れると思っていたのに、月曜日にはと考えたのに。
日曜日が駄目になった分の埋め合わせに寄ってくれると期待したのに、外れた予想。
けれどハーレイにも都合があるから、火曜日には、と考え直した。
その火曜日が流れ去っても、水曜日には、と。
ところが水曜日も過ぎてしまって、木曜日の今日も鳴ってくれずに終わったチャイム。
ハーレイが来たら鳴る筈のチャイム。
もう五日にもなるんだけれど、とカレンダーを眺めたら溜息が漏れた。
五日も経ってしまったのかと、五日も会えていないのかと。
(…ハーレイが足りない…)
足りないんだけど、と呟いても椅子は空っぽのまま。
そこにハーレイの姿が足りないという意味で言っているのではなくて、足りないハーレイ。
自分にだけ向けてくれる笑顔も、恋人としての優しい言葉も、貰えないまま。
心がすっかり飢えてしまって、ハーレイが欲しいと訴える。
ずっとハーレイを食べていないと、お腹が空いて死にそうなのだ、と。
もちろん本当にハーレイを食べようと思いはしないし、また食べられる筈もない。
ハーレイはお菓子でも料理でもなくて、一人の人間なのだから。
ガブリと齧ってモグモグと噛んで、ゴクリと飲み下すようなことなど出来ない。
けれども飢えてしまった心。ハーレイが足りないと訴える心。
まるで食卓にパンだけしか載っていないかのように。
塗るためのバターもマーマレードも、喉を潤すミルクや紅茶も影も形も無いかのように。
とにかく足りない、こんなに会いたいと願っているのにハーレイが来ない。
ハーレイのための椅子は空っぽ、其処に座りに来てはくれない。
待って、待ち続けて、とうとう五日。
明日も駄目なら六日も会えない、一週間は七日なのに。
いつもだったら週末は二人で過ごすものだし、平日だって訪ねてくれる。
まるまる五日も会えずに過ごして、ハーレイの席は空っぽのまま。
ハーレイに会いたい気持ちが募って、心は飢える一方で。
(こんなにハーレイに会いたいのに…)
ホントのホントにハーレイ不足、と零れた溜息、もう幾つ目だか分からない。
昨日も一昨日も溜息をついた、今日もハーレイに会えなかったと。
それでも明日には会える筈だと思い直して、待ち続けたのに。
ハーレイは来ないままついに五日目、会えないままで五日も経った。
学校では会えているけれど。
立ち話だって、したのだけれど…。
(…お腹、減ったよ…)
本当にお腹が減ったわけではないけれど。
今日の夕食はちゃんと食べたし、学校から帰っておやつも食べた。
けれど満たされない心の空腹、お腹が減ったと訴える心。
ハーレイの優しい笑顔を食べたい、暖かい言葉をお腹一杯食べたいのだと。
どんなにお腹が減っていたって、どうすることも出来ないのに。
ハーレイが訪ねて来てくれない限り、飢えは決して満たされないのに。
ハーレイ不足だと、お腹が減ったと、寂しい気持ちで一杯だけれど。
明日は来てくれるかと望みを明日へと繋ぐけれども、金曜日。
金曜日の次の日はもう土曜日で、明日も駄目なら、丸一週間、会えないままで週末が来る。
この前の土曜日に会ったのが最後、それきりハーレイ不足なのに。
日に日に心の飢えが募って、もう本当に空腹なのに。
(…でも…)
こんな気持ちを抱えていたって、一層、飢えるだけだから。
ハーレイが足りないと椅子を眺めて、溜息を零すしか出来はしないから。
ここは気分を切り替えなくては、明日は無理でも明後日には、と。
土曜日には必ず会える筈だし、きっと空腹は癒されるから。
ハーレイの姿を思い描こう、あの椅子に腰掛ける恋人を。
すまなかったと、遅くなったと謝ってくれるに違いない人を。
そう、土曜日には、あの椅子にハーレイが座ってくれるのだから…。
ハーレイが足りない・了
※ブルー君がハーレイ欠乏症になると、こういう感じ。椅子を眺めて溜息の日々です。
早く来てくれないかと待ち焦がれてます、きっと感動の再会でしょうねv
「ねえ、ハーレイ…」
温めてくれる? とブルーが右手を差し出した。
ハーレイと向かい合わせで座ったテーブル、その上に手を。
「かまわないが…。暑くないのか?」
夏なんだが、と苦笑いをしながら手を取るハーレイ。
褐色の大きな両の手でそうっと、包み込むように。
まるで宝物を包むかのように、ブルーの小さな右の手を、そっと。
前の生でブルーが失くした温もり、落として失くしてしまった温もり。
キースに撃たれた傷の痛みで、メギドで撃たれた傷の痛みで。
最後まで持っていたいと願ったハーレイの温もりを失くしたブルー。
右の手から消えてしまった温もり、ブルーは独りぼっちになった。
ハーレイの温もりを失くして、独り。
もう会えないのだと泣きながら死んだ、たった一人で。一人きりで。
そんな悲しい記憶があるから、今でも忘れられないから。
小さなブルーは温もりを求める、ぼくの右の手を温めて、と。
出会ったばかりの五月の初めの頃なら、肌寒い夜もあったけれども。
今では季節はすっかりと夏で、夏真っ盛りの夏休み。
なのにブルーは右手を差し出す、「温めてくれる?」と。
そう願う気持ちは分かるけれども、いくらでも温めてやりたいけども。
(…夏なんだしな?)
季節を思えば、今の幸せな日々を思えば少し意地悪したくなる。
悪戯心が頭をもたげる。
小さなブルーと青い地球の上、それは幸せな毎日だから。
共に暮らせはしないけれども、引き裂かれることはもう無いのだから。
懸命に温もりを求めなくとも、ブルーは一人ではないのだから。
外は暑い夏、命の輝きが眩しい季節。
ちょっぴりブルーを苛めてみようか、小さなブルーを。
「なあ、ブルー…。俺は思うんだが」
「なあに?」
どうしたの、とブルーが首を傾げるから。
「こうして右手を温めなくても、部屋の冷房…」
切っちまって窓を開けようじゃないか、と提案してやった。
そうすれば充分に暖かいぞ、と。
「嫌だよ、それ!」
暖かいんじゃなくって暑いの間違い、とブルーが叫ぶから。
暑くて嫌だと騒ぎ出すから、パチンと片目を瞑ってやる。
ただの冗談だと、この手は俺が温めてやる、と…。
温もりが欲しい・了
(うーむ…)
ブルーが不足しちまった、とハーレイは眉間を指先でトンと叩いた。
この数日間、出会えていない。十四歳の小さなブルー。
正確に言えば、きちんと会えてはいるのだけれど。
学校で姿を見掛けるけれども、立ち話も少しは出来たけれども。
(あいつの家に行けていないんだ…)
これがキツイ、と零れた溜息。
いつもだったら、週末の土日はブルーの家へ。
ところが日曜日は、柔道部の教え子たちが遊びに来ていたものだから。
土曜日だけしかブルーの家には出掛けられずに終わってしまった、先の週末。
(…週明けには寄れると思ったんだが…)
仕事のある日も、早く終わればブルーの家に寄って帰ることもある。
ブルーの部屋でお茶とお菓子をお供に話して、それから夕食。
両親も一緒の夕食だから、恋人同士の会話は全く出来ないけれど。
それでもブルーと話は出来るし、同じ食事を食べられる。
平日の夕方から夜にかけての数時間の逢瀬、小さなブルーと過ごせる時間。
今週も取れると思っていた。
月曜日ならまず大丈夫だと考えていたし、火曜日だって。
ところがどっこい、蓋を開けたら次から次へと降って来る用事。
足を捻った柔道部員を病院に連れてゆき、その後、家まで送って行ったり。
仕事の後で一杯どうです、と教師仲間に誘われたり。
誘ってくれた教師仲間とは、日頃、親しくしているから。
これからも親しく付き合いたいから、たまには一緒に出掛けなければ。
早く終わる筈の会議が長引いたりもしたりで、気付けば既に木曜日の夜。
ブルーの家に全く行けなかった日が、今日で五日目。
カレンダーを眺め、またも零れてしまった溜息。
五日も会えていないのだった、と改めて数えて零れた溜息。
一週間は七日、その内の五日も会い損なってしまったブルー。
会えてはいても、学校で少し立ち話だけ。
(…学校じゃ、どうにもならんしなあ…)
恋人同士の会話は出来ない、小さなブルーも「ハーレイ先生」と呼んで敬語で話す。
これではとても逢瀬とは言えず、単に会ったと言うだけのこと。
どうにもこうにもブルーが足りない、小さなブルーを見ていない。
ちゃんとブルーを見てはいるけれど、立ち話だってしたけれど。
それは教え子としてのブルーで、恋人とは少し違っていて。
(…本当に不足しちまった…)
ブルーが足りない、小さなブルーが足りてはいない。
日々の食事が偏ってしまって、野菜不足になるかのように。
あるいは逆に野菜ばかりで、肉も魚も卵ですらも、まるで食べてはいないかのように。
空腹なのだと訴える心、ブルーが足りないと訴える心。
(…食いたいわけではないんだが…)
小さなブルーを食べてはいけない、手は出すまいと決めている。
唇へのキスも禁じたくらいに、小さなブルーに求められても、自分からは、けして。
まだ幼くて無垢なブルーに無茶はしないし、そういう分別も充分についた。
出会った頃には心の奥底で頭を擡げそうになっていた獣も、もういなくなった。
情欲という名の、ブルーを食べたいと蠢いた獣。
前のブルーと同じじゃないかと、小さくてもいいと舌なめずりをしていた雄の欲望。
いつの間にやら大人しくなった、まるで姿を消してしまった。
小さなブルーに牙を抜かれて、毒気をすっかり抜かれてしまって。
そんなこんなで、本当にブルーを食べたいわけではないけれど。
食べたいと思うわけもないけれど、ブルーが足りない。
小さなブルーに会えていないから、本当の意味でブルーと会えてはいないから。
(明日にはなんとかなりそう…なのか?)
どうだったか、と明日の予定を思い浮かべて、指を折ってみて。
何も無ければ帰りに寄れる、と考えたけれど、もう金曜日。
明日の夕方にブルーと会ったら、次の日はもう週末の始まり、土曜日が来る。
そう考えたら、一週間近くも会えなかったのか、と零れた溜息。
明日またしても会えなかったら、六日も会えずに、そのまま週末。
(…ブルー抜きのままで一週間近く…)
なんということだと嘆きたくなった、これではブルーが不足する筈。
小さなブルーが足りていないと、何度も溜息をつきたくなる筈。
これではいけない、もしも明日、会えなかったなら。
ブルーの家に行き損なったら、ブルー抜きのまま一週間が過ぎるのと同じ。
週末は大抵会っているのだし、平日だって週に一度くらいは…。
(腹ペコな筈だ…)
ブルーが足りていない筈だ、と溜息をついても始まらない。
明日の帰りには寄るつもりでいても、どう転がるかは分からない。
なにしろ週末、何かと誘いがかかりやすいのが金曜日。
一杯どうです、と誘う同僚やら、美味い店を見付けたから出掛けないかと誘う者やら。
(その手の誘いが来ちまったら…)
相手によっては断りにくいし、誘いを受ければ本物の胃袋は満たされるけれど。
(…ブルーが足りない…)
小さなブルーが不足したまま一週間、と大きな溜息、明日の夜にはどうなることやら。
(ブルーの家に寄って帰れればいいんだがなあ…)
寄って話が出来たなら。
小さなブルーの部屋で話して、それから両親も一緒の夕食。
たったそれだけで満たされる筈の、この空腹。
ブルーが足りないと訴え続ける、なんとも飢えている心。
けれども寄れるとは限っていなくて、また明日の夜も溜息なのかもしれないから。
とうとう六日も経ってしまったと、ブルー不足で一週間だと嘆いているかもしれないから。
(…ここは気分を入れ替えて、だな…)
明日は駄目でも明後日があるさ、と自分の額をピンと弾いた。
明後日には会える、ブルーの家で。土曜日なのだし、何の予定も無いのだし。
(うん、会える筈だ)
間違いなく、と自分自身に言い聞かせる。
要は気の持ちよう、明後日には確実に癒える空腹、解消される筈のブルーの不足。
だからブルーを思い浮かべよう、愛らしい小さなブルーの笑顔を。
もうすぐ心を埋めてくれる筈の、前の生から愛してやまない恋人の顔を…。
ブルーが足りない・了
※ハーレイ先生、ブルー君不足に陥ってしまったらしいです。ブルー君欠乏症。
けれど食べたいわけではなくって、会いたいだけ。なんとも健全な関係ですねv
(ハーレイ、今日は車かな?)
車だといいな、とブルーが夢見る夏休みの朝。
天気がいい日は歩いて来るのがハーレイだけれど、車で来る日は特別な日。
前のハーレイの制服のマントと同じ色の車、よく晴れた日にそれが来たなら始まりの合図。
どうだろうか、と二階の窓から下を見下ろすブルーだけれど。
胸を高鳴らせて、庭と生垣の向こうの通りを眺めるけれど。
(来た…!)
ハーレイの車、と濃い緑色の車をドキドキしながら見守った。
それがガレージへと入ってゆくのを、停まった車の運転席のドアが開くのを。
「持って来てやったぞ、テーブルと椅子」
今日もデートをしようじゃないか、とパチンと片目を瞑るハーレイ。
二階のブルーの部屋へ来て直ぐ、下へ行こうと、庭に出ようと。
「うん、見てた! ハーレイが車で来るのを見てたよ」
知っているよ、と元気に答えて、ハーレイと二人、階段を下りて。
玄関から日射しの眩い外へ歩き出す、二人並んで。
お前は先にあっちで待ってろ、と肩を叩かれ、庭で一番大きな木の下へ。
枝と茂った葉とが遮る、肌に痛いほどの強い真夏の日射し。
ハーレイが行ったガレージの方は、その照り返しで白く輝いて見えるほど。
濃い緑色の車も光を弾いているのだけれども、そのトランクがバタンと開いて。
中から引っ張り出されたテーブル、折り畳み式のキャンプ用。
それをハーレイは軽々と運んだ、両腕で抱えて。
ブルーが待っている木の下まで来て、パタンと広げて、脚などをしっかりと留めて確かめて…。
「お次は椅子だな」と戻ってゆくハーレイ。ガレージの車へ、椅子を取りに。
トランクから出て来たテーブルと、椅子と。
どちらも折り畳み式で、魔法のように木の下に出て来る。ハーレイの手で据え付けられる。
テーブルが一つに、椅子が二人分。
それが揃ったら、「座れ」と椅子に促されて。
向かい側にハーレイが腰を下ろすと、母がお茶とお菓子を運んでくれる。
アイスティーだったり、レモネードだったり、日によって違う。
お菓子も冷たいゼリーだったり、口当たりのいいムースケーキだったり。
庭で一番大きな木の下、ハーレイと二人きりでのデート。
初めてのデートも同じ場所だった、同じキャンプ用の椅子とテーブルで。
あの日はレモネードとパウンドケーキで、木漏れ日がシャングリラの形を描いた。
二人で見ていたテーブルの上に、光が描いたシャングリラ。
それは幸せだった初めてのデート、ハーレイと二人で初めて庭で過ごした日。
あれからすっかりお気に入りになった、庭で一番大きな木の下。
其処に据えられたテーブルと椅子と、ハーレイと過ごすティータイムと。
今日で何度目になるのだろうか、と幸せに酔って、暑くなる前に部屋に戻って。
ハーレイと二人であれこれ話して、甘えたりして、夕食の時間。
父がハーレイに「テーブルと椅子を買うことにしますよ」と言い出した。
いつも持って来て貰うのは申し訳ないし、買うことにすると。
(ハーレイの魔法がなくなっちゃう…!)
車のトランクから魔法みたいに出て来るテーブルと、椅子と。
それに晴れた日に濃い緑色の車が走って来るのを待つ楽しみまで消えてしまう。
とんでもない、と驚き慌てたブルーだけれど。
顔には出せない、デートだとバレたら大変だから。
デートなのだと両親に知れたら、魔法どころではないのだから。
ハーレイは「大して重くもないですし、いいですよ」と笑ったけれど。
次からも自分が持って来るから、と言ってくれたのだけれど、そのハーレイが帰った後。
「またな」と帰ってしまった後。
父と母とが「ハーレイ先生に申し訳ないから買わなくては」と始めた相談、買う相談。
とても言えない、「ハーレイが持って来てくれるから大丈夫」とは。
買わなくていいと言えはしなくて、黙っているしか出来なくて。
次の日には父がもうカタログを持って帰って来た。
どれにしようかと、どのテーブルと椅子を買ったらいいだろうかと。
母が覗き込み、「これがいいわ」と指差した白いテーブルと椅子。
「私も庭でお茶にしたいわ」と、「白いテーブルと椅子が素敵よ」と。
(…白だなんて…!)
それは違う、と思ったけれど。
ハーレイに似合いそうにないから嫌だ、と止めたいけれども、買うのは父と母だから。
意見を訊かれていないのだから、何も言えない。白は嫌だと口を挟めない。
そうして白いテーブルと椅子がやって来た。
庭で一番大きな木の下、ハーレイがいつも魔法を使った場所に。
晴れた日に走って来る濃い緑色の車のトランク、そこからテーブルを出していた場所に。
「お前の椅子だぞ」と、折り畳み式の椅子を据え付けてくれていた場所に。
見慣れたキャンプ用のテーブルと椅子とは違った代物、真っ白なものが置かれてしまった。
色もデザインもまるで違うのが、まるで似ていないテーブルと椅子が。
(…ハーレイの魔法…)
もう見られない、と溜息をついたブルーだけれど。
初めてのデートの思い出の場所を台無しにされた気分だったけれど。
白いテーブルと椅子がやって来た後、訪ねて来てくれたハーレイの笑顔。
「本当に買って貰ったんだな、テーブルと椅子」
早速デートといこうじゃないか、と誘われて、一気に晴れ上がった気分。
テーブルと椅子は変わったけれども、デートは出来るらしいから。
庭で一番大きな木の下、ハーレイと二人で座ってみた椅子。真っ白なテーブル。
(…ハーレイ、なんだか似合ってる…?)
似合わないとばかり思っていたのに、白い椅子が似合っているハーレイ。
そして訊かれた、「俺にシャングリラは似合わなかったか?」と。
「俺たちのシャングリラは白かったぞ」と。
(…そっか、シャングリラも真っ白だった…!)
どおりで似合う、と眺めた白いテーブルと椅子。
きっと、このテーブルと椅子でいいのだろう。デートをするには、ハーレイと二人で座るには。
このテーブルと椅子で、きっと幾つも思い出が出来る。
幸せな思い出が沢山、沢山、前のキャンプ用のテーブルと椅子とがそうだったように…。
白いテーブル・了
※庭に置いてある白いテーブルと椅子が大のお気に入りのブルー君ですが。
そうなる前にはキャンプ用のが好きだったようです、ハーレイ先生の魔法ですものねv
