(いい夢を見てくれるといいんだがな?)
幸せなのを、とハーレイが思い浮かべた小さな恋人。
ブルーに会って来た休日の夜に、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それを片手に。
今日は一日ブルーと過ごして、「またな」と告げて来た別れ。
夜になったら、帰らなければならないから。
夕食の後のお茶を飲んだら、そういう時間になっているから。
(俺が「またな」って手を振る度に…)
寂しそうな顔になるブルー。
言葉に出しはしないけれども、「帰っちゃうの?」と書かれた顔。
「ぼくも一緒に帰りたいよ」と、「ぼくを一人にしないで」と。
けれども、それは出来ない相談。
小さなブルーは両親の家で暮らす子供で、十四歳にしかならない子供。
一緒に連れて帰れはしないし、二人で暮らすことも出来ない。
いつか結婚するまでは。
前のブルーと同じに育って、離れずにいられる日が来るまでは。
(…まだまだ先のことなんだよなあ…)
チビのブルーは、会った時から一ミリさえも育たないまま。
結婚出来る年の十八歳を迎える頃には、育っているといいけれど。
子供のままの小さなブルーと、結婚式を挙げることにならねばいいのだけれど。
(まあ、その時はその時として…)
今はあいつが幸せならな、と眺める写真。
夏休みの最後にブルーと写した、記念写真のフォトフレーム。
その中にいる小さなブルーに微笑み掛ける。
「いい夢を見ろよ?」と。
悪い夢なんか見るんじゃないぞと、今日は幸せだっただろうが、と。
連れて帰れないブルーだけれども、一緒に過ごせる時間は嬉しい。
一日一緒の休日はもちろん、仕事帰りに寄った日だって。
帰り際にはいつだって思う、「もっと一緒にいられたらな」と。
「またな」と軽く手を振りながらも、平気な風に振舞っていても。
やっぱり少しは寂しくなるから、ブルーはもっと寂しいだろう。
大人の自分が感じるよりも。
まだ小さい分、我慢強くもないだろうから。
(その分、せめて夢ではだな…)
幸せを感じていて欲しい。
小さなブルーが辿る夢路に、自分の姿が無かったとしても。
両親と何処かに出掛ける夢やら、友達と駆け回る夢にしたって。
(…いい夢だったら、それでいいんだ…)
お菓子の山に埋もれていようと、可愛い動物と戯れようと。
夢の世界でブルーが幸せを満喫出来るのだったら、其処に自分はいなくてもいい。
「ハーレイがいない」と気付いて、寂しく思わないなら。
充分に満足しているのならば、ブルーがそれで幸せならば。
(…同じ夢は見られないからなあ…)
サイオンを使って入り込むならともかく、普通ではとても出来ないこと。
夢の世界を共有するなど、ブルーの夢と自分の夢を繋ぐなど。
(サイオンを使って入るとしても…)
それは自分が「起きている」ことが大前提。
しっかりと意識を持っているから、コントロール出来る自分の心。
誰かの夢に入り込んでも、その中に足を踏み入れても。
(俺まで眠っちまっていたら…)
夢の世界は繋がらない。
たとえ直ぐ側で眠っていたって、自分の夢は自分の夢。
ブルーはブルーで別の夢の中で、違う世界は溶け合わないから。
目覚めて夢の話をしたって、お互い、まるで違うのだから。
(そいつは散々、経験済みで…)
前の自分が何度味わったか分からない。
ブルーを苦しめる悪夢の中さえ、眠っていた自分は入れなかった。
もっとも起きていたとしたって、強い遮蔽に阻まれたけれど。
前のブルーの強いサイオン、それが作り出す強固な壁に。
だから起こすしかなかったブルー。
「大丈夫ですか?」と肩を揺すって。
そういう辛い夢はもちろん、幸せな夢も共有出来ないまま。
ブルーが「こういう夢を見たよ」と、後から見せてくれることはあっても。
「君も見るかい?」と絡められた手から、感じ取れたことはあったけれども。
今の自分も、それは充分承知だから。
サイオンがとことん不器用な恋人、あのブルーでも「眠りながらでは」入れない夢。
自分の夢とブルーの夢とは、別だから。
側にいたって、二人一緒に夢の世界には行けないから。
(…夢ってヤツはだ…)
コントロールが不可能だしな、と傾けるコーヒー。
いい夢を見るための「おまじない」が幾つも存在するほど、昔から意のままにならないもの。
人間が全てミュウになっても、それは今でも変わらないまま。
「こういう夢を見たい」と願ってみたって、その通りの夢は見られない。
辛うじてキーワードが引っ掛かったら、儲けものだという程度。
会いたかった人が夢に出て来るとか、行きたかった場所にいるだとか。
けれど、その先は分からないもの。
会えたと思った人と話せずに目が覚めるだとか、夢見た場所に「居た」だけだとか。
目覚めた後に「こんな筈では…」と悔しくなるのが夢というヤツ。
美味しそうな料理を山と出されて、「いただきます」と言った途端に目覚めるとか。
海に出掛けて「さあ、泳ぐぞ!」と意気込んだ所で、目覚まし時計が鳴るだとか。
ちゃんと分かっているのだけれども、意のままに夢が見られたら。
ブルーの夢とは繋がらなくても、夢でブルーに会えたなら…。
(…幸せだろうなあ…)
昼間の続きで、夢の中でもブルーと一緒。
それが出来たら何をしようか、夢の世界で会ったブルーと。
(デートに行くっていうのもいいな…)
現実の世界では叶わないこと、当分は出来はしないこと。
ブルーが大きくなるまでは。
前のブルーと同じに育って、チビのブルーでなくなるまでは。
(チビのあいつとデートもいいが…)
夢なんだしな、と気付いたこと。
「チビでなくてもいいじゃないか」と。
大きく育って、デートに行くにはピッタリのブルー。
そういうブルーに夢なら会えると、夢で会うならそっちの方が、と。
同じ夢なら、夢は大きい方がいい。
ブルーの姿も、同じに大きい方がお得で、きっと素敵に違いない。
いくらでもデート出来るから。
ドライブにだって出掛けてゆけるし、外で食事も出来るのだから。
(…そうなってくると…)
あいつがいいな、と心に浮かんだ愛おしい人。
前の自分が失くしてしまった、美しかったソルジャー・ブルー。
小さなブルーは、もう充分に幸せだから。
「キスしてくれない」と膨れていたって、いつかは結婚出来るのがブルー。
けれども、前のブルーは違う。
精一杯に生きて、ミュウを導いて、時の彼方で散った恋人。
たった一人でメギドへと飛んで。
前の自分の腕から持って行った温もり、それさえも失くして独りぼっちで。
(うん、あいつだな)
夢の世界で会うのなら。
上手い具合にコントロール出来て、夢の世界に呼べるなら。
(…本物のあいつは、チビのブルーで…)
ちゃんと現実にいるのだけれども、生まれ変わって来る前のブルー。
独りぼっちで逝ってしまった、愛おしい人を呼んでやりたい。
「どうだ、地球だぞ?」と、この青い地球に。
「お前、行きたいと言ってたろうが」と、「今の俺の家は此処なんだ」と。
キャプテン時代の敬語は使わず、今の言葉で普通に話して。
ブルーが着ているソルジャーの服も、「それじゃ駄目だな」と着替えさせて。
「俺が適当に買って来るから」と家で待たせて、シャツやズボンや。
似合いそうな服を急いで見付けて、買って帰ってブルーに着せる。
(ブルーを待たせておく間は…)
好きに読んでくれ、と書斎に案内するとか、菓子と紅茶を置いてゆくとか。
そして大急ぎで帰って来たなら、きっとブルーは…。
(ポカンと外でも見てるんだろうな…)
これが地球かと、庭の木々だの、空を流れてゆく雲だのを。
紅茶はすっかり冷めてしまって、本だって読んでいないだろう。
憧れの地球に酔ってしまって、魂を丸ごと持ってゆかれて。
(そんなあいつを連れてゆくなら…)
何処へ行くのが素敵だろうか、ブルーとのデート。
メギドでの悲しい最期から後は、ポンと地球まで飛んだブルーを。
(あいつが喜びそうな場所なら…)
山ほどあるな、と考えてみる。
地球というだけで、ブルーは感激するだろうから。
其処を歩いて車に乗るだけ、もうそれだけで胸が一杯だろうから。
そう思うだけで会いたい恋人、失くしてしまった愛おしい人。
意のままに夢を見られるのならば、かの人に夢で出会ってみたい。
幸せに出来なかったブルーに、前のブルーに。
ただの夢でも、本物のブルーはチビになってちゃんと生きていたって。
(…会えたらなあ…)
夢で会うなら、今夜はあいつに会ってみたいな、と浮かべた笑み。
どんなデートに連れてゆこうかと、ドライブもいいし、二人で食事に行くのだって、と…。
夢で会うなら・了
※ハーレイ先生が夢の世界で会いたい人。同じブルーでも、メギドで逝った前のブルー。
もしも会えたら、どんなデートに連れて行くのか、夢の世界をちょっと覗いてみたいかもv
(えーっと…?)
風だよね、とブルーが眺めた窓の方。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
もうパジャマだから、窓のカーテンは閉めてあるけれど。
窓も閉めてあって、風は入って来ないけれども、カーテンも動かないけれど。
吹いてゆく風の音が聞こえた、暗い外から。
庭園灯だけが灯る庭から、木々の梢を鳴らす音が。
枝や葉の間を抜けてゆく風、それが奏でてゆく音色。
(音楽みたい…?)
木々を使って風が演奏する音楽。
気まぐれに吹いて、即興で。
見えない指で弦を弾いて、軽やかに、時には激しく鳴り響くほどに。
(冬になったら、笛みたいな音もするもんね?)
ゴオッと風が抜けてゆく時、口笛のように鳴ったりもする。
木枯らしの季節によく聞くだろうか、風たちが鳴らす笛の音は。
まるで本当に音楽のよう。
さやさやと優しく葉をそよがせたり、梢を揺すってみたりして。
奏でる響きは風の気分で、吹いてゆく場所によっても変わる。
木々があるなら、楽器は木たち。
海辺だったら、波を奏でもするのだろうか。
凪いでいる日は、柔らかな音で。
嵐の時には、砕け散る波に岩を噛ませて。
(どんな風に風が吹いたって…)
風の音楽が聞こえるよね、と思ったけれど。
何処に吹いても、風は音楽を奏でるものだと考えたけれど。
(…風…?)
前の自分はどうだったろうか、風の音楽を聞いただろうか。
気まぐれな演奏家が奏でる曲を。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が生きた船。
ミュウの箱舟、白い鯨だったシャングリラ。
船の外では風が吹いても、雲海の中を強い気流が吹き抜けていても…。
(…風なんか…)
吹かなかったのだった、シャングリラでは。
正確に言えば、船でも風は吹いたのだけれど。
ブリッジが見える広い公園や、居住区に鏤められた公園。
そういう所に立っていたなら、心地良い風が吹いていったもの。
頬に優しく触れる春風も、ひんやりとした冬の季節の風も。
けれども、其処に吹いていたのは人工の風。
船の中で作り出されていた四季、それに合わせて吹いていた風。
(いつだって、丁度いい風で…)
今の季節ならこうだ、という風。
春の風なら、そよ風で、ふわりと撫でてゆく風。
秋も同じで柔らかな風。
夏や冬でも、強い風が吹きはしなかった。
木々の葉たちが千切れそうな風や、土埃を舞い上げそうな風。
そんな風など吹きはしないし、風が奏でていた音楽は…。
(…いつも、おんなじ…)
同じように吹いてゆくのだから。
音の響きが変わるとしたなら、風向きが調整された時。
今度はこちら、と向きを変えたら、それが当たる場所が変わるから。
それに木々たちの葉でも変わっただろう。
青々と茂る青葉の頃なら、重なる葉陰を抜けてゆく風。
葉が落ちる冬の季節だったら、風が鳴らすのは枝になるから。
(…たったそれだけ…)
人工の風が奏でる音楽、限られていたその種類。
気まぐれに即興で奏でようにも、本物の風ではなかったから。
風が吹く場所も人工の場所で、自然の中ではなかったから。
無かったのだ、と気付いた音楽。
あったけれども、即興ではなかった白いシャングリラの風の演奏。
こういう風が吹いた時には、こうだと決まっていた音たち。
人工的に作り出す風が奏でるから、条件が合えば同じ音。
昨日と今日とはまるで同じ音、時には全く同じ時間に同じ音さえしただろう。
自然の中の風と違って、気まぐれに吹きはしないから。
船の季節や時間に合わせて、何もかも調整されていたから。
(…今の風とは全然違って…)
本物でさえもなかったけれども、船の仲間たちには、あの風が全て。
いつも同じに木々を鳴らしても、葉ずれの音が変わらなくても。
船の外には出てゆけないから、本物の風には出会えない。
風たちが気まぐれに奏でる音楽、それを聴きには出てゆけない。
ミュウの居場所は船の中だけ、シャングリラが全てだったから。
白い箱舟が世界の全てで、外に出たなら死が待つだけ。
踏みしめる地面を持たないミュウには、聴ける筈もない風の音楽。
船を離れずに聴くとしたなら…。
(…雲海の中の、凄い風だけ…)
轟々と耳に叩き付ける風、気を抜けば身体ごと飛ばされそうな。
しっかりと足場を確保しなければ、きっと飛ばされてしまうだろう風。
音楽ではなくて、ただ恐ろしいだけの音。
それがシャングリラの周りに吹いていた風で、ミュウが触れられた自然の風。
選ばれて地上に降りる者たちは別だったけれど。
ミュウの子供の救出のために船を出たなら、本物の風にも出会えたけれど。
(でも、楽しんでる余裕は無いよね?)
風の音楽に聴き惚れていたら、危うくなるかもしれない命。
常に感覚を研ぎ澄ませていること、それが地上に降りた時の鉄則。
前の自分のような強いサイオン、身を守る力を持たないなら。
いざという時に逃げられないなら、油断すれば死んでしまうのだから。
(…前のぼくしか、聴いていないの…?)
風が吹いても、それが奏でる音楽は。
本物の自然の中に吹く風、気まぐれな演奏家の曲は。
アルテメシアに平然と降りていられた者は、前の自分しかいなかった。
それに自分も、風の音楽を聴いていたかと問われると…。
(…音楽だよね、って思ったことは…)
きっと一度も無いのだろう。
それを素敵だと思っていたなら、船でも提案しただろうから。
人工の風には違いなくても、もっと強弱をつけようと。
プログラムだって変えてみようと、ランダムに吹くのがいいのだと。
くるくると気まぐれに向きを変える風、時には突風があってもいい、と。
(そんなこと、誰も思わなくって…)
ただ快適にと、皆が考えていたシャングリラの風。
公園に吹く風は心地良いもの、季節が分かればそれで充分。
風の音楽がいつも同じでも、即興の曲が聴けなくても。
(今なら、いくらでも聴けるのに…)
さっき耳にした風の音だって、今、聞こえて来た音とは違う。
庭の木たちは変わらないのに、楽器は同じ筈なのに。
演奏家の気分で、サッと変わった奏で方。
同じ弦でも、こう弾こうと。
今度はこの指を使ってみようと、弾く力も変えてみようと。
(…シャングリラの仲間は、みんな知らなくて…)
前の自分も気付きもしなくて、風の音楽は公園を彩りはしなかった。
いつも同じに快適な風で、気分を変えない演奏家。
自然の世界の風とは違っていたものだから。
風は息吹きを持っていなくて、機械が作り出していたから。
本物の風なら、大気の中から自然に生まれて来るものなのに。
風といえども一つの命で、星という命の呼吸に合わせて吹いていたのに。
誰も聴いてはいなかったのだ、と気付いた音楽。
自然の風が奏でる音色。
船の外には出られないから、ミュウは外では生きられないから。
けれど、ナスカはどうだっただろう?
前の自分は降りずに終わってしまったけれども、赤いナスカはどうだったろう?
(…雨上がりの風…)
それだと言われた、前の自分が纏った香り。
香水はつけていなかったけれど、何かの匂いをさせた覚えも無いのだけれど。
(でも、ハーレイが言ってたから…)
多分そうだと、雨上がりの風の匂いだろうと。
ナキネズミがそう言っていたのだと、雨上がりの風の匂いの筈だと。
(ブルーは風の匂いがしたね、って…)
前の自分がいなくなった後、ハーレイに語ったナキネズミ。
ジョミーと一緒にいたレイン。
前の自分は、その名前さえも知らずに死んでしまったけれど。
ナスカの風さえ、一度も感じていないのだけれど…。
(…雨上がりの風が吹いていたなら…)
きっと風には強弱があって、風向きだって変わっただろう。
機械が調節するのではなくて、赤いナスカの呼吸に合わせて。
風は気ままに吹き抜けていって、あちこちに触れていったのだろう。
高く聳える木々はなくても、赤い大地に根付いた草を揺らして。
皆が入植していた辺りの、赤い土埃を舞い上げたりして。
(…風の音楽、聞こえたよね…?)
耳を澄ませていたなら、きっと。
「風が吹いてる」と聴き入ったならば、赤いナスカが奏でる曲が。
ナスカの風が気まぐれに吹いて、強く、弱くかき鳴らす弦たちの音が。
地球のそれには敵わなくても。
アルテメシアの風の音楽、それにさえ負けてしまっていても。
(…きっと聞こえたよ、風の音楽…)
前の自分は聴き損ねたけれど、赤いナスカの風たちの曲が。
赤いナスカは砕けてしまって、風が吹いても、二度と聞こえないその音色。
時の彼方に消えた音楽、赤いナスカが歌った曲。
(…ハーレイに訊いてみようかな…?)
どんな曲だったの、とナスカで聞こえていただろう曲を。
「つまらんぞ?」と答えが返りそうだけれど。
「あそこには何も無かったからな」と、「なにしろ木だって無かったんだ」と。
そのハーレイとまた巡り会えて、今は青い地球が奏でる風の曲を聴ける。
風が吹いても、船の外には出られなかった時代は終わったから。
二人で青い地球に来たから、地球の息吹きが奏でる曲を聴けるのだから…。
風が吹いても・了
※音楽みたい、とブルー君が考えた風。けれど、シャングリラには無かった音楽。
赤いナスカなら聴けそうですけど、眠っていては聴けませんよね。今は地球のが聞こえますv
(おっ…?)
風か、とハーレイが眺めた窓の方。
ブルーの家には寄れなかった日、夕食の後のダイニングで。
淹れたばかりの熱いコーヒー、愛用のマグカップを傾けながら。
窓の向こうは暗いけれども、風が出て来たのは分かる。
庭園灯だけが灯る庭の木々、その葉の間を抜けてゆくから。
枝を揺らしてもゆくものだから。
(…雨は降らない筈だがな?)
新聞の予報を確かめてみれば、明日も晴れ。
ならば天気が変わるわけではないのだろう。
前線の通過や、いきなりに起こる気圧の変化。
そういった時の風とは違って、ただ吹き抜けてゆくだけの風。
気まぐれに吹いて、木々を鳴らして。
葉やら梢を揺すっていって。
(ふうむ…)
風なあ、と思い浮かべた恋人の顔。
十四歳にしかならない、小さなブルー。
前の生から愛し続けて、また巡り会えた愛おしい人。
その人のことを遠い昔に、風にたとえた者がいた。
「ブルーは風の匂いがしたね」と。
そう語ったのは、人ではなかったけれど。
人類でもミュウでも、人間でもない、青い毛皮のナキネズミ。
ジョミーのペットで友達だった、レインと呼ばれたナキネズミだった。
(…風の匂いか…)
前の自分は、素直にそれを受け入れた。
「ブルーらしい」と思ったから。
聞かされた時には、もういなかったソルジャー・ブルー。
かの人は風のようだった、と。
本当に風のようだったブルー。
シャングリラの中に本物の風は無かったけれども、それでも風。
白いシャングリラを常に取り巻き、守り続けたブルーの思念。
(…いつも、あいつの思念があって…)
それに守られていたシャングリラ。
物理的に、という意味ではなく、いつでも「其処に在った」もの。
前のブルーが張り巡らせていた思念の糸。
(力は少しも要らないんだよ、って笑ってたっけな…)
一度張ったら、維持する力は微々たるものだと。
呼吸するのと全く同じに、ブルーにはかからない負担。
けれど、それさえ張っておいたら、万一の時に役立つと聞いた。
不測の事態が起こった時には、連絡が来る前に把握できると。
それが何かは掴めなくても、「何か起こった」と心の準備が出来るのだと。
(…実際、役に立ったんだ…)
あの糸は、と苦々しく思い出したこと。
赤いナスカで捕虜にしていたキース・アニアン。
彼が脱出しようとした時、思念の糸はブルーを起こした。
十五年もの長い眠りに就いていたのに、満足に動けもしないのに。
「船が大変だ」と、ブルーに教えた思念の糸。
だからブルーは眠りから覚めた、糸はそのために在ったから。
ブルーが眠りに就いた後にも、同じに張られたままだったから。
(…あれさえ無けりゃあ…)
きっとブルーは、目覚めないままでいたのだろう。
カリナが起こしたサイオン・バースト、それがシャングリラを揺るがせていても。
逃れようと船内を走るキースが、何人もの仲間を傷つけていても。
前のブルーが暮らした青の間、其処は静かな場所だったから。
どんな騒ぎが起こっていたって、伝わる場所ではなかったから。
白いシャングリラを統べるソルジャー、失うことは出来ない長。
ブルーに万一のことがあったら、いなくなるミュウを導く者。
皆が大切に思ったソルジャー、それゆえにブルーが深い眠りに就いた後にも…。
(…みんな、あいつに頼ってたんだ…)
心の何処かで、眠り続けるソルジャー・ブルーに。
後継者のソルジャー・シンがいたって、誰もが求めたソルジャー・ブルー。
眠り続けるだけの人でも。
微かな声さえ聞こえなくても、前のブルーは「常にいた」から。
白いシャングリラが出来た時から、船に張られた思念の糸。
その糸は、消えはしなかったから。
誰もがブルーを感じられたし、「いるのだ」と思っていられたから。
(…だから、あいつは…)
それに応えようと無理をしたのか、責任感の強さゆえだったのか。
誰にも助けを求めることなく、真っ直ぐにキースの許へ向かった。
正確に言うなら、先回り。
捕虜が脱出するのだったら、格納庫を目指す筈だから。
(…其処まで読めていたんだったら…)
ブルーがその気になりさえしたなら、連絡手段は幾らでもあった。
思念波を使うミュウといえども、それだけに頼りはしなかったから。
船の通路や、主だった部屋に備わっていた通信機。
もちろん青の間にも、あの日、ブルーが歩いた筈の通路にも。
(なのに、使いさえしなかったんだ…)
ほんの一言、「何が起こった?」と尋ねれば全て分かったろうに。
ブリッジに直接繋がる回線、どの通信機にも備わった機能。
非常事態には、幼い子供でも使えるようにと、ヒルマンたちが教えていた。
「こうすればブリッジに繋がるから」と。
最優先で繋がるのだから、必ず誰かが対応する。
何処から入った通信なのかも、一瞬で分かる仕組みだったのに。
それをブルーが使っていたなら、変わっていたろう、あの時の全て。
思念の糸が伝えた震動、変動の予兆で目覚めたブルー。
「何があった?」と訊きさえしたなら、前の自分が応えた筈。
最初に通信を受け取った者が誰であろうと。
ルリであろうが、ヤエであろうが、きっと自分に回されたから。
「ソルジャー・ブルーからの通信です」と。
いくらソルジャー・シンの時代といえども、先の指導者はソルジャー・ブルー。
彼が連絡して来たのならば、繋ぐ相手はキャプテンしか無い。
ブルーは自分に訊けば良かった、「何が起こっているんだ?」と。
そうすれば直ぐに伝えただろう、キースのことも、カリナのことも。
「ご心配には及びません」と気遣いながらも。
目覚めたばかりのブルーに負担はかけられないから、協力を求めることは出来ない。
それでもブルーは知りたいだろうし、何が起きたかを簡潔に。
(俺がきちんと伝えさえすれば…)
ブルーも意見を述べたのだろう。
「手は打ったのか?」と、「捕虜の脱出経路は塞いだのか」と。
「きっと格納庫に向かうだろうから、戦力は全て、そちらに回せ」と。
誰もが予想もしていなかった、捕虜が脱出するということ。
船の構造は複雑なのだし、逃げられないと甘く見ていた部分はあった。
人類の船とは、まるで違っているのだから。
「普通はこうだ」と走って行っても、行き止まりになるのがシャングリラだから。
(…船の構造が漏れていたとは、誰も思わん…)
キースが盗み見ていたなどは。
無防備に彼と接触したフィシス、彼女から船の構造を引き出していようとは。
そうとも思わず、「どうせ捕まる」と放っておいたキース。
カリナの騒ぎが収まった後で捕えればいいと、その前に捕まるかもしれないと。
何処かでウッカリ、袋小路に突っ込んで。
其処にいた仲間に「いたぞ!」と叫ばれ、警備の者たちに取り押さえられて。
無防備すぎた前の自分たち。
ブルーは先回りしたというのに、万一のことを考えたのに。
(…あいつが無茶さえしなかったなら…)
ブリッジに連絡を入れていたなら、キースは充分、捕まえられた。
対サイオンの訓練をいくら積んでいたって、ミュウの集団には敵わない。
物理的な攻撃を受けても勝てない、銃撃されていたならば。
(なのに、あいつは一人きりで…)
満足に動けもしない身体で、たった一人で戦おうとした。
思念の糸に起こされたから。
糸を揺るがせた者を倒すこと、それが自分の使命なのだと考えたから。
(…とことん、ソルジャーだったってな…)
あんなに長く眠っていても、と思い浮かべたシャングリラ。
船を包んでいた思念。
ブルーが長い眠りに就いても、白いシャングリラを取り巻いて。
普段は意識していなくても、ふとしたはずみに感じたブルー。
「此処にいるな」と、「あいつなんだ」と。
まるで惑星を取り巻く大気で、その上を流れゆく風のよう。
シャングリラに本物の風は無くても、人工の風が吹くのを感じて、よく思った。
「あいつのようだ」と、「こんな風に守っているんだな」と。
惑星を一つ包む代わりに、シャングリラを。
目には見えない大気さながら、いつも優しく包み込んで。
誰も意識などしていない風、それが吹き抜けてゆくかのように。
(だから、あいつは風だったわけで…)
風の匂いだと言われて納得したんだっけな、と眺める暗い窓の外。
今は本物の風があるなと、それも蘇った地球の風だ、と。
きっとブルーの家の庭にも吹いているから、風は同じに吹くだろうから。
小さな恋人を思い浮かべる、「風の音、お前も聞いてるか?」と。
いい風だよなと、地球の風だと。
今度は俺が守るからなと、今度は俺がお前を包んで守るんだから、と…。
風が吹いたら・了
※今は当たり前に吹いている風。シャングリラには無かった自然の風。
それに似ていたのがソルジャー・ブルー。でも、今のブルーは頑張らなくてもいいのですv
(明日はハーレイに会えるんだよ)
ホントのホントに間違いなく、と小さなブルーが浮かべた笑み。
ハーレイが訪ねて来てくれなかった日に、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
明日は土曜日、午前中からハーレイが家に来てくれる。
チビの自分に会うために。
キスも出来ない恋人だけれど、十四歳にしかならないチビだけれども。
(でも、本当に恋人だしね?)
前の生から、今の自分になる前から。
蘇った地球に生まれ変わって、また巡り会えた愛おしい人。
前の自分の記憶が戻って、恋人のハーレイもついて来た。
出会った途端に取り戻した記憶、前の自分が誰だったのか。
誰を愛して、どう生きて死んでいったのか。
(…ソルジャー・ブルー…)
そう呼ばれていた前の自分。
遠く遥かな時の彼方で、前のハーレイと恋をしていた。
キャプテン・ハーレイと呼ばれた人と。
ミュウの仲間たちを乗せた箱舟、シャングリラの舵を握っていた人。
そのハーレイに恋をしたけれど、ハーレイも応えてくれたけれども。
…恋は宇宙に散ってしまって、前の自分は泣きながら死んだ。
もうハーレイには二度と会えないと、泣きじゃくりながら。
最後まで持っていたいと願った、右手に残ったハーレイの温もり。
それを失くして、たった一人で。
冷たく凍えてしまった右手が、とても悲しくて死よりも辛くて。
独りぼっちになってしまったから。
ハーレイとの絆は切れてしまって、二度と繋げはしないから。
前の自分の悲しすぎた最期。
今でも夢に出て来るメギド。…前の自分が命尽きた場所。
その瞬間を夢に見る度、悲鳴を上げて飛び起きるけれど。
今の自分は幻なのかと震えるけれども、これが現実。
チビの自分は生まれ変わって、青い地球の上にいるのだから。
先に生まれて来ていたハーレイ、愛した人とも、また出会えたから。
(…だけど、暫く会えていないよ…)
誰よりも好きなハーレイに。
少しでも長く、側にいて欲しい恋人に。
ハーレイが家に来てくれないから。
首を長くして待っていたって、チャイムは鳴らなかったから。
来客を知らせる、門扉の横にあるチャイム。
それをハーレイが鳴らしてくれたら、始まる恋人同士の時間。
キスは駄目でも、唇へのキスは貰えなくても。
ハーレイが部屋に入って来たなら、二人きりの時間。
母が運んでくれるお茶とお菓子で、夕食まではティータイム。
色々なことを二人で話して、ハーレイに甘えたりもして。
(…キスを強請ったら叱られるけど…)
それでもきちんと恋人扱い。
学校で会ったら教師と教え子、そんな仲でしかないけれど。
「ハーレイ先生」と呼ぶよりはなくて、話す時には必ず敬語。
話題にだって、気を付けて。
恋人同士の二人なのだ、と誰も気付きはしないよう。
普通の教師と教え子よりかは、親しくて仲のいい二人。
そういう程度にしておかないと駄目だから。
聖痕を持った自分の守り役、それがハーレイの表向きの役目。
守り役だから、気に掛けてくれて当然だけれど、それが限界。
学校の中で会った時には、あくまで教師と教え子だから。
ハーレイが家に来ない限りは、どう頑張っても教師と生徒。
学校で何度会ったとしたって、立ち話だって出来たって。
(…ハーレイにはちゃんと会えたんだけど…)
ハーレイ先生の方だったんだよ、と悲しい気持ち。
優しい瞳は変わらなくても、穏やかな笑顔は自分の好きな笑顔でも…。
(…ぼくの恋人じゃないハーレイ…)
学校の中ではそうなんだから、と分かっている。
恋人に掛ける、甘い言葉を貰えはしない。
「俺のブルーだ」とも言ってくれない。
甘えることだって出来はしないし、抱き締めて貰うことも出来ない。
学校では生徒の一人だから。
いくらハーレイが守り役とはいえ、甘やかしては貰えないから。
それに抱き締めるなど、とんでもないこと。
もっと自分がチビだったならば、それも出来たかもしれないけれど。
(…転んで泣いてて、ハーレイが通り掛かったら…)
「大丈夫か?」と抱き起こしてくれて、涙を拭いて。
「もう痛くないぞ」と抱き締めてくれて、高く抱き上げたりもして。
今よりも、ずっとチビだったら。
幼稚園に通うくらいのチビなら、きっとそういうことだって。
(…ハーレイ、幼稚園の先生になっちゃうけれど…)
それも似合いそうな気がするハーレイ。
大きな身体は、幼稚園児にも人気が高いことだろう。
抱き上げて貰っても、肩車にしても、うんと視点が高くなるから。
他の子供たちはずっと下の方で、まるで空でも飛んでいるよう。
そういう体験をしたい子たちが群がるハーレイ。
誰もに人気のハーレイだけれど、チビの自分は中でも特別。
本当はハーレイの恋人だから。
前の生から恋をしていて、また巡り会えた二人だから。
幼稚園なら良かったのにな、と思わないでもない、チビの自分が通う場所。
学校よりかは、ハーレイとの間が縮むから。
ギュッと抱き締めて貰っていたって、幼稚園ならスキンシップ。
「いい子ね」と優しく抱き締めてくれた、先生たちも多かった場所。
転んだ時やら、色々な時に。
小さな子供は先生たちに懐くものだし、手だって何度も繋いで貰った。
けれど、学校ではそうはいかない。
幼稚園とは違うから。
勉強をしに行く場所が学校、幼稚園とは全く違う。
先生と生徒の間の距離も、親しさの度合いも、まるで別物。
同じ先生と生徒でも。
似たようにクラス分けがあっても、担任の先生がついていたって。
(…幼稚園なら、恋人同士…)
きっとそういう二人でいられた、他の子たちに遠慮しないで。
「次はぼくだよ!」と突進したなら、ヒョイと肩車で、抱き上げてクルクル回って貰って。
他の子たちにも、譲らなくてはいけないけれど。
順番が済んだら、次の子供にハーレイを譲るのが決まりだけれど。
(それでも、ぼくの順番の時は…)
もうハーレイを独り占め。
肩車で歩いて貰う間や、高く抱き上げて貰っている間。
「もっと、もっと!」とはしゃいでいたって、誰一人として咎めはしない。
他の先生たちはもちろん、他の子たちも。
順番さえきちんと守っていたなら、次の子にハーレイを譲るのならば。
(…幼稚園だったら良かったのにね…)
今の自分みたいに、「会えなかったよ」と寂しがらなくて済むのだから。
幼稚園に通ってハーレイと会ったら、今よりも距離は近いのだから。
「ハーレイ先生」と「ブルー君」でも。
呼び方は今と変わらなくても。
会えなかった、と思わなくても済みそうなのが幼稚園。
ハーレイは抱き締めてくれるから。
肩車だってして貰えるから、高く抱き上げてクルクル回ってくれるから。
(…そっちがいいよね…)
断然そっち、と考えたけれど、幼稚園でハーレイに会いたかったけれど。
同じ「ハーレイ先生」だったら、幼稚園がいいと思ったけれど。
(…幼稚園だと…)
卒園した後、待っているのは下の学校。
其処に行ったら、幼稚園にはもう戻れない。
ハーレイが乗っている幼稚園バスを見付けたとしても、手を振れるだけ。
「ハーレイ先生!」と、精一杯の声を張り上げて。
バスの中のハーレイが気付いてくれても、笑顔で手を振ってくれるだけ。
幼稚園バスは行ってしまって、自分はポツンと取り残される。
もう幼稚園の制服を着てはいないし、鞄だって提げていないから。
ハーレイにとっては「卒園生」で、手を振ることしか出来ないから。
(…やっぱり、今とおんなじだよ…)
恋人のハーレイに会いたかったら、訪ねて来てくれるのを待つしかない。
幼稚園を卒園した後は。
大好きだった「ハーレイ先生」、その先生がいる幼稚園から離れた後は。
(それに、幼稚園の時に会ってたら…)
今の自分の年になるまでに、八年ほどもかかってしまう。
どんなにハーレイのことが好きでも、恋人同士だった記憶が戻っていても。
結婚出来る年になるまでは、更に四年も必要になる。
幼稚園でハーレイと巡り会ったら。
前の生から愛し続けた愛おしい人と、この地球の上で再会したら。
(…卒園してから、十二年も待つの…?)
ハーレイ先生が乗っているバス、幼稚園のバスに手を振りながら。
「此処にいるよ」と、「ぼくは此処だよ」と精一杯に。
そしてやっぱり、家で待つしかないハーレイ。
訪ねて来てくれて、恋人同士で会えるのを。
キスは駄目でも、色々話して、甘えたり出来る時が来るのを。
(…それよりは、今の方がマシ…)
たった四年ほど我慢したなら、ハーレイと結婚出来るから。
二人一緒に暮らせるのだから、学校の先生のハーレイがいい。
家で会えない日が続いても、会える日は何処かでやって来るから。
明日のような土曜や、日曜などや。
(明日は会えるね…)
ちゃんと家まで来てくれるよね、と心で呼び掛ける愛おしい人。
待っているから、早く来てねと。
会いたい気持ちが溢れそうだから、恋人のハーレイに会いたいから…。
明日は会えるね・了
※ハーレイ先生には会っていたのに、恋人の「ハーレイ」に会い損なっていたブルー君。
幼稚園なら良かったのに、と考えてみたようですけれど…。今の方がずっと幸せですよねv
(明日はあいつに会いに行けるな)
もう間違いなく会えるんだ、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー片手に。
(…暫く寄れなかったしなあ…)
上手くいかなかったスケジュール。
学校の帰りに立ち寄れなかったブルーの家。
(立ち寄るどころか、居座るんだがな?)
門扉の横のチャイムを押したら、そのまま夜まで。
最初はブルーの部屋に通され、テーブルを挟んで二人でお茶。
ブルーの母が焼いたケーキや紅茶などで。
食の細いブルーの分は、小さめの菓子になるけれど。
(あいつ、帰ったらおやつを食べているからなあ…)
それが小さなブルーの習慣、学校から家に戻ったら、おやつ。
「食べない」という選択肢は持っていないのがブルー。
(…俺が必ず寄るとは限らないからな?)
「一緒に食べよう」と待っていたなら、食べ損ねる日も多そうなおやつ。
だから一足お先におやつで、その後に自分が訪ねて行ったら…。
(あいつの菓子は小さめなんだ)
そうでなければ量が少なめ、そういった感じ。
ケーキだったら小さく切られて、クッキーなどなら少なめの量。
それでも必ず出て来る菓子。
自分はペロリと平らげるのだから、ブルーの母は「どうぞ」と出す。
来客なのだし、当然のように。
時には「好物でらっしゃいましたわね?」とパウンドケーキを。
もちろんブルーも欲しがるわけだし、ブルーの分は小さめで。
ティータイムをのんびり過ごした後は…。
「今日はこれで」と帰りはしない。
お茶が済んだら、お次は夕食。
ブルーの両親も一緒のテーブル、一階のダイニングに出掛けて行って。
いつの間にやら、出来ていた決まり。
仕事の帰りに寄った時には、夕食を御馳走になるということ。
一家団欒のテーブルに自分も席を貰って、賑やかに食べて。
食事の後には、出て来るお茶。
テーブルでそのままコーヒーだったり、ブルーの部屋で紅茶だったり。
そんな調子でゆったり過ごして、「またな」と家に帰ってゆく。
(まさに居座るって感じなんだ)
一旦、足を踏み入れたら。
門扉の横のチャイムを鳴らして、ブルーの家へと入ったら。
(そいつがあるから、こう、迂闊には…)
寄れないんだ、と思い返した今週のこと。
仕事の帰りに寄ろうとしたのに、急な会議が入るとか。
柔道部の指導に熱が入って、いつもより遅くなったとか。
(…寄るだけだったら、寄れるんだがなあ…)
車を飛ばして、ブルーの家へ。
「今日はお茶だけでいいですから」と、ブルーの母に断って。
文字通りにお茶だけ、そういう時間。
夕食の時間が訪れる前に、「じゃあな」と席を立てばいい。
「俺も帰って飯にするから」と、「また今度な」と。
けれど出来ない、その選択は。
ブルーの母が止めるだろうから。
小さなブルーも「食べて行ってよ」と言うだろうから。
せっかく訪ねて来てくれたのだし、夕食を、と。
簡単なものしか出来ないけれども、是非どうぞ、と。
そうなるのだと分かっている。
ブルーの両親は、もう最初からそのつもり。
小さなブルーと自分が出会って、守り役ということになった時から。
彼らが愛する一人息子が、ソルジャー・ブルーだと知った時から。
(…恋人同士だったってことは、今も知らないままなんだが…)
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、今の時代は伝説の二人。
白いシャングリラで地球を目指した、初代のミュウたち。
彼らを導き続けた長と、右腕だったキャプテンと。
仲がいいのは当然のことで、積もる話も尽きたりはしない。
それを知るのがブルーの両親、語り合うための時間を作ってくれる。
ブルーと二人で過ごせるようにと、気を配って。
(俺たちが話せる時間ってヤツは、長いほどいいに決まってるしな…)
小さなブルーもそれを望むから、一人息子の願いだから。
ブルーの家を訪ねて行ったら、「立ち寄る」だけでは済まない自分。
玄関先で帰れはしないし、通されるのがブルーの部屋。
そうこうする間に出来てしまうのが夕食の支度、「ご一緒にどうぞ」と。
初めの間は、もう本当に御馳走だった。
豪華なメニューではなかったけれども、来客向けなのが明らかな料理。
「お待ちしていました」といった感じで出された料理。
きっと本当に、きちんと用意をしていたのだろう。
いつ訪ねても、それを作れるように。
日持ちする食材を揃えておいたり、下ごしらえをして保存していたり。
自分も料理をするから分かる。
あれはそういう料理だったと、来客に備えていたのだと。
もしも来ない日が続いたとしても、他の料理に使える食材。
それを幾つも常備していたと、自分が行ったら作り始めていたのだと。
客に出すにはピッタリのものを、テーブルの上で映える料理を。
今の自分は、家族の一員といった扱い。
来客向けの料理の代わりに、普段着の料理が出て来るから。
ブルーの家のいつもの夕食、其処に並ぶだろう料理。
(…そうなったのは嬉しい限りだが…)
やはり今でも、「今日はお茶だけで」とはいかない自分。
小さなブルーが望むから。
ブルーの両親も、息子の願いを叶えたがるから。
(…飯の支度には、遅すぎる時間に寄ったって…)
お茶だけで帰らせては貰えない。
ブルーの母なら、きっと支度を始めるから。
食べる人数が一人増えた分だけ、それを補える料理を何か。
一品増やして、「どうぞ」と迎えられるテーブル。
あるいはシチューの具材を増やして、一人前の量を多くする。
そんな工夫をサッと考え、手早く用意するのだろう。
一人息子が喜ぶように。
「ハーレイも一緒に食べて行ってよ」と、笑顔で夕食に誘えるように。
(…そうなっちまうのが分かってるから…)
寄れずに今日になっちまった、と眺める小さなブルーの写真。
夏休みの一番最後に写した、今のブルーとの記念写真。
(前のあいつとは、こういう写真も撮れなかったが…)
恋人同士だと誰にも明かせないまま、それきりになってしまったけれど。
遠く遥かな時の彼方に、前の自分たちの恋は消えたのだけれど…。
(その代わり、いつでも会えたってな)
会おうと思えば、それこそ仕事の合間にだって。
「ちょっと出て来る」とブリッジを離れて、ブルーの許へ。
口実は何も要らなかったし、いつでも行けた。
ソルジャーの指示を仰ぐキャプテン、そういう立場だったから。
青の間に入って直ぐに出たって、誰も疑いはしなかったから。
(…そうそう、やっちゃいないんだが…)
勤務の途中で抜けること。
ブルーに会おうと、青の間に出掛けてゆくということ。
けれど望めば可能だったし、もちろん夜はいつでも会えた。
誰にも気兼ねしなくて済んだ。
恋人同士だと明かせなくても、会うのは自由だったから。
今の自分とブルーと違って、遠慮しないといけない誰かはいなかったから。
(其処が大いに問題ってヤツで…)
会い損なったぞ、と見詰めるブルーの写真。
学校では顔を見られたけれども、立ち話だってしたのだけれど。
恋人同士で会っていないと、小さなブルーに会えないままだ、と。
(…お茶だけで、っていうのが出来ればなあ…)
それが出来れば、遠慮しないで会えるのに。
学校を出るのが遅くなった日も、ブルーの家に寄れるのに。
ブルーの母の手を煩わせないで済むのなら。
立てていただろう夕食の段取り、それを狂わせずに帰れるのなら。
(しかし、そいつは出来ないわけで…)
俺が寄ったら、どうしても居座ることになっちまうから、と零れる溜息。
申し訳なくて出来はしないのが、そのコース。
ブルーは「来てよ」と言うけれど。
小さなブルーの両親だって、「いつでもどうぞ」と言ってくれるけれど。
(すまんな、ブルー…)
シャングリラのようにはいかないってな、とブルーに詫びる。
写真の中のブルーに向かって、「ごめんな」と。
寂しい思いをさせちまったと、寄ってやれなくて悪かったと。
けれど明日には会えるから。
土曜日なのだし、一日一緒に過ごせるから。
ブルーの写真に向かって微笑む、「明日は会えるな」と。
だから膨れているんじゃないぞと、もう少しだけの辛抱だしな、と…。
明日は会えるな・了
※ブルー君に会い損なっていたらしい、ハーレイ先生。学校で会えても、それっきりで。
明日は訪ねて行けるようです、ブルー君もきっとお待ち兼ね。幸せな土曜日なんでしょうねv
