(んーと…)
どのくらいの幅があるんだろう、って思った、ぼく。
窓から外を覗いてみたけど、ちょっと見えない真上の夜空。
だから庭まで出て来てみたんだ、「星を見て来る」って。
ちょっとだけだよって、夏だから風邪なんか引かないよ、って。
アルタイルとベガ、それからデネブ。
頭の上に夏の大三角形、去年までは何とも思っていなかった。
わし座のアルタイルと琴座のベガと、白鳥座のデネブ。
夏の夜空に輝く星たち、アルタイルとベガは七夕の星。彦星と織姫。
その程度の知識で見上げていた空、綺麗だと思って見ていた星。
それが今年から特別になった、こうして庭まで見に出るくらいに。
見たくなったら夜の庭まで、サンダルを履いて出て来るほどに。
庭の真ん中、暗いけれども家の明かりは見えるから。
足元の芝生もなんとか見えるし、庭の木だって黒々としてても怖くはないから。
庭で一番大きな木の下、白いテーブルと椅子もほの白く見える。
ぼくは夜の闇の底に一人じゃなくって、家の中にはパパとママ。
何ブロックも離れてはいても、同じ夜空の下にハーレイ。
(独りぼっちじゃないもんね…)
庭の真ん中に一人だけれども、周りはすっかり夜なんだけれど。
ちっとも寂しい気持ちはしなくて、アルタイルとベガをじっと見上げる。
ぼくの家の庭からは見えないけれども、あそこには天の川がある。
星で出来た川が、アルタイルとベガの間を流れて隔てる広い天の川が。
こうして夜空を仰ぐだけでも、広そうに見える天の川。
実際、とても広いんだと思う、アルタイルとベガのことを思えば。
アルタイルとベガの正体は恒星、早い話が太陽だから。
前のハーレイはアルタイルにもベガにも行ったと話した、前のぼくが深く眠っていた間に。
白いシャングリラで地球を探しに、地球を連れてるソル太陽系の太陽を探しに。
だけどアルタイルもベガも違った、青い水の星は其処には無かった。
遠い遠い距離をシャングリラで旅して、ようやく辿り着いたのに。
地球があるかと行ってみたのに、アルタイルもベガも地球を連れてはいなかった。
そんな話を聞いているから、宇宙についても勉強するから。
天の川の広さはとんでもないって分かっているけど、見に出て来ちゃった。
どのくらいかな、って。
彦星と織姫が年に一度だけ渡って会えるという天の川は、どのくらいの幅があるのかな、って。
(やっぱり広い…)
プールどころの幅じゃないや、ってポカンと見上げた、広すぎるよって。
ぼくじゃとっても泳げそうになくて、橋が無くっちゃ渡れないよ、って。
天の川の広さはよく分かったから、家に入って部屋に戻った。
もう一度窓から外を見たけど、やっぱり見えない、真上にある星。
(天の川、とっても広そうだったよ…)
前のぼくでも飛んでゆくなら一瞬ではきっと無理なんだけど。
本当の距離を考えてみたら、シャングリラでなくちゃ無理そうだけど。
でも…。
(ハーレイ、泳いでくれるって…)
そう言ってくれた優しいハーレイ、前のぼくだった頃からの恋人。
お互い知らずに同じ町にいて、今年の五月の三日に出会った。
前のぼくたちの記憶が戻って、ちゃんと恋人同士に戻れた。
ぼくがチビだから、本当に本物の恋人同士にはなれないけれど。
ハーレイはキスも許してくれずに、ぼくをチビだと子供扱いするけれど。
そのハーレイは古典の先生、七夕のことを教えてくれた。学校であった古典の時間に。
ぼくの家でも他に色々と話してくれた。七夕のことを、もっと詳しく。
聞いている内に、ぼくは自分を重ねてしまった、七夕の星に。
年に一度しか会うことが出来ない恋人たちの星に、ぼくとハーレイとを重ねてしまった。
七夕の夜に雨が降ったら、会うことが出来ない彦星と織姫。
天の川の水が溢れてしまって、カササギの橋が架からないから。
カササギが翼を並べて架けるとハーレイに聞いた、その橋が架かってくれないから。
そうなってしまったら二人は会えない、七夕の夜に雨が降ったら催涙雨。
二人の涙が雨になるとか、降った雨のせいで二人が泣くから催涙雨だとか。
要は会えない、雨が降ったら。
年に一度きりのチャンスを逃して、彦星と織姫は会えなくなる。
もしも、ぼくとハーレイとが、そんなことになってしまったら。
年に一度しか会えなくなったら、その日に雨が降ってしまったら。
カササギは橋を架けてくれなくて、ぼくはハーレイに会えなくなる。
どんなにハーレイに会いたくっても、橋が無ければどうにもならない。
いくら泣いても会えやしないし、諦めるしかないと思った、ぼく。
だけど、ハーレイの方は違った。
天の川を泳いでくれるって言った、橋が無いなら泳いで渡ると。
ぼくの所まで泳ぎ渡ると、天の川がどんなに広くても、と。
そのことを、ふと思い出したから、天の川の幅を見たいと思った。
どのくらいあるのか、どれほどの川をハーレイは泳いで渡るのかと。
(…ホントのホントに広かったよ…)
アルタイルとベガの間の本当の距離を抜きにしたって、広すぎるほどの天の川。
ぼくの家の庭から天の川の星は見えないけれども、あの辺りだな、って分かるから。
天の川の幅は学校のプールよりずっと広くて、ぼくにはとっても泳げそうになくて。
第一、ぼくは水の中には長く浸かっていられないから、天の川なんか泳げない。
星の川でも水は普通に冷たいだろうし、ぼくは浸かっていられない。
(でも、ハーレイは泳ぐって…)
学生時代は水泳の選手もしていたハーレイ、身体も頑丈に出来ている。
泳いで渡るって言ってくれたし、きっと本当にハーレイなら泳ぐ。
天の川がどんなに広い川でも、向こう岸なんか見えなくっても。
カササギの橋が架からないくらいに溢れていたって、ハーレイは泳ぐと言い切った。
二度と後悔したくないって、天の川を渡らずにいたくはない、って。
ハーレイも重ねてしまっちゃったから、七夕の話と前のぼくたちを。
だから今度は渡るって言った、天の川を泳いで渡るんだ、って。
さっき見て来た、天の川。
アルタイルとベガの間の夜空に流れてる筈の天の川。
それを泳いで渡ってくれるとハーレイは言った、ぼくを泣かせやしないって。
ぼくは信じて待てるんだけれど、ハーレイだったら泳いでくれると思うけれども。
(だけど、やっぱり…)
一年に一度しか会えないよりかは、いつでも会える方がいい。
それに、そうなる筈だから。
今は先生と生徒な上に、ぼくがチビだから、こうして分かれて住んでるけれど…。
きっといつかは、ハーレイと一緒。
おんなじ家で二人で暮らして、天の川なんか流れちゃいない。
天の川でも泳いで渡る、って言ってくれたほどのハーレイと二人、いつまでも一緒。
手を繋いで二人、何処までも一緒、天の川なんかを渡らなくっても、いつも二人で…。
天の川の幅・了
※天の川の広さに驚くブルー君ですけれど。それを泳ごうというのがハーレイ。
ブルー君、とっても愛されています、ホントに幸せ者ですねv
※本日、5月3日はハーレイ先生とブルー君の再会記念日。
お祝いにショートを上げておきます、再会とは全く無関係なお話ですけどね!
(はてさて、どのくらいあるのやらなあ…)
かなり離れているんだが、とハーレイが見上げた頭上の夜空。
アルタイルにベガ、それからデネブ。
ひときわ明るい星が描いた夏の大三角形、地球ならではの星の共演。
アルタイルは彦星、ベガは織姫。
何度も何度も授業で教えてきたけれど。
七夕の度に古典の授業で語ったけれども、今年の夜空は去年までとは違って見えた。
前の自分の遠い記憶が戻ったから。
キャプテン・ハーレイだった頃の自分が、自分の中に帰って来たから。
(アルタイルにもベガにも、地球は無くて、だ…)
白いシャングリラで旅をした宇宙。地球を探して彷徨った宇宙。
地球を擁するソル太陽系が何処にあるのか分からないままに、座標も掴めないままに。
幾つも幾つも星を巡った、銀河系の中の恒星たちを。
その星が地球を連れてはいないかと、青い水の星が其処に無いかと。
アルタイルもベガもそうして訪れ、地球は無かったと肩を落とした。
これも違ったと、かの星は何処にあるのだろうかと。
そうやって前の自分が巡った星たち、それが遥かな頭上に輝く。
足の下にはかつて探した青い地球。
前の自分はついに見られず、死の星だったと落胆した地球。あの頃は無かった青い星。
其処に自分は生まれて来た上、こうして空を仰いでいる。
夏の大三角形が綺麗に見えると、あれが彦星であれが織姫、と。
変われば変わるものだと思った、庭の真ん中に立ち尽くしたままで。
黒々とした木々が宿す闇やら、夜気に包まれた緑の葉たちが放つ香りやら。
どれも本物の地球にあるもので、自分は地球にやって来た。
前の生で愛して、失くしたブルーも青い地球の上に生まれて来た。
二人、巡り合って、今は教師と生徒だけれど。
それでも同じに恋人同士で、キスすら出来ないというだけのことで。
ブルーがあまりに小さいから。
十四歳にしかならない子供で、前と同じに愛し合うには心も身体も幼いから。
そんなブルーと話した七夕、授業で語った話の続き。
ブルーは自分たちを七夕の星になぞらえた、年に一度しか会えないわけではないけれど。
もしもそうだったら、どうだったろうと。
年に一度しか会えない恋人同士で、その七夕に雨が降ったらどうしようかと。
七夕の夜にカササギが翼を並べて作ると伝わる橋。
天の川を渡って会うための橋は、雨が降ったら架からない。
七夕の夜に降る雨のことを催涙雨と呼ぶ、カササギの橋が架からない雨を。
会えないと嘆く恋人たちの涙が雨になって降るとか、恋人たちが泣くからだとか。
そういう雨が降るのは嫌だと、悲しすぎると訴えたブルー。
小さなブルーが悲しそうだから、会えないなど自分も嫌だから。
前の自分がブルーを失くした時の思いも重ねてしまって、本当に嫌だと思ったから。
(泳いで渡ると言ったんだよなあ…)
自分たちの間に天の川があれば、年に一度しか会えないのならば。
その日を逃すともう会えないのに、天の川が溢れていたならば。
カササギの橋が架からないなら、自分は泳いで渡ることにすると。
ブルーの許まで泳ぎ渡って、何としてでも会いにゆくからと。
アルタイルとベガ、夜空に輝く二つの星たち。
前の自分が白いシャングリラで訪ねた恒星、あれは星だときちんと分かっているけれど。
あれもそれぞれ太陽なのだと分かるけれども、今の自分には彦星と織姫。
この庭からは天の川までは見えないけれど。
天の川もまた星で出来ていると知っているけれど、抱く思いが去年とは違う。
キャプテン・ハーレイだった自分とも違う、恒星を人になぞらえるなど。
あれは彦星と織姫なのだと、そう思って星を見上げるなど。
それぞれの星に自分とブルーを、恋人同士の互いの姿を重ねようとは…。
去年までは出会っていなかったブルー、存在さえも知りはしなかった。
この地球の上に前の生から愛した人がいることさえも。
なのに出会った、そして七夕の話を交わした、天の川で隔てられたらどうしようかと。
泳いで渡ると言ってしまった、小さなブルーに。
(泳ぐのはかまわないんだが…)
今の自分は馴染んだ水泳、学生時代は選手でもあった。
もしも自分が彦星だったら、雨でカササギの橋が架からなければ、泳ぐけれども。
ブルーが待っている向こう岸へと泳ぐけれども、その天の川。
どれほどの幅があるものなのかと、二つの星たちの間を見上げる。
あそこに天の川が流れていると、さて川の幅はどれほどなのか、と。
キャプテン・ハーレイだった自分ならば呆れることだろう。
アルタイルとベガの間を泳ぎ渡るなど、有り得ないと。
どれほどの距離だと思っているのだと、白いシャングリラでもどれだけかかったのかと。
生身で宇宙を渡ることなど、タイプ・ブルーでなければ出来ない。
それは分かっているのだけれども、ブルーに泳ぐと誓ったから。
今の自分が泳ぎ渡るのは宇宙ではなくて、夜空を流れる天の川だから。
(泳いで泳げんことはないんだ、彦星ならな)
天の川を渡って出会う恋人たちの片割れ、それが自分であるならば。
向こう岸にブルーが待っているなら、きっと自分は泳いで渡れる。
アルタイルとベガの間に横たわる川を、星たちで出来た川の流れを。
天の川に飛び込み、向こう岸へと泳いでゆこう。
川が溢れて渡れないなら、カササギの橋が無いのなら。
けしてブルーを泣かせはしないし、見事に泳ぎ渡ってみせる。
そしてブルーを強く抱き締める、泳いで来たぞと、待たせてすまんと。
濡れた服のままで、髪からも水が滴るままで。
(…水も滴るいい男、ってな)
文字通りだな、と可笑しくなった。
きっとブルーも笑ってくれる、「水も滴るいい男だろう?」と言ったなら。
濡れ鼠でもこれがいい男だぞと、言葉通りに水が滴ると。
(そうだな、そんな逢瀬がいいな)
天の川が如何に広かろうとも、泳ぐのに難儀しようとも。
泳ぎ渡ったら笑い合いたい、幸せな時を過ごしたい。
苦労したとは一言も言わず、年に一度の時を楽しもう、やっと恋人に会えたのだから。
待って待ち焦がれていてくれただろう、ブルーとの逢瀬なのだから。
けれど、欲張っていいのなら。
(…彦星と織姫になるよりはだな…)
いつでも会える二人がいい。
年に一度の逢瀬ではなくて、いつでも共にいられる恋人。
天の川を泳ぐ覚悟は充分あるのだけれども、やはりブルーと一緒にいたい。
今度こそ二人、離れることなく、何処までも手を繋ぎ合って…。
天の川を泳ごう・了
※ハーレイがブルーに「泳いで渡る」と誓った天の川。二人の間にあったら、ですが。
けれど一年に一度の逢瀬よりかは、いつも一緒がいいですよねv
「ハーレイ不足だったんだよ!」
いきなりの言葉に面食らったハーレイ。
小さなブルーの唇からそう飛び出して来た、「ハーレイ不足だったんだよ!」と。
目を白黒とさせるしかない。
ハーレイ不足とは何のことかと、まさか心を読まれたのかと。
この前の土曜日、ブルーの家を訪ねたけれど。
ブルーと二人で過ごしたけれども、その翌日は駄目だった。
日曜日で休みだったというのに、自分に用事。
柔道部の教え子たちを招いて食事で、ものの見事に一日潰れた。柔道部員のお相手で。
そうなることはブルーも承知で、「仕方ないよね」と頷いてくれたのに。
「また来てくれるよね」と健気に笑顔も見せてくれたのに、「また」が無かった。
月曜日も火曜日も、水曜日も。
どうしたわけだか次々に重なる用事や外食、木曜日までが潰れてしまった。
やっとのことで空いた金曜、仕事帰りにいそいそと訪ねて来たけれど。
ブルーの部屋へと通されたけれど、お茶とお菓子が出て来た後がこれだった。
小さなブルーの唇が告げた「ハーレイ不足」。
言葉には覚えがあったから。
「ハーレイ不足」は知らないけれども、「ブルー不足」なら何度も思ったから。
ブルーが足りないと、ブルー不足だと自分が何度も繰り返したから、それかと思った。
もしやブルーに読まれたのではと、読まれて逆を言われたのではと。
けれども、よくよく考えてみれば。
今の自分は前と同じにタイプ・グリーンで、前のブルーでも簡単に読めはしなかった心。
今のブルーに読めるわけがない、それも顔を合わせて間もない間に。
だから訊いてみた、「お前もなのか?」と。
お前はハーレイ不足なのか、と。
「…え?」
お前も、って何? と赤い瞳を見開いたブルー。
確かにハーレイ不足だけれども、「お前も」とはどういう意味なのか、と。
「ん? 実は俺もな、不足しててな。…俺の場合はブルー不足だ」
そう答えれば、ブルーは瞳を真ん丸くして。
「…ハーレイもなの? ハーレイはぼくが足りなかったの?」
「ああ、まるで全く足りなかったな。この一週間…って、まだ一週間にはなっていないか」
ギリギリってトコか、と苦笑した。
今日は来られたから一週間にはならなかったと、明日で一週間だった、と。
「…遅くなってすまん。また来ると約束していたのにな」
本当にすまん、と謝った。言い訳はしないと。
「でも、ハーレイ…。用事でしょ?」
「殆どはな。だが、一日だけは違うんだ」
楽しく飯を食いに出掛けた、と潔く詫びた。
同僚に「一杯どうです」と掛けられた声は、断れないこともなかったから。
それに誘われて入った店では、美味しく食べて楽しんだから。
酒も料理も文句なしの店、来て良かったと思えた酒席。
その頃、ブルーは寂しく俯いていたのだろうに、「ハーレイ不足」だと嘆いていたろうに。
すまん、と心から頭を下げたら、ブルーは「ううん」と首を左右に振って。
「用事が何でも、一日は食事に行ったとしても。ハーレイもぼくと同じでしょ?」
足りなかったんでしょ、と微笑んだブルー。
ぼくが足りなくてブルー不足、と。
「…それはそうだが…。俺の場合は自業自得で…」
飯さえ食いに行かなかったら、と謝ったけれど。
あの日に誘いを断っていたらブルー不足にはならなかったと詫びたけれども。
「ううん、ハーレイは悪くないよ。…次の日のことまでは分からないもの」
次の日に用事が入らなかったら来られたんだし、とブルーは言った。
未来の用事は読めはしないと、そうそう分かりはしないのだから、と。
「そうでしょ? フィシスでもそこまで読めたかどうか…」
だからおあいこ、とブルーはクスッと小さく笑った。
お互い足りなくてハーレイ不足とブルー不足でおあいこだよ、と。
「しかし、お前は…。俺より余計に一日分ほど…」
「そう思うんなら、ハーレイ不足だった分、ちょっとだけ…」
いいでしょ、と椅子から立って来たブルー。
自分の椅子を離れて来るなり、膝の上へとよじ登って来た。そして座った、膝の上に。
チョコンと、それは嬉しそうに。
「座らせておいてよ、そしたら治るよ、ハーレイ不足」
ね? とブルーは得意げだから。
下りはしないと、下りるものかと赤い瞳が主張するから。
「おい、お前…。もうすぐお母さんが来るんじゃないのか、晩飯が出来たと」
この格好はどうかと思うが、と注意したのに。
「平気だってば、まだお茶とお菓子が出たばかりでしょ?」
晩御飯の時間はもう少し先、と壁の時計を指差すブルー。
まだ半時間は充分にあると、一時間かもしれないと。
そうしてピタリとくっついて来た。胸に身体を預けてピタリと。
「お、おい、ブルー…」
下りろ、と何度か促したけれど。
胸から離れろとも言ったけれども、返って来た言葉は「ハーレイもでしょ?」で。
「ハーレイだってブルー不足になってたんでしょ、これで治るよ、ブルー不足も」
だから下りない、と言い張るブルー。
甘えん坊だけれど、頑固なブルー。
そう言われると、自分も覚えのあることだから。
ブルー不足だと嘆いた覚えは確かにあるから、もう敵わない。
降参だ、と全面降伏、と小さなブルーを思わずギュッと抱き締めていた。
両腕で強く胸に抱き込んで、銀色の髪に顔を埋めて。
「…すまん、俺もどうやらブルー不足だ」
「そうでしょ、ぼくもハーレイ不足」
まだ足りないよ、とブルーの腕がキュッと背中に回されたから。
ハーレイ不足が酷いんだよ、とくっつかれたから。
多分、お互い、ブルー不足でハーレイ不足。
一週間近くも会えずに過ごして、恋人同士の時を持てなくて。
学校で顔を合わせていただけ、ほんの少しの立ち話だけ。
きっと簡単には治らないから、ブルー不足もハーレイ不足も、そう簡単には治らないから。
夕食前まではこうしていようか、ブルーの母がやって来るまで。
階段を上る軽い足音が聞こえて来るまで、このままで。
その上、明日は土曜日だから。
二人で一日過ごせる日だから、明日も存分に足りなかった分を満たして、満たして貰って。
ブルー不足とハーレイ不足をきちんと治そう、また減ってしまわないように。
足りなくなったと、とても足りないと、お互い思わずに済むように。
また不足した時は、こうして治そう。
小さなブルーを強く抱き締め、小さなブルーに両腕でキュッと抱き付かれて…。
久しぶりに会えた・了
※ブルー不足とハーレイ不足の結末はこうで、治し方はこうみたいです。
健全なお付き合いだからこその治し方、ブルー君が育ったら治し方も変わりますよねv
(ハーレイが足りない…)
来てくれないよ、と小さなブルーは溜息をついた。
部屋を見渡し、空っぽの椅子をまじまじと見て。座る人のいない椅子を見詰めて。
そこはハーレイの指定席。
訪ねて来てくれたら、いつもハーレイが腰掛ける椅子。
前のハーレイのマントの色を淡くしたような座面、どっしりした木枠に籐を張った背もたれ。
二つある椅子の片方がハーレイ、片方がブルー。
どちらに座るかは自然と決まった、いつの間にか決まっていた指定席。
テーブルを挟んで向かい合わせで、こちらがハーレイ、こちらがブルー、と。
その指定席が空っぽのままで、もう何日が経っただろう。
この前の週末、土曜日はハーレイは其処に腰掛けていた。いつもの通りに。
他愛もないことを話して、甘えて、一日過ごして、それは満足したのだけれど。
次の日は会えずに終わってしまった、ハーレイに用事があったから。
柔道部の教え子たちを家に招くと言ったハーレイ、ブルーは混ぜては貰えない。
なにしろ柔道部員の集まり、まるで関係無いブルーが混ざれば親睦の会が台無しだから。
ハーレイの家で楽しくやろうと集まる部員に気を遣わせてしまうから。
(…ぼく一人では遊びに行かせて貰えないし…)
駄目だと禁じられてしまった訪問、キスと同じで大きくなるまで禁止になった。
だからブルーは待つ他は無くて、ハーレイが家に来てくれるのを待ち焦がれている日々なのに。
ハーレイの指定席は空っぽのままで、今日も空っぽ。
もう木曜日になるというのに、土曜日を最後に会っていないのに。
厳密に言えば、ハーレイとは会えているのだけれど。
学校で何度か立ち話をしたし、ハーレイが教える古典の授業も何回かあった。
けれども、それは学校でのこと。
ハーレイはあくまで「ハーレイ先生」、ブルーは生徒という関係。
いくらハーレイがブルーの守り役でも、そういうことになってはいても。
あまりに親しく口を利いては、それはマズイと思うから。
学校では敬語、必ず敬語。
話は出来ても、話す相手は「ハーレイ先生」。
穏やかな笑顔を向けてくれても、鳶色の瞳がいくら優しくても「ハーレイ先生」。
恋人とは違う、家で二人で話す時とは全く違う。
そんなハーレイにしか出会ってはいない、もう何日も。
ハーレイ先生としか話してはいない、恋人のハーレイとは先週の土曜日に話したきりで。
平日でも仕事が早く終わりさえすれば、ハーレイは訪ねて来てくれる。
いつもの指定席に座って、お茶とお菓子をお供に話せる。
それから両親も一緒の夕食、恋人同士の会話は無理でも一緒に食事を食べられる。
そういう時間がきっと取れると思っていたのに、月曜日にはと考えたのに。
日曜日が駄目になった分の埋め合わせに寄ってくれると期待したのに、外れた予想。
けれどハーレイにも都合があるから、火曜日には、と考え直した。
その火曜日が流れ去っても、水曜日には、と。
ところが水曜日も過ぎてしまって、木曜日の今日も鳴ってくれずに終わったチャイム。
ハーレイが来たら鳴る筈のチャイム。
もう五日にもなるんだけれど、とカレンダーを眺めたら溜息が漏れた。
五日も経ってしまったのかと、五日も会えていないのかと。
(…ハーレイが足りない…)
足りないんだけど、と呟いても椅子は空っぽのまま。
そこにハーレイの姿が足りないという意味で言っているのではなくて、足りないハーレイ。
自分にだけ向けてくれる笑顔も、恋人としての優しい言葉も、貰えないまま。
心がすっかり飢えてしまって、ハーレイが欲しいと訴える。
ずっとハーレイを食べていないと、お腹が空いて死にそうなのだ、と。
もちろん本当にハーレイを食べようと思いはしないし、また食べられる筈もない。
ハーレイはお菓子でも料理でもなくて、一人の人間なのだから。
ガブリと齧ってモグモグと噛んで、ゴクリと飲み下すようなことなど出来ない。
けれども飢えてしまった心。ハーレイが足りないと訴える心。
まるで食卓にパンだけしか載っていないかのように。
塗るためのバターもマーマレードも、喉を潤すミルクや紅茶も影も形も無いかのように。
とにかく足りない、こんなに会いたいと願っているのにハーレイが来ない。
ハーレイのための椅子は空っぽ、其処に座りに来てはくれない。
待って、待ち続けて、とうとう五日。
明日も駄目なら六日も会えない、一週間は七日なのに。
いつもだったら週末は二人で過ごすものだし、平日だって訪ねてくれる。
まるまる五日も会えずに過ごして、ハーレイの席は空っぽのまま。
ハーレイに会いたい気持ちが募って、心は飢える一方で。
(こんなにハーレイに会いたいのに…)
ホントのホントにハーレイ不足、と零れた溜息、もう幾つ目だか分からない。
昨日も一昨日も溜息をついた、今日もハーレイに会えなかったと。
それでも明日には会える筈だと思い直して、待ち続けたのに。
ハーレイは来ないままついに五日目、会えないままで五日も経った。
学校では会えているけれど。
立ち話だって、したのだけれど…。
(…お腹、減ったよ…)
本当にお腹が減ったわけではないけれど。
今日の夕食はちゃんと食べたし、学校から帰っておやつも食べた。
けれど満たされない心の空腹、お腹が減ったと訴える心。
ハーレイの優しい笑顔を食べたい、暖かい言葉をお腹一杯食べたいのだと。
どんなにお腹が減っていたって、どうすることも出来ないのに。
ハーレイが訪ねて来てくれない限り、飢えは決して満たされないのに。
ハーレイ不足だと、お腹が減ったと、寂しい気持ちで一杯だけれど。
明日は来てくれるかと望みを明日へと繋ぐけれども、金曜日。
金曜日の次の日はもう土曜日で、明日も駄目なら、丸一週間、会えないままで週末が来る。
この前の土曜日に会ったのが最後、それきりハーレイ不足なのに。
日に日に心の飢えが募って、もう本当に空腹なのに。
(…でも…)
こんな気持ちを抱えていたって、一層、飢えるだけだから。
ハーレイが足りないと椅子を眺めて、溜息を零すしか出来はしないから。
ここは気分を切り替えなくては、明日は無理でも明後日には、と。
土曜日には必ず会える筈だし、きっと空腹は癒されるから。
ハーレイの姿を思い描こう、あの椅子に腰掛ける恋人を。
すまなかったと、遅くなったと謝ってくれるに違いない人を。
そう、土曜日には、あの椅子にハーレイが座ってくれるのだから…。
ハーレイが足りない・了
※ブルー君がハーレイ欠乏症になると、こういう感じ。椅子を眺めて溜息の日々です。
早く来てくれないかと待ち焦がれてます、きっと感動の再会でしょうねv
「ねえ、ハーレイ…」
温めてくれる? とブルーが右手を差し出した。
ハーレイと向かい合わせで座ったテーブル、その上に手を。
「かまわないが…。暑くないのか?」
夏なんだが、と苦笑いをしながら手を取るハーレイ。
褐色の大きな両の手でそうっと、包み込むように。
まるで宝物を包むかのように、ブルーの小さな右の手を、そっと。
前の生でブルーが失くした温もり、落として失くしてしまった温もり。
キースに撃たれた傷の痛みで、メギドで撃たれた傷の痛みで。
最後まで持っていたいと願ったハーレイの温もりを失くしたブルー。
右の手から消えてしまった温もり、ブルーは独りぼっちになった。
ハーレイの温もりを失くして、独り。
もう会えないのだと泣きながら死んだ、たった一人で。一人きりで。
そんな悲しい記憶があるから、今でも忘れられないから。
小さなブルーは温もりを求める、ぼくの右の手を温めて、と。
出会ったばかりの五月の初めの頃なら、肌寒い夜もあったけれども。
今では季節はすっかりと夏で、夏真っ盛りの夏休み。
なのにブルーは右手を差し出す、「温めてくれる?」と。
そう願う気持ちは分かるけれども、いくらでも温めてやりたいけども。
(…夏なんだしな?)
季節を思えば、今の幸せな日々を思えば少し意地悪したくなる。
悪戯心が頭をもたげる。
小さなブルーと青い地球の上、それは幸せな毎日だから。
共に暮らせはしないけれども、引き裂かれることはもう無いのだから。
懸命に温もりを求めなくとも、ブルーは一人ではないのだから。
外は暑い夏、命の輝きが眩しい季節。
ちょっぴりブルーを苛めてみようか、小さなブルーを。
「なあ、ブルー…。俺は思うんだが」
「なあに?」
どうしたの、とブルーが首を傾げるから。
「こうして右手を温めなくても、部屋の冷房…」
切っちまって窓を開けようじゃないか、と提案してやった。
そうすれば充分に暖かいぞ、と。
「嫌だよ、それ!」
暖かいんじゃなくって暑いの間違い、とブルーが叫ぶから。
暑くて嫌だと騒ぎ出すから、パチンと片目を瞑ってやる。
ただの冗談だと、この手は俺が温めてやる、と…。
温もりが欲しい・了
