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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(……ふうむ……)
 あいつは今もやっぱりチビで、とハーレイが思い浮かべた恋人。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
 十四歳にしかならない恋人、前の生から愛したブルー。
 まだ十四歳だから当然だけれど、ブルーの身体は「子供」のもの。
 遠く遥かな時の彼方で、アルタミラの地獄で出会った頃と変わらないチビ。
 ただし、あの時の「チビのブルー」は、今よりも年上だったのだけれど。
 本当の年は、前の自分よりも遥かに上で。
(それでも、見た目も中身もだな…)
 子供だったっけな、と今も鮮やかに思い出せる。
 アルタミラで檻に閉じ込められたブルーは、心も身体も、成長を止めてしまっていた。
 ブルー自身は、全く意識さえしていないままに。
(成長したって、いいことは何も無いんじゃなあ…)
 夢も未来も失くしてしまって、それきり「止めてしまった」成長。
 育っても「未来」は無さそうだから。
 希望や夢など持っていても無駄で、「死を待つだけ」の人生だから。
(そのせいで、出会ってもチビだと思い込んでいて…)
 チビ扱いして、どのくらい経った頃に知ったのだったか。
 前のブルーが「生まれた年」の年号を。
 辛うじてブルーが「覚えていた」それを。
(前の俺も、あいつも、誕生日なんぞは忘れちまってたが…)
 生まれた年だけは記憶にあった。
 実験の度に、研究者たちが「読み上げる」データ。
 其処に「含まれていた」せいで。
(何年モノの被験者なんだか、そいつを確認していたんだな…)
 発覚したばかりの若いミュウなのか、数々の実験を生き抜いて来た古株なのか。
 お蔭で「ブルーも」忘れなかった、生まれ年。
 見た目も中身もチビだったけれど、本当の年は「そうではなかった」。
 今のブルーとは、其処が大きく違っている点。


 同じチビでも、かなり違うな、と思わざるを得ない、二人の「ブルー」。
 まるで異なる二人の境遇、けれども見た目は「そっくり」なだけに…。
(…取り替えちまったら、どうなるんだ?)
 ふと考えてしまった、「もしも」。
 二人のブルーを取り替えたなら、と。
(…今のあいつが、アルタミラ送りになっちまったら…)
 まず間違いなく、泣きの涙の毎日だろう。
 前のブルーの記憶があっても、どうすることも出来ない運命。
 いつか「メギドが持ち出されるまで」、アルタミラからは逃れられない。
 前のブルーが自由自在に使いこなした、最強のサイオン。
 人体実験を繰り返される度に、それを使って「生き延びていた」筈だけれども…。
(逃げ出そうっていう意志も無ければ、思い付きさえしなくてだな…)
 ただ檻の中に蹲っていたのが、前のブルー。
 本気で「逃げよう」と考えたならば、それは叶っていたろうに。
 あの狭苦しい檻を壊すどころか、研究所そのものが微塵に砕けてしまったろうに。
(なのに、あいつは檻で暮らして…)
 終わりの時がやって来るまで、何一つしようとしなかった。
 星ごと滅ぼされることが決まって、シェルターに押し込められるまで。
 人類は残らず逃げ出した星を、メギドの劫火が襲うまで。
(…前のあいつでも、その始末だから…)
 平和な今の時代に育った「ブルー」は、きっと泣きじゃくるだけ。
 ある日、突然、「前のブルー」と取り替えられてしまったら。
 アルタミラの檻で目が覚めるとか、気付いたら「其処にいた」とかならば。
(目に見えるようだな…)
 どうなるのか、と零れる苦笑。
 アルタミラに行ってしまったのなら、「生き残れるよう」サイオンも使える筈なのに…。
(そいつを使って逃げ出す代わりに、泣いてばかりだな)
 いつになったら「皆と」逃げ出せるか、その日ばかりを考えて。
 「あと少しかも」とか、「あと何年?」とか、泣き暮らしながら、「その日」を待って。


 きっとそうだな、と思う「ブルー」の末路。
 今のブルーが、アルタミラに行ってしまった時。
 何かのはずみで「取り替えた」なら。
 前のブルーと、今のブルーが取り替えられてしまったら。
(あいつは泣きの涙で暮らして、こっちの方には前のあいつが…)
 やって来るのか、と「前のブルー」を思い描いてみる。
 取り替えたのなら、そちらのブルーはどうなるだろう、と。
 アルタミラで悲惨な日々を送り続けていた「ブルー」ならば、此処ではどう暮らすのか。
(…まずは、平和な時代にビックリ仰天だな)
 もう「檻」は無くて、人体実験などは「全く無い」今。
 その上、きちんと「帰る家」があって、「本物の両親」までがいる世界。
 驚いた後は、順調に育ち始めるだろうか。
 未来も希望も、「当たり前にある」のが「今」だけに。
(…育たないままで生きる理由は、此処じゃ何処にも無いわけなんだし…)
 まるで「育たない」今のブルーと違って、すくすくと背が伸びるだろうか。
 育ち盛りの少年らしく、昨日よりも今日、今日よりも明日といった具合に。
(…そうかもしれんな…)
 幸せそうに笑顔ではしゃいで、学校に行って。
 家に帰ったら、母の手作りの美味しいケーキに、舌鼓を打って。
 「あのブルー」だとは思えないほど、明るい表情を見せるのだろう。
 毎日がとても幸せな上に、未来も希望も山ほどだから。
 こんなに幸せに生きていいのか、と感激の涙も流すかもしれない。
 「何処かに消えた」アルタミラの地獄を、ふと思い出したような時には。
(……しかしだな……)
 此処に「今のハーレイ」が生きている以上、いつかブルーは「知る」だろう。
 「前のブルー」は、誰だったかを。
 歴史の授業で知ることになるか、あるいは「今のハーレイ」に聞くか。
 「アルタミラの檻で生きたブルー」は、大英雄の「ソルジャー・ブルー」なのだと。
 ミュウの時代の礎になって、暗い宇宙に散った人だと。


(…それを、あいつが知っちまったら…)
 どうなるのかは、考えるまでもないこと。
 たとえ「アルタミラの檻しか知らない」ブルーだとしても、望むことは、ただ一つだけ。
 平和な今の暮らしを捨てて、元の世界に戻ろうとするに違いない。
 戻った後には、どうなるのかが分かっていても。
 シャングリラで長く宇宙を旅して、焦がれた地球にも行けずに死んでゆく命でも。
(なんたって、中身があいつなんだ…)
 前のブルーはチビだったけれど、仲間たちのために生きていた。
 食料が尽きて飢え死にの危機だと知った途端に、船を飛び出して行ったくらいに。
 生身で宇宙空間を駆けて、輸送船から食料を奪って戻ったほどに。
 …誰も教えはしなかったのに。
 そうして欲しいと、望むことさえしなかったのに。
(…それでも、あいつは、自分の意志で…)
 食料を奪いにゆくのだと決めて、ただ一人きりで船を後にした。
 皆を飢え死にさせないために。
 今のブルーと変わらないほどの、心も身体も成長を止めたチビだったのに。
(そんなあいつだから、自分が誰かを知ったなら…)
 どんな人生が待っていようと、「あの生」に戻ってゆくのだろう。
 此処で幸せに生きる代わりに、「ソルジャー・ブルー」になる運命に。
 最後はメギドで終わる命に、きっと躊躇うことさえもせずに。
(…とんでもなく強いチビだな、おい?)
 今のブルーとは違いすぎるぞ、と思わされる。
 アルタミラの檻に行ってしまったら、泣き暮らすだけの「ブルー」とは。
 平和な時代に生まれ育った、甘えん坊のチビのブルーとは。
(…そういうブルーに出会っちまったら…)
 俺が困ってしまうのでは、と気付かされた。
 「前のブルー」が「戻ってゆく」のを、果たして自分は見送れるのか。
 悲しい最期が待つと分かっている場所へ。
 ソルジャー・ブルーとしての生き方、それがブルーを待っている場所へ。


(……うーむ……)
 きっと見送れずに止めちまうんだ、と出て来た答え。
 「今のブルー」がアルタミラにいると分かっていたって、「前のブルー」を見送れはしない。
 取り替えて元に戻すことが「正しい」と、理屈の上では理解していても。
 「前のブルー」を、「あの人生」に向かって送り出すなどは。
(…前の俺なら、きっと出来たんだろうがな…)
 平和ボケした今の俺には、出来やしない、と思う「見送る」こと。
 そんな自分に似合いのブルーは、「今のブルー」の方なのだろう。
 アルタミラの檻に行ってしまったら、泣き暮らすだけの「チビのブルー」。
 甘えん坊でチビのブルーが、きっと自分には似合っている。
 強かった「前のブルー」よりも、ずっと。
 平和な時代に生きてゆくなら、あの「強さ」はもう、要らないだけに…。

 

          取り替えたなら・了


※今のブルー君と、前のブルーを取り替えた場合。想像してみたハーレイ先生ですけど…。
 アルタミラの檻に戻って行きそうなのが、前のブルー。それを見送るのはキツそうですねv









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(……悪戯かあ……)
 ブルーの頭に、何の前触れもなく浮かんだ言葉。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰掛けていたら。
 今日は来てくれなかったハーレイ、その人を想っていた筈なのに。
(なんで悪戯…?)
 ハーレイはとっくの昔に大人で、おまけに学校の教師でもある。
 悪戯なんかはしないだろうし、するわけもないと思うけれども…。
(…昔は、悪ガキ…)
 古典の授業の真っ最中に、武勇伝を聞かされたことが何回も。
 この家でだって、何度も聞いた。
 子供時代のハーレイが何をやったか、どんな悪戯をしたのかを。
 そのせいだろうか、ふと「悪戯」だと思ったのは。
 悪戯という言葉が頭に浮かんだのは。
(…ぼくは悪戯、しないんだけど…)
 意識して「やった」ことは一度も無い。
 結果的には「悪戯をした」ようなことになっても、最初から「やろう」と思ってはいない。
 母が育てていた花壇の花を、ウッカリ傷めてしまった時もそうだった。
 美しく花開く前の蕾を見ていて、手伝いたくなってしまっただけ。
(花びら、何枚も重なってるから…)
 それを咲かせるのは大変だろう、と子供心に考えた。
 自分が一枚めくってやったら、その分、花は楽になる筈。
 二枚めくったら二枚分だけ、三枚だったら三枚分も。
(そう思ったから、お手伝い…)
 花びらを破ってしまわないよう、気を付けて、そっとめくってやった。
 一番外側の「大きく育った」花びらから順に、一枚、二枚、と緩めてやって。
 「明日の朝には、きっと綺麗に咲いているよ」と、御機嫌で。
 けれども、次の日、蕾は萎れてしまっていたから…。
(もっとしっかり手伝わないと、って…)
 新しい蕾を順にめくって手伝った。花びらが傷むとは、知りもしないで。


 そうやって幾つ、花壇の蕾を駄目にしたろう。
 ある時、母が庭に出て来て、「ブルーだったの?」と目を丸くした。
 花びらが傷んで花が咲かないのは、病気なのだと思っていた母。
 園芸店に出掛けて相談したり、薬をやったりと気を配って。
 それでも花は咲いてくれないから、「育て方が悪いのかもしれない」とまで考えて。
(…でも、犯人はチビだった、ぼくで…)
 母が「蕾に悪戯しちゃ駄目よ」と叱るものだから、「悪戯じゃないよ」と言い張った。
 自分では「本当に」そのつもり。
 花びらを早めに開いてやったら、手伝えると信じていただけに。
 理由をきちんと説明したら、「あらあらあら…」と母は叱るのをやめた。
 「ブルーは、お手伝いしたかったのね」と分かってくれて。
 花を傷めるつもりなどは無くて、悪戯したわけでもなかったのだ、と。
(…ぼくが、柔らかすぎる花びらを、無理にめくっちゃって…)
 花びらの付け根が壊れてしまって、花は咲くことが出来なくなった。
 頑張って咲こうと力を入れても、そのための仕組みが壊れて動かなくなって。
 まさかそうなるとは思わなかったし、蕾を応援していたのに…。
(酷い悪戯になっちゃった…)
 母が楽しみにしていた花が、幾つも幾つも駄目になって。
 「病気かもしれない」と心配もさせて、「育て方が悪いのかも」と不安にもさせて。
(…そういう悪戯だったら、あるけど…)
 ハーレイの「武勇伝」に匹敵しそうな悪戯は「無い」。
 他の友達がやっているような、悪戯だって。
(ぼくは走って逃げられないから…)
 下の学校に通っていた頃から、悪戯の誘いは来なかった。
 皆が楽しそうに「悪戯の計画」を練っていたって、「一緒に、練る」だけ。
 それを実行しに行く時には、いつもその場にいなかった。
 「ブルーは、やめといた方がいいと思うぜ」と、皆が止めるから。
 きっと一番に取っ捕まるから、来ない方がいい、と。
 走って逃げてゆけはしなくて、逃げた友達の分まで「一人で叱られちまうぞ」と。


 最初から無かった、「逃げられる」自信。
 今も生まれつき弱い身体は、走れるように出来てはいない。
 体育の授業についてゆくのが精一杯で、見学する日も多い方。
(悪戯していて、「こら!」って叱られちゃった時には…)
 急いで逃げ出すものだけれども、準備体操も無しに走り出したら、直ぐに息が切れる。
 そうでなくても「走り慣れていない」だけに、足がもつれて転ぶかもしれない。
 他の友達は一目散に逃げてゆくのに、一人だけ「捕まっていそう」なのが自分。
(きっと、そうなっちゃうもんね…)
 自分でも充分、分かっているから、悪戯は「いつでも」留守番だった。
 計画を練る時は、参謀よろしく「こうした方がいいかもね?」と知恵を出しても。
 友達から意見を求められては、何かとアドバイスをしていても。
(…ぼくの計画、上手くいった、って…)
 報告を貰うことはあっても、一度も「現場」にいたことは無い。
 だから「叱られた」ことも無ければ、取っ捕まった経験だって「無し」。
 悪戯をしても「叱られる」だけで済むのは、「今」だと思うのに。
 子供だからこそ、悪戯したって「許される」時期の筈なのに。
(……うーん……)
 だけど無いよ、と悪戯の記憶を探ってみる。
 自分でやってしまった悪戯、それは「結果がそうなった」だけ。
 友達と悪戯の計画を練っても、「やっていない」なら、ただの「計画」。
 上手くゆこうが、失敗しようが、自分とは「何の関係も無い」。
 なにしろサイオンが不器用すぎて、皆が悪戯に出掛けて行っても…。
(…何をやってるのか、ちっとも分からないで待ってるだけで…)
 皆が笑顔で帰って来たなら、作戦成功。
 そうではないなら、作戦失敗。
(…見付かって、叱られて来ちゃったとか…)
 逃げおおせたものの、学校に苦情が行きそうだとか。
 そういった時に、学校で友達が呼び出されたって、関係なかった「参謀」の自分。
 現場には姿が無かった上に、「どう失敗をやらかしたのか」も知らないだけに。


(…ホントに悪戯、縁が無いよね…)
 するんなら今の内なのに、と溜息が出そう。
 いつか大きく育った時には、もう悪戯をしてもいい時代はとうに過ぎている。
 ハーレイと「結婚」を考えるような、十八歳になった頃には。
 今の学校を卒業してしまった後となったら。
(…上の学校でも、悪戯する人はいるだろうけど…)
 大人たちは、きっと「今ほど」大目に見てはくれない。
 十八歳を越えた子供なんかは、同じ子供でも「悪ガキ」扱いされるよりかは…。
(…酷い悪戯をするんだから、って…)
 こっぴどく叱られて、ただでは済まないことだろう。
 今の年なら「ごめんなさい」で終わることでも、もっと誠意を求められるとか。
 悪戯をした相手の所に出掛けて、お詫びの気持ちをこめて「掃除を一ヶ月」だとか。
(掃除じゃなくても、犬の散歩を毎朝お願いされるとか…)
 ロクな結果になりやしない、とチビの自分でも想像がつく。
 今なら「許して貰えること」が、育ったら「許して貰えなくなる」と。
 「悪戯するんなら、今の内だよ」と、心の中で唆す声さえも。
 けれど、出来そうもない悪戯。
 友達と一緒にするのは無理だし、第一、悪戯するというのが…。
(…経験が無いから、出来ないってば…)
 今日まで「いい子」で育って来たのが、悪ガキになれる筈もない。
 悪戯の参謀をやっていたって、「計画」は他の友達のアイデア。
 「こういう悪戯をしようと思う」と誰かが言い出し、話がぐんぐん進んで行って…。
(…さあ、やるぞ、って…)
 皆が勇んで出掛ける時には、いつでも「留守番」していた自分。
 これでは「悪戯」は机上の空論、本で読んだのと変わりはしない。
 何の役にも立っていないし、経験だって積めてはいない。
 今の内だ、と思うのに。
 何か悪戯をするのだったら、子供の間が「いい時期」なのに。


 けれど、一つも思い付かない悪戯なるもの。
 誰に悪戯すればいいのか、誰なら叱られずに済むか。
(…パパやママなら、叱らないけど…)
 急に「悪ガキ」になった「ブルー」に、両親は途惑うことだろう。
 熱でもあるのかと心配するとか、「何かあったの?」と母が尋ねるだとか。
 それでは悪戯をした甲斐がないし、他所でやったら「逃げ足が遅くて」捕まるし…。
(……何処か、やっても大丈夫なトコ……)
 無いだろうか、と考えていたら、閃いた。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
(…ハーレイだったら、元は悪ガキ…)
 悪戯するんなら、ハーレイがいいよ、と浮かべた笑み。
 どんな悪戯を繰り出そうとも、ハーレイなら許してくれるだろう。
 取っ捕まえて叱りもしないで、「仕方ないな」と困り顔で。
(……よーし……)
 同じ悪戯するんなら、と計画を立てて、「キスだよね?」と出した結論。
 きっと叱られて終わるだろうけれど、ハーレイに「キスをする」のがいい。
 上手くハーレイの隙を突けたら。
 あの唇にキスが出来たら、「悪戯だってば!」と笑って逃げる。
 悪戯するのなら今の内だし、キスも「悪戯」なら、ハーレイは唸るしかないだろうから…。

 

          悪戯するんなら・了


※悪戯するなら今の内だ、と考えたのがブルー君。悪戯の経験は皆無と言っていいほどなのに。
 キスも「悪戯」なら出来そうだ、と結論を出していますけど…。失敗して叱られそうv









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(……悪戯なあ……)
 ガキの頃には、よくやったよな、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
 どうしたはずみか、ふと浮かんだのが「悪戯」なる言葉。
 子供時代は「悪ガキ」だったし、それに相応しく悪戯もした。
(もちろん、悪戯で通る程度のことなんだがな…)
 叱られはしても、とんでもない迷惑をかけてはいない。
 子供だったら「通る道」だから、世の大人たちも許してくれた。
 「次からは気を付けるんだよ?」などと、叱って説教した後は。
 「もう、しません!」と、こちらが頭を下げた後には。
(…また、やったりもしたんだが…)
 それも「悪ガキ」な子供の特権、大人たちは「またか」と呆れただけ。
 こうして自分が大人になったら、彼らの気持ちも良く分かる。
 子供には、のびのび育っていって欲しいもの。
 萎縮しないで、叱られたくらいで「めげないで」。
 逞しく成長して欲しいから、悪戯されても「仕方ないな」と許してしまう。
 成長の芽を摘まないように。
 いつか「自分で」、きちんと反省するように。
(…そうやって、デカくなったのが俺で…)
 この年では、もう悪戯はしない。
 せいぜい、仲間内での「悪ふざけ」といった所だろうか。
 かつての「悪ガキ」はすっかり大人で、今では子供を教える教師。
 授業の合間の雑談の種に、悪戯について話しはしても…。
(お前たちは、真似をするんじゃないぞ、と…)
 付け加えるのが決まり文句で、生徒たちの方も「はい!」と頷く。
 もっとも、本当に「真似をしない」かどうかは、なんとも怪しい所だけれど。
(…ほんの数日も経たない内にだ…)
 その悪戯をやった生徒もいるから、あまり信用はしていない。
 やりたい生徒は「やる」だろうから、「言うだけ無駄だな」と思いもして。


 そうなるのならば、悪戯の話は「しない」のが良さそうな感じだけれど。
(…そいつも、つまらん話でだ…)
 子供の間は「大いに遊んで」、「大いに学んで」、悪戯だってした方がいい。
 元気一杯に育つためには、時には「悪戯」だって必要。
(俺の年では、流石にしないが…)
 そういえば、と思い出したのがブルーの顔。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 十四歳にしかならないブルーは、まだ充分に子供だけれど…。
(あいつが悪戯してる姿は…)
 思い付かんな、と考えてみる。
 今度も弱い身体のブルーは、およそ「悪ガキ」とは縁遠い子供。
 友達と一緒に遊んではいても、悪戯などはしないことだろう。
(…悪戯したなら、一目散に逃げて行くのが悪ガキで…)
 それを大人が追い掛けてくる。
 「こら、待て!」だとか、「止まれ、悪ガキ!」だとか。
 逃げ足が遅いと取っ捕まって、その場で説教。
 上手く逃げ切ったつもりでいたって、所詮は子供のやることだけに…。
(向こうが追跡を諦めただけで、何処のガキかはバレちまってて…)
 家に帰ったら、父や母が怖い顔をして、玄関先に立っていたりもした。
 「今日は何処の辺りで遊んで来たのか」と、もう何もかもをお見通しで。
 そうでなければ、次の日に、学校へ行った時。
 担任の教師に食らった呼び出し。
 「後で職員室に来なさい」といった具合で、やはり説教。
(…俺の逃げ足でも、悪戯の後は説教だったんだし…)
 走って逃げることが出来ない、ブルーの場合は、きっと論外。
 ブルーと一緒に遊ぶ時には、友人たちも控えるだろう悪戯。
(…足手まといと言うのもアレだが…)
 逃げられないブルーを連れていたのでは、悪戯のリスクが高すぎる。
 取っ捕まるのが確実なだけに、誰もが恐れて「悪戯は無し」。


 やっちゃいないな、と確信できる「ブルーの悪戯」。
 悪戯するなら、子供の間が一番なのに。
 あれやこれやと悪戯をしては、元気に育ってゆくものなのに。
(…かと言ってだな…)
 悪戯をしろ、とブルーを唆すわけにもゆかない。
 自分は教師で、「悪戯は駄目だ」と諭す方の立場。
 もしもブルーが悪戯したなら、怖い顔して説教する方。
(俺がブルーの担任だったら、そうなっちまうな…)
 ブルーがやった悪戯のことで、学校に苦情が届いたら。
 「お宅の学校の生徒に違いありません」と、通信が入ったりしたら。
(…あいつの場合は、友達と悪戯してたって…)
 狙い撃ちだな、と思い浮かべたブルーの姿。
 他に何人の仲間がいたって、苦情はブルーに集まるだろう。
 五人や六人だったら当然、たとえ二十人もの仲間と一緒に悪戯だって。
(なんたって、見た目がソルジャー・ブルー…)
 ちょっぴり小さすぎるんだがな、と「前のブルー」と頭の中で並べてみる。
 遠く遥かな時の彼方で、前のブルーが生きていた姿。
 今の時代は、知らない者など誰もいないのが、ソルジャー・ブルー。
 ミュウの時代の礎になった偉大な英雄、それだけでも姿を覚えられるのに…。
(…珍しいアルビノと来たもんだ)
 銀色の髪に赤い瞳で、抜けるように白い色素の無い肌。
 「ソルジャー・ブルー」の写真を一目見たなら、忘れる者はいないだろう。
 あまりに印象的な姿で、おまけに美しいのだから。
(今のあいつは、あれよりはずっとチビなんだが…)
 それでも見た目は「小さなソルジャー・ブルー」でしかない。
 中身が「本物のソルジャー・ブルー」の魂だとまでは、見抜けなくても。
 生まれ変わりだとは気付かなくても、「ソルジャー・ブルーのようだ」と分かる。
 だから大勢で悪戯したって、「学校に苦情を入れる」となったら、標的はブルー。
 「こういう姿の子供がいました」と、ただ一人だけで目立ってしまって。


 間違いないな、と思う「ブルー」のこと。
 たとえ健康に生まれていたって、悪戯は難しかっただろうか。
 何人で悪戯していたとしても、「叱られる」のは「ブルー」の係。
 あの姿のせいで「覚えやすくて」、名指しで苦情が来そうなだけに。
 「ブルー」という名を知らない人でも、「こういう姿形の子供」と覚えやすいだけに。
(……うーむ……)
 逃げ足が速いガキでも無理か、と考えてしまう「ブルーの悪戯」。
 走り去ってゆく後ろ姿しか見えていなくても、銀色の髪が特徴的すぎる。
(銀髪のガキは、そう珍しくもないんだが…)
 ブルーの場合は、その髪型まで「ソルジャー・ブルー風」と来た。
 幼い頃からずっと同じで、一度も変えてはいないと聞く。
 大英雄の「ソルジャー・ブルー」と同じアルビノ、名前も「彼」から貰ったもの。
 ブルーの両親は、ごくごく自然に、一人息子を「ソルジャー・ブルー風」の髪型にした。
 それが一番似合うだろうし、第一、覚えて貰いやすい。
(…そいつが裏目に出ちまって…)
 悪戯したなら、もう一発で覚えられちまうな、と苦笑する。
 今のブルーが虚弱でなければ、悪戯の度に槍玉に上がったことだろう。
 何人もの仲間と一緒に逃げても、「ブルー」一人だけが「覚えられて」。
 「アルビノの子供だったんです」と、動かぬ証拠を突き付けられて。
(…それだと、いわゆる悪戯小僧の悪ガキには…)
 なれないかもな、と思わないでもない。
 友達と一緒に悪戯したって、「叱られる」回数が「一人だけ」飛び抜けていたならば。
 他の子たちは「バレていない」のに、毎回のように「一人だけ」説教だったなら。
(またか、と懲りて嫌になっちまって…)
 他の子たちに誘われたって、「ぼくは、やらない」と言い出すだろうか。
 「どうせ、ぼくだけ叱られるんだよ」と、「いつもホントに、ぼくだけだってば!」と。
 頬っぺたをプウッと膨らませて。
 「みんなはサッサと逃げて行けるけど、ぼくは逃げても無駄なんだから!」などと。
 それが本当のことだけに。…逃げ足が速くても、意味が無いだけに。


(…なんだか可哀相になって来たな…)
 悪戯するなら、今の内だと思うのに。
 それは子供の特権なのに、どう転がっても無理そうなブルー。
 弱い身体なら「逃げ足が遅くて」足手まといで、出来ない悪戯。
 健康な身体に生まれていたなら、今度は「見た目」が邪魔をする。
 ブルーだけが「一人で」叱られるのでは、悪戯をする気も失せるだろうから…。
(…悪戯なんかは出来ない分だ、と思ってやるかな)
 いつも叱っているブルーのこと。
 「ぼくにキスして」だの、「キスしてもいいよ」だのと言われる度に。
 あれを悪戯だと思ってやろうか、「また悪戯をしていやがるな」と子供を見る目で。
 恋人だけれど「悪ガキ」なんだと、悪戯するなら「今の内だ」と。
 いつかブルーが育った時には、キスは山ほど贈るのだから。
 「駄目だ」とブルーを叱り付けるのは、ブルーが子供の内だけだから…。

 

          悪戯するなら・了


※悪戯は子供の特権なのに、していそうにないのがブルー君。健康な身体でも、やっぱり無理。
 その分、「ぼくにキスして」が悪戯なんだと考えようか、と思うハーレイ先生ですv









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(えっと…?)
 どうだったかな、と小さなブルーの頭を掠めていったこと。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰掛けていたら。
 今日は来てくれなかったハーレイ、前の生から愛した人。
 その人のことを考えていたら、意識が向いた「学校」の方。
 今のハーレイは「ハーレイ先生」、学校で会えば古典の教師。
(…古典のヤツじゃないけれど…)
 明日の授業に持ってくるよう、言われたプリント。
 それを鞄に入れただろうか、と気になって来た。
(教科書とノートは入れたんだけど…)
 入れていた時、「明日はプリントも要るんだよ」と思ってはいた。
 配られたのは先々週だったか、その時だけのつもりで見ていたプリントなのに…。
(明日の授業で、また使うから、って…)
 「持って来なさい」と、前回の授業の最後に注意があった。
 プリントを失くしてしまった生徒のためには、また配られるらしいけれども。
(失くしちゃうなんて、不名誉だしね?)
 授業で使うのは一度きりでも、大切な資料だったプリント。
 いつかテストに出るかもしれないし、「やる気があるなら」取っておくもの。
 もちろん、家に持って帰って、きちんと引き出しに仕舞っておいた。
(あのプリントを入れたっけ…?)
 どうにも自信がないのが今。
 引き出しを開けて、プリントを見た覚えはある。
 「うん、これだよ」と眺めたけれども、その瞬間に気が散った。
 母に「食べる?」と呼ばれた試食。
 それに「食べる!」と直ぐに返事して、部屋を飛び出して、階段を…。
(下りて、キッチンに行っちゃって…)
 試食の後は、母とお喋り。
 お茶まで飲んで話していたから、次の記憶は「部屋に戻った所から」。


 キッチンに出掛けた記憶の続き。
 二階に戻ると、部屋の扉を開けて中に入って、その後は本を読んでいた。
 「明日の用意は、もう終わったから」と、勉強机の前に座って。
 もしかしたらハーレイが来てくれるかも、と微かな期待を胸に抱いて。
(……それっきり……)
 開けてはいない、通学鞄。
 机の引き出しの方にしたって、「学校に持って行く物」を入れてある場所は…。
(開けてもいないし、覗いてないし…)
 プリントは鞄に入れないままで、ポンと引き出しを閉めただろうか。
 母に呼ばれた試食の方に気を取られて。
(…だって、コロッケ…)
 今日の夕食はメインがコロッケ、そういう日には「ある」試食。
 コロッケは「揚げ立て」が美味しいものだし、特別に。
(ぼく専用に、一口サイズで…)
 小さくてコロンと丸いコロッケ、一足お先に揚げて貰える。
 ホカホカと湯気を立てるのを。
 まるで、おやつの続きみたいに、母が「食べる?」と声を掛けてくれて。
(コロッケの試食は、ハーレイにも頼んであるほどで…)
 いつか二人で暮らし始めても、やっぱり「試食」がしたいから、と。
 ハーレイがコロッケを揚げてくれるのなら、一口サイズの「試食用」が欲しい、という注文。
 そんな注文までするくらいだから、「プリントのこと」などは吹っ飛んで消える。
 鞄に入れたか、入れていないか、どちらだったかは。
(入れた筈だと思うんだけど…)
 いくらコロッケが食べたいとはいえ、「明日の授業」は大切なもの。
 授業で使う予定のプリント、それは「入れた」と思いたい。
(……だけど、覚えていないから……)
 万一ということも、無いとは言えない。
 すっかり忘れて引き出しに入れて、通学鞄を閉めたとか。
 鞄の中を覗いてみたって、プリントは「入っていない」だとか。


 それは困る、とベッドから立って、勉強机の所に行った。
 通学鞄を机に置いて、中を順番に確かめて…。
(うん、入ってる!)
 このプリント、と確認してから、大満足で鞄を閉める。
 コロッケの試食に夢中で「忘れてしまった」けれども、プリントは忘れていなかった。
 きちんと鞄に突っ込んだ後で、「入れた」ことを忘れていただけで。
(ふふっ、優等生…)
 ぼくはプリントを失くさないよ、とエヘンと胸を張りたい気分。
 明日の授業では「失くしてしまった生徒」が、きっと大勢いるのだろう。
 先生が「持っていない人は?」と訊いた途端に、「はいっ!」と幾つも手が挙がって。
(…ぼくもプリント、持って行くのを忘れたら…)
 そっちの仲間入りだったけれど、鞄に入れてあったプリント。
 明日の授業では、ちゃんと机の上に広げておけるだろう。
 「持って来てます」と、教科書やノートと一緒に並べて。
(…これで良し、っと…)
 もう大丈夫、とベッドの方に戻ろうとしたら、受けた衝撃。
 いきなり星が飛び散った。
(…………!!?)
 痛い、と声が出たのかどうか。
 とんでもない痛みが足を襲って、思わず座り込んでいた。
 「いたたたた…」と両手で足を押さえて、勉強机の直ぐ側に。
 ペタンと座ってしまったけれども、それどころではなく痛む右足。
 正確に言うなら、右足の小指。
「……うー……」
 ホントに痛い、と背中まで丸くなるほどの痛み。
 歩き出そうと前に出した足、その足が机にぶつかった。
 よりにもよって、右足の小指がゴッツンと。
 足の小指は、ぶつけると「とても痛い」のに。
 こうして床に座り込むほどに、目から星さえ飛び散ったような気がするほどに。


 とっても痛い、と両手で包み込む小指。
 もうズキズキと激しく痛んで、今にもプックリ腫れそうだけれど…。
(…ぶつけただけだし…)
 腫れないんだよね、と分かってはいる。
 変な方に曲がるような「ぶつけ方」をしたなら、腫れてくることもあるけれど。
 重たい何かが「落ちて当たった」なら、やっぱり腫れもするのだけれど。
(……でも、痛いから……!)
 なんで小指、と泣きそうな気持ちになる痛さ。
 同じに足をぶつけたとしても、小指でなければ、ここまで痛くはならない。
 どうしたわけだか、小指というのは「酷く痛む」場所。
 何処かに、こうして「ぶつけた時には」、とんでもなく。
 骨が折れたり、後で腫れたりするのでは、と思うくらいに。
(……ホントのホントに、痛いんだから……!)
 ツイてないよ、と指をさすって、やっとの思いで立ってベッドへ。
 端っこにストンと腰を下ろして、「ぶつけた小指」をまじまじと見る。
 これが小指でなかったならば、今頃は「痛くない」のだろうに。
 とうに痛みは引いているとか、痛くてもズキズキしていないとか。
(…小指って、弱く出来ているよね…)
 他の場所より、と「少しだけ赤い」指を眺めて考える。
 今はちょっぴり赤いけれども、じきに白い肌に戻るだろう。
 きっと明日には痕さえも無くて、青い痣さえ残ってはいない。
 同じ足でも他の場所なら、これほど酷く痛む勢いで「ぶつけた時」には…。
(明日には青い痣になっちゃって…)
 内出血の赤い斑点も、セットで出来ているのだろう。
 少し腫れたりするかもしれない。
 痕がすっかり消えるまでには、何日もかかると思うのに…。
(足の小指は、うんと痛くても…)
 そんな痕など残らないから、「運が悪かった」と悲しい気持ち。
 飛び上がりたいほどの痛みを食らうような場所を、ゴツンとぶつけてしまうなんて、と。


 悪いのは自分だったのだけれど、ツイていないと思う場所。
 足の小指をぶつけた時には、それは「とんでもなく」痛いのだから。
(…ハーレイは来てくれなかったし、足の小指はぶつけるし…)
 酷い日だよね、と涙が出そう。
 ぶつけた小指は、今もズキズキするものだから。
 目から星が出るほど痛かったのだし、きっと泣いてもいいだろう。
(……一人で泣いても、馬鹿みたいだから……)
 我慢するだけで、ハーレイがいたら「痛い!」と悲鳴を上げていた筈。
 床にうずくまって我慢しないで、大袈裟に顔を歪めてみせて。
 「痛いよ」と涙を零したりして、「大丈夫か?」と心配して貰って。
(…絶対、そっち…)
 我慢するわけないんだから、と思ったけれども、ふと気付いたこと。
 足の小指を「ぶつけた時には」、泣きたいくらいに痛むもの。
 けれども、前の自分の頃にはどうだったろう、と。
(…前のぼくだと、ソルジャーのブーツ…)
 あれがあったし、そう簡単には「ぶつけない」筈。
 とはいえ、ソルジャーになるよりも前は、船に乗る前にはどうだったろう。
 アルタミラの檻で暮らした頃には、足の小指をぶつけるなどは…。
(少しも大したことじゃなくって…)
 もっと酷い目に遭わされていた。
 超高温だとか、絶対零度だとか、過酷な環境のガラスケースに何度入れられたか。
 どれほどの薬物などを試され、それでも死ねずに治療をされて生かされたのか。
(…あんな経験をしていたら…)
 逃げ出した後に、船で「小指をぶつけた」くらいのことでは、痛いと思わなかったろう。
 仮に「痛い」と思ったとしても、じきに忘れてしまったのだろう。
 こうして「生まれ変わった後」まで、それは記憶に残りはせずに。
 「痛い!」と悲鳴を上げていたって、その場限りで忘れ去って。
 足の小指をぶつけたくらいで、死んでしまいはしないのだから。
 「死ぬかもしれない」と思うことさえ、一度も無かった筈なのだから。


 それを思うと、今の自分は、なんと幸せなのだろう。
 たかが小指をぶつけたくらいで、「痛い!」と叫んで、「ツイていない」と考えて。
 前の自分が同じ目に遭っても、すぐに忘れてしまったろうに。
(…ぶつけた時には、うんと痛くて…)
 とても痛いから、ハーレイがいたら悲鳴を上げてしまいそうなのが、今の自分。
 涙を零して「痛いよ」と言って、心配だってして貰って。
 そう出来る今が、小指をぶつけた時には「痛い」と思える今が、とても幸せ。
 ぶつけた時には「痛いよ」と泣いてしまってもいい、平和な時代にいるのだから…。

 

            ぶつけた時には・了


※足の小指をぶつけてしまったブルー君。とても痛かったみたいですけど…。
 それを「痛い」とも思わなかったらしいのが、前の生。痛いと思える今は幸せですよねv









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(…ありゃ…?)
 どうだったやら、とハーレイの頭を掠めたこと。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で腰掛けていて。
 机の前の椅子に座って、コーヒー片手に過ごす、ひと時。
 熱いコーヒーをコクリと飲んだら、そのコーヒーを淹れたキッチンが気にかかる。
(ダイニングの明かりは、ちょいと暗めにして来たんだが…)
 そうした覚えは確かにあった。
 書斎でゆったり過ごすからには、ダイニングを煌々と照らす明かりは必要ない。
 かと言って、消せば真っ暗になる。
 それも何だか寂しいものだし、ごく控えめに落としておく照明。
 常夜灯よりは明るめに。新聞を読むのに困らない程度に。
 その調節は「した」覚えがある。
 けれど「ない」のが、キッチンの方。
 コーヒーを淹れる間は、もちろん点けていた明かり。
 淹れ終わったら、キッチンの明かりは「出てゆくついでに」消すのだけれど…。
(……消した覚えが全く無いぞ?)
 スイッチに触れた記憶さえも無いし、点けっぱなしのままかもしれない。
 食事などをするダイニングはともかく、キッチンで使う照明は今は「要らない」のに。
 後でカップを洗いに行くまで、「消したまま」の暗い部屋でいいのに。
(…エネルギーの無駄というヤツだしな?)
 さて…、と考えても分からない。
 消して来たのか、今もって点いたままなのか。
(サイオンを使えば、此処からだって…)
 キッチンの様子が見えるけれども、そういったことは好みではない。
 日常生活で「サイオンを使わない」のが、今の社会のマナーで、ルール。
 それが無くても、「自分の身体を動かして」見に行く方がいい。
 ちょっとした動作も「運動の内」で、積み重ねてゆけば…。
(かなりの運動になるってもんだ)
 立ったり座ったりするだけでも。…たかが廊下を歩くだけでも。


 よし、と立ち上がって向かったキッチン。
 書斎の扉を開けて廊下へ、それからスタスタ歩いて行って。
(…やっぱりなあ…)
 忘れていたか、とキッチンの扉を開けて苦笑する。
 要りもしない明かりが点いていたから。
(ウッカリしてたが、忘れたままでいるよりは…)
 まだマシだよな、とパチンと消せば、たちまち真っ暗。
 じきに目が慣れて、扉の方から差し込む明かりで、ちゃんと全てが見えるけれども。
(これでゆっくりコーヒーが飲めるぞ)
 気になることは片付けたから、と戻った書斎。
 廊下を大股で逆に辿って、コーヒーのカップを置いて来た場所へ。
 書斎に着いたら、机の上にまだ湯気の立つマグカップ。
 椅子を引いて、其処に座ろうとして…。
(…………!!?)
 いきなり足に受けた衝撃。
 正確に言うなら右足の小指、ガツンと星が飛び散ったよう。
 「いたっ!」と声が出たのかどうか、まるで自覚は無いけれど…。
(……いたたたた……)
 これは痛い、と歪んだ唇。
 癖になっている眉間の皺も、深くなったに違いない。
 今のは、なんとも「痛かった」だけに。
 まだ右足の小指が痛くて、「腫れるのでは」とさえ思うくらいに。
(…やっちまったな…)
 俺としたことが、と眺める右足。
 それから机の下の方。
 座ろうと椅子を引いたまでは良くても、その後の動きを誤った。
 何も考えずにスイと動いて、衝突してしまった右足と机。
(よりにもよって、小指と来たか…)
 一番痛い場所をやられちまった、と椅子に腰掛けて右足を見る。
 「とても痛い」と訴える指を、ぶつけてしまった「小指」という場所を。


 柔道や水泳で鍛えていたって、それと「痛み」とは、また違うもの。
 どんなに我慢強くなっても、「鍛えられない場所」はある。
(……弁慶の泣き所ってヤツが有名なんだが……)
 今ではな、と思う「向う脛」。
 SD体制が始まるよりも、遥かな遠い昔の「日本」。
 今の、この辺りにあった島国。
 其処で「強い男」の代名詞だった「武蔵坊弁慶」、彼の名前がついている「部分」。
 弁慶と言えば、最後は「立ったまま死んだ」という伝説があるほど。
 武勇に優れて力持ちでもあったのだけれど、その弁慶でさえも…。
(ぶつけた時は、泣いただろうというのがだな…)
 いわゆる「弁慶の泣き所」、「向う脛」の異名。
 前の自分が生きた頃には、そんな呼び名は無かったけれど。
 今の時代も、他の地域では、多分、通じはしないのだけれど。
(…あそこを打ったら、痛くてだな…)
 俺だって目から星が出そうだ、と充分なほどにある自覚。
 向う脛など、鍛える方法は「ない」だけに。
 「痛みに強くなろう」と思った所で、相手は「弁慶の泣き所」。
 ぶつけた時は「誰でも痛い」し、そう呼ばれる場所は「どうにもならない」。
(未だに、ぶつけた時は痛くて…)
 平気な顔などしていられんな、と「向う脛」の方も眺めてみる。
 「こいつも痛い」と、ぶつけた痛みを思い出してみて。
 柔道の道場で教えられるほどの立場になっても、何度、泣かされたか分からない。
 実際に「泣いてはいない」だけのことで、「痛い!」と思ったことは何度も。
 それと同じに「とても痛い」場所、そこを「ぶつけてしまった」のが今。
 足の小指は、ぶつけると「とても痛い」もの。
 たった今、目から星が飛び散ったかと思ったほどに。
 声が出たかは謎だけれども、右足は「とても痛かった」。
 腫れてしまうのでは、と思うくらいに酷かった痛み。
 ガツンと机にぶつけた途端に、小指が「ギャッ!」と悲鳴を上げて。


(…腫れるほどではないんだが…)
 単にぶつけただけだからな、と分かってはいる。
 捻ったというわけではないし、重い物を指の上に落としたわけでもない。
 ほんの一瞬、机との間で起こってしまった衝突事故。
(…衝突と言うより、接触の方か?)
 そんなトコか、と思いもする。
 小指はゴツンと「ぶつかった」だけで、痛みの割には「掠っただけ」とも言うだろう。
 衝突と言うのは、もっと激しく「ぶつかる」こと。
 今の程度なら、きっと「接触」。
(…うんと痛い、と思っちまうのは…)
 鍛えられない場所を「ぶつけた」からで、「弁慶の泣き所」にも匹敵する「小指」。
 足の小指は、どうしたわけだか「とても痛い」場所。
 大怪我などはしなくても。
 さっきのような「接触事故」でも、星が飛び散りそうなくらいに。
(…前の俺でも、きっと痛いと思っただろうが…)
 生憎と記憶に残ってないな、と遠い記憶を探ってみる。
 三百年以上も生きていたのだし、きっと何度も「ぶつけた」だろう場所。
 「弁慶の泣き所」と呼ばれる「向う脛」の方も、同じくらいに痛い「足の小指」も。
 なのに、記憶は残っていない。
 何百回と「ぶつけた」だろうに、「何千回」かもしれないのに。
(…とんでもない人生だったしな?)
 成人検査でミュウと判断され、送り込まれた研究施設。
 小さな檻に押し込められて、繰り返された人体実験。
(俺の場合は、せっせと負荷をかけるのがメインで…)
 ブルーよりかはマシだったけれど、過酷だったことは間違いない。
 肉体の苦痛も、精神的な苦痛の方も。
(…あれに比べりゃ…)
 ぶつけた痛みは、「記憶する」ほどでも無かっただろう。
 生まれ変わってまで「覚えている」ような、そこまでの酷い痛みではなくて。


 それを思うと、なんという平和な時代だろう。
 「鍛えられない場所は痛い」と、ぶつけた足の小指を眺めているなんて。
 同じに「痛い」と称される場所の、「弁慶の泣き所」まで考えていられるなんて。
(ぶつけた時は、とても痛くて…)
 星が飛び散るとまで思ったけれども、前の自分なら「どうだった」のか。
 この程度で「星が飛び散っていたら」、前の自分の場合は、きっと…。
(…アルタミラの檻で、死んじまっていたんだろうな…)
 苦痛に耐えて「生き残る」ことは出来なくて。
 前のブルーとも出会えないまま、死体になって廃棄されて。
(……前の俺は、鍛えていたってか?)
 鍛えられない場所であろうと、激しい痛みに耐えられるように。
 どれほどの苦痛を与えられようとも、それに屈せず、生きてゆけるように。
(…どうだったんだかな?)
 そこは分からん、と定かではない、遠い遠い記憶。
 「弁慶の泣き所」などは知らなかったし、「足の小指」をぶつけた記憶も無い前の生。
 けれども、今は「痛い」それ。
 さっきも星が飛び散っただけに、今の自分は「痛い」と感じる。
(でもって、ブルーの場合はだ…)
 大騒ぎだぞ、と思い浮かべる小さなブルー。
 メギドで「遥かに痛い目に遭って」死んでいたって、アルタミラの記憶があったって。
 生まれ変わった今のブルーは、自分と同じで「平和な時代」に生きているから。
(ぶつけた時は、痛くて当たり前だってな)
 俺だって目から星が出るんだ、と傾けるカップ。
 「実に平和な時代だよな」と、「今だって、ちょいと、ぶつけた小指が痛むんだが」と…。

 

            ぶつけた時は・了


※柔道で鍛えたハーレイ先生でさえも、ぶつけた時は「痛い」と目から星が飛び散る場所。
 けれども、前の生では「痛かった」記憶さえも無い場所。今は、とっても平和らしいですv









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