(ふうむ…)
これは一雨来るかもな、とハーレイが窓越しに眺めた空。
ブルーの家を訪ねてゆこうとしている休日の朝に。
目覚めてカーテンを開けた時には、日が射していた。
爽やかな初夏の青い空から。
天気予報も雨ではなかった、少なくとも昨夜の段階では。
今日も晴れだと、いい天気なのだと思ったのに。
いつの間にやら湧いていた雲、曇ってしまった窓の外。
朝食を作っていた間は晴れていたと思う、光が眩しかったから。
キッチンに射し込む光を眺めた覚えがあるから。
ケトルが、鍋が輝いていた。朝の光に。
コーヒーを淹れようと沸かしていたケトル、其処に朝の光。
温野菜にしようとブロッコリーを茹でていた鍋にも、明るかった日射し。
こんな朝はとても気持ちがいい、と卵をパカリと割ってもいた。
盛り上がった黄身が太陽のようだと、栄養たっぷりの小さな太陽、と。
なのに、いつの間に曇ったのか。
太陽が雲に覆われたのか。
ダイニングのテーブルに並べた皿には、もう日が射してはいなかった。
熱いコーヒーを満たしたマグカップにも、料理の皿にも朝の光は全く無くて。
小さな太陽を入れて焼いたオムレツ、其処にも明るい日射しは無くて。
キツネ色に焼けた分厚いトースト、それにも朝の光は射さない。
真夏の太陽を閉じ込めたような、夏ミカンのマーマレードの瓶にも。
知らない間に曇っていた空、窓の向こうに見える空。
一雨来そうな塩梅だけれど、さて、こんな日にはどうするか。
(あいつの家なあ…)
何ブロックも離れた所に、両親と住んでいるブルー。
生垣に囲まれた家で、自分を待っているだろう小さなブルー。
きっと目覚めて直ぐの頃から、首を長くして「まだ来ないかな?」と。
「今日はハーレイが来る日なんだよ」と、小さな胸を高鳴らせて。
早起きして今頃は掃除中かもしれない、自分の部屋の。
一雨来そうな天気だからと、行くのをやめることなどしない。
そんな選択肢は、もとより無い。
仕事の無い休日はブルーの家で、と決めているから。
雨が降ろうが、槍が降ろうが、ブルーの家には出掛けるもの。
二人で過ごしに出掛けてゆくもの。
けれども其処に問題が一つ、ブルーの家まで行く道筋。
それに方法、それをどうするか。
予報通りに晴れていたなら、目覚めた時と変わらずに晴れていたならば。
もちろん歩いて出掛けてゆく。
初夏の青空の下を歩いて、眩い日射しを浴びて踏み出す足取りも軽く。
前へ、前へと、ブルーの家へと。
時にはステップを踏みたくなる足、心と同じに弾みそうな足で。
ところが、曇ってしまったから。
一雨来そうな空模様だから、どうすべきかと考えてしまう。
晴れ渡った空が嘘だったように、灰色の雲が覆ったから。
地球の全てを照らす太陽、それが隠れてしまったから。
(この分だと、いずれ降りそうだよなあ…)
どう見ても雨を運びそうな雲。
水分を一杯に含んで重たそうな雲、雨を降らせる雲の類で。
いきなりザッと本降りになるか、しとしとと草木を潤す雨か。
それが読めない、ただ見ただけでは。
窓越しに雲を眺めるだけでは。
(前の俺なら…)
こんな時には計器を眺めた、シャングリラの外はどうなのかと。
常に船体を覆っていた雲、アルテメシアの雲海の雲。
白いシャングリラは雲の海の中、浮上することなど決して無くて。
ジョミーを救いに初めて外へと出ていったくらい、それまでは雲の海の中。
白い鯨を隠していた雲、隠れ蓑だった雲海の雲。
それの性質を見誤らないよう、いつもデータを取り続けていた。
船体を雹が叩かないかと、雷雲に遭遇しはしないかと。
雹や雷で傷付く船ではなかったけれど。
白い鯨は頑丈だったけれど、それでも見ていた雲たちのデータ。
今はどうかと、外にある雲はどういう雲かと。
そうした計器とは縁の無い今、雲を読むなら勘だけが頼り。
いきなり降るのか、激しい雨なのか、しとしとと降らせる雲なのか。
もちろん今でもデータは見られる、調べさえすれば。
天気予報はどんな様子かと、教えて貰える所さえ見れば。
(だが、そいつはなあ…)
味が無いしな、と心で呟く、データに頼るのは好きではないと。
もっとレトロに観天望気。
それが好きだと、性に合うのだと。
経験を元に天気を読むのが観天望気。
雲が流れてゆく方向やら、生き物たちの様子やらで。
釣りが大好きな父に仕込まれた、「今みたいな雲と風の感じだと…」といった具合に。
前の自分とは全く縁が無かった世界。
勘が頼りの天気予報など、一度も出来はしなかった。
「きっとこうなる」と予想を立てても、まずは裏付け、それが肝心。
でないと船は動かせない。
キャプテンとしての指示は出せない、「俺の勘だ」の一言では。
勘が「こうだ」と告げていたとしても、皆を納得させるだけの理由。
それが無ければ何も出来ない、自分が「こうだ」と確信しても。
自分だけにしか掴めない兆候、それを見出しても、データの中から読み取らねば。
「これが証拠だ」と示せるデータを。
皆が信じてくれるデータを。
(それに比べりゃ、今の時代は…)
いいもんだな、と大きく伸びをした。
自分の勘で天気を読んでも、誰も怒って来はしない。
「データは何処にあるんだい?」だのと呆れられてしまうことも無い。
「さっさとデータを出せと言うんじゃ!」と罵声が飛んで来ることも。
そんな時代に生まれたからには、やはりレトロに観天望気。
自分の性にも合っている上、これがなかなか楽しいから。
読んだ天気が当たれば嬉しい、流石は俺だと、俺の勘だと。
外してしまえば悔しいけれども、自分が選んだ道だから。
「晴れると思ったのに、雨だとはな」と嘆きながらも、「次があるさ」と考える。
次こそはきっと間違えないと、読み誤らずに当ててみせると。
雲の動きを、風の流れを読んで決めるのが観天望気。
器機に頼らず、経験だけで。
自分が今まで生きた人生、そこで積み重ねたデータが全て。
「こう雲が出れば、天気はこう」という先人の知恵も、今の自分が得たデータ。
計器の代わりに、リアルタイムで表示されてゆくデータの代わりに、自分の勘で読み取る天気。
(さて、今日は…)
どうなるだろうか、この雲は。
空一杯に広がった雲は、どのくらいの雨を運ぶだろうか?
一雨来るのは何時頃なのか、いきなり本降りか、しとしとと降るか。
ダイニングの窓を開け、流れ込んで来た風を吸い込んで。
庭の木々の上を流れてゆく雲を見上げて、「よし」と大きく頷いた。
(そう酷い雨は降らないさ)
ブルーの家まで歩いて行っても、道の途中で降られたとしても。
叩き付けるような雨は降らない、この様子ならば。
折り畳み式の傘があれば充分、傘が無くてもシールドでいける。ほんの僅かなシールドだけで。
(歩くとするかな)
ブルーの家まで。
折り畳みの傘をお供に歩いて、曇ってしまった空の下を。
もしも途中で降られたとしても、今の季節は…。
(…紫陽花の花が綺麗なんだ)
日毎に色を変えてゆく紫陽花、あの花は雨が似合うから。
しっとりと濡れた姿がいいから、今日は歩いて出掛けてみよう。
本降りになりはしない筈だと、自分の勘が告げるから。
誰にも文句を言われないで済む、今の自分の予報だから。
計器もデータも、今の時代はもう要らない。
キャプテン・ハーレイだった頃と違って、自分の勘だけで天気を読める。
間違えても、それも一興だから。
「降られちまった」と本降りの雨で難儀するのも、また楽しいから。
ブルーの家まで歩いてゆこう。
一雨来そうな曇り空の下を、紫陽花の花を幾つも探しながら…。
降りそうな天気・了
※ブルー君の家まで歩いて行くべきか、どうしようかと空模様を気にするハーレイ先生。
自分の勘だけで天気予報をしてもいいのが今の時代で、責任もずっと軽いのですv