(降りそうだけど…)
家に帰るまでに降りそうだけど、と小さなブルーが見上げた空。
学校の帰りに乗る路線バス。
それを待つ間、バス停に立って。
バス停には雨よけの屋根がついているから、濡れる心配などは無い。
ポツリと来たって、大丈夫。
鞄の中には折り畳みの傘も入っているし…。
雨への備えは多分、充分。
今の所は、降りそうな空を仰いだ限りは。
きっと本降りにはならないと思う、そういう予報だったから。
午後から雨だと出ていた予報は、「大雨に注意」では無かったから。
朝の間はよく晴れていたし、曇り始めたのも午後の授業が始まった後で。
思った以上に青空が続いた、初夏の日射しが眩しかった日。
けれども、今は曇り空。
すっぽりと蓋を被せたみたいに、頭上の空はすっかり灰色。
明るかった太陽は消えてしまった、雲に覆われて。
天気予報の通りに雨雲、遠からず雨を降らせる雲。
雨はいつから降るのだろう?
バスを待つ間か、乗ってからか。
それとも家の近くのバス停、其処に着いてバスから降りる頃か。
(家に着くまでは持たないよね?)
この空模様では、長くは持たない。
その内にポツリと最初の一粒、あるいは音も立てずにハラリと。
そんな具合に雨が降ってくる、木々の青葉を潤す雨が。
次から次へと枝を、葉を伝う雨が降るのか、しっとりと水を含ませる雨か。
まだどちらとも分からないけれど、もうすぐ雨が落ちてくる。
サアッとバス停を抜けて行った風、湿り気を帯びて通った風。
雨の先触れ、何処かではもう降り始めていると知らせる風。
雲から雨が落ちてくるのはいつだろう?
灰色の雲から、自分の重みに耐えかねたように。
あるいは涙のような霧雨、雲の粒がそのまま舞い降りたような。
どちらが降るのか、そして草木を喜ばせるのか。
まるで読めない雲だけれども、雨は間違いなくやって来るから。
(ちょっと楽しみ…)
何処で降るかな、と弾んだ心。雨を待ち焦がれる自分の心。
じきに降るよと、家に帰るまでに、と。
普段は雨だと、あまり嬉しくないけれど。
雨の日よりかは晴れた日が好きで、帰り道から雨というのも嫌だけれども。
今日は特別、雨が降るのが待ち遠しい。
ふとしたはずみに、前の自分の記憶が掠めていったから。
帰り際に友達の一人が漏らした一言、「降りそうだぜ」という平凡な言葉。
それで気付いた、「地球の雨だ」と。
前の自分が焦がれ続けた青い星に雨が降るのだと。
辿り着けずに終わった地球に。
母なる青い水の星の上に。
そうだと気付けば、もうたまらなくて。
地球に降る雨の最初の一粒、それを見たいと心が騒いで。
まだ降らないかと、降りそうだけど、と遥か上の雲を見上げてしまう。
あそこから雨が降ってくると。
青い地球を青く染め上げる水が、それが零れて落ちてくると。
自分の上にも、自分の周りの地面にも。
青葉の季節を謳歌する木々にも、今の時期に咲く花の上にも。
(どうせだったら、最初の一粒…)
それを見てみたい、一番最初に雲を離れて来た水を。
青い地球の上に落ちて来た水を。
ポツリと落っこちた音がする前に、霧のような粒に触れてしまう前に。
本当を言えば、最初の一粒はとっくに落ちた後なのだけれど。
さっき吹いて来た先触れの風は、其処から吹いて来たのだけれど。
それでも自分の瞳に映れば、それが最初だと思うから。
あの雲から地面に零れ落ちて来た、一番最初の雨粒なのだと思えるから。
(まだかな、雨…)
降りそうだけれど、まだ降らない。
待っているのに降ってくれない。
最初の一粒を眺めたければ、このバス停にいる間。
バスの中だと、窓越しになってしまうから。
ガラス窓の向こう、最初の一粒の気配を見逃しそうだから。
(此処で駄目なら…)
バスから降りてからがいい。
バス停から家まで歩く途中で、きっと出会えるだろうから。
まだ降らないかと何度も空を仰いで歩けば、雨粒が落ちて来るだろうから。
降りそうだけど、と待っている内、走って来たいつもの路線バス。
乗り込む時に心で祈った、「降りませんように」と。
バスに乗っている間に雨の最初の一粒がポツリと落っこちて来ませんように、と。
(降りそうだけど…)
でも降らないで、とガラス窓越しに外を眺めて。
もしも降り始めたら分かるように、と懸命に目を凝らし続けて。
灰色の雲に「降らせないでよ?」と呼び掛け続けて、着いたバス停。
降られずに無事に着けたバス停。
此処で気を抜いては駄目だから。
降りた途端にポツリと来るかもしれないから。
それに備えて折り畳み傘をしっかりと持った、最初の一粒を見た後はこれ、と。
バスの中で手探りで出しておいた傘を。
鞄の底から引っ張り出しておいた、雨を遮るための道具を。
(最初の一粒は見たいけど…)
濡れるわけにはいかないから。
雨でずぶ濡れになってしまったら、弱い身体が風邪を引くから。
雨の最初の一粒を見よう、と身構えて降りたバス停の地面。
まだポツリとは降って来なくて、霧雨がハラリと顔にかかりもしなかったから。
もう大丈夫と、きっと見られると歩き始めた、家までの道を。
空を仰いで「まだだよね?」と確認しては、一歩前へと。
「もうすぐかな?」と、一歩前へと。
そうして歩いてゆく内に。
「降りそうだけど、まだ降らない…」と心で何度も呟く内に。
(そうだ、紫陽花…!)
雨を見るならあの花がいい、と真ん丸な花を思い出した。
無数の花が集まって咲く丸い紫陽花、遠い昔には梅雨の花。
梅雨と呼ばれた長雨の時期に、日毎に色を変えながら咲いた。
今では梅雨は無いけれど。
地球の地形がすっかり変わって、梅雨は無くなってしまったけれど。
それでも雨が似合う花だと評判なのが紫陽花だから。
今も人気の紫陽花だから。
(紫陽花…)
咲いている家に着くまで降らないで、と空に祈って。
もう少し待ってと、もう少しだけ、と急ぎ足で歩いて、見付けた紫陽花。
バス停から家まで歩く途中なら、この家が最初の紫陽花の家。
生垣の向こうに見事な紫陽花、青い手毬や桃色の手毬。
紫陽花の花が作った手毬。
色は幾つも、丸く纏まった花の数だけ。
生垣を越えて道に出ている花もあるから、此処で待つのがいいだろう。
雨の最初の一粒を。
青い水の星を染め上げる雨を、最初の粒が降ってくるのを。
折り畳みの傘を握って、待って。
曇った空を、今にも雨を降らせそうな空を何度も仰いで。
(降りそうだけど…)
もうすぐ降ると思うんだけど、と待ち続けていたら。
紫陽花のある家の脇に佇んで待ち受けていたら。
(あ…!)
ポツリ、と紫陽花に落ちた雨粒。
鮮やかな緑の葉の上に、一つ。
(今の、見えた…?)
自分はきちんと見ていただろうか、雨粒が其処へ落ちてゆくのを。
緑色の葉が揺れる所を。
(んーと…)
まるで全く、無い自信。
見ていたと言い切れない自分。
(もしかして、ぼく、失敗しちゃった…?)
見逃したろうか、あんなに見たいと願ったのに。
見ようと思って頑張ったのに。
ポツリ、と再び落ちた雨粒。
今度は青い手毬の上に。紫陽花の花の手毬の上に。
(さっきの雨粒…)
最初の一粒を見逃したかも、と思う気持ちはあるけれど。
今の雨粒も、落ちて来るのを見ていなかったような気もするけれど。
(でも、紫陽花…)
雨の粒を纏って微かに揺れる花は綺麗で。
雨の精が其処にいるかのようで。
(これで充分…)
そんな気がした、この雨粒は地球の雨だと。
青い地球と同じに青い紫陽花、その花の上に地球の雨が降ると。
桃色の花もあるけれど。
青い花だけではないのだけれども、雨の精。
きっとそうだと、雨の精が此処に落っこちて来た、と。
ポツリ、と雨がまた落ちたから。
(いけない…!)
慌てて折り畳み式の傘を広げた、濡れないように。
風邪を引いたりしないように。
そうして、また紫陽花と雨を見詰める。
最初の一粒は見逃したけれど、地球に降る雨はとても綺麗だと。
降りそうだからと待って良かったと、この雨粒が紫陽花も地球も青く染め上げてゆくのだと…。
降りそうだけど・了
※ブルー君が見たいと頑張っていた、雨の最初の一粒。まだ降らないで、と。
見逃しちゃったみたいですけど、紫陽花と雨で大満足のブルー君ですv
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