(宇宙か…)
この時間なら見えるんだよな、とハーレイがふと考えたこと。
夜の書斎でコーヒー片手に、暗いだろう外の景色を思って。
書斎に窓は無いのだけれども、コーヒーを淹れていたキッチン。
あそこの窓から外が見えたし、「晴れているな」と見上げた夜空。何の気なしに。
それきり特に注意も払わず、改めて眺めもしなかったけれど。
此処へ来るまで、すっかり忘れていたのだけれど…。
(夜には星が見えるんだ…)
昼の間は見えない星たち、太陽の強い光が隠してしまうから。
晴れていたって空は青いだけ、せいぜい昼間の月がぼんやり見える程度で。
けれど夜には輝く星たち、宇宙の遥か彼方まで見える。
ソル太陽系の中の惑星どころか、何光年も離れた所にある星までが。
(宇宙と繋がっちまうんだな…)
この時間は、と空にあるだろう星たちを思う。
暗い所に行けば行くほど、夜は宇宙が近付いてくる。町の光が消えてゆくから。
家が少ない山の中とか、海辺だとか。
そういう場所なら降るような星で、天の川だって鮮やかに見える。その季節には。
もっと人里離れた場所なら、もう本当に…。
(宇宙みたいに見えるらしいが…)
生憎とまだ見ていないよな、と前に何処かで読んだ話を思い出す。
人など住んでいない砂漠で見上げる夜空。
怖いくらいに青いのだという、「群青色」だと書かれていた空。
闇とは違って、何処か青みを帯びているのが「誰も住まない」砂漠の上に降りる夜。
あまりの凄さに、「宇宙のようだ」と見た人たちは驚くらしい。
「この空は宇宙と繋がっている」と実感して。
人工の光が無い場所は違うと、本当に宇宙を見ているようだと。
そんな具合に、夜の間だけ繋がる宇宙。
昼は太陽が邪魔をするけれど、夜になったら太陽は沈んで消えてゆくから。
(しかしだな…)
本物の宇宙は砂漠の空とは違うんだよな、と思い浮かべる宇宙空間。
青みなど少しも帯びていなくて、漆黒の闇が広がるだけ。
それに星だって瞬かない。
星が瞬くのは大気を通して眺めるからで、宇宙に出たなら大気圏はもう無いのだから。
宇宙船が飛び交う今の時代は、本物の宇宙を大抵の人が知っている。
本や映像で知るのと違って、自分の目でそれを確かめて来て。
だから、砂漠で見える夜空を「宇宙のようだ」と書いた誰かも…。
(本物の宇宙を知ってるだろうし、その話に賛成するヤツだって…)
きっと見たことがあるのだろう。
瞬かない星が散らばる空間、青みなど帯びていない宇宙を。
それでも「宇宙と繋がっている」と思える場所が、人は住まない砂漠での夜。
(気持ちは分かる気がするな…)
自分だって、さっき「この時間なら」と思ったから。
遠い宇宙と繋がっていると、夜の間は宇宙が見えると考えたから。
(…その宇宙も遠くなっちまったぞ)
今じゃな、と傾けたコーヒーのカップ。
前の自分が生きた頃なら、宇宙は側にあったのに。
アルテメシアの雲海に潜んだ時代はともかく、それ以外の時。
シャングリラは宇宙を飛んでいたから、強化ガラスの窓の向こうは宇宙空間。
それが普通で、赤いナスカでの四年間だって…。
(シャングリラそのものは、ナスカに降ろしちゃいないんだ…)
あくまで宇宙に留まった船。
まるでナスカは「仮の宿だ」と言わんばかりに、頑なに。
実際、そうだったのだけど。
ナスカは旅の終わりではないし、いつか地球へと向かうつもりの船だったから。
ほんの僅かな休息のために、入植を決めた赤い星。
シャングリラを降ろしはしなかったナスカ。
けれどトォニィたちが生まれて、農作物も上手く育ったものだから。
若い世代は赤いナスカに惹き付けられて、魅入られた。
地球のメンバーズがやって来たって、その危機にまるで気付きもせずに。
(悪魔の星だと言いはしないが…)
俺にとってはそうだったかもな、と苦い気持ちがこみ上げる。
あの星のせいで、大切な人を失ったから。
誰よりも愛した前のブルーを、愛おしい人を失くしたから。
(あの時だって、俺がいたのは宇宙で…)
ブルーも同じに宇宙にいた。その命がメギドで消える時まで。
もっとも船はワープしたから、最後までブルーと同じ宇宙にいられたのかどうか…。
(そいつは今でも分からないんだ…)
まあ、考えても仕方ないが、と苦笑した。
前の自分はブルーを失くして、それでも旅を続けたけれど。
ブルーの最後の言葉通りに、ジョミーを支えて地球までの道を歩んだけれど。
(俺の旅は、其処で終わっちまって…)
今じゃ宇宙は遠いんだ、とコーヒー片手に仰いだ天井。
其処に夜空は見えないけれども、今の時間なら前の自分が旅した暗い宇宙がある筈。
深い眠りに就いたブルーを乗せて巡った、幾つもの星。
何処かに青い地球が無いかと、探し回った恒星系。
その時に目にした星も見えるし、アルタミラがあったガニメデだって…。
(砕けちまったが、ジュピターの衛星だったんだから…)
あの辺りだった、と探すことだって出来るだろう。
夜空を見上げに行ったなら。…其処にジュピターが見えたなら。
(どの星も遠くなっちまったぞ…)
此処からじゃ見てるだけなんだから、と思う星たち。
ソル太陽系の中の惑星だって、何光年も離れた彼方の星たちだって。
本当に遠くなっちまった、と不思議な気分になる宇宙。
前の自分が生きた頃には、其処を旅していたというのに。
燃えるアルタミラから後の旅路も、アルテメシアを離れた後のブルーが側にはいなかった時も。
(あいつが眠っちまった後も、メギドに向かって飛んじまった後も…)
俺は宇宙にいたんだよな、と思うけれども、今の自分は地球の上。
前の自分が命尽きた星、あの頃は死に絶えた星だった地球。
其処にブルーと生まれ変わって、今では宇宙を見上げるだけ。
夜になったら、「今は宇宙と繋がってるな」と。
前の自分たちの夢の星だった、青い地球の上に生まれて来たのも凄いけれども…。
(宇宙が遠くなっちまったのも…)
キャプテン・ハーレイの俺には信じられない話だが、と本当に夢を見ているよう。
白いシャングリラを動かす代わりに、車で走っている自分。
宇宙へ飛び出せはしない車で、前の自分のマントと同じ色の愛車で。
(まさかキャプテンが陸(おか)に上がるとはな…)
それもブルーを失くした後で、と前の自分の辛さが胸を掠めてゆく。
前のブルーを失くした後には、もはや夢など無かったから。
ブルーと二人で幾つもの夢を描いていた地球、其処は自分の旅の終わりでしかなかったから。
(あいつと一緒に行こうと思っていた頃は…)
地球に着いたら色々なことをしようと夢見て、キャプテンの任も辞すつもり。
ブルーがソルジャーの役目を終えたら、白いシャングリラが箱舟としての役目を終えたなら。
秘密にしてきた恋を明かして、ブルーと一緒に地球の上で生きる。
そういう夢を描いていたのに、いつしか夢は夢物語でしかなくなった。
前のブルーの寿命が尽きると分かった時から。
それでもブルーと共に逝こうと思っていたのに、一人、残されてしまった自分。
とにかく地球へと、其処に着いたら全て終わると、それだけを思って目指した地球。
暗い宇宙の旅を続けて、地球に辿り着くことだけを思い続けて。
この旅が終わればブルーの許へ、と。
(そうやって旅をしてたんだがなあ…)
宇宙は何処に行ったのやら、と自分の周りを見回してみる。
窓の無い書斎の壁の向こうは、当たり前のように夜の地球。
前の自分が旅した宇宙は、遥か頭上を仰がないと見えはしないもの。
それも「宇宙のように見える」だけ、「繋がっている」ように思うだけ。
本当に本物の宇宙だったら、星は瞬かないのだから。
どんなに暗い場所から見ようと、青みを帯びた群青色になりはしないから。
(…本当に遠くなっちまったぞ)
でもって、次に宇宙へ出る時は…、と思い浮かべた小さなブルー。
今のブルーは、一度も地球を離れたことが無いという。
だからブルーと結婚したなら、新婚旅行は宇宙から青い地球を見る旅。
そういう約束、それに行くまで、宇宙の旅は暫しお預け。
(俺だけ行ったら、あいつ、絶対、膨れちまうし…)
行く用事だって無いからな、と遠くなった宇宙の星たちを思う。
次に宇宙を目にする時には、愛おしい人が側にいる。
その時までは、本物の宇宙は夜空の向こうに見るだけでいい。
キャプテン・ハーレイは陸(おか)に上がって、ブルーと地球に来たのだから。
いつかブルーと青い地球から、宇宙への旅に出るのだから…。
遠くなった宇宙・了
※いつの間にやら陸(おか)に上がって、宇宙が遠くなってしまったキャプテン・ハーレイ。
今はハーレイ先生ですけど。次に宇宙を目にする時には、ブルー君と新婚旅行なのですv
(ハーレイのケチ…)
もう本当にケチなんだから、と小さなブルーが尖らせた唇。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日も訪ねて来てくれたハーレイ、前の生から愛した恋人。
青い地球の上に生まれ変わって、また巡り会えた愛おしい人。
この部屋で二人、お茶を飲みながら、あれこれ話をしたけれど。
話の中身はごくごく平凡、「なんだったっけ?」と思うくらいに普通だったけれど。
(何かのはずみで、気になっちゃって…)
訊いてみようと思ったこと。
自分はハーレイが好きだけれども、前と同じに大好きだけれど。
(ハーレイは前のハーレイと、見た目もそっくり…)
白いシャングリラで恋をした頃と、まるで変わっていないハーレイ。
背丈はもちろん、鳶色の瞳も褐色の肌も、金色の髪も。
ヘアスタイルまで全く同じで、今の時代なら「キャプテン・ハーレイ風」というヤツ。
オールバックに撫で付けたそれは、ハーレイの好みでもあるけれど…。
(最初は、キャプテン・ハーレイのファンのおじさん…)
今のハーレイの行きつけだという、理髪店の店主が勧めた髪型。
「如何ですか?」と提案して。他の髪型も一緒に出しつつ、「お似合いですよ」と。
お蔭で記憶が戻る前から、今のハーレイは「キャプテン・ハーレイ風」の髪型。
もう何年も同じらしくて、これからも変えるつもりは無し。
(だからキャプテンの制服を着たら…)
たちまち出来上がるキャプテン・ハーレイ、何処も変わっていないから。
職業は古典の教師でも。…宇宙船を操縦した経験など、ただの一度も持たなくても。
ハーレイの方はそうだけれども、そのハーレイに恋する自分。
こちらは前と違って子供で、十四歳にしかならない有様。
前の自分よりも二十センチも低い背丈に、子供の顔立ち。声変わりだってしていない。
だから、ちょっぴり気になった。「ぼくは前とは違うもんね?」と。
今もハーレイとは恋人同士なのだけど。
ハーレイの方でも「俺のブルーだ」と言ってくれるけれど、問題はチビで子供の自分。
恋人同士なのだから、とキスを強請ったら叱られる。
「俺は子供にキスはしない」と睨まれて。
前の自分と同じ背丈に育たない内は、キスは額と頬にだけ。
そういう決まりで、今のハーレイがそう決めた。再会してから日が浅い内に。
そのせいで貰えない、唇へのキス。
恋人同士のキスは出来なくて、強請れば「駄目だ」と叱るハーレイ。
「何度言ったら分かるんだ?」と、額を指でピンと弾かれることだって。
(…今のぼく、チビになっちゃったから…)
もしかしたら、と思ったこと。
今のハーレイが好きな「ブルー」は、前の自分の方だろうか、と。
あちらだったら大人だったし、いつでも交わせた本物のキス。
額や頬にもキスを幾つも貰ったけれども、恋人同士なら唇を重ねるキスが当たり前。
(前のぼくならキスも出来たし、夜だって…)
同じベッドで愛を交わして、二人、一つに溶け合えた。
もう文字通りに二人で一つで、心も身体もすっかり熱く溶けてしまって。
(でも、今のぼくはチビだから…)
両親と一緒に暮らす子供で、ハーレイと夜を過ごせはしない。
第一、キスもくれないハーレイなのだし、愛を交わすなど「とんでもない」こと。
強請れば頭をゴツンとやられて、それっきりかもしれない、その日。
「ねえ、ハーレイ…」と声を掛けても、「なんだ?」と不機嫌な顔のまま。
和やかな空気は戻って来なくて、きっとだんまりだろうハーレイ。
「其処で反省していろ」と。
チビのくせにと睨み付けられて、「分かっているな?」と。
何故、ハーレイが怒っているのか、その理由。
それも分からない馬鹿ではないなと、「分かっているなら反省しろ」と。
悲惨な結果を招きそうなのが、今の自分が前と同じに振舞った時。
「ぼくにキスして」でも叱られるのなら、その先となれば、なおのこと。
苦い顔をするハーレイの姿が見えるようだし、口だって利いて貰えないまま。
「ごめんなさい」と謝ったって。
「もう言わないよ」と泣きっ面になって反省したって、「口だけだろう」と言われそう。
口先だけで謝られてもと、「お前、懲りてはいないだろ?」と。
実際、それが本当なのだし、言い返せないのがチビの自分。
何度もハーレイにキスを強請って、断られる度に「ハーレイのケチ!」とやっているから。
プンスカ怒って膨れっ面で、「本当にケチになっちゃった」とも思うから。
けれども、前の自分と同じに育っていたなら、そうはならない。
チビでなければ貰えるのがキス、結婚だって出来た筈。
そう考えたら、ハーレイの方の考えだって気になってくる。
(…ぼくが子供じゃなかったら…)
きっと、出会うなりプロポーズ。
この地球の上で会った途端に、前の自分たちの記憶が戻ったら直ぐに。
今度は結婚できるのだから。
誰にも秘密の恋とは違って、隠さなくてもいいのだから。
(チビでなければ、そうなったんだし…)
ハーレイは厄介なチビの自分より、前の自分が好きかもしれない。
今の自分が大きく育って、前と同じになるまでは。
キスを交わせる時が来るまでは、愛を交わして溶け合える時が来るまでは。
(前のぼくなら、キスは当たり前…)
それでこそ本物の恋人なのだし、ハーレイはそっちが好きなのだろうか?
「俺のブルーだ」と言ってくれても、心の中には前の自分。
そっと大切に仕舞い込んでいて、恋の相手はそちらの方。
チビの自分がいない時には、思い出しては溜息ばかりかもしれない。
「いつになったら会えるんだろうな?」と。
俺はお前が好きだったのにと、「それなのに、いなくなっちまって」と。
ありそうだよね、と急にこみ上げて来た心配。
今のハーレイが好きな相手は、自分ではなくて「前の自分」。
ソルジャー・ブルーだった方なのではと、それならケチなのも分かる、と。
(…ハーレイが前のぼくを好きなら、チビのぼくなんか…)
ただの子供で、キスをするだけの値打ちすらない痩せっぽち。
手足も身体も細っこい子供、華奢だった前の自分とは違う。
あちらは細くても大人だったし、顔立ちだって今の自分とは違うのだから。
そう思ったから、ぶつけた質問。
「ハーレイは、前のぼくが好き?」と、いきなりに。
何の前置きもしないまんまで、ハーレイの本音を訊いてやろうと。
あれこれ言葉を並べていたなら、心の準備をされるから。
本当の答えを口にしないで、「なんだ、そんなことか」と穏やかな笑顔。
「お前に決まっているだろう」などと言われて、分からない本音。
ハーレイが心の奥に隠した本当の答えは秘密のままで。
そうならないよう、前触れも無しに言ったのに。
案の定、ハーレイの鳶色の瞳は「はあ?」と真ん丸になったのに…。
(やっぱりキャプテン・ハーレイだったよ…)
今のハーレイもキャプテンの頃と変わらないよ、と零れる溜息。
何事にも動じなかったキャプテン、どんな時でも冷静だった白いシャングリラのキャプテン。
生まれ変わって古典の教師になった今でも、それは健在。
キャプテン・ハーレイのせいではなくて、スポーツのせいかもしれないけれど。
心技体を鍛えると聞いた柔道、それとプロ級の腕の水泳。
どちらも厳しい世界なのだし、子供の頃からやっていたなら肝だって据わりそうだから。
(そんなトコまで、前のハーレイに似なくても…)
いいじゃないの、と愚痴を言いたくもなる。
ハーレイときたら、面食らった後は、「どうだかなあ?」と言ってくれたから。
「どっちのお前の方が好きかは、別に言わなくてもいいだろう」と。
どちらも好きでいいじゃないかと、「俺はどっちも好きだしな?」とも。
見事に躱されてしまった質問。
ハーレイは何も教えてくれずに、「またな」と帰って行ってしまった。
夕食の後のお茶が済んだら、軽く手を振って自分の家へ。
好きな相手はどちらなのかを、まるで教えてくれないままで。
(…ホントの答えはどっちなわけ?)
思った通りに「前の自分」なのか、喜ばしいことに「今の自分」の方なのか。
手掛かりさえも掴めないから、もう「ケチ!」としか言いようがない。
「そんな所までケチなんだから」と、「どっちが好きかを教えてくれてもいいじゃない」と。
もっとも、其処で「前のお前に決まっている」と答えられたら、涙が零れただろうけど。
前の自分に嫉妬する前に、ポロポロと泣いただろうけれど。
(…だからハーレイ、答えなかったの…?)
あれもハーレイの優しさだろうか、それとも本当は「チビの自分」が好きだけれども…。
(そう答えたら、ぼくが調子に乗るから…)
大喜びでキスを強請るに決まっているから、あえてだんまりを決め込んだのか。
そのどちらにも取れてしまうから、悩ましいのがハーレイの答え。
本当はどちらの方が好きなのか、前の自分か、今の自分か。
(絶対、どっちかの筈なんだけど…)
同じってことは無いと思うんだけど、と考えてみても答えは謎。
だから唇を尖らせる。「ハーレイのケチ!」と。
「教えてくれないなんて、酷い」と。
やっぱりケチだと、ぼくが知りたいことも教えてくれないなんて、と…。
教えてくれない・了
※ハーレイ先生に「前のぼくが好き?」と尋ねたブルー君。もしかしたらそうなのかも、と。
けれど、はぐらかされてしまった答え。「やっぱりケチだ」と、唇を尖らせるブルー君ですv
(鋭いヤツめ…)
チビのくせに、とハーレイが浮かべた苦笑い。
夜の書斎でコーヒー片手に、小さなブルーを思い返して。
今日も出掛けたブルーの家。二人きりでお茶を飲みながら話した。
(最初は普通だったんだがな?)
何ということもない、平凡な話題。今の平和な時代に似合いの。
前の生での思い出話も混じったけれども、そちらもごくごく普通のもので…。
(いったい何を話したっけか、と思うくらいにだな…)
大して印象に残らないもの、多分、あの船での日常のこと。
今との違いを挙げるでもなく、「まるで違うな」と揃って驚くわけでもなくて。
(なのに、何処から出て来たんだか…)
小さなブルーに、いきなり訊かれた。
赤い瞳でじっと見詰めて、それは真剣な顔をして。
「ハーレイ、前のぼくが好きなの?」と。
今のぼくより前のぼくなの、と尋ねたブルー。「ハーレイは前のぼくが好き?」と。
急だったから、驚いた。心の準備も何も無いから。
(その上、実の所はだ…)
どちらが好きかはともかくとして、今の自分には秘密が一つ。
小さなブルーに話してはいない、前のブルーに纏わる話。
(…前のあいつは、此処にいるんだ…)
今もな、と開けた机の引き出し。
毎日記す日記が入っている場所だけれど、この春、一つ中身が増えた。
春と言うより初夏だったろうか、今のブルーと出会ってからのことだから。
白いシャングリラの写真集を買おうと出掛けた書店。
其処で見付けて、買って帰った前のブルーの写真集。目当ての写真集と一緒に。
前のブルーが表紙に刷られた、『追憶』という名の写真集を。
今も人気のソルジャー・ブルー。
ミュウの時代の礎になった、始まりの人。知らない人など一人もいない大英雄。
それに加えて、あの美貌。
大英雄なのを抜きにしたって、後世までも美しさを称えられたろう。
死の星だった地球が蘇るほどの、長い歳月が流れた後も。
(其処へ、英雄なんだから…)
何冊も出ている写真集。ジョミーやキースのも出ているけれども、違いすぎる数。
前のブルーの写真はそれほど多くなかった筈なのに。
少なくとも白いシャングリラでは、記念撮影を何度もやってはいなかったのに。
(だが、映像は山ほど残ってたしな?)
記念ではなくて記録として。
それらの中から選ばれた写真、映像の一部を切り取って。
だから青の間で十五年もの長い眠りに就いたブルーも、今の時代に写真が残る。
眠っていてなお、少しも衰えはしなかった美が。
損なわれもせずに美しいままの、まるで天使のような寝顔が。
(でもって、最高傑作なのが…)
これなんだよな、と覗いた引き出しの中。
見えるのは自分の日記だけれども、それをずらしてやったなら…。
下にあるのが、前のブルーの写真集。『追憶』というタイトルを持った本。
表紙に刷られて、こちらを見詰める前のブルー。赤い瞳で。
「赤い」だけではない瞳。
正面を向いた前のブルーの瞳の奥には、癒えることのない深い憂いと悲しみ。
ミュウの受難を、未来を思って、前のブルーが心の底に秘めていたもの。
けして誰にも明かそうとせずに。
皆の前では、常に前だけを見ていたソルジャー。
けれども、これが本当のブルー。
前の自分だけが知っていた顔、前のブルーの側にいたから。
(俺は必死に探したのに…)
前のブルーを失くした後に、データベースで探した写真。
きっと何処かに一枚くらいと、愛おしい人の写真を持っておきたいと。
隠し続けた恋だけれども、皆の前では「親友」だった前のブルーと前の自分。
燃えるアルタミラで出会った時から、互いに「一番古い友達」。
だから写真を持っていたって、誰も変には思わない。親友の写真なのだから。
(航宙日誌に挟んでいようが、机の上に飾ってようが…)
誰も文句を言いはしないし、逆に同情される筈。親友を亡くしてしまったことを。
そう思ったから探してみたのに、どんなに探し続けても…。
(ソルジャーのあいつしかいなかったんだ…)
データベースにあった写真は、そればかり。
どれも「ソルジャー・ブルー」の写真で、前のブルーはいなかった。
前の自分が愛したブルー。
ただ「ブルー」とだけ呼んでいた人は、誰よりも愛していた人は。
それで諦めたブルーの写真。「俺が欲しいのは、これじゃないんだ」と。
ところが時を飛び越えた先で、探し求めたものに出会った。
前の自分が探し続けて、ついに得られなかったもの。
「本当のブルー」を捉えた写真に、「前のあいつだ」と一目で分かる写真に。
皮肉なことに、それが今では一番知られたブルーの写真。
「ソルジャー・ブルーの写真」と聞いたら、誰もが思い浮かべるほどに。
きっと映像の中の一瞬、それに誰かが気が付いた。
写真集を編もうと探していたのか、別の目的があったのか。
(今じゃ全く謎らしいんだが…)
あまりにも長い時が流れて、もう分からない「発見者」。
お蔭で今も「前のブルー」の顔を見られる。
「俺のブルーだ」と思った人の。
印刷された写真の中でも、写真集の表紙になったものでも。
あいつは此処にいるんだよな、と眺める表紙。
いつもこうして自分の日記を上に被せて、そっと守っているつもり。
引き出しの中の、「前のブルー」を。
とても悲しい瞳をしている、寂しがり屋だった前のブルーを。
(前のあいつも、今のあいつと少しも変わらなかったんだ…)
ソルジャーとして毅然と立っていたって、ブルーはブルー。
どんなに気丈に振舞っていても、前の自分と二人きりの時はまるで違った。
何度も泣いたし、寂しがりもした。
「ソルジャー・ブルー」とは違うブルーは。ただの「ブルー」は、前の自分が愛した人は。
それを今でも忘れないから、自分の日記が「前のブルー」の上掛け代わり。
引き出しの中で、寂しがることがないように。
自分が仕事で出掛けて留守でも、引き出しで一人で留守番でも。
(あいつはきちんと生きてるんだが…)
チビのあいつに生まれ変わって、と分かってはいても、今はまだ重ならない姿。
今のブルーはチビの子供で、「ソルジャー・ブルー」と呼ばれた頃とは違うから。
二十センチも足りない背丈と、子供の顔と、声変わりしていない声。
今のブルーは「今のブルー」で、そっくり同じには見えないから。
(俺だって、分かっちゃいるんだがな…)
それでも何処か違うんだ、と閉めた引き出し。
前のブルーが表紙に刷られた、『追憶』の本は出さないままで。
出して来たなら、小さなブルーがプンプン怒るだろうから。
「やっぱり前のぼくが好きなんでしょ!」と、膨れっ面になってしまうから。
きっとフグみたいに膨れるブルー。
自分を相手に嫉妬して。
鏡に映った自分に向かって、毛を逆立てる子猫みたいに。
実際、ブルーは前の自分に嫉妬するから。
何度もそれを目にしている上、今日は訊かれてしまったから。
「ハーレイは、前のぼくが好きなの?」と。
なんて鋭いヤツなんだ、と心の中を見透かされたよう。
今のブルーに、それだけの力は無いというのに。
不器用になったブルーのサイオン、心など読めるわけがないのに。
(まったく、ドキッとしちまうじゃないか…)
あんなヤツには教えられん、と思ってしまう「本当のこと」。
前のブルーの写真集を買って、引き出しにそっと入れていること。
(今のあいつと、どっちが好きかと訊かれたらだな…)
もちろんあいつに決まってる、と思うのは小さなブルーの方。
前のブルーと重ならなくても、ブルーはブルーなのだから。
自分が愛した愛おしい人は、生きて帰って来たのだから。
(もう間違いなくあいつなんだが、それを言ったら…)
あいつ、調子に乗るからな、と分かっているのがチビのブルーの心の中身。
「前のお前の方が好きだ」と言おうものなら膨れっ面でも、自分に軍配が上がったら…。
(もう大得意で、「ぼくにキスして」で、そりゃあ色々と…)
厄介なことになっちまうんだ、と分かっているから教えない。
教えてやらない、今の自分が愛する人。
今のブルーか、前のブルーか、答えは分かっているけれど。
写真集を大事に仕舞っていたって、大切なのは「今」を生きているブルーだけれど。
(今のあいつには、教えられんな)
俺は教えてやらないぞ、と思うブルーの質問の答え。
もちろん訊かれた時も無視して、「どっちだかなあ?」と誤魔化した。
本当のことを教えてやったら、チビのブルーを喜ばせてしまうだけだから。
「ぼくにキスして」だの、「恋人だよね?」だのと、うるさいに決まっているのだから…。
教えてやらない・了
※ハーレイ先生がブルー君に訊かれた質問。「ハーレイは、前のぼくが好き?」と。
正解は今のブルー君でも、教えてやらない本当のこと。調子に乗るのが見えてますものねv
(ハーレイ、とにかくケチなんだよね…)
ぼくがチビだから、キスだって無し、と不満たらたらのブルー。
こうしてハーレイと向かい合っていても、チビ扱い、と。
いい雰囲気になったから、とキスを強請っても断られるのが常。
「俺は子供にキスはしない」と、それはつれなく。
今日もそうなるに決まっているから、なんとも腹が立つけれど。
それでもハーレイのキスが欲しくて、方法は無いかと考えもする。
ハーレイの心が動きさえすれば、キスだって、と。
(何かないかな…)
いい方法、と思うけれども、ハーレイはそう甘くない。
策を巡らせても、誘惑しても、ビクともしないのがハーレイ。
少しも隙が無いものだから、どうしようもないというわけで…。
憎らしいくらいに冷静な恋人、考えてみれば元はキャプテン。
前の生ではキャプテン・ハーレイ、そうそう動揺する筈がない。
今も柔道で鍛えた武道家、水泳の腕もプロ級だけに…。
(ちょっとやそっとじゃ、ビックリしたりもしないから…)
ホントに隙が無いんだよね、と考える内に閃いたこと。
そのハーレイにも弱点はある。
しかもとびきり凄い弱点、動揺するのは間違いない。
(試してみるだけの価値はあるかも…!)
これだ、と確信したものだから、「いたたた…」と抱えたお腹。
少しも痛くないのだけれども、痛そうに。
紅茶のカップもケーキのお皿も、放り出してしまって背を丸くして。
「おい、どうしたんだ!?」
急にどうした、とハーレイがガタンと椅子から立ち上がる。
俯いてお腹を抱えているから、気配だけしか分からないけれど。
直ぐに側へと来てくれたハーレイ。
心配そうに覗き込んでくる鳶色の瞳。「大丈夫か?」と。
「お腹、痛くて…。でも、平気…」
じきに治ると思うから、と続けるお芝居。健気なふりで。
本当は少しも痛くないのに、痛みを堪えて微笑むかのように。
「しかしだな…。お前、痛そうなんだし…」
とにかくベッドに横になれ、とハーレイが言うから弾んだ胸。
きっと運んで貰えるだろうし、「歩け」とは言わない筈だから。
(ハーレイに抱いて運んで貰って、ベッドに着いたら…)
そのままキスを強請ってみよう、と捕らぬ狸の皮算用。
お腹が痛くてたまらないのだし、きっとキスだって貰えるよ、と。
「これで治るさ」と痛み止め代わりの優しいキス。
いつもだったら断られるけれど、特別に。
(ふふっ、特別…)
ハーレイのキス、と考えたのに。
「やっぱりハーレイの弱点は、ぼく」と胸を張りたい気分なのに。
いきなりコツンと小突かれた頭。そのハーレイの拳で、軽く。
「何するの!?」
痛いじゃない、と抗議の声を上げたら、ニヤリと笑うハーレイがいた。
「治ったよな?」と。
「痛い場所、もう変わったよな」と、「お腹の方は大丈夫だろ?」と。
騙されないぞ、と一枚も二枚も上手なハーレイ。
「お前の心は丸見えなんだ」と、「もっと上手に嘘をつけ」と。
だからショボンと萎れるしかない。
キスして貰う夢は砕けて、代わりに額をコツンだから。
今日もハーレイはキスをくれなくて、意地悪な笑みが見えるから…。
ぼくが弱点・了
(ちゃんと乾いたら、こうなんだけど…)
いつも通りになるんだけれど、と小さなブルーが思ったこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
さっきお風呂で洗った髪。
お風呂は大好き、たっぷりのお湯にゆったり浸かって、身体も髪もピカピカに。
上がってパジャマを着込む前には、髪の水気をタオルでゴシゴシ。
少し長めの銀色の髪は、よく拭かないと駄目だから。
濡れたままだとペシャンコの髪は、パジャマだって直ぐに濡らしてしまう。
きちんと拭いておかないと。…雫が落ちないようにしないと。
しっかり水気を拭い取ったら、ふうわり膨らみ始める銀糸。
それを鏡で確かめた後に、自分の部屋に戻ってくる。「ちゃんと拭けた」と。
まだ髪の毛はちょっぴり湿っているけれど。
すっかり乾いていないけれども、このくらいは直ぐに乾いてしまう。
こうしてベッドに座る間に、もう本当にアッと言う間に。
(今だって、見た目はソルジャー・ブルー…)
殆ど乾いているものね、と思う自分の髪型のこと。
前の自分とそっくり同じで、今の時代は「ソルジャー・ブルー風」と名前が付いている。
幼い頃からずっとこうだし、一度も変えたことは無い。
(アルバムの写真、ちっちゃい頃からコレだから…)
赤ちゃんだった頃を除けば、今も昔もソルジャー・ブルー。前の自分と同じ髪型。
両親は何も知らなかったけれど、自分自身でも、まるで気付いていなかったけれど。
(まさか本物だったなんてね?)
ソルジャー・ブルー風の髪型をしていた、幼い子供が育ったら。
「ますます似て来た」と言われるようになった途端に、本物になってしまった自分。
前の自分が誰だったのかを思い出したら、ソルジャー・ブルー。
髪型も姿もそっくり同じで、今では中身もそうなった。
前の自分の記憶が戻って、身体が少しチビなだけ。まだ十四歳の子供だから。
そうやって出来た、中身もソルジャー・ブルーな自分。
顔も髪型も、前の自分が成人検査を受けた頃と少しも変わらない。
(あの姿のままで育たなくって…)
心も身体も成長を止めて、長い時間を檻で過ごした。アルタミラにあった研究所で。
前の自分は酷い目に遭わされていたのだけれども、今の自分は幸せ一杯。
だから似ているのは姿だけだし、髪型だって…。
(元々は、パパとママの趣味…)
アルビノの子供が生まれて来たから、「ブルー」と名付けたのが両親。
今も伝わる大英雄の「ソルジャー・ブルー」の名前を貰って、名前は「ブルー」。
よちよち歩きをするようになったら、もう早速にこの髪型が選ばれた。
せっかくアルビノの子供なのだし、「小さなソルジャー・ブルー」にしようと。
(誰が見たって、ピンと来るから…)
可愛い息子を自慢するなら、髪型もソルジャー・ブルー風。
そうしておいたら、誰でも注目してくれるから。
両親がわざわざ自慢しなくても、いるだけで人目を集めるから。
(パパとママの作戦、大成功で…)
何処に行っても可愛がられた、幼かった頃の小さな自分。
両親と買い物に出掛けて行っても、母と公園で遊んでいても。
なにしろ見た目が、本当に「小さなソルジャー・ブルー」。
同じ髪型の子供がいたって、アルビノまでは真似られない。
銀色の髪ならなんとかなっても、赤い瞳は絶対に無理。抜けるように白い肌だって。
(育っても、顔はこうだから…)
もっと幼い子供の頃から、ソルジャー・ブルーに似ていた自分。
幼かったらこうだろう、と誰が見たって思うくらいに。
(もしも、あんまり似ていなかったら…)
きっと何処かで卒業したろう、今の髪型。
「そろそろ普通の髪型にしましょ」と、母が美容室で注文したりして。
「この子に似合いの、お勧めの髪型でお願いします」と。
けれども、卒業しないで済んだ「ソルジャー・ブルー風」の髪型。
今も美容室に出掛けて行ったら、何も言わなくても、こういうカット。
伸びた部分をチョンチョンと切って、整えてくれるソルジャー・ブルー風。
(お蔭で、とっても助かったけど…)
この髪型でハーレイと再会出来たんだしね、と幸せな気分。
前とそっくり同じ姿で、ちょっぴりチビだというだけで。
もう本当に母には感謝で、「ママ、ありがとう!」と御礼を言いたいくらい。
なにしろ、これは「手がかかる」から。
柔らかい自分の髪質のせいで、とんでもない手間がかかるのだから。
(乾かした時は、こうなんだけどな…)
お風呂から上がってゴシゴシ拭いたら、文句なしに前の自分の髪型。
何処から見たってソルジャー・ブルーで、少年時代のソルジャー・ブルー。
今の時代も残る写真にそっくりだから。アルタミラで撮られた、古い写真に。
(あれってホントは、十四歳じゃないのかも…)
とても有名な写真だけれども、今の自分より遥かに年上かもしれない。
腕に注射の痕が沢山、そういう写真の前の自分は。
心も身体も成長を止めて生きていたから、十四歳をとうに過ぎていたかも。
それはともかく、あの写真の自分と瓜二つなのが今の自分。顔も、もちろん髪型も。
(だけど、この髪…)
前の自分が檻でどうしていたかは知らない。
檻に鏡は無かったのだし、髪型なんかも気にしないから。
(成人検査を受ける前から、ああだったから…)
金色の髪に水色の瞳、そういう姿だった頃。微かに残っている記憶。
研究者たちはそれと同じに、カットさせていただけだろう。世話をしていた人間に。
「伸びすぎたから、切っておけ」とでも命令して。
髪を切られる自分の方でも、きっとどうでも良かった筈。
何処で切ったか覚えていないし、切られた記憶も無いのだから。
自分で髪を梳かしもしないし、寝癖も直していないから。
前の自分はそうだった。少なくとも檻にいた頃は。
燃えるアルタミラを脱出した後は、妙な寝癖がついた時には…。
(直さなくちゃ、って…)
鏡を覗いて気が付いた時に、サイオンでヒョイと直していた。
「こんな感じ」と指先で触れて、いつも通りになるように。
ところが、今の自分は不器用。まるで使えなくなったサイオン、思念もろくに紡げないほど。
それでは寝癖を直せもしないし、お風呂上がりの今は良くても…。
(寝てる間に、枕と頭の間で台無し…)
見るも無残な寝癖がつくのが、柔らかすぎる銀色の髪。
そうなった時は、母に助けを求めるしかない。「ママ、大変!」と走って行って。
「ぼくの髪、変になっちゃった」と。
お願いだから寝癖を直して、と母に頼んで乗っけて貰う蒸しタオル。
(今のぼくだって、そうなんだから…)
もっと幼い子供の頃から、母はせっせと直したのだろう。ついてしまった酷い寝癖を。
「幼稚園のバスが迎えに来る前に直さなくちゃ」と。
下の学校に通い始めた頃にも、「学校に行く前に直さないと」と。
ソルジャー・ブルー風の髪は厄介、上手く直さないと変なことになる。
寝癖がついたままの髪だと、下手をしたならライオンみたいになることだって。
(ぼくは覚えていないけど…)
小さすぎて記憶に無いのだけれども、きっと何度もあったろう悲劇。
あちこちピョンピョン跳ねてしまって、ライオンみたいな頭の息子が起きてくること。
(ママ、その度に蒸しタオルで…)
寝癖を直していた筈なのだし、母には感謝するばかり。
朝からバタバタ忙しい日でも、きちんと直してくれたのだから。
それに寝癖に手を焼かされても、「やめよう」と思わなかったのだから。
母が「この髪型は大変すぎるわ」と考えたならば、終わりになったソルジャー・ブルー風。
次に美容室に行った時には、違う髪型を注文して。
「ソルジャー・ブルー風だと手がかかるから、簡単なのでお願いします」と。
そうなっていたら…、と指に絡めてみた銀糸。
今でも母は寝癖を直してくれるけれども、途中で投げ出されていたら。
「この子の髪だと、朝が寝癖で大変だから」と、違う髪型にされていたなら…。
(…前のぼくの記憶が戻って来ても…)
中身は前と同じになっても、決定的に違う髪型。顔まで前とそっくりなのに。
誰が見たって「十四歳のソルジャー・ブルー」で、ハーレイが見てもそうなのに…。
(ぼくの髪型、全然違って…)
とても普通の男の子風の、平凡なショートカットとか。
「それでも寝癖が厄介だから」と、スポーツをやる子供みたいに短めだとか。
(…そんな髪型で、ハーレイと再会しちゃったら…)
ハーレイは何と思っただろうか、記憶が戻って来た時に。
聖痕が現れて大騒ぎの時は、髪型には全く気付かなくても、いずれは気付く。
この家に見舞いに来てくれた時に、ショートカットの自分が迎えていたならば…。
(ただいま、ハーレイ、って言った途端に…)
プッと吹き出されたろうか。
まるで全く違う髪型、そんな姿の「小さなブルー」がいたならば。
前のハーレイはまるで知らない、ショートカットになってしまった恋人に出迎えられたなら。
(…それって、酷いよ…)
けれど無いとは言えないことだし、母に心で頭を下げた。「ありがとう」と。
今の自分が前とそっくり同じ姿で暮らしているのは、母が投げ出さなかったお蔭。
じきに寝癖がついてしまって、自分で直せない息子の「厄介な髪」を。
ソルジャー・ブルー風の髪型でずっと来られた陰には、母の努力がきっとある筈。
「面倒だわ」と母が投げ出していたら、今の髪型は無理で、別の髪型だったのだから…。
ぼくの髪型・了
※今も昔も「ソルジャー・ブルー」な髪型なのがブルー君。今だと、よちよち歩きの頃から。
けれど、お母さんが投げ出していたら、全く違っていたのかも。別の髪型は嫌ですよねv
