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「ねえ、ハーレイ。お話には作者がいるんだよね?」
 どんなお話でも、と小さなブルーが投げた質問。小鳥のように首を傾げて。
「そりゃまあ、なあ? …書くヤツがいなけりゃ、話は出来んし」
 もっとも、長い年月が流れる間に、誰が書いたか分からなくなる話も多いが…。
 かぐや姫の話みたいにな。
 日本で最初の物語なのに、作者が不明なんだから。
「そうなんだ…。じゃあ、ぼくたちを書いてる人は?」
 どんな人なの、ハーレイだったら分かるかなあ、って…。
 一応、日本の人みたいだから。
「おいおいおい…。これは古典になれそうか?」
 そもそも、物語ですらないぞ。二次創作っていうヤツだ。
 ちゃんとした古典で名を残すんなら、オリジナルの方に行かんとな。
「ふうん…? やっぱり、ハーレイ、知ってるわけ?」
 ぼくには全然分からないけど、これを書いてるのが誰なのか。
 なんとなく、お話にされてるみたいな気がするだけ。
 …何処かで誰かが書いてるよ、って。
「俺も似たようなモンなんだがな…。其処は職業柄ってトコか」
 どうにも気になる、と思いながら寝たら、夢を見た。
 俺たちのことをせっせと書いてる、誰かの後姿ってヤツを。
「後姿…?」
「うむ。生憎と顔は見えなかったな」
 こっちを向いてはくれなかったもんで、どんな顔だかサッパリだ。
 ああ、こいつだな、と思っただけで。


 なんとも愉快な夢だったが、とハーレイは可笑しそうだから。
 二次創作だの、オリジナルだのと、妙な言葉も鏤めるから。
「夢のお話、いったい何が楽しかったの?」
 後姿で、顔も分からなかったんでしょ?
 面白い人かどうかも、それだと分からないんじゃない…?
「それがだ、なんとも不思議なことに…。ナレーションつきの夢だったわけで」
 どうして俺たちを書いているのか、その説明がついて来た。
 聞いた途端に俺は吹き出したぞ、「トマトだった」と言うんだから。
「トマト?」
 ちょっと待ってよ、トマトって…。
 野菜のトマトで、真っ赤なトマト?
 トマトジュースのトマトのことなの、そのトマトなの?
「耳を疑ったが、野菜のトマトだ。もう吹き出すしかないだろうが」
 お前にとっては、少し気の毒ではあるんだが…。
 俺が笑えるのも、お前が帰って来てくれたお蔭というヤツだが。
「えーっと…?」
 どうして、ぼくが気の毒なの?
 トマト、嫌いじゃないけれど…?
 好き嫌いはちっとも無いんだから。前のぼくと同じで。
 ハーレイもそうでしょ、食べ物でとっても苦労したから。


 トマトの何処が気の毒なの、とキョトンとしている小さなブルー。
 そういえば…、とハーレイも直ぐに気が付いた。
「そうか、お前はナスカじゃ眠っていたからなあ…」
 あそこのトマト自体を知らんか、そりゃあ見事に実ってた。
 それでだ、前のお前が死んじまった後に、ゼルがだな…。
 涙を流しながらトマトを齧って、こう言ったんだ。
 「こんなに美味かったんじゃなあ…。ハロルド」と、ナスカで死んだ仲間にな。
「ハロルド…。ツェーレンのお父さんだっけ?」
 ぼくもハロルドは知ってたけれども、眠っちゃってたから…。
 死んじゃったハロルドは可哀相だけど、ぼくとは直接、関係無いよ?
「そこが問題だったんだ。前の俺たちは、前のお前を失くしちまったのに…」
 偉大なソルジャー・ブルーを失くした、そういう場面だったんだ。
 なのに「ハロルド」と言ったのがゼルで、俺が夢で見た人間はだな…。
 「ちょっと待て、テメエ!」と叫んだらしいな、その瞬間に。
 なんでトマトでハロルドなんだと、其処はソルジャー・ブルーを悼む所だろうと。
 前の俺たちの人生ってヤツは、アニメになってたらしいんだ。
 しかも土曜の夕方六時からという、とても有名な枠ってヤツで。
 だからだ、俺たちを書いてる人間は、そいつで全部見ていたんだな。
 前のお前が死んじまったのも、ゼルがトマトを齧ったのも。
「うーん…。ぼくはトマトでも気にしないけど?」
 それにハロルドでも、いいと思うけど…。命の重さは誰でも同じ。
「お前なら、そう言うんだろうが…」
 俺たちを書いてるヤツにしてみれば、そうじゃなかった。
 よくもソルジャー・ブルーをコケにしたなと、トマトのくせに、とブチ切れたんだ。


 それ以来、トマトの恨みを抱き締めて生きていたらしい、とハーレイはクックッと笑う。
 どうしても許せないのがトマトで、誰かなんとかしてくれないかと思った人間。
 せっせと探し回るのだけれど、誰もトマトを書いてはいなくて、怒り続けて。
 大きなトマトは腹が立つからと、大好物だったスタッフドトマトにもムカつく有様。
 けれど時間は流れてゆくから、前の自分たちのアニメは忘れられていって。
 二次創作をする人たちも消え去っていって、それっきり。
 トマトの恨みは晴らせないまま、スタッフドトマトにムカつく夏が幾つも過ぎて…。
「とうとう自分で書いちまったそうだ、トマトの恨みを晴らす話を」
 しかし、未だに世に出せんとかで、ストックで抱えているらしい。
 それよりも後に書いちまった話は、フライングで出したらしいんだが…。
 よりにもよって、俺がキャプテンになると決めた話をポンと気前よく。
「…なんでトマトを出さなかったわけ?」
「さあなあ、何か考えがあったのかどうかは知らないが…」
 とにかくトマトだ、それが原動力だったらしい。
 今じゃすっかり恨みを忘れて、ノホホンと書いてるらしいんだが…。
 「読んだ人がムカっと来ない話を」と、「幸せになってくれればいいな」と。
 自分がトマトで苦しんだもんで、そういうポリシーらしいんだな、うん。


 要はトマトだ、と聞かされたブルーは驚いたけれど、所詮は夢のお話だから。
 ハーレイが夢で聞いた話で、本当かどうかは分からないから…。
「あのね…。ぼくたちのお話、ホントに誰かが書いてると思う?」
 夢に出て来たトマトの人って、本当に何処かにいるのかな…?
「俺にも分からん。古典の作者が分からないのと同じでな」
 しかしだ、もしも誰かが書いているなら、トマトの人なら愉快じゃないか。
 前のお前には少し気の毒だが、トマトが原動力だなんてな。
「そうだね、トマトで書きまくるんだものね…」
 よっぽどスタッフドトマトが好きな人だったんだね、美味しく食べたくて頑張ったんだね。
 好きだった食べ物で腹が立つなんて、凄く悲しいだろうしね…。
「そいつは分かるな、俺も酒でそういう目に遭ったなら…」
 泣けてくるしな、原動力にもなるだろう。
 下手の横好きでも、この際、書いて書きまくろうと。
 今はスタッフドトマトを美味しく食べているそうだからな、俺が夢で見た人間はな。
「そっか、良かった…」
 全部ハーレイの夢のお話でも、ちゃんとハッピーエンドだね。
 大好物だったスタッフドトマトを、美味しく食べられるようになったんなら…。


 ホントに良かった、と小さなブルーは嬉しそうだから。
 妙な夢でも見た甲斐はあった、とハーレイも顔を綻ばせる。
 何処かにいるかもしれない作者。
 自分たちの恋物語をせっせと書いている人間。
 そういう人間が本当にいるなら、トマトを美味しく食べてくれと。
 スタッフドトマトを食べまくってくれと、ムカついていた時の分まで取り返せよ、と…。



      始まりはトマト・了


※何故だか来てしまったお笑いなネタ。書くしかなかろう、と書いちゃいました。
 これは本当にあったお話です、始まりはトマトだったんです~!





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PR

(うーん…)
 凄く有名な本なんだけど、と小さなブルーがついた溜息。
 とんでもないことになっちゃったよね、と。
 今のハーレイが教える古典も、凄いものではあるけれど。
(SD体制の時代なんかより、ずっと昔で…)
 人間が地球しか知らなかった時代に書かれた読み物。
 宇宙船など飛んでいなくて、水に浮かぶ船しか無かった時代。
 それでも人は文字を綴って、物語や歌を作ったから。
 今も読まれる、遠い昔の物語。
 それを教えているのがハーレイ、今は普通の古典の教師。
 キャプテン・ハーレイにそっくりなだけの、多分、ごくごく平凡な。
 特別だとしたら、柔道と水泳の達人なこと。
 プロになれると言われた腕前、それは全く落ちてはいない。
(…でも、それ以外はホントに普通…)
 柔道や水泳が好きな人なら、ハーレイの名前でピンと来るかもしれないけれど。
 古典の教師としての道では、本当に普通なのだろう。
 研究者ではないし、個人的にも何もやってはいないから。
 論文を書くとか、発表するとか、そういったこと。
 ハーレイは何もしてはいなくて、古典の教師をしているだけ。
 遠い昔の物語などを挙げていっては、「有名なんだぞ」とクラスを見回して。


 授業で習った、源氏物語や枕草子。
 他にも色々、日本の古典。
 今の自分が住んでいる地域に暮らす人なら、誰でも名前を知っているもの。
(そっちは当たり前なんだけど…)
 時の流れを越えて残っても、きっと当然だと思う。
 それが生まれた時代からずっと、多くの人に読まれて来たから。
 何度も何度も書き写されては、後の時代に残されたから。
(…印刷が無かった時代だもんね?)
 自分の手元に置きたかったら、書き写すしかなかった時代。
 一番最初に書かれたものを、そっくりそのまま。
 自分で写すか、プロに頼むか。
 どちらかの道を選ばなければ、本など持てはしなかった。
 そんな時代に大勢の人が「素晴らしい」と思ったからこそ、名作は時を越えられた。
 沢山の人が称賛し続け、書き写して残し続けたから。
(消えちゃった本も、きっと沢山…)
 書かれたとしても、誰も欲しいと思わなかったら、それっきり。
 最初に書かれた物が古びて駄目になったら、消えておしまい。
 幾つもの本がそうやって消えて、いい物だけが今に残った。
 生まれた時から、既に名作だったから。
 大勢の人が「欲しい」と願って、書き写して残したのだから。


(そういう本なら、分かるんだけど…)
 今の時代に残っているのも、有名な本になっているのも。
 少しも不思議に思わないけれど、なんとも謎な代物が一つ。
 古典の授業には出て来ないけれど。
 名前が出るのは歴史の授業で、必ず名前を教わる本。
(…扱いだけだと、古典とおんなじ…)
 授業で聞く時は、そうだから。
 「源氏物語や枕草子はこの時代です」と、教えられるのと変わらない。
 それがハーレイの航宙日誌。
 キャプテン・ハーレイが書き続けていた航宙日誌で、超一級の歴史資料。
 初代のミュウの歴史を知るには、他に資料が無いのだから。
 おまけに手書きで残されたもので、研究者たちの垂涎の的。
 一流と呼ばれる学者でなければ、本物を見られはしないから。
(見る時は、きっと…)
 白い特別な手袋をはめて、マスクだって要ることだろう。
 長い長い時を越えて来たそれを、損なうことがないように。
 次の時代の研究者たちも、同じように繰って読めるように、と。
 初代のミュウたちの日々を記した、唯一の本。
 長く後世に残すためには、傷をつけてはならないから。
 そうっと、慎重に繰られるページ。
 研究者だけが立ち入れる書庫の奥の一室、其処でそうっと、一ページずつ。


 いつの間にやら、そういうことになっていた。
 前のハーレイが書いた航宙日誌。
 「俺の日記だ」と隠し続けて、一度も読ませてくれなかった日誌。
 覗こうとする度、大きな身体の陰に隠して。
(前のぼく、一度も読んでないのに…!)
 ホントに読めなくなっちゃったんだけど、と零れる溜息。
 前の自分は仕方ないけれど、今の自分は別だと思う。
 生まれ変わって別の人間、中身は前と同じだとしても。
 それにハーレイも別の人間、隠す権利はもう無いだろう。
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌は、前のハーレイが書いていたもの。
 「俺の日記だ」は通らないと思う、今のハーレイとは違うのだから。
(今のハーレイの日記だったら、駄目だろうけど…)
 そうじゃないのに、と残念でたまらない航宙日誌。
 今なら自分も読めるだろうに、あまりにも変わりすぎた状況。
 超一級の歴史資料になってしまった航宙日誌。
 読んでみたいなら、研究者になる他はない。
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌を、子細に読み込む研究者たち。
 一流とされる学者だけしか、本物の日誌は扱えない。
 手袋をはめて、マスクも着けて。
 保管庫の奥の特別な書庫で、多分、許可証なんかも見せて。


 こんなことなら、コッソリ読めば良かっただろうか?
 前の自分が生きていた頃に、キャプテンの部屋に忍び込んで。
(…前のぼくなら、簡単だしね?)
 ハーレイが部屋に鍵をかけても、前の自分には意味のない鍵。
 瞬間移動でスッと入って、きっと好きなだけ読めただろう。
 「今日はこの辺り」と引っ張り出しては、前のハーレイの日記とやらを。
 いったい何が書いてあるのかと、読む度に興味津々で。
 時には怒っていたかもしれない、「この書き方は酷いと思う!」と。
(…前のぼくのこと、なんにも書いていないって…)
 ハーレイはそう言ったから。
 前のハーレイは何も言わなかったけれど、今のハーレイからそう聞いた。
 「俺の日記だ」と隠し続けた航宙日誌。
 其処に全く書かれてはいない、前の自分との恋の思い出。
 ほんの小さな欠片でさえも。
 だから今でも、誰も気付いていない恋。
 キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーの恋は、今も変わらず隠されたまま。
 何も書かれていなかったから。
 どんなに細かく読み込んでみても、書かれていないことは読み取れないから。


 前の自分が知っていたなら、きっと怒ったことだろう。
 「ぼくのことは?」と。
 前のハーレイに詰め寄っただろう、「ぼくはどうでもいいのかい?」と。
 船のことやら、仲間たちのこと。
 そういったことは書いてあるのに、書かれてはいない恋のこと。
 甘い言葉の欠片さえも無くて、想いの欠片も無いのだから。
(…ハーレイ、酷い…)
 あんなに何度も隠していたから、きっと素敵な中身だろうと思ったのに。
 前の自分に読まれたならば、恥ずかしくなるようなハーレイの想い。
 それが書かれているのだろうと。
 大真面目に日誌を書いているふりで、恋の欠片も鏤めるのだと。
(…そう思ったから、読まなかったのに…)
 前のハーレイの心の中まで、覗き見るのは悪いから。
 決して心を読まないのならば、ハーレイが綴る日記も同じ。
 「お読み下さい」と差し出されるまでは、開くべきではないだろう。
 時が来たなら、ハーレイはきっと「どうぞ」と渡してくれるから。
 それを読んでもかまわないなら。
 読んでいい日が訪れたなら。


(…きっと素敵な中身なんだ、って…)
 夢見ていたのに、外れた予想。
 前のハーレイが書いていたものは、恋の欠片も無い日誌。
 こんなことなら読めば良かった、そして怒ってやれば良かった。
 「ぼくのことは何処に書いてあるわけ?」と、「これは日記じゃないようだけど」と。
 今頃になって、触れもしないオチならば。
 超一級の歴史資料になってしまって、手も足も出なくなるのなら。
(…書いたハーレイだって、読めないんだけど…)
 ただの古典の教師では無理。
 今の自分と全く同じで、読もうとしても門前払い。
 けれど、ハーレイは奥の手を持っているらしい。
 研究者よりも凄い才能、書き手だったからこそ使える才能。
(…元の字を見たら、読めるって…)
 データベースで無料で見られる、航宙日誌の文字をそのまま写したもの。
 其処に書かれた文字を見たなら、ハーレイには全て分かるという。
 どんな思いでそれを書いたか、その日には何があったのか。
 文字がハーレイに伝えるらしい、秘密の中身。
 ハーレイだけが読み取れる日記。


 それもぼくには読めやしない、とガッカリするのが航宙日誌。
 超一級の歴史資料で、本物にはとても触れられなくて。
 前のハーレイが文字の向こうに閉じ込めた想い、それも自分には読み取れなくて。
(…やっぱり、読んでおけば良かった…?)
 読み放題だった、前の自分の頃に。
 航宙日誌が超一級の歴史資料に出世する前に、コッソリと。
 そして怒れば良かっただろうか、「ぼくのことは?」と。
 「何処にも書いていないじゃないか」と、「恋人なのに!」と。
 なまじ出世を遂げたばかりに、なんとも悔しい航宙日誌。
 読めば良かったと、今のぼくには読めないのに、と。
(名作だったら許すんだけど…!)
 そうではないと分かっているから、「なんで?」と零れてしまう溜息。
 どうして日誌が出世するの、と。
 お蔭でぼくは読めやしないと、出世しちゃうなんて酷すぎるよ、と…。

 

        出世してる日誌・了


※名作だったら許すんだけど、とブルー君が怒る航宙日誌の出世ぶり。
 ハーレイ先生、いつか解説させられそうですねえ、復刻版を買わされちゃって…v





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(…とてつもなく出世しやがって…)
 こんな筈ではなかったんだが、とハーレイが見詰める自分の日誌。
 今のではなくて、前の自分の。
 キャプテン・ハーレイだった頃に記した航宙日誌。
 夜の書斎で、懐かしい文字を。
 手で触れることは出来ないけれど。
 本物は此処にあるわけがなくて、今の自分が手に取ることさえ…。
(出来なくなったと来たもんだ)
 俺とは違って偉いんだから、と苦笑しながらコーヒーを一口。
 愛用の大きなマグカップ。
 それにたっぷり、熱いコーヒー。
 今の自分はただの教師で、キャプテン・ハーレイに似ているというだけ。
 「生まれ変わりか?」と尋ねられるほど、瓜二つというだけの一般人。
 こうして飲んでいるコーヒーの銘柄、それさえ誰も気に留めない。
 これがキャプテン・ハーレイだったら…。
(まず間違いなく質問攻めだな)
 いつもコーヒーを飲んでいるのか、コーヒーと紅茶、どちらが好きか。
 気に入りのコーヒーの銘柄は…、と色々と訊かれることだろう。
 そして答えはアッと言う間に、宇宙に広がり…。
(誰かが余計な記事を書くんだ)
 俺についてか、シャングリラだか…、と傾けるコーヒー。
 今の俺なら本当に誰も気にしないんだが、と。


 ただの古典の教師の自分。
 たったそれだけ、古典の分野で名を上げたというわけでもない。
 ついでに日本の古典が専門、SD体制の時代なんかは全く縁が無い世界。
(どう転がっても、こいつには会えん)
 確かに俺が書いたんだが、と追ってゆく文字は本物そっくり。
 けれどデータで、指で触れても画面に指がつくというだけ。
(超一級の歴史資料じゃなあ…)
 自分が全く知らない所で、そういうことになっていた。
 前の自分が地球の地の底で命尽きた後、一人歩きした航宇日誌。
 まさか出世を遂げるなどとは、夢にも思いはしなかった。
 これを記していた頃には。
(…後のヤツらの参考になれば、と書いてたんだが…)
 毎日、律儀に。
 その日に起こった出来事を書いて、残しておいた自分の記録。
 シャングリラのことや、ソルジャーのことや。
(…俺の日記ではあったんだ、うん)
 簡潔に書いておいたけれども、読んだら思い出せるようにと。
 気まぐれにパラリと開いた箇所から、「こうだったな」と蘇る思い出。
 そうなればいいと思っていた。
 いつか懐かしくそれを読めたらと、のんびりページを繰れたならば、と。
 青い地球に辿り着いたなら。
 ブルーと二人で、長かった旅を思い返せる時が来たなら。


 けれど、訪れなかったその日。
 ブルーは地球まで辿り着けなくて、暗い宇宙に散ってしまった。
 メギドを沈めて、たった一人で。
 前の自分も一人残され、魂は死んで生ける屍。
 地球へ行かねばと、辿り着ければ自分の役目も終わるのだからと、それだけの日々。
 航宙日誌は綴り続けたけれども、もう読み返しはしなかった。
 読んだ所で意味は無いから。
 愛おしい人は何処にもいなくて、ただ辛くなるだけだから。
 「これを書いた頃はブルーがいた」と。
 こんな風に二人で語り合ったと、ブルーは幸せそうだったと。
(…俺と一緒にいた時のあいつは…)
 泣いていたこともあったけれども、いつも最後は笑顔だったから。
 「君がいてくれるから、もう大丈夫」と、前のブルーは微笑んだから。
 恋人同士ではなかった頃から。
 仲の良い友達だった頃から。


 ブルーとの日々が、思い出が詰まった日誌。
 それを読み返せる筈もなかった。
 ブルーを失くしてしまった後には、ただの一度も。
(…シャングリラのことなら、他にデータが残っていたしな?)
 わざわざ日誌を開かなくとも、データベースを調べればいい。
 あの時にはどう対処したかと、どう判断を下したのかと。
(それが効率的ってもんだ)
 船を進めるだけならば。
 シャングリラを地球まで運ぶだけなら。
(…あの船で生きてゆこうと言うなら…)
 日誌にも意味はあるのだけれど。
 船で起こった日々の出来事、それが書かれていたのだから。
 例えば船に来たばかりのジョミー、彼がキムたちと喧嘩したこと。
 赤いナスカに着いた後なら、初めての収穫があったこととか。
 そういったことは、生きてゆくのに欠かせないこと。
 喧嘩で荒れた心の波やら、収穫の時の喜びやら。
 生きているからこその感情、シャングリラで暮らした仲間たちの記録。
 後の時代にそれを開いて、「今も昔も変わらないな」と誰かが思ってくれればいい。
 「俺たちはもっと上手くやれるぜ」でも、「まるで進歩が無いんだが」でも。
 それも生きている証だから。
 キャプテン・ハーレイの時代に思いを馳せる仲間たちは、「今」を生きるのだから。


 そう思ったから、綴り続けた航宙日誌。
 前のブルーを失くした後も。
 魂は死んでしまっていたのだけれども、日々の出来事を。
 シャングリラのことも、戦いのことも、ただ淡々と。
 仲間たちの記録もそれまで通りに、今日はこういうことがあった、と。
(…そいつが出世しちまうなんてなあ…)
 消えちまったなら分かるんだが、と眺める自分が書いた文字。
 遠く遥かな時の彼方で、それはレトロな羽根ペンで。
 自分くらいしか使わなかった、非効率的な文具の羽根ペン。
 インクが勝手に出ては来ないし、切れれば浸してやるしかない。
 文字の続きを綴るためには。
(そういう面でも良かったのか、あれは?)
 もしも手書きで残してはおらず、データの形だったなら。
 何処かで散逸したかもしれない、何かのはずみに破損するとか。
 けれども、手書きだったから。
 立派な表紙まで作られたほどの、キャプテン専用の日誌だったから。
(…間違って捨てることもないしなあ…)
 日誌は時を越えただろうか、今の時代まで。
 死の星だった地球が青く蘇り、人間が其処で暮らせる日まで。


 どうしたことだか、前の自分の航宙日誌は残り続けた。
 白いシャングリラが時の流れに連れ去られた後も、この宇宙に。
 超一級の歴史資料になってしまって、今の時代まで。
(…お蔭で俺も読めるわけだが…)
 こんな具合に、とデータベースに収められている日誌を眺める。
 前の自分の文字をそのまま写した、そのデータを。
 羽根ペンで記した文字の滲みも、掠れ具合も、弄ることなく。
(…この日のあいつが、見える気がするな…)
 前の自分が愛したブルー。
 気高く、美しかった人。
 そうは書かれていないけれども。
 日誌の中では、「ソルジャー」もしくは「ソルジャー・ブルー」。
 一度も「ブルー」と綴ってはいない。
 恋の欠片も、想いの欠片も、まるで記しはしなかった。
 それでも文字を見るだけで分かる。
 この日のブルーはどうだったのかと、どんな言葉を交わしたのかと。
 特別なことが無かった日でも。
(…あいつは、いつも通りだったってことで…)
 そういう日なら、きっと、こう。
 ブルーの言葉は、ブルーが見せた表情は。
 それを鮮やかに思い出せるから、こうして開いてみたくなる。
 データベースに収められていて、誰でも読める航宙日誌を。


 戯れにあちこち拾い上げたページ。
 時の彼方で、読み返さないままで終わった日誌。
 それをしたいと思わないままで、前の自分は死んだから。
 いつか懐かしく読み返そうと思っていた日は、前の自分には来なかったから。
(…そいつを俺が読んでるわけで…)
 書いておいた甲斐はあったんだが、とコクリと飲んだ冷めたコーヒー。
 肝心の日誌は、手元には無い。
 繰ったページは、指でめくったわけではなくて…。
(ちょいと操作しただけってのがなあ…)
 相手はデータで、紙を綴じてはいないから。
 そういう形で読みたかったら、今の時代は…。
(とんでもない金がかかるんだ、これが)
 なにしろ相手は、超一級の歴史資料。
 本物の航宙日誌に触れたかったら、その研究者になるしかない。
 それも一流と言われるレベルに。
(…なんだって俺が研究なんかを…)
 しなくちゃならん、と思うのだったら、復刻された航宙日誌を買うしかなくて。
(そいつが素敵に高いんだ…)
 研究者向けと来やがった、と出世しすぎた航宙日誌に漏れる溜息。
 ただの活字でいいのだったら、文庫本にもなっているのに。
 前の自分の文字を見るには、とてつもなく高い復刻版を買うか、研究者になるか。


 当分はデータベースでタダ見しとくか、と苦笑いする航宙日誌。
 「ずいぶん出世しちまったな」と。
(…書いた俺でも手が出ないってのが…)
 研究者になるか、大金を出すか、どちらも今の自分には…。
(うんと敷居が高すぎるってな)
 ただの教師に過ぎないから。
 大散財をして復刻版を揃えた所で、それを一緒に読みたい人は…。
(まだまだ家には来てくれないんだ)
 失くしたブルーは帰って来たけれど、チビだから。
 子供なのだから、航宙日誌は当分、タダ見。
 いつかブルーと懐かしくそれを読める日が来たら、考えよう。
 出世しすぎて、とんでもない値段の復刻版。
 それを買おうかどうしようかと、出世しすぎた日誌の値段に躊躇いつつも…。

 

       出世した日誌・了


※ハーレイ先生では、手も足も出ないキャプテン・ハーレイの航宙日誌。
 自分の日記を読み返すのに苦労しているみたいです。平和な時代ならではですよねv





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(…今日はコーヒー…)
 ぼくだけ仲間外れだったよ、と小さなブルーがついた溜息。
 ハーレイが訪ねて来てくれた日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドの端に腰を下ろして。
 夕食の後に出て来たコーヒー。
 父と母と、それにハーレイの分。
 そうなった理由は至って単純、コーヒーが似合いのメニューだったから。
 両親とハーレイは美味しく飲めるコーヒー、それが良く合う料理だったから。
 けれども、ブルーは飲めないコーヒー。
 苦くて、少しも美味しくないから。
 母だってそれを知っているから、「はい」と置かれた紅茶のカップ。
 「ブルーの分よ」と。
 仲間外れも悲しいけれども、コーヒーならではの悲しい事情。
 自分一人が飲めないコーヒー、ハーレイの方はコーヒー好き。
 そのハーレイが遠慮しなくて済むように、と両親も一緒の食後のお茶。
 紅茶だったら、時間のある日は「二階でどうぞ」と母が運んでくれるのに。
 自分の部屋でハーレイと二人、ゆっくりとお茶を楽しめるのに。
 コーヒーの場合はそうはいかない、食後のひと時。
 両親も一緒のお茶の時間で、それが済んだらハーレイは帰る。
 「またな」と軽く片手を上げて。
 車だったり、歩いたりして。


 仲間外れになるだけでは済まない、食後のコーヒー。
 両親にハーレイを取られてしまうし、話の中身も自分は置き去り。
 大人同士が楽しむ会話に、子供の自分は入れないから。
(…ゴルフの話をされたって…)
 分かんないよ、とプウッと膨れた。
 両親の前では大人しく聞いていたのだけれども、今頃になって出て来た不満。
 仲間外れの上に置き去り、と。
 そもそもは父が「ハーレイ先生は?」と訊いたゴルフの腕前。
 ハーレイが何と答えていたのか、それさえも分からない自分。
 父は「ほほう…!」と驚き、「流石ですね」と言っていたから、上手いのだろう。
 多分、ハーレイのゴルフの腕は。
(…ゴルフなんか、練習してないくせに…)
 ゴルフの選手になりたかった、と聞いた覚えはないハーレイ。
 学生時代にやっていたのか、教師になってから始めたのか。
 それさえ知らないハーレイのゴルフ、けれども父も驚く腕前。
 たちまち話はゴルフだらけで、何のことだかサッパリだった。
 ゴルフ用語も分からなければ、ゴルフ場だって行ったことすら無いのだから。
 前の自分の知識を使って聴き入ろうにも、相手はゴルフ。
(…前のぼくだって知らないんだよ…!)
 シャングリラにゴルフは無かったから。
 ゴルフコースも、練習場も。


 もしも食後が紅茶だったら、ハーレイと部屋で飲めたのに。
 両親にハーレイを取られずに済んで、話だって二人で出来たのに。
(…同じゴルフの話でも…)
 ハーレイならきっと、分かるように話してくれただろう。
 ゴルフ用語の解説だとかは抜きにして。
(…どういう所でゴルフをしたとか、そういうの…)
 そっちだったら、自分も少しは分かるから。
 ゴルフに出掛けた父が「お土産だぞ」と買って来たりする、ゴルフ場の名物。
 広い敷地で採れたキノコや、実った果物。
 ハーレイが話してくれるのだったら、「俺がゴルフに行った時には…」と、そういう話。
 買って来たキノコで作った料理や、果物をもいだ話とか。
(動物だって…)
 リスがいる所や、カモが子育てする池やら。
 色々な動物がいるらしいから、その話だって聞けるだろう。
 子供が聞いても、楽しくてワクワクする中身。
 ゴルフの知識がまるで無くても、相槌が打てるような話を。
 ところが、そうはいかなかった今日。
 食後に紅茶は出てはこなくて、熱いコーヒーが出されたから。
 紅茶のカップはたった一つで、自分の分しか無かったから。


 なんとも残念だったコーヒー、自分一人が飲めないコーヒー。
 その上、ハーレイを両親に取られて、話題はゴルフ。
 子供でも分かる中身ではなくて、大人にしか分からない中身。
 母はゴルフをやらないけれども、ちゃんと相槌を打っていたから。
 きっと父から色々と聞いて、ゴルフを知っているのだろう。
 どうやって遊ぶものなのか。
 何が出来たら素晴らしいことか、感心すべきポイントは何か。
 …自分には分からなかったのに。
 ハーレイのゴルフがどう上手なのか、それも分かりはしなかったのに。
(…ママには分かって、ぼくには謎で…)
 キョロキョロしている間に終わった、食後のコーヒーで寛ぐ時間。
 ハーレイが壁の時計を眺めて、「そろそろ失礼しませんと…」と言っておしまい。
 両親は「遅くまで引き止めてしまいまして…」などと謝っていたけれど。
 自分からすれば、まだまだ足りない。
 遅くなどはなくて、あの時間からでもハーレイと二人で話したかった。
 ほんの五分でかまわないから、二人きりで。
 「あのね…」と、「ハーレイ、ゴルフは好き?」と。
 前の自分は知らないけれども、その遊びはとても楽しいのかと。
 どんな所でゴルフをしたのか、其処には何があっただろうか、と。
 名物のキノコや、お土産に出来る果物や。
 チョロチョロと走り回るリスやら、散歩しているカモの親子やら。


 けれど、帰ってしまったハーレイ。
 自分のためには、何も話してくれないで。
 「またな」と軽く片手を上げて。
 子供にも分かるゴルフの話は、何一つとして聞けないままで。
(…全部、コーヒーが悪いんだから…!)
 あんな飲み物が出て来るからだ、とプウッと膨らませてしまった頬。
 両親の前では我慢した分、不平不満で一杯で。
 これをハーレイの前でやったら、「どうした?」と訊いて貰えるだろう。
 でなければ、「何を膨れているんだ、チビ?」と、額をピンと弾かれるか。
 どちらにしたって、そこから生まれてくる会話。
 膨らんだ頬に負けずに膨らむ、ハーレイとの会話のキャッチボール。
 自分が膨れたままでいたって、プウッと膨れて怒っていたって。
(…ハーレイだったら、分かってくれるし…)
 宥められたり、「我儘なヤツめ」と小突かれたりして、消えてしまうだろう頬の膨らみ。
 いつまでも膨れていられないから。
 ハーレイが上手に消してくれるから、頬っぺたを膨らませたくなった気持ちを。
 時には、笑わせたりもして。
 「お前、今の顔、分かっているか?」と、真似て膨れてみせたりもして。


 そのハーレイは帰ってしまって、部屋にポツンと一人きり。
 コーヒーのせいで逃したハーレイ、置き去りにされてしまった話題。
 何もかもあれがいけないと思う、食後に出て来たコーヒーが。
 母が淹れて来た熱いコーヒー、自分には飲めないあの飲み物が。
(…前に頼んで失敗したし…)
 ぼくも、と強請って酷い目に遭った。
 自分の舌には苦すぎたコーヒー、砂糖を入れても駄目だった。
 ミルクを加えて貰っても駄目で、ハーレイが母にアドバイスした。
 「ホイップクリームもたっぷりで」と。
 それでようやく飲めたコーヒー、とてもコーヒーには見えない代物。
 ハーレイは可笑しそうだった。
 「ソルジャー・ブルーもこうでしたよ」と。
 今と同じに飲めなかったと、ソルジャー・ブルーは大人だったのに、と。
(前のぼくでも駄目だったんだよ…!)
 何度も挑んで、連戦連敗。
 飲めた試しが無かったコーヒー。
 今の自分も、きっとそうなる。
 いつか大きく育ったとしても、飲めないだろう苦いコーヒー。
 両親にハーレイを取られてしまって、それでおしまい。
 食後のお茶の時間が済んだら、「またな」とハーレイが帰って行って。


(…酷いんだから…!)
 大きくなっても仲間外れ、とプウッとますます膨らんだ頬。
 コーヒーが苦手で飲めない自分は、育っても仲間外れにされる。
 両親とハーレイばかりが話して、話題にもついていけなくて。
 置き去りにされて、「またな」と帰ってゆくハーレイ。
 その時もゴルフの話をするのか、まるで分からない別の話題か。
(…どっちにしたって、ぼくは置き去り…)
 そしてハーレイは帰っちゃうんだ、と膨れた所で気が付いた。
 自分がちゃんと大きく育っているのなら…。
(…ぼく、ハーレイと一緒に帰れる?)
 前の自分と同じ姿になったなら。
 ハーレイとキスが出来る姿をしているのならば、一緒に暮らせる。
 ちゃんとハーレイと結婚して。
 ハーレイの家で、一緒に住んで。
(それなら、食後がコーヒーだって…)
 仲間外れになってしまっても、話題についていけなくても。
 ハーレイが「そろそろ…」と時計を眺める時には、自分の方も見てくれるだろう。
 「そろそろ家に帰るとするか」と、「お母さんたちに挨拶しろよ」と。
 ハーレイは一人で帰ってゆかない。
 自分も一緒に家を出るから、両親に「またね」と手を振るのだから。


 それならいいや、と思ったコーヒー。
 前と同じに飲めないままでも、食事の後には仲間外れで紅茶でも。
 両親にハーレイを取られてしまっても、置き去りで話が弾んでいても。
(ハーレイが好きなコーヒーだもんね?)
 二人きりの家では、きっとハーレイは付き合ってくれて紅茶だから。
 前のハーレイもそうだったから。
 たまにはコーヒーを飲ませてあげよう、両親と一緒にのんびりと。
 「またな」と帰ってゆかないなら。
 自分も一緒に連れて帰ってくれるのならば…。

 

        コーヒーとぼく・了


※コーヒーが苦手なブルー君。ソルジャー・ブルーも苦手だっただけに、お先真っ暗。
 そんなブルー君、ハーレイ先生を紅茶生活に付き合わせるつもり。どうなるんでしょうねv




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(やっぱり、こいつが美味いんだ…)
 これが落ち着く、とハーレイが傾けた熱いコーヒー。
 夜の書斎で、椅子にゆったりと腰を下ろして。
 愛用のマグカップに淹れたコーヒー、夜の定番。
 それを飲む場所は、色々だけど。
 こうして書斎で飲んでいる日や、リビングのソファで飲む日やら。
 ダイニングのテーブルも気に入りの場所で、要は何処でもかまわない。
 コーヒーがあれば。
 香り高くて絶妙な苦味、心ゆくまで楽しめれば。
(…本当は、夜は駄目らしいがな?)
 よく耳にする、そういう話。
 遅い時間にコーヒーを飲むと、寝付けないとか言われるけれど。
 個人的な差だと考えている。
 眠れなくなったことは無いから。
 どちらかと言えば、その逆だろうか。自分の場合は。
(…飲み損なったら駄目なんだよなあ…)
 流石に少し遅いだろうか、と飲まずにベッドに入った夜に限って欲しくなる。
 やっぱり飲めば良かったと。
 どうも今夜は落ち着かないと、なかなか眠れないんだが、と。


 そうは言っても、健康的な日々を過ごしているから。
 バランスの取れた食事に適度な運動、「規則正しく」がモットーだから。
 眠れないな、と思っていたって、いつの間にやら眠っているもの。
 気付けば翌日の朝になっていて、爽やかに目が覚めるもの。
(…つまり、飲まなくてもいいってわけか?)
 夜のコーヒー、と浮かべてしまった苦笑い。
 飲み損なったら落ち着かなくても、普段と同じに眠れるのだから。
 「眠れないな」と思う時間は、さほど長くはない筈だから。
(単なる俺の嗜好品だな)
 間違いないな、と眺めるカップ。
 一人でコーヒーを楽しむ時には、これを使うと決めている。
 かなり大きめ、たっぷりと入るマグカップ。
 頑丈なカップとは長い付き合い、もう何年になるのだろうか。
 朝も使って、夜も使って、馴染みの友といった雰囲気。
 もっとも、カップは喋らないけれど。
 手に馴染んだというだけのことで、それ以上ではないのだけれど。


 コーヒー片手のひと時が好きで、前は昼間もよく飲んだ。
 休日を家でのんびり過ごして、その合間に。
(…とんと御無沙汰になっちまったなあ…)
 そっちのコースは、と指で弾いたカップ。
 朝はこいつと出会うけれども、次は夜まで会わないようだ、と。
(仕事のある日は家にいないし…)
 そうでなくても、昼間は留守。
 小さなブルーに出会ってからは。
 前の生から愛し続けた、愛おしい人と遂げた再会。
(…あいつがチビでさえなけりゃ…)
 今頃はとうに、家に迎えているだろう。
 仕事があるから、結婚式はまだ挙げられないままでいたとしたって。
(昼間は俺の家に呼んでもいいわけだしな?)
 ブルーと二人で過ごす休日、自分の家で。
 それが出来たら、カップの出番もあるというもの。
 夜まで仕舞ったままにしないで、昼食の後や、お茶の時間に。
 ところがブルーは、十四歳にしかならない子供。
 ついでに自分が禁じてしまった、「家に来るな」と。
 もしも歯止めが利かなくなったら、小さなブルーに無茶をするから。
 前のブルーと同じに扱い、きっと傷つけてしまうから。
 ブルーの身体も、まだ幼くて無垢な心も。


 そんなわけだから、休日の昼間はブルーの家へ。
 仕事が無ければ、いそいそと。
 朝食が済んだら出掛けてゆくから、マグカップとは其処でお別れ。
 ブルーの家で夕食を食べて帰って来るまで、会えないカップ。
(…お前さんを昼間に拝むチャンスは…)
 いつ来るんだか、とカップに向かってついた溜息。
 どうやら当分、来そうにないぞ、と。
 小さなブルーは、今も変わらずチビだから。
 再会してから少しも育たず、一ミリも背が伸びないから。
(二十センチと来たもんだ…)
 其処まで育て、と自分がブルーに言い聞かせた背丈。
 「前のお前と同じになるまで、キスは駄目だ」と。
 前のブルーは百七十センチ、それがソルジャー・ブルーの身長。
 チビのブルーは百五十センチ、足りない背丈が二十センチ。
(…まったく伸びやしないってな)
 縮まりもしない、前のブルーとの背丈の差。
 チビで愛らしいブルーもいいから、特に不満は無いけれど。
 今となっては、ゆっくり育って欲しいと思っているけれど。
 前のブルーが失くしてしまった、子供時代の幸せな記憶。
 アルタミラで少しも成長しないで、苦しみの中で過ごした年月。
 それを補って余りある幸せ、両親と過ごす温かな日々。
 ブルーにはそれを、存分に味わって欲しいから。
 子供時代の幸せな日々を、いくらでも与えてやりたいから。


 何年でも待っていられると思う、チビのブルーが育つまで。
 雛を見守る親鳥のように、小さなブルーを慈しみながら。
 唇へのキスは与えないまま、愛はたっぷり注いでやって。
 抱き締めて、額に、頬にキスして。
(そういうのも悪くないんだが…)
 俺はそいつも好きなんだが、と傾けたカップ。
 朝に別れたら、今は夜まで会えないカップ。
(…お前さんとは、昼間に会えないままらしいな?)
 ブルーが育たない内は。
 「家に来るか?」と誘ってやれない内は。
 いつになるやら分からない、その日。
 前とそっくり同じに育ったブルーを、この家に連れて来られる日。
 けれど、その日が訪れたなら…。
(こいつと昼間に会える日だって…)
 もう珍しくはないのだろう。
 最初の間は、ブルーは昼間に来るだろうけれど。
 夜になったら、家へ送るのだろうけど。
(その内、此処が家になるんだ)
 ブルーの家に。
 愛おしい人が暮らしてゆくための家に。


 そうなったならば、仕事の無い日は二人で過ごす。
 デートに出掛けて行かない限りは、この家で二人。
 朝食の時に使ったカップと、昼間にも会えることだろう。
 小さなブルーと出会う前には、いつもそうしていたように。
(それも、一人で飲むんじゃなくてだ…)
 ブルーと二人で、お茶の時間や食後のひと時。
 今は昼間は御無沙汰のカップ、それにコーヒーをゆっくりと淹れて。
 「お茶にしないか?」とブルーを呼んで。
 ケーキなんかも切り分けてやって。
(もう何年かの辛抱だってな)
 お前さんも俺と一緒に待とう、とカップの縁を撫でたのだけれど。
 慣れた手触りを「ふむ」と確かめ、コーヒーをコクリと飲んだのだけれど。
(…待てよ?)
 ちょっと待った、と頭に浮かんだブルーの顔。
 チビのブルーもそうだけれども、前の育ったブルーの方も…。
(あいつ、コーヒー、駄目だったんだ…!)
 迂闊だった、と思い返したブルーの嗜好。
 コーヒーを好むどころではなくて、とことん苦手なタイプがブルー。
(…いや、タイプ・ブルーってわけじゃなくって…)
 駄洒落に逃げたくなってしまったほど、ブルーはコーヒーが駄目だった。
 昔も、今も。
 チビのブルーも、前のブルーも。


(…なんてこった…)
 今の自分が好きなコーヒー。
 眠る前にも寛ぎのひと時、愛用のマグカップにたっぷり淹れて。
 それを飲まなければ落ち着かないほど、今の自分はコーヒー好き。
 前の自分も、今と同じに好きだった。
 コーヒーを好んだキャプテン・ハーレイ。
(…しかしだな…!)
 前の俺には無かったんだ、と今頃になって気付いてしまった夜のコーヒー。
 ブルーと夜を過ごす時には、そうそう飲めはしなかった。
 なにしろ、ブルーは飲めなかったから。
 たまにコーヒーを淹れる時には、自分の分しか淹れられなかった。
 ブルーが文句を言うものだから。
 「何処が美味しいのか分からないよ」と、コーヒーを嫌うものだから。
(…でもって、あいつ…)
 気まぐれに挑戦していたコーヒー。
 なんとか飲もうと、あの手この手で頑張ったけれど。
(ミルクたっぷり、砂糖たっぷり、それにホイップクリームまで入れて…)
 ようやくブルーが飲めたコーヒー、もはやコーヒーとは呼べない代物。
 おまけに、後で「眠れなくなった」と訴えたブルー。
 目が冴えて駄目だ、と嘆いたブルー。
 なんとか寝かせはしたのだけれども、それはブルーをベッドの上で…。
(あいつがぐっすり眠っちまうまで…)
 疲れ果てて眠るまで抱いたんだった、と思い出した情事。
 コーヒー騒動の後始末。


 また今回もそうなるのか、と呆然と眺めてしまったカップ。
 昼間に飲んでも「またコーヒー?」とブルーに言われて、夜になったら。
(「今は毎日飲んでるわけ?」って…)
 ブルーが呆れ果てるのだろうか、「コーヒー、そんなに美味しいわけ?」と。
 そんなものより紅茶がいいよ、と前のブルーと同じように。
 「ぼくと一緒に紅茶を飲まない?」と。
 その光景が見える気がした、ブルーと紅茶を飲んでいる自分。
 愛用のカップは出番を失くして、コーヒーだって。
(…そうはならないと思いたいんだが…)
 俺はコーヒーを飲みたいんだが、と思うけれども、読めない未来。
 今の内だ、とコーヒーのカップを傾ける。
 ブルーがまだまだチビの内にと、今の内にゆっくり飲んでおこうと…。

 

        コーヒーとあいつ・了


※ハーレイ先生の寛ぎのひと時、夜でもコーヒー。落ち着く時間らしいですけど…。
 いつかはそれが無くなるのかも、と気付いてしまったハーレイ先生。どうなるでしょうねv





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