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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(星が見えない…)
 一つも無いよ、とブルーが眺めた窓の外。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、カーテンの隙間から見上げた夜空。
 今日は来てくれなかった恋人、前の生から愛したハーレイ。
 その人をふと思い出したせいで、星を見ようと考えた。
 前はキャプテンだったハーレイ、白いシャングリラの舵を握っていた恋人。
 星とは切っても切り離せないのが、宇宙船を動かすパイロット。
(…星の中を飛んで行くんだものね?)
 それに行き先も何処かの星。
 資源採掘などの基地にしたって、星を目印に飛んでゆくもの。
 基地そのものは星の上に無くても、暗い宇宙に浮かぶ基地でも。
(何処の星系、って…)
 航路設定をして飛び立ってゆくのが宇宙船。目指す星の座標を打ち込んで。
 どの星系へ旅をするのか、幾つ目の惑星が目的地なのか。
 基地にゆくにも、必要なものが一番近い星の座標。惑星やら、其処の恒星やら。
(行き先で変わってゆくんだよね?)
 恒星を目当てに飛んでゆくのか、惑星に向かって旅をするのか。
 行き先が基地で、惑星よりも恒星の方に近いというなら、当然のように恒星で…。
(他にも色々…)
 あるのだけれども、とにかく必要なのが星。
 惑星を目指して飛ぶにしたって、惑星があるなら恒星もある。
 何処でも星系の中心は恒星、目指す座標は其処でなくても。
(パイロットだったら、星の中の旅…)
 前のハーレイもそうだったから、と見たくなったのが夜空の星たち。
 ひときわ明るく輝く惑星、ソル太陽系の幾つかの星。
 それを除けば、空にある星は恒星ばかり。地球から遠い恒星もあれば、近いものだって。
 ちょっと見たい、と窓の向こうを覗いてみたのに…。


 一つも見えなかった星。
 雲がすっかり覆ってしまって、月の光さえ見当たらない空。
 何処かに月はあるのだろうに、ほんの小さな欠片でさえも。
(んーと…)
 雲が切れたら少しくらい、と暫く見上げていたけれど。
 星を見ようと待ったのだけれど、一向に切れてくれない雲。
(明日の予報は、晴れだったのに…)
 天気予報ではそうだったけれど、予報は外れてしまうのだろうか?
 空は気まぐれ、天気予報が当たらない時も珍しくない。晴れの予報が外れる時も。
(…雨になっちゃうの?)
 分かんないよ、と雲を眺めても読めない天気。
 ハーレイだったら、「俺の勘だと…」と雲で予報をしてくれるのに。
(雲だけじゃないらしいけど…)
 風の具合や、空気が含んでいる湿気。
 そういったものを雲と照らし合わせて、天気を読むのが今のハーレイ。
(…もうパイロットじゃないものね…)
 航路設定も関係無いし、と閉めたカーテン。星を見るのは諦めた。
 「今夜は、星もお休みみたい」と。
 毎晩ピカピカ光り続けたら、星たちだって疲れるだろう。
 来る日も来る日も、夜空の上でよそゆきの顔で光っていたら。
(ぼくだって、制服は学校だけ…)
 一日中、ずっと制服だったら、きっと疲れてヘトヘトになる。「脱いじゃ駄目?」と。
 家で着る服に着替えたいよと、服が駄目ならパジャマでも、と。
(ホントにくたびれちゃうよね、きっと)
 前の自分は常にソルジャーの衣装を着けていたのだけれども、今からすれば信じられない。
 マントまで着けているのが普通だったなんて、普段着は何処にも無かったなんて。
(前のぼくだと、色々、特別…)
 今とは時代が違うんだから、とベッドの端にチョコンと腰掛けた。
 「今のぼくなら、制服は学校だけだもんね?」と。


 学校へ行く時だけの制服、家では普段着。
 眠る前にはパジャマに着替えて、のんびり過ごしていられるのが今。
 そういう暮らしに慣れているから、夜空の星だって休みたいだろうと考える。
 毎晩光り続けているより、たまには休み。
 雲に隠れて普段着になって、今頃はきっと休憩中。
(お休みだったら仕方ないよね…)
 学校の生徒も週末は休み、教師のハーレイも同じに休み。
 どんな仕事にも休みがあるから、夜空の星たちも今夜は休み。
 ゆっくり休んで、またピカピカと光れるように。
 夜空を見上げた人は誰でも、「今日も綺麗に光っている」と思えるように。
(お休みしないで、星が疲れてしまったら…)
 きっと綺麗に光らないよ、とチビの自分と重ねてみたり。
 疲れて寝込んで、姿が見えない星だとか。…光っていたって、うんと光が弱いとか。
(本当は、星はそうじゃないけど…)
 雲や大気の加減で変わる星の見え方、今夜も星は休みなどではないけれど。
 空を覆った雲の上なら、いつもと同じに瞬いていると分かるけれども…。
(お休みの方が楽しいもんね?)
 見えやしない、と残念がるより、前向きに。
 休みを取ったら、もっと綺麗に光るだろうと考えた方が面白い。
 星が見えないのは本当なのだし、雲を払えはしないから。
 雲の上にはある筈の星を、見ようと雲を吹き飛ばすのは無理だから。
(…前のぼくなら、出来ただろうけど…)
 遠く遥かな時の彼方で、ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。
 今と同じにタイプ・ブルーで、そのサイオンを自由自在に使いこなしていたけれど。
 メギドの炎も受け止めたけれど、雲を散らしたことなどは無い。
 白いシャングリラは、雲の海に潜む船だったから。
 アルテメシアの雲に隠れて、人類の目から逃れていた船。
 レーダーに捕捉されないためのステルス・デバイス、目視されないための雲海。
 雲は大切な隠れ蓑だし、吹き飛ばすことは出来ないから。


 そうだったっけ、と思い出したこと。
 シャングリラは雲の中にいたから、あの船から星は見ていない。
 雲海の星に着いた後には、アルテメシアに潜んでからは。
(…展望室はあったけど…)
 いつか其処から地球を見よう、と船に設けた展望室。
 白い鯨に改造する時、大きな夢を託した部屋。此処の窓から青い地球を、と。
 けれども、行けなかった地球。
 大きなガラス窓の向こうは、いつ眺めても雲の海。昼は白くて、夜は星さえ見えなくて。
(…ハーレイと何度も行ってたのにね…)
 あれもデートと呼ぶのかどうか、前のハーレイと出掛けた夜の展望室。
 二人きりで窓の側に立っては、地球に着く日を夢見ていた。
 窓の向こうに地球が見えたら、長い長い旅が終わる筈。
 旅が終われば、恋を隠し続ける日々も終わって、晴れて堂々と恋人同士。
 此処から二人で星も見ようと、きっと素敵な星空だろうと、夢を描いた地球の空。
 今は星さえ見えないけれども、いつかきっと、と。
(でも、前のぼく…)
 地球の座標も掴めない内に、尽きると分かってしまった寿命。
 どう考えても地球は見られず、それまでに消える命の灯。
 気付いてからは、展望室に行く回数も減っていたかもしれない。
 窓の向こうに地球を見られる日は来ないから。
 アルテメシアの雲海の中では見えない星空、それを見られる日も来ないから。
(…あそこで死んじゃう、って思ってたから…)
 諦めた、ハーレイと星を見ること。
 恋人同士になる前だったら、二人で何度も眺めたのに。
 漆黒の宇宙に散らばる星たち、瞬きはしない幾つもの星を。
(恋人同士になった時には、アルテメシアに着いちゃってたから…)
 窓の向こうはいつも雲海、星は一度も見られなかった。
 ナスカには星があったけれども、眠っていたから見ないまま。
 そして自分の命は終わって、それっきり。…ハーレイと離れて、独りぼっちで。


 見ていなかった、と気付いた夜空の星。
 ハーレイと二人で見てはいなくて、夢を見ることも諦めて…。
(前のぼく、メギドで死んじゃったのに…)
 気が遠くなるような時を飛び越えて、ハーレイと青い地球に来ていた。
 二人で何度も星を見上げた、地球の夜空に輝く星を。
 ハーレイが家に来てくれた時は、見送りに出たら上にあるから。
 頭の上には空があるから、星が見える夜は目に入る。今日のように曇っていなければ。
(星は大抵、見えるから…)
 特に何とも思っていなくて、特別だったのは夏休みに外で食事した時。
 星空の下でハーレイと二人、ランプの光で食べた夕食。名月の夜にお月見だって。
(あれは特別だったけど…)
 他の日の星は、ごく当たり前に空にあるもの。
 雲に隠れて見えない時には、ハーレイに尋ねたりもする。「雨になりそう?」と。
 ハーレイは直ぐに答えてくれるし、天気予報も良く当たるけれど…。
(…ハーレイと星を見られるのって…)
 前のぼくの叶わなかった夢の一つ、と今頃になって思い当たった。
 それを夢見ていたことを。…ハーレイと二人で、地球の夜空を見たかったことを。
(当たり前すぎて、忘れちゃってた…)
 前の自分の夢のこと。ハーレイと地球でしたかったこと。
 けれど、自然に叶いすぎた夢は、きっと忘れてしまうのだろう。
 ハーレイに会ったら話したくても、一晩眠れば、もうすっかりと。
(…暗い夜だけど、星は雲の上にあるもんね…)
 今日はお休みしているだけで、と当たり前になった星空を思う。
 次に星空と出会う時には、ハーレイと二人かもしれない。
 明日は仕事が早く終わって、来てくれるかもしれないものね、と零れた笑み。
 「星も見えない暗い夜だけど、明日はきちんとあるんだから」と。
 前の自分の頃と違って、明日は必ずやって来る。
 「暗い夜だけど、ぼくは幸せ」と、「ハーレイと星を見られる世界に来たんだから」と…。

 

         暗い夜だけど・了


※ブルー君が見ようと思った星空。けれど曇りで、今夜はお休みらしい星たち。
 考える間に気付いたことが、前の自分が見ていた夢。とうに叶ってしまっていたのが幸せv







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(今夜は星一つ見えないってか…)
 真っ暗だよな、とハーレイが傾けたコーヒー。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 元から窓は無い書斎。夜空など見えはしないけれども、此処へ来る前。
(ちょいと星でも見たかったわけで…)
 ふと思い付いた気分転換、夜空の星を眺めること。
 書斎ではなくてダイニングかリビング、其処の窓辺にゆったり座って。
 それもいいな、と淹れたコーヒー。
(元がキャプテン・ハーレイなんだし…)
 たまには星が恋しくもなる、と探した腰を落ち着ける場所。
 ダイニングでもいいし、リビングでも…、と窓の側へ行ってみたのだけれど。
 どちらにしようか、まずはダイニングの窓から覗いた夜の空。
(すっかり曇っていやがって…)
 一つも見えなかった星。
 月の欠片も見えはしなくて、光を透かした雲も無かった。
(降るって予報じゃないんだが…)
 そういう予報は出ていなかったし、自分の勘も「違う」と告げる。
 帰って来た時の外の空気は、湿り気を帯びていなかったから。
 風も雨の前の風とは全く違っていた筈、天気予報が告げる通りに明日は晴れ。
 そう思うけれど、見えなかった星。月の欠片さえも。
(空ってヤツは気まぐれだから…)
 雨は降らなくても、曇ってしまう時もある。
 きっと今夜の空の気分は、晴れではなくて曇りなのだろう。
(星だって、たまに休みたいかもしれないしな?)
 いつもピカピカに気飾っていては、星も、月だって大変だろうし、今夜は休み。
 そんなトコだ、と書斎に移った。
 星を見ながらコーヒーなんだ、と淹れたマグカップを手に持って。


 今夜は星が見たかったんだが、と思ってみても始まらない。
 星も月も今夜は雲に隠れて一休み。
 明日の夜には、また美しく輝けるように。
 ゆっくり休んで疲れを癒して、冴えた光を放てるように。
(休みってことじゃ仕方ないよな)
 何処にでも休みはあるもんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
 教師の自分も週末は休みで、どんな仕事にもある休み。
 休まず営業している店でも、店員たちは交代で休みを取っているものだから…。
(星だって今日は雲に隠れて…)
 今夜は休暇。月も一緒に取っている休み。
 それを「見たい」と引っ張り出すのは我儘でしかないだろう。
 もっとも、雲を吹き払うなど不可能だけれど。…どう頑張っても出来ないけれど。
(俺の力じゃ、とても無理だぞ)
 ついでに今のあいつでも無理だ、と小さなブルーを思い浮かべる。
 前の生から愛し続けた、愛おしい人。
 生まれ変わってまた巡り会えた、かつてソルジャー・ブルーだった人。
(前のあいつなら、雲くらい…)
 一瞬で消せたことだろう。
 最強のタイプ・ブルーでソルジャー、メギドの炎も受け止めたほど。
 その気になったら、アルテメシアの雲海だって…。
(消してしまって、星空だろうさ)
 星を見上げたい夜空の分だけ、サイオンで消してしまう雲。
 蒸発させるか、何処かへ一気に吹き飛ばすのか。
 きっと出来たと思うけれども、前のブルーはしていない。
 雲はシャングリラの隠れ蓑だし、消えてしまってはならないもの。
 雲海の中に潜んでいたなら、けして人類には見付からない。
 レーダーには捉えられないステルス・デバイス、雲の中では目視も不可能。
 その大切な雲は消せない、いくらソルジャー・ブルーでも。


 前のあいつにも消せなかった、と思った雲。
 白いシャングリラは雲海の中を飛び続けていたし、窓の向こうはいつだって雲。
(展望室もあったんだがな…)
 いつか其処から地球を見よう、と夢一杯で設けた展望室。
 船を改造する時に。…白い鯨を作り上げた時に。
 けれども、其処の窓の向こうは、いつ眺めても一面の雲。
 雲海の星に潜んだ間は、昼は真っ白で、夜も星さえ無い雲の海。
(…前のあいつと何度行っても…)
 星など見えはしなかった。
 だから二人で夢を見ていた、「いつか」と「地球に着いたら」と。
 此処からも星が見えるだろうと、地球の夜空はきっと素敵に違いないと。
(そういう話をしていたっけな…)
 前のあいつと、と懐かしい人を思い出す。
 美しかったソルジャー・ブルー。誰よりも気高かった人。
 いつか二人で星を見ようと約束したのに、一人きりで逝ってしまった人。
(ナスカには星もあったんだがなあ…)
 前のブルーは深い眠りに就いていたから、星は見られずじまいになった。
 十五年もの長い眠りから覚めた時には、近付いていたナスカの滅び。
 二人で星を眺めるどころか、前の自分はキャプテンの仕事に追われ続けて…。
(見舞いにも行けやしなかったんだ…)
 ブルーがいると分かっていたって、青の間までは。
 長老たちとの公式な見舞い、その一度だけ。
 個人的には訪ねられずに、それきりになったブルーとの恋。
 ブルーはメギドに飛んでしまって、二度と戻りはしなかったから。
 二人で星を眺められる日は、もう永遠に来なくなったから。
(…だから、あいつと見ちゃいない…)
 展望室の窓の向こうに輝く星は。
 ブルーと恋に落ちた後には、ただの一度も。


 そうだったな、と気付いたこと。
 今日の自分は星を見ようと思ったけれども、前のブルーと恋をした頃は…。
(アルテメシアにいたもんだから…)
 展望室の窓の向こうは雲ばかり。昼も、星たちが輝く夜も。
 だから余計に地球を夢見た、ブルーと二人。
 「地球に着いたら、沢山の星が見えるだろう」と。「青い地球を見て、星も見よう」と。
 ブルーと見てはいない星空。
 恋人同士になった時には、もう星空は無かったから。
 シャングリラは宇宙を飛んでいなくて、瞬かない星すら見えなかったから。
(…今じゃ、あいつと何度も見てるし…)
 すっかり忘れちまっていたな、と苦笑い。
 ブルーの家を訪ねた時には、いつも夕食を御馳走になって帰るもの。
 仕事の帰りならば車で、週末で天気がいい日だったら、自分の二本の足で歩いて。
(あいつ、見送りに出て来るから…)
 星があったら目に入る。頭の上には夜空なのだし、雲に隠れていなければ。
 夏休みには星空の下で食事もした。名月の夜は、二人で月見も。
(前の俺たちの夢の一つは…)
 ごくごく自然に叶いすぎちまって、有難味も何も無かったらしい、と可笑しくなる。
 きっとブルーも気付いていないし、思うことさえ無いだろう。
 「今は二人で星を見られる」と、「これが二人で見る地球の空」と。
 もし気付いても、その時限り。
 一晩眠れば忘れてしまって、会った時にも忘れたまま。
(俺だって、そうなるに決まってるよな?)
 今日まで気付きもしなかったのだし、星が見えない夜も幾つもあったから。
 小さなブルーと二人で見上げて、「曇ってるな」と星が無いのを確かめたことも。
 星は当たり前にあるものだから。
 夜空を仰げば其処にあるもの、見慣れてしまった景色の一つ。
 雲に隠れて休みでなければ、星は幾つも輝いていると。


 あまりにも当たり前になってしまった、夜には星が見えること。
 小さなブルーが外まで送って来てくれた時は、二人で星を見上げること。
(玄関を出たら、つい見ちまうし…)
 星が見えたら、いい天気。
 曇って星が見えない時には、ブルーに尋ねられたりもする。
 「雨になるの?」と空を指差して、「星が一つも見えないよ」と。
 今の自分の天気予報は良く当たるから、ブルーから飛んで来る質問。
 それに応えて「そうだな…」と仰ぐ、星の無い空。
 風の具合や、空気の湿り気なども併せて、「明日は晴れるぞ」とか、「雨かもな」とか。
 何度も交わした、そういう会話。
 星は見えない暗い夜でも、和やかに。
(前のあいつと一緒だった時は…)
 展望室から暗い外を眺めては、地球を夢見た。「いつか行こう」と「星を見よう」と。
 ブルーの寿命が残り少なくなった後には、消えてしまった星を見る夢。
(展望室に行くことだって…)
 回数が減っていたかもしれない。
 ブルーは地球まで行けはしないし、二人で地球を見ることもない。
 展望室の窓の向こうに、夢を描けはしないから。
 青い地球も、夜空に輝く星も、ブルーは見られないのだから。
(…そうなるとだ…)
 今の俺たちは幸せだよな、とコーヒーのカップを指で弾いた。
 今夜のように星が見えない暗い夜でも、明日の話が出来るのだから。
 「天気はどう?」と小さなブルーに訊かれて、天気予報もしてやれるから。
(…あいつも俺も、未来ってヤツがあるからなあ…)
 明日といえども未来なんだ、と零れる笑み。
 星が見えない暗い夜でも、明けたら明日がやって来る。
 明日はあいつに会えるといいなと、仕事の帰りに会いに行けたら幸せだよな、と…。

 

        暗い夜でも・了


※星を見ながらコーヒーなんだ、と思ったハーレイ先生。けれど、残念なことに曇り空。
 お蔭で気付いた、ブルー君と星を見られる幸せ。当たり前すぎて気付かないのも今ならでは。






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(ハーレイ、来てくれなかったよ…)
 来てくれるかと思ったのに、と小さなブルーが零した溜息。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 今は学校の教師のハーレイ、仕事が早く終わった時には家を訪ねて来てくれる。
 そしたら二人で、この部屋でお茶。
 窓際に据えたテーブルと椅子で、のんびりと。
 それから両親も一緒の夕食、幸せな時間を過ごせるけれども、今日はハーレイは来なかった。
 「来てくれるかな?」と待っていたのに、チャイムが鳴るのを待ったのに。
(…会議か、柔道部なのかは知らないけれど…)
 寂しいよね、と嘆いてみたって始まらない。
 今日という日は、時間だけなら幾らか残っているけれど。
 日付が変わる時間までには、充分に余裕があるのだけれども、とうに夜。
 こんな時間にハーレイは来ないし、チャンスがあるなら明日のこと。
 明日、学校から帰って来たなら、今日と同じに待つのだろう。
 「ハーレイが来てくれるといいんだけれど」と。
 勉強机の前に座って、あるいは窓から下を見下ろして。
 庭の向こうに見える生垣、庭と道路を隔てる緑。
 茂った枝葉の間を透かして、別の緑が見えないかと。
 前のハーレイのマントの色と同じ緑の、ハーレイの愛車。
 それが来るのが見えはしないかと、門扉の所に長身の影が立たないかと。
(…明日、ハーレイが来るにしたって…)
 今から何時間あるの、と壁の時計を見上げて悲しくなってくる。
 まだまだハーレイに会えはしないし、その時間までには学校だって。
(学校でも、会えないことはないけど…)
 会えるのは「ハーレイ先生」だしね、と思い始めたらきりが無い。
 どんどん寂しくなってゆくだけで、この時間からハーレイに会えはしないから。


 これじゃ駄目だ、と気分を切り替えることにした。
 ハーレイのことを考えるのはやめて、もっと素敵に過ごそうと。
 眠る前には楽しいことをと、そうすれば夢もきっと素敵、と。
(えっと…)
 何がいいかな、と立ち上がって出掛けた本棚の前。
 新しい本は買っていないし、今までに読んだ本の中から何か一冊選ばなければ。
(…シャングリラの写真集は駄目…)
 好きだけれども、ハーレイを余計に思い出すだけ。
 白い鯨だったシャングリラ。今は写真集の中にしか残っていない船。
 あの船で前のハーレイと暮らして、恋をしていた。
 ハーレイが船の舵を握って、前の自分が船を守った。
 そういう二人が恋仲だなどと、仲間たちに知れたら船の中は上手く回りはしない。
 だから懸命に恋を隠して、最後まで隠し続けたまま。
 前の自分も、前のハーレイも、誰にも言わずにその生を終えた。
 そうして地球に生まれ変わって、また巡り会えた二人だけれど…。
(まだ一緒には暮らせないし…)
 恋をしているとも明かせない。
 今の自分は十四歳にしかならない子供で、結婚することも出来ないから。
 ハーレイが訪ねて来てくれるのを、今か今かと待っているだけ。
(このシャングリラの写真集だって…)
 教えてくれたのはハーレイだけれど、二人一緒に見られはしない。
 ハーレイが家に来てくれなければ、二人で広げてページをめくるのは無理だから。
(…ハーレイだらけの本だしね?)
 同じ写真集をハーレイが先に買っていたから、「お揃いだよね」と思う写真集。
 お気に入りでも、今は選びたくない気分。
 ページをめくれば、ハーレイのことを思い出すから。
 「今日は来てくれなかったよ」と。
 明日は会えればいいんだけれど、と寂しい気分を拭えないから。


 この本は駄目、と切り捨てたのが白いシャングリラの写真集。
 父に強請って買って貰った豪華版。
(見たいけれども、ハーレイしか浮かんで来ないから…)
 他のにしよう、と本棚を端から順に眺めて、一冊選んで取り出した。
 中身をすっかり覚えている本、けれど大好きな物語。
 何処から読んでも、何処で終わっても、話はきちんと繋がるから…。
(もうちょっとだけ、って夜更かししたりはしないしね?)
 此処で終わり、と本を閉じても、話の続きは頭の中。
 どういう風に続いてゆくのか、考えながら眠りに落ちたら、素敵な夢も見られそう。
 物語の世界の中に入って、其処で暮らしている自分。
 運が良ければ、主人公にだってなれそうだから。
(それが一番…)
 ハーレイのことばかり考えてしまう世界から、本の中にある世界に旅立つ。
 きっと今頃は、ハーレイもそう。
 コーヒーでも淹れて、書斎に座って、本の世界を旅していそう。
(…ダメダメ、今はハーレイは抜き…)
 考えちゃったら溜息ばかり、と本を手にして戻ったベッド。
 横になって読むか、ベッドに座るか、少し迷って座る方にした。
 腰掛けていたら、「早く寝なくちゃ」と思うから。
 眠くなるまで頑張りはせずに、「此処でおしまい」と本を戻しに行く筈だから。
(夜更かししちゃうと、身体に悪いし…)
 明日の朝に具合が悪くなったら、行けなくなってしまう学校。
 両親に「寝ていなさい」と言われて、母が学校に欠席の連絡をしてしまって。
(そしたら、学校でハーレイに会えない…)
 そんなの困る、と頭の中身はまたハーレイ。
 どう転がってもハーレイばかりで、消えてくれない恋人の顔。
(それが困るから、本なんだってば…!)
 ハーレイは此処まで、とベッドに腰を下ろして開いた本。
 別の世界に旅をしようと、ハーレイのことを忘れたいならそれが一番、と。


 本を広げて、旅に出掛けた別世界。
 直ぐに入り込んで、アッと言う間に其処の住人。
 ページをめくれば次から次へと、色々なものが見えてくる。
 景色も、其処で暮らす人々も、主人公の姿も、その世界に流れている時間も。
(…この森を抜けたら…)
 川の直ぐ側に、小さな家が建っていて…、と分かっていたってワクワクするもの。
 物語というのはそうしたものだし、ページをめくってゆきたくなる。
 文字を追いながら、ぱらりとめくって旅をする。
 本の中にだけ流れる時間を、本の中にだけ広がる世界を。
 そうやって夢中で読んでいる内に、本の世界と一体になっていたのだけれど…。
「あっ…!」
 何のはずみか、膝から滑り落ちた本。
 たちまち世界は消えてしまって、床の上に本が落ちているだけ。
(落っことしちゃった…)
 大失敗、と本を拾って、ページが折れたりしていないかを急いで確認。
 幸い、本は落っこちただけで、何処も傷んでいなかった。
 良かった、とホッと安心したけれど。
(…もうこんな時間…)
 そろそろ寝なきゃ、と壁の時計に教えられた時間。
 別世界の旅は此処でおしまい、続きは今度、思い付いた時に。
 ページをめくればいつでも行けるし、物語だってすっかり覚えているんだから、と。
(夢の中で続き、見られるといいな…)
 続きでなくても、本の中の世界に行けるといいな、とパラパラと繰ってみたページ。
 魔法みたいに別世界に行ける、本に書かれた文字を読むこと。
 こうやってページをめくるだけで…、と読まずに次々めくっていたら…。
(…ぼくの手だよね?)
 これ、と気付いたページを繰る手。
 本をオモチャにしているかのように、ページをめくり続ける手は。


 見慣れた今の自分の手。
 十四歳の子供に似合いの、大人のものとは違った手。
(…ぼくの手だけど…)
 今のぼくの手、と見詰めてしまった小さな手。
 素敵な世界へ旅をした自分、本の世界で過ごしたけれども、其処への旅は…。
(…この手がページをめくってくれて…)
 中へどうぞ、と連れて行ってくれた本の中にある別世界。
 文字を追いながら、無意識の内に指でめくっていたページ。
 自分では何も考えなくても、少しも意識しなくても。
 「めくってよ」と指に、手に、何も頼みはしなくても。
 「早くめくって」と命じなくても、流れるように動いてくれた手。
 本を落っことしてしまうまで。
 膝の上から滑り落ちた本が、床の上で閉じてしまうまで。
(…ぼくは、なんにも考えてなくて…)
 ハーレイのことを考え続けているよりは、と本の世界に飛び込んだけれど。
 其処で楽しく過ごしたけれども、本の世界に入らせてくれて、其処にいさせてくれたのは…。
(ぼくの手だよね…?)
 この手、と本を膝の上に置いて考える。
 小さな右手と、左の手と。
 ページをめくっていた手は右手で、左手はそのお手伝い。
 右手がページをめくりやすいよう、横で助けてくれていた。
 どちらの手にも、自分は指示などしていないのに。
 「本を読ませて」とも、「ちゃんとページをめくってよ?」とも一度も言いはしないのに。
(勝手に動いて…)
 ぼくを連れてってくれていたよ、と鮮やかに蘇る本の中の世界。
 右手も左手も、チビの自分を別世界に飛ばせてくれたけれども…。


(…ぼくの手、とっくに…)
 失くした筈、とキュッと握った右手。
 前の自分が死んだ時には、その手が冷たく凍えたから。
 最後まで持っていたいと願った、右手に残ったハーレイの温もり。
 それを失くして右手は凍えて、前の自分は死んだのに…。
(…ぼくの手、小さくなっちゃったけど…)
 ちゃんと今でもあるんだから、と瞬かせた瞳。
 ハーレイに会えなくて寂しいから、と思ったら本の世界にも旅立てた。
 その手を使って、今の今まで。…本を床へと落っことすまで。
(…またハーレイと繋がっちゃった…)
 振り出しに戻っちゃったみたい、と思うけれども、零れた笑み。
 今の自分は幸せだから。
 本のページをパラパラめくって、別の世界にも旅してゆける。
 ハーレイが来てくれなかった日は、寂しいからと。
 そういう旅をさせてくれる手、この小さな手は「ぼくの手だよね?」と。
 いつか大きくなった時には、きっとハーレイと繋げる手。
 自分はちゃんと生きているから、本のページをめくれる手だってあるのだから…。

 

         ぼくの手だよね・了


※ハーレイ先生が来てくれなかった日の夜、本の世界に逃げ込んだブルー君ですけれど。
 本をめくる手は、前の自分が失くした筈の手。いつかハーレイと繋げる手を持っている幸せv






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(おっと、そうだった…)
 忘れない内に書いておかんと、とハーレイが手に取ったペン。
 ブルーの家には寄れなかった日に、夜の書斎で。
 コーヒー片手の寛ぎの時間、ふと思い出した今日の新聞。
(大したことじゃないんだが…)
 いずれネタにも出来るだろう。
 古典の授業をしている最中、生徒に聞かせてやる雑談。
 集中力を取り戻させようと、色々なことを持ち出すのが常。
 授業とはまるで関係なくても、古典と関係しなくても。
(ちょっとした授業のコツってヤツで…)
 劇的に戻る、教室の生徒の集中力。
 大笑いしたり、「本当ですか?」と驚いたりして、その後はきちんと前を向く。
 居眠りしかけていた生徒だって、吹っ飛んでしまうのが眠気。
(あれをやるには…)
 ネタも大切、とメモに書き付けた。
 新聞にあったコラムの一部で、記事を切り抜くほどでもない。
 元の情報、それを自分は知っているから。
 ただ、実際に見て来た人の話ともなれば、切り口が違う。
(ネタにする時は、話の仕方も大切なんだ)
 最初の一言、それだけで変わる教室の生徒の食い付き具合。
 いつかこのネタを使う時には役に立つ、と書いたメモ。
 こうして一度書いておいたら、忘れない。
 メモが何処かへ行ってしまっても、頭の何処かに入るから。
 ただ新聞を読むのと違って、「書く」という作業が挟まるから。


 よし、と眺めたメモの文字。
 ほんの一行、新聞の中身はその一行だけ。
 元の文章と同じかどうかも怪しいけれども、自分が納得すればいい。
 後は添え書き、「ネタに使える」と。
 此処が肝だと思う部分に、丸印だってつけたりして。
(うん、これでいいな)
 書いただけでも充分だけれど、日を置いてからまた見返したら、もう完全に自分のもの。
 一度忘れて思い出したら、けして忘れはしないから。
 そういう作業に似合いの場所が、引き出しの中。
 何気なく開けてメモを見付けたら、「そうだったな」と眺めるもの。
 「ネタに使えると思ったんだ」と、そのために書いておいたのだった、と。
 だから引き出しに仕舞ったメモ。
 日記を入れている場所とは違って、便箋などを収めた引き出し。
 パタンと閉めて、またコーヒーに戻ったけれど。
 愛用のマグカップを傾けたけれど、目に入ったのが机の羽根ペン。
 白い羽根ペンは、誕生日にブルーがくれたもの。
(あいつの予算の分だけだがな…)
 生まれ変わってまた巡り会えた、愛おしい人。
 十四歳にしかならないブルーは、まだまだ子供で小遣いも少ないものだから…。
(…羽根ペンを買うには金が足りなくて…)
 それでも誕生日に贈りたいから、と小さな頭を悩ませていた。
 ブルーの気持ちは良く分かったし、「二人で買おう」と決めた羽根ペン。
 大部分は大人の自分が支払い、ブルーは小遣いから出せる分だけ。
(小遣いの一ヶ月分だったっけな)
 ブルーに「はい」と渡された封筒、一ヶ月分のお小遣い入り。
 もちろん使ってはいない。
 今も机の引き出しの奥に、大切に仕舞い込んである。
 「ブルーに貰った羽根ペン代」と、封筒にきちんと書き添えて。


 その羽根ペンにもすっかりと慣れて、日記を書くのに使うのだけど。
 ペン先をインク壺に浸して、ゆっくりと文字を綴る時間が好きだけれども…。
(今は使わなかったっけな)
 ただのメモだし、と改めて見詰めた羽根ペンと側のインク壺。
 授業に使う雑談のネタを書くだけの作業、それに羽根ペンはもったいないぞ、と。
(しかしだな…)
 そう思ったから、持ったわけではなかったペン。
 ごくごく普通の何処にでもあるペン、机の上のペン立てからヒョイと手に取った。
 メモも机の上にあるのを一枚破り取っただけ。
 それに書き付けて引き出しへヒョイと、今日でなくてもよくやること。
 「忘れない内に書かないと」と、「でないと忘れちまうしな?」と。
 自然に動いた自分の手。
 「メモに羽根ペンはもったいない」と思わなくても、勝手にペンを持っていた。
 いつもそうしていることなのだし、特に変でもないけれど…。
(…そいつが俺の手なんだよな?)
 考えなくても普通のペンを選ぶのが、と見詰めた右手。
 羽根ペンの方にも慣れたけれども、あれは自分には「特別なペン」。
 ブルーがプレゼントしてくれたペンで、日記を書くのに使うだけ。
(後は、大切な手紙くらいか…)
 古くからの友人に手紙を書こう、と思った時には使ったりもする。
 レトロな羽根ペンも気に入っているし、心がこもるように思うから。
(だが、それ以外で書くとなったら…)
 今やったように、右手が自然と動き出す。
 ペン立てから取り出す普通のペン。
 わざわざインクに浸さなくても、スラスラと書ける便利なペン。
 それにしよう、と選ぶのが右手、自分が命令しなくても。
 「今日はこっちだ」と考えなくても、右手はペンを持っている。
 羽根ペンとは違う、普通のペンを。
 インク壺などは必要としない、とても便利で楽に書けるペンを。


 慣れているから、当然のこと。
 羽根ペンの方が後から来た上、恋人からの贈り物。
 日記を書くのと、「これには是非」と思う時しか使わないペン。
 手だって充分承知しているし、メモを書くのに持つのなら…。
(あっちのペンになるんだが…)
 何も不思議はないのだけれども、ああいったペン。
 インク壺さえ必要としない、羽根ペンではないペンを選ぶ手が…。
(俺の手なんだ…)
 そうなるんだな、と右手を広げて、キュッと握って、また広げてみる。
 何度かそれを繰り返しながら、思ったこと。
「俺の手だよな?」と。
 羽根ペンは特別なペンだから、と普通のペンを選んだ手。
 自分が指示を下さなくても、何も考えはしなくても。
(うーむ…)
 前の俺だと、こうじゃなかった、と苦笑い。
 遠く遥かな時の彼方で、キャプテン・ハーレイだった頃。
 航宙日誌を綴った机の上には羽根ペン、今あるのと似た白いペン。
 側にはインク壺もあったし、あの机で何か綴るなら…。
(まずは羽根ペン、そんな感じだ)
 馴染み深かったペンは羽根ペン、書類にサインする時もそれ。
 普通のペンもあったけれども、常に出してはいなかった。
 前の自分の机の上には、無かったペン立て。羽根ペンを立てておくものしか。
(必要な時には、普通のペンをだ…)
 引き出しから出していたのが前の自分。
 羽根ペンよりはこっちだろう、と選んでいたのが普通のペン。
 馴染んでいたのは、白い羽根ペンだったから。
 たかがメモでも、羽根ペンを使って書いていた。
 「これが好きだ」と、「手に馴染むから」と。


 そうしていたのがキャプテン・ハーレイ、それも確かに自分だけれど。
 羽根ペンは今も好きなのだけれど、メモを書くなら普通のペン。
 考えなくても、手の方でそれを選ぶから。
 「これでどうぞ」とペン立てから取って、サラサラと書いてくれるから。
 見た目だけなら、その手は何処も変わらないのに。
 前の自分が持っていた手と、まるで変わりはしないのに。
(俺の手には違いないんだが…)
 ずいぶんと変わってしまったようだ、と驚かされる自分の手。
 「俺の手だよな?」と、まじまじ眺めてしまうほど。
 この手が勝手にペンを取ったぞ、と思わず観察してしまうほど。
 前の自分が持っていた手なら、サッと羽根ペンを取っただろうに。
 「忘れない内に書いておこう」と、羽根ペンの先をインク壺に浸していたろうに。
(…生まれ変わって別人だしなあ…)
 記憶が戻るまでは違う人生を歩んでいたし、と右手に教えられた今。
 小さなブルーと巡り会うまで、羽根ペンが欲しいと思ったことさえ無かった自分。
 愛用のペンはあったのだけれど、そのペンの中にはナスカの星座があったけれども…。
(人生の違いが手に出るってか?)
 握ってたものも違うんだしな、とシャングリラの舵輪を考えてみる。
 あれを握って舵を取ったのが前の自分で、今の自分はせいぜい車のハンドルくらい。
 仲間の命を預かる代わりに気ままにドライブ、そういう人生。
 他の誰かを乗せて走っても、命懸けではなかった日々。
 そういう暮らしをして来た手だから、同じ手でも色々違うのだろう、と。
(一事が万事で…)
 どのペンを自然に選び出すかと同じ理屈で、他にもあるだろう違い。
 直ぐには思い付かないけれども、全く別の人生だから。
(それでも俺の手だよな、これが)
 今はこいつが似合いなわけで…、と零れる笑み。
 平和な時代に生まれて来たから、今はこいつでいいらしい、と。
 いつかブルーが前と同じに大きくなったら、デートの時には手を繋ぐしな、と…。

 

        俺の手だよな・了


※メモを書く時は、羽根ペンではないハーレイ先生。便利なペンを勝手に選んでいる手。
 キャプテン・ハーレイだった頃とは、まるで違っているのが今。平和な時代に似合いの手v






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(今日はハーレイ、来てくれなかったし…)
 古典の授業も無かったし、と小さなブルーが零した溜息。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 そのハーレイが仕事の帰りに寄ってくれたら、天にも昇る心地だけれど。
 もう嬉しくてたまらないけれど、寄ってはくれなかった今日。
 おまけに古典の授業も無かった。
 今のハーレイは古典の教師で、授業のある日は教室で会える。
(学校じゃ、先生と生徒だけれど…)
 それでもハーレイの姿が見られて、大好きな声も聞けるのが授業。
 運が良ければ「ブルー君!」と、当てて貰える時だって。
 質問されたら気分は最高、教科書を音読するだけにしても…。
(ハーレイ、こっちを見てくれるから…)
 他の授業より、ずっと張り切るのが古典の時間。
 けれども今日は古典は無しで、明日もやっぱり無いわけで…。
(…ハーレイ、明日も会えないかも…)
 学校でも、ぼくの家でも駄目かも、と悲しい気持ち。
 古典の授業が無い日の学校、そういう時だとハーレイに会えても挨拶程度。
 ツイていたなら、ほんの少しの立ち話。
 それでおしまい、たったそれだけ。
 もっとハーレイの側にいたいのに、姿を眺めていたいのに。
 今は補聴器を通さずに聞ける、あの温かな声だって、もっと。
(…なんで古典の授業も無いわけ?)
 ホントに酷い、と眺めた壁のカレンダー。「あんまりだよ」と。
 今日の日付けが此処だから…、と意地悪なカレンダーを睨むしかない。
 次に古典の授業がある日は此処なんだから、と。


 なんとも悲しい、今日という日と、それから明日と。
 古典の授業は明後日まで無くて、明日もハーレイが家に来てくれなかったら…。
(明後日までは会えないまま?)
 立ち話が出来たらマシな方なの、とカレンダーを見ていてハタと気付いた。
 「今日は何日だったっけ?」と。
 確かにこの日、と頭から思っていたけれど。
 日付も曜日も合っているのだと、すっかり信じていたけれど。
(…今日の宿題…)
 帰って直ぐにやった宿題、それを出したのは歴史の先生。
 歴史の宿題が今日出たのならば、今日の曜日は…。
(嘘…!)
 間違えちゃってた、と今になって気付いた勘違い。
 宿題をせっせとやっていた時は、ちゃんと覚えていた筈なのに。
 もちろん学校から帰った時にも、曜日も日付も勘違いしてはいなかったのに。
(何処で間違えちゃったわけ…!?)
 信じられない、とベッドから下りて駆けて行った勉強机の所。
 明日も学校に持って行く鞄、その蓋を開けて驚いた。
(…やっちゃってる…)
 もう間違えていたんだよね、と分かる証拠がその中に。
 「明日は古典の授業は無いよ」と思った通りに、きちんと詰められた教科書やノート。
 古典の教科書も、ノートも入っていないのだけれど…。
(ハーレイの授業、あるってば…!)
 ぼくが間違えちゃっただけ、と慌てて引っ張り出す中身。
 「この教科書は要らないから!」と、「このノートだって要らないよ」と。
 間違えていた時間割。
 いったい何処で勘違いしたか、曜日を先へ飛び越えていた。
 二日続けて古典の授業が無い所まで。
 まだその曜日は来てもいないのに、自分の頭の中だけで。


 大慌てで直した時間割。
 きちんと古典の教科書を入れて、それにノートも。
(…危なかったよ…)
 もう少しで忘れて行く所、と情けない気分。
 明日はハーレイの授業があるのに、もしも気付いていなかったなら…。
(学校に着いて、鞄を開けて…)
 どの段階で気付くのだろうか、自分が犯した間違いに?
 全く違った教科書やノート、それを揃えて学校に来てしまったことに。
(早く気付けばいいけれど…)
 朝のホームルームが終わった後にも、まるで気付いていなかったならば大惨事。
 一時間目は教科書が無くて、隣の席の子に頼んで見せて貰うしかない。
 ノートを取るのも、その授業のは持って来ていないわけだから…。
(他の科目のノートに書くしか…)
 方法が無くて、そうやって書いた授業のノートは、家でもう一度書いて写すか…。
(ノート、破って貼り付けるか…)
 それ以外には無い方法。
 しかも午前中はそういう授業ばかりで、古典の授業もその一つ。
 他のクラスへ教科書を借りに走って行こうにも…。
(…時間、足りないかも…)
 教科書を忘れたことが無いから、何処のクラスへ行けばいいのか分からない。
 同じ日に古典の授業がある筈のクラス、それがサッパリ分からないから。
(誰か、仲間がいたらいいけど…)
 忘れたから、と借りに走ってゆく生徒。
 救いの神にも見える先達、それがいたなら「あのクラスだ」と駆け込んでゆけばいいけれど。
 誰でもいいから、顔馴染みの生徒を捕まえればそれで済むけれど。
(…借りに行く人、誰もいなかったなら…)
 順に入って訊くしかない。
 「古典の教科書、今日は持ってる?」と。
 持っているなら貸して欲しいと、家に忘れて来てしまったから、と。


 そうやって順に尋ねて回って、無事に借りられたらいいけれど。
 間に合ったならばいいのだけれども、古典の授業があるクラスの子が…。
(体育だとか、調理実習…)
 別の場所へと移動していたら、教科書はもう借りられない。
 まっしぐらに其処を目指していたなら、借りられたかもしれないのに。
 他のクラスで「教科書、持ってる?」と訊いたりしないで、直ぐに行ったら。
(…凄くありそう…)
 運が悪すぎる巡り合わせ。
 古典の教科書が手に入らないままで、鳴ってしまうだろう授業のチャイム。
 じきにハーレイがやって来るのに、持ってはいない古典の教科書。
 隣の席の生徒に見せて貰うより他に無い上に…。
(ハーレイ、絶対、気が付くから…)
 きっと側まで見にやって来る。
 教科書を忘れた間抜けな生徒は、いったいどちらの席なのかと。
 二人で一冊、その教科書の広げ方。
 教科書の持ち主はどちらなのかと、隣に迷惑をかけている馬鹿は誰なのかと。
(…見に来られたら、直ぐにバレちゃう…)
 平気なふりを装っていても、きっとハラハラしている自分。
 「どうしよう…」と、「全部バレちゃうよ」と。
 古典のノートも持っていないし、違う科目のノートだから。
 それを広げて書いているだけ、他のページをパラリとめくってみたならば…。
(…古典なんか、何処にも書いていなくて…)
 まるで違った中身のノート。
 どんなに堂々と振舞いたくても、それでは無理。
 ハーレイもきっと見抜くだろうから、「見せてみろ」とノートに手を伸ばすだろう。
 そして中身をパラパラ眺めて、「いい度胸だな?」と声が降ってくる。
 「俺は古典の教師なんだが」と、「いつから別の教科の教師になったんだ?」と。
 そう言った後は、チクチクと嫌味。
 「そっちの授業の方がいいなら、この時間だとあのクラスだな」とか。


 前にやられた生徒を見たから、どうなるのか知っている末路。
 ハーレイの授業で教科書とノートが無かったら…。
(…何組に行け、って叱られちゃって…)
 授業が終わるまで針の筵で、質問が幾つも飛んで来る。
 「おい、其処の馬鹿!」と名前も呼ばずに、教科書の別の箇所から質問。
 今、広げてはいないページに書かれた言葉や、注釈などや。
 「教科書があれば分かるだろ?」と。
 「隣に迷惑かけちゃいかん」と、「それをめくらずに直ぐに答えろ」と。
(…なんとかなるとは思うけど…)
 今日までにやった箇所ばかりだから、自分なら切り抜けられると思う。
 詰まりながらでも、辛うじて。「それはこうです」と、なんとか正解。
 けれど、教科書を持っていないのは本当だから…。
(…うんと恥ずかしくて…)
 おまけに相手はハーレイなのだし、いたたまれない気分なのだろう。
 どうして教科書を忘れたのかと、ノートも忘れて来たのかと。
(…そうならなくてホントに良かった…)
 忘れちゃう前に気が付いたしね、と鞄に詰めてある教科書とノート。
 危うい所だったけど。
 カレンダーを睨んでいなかったならば、忘れて出掛けただろうけど。
(もしもハーレイが今日、来てくれてたら…)
 大満足で眠った筈だし、鞄の中身を間違えたなんて思いもしない。
 明日、学校に行くまでは。
 学校に着いて鞄を開いて、教科書を出そうとするまでは。
(大失敗…)
 もうちょっとでハーレイの前で大恥、と思ったけれど。
 学校で赤っ恥はもちろん、ハーレイが家に来てくれた時も多分、叱られそうだけど。
(…今だからそれで済むだけで…)
 前は違った、と掠めた思い。
 遠く遥かな時の彼方で生きた頃には、違ったと。


 白いシャングリラで暮らした時代。
 前のハーレイと恋をしていた頃には、失敗など出来はしなかった。
 ミュウの箱舟を守るためには、仲間たちの命を守るためには。
(…前のぼくが守り損なったら…)
 白いシャングリラは沈んでしまって、誰一人として助からない。
 もちろん前のハーレイだって。
(…失敗、一度もしなかったけど…)
 それはそのように生きていたからで、毎日が真剣勝負の日々。
 青の間でのんびりしてるようでも、張り巡らせていたのが思念の糸。
 何か起きたら、直ぐ分かるよう。
 いつでも飛んでゆけるようにと、けして失敗しないよう。
(…だけど、今だと失敗したって…)
 赤っ恥だけで済むみたい、と浮かんだ笑み。
 ハーレイの授業で赤っ恥など嫌だけれども、今はそれで済む時代だから。
 失敗したって、大恥だけで済む時代。
 白いシャングリラは沈みはしないし、仲間たちの命を失くしもしない。
 ハーレイにチクチク嫌味を言われて叱られた後は、笑い話でおしまいだから…。

 

        失敗したって・了


※ブルー君が勘違いして鞄に詰めた教科書やノート。まるで別の日の時間割で。
 危うく古典の教科書も忘れるトコでしたけど…。今は大失敗をしても、笑い話で済む時代v








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