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歩いてゆける地面

(まるで古典の世界だな)
 生憎と今は真っ昼間だが、とハーレイの顔に浮かんだ笑み。
 真っ昼間どころか、まだ午前中。
 今の季節は夜明けが早いから、もう充分に日は高いけれども。
 明るい太陽が照り付ける下を歩いて、ブルーの家へ。
 小さなブルーが待っている家へ向かう途中で笑みが零れた、まるで古典の世界のようだと。


 今の自分は古典の教師で、白いシャングリラとは何の縁も無くて。
 遠く遥かな昔に地球の小さな島国で書かれた物語なぞを教えているけれど。
 その物語の中で恋人の家に、こうして歩いてゆくとなったら。
(あれは普通は夜なんだ…)
 恋が実る前は、昼間もせっせと出掛けるけれど。
 どんな女性かを一目見ようと、あれこれ努力を重ねるけれど。
 そうして恋が実った後には、訪ねてゆくなら日が落ちる頃。
 恋人と二人、互いの想いを語り合うために、一夜の逢瀬を過ごすために。


 それとは全く逆の時間に、ブルーの家へと歩いてゆく自分。
 まるで逆様な日の高い時間、それでも恋人の家を目指すことには違いない。
 しかも歩いて、さながら古典の世界に出てくる恋をしている男のように。
 今の時代は車もあるのに、路線バスだってあるというのに。
(だが、歩くのが好きなんだ)
 こういう晴れた日は歩きたい。
 歩いてゆきたい、ブルーの家まで。
 アッと言う間に着いてしまう車、そんなものより自分の足で。
 二本の足で地面を踏み締め、足取りも軽く歩きたい。


(走って行っても着けるんだがな?)
 今の自分には、少しも大した距離ではないから。
 柔道と水泳で鍛えた身体は、根っから運動向きだから。
 ジョギングも好きで、今でも走る。
 自分の家からブルーの家まで、何ブロックもあるのだけれども、軽い距離。
 走って行っても充分に着ける、ブルーは驚くだろうけど。
 「走って来たの!?」と赤い瞳を真ん丸にして。
 信じられないと、ぼくには無理だと、きっと仰天するだろうけれど。


 そう、本当に大したことはない、小さなブルーの家までの距離。
(百夜通えと言われても…)
 軽々と通える、気にもしないで。
 何の負担にもなりはしなくて、いい運動になると走って。
 百夜だろうが、夜の代わりに昼間に百日だろうが。


 遠い昔の日本の伝説、百夜通いの男の伝説。
 恋した女性に「百夜通って来てくれたなら」と条件を出されてしまった男。
 百夜目に倒れて辿り着けなくて、恋は実らず、命も落としたと伝わるけれど。
 自分だったらそうはならない、きっと通える、ブルーの家に。
 頑丈な身体に生まれたから。
 雨が降ろうが、雪が降ろうが、苦にもしないで走れる身体に。


(うん、本当に頑丈だってな)
 前の自分も、ミュウの中では頑丈で丈夫な方だったけれど。
 耳が聞こえなかったことを除けば、何も不自由は無かった身体。
 口の悪いゼルには「無駄にデカイんじゃ!」などと言われた、大きかったから。
 群を抜いて大きかった、背も、肩幅も。
 その頃と同じに丈夫に生まれて、今では耳も普通に聞こえて。
 ついでにしっかり鍛え上げたから、百日だって走ってゆける。
 何ブロックも離れたブルーの家まで、百日だろうが、百夜だろうが。


 もっとも、せっせと走ったとしても、百日通い続けたとしても。
 今の小さなブルーの家ではどうにもならない、実らない恋。
 十四歳にしかならないブルーは、まだまだ幼すぎるから。
 恋をしていても子供は子供で、自分の手には入らない。
 もっと大きく育たなければ、前のブルーと同じ背丈にならない限りは、ただ通うだけ。
 通ってブルーの部屋で話して、それだけの逢瀬なのだけど。
 抱き締めることは出来てもキスは出来なくて、二人で過ごせるだけなのだけれど。
 それでも行きたい、ブルーの家まで。
 こんな晴れた日は歩いて出掛けて。


 運動も兼ねてと、今日も歩いて出て来たけれど。
 走って行っても着ける距離だと、百日でも百夜でも軽く通えると思ったけれど。
(ん…?)
 待てよ、と眺めた足の下。
 軽々と走ってゆける距離だと、百日だって楽に通えると思った道筋。
 いつもこうして歩いているから、ブルーの家へ向かう日以外も、二本の足で歩くから。
 まるで気付いていなかったけれど、その足の下にあるものは…。


 地面なのだ、と胸にこみ上げて来た感慨。
 前の自分の足の下には無かった地面。
 白いシャングリラの中に地面は無かった、船ごと宙に浮いていた。
 アルテメシアの雲の海やら、漆黒の宇宙空間やら。
 そういった場所に浮かんでいた船、そこに地面があるわけがなくて。
(前のあいつの部屋へ行くにも…)
 通路を歩いた、地面ではなくて。
 前の自分が歩いた道筋、ブルーの許へと通った道筋。
 そこに地面は一度も無かった、ただの一度も。


 前の自分は何も思わず、そこを歩いていたけれど。
 白いシャングリラの通路を歩いて、青の間へ通っていたけれど。
 今の自分はそうではなかった、地面の上を歩いていた。
 小さなブルーの家へゆこうと、今日も歩こうと、走っても行ける距離なのだと。
(おまけに地球だぞ…!)
 地球の地面だ、と足元を見詰めて、トンと地面を蹴ってみて。
 前のブルーと二人で行きたいと願い続けた、青い地球の地面を確かめてみて。


(最高だ…!)
 この地球の上を歩いてゆける。
 蘇った青い地球の上を歩いて、小さなブルーの家までゆける。
 前の自分たちの間には無かった地面を、それを歩いてブルーの家まで。
 走ってだってゆける、地球の上を。
 小さなブルーが待っている家へ、その気になれば走ってだって。


 なんと幸せなのだろう。
 足の下に地面を、青い地球の地面を踏んでゆけるということは。
 ブルーの家まで地面が続いて、その上を歩いて出掛けてゆけるということは。
(もう、こうなったら、千日だって…)
 百夜どころか、百日どころか、千日だって通える気がする。
 雨が降ろうが、雪が降ろうが、ブルーの家まで、地面を踏んで。
 青い地球の地面を二本の足で歩いて、あるいは走って、千日だって。


 もういくらでも歩けそうだし、走れそうな気もするけれど。
 地球の地面を踏んで歩いて、踏み締めて走って、百日どころか千日だって。
 それは最高に幸せな気分、小さなブルーの家に着いたら話してやりたいと思ったけれど。
 地球の地面を踏んで歩ける、幸せな今を語ってやろうと思ったけれど。
(…どう話すんだ?)
 うっかりポロリと、百夜通いの話などをしてしまったら。
 「俺なら百夜くらいは軽く通える」などと豪語してしまったら…。


(あいつ、絶対、調子に乗るんだ…!)
 小さなブルーの輝く瞳が見える気がした、「通って来てよ」と。
 「ぼくの家まで百日通って」と強請るブルーが、小さなブルーが。
 本当に自分のことを好きなら百日通って、と無邪気な笑顔を向けそうなブルー。
 「少しくらいは遅くなってもかまわないから、毎日、晩御飯を食べに来てよ」と。


 それは非常にマズイから。
 時間のやりくりはどうにかなっても、ブルーの母に迷惑をかけてしまうから。
(遅くなりましたが、って晩飯時に行けるものか…!)
 いくら小さなブルーの頼み事でも、ブルーの母が「どうぞ」と言っても、百日は無理。
 百夜通いはとても出来ないから、現実の壁が立ちはだかるから。


(黙っておこう…)
 地球の地面を歩いて通える幸せのことは黙っておこう。
 青い地球の上を、地面を踏んでの通い路となれば、千日だって通えるけれど。
 そうでなくても、ブルーの家ならいくらでも通えそうだから。
 今は幼い恋人の家でも、いくらでも歩いてゆけるから。
 愛おしい人が待っているだけで、百日だって、千日だって。
 そう、何日でも歩いて通えそうだし、走ってだって今の自分は充分通ってゆけるのだから…。

 

       歩いてゆける地面・了


※ブルー君の家まで、走っても楽々と行けるらしい丈夫なハーレイ先生。
 おまけに地球の上での道のり、目指すはブルー君の家。きっと千日でも楽勝ですねv





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