(わあっ…!)
焼き立てのスコーン、と小さなブルーは顔を輝かせた。
学校から帰って、おやつの時間。
母が焼いてくれたホカホカのスコーン、温かい内が美味しいから。
冷めたスコーンも悪くないけれど、塗ったクリームが溶け出すほどのが最高だから。
もうワクワクとテーブルに着いた、いつもの椅子に腰掛けた。
熱い紅茶をコクリと一口、それからスコーン。熱々の焼き立てをパカリと割った。
二つに割ったら中は熱くて、ホワンと熱気。オーブンの熱が残った内側。
ジャムを乗っけて、それからクリーム。
生クリームとバターの中間みたいな、濃くてコクのあるクロテッドクリームをたっぷりと。
クロテッドクリームを先に塗ったら、スコーンの熱でバターみたいに溶けるから。
溶けてしまうから先にジャムを塗って、その上にクロテッドクリームを乗せて。
そういう食べ方も好きだけれども、たまには逆の気分にもなる。
まずはクリーム、熱で溶けるのも気にせずクリーム。
クロテッドクリームの味がしみ込んだスコーンにジャムを塗っても、また美味しい。
今日はそっち、とクロテッドクリームを塗り付けた。
熱でたちまちとろけるクリーム、その上にジャム、と思ったけれど。
母が用意していたイチゴのジャムより、今日はブルーベリーのジャムな気分で。
クリームを塗る前にジャムの瓶を取って来ておくべきだった、と向かったキッチン。
冷蔵庫の中にブルーベリーのジャムが入っている筈で…。
(…あれ?)
見当たらない、と冷蔵庫の中を見回した。
イチゴのジャムの瓶が無いのは分かる。テーブルの上に出ていたから。
スコーンに好きなだけつけられるように、母は瓶ごと出してくれていたから。
冷蔵庫の中、アプリコットのジャムはあるけれど。
リンゴのジャムもあるのだけれども、ブルーベリーのジャムが無い。
昨日の朝には食べた筈なのに、トーストに塗って食べたのに。
そういえば、昨日の朝に見た時。
ブルーベリーのジャムは残り少なくて、「また買わなくちゃ」と言っていた母。
あれから後に瓶は空になって、それきりになってしまったろうか?
今朝のトーストはバターで食べたし、ジャムの瓶はチェックしなかった。
父か母かが食べてしまって無くなったろうか、ブルーベリーのジャムの残りは?
ならばこっち、と開けていないジャムなどを置いておく棚を覗いたけれど。
(…此処にも無いの?)
ブルーベリーのジャムは無かった、冷蔵庫にも、新しい瓶の棚にも。
見当たらないものは仕方ないから、こうする内にもスコーンが冷めてしまうから。
イチゴのジャムでもかまわないや、とダイニングの元の椅子へと戻った。
まだ温かいスコーンにイチゴのジャムをたっぷり、頬張ってみれば満足の味。
スコーンにしみ込んだクロテッドクリームの味とイチゴのジャムとのハーモニー。
けれども、やっぱり…。
(ブルーベリーのジャム…)
そっちの気分だったのに、と惜しい気がする、思ってしまう。
ブルーベリーのジャムがあったら最高だったと、イチゴよりも、と。
そういったことを考えながらも、焼き立てのスコーンを味わっていたら。
もう一個食べようと、そっちはジャムを先に塗ろうかと考えていたら。
「食べ過ぎちゃ駄目よ?」と通り掛かった母に言われた。
いくら美味しくても二つまでよと、三つも食べないでちょうだいと。
「うん、分かってる」
次のでおしまい、と答えた所で、ブルーベリーのジャムを思い出したから。
もしかしたら買ってあるかもしれないと、母が何処かに置いたのかも、と思ったから。
「ママ、ブルーベリーのジャムを知らない?」
あれでスコーンを食べたいんだけど、と尋ねてみたら…。
ごめんなさいね、と謝った母。
買い物に行くのにメモを忘れたと、ジャムを買い忘れてしまったのだと。
「帰ってから思い出したのよ。明日でもいいと思ったんだけど…」
まさか欲しいとは思わなくて、と母が謝ってくれるから。
スコーンを焼いてしまったことまで、申し訳なさそうな顔をしているから。
「ううん、イチゴのジャムでもいいよ」
焼き立てのスコーンは美味しいから、と笑顔で返した。
ブルーベリーのジャムで食べるのは次の時でいいと、今日はイチゴのジャムでいいよと。
(…ママに悪いことしちゃったかな?)
ブルーベリーのジャムが欲しいと言ったばかりに、母に謝らせてしまったから。
きっと明日には買い物メモに書かれて、ジャムは戻って来るのだろうに。
無かったことなど嘘だったように、ブルーベリーのジャムが詰まった瓶が。
まるで買い置きがあったかのように、ちゃんと冷蔵庫か棚の何処かにあるのだろうに。
(…ぼくって、我儘?)
イチゴのジャムはあったというのに、ブルーベリーのジャムだと言って。
それで食べたかったと欲張りを言って、母を困らせてしまったようで。
けれども、不意に掠めた記憶。
遠い遠い昔、時の彼方のシャングリラ。前の自分が暮らしていた船。
あそこでは言えはしなかった。
用意して貰った料理を眺めて、この味よりも別のがいいとは、それが食べたいとは。
出来上がる前なら言えたけれども、出来てしまったら言えない我儘。
まして船では切らしているものを欲しいとは言えない、けして言えない。
そんな事態は滅多に無かったけれども、大抵は上手くいっていたから。
食料は充分に足りていたのだし、余程でなければ、切れることはなくて。
(…そっか、ぼくのは我儘だけど…)
母が買い忘れたブルーベリーのジャム、それを探した自分は我儘だったけれども、それも幸せ。
あれが足りないと、あれが欲しいと言える分だけ、前の自分よりもずっと幸せ。
その幸せに気が付いたから。
食べ終えた後で、キッチンの母に「御馳走様」とお皿やカップを返して、心の中で呟いた。
「ブルーベリーのジャムを買い忘れてくれてありがとう」と。
忘れられた買い物のお蔭で気付いたと、ぼくはとっても幸せだよ、と。
あれがいいとか、これが食べたいとか、言ってもかまわない世界。
そこに生まれたことが幸せ、ぼくはとっても幸せだから、と…。
忘れられた買い物・了
※おやつの時間のブルー君。ブルーベリーのジャムな気分だったみたいですけど…。
シャングリラだったら言えない我儘、それが幸せ。イチゴのジャムでも幸せなのですv