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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(今日も握って貰ったんだけど…)
 とても温かかったけれど、と小さなブルーが眺めた右手。
 ハーレイが訪ねて来てくれた日の夜、お風呂上がりにパジャマ姿で。
 一人、ベッドにチョコンと座って。
 その手を温めてくれていた人は、とうに帰ってしまったから。
 温かくて大きな手の持ち主は、自分の家へと帰ったから。
 「またな」と軽く手を振って。
 いつも右手を温めてくれる、その手で別れの合図をして。
 ハーレイの家は何ブロックも離れた所で、手を伸ばしても届かない。
 温かい手は此処には無くて、何ブロックも離れた所。
(今頃は、きっと…)
 コーヒーを満たしたマグカップを持っているのだろう。
 取っ手にしっかり指を通して、握っているのはマグカップ。
 そうでなければ、白い羽根ペン。
 日記を書こうと、インクに浸して。
 恋人のことなど書いてくれない日記を、航宙日誌を書くかのように。
 中身はせいぜい今日の天気と、出掛けていたということくらい。
 「ブルーの家へ」と書いてはくれずに、「生徒の家へ」と。
(…どうせ、そういう書き方なんだよ…)
 恋人どころか名前も書かずに、「生徒」とだけ。
 前のハーレイの航宙日誌もそうだったっけ、と零れる溜息。
 「俺の日記だ」と決して読ませてくれなかったから、あれこれ想像していた中身。
 けれども、前の自分との恋は微塵も書かれていなかった。
 だから今度の日記も同じで、書かれはしない恋のこと。
 今日も二人で過ごしていたのに、右手も握って貰ったのに。


 恋人同士で手を握り合うのとは少し違った、右手を握って貰うこと。
 前の自分の悲しすぎた最期、それを和らげて貰うこと。
 起こってしまったことは変わりはしないけど。
 時の彼方に戻れはしないし、最期は変えられないけれど。
(でも、悲しくて辛かったんだよ…)
 前の自分が失くしてしまった、右手に持っていたハーレイの温もり。
 最後まで持っていたいと願って、それを貰って行ったのに。
 別れ際に触れたハーレイの左腕から、そっと。
 この温もりを持っていたなら、自分は一人ではないのだと。
 けれど、落として失くしてしまった。
 青い光が溢れるメギドの制御室で。
 キースに撃たれた傷の痛みで、それに耐えるのが精一杯で。
(気が付いた時には、失くしちゃってた…)
 最後に右の瞳を撃たれて、真っ赤に塗り潰された世界で。
 半分だけになった視界が戻った時には無かった温もり。
 ハーレイとの絆は切れてしまって、独りぼっちになっていた自分。
 最後まで一緒の筈だったのに。
 右手の温もりをしっかりと抱いて、永遠に眠る筈だったのに。
(前のぼく、泣いて…)
 泣きじゃくりながら死んでしまった、独りぼっちで。
 もうハーレイには二度と会えないと、死よりも恐ろしい絶望の中で。


 それで終わりで、前の自分は消えたのに。
 奇跡のように貰った新しい命と、新しい身体。
 青く蘇った水の星の上で。
 ハーレイと二人、青い地球の上に生まれ変わって、また巡り会えた。
 絆は切れてしまっていなくて、恋の続きが始まったけれど。
 幸せな日々が訪れたけれど、消えてくれない悲しい記憶。
 右手が凍えたメギドでの最期、だからハーレイに強請ってしまう。
 「温めてよ」と右手を差し出して。
 大きな褐色の手で握って貰って、その温もりで包んで貰う。
 前の自分が持っていた温もり、それは微かなものだったのに。
 ハーレイは制服を纏っていたから、その腕から貰った温もりだから。
(ほんのちょっぴりだったんだよ…)
 本当に僅かだった温もり、けれど大切だった温もり。
 貰ったものより遥かに温かく、頼もしく感じられた温もり。
 「此処にハーレイがいるんだから」と。
 一人ではないと、ハーレイも一緒なのだから、と。
(ちょっぴりでも、とても温かかった…)
 温かくて大切だったのに、と今でも思い出せる悲しみ。
 失くしてしまって、独りぼっちで泣きながら死んだ時の悲しみ。
 だからハーレイに強請ってしまう、「温めてよ」と。
 今日も強請って、貰った温もり。
 温かくて幸せだった時間を過ごして、お茶を飲んだり、食事をしたり。
 そしてハーレイは帰ってしまった、「またな」と軽く手を振って。
 何ブロックも離れた所へ、あの温かな手を連れて。


(今は、羽根ペンかマグカップ…)
 それが独占しているのだろう、ハーレイの手を。
 此処にあった時は、「温めてよ」と強請れば右手を優しく握ってくれたのに。
 優しく包んでくれていたのに、あの手は帰って行ってしまった。
 ハーレイと一緒に家に帰って、今は羽根ペンかマグカップの面倒を見ているのだろう。
 自分はポツンと置いてゆかれて、独りぼっちになったのに。
 両親がいる暖かな家でも、ハーレイは此処にいないのに。
(温めて欲しくても、あの手は無くて…)
 羽根ペンかマグカップに盗られてしまった、温かな手を。
 いつも温もりを分けてくれる手、好きでたまらない恋人の手を。
(いいな、マグカップは…)
 それに羽根ペン、と羨ましくなるハーレイの持ち物。
 ハーレイの家で一緒に暮らして、あの手で握って貰える物たち。
 他にも幾つも、幾つもある筈。
 新聞はその日限りの付き合いだけれど、本なら何度も手に取るだろうし…。
(お皿も、フォークも…)
 ハーレイの温もりを貰い放題、あの手を独占し放題。
 出番となったら、何度でも。
 自分のようにポツンと置いてゆかれはしなくて、ハーレイが帰って来る家で。
 留守にしていても、ちゃんと帰って来る家で。
(いいな…)
 羨ましいな、と思い浮かべる本やお皿や、フォークやスプーン。
 ハーレイの家にあるというだけで、何度も握って貰えるのだから。
 大きなあの手で、温かくてがっしりしている手で。


 羨ましい羽根ペンやマグカップたち。
 ハーレイの家で暮らす物たち、どれもハーレイに握って貰える。
 日記を書こうとしたなら羽根ペン、コーヒーを飲むならマグカップ。
 食事をするならお皿やフォークで、本を読むなら、その日のお供をする本が。
(羽根ペンとかマグカップになりたいよ…)
 いつでも握って貰えるんだもの、と眺めた自分の小さな右手。
 ハーレイに置いてゆかれた手。
 この家に置き去りにされてしまって、羽根ペンたちがハーレイと一緒。
 「お帰りなさい」とハーレイを迎えて、日記を綴る役に立ったり、熱いコーヒーを満たしたり。
 フォークやスプーンも、明日の朝にはきっと出番がやって来る。
 あの大きな手に握って貰って、ソーセージやマーマレードを運んで。
(ぼくの手は握って貰えないのに…)
 ハーレイの家に、自分は出掛けてゆけないから。
 前と同じに育つまでは駄目で、行っても入れては貰えないから。
 羨ましくてたまらない物たち、ハーレイの家に住む物たち。
 マグカップも、羽根ペンも、色々な本も。
 フォークもスプーンも、それにお皿も。
(ホントにいいな…)
 いつもハーレイと一緒に暮らして、握って貰える色々な物。
 自分は「またな」と置いてゆかれて、一人ポツンと座っているのに。
 ハーレイと一緒に帰りたくても、連れて帰っては貰えないのに。
(ぼくの手、握って欲しいのに…)
 昼間みたいに温めてよ、と心でどんなに呼んでみたって、いないハーレイ。
 何ブロックも離れた所で、他の何かを握っているから。
 羽根ペンだとか、マグカップとかを。


(いいな、羽根ペン…)
 それにマグカップ、と思った所で気が付いた。
 今は離れて暮らしているから、右手を握って貰えないけれど。
 羽根ペンやマグカップにハーレイの手を盗られたけれども、きっといつかは…。
(ぼく、ハーレイと暮らすんだよね?)
 前と同じに育ったら。
 結婚出来る年になったら、ハーレイと結婚するのだから。
 そしたら自分も、今の羽根ペンやマグカップたちと同じにハーレイの家に住む。
 「お帰りなさい」とハーレイを迎えて、抱き付いてキスも出来る筈。
 右手を握って貰うどころか…。
(一緒に食事で、一緒に眠って…)
 身体ごと抱き締めて貰えるのだった、その時が来たら。
 ハーレイは羽根ペンやマグカップたちよりも、自分の方を選んでくれる筈だから。
(ぼくとコーヒー、どっちが大事、って…)
 尋ねた途端に、「お前に決まっているだろう!」と返って来そうな答え。
 たとえ相手が日記でも。
 「どっちが大事?」と訊いたなら。


 きっといつかは、あの大きな手を独占できる時が来る筈。
 羽根ペンよりも、マグカップよりも、大切に握って貰えそうな右手。
 もう何年か経ったなら。
 ハーレイと一緒に暮らす時が来たら。
(それに、家だけじゃなくて…)
 外でも握って貰えるのだろう、「温めてよ」と強請らなくても。
 手を繋いで二人でデートする時は、今よりもずっと幸せな気持ちで…。
(右手、握って貰えるよね?)
 ハーレイと並んで歩くんだから、と胸がじんわり温かくなる。
 早くその日が来るといいなと、いつも右手を握って貰って二人一緒に歩くんだもの、と。
 あの手で握って貰えるのならば、右手でなくてもかまわない。
 右手だろうが、左手だろうが、キュッと握ってくれるなら。
 そんな気持ちさえしてくる不思議。
 「右手でなくてもかまわないよね」と、「握ってくれる手はどっちでもいいよ」と。
 きっとその頃には、右手に残った悲しみも消えて、幸せ一杯だろうから。
 ハーレイと二人で並んで歩いて、二人一緒に暮らすのだから…。

 

        握って欲しい手・了


※羽根ペンやマグカップが羨ましくなったブルー君。いつもハーレイに握って貰えるから、と。
 でも、結婚したら握って貰い放題になるのがブルー君の右手。幸せな未来が待ってますv





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(あいつの手…)
 ずいぶん小さくなっちまった、とハーレイが眺めた自分の手。
 ブルーの家へと出掛けて来た日に、夜の書斎で。
 今日もブルーが「温めてよ」と強請った右手。
 前の生の最後に冷たく凍えた、小さな右手。
(俺の温もりを失くして凍えた時には…)
 小さくなかった筈なのに。
 手の持ち主はソルジャー・ブルーだったから。
 遠く遥かな時の彼方で、前の自分が愛していた人。
 気高く美しかった恋人、生まれ変わって小さなブルーになった人。
(もっと大きな手だったよなあ…)
 自分のように、武骨な手ではなかったけれど。
 前の自分の記憶の中では、小さくて華奢な手なのだけれど。
(だが、あいつよりは大きい手なんだ)
 それは間違いないことだ、と言い切れる。
 十四歳にしかならないブルーは、まだ子供。
 まだまだ幼い顔と同じで、手だって柔らかな子供の手。
 前のブルーとは小ささが違う、華奢な手と幼い手とでは違う。
(俺が若けりゃ、違ったのか?)
 今のブルーとそっくりだった、アルタミラで初めて出会ったブルー。
 成長を止めていたブルー。
 あの頃は自分も若い姿で、青年の姿だったから。
 そういう姿で今のブルーに出会っていたら、と考えたけれど。
(…手の大きさは変わらんか…)
 俺の方の、と苦笑い。
 年を取ってはいなかっただけで、もう充分に大人だったのが当時の自分だったから。


 自分の方の手の大きさは、前の生から変わらない。
 青年だったか、今と同じに中年の姿だったかの違い。
(もっと年寄りになってたんなら、同じあいつの手でもだな…)
 また感覚が違っただろうか、今のブルーの手を握ったら。
(ゼルやヒルマン並みの年寄りだったら…)
 皺だらけの手で前のブルーの手を取っていたら、今の小さなブルーの手は…。
(孫みたいなもんかな、可愛らしくて)
 ちょっと握ってみたかった、と浮かんだ考え。
 どんなに愛らしい手なのだろうか、老いた手で握るブルーの手は。
 愛くるしくて無垢な笑顔そのまま、日だまりのように暖かだろうか。
 「温めてよ」とブルーが差し出してくる手、それは冷たくないのだから。
 ブルーが温もりを恋しがるだけで、けして冷えてはいないのだから。
 たまに、本当に冷たい時もあるけれど。
 「どうしたんだ?」と驚かされることも、時によってはあるけれど。
(大抵は温かい手をしてるしな?)
 孫みたいな手を握れたら、きっと幸せだろう。
 「俺のブルーが帰って来た」と思う気持ちも、ひとしおだろう。
 こんなに小さな紅葉のような手、孫かと思うくらいの手。
 やっと帰って来てくれたのだと、これから大きく育つんだな、と。
 小さなブルーが育つのを待つ、その楽しみも大きいだろう。
 「今はこんなに小さいんだが、いずれ大きく育つんだしな?」と。
 前のブルーと同じ姿に、気高く美しい人に。


(皺だらけの手で、あの手をなあ…)
 いいだろうな、と広がる想像。
 年を取るのは嫌いではないし、小さなブルーと出会わなかったら…。
(まだまだ年を取っていたんだ)
 ゼルやヒルマンほどになったかどうかは分からないけれど、きっと重ねただろう年齢。
 だから孫のようなブルーの手も取ってみたい、叶うものなら。
 どんな感じか、キュッと握って。
 「小さな手だな」と、「柔らかいな」と。
 そうして菓子を握らせてやって…、と夢を膨らませていたのだけれど。
(待てよ…?)
 皺だらけの手で、小さなブルーの手を握る夢。
 今は絶対に出来はしないこと、今よりも年を取るということ。
(あいつ、怒るぞ…)
 年を取るのはやめる、と約束したのだから。
 前の自分とそっくり同じな今の姿を、このまま保ち続けるために。
 なのに自分が年を取ったら、ブルーは間違いなく怒る。
 「なんてことをしたの!」と、「元には戻れないんだよ!」と。
 それに自分もきっと困ってしまうのだろう。
 孫のようなブルーは可愛いけれども、結婚となったらどうなることか。
 年の差が大きすぎるカップル、二人で街を歩いたとしても…。
(爺さんと孫にしか見えないよな?)
 ブルーが前と同じに育ったとしても、自分がゼルやヒルマン並みの年寄りならば。
 手を繋いで仲良く歩いていたって、祖父と孫にしか見えないだろう。
 ちゃんと結婚したというのに、祖父と孫。
 それは駄目だ、と自分でも分かる。
 分かっているから止めた年齢、前の自分と同じ姿で。
 ブルーの方はチビだけれども、まだまだこれから育つのだけれど。


 小さなブルーの小さな手。
 孫のような手を握りたいけれど、一度握ってみたいけれども。
(出来やしないぞ、どう考えても)
 せめて前の俺の感覚だけでもあったなら…、と違う方へと向かった思考。
 今の自分が皺だらけの手になれないのならば、前の自分にそういう記憶、と。
(あいつの手が小さくなっちまったことは分かるんだから…)
 ちゃんと引き継がれている記憶。
 キャプテン・ハーレイとして生きていた頃の、時の彼方の記憶と感覚。
 前の自分が皺だらけの手を持っていたなら、それを頼りに想像出来る。
 その手でブルーの手を握ったらと、今のブルーの愛らしい手をどう感じるかと。
(そっちだったら、あいつも別に怒りはしないし…)
 夢を見るのも俺の勝手だ、と改めて眺めた自分の手。
 今は年相応だけれども、皺だらけだったらどんな風かと。
(こんな具合に、こう皺が寄って…)
 そういう手を持っていたならなあ…、と前の自分に思いを馳せた。
 ゼルやヒルマンと肩を並べて年を取ったら、そんな手になっていたろうに、と。
 皺だらけの手を持っていたのだろうし、その感覚を今に活かせる。
 あの手でブルーの手を取ったならと、きっと可愛くて柔らかいんだ、と。
(この手で握るより、ずっと…)
 愛おしいのに違いない。
 なんと愛らしい手で戻って来たかと、生きて帰って来てくれたのかと。
 生まれ変わりでも、ブルーは帰って来たのだから。
 新しい身体と命を貰って、今の自分と生きてゆくために。
 いつか大きく育った時には、自分と結婚するために。
 その幸せが何十倍にも、何百倍にも膨らみそうなブルーの手。
 孫のような手を実感出来たら、あの小さな手を握れたら。


 けれど、生憎と持っていないのが皺だらけになった手の記憶。
 前の自分は年を重ねはしなかったから。
 今と変わらない姿で止めてしまった年齢、皺だらけの手は持っていなかった。
 ゼルやヒルマンたちのお蔭で、容易に想像出来るだけ。
 「こんな風だな」と、「こうなるだろう」と。
 せっかくブルーが愛らしい手で帰って来たのに、どうやら握れないらしい。
 前の自分の記憶と感覚、それを重ねて「可愛い手だ」と。
 孫のようだと、なんと柔らかな手なのだろうか、と。
(俺にもお楽しみってヤツがだ…)
 あればいいのに、と零れた溜息。
 小さなブルーの手を握る時は、充分、幸せなのだけれども。
 メギドで凍えた記憶を秘めた手、それを温めてやっている時は。
 それでも今夜は欲張ってしまう、夢を描いてしまったから。
 年老いた手でブルーの手を握ったらと、きっと幸せが何百倍にも、と。
 幸せも、それに愛おしさも。
 「本当に帰って来てくれたんだ」と、「俺のブルーだ」と。
 皺だらけの手で握れたら。
 孫のように思える小さな右手を、その感覚で手に取れたなら。


(なんだって、前の俺はだな…)
 もう少し年を取らなかったんだ、と思った所で気が付いた。
 青年ではなかった前の自分だけれども、前のブルーと育んだ恋。
 白いシャングリラで二人、恋をして、こうして生まれ変わったけれど。
 青い地球の上で出会ったけれども、前の自分が年寄りだったら。
 ゼルやヒルマンのように年を重ねていたなら、ブルーとの恋はあったのだろうか?
 気高く美しかったブルーと、年老いた自分との恋は。
(どうだったんだ…?)
 恋は出来たと思うけれども、想いを寄せるだけだったとか。
 自分だけがブルーに恋をしていて、ブルーは振り向きもしなかったとか。
(…俺が年寄りだと…)
 あったかもしれない、そういうことも。
 皺だらけの手はともかく、年老いた顔で、すっかり白髪。
 もしかしたら禿げていたかもしれない、ゼルと同じに綺麗サッパリ。
 そんな自分がブルーに恋を打ち明けてみても、ブルーの方は…。
(ありがとう、と答えるだけでだな…)
 キスさえくれなかったとか。…くれても、額か頬にだったとか。
(それは大いに困るんだが…!)
 一方通行で片想いの恋、ブルーの方では笑みを返してくれるだけ。
 「ぼくも好きだよ」と言ってくれても、友情からのキス程度。
 その可能性に思い至った、皺だらけの手から。
 小さなブルーの孫のような手、それを握れたらと夢見たせいで。
(…あの手は握りたいんだが…)
 皺だらけの手で、と思うけれども、あまりに危険すぎるから。
 ブルーとの恋まで壊れそうだから、夢に留めておくべきだろう。
 前の自分がブルーに振り向いて貰えなかったら、今の幸せは無いのだから。
 小さなブルーの小さな右手を、温めてやることも出来ないから…。

 

        握ってみたい手・了


※孫のような手を握ってみたい、と思ってしまったハーレイ先生。皺だらけの手で。
 叶ったら幸せなんでしょうけど、ブルー君との恋が壊れそう。夢に留めて下さいねv





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「駄目よ、グレイブ!」
 そっちへ行っちゃ、とブルーの耳に届いた声。
(グレイブ?)
 マードック大佐、と直ぐにピンと来た英雄の名前。
 SD体制が崩壊した時、地球を救った偉大な軍人。
 グランド・マザーが指示を下した、メギドによる地球の破壊を阻止して。
 乗っていた船ごと体当たりをして沈めたメギド。
 歴史の授業で必ず教わる、グレイブ・マードック大佐の名前。
 写真も教科書に載っているから、今の自分も知っている顔。
(えーっと…?)
 グレイブは何処、と振り返った学校からの帰り道。
 路線バスを降りて家まで歩く途中で、この近所には…。
(グレイブって名前の子供、いないよ?)
 きっと遊びに来た子供だろう、友達の家か親戚の家に。
 母に連れられて、バスか徒歩かで。
 グレイブは直ぐに見付かったけれど。
(……嘘……)
 ちっとも似てない、と驚かされた幼い男の子。
 眼鏡なんかはかけていないし、髪の色だって全く違う。
 どちらかと言えばサムなのでは、と思うくらいに似ていない子供。
 けれど、母の声も聞かずに走ってゆく子の名前はグレイブ。
 何度も「グレイブ!」と呼んでいる母、「平気だもーん!」と走るグレイブ。
 とうとう派手に転んでしまった、バランスを崩してアッと言う間に。
 平気どころか、後は大泣き。「痛いよ」と「ママ」と、そればっかりで。


 凄いグレイブだったんだけど、と帰り着いてからも思い出し笑い。
 制服を脱いで着替える間も、おやつを食べる間にも。
(マードック大佐って、あんな子だったわけ…?)
 まさかね、と可笑しくなってくる。
 伝説の英雄は、教育ステーションにいた時代からエリートだったらしいから。
 さっき出会ったような子供だと、エリートコースに入るどころか…。
(ジョミーみたいに叱られてばかりで、メンバーズなんて…)
 夢のまた夢、と前の自分の記憶を眺める。
 ジョミーもああいう子供だったと、小さい頃からその片鱗が、と。
(さっきのグレイブ…)
 いったい誰の趣味なのだろうか、父親か、それとも母親か。
 マードック大佐のファンも少なくない時代。
 正義漢だったマードック大佐、おまけに女性に優しくもあった。
 彼に最後までついていった女性がいたほどに。
 メギドに突っ込むと分かっていた船、其処に残ったパイパー少尉。
 そんな具合だから、子供に「グレイブ」と名付けたい親もいるだろう。
 マードック大佐にあやかって。
 強い子供に育って欲しいと、あるいは強くて優しい子に、と。
 さっきの子供がどちらなのかは分からないけれど。
(でも、グレイブ…)
 似てもいないのに、あの子はグレイブ、と零れる笑み。
 どちらかと言えばジョミーなのにと、きっとそういう風に育つよ、と。
 もっとも、ジョミーにも全く似てはいないのだけれど。
 ジョミーよりかはサムに似た子で、金髪ですらもなかったけれど。


 面白いよね、と戻った二階の自分の部屋。
 勉強机に頬杖をついて、思い浮かべたさっきのグレイブ。
(中身はジョミーにそっくりな子でも…)
 あの子の名前はグレイブのまま。
 学校で「ジョミー」と渾名が付こうが、本名はグレイブなのだから。
 クラスのムードメーカーになるような子に育ったって、名前はやっぱりグレイブのまま。
(グレイブらしくしろよ、って言われるんだよ)
 きっと学校の先生に。
 ジョミーが叱られていた先生よろしく、入った学校の先生に。
(ハーレイだったら、どう言うのかな?)
 あのグレイブが育った生徒が、受け持ちのクラスに来たならば。
 ジョミーみたいにヤンチャばかりで、叱る立場になったなら。
(おいこら、そこのマードック大佐、って…)
 言いそうだな、と思ったハーレイ。
 キャプテン・ハーレイだったことなど隠したままで、澄ました顔で。
 「規律違反だ、軍法会議モノだな、それは」と、「軍法会議は今は無いがな」と。
 それでも軍法会議にかけるぞ、と笑って脅かしそうなハーレイ。
 「次の成績表が楽しみだよな?」と、「軍法会議は俺が開く」と。
 如何にもやりそうなのがハーレイ、生徒の名前がグレイブならば。
 「軍人だったら大人しくしろ」と、「成績、下げて欲しいのか?」と。
 平和になった今の世界に、軍人などはいないのに。
 軍法会議もありはしなくて、歴史かドラマの世界なのに。


(ハーレイがやったら、威厳たっぷり…)
 なにしろキャプテン・ハーレイにそっくりだから。
 キャプテンの制服を着ていないだけで、顔も髪型もそのままだから。
(人類軍じゃなくって、ミュウだけれども…)
 あの時代の偉い人間だったことに変わりはないから、「軍法会議」と言っても似合う。
 今のハーレイがそれを開いた結果が、さっきの子供の成績でも。
 叱られてばかりの生徒のグレイブ、彼の古典が酷い評価になったとしても。
(キャプテン・ハーレイにやられちゃったら仕方ないよね)
 きっと反省するのだろうし、新学期は頑張ることだろう。
 軍法会議にかけられないよう、成績が元に戻るよう。
(グレイブ、ハーレイには気を付けてね?)
 いつかハーレイに教わるのなら、と心で呼び掛けた幼いグレイブ。
 帰り道で出会った男の子。
 あの子のお蔭で面白かったと、想像の世界が広がったよ、と思ったけれど。
 ハーレイだったら、軍法会議も似合いそうだと考えたけれど。
(ちょっと待ってよ…?)
 マードック大佐に似ていない子がグレイブだったら、似たようなことは多いのだろう。
 自分は出会っていないけれども、まるで似ていないジョミーやキース。
 ヒルマンやゼルもいるかもしれない、憧れる人はいるのだから。
 博識なヒルマンや、器用だったゼルに。
 似合わない名前がついている子供や、大人が大勢いるのだったら…。
(ハーレイだって…)
 違う名前になっていたかもしれない。
 キャプテン・ハーレイに瓜二つなのに、もっと平凡な普通の名前。
 前の生と同じウィリアムなんかはまだマシな方で、マイケルだとか。
 ジェイムズやニールや、アーチーなんかも。


(ハーレイじゃなくて、ニールにアーチー…)
 それはちょっと、と愕然とさせられたハーレイの名前。
 前と全く同じ姿でも、名前がマイケル。
 ジェイムズだったり、ニールだったり、アーチーだったり。
(どれもハーレイじゃないんだけれど…!)
 ウィリアムですらもないんだけれど、と当てはめてみた恋人の名前。
 前の自分は、ウィリアムの名前でハーレイを呼びはしなかった。
 最初にハーレイが名乗った名前は、「ウィリアム」の方ではなかったから。
 ハーレイ自身も、滅多にそちらを口にしたりはしなかったから。
(たまにヒルマンが呼んでたくらいで…)
 誰もが「ハーレイ」と呼んでいた世界。
 前の自分もそう呼んでいたし、ウィリアムはどうもしっくり来ない。
 元からあったウィリアムでもその有様なのに…。
(マイケルでジェイムズでアーチーなの?)
 おまけにニール、とハーレイの姿を思い描いても、少しも重なってくれないイメージ。
 ハーレイじゃない、と。
 それはそうだろう、そういう名前なら、最初から「ハーレイ」ではないのだから。
 マイケルやジェイムズやアーチーだったり、ニールだったりするのだから。
(周りの人だって、きっと…)
 「おい、マイケル!」と呼ぶのだろうし、アーチーもニールも、そういった感じ。
 ハーレイ自身も「俺はジェイムズだ」と自己紹介したり、握手をしたりするのだろう。
 それがごくごく当たり前のことで、自然なこと。
 今のハーレイの名前がそれなら、動かし難い現実というもの。
 ジェイムズだろうが、アーチーだろうが、ニールだろうが。


 そんなハーレイはとても困る、と思ったけれども、起こり得たこと。
 青い地球の上でまた巡り会えた、恋人の名前が違うということ。
 「ただいま、ハーレイ」と呼び掛けたけれど、抱き締めてくれたハーレイだけれど。
 そうやって自分を抱き締めながら、耳元で告げられていたかもしれない。
 「今はニールだ」と、「今の俺の名前はニールなんだ」と。
 皆の前ではそう呼んでくれと、特に学校では気を付けてくれ、と。
(ぼくも、とっても困るんだけど…)
 ハーレイだって、きっと困惑するのだろう。
 二人きりの時に「ハーレイ」と名前を呼んだなら。
 今の名前の方が身近で、「ハーレイ」よりも馴染んだ名前だろうから。
 もしかしたら、直ぐには分からないかもしれない、「自分のことだ」と。
 「ねえ、ハーレイ」と呼び掛けたって。
 今のハーレイの頭の中では、名前は「ニール」なのだから。
 ジェイムズだったり、アーチーだったり、マイケルだったりするのだから。
(…そんなの、酷い…)
 ぼくはハーレイのことが好きなのに、と泣きそうな気持ち。
 それを想像しただけで。
 「俺の名前はニールなんだが」とか、「ジェイムズなんだが」とか言うハーレイを。
 ハーレイのことが好きなのに。
 前の生から何度も何度も、繰り返し呼んだ名前なのに。
(でも、ハーレイは今もハーレイで…)
 ハーレイのまま、とホッと零れた安堵の溜息。
 ジェイムズでもニールでもアーチーでもない、今のハーレイ。
(マイケルだって御免だものね)
 愛した人の名前が変わるだなんて、それを呼ばねばならないだなんて。
 今もハーレイのままで良かった、と感謝した今日の帰り道の出来事。
 あのグレイブに出会わなかったら、今も気付いていなかったから。
 前と同じにハーレイと呼べる幸せに。恋人の名前が、今も昔も変わらないことに…。

 

         君の名前・了


※ハーレイの名前が前と同じで良かった、とホッとしているブルー君。
 そりゃそうですよね、せっかく再会出来たというのに別の名前なんて。同じ名前が一番ですv
 ズラズラ鏤めた名前の一部は、海外ドラマの「ワンス・アポン・ア・タイム」から。
 ちょこっとオマージュ、ミスター・ゴールドと息子のニールに捧ぐ。





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「おっ、新顔か?」
 初めて見るな、とハーレイが声を掛けた猫。
 若いと一目で分かる三毛猫、帰って来たらヒョッコリ顔を覗かせた。
 ブルーの家には寄れなかった日、ガレージから庭に入ったら。
 何処かで寛いでいたのだろうか、「ミャア」と一声、艶やかな毛並み。
「よしよし。…迷子ってわけでもなさそうだな?」
「…ミャア?」
「何か食って行くか、ミーシャ…ではないな、お前さんの名前は何なんだ?」
 俺には分からないんだが、と訊いたけれども、猫が答える筈もない。
 とりあえず猫はミーシャなんだ、と撫でてやった頭。
 子供時代に、隣町の家で母が飼っていた猫。
 真っ白な毛皮で甘えん坊だった猫、その名前がミーシャだったから。
 名前を知らない猫は「ミーシャ」で、白でも三毛でも、黒でもミーシャ。
(ふうむ…)
 こいつも甘えん坊か、と眺めた三毛猫。
 頭を撫でて貰った後には、足に身体を擦り付けるから。
「おいおい、ズボンを汚さないでくれよ?」
「ミャア!」
 分かってます、といった具合に聞こえた鳴き声。
 暫く足と戯れた後で、猫は悠然と歩き始めた。
 しなやかな尻尾を誇らしげに立てて、「それじゃ、さよなら」と。
 庭を横切り、生垣をくぐって見えなくなった新顔の三毛。
 多分、家へと帰るのだろう、夕食を食べに。
 此処でおやつを食べているより、自分好みの食事をくれる飼い主の家に。


 行っちまったか、と見送った後で入った家。
 玄関の明かりで確かめたけれど、ズボンについてはいない猫の毛。
(一本も無しか…)
 こりゃ見事だな、と感心させられた毛皮の手入れ。
 飼い主もせっせとブラッシングをしているだろうけれど…。
(あいつが自分で手入れしないと、こうはいかんぞ)
 さっきみたいに生垣を抜けたり、あちらこちらに入ってみたり。
 そういうのが猫の散歩なのだし、毛皮もあちこち引っ掛かるから。
 一本、二本と引っ掛かったら抜けてしまう毛、それをくっつけて歩きがち。
 だからズボンにも毛の四本や五本くらいは、と考えたのに。
(毛皮自慢のミーシャだったか…)
 俺にとってはあいつもミーシャ、と新顔の三毛を心で褒めた。
 毛皮の手入れがよく出来ていたと、親猫の躾もいいのだろうと。
 人間では躾けられないから。
 子猫の間に親が毛皮をつくろってやって、「こうだ」と教える毛づくろい。
(たまに酷いのがいるんだよなあ…)
 自分では一切やりません、とばかりに手入れは人間任せの猫が。
 面倒だからと放りっ放しで、飼い主が少し留守にしたなら…。
(抜け毛だらけと来たもんだ)
 人間任せにしているくせに、飼い主以外には任せられないと思い込んでいる毛皮の手入れ。
 自分では全くやらないのだから、アッと言う間にくたびれる毛皮。
 それでも少しも悪びれもせずに、我が物顔でのし歩く。
 「飼い主はちょっと留守にしてます」と、「留守番の人なんか、どうでもいいです」と。
 何度かその手の猫に出くわして、抜け毛だらけにされたズボン。
 なまじ名前を知っていたりすると、ウッカリ呼んでしまうから。
 猫の方でも「呼びましたか?」と近付いて来ては、ズボンに懐いてくれるから。


 今日のミーシャはいい猫だった、と夕食の後にも覚えていた猫。
 書斎でのんびりコーヒー片手に眺めたズボン。
 スーツは着替えてしまっているから、あのズボンではないけれど。
 抜け毛を一本も残さなかった猫、その素晴らしさを示したズボンは履き替えたけれど。
(なんて言うんだろうなあ、あいつの名前…)
 きっと近所の猫だろうから、その内に分かることだろう。
 ジョギングの途中でバッタリ会ったりした時に。
 飼い主と一緒に庭にいたなら、声を掛ければ名前を教えてくれるから。
 あの猫ではなくて、飼い主が。
 「この子の名前は…」と、「可愛がってやって下さいね」と。
(名前が分かるまではミーシャなんだ)
 猫なら白い毛皮でなくても、と大きく頷く。
 物心ついた時には、家にミーシャがいたものだから。
 真っ白なミーシャと暮らしていたから、親しみをこめて呼ぶなら「ミーシャ」。
(寄るな、触るなって感じの猫でも…)
 ミーシャなんだよな、とクックッと笑う。
 猫はミーシャだと思っているから仕方ない、と。
 本当の名前が分からない内は、どれでもミーシャ、と。


 猫を呼ぶなら、いつでもミーシャ。
 他の名前は思い付かない、猫の名前は幾つもあるのに。
(モカに、マロンに…)
 この近所だけでも沢山あるぞ、と挙げてみたけれど、しっくりくるのはやっぱりミーシャ。
 本当の名前が分かった途端に、モカやマロンになるけれど。
 それだと分かれば、モカやマロンの方がストンと納得出来るのだけれど。
(面白いもんだな、人間ってのは)
 馴染んだ名前が一番らしい、と思った所で不意に浮かんだ恋人の顔。
 十四歳にしかならないブルーは、前の生から愛した人。
 前とそっくり同じ姿に生まれたブルーは、やっぱりブルー。
 「ソルジャー・ブルー」と呼ばれないだけで。
(あの姿だから、ブルーって名前になったんだろうが…)
 赤い瞳に銀色の髪。
 生まれながらにアルビノのブルー、誰でも偉大なミュウの長を連想するだろう。
 あやかりたいと「ブルー」と名付けるだろうし、現にブルーも「ブルー」だけれど。
(…違う名前ってことだってあるぞ?)
 ソルジャー・ブルーと同じアルビノの息子が生まれて来たって、違う名前を選ぶ親。
 いつか息子が生まれた時にはこの名にしよう、と決めていたなら。
 そちらの方が断然いいと思っていたなら、付けるだろう名前。
 銀色の髪に赤い瞳でも。
 誰が見たってソルジャー・ブルーな姿に育つだろう子でも。
(ベルファイアだとか、オーガストだとか…)
 あるいはヘンリー、デヴィッドだってあるだろう。ロバートとかも。
 ブルーとは似ても似つかない名前。
 息子が生まれたらこの名前だと、ブルーの両親が思ったならば。
 ブルーがこの世に生まれて来た時、「会いたかったよ」とその名で呼んだなら。


(ヘンリーにロバート…)
 それにベルファイアにオーガスト、と頭を抱えてしまった名前。
 どれもブルーに似合いそうもない、愛おしい小さなブルーには。
 前と同じに育ったとしても、やっぱり似合いそうにない。
 気高く美しかった恋人、彼の名前がヘンリーだなんて。
 あるいはロバート、ベルファイアなんて。
(オーガストでも、デヴィッドでも…)
 まるで違うという気がする。
 ブルーがどんなに自分を慕って、前と同じに恋してくれても。
 「好きだよ」と甘く囁いてくれても、その名を「ブルー」と呼べない恋人。
 「俺も好きだ」と抱き締めてみても、腕の中にはブルーはいない。
 中身はブルーの魂だというのに、今の名前は違うから。
 違う名前で育って来たから、小さなブルーはベルファイア。
 そう呼ぶしかなくて、ブルーの方でも…。
(…ブルーと呼んでもいい、と言ってくれても…)
 きっと馴染みが薄いことだろう、前の自分の名前でも。
 前は確かにブルーだった、と記憶をすっかり取り戻していても。
(今の人生が優先だしな?)
 優しい両親に見守られて育って来たブルー。
 前の生とは比較にならない、幸せな時代に生きているブルー。
 きっとブルーも、今の名前で生きる自分が好きだろう。
 ロバートだろうがヘンリーだろうが、ベルファイアだろうが、デヴィッドだろうが。
(あいつの名前が…)
 違っていたら、と愕然とさせられた今の状況。
 それは充分に有り得たことだと、小さなブルーはオーガストだったかもしれない、と。


 そいつは困る、と溜息が零れたブルーの名前。
 前の生で初めて出会った時から、ブルーをブルーと呼んでいた。
 三百年以上も共に暮らして、恋をした時にも同じにブルー。
 前のブルーを失くした後にも、何度も名前を呼び続けていた。
 「待っていてくれ」と、「地球に着いたら追ってゆくから」と。
 どうしたわけだか生まれ変わって、青い地球の上で出会ったけれど。
(あいつはブルーで…)
 なんとも思わず、「俺のブルーだ」と抱き締めていた。
 やっと会えたと、ブルーが帰って来てくれたと。
(しかし、それがだ…)
 ブルーではなかった可能性も、と今頃になってようやく気付いた。
 もしもブルーの両親の中に、こだわりの名前があったなら。
 息子が生まれたらこの名前だと、用意していた名があったなら。
(俺はあの名前に感謝するぞ…!)
 ブルーは俺にとってはブルーだ、と改めて思い浮かべた恋人。
 あの名前がいいと、ブルーはブルーなんだから、と。
(猫はどれでもミーシャになるのと同じでだな…)
 俺の恋人はブルーなんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
 あまりにも慣れてしまったから。前の生から数え切れないほど、呼んで呼び続けた名前だから。
 だから嬉しい、ブルーの名前。
 今も同じにブルーな恋人、本当にブルーと呼んでいいから。ブルーは今でもブルーだから…。

 

         あいつの名前・了


※ブルー君の名前が違っていたら、と今頃になって気付いたハーレイ先生。
 困るでしょうねえ、あのビジュアルで名前がまるで違っていたら。ブルーで押し通すかもv
 ズラズラ羅列していた名前は、海外ドラマの「ワンス・アポン・ア・タイム」から。
 ちょいとオマージュ、ルンペルシュティルツキンと息子ベルファイアに捧ぐ。





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(…そろそろかな?)
 ハーレイが持って来てくれるかな、と小さなブルーが眺めた瓶。
 金色をしたマーマレードが入っている瓶、かなり減った中身。
 夏ミカンの実で作られたそれは、ハーレイが届けに来てくれる。
 残りが少なくなってきた頃に、「ほら」と金色がたっぷり詰まった瓶を。
 だからもうすぐ、とスプーンで掬ってトーストに塗った。
 夏ミカンの実の金色を。
 お日様の光をギュッと集めて作ったみたいな、少しビターなマーマレードを。
 キツネ色に焼けたトーストに似合う、金色に輝くマーマレード。
 齧ると胸に溢れる幸せ、「ハーレイの朝御飯とおんなじ味」と。
 ハーレイもトーストを食べているなら、きっと同じになるのだろう。
 隣町にある家で、ハーレイはこのマーマレードを食べて育ったらしいから。
 今もやっぱりお気に入りの味で、朝食に欠かせないらしいから。
(ホントにいいもの、貰っちゃった…)
 それに美味しい、と顔が綻ぶ。
 ハーレイの母の手作りだというマーマレードは、何か賞でも取れそうな味。
 母だって、前にそう言っていた。
 「マーマレードのコンクールに出せば、賞が取れると思うわよ?」と。
 残念なことに、自分やハーレイが暮らす地域に、そのコンクールは無いけれど。
 もしもあったら、本当に賞が取れるだろう。
 このマーマレードを食べた後では、市販品だと物足りないから。
 「ハーレイがくれたマーマレードの方がいいな」と、子供の自分でも思うのだから。
 そんな素敵なマーマレードを、今朝も美味しく食べられた。
 休日の朝だから、ゆっくりと。
 この味が好き、とトーストと一緒に噛み締めながら。


 朝御飯の後は二階の自分の部屋に帰って、きちんと掃除。
 ハーレイが来てくれる前にと、テーブルも椅子もちゃんと並べて。
 それが済んだらハーレイを待つだけ、今日はあるかもしれないお土産。
 マーマレードが詰まっている瓶、金色が詰まったガラス瓶。
 大きな瓶は、ハーレイの母が蓋をした瓶。
 マーマレードが傷まないよう、きっちりと。
(そのまま、開けていないんだから…)
 瓶の中には、きっと素敵な場所の記憶も詰まっている筈。
 ハーレイが育った隣町の家、其処のキッチンの優しい光景。
 採れたばかりの夏ミカンの実を、「まだまだあるぞ」と運び込んでいるハーレイの父。
 それを洗って皮を剥いてゆくハーレイの母。
 皮を刻んで、中の実も使って、大きな鍋でグツグツ煮詰めてゆくのだろう。
 とても美味しいマーマレードを作り上げるために、焦げないように。
(そういう景色も詰まってるよね…)
 瓶の蓋を開けたら、ふわりと広がるかもしれない。
 ハーレイの両親の声や笑顔や、キッチンに溢れる夏ミカンの匂い。
 もいだばかりの実の匂いだとか、皮を剥いた時の酸っぱい匂い。
 マーマレードが煮える甘い匂いも、温かな湯気も。


(前のぼくなら、分かるんだけどな…)
 知りたいと思えば、探れただろう思念の残り。
 瓶の蓋を閉めたハーレイの母が残した、キッチンの記憶。
 心をこめて閉めた蓋なら、きっと思いが残るから。
 「美味しく食べて貰えますように」と、ハーレイの母が閉めた蓋。
 その時にキッチンにあった空気も、匂いも残っているだろう。
 さっき想像してみた光景、それの欠片がきっと幾つも。
(…ちょっと覗いてみたいよね?)
 どんな景色か、幸せが溢れるキッチンを。
 黄色く熟した夏ミカンの実が、山と積まれたキッチンを。
 けれど出来ない、叶わない夢。
 今の自分は、タイプ・ブルーというだけだから。
 名前ばかりの強いサイオン、実の所は不器用な自分。
 思念波もろくに紡げはしないし、前の自分とは大違い。
 マーマレードの瓶の蓋を開けても、見えるわけがない素敵な光景。
 蓋を開けたら、マーマレードが見えるだけ。
 誰もスプーンを突っ込んでいない、詰めた時のままのマーマレードが。
 滑らかな金色が詰まっているだけ、幸せな景色は見えてはこない。
 どんなに努力してみても。
 ウンウン唸って頑張ってみても、マーマレードしか見えない自分。
 タイプ・ブルーとは名前ばかりで、何も出来ないから。
 不器用すぎるチビの自分は、手も足も出ない夢の瓶なのだから。


 悔しいけれども、それが現実。
 読み取れはしない、ハーレイの母が残した思念。
 マーマレードがたっぷり詰まった大きな瓶を、ハーレイが届けてくれたって。
 「ほら、持って来たぞ」と、新しい瓶をくれたって。
 蓋を開けても見えない光景、幸せなそれが見たいのに。
 ハーレイと自分が結婚すると聞いて、「新しい子供が出来た」と喜んでくれた人たちを。
 まだ結婚もしない内から、家族だと思ってくれる人たち。
 優しくて温かいハーレイの両親、その人たちがいるキッチンを。
(見たいんだけどな…)
 いつか自分を迎えてくれて、両親になってくれる人たち。
 夏ミカンのマーマレードを毎年、毎年、作る人たち。
 太陽の色に熟した果実を、キッチンに山と積み上げて。
 沢山のマーマレードを作って、ご近所や友人に配る人たち。
 少しでいいから見てみたいのに、今の自分は見られない。
 前の自分なら、きっと簡単だっただろうに。
 マーマレードの瓶を手にして、蓋の上に手を重ねたら。
 蓋を閉めるのに使った力は、どんな具合かと追い掛けたなら。
(ハーレイのお母さんの心ごと…)
 キッチンも、其処に漂う匂いも、マーマレードの鍋だって見えた。
 瓶に詰める前の、煮詰める途中の甘い金色。
 それを木べらで混ぜている手も、きっと簡単に見えたのに…。


 今の自分はまるで駄目だ、と零れた溜息。
 ハーレイがそろそろ、新しい瓶をくれそうなのに。
 「切れちまう前に持って来ないとな?」と、「約束だしな」と、マーマレードを。
 せっかく素敵な瓶を貰っても、今の自分には使えない魔法。
 魔法だとしか思えないサイオン、そのくらい不器用になってしまった自分。
(なんで、こうなの?)
 前のぼくみたいな力があれば、と悔しくてたまらないけれど。
 マーマレードの瓶に詰まった夢の光景、それを覗き見したいのだけれど。
 まるで出来ないから、いつか本当に行ける時まで我慢するしかないのだろう。
 ハーレイの車の助手席に乗って、隣町の家に行く日まで。
 庭の大きな夏ミカンの木を、この目で眺めて見上げる日まで。
(マーマレードを作る時にも…)
 きっと連れて行って貰えるだろうし、そしたら現実になる光景。
 キッチンに運び込まれる夏ミカンの実も、マーマレードを煮詰める鍋も。
(ぼくも、お手伝い…)
 出来るといいな、と描いた夢。
 マーマレードを上手に煮るのは無理でも、実を洗うことは出来るから。
 皮を上手に刻めなくても、果汁は搾れるだろうから。
 そういう時がやって来るまで、見えないらしい幸せなキッチン。
 マーマレードの新しい瓶は、キッチンの記憶を秘めているのに。
 出来上がった時に閉めたままの蓋、それを開けたら中から夢が溢れ出すのに。


 どうして自分は駄目なのだろうと、前のぼくなら、と悲しい気持ち。
 ハーレイが届けてくれる瓶から、前ならきっと見えたのに。
(…マーマレードの瓶の蓋…)
 こんな風に手を重ねるだけで、と自分の左手に重ねた右手。
 左手が瓶の蓋のつもりで、そっと重ねてみたのだけれど。
(えーっと…?)
 この手、と見詰めた自分の右手。
 冷たく凍えてしまったのだった、前の自分の右の手は。
 ハーレイの温もりを失くしてしまって、メギドで独りぼっちになった。
 そして泣きながら死んでしまった、ハーレイには二度と会えないと。
 温もりを失くして右手が凍えて、絆が切れてしまったから。
(でも、生きてる…)
 いつも忘れてしまうのだけれど、新しい身体と、新しい命。
 それをもう一度貰ったのだった、青い地球の上で。
 ハーレイと二人で生まれ変わって、今度は幸せになれるよう。
 平和な時代に、前の自分が焦がれた星で。
 今度は恋を隠すことなく、いつか迎えるハッピーエンド。
 その先で出会える夢のキッチン、ハーレイの母がマーマレードを作るキッチン。
 甘い匂いも、もぎたての夏ミカンの酸っぱい匂いも、全部いつかは本当になる。
 マーマレードの瓶の蓋から、記憶を何も読み取れなくても。
 其処に詰まった夢の景色を見られないほど、サイオンが不器用な自分でも。


 そうなのだった、と気付いた今。
 幸せすぎる毎日ばかりで、それが当たり前になってしまって、零してしまった小さな不満。
 「前のぼくなら」と、「マーマレードの瓶の蓋から」と欲張って。
 隣町の家の幸せなキッチン、それを見たいと望んだけれど。
 そういう力を持っていた頃は、そんな夢など見られなかった。
 前の自分も、前のハーレイも、シャングリラの中が世界の全て。
 庭に夏ミカンの大きな木がある家などありはしなかった。
 其処から届くマーマレードも、ハーレイの優しい父と母も。
(…欲張っちゃってた…)
 前の自分は持たなかった世界、それを自分は持っているのに。
 いつか必ず手が届くのに、先に見たいと欲張った。
 前の自分の力があればと、どうして今はそれが無いのかと。
(…あんな力があったって…)
 夢の世界が無いのだったら、手を伸ばしても届かないなら、意味などありはしないから。
 儚く消えてしまう夢より、手が届く世界がいいに決まっているのだから。
(欲張っちゃ駄目…)
 マーマレードの新しい瓶を貰えるだけで幸せだもの、とパチンと叩いた自分の頬っぺた。
 きっと今日あたり、ハーレイが届けてくれるから。
 お日様の金色を閉じ込めたような幸せの瓶が、この家にやって来るのだから…。

 

        マーマレードとぼく・了


※ハーレイ先生が届けてくれるマーマレード。その瓶に残った思念が見たいブルー君。
 「前のぼくなら…」と思う気持ちは分かりますけど、欲張りすぎたら駄目ですよねv





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