(ふうむ…)
言葉だけの時代になっちまったか、とハーレイが頭に描いた言葉。
夜の書斎で、コーヒー片手に。
ブルーの家には寄れなかった日、夕食の後でのんびり読書。
愛用のマグカップに淹れたコーヒーがお供、コクリと飲んではページをめくって。
今日はこれだ、と選んだ一冊。
読み進めていたら出会った言葉、普段だったら気にしないけれど。
たまたま合ったタイミング。
この段落を読んだらコーヒー、と思ったキリのいい所。
其処で出て来た言葉が「とりこ」で、漢字で書くなら「虜」の一文字。
目にした途端に、「おや?」と思った。
それから引っ張り出した辞書。
どういう風に説明されているかと、虜の意味は、と。
(生け捕りにした敵、か…)
別の辞書だと、「戦闘の際、生け捕りにした敵」という丁寧な説明。
どちらの辞書でもそれが一番、二番目の意味はこうだった。
「あることに心を奪われること」や、「心を奪われて逃げ出せない人」。
但し書きとして、「本来の意味がこうだったので」、と二番目の意味が生まれた理由。
もしも心を奪われたならば、心が生け捕りになるわけだから。
生け捕りにされて逃げ出せないから、一番目の意味が必要になる。
「心を生け捕りにされました」と。
捕まってしまって、逃げられません、と。
「恋の虜」などという、使用例も載っているのだけれど。
どの辞書も必ず、一番目に書かれている意味は「生け捕り」。
戦いの時に捕虜にした敵、それを指す言葉。
ところが、こいつが無いんだよな…、と辞書を眺めて考える。
辞書を引くことになった原因の、さっき読んでいた本のページも。
どうやら今日はここまでらしい、と苦笑い。
もう読めないなと、俺の心は「虜」の虜になったもんで、と。
(生け捕りなあ…)
今の時代にいるわけないぞ、と言い切れるのが本物の「虜」。
どの辞書を見ても一番に書かれた意味だけれども、もういない。
戦闘など、ありはしないから。
平和になった今の時代に、生け捕りも捕虜も無いのだから。
(死語ってわけではないんだが…)
一番目の意味の出番は無いな、とクックッと笑う。
使う場面が無い時代では。生け捕りも捕虜も無い時代では。
(俺としたことが、今日まで気付いていなかったってか?)
何度も本で読んだのに。
前の自分の記憶が戻った時から、今日までに。
キャプテン・ハーレイが生きた時代なら、本物の「虜」もいたというのに。
(人類軍のヤツらも、海賊退治で生け捕りにしていたんだろうが…)
機械が統治していた時代も、はみ出して生きる者たちはいた。
宇宙で海賊になってしまって、勝手気ままに生きる者たち。
そういう輩を退治するとか、たまに何処かで起きた叛乱。
人類軍が派遣されたら、捕虜になる者もあったろう。
(前の俺たちだって、捕まえたしな?)
とてつもない有名人ってヤツを、と眉間の皺が深くなった捕虜。
あれさえ始末していたら、と今でも忌々しいキース。
シャングリラで捕虜にしてたんだった、と。
赤いナスカにやって来たキース、それをジョミーが捕まえた。
メンバーズだから、地球の情報でも得られれば…、と誰もが考えたのに。
(情報どころか、逃げられた挙句にメギドまで…)
それでブルーを失くしちまった、と悔やんでも悔やみ切れない思い。
あの時、キースを始末していたなら、と。
(…いかん、いかん…)
そっちへ行ったらコーヒーが不味くなっちまう、とコクリと一口。
ブルーは帰って来たのだから。
青い地球の上に生まれ変わって、幸せに生きているのだから。
(…しかしだ、本物の捕虜がいないってことは…)
もしかしたらアレが最後の捕虜だろうか、と思わないでもないキース。
(俺たちは、アレしか捕まえていないわけだし…)
捕虜にされたミュウなどはいるわけがない。
ミュウと知れたら処分されるか、研究所に送られた時代。
人類に戦いを挑んだミュウは前の自分たちだけ、他には誰もいなかったから。
(戦闘でないと、生け捕りはなあ…?)
ただ捕まって檻の中では捕虜ではないな、と大きく頷く。
ミュウが捕まえた捕虜はキースで、あれ一人だけ、と。
(…記念すべき最後の捕虜ってヤツか?)
SD体制が崩壊した後、宇宙から消えてしまった戦闘。
人類とミュウが和解した後の世界になったら、誰も戦わなかったという。
もう戦っても意味が無いから、海賊も叛乱も意味が無いから。
そうして消えて行った武器。
すっかり姿を消した戦闘。
今の時代に捕虜などはいない、「虜」という言葉の意味があるだけ。
何かに心を奪われた時に、二番目の意味を使うから。
「心が捕まってしまいました」と、「生け捕りなんです」と。
何もかも変わっちまったな、と遥かな時の彼方を思う。
今は捕虜さえいない時代かと、本物を見た者は誰もいないな、と。
(キースの野郎が最後だったのか、他にもいたのか…)
分からないが、と飲んだコーヒー。
前のブルーをナスカで失くして、シャングリラで向かった地球への旅路。
捕虜にした者はいなかった。
心を鬼にしていたジョミーは、容赦なく殺していったから。
(だが、人類の方ではだな…)
ミュウを捕虜にはしなかったけれど、同じ人類を何処かで捕えていたかもしれない。
海賊だったり、叛乱を起こした者だったり、と。
(キースが最後ではないかもしれんな、前の俺たちが知らないだけで)
最後の捕虜は誰なんだか…、と考えてみると愉快になる。
今の時代は、いない捕虜。
言葉だけしか残っていない捕虜、けれど言葉は生きているから。
さっきの本にも記されていたし、様々な場面で使われる言葉。
詩にだってなるし、歌に乗せられることだって。
(恋の虜、ってな)
本来の意味の捕虜はいなくて、二番目の意味で馴染みの言葉。
「あなたの虜」と歌う恋歌とか、恋を綴った詩やら、それこそ手紙にだって。
生け捕りになってしまいました、と恋の相手に打ち明ける想い。
それにピッタリの言葉が「虜」で、今の時代はいない捕虜。
(最後に捕虜になっていたヤツが知ったら、ビックリだろうな)
囚われの境遇を嘆いただろうに、記念すべき最後の捕虜なのだから。
今の時代に「虜」と言ったら、幸せな場面で使うのだから。
恋に夢中だとか、趣味の何かの虜だとか。
不幸だった本物の捕虜を見た者は、今の時代はいないのだから。
(前の俺だと、知ってるんだが…)
キースの野郎で、大物としては最後の捕虜の筈なんだが、と傾けるコーヒー。
今の時代も有名なキース、捕虜になったアレを確かに見たぞ、と。
(でもって、逃げられちまってだな…)
酷い目に遭ったのが前の俺だが、と思うけれども、今の自分。
奇跡のように生まれ変わって、失くしたブルーとまた巡り会えた。
もう捕虜などはいない世界で。
青く蘇った、平和な地球で。
(そして、今度は俺が捕虜だぞ)
自由の身なのに、立派に捕虜だ、と思い浮かべた恋人の顔。
十四歳にしかならないブルーを、チビになってしまった恋人を。
(あいつの虜になっちまった…)
戦っちゃいないし、二番目の意味で、とチョンとつついた分厚い辞書。
「心を奪われて逃げ出せないぞ」と、「あいつに生け捕りにされちまった」と。
なにしろ、ブルーに夢中だから。
キスも出来ない小さな恋人、それでも好きでたまらないから。
気付けばブルーを追っている心、どんな時でも。
前の自分がそうだったように、心はとうにブルーの虜。
本物の捕虜はいない時代に、ブルーの虜になっている自分。
生け捕りにされて、夢中になって。
(次に会えるのはいつなんだか、って思っちまうのは普通だし…)
会っている時は、ブルーしか目に入らないと言ってもいいくらい。
キスも交わせはしないのに。
まだまだチビで、ほんの子供の恋人なのに。
(…それでも、あいつの虜ってな)
キースと違って俺は逃げんぞ、と腰抜けな捕虜を鼻で笑った。
あのメンバーズは逃げやがったが、俺は腰抜けではないからな、と。
ブルーの虜になったからには、一生、捕虜でいる覚悟。
いつまでも、何処までも、ブルーの虜。
今度こそ、ブルーと幸せに生きてゆくのだから。
生け捕りにされても、それが幸せ。
ブルーが自分を閉じ込めた檻が、恋をするための幸せな牢獄なのだから…。
あいつの虜・了
※捕虜がいなくなった今の時代に、捕虜になっているらしいハーレイ先生。
ブルー君に生け捕りにされたようですけれども、幸せ一杯みたいです。捕虜でも幸せv
(うーん…)
また明日からはハーレイ先生、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイと過ごした日曜日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
昨日は土曜日、今日は日曜。
学校は休みでハーレイも休み、何の用事も無かったから。
二人でのんびり、お茶に食事といった週末。
それは幸せな時間を過ごして、ハーレイは家に帰って行った。
いつものように「またな」と軽く手を振って。
(でも、昨日だと…)
今日とは違った、「またな」の重み。
同じ「またな」でも、昨日だったら「また明日な」という意味だったから。
ほんのちょっぴり、一晩だけの別れの挨拶だったから。
けれども、今日の「またな」は違って…。
(いつ来てくれるか分からないよ…)
運が良ければ、平日もハーレイは来てくれるけれど。
仕事が早く終わった時には、一緒に夕食を食べてくれるけれど。
その日がいつかは分からない。
明日から始まる一週間の内に、来てくれる日があるかどうかも。
(学校の仕事がどうなるか…)
前もって分からないのが平日、だから予告はしてくれない。
来られそうだという予告は。
この曜日なら、と期待出来そうな日でさえも。
だから「またな」がズッシリと重い、日曜日にそれを聞いた時。
運が良ければ直ぐだけれども、悪かったならば次の土曜日まで会えない。
学校で会えるのは「ハーレイ先生」、「ハーレイ」と呼べはしないから。
挨拶したって、恋人ではなくて先生だから。
次に恋人と会えるのはいつか、「ハーレイ」と呼べるのはいつか。
分からないから重かった「またな」、昨日ならとても軽かったのに。
ほんの一晩、会えないというだけだから。
一晩眠れば次の日になって、またハーレイに会えるのだから。
けれど、日曜日の「またな」は違う。
下手をしたなら次の土曜日まで、会えないままになる恋人。
先生のハーレイには会えるけれども、恋人ではない「ハーレイ先生」。
どんなに熱く見詰めていたって、知らないふりをされるから。
「おう、どうした?」と訊かれるだけで。
他の生徒とまるで変わらない、ただの教え子扱いなだけで。
(ぼくの守り役でも、そこはおんなじ…)
特別扱いはして貰えなくて、教え子の一人。
自分も敬語で話すしかないし、開いてしまうハーレイとの距離。
(…敬語、苦手じゃないんだけれど…)
ウッカリ普通に喋らないよう、切り替えるのは得意だけれど。
それでも思い知らされる距離。
ハーレイは「先生」、自分は「教え子」。
学校はそういう場所なのだからと、恋をするための場所ではないと。
(ハーレイ先生も大好きだけど…)
どんな呼び方でも、ハーレイはハーレイ。
敬語で話さなくては駄目でも、恋人には変わりないのがハーレイ。
そうは言っても、開く距離。
学校へ行けば、また平日がやって来たなら。
「またな」と手を振って帰ったハーレイ、そのハーレイには出会えない。
学校にいるのは「ハーレイ先生」、学校で仕事をしている間は。
土曜日までに来てくれるのか、それとも会えないままなのか。
分からないから零れる溜息、次に会えるのはいつだろうか、と。
(パパもママも待っているのにな…)
遠慮なさらないでいらして下さい、と今日も見送っていた両親。
遅い時間でも、お食事は用意できますから、と。
(だけどハーレイ、来ないんだよ…)
料理上手の母にかかれば、一人分くらい簡単なのに。
皆の料理とは違っていたって、アッと言う間にハーレイの分を作るのに。
(ママは何度もそう言ってるのに…)
夕食の支度に充分間に合う時しか来ないハーレイ。
遠慮しなくていいと思うのに、本当に来て欲しいのに。
(ぼくもお願いしたいけど…)
遅くなる日でも帰りに寄って、と言いたいけれども、チビだから。
両親の家で暮らす子供で、料理を作るのは母だから。
(ぼくが言っても、ただの我儘…)
ハーレイはきっと、「チビが我儘言うんじゃないぞ」と頭をポンと叩くのだろう。
「お母さんに迷惑かけるだろうが」と、「お前が料理をするんじゃないし」と。
両親だったら、ちゃんとハーレイに言えるのに。
「そう仰らずに」と、「毎日でも、いらして下さい」と。
それが大人と子供の違いで、残念でたまらない気分。
ハーレイが「またな」と手を振る度に。
次はいつになるか分からない日曜、その夜に「またな」を聞かされる度に。
今日もズシリと重かった「またな」、明日から始まってしまう平日。
「ハーレイ先生」にしか会えない平日、また直ぐにでも会いたいのに。
明日にだって来て欲しいのに、と思うけれども強請れない。
ハーレイが「またな」と手を振る時に。
両親に「今日は有難うございました」と、礼を言って帰ってゆくハーレイに。
チビの自分はハーレイのために、何一つしてはいないから。
料理はもちろん、お茶を出すことも。
そんな自分は無理を言えなくて、両親だけが言えること。
「遠慮なさらずに」と、「いらして下さい」と。
両親がそれを言った所で、ハーレイは聞きはしないのだけれど。
「有難うございました」と言うほどなのだし、家族同然でも、やっぱり違う。
言葉遣いが丁寧だから。
両親に向かって「またな」と言いはしないから。
(…パパやママには、いつだって敬語…)
それにママたちも、と夕食の席を思い出す。
ハーレイは其処でも「ハーレイ先生」、この家と学校は違うのに。
自分は「ハーレイ」と呼んでいるのに、両親はいつも「ハーレイ先生」。
ハーレイは学校の先生だから。
チビの自分が通う学校、其処で教師をしているのだから。
(仕方ないよね…)
パパとママがそう呼んでいるのも、と思ったけれど。
敬語になるのは先生だから、と考えたけれど。
(あれ…?)
学校だと少し違うみたい、と気が付いた。
他の教師がハーレイに話し掛ける時。
えっと…、と思い浮かべた学校の風景。
ハーレイとバッタリ出会った時には、よく立ち話をするけれど。
そういった時に、他の教師が直ぐ側を通り掛かったら…。
(ハーレイ先生、とは言ってるけれど…)
それは両親と同じだけれども、続く言葉が違うのだった。
(じゃあ、また後で、って…)
丁寧な言葉で話してはいても、別れ際に言う言葉が違う。
両親だったら、「じゃあ、また後で」とは、決して言いはしないだろう。
「また後でよろしくお願いします」とか、「また後で伺いますから」だとか。
ハーレイが「ハーレイ先生」な学校、そこでは違ってくる言葉。
先生同士が顔を合わせて話す時には、「じゃあ、また後で」でいいらしい。
(…どっちも先生だからだよね?)
学校の先生は誰もが先生、「先生」なのが普通の世界。
きっと、生徒のいない場所では…。
(またな、って言ったりするんだ、きっと…)
友達同士の先生ならば。
そして学校の外で会ったら、もう本当に普通なのだろう。
「おう!」と呼び止めて、一緒に食事や、お酒を飲みに行くことだって。
つまり特別ではない「先生」。
学校の中では特別だけれど、教え子にとっても特別だけれど。
職場を離れている時だったら、普通の人と変わらない。
町を歩いている時も。
ハーレイだったら、ジョギングしている時だって。
だから自分にも「またな」と手を振る、帰る時には。
教え子だけれど、恋人だから。
「またな」と言ってもいい人だから。
恋人だものね、と綻んだ顔。
友達の先生と同じ扱い、と嬉しくなった「またな」の言葉。
ハーレイが他の先生たちと話す時には、「また後で」だから。
それと同じで、恋人のぼくにも「またな」と言ってくれるんだよね、と。
今日の「またな」は重かったけれど、またその内に会えるから。
きっとハーレイは来てくれるから、と考えたけれど。
(…前のぼく…)
聞いていない、と蘇った記憶。
前のハーレイは言ってくれなかった、「またな」の言葉。
「また夜に」とは言ってくれたけれど、あんな風ではなかった言葉。
いつも敬語で、ソルジャーのための言葉で話していたハーレイ。
恋人同士だったのに。
本当に本物の恋人同士で、夜は抱き合って眠っていたのに。
(…パパやママに話すみたいな言葉…)
それに「俺」とも言っていなかった、いつだって「私」。
前の自分はソルジャーだったし、ハーレイはキャプテンだったから。
おまけに秘密の恋人同士で、知られないよう気を付けていた。
だからいつでもハーレイは敬語、他の仲間たちの前で言い間違えたら大変だから。
(…ハーレイ、今は「またな」って…)
軽く手を上げて言ってくれる「またな」、日曜日に聞くと重たいけれど。
次はいつかと、ズシリと重くなるのだけれども、その「またな」。
言って貰えるのは、自分がただの教え子だから。
ソルジャーではなくて、ただの子供だから。
(ぼくが普通の子供だから…)
ハーレイの友達の先生とかと同じ扱い、と胸に溢れた幸せな気持ち。
前の自分が聞けなかった「またな」、それを自分は聞けるのだから。
普通の子供になったからこそ、ハーレイが言ってくれるのだから。
なんて幸せなんだろう、と思った「またな」の言葉。
今日はちょっぴり重たいけれども、今だから聞ける幸せな言葉。
ソルジャーではなくて、普通の子供。チビの教え子。
普通だから幸せなんだよね、と浮かんだ笑み。
「またな」と言って貰えるから。
いつか大きく育った時には、結婚だって出来るのだから…。
普通だから幸せ・了
※ハーレイ先生の別れ際の言葉、「またな」が重たい日曜日。ブルー君にとっては。
でも、その「またな」が聞けるのは今だからなのです。普通の子に生まれたことが幸せv
(ふうむ…)
明日からの予定は、とハーレイが頭に浮かべた一週間分のスケジュール。
ブルーと過ごした日曜日の夜、いつもの書斎で。
こうだったっけな、とコーヒー片手に。
一週間分のスケジュールと言っても、平日の分なのだけど。
月曜日から金曜日までの学校がある日、仕事がある日の五日分。
(週末には何も無いからな…)
今日と同じに、ブルーの家へと出掛けてゆける。
小さなブルーと一緒に過ごせる、お茶を飲んだり、食事をしたり。
今ではすっかり習慣になった、仕事の無い日の過ごし方。
(あれも立派にデートなんだ…)
何処に出掛けるわけでもないが、と顔が綻ぶ。
恋人と一緒にいられるのだから、二人きりの時間を持てるのだから。
(…次のデートは週末としても…)
他にも機会はありそうだな、と仕事がある日のスケジュールを思う。
長引きそうな会議は入っていないし、柔道部だって普段の通り。
急な用事が飛び込まなければ…。
(一回や二回は行けるだろうさ)
ブルーの家に、と考える。
仕事帰りに出掛けて行っても、全く問題無いのだから。
小さなブルーは大喜びだし、ブルーの両親も大歓迎。
夕食のテーブルに混ぜて貰って、ブルーの家族と普段着の食事。
気取った御馳走なんかではなくて、何処の夕食にもあるようなメニュー。
それが嬉しい、平日のデート。
あれもデートと呼ぶのなら。
今ではすっかり家族の一員扱いになった自分だけれど。
ブルーの両親も、笑顔で迎えてくれるけれども。
(やっぱり土日は、普段よりはなあ…)
御馳走といった雰囲気のメニュー、せっかくの休日なのだから、と。
自分と同じに仕事に出掛ける、ブルーの父も休みになる日。
朝からのんびり出来る日だから、御馳走になってしまいがち。
何処の家でも、きっと似たようなものだろう。
子供も学校が休みなのだし、「あれが食べたい!」と強請ったりして。
自分にだって経験があるから、よく分かる。
休日は普段よりも御馳走、それは自然なことなのだと。
(ああいう食事もいいんだが…)
フラリと寄った日の飯も好きなんだ、と考えることは贅沢だろうか?
そういう食事の方がいいな、と思ったりする日もあるなんて。
(今日も御馳走になっておきながら、贅沢の極み…)
ついでに昨日も御馳走だった、と土曜日のメニューも思い出すけれど。
凝った料理よりも普段着の料理、そっちの方に惹かれてしまう。
客扱いではないと分かるから。
本当に家族の一員扱い、「おかわりもどうぞ」と掛けられる声。
皿に綺麗に盛り付けられた御馳走も悪くないけれど…。
(大皿から好きなだけ取るってヤツもだ…)
家族になった気がするんだよな、と思うから。
何処から取ってもかまわない料理、形が崩れるわけではないから。
ブルーの母の手を煩わせなくても、自分で好きに取り分けて。
さて、明日からの一週間の間に、出会えるだろうか、そういう夕食。
スケジュール通りに運んだのなら、何処かで一度は行けそうな家。
仕事帰りに、普段とは違う方へと車を走らせて。
今からだったら充分行ける、とブルーの家へ向かう道へと。
夕食の支度に間に合う時間に、きちんと辿り着けそうならば。
通い慣れた家の門扉の横のチャイム、それを鳴らすことが出来そうならば。
(…今の所は行けそうなんだが…)
特に用事も無さそうだから、と思い浮かべた職場の学校。
行事の予定は何も無いのだし、柔道部の指導も順調なもの。
(俺の予定が駄目になるとしたら…)
柔道部の方くらいなモンか、と頭に描いた教え子たち。
「気を付けろよ」と言っているのに、たまに無茶をするものだから。
まだまだ早いと注意している技を使って、失敗するのはまだいいけれど…。
(たまに病院行きになるんだ)
あの馬鹿どもは、と浮かんでくる怪我をしそうな生徒の名前。
既に何度か怪我をした子や、運よく助かった生徒やら。
(ブラックリストというヤツで…)
あいつらが俺の足を引っ張るということも…、と考えてしまう放課後のこと。
「今日はブルーの家に行こう」と思っていたのに、車の行き先は近くの病院。
しょげている生徒を車に乗っけて、付き添いで。
診察が済んだら家まで送って、すっかり遅くなる時間。
ブルーの家には出掛けられなくて、車で家へと帰るしかない。
「とんだ目に遭った」と呟きながら。
だから何度も注意したのにと、あの馬鹿がまたやってくれたと。
頼むからやってくれるなよ、と願うクラブ活動中の怪我。
小さなブルーの家に出掛ける楽しみを奪う、ちょっとした事故。
御馳走ではなくて普段着の夕食、それを食べにゆく楽しみを。
家族の一員扱いの気分、それを満喫できる日を。
(ブルーと少しデートをしてだな…)
その後に家族で夕食なんだ、と心地良い時間を思い浮かべる。
ブルーと二人きりでなくても、とても幸せな時間だから。
いつかは本当に家族になれるブルーの両親、その人たちと一緒の食事。
まだまだ先だろうブルーとの結婚、それが連れてくる新しい家族。
幸せな未来を先取りしたようで、なんとも温かな気持ちになれる。
この人たちといつか家族になれるんだ、と。
(行ける筈だと思うんだが…)
あの馬鹿どもが怪我をしなければ、と確認してゆくスケジュール。
何も無いなと、他に俺の足を引っ張りそうな代物は、と。
(厄介な会議ってヤツは無いから…)
問題はクラブの事故だけなんだ、とフウと溜息。
こればっかりは俺の力ではどうにもならん、と。
なにしろヤンチャ盛りの年頃、叱った所で馬耳東風。
実力を過信しがちな年頃、いくら言っても聞きなどしない。
怪我をしてから、やっと反省する有様。
(それも、反省の中身がだな…)
指導する自分への詫びではなくて、生徒自身の気持ちの問題。
「明日から当分、練習できない」と、「クラブ活動は見学なんだ」と。
休んでいる間に力は落ちるし、ロクなことにはならないから。
不運な目に遭ったことを嘆いて、「しまった」と反省するだけだから。
(すみませんでした、とは言うんだがなあ…)
口だけだよな、と期待はしない教え子たち。
「やってくれるなよ」と願うしかない、自分の足を引っ張る事故。
車の行き先が病院になって、ブルーの家には行けないから。
普段着の食事を楽しむどころか、病院の付き添いで待合室に座る羽目になるから。
(本当に、俺じゃどうにもならんし…)
あいつらが勝手にやらかすんだから、と事故なるものを思ったけれど。
なんとも困ると、起こしてくれるなと考えたけれど。
(待てよ…?)
ただの生徒の怪我じゃないか、と気が付いた。
病院に連れて行けばいいだけ、叱って家まで送ればいいだけ。
(いったい俺は、何を心配してるんだ…?)
たかが怪我だ、と重なった前の自分の記憶。
遠く遥かな時の彼方で、白いシャングリラの舵を握っていた自分。
キャプテン・ハーレイだった頃の自分は、どういう日々を送っていたか。
船の中だけが世界の全ての、あの船でどう生きたのか。
(…事故と言ったら…)
もう本物の事故だった。
船の故障で済めばまだマシ、アルテメシアを離れた後には…。
(嫌というほど事故ってヤツが…)
事故と呼ぶのか分からないけれど、人類軍と遭遇した時や機雷群やら。
自分の予定が消し飛ぶどころか、船が消し飛びそうだった。
一つ間違えたら、宇宙の藻屑。
自分ばかりか、眠っていた前のブルーまで。
大勢のミュウの仲間たちまで、明日を失いそうだった。
今の自分とは桁違いの事故、前の自分が見舞われたのは。
なんてことだ、と思い返した「事故」という言葉。
柔道部で事故が起こらなければいいが、と願っていたのが今の自分。
たかが生徒の怪我なのに。
シャングリラで事故が起こった時には、そんな怪我では済まなかったのに。
(俺が病院まで付き添う前に、だ…)
搬送されて行った仲間たち。
医療班の者たちが駆け付け、メディカル・ルームへ。
そして自分には山のような役目、病院の待合室に座る代わりに。
白いシャングリラを守り抜くために、懸命に指揮を執り続けること。
事故のあった区画を閉鎖しろとか、航路を変更しろだとか。
人類軍の船が追ってくるなら、迎撃しろとか、そういったこと。
(今じゃ、生徒の怪我になっちまった…)
事故のレベルが違いすぎるぞ、と分かったから。
そうなったのも、今は自分がただの教師で、キャプテンとは違うせいだから。
(…人間、普通が一番ってことか…)
普段着の夕食と同じことだな、と浮かべた笑み。
食事のメニューも、人生の方も、普通が一番幸せだと。
平凡なようでも普通が一番、普通だからこそ幸せなんだ、と…。
普通が幸せ・了
※ハーレイ先生の平凡な日々。ブルー君の家で普通の食事、と願っているわけですけれど。
そういう普通なことが出来るのも、今は普通の人生だから。普通が一番幸せなのですv
(前のぼくなら、選び放題…)
きっとそうだったんだろうな、と小さなブルーが考えたこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日も学校で会った恋人、前の生から愛したハーレイ。
ずっと好きだったんだから、と思った途端に、ポンと頭に浮かんだ考え。
前の自分はハーレイと恋をしていたけれども、選び放題だった筈、と。
ミュウの長だったソルジャー・ブルー。
今の小さな自分と違って、ちゃんと育って立派な大人。
その気になったら、選び放題だったのだろう、と。
自分と恋をする人を。
前の自分と一緒に幸せに生きてくれる人を。
(もしも、ハーレイじゃなかったら…)
恋を隠していただろうか、と一番に気になったポイントは其処。
ハーレイと恋をしたのでなければ、前の自分は恋を隠さなくても良かったのでは、と。
(…だって、フィシス…)
前の自分がミュウの女神と呼んでいたフィシス。
機械が無から創った人間、けれども地球を抱いていた少女。
どうしても欲しくて、彼女を攫った。
前の自分のサイオンの一部を譲り渡して、ミュウに仕立てて。
白いシャングリラの仲間たちにも、フィシスはミュウだと大嘘をついて。
それは美しく育ったフィシス。
船の仲間たちは、多分、勘違いをしていただろう。
フィシスは選ばれた恋の相手で、前の自分の恋人なのだと。
何かと特別扱いをしたし、皆もフィシスの占いに頼っていたのだから。
(きっと、ソルジャーに相応しいって…)
そう思ったのに違いない。「フィシス様なら、よくお似合いだ」と。
勘違いをした仲間たち。
前の自分の恋人はフィシス、そんな具合に。
けれど、何処からも来なかった苦情。
口うるさいエラも咎めはしなかったのだし、フィシスだったら許された恋。
(前のぼくだって…)
丁度いい隠れ蓑だから、と敢えて否定はしなかった。
フィシスと恋をしているのならば、他に恋人はいない筈。
ましてや同じ男のハーレイ、そちらに目を向けはしないだろうと。
(フィシスとだったら、隠さなくてもいい恋で…)
堂々と二人並んで立てたし、フィシスの手を取って歩きもした。
まるで恋人同士のように。
何処から見たって、きっと恋人同士の二人だったろう、前の自分とフィシスなら。
(でも、誰も…)
自分とフィシスを引き離そうとはしなかった。
つまりは恋が許されたわけで、フィシスとだったら許された恋。
前の自分も、距離を置こうとは考えないままで、特別扱いしていたフィシス。
傍から見たら恋人なのに。
恋人のために、あれこれと心を砕くソルジャーだったのに。
(天体の間をフィシスにあげて、服だって…)
皆の制服とは違ったものを着せてあったのがフィシス。
ミュウの女神に相応しいよう、特別にデザインさせたドレスを。
首飾りだってフィシスだけだし、破格の待遇。
恋人を贔屓しているソルジャー、そう見えたかもしれないのに。
(誰もなんにも言わなかったし、前のぼくだって…)
やめようとしなかった特別扱い、フィシスは女神だったから。
青い地球を抱くフィシスが欲しくて、船の仲間も騙したのだから。
今から思えば、かなりの贔屓。
フィシスのための特別扱い、恋に目が眩んでいたかのよう。
けれども誰も咎めなかったし、前の自分も改めないまま。
フィシスだったら、何も問題無かったから。
似合いの二人に見えるだけのことで、船の未来まで左右はしない。
フィシスのカードが告げる未来は、ただ読み取っていただけのこと。
前の自分が「こう並べて」と指図などはしていないから。
カードはフィシスが繰っていただけ、未来を読む力が導くままに。
だから誰からも出なかった苦情、フィシスを特別扱いしても。
(フィシスが特別だったんだから…)
彼女を連れて来た自分への言葉も、称賛ばかり。
素晴らしい女神をよくぞ見付けたと、これでシャングリラもミュウの未来も安泰だと。
フィシスが船に留まるのならば、彼女と恋をしていてもいい。
それをフィシスが喜ぶのなら。
特別扱いされていることも、ソルジャーの恋人であることも。
(ちっとも隠していないよね…?)
船の仲間たちが勘違いをした、前の自分とフィシスの仲。
恋人同士だと思っただろうに、許されていたのがフィシスとの恋。
船の未来を左右したりはしないから。
恋人同士の二人だとしても、誰も困りはしないから。
(自分が恋人になりたかったのに、っていうのは別だけど…)
そういう人しか困らなかった。
ソルジャーとキャプテンが恋をしたなら、大勢の人が困るのに。
白いシャングリラを導くソルジャー、その舵を握っているキャプテン。
船の頂点に立っていた二人、恋をすることは許されない。
シャングリラを私物化しているのだ、と皆から非難されるから。
たとえ会議を開いてみたって、「茶番だ」と言われるだろうから。
全て二人で決めるのだろうと、会議なんかは開くだけ無駄、と。
ハーレイの立ち位置が恋の障害、前の自分たちの恋はそうだった。
皆に知れたら、船の未来が危うくなってしまう恋。
フィシスだったら、誰も困りはしないのに。
前の自分がせっせと特別扱いをしても、ミュウの女神にぞっこんでも。
(フィシスが恋人に見えても平気だったんだから…)
違う誰かでも、きっと問題無かっただろう。
恋をしていると皆に気付かれても、シャングリラ中に知れてしまっても。
ついでに相手は選び放題、前の自分に夢中の女性は多かった。
声を掛けたら、きっと誰でも恋の相手になったろう。
ブリッジにいた、ヤエだって。
長老だったエラやブラウも、選んでしまってかまわない。
ただ長老だというだけなのだし、長老は他にもいるのだから。
(ゼルやヒルマンでも…)
かまわないわけで、ノルディを相手に選んだっていい。
誰を選んで恋をしたって、何処からもきっと苦情は来ない。
フィシスでも許されたのだから。
あれほどの贔屓と特別扱い、それでも文句は出なかったから。
(お互い、きちんと仕事してれば…)
ヒルマンだろうが、ブラウだろうが、前の自分の恋の相手は選び放題。
たった一人だけ、前のハーレイを除いては。
シャングリラの舵を握るキャプテン、本当の恋人だったハーレイ。
最後まで明かせないままで恋は終わって、誰も知らない。
前のハーレイは日誌に書かなかったし、前の自分も何一つ残さなかったから。
けして知られてはならない恋だと、二人で隠し続けたから。
他の誰かと恋をしたなら、堂々とデート出来たのに。
おまけに相手も選び放題、ゼルでもエラでも良かったのに。
(なんで、ハーレイを選んじゃったわけ…?)
よりにもよって、一番厄介なハーレイに恋、と首を捻ったけれど。
どうしてハーレイだったのだろう、と思うけれども、答えなんかがある筈もない。
恋はそういうものだから。
気付けばすっかり恋をしていて、囚われているものだから。
(前のぼくだって…)
ハーレイを好きだと思った時には、とうに虜になっていた。
他の誰かの方がいいとは、微塵も思いはしなかった。
ハーレイに恋をしているのだから、他の者など目に入らない。
皆には言えない恋であっても、明かせない恋だと気付いていても。
(恋しちゃったら、どうしようもないし…)
それこそ失恋しない限りは、きっと壊れはしないのだろう。
一緒にいたいと思う気持ちは、誰よりも好きだと惹かれる心は。
たとえ失恋したとしたって、忘れることなど出来ないのだろう。
その人に恋をしたことを。
好きだと気付いて、胸をときめかせた日々を。
(…前のぼく、失恋しなかったから…)
ハーレイと恋に落ちてしまった、誰にも言えない秘密の恋に。
二人きりの時しかキスも出来ない、抱き合うことさえ出来ない恋に。
前の自分は、恋人を選び放題だったのに。
ハーレイ以外なら誰を選んでも、堂々と恋が出来たのに。
皆が勘違いをしたフィシスだろうが、ヒルマンだろうが、ブラウだろうが。
ゼルが好きだと告白したって、エラやノルディと激しい恋に落ちたって。
もちろんヤエに恋してもいいし、もう本当に選び放題。
ハーレイでさえなかったら。
恋の相手に選びたいのが、キャプテンでさえなかったら…。
けれど、選んでしまったハーレイ。
一番厄介な立ち位置のキャプテン・ハーレイ、でも後悔はしなかった。
他の人など、もう目に入りはしなかったから。
きっと最初から見てもいなくて、ハーレイに恋をしていたから。
(…ハーレイだけしかいなかったんだよ…)
いつも一緒にいたかった人は、側にいたいと願った人は。
エラでもブラウでもヒルマンでも駄目で、ゼルもノルディも駄目だった。
ハーレイ以外に恋はしなかったし、ハーレイだけが恋人だった。
誰にも言えない恋だったけれど、別れのキスも出来ないままで終わったけれど。
それでもハーレイを選んだことは、最期まで後悔してはいなくて…。
(もう会えない、って泣きじゃくりながら…)
前の自分は死んでしまった。
ハーレイの温もりを失くしてしまって、右手が凍えて冷たいと泣いて。
けれど、終わらなかった恋。
蘇った地球に生まれ変わって、またハーレイと出会ったから。
(今度もやっぱり、ハーレイだけ…)
ぼくには君しかいないんだもの、と今の幸せを噛み締める。
恋の相手が選び放題だった頃より、きっと自分は幸せだから。
今度の恋は隠さなくてもいい恋なのだし、ハーレイを選んでも誰も咎めはしないから。
それにとっくに選んだ恋。
まだまだチビで小さいけれども、もう決めている未来のこと。
いつか大きく育った時には、ハーレイと挙げる結婚式。
前の生からの恋の続きは、ハッピーエンドの恋になる。
たった一人だけの運命の人と、今度は幸せに生きてゆく。
今度もハーレイを選ぶから。ハーレイだけしか選べないから、他の人に恋は出来ないから…。
君しかいない・了
※前の自分の恋の相手は選び放題だったのでは、と今頃になって気付いたらしいブルー君。
でも、選びたかったのはハーレイだけ。今度もやっぱり選ぶハーレイ、運命の恋人同士ですv
(すっかりチビになっちまったんだが…)
当分はキスも出来そうにないが、とハーレイが思い浮かべた恋人。
夜の書斎で、熱いコーヒーを淹れたカップを手にして。
前の生から愛した恋人、小さくなってしまったブルー。
今日も学校で会ったけれども、何処から見たって年相応。
十四歳にしかならない子供で、学校で一番のチビでもある。
(まあ、前に会った時もあのくらいでだ…)
最初はこのくらいだったんだ、と眺めた木枠のフォトフレーム。
夏休みの記念にブルーと写した、二人並んで収まった写真。
左腕にギュッと抱き付いたブルーは、本当にまだ子供だけれど。
(今度は正真正銘、子供だ)
アルタミラで会った時と違って、と写真のブルーの笑顔を見詰める。
前のブルーと初めて出会ったアルタミラ。
今と同じに少年だったブルー、けれども本当は遥かに年上。
ただ成長を止めていただけ、成人検査を受けた直後の姿のままで。
(分かっちまうと、なんともなあ…)
悲しかったのを覚えている。
ブルーが年上だったからではなくて、その運命。
どれだけの苦痛を受けて来たのかと、自分の身と照らし合わせてみて。
どれほどの時を地獄の中で生きて来たかと、なんと悲しいことだろうかと。
(前の俺みたいにデカけりゃなあ…)
ブルーと会った時には青年だったし、大きく育っていた身体。
その身体ならば、同じ苦痛でも軽く感じるのだろうに。
少年の姿で味わうよりかは、遥かにマシな筈なのに。
それを思うと辛かった。
どうしてブルーは、と痛ましくて、ただ悲しくて。
アルタミラから逃れたブルーは、やがて大きく育ったけれど。
美しく気高い前のブルーになったけれども、今はチビ。
また巡り会えて、青い地球の上で二人して記憶を取り戻したけれど…。
(当分は、教師と教え子ってことで…)
恋人同士には戻れそうもないな、と少し残念にも思う。
今も愛しているのだけれども、キスを交わせはしないから。
前と同じに愛を交わして、共に暮らせはしないのだから。
(あいつが大きくなるまでの辛抱…)
それにチビでも可愛いんだ、と小さなブルーの愛らしさを想う。
前のブルーも出会った時にはチビだったけれど、悲しい過去を持っていたチビ。
アルタミラでの辛い日々だけしか、覚えていなかった小さなブルー。
(今のあいつとは違ったんだ…)
幸せ一杯に育った今のブルーは、やっぱり違う。
前のブルーより、ずっと我儘で小さな王様。
(キスまで強請って来やがるしな?)
我儘の極みがキスのおねだり、と大きく頷いて可笑しくなった。
前のブルーがチビだった頃は、キスなどしてはいないから。
恋人同士ではなかったわけだし、それで当然。
だから知らない、出来もしないキスを強請るブルーは。
「ぼくにキスして」と言われた時には、前はいつでもキスをしたから。
ちゃんと育った前のブルーに。
「キスしてもいいよ?」と言われた時にも、遠慮なく。
誰よりも愛したブルーなのだし、キスのチャンスは逃さない。
今のブルーなら、「キスは駄目だ」と断るけれど。
「前のお前と同じ背丈に育つまでは」と、叱って釘を刺すのだけれど。
キスも出来ない小さな恋人、本当に小さな子供のブルー。
いつか大きく育ってくれる日までは、デートも出来ない今の恋人。
(俺くらいの年で、恋人がいれば…)
休日の度にデートだよな、と浮かんだ考え。
とうに結婚した友人だって多いのだから、遅咲きとも言える自分の恋。
そんな自分が恋をしたなら、きっと休みの度にデートだろう。
愛車を走らせて迎えに出掛けて、食事にドライブ、家にだって呼ぶ。
「寄っていかないか?」と、デートの帰りに誘うことだってあるだろう。
大人同士の恋なのだから、門限だって無いのだから。
(そのまま泊まって行っちまうことも…)
あるんだろうな、と巷に溢れるカップルを思うと少し寂しい。
せっかくブルーと再会したのに、恋の続きが始まったのに。
どうやら振り出しに戻ったらしいと、初めてのキスからやり直しだ、と。
(しかも、そいつがいつになるやら…)
とんと分からん、と零れた溜息。
小さなブルーは今もチビのまま、少しも育ちはしないから。
一ミリさえも伸びていないのがブルーの背丈。
(ゆっくり育てよ、とは言ったんだがなあ…)
前のブルーが失くしてしまった、幸せな子供時代の記憶。
それを充分に取り戻せるよう、今を満喫出来るよう。
ゆっくり育って欲しいけれども、その分、先延ばしになるのがデート。
初めてのキスも先延ばしになるし、結婚だってずっと先のこと。
なんとも困った、と苦笑い。
恋人はちゃんといるというのに、人並みにデートも出来ないようだ、と。
キスも無理ならドライブも無理で、小さなブルーは恋人なだけ。
「好きだよ」とブルーが言ってくれても、まだ幼くて無垢な子供の「好き」だから。
前のブルーが口にしたのとは、きっと中身が違うから。
困ったもんだ、と思うけれども、二人でデートも出来ないけれど。
(もっと他の誰かにだな…)
恋をしていりゃ良かったのか、と自分に向かって投げ掛けた問い。
小さなブルーとは違う誰かで、直ぐにデートに出掛けられる人。
女性だったら、気にすることは何も無い。
ごくごく普通のカップルなのだし、デートを重ねて、いずれは結婚。
子供部屋だって直ぐに出番が来るだろう。
(うんと賑やかに…)
子供が多い家になるかもしれない、子供は大好きなのだから。
そういう平凡な人生だったろうか、もしもブルーと出会わなければ。
いつか女性に恋して結婚、子供も大勢生まれたろうか。
それも幸せだろうけれども、今となっては思い描けないそういう未来。
ブルーに出会ってしまったから。
前の生から愛し続けた、愛おしい人を見付けたから。
(駄目だな、他の誰かなんてな)
俺にはあいつしかいないんだ、と覗き込んだ小さなブルーの写真。
フォトフレームの中、とびきりの笑顔。
(お前を見付けちまうとなあ…)
他には誰も考えられんな、と小さなブルーに心の中で呼び掛ける。
「俺のブルーだ」と、「お前だけだ」と。
育つまでずっと待っていてやると、他の誰かに恋はしないと。
チビだからキスが出来なくても。
ドライブもデートも無理な恋人でも、本当にブルーしかいない。
心の底から「欲しい」と思う恋人は。
絶世の美女に巡り会おうが、きっと心が動きはしない。
小さなブルーを見付けたから。
ブルーと恋をしてゆくのだから。
(それに、あいつは凄い美人に…)
育つんだから、と浮かべた笑み。
今の時代も人気があるのが、美しかった前のブルー。
写真集が何冊も出されるくらいに、ベストセラーになるほどに。
(絶世の美女ではないんだが…)
女じゃないしな、というだけのことで、前のブルーの美貌は今も大勢の人を惹き付ける。
それとそっくり同じ姿に育ってゆくのが、小さなブルー。
誰もがハッと振り返るほどに、それは美しく気高い人に。
そうなった時は、きっと素晴らしいデートが出来ることだろう。
二人で街を歩いていたなら、誰もが注目するブルー。
(そのブルーが俺の恋人で…)
きっと自分も得意満面、ブルーを見せびらかすのだろう。
どんなもんだと、俺の恋人は凄いだろうと。
(しかし…)
そういう自慢が出来なくても、とハタと気付いた。
もしもブルーが違う姿でも、自分は愛していたろうと。
巡り会えたなら、また恋をして。
「俺のブルーだ」と、ギュッと抱き締めて。
たとえ人ではなかったとしても、子猫のブルーに出会っていても。
育っても普通の猫になるだけのブルーでも。
(…うん、間違いなく…)
可愛がるな、と自信を持って言い切れる。
いつだったかブルーが「猫だったら良かった…」と話したけれども、その時のように。
猫のブルーをせっせと世話して、車に乗せてドライブにだって。
寿命の短い猫のブルーがいなくなったら、きっと自分は探すのだろう。
何処に行ったかと、今度は何に生まれ変わって来てくれるのかと。
それこそ世界中を回って、きっとブルーを見付け出す。
子猫だろうが、小鳥だろうが。
「俺のブルーだ」と連れて帰って、精一杯の愛を注ぐのだろう。
ブルーが幸せでいられるように。
前のブルーとは違う姿でも、ブルーが何になったとしても。
(俺にはお前しかいないんだ…)
だから贅沢を言っちゃいかんな、と眺めた小さなブルーの写真。
いつか育てば、キスもデートも出来るのだから。
嬉しいことに、ブルーは前と同じ姿で、人に生まれて来てくれたから。
ブルーだけしか好きになれない、自分と恋をするために。
今度こそ二人、この地球の上で、いつまでも幸せに生きてゆくために…。
お前しかいない・了
※ハーレイ先生が好きになるのはブルー君だけ。絶世の美女より、ブルー君を選ぶのです。
もしも猫でも、迷わずに選ぶブルー君。猫でも抱き締めてデートに行くんでしょうねv