(…今日は会い損なっちゃった…)
一度もハーレイに会えなかったよ、と小さなブルーがついた溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドの端っこに腰を下ろして。
朝、学校に着くなり姿を探した恋人。
運が良ければ、柔道着を着たハーレイに会える朝もあるから。
(だけど、いなくて…)
柔道着のハーレイも、スーツ姿のハーレイも。
そういう朝も珍しくないし、特に気にしていなかった。
きっと何処かで会えるから。
廊下でバッタリ顔を合わせるとか、歩いてゆく姿を見掛けるだとか。
言葉を交わす時間が無くても、見られるだけで充分、幸せ。
前の生から愛した恋人、それがハーレイなのだから。
生まれ変わって再び出会えて、恋の続きが始まったから。
(ちょっぴり見られたら、それで幸せ…)
遠くても、後姿でも。
挨拶出来たらもっと幸せ、「ハーレイ先生!」と声を掛けられたなら。
立ち話が出来たら幸せ一杯、なんて幸運だろうと思う。
「ハーレイ」と呼ぶことは出来ない学校、「ハーレイ先生」と呼ぶしかなくても。
会えて話が出来れば幸せ、心が空へと舞い上がりそう。
ハーレイが好きでたまらないから。
ずっと愛している人だから。
けれども、運が悪かった今日。
朝に会えなくて、その後もずっと会えないままで。
(…来てくれるかと思ってたのに…)
待っていたのに、鳴らなかった来客を知らせるチャイム。
ハーレイに会えずに終わってしまった、寂しい今日。
たまに、こんな日もあるけれど。…本当に、たまにあるのだけれど。
寂しいよ、と零れた溜息。
ハーレイに会えずに終わった一日、なんとも悲しい気持ちだけれど。
(でも、明日はきっと…)
会える筈だよね、と思い浮かべた時間割。
自分のクラスの分と違って、同じ学年の古典の授業。
(…覚えちゃった…)
年度初めに少し遅れて、ハーレイが赴任して来た、あの日。
前の自分が帰って来た。
ハーレイを愛した記憶と一緒に、ソルジャー・ブルーの記憶を連れて。
そして始まった、まるで奇跡のような恋。
前の自分の恋の続きを、今の自分が生きている。
ハーレイが好きで、好きでたまらなくて、学校でも探している自分。
だから覚えた、他のクラスの時間割。
何処のクラスに何時間目にハーレイが来るか、それだけを。
時間割が変わる度に覚えて、覚え直して、今だって。
(明日は隣のクラスだから…)
自分の授業が終わって直ぐに廊下に出たなら、会える筈。
ハーレイの方でも、少し待っていてくれるから。
チビの恋人が顔を出さないか、廊下でほんの少しだけ。
教科書や資料をチェックしながら、何気ない風で。
質問のある生徒がやって来ないか、待っているようなふりをして。
(…ホントは、そっちかもしれないけれど…)
授業の間に手を挙げそびれた、質問のある子。
それを待つのかもしれないけれども、ほんの僅かな待ち時間。
急いで廊下に飛び出して行けば、そのハーレイに挨拶が出来る。
「ハーレイ先生!」と声を掛けたら、立ち話だって。
だから明日には会えるハーレイ、それは間違いない筈で。
声だってきっと聞けるのだけれど、会い損なってしまった今日。
それがなんとも寂しくて悲しい、ほんの一日のことなのに。
たまにそういう日だってあるのに、もう寂しくてたまらない。
ハーレイの姿を見られなかったというだけで。
愛おしい人に挨拶出来なかっただけで。
(…寂しいよ、ハーレイ…)
会いたいよ、と思うけれども、ハーレイが来るわけがない。
とうに夜だし、チビの自分は後はベッドに入るだけ。
そんな時間にハーレイは来ない、家を訪ねて来たりはしない。
他所の家のチャイムを鳴らしに行くには、もう遅すぎる時間だから。
気心の知れた大人の客人、そういう人しか遅い時間に訪問したりはしないから。
(…前のぼくなら…)
この時間でも、ハーレイを待てた。
キャプテンの仕事は多忙だったから、遅い日はもっと遅かった。
日付が変わった後になってから、青の間に来た日もしょっちゅうで…。
(お疲れ様、って…)
ハーレイを迎えて、キスを交わして、それからは二人。
恋人同士の時間を過ごして、朝まで一緒。
けれども、今はそうはいかなくて、チビの自分は寝る時間。
明日も学校があるのだから。
夜更かししすぎて寝坊するなら、まだマシだけれど…。
(…疲れすぎたら、学校、お休み…)
それは困る、とベッドに入った。
もしも欠席してしまったなら、またハーレイに会い損なうから。
そうは思っても、やっぱり寂しい。
今日はハーレイに会い損なったし、前の自分なら、この時間でも…。
(…ハーレイ、部屋に来てくれたのに…)
待っていたなら、いつだって。
遅くなっても、大急ぎで。
(たまに、ゼルたちとお酒を飲んでて…)
来そうにないな、と溜息をついて一人で眠った日もあったけれど。
朝になったら、ちゃんとハーレイの腕の中。
いつの間にベッドにやって来たのか、隣で眠っていたハーレイ。
前の自分をしっかりと抱いて、一人にしたりはしなかった。
(…なのに、今だと…)
独りぼっち、と上掛けの下で丸くなる。
これから先も独りぼっちで、大きくなるまでずっと一人、と。
チビの自分は、ハーレイとキスも出来ないから。
前の自分と同じ背丈にならない限りは、キスを許して貰えないから。
(…ホントのホントに…)
寂しいよ、と唇から漏れた独り言。
どうせハーレイには届かないけれど、聞こえても来てはくれないけれど。
(ハーレイのケチ…)
それに意地悪、と心で零して、それだけではまだ足りない気持ち。
ケチな恋人に聞かせてやりたい、独りぼっちの自分の嘆き。
「ホントに独りぼっちなんだから…」
ハーレイのせいで独りぼっち、と声に出してみて、ハッと気付いた。
もっと悲しい独りぼっちを、自分は知っていたのだと。
いくら呼んでもハーレイは来ない、二度と会えない独りぼっちを。
前の自分の悲しすぎた最期。
右手に持っていたハーレイの温もり、それを失くして一人になった。
仲間は誰もいないメギドで、命の焔が消えてゆく時に。
(もう会えない、って…)
二度とハーレイに会えはしない、と泣きじゃくりながら死んでいった自分。
あれが本当の独りぼっちで、それに比べたら今の自分は…。
(ハーレイのケチ、って…)
文句も言えるし、悪口も言える。「ハーレイの意地悪」と。
今はベッドで独り言だけれど、面と向かって言う時だって。
「…ハーレイのケチ…」
それに意地悪、と声に出したら、ふわりと温かくほどけた心。
まるでハーレイに届いたかのように、「俺はそんなにケチで意地悪か?」と言われたように。
ケチと言った声は届かなくても、ハーレイはちゃんといるのだから。
何ブロックも離れた所で、この時間なら、書斎でのんびりコーヒーかお酒。
(…ハーレイ、ちゃんといてくれて…)
今日はたまたま会えなかっただけ、明日にはきっと会える筈。
家にだって寄ってくれるかもしれない、「仕事が早く終わったからな」と。
(独りぼっちじゃないんだ、ぼく…)
今は一人でも、ハーレイがいるよ、と声にしてみた恋人の名前。
「ハーレイ」と、其処にいるかのように。
応えはなくても、愛おしい人を。
「ハーレイ…」
ねえ、と呼び掛けてみたら、心に溢れた幸せな気持ち。
魔法の呪文だったかのように、幸せな呪文を唱えたように。
呼び掛ける声は届かなくても、会って呼んだら、きっと答えが返るから。
ハーレイも自分も生きているから、恋の続きを生きているから。
「…ハーレイのケチ…」
意地悪、と言ってみるのだけれども、胸に幸せが満ちてゆく。
独りぼっちでも、そうさせているハーレイは此処にいないだけ。
明日は会えるし、いつかはハーレイと一緒に暮らしてゆけるのだから。
二人、幸せなキスを交わして、結婚式を挙げて。
それを思うと、幸せな呪文が止まらない。
瞼が自然に落ちて来るまで、「ハーレイ」と呼んで呼び続けたい。
「ハーレイのケチ」でも、「ハーレイの意地悪」でも、幸せが心に溢れるから。
幸せな呪文は恋人の名前で、呼ぶだけで幸せになれるのだから。
「ハーレイのケチ…」
それに意地悪、と繰り返したって、きっとハーレイは怒らない。
「またか」と笑って、コツンと額を小突かれるだけ。
「俺は子供にキスはしない」と、「夜に訪ねはしないぞ」と。
コツンと額を小突く手だって、ハーレイの手だから、それも幸せ。
だから幸せな呪文を唱える、恋人の名前が入った言葉。
織り込んで何度も唱え続ける、「ハーレイのケチ」と、「意地悪」と。
自然に眠気が訪れるまで。幸せな呪文が寂しさを消して、幸せで満たしてくれるまで…。
幸せな呪文・了
※ハーレイ先生に会い損なった日のブルー君。「寂しいよ」と零してましたけど…。
幸せな呪文を見付け出したら、「ハーレイ」と何度も繰り返し。素敵な呪文ですものねv
(今日は会い損なっちまったなあ…)
あいつと会えずに終わっちまった、とハーレイがフウとついた溜息。
夜の書斎で、コーヒー片手に。
小さなブルーを思い浮かべて、会い損なった恋人を想って。
本当に一度も会えなかったなと、姿も見られずに終わっちまった、と。
(午後まで研修だった上に、だ…)
どうしたわけだか、会議まであった。
研修で留守にしていたのだから、わざわざ出なくてもいいのだけれど。
(こいつが俺の性分ってヤツで…)
家に帰ってのんびりするより、学校に行こうと考えるタイプ。
研修が早く終わったのなら、柔道部の指導をしてやりたい。
放課後に会議があると言うなら、もちろん会議に出なくては。
だから出掛けて行った学校。会議の時間に間に合うように。
(早めに終わると思ったんだが…)
てっきりそうだと思っていたのに、何故か長引いてしまった会議。
終わった時には、とっくの昔に…。
(…あいつの家に行ける時間を、過ぎちまってて…)
仕事帰りに寄った時には、いつも御馳走になる夕食。
ブルーの母の都合もあるから、「この時間まで」と決めてある時間。
それを過ぎたら、ブルーの家には寄らずに帰る。
寄ってしまったら、ブルーは離してくれないから。
「今日はお茶だけで結構です」と言ったとしたって、ブルーの母も。
急いで夕食の追加を作り始めるだろう、ブルーの母。
そうなることが分かっているから、例外は無し。
この時間では駄目だ、と家に帰ったけれど。
夕食作りを楽しんだけれど、食べ終わったら寂しくなった。
(あいつの家に寄らずに帰る日も多いから…)
気にしていなかった、一人の夕食。
今日は一人だと、何を作って食べようかと。
帰りに食料品店に寄って、あれやこれやと選んで買った。
作りたい料理を考えながら、それを作るならこれとこれに…、と。
料理は好きだし、作る間は鼻歌交じり。
出来上がったら器に盛り付け、味わって食べた今日の夕食。
ちょっと工夫を凝らした成果や、新鮮な素材の持ち味やらを。
(…そこまでは普段通りだったんだが…)
食べ終えて、さて、と片付けにかかった所で気が付いた。
一度も会っていない恋人。
朝から一度も会わなかったと、顔さえ見てはいないのだと。
(なんのはずみで気が付いたんだか…)
今となっては分からないけれど、それが始まり。
小さなブルーに会っていない、と胸に生まれた寂しい気持ち。
いつもだったら、何処かで一度は会えるから。
「ハーレイ先生!」と声を掛けられたり、遠目に姿を見掛けたり。
銀色の髪の小さな恋人、学校では教え子の一人だけれど。
(それでも、俺の恋人なんだ…)
俺にはあいつだけなんだ、と眺めた小さなブルーの写真。
夏休みの終わりに二人で写した、記念写真の中のブルーの笑顔。
こいつで我慢するしかないな、と。
前の生から愛した恋人、誰よりも愛しい小さなブルー。
巡り会うまで忘れていたのに、ブルーのことさえ知らなかったのに。
再び出会って戻った記憶。
遠く遥かな時の彼方で、前のブルーと恋をしていた。
白いシャングリラで共に暮らして、幸せな時を過ごしていた。
ブルーを失くしてしまうまで。…前のブルーがいなくなるまで。
けれど、戻って来たブルー。
奇跡のように二人で時を飛び越え、青い地球の上でまた巡り会えた。
ブルーは子供になってしまって、まだまだ一緒に暮らせないけれど。
キスも出来ない有様だけれど、それでも出会えた愛おしい人。
今日のように会えずに終わった日でも…。
(あいつは、ちゃんと生きてるってな)
ブルーの方でも「会えなかった」と、寂しがっているかもしれないけれど。
「遅くなってもいいから、来て欲しかったのに…」と、膨れっ面かもしれないけれど。
それともベッドで眠っているのか、本でも読んで夜更かし中か。
いずれにしたって、小さなブルーはこの町にいる。
何ブロックも離れた場所でも、今のブルーが育った家に。
両親も一緒の暖かな家に、何の心配も要らない家に。
(明日になったら、きっと会えるさ)
ブルーのクラスで古典の授業は無いのだけれども、隣のクラスで教える日。
きっとブルーは廊下に姿を現すだろう。
自分の授業が終わった途端に、「ハーレイ先生!」と。
それまでに会えていなかったなら。
挨拶を交わしていなかったなら。
明日はブルーに会える筈だし、きっと何処かで挨拶できる。
「ブルー」と呼び捨てに出来はしなくて、「ブルー君」だけれど。
帰りにブルーの家に寄り損なったら、「ブルー君」にしか会えないけれど。
(それでも充分、幸せだってな)
あいつの名前をまた呼べるんだ、と眺める小さなブルーの写真。
「なあ、ブルー?」
ブルー君でもかまわないよな、と声に出したら零れた笑み。
この名前をまた呼べるなんてと、呼べばブルーが応えるなんて、と。
「ブルー君」でも、「ブルー」でも。
呼べばブルーは応えてくれる。
写真の中の小さなブルーは駄目だけれども、本物ならば。
「ハーレイ先生!」と駆け寄って来たり、「ハーレイ?」と首を傾げてみたり。
その時々で変わる表情、生きて動いているブルー。
前の自分は、失くしたのに。
愛したブルーを失くしてしまって、生きる意味さえ失ったのに。
(もう一度、あいつに巡り会えて、だ…)
何度呼んでもかまわない名前。
「俺のブルーだ」と抱き締める時も、こうして写真に呼び掛ける時も。
ブルーは帰って来てくれたから。
失くしてしまった人の名前を、呼んだ頃とは違うから。
前の自分が涙交じりに呼んだ名前を、今は泣かずに呼ぶことが出来る。
ブルーは生きているのだから。
会い損なってしまった時でも、ブルーは何処かにいるのだから。
「もう寝ちまったか、夜更かしするなよ?」
お前、身体が弱いんだから…、と写真のブルーに呼び掛ける。
ちゃんと寝ろよと、身体を壊して寝込むんじゃないぞ、と。
「おい、ブルー?」
分かってるか、と言っても写真は答えないけれど。
とびきりの笑顔でこっちを見ているだけなのだけれど、本物のブルーは…。
(今もあいつの家にいるんだ…)
机の前だか、ベッドの中だか、それは全く分からないけれど。
小さなブルーはちゃんと生きていて、何度でも名前を呼ぶことが出来る。
口にする度、幸せが胸に溢れる名前を。
前の自分は泣きながらブルーを呼んでいたけれど、もう泣かなくてもいい名前。
失くしたブルーは帰って来たから、腕の中に帰って来てくれたから。
(まだ一緒には暮らせなくても、あいつの名前を呼ぶだけならな…)
誰も自分を咎めはしないし、学校で会えば「ブルー君」。
ブルーの家なら「ブルー」と呼び捨て、この家で口にする時も。
前のブルーがいた時のように、呼ぶ度にこみ上げる愛おしさ。
小さなブルーは、いつも応えてくれるから。
会い損なってしまった時でも、どうしているかと姿を思い描けるから。
寂しそうな顔も、膨れっ面も。
とびきりの笑顔も、どれも本物なのだから。
今の自分が目にしたブルーで、生きて帰って来たブルー。
呼べば答えが返るブルーで、失くしたままではないのだから。
前のブルーを失くした時には、呼んでも返りはしなかった答え。
ただ青の間の空気だけがあった、主を失くして空っぽの部屋。
何度あそこで泣いただろうか、前のブルーの名を呼びながら。
ブルーは応えはしないのに。
二度と戻って来るわけもなくて、どんなに呼んでも無駄なのに。
けれど、呼ばずにはいられなかった名前。
どうしているかと、一人、寂しくはないだろうかと。
いつか会えたら抱き締めたいと、その日まで待っていて欲しいと。
(…その名前を、だ…)
今は幸せの中で呼ぶことが出来る。
学校でブルーにバッタリ会ったら、「ブルー君」。
ブルーの家に出掛けて行ったら、前と同じに呼び捨てで「ブルー」。
こうして写真を見詰める時にも、「ブルー」と呼んでかまわない。
小さなブルーは、生きて帰って来てくれたから。
愛おしい人とまた巡り会えて、恋の続きを生きているから。
「あいつは俺のブルーで、だ…」
ブルー、と名前を口にするだけで、心に満ちてゆく幸せ。
また呼べるのだと、ブルーは応えてくれるのだから、と。
会えなかった日でも、呼べば心に溢れる幸せ。
まるで幸せの呪文のように、何度も「ブルー」と口にしてみる。
きっと明日には会える筈だから、それを思って幸せの呪文。
愛おしい人の名前を、繰り返して。
「俺のブルーだ」と、幸せの呪文を何度も言葉に織り込んで、乗せて…。
幸せの呪文・了
※名前を呼んだら、相手が応えてくれる幸せ。前のブルーを失くしている分、尚更です。
ハーレイ先生にとっては幸せの呪文、ブルーの名前。何度呼んでもいいのですv
(ビックリしちゃった…)
本物の青い鳥だったよ、と小さなブルーが思い返した出来事。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日の昼間に起こった出来事、思いもしなかった小さな事件。
窓のガラスに小鳥がゴツンとぶつかった。
おやつを食べていたダイニングで。
窓に映った庭の景色を、本物の景色と間違えた小鳥。
(ゴツンっていうから…)
何かと思って見に行ってみたら、テラスにコロンと転がった小鳥。白いお腹を上にして。
ぶつかったんだ、と直ぐに分かった。
死んでしまったかと慌てたけれども、暫く経ったら起き上がった小鳥。
けれど、今度は膨れてしまった。
ふくら雀みたいに、真ん丸に。
驚いて羽根が逆立っているのか、真ん丸になってしまった小鳥。
大変なことになっちゃったかも、と思ったけれども、その鳥の羽根。
お腹の方は真っ白なのに、他の部分は目が覚めるように鮮やかな瑠璃。
青い小鳥だ、と気が付いた。
前の自分が憧れた鳥。
幸せを運ぶ青い小鳥で、それを飼いたいと願った自分。
(だけど、シャングリラで青い小鳥は…)
飼えなかった、と今でも零れてしまう溜息。
青い小鳥は、何の役にも立たないから。
船の中だけが全ての世界で、そんな生き物を飼えはしないから。
すっかり忘れてしまっていた夢。
それが一気に蘇ったから、嬉しくなってしまったけれど。
流石は地球だと、青い小鳥が降って来るんだ、と顔が綻んでしまったけれど。
その、降って来た青い鳥。
羽ばたいて何処かへ飛んでゆく代わりに、テラスで真ん丸に膨れたまま。
突っ立ったままで丸く膨れて、ピクリとも動きはしないから。
今度は小鳥が心配になった、このまま死んだりしないだろうかと。
幸せを運ぶ旅の途中で、とんでもない事故に遭ったから。
(そしたら、ハーレイ…)
普段よりも早い時間に来た恋人。
母が買い物から戻らない内に、本当にとても早い時間に。
なんて幸せなんだろう、と思ったけれど。
青い小鳥がちゃんと幸せを運んでくれた、と喜んだけれど、それも一瞬。
ハーレイが早い時間に来てくれた幸せ、それを運んで来てくれた小鳥。
幸せを届けてくれた小鳥は、死にそうだから。
窓ガラスに身体をぶつけてしまって、死んでしまうかもしれないから。
(…命懸けで幸せの配達なんて…)
其処まで頑張ってくれなくてもいい、と小鳥の姿に前の自分が重なった。
ミュウの未来を守るためにと、メギドを沈めて死んでいった自分。
仲間たちに幸せを届けたけれども、未来を届けてあげられたけれど。
前の自分は死んでしまって、もう幸せは配れなかった。
幸せを配りに出掛けるどころか、自分の命も失くしてしまった。
頑張ったことは少しも後悔しないけれども、青い小鳥は其処まで頑張らなくてもいい。
ハーレイを連れて来てくれるために、命まで失くさなくてもいい。
命懸けで幸せを配らなくてもと、そんな悲しいことをしないで、と。
多分、曇っていただろう顔。
「どうしたんだ?」と尋ねた恋人、「急に元気が無くなったぞ」と言ったハーレイ。
だから急いで引っ張って行った。
ハーレイだったら、青い小鳥をどうすればいいか、きっと教えてくれる。
獣医に連れて行くべきだとか、このまま見守ってやればいいとか。
「大変なんだよ」と、「ぼくの青い鳥…」と、ハーレイを連れてダイニングへ。
いつもは両親も一緒の夕食、その時にしか行かない部屋へ。
真ん丸に膨れた小鳥を見るなり、「オオルリだな」とハーレイが口にした名前。
それからサイオンでそっと包んで、探ってくれた小鳥の様子。
(腰が抜けてるだけだ、って…)
ホッと安心した、小鳥の無事。
命懸けではなかった幸せの配達、ちょっぴり事故に遭っただけ。
驚いて動かなくなった身体は、怪我をしていないらしいから。
もう少ししたら縮んで元の姿に戻って、元気に飛んでゆくらしいから。
それを聞いたら、青い小鳥を飼いたくなった。
空から降って来た幸せの使者を、前の自分が欲しかった鳥を。
前の自分の夢だった鳥は、直ぐ目の前にいるのだから。
急いで鳥籠を用意したなら、青い鳥が手に入るのだから。
(飼い方だって、調べて貰って…)
ハーレイに調べて貰う間に、母に鳥籠を強請ってみよう。
「飼ってみたいよ」と頼んだならば、買いに行ってくれるか、父に連絡。
鳥籠も餌も、夜までにちゃんと揃うだろう。
そうして自分は青い鳥を飼える、空から降って来た鳥を。
前の自分の夢だった鳥を。
(…前のぼく、飼えなかったから…)
シャングリラでは駄目だと皆に言われたから、諦めた夢。
幸せを運ぶ青い小鳥が欲しかったのに。
いつか行こうと夢見ていた星、地球と同じ青を纏った小鳥。
それが飼いたいと夢を見たのに、夢は叶いはしなかった。
青い小鳥は、美味しい卵を産んでくれたりしないから。
ペットなのだから食べるのも無理で、本当に役に立たないから。
けれど、諦め切れなかった小鳥。
幸せの青い鳥が欲しくて、せめてと選んだ青い毛皮のナキネズミ。
色々な色の個体がいたのに、「この子がいいよ」と青い毛皮を持った血統を育てると決めた。
青い小鳥が飼えないのならば、青い毛皮のナキネズミがいい。
気分だけでも青い鳥だと、姿はまるで違うけれども、と。
(…でも、今日の青い小鳥は本物…)
本当に本物の青い小鳥で、家に来てくれた幸せの小鳥。
飼ってみたいと考えたから、ハーレイにそう言ったのに。
賛成してくれる筈だと思っていたのに、返った答えは逆様だった。
「それは駄目だぞ」と止めたハーレイ。
オオルリは自然の中で生きる小鳥で、ペットの小鳥とは違うから。
自然のものは自然のままでと、それが一番幸せなんだ、と。
鳥籠に入れて飼っては駄目だ、と咎めた恋人。
ちゃんと飛べるなら空に戻せと、お前の勝手で引き止めるなと。
青い小鳥は、幸せを配る配達の旅の途中だから。
自分の所で止めてしまうなと、もっと沢山の人に幸せを配りにゆくのが仕事だからと。
この欲張りめ、と青い小鳥が飛び去った後にも呆れられた。
オオルリは空へと飛んで帰って、母が買い物から帰って来て。
二階の自分の部屋に戻っても、何度も外を見ていたから。
またオオルリが来てくれないかと、青い小鳥が見えはしないかと。
(…だって、綺麗な声で鳴くって…)
ハーレイが教えてくれたこと。
あのオオルリは、とても綺麗な声を持っていると。
ウグイスにも負けない声で囀ると、そう聞かされたら、なおのこと。
幸せの配達もして欲しいけれど、美しい声も聴きたいから。
「鳴いているね」と、「いい声だよね」と、ハーレイと二人で聴き惚れたいから。
本物の青い小鳥だからこそ、持っているのが美しい声。
庭の木に止まって囀って欲しい、ハーレイと二人で聴き入る時間を届けて欲しい。
そうすればきっと、幸せだから。
青い小鳥の鳴き声を聴いて、「素敵だね」とハーレイと頷き交わして。
地球だからこそ、窓の外に描ける幸せな夢。
青い小鳥が降って来るのが地球だから。
幸せを届けに飛んでいるのが、蘇った青い地球なのだから。
(…前のぼく、地球にも行けなかったし…)
死の星だったと聞かされたけれど、それさえも前の自分は知らない。
地球に着く前に、メギドで死んでしまったから。
まだ座標さえも分からない内に、夢の星を失くしてしまったから。
前の自分の命と一緒に、夢も幸せも、何もかもを。
(…だから、ちょっぴり欲張ったって…)
いいと思うんだけど、と考えてしまう今日の出来事。
青い小鳥にまた出会いたいと、幸せな時間を届けて欲しいと。
(命懸けで幸せを運ばなくてもいいから…)
ほんのちょっぴり、此処にも寄り道して欲しい。
幸せはもちろん欲しいけれども、綺麗な声だけでもかまわないから。
ハーレイと二人で部屋にいる時に、囀ってくれたら嬉しいから。
外から聞こえる綺麗な声は何だろう、と首を傾げたら、きっとハーレイが教えてくれる。
「オオルリだぞ」と、「お前が欲しがった青い鳥だな」と。
そして二人で眺めるのだろう、何処にいるかと。
どの木の枝で囀っているかと、あの瑠璃色が見えはしないかと。
(来て欲しいよね…)
自然のものは自然のままに、と言うのだったら、待っているから。
籠に閉じ込めて飼ったりしないで、来てくれるのを此処で待つから。
(青い鳥、ぼくの夢なんだもの…)
前のぼくだった頃から、ずっと欲しかった鳥なんだもの、と描いた夢。
青い鳥が空から降って来る地球、其処に自分は来たのだから。
幸せを届けて貰ったのだから、幸せの鳥にまた出会いたい。
前の自分は、夢の青い鳥を飼えないままで終わったから。
夢も幸せも全部失くして、メギドで死んでいったから。
やっと来られた青い地球の上で、ほんの少しだけ欲張ってみたい。
美しい声で鳴くというオオルリ、その声をハーレイと聴いてみたいと。
幸せな時を過ごしてみたいと、鳴き声だけでもぼくに届けて、と…。
青い鳥とぼく・了
※ハーレイ先生に「飼うのは駄目だ」と言われてしまった、ブルー君の夢の青い鳥。
幸せを欲張るのも駄目ですけれども、鳴き声のお願い程度なら…。いいですよね、きっとv
(青い鳥なあ…)
本物だったぞ、とハーレイが思い返した出来事。
夜の書斎で、コーヒー片手に。
今日、本当にあった小さな出来事、ちょっとした事件。
(俺はちょっぴり早く出掛けただけなんだがな?)
仕事帰りに、ブルーの家に。
いつもは放課後の指導が日課な柔道部。
そちらの方が休みだったから、普段よりも早い時間に行けた。
小さなブルーに予告はしないで。「早めに行くぞ」とは言わないで。
着いてガレージに車を停めて。
チャイムを押したら、出て来たブルー。いつもなら母の方なのに。
(たまたま買い物で留守っていうのは分かるんだが…)
その日を狙っていたかのように、起こった事件。
何も知らずに到着したら、ブルーにグイと腕を引かれた。
「こっち」と、「大変なんだよ」と。
聞けば青い鳥がどうとかこうとか、そんな鳥を見た記憶は無い。
ブルーは「ぼくの青い鳥」と言ったけれども、部屋で見掛けたことが無い鳥。
他の部屋にも鳥籠は無いし、飼っているとも聞かないし…、と思ったら。
(降って来た鳥と来たもんだ)
青い空から、ブルーの家に。
窓のガラスに、真っ直ぐゴツンとぶつかって。
ガラスに映った庭の景色を、本物なのだと勘違いして。
連れてゆかれたダイニング。
普段だったら、夕食の時に入る部屋。
ブルーの両親も一緒に囲む食卓、そのための部屋に昼間に入った。
それもブルーと二人きりで。
「あそこ…」とブルーが指差したテラス。
真ん丸な青い小鳥が一羽。
瑠璃色の羽根で、真っ白なお腹。
一目で名前が分かったオオルリ。声が美しいと評判の小鳥。
けれど、こんなに丸かったろうか、と思うくらいに膨らんだ姿。
ふくら雀でもあるまいに、と驚いたけれど、オオルリはオオルリ。
(ビックリして、羽根が逆立っちまって…)
そのせいか、と思い至ったオオルリの姿。
ブルーが言うには、ぶつかって直ぐは転がっていたらしいから。
死んでしまったのかと慌てるくらいに、お腹の方を上にしてコロンと。
起き上がったまではいいのだけれども、丸く膨れたままだという。
獣医に連れて行った方が、と用意をしようとしていたブルー。
其処へ来たのが自分だった次第、オオルリを調べてやる羽目になった。
具合はどうかと、獣医に行くべきなのかどうかと。
(…詳しいことまでは分からないが、だ…)
サイオンで包めば、なんとなく分かる。
小鳥の気分の欠片らしきものが。
酷く痛むのか、そうではないのか。
暫く経ったら飛んでゆけそうか、飛べそうもなくて困っているか。
そうやって調べてやった結果は…。
(腰が抜けてただけだってな)
痛いだとか、とても苦しいだとか。
そんな気分は感じ取れなくて、ビックリして固まっているらしい小鳥。
いったい何が起こったのかと、ちゃんと飛んでいた筈なのに、と。
(…小鳥の世界に、窓ガラスなんかは無いからなあ…)
無理もないな、と思った事故。
その内に正気に戻るだろうし、何処も傷めてはいないようだから。
小さなブルーに教えてやったら、「良かった…」と嬉しそうだったブルー。
よほど心配していたのだろう、青い小鳥の身体のことを。
死んでしまいはしないかと。
このままパタリと倒れてしまって、それっきりになりはしないかと。
(獣医に行こうとしてたほどだし…)
俺のサイオンが役に立って良かった、とホッとしていたら、小さなブルーが言い出したこと。
なんともないなら、この鳥を飼ってもいいだろうかと。
せっかく庭に飛んで来たから、ぼくが飼いたい、と。
そうは言っても、オオルリは野生の鳥だから。
ペットショップで賑やかに囀る鳥たち、彼らとは違うものだから。
「それは駄目だぞ」とブルーを止めた。
自然のものは自然のままにと、その方が鳥も幸せだから。
自由に大空を飛んでゆける方が、小鳥のためになるのだから。
ところがブルーは未練たらたら、オオルリを家で飼いたいらしい。
鳥籠に入れて、可愛がって。
青い姿を、毎日眺めて。
そんなに気に入ったのだろうか、と思ったオオルリ。
元々、小鳥が飼いたかった所へ、この鳥が飛んで来たのだろうか、と。
けれど違った、ブルーの動機。
欲しかったものは青い小鳥で、しかも青い小鳥が欲しかったのは…。
(…前のあいつの時からなんだ…)
何年越しの夢なんだか、と浮かべてしまった苦笑い。
オオルリだって欲しくもなるさと、飼いたくなるのも無理はないな、と。
青い小鳥を欲しがったのは、ソルジャー・ブルーだったから。
幸福を運ぶ青い小鳥が欲しい、と夢を描いた前のブルー。
そういう本を読んだから。
幸せの青い鳥が欲しいと、地球の色をした青い小鳥を飼ってみたいと。
前のブルーはそう願ったのに、叶わなかった青い小鳥を飼う夢。
青い鳥は役に立たないから。
シャングリラの中だけが全ての世界で生きてゆくには、無駄なものだから。
美味しい卵を産みはしないし、もちろん食べるわけにもいかない。
青い小鳥は肉には出来ない、飼うならペットなのだから。
ペットを食べるなど言語道断、けして許されはしないから。
(あいつの夢は、却下されちまって…)
誰も賛成しなかった。
青い鳥が欲しい、と願った前のブルーの夢。
ブルーはそれが欲しかったのに。
幸せを運ぶ青い小鳥が、青い地球の色を纏った鳥が。
夢を諦めたブルーだけれども、青い小鳥は覚えていた。
飼いたかった、と忘れなかった。
だからナキネズミを開発した時、青い毛皮のを選んだほど。
この血統を育ててゆこうと、青い毛皮のナキネズミがいい、と。
毛皮の色は他にも色々あったのに。
どれを選ぶのも自由だったのに、前のブルーは迷わず選んだ。
「青がいいよ」と、「この子にしよう」と。
欲しかった青い小鳥の代わりに、青い毛皮のナキネズミ。
それを飼えるなら、と前のブルーが重ねていた鳥。飼えなかった幸せの青い鳥。
(…しつこく覚えていたってわけだな)
生まれ変わっても執念深く、とクックッと笑う。
思い出した途端に欲しくなったかと、それまで忘れていたくせに、と。
今のブルーなら、青い小鳥はいくらでも好きに飼えるのだから。
「欲しいよ」と両親に強請ったら直ぐに、青い小鳥が来るだろうから。
ペットショップに連れて行って貰って、「どれが飼いたい?」と訊いて貰って。
青い鳥を選んだら、お次は鳥籠。
部屋に似合うのはどれだろうかと、どの鳥籠を選びたいかと。
アッと言う間に、ブルーは手に入れられるのだけれど。
青い小鳥を飼えるのだけれど、すっかり忘れていたらしい。
前の自分が欲しがったことも、幸せの青い小鳥のことも。
幸せの青い鳥の話は知っていたって、自分と重ねなかったのだろう。
綺麗サッパリ忘れていたから。
あのオオルリが降って来るまで、思い出しさえしなかったから。
欲張りになった小さなブルー。
窓ガラスにぶつかってしまったオオルリ、それを飼おうとしたブルー。
「駄目だ」と止めたら残念そうで、元気になったオオルリが空へと飛び去った後も…。
(庭の方ばかり見ていやがって…)
いつもだったら、けして他所見はしないのに。
向かい合わせで座った自分をじっと見ているのに、今日は何度も庭を見ていた。
またオオルリが飛んで来ないかと、来たらいいなと思っている顔。
(幸せの青い鳥だしなあ…)
欲しい気持ちはよく分かる。前のブルーの夢なのだから。
百年などではとても足りない、前のブルーが青い小鳥を夢見た歳月。
それが空から降って来たなら、もっと、と思いもするだろう。
幸せを沢山持っていたって、青い小鳥が欲しいだろう。
(なんたって、前のあいつの夢…)
そいつが飛び込んで来たんだからな、と思うけれども、それは欲張り。
前のブルーなら止めないけれども、今のブルーは幸せだから。
山ほどの幸せを持って生まれて、これからも幾つも降って来る幸せ。
青い小鳥に頼まなくても、「もっと欲しい」と願わなくても。
だからブルーを止めたけれども、「自然のものは自然のままに」と諭したけれど。
(あいつ、幸せになったんだよなあ…)
青い鳥の方から来るくらいにな、と零れた笑み。
シャングリラには青い小鳥はいなかったけれど、今は空から降って来るから。
「幸せをどうぞ」と配達中の青い小鳥が来るのだから。
前のブルーが焦がれた星で。
青い地球の上で、青い小鳥たちが配る幸せ。
それをブルーは受け取れるから。
青い鳥が欲しいと願わなくても、空から降って来るのだから…。
青い鳥とあいつ・了
※ブルー君が「飼いたい」と願ったオオルリ。「駄目だ」と止めたハーレイ先生ですけれど。
欲しい気持ちは分かるようです、前のブルーの夢だけに。でも、家で飼うのは駄目ですよねv
(ぼくの頭の中…)
ハーレイで一杯、と小さなブルーが思い浮かべた恋人の顔。
どんな時でも一杯みたい、と。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
ふと気付いたら、考えているハーレイのこと。
「この時間だとコーヒーかな?」だとか、「お酒かも」だとか。
そう思ったら気になってくるのが、ハーレイの居場所。
お気に入りだという書斎にいるのか、他の部屋で何かしているのか。
(書斎だったら、読書なんだと思うんだけど…)
他の部屋だったら、出来そうなことは幾つでも。
「腹が減ったな」と夜食だとか。
夜食にしようと、キッチンに立っているだとか。
(何か作っているにしたって…)
鼻歌交じりに作っているなら、その鼻歌が気にかかる。
自分が聞いたら「あれだ!」と直ぐにピンと来るのか、来ないのか。
聞いた途端に分かる歌でも、今の歌なのか、昔の歌か。
(前のハーレイも歌っていたのか、そうじゃないのか、どっちなわけ?)
ハーレイは学校の教師なのだし、今の歌にも詳しいだろう。
生徒の間で流行っていたなら、きっと覚えて歌う筈。
そういう歌を歌っているのか、もっと昔に流行った歌か。
昔と言っても、今の自分が赤ん坊だった頃とか、ハーレイの子供時代とか。
二十四歳も年が離れているから、流行った歌でも小さな自分が知らない歌はきっと沢山。
(…鼻歌、なあに?)
それとも本当に歌を歌っているのだろうか。
前の生から好きでたまらない、あの温かい声で楽しげに。
歌か、それとも鼻歌なのか。
作っている夜食は何だろうか、と考え始めている自分。
また一杯、とコツンと軽く叩いた頭。
ハーレイで一杯になっちゃった、と。
(…すぐ一杯になるんだから…)
ちょっとしたことが切っ掛けで。
今、一杯になった切っ掛けは、「コーヒーかな?」と思ったこと。
この時間なら、ハーレイはコーヒーを飲んでいるのかも、と。
そうしたらポンと浮かんだのがお酒、ハーレイがたまに飲むらしい酒。
次に居場所が気になってきたら、やっていることが気になって…。
(夜食かな、って思っただけなのに…)
ぐんぐん膨らんだ頭の中身。
ハーレイが夜食を作っているなら、どんな歌を歌っているのだろうと。
流行りの歌か、古い歌なのか、鼻歌か、本当に歌っているか。
たった一杯のコーヒーを頭に描いた所から、ハーレイが歌う歌声にまで膨らんだ。
ハーレイなんだ、と思っただけで。
恋人のことが気になっただけで。
(もしも、お料理の方を考えてたら…)
夜食は何か、と考えたのなら、別の方へと行ったろう。
冷蔵庫を覗いて材料を探すハーレイだとか、棚を覗いている姿とか。
これがあった、とウキウキ作り始める夜食。
フライパンで何か焼こうとするのか、小さな鍋の出番になるか。
鼻歌交じりに作る夜食は何だろう?
熱い間が美味しい料理か、冷ました方が美味しいものか。
それを作って何処で食べるのか、コーヒーが合うのか、お酒の方か。
(…夜食って…)
ピザとかドリアだとか、と膨らんでゆく頭の中身。
ハーレイが作るのは、どんな夜食、と。
またまた一杯になっていた頭、今度はハーレイの夜食のせいで。
何を作るのか、何を食べるのかと、頭の中身はハーレイのことで溢れそう。
(…ぼくは夜食は食べないのに…)
そんなに沢山、食べられるわけがない食事。
夕食だって、盛り付けられた分を残さずに食べるのが精一杯。
夜食にはとても辿り着けない、どう頑張っても。
(でも、ハーレイは食事も沢山食べるから…)
いつもおかわりしているもんね、と両親も一緒の夕食の席を思い出す。
「おかわりは如何ですか?」と母に尋ねられたら、「頂きます」と答えるハーレイ。
二人きりで食べる昼食の時は、ハーレイの分が明らかに大盛り。
(あんなにあっても、平気でペロリと食べちゃうんだもの…)
そういえば、と蘇って来た学校のランチタイムの記憶。
沢山食べたら背が伸びるかも、と注文してみた大盛りランチ。
食べられそうもなくて困っていたら、ハーレイが助けてくれたのだった。
「俺に寄越せ」と、綺麗に食べて。
自分用のランチのトレイも持っていたくせに、大盛りランチの残りまで。
(ハーレイ、ホントに凄いよね…)
だから柔道も強いんだよね、と顔が綻ぶ。
大盛りランチは、運動部員の御用達だから。
しっかり食べて体力作りを、と提供される大盛りランチ。
きっとハーレイも、自分くらいの年の頃には学校で食べていたのだろう。
ランチタイムは大盛りランチで、全部ペロリと平らげて。
それの他にも、休み時間になったなら…。
(パンとか、食べていそうだよね?)
運動部員のクラスメイトは、そうだから。
「食べないと、とても身体が持たない」と、休み時間に食べているパン。
家から持って来ているパンとか、学校で買ったパンだとか。
ハーレイだったら、どっちだろう、と想像してみた子供時代。
大盛りランチの他に食べるパンは、学校で買ったか、家から持って行ったのか。
(…学校に行く途中に、美味しいパン屋さんがあったかも…)
其処に入って買ったかもしれない、いつもお小遣いを握り締めて。
どれを買おうか散々迷って、「これにしよう」とトレイに一個。
(二個だったかも…?)
もっと凄くて三個だったとか、そういうこともあるかもしれない。
三個の内の一個は必ず、毎日同じパンだったとか。
(お気に入りのパン、ありそうだものね?)
好き嫌いの無いハーレイだけれど、それは自分も同じだけれど。
これがいいな、と思う料理はあるわけなのだし、パンだって、きっと。
(どんなのかな、ハーレイがお気に入りだったパン…)
子供時代のハーレイが買っていたパンは…、と今度はパンで頭が一杯。
ハーレイが学校へ行くまでの道に、パンを売っている店があったかどうかも知らないのに。
店があっても、其処で買わずに、学校で買ったかもしれないのに。
(…パンで一杯になっちゃった…)
夜食のことを考えてたのに、と思わず零れてしまった溜息。
どうして一杯になるんだろうと、すぐにハーレイで溢れちゃうよ、と。
(勉強している時は大丈夫だけど…)
ハーレイで一杯になっていることはないんだけれど、と思ったけれど。
そのハーレイが授業をしている古典の時間はどうだろう?
(…当てて欲しくて、手を挙げてるし…)
他の誰かが指名されたら、ガッカリしてしまうハーレイの授業。
やっぱり一杯なのかもしれない、勉強の時も。
ハーレイの姿が見える時には、ハーレイが教える時間には。
それに体育の授業を見学する時、いつも一度は考えること。
「ハーレイがやったら、カッコいいよね」だとか、「ハーレイでも教えられそう」だとか。
サッカーでも、マット運動でも。バスケットボールも、走り高跳びも。
きっと、とってもカッコいいんだ、と体育の指導をするハーレイを思い描いていて。
(また一杯になっちゃってるよ…)
どうしてパンから体育になるの、と呆れるしかない自分の頭。
すぐにハーレイで一杯になって、溢れそうになる頭の中身。
一杯だよ、と気が付いたって、今度は違うものがポンと浮かんで膨らんでゆく。
ハーレイだったら、と思った途端に。
夜食からパンに化けてしまったり、パンが体育に化けてしまったり。
そして一杯になる頭。
ハーレイのことで、すぐに一杯。
(…だって、ハーレイなんだもの…)
前の生から好きだった人で、また巡り会えて恋人同士。
けれど、まだ一緒には暮らせないから、離れている時は、ついつい気になる。
ハーレイは今、どうしているかと、いったい何をしているのかと。
二人一緒にお茶を飲んでいても、やっぱり気になるハーレイのこと。
何を話そうか、何を話してくれるのかと。
気付けば、いつでも頭の中身はハーレイのこと。
会っている時も、離れている時も、何をしていても浮かぶハーレイ。
(ぼく、ハーレイに捕まっちゃってる…)
ハーレイが頭から離れないもの、と褐色の肌の恋人を想う。
此処にいなくても、ぼくを捕まえているみたい、と。
捕まってるから、いつも頭がハーレイで一杯、と。
(こういうの、確か…)
恋の虜って言うんだよね、とヒョイと頭に浮かんだ言葉。
何処かで聞いた歌の歌詞だったか、何かの本で読んだのか。
恋に夢中で、捕まった人。…恋の相手に捕まった人。
(ぼくは、ハーレイに捕まったから…)
恋の虜で、ハーレイの虜なのだろう。
ハーレイの褐色の腕に囚われて、逃げられなくなっているのだろう。
その腕は、今は無いけれど。
チビの自分を、捕まえていてはくれないけれど。
(だけど、ぼくが大きく育ったら…)
もう本当に捕まるのだろう、あの腕の中に、広い胸の中に。
「逃がさないぞ」とギュッと抱き締められて、閉じ込められてしまうのだろう。
けれど、そういう檻の中ならかまわない。
とうにハーレイの虜だから。
「君だけだよ」と、前の生から想う恋人。「君の虜」と思うだけで胸に溢れる想い。
ハーレイのことしか考えられない、幸せな牢獄に住んでいる自分。
ずっと牢獄で生きてゆくから、ハーレイの虜なのだから…。
君の虜・了
※ふと気付いたら、ハーレイ先生のことで頭が一杯らしいブルー君。次から次へと。
まだチビなのに恋の虜で、牢獄にいるみたいです。これからもずっと、それが幸せv