(ホントに入っていたなんて…)
ちょっとビックリ、と小さなブルーが瞬かせた瞳。
ハーレイと二人で過ごした日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
昨日のハーレイの落とし物。
「またな」と帰って行った後で床に見付けた、瑠璃色のペン。
今のハーレイの愛用のペンで、教師になって直ぐに買ったと聞いた。
ペンの瑠璃色が気に入って。
(あれって、星空みたいだもんね)
人工のラピスラズリで出来たペン。
瑠璃色の地には、金色の小さな粒が幾つも。
鏤められた金色は不揃いなもので、大きさも形も実に様々。
並び方だって不規則だから、本当に本物の星空のよう。
そうでなければ、宇宙に散らばる幾つもの星。
宇宙の色は、瑠璃色ではなくて漆黒だけれど。
星たちも瞬きはしないけれども、星空と宇宙は兄弟のよう。
夜空に輝く星の向こうは、宇宙だから。
薄い大気の層を抜けたら、星たちはもう瞬かないから。
(ハーレイも、宇宙みたいだからって…)
あの瑠璃色のペンが気に入った。
いつも持ち歩くペンなのだけれど、昨日、うっかり落として行った。
それを見付けて、心が躍った。
「ハーレイのペンだ」と。
前の生から愛した恋人、今も変わらず愛おしい人。
子供の自分は連れて帰って貰えないけれど、それでガッカリしていたけれど。
まるでハーレイの代わりみたいに、愛用のペンが落っこちていた。
今夜は一緒、と拾い上げたペン。このペンが一緒にいてくれるよ、と。
ドキドキしながら手に取ったペンは、チビの自分の手には重くて。
持ち主の手の大きさを示しているようで、もう嬉しくて。
しげしげと眺めて、其処に探した星座の模様。
金色の粒が、馴染んだ配置になっていないかと。
(地球の星座とか、アルテメシアとか…)
今の自分が仰ぐ星座や、前の自分が見ていた星座。
それが無いかと、子細に調べた。
もしもあるなら、ハーレイがとうに話していそうな気もしたけれど。
(でも、念のため、って思うよね?)
せっかくこうして手に取れたのだし、じっくり見ようと。
ハーレイが気付いていないだけかもと、隅から隅まで探したのに。
(星座、一つも無かったから…)
やはり無いのか、と残念な気持ち。
けれども、それもほんの一瞬。
ハーレイのペンを持っているのだから、こういう時しか出来ないこと。
どんな書き心地か試してみたくて、早速、紙に向かってみた。
きっとスラスラ書けるんだよ、と。
ところが、難しかったペン。
初めて使った万年筆は、意外に先が引っ掛かるもの。
普通のペンのようにはいかない、書こうとしても。
(百聞は一見に如かずって言うの?)
それとも、もっと適切な言葉があるのだろうか。
ハーレイが使っているのを見ていた時には、如何にも書きやすそうだったのに。
だから自分も、と意気込んだのに、手ごわかったのが万年筆。
チビに書かせてたまるものか、と言わんばかりに。
小さな手にはまだまだ早いと、これは大人のペンなのだから、と。
万年筆を持つには早すぎたけれど、ハーレイがいつも使っているペン。
「ブルー」と綴ったことがあるのか、一度も書かないままなのか。
書いていない、という気がしたから、「ブルー」と自分の名前を書いた。
「これがぼくの名前」と、「覚えておいて」と。
いつかハーレイと結婚したなら、このペンも一緒に暮らすのだから。
ハーレイの側にはこれがあるから、覚えておいて貰おうと。
それが済んだら、持ってベッドに入りたくなった。
いつもハーレイと一緒のペンだし、側にいたいよ、と。
(だけど、壊したら大変だから…)
そうっと枕の下に忍ばせた瑠璃色のペン。
此処にあったら、ハーレイの夢が見られるかも、と。
けれど、ハーレイの夢は来なくて、気付いたら朝になっていて。
残念だけれど、ペンはハーレイに返すしかない。
きっと捜しているのだろうし、このまま持ってはいられないから。
案の定、「俺は落とし物をしていなかったか?」と言って訪ねて来たハーレイ。
瑠璃色のペンを「はい」と渡したら、喜ばれたけれど。
(ぼくの思念、読まれてしまいそうで…)
ペンに残った残留思念。
それを読まれたら、ハーレイに全て分かってしまう。
星座探しは平気だけれども、ペンを使ってみたことだって平気だけれど。
(ブルーって書いて…)
覚えておいて、と語り掛けた上に、一緒に眠っていた自分。
枕の下に入れた瑠璃色のペン。
ハーレイの夢が見られないかと、弾んだ心で眠ったこと。
全部バレちゃう、と慌てた自分。
それはあまりに恥ずかしすぎると、ハーレイの気を逸らさなければ、と。
どうしようか、と焦っていたら、ポンと浮かんだ星座のこと。
これに限る、とハーレイに向かって切り出した。
「そのペン、ホントに星空みたいだけれども、星座は一つも無いんだね」と。
本当に思ったことだから。
ちゃんと星座を探したのだから、嘘とは違って本当のこと。
ハーレイは「なんだ、探したのか?」と話に乗って来たから、しめたもの。
残留思念を読まれないためには、星座の話を続けなければ。
だから、せっせと星座の話。
「地球やアルテメシアの星座は無いけど、他の星はあるかもしれないね」と。
前の自分が知らない星座。…見ていない星座。
長い眠りに就いていた間に旅をした宇宙や、前の自分がいなくなった後。
ハーレイは星たちを見ただろうから、そういった星は無いのか、と。
「ふむ…」とペンに視線を落としたハーレイ。
どうだろうな、と探しているから、もう安全だと思ったら。
「おっ…!」とハーレイが上げた声。
「此処を見てみろ」と、褐色の指がつついた瑠璃色のペン。
不規則に並んだ七つの金色。
瑠璃色の地に、ポツリポツリと散っている点。
ハーレイの目が懐かしそうに細められていて、遠く遥かな時の彼方を見ている瞳。
そして呟いた、「ナスカでこいつを見ていたな」と。
いつの星だったかと、ハーレイが遡ってゆく記憶。
今はもう無い、赤い星。
その星の夜空を思い浮かべて、遠い記憶を辿っていって。
「種まきをする季節の星だ」と、ハーレイの記憶が戻って来た。
ナスカの春に昇った星だと、こういう七つの星があったと。
特に名前もつけなかったが、と。
まさか本当にあっただなんて、と驚いた星座。
今のハーレイが愛用している瑠璃色のペンに、ナスカの星座。
赤いナスカは、とうに無いのに。
それよりも前に、ハーレイは気付いていなかったのに。
瑠璃色のペンに鏤められた、小さな七つの金色の粒。
幾つも散らばる粒の中の七つが、赤いナスカの星座だなんて。
(あれを買ったのは、ずうっと昔で…)
ハーレイは知りもしなかった。
ナスカからどんな星が見えたか、自分がそれを見たことさえも。
前のハーレイの記憶は戻っていなかったから。
記憶が無いなら、それだと分かる筈もないから。
(ペンがハーレイを選んだんだ、って…)
そう思ったから、ハーレイにそれを伝えたけれど。
ハーレイが言うには、ペンは「選んで買った」もの。
同じペンを何本も出して貰って、試し書きなどをしてみた後で。
一番しっくりくるのを買ったと、それを愛用しているのだと。
(ハーレイが選んだペンらしいけど…)
でも違うよね、という気がする。
ハーレイが書き心地を試す間に、ペンの方も語り掛けたのだろう。
まだハーレイが思い出してもいなかった星が、自分の上にあるからと。
この七粒の金色がそうだと、だから自分を選んでくれと。
そうやってペンが呼び掛けていたから、ハーレイはナスカの星を選んだ。
このペンがいいと、手に馴染むからと。
まるで運命の出会いだったように、その一本を買って帰った。
「これにします」と差し出して。
包んで貰って、ハーレイの家へ。
きっとそうだよ、と考えずにはいられない不思議。
ハーレイのペンにナスカの星座があったこと。
(あの星、ぼくは知らなかった…)
どんな星だったの、とハーレイの記憶を見せて貰った七つの星。
ナスカの春に、種まきの季節に昇った星座。
誰も名前をつけなかったけれど、愛されていたからハーレイも覚えていたのだろう。
あの星が昇れば種まきの季節の始まりなのだ、と。
(前のぼくは眠っていたけれど…)
ナスカには一度も降りはしなくて、種まきの季節の星も知らないままだったけれど。
それをハーレイが教えてくれた。
前の自分が守ろうとした星、メギドの炎に砕かれた星の夜空にあった星座を。
「これだ」と遠い昔の記憶を。
今のハーレイのペンに隠れていた星座の姿を。
(凄く不思議だけど、きっと他にも…)
運命だとしか思えないことがあるのだろう。
今の自分と、今のハーレイとが巡り会えたように。
沢山の不思議が、運命が、奇跡が、きっとこれから先も幾つも。
ハーレイのペンにはナスカの星座があるのだから。
記憶が戻るよりもずっと前から、ハーレイは七つの星と一緒にいたのだから…。
ペンにある星座・了
※ブルー君が言い出したことから、発見されたハーレイ先生のペンにある星座。
まさか本当にあったなんて、と驚くブルー君ですけど、運命ってそういうものですよねv
(ふうむ…)
不思議なことがあるもんだな、とハーレイの唇から漏れた呟き。
ブルーの家へと出掛けて来た日に、夜の書斎で。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それは普段と変わらないけれど。
机の上にコロンと置いてあるペン。
白い羽根ペンとは違うペン。
(こいつとは長い付き合いなんだが…)
教師になった時からだしな、と瑠璃色のペンを手に取った。
ずいぶんと手に馴染んだ品だし、失くしたことに気付いた時には青ざめたけれど。
(あいつが持っててくれたんだ…)
小さなブルーの部屋に落としていたらしい自分。
ブルーと過ごす時間に夢中で、落としたことにも気付かなかった。
そのまま家まで帰ってしまって、手帳を出す時にようやく気付いた。
何処かに落として来たことに。
慌てて玄関まで戻ったけれども、無かったペン。
此処を歩いた、と庭に出てみて、門扉の所まで辿ってみても。
(失くしちまった、とガックリしたが…)
今日もブルーの家まで歩く途中に、あちこち見ながら歩いたほど。
「落とし物です」と書き添えて、何処かの垣根に結び付けられていないかと。
あるいは小さな籠やケースに入って、「落とし物」の文字。
今の時代は、落ちていた物を失敬する人間はいないから。
持ち主の所へ戻るようにと、気を配ってくれる時代だから。
(しかしだな…)
それはあくまで、落とし物が発見された時。
見付からない場所に落としたならば、誰も拾ってくれはしないし、気付きもしない。
溝蓋の下とか、そういった場所。
落とし物のペンが見付からないか、と捜しながら歩いて行った道。
けれど何処にも「落とし物です」とは書かれていなくて、無かったペン。
誰かが拾って届けただろうか、落とし物を扱う所へと。
そっちだったら、問い合わせれば直ぐに分かるけれども…。
(誰も気付かない所だと…)
駄目だろうな、と覚悟を決めた。
見付からなくても仕方ないのだと、あのペンとの御縁はこれまでらしい、と。
長く愛用して来たとはいえ、別れの時も来るだろう。
それに、両親に何度も聞かされたこと。
(何かを失くしちまう時には…)
消えた品物が、災難を持ち去ってくれるのだという。
持ち主の代わりに、お守りのように。
転んで怪我をしそうな所を、その怪我と一緒に何処かへ消えて。
幼い頃から何度も聞いた。
大切な物を失くしてしまって、見付からないと捜し回っていたら。
諦め切れずに暗くなっても捜していたとか、そういう時に。
(所詮は子供の宝物だし…)
今から思えば、ガラクタ同然。
いいな、と思って拾った石とか、気に入りのガラス玉だとか。
けれども、今の自分なら分かる。
(何かを失くしちまった時には、災難も一緒に…)
持って行ってくれるという両親の言葉。
前の自分は、前のブルーを失くしたから。
失くしたブルーは、白い鯨の、ミュウの災難を一緒に持って行ったから。
仕方ないな、と半ば諦めたペン。
ブルーの家に無かったならば、帰ってから問い合わせてみるけれど。
(届いてません、と言われちまったら、お別れだな)
あのペンはきっと、災難を持って何処かへ消えて行ったのだから。
怪我か、それとも他の何かか。
「ありがとう」とペンを労うべきだろう。
長い間、お前の世話になったと。
最後まで世話になってしまったから、後はゆっくり休んでくれと。
(前のあいつも、ゆっくり休めたならいいが…)
ミュウの災難を持ち去った後。…メギドで逝ってしまった後。
右手が凍えたことも忘れて、休んでくれていたならいいが、と。
どうだったのかは、まるで知りようが無いけれど。
小さなブルーは覚えていないし、今の自分も覚えていない。
前の生を終えた後には、何処にいたのか。
青く蘇った地球に来るまでは、何処で過ごしていたのかさえも。
(…あいつが幸せにしていたんなら、いいんだがな…)
そういったことを考えながら鳴らしたチャイム。
多分、この家にも瑠璃色のペンは無いのだろう、と。
災難と一緒に消えてしまって、きっと戻っては来ないだろうな、と。
なのに…。
瑠璃色のペンは、小さなブルーが持っていた。
「これ」とペン立てから取って来てくれた。
ブルーの部屋に落としていたのか、と再会を喜んだ愛用のペン。
それを手にしたら、ふわりと感じたブルーの心。
ペンに残った残留思念。
(あいつ、大事にしてくれてたんだ…)
持ち主が誰か知っているから、それは大切に。
ペンが話してくれるかのよう。
「この家でとても幸せでしたよ」と、「大事にして貰っていたんです」と。
もう充分だ、と読みはしなかった残留思念。
ブルーがペンとどう過ごしたのか、どう扱っていたのかは。
(読むのはマナー違反でもあるしな?)
ブルーの心を感じられただけで満足だ、と思っていたら、言われたこと。
「そのペン、星座は一つも無いんだね」と。
唐突な質問だったけれども、直ぐに分かった。
瑠璃色のペンは、ただの瑠璃色とは違うから。
金色の粒が鏤められたペンだから。
(…宇宙みたいなペンなんだよなあ…)
これは、とチョンとつついてみたペン。
瑠璃色の元は、人工のラピスラズリという石。
その特徴は、宇宙や夜空を思わせる姿。
瑠璃色の地に散らばる金色、本当に小さな金色の粒。
それが星空のように見えるものだから、一目惚れして買ったペン。
宇宙のようだ、と惹かれたから。
このペンがいい、と惹き付けられたから。
同じペンを何本も出して貰って、試し書きをして。
どれがいいかと何度も比べて、「これにしよう」と選んだ一本。
手にしっくりと馴染むのがいいと、自分にピッタリのペンに違いないと。
(買って帰って、じっと見ていて…)
自分も探したのだった。
金色の粒は夜空の星のようだから、何処かに馴染みの星座は無いかと。
混じっていたなら面白いのにと、ペンの隅から隅までを。
(しかし、一つも無くてだな…)
そうそう上手くはいかないものか、と苦笑いしたのを覚えている。
どのペンも違っていた筈の模様。
瑠璃色の地に鏤められた金の粒の数、それがある場所も。
選ばなかったペンの中には、星座つきのもあったかもしれない。
「此処を見てくれ」と自慢したくなるような、誰にでも分かる星座入り。
オリオン座だとか、白鳥だとか。
(少し残念には思ったんだが…)
自分が選んだ一本なのだし、星座は無くても似合いの一本。
こいつが俺の相棒なんだ、と大切にして来た万年筆。
小さなブルーも同じに星座を探したのか、と嬉しい気持ちになった瞬間。
そうしたら…。
「他の星はあるかもしれないね」と言い出したブルー。
地球の星座や、前の自分たちが長く暮らしたアルテメシア。
そういう馴染みの星座は無くても、他の星のが、と。
前のブルーが長い眠りに就いていた間や、いなくなった後の長い長い旅路。
その間に見た星があるかもと、星座が隠れていないかと。
(…それは思いもしなかったしな?)
どうだろうか、とブルーの前で見詰めた瑠璃色。其処に輝く金色の粒。
ピンと来る模様がありはしないか、と探し始めたら…。
(隠れていたと来たもんだ…)
前の自分が見上げた星座。
赤いナスカで仰いでいたから、前のブルーは見ていない星座。
種まきの季節に、夜空に昇った七つの星たち。
ペンの中にそれが見付かった。
今日まで、知りもしなかったのに。…それを探しさえしなかったのに。
(不思議なことがあるもんだよなあ…)
愛用のペンに、ナスカの星座。前の自分が見ていた星たち。
小さなブルーに教えてやって、記憶の中の夜空も見せた。
「これが種まきの季節の星だ」と、「特に名前もつけなかったが」と。
それを眺めたブルーが言うには、「このペンがハーレイの所に来たかったのかもね」。
ナスカの星座を宿したペンだし、それを見ていた人の所へ、と。
(俺は選んだつもりだったが…)
選ばれたのだろうか、このペンに宿るナスカの星に。
連れて帰ってくれと頼まれたろうか、前の自分の記憶は戻っていなかったのに。
(そういったことも、あるのかもなあ…)
失くした物が災難を持ってゆくと言うなら、物とは縁があるのだから。
自分の持ち物に選んだ時から、縁が生まれるものだから。
(こいつも、俺の所に来たのか…)
いつかブルーと巡り会った時には、きっとお役に立てますから、と。
ナスカの星座を、見られなかった人に教えてあげて下さいと。
(うん、お前さんは俺の役に立ったぞ)
ブルーに教えてやれたからな、と撫でてやったペン。
これからも俺をよろしく頼むと、二度と落としはしないからな、と…。
ペンの中の星座・了
※ハーレイ先生の愛用のペンに隠れていた星座。それもナスカで見ていた星たち。
不思議なことがあるものですけど、こういうのを御縁と言うんですよねv
(今日もチビ扱い…)
ハーレイはホントに酷いんだから、と小さなブルーが零した溜息。
そのハーレイと過ごした土曜日の夜に、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(ぼく、ハーレイの恋人なのに…)
どうしてキスも貰えないんだろう、と悲しい気持ち。
前の生から愛し続けた、大好きでたまらないハーレイ。
けれども、一度も貰えないキス。
唇へのキスは貰えないまま、どんなに強請っても駄目なまま。
今日も「キスして」と囁いたのに、キスの代わりにコツンと拳。
頭を軽く小突かれた。
「お前、まだまだチビだろうが」と、「俺は子供にキスはしないと言ったよな?」と。
ホントに酷い、と思う恋人。キスもくれないケチなハーレイ。
貰えるキスは頬と額だけ、唇にキスはしてくれない。
「俺のブルーだ」と言ってくれても、恋人扱いして貰えない。
今の自分はチビだから。
十四歳にしかならない子供で、ハーレイよりもずっと年下。
おまけにハーレイは学校の教師、チビの自分は教え子だから。
(…どう転んだって、ハーレイが上…)
ぼくより立場が強いんだもの、と悔しくてたまならいけれど。
逆転のチャンスは無いだろうかと思うけれども、あるわけがない。
この地球の上に生まれて来た時、ハーレイが先に生まれていたから。
一足どころか何年も先に、ちゃっかりと着いて育ったから。
(いくら頑張っても…)
追い越せないよ、と溜息しか出ないハーレイの年。
いつまで経っても自分はチビで、ハーレイの方が年上のまま。
いつか大きく育っても。前の自分とそっくり同じになれたとしても。
ハーレイの方が上なんだよね、と零れる溜息。
前の自分なら、ハーレイよりも上だったのに。
「チビ」と頭を小突かれたりはしなかったのに、と情けない気分。
どうして今は子供なのかと、チビに生まれてしまったろうかと。
(前のぼくだって、最初の間は…)
今の自分と同じにチビ。
ハーレイもチビだと思い込んだほど、姿も中身もチビだった。
けれども、本当は最初に発見されたミュウ。
船の誰よりも年上だったし、ハーレイよりも遥かに年上。
そして大きく育った後には、皆を導く立場のソルジャー。
こうと決めたら、ハーレイを説き伏せることだって。
それなのに今は上手く行かない、見掛け通りにチビだから。
どう頑張ってもチビの自分は、ハーレイに勝てはしないから。
(きっと、大きくなったって…)
ハーレイは今と変わらないまま、余裕たっぷりなのだろう。
無理難題を吹っ掛けてみても、鼻で笑っているのだろう。
「それで、お前はどうしたいんだ?」と。
大きくなってもチビはチビだと、もっとしっかり考えてみろと。
頭だってきっと、今と同じに小突かれる。
褐色の手でコツンと、痛くないように。
「痛いよ!」と叫んで抗議したって、「そうだったか?」と笑われるだけ。
力を入れたつもりは無いがと、軽く触っただけなんだが、と。
それでも痛いなら重傷なのだし、今日は大人しく寝てたらどうだ、と。
とても勝てそうにないハーレイ。
大きくなっても、前の自分と同じ姿に育っても。
まるで勝てない、と考えるほどに悔しい気分。
ハーレイの方が先に生まれて、自分よりもずっと年上だから。
前の自分だった頃のようにはいかないから。
(今もそうだけど、これから先も…)
負けっ放し、と肩を落とした。
ハーレイときたら、今の自分の父と変わらない年だから。
どう考えても勝てるわけがなくて、きっと一生、負けっ放しで。
(チビじゃなくなっても、チビ扱いで…)
何かと言えば、子供時代のことを持ち出されるのに違いない。
「お前、あの頃と変わらないよな」と、「やっぱりチビだ」と。
俺に勝とうなど百年早いと、悔しかったら出直して来いと。
年上に生まれてみたらどうだと、そしたらお前が勝てるかもな、と。
(…言いそうだものね…)
きっと言うんだ、と思い浮かべた恋人の顔。
「キスは駄目だ」と叱るハーレイ、なんともケチで酷い恋人。
この地球の上に先に生まれただけなのに。
自分よりも早く生まれ変わったというだけなのに、ハーレイの立場はずっと上。
年上な上に、教師だから。
チビの自分は、うんと年下の教え子だから。
誰が見たって、ハーレイの方が上だと答えるだろう関係。
いつまで経っても、きっと一生。
前の自分と同じ背丈に育ったとしても、ハーレイには上がらない頭。
いつも、いつだって年下だから。
自分が育てば、ハーレイも一歩先へと進んでしまうから。
これは困った、と思うけれども、負けっ放しな自分の未来。
ハーレイに頭が上がりはしなくて、いつもコツンと小突かれる頭。
(今とおんなじ…)
ケチのハーレイに叱られるのだろう、「キスは駄目だ」と。
「俺は子供にキスはしない」と、今日と同じに。
いつまでも勝てはしないから。
ハーレイの方がずっと年上で、自分はチビのままだから。
(結婚したって、負けっ放しで…)
勝てないんだよ、と零した所で気が付いた。
ハーレイと結婚出来る自分なら、とっくにチビではないだろう年。
前の自分と同じに育って、ハーレイとキスが出来る背丈になっている筈。
「キスは駄目だ」と言われはしなくて、強請れば貰えるだろうキス。
強請らなくても、きっと幾つも、唇へのキス。
ハーレイの方が年上でも。
少しも頭が上がらなくても、キスは幾つも降って来る。
顎を取られて、上向かされて。
鳶色の瞳で見詰められて。
(…ちゃんと、キス…)
して貰えるのだった、自分が大きく育ったら。
チビの子供ではなくなったなら。
ハーレイには負けっ放しのままでも、一生、頭が上がらなくても。
いつも年下のチビ扱いでも、そう扱われるというだけのこと。
「チビのくせに」と、今のハーレイと変わらない顔で。
頭をコツンと小突かれたりして、いつまで経っても子供扱い。
ずっと年下なのだから。
ハーレイの年を追い越せはしなくて、追い掛けることしか出来ないから。
(前のぼくだと…)
見た目はともかく、本当の年は船の誰よりも上だったから。
それに相応しく振舞わねば、と注意していたし、皆もそのように扱っていた。
もちろん、前のハーレイだって。
「お前」ではなくて「あなた」と呼んだし、話す時は敬語。
今のハーレイとはまるで違った。
「俺」と言う代わりに「私」だったハーレイ。
最初の頃には、そんな風ではなかったのに。
いつの間にやら、ハーレイは敬語。「お前」とも「俺」とも言わなくなって。
(前のハーレイも、好きだったけど…)
ケチで年上な今のハーレイ、その方がずっと嬉しい気がする。
普通に話してくれるから。
チビ扱いでも、ソルジャー扱いより素敵だから。
(だって、ハーレイ、普段通りで…)
言葉遣いを変えたりはしない。
特別扱いされるよりかは、チビ扱いの方が近しい距離。
一生、頭が上がらなくても。
ハーレイの年を追い越せないまま、追い掛けて歩いてゆくだけでも。
(ぼくがホントに年下だから…)
チビ扱いをするハーレイ。
俺の方がずっと年上だから、と余裕たっぷりでケチなハーレイ。
けれども、きっとその方がいい。
特別扱いされてしまって、ハーレイに「あなた」と呼ばれるよりも。
いつも敬語で話されるよりも、チビと呼ばれる方がいい。
額をコツンとやられても。
「キスは駄目だ」と叱られても。
今は悲しいチビ扱いだけれど、いつか幸せになれるのだろう。
ハーレイは敬語になりはしないし、一生、「お前」と呼んで貰える。
「俺のブルーだ」と言って貰えて、唇にキスもして貰って。
(うん、きっと…)
幸せなんだ、と思えてしまう。
少しも頭が上がらなくても、ハーレイが先を歩いていても。
我儘を言ったら、「チビのくせに」と叱られても。
(ハーレイだったら、そう言ったって…)
きっと願いを叶えてくれる。
今は駄目でも、ちゃんと大きくなったなら。
前の自分と同じに育って、ハーレイと二人で暮らし始めたら。
「仕方ないな」という顔をして。
チビのくせに、と苦笑いしても、きっと許して貰える我儘。
ハーレイの方が年上なのだし、我慢しなくてはいけない立場。
前の自分がそうだったように、どんな時でも。
(無茶は言ったりしないけど…)
ハーレイに甘えて、幾つも、幾つも強請ってみる。
我儘だってぶつけてみる。
一生、頭が上がらないけれど、その分、自分は強いから。
年下な分だけ、きっと優しくして貰えるから。
(…ホントのホントに、年下なんだし…)
ずっと年下に生まれたのだから、幸せな立場を生かしてみよう。
いつか大きくなったなら。見た目がチビではなくなったなら。
聞いて貰えるだろう我儘、困ったような顔をしたって。
「俺の方が年上だしな…」と、大袈裟な溜息をついたって。
(年下で良かった…)
ふふっ、と零れてしまった笑み。
一生、ハーレイよりも年下だけれど、きっと幸せに暮らしてゆける。
ハーレイの方が年上だから。年下の自分は、ハーレイを追い掛けて歩くのだから…。
年下で良かった・了
※ハーレイ先生よりも年下なのがブルー君。前とは立場がすっかり逆様。
一生、勝てないみたいですけど、それも幸せらしいです。我儘、言いたい放題ですしねv
(あいつ、相変わらずチビで…)
それに本当に子供なんだ、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
ブルーの家で過ごした土曜日の夜に。
小さなブルーに「またな」と手を振り、帰って来た家。
いつもの書斎でコーヒー片手に、のんびりと過ごす時間だけれど。
今日も甘えていたブルー。
何かと言っては側に来たがって、抱き付いてみたり、膝に座ったり。
(恋人気取りらしいんだがな?)
キスを強請るから叱ってやった。「まだ早い」と。
十四歳にしかならないブルーに、唇へのキスは早すぎるから。
見た目もまだまだ子供なのだから、駄目だと何度も叱るのに。
(諦めないっていうのがなあ…)
何度頭をコツンとやっても、睨み付けても、諦めないのが小さなブルー。
一人前の恋人気取りで、誘惑しようとしたりもする。
桜色の唇で、「キスしてもいいよ?」と。
両腕を首に絡み付かせて、「ぼくにキスして」と強請ったり。
(いい加減、学習してもいい頃なんだが…)
強請るだけ無駄だと、誘惑したって通じはしないと。
大人だったら、とうの昔に気付くのだろうに、まるで諦めないブルー。
辛抱強く頑張ったならば、キスが貰えると思っているのが愛らしい。
唇へのキスは、頑張ったって貰えないのに。
努力するだけ無駄なのに。
御褒美の類じゃないんだから、とクックッと笑う。
いい子にしていた子供だったら、御褒美に菓子やオモチャやら。
ペットがいい子にしていた時でも、おやつをあげたくなってしまうもの。
「頑張ったな」と、「いい子にしていたな」と。
どうやらブルーの頭の中では、キスも頑張れば貰えるもの。
諦めずに努力していたら。
あの手この手で頑張っていたら、こっちが根負けしてしまって。
(子供やペットが相手だったら、そういうこともあるんだろうが…)
とっくに御褒美をあげた後でも、その愛らしさにコロリと負けて。
「頑張ったから」と輝く瞳や、得意げに揺れている尻尾。
そういったものでクラリと眩む目、気付けば「よし」と差し出す御褒美。
気に入りの菓子を買ってやったり、「ほら」とおやつを渡したり。
(あいつの頭もそんな感じだ)
今日もプウッと膨れたブルー。
「キスは駄目だ」と叱り付けたら、途端に見せた膨れっ面。
お決まりの台詞も飛び出した。
「ハーレイのケチ!」と、「キスしてくれてもいいのに」と。
ぼくはこんなに頑張ったんだから、と書いてあったような気がする顔。
抱き付いて甘えて、膝にも乗って、恋人気取り。
これだけ努力したというのに、御褒美が貰えないなんて、と。
キスくらい御褒美にくれてもいいのに、ケチなんだから、と。
(ああいう所は、本当にチビで…)
子供なんだよな、と思い浮かべる愛おしい人。
前の生から愛し続けて、再び巡り会えた人。
どうしたわけだか、子供になってしまったブルー。
前の自分が失くした時には、ブルーは大人だったのに。
それは気高く美しい人で、とうに子供ではなかったのに。
(チビのあいつも、覚えちゃいるが…)
今と同じにチビだったんだが、と時の彼方のブルーを思う。
少年の姿をしていたブルー。
今と少しも変わらないけれど、あのブルーは…。
(俺より年上だったんだ…)
けれど、そうは見えなかった姿と中身。
遥かに年上だった事実に驚いたことを覚えている。
本当なのかと、子供なのにと。
(それがだな…)
後の時代には、立派に皆を導くソルジャー。
最年長のミュウで、最強のサイオン。
ブルーは皆の長として立って、皆を、シャングリラを導き続けた。
挙句の果てに命まで捨てた、ミュウの未来を守り抜くために。
白いシャングリラが、無事に地球まで行けるようにと。
(もしも、あいつがチビのままなら…)
そんな結末ではなかったろうに。
皆を守って散るよりも前に、きっとキョロキョロしていたろうに。
いったい自分はどうするべきかと、皆を掴まえては質問して。
「このくらいだったら出来るんだけど」と、困ったように首を傾げて。
ソルジャー・ブルーがチビだったならば、全ては変わっていたのだろう。
強いサイオンを持っていたって、自分一人では道を決めかねる子供。
「どうしたらいい?」と皆を掴まえては、取るべき手段を尋ねる子供。
そうなっていたら、ブルーの力は同じでも…。
(俺も、ヒルマンやゼルたちも…)
懸命にブルーを守っただろう、何が最善かを考えて。
何度も皆で会議を重ねて、シャングリラの未来を検討して。
(でもって、次はこうしたいんだが、と…)
ブルーに伝えていただろう進路。
この方法でやっていけるかと、「お前の力で何とかなるか?」と。
ブルーが子供だったなら。
力はあっても、進む道を自分で決めてゆけない子供なら。
(…そっちだったら、俺はあいつを…)
失くしちゃいない、とハタと気付いた。
ブルーの進路を決めてゆくのが、キャプテンの仕事だったなら。
ゼルたちと何度も相談してから、「こうだ」とブルーに伝えたならば。
(…キースがメギドを持って来たって…)
第一波を防いだ後のブルーは、きっと尋ねて来たのだろう。
「どうすればいい?」と、「次の攻撃が来そうだけれど」と、思念波で。
打って出るのか、防御に回るか、どっちの道がいいのかと。
(訊いて来ていたら、あいつを回収…)
急いで戻れ、と飛ばしたろう指示。
ナスカに残った仲間たちも回収するからと。
攻撃が来る前にワープするからと、「お前も急いで戻って来い」と。
きっと戻って来ただろうブルー。
自分では道を決められないから、「分かった」と急いでシャングリラに。
そしてブリッジで周りを見回していたのだろう。
「本当にいいの?」と、「メギドを放っておいてもいい?」と不安そうな顔で。
此処から無事に逃げられるだろうかと、次の攻撃が来たらどうしよう、と。
(そうしたら、肩を叩いてやって…)
大丈夫だ、と安心させてやったろう自分。
「シャングリラは俺に任せておけ」と。
これはキャプテンの仕事だからと、ゼルやブラウもいるのだからと。
(あいつを乗せて、そのままワープ…)
ジョミーがナスカから戻ったら。ワープの指示が下ったら。
白いシャングリラは逃げ切れただろう、ブルーの犠牲が無かったとしても。
逃げる方へと道を決めていたら、皆が急いだ筈だから。
「早くしろ」と何度もナスカに向かって呼び掛け、一刻も早く逃れる方へ。
力はあっても子供のブルーを、一緒に乗せて。
(…本当に、あいつが子供だったら…)
全ては違っていたのだろう。
前の自分も、それにエラたちも、ブルーを補佐して助けただろう。
見た目通りに年下だったら、サイオンが強いだけの子供だったら。
(いつまでも子供ってことはなくても…)
最初の印象は強いものだし、築かれてゆく関係だって。
ブルーが遥かに年上でなければ、きっと変わっていたのだろう。
「ちょっと待ちな」とブラウが止めに入るとか。
それを言われたら、ブルーも大人しく意見を聞いていただとか。
(メギドに行っちまう前にしたって…)
ブルーは「どうしよう?]と訊いて来るのだし、引き止めるだけ。
「早く戻れ」と、「ナスカを捨てて脱出する」と。
今となっては夢物語で、ブルーは年上だったのだけれど。
それに相応しく育ってしまって、命まで捨ててしまったけれど。
(今のあいつは、本当に子供…)
俺よりもずっと年下なんだ、と零れる笑み。
「キスは駄目だ」と何度叱っても、学習しないようなチビ。
見た目通りにチビの子供で、叱られる度に膨れっ面。
前のブルーは、そんな顔などしなかったのに。
いつの間にやら、皆を導くソルジャーとして立っていたのに。
(今度のあいつは、俺よりもチビで…)
ずっと年下で、どう頑張っても追い越せない年。
ブルーが一歳年を取ったら、自分も一歳先へ進んでゆくのだから。
外見の年齢は止めていたって、中身はきちんと重ねてゆく年。
ブルーが一歩成長したなら、自分の方も。
小さなブルーが前と同じに育ったとしても、遥かに前を行っている自分。
「ほら」と「手を出せ」と、ブルーの手を引いて歩いてゆける。
今度は自分が年上だから。
ずっと年上で、今のブルーの父と近いほどの年なのだから。
(チビのあいつが大きくなるまで、待たされちまうが…)
キスも出来ずに待ちぼうけだけれど、これで良かった、と笑みが深くなる。
前のブルーでも、年下だったら、守って、失くさなかった筈。
だから今度はしっかりと守る、チビのブルーを。自分よりもずっと年下だから。
(年上で良かった…)
当分はチビに振り回されるが、と思うけれども、幸せな気分。
ずっと年上に生まれた自分。
いつまでもブルーの先をゆくから、守って歩いてゆけるのだから…。
年上で良かった・了
※ブルー君よりも、ずっと年上のハーレイ先生。大人の余裕もたっぷりです。
前のブルーが年下だったら、と考えてみたら幸せな気分。今度は本当に守れますものねv
(…今日は会い損なっちゃった…)
一度もハーレイに会えなかったよ、と小さなブルーがついた溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドの端っこに腰を下ろして。
朝、学校に着くなり姿を探した恋人。
運が良ければ、柔道着を着たハーレイに会える朝もあるから。
(だけど、いなくて…)
柔道着のハーレイも、スーツ姿のハーレイも。
そういう朝も珍しくないし、特に気にしていなかった。
きっと何処かで会えるから。
廊下でバッタリ顔を合わせるとか、歩いてゆく姿を見掛けるだとか。
言葉を交わす時間が無くても、見られるだけで充分、幸せ。
前の生から愛した恋人、それがハーレイなのだから。
生まれ変わって再び出会えて、恋の続きが始まったから。
(ちょっぴり見られたら、それで幸せ…)
遠くても、後姿でも。
挨拶出来たらもっと幸せ、「ハーレイ先生!」と声を掛けられたなら。
立ち話が出来たら幸せ一杯、なんて幸運だろうと思う。
「ハーレイ」と呼ぶことは出来ない学校、「ハーレイ先生」と呼ぶしかなくても。
会えて話が出来れば幸せ、心が空へと舞い上がりそう。
ハーレイが好きでたまらないから。
ずっと愛している人だから。
けれども、運が悪かった今日。
朝に会えなくて、その後もずっと会えないままで。
(…来てくれるかと思ってたのに…)
待っていたのに、鳴らなかった来客を知らせるチャイム。
ハーレイに会えずに終わってしまった、寂しい今日。
たまに、こんな日もあるけれど。…本当に、たまにあるのだけれど。
寂しいよ、と零れた溜息。
ハーレイに会えずに終わった一日、なんとも悲しい気持ちだけれど。
(でも、明日はきっと…)
会える筈だよね、と思い浮かべた時間割。
自分のクラスの分と違って、同じ学年の古典の授業。
(…覚えちゃった…)
年度初めに少し遅れて、ハーレイが赴任して来た、あの日。
前の自分が帰って来た。
ハーレイを愛した記憶と一緒に、ソルジャー・ブルーの記憶を連れて。
そして始まった、まるで奇跡のような恋。
前の自分の恋の続きを、今の自分が生きている。
ハーレイが好きで、好きでたまらなくて、学校でも探している自分。
だから覚えた、他のクラスの時間割。
何処のクラスに何時間目にハーレイが来るか、それだけを。
時間割が変わる度に覚えて、覚え直して、今だって。
(明日は隣のクラスだから…)
自分の授業が終わって直ぐに廊下に出たなら、会える筈。
ハーレイの方でも、少し待っていてくれるから。
チビの恋人が顔を出さないか、廊下でほんの少しだけ。
教科書や資料をチェックしながら、何気ない風で。
質問のある生徒がやって来ないか、待っているようなふりをして。
(…ホントは、そっちかもしれないけれど…)
授業の間に手を挙げそびれた、質問のある子。
それを待つのかもしれないけれども、ほんの僅かな待ち時間。
急いで廊下に飛び出して行けば、そのハーレイに挨拶が出来る。
「ハーレイ先生!」と声を掛けたら、立ち話だって。
だから明日には会えるハーレイ、それは間違いない筈で。
声だってきっと聞けるのだけれど、会い損なってしまった今日。
それがなんとも寂しくて悲しい、ほんの一日のことなのに。
たまにそういう日だってあるのに、もう寂しくてたまらない。
ハーレイの姿を見られなかったというだけで。
愛おしい人に挨拶出来なかっただけで。
(…寂しいよ、ハーレイ…)
会いたいよ、と思うけれども、ハーレイが来るわけがない。
とうに夜だし、チビの自分は後はベッドに入るだけ。
そんな時間にハーレイは来ない、家を訪ねて来たりはしない。
他所の家のチャイムを鳴らしに行くには、もう遅すぎる時間だから。
気心の知れた大人の客人、そういう人しか遅い時間に訪問したりはしないから。
(…前のぼくなら…)
この時間でも、ハーレイを待てた。
キャプテンの仕事は多忙だったから、遅い日はもっと遅かった。
日付が変わった後になってから、青の間に来た日もしょっちゅうで…。
(お疲れ様、って…)
ハーレイを迎えて、キスを交わして、それからは二人。
恋人同士の時間を過ごして、朝まで一緒。
けれども、今はそうはいかなくて、チビの自分は寝る時間。
明日も学校があるのだから。
夜更かししすぎて寝坊するなら、まだマシだけれど…。
(…疲れすぎたら、学校、お休み…)
それは困る、とベッドに入った。
もしも欠席してしまったなら、またハーレイに会い損なうから。
そうは思っても、やっぱり寂しい。
今日はハーレイに会い損なったし、前の自分なら、この時間でも…。
(…ハーレイ、部屋に来てくれたのに…)
待っていたなら、いつだって。
遅くなっても、大急ぎで。
(たまに、ゼルたちとお酒を飲んでて…)
来そうにないな、と溜息をついて一人で眠った日もあったけれど。
朝になったら、ちゃんとハーレイの腕の中。
いつの間にベッドにやって来たのか、隣で眠っていたハーレイ。
前の自分をしっかりと抱いて、一人にしたりはしなかった。
(…なのに、今だと…)
独りぼっち、と上掛けの下で丸くなる。
これから先も独りぼっちで、大きくなるまでずっと一人、と。
チビの自分は、ハーレイとキスも出来ないから。
前の自分と同じ背丈にならない限りは、キスを許して貰えないから。
(…ホントのホントに…)
寂しいよ、と唇から漏れた独り言。
どうせハーレイには届かないけれど、聞こえても来てはくれないけれど。
(ハーレイのケチ…)
それに意地悪、と心で零して、それだけではまだ足りない気持ち。
ケチな恋人に聞かせてやりたい、独りぼっちの自分の嘆き。
「ホントに独りぼっちなんだから…」
ハーレイのせいで独りぼっち、と声に出してみて、ハッと気付いた。
もっと悲しい独りぼっちを、自分は知っていたのだと。
いくら呼んでもハーレイは来ない、二度と会えない独りぼっちを。
前の自分の悲しすぎた最期。
右手に持っていたハーレイの温もり、それを失くして一人になった。
仲間は誰もいないメギドで、命の焔が消えてゆく時に。
(もう会えない、って…)
二度とハーレイに会えはしない、と泣きじゃくりながら死んでいった自分。
あれが本当の独りぼっちで、それに比べたら今の自分は…。
(ハーレイのケチ、って…)
文句も言えるし、悪口も言える。「ハーレイの意地悪」と。
今はベッドで独り言だけれど、面と向かって言う時だって。
「…ハーレイのケチ…」
それに意地悪、と声に出したら、ふわりと温かくほどけた心。
まるでハーレイに届いたかのように、「俺はそんなにケチで意地悪か?」と言われたように。
ケチと言った声は届かなくても、ハーレイはちゃんといるのだから。
何ブロックも離れた所で、この時間なら、書斎でのんびりコーヒーかお酒。
(…ハーレイ、ちゃんといてくれて…)
今日はたまたま会えなかっただけ、明日にはきっと会える筈。
家にだって寄ってくれるかもしれない、「仕事が早く終わったからな」と。
(独りぼっちじゃないんだ、ぼく…)
今は一人でも、ハーレイがいるよ、と声にしてみた恋人の名前。
「ハーレイ」と、其処にいるかのように。
応えはなくても、愛おしい人を。
「ハーレイ…」
ねえ、と呼び掛けてみたら、心に溢れた幸せな気持ち。
魔法の呪文だったかのように、幸せな呪文を唱えたように。
呼び掛ける声は届かなくても、会って呼んだら、きっと答えが返るから。
ハーレイも自分も生きているから、恋の続きを生きているから。
「…ハーレイのケチ…」
意地悪、と言ってみるのだけれども、胸に幸せが満ちてゆく。
独りぼっちでも、そうさせているハーレイは此処にいないだけ。
明日は会えるし、いつかはハーレイと一緒に暮らしてゆけるのだから。
二人、幸せなキスを交わして、結婚式を挙げて。
それを思うと、幸せな呪文が止まらない。
瞼が自然に落ちて来るまで、「ハーレイ」と呼んで呼び続けたい。
「ハーレイのケチ」でも、「ハーレイの意地悪」でも、幸せが心に溢れるから。
幸せな呪文は恋人の名前で、呼ぶだけで幸せになれるのだから。
「ハーレイのケチ…」
それに意地悪、と繰り返したって、きっとハーレイは怒らない。
「またか」と笑って、コツンと額を小突かれるだけ。
「俺は子供にキスはしない」と、「夜に訪ねはしないぞ」と。
コツンと額を小突く手だって、ハーレイの手だから、それも幸せ。
だから幸せな呪文を唱える、恋人の名前が入った言葉。
織り込んで何度も唱え続ける、「ハーレイのケチ」と、「意地悪」と。
自然に眠気が訪れるまで。幸せな呪文が寂しさを消して、幸せで満たしてくれるまで…。
幸せな呪文・了
※ハーレイ先生に会い損なった日のブルー君。「寂しいよ」と零してましたけど…。
幸せな呪文を見付け出したら、「ハーレイ」と何度も繰り返し。素敵な呪文ですものねv