(今日は充実してたよなあ…)
いい日だった、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
ブルーの家へと出掛けた日の夜、いつもの書斎でコーヒー片手に。
今日は休日、午前中から出掛けて行って、夕食の後までブルーと一緒。
もっとも、夕食はブルーの両親も交えての時間だったのだけれど。
(しかし、食後も…)
ブルーと二人きりで飲めたお茶。
ダイニングから二階のブルーの部屋に戻って、ゆっくりと。
(食後がコーヒーだったなら…)
ああはいかんな、と分かっている。
小さなブルーは苦手なコーヒー、それが似合いの夕食だったら、食後の時間は…。
(あいつの部屋に戻る代わりに、ダイニングで…)
和やかな語らいが続いていって、ブルーとの時間も其処でおしまい。
二人きりには戻れないままで、「では」と立ち上がることになる。
壁にかかった時計を眺めて、帰る時間になったなら。
(そうなっちまうと、あいつはガッカリした顔で…)
とても寂しそうで、けれど表情には出さない。両親が見ているものだから。
目だけが「もう帰るの?」と訴えて来て、ブルーも椅子から立ち上がる。
「ぼく、ハーレイを送って来るね」と。
二人で一緒に玄関を出て、庭を横切り、生垣にある門扉の所まで歩く。
門扉を出たなら、別れの時間。「またな」と軽く手を振ってやって。
(ああいう時には、本当に名残惜しそうで…)
「帰らないで」と瞳に書いてあるけれど、それは今日でも同じこと。
二人きりでゆっくり過ごせた時にも、ブルーは一緒に帰りたがる。
それを言葉には出さないだけで。「ぼくも帰りたい」と、「帰らないで」と。
(食後のお茶を二人きりで飲めたら、笑顔になってはいるけどな…)
寂しい気持ちは変わらないらしい。「もう帰っちゃうの?」と。
其処の所は自分も同じ。
こうして改めて振り返ってみると、思いはブルーと変わらない。
(いい一日で、うんと充実していたんだが…)
終わっちまうとアッと言う間だ、と気付かされてしまう「今日という一日」。
朝に目覚めて、ワクワクしながら食べた朝食。
「今日はブルーに会いに行けるぞ」と、「会ったら何を話そうか」と。
家を出て、歩いてブルーの家まで向かう途中も、躍った心。
車で仕事に出掛ける時とは、まるで違っていた気分。
(仕事も好きではあるんだが…)
好きでなければやっていないし、柔道部の顧問も引き受けはしない。
朝練もあるのが柔道部だから、他のクラブに比べたら…。
(俺の拘束時間は長くなっちまって…)
家を出てゆく時間も早め。
朝練など無いクラブの顧問だったら、朝からジムにも行けるのに。
人によっては、趣味の時間も取れるだろうに。
(ジムと朝練では、違うよなあ…)
同じに運動すると言っても、自分の好きには出来ないメニュー。
ジムの方なら、その日の気分で「何をするのか」好きに選べる。
プールで泳ぐのも、様々な器具を使って身体を鍛えるのも。
けれど、朝練ではそうはいかない。あくまでクラブの生徒のためで、生徒が中心。
(俺も一緒に走っていたって、朝から稽古をつけていたって…)
趣味の運動とは違うんだよな、と分かっている。「生徒のため」だし、主役は生徒。
古典を教える時も同じで、好きな古典ではあるけれど…。
(この家で好きに読んでいる時と、生徒に教える時とでは…)
やはり違ってくる中身。
自分の趣味では「教えられない」。
「こう読んだならば、面白いのに」と思っても。「こんな解釈もある」と知ってはいても。
授業は授業で、教えることは「きちんと決まっている」ものだから。
好きで選んだ仕事とはいえ、勝手気ままに振舞えないのが仕事の現場。
どうしても縛られる「仕事」という枠、それを忘れるわけにはいかない。
朝に車に乗り込んだならば、切り替えなければならない気分。
「さあ、出勤だ」と、「今日も元気にやらんとな?」と。
けれども、今朝は違っていた。
仕事ではなくて、ブルーの家へと出掛けてゆく日。
午前中からブルーと過ごせて、日が暮れて夜になったって…。
(あいつと一緒で、晩飯も一緒に食えるってわけで…)
もう最高にいい日なんだ、と颯爽と歩いた、ブルーの家へと続く道。
「ちょっと早いか」と回り道したり、道沿いの家の花壇を覗き込んだりしながら。
今日という日の中身を思って、「これからたっぷり楽しめるぞ」と。
ブルーの家に着いた時にも、門扉の脇のチャイムを鳴らして、それは御機嫌。
「今日は一日、ブルーと一緒だ」と、二階の窓へと手を振った。
其処からブルーが覗いていたから、「着いたぞ!」と大きく、とびきりの笑顔で。
ブルーの部屋へと案内されたら、二人きりで過ごす時間の始まり。
お茶とお菓子をお供に話して、昼食も同じテーブルで。
(昼飯は、いつも二人きりだしな?)
ブルーの両親は抜きの食事で、今日も楽しく語らいながらの昼食の時間。
食後のお茶が済んだら、のんびり二人であれこれ話して…。
(お次は、午後のお茶ってヤツで…)
ブルーの母が「ごゆっくりどうぞ」と部屋まで運んで来てくれる。
今日はブルーの部屋だったけれど、庭のテーブルと椅子でお茶にする時も。
(初デートの場所ってトコだよな?)
庭で一番大きな木の下、据えてある白いテーブルと椅子。
小さなブルーのお気に入りの場所で、前に自分が選んでやった。その場所を。
キャンプ用の椅子とテーブルを持ち込み、「此処でデートだ」と。
ブルーがすっかり気に入ったせいで、ブルーの父が買った白いテーブルと椅子。
「持って来て頂くのは悪いですから」と、夏になる頃に。
今日のお茶は其処ではなかったけれども、やはりブルーと二人きり。
色々なことを話して笑って、気付けばすっかり日が暮れていて…。
(夕食の支度が出来ましたから、って…)
ブルーの母が扉を軽くノックした。「ダイニングにどうぞ」と。
賑やかだった夕食の時間。人数が増えるものだから。
ブルーの両親が加わるお蔭で、二人だったのが一気に倍の四人になって。
(学校のことやら、シャングリラのことやら…)
話題は山ほど、ブルーの両親もシャングリラの時代には興味津々。
キャプテン・ハーレイにも、ソルジャー・ブルーにも。
そうやって夕食を終えた後には、ブルーの部屋で食後のお茶で…。
(楽しかったな、って晩飯の時の話の続きを…)
語り合う間に、進んでいった時計の針。ハタと気付けば、もう帰る時間。
ブルーに夜更かしさせられないし、そうでなくても「他所の家」。
遅くまで長居は失礼だから、と「またな」と別れて来たのだけれど…。
(…本当にアッと言う間に終わっちまった…)
あいつと過ごしていた時間、と目を遣った時計。
書斎に来てから、どのくらいの時間が経ったろうか、と。
カップのコーヒーは熱いままだし、思った通りにさほど経ってはいない「時」。
(うーむ…)
ブルーの家にいた時だったら、一瞬で経っていたんだが、と考える時間。
三十分など直ぐに過ぎたし、一時間でも同じこと。
(あの家に着いて、ブルーと別れて帰って来るまで…)
長かったんだが、と思ってはみても、感じた時間はあまりに短い。
さっき出掛けて、直ぐに帰って来たかのように。
ブルーの部屋に入った途端に、「すまん、忘れ物だ」と取りに戻ってきたように。
(楽しい時間というヤツは…)
どうして直ぐに過ぎるんだろうな、と思ってしまう。
「ずっと昔もこうだったよな」と。
遠く遥かな時の彼方で、前のブルーと暮らした船。
白いシャングリラで生きていた頃、やはり同じに思ったものだ、と。
(楽しい時には、時間は直ぐに経っちまうんだ…)
前のブルーと青の間で二人、お茶を飲みながら過ごした時間。
ブルーが可笑しそうにコロコロ笑って、前の自分も笑ったりして。
(次の日の仕事に差し支えるから…)
そうそう夜更かし出来ないぞ、と分かっていたから、時間には気を付けていたのに…。
(気付いたら、すっかり遅くなってて…)
前のブルーに「もう休みましょう」と声を掛けては、残念がられた。
「そんな時間かい?」と、「ついさっき、君が来たような気がしてたのに」と。
あの頃は、それで別れたわけではないけれど。
ブルーと同じベッドに入って、朝まで一緒だったのだけれど。
(…今も昔も、変わらんなあ…)
楽しい時は、時間が早く経っちまう、と零れた笑み。
「今なら、ゆっくり二人の時間を取れるんだがな」と。
シャングリラでは、あれほど長い時間は取れなかったし、それを思えば夢のよう。
けれど同じにアッと言う間だと、「楽しい時ほど、早く時間が経つもんだよな」と…。
楽しい時は・了
※ブルー君と過ごした休日、「アッと言う間に終わっちまった」と思うハーレイ先生。
今も昔も、楽しい時ほど早く時間が過ぎるようです。前よりも、ずっと長い時間でもv
(前のぼくだと、英雄なんだけどな…)
大英雄のソルジャー・ブルー、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は平日、ハーレイは訪ねて来てくれなかった。
会議で帰りが遅くなったか、柔道部の方が長引いたのか。
残念だけれど、そういう日だって少なくないから、そちらはとうに諦めている。
「今日は駄目でも、また別の日があるもんね?」と。
それが明日だといいんだけれど、と考えていたら、「英雄」が頭に浮かんで来た。
前の自分は「大英雄」で、並みの英雄とは違う。
(ミュウの時代の始まりになった、凄い英雄…)
メギドの炎で燃えるアルタミラから、初代のミュウを脱出させたソルジャー・ブルー。
自分が閉じ込められたシェルター、それを壊して、他のシェルターも開けて回って。
(あの頃はソルジャーなんかじゃなくて…)
見た目も今と変わらないチビで、心も身体も長く成長を止めていたまま。
狭い檻と過酷な人体実験、他には何も無かった世界。
そんな世界で大きくなっても、希望などありはしないから。もちろん、未来も。
(自分じゃ意識していなくても…)
育っても何もいいことはない、と思った身体は子供のまま。中に宿っていた心も。
けれど、アルタミラを脱出してから、前の自分は育っていった。
前のハーレイやブラウたちがせっせと声を掛けたり、散歩に連れ出したりと世話してくれて。
身体も心も育ててくれて、気付けば立派に「ソルジャー」だった。
(…青の間まで作られちゃったけれどね…)
「ソルジャーはとても偉いのだから」と祭り上げられ、なんとも困っていたけれど。
その扱いに相応しいだけの、働きはきっと出来たのだろう。
今の時代も、ソルジャー・ブルーは英雄だから。
「大英雄」と呼ばれるくらいで、学校の式典などの時には出てくる名前。
「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」と、今の平和な時代を築いた礎として。
前の自分はとても偉くて、今では英雄。
命まで捨ててメギドを沈めて、ミュウの未来を守り抜いた。
(うんと強くて、強かったのはサイオンだけじゃなくって…)
中身の心も強かった。
自分の命と引き換えにしても、ミュウの未来を守ろうだなんて。
そうするためには、命を失くしてしまうばかりか…。
(前のハーレイともお別れなんだよ…)
さよならのキスも出来ないままで。
ハーレイはブリッジに詰めていたから、別れの言葉も告げられない。
「死にに行くのだ」と皆に知れたら、引き止められてしまうから。
ブリッジの者たちが寄ってたかって、「ソルジャー・ブルー」を止めにかかるから。
(いくらジョミーがソルジャーでも…)
三百年もの長い歳月、ソルジャーだった自分がいなくなったら、ミュウにとっては大きな損失。
この先、どうやって地球に向かうか、ミュウの未来を目指すのか。
道標だった「ソルジャー・ブルー」無しでは、心許ない旅になる。
十五年間も眠ったままでも、「其処にいる」だけで、皆は安心出来たろうから。
「ソルジャー・ブルーがおいでになる」と、「いざとなったら目覚めて下さるだろう」と。
実際、そうして目覚めた自分。
白いシャングリラに張り巡らせていた、思念の糸が震えたから。
キースが起こした脱出騒ぎと、カリナのサイオン・バーストとで。
(…船に何かが起こってる、って…)
そう感じたから、眠りから覚めた。
キースは逃がしてしまったけれども、人質は一人解放させた。
お蔭で皆の期待は高まり、赤いナスカからの脱出を巡って、意見が割れた時でもあるから…。
(ソルジャーなら、何とかしてくれる、って…)
何人もの仲間が見詰めていた。「ソルジャー」は、とっくにジョミーなのに。
だからこそ、知られるわけにはいかない。
「ソルジャー・ブルー」は二度と戻らないことを、死ぬために船を出てゆくことを。
仲間たちが自分を引き止めないよう、隠し通した「最後の目的」。
ハーレイにさえも「さよなら」を言えないままになっても、そうすべきだから。
(みんなに知れたら、もう力ずくで…)
取り押さえるようにしてでも、船に留め置かれていただろう。
何処かの部屋に押し込めるだとか、意識を奪ってしまってでも。
そうなったならば、もうシャングリラを救えない。
ジョミーだけではとても無理だし、白いシャングリラは沈んでしまう。
それを防ごうと、ただ一人きりで…。
(ハーレイに「さよなら」のキスもしないで…)
メギドへと飛んだ、ソルジャー・ブルー。
あれほどの強さを自分は持たない。
十四歳にしかならないチビの子供で、おまけに平和な時代の生まれ。
(前のぼくの記憶が戻って来たって…)
強くなったとは思わない。
その前と同じに子供のままで、我儘も言えば、寂しくてポロポロ涙を零す日だって。
(前のぼくなら、我儘なんか…)
滅多に言いはしなかった。
ソルジャーと呼ばれるよりも前から、子供の姿をしていた頃から。
(みんなと船で暮らせるだけでも幸せだから、って…)
もう充分に満たされていたし、我儘を思い付きさえしない。
「こうなればいいな」と思っていたって、それを押し付けはしなかった。
我儘を言える立場になっても、言えるだけの余裕が船に出来ても。
(前のハーレイには、我儘も言っていたけれど…)
それでもキャプテンの立場を思って、ずいぶんと控え目だったと思う。
今のように直接ぶつけはしないで、「君さえ良ければ」という形。
「良かったら、こうしてくれないかな?」と、頼んでいたのが前の自分。
ハーレイが青の間にやって来る時に、ついでに何かを届けて欲しい、と小さな我儘。
「食堂で何か貰って来てよ」と、夜食の出前を頼んだとか。
前の自分はそんな風に生きて、今の時代は大英雄。
それに比べて自分はと言えば、どうしようもなく弱くてチビ。
(前のぼくだった頃と、同じ背丈に育っても…)
きっと中身は、あれほど強くはならないだろう。
今と同じに泣き虫なままで、我儘だって言うのだろう。
(平和な時代に生まれて、育って…)
十四年間もそうして生きたら、それが「自分」の中身になる。
前の自分の記憶があっても、あくまで知識のようなもの。
本で読んだり、教わるよりかは「実感がある」というだけのこと。
アルタミラの地獄を見てはいないし、酷い実験もされてはいない。
優しい両親に守られて育って、幸せ一杯の日々を過ごして来たものだから…。
(今のぼく、弱くなっちゃって…)
前のようには生きられない。
サイオンが不器用でなかったとしても、やはり「強くはない」だろう自分。
寂しくなったら涙を零して、ハーレイに我儘だって言う。
いつか二人で暮らし始めても、そう出来るほどに大きく成長しても。
(何処も、少しも強くないよね…)
英雄になんかなれっこないよ、と自分が一番よく知っている。
今の自分は、きっと一生、ちっぽけなままで終わるのだろう。
ハーレイの大きな身体に守られ、その陰に隠れて顔だけを出して。
(…生まれ変わりなんだ、って話せば別だけど…)
たちまち自分は英雄扱い、「ソルジャー・ブルー」として脚光を浴びるだろうけれど。
毎日のように取材があったり、あちこちの星へ招待されたり、もう本当に英雄だけれど。
(その英雄はソルジャー・ブルーで、ぼくじゃなくって…)
今の自分が生きて来た日々は、きっと訊かれもしないのだろう。
記憶が戻ってくるよりも前は、どういう風に生きたのか。
「ソルジャー・ブルー」の記憶抜きなら、どんな考えの持ち主なのかも。
皆が知りたいのは「ソルジャー・ブルー」で、今の自分は、ただの器に過ぎないから。
前の自分の威を借りたって、弱い自分は変わらない。
むしろ今より霞むくらいで、誰も「自分」を見てはくれない。
(ぼくじゃ、英雄にはなれないものね…)
それに強くもないんだし、と考えた所でハタと気付いた。
ハーレイを想う気持ちだったら、前の自分にも負けてはいないと。
もしかしたら前より強いくらいで、前以上かもしれないと。
(…前のぼくは、ハーレイと結婚なんて…)
諦めていたと言ってもいい。
シャングリラでは恋さえ明かせなかったし、結婚などは夢のまた夢。
いつか地球まで辿り着けたら、二人で暮らそうと夢見た程度。
夢を見るのは自由だから、と幾つもの夢を描き続けて…。
(ぼくの寿命が尽きると分かって…)
その夢さえも諦めざるを得なかった。涙を幾つも零しながら。
「仕方ないのだ」と、我儘などは言わないで。
けれど、自分はそうはならない。ハーレイとの恋を諦めはしない。
(ハーレイとの結婚、パパやママたちに止められたって…)
「男同士だから」とか、「まだ若すぎる」だとか、止める理由は幾つもある。
そして本当に止められないとは限らない。
両親はとても優しいけれども、一人息子の結婚となれば、考えることも多いだろうから。
(絶対に駄目だ、って叱られたって…)
きっと自分は諦めなくて、泣いて怒って、部屋に立て籠って…。
(許してくれるまで出て行かないとか…)
何日も食事をしないままでも、おやつも食べられないことになっても、やめない籠城。
ハーレイと結婚するためだったら、どんな障害でも乗り越えたいと思うから…。
(今のぼくだって、ちゃんと強いよ…)
前のぼくとは違う部分で、と浮かべた笑み。「ぼくも頑張る」と。
もしも結婚に反対されたら、前の自分よりも強く生きよう。
「許してくれるまで食事しないよ」と、「部屋からも絶対、出ないからね」と…。
今のぼくの強さ・了
※ソルジャー・ブルーだった頃ほど、今の自分は強くない、と考えたブルー君ですけれど。
ハーレイと結婚ということになったら、いくらでも強くなれそうです。部屋に籠城v
(…英雄なあ…)
前の俺は英雄だったっけな、とハーレイがふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
この地球の上に生まれ変わる前、「キャプテン・ハーレイ」と呼ばれた自分。
遠く遥かな時の彼方で、ミュウの歴史を作った英雄の一人。
(英雄と言っても、色々あるが…)
神話の時代の英雄もいれば、実在した英雄たちもいる。
皆、「英雄」と呼ばれるだけあって、偉業を成し遂げた人物ばかり。
それに比べれば、前の自分は劣るような気がしないでもない。
(シャングリラを地球まで運んだだけで…)
他には何もしてはいないぞ、と前の自分が生きた人生を振り返る。
三百年以上もの長きにわたって、キャプテンを務めはしたのだけれど…。
(船を纏めて、皆の意見を聞いてだな…)
ただそれだけの仕事じゃないか、と言ってしまえる「キャプテン稼業」。
様々な場面でシャングリラの危機を救ったとはいえ、それで英雄と言えるのか。
(他の誰かがキャプテンだったら、前の俺がやっていたように…)
適切な指示や判断などや、そういったことをこなしただろう。
経験豊富になればなるほど、熟練のキャプテンになってゆくほど。
(俺はたまたま、あのタイミングで…)
シャングリラにいて、「適任だから」と選ばれただけに過ぎないキャプテン。
元は厨房でフライパンを相手に暮らしていたのに、驚くような大抜擢で。
(船は動かせなくてもいいから、とまで言われたわけで…)
どうしようかと悩んでいたら、前のブルーに背中を押された。
「ハーレイがなってくれるといいな」と。
いつか来るだろう、ブルーが「命を懸けねばならない時」。
その時に船を操るキャプテン、それが「ハーレイだったらいい」と。
「ハーレイになら命を預けられる」と、「キャプテンになってくれないかな?」と。
ブルーの役に立てるなら、と引き受けたのがキャプテンの役目。
同じキャプテンなら、船も動かせた方がいい。ブルーの信頼に応えるためにも。
(俺が自分で動かしていたら、あいつの望み通りの場所へ…)
先回りすることも出来るだろう。
ブルーが自分をキャプテンに推した理由は、「誰よりも息が合うから」というもの。
ならば、ブルーと阿吽の呼吸でシャングリラを見事に動かしてこそ。
そう思ったから操舵を覚えて、あの船の癖も掴んでいた。改造前の船でも、白い鯨でも。
(ただ、それだけのことでだな…)
自分の代で地球まで辿り着いたから、英雄になっただけのこと。
代替わりをした誰かが地球に行っていたら、英雄はそちらだったろう。
(ついでに、地球で死んじまったのも…)
英雄になった理由の一つ。
ジョミーとキースが地の底で戦い、SD体制を終わらせた。
グランド・マザーを倒し、それに繋がるマザー・ネットワークも壊れていって。
(あれで全てが終わったんだが…)
ジョミーとキースは戻らなかった。
地の底で何が起きているのかも分からないままで、激しい地震に見舞われた地球。
とにかくジョミーを探さなければ、とゼルたちと深い地下に向かった。
ユグドラシルから脱出する術は、あの段階ならあったのに。
(脱出しようって話もあったが…)
それよりは、と皆で向かった地の底。
ジョミーの所へ辿り着く前に、塞がれてしまった地下への道。
地上へ戻る道も失い、残された道は「死」しか無かった。
皆で力を合わせていたなら、逃げられたのかもしれないけれど…。
(…カナリヤの子たちを見付けちまって…)
この子供たちを救わなければ、と未来ある子たちを優先した。それにフィシスも。
彼らをシャングリラに送り届けて、前の自分たちの命は尽きた。
地球の地の底で、落ちて来る瓦礫に押し潰されて。
(俺でなくても、ああなっていたら…)
あの道を選んだのだろう。
そして「英雄」になっていたろう、後の時代まで名を残して。
(俺じゃなくても、良かったような気もするが…)
歴史というものは結果が全てで、前の自分は英雄になった。
パイロットの卵たちの憧れ、「ああいう立派なキャプテンになりたい」と称えられる英雄。
シャングリラを地球まで運んだ英雄、偉大なキャプテン・ハーレイとして。
(前の俺だと、英雄なんだが…)
他の誰かでも務まりそうではあるが、と思いはしても、確かに英雄。
ミュウの時代へと変わる歴史の節目に、たまたま其処に居合わせたから。
白いシャングリラを地球まで運んで、SD体制に幕を下ろしたから。
(SD体制を崩壊させたのは、ジョミーと、キースの野郎なんだが…)
俺は何もしちゃいないんだがな、と考えてみても、「英雄」なことは変わらない。
誰もが「英雄の名に相応しい」と思ったからこそ、今の時代もそういう扱い。
前のブルーや、ジョミーたちと一緒に名を称えられて。
(…理由はどうあれ、英雄になっちまっていて…)
それに比べれば、今の自分はどうだろう?
後世に名を残すくらいの「英雄」になれるか、考えなくても答えは一つ。
(どう頑張っても無理そうだぞ?)
前世を明かして、キャプテン・ハーレイの名を継ぐならともかく、今のままでは。
しがない古典の教師のままでは、英雄は無理。
(柔道や水泳の道に進んでいてもだな…)
プロの選手として名を馳せていても、そう簡単にはなれない英雄。
同じ柔道や水泳の選手、彼らの世界でなら「英雄扱い」されたって…。
(スポーツに興味の無い連中なら…)
名前を聞いても、顔さえ浮かばないだろう。「誰ですか?」と首を傾げたりして。
大勢のファンに囲まれていても、横を通り過ぎる人だっている。
「誰なんだろう?」とチラと眺めて、「知らない顔だ」と。
今の自分では、なれそうもないのが「英雄」なるもの。
どう転がっても、どう頑張っても、前の自分の威を借りない限りは…。
(一介の古典の教師で終わりで…)
前の俺とは、えらい違いだ、と視線をやった自分の手。
この手でシャングリラの舵を握って、前の自分は英雄になった。
キャプテンの任に就いた者なら、きっと誰でも英雄になれたと思うけれども…。
(あの時は、俺しかいなかったわけで…)
頑張ったことは確かだろう、とも考える。
前のブルーを失くした後にも、きちんと役目を果たしたから。
魂はとうに死んでしまって、生ける屍のように思えた日々の中でも。
(まあ、英雄になれただけあって…)
強かったことは間違いないな、と前の自分の強さを思う。
ブルーを失くした心の痛みを誰にも明かさず、ただ穏やかに笑っていた。
ジョミーが厳しかった分だけ、キャプテンの自分が皆の心を癒さなければ、と。
戦闘の最中は別だけれども、それが終わって、皆が一息ついた時には。
(今の俺だと、あそこまでは…)
出来ないかもな、と苦笑する。
すっかり平和になった時代に、今の自分は生まれたから。
アルタミラの地獄も知りはしないし、シャングリラで苦労を積んでもいない。
のうのうと暮らして年を重ねて、外見だけは前の自分と同じでも…。
(中身がまるで違うんだ…)
苦労知らずの今の俺じゃな、と情けない気がしてくるほど。
「すっかり弱くなっちまった」と、「前の俺ほど強くないよな?」と。
同じ立場に置かれたならば、きっと困ってしまうだろう。
前の自分の記憶を頼りに振舞うにしても、心の中では…。
(パニックってヤツで…)
こうすれば、こうなってゆく筈だ、と思いながらも恐慌状態。
「本当にこれで合っているのか」と、「俺は間違えてはいないだろうな?」と。
まるで駄目だ、と零れる溜息。
「今の俺は強くないようだが」と。
ブルーに何度も「今度こそ俺が守ってやるから」と言ったけれども、どうなるのかと。
(あいつだけなら、今の俺でも…)
いくらでも守ってやれるんだがな、と思った所で気が付いた。
「それが強さだ」と。
前の自分は、ブルーを守れはしなかった。ブルーの方が遥かに強くて、敵わなくて。
どんな時でも、前のブルーに「守られた」だけ。
シャングリラごと、船の仲間たちごと。
(しかし、今だと…)
ブルーがチビの子供でなくても、守れる場面は星の数ほど。
いくら平和な時代になっても、寒い日もあれば、いきなり雨が降り出す時も。
今のブルーは不器用になって、シールドさえも張れないのだから…。
(俺が守ってやらないと…)
風邪を引くとか、寝込むだとか…、と少し嬉しい。
「今度はあいつを守ってやれる」と、「あいつにとっては、前の俺より頼もしいよな?」と。
それならいいか、と傾けるコーヒーのカップ。
今の自分も、ちゃんと「強さ」はあるようだから。
英雄と呼ばれることは無理でも、愛おしい人を守れる強さを、今の自分は持っているから…。
今の俺の強さ・了
※「前の俺なら英雄なのに」と考えてしまったハーレイ先生。「今度は無理だな」と。
英雄にになるのは無理そうですけど、別の強さがあるようです。ブルー君を守れれば充分v
(今日のハーレイ、傑作だったよね)
一本取られちゃっていたよ、とクスクス笑う小さなブルー。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は学校で会っただけのハーレイ、家には来てくれなかったけれど…。
(だけど古典の授業があったし…)
ハーレイの姿をたっぷり見られて、大好きな声も沢山聞けた。
そんな授業の真っ最中に起こった事件が、笑いの原因。
(思い出しただけで、可笑しくなっちゃう…)
まさか、あんなことになるなんて、と今も可笑しくてたまらない。
クスクス笑いが零れるほどに。
部屋に一人でも、笑い転げたくなるくらいに。
(ハーレイの雑談、みんな大好きなんだけど…)
生徒の集中力が途切れないよう、絶妙のタイミングで繰り出される、それ。
今日の話題は、遠い昔の日本の習慣で…。
(どうして、そういうことをしたのか、分かるか、って…)
ハーレイが皆に投げた質問。「分からないだろうな?」という風に。
もちろん自分もピンと来なくて、「何故だろう?」と首を傾げたけれど。
サッと手を挙げた、クラスのムードメーカーの男子。「はいっ!」と元気一杯に。
そして指されもしない内から、彼が口にした回答は…。
(そういうことか、って思っちゃうほど…)
とても見事な正解のよう。…正解なのだ、と自分も信じた。疑いもせずに。
(だってホントに、正解みたいで…)
なるほど、と頷かされた回答。
確かにそういう答えだろうと、「手を挙げるだけのことはあるよね?」と。
ところが、違っていた正解。
ハーレイは可笑しそうに笑って、こう言った。
「お前たち、みんな間違ってるぞ」と、「こいつに騙されるんじゃない」と。
間違いだったらしい回答。とても正しく聞こえたのに。
(ハーレイ、正解を話したけれど…)
そちらの方は、今の時代にそぐわないもの。
「本当なの?」と首を捻ったくらいに、まるで想像がつかない世界。
(今の時代に生きてる人と、うんと昔の日本の人だと…)
考え方も違うだろうし、「正解はこうだ」と言われたならば、それが正しい答えだろう。
どうにも納得できなくても。
さっきの男子が言った答えが、正解のように聞こえても。
(そうなんだろう、って思ったんだけど…)
話は其処で終わらなかった。
あまりにも見事に聞こえた回答、間違っていた方の男子の答え。
そっちを支持したい生徒が多くて、男子の一人が投げた質問。
「何処に証拠があるんですか?」と、「歴史や古典が、全部正しいとは限りませんが」と。
「先生は、それを見て来たんですか?」とも、やったものだから、吹き出したハーレイ。
「それを言われると、敵わんな」と。
歴史も古典も、残っている記録だけが全てで、けれど正しいとは限らない。
古典だったら脚色されたり、後の時代に加筆されたり、色々と変わる。
舞台になった時代の風俗や習慣、そういったものを無視したりして。
(歴史の方だと、もっと酷くて…)
その時代に生きた、主役が歴史を作り出す。
自分に都合のいいことを書かせ、時には自分で書いたりもして。
都合の悪い記録があったら、悉く処分させたりもして。
(そうやって記録が残っていくから…)
後の時代の人間が見ても、本当のことは分からない。
歴史に残った記録の通りに、様々なことが起きたのか。
「反逆者」などと書かれた人々、彼らは真に「反逆者」の立場だったのか。
客観的な記録が何処からかヒョッコリ出ない限りは、分からないままの「本当のこと」。
権力とは無縁の人が記した日記があるとか、そんな幸運でも無い限り。
ハーレイも認めた、「証拠が無い」こと。
「間違いなくそうだ」と言い切れるだけの、確かな根拠は無いということ。
だから「間違いではないな」と笑ったハーレイ。
「珍回答でも、そう考えると、頭から否定は出来ないぞ」と。
それを聞くなり、ワッと湧いたのがクラスの生徒。
プロの教師のハーレイの説より、生徒の方が出した珍説、それに軍配が上がったから。
「そっちの方が正しそうだ」と皆が騙された、「誤った答え」が許されたから。
(いつもだったら、みんな感心して聞くだけなのに…)
ハーレイが持ち出す様々な雑談、それが蘊蓄だった時には。
「本当ですか?」と尋ねはしたって、「そういうものか」と誰もが頷く。
けれど流れが違っていた今日、先に珍説に騙されたから。
(正解だよね、って思い込んじゃって…)
自分も、クラスの他の生徒も、疑いさえもしなかった。
「はいっ!」と名乗りを上げた生徒が、自信満々で出した答えが「正しい」と。
間違いだとは思いもしないで、「そうなんだ…」と素直に信じて。
なのに「騙されてるぞ」と聞かされたわけで、皆がビックリしていた所へ…。
(何処に証拠があるんですか、って…)
尋ねた猛者が現れたから、まるで変わってしまった流れ。
ハーレイが間違っているかのように。
珍回答を述べた生徒が、本当の答えを言ったかのように。
(…ハーレイも、笑うしかなくて…)
降参するように認めた正解、実の所は「珍回答」。
「間違いだがな?」と苦笑しつつも、「それでいいか」と出たお許し。
お蔭でクラス中が笑って、珍回答を出した生徒は英雄扱い。
珍回答でも、「間違っている」という証拠は何処にも無いのだから。
ハーレイはそれを出せはしなくて、歴史に残った記録の方も…。
(正しいとは限らないものね?)
そのせいで皆が笑って笑って、ハーレイも笑い続けていた。「やられたな」と可笑しそうに。
(ホントに可笑しすぎたってば…)
今日の事件は、と思い出すだけで可笑しくなる。
「ハーレイが一本取られるなんて」と、「ぼくも騙されちゃったけどね」と。
珍回答が正解なのだと、自分も思い込んだから。
ハーレイが「騙されてるぞ?」と正解を告げても、直ぐには信じられなかったほど。
(嘘じゃないの、って…)
自分でさえも思ったわけだし、他の生徒は尚更だろう。
みんな「今」しか生きていなくて、「他の時代」を生きてはいない。
(見て来た時代は、みんな今だけ…)
時代によって変わる価値観、そんなものなど実感しようとしても出来ない。
どう頑張っても、「今」の時代の人間だから。
今の時代を基準にしてしか、思考を組み立てられないから。
(想像するしか出来ないわけで…)
その想像さえ、「今」という枠から離れられない。
育った時代と生きている「今」、それが「自分」を作るのだから。
けれど、そうではない自分。
今の時代を生きる自分と、「前の自分」がいる自分。
(SD体制の時代だったら…)
ちゃんとこの目で見て来たんだよ、と言い切れる。
誰にも「そうだ」と言えはしなくても、前世を明かせはしなくても。
前の自分はソルジャー・ブルーで、遠く遥かな時の彼方で生きていた。
白いシャングリラで、ミュウの箱舟で。
前のハーレイと共に暮らして、三百年以上も「ソルジャー」だった。
(そんなぼくでも、今の時代だと…)
考え方はすっかり今風。
前の自分なら、今日の事件のような時には…。
(本当なのかな、って…)
きっと疑ってかかっただろうに、疑わなかった今の自分。珍回答を信じてしまって。
そう考えると、ハーレイが笑い続けた理由もよく分かる。
歴史や古典が全て正しいとは、ハーレイだって考えもしない。
自分と同じに、「違う時代」を知っているから。
機械が治めたSD体制の時代、其処で「異分子」として追われ続けたミュウの一人だから。
(前のぼくたちが生きた頃には、歴史は機械と人類のもので…)
ミュウは「人間」でさえもなかった。
端から殺され、処分されたし、存在さえも抹殺された。…歴史の表舞台から。
アルタミラが星ごと砕かれた惨劇、それは人類の世界では「アルタミラ事変」という扱い。
赤いナスカが滅ぼされた時も、「演習で崩壊した」と発表したのだという。
ミュウの存在には触れもしないで、あくまでも隠し通そうとして。
(そうやって隠し続けていたって…)
ミュウは進化の必然となって、表舞台に現れた。
時代はミュウのものへと変わって、歴史はきちんと書き換えられて…。
(前のぼくたち、異分子から英雄になっちゃった…)
おまけに今の自分となったらチビの子供で、「珍回答」を信じる有様。
ソルジャー・ブルーだった頃なら、頭から信じはしなかったろうに。
ああいう質問が投げられた時は、様々な考えを巡らせたりして。
(ぼくまで騙されちゃっていたから、ハーレイ、余計に笑うんだってば…)
その上、うんと平和な時代。
キャプテン・ハーレイだった頃なら、あんまり笑い転げていたら…。
(キャプテンの威厳が台無しになるし、船の航行にも差し支えるし…)
ブリッジの皆が笑っていたって、直ぐに切り替えさせただろう。
「しっかりしろ!」と檄を飛ばして、「仕事に戻れ!」と号令して。
(だけど今だと、可笑しい時には、珍回答も…)
許してしまって、ハーレイも笑い続けていられる。
「授業に戻るぞ」と言いもしないで、生徒と一緒に笑い転げて。授業は放り出してしまって。
そういうのも今だからだよね、と思うと零れてしまう笑み。
「可笑しい時には、今は好きなだけ笑えるんだよ」と、「今日はホントに可笑しかった」と…。
可笑しい時には・了
※ハーレイ先生の授業で起こった事件。正解よりも、珍回答の方が正しいという扱いに。
そうやって笑い転げられるのも、今ならでは。可笑しい時には、好きなだけ笑える時代ですv
(うーむ…)
この時間でも笑っちまうな、とハーレイが零してしまった笑い。
平日の夜に、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それを片手に。
(なんだって、ああいう愉快な答えになるんだか…)
全く予想もつかなかったぞ、と考えるのはブルーのことではなくて。
(真面目に答えたつもりなんだか、冗談なんだか…)
あの顔からして、本人は真面目だったのだろう、と思う生徒の一人。
ブルーのクラスのムードメーカー、何かと言えば「はいっ!」と名乗り出る男子。
彼が答えた「珍回答」。
授業の途中の雑談の時間、「こいつが分かるか?」と訊いた途端に。
質問したのは、遠い昔の地球の習慣。日本と呼ばれていた島国の。
「どうして、こういうことをしたのか、お前たちには分からんだろう」と言ったのに…。
(自信満々で手を挙げやがって…)
「よし」と名前を呼ぶよりも前に、飛んで来たのが「的外れな答え」。
けれど、理屈は通っていた。
今の時代の考え方なら、そうなるであろう「習慣」の理由。
(あまりに見事に、今の時代に似合いだったから…)
クラスの全員が、「なるほど」と納得したらしい。
「そういうことか」と、「今も昔も、人間は変わらないんだな」と。
(ブルーも感心した顔で…)
答えた生徒を眺めていたから、「あいつまでが」と、こみ上げた笑い。
今のブルーは優等生だし、深く考えそうなのに。
上っ面だけで「そうか」と思わず、「本当かな?」と疑いそうなのに。
見事に勘違いしたクラスの全員、それに原因を作った男子。
「こういう時もあるんだな」と可笑しかったから、もう盛大に吹き出した。
「お前たち、全員、間違ってるぞ」と、「こいつに騙されるんじゃない」と。
珍回答は訂正せねば、と「正しい答え」を述べたのに。
「今の時代じゃ、そういうことにもなるんだろうが…」と時代背景も説明したのに。
(断然、そっちの方がいいです、と…)
支持されたのが珍回答。
「証拠は何処にあるんですか」と訊く猛者までが現れた。
珍回答を寄越した男子ではなくて、他の男子生徒。
「先生は、それを見て来たわけではないですよね?」というのが彼の言い分。
「記録が全てじゃないと思いますが」と、「歴史も古典も、真実だとは限りません」と。
(ああいう風に言われちまうと…)
頭から否定できないもの。
彼も「間違ってはいない」から。
今の時代まで残された記録、それが「正しい」とは誰にも言えない。
(人間が文字を持たない頃なら、口伝で残していたんだし…)
文字を持つようになった後でも、歴史を記録したのは「勝者」。
時代の主役が書き残させたり、自ら書いたり。
(自分に都合のいいように書いて、そうでない記録は消したりもして…)
残ったものは「勝者の歴史」で、「勝者の言い分」。
実際の所はどうだったのかは、後の人間には分からない。
何処からか「真実」を記した文章、それがヒョッコリ出ない限りは。
時の権力者とは無縁の誰かが、淡々と記した日記だとか。
(古典の世界も、似たようなモンで…)
脚色されたり、時代の好みで加筆されたり、訂正されたり。
だから突っ込み所は山ほど、「この時代にコレは有り得ないぞ」などと。
古典の本を読んでいたって、注釈が山とついているもの。
(時代的には誤りなんだが、これで定着しているから、と…)
良しとされている風俗や習慣、作品の舞台になった時代に「それ」が無くても。
研究者たちが読み込んだならば、「間違いだな」と思うことでも、そのまま残る。
さも真実のような顔をして、紛れ込んで。…その時代に「それ」があったかのように。
(だから、反論できなくてだな…)
「それでもいいか」と浮かべた苦笑。
「本当の答えはコレになるんだが、正しいとは限らんようだしな?」と。
ワッと湧いたのがブルーのクラスで、珍回答が正解扱い。
「おいおい、こっちが本当だぞ?」と話してみたって、「こっちがいいです!」と。
なにしろ雑談の時間のことだし、生徒も「楽しい」方がいい。
「歴史ではこうなっていたって、本当のことは違うんだ」などと笑うのが。
ワイワイ騒いで、珍回答をした生徒を祭り上げるのが。
(それで、あいつが英雄で…)
識者ってことになっちまったぞ、と今も笑わずにはいられない。
プロの教師の自分を尻目に、珍説を述べて勝利した「勇者」。
クラスの生徒の支持を集めて、笑いの渦を巻き起こしながら。
(俺まで一緒に笑っちまって…)
こんな時間に思い出しても、やはり同じに可笑しくなる。
「なんて答えだ」と、「あいつに一本取られたな」と。
ついでに、横から「証拠は何処にあるんですか?」と質問した生徒にも。
(…そうさ、確かに間違ってなんかいないんだ…)
珍回答の方はともかく、と自分だからこそ頷ける。
「歴史も古典も、それが正しいとは限りません」という言い分に。
「先生は、それを見て来たんですか?」と、勝ち誇った顔で言われたことに。
(…見て来たヤツにしか分からんことは…)
本当にある、と今の自分は知っている。
今は本当に平和な時代で、今日の授業でも皆と笑っていたけれど。
ブルーも笑い転げたけれども、それが出来るのは今だから。
(可笑しい時は、いくらでも笑って笑い続けて…)
授業が脱線したままになっても、誰も困りはしない時代。
後で取り返せばいいだけのことで、今日は大いに笑い続けた。
いつもの雑談よりも長めに、「いい加減にしろよ?」と、笑いを懸命に噛み殺しながら。
けれども、そうではなかった時代。
前の自分が生きた時代は、いくら可笑しくても、そういつまでも…。
(笑ってなんかはいられなくて…)
「しっかりしろ!」と檄を飛ばしたもの。
ブリッジが笑いに包まれていたら、誰もが笑い転げていたら。
(少しくらいなら、それもいいんだが…)
笑いも一つの気分転換、緊張をほぐすには丁度いい。
今の自分が授業の途中に挟む雑談、それで生徒の集中力を取り戻そうとするのと同じで。
ただ、シャングリラと教室は違う。
教室だったら、皆が笑って笑い続けたまま、時間が経ってもいいけれど…。
(俺まで笑い続けていたって、何の問題も無いわけなんだが…)
シャングリラの方は、そうはいかない。
ミュウの仲間たちを乗せた箱舟、皆の命を預かる船。
ブリッジは船の中心なのだし、笑いながらの航行などは言語道断。
常に真剣勝負の航路で、遊覧飛行やドライブとはわけが違うのだから。
(これじゃいかん、と俺が叱って…)
直ぐに終わってしまった笑い。
どんなに可笑しいことが起きても、愉快なことが起こっても。
今の時代に白いシャングリラが飛んでいたなら、船中が笑いに包まれそうな時だって。
(…だから、あいつは間違っちゃいない…)
勝者の歴史が刻まれた時代を、前の自分は生きたから。
「ミュウは抹殺すべき異分子」、そう決められて追われた時代。
機械がそういう風に定めて、人類軍や保安部隊を繰り出して。
(ミュウは進化の必然だったというのにな?)
機械がそれを認めないから、人類は夢にも思わなかった。
「ミュウも人間なのだ」とは。
そして端から殺し続けて、勝者の歴史を綴り続けた。
アルタミラの惨劇は「アルタミラ事変」、ナスカの悲劇も「演習」だなどと。
(あの時代の記録は、今も残っているんだが…)
ミュウの時代がやって来たから、「勝者の歴史」は訂正された。
アルタミラ事変は「アルタミラの惨劇」、赤いナスカが崩壊したのも「人類軍の攻撃」だと。
今の自分は、歴史がそうして書き換えられる所は、この目で見損なったのだけれど…。
(本当のことを、ちゃんと現場で見て来たからな?)
前の俺がな、と自信を持って言えること。
「俺はキャプテン・ハーレイだった」とは、誰にも明かしていなくても。
明かす予定など全く無くても、「歴史」というものの「からくり」は分かる。
「歴史も古典も、それが真実とは限らない」と。
「見て来たヤツにしか分からないんだ」と、「だから、あいつも間違っちゃいない」と。
(…珍回答は、流石にな…)
間違いなんだが、と思ってはいても、可笑しかったから否定はしない。
可笑しい時は笑い続けていてもいいのが、今の平和な時代だから。
ブルーもコロコロ笑っていたから、今日の所は良しとしておこう。
(やっぱり人間、可笑しい時は…)
好きなだけ笑っていられる時代が最高だしな、とコーヒーのカップを傾ける。
「笑える時代がいいじゃないか」と、「前の俺だと、そうそう笑えなかったんだから」と…。
可笑しい時は・了
※ハーレイ先生の授業で起こった、ちょっとした事件。珍回答が人気で、笑いの渦。
可笑しい時には笑える時代で、今だからこそ。キャプテン・ハーレイには無理ですものねv