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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(…英雄なあ…)
 そういう人間もいるんだっけな、とハーレイの頭に浮かんだ言葉。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
 遠い昔から、大勢の英雄がいるけれど。
 自分が教える古典の中にも、それこそ何人も出て来るけれど。
(…源義経ってヤツもそうだよなあ…)
 小さな島国、日本の英雄。
 平安時代の終わりに生まれて、駆け抜けるように生きて散った義経。
 あまりにも最期が悲しすぎたから、荒唐無稽な伝説までが生まれたほど。
 「義経は、実は死んではいない」と、多くの人に語り継がれて。
(衣川では死んじゃいなくて、もっと北へと落ち延びて…)
 海を渡って、その頃は蝦夷地と呼ばれた北海道に逃げて、無事だったとか。
 北海道どころか、日本海を越えて中国大陸にまで渡った末に…。
(モンゴルに行って、チンギスハンになるんだっけな)
 とんでもないぞ、と可笑しくなる。
 チンギスハンと言えば、モンゴル帝国の創始者だから。
 義経よりも遥かに名高い英雄、その伝説が生まれた頃でも、知名度は桁が違ったろう。
 中国大陸の人に「源義経を知っていますか?」と訊いたら、「さあ…?」と返ったと思う。
 小さな島国で戦いに負けて、死んでいっただけの源義経。
 それに比べてチンギスハンは、一大帝国を築いた男。
 遥か西へも遠征したから、多分、ヨーロッパにも名が轟いていただろう。
 英雄として知られていたのか、征服者として恐れられたかは、ともかくとして。
(義経とは桁が違うんだがなあ…)
 その二人を結び付けられてもな、と考えるのは、自分が後世の人間だから。
 伝説と史実は違うことなど、百も承知で生きているせい。
 けれども、当時の人は違った。
 義経を英雄と称え続けて、非業の最期を嘆き続けた人々は。


 そうして生まれた、「義経は死んでいない」という伝説。
 最初は北へと逃げる話が出来たのだろう。
 南に逃げれば、敵が増えてゆく一方だけれど、北に逃れればそうではない。
 敵の支配は及んでいなくて、「義経を知らない」人間も多くいただろうから。
 甲冑を捨てて、ただの旅人に身をやつしたなら、きっと誰もが手を貸してくれる。
 飢えているなら、食料をくれて。
 宿などが無くて困っているなら、「どうぞ」と家に泊めたりもして。
(実際、そういうことが無かったとも言えんよなあ…?)
 義経の首は、後に鎌倉まで届いたけれど。
 「間違いなく死んだ」と皆が納得したのだけれども、なんと言っても昔のこと。
(保存技術も、確立してはいなかったんだ…)
 せいぜい酒に浸す程度で、凍らせるなどの技術は無い。
 酒に浸せば、そのアルコールで保存できるのは確かだけれど…。
(ふやけちまうし、人相だって変わっちまうぞ?)
 どう頑張っても、生前のままとはいかないだろう。
 第一、館に火を放ったという説もある。
 それが本当なら、人相など確かめようもない。
 替え玉の首を持って行こうが、放り込んであった死人の首であろうが。
(首の方が本物と言い切れないなら…)
 誰だって夢を見たくなる。
 義経の側に味方していた武士でなくても、戦とは無縁の庶民でも。
 なんと言っても「英雄」だから。
 驕る平家を滅ぼした英雄、その英雄の最期が悲劇でいい筈がない。
 きっと何処かへ逃れた筈だ、と「ありそうな話」を皆が考え始めて、北へ逃がした。
 敵のいない北へ逃げて行ったと、そちらだったら安全だから、と。
(本当に逃げていたかもしれんし…)
 ただの伝説なのかもしれない。
 けれど「義経の伝説」は北に幾つもあったという。「此処に来たのだ」と。


 北に逃れた、悲劇の英雄。
 其処までは「真実」かもしれない。
 確かめる術は何処にも無いから、「逃げていない」とは誰にも言えない。
 後の時代に書き記された、「義経は北へ逃れた」という伝説たち。
 それの一つは、本当なのかもしれないから。
 義経は妻子と共に逃れて、敵などはやって来ることも無い、鄙びた村で…。
(生きていたかもしれないしな?)
 其処までだったら、充分、有り得る。
 鎌倉に届いた「義経の首」が本物なのかは、当時の技術では分からない。
 DNAを調べることなど不可能だから。
 外から眺めて「これがそうだ」と、誰かが言えば「確定」だから。
(偽物の首でも、届いちまったら…)
 それが本物だと断定されたら、もはや追手はかからない。
 義経は死んで、何処を探しても、もう「いない」者。
 いつまでも探し続けているより、政権を固める方が大切。
(そうなっちまえば、安全だしな?)
 義経は生きて、子供も無事に育ったろうか。
 衣川で義経が手にかけたという、女の子。
 その子も義経や母と一緒に北へ落ち延び、其処で大きくなっただろうか。
 弟や妹なども生まれて、「ただの平凡な女の子」として。
 その血は後の時代に継がれて、今も何処かに子孫が生きているかもしれない。
 SD体制の時代さえをも、遺伝子の形で生き延びて。
 自分でもそうとは気付かないまま、義経の血を引き続けて。
(そういうヤツなら、現実味だってあるんだが…)
 チンギスハンはどうかと思う、と浮かべた苦笑。
 いくら義経を逃がしたくても、色々な説を唱えたくても…。
(モンゴル帝国の初代皇帝になるというのは…)
 無茶すぎだよな、とクックッと笑う。「そいつはスケールがデカすぎだ」と。


 けれども、一種の英雄譚。
 そうした話が生まれるくらいに、「源義経」は英雄だった。
 「死んだことなど、認めないぞ」と大勢の人が思ったくらいに。
 まずは北へと逃がしてしまえ、と伝説が生まれて、更に北へと逃がし続けた。
 海を渡って北海道へ、其処から中国大陸へと。
(英雄ってのは、大したもんだな…)
 みんなが話を作るんだから、と感心せずにはいられない。
 古今東西、その手の英雄には事欠かないと言っていいほど。
 悲劇の色が濃ければ濃いほど、「生き延びた」話が出来て広まる。
 子孫を名乗る者が現れたり、子孫の証を持っていたりと。
(…何処までが本当だったんだか…)
 今となっては知りようがない。
 チンギスハンになった義経は明らかに嘘だけれども、北には逃れたかもしれない。
 敵に知られないよう命を繋いで、その血を引く者が「今もいる」とか。
 義経が滅ぼした平家の方でも、似たような伝説が同じにある。
 彼らが奉じた安徳天皇、壇ノ浦の海に沈んだ幼帝。
 その天皇を連れて逃げた武者たち、彼らの伝説もあちこちにあった。
(安徳天皇は英雄じゃないが…)
 そっちの方も、生き延びたかもしれないよな、と思ったりもする。
 真実を確かめようがないなら、可能性は否定できないから。
(しかし、やっぱり義経だよなあ…)
 あの時代の英雄と言ったら義経なんだ、と断言できる。
 「義経記」という古典があるほど、愛された英雄だったから。
 「生きていて欲しい」と願った人々、彼らがせっせと北に逃がして、中国大陸にまでも。
 英雄というのは大したもんだ、と感動したくもなるというもの。
 「みんなが生かしてくれるんだよな」と、「悲劇に終わった時は、そうして」と。
 生き延びたのだ、と生まれる伝説。
 時を経るほどに伝説は増えて、途方もないスケールになるくらいに。


(英雄ってヤツは、そうしたもんで…)
 伝説も其処から生まれるんだ、と思ったけれど。
 非業の最期を遂げた英雄だったら、皆が話を作ってゆくのだ、と考えたけれど。
(……待てよ?)
 前の俺だって英雄じゃないか、と気が付いた。
 SD体制を倒した英雄、その中の一人がキャプテン・ハーレイ。
 今の時代も名前が残って、記念墓地にも墓碑があるほど。
(でもって、非業の最期なんだが…)
 地球の地の底で死んじまったぞ、と思い返す「前の自分の最期」。
 前の自分は「これでブルーの所へ行ける」と、夢見るように死んでいったのだけれど…。
(そんなことは誰も知らんよな?)
 誰も知らないなら、道半ばでの「非業の最期」。
 世が世だったら伝説が出来て、前の自分もジョミーやキースと逃れたろうか。
 「実は地球では死んでいない」と、「シャングリラに乗って宇宙に旅立ったのだ」と。
 生憎と時代が時代だっただけに、そうはなってはいないどころか…。
(英雄とは無縁の俺に生まれてしまったぞ?)
 ただの教師だ、と思ってはみても、これが自分には似合いだと思う。
 一緒に生まれ変わったブルーと、幸せに生きてゆけたなら。
 前のブルーが焦がれ続けた、青い地球の上で暮らせるのなら。
 英雄よりは、その方がいい。
 身の丈に合ったように暮らして、ブルーと二人で平凡に生きてゆく方が…。

 

          英雄よりは・了


※英雄について考え始めたハーレイ先生。古典を教える教師なだけに、源義経の伝説を。
 けれど、同じに英雄だったのがキャプテン・ハーレイ。でも英雄より、平凡なのが一番ですv









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(ハーレイ、今日は来てくれなくて…)
 次に来てくれるのはいつなんだろう、と小さなブルーが零した溜息。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 仕事の帰りに寄ってくれるかと思ったハーレイ、前の生から愛した恋人。
 首を長くして待ったのだけれど、チャイムは鳴りはしなかった。
 門扉の横にあるチャイム。
 いつもハーレイが鳴らすチャイムで、その音が聞きたかったのに。
(明日も駄目かも…)
 会議があるとか、柔道部の指導が長引くだとか。
 ハーレイの帰りが遅くなる理由は幾らでもあるし、そういった日は来てくれない。
 学校を出たら、ハーレイの家に帰ってしまって。
 途中で寄り道するにしたって、この家には来てくれないで。
(今日も何処かに寄ってたのかな…)
 ハーレイの家から近い食料品店とか、あるいは街に出掛けて大きな書店とか。
 此処に寄るには遅すぎる日でも、それはハーレイが「そう決めた」だけ。
 「お母さんに迷惑かけられないしな?」と、夕食の支度が出来そうにない日は避けるだけ。
 ハーレイは自分で料理をするから、大体のことは分かるらしい。
 「夕食の支度を始める時間は、この辺り」と。
 それを過ぎたら、もう来ない。
 父も母も、何度も言っているのに。
 「夕食は直ぐに作れますから、いつでもどうぞ」と。
 けれどハーレイは固辞してしまって、寄らずに家へ帰ってゆくだけ。
 学校の駐車場を後にしたなら、こちらへハンドルを切らないで。
 寄り道するには充分な時間、それがあるなら、街の書店に行ったりもする。
 今日もそういう日だったろうか、あるいは食料品店に寄って…。
(晩御飯、何を作ろうか、って…)
 買い物をして帰ったのかもしれない。
 店の籠にあれこれ突っ込んでいって、レジに並んで。


 ハーレイが何をしたかはともかく、来てくれなかったことだけは確か。
 この家で会ってはいないから。
 部屋の窓際に置かれたテーブル、其処で話してはいないのだから。
(次に会えるの、ホントにいつかな…?)
 運が良ければ、明日には会える。
 ハーレイがチャイムを鳴らしてくれて、母が門扉を開けに出掛けて。
 けれども運が悪かったならば、明日もやっぱり会えはしなくて…。
(明後日も駄目で、会えるの、土曜日…)
 そうなることも、充分、有り得る。
 学校で会議があったなら。…柔道部の指導が長引くだとか、遅くなる理由は幾つでも。
(そんなの嫌だ…)
 来て欲しいよ、と思うけれども、どうにもならない。
 ハーレイは学校の教師なのだし、仕事が一番。
 聖痕を持った生徒の「守り役」とはいえ、そちらを優先したりはしない。
 あくまで「仕事が早く終わった日」と、「仕事が休みの週末」と。
 この家に来る日は、そういう日だけ。
 会議などの仕事を蹴散らしてまでは、来てはくれない。
(…仕事だから、仕方ないけれど…)
 それでもやっぱり寂しくなる。
 「次に会える日はいつなんだろう?」と考えてしまう。
 ハーレイの家は何ブロックも離れた所で、窓からは見えもしないから。
 隣同士や向かいの家なら、窓からだって手を振れるのに。
 朝一番なら、「おはよう!」と。
 ハーレイが遅い時間に帰って来たって、「おかえりなさい!」と。
 別々の家に住んでいたって、そういう挨拶が出来た筈。
 現に自分も、近所の人たちにしているから。
 朝、学校へ行く時に会えば、元気に「おはようございます」。
 学校からの帰りに会った時には、「おかえり」などと声を掛けられて、「こんにちは!」と。


 そんな挨拶さえ出来ない今。
 ハーレイの家は遠くにあるから、窓から外を見るだけ無駄。
 家さえ隣や向かいだったら、いくらでも手を振れるのに。
(晩御飯、もう済んでいたって…)
 ハーレイの車が帰って来たなら、窓を大きく開け放つ。
 車がガレージに入ってゆくのを見届けに。
 前のハーレイのマントと同じ、濃い緑色をした車。
 それが停まってハーレイが降りたら、「おかえりなさい!」と窓から手を振る。
 精一杯に、乗り出すようにして。
 「ぼくは此処だよ!」と、「今日も元気にしているからね!」と。
 そう出来たならば、どんなに嬉しいことだろう。
 ハーレイと二人で話せなくても、窓越しに手を振り合えたなら。
 「ただいま」とハーレイの声が返って、「早く寝ろよ?」と気遣って貰えたら。
 「もう遅いぞ」だとか、「風邪を引くから、窓を閉めろ」だとか。
 そう言われたなら、「うん!」と窓を閉めるだろう。
 「おやすみなさい!」と挨拶してから、夜風が入らないように。
 それでもガラス越しにハーレイを見詰め続けて、今度はハーレイに追い払われる。
 「さっさと寝ろ」といった具合に、手が振られて。
 そうなった時は首を竦めて、仕方なく窓のカーテンを引く。
 もう一度「おやすみなさい」と、心の中で小さく言って。
 カーテンを閉めても、隙間から外を覗いたりして。
(…ハーレイが家に入るまで…)
 きっと眺めているのだろう。
 玄関の扉が閉まった後にも、飽きずに家を見ていそう。
 ハーレイが点けてゆくだろう明かり、その順番を追い掛けて。
 「リビングかな?」とか、「もう二階?」とか。
 明かりは順に点いてゆくから、ハーレイが移動するのが分かる。
 「今は一階」とか、「二階に着いたみたい」とか。


 けれども、それも今は出来ない。
 ハーレイの家が遠すぎて。
 どんなに窓から目を凝らしたって、屋根の欠片さえも見えなくて。
(…ハーレイの家が見えたら、寂しくないのにな…)
 今と同じに「遊びに来るな」と言われていたって、その家が直ぐ近くなら。
 隣や向かいで、窓から眺められるなら。
(ハーレイが帰って来たら分かって、家にいるのも明かりで分かって…)
 朝は窓から「おはよう!」と挨拶。
 それが出来たら、毎日がとても素敵だろうに。
(でも、出来なくて…)
 こうしてハーレイを待っているだけで、「今日は駄目だった」と項垂れるだけ。
 「明日は会えたらいいのにな」と、夢見ることしか出来ない自分。
 いつもこの家に独りぼっちで、ただ待つだけ。
(…ホントは一人じゃないけれど…)
 両親も一緒の家だけれども、会いたくてたまらないハーレイ。
 いつかは結婚できるとはいえ、その日がやって来るまでは…。
(ぼくはハーレイを待つしか無くて…)
 来てくれなかった日は溜息ばかり。
 「次はいつかな?」と考えてみては、「当分、駄目かも」と思ったりもして。
 結婚したなら、もう待たなくてもいいと言うのに。
 ハーレイが「ただいま」と帰って来る家、それが自分の家になるから。
(おかえりなさい、って玄関に行って…)
 笑顔で迎えて、荷物を持ったりもするのだろう。
 「これは重いぞ?」と言われても。
 持った途端に、本当に重くてよろけても。
(重たいね、って…)
 目を丸くしても、きっと荷物は離さない。
 「ぼくが持つよ」と頑張って。「リビングでいい?」と、運ぶ先などを訊いて。


 いつか、その日がやって来る。
 この家で一人で待っていないで、ハーレイの家で待てる日が。
 二人で同じ家で暮らして、「おかえりなさい」と迎えられる日。
 朝は「おはよう」と挨拶してから、同じテーブルで朝食を食べられる日が。
(結婚したら、そうなるんだけど…)
 とても幸せになれるんだけど、と小さな胸を膨らませる。
 「お嫁さんだものね?」と、「ハーレイのお嫁さんになるんだから」と。
 そうするためには結婚式で、ウェディングドレスを着るのだろう。
 ハーレイの母が着たという白無垢、そちらにも心惹かれるけれど。
(どっちも、真っ白…)
 純白の花嫁衣裳を纏って、ハーレイと挙げる結婚式。
 それが済んだら新婚旅行で、二人で宇宙へ出掛けてゆく。
 今の自分は地球にいるけれど、その青い星を「宇宙から見た」ことが無いから。
 前の生で最後まで焦がれ続けた、地球の姿を見ていないから。
(宇宙船で、地球を一周する旅…)
 衛星軌道を何周もするのだけれども、言葉の上では「一周」でいい。
 窓の向こうはいつだって地球で、青い水の星が見えている筈。
 そういう素敵な旅を終えたら、ハーレイの家に二人で帰って…。
(ハーレイが仕事に行っている間は、ぼくが留守番…)
 本を読んだり、時には買い物に行ったりもして。
 ハーレイが「ただいま」と帰って来るのを待ちながら。
(ホントに幸せ…)
 それに楽しみ、と今との違いを思ってみる。
 同じ「ハーレイを待つ」にしたって、まるで違った日々になる。
 ハーレイの家が向かいにあるより、ずっと幸せ。
 隣同士で住んでいるより、遥かに、もっと。
 同じ家に二人で暮らすのだから、もう何もかもが違ってくる。
 「来てくれなかった…」と溜息なんかは、零さなくてもいいのだから。


 ホントに素敵、と思ったけれど。
 早くその日が来ればいいのに、と考えたけれど…。
(…ぼくって、まだチビ…)
 十四歳にしかならない子供で、結婚できる十八歳は何年も先。
 おまけにチビで、前の自分と同じ背丈に育ってさえもいないから…。
(ハーレイはキスもしてくれないし…)
 この状態では、プロポーズもして貰えない。
 プロポーズが無ければ、結婚に向けての準備は始まりさえしない。
 どんなに夢見て焦がれてみたって、前の自分が「青い地球」に焦がれていたのと同じ。
(地球までの道はうんと遠くて、いつ着けるのかも分からなくって…)
 それに比べればマシだけれども、結婚はいつか出来るのだけれど…。
(……先は長いよね……)
 まだまだ先だ、と零れた溜息。
 幸せな日々を迎えるまでには、まだ待たないといけないから。
 その日は必ず訪れるけれど、今の自分には、遠すぎて手が届かないから…。

 

            先は長いよね・了


※ハーレイ先生が来てくれなかった、と溜息をつくブルー君。いつも一人で待つだけの日々。
 結婚したなら、同じ「待つ」のでも、まるで変わって来ますけど…。まだまだ先v









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(ゴールなあ…)
 ふと、ハーレイが思い浮かべた言葉。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
 ゴール、すなわち決勝点。それに「目標」の意味もある言葉。
 柔道の試合にゴールは無いのだけれども、水泳の方ならゴールは馴染み。
 「プロの選手にならないか」と誘いが来ていた学生時代は、何度も其処を目指して泳いだ。
 あと少しだ、と懸命に。力の限りに水を切って。
(でもって、一番でゴールした時は…)
 それは気分が良かったもの。充実感も、達成感も。
 勝敗とは無縁の練習の時も、やはりゴールを決めたりもした。
 「あそこまでだ」と、「何処までタイムを縮められる?」などといった具合に。
 自分が努力を重ねたならば、最高の気分になれるのがゴール。
 やり遂げたことを自分に誇って、自信も持てるものだから。
(今じゃ、試合に出やしないから…)
 昔ほどには意識していないゴール。
 ジムに出掛けて泳ぐ時にも、決めずに泳いでいる日も多い。
 「だいたい、こんなトコだよな」と、その日の気分で切り上げたりして。
 柔道の方だと、目標としてのゴールはあっても、目に見える形の「ゴール」は無い。
 試合で勝敗を決める時にも、まるで関係ないのがゴール。
 「此処で勝負が決まる」という地点は存在しない。
 試合の流れで技を決めるだけ、試合の相手を畳に投げたり、叩き付けたりしてゆくだけ。
 技が決まれば、それでゴールになるけれど…。
(水泳と違って、目には見えんな…)
 あそこがそうだ、と分かる形のゴールなどは。
 試合の場としての畳があっても、其処に「ゴール」は刻まれていない。
 水泳だったら、プールの端を「ゴール」に定めて泳ぐのに。
 海などで泳ぐ競技の時にも、ゴール地点は必ず決まっているものなのに。


 いろんな形があるもんだよな、と考えた「ゴール」。
 水泳なら分かりやすいけれども、柔道の試合ではとても曖昧。
 試合前から分かりはしなくて、技が見事に決まって初めて「ゴールなのだ」と知らされる。
 それを見ている観客だって、何処がゴールか分かってはいない。
 水泳だったら、「あそこなのだ」と素人でも直ぐに分かるのだけれど。
(ゴールが分かりやすいスポーツは多いんだが…)
 サッカーならば、ゴールがある。
 ボールがネットを揺らした時には、それで点数が入るもの。
 バスケットボールだって、同じにゴール。
 ボールがネットをくぐっていったら、入る得点。
 ラグビーにもゴールポストがつきもの、ボールを其処まで運んでこそ。
(走る方なら…)
 マラソンだろうが、短距離だろうが、必ずゴールが決められている。
 其処に先頭で走り込んでゆけば、勝者になれるゴール地点が。
(…柔道ってスポーツは、ゴールってヤツに関しては…)
 どうやら分かりにくいらしい、と苦笑してから気が付いた。
 柔道は今でこそスポーツだけれど、元々は武道。
 武道の道には終わりなど無い。
 ゴールは存在しなくて当然、何処までも自分を高めてこそ。
 弓道にだってゴールは無いし、剣道にもゴールは無いのだから。
(…此処で終わりだ、ってのが無いわけだな)
 柔道はともかく、弓道や剣道、それは昔の武士たちのもの。
 命を懸けて戦うための技術で、生き残っても、また次がある。
 生きている限り、いつ敵が来るか分からないから。
 「この戦に勝てば、二度と戦は起こらない」という保証など、何処にも無かったから。
 明日は誰かが裏切るかも知れず、奇襲だって充分、起こり得ること。
 武道にゴールは「ありはしなくて」、何処まで行ってもゴールは見えない。
 自分自身の技を磨いて、次の勝負に備えなければならなかった武士。


(ゴールが無いのも、当然ってことか…)
 柔道も武道なんだから、と大きく頷く。
 目に見える形のゴールが無いのも、武道だったら当たり前。
 武道というものが生まれた時代に、ゴールがありはしなかったから。
 どんな武士でも、最後の息が絶える時まで、ゴールイン出来なかったから。
(病気で伏せっちまっても…)
 好機とばかりに攻め込んでくる敵もいただろう。
 そうなれば弓を、剣を取って戦わねばならない。
 戦えなければ其処で終わりで、不本意な最期を遂げるだけ。
 「自分のゴール」を、攻め込んで来た敵に奪われて。
 「これで終わりだ!」ととどめを刺されて、人生は其処で終わりになる。
 そうならないとは限らないから、生涯を終えるその瞬間まで、見えなかったゴール。
 「いい人生だった」と死んでゆけるか、「こんな筈では…」と命を落とすのか。
 敵に命を奪われたくなければ、ひたすらに技を磨くのみ。
 弱っていようと、敵を相手に戦えるように。
 弓が引けなくても、枕の下から取り出した剣で勝利を自ら掴めるように。
 そう考えてみると、武道を始めた武士というのは…。
(ゴールするまで、一生、頑張り続けたわけで…)
 なんとも気の長い話だよな、と自分が教える古典の世界を思ってみる。
 平家物語は、平家と源氏の長い戦の物語。
 太平記ならば、もっと戦は長くなる。
 鎌倉時代の終わりに始まり、何度も戦を繰り返しながら変わる政権。
 誰にとってのゴールだったか、それすら見えないくらいの戦。
 戦が一つ終わった途端に、またも戦が起こるのだから。
(あんな中では、ゴール出来んぞ)
 剣も弓もな、と思う激しい合戦。
 きっと誰もが「見えないゴール」を目指して、懸命に剣を振るい続けた。
 生き残るために矢をつがえては、敵に向かって何本も射て。


 ゴールが見えない戦いなのか、と今の時代との大きな違いに驚くばかり。
 同じ武道でも、今ならゴールが「あるもの」なのに。
 目には見えない形にしたって、一応、「ゴール」は定められている。
 試合をするなら、「これがゴールだ」と。
 柔道だったら、文字通り技を決めた時。
 試合の相手を倒した瞬間、其処がゴールで、試合終了。
 弓道ならば、如何に高得点を出したか、何本の矢を的に当てたのか。
 それで決まるし、剣道の方は、柔道の試合と似たようなもので…。
(技だよな…)
 相手よりも優れた技を繰り出し、それでゴールを作り出すだけ。
 自分が「勝ち」を収めたならば、その時がゴール。
(今じゃ、ゴールがあるんだが…)
 それでも一時的なものだ、と分かってはいる。
 武道に本物のゴールは無いから、極めたいなら、自分自身との勝負。
 何処までゆけるか、それこそ一生をかけての戦い。
 武士との違いは、「命が懸かっていない」ことだけ。
(…柔道の道も先は長いぞ…)
 俺の場合も、まだまだ終わっちゃいないから、と確認してみる「ゴールが無い」こと。
 いくら自分が強いと言っても、上には上があるものだから。
 けして頂点に立ってはいなくて、一生、磨き続ける技。
(まあ、武士よりは楽なんだが…)
 奇襲も無ければ、裏切りもない、戦争などは無い世界。
 のほほんと平和に生きて暮らせて、柔道だって「ただの趣味」。
(本当にいい時代だよなあ…)
 前の俺だと、戦ってヤツもあったんだが、と苦笑い。
 柔道などやっていなかったけれど、「戦争」ならばあったから。
 白いシャングリラの舵を握って、人類軍の船との戦い。
 地球まで辿り着くために。…前のブルーが遺した言葉を、ただ守るために。


(前の俺には、戦があったが…)
 今は無いな、と笑んだけれども。
 「いい時代だ」と思ったけれども、青い地球の上に生まれた自分。
 前のブルーも其処に生まれて、今は自分の教え子のチビで…。
(…あいつを嫁に貰うんだが…)
 そいつはずいぶん先のことだぞ、と目を丸くした。
 まだまだブルーは子供なわけで、結婚式など挙げられはしない。
 プロポーズさえも出来はしなくて、ブルーの両親に結婚の許しを得ることも…。
(あいつがチビの間はだな…)
 無理じゃないか、と唸ってしまった。
 今度はブルーと一生、二人で暮らすのだけれど。
 そのために挙げる結婚式の日、それも一種のゴールなのだけど…。
(いつになるやら、まるで見えんぞ?)
 この戦も先が長そうだ、と零れた溜息。
 今は平和な時代だけれども、武道さえも「ゴール」が設けられている時代だけれど。
(…先は長いよな…)
 あいつとゴール出来る日までは、とコーヒーのカップを傾ける。
 「早くその日が来ないもんかな」と、「まだまだゴールは見えないんだが」と…。

 

         先は長いよな・了


※ゴールについて考えていた、ハーレイ先生。「水泳にはあっても、柔道には無いな」と。
 武道には「無い」のが当たり前のゴール。そしてブルー君との結婚式だって、まだまだ先v









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(今日はハーレイ、来てくれなくて…)
 ハーレイの授業も無かったんだよね、と小さなブルーが零した溜息。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 学校で挨拶はしたのだけれども、それだけで終わってしまった今日。
 ハーレイとゆっくり話せはしなくて、恋人同士の会話も出来ないまま。
(明日もハーレイの授業は無いし…)
 授業がある日は明後日だなんて、とガッカリな気分。
 けれど、其処まで授業が無くても、学校ではきっと会えるだろう。
 運が悪くさえなかったら。
(…運が悪くて会えなくっても…)
 明後日になれば教室で会える。授業をしに来たハーレイに。
 それに週末がやって来たなら、今度はもっとゆっくり会える。
(予定があるって聞いてないから…)
 土曜も日曜も、ハーレイは来てくれる筈。
 仕事の帰りに訪ねて来る日は、何の予告も無いのだけれど…。
(土曜と日曜は、ママが張り切って準備するから…)
 用意が無駄にならないようにと、来られそうにない時は予告がある。
 「すまん、今度の土曜は駄目だ」とか、「日曜日は予定が入っていてな」とか。
 それを全く聞いてはいないし、ハーレイはきっと来てくれる。
 「来られそうにない」と言った時でも、予定が変われば来てくれるのがハーレイだから。
 そんな時には、前の夜に通信が入ったりもする。
 突然の訪問で母が慌てないよう、「明日はお邪魔させて頂きます」と。
(お昼御飯も、晩御飯も食べて行くんだものね?)
 ハーレイにすれば「通信を入れる」のが礼儀といった所だろう。
 予定が中止になった時には、当日だったなら「出掛けた方が早い」けれども。
 訪ねて来てから、「急にお邪魔してすみません」でいいのだけれど。


 週末は大抵、来てくれるハーレイ。
 だから今週だって安心、土曜日が来たら、この部屋で二人。
(お茶とお菓子で、のんびり話して…)
 昼時になれば、母が昼御飯を届けてくれる。
 もう空になったお茶のカップや、ケーキのお皿を片付けて。
(お昼御飯は、ハーレイと二人…)
 夕食は両親も一緒にダイニングだけれど、昼御飯の時はハーレイと二人きり。
 どんな話をしていてもいいし、本当に幸せ一杯の時間。
(土曜日のお昼、何になるかな?)
 パスタだろうか、それともお箸を使って食べる料理だろうか。
 まるで想像がつかないだけに、今からとても楽しみではある。
 なんと言っても、「ハーレイと二人きり」だから。
 両親の姿が其処に無いだけで、特別に思える時間だから。
(ハーレイと二人で食事だもんね?)
 ちょっぴり未来を先取りしたよう。
 いつかハーレイと結婚したなら、「二人きりで食事」が当たり前になる。
 朝食も、夕食もハーレイと。
 ハーレイの仕事が休みの時には、昼食だって二人きり。
(…いつもは忘れちゃってるけれど…)
 昼御飯を食べている時には、すっかり忘れているのだけれども、後で思えば幸せな時間。
 いつか来るだろう未来の先取り、ハーレイと二人きりでの食事。
(食べてるだけで、おしまいだけどね?)
 食事の支度も、片付けも母がしているから。
 自分もハーレイも料理はしなくて、ただ食べるだけ。
 食べ終わった後の食器なんかも、綺麗に洗って拭いたりはしない。
 「このお皿は、此処」と棚に片付けることだって。
 ハーレイと暮らし始めた後なら、そういったことも必要なのに。
 料理をしないと食べられないし、食べた後には後片付けも。


(うーん…)
 まだまだ先だ、と残念な気持ち。
 ハーレイと二人きりで、「本当の意味で」食事が出来る日は。
 自分たちの家で作った料理を、ハーレイと二人で食べられる時がやって来るのは。
(お料理、ハーレイが作るんだよね?)
 一人暮らしが長いハーレイは、料理が得意。
 凝った料理を作るのも好きだと聞いているから、きっと手抜きはしないのだろう。
 「今日は時間が無いからな?」と言っていたって、一工夫。
 「これしか作れん」と大皿にドンと盛り付けた時も、もう見るからに…。
(美味しそう、って思うお料理で、美味しそうな匂いがしてて…)
 食べる前から心がワクワク躍る筈。
 あまり沢山は食べられないのが、自分でも。
 ハーレイが「このくらいは食べられるだろ?」と取り分けるのを、「無理!」と止めても。
(おかわりだって出来なくても…)
 美味しい料理をお腹一杯に食べて、幸せな気分で「御馳走様」。
 まだハーレイが食べているなら、その光景を眺めて楽しむ。
 「本当に沢山食べるよね」だとか、「いつ見ても、美味しそうに食べるんだから」とか。
 食事する時のハーレイは、傍で見ていても気持ちがいい。
 何でも美味しそうに食べるし、「食べるのが好き」というのが伝わって来る。
 そんなハーレイと二人きりで食事で、ハーレイも「御馳走様」と言ったら、後片付け。
 二人でお皿を運んで行って、お皿に残った海老の尻尾や、魚の骨などは…。
(きちんと捨てて、それから、お皿…)
 綺麗に洗って、水気を切るための籠に並べてゆく。
 それが済んだら、キュッキュッと拭いて、元の棚へと。
 食器洗い機があったとしたって、それよりも二人で洗いたい。
 ハーレイが洗ったお皿を拭いてゆくとか、その逆だとか。
 きっと幸せに違いないから。
 「二人で一緒に暮らしている」のを、実感できる時だろうから。


 今はまだ、母に任せっ放しの食事のこと。
 ハーレイと二人きりで昼御飯を食べても、用意なんかはしないから。
 料理もしないし、運んでも来ない。
 ハーレイと二人で暮らしていたなら、料理はハーレイが作るにしても…。
(出来上がったの、ぼくが運ぶよ、って…)
 器に盛られたのを、テーブルに運びもするのだろう。
 「ハーレイは此処で、ぼくは此処」と、決まった席の所に置いて。
 おかわり用のは、テーブルの真ん中に置いたりもして。
(美味しく食べて、食べ終わったら…)
 二人一緒に後片付け。
 ハーレイが「俺がやっておくから」と言ったとしたって、「ぼくも」と並んで。
 洗い上がったお皿をキュキュッと拭いて、棚へと片付けに行って。
(…早く、そういう日が来ればいいのに…)
 まだずっと先のことなんだから、と手が届かない未来を夢見る。
 チビの間は、その日は来てはくれないから。
 前の自分と同じに育って、ハーレイと結婚しないことには。
(まだ何年も先の話で…)
 ぼくはまだまだ待たなきゃ駄目、と思った所で気が付いた。
 「何年も待つ」ということの意味。
 来年は無理で、再来年も無理。
 結婚できる年の十八歳を迎えるまでは、どう転がっても出来ない結婚。
(ぼくは十四歳だから…)
 十八歳になって直ぐの結婚でも、待ち時間は三年以上もある。
 それだけ経たないと来てはくれない、「ハーレイと一緒に暮らせる」未来。
 今は全く手が届かなくて、待っているしか無いのだけれど。
 そうやって「待っていられる」自分は、いったいどれほど幸せなのか。
 「まだ何年も待つ」なんて。
 来年は無理で、再来年でも無理なんて。


(…前のぼくには、そんな時間は…)
 無かったんだよ、と遠く遥かな時の彼方に思いを馳せる。
 ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分に、「待てる時間」は無かったのだ、と。
 いつの間にやら失くしてしまって、「残り時間」を数えていた。
 「ぼくの命はもうすぐ尽きる」と、「それまでに、誰かに託さなければ」と。
 長い年月、守り続けた白い船。
 ハーレイが舵を握り続けた、ミュウの箱舟、シャングリラ。
 仲間たちの命を乗せていた船を、誰に託せばいいというのか。
 自分がいなくなった後には、誰が守ってくれるだろうかと、心を痛めた前の自分。
 やっとジョミーを見付けたけれども、その時にはもう無かった「未来」。
 夢に見ていた地球は見られず、辿り着けずに死んでゆく。
 「地球に着いたら」と前のハーレイと夢見た数々、それを一つも叶えられずに。
 ハーレイとの恋を明かすことさえ、ついに出来ずに、たった一人で。
(…それが辛くて…)
 悲しくて、何度泣いただろうか。
 「ぼくの時間は、じきに無くなる」と、「夢は一つも叶わなかった」と。
 そうやって泣いて、悲しみ続けた「未来」が無いこと。
 命が尽きてしまうのだったら、あるわけがない「その先の未来」。
 ほんの一年先のことさえ、前の自分は思い描けはしなかった。
 それまでに命尽きるだろうから、描く未来など持てはしなくて。
(…未来なんか、ぼくにはもう無いんだ、って…)
 何度も泣いたソルジャー・ブルー。…時の彼方にいた自分。
 けれども、今は「持っている」未来。
 ハーレイと二人で生まれ変わって、遥か先まで夢に見られる。
 「まだまだ先だよ」と、「来年も、再来年も無理」などと、ずっと先のことまで。
 いつか必ず来るだろう日を、ハーレイと二人で暮らせる日を。
 前の自分は、一年先の未来さえも持たなかったのに。
 それさえ思い描けないままで、いつも涙を零していたのに。


 気付けば、自分は「手に入れていた」。
 無かった筈の「未来」を、また。
 とうの昔に無くなった筈の、「未来を思い描ける」時を。
(…なんだか凄い…)
 それに幸せ、と胸がじんわり温かくなる。
 ハーレイと二人で暮らせるまでには、まだまだ何年もかかるけれども…。
(ちゃんと、その日が来るんだもんね?)
 今のぼくには未来があるから、と浮かべた笑み。
 生まれ変わって、今の自分が生きているのは遥か未来へと続く世界。
 「未来のある今」が自分の世界で、「まだ何年も先のことだよ」と言えるのだから…。

 

          未来のある今・了


※「まだまだ先だ」とブルー君が思った、ハーレイ先生と二人きりの家で食事をする日。
 けれど、何年も先の「未来」。それが無かったのが前の自分。其処に気付けば、今は幸せv









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(明日の授業は、と…)
 このクラスと此処と、とハーレイが数える明日の授業。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
 授業の準備はとうに済んでいるし、頭に浮かんだというだけのこと。
 「何処のクラスで授業だっけな?」と、何の気なしに。
 一つ考えると続きがあるもの。
 明後日は…、と授業の予定を確認、ついでに明日行くクラスの方も…。
(明日にやって、その次に行くのはだな…)
 この日なんだ、と数えてゆく。
 自分が受け持つクラスの授業を、この次はいつ、といった具合に。
 気付けば来週の分まで数えて、会議の予定も織り込んでいた。
 「この日は会議もあったっけな」とか、「この会議は早めに終わるヤツだ」とか。
 教師の仕事は先が読みやすい。
 決まった範囲を、決まった時間の間に教えるのが役目だから。
 少なくとも「授業」に関してだったら、先の先まで予定を立てられる。
(予定は未定、なんて言うヤツだっているほどだから…)
 あくまで予定なんだがな、と思いはしたって、その気になったら年度末まで予定は組める。
 この日に此処まで進めておいて、と。
 此処でテストで、成績の悪い生徒のためには此処で補習をしてゆこう、と。
 遅れる生徒が増えそうだったら、この頃までに少しペースを落として復習を、とか。
(ザッと予定を立てさえすれば…)
 それを基本に臨機応変、年度末までの「未来」を描ける。
 「だいたい、こんな感じだな」と。
 「これで一年分が終わるぞ」と、「続きは次の年次第だな」などと。
 翌年も自分が担当するかは、その頃まで読めはしないもの。
 異動がなくても、学校の中でどう変わるかは謎だから。


 それでも一年分は描ける、と思った「未来」。
 今からだと数か月分だけれども、年度末までの「未来」の授業。
 教室に立つ自分の姿も見えるよう。
 教科書を広げて、前のボードに次々と文字を書いてゆくのが。
 「分かったか?」と、「お前たち、ちゃんとノートに書けよ!」と見回す姿も。
 そして合間に生徒を名指しで、「此処を読め」と音読させてゆく所。
 手を挙げた生徒を「よし!」と当てては、答えに頷く光景だって。
(うんうん、いつもそうだってな)
 何処の学校でも、何年生を担当しても、授業の流れは変わらない。
 年度初めに一年分を「描いて」しまえる、「未来」の授業。
(生徒の方でも、その気になれば…)
 一年分の勉強の予定が立てられそうだが、と教科書の中身を考える。
 プリントなどを配りはしたって、授業の基本は教科書の方。
 年度初めに手にしたならば、「今年はこれを教わるのか」と分かる筈。
 ならば授業の中身を先取り、いわゆる「予習」。
 「この頃までに此処までやっておこう」とか、「夏休みまでに此処までやる」とか。
 そうやって予習をしておいたならば、ずいぶんと楽になるのだろうに…。
(あいつらときたら、まずやらないな)
 予習をしようというタイプでも、直前にやっているのが普通。
 先の先まで見据えて先取り、そんな生徒は滅多にいない。
(よっぽど好きな科目にしても…)
 そうそう数はいないんだ、と分かっているのが「先の先まで予習する」生徒。
 未来の予定は立てられるのだし、その気になったら出来るのに。
 現に「教える」自分の方では、一年分の「未来」を直ぐに描けるのに。
(まあ、あいつらには未来が山ほど…)
 ありすぎて忙しいからな、と苦笑する。
 友達と遊ぶ予定が入れば、もうそれだけで変わるのが「未来」。
 予習どころか、宿題さえも「忘れ果てる」のが生徒だから。


 同じ教科書でも、こうも変わるか、と可笑しくなる。
 教師の自分には「一年分の未来が描ける」予定表なのに、生徒は違う。
 次の授業の分の未来ですらも、描かないのが生徒たち。
 予習なんかはしても来なくて、当たろうものなら大慌て。
(前の日にちゃんと読んでおいたら…)
 ああはならんぞ、と思う酷い音読、それは教室で馴染みの光景。
 「そう読むのか?」と眉間に皺を寄せながら、「読み直しだ!」とやることも。
 なにしろ古典は、今の文章とは違うから。
 同じ文字でも、今のようには読まないことも多いから。
(明日もそういうパターンだろうな)
 誤読する生徒や、答えられなくて「えっと…」と詰まる生徒やら。
 「未来を先取り」して来た生徒は、皆無に近い教室で。
(まったく、若いヤツらってのは…)
 俺にも覚えはあるんだがな、と学生時代を覚えているから、怒りはしない。
 「未来がドッサリある」状態では、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。
 「明日はテストだ」と分かっていたって、ついつい遊びに行くだとか。
 家に帰って勉強しようと帰宅したって、気付けば「やっていなかった」とか。
(テストで酷い点を取っても、死にやしないし…)
 音読に詰まって赤っ恥でも、ただ笑われるだけで済む。教師には叱られるけれど。
 まるで危機感が無いのも当然、「命懸け」ではないのだから。
(俺の方でも、命は懸かっていないしな?)
 お互い様だ、と思った所で気が付いた。
 当たり前のように描いた「未来」。
 年度末まで描けると思って、一年分でもスラスラと描ける「未来」の予定。
 それをこなして一年が過ぎて、来年はまた「未来」を描く。
 「この学年の担当なのか」と、「ならば教えるのはコレだよな」と。
 前の年から教えた学年を引き継ぐのならば、そういったことも織り交ぜて。
 未来はいくらでも「描けるもの」で、一年分の授業の未来も描けるけれども…。


(…その未来ってヤツを…)
 持っていなかったのが前の俺だ、と蘇って来た遠い遠い記憶。
 今の青い地球に生まれて来る前、キャプテン・ハーレイと呼ばれた頃。
 白いシャングリラで、地球を目指して進んでいた時。
(…あの頃の俺は、もう未来なんか…)
 既に持ってはいなかった。
 前のブルーをメギドで失くして、魂はとうに死んでしまっていたようなもの。
 ブルーの望みを果たすためにだけ、「地球」という星を目指していた。
 地球には何の夢も抱かず、旅の終着点として。
 「地球に着いたら全て終わる」と、「そしたら、ブルーを追ってゆこう」と。
 そうなる前には、「未来」を持っていたというのに。
 「いつかブルーと青い地球へ」と夢を見た頃は、確かに「未来」があったのに。
 あった筈の未来は消えてしまって、未来の代わりに何を見たのか。
 「死」だけを思って生きていたって、「未来」はまるで無いのと同じ。
 「地球へ行かねば」という目標だけで、それは「未来」と呼べないもの。
 予定と呼んでいいのかどうかも、怪しいと言っていいくらい。
(…その目的を果たしたって、だ…)
 待っているのは「死」という「終わり」。
 ブルーを追って旅立つだけで、それは「先へと繋がりはしない」。
 流れる時間の更に「先」へは。
 「これが済んだら、次はこうだ」と、続いてゆきはしないもの。
 キャプテン・ハーレイは死んでしまって、時の流れの中から消える。
 それでは、何も始まらない。
 少なくとも、「時の流れ」の中では。
 ブルーを追い掛けて旅立った先で、どんな幸せがあろうとも。
(前の俺が、ああやって生きてた時には…)
 無かったよな、と気付かされた未来。
 地球のその先は「無かった」から。「地球に着いたら、終わり」だったから。


 なんてこった、と見詰めてしまった自分の手。
 前と同じに生まれ変わって、見た目はあの頃と変わっていない。
 コーヒーが入ったマグカップを傾ける手は、授業の時に文字を書いたりする手は。
(だが、今の俺は…)
 前の自分と同じようでも、再び「未来」を手に入れた。
 遠く遥かな時の彼方で、一度は失くしてしまった「それ」を。
 夢見ることさえ忘れた「未来」を、当たり前のように「描いていた」。
 「一年分だって描けるんだ」と、「生徒たちだって、その気になったら描けるんだ」と。
 前の自分は、それを「失った」のに。
 愛おしい人を失くしてしまって、もう「未来」などは無かったのに。
(…そうか、俺には普通なんだが…)
 一度は失くしてしまったんだ、と気付かされたら、「今がある」のがとても嬉しい。
 こうして未来を描き続けて、もう何年か経ったなら…。
(あいつが嫁に来てくれるんだ)
 今はまだまだチビなんだがな、と思い浮かべる小さなブルー。
 愛おしい人とまた生きてゆける、幸せな今。
 もう一度、「未来」を手に入れたから。
 「未来がある今」を生きているから、何処までも「未来」を描けるから…。

 

          未来がある今・了


※授業の「未来」はいくらでも描ける、と思ったハーレイ先生。その気になれば一年分でも。
 今では当たり前に「未来」があるのに、それは一度は失ったもの。考えてみると幸せなことv









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