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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(…美味しいんだけど……)
 あんまり沢山は食べられないよね、と小さなブルーが浮かべた笑み。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は来てくれなかったハーレイ。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 けれど今では教師と生徒で、学校でしか会えない日だって多い。
 「ハーレイ先生!」と呼び掛けて、ペコリと頭を下げるだけの日。
 今日もそうやって過ぎてしまって、夕食のテーブルには無かったハーレイの姿。
 両親と三人で囲んだテーブル、その後に食べた砂糖菓子。
 父が会社の人に貰って帰って、「食べるか?」と出してくれたから。
 「ハーレイ先生がおいでだったら、足りないんだがな」と、「丁度良かった」と。
 会社の人は「家族は三人」と思っているから、砂糖菓子は三つ。
 ハーレイがいたなら、一つ足りない。
(…そうなった時は、パパだから、ちゃんと取っておいてくれて…)
 今日は出さずに、ハーレイが来なかった日に、「ほら」と出して来たことだろう。
 砂糖菓子だけに腐りはしなくて、日持ちだってするものだから。
(でも、ハーレイがいなかったから…)
 テーブルに置かれた砂糖菓子。
 可愛らしくて、美味しそうだった「それ」。
 早速、パクンと頬張った。
 一口で食べるには大きすぎたけれども、齧りついて。
(うんと甘くて…)
 とろけるように口の中でほどけた、砂糖の塊。
 「美味しいね!」と顔を綻ばせたら、「パパのもやるぞ」と言ってくれた父。
 「ホント!?」と嬉しくなったというのに、一個食べただけで…。
(……お腹、一杯……)
 そういう気分になってしまった。
 甘いお菓子は、「もう入らない」と。


 胃袋には多分、まだ空きがあったことだろう。
 母も「ママのもあげるわ」と微笑んだから、あと二つあった砂糖菓子。
 それを二つとも食べてしまっても、胃袋は、きっと…。
(…一杯じゃないと思うんだけどな…)
 いくら食が細い子だと言っても、相手は小さな砂糖菓子。
 量だけだったら、残り二つも入る筈。
 けれど入ってくれそうになくて、「欲しいけど、無理…」と俯いた。
 「パパとママが食べてくれていいよ」と、「お腹、一杯になっちゃった」と。
 そうしたら、「残しておいてあげるわよ」と母が優しい言葉をくれた。
 「残りは明日ね」と、父が貰って来た箱に仕舞って。
(…パパも、食べずにおいてくれたし…)
 とても美味しかった砂糖菓子は、明日も食べられる。
 おやつの時間に一つ食べるか、二個ともペロリと平らげるか。
 それとも二個目は大事に残して、明後日のおやつに食べるのがいいか。
(…どうしようかな…?)
 楽しみだよね、と母が蓋をしていた箱を思い出す。
 明日になったらあの箱を開けて、中から一個、砂糖菓子を出して…。
(美味しいってことが分かっているから…)
 大切に食べてみたいと思う。
 今日は「知らずに」齧りついた分、一口目のが「もったいなかった」気がするから。
 美味しいのだと知っていたなら、「味わうつもりで」齧ったろうから。
(そういう心の準備も大切…)
 あれほど美味しい砂糖菓子なら、それに相応しい心の準備。
 「美味しいんだから」と、味わう時間を楽しみにして。
 口の中でふわりと溶けてゆく時、舌の上で転がす間なんかも考えて。
 そうすれば、うんと値打ちが出る。
 同じ砂糖菓子を食べるにしたって、今日よりも、ずっと。
 残りの二つを食べる時には、そうしなければ。
 「うんと甘くて」美味しいのだと、心を弾ませて箱の蓋を開けて。


(…幾らでも食べられそうなのに…)
 お腹一杯になっちゃうなんて、と不思議な気分。
 胃袋には空きがあると思うのに、「もう、入らない」と訴えたお腹。
 母は笑って、「砂糖菓子だからよ」と教えてくれた。
 甘いお菓子は、「それだけでお腹が一杯になる」ものだとも。
 ケーキやプリンの類だったら、砂糖ばかりで出来ていないから、大きくても平気。
 けれども、砂糖菓子となったら、見かけ以上に「食べごたえ」があるものらしい。
 ほんの小さな砂糖菓子でも、プリン一個と同じくらいに。
 甘さを抑えたケーキだったら、一切れ分と変わらないほどに。
(…そう言われたら、分かるんだけど…)
 それは「理屈の上で」だけ。
 どうにも納得できない気分で、「まだ入りそうなのに…」と思ってしまう。
 実際には「お腹に入らなくって」、残りは箱の中なのだけれど。
 明日か、もしかしたら明後日までもの「お楽しみ」になった砂糖菓子。
 見た目だけの量なら、今日中に、全部食べられたのに。
(……うーん……)
 母が教えてくれた理由は、正しいのだろう。
 甘い砂糖の塊の菓子は、沢山は入らないのだろう。
 お腹の方では、「プリンを一個食べました」というつもりになって。
 あるいは「ケーキを一切れ、食べましたから」と、砂糖の量だけで思い込んで。
(…小さかったんだけどな…)
 プリンなんかより、ずっと。
 ケーキの一切れなどよりも、ずっと。
 なのに、お腹は「一杯」になった。
 父と母が「譲ってくれた」時には、「三つとも食べる」気でいたのに。
 「ハーレイがいなくて、良かったよね」と、チラと思ったほどなのに。
 もしも、ハーレイが来ていたならば、今日は「出会えなかった」砂糖菓子。
 それに出会えて、しかも三つも食べられる。
 「今日は、とってもツイているかも!」などと、心の何処かで。


 けれど、食べ切れなかった三つ。
 一つ目だけでお腹は一杯、残りは置いてくるしかなかった。
 お楽しみは明日に残ったけれども、なんとも解せない。
 あれほど美味しい砂糖菓子なら、幾らでも入りそうなのに。
 父が三つしか貰わなかったことを、残念に思いもしていたのに。
(十個くらい貰って来てくれてたら…)
 パクパクと食べて、大満足な気分だったろう、と。
 ところが「たったの一個」でおしまい、一杯になってしまった「お腹」。
 胃袋には空きがありそうだけれど、残りは入ってくれなくて。
(…甘いお砂糖で出来ているから…)
 そうなるのだ、と母は言ったのだけれど。
 その通りだろうと考えはしても、「どうして?」と首を傾げてしまう。
 甘くて美味しいお菓子だったら、きっと飽きたりしないのに。
 飽きる筈など、ないと思うのに。
(…うんと幸せな気分になれて…)
 おまけに、とっても美味しいんだよ、と思った所で気が付いた。
 幸せになれる「甘いもの」なら、砂糖菓子の他にもあったのだった、と。
(…ハーレイが家に来てくれた日は…)
 とても幸せで、甘い時間を過ごしている。
 ハーレイは、「俺は子供にキスはしない」と、キスを強請ったら断るけれど。
 叱られたりもするのだけれども、それでも甘い時間ではある。
 前の生から愛した人と、二人きりでいられる幸せな時。
(ああいう時間は、幾らあっても…)
 砂糖菓子みたいに「入らなくなる」ことはないだろう。
 「もう一杯」だと、ハーレイを放っておくことも。
 もちろん「帰って」と言いはしないし、何時間でも一緒にいられる。
 ハーレイが「じゃあな」と「帰ってしまいさえ」しなければ。
 もう遅いからと、ハーレイの家へ。
 「またな」と軽く手を振って、帰ってしまわなければ。


(…砂糖菓子みたいに甘いのに…)
 あの時間ならば、お腹一杯には、なったりしない。
 「残りは明日」などと思いはしないし、ある分を全部、味わうだけ。
 きっとそうだ、と考えるけれど、もしかしたら、あれも「今の自分には」無理なのだろうか。
 ハーレイが「キスは駄目だ」と叱る通りに、チビの自分には「今ので充分」。
 「またな」とハーレイが帰ってしまって、甘い時間は「おしまい」なのが。
 もっと、と心で願っていたって、「続きは、またな」と時間切れなのが。
(……ひょっとして、そう……?)
 ぼくが子供だから、砂糖菓子みたいに甘い時間も「期限付き」なの、と悲しい気分。
 「もう充分に味わったろう」と、ハーレイが「終わり」にしてしまうのが。
(……お腹、一杯にはならない筈で……)
 幾らでも入る筈なんだよ、と思うけれども、夕食の後の砂糖菓子。
 三つとも食べられるつもりでいたのが、一個でおしまい。
 残り二つは「明日以降のお楽しみ」なのだから、ハーレイと過ごす甘い時間も…。
(…欲張ったら、入らなくなっちゃう…?)
 「もうハーレイは充分だから!」と思ってしまう時が来るとか。
 「早く帰ってくれないかな?」と、「お腹一杯で」思う日が来るだとか。
 あの時間が「砂糖菓子みたいに甘い」のだったら、そうかもしれない。
 チビの自分には「今のが適量」、それ以上は「入らない」だとか。
(…そうだとしても……)
 もう入らない、と思うくらいに「ハーレイと二人で過ごしてみたい」。
 砂糖菓子みたいに甘い時間を、お腹一杯になるほどに。
 ハーレイが「またな」と帰ってゆく時、「残りは今度で充分だよね」と見送れるほどに…。

 

           砂糖菓子みたいに・了


※甘い砂糖菓子で、お腹一杯になったブルー君。もっと食べられそうだったのに。
 ハーレイ先生と過ごす時間も、砂糖菓子と同じようなものかも。ブルー君には今のが適量v








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(砂糖菓子なあ…)
 あれも悪くはないんだよな、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
(コーヒーに砂糖を入れるかどうかは…)
 その日の気分次第なんだが、とキッチンでのことを思い返してみる。
 いつものようにコーヒーを淹れて、どうしようかと考えた砂糖。
 今日は入れるか、入れずに飲むかと、「今日の気分」を。
 「入れたい気分」だった今日。
 だから砂糖を取り出そうとして、其処で迷った。
 「どれを入れる?」と、砂糖のことで。
 この家で長く一人暮らしだし、料理をするのも好きではある。
 料理好きなら揃えておきたい砂糖が色々、「コーヒー用の」砂糖以外にも。
 グラニュー糖なら、料理にも菓子にも、コーヒーにも良し。
 少し癖のあるザラメも案外、コーヒーに合う。
(どれにするかで迷っちまって…)
 いつものでいいか、と選んだ角砂糖。
 これなら好みで「ピッタリの量」を入れられる。
 「お砂糖の量はどれだけですか?」などと問われるのも、多分、これが多いだろう。
(スプーンに何杯、っていうヤツもあるが…)
 あっちはスプーンで計っているだけに、個人の癖が出そうではある。
 「一杯分でお願いします」と頼んだ一杯、それが「山盛り」とか「少なめ」だとか。
 それを思えば、角砂糖の方が「大いに便利」。
 一個の量は決まっているし…、とポチャンと入れて、この書斎へとやって来た。
 夜にコーヒーを飲むなら書斎が多いし、「今夜も此処だ」と。
 角砂糖を溶かしたコーヒーを傾け、ふと思ったこと。
 「角砂糖だって、色々じゃないか」と、「塊になった砂糖」のことを。
 コーヒーなどに「ポチャンと」入れてやる砂糖。
 四角ばかりとは限らなかった、と様々な形を思い浮かべて。


 塊でコーヒーに入れる砂糖も、気まぐれな量のものがある。
 少しいびつになった塊、あれならば塊の大きさによって量だって変わる。
(小さいのもあれば、大きいのもあるし…)
 同じ「一個」でも違うもんだな、と思う「その手の砂糖」。
 そうかと思えば、薔薇の花などの形をしている砂糖なんかも。
 其処から頭に「砂糖細工」と、ポンと浮かんで来た言葉。
(砂糖細工がくっついている角砂糖ってヤツも…)
 あるんだよな、と可愛らしいのを思い出したから。
 角砂糖の白い塊の上に、砂糖細工の小さな花などがくっついた、それ。
 せっかくの「とても繊細な細工」は、コーヒーに溶けてしまうのに。
 紅茶に入れても同じに溶けて、楽しむことは出来ないのに。
(ちょいと贅沢な砂糖ってことか…)
 値段も高めになるモンだしな、と愛用のマグカップを傾ける。
 「こいつに入れるには、上等すぎる砂糖ってモンだ」と。
 ああいう角砂糖を入れてやるなら、もっと高級なカップが似合い。
 ついでに「一人で」飲んでいるより、来客の時。
(…柔道部のヤツらじゃ、話にならんが…)
 あいつらに出しても猫に小判だ、と考えるまでもなく分かること。
 「豚に真珠」とも言うだろう。
 柔道部員の教え子たちには、クッキーでさえも「徳用袋」が丁度いい。
 上品に形が揃ったものより、割れたり欠けたりしているクッキー。
 要は「量さえあればいい」わけで、砂糖にしても全く同じ。
(…角砂糖さえも要らないかもな?)
 グラニュー糖もな、と浮かべる苦笑い。
 「安売りの砂糖で充分だろう」と、料理用の砂糖を思い描いて。
 食料品店のチラシなんかで、よく「お買い得」と書かれていたりする砂糖。
 それをスプーンで「どれだけだ?」と入れてやっても、彼らは気にもしない筈。
 ちゃんと「甘くなって」いたならば。
 間違えて塩を、ドカンと入れさえしなければ。


 柔道部員たちに出してやるには、上等に過ぎる角砂糖。
 砂糖細工がくっついたもの。
(そういう砂糖を出してやるなら…)
 いつかブルーが来た時だよな、と愛おしい人を思い浮かべる。
 十四歳にしかならない恋人、前の生から愛した人。
 今は「この家には」呼んでやれないブルー。
 前のブルーと同じ背丈に育つ時まで、家には呼ばない。
 そう決めて約束させたからには、まだまだ当分、来はしない人。
(あいつが此処にやって来る時は…)
 張り切って準備することだろう。
 何の料理を出せばいいかと、何日も前から考えて。
 「これだ」と決めたメニューによっては、前日よりも前から仕込みもして。
 食事だけで帰す筈もないから、菓子だってちゃんと用意する。
 手作りにするか、「とびきり上等な」評判の菓子を買いに行くかと、迷うのだろう。
 どちらに決めても、欠かせないのが紅茶になる。
 ブルーは「コーヒーが苦手」なのだし、美味しい紅茶を淹れなければ。
(でもって、砂糖を入れるんだから…)
 砂糖細工がくっついたような、高級品の角砂糖がいい。
 ただの角砂糖よりは、断然、そっち。
(なにしろ、二人きりだしな?)
 ブルーを招いて「家でのデート」、そういった特別な日なのだから。
 何度招いても、きっと飽きたりすることはない。
 「明日はブルーが来る日だからな」と、心躍らせる未来の自分が見えるよう。
 何を出そうか、料理は、菓子は…、とメモだって書いてゆくかもしれない。
 「この菓子は前に出しちまったから…」と、重ならないよう、気を配るために。
 料理も同じで、「前とおんなじ…」とブルーが思わないように。
 そんな「特別な人」を呼ぶなら、角砂糖も、素敵で特別なものを。
 くっついている砂糖細工は、紅茶に溶けてしまっても。
 ブルーが「綺麗だよね」と眺めてくれても、ポチャンと紅茶に落とせば、消えてしまっても。


(あいつのためなら、惜しいとは全く思わんな…)
 柔道部員のヤツらには、もったいなくて出せないんだが…、と思う上等な角砂糖。
 砂糖細工で小さな花などが描かれたもの。
 招いた客がブルーだったら、そういう砂糖を惜しげもなく入れてやるのだろう。
 「砂糖は幾つだ?」と尋ねて、返った答えの分だけ。
 たとえ「五つ」と言われようとも、「六つかな?」などと笑みが返っても。
(…普通は二つくらいなモンだが…)
 普段のあいつも、そのくらいだが…、と小さなブルーの好みを思う。
 甘い飲み物が好きだけれども、流石に砂糖が「五つ」や「六つ」ほどではない。
 けれども、ブルーが望むのだったら、砂糖細工がついた角砂糖を十個でも。
(百個と言われても、かまわんな…)
 そう思ってから、「いや、カップから溢れるか…」とクックッと笑う。
 それだけ入れたら、紅茶は溢れて、カップの中には砂糖だけ。
 カップの中には入り切らずに、こんもりと盛り上がったりもして。
(だが、あいつになら…)
 あいつとだったら、そんな時間も最高なんだ、と思えてくるから愛おしい。
 たとえカップから紅茶が溢れて、砂糖が山と積み上がっても。
 砂糖細工がくっついている角砂糖を見て、ブルーが「百個!」と注文しても。
(…あいつと過ごす時間ってヤツは…)
 きっと甘いに決まっているから、砂糖菓子のような時間だろう。
 砂糖菓子のように甘い時間を過ごすのだったら、角砂糖の山も似合う筈。
 紅茶が溢れるほどの量でも、二人で眺めて笑い合って。
 「百個は多すぎたみたいだよね」と、ブルーが肩を竦めたりもして。
(…食べ物で遊ぶのは、良くないんだが…)
 ちょいとやってみたい気にもなるよな、と思えてしまう、遠い未来に「ブルーが来た日」。
 砂糖細工がくっついた角砂糖を沢山、用意しておいて。
 「砂糖は幾つだ?」とブルーに訊いたら、「二つ」と答えが返ったとしても…。


(俺たちには、これが似合いだろう、と…)
 何処までカップに砂糖が入るか、一つずつ入れていくのもいい。
 砂糖菓子のように甘い時間に似合いの砂糖は、幾つなのかと。
 一つ、二つとポチャンと入れては、まるで溶けなくなる所まで。
 もうそれ以上は甘く出来ない、そんな量の砂糖を落とし込むまで。
(二十個くらいは溶けるモンかな…)
 凄い甘さの紅茶だろうな、と思うけれども、そんな「甘すぎる」紅茶もいい。
 砂糖菓子のように甘い時間を過ごしてゆくなら、砂糖さえも溶けてくれない甘い紅茶も…。

 

         砂糖菓子のように・了


※ブルー君と過ごすんだったら、砂糖の量は「溶けなくなるほど」なハーレイ先生。
 まさか本気でやることはないでしょうけれど…。そういう甘い紅茶が似合いの時間ですv









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(今日は、ちょっぴり…)
 疲れちゃった、と小さなブルーが漏らした溜息。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は来てくれなかったハーレイ。
 それも「疲れちゃった」と、思ってしまう理由の一つ。
 もしもハーレイが来てくれていたら、疲れなんかは吹っ飛ぶから。
 具合が悪くて寝ていた時でも、ハーレイに会えばホッとするもの。
 学校を休んでしまったような日に、「大丈夫か?」と見舞いに来てくれるだけで。
 けれども、会えなかったハーレイ。家では、だけど。
(…ハーレイ先生の方だったら…)
 会えたんだけどな、と思い出すハーレイの姿。
 学校の廊下で出会って、挨拶をして、たったそれだけ。
 立ち話は出来ずに、お互い、別の方へと歩いて行っただけ。
(会えないよりかはマシなんだけど…)
 ずっとマシだと分かってはいても、残念な気持ちは拭えない。
 ハーレイが「家に来てくれない」なら、「学校で少し話したかった」と。
 「恋人ではない」ハーレイ先生、教師と生徒の間柄にしか過ぎなくても。
 他の生徒に聞かれてもいい、無難なことしか話せなくても。
(…ツイてないよね…)
 そんな日に限って、帰りがアレ、と学校からの帰りのバスを思い出す。
 いつも乗っている路線バス。
 学校の側のバス停から乗って、家の近くまでの「ほんのちょっぴりの」旅。
 短い間の旅だけれども、お気に入りの席があったりもする。
 「此処が大好き」と決めている席。
 空いていたなら真っ直ぐに行って、ストンと座って乗ってゆく席が。
 たまに「誰かが先に座って」、塞がっていたりするけれど。
 少しガッカリするのだけれども、バスには他にも席が沢山。
 自分が「乗って帰る」時間は、混み合う頃ではないだけに。


 ところが、そうではなかった今日。
 学校の側のバス停で待って、其処へと滑り込んで来たバス。
(…ドアが開いたら、凄く賑やかで…)
 入口の側にまで、ギッシリ「詰まっていた」子供たち。
 下の学校の一番下の学年くらいか、その上くらいの年頃の子たち。
 遠足だったら「学校からバスで行く」だろうから、クラスで何処かへ出掛けた帰り。
 そういう子たちで寿司詰めのバスで、一瞬、乗るのを躊躇った。
 「次のバスが来るのを、待とうかな?」と。
 バスの本数は少なくないから、暫く待ったら次のが走ってやって来る。
 それに乗ったら、いつもと同じに「お気に入りの席」に座って帰ってゆける筈。
 「その方がいい」と思っていたのに、ついつい「乗ってしまった」バス。
 運転手の人が親切に呼び掛けてくれたから。
 「お乗りにならないんですか?」と、運転席から、マイクを使って。
(あんな風に呼び掛けられちゃったら…)
 乗ろうかな、と考えてしまうもの。
 「とても親切な運転手さん」が運転するバス、それを「乗らずに」見送るなんて、と。
 だから乗り込んだ、子供たちがギュウギュウ詰まったバス。
 「乗ってる時間は、ちょっぴりだしね?」と、子供たちを掻き分けるようにして。
 けれども、いささか甘かった読み。
 バスに詰まっていた子供たちは、元気が「余っていた」ものだから。
(走り回ったりはしないんだけど…)
 あっちでこっちで、大きな声で話して、笑い合って。
 バスの前の方と後ろの方とで「声を飛ばし合って」、ジャンケンなども。
 もちろん「お気に入り」の席は無かった。
 子供たちがちゃっかり座ってしまって、他の席にも子供たち。
 座れる席は一つも無いまま、吊り革を掴んで揺られていくしかなかったバス。
 エネルギーの塊みたいな、子供たちに圧倒されながら。
 「…ぼくは、こんなに元気じゃなかった…」と、小さかった頃を思い出しながら。
 それは賑やかな声が響く中、座ることさえ出来ないままで。


 お蔭でバスを降りた時には、すっかりクタクタ。
 家の近くのバス停で「バスから降りる」だけでも苦労した。
 小さな子たちで溢れたバスでは、降車ボタンを押すのも大変。
 うんと頑張って腕を伸ばして、ようやっと押せた「次で降ります」の合図のボタン。
 押した後には、子供たちの群れの中を「泳ぐようにして」、懸命にバスの前へと進んだ。
 「次で降ります!」と叫んだりもして、前へ、前へと。
 バスがバス停で停まった時にも、まだ「出口まで」着けていない有様。
 親切だったバスの運転手は、アナウンスをしてくれたけれども。
 「降りる人に道を空けてあげて下さい!」と、バスを埋める子供たちに向かって。
 やっとのことで辿り着けたから、運転手にペコリと頭を下げた。
 「ありがとうございました!」と、いつも「そうやって」降りているように。
 運転手も「ありがとうございました!」と返してくれて、バスは走って行ったけれども…。
(…もう本当に、疲れてクタクタ…)
 なんという酷いバスだったろう、と足を引き摺るようにして歩いた道。
 家までの道は、長くないのに。
 普段だったら、道沿いの家の庭などを、覗き込んだりしながら帰るのに。
(…疲れちゃってたから、それどころじゃなくて…)
 家に着いて門扉を開けた時には、もう「鞄さえも」重かった。
 通学鞄は、それほど重くはないものなのに。
 庭を横切って家に入って、「ただいま」と呼び掛ける声にも、まるで無かった元気。
 リビングにいた母に「疲れちゃった…」と言うなり、その場に座り込んだほど。
 母が「どうしたの!?」と、病気ではないかと驚いたのも、きっと当然。
(だけど、病気じゃなかったから…)
 暫く休んで、それから出掛けた洗面所。
 手を洗って、ウガイもしておかないと、と。
 それが済んだら、普段は着替えにゆくのだけれど…。
(今日は、そうする元気も無くって…)
 制服のままで、リビングでおやつを頬張った。
 母が焼いておいてくれたケーキや、とびきり甘いココアなんかを。


 おやつを食べたら、戻った元気。
 あれほど「疲れ果てていた」のに、美味しいおやつの効果は絶大。
 「ちょっぴり疲れた」程度になるまで、奪われた体力を戻してくれた。
 もちろん、気力の方だって。
(…だから、ちょっぴりなんだけど…)
 今日はちょっぴり疲れたんだけど、とベッドに座って考える。
 「これでハーレイが来てくれていたら、もっと元気になってたよね?」と。
 疲れなんかは消えてしまって、元気だったに違いない、と。
 「今日は、とってもいい日だったよ」と思ったりもして、御機嫌で。
(……おやつくらいじゃ……)
 全部は戻ってくれないのかな、と「疲れちゃった」気分が気になりもする。
 「ハーレイ」も必要なのだろうかと、「おやつだけでは、やっぱり駄目?」と。
 けれども、其処で気が付いた。
 その「ハーレイ」は、今日は来なかったけれど…。
(…前のぼくがいたから、今のぼくがいて、ハーレイがいて…)
 今もやっぱり恋人同士で、家を訪ねてくれる日もある。
 病気で学校を休んでいたって、「具合はどうだ?」と仕事帰りに。
 そのハーレイと「初めて出会った」、前の自分は、どうだったろう。
 遠く遥かな時の彼方で、「ソルジャー・ブルー」と呼ばれた人は。
 白いシャングリラで、ミュウたちの長だった頃の自分は。
(……ちょっぴりどころか、うんと疲れていた時だって……)
 仲間たちのためにと、どれほど努力していたことか。
 「ただいま」と言うなり、その場にへたり込んだりはせずに。
 皆の前では凛と立ち続けて、疲れた顔など見せもしないで。
(…もちろん、おやつなんかは無くって…)
 白いシャングリラに「菓子」はあったけれど、それだけのこと。
 青の間に届けられはしたって、「おやつちょうだい!」と言えはしなかった。
 ソルジャーは、「そういったこと」はしないから。
 どんな時でも、甘えたことなど言えはしなかったから。


(…今のぼくだと、疲れた時には…)
 母が焼いてくれた美味しいケーキや、甘くて疲れが癒えてゆくココア。
 「ママ、おやつ!」と頼まなくても、「はい、お待たせ」と出てくる、おやつ。
 それを食べたら、元気が戻って来てくれるもの。
 今日のようにバスで疲れ果てても、通学鞄さえ「とても重い」と思った日でも。
(…ハーレイは来てくれなかったけど…)
 だけど元気は戻ったよね、と見詰める自分の小さな両手。
 なんて幸せなんだろうかと、「前のぼくより、ずっと幸せ」と。
 疲れた時には、それを少しも隠すことなく、「疲れちゃった」と言えるから。
 その場にペタリと座り込んでも、母が慌てる程度だから。
(疲れた時には、おやつを食べて…)
 元気になれるのが今のぼくだ、と零れた笑み。
 「前のぼくとは、全然違う」と。
 平和になった地球に来たから、ハーレイがいてくれて、おやつまである。
 疲れた時にも、ただ食べるだけで、元気が戻ってくるおやつ。
 ハーレイに会えなかった時でも、「ちょっぴり疲れた」とだけ思うくらいに…。

 

            疲れた時には・了


※「疲れちゃった」と思った時にも、おやつを食べたら元気になれるブルー君。
 けれど、ソルジャー・ブルーだった頃は、そうではなかったのです。幸せなのが今v






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(…今日は流石に…)
 疲れたかもな、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
 いつもよりも長引いてしまった会議。
 そうなるだろうと思っていたから、覚悟はしていたのだけれど…。
(もうちょっと、結論というヤツをだな…)
 早く出せていたら、もっと早くに終わったんだ、と傾ける愛用のマグカップ。
 会議の中身は、生徒の指導方法について。
 遅刻が多い生徒をどう扱うか、というようなこと。
 「一度くらいは追い返せ」との意見もあれば、「気長に待とう」という声も。
 生徒の自主性に任せるべきか、強制的に指導をするか。
 場合によっては「親を呼び出し」、生徒も交えて面談だとか。
 「それは可哀相だ」と言う者もあれば、「そうするべきだ」と乗り気の者も。
(……俺は、自主性に任せてやりたい方で……)
 ああいうヤツらは、言っても聞きやしないんだから、と分かっている。
 その場では「ごめんなさい」と言おうが、「すみません」と頭を下げようが。
 しおらしく詫びを入れて来たって、次の瞬間には「忘れている」もの。
 なにしろ若くて、ヤンチャ盛りの生徒たち。
(…教師も、分かっちゃいるんだが…)
 それでも「指導をしたい」性分の者だっていれば、逆の者だって。
 教師も生徒と同じに「人間」、いろんなタイプがいるだけに。
(ああだこうだと、話が長引くばかりでだな…)
 結局、最後は「このままで」となるんじゃないか、と思い返してみる会議の結論。
 意見は二つに分かれたままで、どちらも「頷ける」所があるもの。
 それだけに「このまま様子を見よう」と纏まって終わった、長かった会議。
(今日までに、何回やったことやら…)
 あの手のヤツを、と疲れもする。
 身体は疲れていないけれども、頭だけが。


 やってられんな、とコーヒーを一口、それから座ったままで大きく伸び。
 「疲れちまった」と肩をコキコキやってもみて。
(…俺には向いていないんだよなあ…)
 結論が出せない会議ってヤツは、と首もゆっくり回してみる。
 同じに長引く会議にしたって、もっと実りのあるものだったら、疲れないのに。
 山ほどの議案を片付けようとも、参考資料が山と積まれようとも。
(まったく…)
 ブルーの家にも寄り損なった、と残念な気分。
 こんな具合に疲れていたって、ブルーに会えたら、疲れなんかは吹き飛ぶのに。
 けれど、遅い時間になったら「寄って帰れない」ブルーの家。
 ブルーの両親にも悪いだろうと、真っ直ぐ帰って来るしかない。
(…風呂に入って、寝るとするかな…)
 疲れた時は、そいつが一番、と考える。
 バスタブにたっぷり熱い湯を張って、身体を沈めて寛ぐひと時。
 上がったら身体をタオルで拭いて、濡れた髪もザッと乾かしてから…。
(ベッドに入って、後はぐっすり…)
 寝れば疲れも取れるってモンだ、と「風呂にするか」と立ち上がりかけて気が付いた。
 「前の俺は、こうじゃなかった」と。
 とても風呂など入れはしなくて、寝るどころでもなかったのだ、と。
(…どんなに疲れていてもだな…)
 休めない夜が、幾つあったか。
 遠く遥かな時の彼方で、キャプテン・ハーレイと呼ばれた頃は。
 前のブルーと恋人同士で、白いシャングリラで過ごした頃は。
(…シャングリラで、何か起こったら…)
 それを解決するのがキャプテン。
 機関部で起こったトラブルだろうが、農場などのシステムの故障だろうが。
 その問題が「片付くまでは」取れない「休み」。
 一日の間に片付かなければ、何日だって続いてゆく。
 「疲れちまった」と思ってはいても、ゆっくり休めはしなかった夜が。


 そうは言っても、前の自分も「一人の人間」。
 不眠不休で生きていられるわけもないから、「休み」は取れる。
 トラブルが解決しないままでも、「すまんが、今日はこれで帰る」と引き揚げて。
 キャプテンの部屋に戻るふりをして、前のブルーがいた青の間へと。
(休んでいる俺に、緊急以外の連絡などは…)
 まず来ないのだし、それに備えて「青の間の方にも」届くようにしてあった通信。
 何処で「出たか」は分からないよう、ブルーがサイオンで細工をして。
(その連絡が、いつ来るんだか…)
 分からないだけに、ゆっくり休むなど夢のまた夢。
 どんなに疲れ果てていようと、風呂は「さっさと」入るもの。
 バスタブにのんびり浸かっていないで、シャワーだけで済ませる日も多かった。
 「ここでゆっくり浸かれたらな…」と、空のバスタブを眺めはしても。
 ブルーが張った湯が「熱いままで」其処に満たされていても、入らなかった。
 入ってしまえば、捕まる誘惑。
 「もっと浸かっていたい」という風に。
 そしてウッカリ浸かろうものなら、瞬く間に過ぎてゆく時間。
 シャワーだけなら直ぐに済むのに、バスルームを出たら一時間近く経っていたりと。
(そいつはマズイし…)
 入っては駄目だ、と自分自身を戒めた風呂。
 シャワーは良くても、バスタブの方は「今は駄目だ」と、眺めるだけで。
 入れば、疲れが取れるだろうに。
 熱い湯で身体をほぐしてやったら、きっと極上の睡眠さえも取れる筈。
 けれども、それは「許されはしない」。
 キャプテンが「風呂でのんびりしている間」に、連絡が入りかねないから。
 「来て下さい!」という連絡だったら、駆け付けるのが遅れるから。
(…前のあいつと、同じベッドで寝てる分には…)
 起き上がって「飛び出してゆけばいい」だけ。
 連絡が入りそうな時には、添い寝だけしかしていないから。
 パッと起き出して、キャプテンの制服に袖を通して、駆けてゆくだけ。


(…風呂にも入れなかったってか?)
 前の俺は…、と「如何に忙しかったか」を思う。
 それに「余裕が無かった」ことも。
 今の自分なら、たかが会議で「疲れた」だけでも、直ぐに「風呂だ」と考えるのに。
 「ゆっくり浸かって、寝ればいいな」と。
 そして実際、「そうしている」。
 今も立ち上がって、「風呂にしよう」とバスルームに行こうとしたように。
 思いがけずも、足が止まったけれど。
(……うーむ……)
 たかが風呂だが、と思いはしても、「入れなかった」キャプテン・ハーレイ。
 前の自分は、何度バスタブを「眺めるだけ」で終わっただろう。
 空のを、あるいは熱い湯が満たされたバスタブを。
(今だと、疲れちまった時には…)
 風呂に入るのが当たり前で…、と驚きながらも、後にした書斎。
 飲み終えたコーヒーのカップを手にして、まずはキッチン。
 風呂の前には、カップを洗っておかなければ。
(…こうして洗って、拭いてだな…)
 棚に入れたら、バスルームにゆく。
 バスタブに熱い湯を満たす間に、洗面台で歯を磨いたりもして。
 「そろそろだな」と覗き込んだら、バスタブにたっぷり満ちた熱い湯。
 それに湯気だって、「いい湯加減ですよ」と言わんばかりに押し寄せて来た。
 「どうぞ、ゆっくり入って下さい」と、待ってくれているバスルーム。
 それからバスタブ。
(よし、風呂だ!)
 これで疲れが取れるってモンだ、と早速に服を脱ぎ落してゆく。
 風呂に入るのに服は不要で、後はのんびり浸かるだけ。
 熱いシャワーで身体をザッと洗ったら。
 石鹸で軽く洗い終わったら、身体を伸ばして、あの熱い湯に。


 思った通りに、「いい湯加減」。
 手を、足をゆったりと伸ばせる大きなバスタブ、もうそれだけで疲れが取れる。
 「疲れちまったな」と思った気分も、何処かに消えて。
 「今日は疲れたが、明日はいい日になるだろうさ」と思いもして。
(……たったこれだけのことなんだがな……)
 俺はバスタブに浸かっただけで…、と手で掬ってみる湯。
 今の自分は「いつでも好きに」浸かれるバスタブ。
(…本当に、ただの風呂なんだが…)
 なんとも贅沢な代物だよな、と身体を伸ばして、笑みを浮かべる。
 「いい湯だよな」と、「今だからだな」と。
 今の平和な地球に来たから、こうして風呂に浸かれもする。
 「疲れた時には、風呂だ」と自然に思うくらいに。
 思い付いたら、本当に直ぐに浸かれる風呂。
 ただ「いい湯だな」と思いながら。
 「明日はいい日になるだろうさ」と、今日の疲れは、もう忘れ果てて…。

 

         疲れた時は・了


※疲れた時には、お風呂に浸かってリフレッシュ。それがハーレイ先生ですけど…。
 キャプテン・ハーレイだった頃には、浸かれなかった日も沢山。贅沢なバスタイム。









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(…英雄かあ…)
 いろんな英雄がいるんだけどね、と小さなブルーが思ったこと。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は来てくれなかったハーレイ、前の生から愛した恋人。
 そのハーレイが学校で教える古典の世界。
 遥かな昔の小さな島国、日本と呼ばれていた頃の古典。
 それを開けば英雄が大勢、彼らを巡る伝説だって。
(…日本の中だし、スケールは大きくないけれど…)
 東洋の端っこにあった島国からでは、世界帝国などは築けない。
 ギリシャから東へ遠征し続け、行く先々で都市を築いたアレクサンダー大王のようには。
 彼が落とした国に置かれた、彼の名前を冠した都市。
 名前そのままに「アレクサンドリア」で、その名の都市は幾つもあった。
 地続きだったから出来た遠征、遥か東へ、もっと東へと。
 ギリシャを出発して陸を伝って、エジプトを落として、更に東へ。
(川を渡るには、船にも乗って行っただろうけど…)
 それでも渡ってゆく先の土地は、ギリシャから「続いている」大陸。
 きっと「世界」は広かった。
 アレクサンダー大王が幼い頃から見聞きした世界、それは途方もなく広いもの。
 ギリシャから東に進んで行っても、世界の果てに辿り着くのは難しい、と。
 だから目指した世界征服。
 自分の力で何処まで行けるか、どれほどの領土を手に出来るのか。
 文字通り「果てが見えない」帝国、それを築こうと旅立ったのがアレクサンダー大王。
 志半ばで倒れたけれども、彼の名前は広く知られた。
 彼が築いた「アレクサンドリア」は、後世にまでも残ったから。
 「アレクサンダー大王が築いた町だ」と、誰もが知っていたのだから。
 大王は、とうにいなくなっても。
 遠征した先で命を落として、其処に凱旋して来なくても。


 世界帝国を目指した、最初の王者。
 「大王」と呼ばれたアレクサンダー。
 後に一大帝国を築いたローマ、その皇帝たちからも尊敬された偉大な王。
 彼のような英雄は、日本からは出て来なかった。
 英雄の数は多いけれども、活躍した場は日本の中だけ。
 海を越えての大遠征を繰り広げるには、あまりにも小さかった国。
 「自分なら出来る」と思い込んだ挙句に、出兵した人物もいたけれど…。
(…どれも負け戦…)
 彼らは英雄になれはしないで、逆に国力を失っただけ。
 日本にはいない、世界帝国を立派に築き上げた英雄。
(島国だから、仕方ないけれど…)
 同じ島国でも、イギリスの方は頑張った。
 「大英帝国」と称されたほどに、海を渡って、領土を広げて。
 けれども一人の力ではなくて、何代もかかって築き上げた国が大英帝国。
 やはり島国から「広い世界」を相手にするのは、難しいのに違いない。
 よほどの英雄が生まれない限り、そんなことは出来はしないのだろう。
(日本の中だけで、英雄になるのが精一杯…)
 小さな器に相応しく。
 東洋の端の小さな島国、其処に似合いの英雄たち。
 海を越えての戦いなどには挑むことなく、日本の中だけで名を上げていった。
 後世まで語り継がれるように。
 古典の中にも名前が残って、今の時代も忘れ去られてはいない英雄。
 世界帝国を築かなくても、日本だけでの英雄でも。
(だけど、一人だけ…)
 いたんだっけね、と気が付いた。
 一大帝国を築いた英雄、その人物と結び付けられた人が。
 日本から海を渡って行った末に、皇帝になったと伝わる人が。


(…源義経…)
 壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼし、武士の時代の幕を開けたのが義経だった。
 けれど、凄すぎた彼の功績。
 様々な戦法で戦い続けて、見事に平家を打ち破ったのに…。
(…実のお兄さんに、疎まれちゃって…)
 自分が追われる身になった。
 言いがかりのような理由をつけられ、「敵」として。
 「義経を殺せ」と、追討令まで出されて。
 殺されたのではたまらないから、義経は懸命に北へ逃れた。
 幼かった頃に助けられた国、奥州の藤原一族を頼って。
 ようやくのことで逃げ込めたけれど、時代は味方してくれなかった。
 彼を匿い、守ろうとしていた一族の長が代替わりして。
 跡を継いだ者が、「義経を殺す」側に回って。
(それで、死んじゃったんだけど…)
 義経は実は死んではいない、という伝説が生まれて来た。
 「もっと北へと落ち延びたのだ」と、「義経は生きて北に逃げた」と。
 奥州の奥の奥まで逃れて、海を渡って北海道へ。当時は蝦夷地と呼ばれた場所へ。
 そればかりか、中国大陸にまで行ったという。
 其処でモンゴルの初代皇帝、チンギスハンになったのだ、とも。
(チンギスハンなら、世界征服…)
 そのために戦い続けた英雄。
 東へ、西へと兵を進めて、広げていった自分の領土。
 義経は彼と結び付けられて、まことしやかな噂が囁かれた。
 「チンギスハンは、義経なのだ」と、「だから皇帝になれたのだ」などと。
 もちろん伝説、根拠なんかは何処にもない。
 義経とチンギスハンは別人、その証拠ならば揃うけれども。
 「絶対に違う」と言えるのだけれど、伝説の中ではそうなっていた。
 義経はモンゴルまでも逃げ延び、大帝国を築き上げたのだと。


 小さな島国、日本で語り継がれた伝説。
 そんなことなど有り得ないのに、義経がチンギスハンだった筈がないのに。
 けれど、大勢の人が信じた。
 「そうではない」ことが常識になるまで、そういう時代がやって来るまで。
 非業の最期を迎えた義経、彼の肩を持つ者は多かったから。
 「判官贔屓」という言葉が出来たくらいに、同情する人が多かった。
 義経が貰った「判官」の位、それを言葉に織り込んで。
 「義経贔屓」と言いはしないで、「判官贔屓」。
 それほどなのだし、義経に「生きていて欲しかった」人も大勢生まれた。
 衣川では死なずに逃げたと思いたい人が。
(北に逃げるのは正しいから…)
 義経は本当に「逃げて生き延びた」のかもしれない。
 衣川で死んだと伝わる義経の方は、替え玉か、その辺に転がっていた死体だったとか。
 当時の技術では、特定できないDNA。
 鎌倉に運ばれた義経の首を、「似ている」と皆が考えたならば、それで幕引き。
 本物の義経は、生きて北へと向かっていても。
 鎌倉からは遠い奥州、その北の果てや、北海道まで逃げ延びて其処で暮らしていても。
(追手は、南から来るんだものね?)
 だから逃げるなら北へ、北へと。
 そして実際、其処に残った幾つもの伝説。
 「義経は此処まで逃げて来た」とか、「此処から更に北に向かった」とか。
 モンゴルに行くのは流石に無理があるのだけれども、チンギスハンにはなれないけれど。
 ただ「北の土地で」生きるだけなら、きっと問題なかっただろう。
 「義経を殺せ」と命じた兄は、首を眺めて「義経は死んだ」と信じたから。
 もう死んだ者を探すだけ無駄で、そうする暇があったなら…。
(政権を固めていかないと…)
 今度は自分が危うくなるから、そちらの方で精一杯。
 義経のことなど忘れてしまって、鎌倉幕府を盤石のものにしてゆこうと。


 そう考えると、「義経は生きていても」いい。
 チンギスハンとは別人とはいえ、名も無い人間としてならば。
 「義経」の名前は捨ててしまって、鎧も兜も、弓も刀も捨てるのならば。
(…そうなっちゃったら、ただの男の人…)
 畑を耕して生きていてもいいし、海で魚を捕ったっていい。
 山に入って狩りをしたって、「そうやって生きている」人がいるだけ。
(…本当に生きていたかもね?)
 幾つも伝わる伝説の一つ、それが「真実」だったりして。
 義経は死なずに北の地で生きて、衣川で死んだと伝わる妻子も生き延びていて。
(生きていたなら、今の時代も…)
 その血を引く者がいるかもしれない。
 SD体制の時代を経てなお、死の星だった地球が蘇るほどの時が流れても。
 義経の血を引いている筈の人は、全く気付かないままで。
 記録は残っていないのだから、誰一人として「本当のこと」を知らないままで。
(…ぼくだったりして…)
 義経の子孫、と考えてみる。
 長い長い時が流れたのだし、義経の血を引いていたって、姿はまるで違うだろう。
 色々な血が混ざり続けて、今の自分のような姿ということもある。
 その上、アルビノに生まれたのだし、もう「まるっきりの」別人に見えても変ではない。
(…義経の血を引いているなら…)
 ぼくの中にも英雄の血が、と手を眺めてみて、ハタと気付いた。
 義経の血などは、全く引いていなくても…。
(…前のぼく、英雄だったっけ…)
 それも「大英雄」と呼ばれるくらいのソルジャー・ブルー。
 メギドを沈めてミュウの時代の礎になった、偉大なソルジャー。
 その魂を持っているなら、もう間違いなく英雄だろう。
 薄れに薄れた義経の血よりも、よほど英雄に相応しい生まれ。
 ちっぽけなチビの子供でも。…前と同じに弱く生まれた身体でも。


(うーん…)
 ぼくも英雄だったんだっけ、と考え込む。
 中身は確かにソルジャー・ブルーで、誰に訊いても「大英雄だ」と答えるだろう。
 義経などより、よほど凄くて、アレクサンダー大王よりも上の筈。
 世界帝国を築くどころか、ミュウの時代を築く礎になったのだから。
(…それに比べたら、今のぼくって…)
 うんと平凡、と呆れそうなほど、今の自分はチビでしかない。
 大きくなっても平凡なままで、ソルジャー・ブルーそっくりに育つだけ。
 けれど、その方がきっといい。
 英雄よりかは、「ただのブルー」でいる方が。
 ハーレイと幸せに生きてゆくなら、英雄などでなくてもいい。
 今の自分に似合いの幸せ、それを掴んで生きてゆくのが、きっと最高に幸せだから…。

 

         英雄よりかは・了


※ブルー君が考えてみた英雄。日本には凄い英雄はいない、と。義経もチンギスハンとは別人。
 けれど、気付けば前の自分は大英雄。義経の血を引いているより凄いですけど、普通が一番v








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