(…明日はテストで…)
今日は宿題も出てたんだよね、と小さなブルーが思うこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかったハーレイ、明日はどうなることだろう。
毎日だって会いたいけれども、世の中、上手くいかないもの。
週末はともかく、平日には。
ハーレイの仕事が休みでない日は、「会えない日」が続くこともある。
柔道部の指導が長引くだとか、放課後に会議が入るとか。
(明日のハーレイは、どうなんだろう…?)
気になるけれども、こればっかりは分からない。
ハーレイは、けして「予定」を話してくれはしないから。
学校の中で顔を合わせても、「今日は帰りに寄るからな」とは言ってくれない。
「予定通りに仕事が進むとは限らないから」が、その理由。
行けるから、と約束したのに駄目になったら、「お前のお母さんにも迷惑だしな?」と。
ハーレイが来た日は、夕食を用意するのが母。
「せっかくの支度が無駄になったら悪いだろう」と、ハーレイは平日の約束をしない。
夕食くらい、母なら何とでも出来るのに。
多めに作ってしまったのなら、次の日の食事に役立てもして。
(それに、ハーレイが遅い時間に来たって…)
夕食の支度が済んでいたって、母なら手早く追加で作る。
「いくらでも出来ますから、遅くても家にいらして下さい」と、母は何度も口にするのに…。
(…ハーレイ、絶対、来ないんだよね…)
夕食の用意に充分に間に合う時間しか。
それを過ぎたら、もう来ない。
今日だって、きっとそうだった。
柔道部の方か、会議があったか、いずれにしたって「遅くなった」時間。
この家に寄るには「遅すぎた」から、ハーレイは来ずに帰って行った。
前のハーレイのマントの色の、濃い緑色の愛車を運転して。
此処へは来ないで、自分の家へと真っ直ぐに。
そうでなければ、他の先生たちと食事に行ったか、そういう一日だったのだろう。
来なかった理由は分からないけれど、この家では会えなかったハーレイ。
明日もどうなるか、未来はまるで見えては来ない。
(…テストと宿題、ハーレイの授業じゃないんだよね…)
そっちだったら良かったのに、と思ってしまう。
古典の授業で出た宿題なら、いつだって、うんと張り切るもの。
「次回はテストをするからな」と言われた時にも、やはり同じに頑張る勉強。
ハーレイに成果を見せたくて。
「頑張ってるな」と褒めて欲しくて、人並み以上に。
(ぼくの成績なら、テスト勉強、しなくても…)
大丈夫だろうと思っていたって、ついつい熱が入る前日。
「明日の授業は、テストなんだよ」と、教科書やノートを机に広げて。
(…古典のテストでなくたって…)
やはり同じに重ねる努力。
クラスメイトは、「やらない」ことも多いのに。
宿題が出ていることも忘れて、帰ったら遊びほうけたりして。
もちろんテストがあるのも忘れて、酷い場合は、授業の直前になってから…。
(宿題も、テスト勉強も何もしていない、って…)
慌てふためいて、右往左往なクラスメイトたち。
「誰か、宿題をやってきた人は?」と辺りを見回し、やった人のを丸写し。
それではテストに間に合わないから、悲劇になるのは目に見えている。
教室の扉を開けて先生が「入って来た」途端に、あちこちで悲鳴。
「もう少しだけ待って下さい!」と、ノートや教科書を広げたままで。
あと五分だけあれば覚えられるだとか、「せめて三分、待って貰えませんか」とか。
(先生によっては、待ってくれることもあるけれど…)
大抵は無駄で、「始めるぞ」と片付けさせられてしまう教科書。
頼みの綱のノートにしたって、「早く仕舞え」と急かされるだけ。
「やってこなかった、お前たちが悪い」と睨まれて。
実際、宿題をやっていたなら、其処から問題が出るのだから。
テストの予告もされていたのだし、「やってこない生徒」が悪いに決まっているのだから。
(…ぼくは宿題も、テスト勉強も…)
下の学校の生徒の頃から、いつでも「きちんと」やっていた。
お蔭で今でも成績優秀、ハーレイにだって褒めて貰える。
「流石、お前だな」と、何かのはずみに。
他の先生のテストで「いい点数を取った」時にも、ハーレイに聞こえていたりもして。
(だから、ハーレイのテストでなくても…)
頑張らなくちゃ、と思うものだし、明日の分だって頑張った。
「ハーレイが寄ってくれたら、忘れちゃうしね?」と、早い時間から。
学校から帰って、おやつのケーキを食べたら、直ぐに。
(…ちゃんと宿題も、勉強もやって、待ってたのにな…)
ハーレイ、寄ってくれなかったよ、と残念な気分。
明日もどうだか分からないから、勉強の成果を「ハーレイに」見て欲しいのに。
宿題は「ハーレイに」提出したいし、ハーレイのテストを受けたいのに。
(だけど、全然、関係なくて…)
古典とは全く違う科目が、明日のテストと宿題の正体。
なんとも悔しい気持ちだけれども、宿題にしても、テストにしても…。
(…学校の生徒をやってるんだし、仕事みたいなものだよね?)
決められたことを「やってゆく」のも、「理解しているか」をテストされるのも。
仕事だからこそ、殆どの生徒が背中を向ける。
クラブ活動とかには、全力投球していても。
好きなサッカーなどのスポーツ、そっちだったら、どんな努力も厭わなくても。
(みんな、勉強って聞いた途端に…)
嫌そうな顔で、誰一人として喜びはしない。
「もっと宿題を出して下さい」と頼む生徒はいなくて、テストでも同じ。
これがクラブの活動だったら、「増やして下さい」と掛け合う生徒も多いのに。
学校が休みの期間でさえも、進んで登校するというのに。
(やっぱり、仕事は嫌がられるよね…)
少しも楽しくないんだろうし、と思い浮かべるクラスメイトたちの顔。
クラブ活動なら、厳しい練習が続いていたって、皆、喜んで取り組むもの。
それはクラブが「楽しいから」で、「好きなこと」が出来る時間だから。
柔道部にしても、サッカーなどにしても、傍から見たなら「大変そう」。
けれど「仕事」の「勉強」よりかは、遥かに楽しいものらしい。
宿題やテストは忘れていたって、クラブを忘れる生徒はいない。
「今日は部活だ」と張り切っていたり、遠征試合に向けて毎日頑張っていたり。
(…勉強は嫌われているんだけどな…)
ぼくには、これしか無いみたい、と考え込む。
クラブ活動をしていないからには、学校でするのは「勉強」だけ。
つまりは「仕事をしに行く」わけで、家に帰っても、同じに「仕事」。
今日のように宿題に取り組んでいたり、テスト勉強を頑張ったりと、色々と。
(…ぼくには、仕事しか無いけれど…)
別に勉強は嫌いじゃないし、と「勉強嫌いでなくて良かった」とホッとする。
もしも「勉強嫌い」だったら、どんなにつまらなかっただろう。
「学校に行く」ということが。
宿題が出たり、テストがあったりすることが。
(…ハーレイが先生をしてたって…)
きっとやっぱり、宿題もテストも、苦手だったに違いない。
ハーレイが家に来てくれる度に、せっせと頼んでいたかもしれない。
「今日の宿題、出来てないんだよ」と、「提出期限をもっと延ばして」と。
そうでなければ、ハーレイにペコリと頭を下げていたろうか。
「ぼくの代わりに、宿題をやって欲しいんだけど」と、その宿題を出したハーレイに。
テストをすると言われたのなら、「山を教えて」と強請るとか。
「このままだったら、ぼくは零点になっちゃうよ」と、切実な顔で。
本当に零点を取りそうなだけに、ハーレイの前で土下座までして。
「ぼくに零点、取らせたいの?」と、涙ぐみさえするかもしれない。
恋人に恥をかかせたいのかと、泣き落としで。
(……うーん……)
なんという情けない光景だろうか、と想像してみて零れた溜息。
訪ねて来てくれたハーレイと二人で過ごす時間に、土下座で「お願い」。
テストの山を教えてくれとか、「代わりに宿題をやって欲しい」だとか。
(…そうならなくて良かったよね…)
きっと百年の恋も冷めるに違いない、と思ってしまう。
生徒の仕事は「勉強」なのに、それを「やらない」恋人なんて。
ハーレイは教師で、今の自分は「勉強の成果」を見て貰う方の立場なのに。
(…前のぼくの仕事は、ソルジャーで…)
白いシャングリラの仲間の命を、懸命に守ることだったけれど。
それに比べれば勉強なんかは、「仕事」の内にも入らないのだけれど…。
(…今のぼくの仕事も、うんと大事で…)
やらなかったら、ハーレイの前で大恥をかいて、恋もおしまいになりそうな感じ。
「また勉強をやってないのか」と、「お前の土下座は何度目なんだ?」と呆れられて。
だから「仕事」は、きちんとしよう。
ハーレイのテストや、ハーレイが出した宿題などとは違っても。
生徒の間は、「勉強すること」が仕事だから。
ハーレイに呆れられたくなければ、今の仕事も、きちんとやるのが大切だから…。
今のぼくの仕事・了
※ハーレイが出した宿題じゃないよ、とブルー君が残念に思ったこと。テスト勉強も。
けれども、今のブルー君の仕事は「勉強」。ハーレイ先生の前で大恥は困りますよねv
(……うーむ……)
明日は会議か、とハーレイがフウとついた溜息。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
今日は会議は無かったけれども、寄り損ねてしまったブルーの家。
柔道部の部活が、いつもより少し長引いたせいで。
熱意溢れる部員の一人に、頼まれた稽古。
「クラブの時間は終わりですけど、個人的にお願い出来ますか?」と。
この所、目覚ましく伸びている「彼」。
此処で稽古をつけておいたら、更に上へと行くことだろう。
だから「いいぞ」と頷いた途端、我も我もと出て来た柔道部員たち。
「よろしかったら、お願いします!」と、頭を下げて。
そう頼まれたら、断れない。
「一人だけだ」などと言えはしないし、何人もの稽古を見ることになった。
最初に名乗りを上げた一人だけなら、さほど時間はかからなかったと思うのに…。
(あれだけの数が来ちまうと…)
大いに狂った、放課後の予定。
今日はブルーの家に行けると考えたのに。
部活の後には柔道着を脱いで、シャワーも浴びて、スーツに着替えて。
(少しばかり遅くなったって…)
充分、行けると読んでいた時間。
「今日は終わりだ」と稽古をつける部員に宣言、走って体育館を出て。
急いでシャワーで、急いで着替えで、それから愛車に乗り込んで。
(そいつが、すっかり狂っちまって…)
ブルーの家には行けなかった上に、明日の放課後は会議がある。
内容からして、もう間違いなく長引くのが。
終わった頃には、ブルーの家に行ける時刻は過ぎているのが。
(ブルーもガッカリするんだろうが…)
俺の方だって同じなんだ、と心で溜息。
いくらチビでも、ブルーは恋人。
会えない日よりは、会える日の方がずっといいのに決まっているから。
今日も駄目なら、明日も会えずに終わってしまう小さな恋人。
学校では顔を合わせられても、ブルーの家には行けないままで。
教師と生徒の間柄でしか、挨拶も言葉も交わせないままで。
(…どうして会議になっちまうんだか…)
せめて明後日なら良かったのに、と考えてしまう会議の予定。
明後日でも良さそうな内容なのに、と。
(しかし、こいつも俺の仕事で…)
教師の仕事をやっている以上、学校の会議には「出席する」もの。
自分とは無関係な内容だったら、そもそも招集されたりはしない。
呼ばれたからには「行く」のが仕事で、それをサボって逃げるのは…。
(…俺の性には合わないってな)
根が真面目だから、サボることなど考えられない。
同僚の中には「逃げてゆく」者もいるけれど。
どうしても行きたいコンサートだとか、そういったものと重なった時。
「その日は都合がつかなくて…」と断りの言葉と、それに謝罪と。
教師仲間でも分かっているから、無理に引っ張り出したりはしない。
なんと言っても「明日は我が身」で、次の会議では「自分が言う」かもしれないだけに。
コンサートでなくても、遠い星から旧友が訪ねて来るだとか。
その日を逃せば、次に会えるのは何年先だか分からないとか、そういった「事情」。
(お互い、分かっているもんだから…)
都合がつかない理由の中身が何であろうと、許してしまう。
「仕方ないですね」と、「次の会議は出て下さいよ」と。
(…俺だって、遠くの星から誰か来るなら…)
きっとサボる、と思うけれども、その手のサボリは未経験。
なにしろ根っから真面目な性分、友人たちも承知している。
「あいつを誘うなら、休日でないと」と、「教師」の仕事に就いた時から。
平日に会おうと言うのだったら、遅い時間にしてくれる。
先に始めていたとしたって、「お前はゆっくり来ればいいから」と。
お蔭でサボリの経験は無しで、会議を欠席したことは無い。
ゆえにブルーに会いに行きたくても、明日もやっぱり「出てしまう」だけ。
そんな自分の性分だけれど、今は些か恨めしい。
今日もブルーの家に行けなくて、明日も「行けない」のが確実だから。
どう考えても明日の会議は、早く終わってはくれないから。
(あいつも俺も、お互い会えないままでだな…)
残念な気分になるというのが、既に分かっているのが辛い。
こうなるのならば、今日の放課後、柔道部員に稽古をつけずに帰ったなら、と思っても…。
(それも出来ないのが、俺ってわけで…)
頑張る生徒を「放っておいて帰る」ことなど、とても出来ない。
会議をサボらないのと同じで、これも教師としての信条。
たかがクラブの顧問なのだし、放っておく同僚も多いのだけれど。
「顧問だけれども、素人だから」と、さっさと白旗を掲げて逃げて。
「今日の活動時間は此処まで」と、時間通りに切ってしまって。
運動部でなくても、その手の顧問は少なくない。
芸術などとは無縁だったのに、美術部の顧問をしている者やら、色々と。
(俺の場合は、柔道も水泳もプロ級だしなあ…)
新任教師で入った時から、もう早速に任された。
「ハーレイ先生なら、安心だ」と、学校中から期待されて。
担任さえも持たない内から、ただの新米教師の頃から。
(俺に指導を任せておいたら、大会に出るのも夢じゃない、と来たもんだ)
そして実際、其処まで「引っ張って行った」お蔭で、「その後」も決まった。
何処の学校に赴任しようと、着任前からポストを空けて「待たれている」。
柔道部か、水泳部の「どちらか」に。
場合によっては、「手が空いた時にはお願いします」と、もう一方のコーチ役まで。
顧問をしているのは柔道部なのに、水泳部で教える日があるだとか。
水泳部で「泳ぎ」を教えているのに、柔道部の方にも行くだとか。
(教師をしていて、プロ級の腕も持ってるってのは…)
珍しいケースだと承知している。
だから何処でも引っ張りだこだし、着任早々、柔道部か水泳部の顧問。
前の年の顧問が在籍中でも、「お願いします」と交代になって。
(会議に、クラブ活動に…)
実に多忙だ、と思う教師の仕事。
恋人に会うのも「ままならない」ほど、都合がつかない時だってある。
今日はクラブが長引いて駄目で、明日には会議。
(…俺の性分なんだとはいえ…)
ブルーにゆっくり会いたいもんだ、と思った所で気が付いた。
前の自分は、どうだったろうと。
遠く遥かな時の彼方で、「キャプテン・ハーレイ」だった頃には。
(…あの頃の俺も、今と同じでクソ真面目でだ…)
キャプテンの仕事が多忙な時には、青の間にさえ行けなかったほど。
それこそ夜勤の時間になっても、仕事が終わらなかったなら。
「これさえ済めば」と踏んでいたって、急な仕事が入りもして。
白いシャングリラを纏めるキャプテン、言わば年中無休の仕事。
ミュウの仲間を乗せた箱舟、それを纏めてゆくのだから。
(ブルーを遅くまで待たせているのが、分かっていても…)
次から次へと仕事が入れば、青の間になど行っていられない。
ブリッジで指示を出し続けるだけが仕事ではなくて、他にも色々。
(そいつを端からこなしてたわけで、それでもなんとかなったのは…)
厨房時代に戻りたい、などと思わなかったのは、ブルーのため。
「ハーレイになら、命を預けられるよ」と、前のブルーが言ったから。
ソルジャーだった「前のブルー」を支えるためにと、引き受けた仕事だったから。
(…それに比べりゃ、今の仕事は…)
前よりも遥かに軽い責任、その上、「ブルーのために」働くわけでもない。
将来的には、いつかブルーを「養う」ことになるけれど。
ブルーを伴侶に迎えた時には、自分の稼ぎで食べさせてやって。
(…前と違って、あいつの命は俺に懸かってないんだが…)
俺が仕事をサボった所で、ブルーは困りはしないんだがな、と捻った首。
どちらかと言えば「喜ぶ」だろうかと、「サボって」会いに行ったなら、と。
そう考えてみると、お互い、変わったのだろう。
仕事をサボって会いに行っても、ブルーに「喜ばれる」のなら。
自分の方でも、ブルーに会えて「嬉しい」のなら。
(…前の俺だと、考えられんな…)
今の俺の仕事は、前よりも遥かに「軽い」ものか、と思うけれども、仕事は仕事。
明日はサボらずに、きちんと会議に出なければ。
いくら責任の軽いものでも、仕事には違いないのだから。
ブルーに会えなくて寂しかろうが、いずれブルーを養うのが「今の仕事」だから…。
今の俺の仕事・了
※ブルー君の家に寄り損ねた上、明日も寄れないハーレイ先生。会議のせいで。
これも教師の仕事だから、と思ってはいても残念な気分。けれど仕事も大切ですよねv
(…明日はハーレイが来てくれるんだよね…)
一日、一緒、と小さなブルーが浮かべた笑み。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は金曜、明日は待ち焦がれた土曜日が来る。
ハーレイに用事が出来ない限りは、家を訪ねて来てくれる日が。
(平日だって、来てくれることもあるけれど…)
あくまで放課後、顧問をしている柔道部の部活が終わってから。
それに、こちらも「生徒」なのだし、平日の昼間は学校で授業。
午前中に家にいられはしなくて、訪ねて来てくれる人だっていない。
家にいないと分かっているのに、誰も来てくれる筈がないから。
(…ハーレイが、学校の先生じゃなくても…)
プロのスポーツ選手だったり、自分で店をやったりしているならば、休みは色々。
平日でも休暇を取れたりするし、定休日でなくても休めもする。
けれど、そうして「ハーレイの時間」が空いていたって、こちらは「学校」。
登校していると分かっているなら、けして訪ねて来ることはない。
「今日はブルーは学校だから」と、やはり放課後まで「来ない」のだろう。
「この時間なら家にいるな」と、確実な時間になるまでは。
(…ハーレイが学校の先生で良かった…)
お互い、休みの日が合うから。
ハーレイに用事さえ入らなかったら、週末は二人で過ごすことが出来る。
午前中から、ハーレイが訪ねて来てくれて。
朝食が済んで暫く経ったら、門扉の脇にあるチャイムが鳴って。
(もっと早くに、来てくれたっていいのにね…)
そう思うことも、少なくない。
ハーレイは休日も早起きらしいし、朝食も一緒に食べてくれたらいいのに、と。
早い時間に起きているなら、この家に来るのも苦にはならないことだろう。
家では軽く腹ごしらえして、それから此処まで歩いて来る。
「おはようございます」とチャイムを鳴らしてくれれば、両親だって歓迎なのに。
ハーレイが朝食の席にいたって、父も母も困りはしないのに。
なのに、ハーレイは訪ねては来ない。
「早すぎる時間にお邪魔するのは、失礼ってモンだ」が口癖で。
今では、すっかり家族の一員みたいになっているというのに、頑なに。
母が「どうぞ」と言ったって。
父も「是非に」と誘っていたって、休日の朝に来てはくれない。
朝からハーレイが来てくれたならば、朝食の席も賑やかだろうに。
(ハーレイのお母さんの、マーマレードだって…)
もしもハーレイが一緒だったら、きっと輝いて見えることだろう。
夏ミカンの実で出来たマーマレードは、元から金色をしているけれど。
真夏の太陽をギュッと閉じ込めたみたいに、とても素敵な金色だけれど。
(あの金色が、もっと眩しくて…)
美味しさだって、いつも以上に違いない。
同じテーブルに、ハーレイが座っているだけで。
「こうやって食うのが美味いんだぞ」と、トーストにバターを先に塗り付けているだけで。
夏ミカンの実のマーマレードを、より美味しくするという食べ方。
こんがりキツネ色のトースト、その上に先にバターを乗せる。
トーストの熱でバターが直ぐに溶けてゆくのも、かまわずに。
(バター、すっかり溶けちゃうけれど…)
それが美味しさの秘密の一つ。
すっかり溶けてしまわなくても、ただ柔らかくなるだけのことでも、とにかくバター。
金色のバターをたっぷりと塗って、その上からマーマレードを乗せる。
これまた金色に輝くのを。
夏ミカンの実の皮の金色を、砂糖と蜂蜜でじっくり煮込んで仕上げたのを。
(…ハーレイに教えて貰った食べ方…)
隣町にあるハーレイの家では、そうやって食べるのが定番だという。
「試してみろよ」と言われて食べたら、本当に美味しかった「金色の食べ方」。
教わって以来、お気に入りだけれど、ハーレイがいたら、もっと美味しい。
同じテーブルで、ハーレイもバターを塗り付けていたら。
「次は、こいつだ」と、マーマレードの大きな瓶へと、手を伸ばしたら。
そんな朝食を何度夢見たことだろう。
「明日は土曜日」という日が来る度に。
その土曜日の朝に目覚めて、「ハーレイが来る日」と嬉しい気持ちになる度に。
けれども、夢は叶いはしなくて、明日の朝もハーレイは来てはくれない。
いつもと同じに、ハーレイの家で時間調整。
「まだ早すぎだ」と、ジョギングに出掛けて行くだとか。
庭の手入れを始めるだとか、車を洗うこともあるかもしれない。
雨が降って外には出られないなら、じっくり新聞を隅から隅まで。
それでも時間が余っているなら、ダイニングかリビングで本でも広げて。
(…朝御飯、一緒に食べに来てくれればいいのにな…)
そしたら、もっと楽しいのに…、と思う土曜日。
日曜日だってハーレイは来るし、朝御飯の時から一緒だったなら、と広がる夢。
朝食の席では、二人きりとはいかないけれど。
夕食と同じで両親も一緒、ハーレイと二人で過ごせるわけではないけれど。
(…ハーレイと、二人きりで過ごせるのは…)
午前中のお茶の時間から、夕食の支度が出来たと呼ばれるまでの間だけ。
これはハーレイが「朝食の時から」来てくれても、変わらないだろう。
両親にとっては、ハーレイは「お客様」だから。
家族同然の扱いとはいえ、「一人息子の面倒を見てくれている人」。
「子供のお相手ばかりをさせては、申し訳ない」と思っている両親。
いくら「ソルジャー・ブルー」の生まれ変わりでも、子供は子供。
十四歳にしかならない「一人息子」は、ハーレイの話し相手には向かないだろう、と。
(…本当は、そうじゃないのにね…)
遠く遥かな時の彼方で、恋人同士だったソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
青い地球の上に生まれ変わっても、恋も絆もそのまま続いた。
だから「十四歳のチビ」でも、ハーレイにとっては「大事な恋人」。
キスもくれないケチっぷりでも、それは間違いない事実。
両親が間に入って来るより、二人きりの方が「お似合い」なのに。
恋人同士の二人だったら、ゆっくり二人で過ごしていたいと思うのに。
けれども、そうはいかない現実。
もしも恋人同士と知れたら、両親は警戒するかもしれない。
まだ十四歳の一人息子に、「恋をする」のは早すぎる、と考えて。
今は「ハーレイと二人きり」の時間がたっぷりあるのだけれども、それも無くなって。
(二人きりだと、何をしてるか分からないから、って…)
ハーレイに会うなら、必ず客間で、と言われるだとか。
部屋で二人で過ごすことなど、出来なくなって。
(…そうなっちゃったら、大変だから…)
今のままでも、まだ当分は仕方ないのだろう。
夕食の席では両親も一緒、二人きりの時間は「夕食の支度が出来るまで」。
そんな約束事があっても、ハーレイと一緒に朝御飯を食べることさえ出来なくても。
(だけど、明日には来てくれるから…)
晩御飯の用意が出来るまでは二人、と笑みが零れる。
明日はハーレイと何を話そうかと、どういう風に過ごそうかと。
(キスは絶対、頼まなくちゃね…)
連戦連敗、強請るだけ無駄な「唇へのキス」。
恋人同士のキスが欲しくても、ハーレイは一度もしてくれない。
「俺は子供にキスはしない」と、腕組みをして睨み付けて。
「キスは駄目だと言ったよな?」と、指で額を弾いたりもして。
(ハーレイのケチ…!)
そう叫ぶのも、今ではお決まり。
ケチだと怒って膨れっ面をしてしまうのも、その顔を「フグだ」と言われるのも。
それでもプンスカ怒っていたなら、頬っぺたをペシャンと潰されるのも。
(ぼくの頬っぺた、潰して、ハコフグ…)
そういう酷い名前まで付けてしまったハーレイ。
「フグがハコフグになっちまったぞ」と、さも可笑しそうに笑われる。
いったい何度、あれをやられたことだろう。
懲りない自分も悪いけれども、ハーレイだって酷いと思う。
恋人を捕まえて、フグなんて。
フグだけで済まずに、ハコフグだなんて。
(…キスを強請ったら、フグでハコフグ…)
そんな話になっちゃうんだから、と尖らせた唇。
同じ話なら、もっと素敵なことがいいのに。
恋人同士の甘い雰囲気、それを引き出せる話題でもあれば、と思うけれども…。
(…ぼくが言ったら、チビには早すぎる話だから、って…)
まるで取り合わないハーレイ。
聞いてもくれずに「知らんぷり」だったり、別の話に変えられたり。
(甘い話題は、まるで無いよね…)
あんまりだよ、と膨れたけれども、ものは考えようだろう。
甘い話題が一つも無くても、ハーレイに会う度、アッと言う間に流れ去る時間。
「もう夕食なの?」と、母の声で驚かされる休日。
もっと話していたかったのにと、ハーレイと顔を見合わせて。
(甘い話題が無くっても…)
これといった話題が無かった時でも、いつまでも続けられそうな話。
きっと、それだけで充分なのだ、という気がする。
恋人同士の二人でなければ、話は途切れそうだから。
甘い話題も、何の話題も無かったとしても、途切れないのが恋人同士の会話。
互いの顔を見詰めていたなら、話は幾らでも続いてゆく。
そうでなければ、恋は続きはしないから。
話題を作って話をするなど、恋人同士の二人の間では、有り得ないから…。
話題が無くっても・了
※ハーレイ先生と話をするのに、甘い雰囲気になれる話題があれば、と思ったブルー君。
けれど、そういう話題が無くても、途切れない会話。それだけで充分、恋人同士v
(…明日は、あいつに会えるんだ…)
それも午前中から出掛けて行って、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
金曜日の夜に、いつもの書斎でコーヒー片手に。
明日は土曜日、何の用事も入ってはいない「自由な日」。
そういう時には、午前中からブルーの家へと出掛けてゆく。
平日だと放課後にしか行けないけれども、休日は別。
朝食が済んだら、時間調整。
休日でも早くに目が覚めるだけに、朝食を食べるのは平日と変わらない時間。
食べ終えて直ぐに出掛けて行ったら、いくらなんでも早すぎる。
ブルーは「それでいいよ」と何度も言うのだけれど。
朝早くに来ても「ぼくはちっとも困らないから」と、無邪気な顔で。
ブルーの両親も同じ意見で、「よろしかったら、朝食もご一緒に」とまで誘われる。
週末くらいは、朝食の席に「お客様」を迎えるのも楽しいから、と。
(…そうは言われても…)
やはり気が引けてしまうもの。
朝食の時間にもならない内から、他所の家を訪ねてゆくというのは。
その家の「朝一番の食事」に、他人が同席するというのは。
(前の夜から泊まってたんなら、別だがなあ…)
そうでもないのに「一緒に朝食」は、厚かましすぎるように思えて、固辞してばかり。
何度、ブルーに誘われても。
ブルーの父や母に「どうぞ」と言われても。
(ほどほどの時間に訪ねて行くのが、常識ってモンで…)
目安として決めてある時間。
「このくらいに家に着ければいいか」と、心の中で。
そう決めた時間に到着するよう、休日の朝にする「あれこれ」。
ジョギングに出掛けてゆく時もあれば、庭の手入れをすることも。
雨の日だったら、新聞を隅から隅まで読んで、まだ時間があれば本も読んだり。
明日は、どういうパターンだろうか。
走りに行くのか、庭の手入れか、はたまた車でも洗い始めるのか。
ともあれ、明日はブルーと二人で過ごせる日。
午前中のお茶から一緒で、昼食もブルーの部屋で二人で。
それが済んだら午後のお茶の時間、後は夕食の時間まで二人。
夕食だけは、ブルーの両親も同じテーブルで。
そういう習慣になっているけれど、夕食の後に飲むお茶は…。
(明日は、どっちになるんだろうな?)
ブルーの両親も交えてダイニングで飲むか、あるいはブルーの部屋で二人か。
こればっかりは、明日にならないと分からない。
夕食のメニューが何になるかで決まるから。
(…食後の飲み物に、コーヒーがピッタリだった時には…)
香り高いコーヒーが出て来て、それを飲む場所はダイニング。
つまりは夕食のテーブルでそのまま、ブルーの部屋には「戻らない」。
小さなブルーは、コーヒーがとても苦手だから。
前のブルーも苦手だったけれど、今でも同じに「コーヒーが全く飲めない」ブルー。
けれど、ハーレイはコーヒー党だし、ブルーの両親も知っている「それ」。
お蔭で食後がコーヒーの時は、夕食のテーブルから移動はしない。
コーヒーが苦手なブルーの部屋に移ったならば、飲み物は別の物になる。
ブルーでも飲める紅茶や緑茶に化けてしまって、コーヒーが似合いの食事が台無し。
(それじゃ駄目だ、とコーヒーはダイニングで出るわけで…)
夕食の後の時間も、ブルーの両親と一緒に過ごすことになる。
ブルーは不満そうだけれども、流石に顔に出したりはしない。
「今日は、ハーレイと二人きりじゃないの?」という、心の底からの落胆ぶりは。
(…あいつの両親は、何も知らないわけなんだし…)
ソルジャー・ブルーと、キャプテン・ハーレイの恋のこと。
今のブルーも恋を引き継ぎ、「今のハーレイ」に恋をしていること。
どちらも全く知らないだけに、「二人きりにしてやらねば」とは考えない。
もっとも、ブルーは十四歳にしかならない子供。
「恋人と二人きり」にするなど、両親にはとても出来ないだろう。
何かと心配が多すぎて。
「自分たちの大事な一人息子」が、恋人と部屋で二人きりなんて。
そういった事情の方はともかく、明日は「二人で過ごせる日」。
夕食の時間を迎えるまでは、本当にブルーと二人きり。
たまに、ブルーの母がやっては来るけれど。
昼食を届けに部屋に来るとか、その皿を下げに来るだとか。
「お茶のおかわりは如何ですか?」と、失礼が無いか見に来る時も。
けれども、そういう時間以外は、ブルーと二人で夕食まで過ごす。
天気が良ければ、午後のお茶は庭で楽しんだりもして。
庭で一番大きな木の下、其処に据えられた白いテーブルと椅子。
(今じゃ、すっかり、あいつのお気に入りで…)
ブルーが好きな「初デートの場所」。
元々は、ブルーを喜ばせようと、キャンプ用のテーブルと椅子を持って来たのが始まり。
いつの間にやら、ブルーの父が買った白いテーブルと椅子に変わった。
そうしてブルーと二人で出掛けて、午後のお茶をのんびり飲んでいる場所。
(明日も、いい天気なら庭かもなあ…)
今の季節にしては日差しが強い日だったら、そのまま木の下。
とても穏やかな日だった時には、芝生の上へとテーブルと椅子を運び出して。
それとも、ブルーの部屋で一日過ごすのだろうか。
午前中から訪ねて行ったら、そのまま夕食の時間になるまで。
窓辺に置かれたテーブルと椅子で、一日中、話しているのだろうか。
(はてさて、どっちになるのやら…)
でもって、明日の話題は何だ、と考えてみる。
ブルーのことだし、きっと言い出すのが「ぼくにキスして」。
そうでなければ「キスしてもいいよ?」で、狙っているのは唇へのキス。
(そいつは、断固、お断りだし…)
毎度、お決まりの攻防戦。
「キスは駄目だと言ったがな?」と、「俺は子供にキスはしない」と睨み付けて。
ブルーの方では、「ハーレイのケチ!」と膨れっ面で。
膨れた頬っぺたを両手でペシャンと潰してやるのも、よくあること。
「フグがハコフグになっちまったぞ」と笑いながら。
ブルーはプンスカ怒るけれども、何回となく、からかってやった「ハコフグの顔」。
あれも話題と言うのだろうか、と捻った首。
もっと意義のあることを「話題」と言わないか、と思いもして。
(…前の俺たちの頃の話だったら、立派な話題になるんだが…)
白いシャングリラで生きていた頃や、改造前の船でのこと。
とても平和な今の時代とは、まるで違っていた暮らし。
ミュウというだけで人類に追われて、踏みしめる地面も無かった日々。
シャングリラという名の箱舟だけが、世界の全てで。
(あの時代には、まるで無かった文化なんかも色々あって…)
それだけでも話題は山ほどだが…、と自覚していても、急には何も浮かばない。
明日には、何を話そうかと。
ブルーの家を訪ねて行ったら、何の話から始めようかと。
(……うーむ……)
思い付かんな、と唸った「話題」。
閃く時には、面白いように閃くのに。
「そうだ、コレだ!」と、手土産までも買って出掛ける時があるのに。
白いシャングリラで生きた頃には、「何処にも無かった」食べ物だとか。
あるいは「シャングリラでも食べた」思い出の品で、懐かしい記憶を連れて来るとか。
けれども、今夜は「思い付かない」。
明日はブルーを訪ねてゆくのに、「覚えてるか?」と差し出す何か。
「覚えてるか?」と訊くのでなければ、「こんなの、昔は無かったよな」とか。
そういう「何か」を持って行ったら、二人で話に花が咲くのに。
何も土産を持って行かなくても、「思い出話」が一つあったら、ブルーも懐かしがるのに。
なのに、一つも出て来ない。
「明日は、こいつを話題にしよう」と思う「何か」が。
小さなブルーと、夕食の前まで「その話題だけで」過ごせるものが。
(…こう、改めて考えちまうと…)
出ないモンだな、と零れる溜息。
「明日の話題が何も無いぞ」と、「せっかく一日、一緒なのに」と。
そうは思っても、ものは考えよう。
きっとブルーに会った途端に、「話題が無かった」ことなど忘れてしまうから。
用意していた話題があっても、消し飛ぶことも多いのだから。
ブルーの笑顔を見ただけで。
「今日は、一緒」と、喜ぶ顔を目にしただけで。
後は話は途切れもしなくて、きっと夕食前になったら、互いに残念なのだろう。
「まだまだ話し足りないのに」と、「もう夕食の時間だなんて」と、顔を見合わせて。
話題が無くても、それは幾らでも湧いてくる上、尽きることなど無いだけに。
(うん、きっと明日もそういう一日だよな)
ついでに、あいつがキスを強請って…、と湛える笑み。
そうでなければ、恋は続きはしない。
話題が無くても「話が尽きない」仲でなければ、きっと壊れてしまうだろうから…。
話題が無くても・了
※明日はブルー君の家に行く日、と楽しみにしているハーレイ先生。金曜日の夜に。
ところが思い付かない話題。でも、話題が無くても話が尽きない仲が恋人同士ですよねv
(……ハーレイが、教師じゃなかったら……)
どうなってたのかな、と小さなブルーが、ふと考えたこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかったハーレイ、前の生から愛した恋人。
その人は今は教師をしていて、「今の自分」が通う学校の古典の教師。
(ぼくがハーレイに出会った時から、先生で…)
今も変わらず「先生」だけれど、そのハーレイ。
もしも教師でなかったとしたら、どんな出会いになったのだろう。
ハーレイとも何度も話したけれども、「もしも」の世界。
「ハーレイが教師じゃなかったら」と、今日は一人で考えてみる。
どんな出会いになっていたのか、ハーレイは何をしていたのかと。
(…ハーレイは、先生なんだけど…)
今の学校には、ブルーよりも「遅れて」やって来た。
忘れもしない五月の三日に、新しい「古典の先生」として。
(今の学校だと、ぼくの方がハーレイよりも先輩…)
人生も、学校生活も「後輩」のチビの自分だけれども、「今の学校」に限って言えば先輩。
ハーレイの方が年上でも。
八月二十八日で三十八歳になって、二十四歳も上の大人でも。
(ハーレイは、今の学校に来るのは初めてなんだから…)
それまでに表を車で通るようなことはあっても、足を踏み入れてはいない筈。
ハーレイが育ったのは隣町だし、「この町の学校」は無関係。
試合で遠征したとしたって、他所の学校に行くとなったら、同じ隣町か…。
(うんと離れた遠い学校とかだよね?)
今の自分が通う学校、其処が柔道や水泳で「とても名高い」強豪校なら別だけど。
様々な場所から遠征試合にやって来る生徒、それが多いなら、ハーレイも来る。
(でも、そういうのは知らないし…)
ハーレイからも聞いていないし、学生時代に来てなどはいない。
この町で教師になって初めて、学校の門をくぐっただろう。
転任が決まって、着任して来た「その日」に、きっと。
普通は入学式よりも前に、着任して来るのが教師たち。
新入生がやって来た時、「教師がいない」と話にならないものだから。
直ぐに担任は持たないにしても、授業は早速、担当する。
入学式が済んで、クラス分けやら、一連の行事が終わったら。
「今日から授業」ということになれば、教師の出番。
その学校では先輩格の教師も、ハーレイみたいに「今年からです」という教師たちも。
(だけど、ハーレイは遅かったから…)
入学式が済んだ時にも、今の学校には「いなかった」。
教師としての籍があったか、まだ無かったかは知らないけれど。
(学校便りの五月号に、ハーレイの写真が載っているんだから…)
籍が移ったのも、五月に入ってからかもしれない。
あるいは籍だけ先に移して、前の学校に留まっていたか。
(前の学校で、急な欠員が出て…)
穴を埋められる教師が来るまで、ハーレイは「今の学校」には来ないまま。
前の学校で古典を教え続けて、今の学校では他の教師が「ハーレイの代わり」をしていた。
生徒の方では、事情を知らなかっただけ。
最初の授業に来た先生が「先生なのだ」と、頭から思い込んでいて。
ハーレイの代わりをしていた先生からも、説明は何も無かっただけに。
(…本当の先生は、後から来ます、って話したら…)
きっと授業を真面目に聞かずに、怠ける生徒も出てくるだろう。
「今は代わりの先生だから、後でいいや」と考えて。
新しい先生がやって来るまで、中途半端にしておく勉強。
それではマズイし、生徒のためにもならないこと。
(…だから、代わりの先生です、ってコトは内緒で…)
如何にも本物の先生のように振舞っていたのが、古典の先生。
ハーレイがやって来るまでは。
「古典の先生、変わるらしいぜ」と、情報通のクラスメイトが聞いて来るまでは。
(宿題、沢山出さない先生だといいな、って…)
皆が夢見た「新しい先生」、それがハーレイという人だった。
きっとハーレイも引継ぎのために、五月三日よりも前に来ていただろう。
着任した「その日」に、いきなり授業は始められない。
(詳しいことは聞いてないけど、前の日くらいには来てたよね…?)
けれど「前の日」にハーレイが来たって、もっと早くに来ていたって…。
(入学式の方が先なんだよ)
其処だけは間違いないことだから、「今の学校」については「自分」が先輩。
ハーレイよりも先に門をくぐって、学校の中に馴染んでいた。
校舎も、それにグラウンドも。
体育館やら、ランチに出掛ける食堂なども。
(ぼくの方が、うんと先輩で…)
少なくとも三週間ほどは先輩、ハーレイよりも「詳しかった」学校。
教師としての仕事はともかく、「学校」という場所に関しては。
植わっている木や、学校の中の景色なんかは「ハーレイよりも、よく知っていた」。
今では、負けているけれど。
学校の何処に何があるのか、ハーレイの方が遥かに詳しいのだけれど。
(…自転車で走っていたりもするしね…)
離れた校舎へ急ぐ時には、自転車で颯爽と走るハーレイ。
それを目にして、遠く遥かな時の彼方で見た光景を思い出したほど。
「前のハーレイも乗っていたよ」と、白いシャングリラにあった自転車を。
巨大な白い鯨へと改造された後の船、其処で初期に何度も起こったトラブル。
船の中を結んで走る乗り物、コミューターが止まってしまった時には、自転車の出番。
修理のために急いでゆくゼル、それに現場へ向かうキャプテン。
二人が自転車で走っていた。
備品倉庫の奥にあった自転車を二台、引っ張り出して。
「足で走るより、この方が早い」と、ペダルを踏んで船の通路を。
(…シャングリラほどじゃないけれど…)
今のハーレイは、今の学校にも充分、詳しいことだろう。
ただの生徒の自分よりかは、ずっと遥かに。
生徒は行かない場所についても、何処に行ったら何があるかを。
(…ぼくより後輩なんだけれどね…)
今じゃ立派に「今の学校の人」なんだから、とハーレイを思う。
そのハーレイは教師だけれども、違っていたなら、どんな出会いになったのかと。
(…プロのスポーツ選手って話もあったから…)
そちらの道に進んでいたなら、ハーレイは講演に来たのだろうか。
スポーツをしない生徒にしたって、「人生の先輩」の話を聞く意義はある。
プロのスポーツ選手になるには、早くから決めねばならない目標。
それに努力も欠かせないから、どんな人生にも応用できる「彼らの生き方」。
(この日は講演がありますから、って…)
お知らせのプリントを貰っただろうか、何日も前に。
ハーレイの名前や写真が刷られた、「講演会のお知らせ」なるもの。
(…スポーツ好きな生徒だったら、もうそれだけで大騒ぎで…)
なんとかサインが貰えないかと算段したり、握手の機会を狙ったり。
「憧れのハーレイ選手」なのだし、記念撮影だってしてみたいだろう。
先生が「駄目です」と睨んでいたって、「お願いします!」と頭を下げて。
けれども、同じプリントを見ても、「誰なの?」と首を傾げそうな自分。
新聞を読んでも、スポーツ面など殆ど見ない。
それでは「ハーレイ」を知るわけがないし、猫に小判と言ってもいい。
「キャプテン・ハーレイに似ているよね」と思うだけだし、まるで無い値打ち。
学校の方では、とても頑張って話をつけて来たのだろうに。
毎日が多忙なプロの選手を呼んで来るために。
「子供たちのために講演をお願いします」と、ハーレイに頼み込んだりもして。
(…そうやって呼んで来るんだから…)
ハーレイは「今のハーレイ」と同じに、学校については「後輩」になる。
「この学校には初めて来るな」と門をくぐって、教室に来るのか、演壇に立つか。
其処で「再会する」わけなのだし、きっと聖痕が現れる。
「ハーレイなんだ」と思い出すけれど、その「ハーレイ」はどうなるのだろう。
同じに記憶が戻っても。
「あれはブルーだ」と思い出しても、慌てて駆け寄って来てくれても。
(……ハーレイは、プロのスポーツ選手で……)
講演のためにと招かれた立場で、教師ではない。
いくら記憶が戻って来たって、「私が付き添います」とは言えない。
救急車が呼ばれて、救急隊員が駆け込んで来ても。
血まみれになった「恋人」が、担架に乗せられても。
(…ハーレイは残って、講演を続けるのが仕事…)
そして付き添いに来てくれるのは、担任の先生か、はたまた別の先生か。
ハーレイは「学校」で講演を続けて、それが済んだら…。
(トレーニングがありますから、って帰っちゃうとか…)
本人がそう言い出さなくても、先生たちが気を回しそうではある。
「お忙しいでしょうから、早くお帰り下さい」と、迎えの車を呼んだりもして。
ハーレイが「さっき運ばれて行った生徒は、大丈夫ですか?」と何度も尋ねていても。
(……うーん……)
出会いからして駄目みたい、と大きな溜息が零れてしまう。
「ハーレイが教師じゃなかったら、色々、狂っちゃうよ」と。
だから、教師でいいのだと思う。
出会いも、これから生きてゆく道も、「教師と生徒」の間柄で。
今は「ハーレイ先生」だけれど、いつか「ハーレイ」と呼べる時が来るから。
敬語で話さなければいけない立場も、卒業したら終わるのだから…。
教師じゃなかったら・了
※もしもハーレイが教師じゃなかったら、と考えたブルー君ですけれど…。
プロのスポーツ選手だった時は、出会いからして違って来そう。教師が一番みたいですねv