忍者ブログ

カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(……んーと……)
 昼間は暑かったんだけれどね、とブルーが眺めた窓の方。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 小春日和と呼ぶには、少し暑すぎた今日。
 学校でも、そう思ったけれども、帰り道でもそう感じた。
 バス停から家まで歩く途中に、「今日はちょっぴり暑いよね」と。
 夏の暑さには及ばなくても、暑い気がする時はあるもの。
 制服はとっくに半袖ではなくて、しかも上着まで着ているだけに。
(お日様の光も、眩しくて…)
 今の季節にしては珍しく、日陰を選んで家まで歩いた。
 道沿いの家の庭木が落とす木陰を、「次は、あの木」と辿りながら。
(家に帰って、冷たい飲み物…)
 玄関を入るなり、母に向かって注文したほど。
 「暑かったから、何か冷たいものをちょうだい」と、「ただいま」の後に。
 制服を脱いで、おやつの時には、それを用意して貰えるように。
(…流石に、氷は入ってなくて…)
 キンと冷えてはいなかったけれど、母が出してくれた冷たいジュース。
 家で搾ったばかりのオレンジ、絶妙だった甘さと酸味のバランス。
 身体の熱気が引いてゆくのが、直ぐに分かった。
 「美味しいよね」と、一口飲む度、オレンジジュースが、こもった熱を奪ってくれて。
 酸っぱさが元気を運んでくれて。
(うんと元気になれたから…)
 これでハーレイが来てくれたなら、と欲張ったけれど。
 仕事の帰りに寄ってくれたら最高なのに、と夢を見たけれど、駄目だった。
 柔道部の部活が長引いたのか、何か会議でもあったのか。
 門扉の脇のチャイムは鳴らずに、時が流れて行ってしまった。
 もうハーレイは来ない時刻が訪れるまで。
 壁の時計の短い針が、「もう遅すぎる」という数字の所を指し示すまで。


 そんな具合に「今日」は終わって、後は寝るだけ。
 お風呂にも入ってしまったわけだし、湯冷めして風邪を引かない内に。
 けれども、昼間は暑かった。
 夜は暑くはないだろうけれど、もしかしたら寒くもないのだろうか。
 朝晩は冷える季節と言っても、夏の夜ほどに暑くなくても。
(…外の空気は、暖かいとか…?)
 どうなんだろう、と眺める窓はカーテンの向こう。
 日が暮れて、「もうハーレイは来ない」と分かった時刻に、閉めたカーテン。
 開けていたって、来て欲しい人は、もう来ないから。
 窓の向こうに手を振りたくても、姿が見えることはないから。
(…帰ってから、窓は開けたけれども…)
 それは部屋の中が暑かったせい。
 帰り道に「暑い」と感じた熱気が、部屋の中にも籠もっていて。
(ママが開けてはくれたんだろうけど…)
 買い物に出かける時に閉めて行って、それきりになっていたのだろう。
 「ブルーも、じきに帰って来るわ」と考えて。
 だから、自分で開け放った窓。
 「涼しくしなきゃ」と、まだ制服を脱がない内に。
 それから着替えて、階段を下りて、ダイニングでおやつ。
 冷たいオレンジジュースのお蔭で、すっきりと冷えたものだから…。
(もういいよね、って…)
 部屋に戻るなり、閉めてしまった窓。
 その後は、もう開けてはいない。
(…昼間の暑さって、残ってるかな…?)
 日が沈んでから経った時間が長いし、冷えただろうか。
 それとも暑さの名残を留めて、パジャマでも寒くないのだろうか。
(…どっちなんだろ…?)
 気になるよね、と思い始めたら、ますます窓の向こうが気になる。
 ガラスを一枚隔てた外は、パジャマ姿でも平気なくらいに暖かいのか。
 あるいは「寒い!」と首を竦めて、窓をピシャリと閉めるくらいに寒いのか。


 どっちなのかな、と掻き立てられる好奇心。
 外は寒いか、暖かいのか。
(…寒かったら、風邪を引くかもだけど…)
 ほんのちょっぴり開けるだけなら、風邪を引くことはないだろう。
 いくら生まれつき弱い身体でも、そこまで弱く出来てはいない。
 一瞬、冷気に触れた程度で、とんでもない風邪を引くほどには。
 明日の朝には寝込んでしまって、学校を休むくらいには。
(…せいぜい、クシャミで…)
 クシャンと一回、そんな程度で済むのだと思う。
 雪の季節とは違うから。
 「寒いのかな?」と開けた窓から、白くて冷たい欠片が入って来はしないから。
(冬だと、風邪を引いちゃうことも…)
 ありそうだけれど、ただのクシャミで済む季節ならば、確かめてみたい。
 昼間の暑さは何処へ行ったか、今も残っているものなのか。
 すっかりと消えて涼しくなって、「寒い!」と思うほどなのか。
(…ちょっとだけ、開けるくらいなら…)
 大丈夫だよ、とベッドの端から立ち上がった。
 窓の側まで歩いて行って、カーテンをそっと引いてみる。
 窓をちょっぴり開けてみるのに、必要だろうと思う分だけ。
(…外は真っ暗…)
 庭園灯などの明かりはあっても、この時間には散歩の人だっていない。
 家に帰ってゆく人の車、それも滅多に通りはしない。
 それほど遅い時刻でなくても、家路を急ぐには遅すぎる時間。
 何処の家でも、夕食はとうに済んだだろう。
(…ハーレイだって、他の先生と食事に行ったりしていないなら…)
 家に帰って食事を済ませて、この時間には書斎だろうか。
 いつも飲むと聞くコーヒーを淹れて、それをお供に本でも読んで。
(ハーレイの家は、此処から見えないけれど…)
 それを見るんじゃないものね、と触れた窓枠。
 「外の温度を確かめるだけ」と、「外は暑いか、寒いか、どっち?」と。


 そうして細めに開けてみた窓。
 途端に冷たい風が吹き込み、レースのカーテンがフワリと揺れた。
(寒い…!)
 外はちっとも暑くないよ、と慌てて窓をピシャリと閉めた。
 「昼間は、あんなに暑かったのに」と驚きながら。
 冷たいジュースが欲しかったほどの、暑さは何処に行ったのだろうと。
(…これが当たり前なんだろうけど…)
 今の季節なら、こうだよね、と分かってはいても、真ん丸な瞳。
 「ビックリした…」と、カーテンを引いて。
 閉めてしまった窓に背を向け、ベッドの方へと戻りながら。
(…直ぐに閉めたから、風邪を引いたりはしないだろうけど…)
 それに部屋の中は暖かいし、とベッドの端に腰掛ける。
 窓を開けようと出掛ける前に、自分が座っていた場所に。
(暖房は入れていないのに…)
 中と外とで、全然違う、と見詰めるカーテン。
 それの向こうの窓を開けたら、たちまち冷えてしまうだろう部屋。
 開けっ放しにしておいたら。
 直ぐに閉めずに、あのまま放っておいたなら。
(部屋中、寒くなっちゃって…)
 風邪を引くよね、と竦める首。
 きっと半時間もしない間に、クシャミを連発し始めて。
 急いでベッドにもぐり込んでも、そのベッドまでが冷え切っていて。
(……窓って、大切……)
 ガラスが一枚あるだけなのに、と考える。
 今日、学校から帰った時には、「暑い」と感じてしまった部屋。
 こもった熱気を外に出すために、窓を大きく開け放った。
 それで涼しくなってくれたし、冷房までは入れずに済んだ。
 その「同じ窓」が、今は冷気を遮断している。
 「外は暑いのかな?」と、開けて確かめたくなるほどに。
 まさか寒いとは思いもしないで、細めに開けてしまったほどに。


(…特別な窓じゃないんだけどな…)
 何処の家にもある窓だよね、とカーテンを見ていて気が付いた。
 その「窓」さえも無かった世界を「知っていた」ことに。
 窓を細めに開けることさえ、叶わない世界を「見ていた」ことに。
(…シャングリラにあった窓とかは…)
 どれも「外」には繋がってない、と思い出す。
 青の間には窓は無かったけれども、居住区の部屋にはあった窓。
(個室の窓からは、公園が見えて…)
 皆が眺めを楽しんだけれど、その公園は「船の中」のもの。
 個室の窓を開けてみたって、入って来る空気は外の世界のものではない。
 船の中だけを巡る空気で、何処にも繋がってはいない。
(…船の外が見える窓は、殆ど無くって…)
 そういった窓の向こうに見えていたのは、真空の宇宙や、アルテメシアの雲海など。
 そんな窓では、開けられはしない。
 開けようものなら、真空の宇宙に吸い出されて死ぬか、激しい気流に連れてゆかれるか。
(…開けようと思う人なんか…)
 誰もいないし、開けられるように出来てもいなかった。
 万一、事故が起こったりしたら、船も無事では済まないだけに。
(隔壁の閉鎖が間に合わないと、開いちゃった窓から船が壊れてしまうことも…)
 まるで無いとは言い切れないから、どの窓も全て、強化ガラスで出来ていた。
 「開けられないような」窓は、一つ残らず。
 船の仲間たちを守るためにと、ある程度までの衝撃にだって耐えられるように。
(…あれに比べたら、ぼくの部屋の窓…)
 なんて頼りないことだろう。
 強化ガラスは嵌まっていないし、割れる時には呆気なく割れる「ただの窓」。
 けれど、なんとも頼もしい。
 部屋の外と中をきちんと隔てて、空気を入れ替えることだって出来て。


(ただの窓だけど、ホントに凄い…)
 特別だよ、と浮かんだ笑み。
 強化ガラスが嵌まったような窓でなくても、頼もしい窓。
 おまけに外の世界に繋がり、開けたり閉めたり、自分の好きに出来る窓。
(前のぼくには、夢みたいな窓…)
 それが今では部屋にあるよ、と嬉しくなる。
 青の間には窓が無かったけれども、今の自分は「特別な窓」を持っているから。
 ただの窓でも、窓の向こうは宇宙などではないのだから…。

 

          ただの窓だけど・了


※ブルー君が細めに開けてみた窓。もう夜なのに、外は暑いか、確かめようと。
 驚くくらいに寒かった外。強化ガラスの窓でもないのに、部屋の窓は頼もしいのですv









拍手[0回]

PR

(……はて……?)
 どうだったかな、とハーレイが首を捻ったこと。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
 愛用のマグカップにたっぷりと淹れた熱いコーヒー、それを傾けたのだけれども…。
(今日は、けっこう暑かったから…)
 今の季節には珍しい暑さ、小春日和と呼ぶには高すぎた気温。
 ただし、昼だけ。
 朝の気温は普通だったし、帰宅した時も、とうに涼しくなっていた。
 ところが、昼間は留守なのが「家」。
 出掛ける時には鍵をかけてゆくし、もちろん窓も閉めてゆく。
 今の時代は「泥棒」などはいなくても。
 「空き巣」もとうの昔に死語でも、そうしてゆくのが社会の習慣。
 留守にするなら、玄関も窓も、きちんと閉めて出掛けるのが。
 仕事に行く前に閉めた窓。
 朝一番に開けて、外の空気と入れ替えていた「それ」。
 寝室で、ベッドから下りるなり。
 カーテンを開けて、「予報通りに、いい天気だな」と外を眺めながら。
 その窓を「部屋を出る前に」閉めて、それから朝食を食べて出勤。
 留守の間に、「今日は暑いから」と、窓を開ける人は「いなかった」。
 これが隣町の両親の家なら、父か母かが開けただろうに。
 「熱気がこもってしまうから」と、涼しくなって来た頃合いに。
 けれど、此処にはいない両親。
 一人暮らしをしているのだから、窓を開けてくれるような人などいない。
(お蔭で、暑さが残ったままで…)
 扉を開けたら「少し暑いな」と感じる寝室、それが自分を待っていた。
 いくら涼しくなったとはいえ、放っておいたら、当分は冷えてくれそうもない。
 そう思ったから、開け放った窓。
 たちまち涼しい風が入って、カーテンもフワリと揺れていた。
 「これでいいな」と大きく頷き、スーツを脱いで着替えたけれど…。


 その後のことを覚えていない。
 開け放った窓を閉めて来たのか、それとも開けたままなのか。
(いつもだったら、空気がきちんと入れ替わったら…)
 元の通りに閉める窓。
 昼間と違って、夜は冷え込む季節なだけに。
(これが夏なら、放っておいてもいいんだが…)
 今の季節は、それだとマズイ。
 部屋の空気を冷やすだけでなく、「何もかも冷えてしまう」から。
 ベッドを覆うシーツや上掛け、そうしたものまで冷気を纏う。
(そうなっちまうと、冷やし過ぎで…)
 不快な思いをするのは自分。
 柔道と水泳で鍛えた身体は、「ベッドが冷たい」程度では風邪を引かないけれど。
 部屋が冷え過ぎでも、頑丈な身体は平気だけれども、「冷たい」のは分かる。
 本当だったら、ベッドに入った途端に「ホッとする」筈の寝具などが。
 シーツも、枕も、上掛けも、すっかり冷えているのが。
(…俺の体温で温まるまでは、冷たい中にいるしかなくて…)
 あまり愉快なものではないし、「閉め忘れ」は御免蒙りたい。
 もしも「忘れている」のだったら、直ぐに閉めれば、これ以上冷えるのは防げる窓。
 既に冷え過ぎになっているなら、閉めたついでに、軽く暖房を入れたりもして。
(確かめに行って来るべきだろうな)
 無精せずに、と椅子から立った。
 サイオンを使えば、書斎からでも「見える」のだけれど。
 天井や壁を透かした向こうが、手に取るように分かりはする。
(しかしだな…)
 身体は動かすものなんだ、と思ってもいるし、此処は「行くべき」。
 人間が全てミュウになった今は、「サイオンを日常に使わない」のがマナーでもある。
 もっとも、「自分の家の中」では、その限りではないけれど。
 ここぞとばかりに便利に使って、こうして「閉め忘れか?」と気付いた時も…。
(一歩も動きもせずに探って、開いていたなら、サイオンでヒョイと…)
 閉める人間も少なくないのが、「誰もがミュウ」の時代だけれど。


 そうではあっても、「自分」はそういうタイプではない。
 「どうなっている?」とサイオンで探るよりかは、自分の足で確かめにゆく。
 見に行った窓が開いていたなら、窓辺まで行って、手で閉めもする。
 「開いてたか…」とドアだけ開けて覗いて、サイオンでピシャリと閉めたりはせずに。
 それが出来るだけのサイオンだったら、充分に持っているのだけれど。
(人間、無精をしちゃ駄目だってな)
 少なくとも、スポーツをやってるような人間は…、と書斎から出て、向かった二階。
 階段を上って、寝室のドアを開けたら、ひやりとした空気。
 頬にも風が触れて来たから、揺れるカーテンを見る前に分かった。
 「やっちまったな」と、「窓を閉め忘れた」ことが。
(……やっぱりなあ……)
 閉めた覚えが無いと思った、と部屋に入って、きちんと閉めた、開いていた窓。
 カーテンも引いて、「失敗したな」と見回す部屋。
(少しばかり、冷え過ぎちまったか?)
 どんな具合だ、とベッドに触れたけれども、よく分からない。
 部屋中に冷気が満ちているから、ベッドが「とても冷たい」か、どうか。
(…温度計ってヤツも、アテにはならんし…)
 あくまで体感気温が大事だ、と戻った窓辺。
 カーテンの向こうのガラスに触れて、その冷たさを確かめる。
 指で触って、どのくらいの冷気を帯びているのか。
 これが冬なら、「温かい指」でガラスが曇りもするものだから。
(今の季節は、そこまで行かんが…)
 どんなもんかな、と触れたガラスは、さほど冷たく感じなかった。
 この程度ならば、こうして窓さえ閉めておいたら…。
(俺がベッドに入る頃には、部屋の空気も…)
 暖かくなっていることだろう。
 閉めた窓から、冷気は入って来ないから。
 冷たい空気が遮断されたら、もうそれ以上は冷えないもの。
 窓は「そのために」ついているもので、開けたり閉めたりするためのもの。
 「今日は暑いな」と開け放ったり、「冷え過ぎちまった」と、逆に閉めたりと。


(…思い出しただけでも、マシだったよな)
 忘れたままだと、部屋に帰ってビックリだぞ、と戻った書斎。
 さっきの椅子にまた腰掛けて、コーヒーのカップを傾ける。
 「こいつは、少しも冷めちゃいないな」と、「少しの間だったしな?」などと。
 ほんの少しだけ、離れた書斎。
 廊下を歩いて、階段を上って、寝室の窓を閉めて来るために。
 きっと五分もかかっていないし、コーヒーが冷めるわけもない。
 「たった、それだけ」の手間を惜しんで、サイオンを使う人間も少なくないけれど。
 どうせ自分の家なのだからと、「サイオンの目で見て」、開いていたならサイオンで閉めて。
(…それよりは、自分で出掛けた方が…)
 運動にもなるし、ちょっとした気分転換にもなる。
 こうして書斎で寛ぐ時間も、充分に気分転換だけれど、それとは別に。
(開いちまってるぞ、と呆れ返るのも、部屋がすっかり冷えちまってるのも…)
 此処にいたんじゃ味わえない気分というヤツで…、と傾けるカップ。
 サイオンで探って「全て終えたら」、まるで分からない「その感覚」。
 寝室のドアを開けて入るなり、感じ取る「窓が開いている」気配。
(…自分の目で見て、身体ってヤツで味わって…)
 そういうのがいいと思うんだが…、と考えたはずみに気が付いた。
 さっき自分が閉めて来た窓、それはどういう「窓」だったか。
 「忘れていたか」と閉めたけれども、何も思いはしなかったけれど…。
(……あの窓は、空気を入れるための窓で……)
 逆に空気を出したりもするし、要するに空気を入れ替える窓。
 窓は「そのためにある」のだけれども、そうではなかった時代があった。
 遠く遥かな時の彼方で、白いシャングリラで暮らした頃に。
(あの船に窓は、基本的には無かったんだが…)
 個人の個室にあった窓などは、「外」と向き合ってはいなかった。
 居住区に鏤められた公園、そちらに向いていただけで。
 窓の向こうに緑が見えても、「本物の外」とは、まるで違って。
 開けて空気を入れ替えようにも、同じ船の中の空気が入って来るだけで。


 そしてシャングリラの、数少ない窓。
 本当に「外」に向いていた窓は、一つ残らず…。
(…強化ガラスで出来ていたヤツで、開けることは出来なかったんだ…)
 宇宙を航行している時には、窓の向こうは真空の宇宙。
 アルテメシアの雲海の中でも、強化ガラスの向こう側には、強い気流と雲の海だけ。
(…前の俺が生きた時代を思えば…)
 さっきの窓は「夢の窓」だな、と閉めて来た窓を思い出す。
 「ただの窓だが、強化ガラスで出来ちゃいない」と、「外の空気を入れられるんだ」と。
 開ければ空気が入れ替わる窓は、今では当たり前だけれども、最高の窓。
 前の自分は、「そういう窓」がある所では生きていなかったから。
 ただの窓さえ無かった世界で、前のブルーと生きたのだから…。

 

            ただの窓だが・了


※ハーレイ先生が閉め忘れていた窓。「忘れていたな」と閉めに行ったんですけれど…。
 外の空気を入れられる窓が無かった船がシャングリラ。今の時代は、ただの窓ですけどねv









拍手[0回]

(…ちゃんと、しっかり乾かしたから…)
 寝癖はつかないと思うんだけど、と小さなブルーが触った髪。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は来てくれなかったハーレイ。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 ハーレイは、とても優しいけれども、問題が一つ。
(ぼくのこと、子供扱いで…)
 どう頑張っても、貰えないのが唇へのキス。
 「ぼくにキスして」と頼み込もうが、「キスしてもいいよ?」と誘惑しようが。
 お決まりの台詞は、「俺は子供にキスはしない」で、もう本当に子供扱い。
 それに怒って膨れた途端に、「おっ、フグか?」と言われる始末。
 頬っぺたをプウッと膨らませた顔、それを海にいるフグに見立てて。
 真ん丸く膨れ上がるフグの姿に、恋人の顔を重ねてしまって。
(おまけに、フグの次にはハコフグ…)
 ハーレイの大きな両手でペシャンと、潰されてしまう「膨れた頬っぺた」。
 そうなった時の顔を指しているのが、「ハコフグ」という渾名。
 フグと同じで海に住んでいる、独特の姿をしたハコフグ。
 そのハコフグに「そっくり」だからと、恋人のことをハコフグ呼ばわり。
(…ホントのホントに、酷いんだから…!)
 あんまりだよね、と零れる溜息。
 今日はハーレイは来なかったけれど、来てくれた時も、子供扱いは変わりはしない。
 前の「自分」と同じ背丈に育つまでの間は、その扱いが続いてゆく。
 「キスは駄目だ」と断られて。
 眉間に皺まで深く刻んで、「俺は子供にキスはしない」と。


 そういう「酷い恋人」だから、髪に寝癖がついていたなら…。
(大笑いして、とんでもない目に遭わせるんだよ!)
 実際、やられたことがある。
 …あれは、寝癖ではなかったけれど。
 母がいない時に、自分で寝癖を直そうとしていて、失敗をした結果だけれど。
(…髪の毛、ペシャンコ…)
 髪に寝癖がついた時には、母が蒸しタオルで直してくれる。
 丁度いい具合の温度のタオルを、「このくらいかしら」と時間を考え、頭に乗せて。
 それを頼もうと思った休日の朝に、母は出掛けてしまっていて…。
(行先は、ご近所だったけど…)
 きっと知り合いの誰かに会って、話が弾んでいたのだろう。
 いつまで待っても戻らない上、休日だから、その内にハーレイが訪ねて来る。
 寝癖のついた髪を見たなら、笑われるのに決まっているから…。
(なんとかして直さなくっちゃ、って…)
 見よう見真似で、キッチンで作った蒸しタオル。
 それを自分の頭に乗っけて、頃合いを見て「外す」つもりでいたというのに、大失敗。
 父が見ていた新聞の記事に、つい釣られて。
 横から夢中で読んでいる内に、父が「時間が経ちすぎてないか?」と指差したタオル。
 慌てて頭から外したけれども、とうに手遅れ。
(…寝癖がついてた髪の毛ごと…)
 頭の天辺の髪の毛は全部、ペシャンコになってしまっていた。
 「ソルジャー・ブルー風」の髪型、それの大部分が台無しになって。
 平らになった頭の天辺、直そうとしても、もう直らなくて…。
(…ママが帰って来ない間に、ハーレイ、来ちゃって…)
 大笑いされて、挙句にオールバックにされた。
 「俺でも寝癖は直せるんだぞ」と、ハーレイが自分の指に絡ませたサイオンで。
 「前のお前は、サイオンで寝癖を直していたもんだが」と、昔話を聞かせながら。
 何度か指で梳かれた後には、「キャプテン・ハーレイ風」の髪型。
 銀色の髪を、すっかりペタリと撫で付けられて。
 まるでハーレイの髪型みたいに、それはとんでもないスタイルにされて。


(…また、あんな風にされるんだから…!)
 髪に寝癖がついていたなら、と膨らませた頬。
 「ハーレイは酷い」と、「ホントに、ぼくを子供扱いするんだから」と。
 そうならないよう、寝癖には気を付けている。
 少なくとも、髪が湿ったままでは、ベッドに入らないように。
(ほんのちょっぴりでも、湿っていたら…)
 次の日の朝、目覚めた時には、髪に寝癖がついているもの。
 湿り気を帯びている髪で寝たら、プレスするようなものだから。
(…前のぼくなら、湿り気だって…)
 サイオンで瞬時に乾かしていた。
 指で梳かなくても、「乾かしたい」と考えただけで、サッと乾いてくれた。
 けれど今では、それは出来ない。
 とことん不器用になったサイオン、それは言うことを聞いてくれない。
(…聞いてくれるどころか、ぼくの中でグッスリ眠ってて…)
 目覚める気配さえも無いから、使いこなすなどは、夢のまた夢。
 だから「自分で」気を付けて、予防するしかない。
 銀色の髪に、変な寝癖がつかないようにしたければ。
 またハーレイに笑われないよう、「きちんとした髪」でいたければ。
(一事が万事で、油断大敵…)
 日頃から気を付けていないと、肝心の時に失敗をする。
 学校がある日は、母が蒸しタオルで直してくれるし、大丈夫だけれど…。
(…お休みの日だと、またママが…)
 朝から出掛けて留守だったりして、寝癖直しを頼めない日があるかもしれない。
 悲劇を繰り返したくないと言うなら、普段の心掛けが大切。
(寝る前には、ちゃんと乾かして…)
 それからベッドに入ること。
 次の日が、休日でない時も。
 明日と同じで、目覚まし時計の音で起きたら、学校に行く前の夜だって。


 用心しなくちゃ、と撫でてみる髪。
 まだ湿り気が残っていないか、指で梳いてみて。
 変な寝癖がつかない程度に、クシャリとかき回してみたりもして。
(うん、大丈夫!)
 これならいいや、と両手の指で確かめてみて、大満足。
 明日の朝には、寝癖なんかは、ついていないに違いない。
 夜の間に、ヘンテコなことをしなければ。
 上掛けと枕の間でギュウギュウ、変な具合に自分でプレスしなければ。
(…一本や二本なら、はねちゃってても…)
 きっと見た目に分かりはしない。
 銀色の髪は光に透けて、一本だけなら見えにくいもの。
 枕の上に落ちていたって、光を弾いてくれない限りは、存在に気付かない時もあるほど。
 手に触れてやっと、「あれ?」と拾い上げる朝も、よくあるから。
(抜けちゃった髪の毛は、ゴミなんだけど…)
 ベッドから下りても、気付かないままの日だってある。
 着替えを済ませて、ベッドを整えようという時にようやく、拾ってゴミ箱に捨てる日も。
(…分かりにくいもんね?)
 だけど、ゴミには違いないから…、と思った所で気が付いた。
 遠く遥かな時の彼方で、その「ゴミ」を探していた前のハーレイ。
 「前の自分」がいなくなった後に、ただ一人きりで、青の間に行って。
 髪の毛の一筋だけでもいいからと、「形見の品」を探し求めて。
(…ハーレイは、それが欲しかったのに…)
 前の自分が残した髪の毛、銀色の糸を探していたのに、一本も見付からなかったという。
 何も知らない部屋付きの係が、すっかり掃除をしてしまって。
 綺麗好きだった「ソルジャー・ブルー」が戻って来たなら、直ぐに休めるようにと。
(…前のぼくの髪の毛、掃除係さえ来なかったなら…)
 きっと一本や二本くらいは、青の間に落ちていたのだろう。
 メギドに飛ぶ前、掃除などはしていないから。
 「これで最後だ」と見回しただけで、背中を向けて去った青の間。
 もう戻っては来ないのだから、「掃除しよう」とは、考えさえもしていなくて。


 けれど、前のハーレイは「拾い損ねた」。
 あの部屋に落ちていただろう髪を、係が「ゴミだ」と掃除したから。
 端から綺麗に拾い集めて、ゴミ箱に捨てて、そのゴミ箱さえ空にしたから。
(……ごめんね、ハーレイ……)
 ホントにごめん、と時の彼方のハーレイに謝る。
 今のハーレイにも謝ったけれど、思い出したからには、前のハーレイにも、改めて。
(…ぼくの髪の毛、ゴミになっちゃって…)
 前のハーレイの手には、一筋も残りはしなかった。
 ハーレイにとっては、前の自分の髪の毛は「ゴミではなかった」のに。
 何にも代え難い「大切な形見」で、一本だけでも、大きな意味があったのに。
(…前のぼく、髪の毛、残してあげられなかったから…)
 寝癖をオモチャにされてもいいかな、と考えもする。
 前のハーレイが「手に入れ損ねた」銀色の髪を、指で好きなだけ触りたいなら。
 サイオンを絡めた指で梳いては、オールバックにしたりもして。
(…笑われちゃうのは、癪なんだけど…)
 子供扱いも嫌だけれども、たまには寝癖のついた頭で、顔を合わせるのもいいかもしれない。
 今は「ゴミ箱に捨てる」髪の毛、本当に今では「ゴミ」でしかない、銀色の髪。
 それが「ゴミではなかった」人を、今の自分は知っているから。
 前のハーレイの深い悲しみ、それを少しでも癒せるのなら。
(ぼくの髪の毛、オモチャにしても…)
 許そうかな、と今夜は思う。
 抜けたらゴミでしかない銀色の髪を、前のハーレイは手に入れ損ねたままだったから…。

 

          ぼくの髪の毛・了


※寝癖は嫌だ、と考えているブルー君。前にハーレイに「髪をオモチャにされた」せいで。
 けれど、その髪を手に入れられなかったのが、前のハーレイ。たまには寝癖もいいかもですv









拍手[0回]

(……ふうむ……)
 どうやら伸びて来ちまったな、とハーレイが手をやった髪。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎の机の前で。
(…切りに行くには、まだ早いんだが…)
 近い内には行かないと、と髪を撫でてみて確かめた感触。
 「そろそろだよな」と、頭の中で段取りしながら。
 切りに行くなら、いつがいいかと考えもして。
(だが、その前にだ…)
 愛用のマグカップにたっぷりと淹れた熱いコーヒー、それを一口。
 せっかく淹れ立てを持って来た以上は、熱い間に味わいたい。
 考え事を始めたならば、冷めてしまうのが常だから。
(この一杯が美味いんだ)
 一日を締めくくるには、もってこいの味。
 寝酒などより、コーヒーの方が、自分の好み。
 飲んで眠れなくなることもないから、いつもの習慣。
 ゆっくりとカップを傾けながら、さっきの続きに思考を向ける。
 少しばかり伸びて来ている髪を、どうするか。
(…急ぎやしないが、心づもりはしておかんとな…)
 でないと、あいつが膨れちまう、と思い浮かべるブルーの顔。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 恋人には違いないのだけれども、今のブルーは、十四歳にしかならない子供なだけに…。
(俺が行けない日ばかり続くと、膨れちまうんだ)
 仕方がないとは分かっていても、不満が顔に出るブルー。
 「ハーレイが来てくれなかったよ」と、プンスカと頬っぺたを膨らませて。
 桜色をした愛らしい唇、それだって尖らせてしまって。
(そうなっちまうと、可哀相だし…)
 髪を切りに行くなら、元から「用事のある日」がいい。
 長引きそうな会議の日だとか、そういった時。
 仕事帰りに、ブルーの家には出掛けられない、「遅くなる日」が。


 幸いなことに、行きつけの理髪店の方は、遅い時間まで開いている。
 店主が一人でやっている店で、予約が必要なほどでもない。
(先客がいても、少し待ったら…)
 じきに自分の番が来るから、今の内から心づもりをしておいたなら…。
(この日に行こう、と思う日がだな…)
 その内に出来ることだろう。
 「此処だな」と予定を入れられる日。
 どうせブルーの家には行けない、と理髪店へと向かう日が。
(はてさて、いつになるのやら…)
 一週間先か、二週間先か。
 急ぎはしないし、いつだっていい。
 「キャプテン・ハーレイ風」のヘアスタイルは、そうそう崩れはしないから。
 少しばかり長めになったとしたって、誰も気付きはしないもの。
 きちんとオールバックに撫で付け、乱れないよう整えておけば。
 襟足が普段より伸びていようが、見た目だけで直ぐに分かりはしない。
(しかし、俺には分かるんだよなあ…)
 伸びてしまっていることが。
 「こいつは駄目だ」と、鏡に向かって「伸びすぎた髪」を引っ張ったりも。
 そうなる前に、行くべき所が理髪店。
 其処の店主には、実は「秘密」があるのだけれど。
(…キャプテン・ハーレイの、熱烈なファンと来たもんだ…)
 長年、知らなかったけれども、小さなブルーと再会した後、偶然、知った。
 ある日、店主が髪を切りながら始めた、いわゆる世間話の中で。
 「お仕事の方は順調ですか?」と訊くような具合に、きっと、何の気なしに。
(…俺が初めて、あの店に入った時にだな…)
 一目で心が躍ったらしい、その店主。
 「若きキャプテン・ハーレイ」が、自分の店に入って来たものだから。
 顔立ちも体格も、そっくりそのまま、「若き日のキャプテン・ハーレイ」な男。
 そういう客がやって来ただけに、とても感激したのだという。
 「若き日の、キャプテン・ハーレイですよ?」と、話しながら瞳を輝かせたほどに。


 初老の店主は、見かけよりも遥かに年を取っているけれど、其処がいい。
 あそこの店の佇まいと同じに、落ち着いた雰囲気に惹かれている。
(この町に来て、初めて入ったんだが…)
 此処にしてみるか、と試しに入って、それ以来、通い詰めている店。
 ところが、実は店主の方でも、「キャプテン・ハーレイ」の来店を心待ちにしていた。
 青年の姿をしていた頃には、「若きハーレイ」そのままの髪型を整え続けて。
 それが似合わなくなって来たなら、「これは如何でしょう?」と今のを勧めて。
(明らかに店主の趣味なんだよなあ…)
 これは、と少し伸びて来た髪に触れてみる。
 店主が幾つか勧めた髪型、中でも一番推していたのが「キャプテン・ハーレイ風」のもの。
 「きっとお似合いになりますよ」と、自信たっぷりに。
(俺も、そいつがいいと思って…)
 このヘアスタイルに仕上げて貰って、今に至っているけれど…。
(まさか、店主の趣味だったとは…)
 なんともはや、と零れる苦笑。
 とても珍しい「キャプテン・ハーレイ」のファン、そんな店主と出会った自分。
 記憶が戻るよりも前から。
 小さなブルーを知らない内から、「此処にしよう」と店に入って。
(…前の俺の、熱烈なファンだというだけじゃなくて…)
 いったい何処で気付いたものやら、「ブルーとの絆」まで見抜いた店主。
 「とても似合いの二人に見えるんですがね」と、髪を切りながら言っていた。
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、二人並ぶと「絵になる」のだと。
 「けしからぬ仲だったとは思いませんが」とも、語ったけれど…。
(…いずれ、俺がブルーを連れて行ったら…)
 あの店主ならば、遠い昔の写真を眺めて、「そうか」とピンと来るかもしれない。
 今の時代も残る写真に、「同じ眼差し」や「表情」を見て。
 「ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの恋」を、今の「客たち」から読み取って。
 なんと言っても「同じ顔」だし、その上、カップルなのだから。
 「結婚したんです」とブルーを連れて、あの店に入ってゆくのだから。


(…まあ、バレちまっても、かまわないがな)
 あの店主ならば、誰にも喋りはしないだろうし…、と「その日」を思う。
 店主の夢が実現する日が、「ブルーを連れてゆく日」だから。
(俺に恋人が出来た時には、ソルジャー・ブルー風にカットするのが…)
 あの理髪店の店主の夢。
 「キャプテン・ハーレイ」と「ソルジャー・ブルー」を、恋人同士として並べるのが。
 けしからぬ仲の二人でなくても、並んでいれば絵になるだけに。
(ブルーを見たら、きっとビックリ仰天で…)
 それから嬉々として、ブルーの銀色の髪をカットしてゆくのだろう。
 元々「ソルジャー・ブルー風」の髪型だけれど、それを美しく保てるように。
 銀色の髪の毛をチョキチョキと切って、「如何ですか?」とブルーに訊いたりもして。
(…でもって、綺麗に仕上がった後は…)
 床に散らばった銀色の髪を、手早く掃除するのだろう。
 理髪用のマントに落ちていた髪も、慣れた手つきでサッと払って。
(俺が先でも、あいつが先でも…)
 混ざっちまうことは無いようだな、と思う髪の毛。
 店主が一人でやっている店でも、やって来た客が二人連れでも。
(清潔が一番、って感じだからなあ…)
 店の床の上で、銀色の髪と金色の髪が「混じり合う」ことは無いのだろう。
 ブルーが先にカットを終えたら、床は綺麗に掃除されて。
(それから俺が切って貰う番で…)
 ブルーは備え付けの本でも見ながら待っているのか、カットするのを眺めているか。
(どっちだろうな?)
 あいつだったら…、と想像していて、ハタと気付いた。
 いつかブルーが「切って貰う」髪、それは店主が掃除して捨てる。
 床に落ちた分も、理髪マントにくっついた分も。
 それで当然だと思ったけれど、「俺のと混ざりはしないんだな」と考えたけれど…。


(…前の俺は、あいつの髪の毛さえも…)
 一筋も持ってはいなかったんだ、と遠く遥かな時の彼方を思い出す。
 前のブルーがメギドに向かって飛び去った後は、何も残っていなかった。
 部屋付きの係が、すっかり掃除をしてしまって。
 綺麗好きだったブルーのためにと、「何も知らずに」青の間の掃除を終えてしまって。
(…髪の毛さえも残っちゃいないんだ、と…)
 前の自分は、どれほど涙に暮れただろう。
 けれど今度は、ブルーの髪は「目の前で」ゴミになるらしい。
 カットされた後は、店主が綺麗に掃除をして。
(…あいつの髪の毛が、ゴミになるのを…)
 当たり前のように「見ていられる」のが、今の俺か、と嬉しくなる。
 今のブルーは、いなくなったりはしないから。
 髪の毛がゴミになった後には、「すっきりしたな」と、二人で帰ってゆくのだから…。

 

        あいつの髪の毛・了

※ハーレイ先生が「行くか」と思った理髪店。いつかはブルー君を連れてゆく店。
 そこでは「ゴミになる」のが、ブルー君の髪の毛。前の生を思えば、夢みたいですよねv









拍手[0回]

(んーと…)
 いい匂い、と小さなブルーが浮かべた笑み。
 学校から帰って、家の門扉をくぐって、直ぐに。
 キッチンの方から漂う匂い。
 きっと焼き立てのケーキの匂いで、この感じだと…。
(ハーレイの好きな、パウンドケーキ!)
 あれだよね、と嬉しくなる。
 母が焼き上げるパウンドケーキは、ハーレイの大好物だから。
(ハーレイのお母さんが焼くのと、おんなじ味で…)
 いわば、ハーレイの「おふくろの味」。
 焼いているのは別人なのに、ハーレイにとっては「懐かしい味」。
 食べる前から、もう本当に喜んでいるのが分かる。
 鳶色の瞳に宿る光も、笑みを湛えている唇も。
(どうしてママのが、同じ味かは分かんないけど…)
 不思議なことに、ハーレイの母のパウンドケーキに瓜二つ。
 「おふくろが焼いて、コッソリ届けに来たのかと思ったぞ」とハーレイが言ったくらいに。
 パウンドケーキを目にする度に、「おっ!」と瞳が輝くほどに。
(いつかは、ぼくもママに焼き方、教わって…)
 同じ味のを焼けるようになるのが、目標の一つ。
 ハーレイの家へ「お嫁に行く」なら、取り柄がないと、と思うから。
 「おかえりなさい!」と迎えた時に、「焼いてくれたのか?」と笑顔になって欲しいから。
 そのハーレイは、今日は来るのか、来ないのか。
 まるで全く分からないけれど、もし、ハーレイが来なくても…。
(今日のおやつは、パウンドケーキで…)
 大好きな味が食べられる。
 あれがハーレイの大好物だと知った時から、パウンドケーキは、とても特別。
 ただし、「母の」に限るのだけれど。
 他の誰かが焼いたものでは、話にならないパウンドケーキ。
 どんなに「美味しい」と評判の店の、パウンドケーキを貰っても。
 ご近所さんや母の友達、そういう人から「作りましたから」と届けて貰っても。


 やっぱりママのケーキでないと、と思う「特別な」パウンドケーキ。
 ハーレイの母が作るケーキと、全く同じ味だから。
 レシピ通りに作ってみたって、ハーレイには真似の出来ないケーキ。
 何度も挑戦したらしいのに。
 隣町に住んでいるハーレイの母に、レシピもコツも、何度も尋ねたらしいのに。
(…作る人の癖が出るんだろう、って…)
 ハーレイは、そう言っている。
 卵と小麦粉、それに砂糖とバター。
 全部の材料を一ポンドずつ、使って作るから「パウンド」ケーキ。
 単純なレシピのケーキだからこそ、味が変わってくるのだろうと。
 材料を合わせる時の加減や、混ぜる力の違いなどで。
(ハーレイには、お母さんの真似は無理みたいだけど…)
 自分にも「無理」かもしれないけれども、それでもマスターしてみたい。
 ハーレイが顔を綻ばせる味、「おふくろの味」のパウンドケーキの焼き方を。
 家に帰って来たハーレイが、見ただけで喜んでくれるケーキの作り方を。
(だけど、ママには、まだ言えないし…)
 教われはしない、パウンドケーキの作り方。
 「ぼくにも教えて」と言おうものなら、「どうしたの?」と訊かれてしまう。
 学校の調理実習だったら、家でわざわざ教わらなくても、授業で説明してくれるもの。
 「こういう風に作りましょうね」と、時にはプリントなども配って。
(…調理実習の予習なんだよ、って誤魔化せば…)
 母は教えてくれるだろうけれど、「予習」出来るのは一回だけ。
 「後は学校で教わった方がいいと思うわよ」と、励ましの言葉を貰いもして。
(…テスト勉強なら、何回したっていいけれど…)
 調理実習の予習なんかは、一回もすれば充分なもの。
 第一、誰も「予習」をしたりはしない。
 ぶっつけ本番、今日までの「自分」もそうだった。
 作る料理の予告があっても、「こういうお菓子を作りますよ」と、聞かされても。
 「ちゃんと作れればいいんだものね」と、エプロンを用意して行っただけ。
 料理が好きな生徒を除けば、揃いも揃って、初心者ばかりの集団だから。


(…家庭科の成績、調理実習だけで決まるってわけでもないし…)
 テストや裁縫、色々な要素を考慮した上で、決まる成績。
 誰でも知っていることだから、調理実習の予習は「しない」。
 ごくごく一部の料理好きの生徒、そういう子たちが「家でも作ってみる」だけで。
(ママを騙して、予習したって…)
 本当に、ただの一回きり。
 次に作れるチャンスがあるなら、「復習したい」と言えばいいけれど…。
(…それをするには、学校で貰ったレシピとか…)
 そういった「証拠」が必要になる。
 調理実習をして来た証明、それが無ければ「出来ない」復習。
(偽物のプリントを作っても…)
 母は「自分で教えてくれずに」、「それの通りにやってみなさい」と言うのだろう。
 「ママは見ているだけにするから、頑張って」と。
(…それだと、意味が無いもんね…)
 母と同じに焼き上げたいなら、母の指導が欠かせないから。
 「自分流」で焼いたパウンドケーキは、「母の味」にはならないから。
(……うーん……)
 パウンドケーキも奥が深いよ、と考え込んでいる間に、どのくらい経っていただろう。
 玄関の扉を開けもしないで、庭先に立って。
 焼き上がったばかりのパウンドケーキに、すっかり心を奪われて。
(…五分くらいかな…?)
 それとも、ほんの一分ほどか。
 パウンドケーキの甘い匂いは、まだ漂っているのだから。
(ちょっぴり、失敗…)
 こんな所で止まっちゃった、と向かった玄関。
 鍵はかかっていない扉を開けて、「ただいま!」と奥に向かって叫んだ。
 キッチンか、ダイニングにいるだろう母に。
 「帰って来たよ」と、元気一杯に。
 「おかえりなさい」と声が返って、出て来た母。
 優しい笑顔で、「今日のおやつはパウンドケーキよ」と。


(…大当たり…!)
 ホントにパウンドケーキだったよ、と御機嫌になる。
 自分の鼻にも自信が持てたし、なにより、ハーレイの大好物のケーキ。
(ハーレイが来てくれなくっても…)
 食べれば、素敵な夢が見られる。
 「いつかは、ぼくも焼くんだよ」と、「おふくろの味」をマスター出来る日の夢を。
 ハーレイに「おふくろの味のパウンドケーキ」を、自分が作って食べて貰える日のことを。
(きっと、ハーレイも、ぼくと同じで…)
 仕事を終えて家に帰った時には、甘い匂いに気付くのだろう。
 ハーレイが帰る時間に合わせて、パウンドケーキを焼いたなら。
 「そろそろかな?」と時計を見ながら、材料を計って、オーブンに入れて。
(…混ぜる時間とか、そんなのも…)
 すっかり頭に入っていたなら、そうしたことも出来るようになる。
 「今からだよね?」と作り始めて、焼き立てのパウンドケーキの匂いで迎えることが。
 ハーレイの車がガレージに着いて、ドアをバタンと開けたなら…。
(ぼくみたいに…)
 甘い匂いだけで、胸を躍らせることだろう。
 「俺の好物のパウンドケーキだ」と、「ブルーが焼いてくれたんだな?」と。
 まだ玄関にも着かない内から、匂いだけで「アレだ」と分かってくれて。
(庭先に立って、考え込んだりはしないだろうけど…)
 きっと真っ直ぐに玄関に急いで、「ただいま」と扉を開けるのだろう。
 仕事の鞄も、買って帰った荷物なんかも全部提げたままで、キッチンの方にやって来て…。
(焼き立てだな、って…)
 嬉しそうに言ってくれるのが先か、自分が出迎えに出るのが先か。
 「おかえりなさい!」と、顔を輝かせて。
 ハーレイが好きなパウンドケーキの、甘い匂いを纏い付かせて。
(…どっちが先かは分からないけど、大喜びだよね?)
 食事の支度が出来ていたって、ハーレイは「試食」するのだと思う。
 「こいつはデザートになるんだろうが、その前にな?」と、自分で一切れ、切って。
 もしかしたら、スーツを脱ぎさえしないで、「まずは一口」と。


(ふふっ…)
 そういうのも素敵、と描く夢。
 今日の自分が、パウンドケーキの匂いに迎えて貰ったみたいに、いつかは自分も。
 ハーレイが仕事から帰った時には、甘い匂いが漂うように、時間を合わせて焼き上げる。
 小麦粉とバター、それに砂糖と卵。
 全部の材料を、一ポンドずつ合わせて、混ぜて。
 ハーレイの母のパウンドケーキと、そっくり同じの味に仕上がる「おふくろの味」を。
(頑張るんだから…)
 あの匂いだけで嬉しいものね、と二階の自分の部屋で着替える。
 まだ母からは習えないけれど、いつか教わって、マスターしようと考えながら。
(…そのためにも、ママのケーキの味を…)
 ぼくも覚えておかなくちゃ、と心はダイニングのテーブルへと飛ぶ。
 着替えて下に下りて行ったら、其処で「おやつの時間」だから。
 ハーレイのために「マスターしたい」パウンドケーキが、自分を待っていてくれるから。
(帰った時には、うんと嬉しい気分になれて…)
 幸せになれる匂いがいいよね、と大きく頷く。
 今日の自分がそうだったように、「ぼくも、ハーレイのために焼かなくちゃね」と…。

 

           帰った時には・了


※ブルー君が家に帰って来たら、パウンドケーキの甘い匂いが。もうそれだけで夢心地。
 いつかは自分も作りたいわけで、夢は膨らむ一方です。ハーレイ先生の大好物ですもんねv









拍手[0回]

Copyright ©  -- つれづれシャングリラ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]