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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(赤ん坊ってヤツは……)
 大人の目には見えないものが見えるらしいよな、とハーレイが、ふと思ったこと。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
 愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それをお供に寛いでいて。
(あの子には、何が見えてたんだか…)
 仕事帰りに車で行った、家の近くの食料品店。
 其処で出会った、母の腕に抱かれた赤ん坊。
 若い夫婦が子連れで来ていて、父親が食料品を入れたカートを押していた。
 妻が「これを」と注文する品を、せっせとカートに追加しながら。
 赤ん坊は起きていたのだけれども、突然、笑顔で手を伸ばした。
 野菜が積まれた棚に向かって。
 棚には何もいないというのに、まるで何かがいるかのように。
(これが外なら、まだ分かるんだが…)
 公園などで起きたことなら、気を引く「何か」を見付けたと分かる。
 風で動いた木の葉っぱだとか、急に光が差した場所とか。
(……しかしだな……)
 場所は食料品店だったし、そんな「何か」があるわけもない。
 レジとか、他の買い物客がいたならともかく、食料品の棚などには。
 それも野菜がズラリと並んだ、何の変哲もない所には。
(……だが……)
 あの子は楽しそうだったんだ、と赤ん坊の姿が脳裏に蘇る。
 キャッキャッと可愛い声ではしゃいで、野菜の棚に手を振っていた。
 とても小さい、紅葉の葉っぱのような手を。
 棚に並んだ野菜を持つには、まだまだ小さすぎる手を。
(お母さんは、「ジャガイモがいい?」とか訊いていたがな…)
 我が子の気を引いた野菜はどれかと、指差し合っていた両親。
 出来ればそれを買って帰ろうと、笑み交わして。
 赤ん坊でも食べられるメニューは、何があるかと挙げてゆきながら。


 離乳食なら、食べられそうだった赤ん坊。
 とっくに眠っているだろうけれど、夕食は何を食べたのだろう。
 食料品店で買ったばかりの野菜を使った、母親が作る離乳食。
 あるいは父が作っただろうか、「たまには腕を奮ってみるか」と。
(離乳食ってヤツも、けっこう奥が…)
 深いらしいし、と知識だけはある。
 大人の食事とは違うけれども、凝る人は、とことん凝るらしい。
 色々な素材を裏漉ししたり、ミキサーにかけてドロドロにしたり。
 そこから更に手間ひまかけて、プリンみたいに仕上げてみたり、と。
(…あの子も、美味いの、食ったんだろうなあ…)
 大満足で寝てるんだろう、と微笑ましい。
 野菜の棚に手を振るくらいの幼さだけども、家では、きっと立派な王様。
 誰よりも大切にかしずいて貰って、居場所は小さなベッドの玉座。
 お風呂も食事も両親の手を借り、何不自由のない暮らしをして。
(召使いは、もっといるかもな?)
 祖父母も同じ家にいるなら、召使いは二人増えるだろう。
 王様のお世話が好きでたまらない、甘くて優しい人たちが。
(はてさて、王様は誰に手を振っていたんだか…)
 野菜の棚には、召使いなんかいないんだがな、と考えなくても分かること。
 顔見知りの大人も子供もいなくて、もちろん可愛い動物もいない。
(ジャガイモも、タマネギも、ニンジンもだ…)
 ピクリとも動くわけがないから、野菜に手を振る理由など無い。
 それなのに、懸命に手を振っていた。
 あの子供にしか見えない「何か」に向かって、嬉しげに。
 まるで野菜と遊ぶかのように、精一杯に小さな手を伸ばして。


(…野菜の妖精が座っていたかな…)
 だったら分かる、と一人で頷く。
 よく耳にするのが「赤ん坊には、大人には見えないものが見える」という話。
 実際、そうだと思える場面は幾つもあったし、今日の出来事もその一つ。
 野菜ばかりが並んだ棚には、きっと「何か」がいたのだろう。
 畑からトラックに乗って旅をして来た、ジャガイモやタマネギなどの妖精。
 それとも畑に生えていた草から、花の妖精でもくっついて…。
(食料品店まで来ちまったかもなあ、好奇心ってヤツで一杯で)
 妖精だったら、公園などの方がお似合いなのに、食料品店の棚に腰を下ろして。
 自分に気付く人はいるかと、茶目っ気たっぷりに足をブラブラさせて。
(そいつは大いにありそうだぞ)
 何の妖精だったんだろう、と自分まで気になってくる。
 大人の目では見られないから、分からない分、余計に見たい。
 赤ん坊と同じ視点で世界が見えたら、どれほど楽しいことだろう。
 妖精がいたり、他にも素敵なものが沢山。
(切り替えられればいいのにな?)
 サイオンっていう便利なものがあるんだから、と考えた。
 精神の力がサイオンなのだし、心と密接に繋がった力。
 無垢な子供の瞳で見たい、と念じたらパッと切り替わるとか、と。
(そうすりゃ、俺にも野菜の妖精が…)
 見えるんだがな、と顎に手を当て、ふと気付いたのが「過去」のこと。
 遠く遥かな時の彼方で、「キャプテン・ハーレイ」と呼ばれた時代。
(……あの頃の俺は、赤ん坊どころか……)
 子供時代の記憶を全て失くして、養父母の名前さえも覚えていなかった。
 成人検査という名のシステム、それに「サイオン」を忌み嫌う機械。
 それらがズタズタに踏み躙ったのが、前の自分の人生だった。
 負けずに強く生きたけれども、失った記憶は戻らないまま。
 そうして恋人のブルーも失くして、長い長い時を一人きりで生きて…。
(……地球に来たんだ)
 死の星だった地球の地の底で息絶え、それから遥かな時を飛び越えて、青い地球まで。


(…今の俺は、どうだったんだろう?)
 赤ん坊だった頃の俺ってヤツは…、と傾げる首。
 「大人には見えないものが見える」のなら、やはり妖精が見えただろうか。
 隣町に住む両親からは、特に聞いてはいないけれども。
(見えてたのかもしれないなあ…)
 すっかり忘れちまったんだが、と残念な気持ち。
 時の彼方で生きた自分も、幼い頃には「見た」のだろうか。
 SD体制が如何に酷くとも、「大人の目には見えないものたち」までは消せない。
 あんな時代でも、妖精たちは何処かで生きていたかもしれない。
 普段はひっそりと息をひそめて、幼い子供に出会った時だけ、生き生きとして。
(そう考えてみりゃ、赤ん坊の頃には、誰だって、ミュウ…)
 たとえ生粋の人類だろうと、「目には見えないものたち」が見えているのなら。
 成長したら見えなくなろうと、立派に備わっていた能力。
 それを失わずに大きくなったら、ミュウへと変化したのだろうか。
 方向性は違うけれども、サイオンという形になって。
 野菜の妖精たちの代わりに、人の心が見える生き物に進化していって。
(……どうなんだかな?)
 その辺の研究はしてるんだろうか、と思うけれども、それは自分の管轄外。
 専門分野がまるで違うし、調べようにも手掛かりもゼロ。
(まあ、いいが…。それよりも赤ん坊の視点ってヤツが…)
 ちょいと欲しいな、と見たくなるのが、野菜の妖精たちがいる世界。
 赤ん坊の頃に戻れるものなら、少し戻ってみたい気もする。
(ほんの半日くらいなら…)
 あの時代ってヤツに戻ってもいいな、と隣町の家を頭に描く。
 庭に植えられた夏ミカンの木は、森のように見えることだろう。
 大人の目にも立派な木だから、赤ん坊の目には、きっと森。
 其処から妖精が覗くのだろうか、黄色いミカンに腰を下ろして。
 あるいは枝からヒョイとぶら下がって、空中ブランコみたいに飛んだり。


 それも愉快だ、と「赤ん坊なら…」と広がる夢。
 夏ミカンの木の妖精に手を振り、他にも色々なものたちが見える。
 空を飛んでゆく風の精とか、ひょっとしたら、お菓子の妖精だって。
(妖精の他にも、見えるのかもな?)
 不意に心を掠めていった、とても懐かしい人の面影。
 今は小さな子供の姿の、前の自分が愛した人。
(……ソルジャー・ブルー……)
 もしかしたら、彼もいたのだろうか。
 赤ん坊だった頃の自分が、無邪気に眺めていた世界に。
 前の生の記憶は戻っていなくて、それが誰かも知らないままに。
(…あいつは、俺よりずっと年下…)
 二十四歳も年下なのが、小さなブルー。
 ならば充分、有り得ること。
 生まれ変わって来る前のブルーが、ゆりかごを覗き込んでいたとか。
 肩に妖精たちを止まらせ、庭に微笑んで立っていたとか。
(……おふくろたちに訊いたところで……)
 きっと手掛かりは無いんだろうな、と思うけれども、そうだったろうか。
 心から愛した人とも知らずに、前のブルーに手を振ったろうか。
 「とても優しい人なんだよ」と、無垢な心で思い込んで。
 ブルーは少し寂しいだろうに、そんな気持ちを知りもしないで。
(…赤ん坊なら、許されるんだろうが…)
 やっちまっていたならすまん、と心の中でブルーに詫びる。
 生まれ変わった小さなブルーは、きっと忘れているだろうけれど。
 思い出しても、笑って許してくれそうだけれど、やっぱり少し悲しいから。
 赤ん坊なら仕方なくても、愛おしい人に気付かなかったこと。
 ブルーがあやしてくれていたって、「いい人」としか思わなかったろうから。
 誰よりも大切だった人だというのに、妖精たちの仲間扱いしたのだから…。

 

           赤ん坊なら・了


※ハーレイ先生が考えたこと。赤ん坊だった時代に、前のブルーに出会ったかも、と。
 本当は出会っていないんですけど、生まれ変わる前の記憶が無いから、知りようがないですv












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(卒業するまで……)
 そう、それまでの我慢だものね、と小さなブルーが思ったこと。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は、家では会えなかったハーレイ。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 毎日でも顔を合わせて話したいのに、今日は学校で挨拶しただけ。
 それも廊下で出会った時に。
 ハーレイの古典の授業さえ無くて、顔も充分に見られなかった。
 とても残念なのだけれども、まだ会えただけマシだろう。
 ちゃんと学校に行っていたって、まるで会えない日もあるのだから。
(……だけど……)
 学校で挨拶だけだった日は、家でゆっくり話したい。
 仕事帰りのハーレイに会って、夕食も一緒に食べたいけれど…。
(そんな我儘、通らないから…)
 卒業までの我慢なんだよ、と自分自身に言い聞かせる。
 まだ何年も先のことだけれども、今の学校を卒業してゆく日が来たら…。
(卒業式から、一ヶ月も待っていなくても…)
 結婚出来る年の、十八歳になると分かっている。
 三月の一番おしまいの日が、十八歳の誕生日なのだから。
(そしたら、ハーレイと結婚出来て…)
 二人、同じ家で暮らしてゆくから、今みたいな思いはせずに済む。
 ハーレイの帰りが遅くなっても、待ってさえいれば…。
(家に帰って来てくれるしね?)
 待ち疲れて眠ってしまっていたって、きっと優しくキスしてくれる。
 「おやすみ」と瞼や唇の上に。
 起こさないよう、そっとベッドに運んでもくれて。


(ふふっ…)
 待ち遠しいな、と心の奥が暖かくなる。
 指折り数えて待ちたいくらいの、ハーレイと一緒に暮らせる時。
 ただ、本当に数えたら…。
(……落ち込んじゃうしね?)
 何日あるのか、気が付いちゃって…、と勘定する気は起こらない。
 一年は三百六十五日で、二年分なら七百を超える。
 そして二年では終わらないのが、残りの学校生活だから…。
(数えはしないで、我慢、我慢…)
 そうする間に、残りの日々は縮まってゆく。
 背丈だって伸びて、キス出来る日も近付いてくる。
(学校の生徒の間は、無理かな……?)
 ハーレイにキスを貰うのは…、と首を傾げて、その考えも追い払った。
 縁起でもないことだから。
 いくらハーレイが物堅くても、約束したことは、また別のこと。
(前のぼくと同じ背丈に育ったら…)
 唇へのキスを許してくれる、という約束を交わしている。
 まさか「知らん」とは言わないだろう。
 「駄目だ」と断ることはあっても。
 「お前は、まだまだ教え子だしな?」と、やんわり拒絶はするかもだけど。
(……それって、とってもありそうだけど……)
 ホントになったら大変だものね、と竦めた肩。
 ハーレイの授業で聞いた「言霊」、それには注意しなくては。
 言葉は力を持っているから、迂闊なことを言ったなら…。
(本当のことになっちゃうんだよ)
 そうならないよう、考えることも避けるべき。
 嫌なこととか、不吉なこと。
 縁起でもない話なんかは。


 頭の中から追い出した考え。
 「もっといいことを考えなくちゃ」と、未来の方へ目を向けて。
 ハーレイと結婚出来る日が来たら、毎日が、きっと「いいこと」ばかり。
 たまに落ち込むことがあっても、ハーレイが慰めてくれる筈。
 温かい紅茶を淹れてくれたり、「美味いんだぞ」と何か作ってくれたり。
(……それでも気分が落ち込んでたら……)
 ハーレイの車でドライブだろうか。
 「気分転換に出掛けてみるか」と、愛車の助手席に乗せて貰って。
 うんと遠くまで走ってゆくとか、景色のいい場所を目指して走らせる車。
 「どうだ、少しはマシになったか?」なんて、何度も声を掛けられながら。
(…一緒に暮らしているからだよね)
 そういうことが出来るのは。
 ハーレイが直ぐに色々と気付いて、こまごまと世話を焼いてくれるのは。
(今だと、気付いてもくれないんだよ…)
 こうしてベッドにチョコンと座って、溜息をついていることも。
 遠い未来を思い描いて、今日の「ガッカリ」を埋めていることだって。
(……早く結婚したいんだけどな……)
 そのためには、まず学校を卒業しないと…、と考える内に、ふと思い出した。
 普通は、学校を卒業した子は…。
(…上の学校…)
 当たり前のように待っているのが、もう一つ上の学校だった。
 人間が全てミュウになった今、寿命はとても長いもの。
 前の自分の頃とは違って、社会に出てゆく年だって遅い。
(SD体制の時代だったら…)
 十四歳になった途端に「目覚めの日」。
 前の自分は、それまでの記憶を全て失くして、実験動物にされたけれども…。
(人類の子供は、教育ステーションで勉強…)
 どういうコースで生きてゆくかを機械が決めて、四年間のステーション暮らし。
 教育は其処で終わったけれども、今はそれより長い期間で…。


(…パパとママだって、上の学校…)
 今の自分が其処へ行くことを、信じて疑いもしていないだろう。
 何を勉強するかはともかく、上の学校へ進むのだ、と。
(……チビのままで、背が伸びなくっても……)
 子供のままで、うんと成長が遅い子のために、別の学校が用意されている。
 ゆっくり育つ身体と心に合わせて、カリキュラムを組んだ「上の学校」。
(…幼年学校…)
 そういう名前の学校があるから、両親も、きっと、そのつもり。
 「卒業したら結婚する」というコースなんかは、夢にも考えさえもしないで。
 上の学校の資料を取り寄せ、「何処に行きたい?」と訊いたりもして。
(……結婚したい、って言いだしたら……)
 両親は驚いて声も出ないか、目を丸くして問い返すのか。
(…本気なのか、って…)
 まずは意志を確かめ、それから相手を尋ねるのだろう。
 結婚したい「お相手」のことを。
 いつの間にガールフレンドが出来て、結婚の約束を交わしたのかと。
(……女の子だとしか思わないよね?)
 どう考えても、「結婚したい」という「お相手」は。
 結婚に理解を示してくれても、「一度、この家に連れて来てみなさい」とか。
(…そうじゃなくって、ぼくがお嫁さん……)
 告白したなら、両親は腰を抜かすだろうか。
 とても大事な一人息子が、十八歳で「お嫁に行く」なんて。
 おまけに、相手は…。
(……ハーレイなんだよ……)
 何年も家に通って来ていた、学校の先生で「守り役」だった人。
 前の生では「ソルジャー・ブルー」の右腕だった「キャプテン・ハーレイ」。
 当時から恋人同士だけれども、そんなこと、両親が知るわけがない。
 もう文字通りに寝耳に水で、二人ともビックリ仰天だろう。
 あらゆることが予想外すぎて、心がついてゆかなくて。


(……お許しなんか……)
 もしかしたら、出ないかもしれない。
 どんなに「結婚したい」と言っても、「気の迷いだ」と一蹴されて。
 上の学校とか幼年学校の、入学手続きを取られてしまって。
(…そして、ハーレイとは引き離されて…)
 会えないようにされてしまって、もしかすると、寮に入れられるかも。
 うんと遠くの学校に入れて、とても厳しい寄宿舎に。
 門限があって、誰かと会うにも、面会の許可が要るような場所へ。
(SD体制の時代みたいだけど…)
 遥か昔の地球にもあった、厳しい寄宿舎。
 それを真似している学校だって、まるで無いとは言い切れない。
 そんな所へ放り込まれたら、今よりも、もっと…。
(…ハーレイと会えなくなってしまって、結婚どころじゃ…)
 なくなるのだし、取るべき道は、一つだけ。
 ハーレイと一緒にいたければ。
 両親がどれほど反対したって、結婚へ進みたいのなら。
(……何処かへ、駆け落ち……)
 上の学校に入れられる前に、手に手を取って。
 あるいは寄宿舎に入れられた後に、示し合わせて逃亡して。
(…ハーレイのお仕事、なくなっちゃうけど…)
 駆け落ちをした教師なんかは、何処も雇ってはくれないだろう。
 うんと辺境の星に逃げても、事情を隠し通せはしない。
 SD体制の時代ほどには、監視されてはいなくても。
(先生をするには、免許が要るから…)
 それを出したら、たちまちハーレイの身元が知れる。
 教え子を連れて駆け落ちして来た、地球出身の教師なのだと。
 窮状は酌んで貰えたとしても、学校が雇うわけにはいかない。
 生徒はもちろん、保護者たちにも、示しがつかないことになるから。


 これは困った、と思うけれども、いざとなったら「駆け落ち」だろう。
 両親が許してくれなかったら、結婚が通らないのなら。
(……ハーレイと駆け落ちするんなら……)
 行き先とか、その後の仕事のこととか…、と考えねばならないことは山ほど。
 地球の上だと直ぐにバレるし、他の星に逃げてゆくしかない。
(…でも、宇宙船に乗る時は…)
 万一の事故などの場合に備えて、身元のチェックがあると聞く。
 それを躱して乗るとなったら、密航以外に方法は無い。
(…今の時代に密航なんて…)
 している人がいるのかな、と思うけれども、やってみるしかないだろう。
 ハーレイと生きて行きたかったら。
 辺境の星で暮らすにしたって、二人で生きてゆくためならば。
(準備も、逃げるのも大変そうだけど…)
 それも幸せな未来かもね、とクスッと零れてしまった笑み。
 たとえ駆け落ちする羽目になっても、「ハーレイと築いてゆく未来」だから。
 前の生では得られなかった、二人きりでの暮らしだから。
(……そのために、駆け落ちするんなら……)
 ぼくは後悔なんかしないよ、と心の底から言い切れる。
 今度こそ、幸せになるのだから。
 ハーレイと二人で生きてゆけたら、きっと何処でも、幸せだから…。

 

        駆け落ちするんなら・了


※ブルー君が夢見る、ハーレイ先生との未来。結婚出来る日を心待ちにしてますけれど…。
 両親のお許しが出なかった時は、駆け落ちすることになるのかも。でも、幸せv











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(駆け落ちなあ…)
 そういうモンもあったんだよな、とハーレイが、ふと思ったこと。
 ブルーの家には寄れなかった日に、夜の書斎でコーヒー片手に。
 それは遠い昔にあったこと。
 人間が地球しか知らなかった頃、洋の東西を問わずに存在した。
 親が結婚を許してくれない、気の毒な恋人たちの間で。
 手に手を取って故郷を逃げ出し、幸せに暮らせる場所へ行こうと。
(…ロミオとジュリエットも、計画が成功していたら…)
 駆け落ちになっていた筈なんだ、と今も名高い悲劇を思う。
 不幸な行き違いが起こらなかったら、二人は何処かの村へでも逃げて…。
(身分なんかは忘れちまって、穏やかに…)
 畑を耕し、羊でも飼って、その土地の人になったのだろう。
 そうする内に子供や孫も生まれて、二人で齢を重ねていって。
(あれは失敗しちまったんだが…)
 後の時代のイギリスにあった、とても有名な駆け落ち婚。
 十九世紀の半ば頃まで、恋人たちを救った手段。
(イングランドとスコットランドじゃ、法律が違ったモンだから…)
 とても厳格なイングランドでは、結婚を許されない恋人たちが逃げ出した。
 国境を越えてスコットランドに入りさえすれば、簡単に結婚できたから。
 誰でもいいから、証人を二人。
 結婚の条件は、たったそれだけ。
 だから二人で国境を越えて、国境から一番近いグレトナ・グリーンという町で…。
(証人を探して、結婚式を挙げて…)
 既成事実を作ってしまって、それからイングランドに戻った。
 もう諦めるしかない親たちの許へ、ちゃっかりと。
 生まれてくる子が、イングランドでも正当な権利を得られるように。
 イングランドの教会で二度目の結婚式を挙げ、正式なカップルと認められるように。


 駆け落ちにしては、いささか悲劇性に欠ける「それ」。
 二人にとっては切実だろうと、「戻って二度目の結婚式」というのが頂けない。
(結婚も、それで得られる権利も、貰おうってのが…)
 どうも現実的すぎるんだ、と思うのは古典の教師なせいなのだろうか。
 同じ駆け落ちなら、もっとロマンチックな方がいい。
 もっとも、当時のイングランドでは、「グレトナ・グリーン」と言ったなら…。
(駆け落ち婚で、ロマンチックで…)
 女性の憧れだったと言うから、単なる文化の違いだろうか。
 小さな島国、日本の文化を受け継ぐ地域では「ちょっと違う」と思えるだけで。
 イギリスを名乗っている地域ならば、今の時代でも、充分に…。
(ロマンチックで通るのかもなあ…)
 生憎と、其処の生まれじゃないが、と顎に当てた手。
 今の自分は生まれも育ちも、遠い昔に「日本」があった辺りの地域。
 日本の文化を復興させている場所だから、考え方の方も自然と…。
(……日本人寄りになるってことは……)
 職業が古典の教師でなくても、有り得るだろう。
 ついでに遥か昔の日本で、駆け落ちするとなったなら…。
(心中覚悟の道行きってのも…)
 定番だったし、「心中もの」の歌舞伎や浄瑠璃がもてはやされた。
 叶わぬ仲の恋を貫き、死を選ぶしかない恋人たち。
(ロミオとジュリエットみたいに、駆け落ちに失敗したんじゃなくて…)
 最初から来世を目指して駆け落ち、それが昔の日本人の好み。
 生き延びることなど、二人とも最初から考えていない。
(日本人だと、ロマンチックだと思うのは…)
 そちらの方が伝統だったし、そういう文化を継いだ地域で育ったら…。
(駆け落ちした後に、ちゃっかり戻って来るというのは…)
 何か違うぞ、という気がする。
 もっとも古典の教師でなければ、「どちらでもいい」かもしれないけれど。
 今では世界は「うんと広くて」、もう地球だけではないのだから。


(……その駆け落ちも、今じゃ死語だな……)
 人間が全てミュウになった今の時代は、そう簡単には人間関係はこじれない。
 昔のように意固地で頑固な親はいなくて、喧嘩したって分かり合える。
 思念波を使えば、互いの気持ちを「間違いなく伝えられる」から。
 行き違いがあって大喧嘩しても、原因を取り除くことは容易い。
(お互い、譲り合いさえすれば…)
 相手の気持ちが分かるわけだし、駆け落ちに走るまでもない。
 「それくらいなら…」と何処かでお許しが出て、結婚式に漕ぎ付けるから。
 宇宙船で遠くに逃げ出さなくても、恋の道は叶うものだから。
(……俺とブルーにしたって、だ……)
 結婚までのハードルはとても高そうだけれど、駆け落ちはせずに済むだろう。
 ブルーの両親が反対したって、きっと最後は許す筈。
 大切な一人息子なのだし、駆け落ちされて「いなくなったら」悲しいから。
 ブルーが何処に逃げて行ったか、それさえ分からないことになったら、辛すぎるから。
(…まあ、実際に駆け落ちしたって…)
 本当の所は、行き先を掴むことは容易で、不可能ではない。
 宇宙船に乗るには、それなりの手続きが必要だから。
 まるで全く偽の名前で、遥か遠くまで逃げるというのは、まず出来ない。
(…密航するなら別だがな…)
 しかし密航なんてあるんだろうか、という気もする。
 犯罪の一つも起こらない、今の平和な世界。
 宇宙船で密航しようとしたなら、とても気のいい船長が…。
(どうしたんです、と事情を聞きに来てくれて…)
 たとえお金が無かったとしても、正規の切符を出してくれそう。
 ましてや「駆け落ちする」となったら、行き先までの手配はもちろんのこと…。
(其処で暮らすのに必要なものを、一切合切…)
 全て揃えてくれそうな感じ。
 乗組員や乗客に事情を話して、船の中で募金活動をして。
 落ち着き先になるだろう場所へも、航行中から連絡を取って。


(…グレトナ・グリーンを笑えないなあ…)
 何の不自由も無い駆け落ちなんて、と思うけれども、今の時代はそうなるだろう。
 ついでに「結婚を許さなかった親」の方にも、誰かから連絡が行く。
 「お話したいことがあります」と、仲を取り持とうという親切な人から。
 宇宙船の乗客の誰かか、あるいは落ち着いた先の星の住人か。
(…船の船長でも、時間が取れれば…)
 自ら地球に行きそうではある。
 船で面倒を見た駆け落ちカップル、彼らを幸せにしてやりたくて。
 逃げ出して来た故郷の星へ、もう一度、二人で戻れるように。
(俺がキャプテンなら、そうするなあ…)
 無理やり休暇を捻り出しても…、と考えて、ふと気が付いた。
 前の自分はキャプテン・ハーレイ、正真正銘、船の船長。
 ミュウの箱舟では、駆け落ちしたいカップルなど乗って来ないけれども…。
(誰かが恋で難儀していりゃ、きっと助けたぞ)
 そうでなくっちゃキャプテンと言えん、と大きく頷く。
 船の仲間の面倒を見るのも、キャプテンの役目だったから。
 白いシャングリラで不自由しないで、幸せに生きてゆけるようにと。
(しかし、あの船に駆け落ちが必要なカップルは…)
 誰一人としていなかったんだが…、と順に数えてゆく恋人たち。
 皆、あの船で、ささやかな式を挙げられた。
 ウェディングドレスも、結婚指輪も無かったけれど。
 結婚披露のパーティーくらいが、精一杯の船だったけれど。
(よしよしよし…)
 それでも幸せでいてくれればな、と思ったけれど。
 誰も困っていなかったんだ、と自信に溢れていたのだけれど…。
(……前の俺と、ブルー……)
 忘れていたぞ、と飲み込んだ息。
 前の自分たちこそ、誰にも言えない「秘密のカップル」だったから。
 結婚式を挙げるどころか、恋人同士だとさえ明かせないままの。


(駆け落ちするなら、前の俺たちだったのか…?)
 今のブルーと俺じゃなくて、と愕然とした。
 そんなことなど、一度も考えさえもしないで、時の彼方で生きたのだけれど。
 キャプテン・ハーレイだった前の自分はもちろん、ブルーの方もそうだったろう。
(ソルジャーが駆け落ちしちまったら…)
 ミュウという種族は導き手を失い、未来さえをも失った筈。
 どのように生きてゆけばいいのか、それを指し示す者がいなくて。
 おまけに「キャプテン・ハーレイ」も、いなくなった船。
 白いシャングリラは、宇宙の藻屑と消えただろう。
 船の舵を握るキャプテンはおらず、人類軍の船に発見されても、どうしようもない。
 逃げる手段が分からない上、船を守れるソルジャーのサイオンも無いのでは。
 いくらゼルたちが努力したって、限界というものはあるのだから。
(……それでも、駆け落ちしていたら……)
 二人きりで生きてゆけただろうか。
 遠く離れた辺境の星で、前のブルーと、ひっそりと。
 人類のふりをし、社会から零れ落ちた者に混じって、機械の目の届かない場所で。
(…考えたことも無かったが…)
 そうして二人で生きてゆけたら、どれほど幸せだったろう。
 たとえ海賊になっていたって、誰にも隠さずに済む恋人同士。
 前のブルーと愛し、愛され、満ち足りた生を送れたと思う。
 ただし、その後は知らないけれど。
 こうして地球に生まれられたか、その後のことは謎なのだけれど。
(…だが、それはそれで…)
 良かったかもな、と思わないでもない。
 駆け落ちというのは、本来、そうしたものだから。
 何もかも、ちゃっかり手に入れるなどは、きっと邪道というものだから。
(俺が駆け落ちするのなら…)
 前のあいつだ、と浮かべた笑み。
 出来はしなかったことだけれども、だからこそロマンチックな選択。
 手に手を取って船を捨てるのも、ミュウの未来など知ったことかと逃げてゆくのも…。

 

           駆け落ちするなら・了


※ハーレイ先生の頭に浮かんだ「駆け落ち」という言葉。今の時代は死語なのですが…。
 前のブルーとハーレイの場合は、それに相応しかったかも。その道は決して選べなくても…。











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(その内に冬が来るんだよね…)
 秋が終わったら、と小さなブルーが思ったこと。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今は、まだ秋。
 そうは言っても、木々の紅葉を迎えてはいない。
 たまに冷え込む夜もあるから、いずれ色づき始めるけれど。
(紅葉狩り…)
 ハーレイの授業で習った言葉。
 前から知っていたような気もするのだけれども、改めて印象付けられた。
 人が地球しか知らなかった時代、地球が滅びてしまうより前。
 この辺りにあった小さな島国、日本の人々が生み出した言葉。
(キノコ狩りみたいなものとは違って…)
 紅葉を採りにゆくのではなくて、眺めにゆくこと。
 貴族だったら自分の館の、広大な庭でも出来たという。
 庭の池に綺麗な船を浮かべて、その上からも紅葉を楽しんで。
(だけど、やっぱり…)
 紅葉が美しいと名高い場所まで出掛けてゆくのが、紅葉狩りの名に相応しい。
 牛車や輿でゆく貴族でなくても、馬さえ持たない庶民でも。
(遠足みたいなモノだもんね?)
 お弁当を持ってゆく紅葉狩り。
 気に入った場所でそれを広げて、時には酒を酌み交わしたり。
 とても素敵な響きの言葉が「紅葉狩り」だった。
(紅葉見物なんかじゃなくって…)
 うんと雰囲気がある言葉だよ、と心から思う。
 かつて日本に住んでいた人々、彼らは四季を愛したと聞いた。
 だからこそ多くの言葉が生まれて、様々な文化を育んだのだと。
 「紅葉狩り」というのも、その一つ。
 そう呼ぶ言葉も、紅葉を眺めに出掛けてゆくということも。


 今のハーレイが教えているのは、古典の授業。
 日本の古典を色々と習うけれども、合間に語られる豊富な知識。
(ハーレイの雑談…)
 居眠りしていた生徒までもが、ガバッと起きて聞き入るほど。
 生徒の集中力を取り戻すために、絶妙のタイミングで仕掛けられるもの。
(日本には、四季があったから…)
 生まれて来た文化は数多い。
 平安時代の貴族の間では、服装さえも季節に合わせて変えた。
(ちゃんと合わせないと、馬鹿にされるんだよね?)
 どうやら教養が足りないらしい、と皆に陰口を叩かれて。
 男性は女性にモテもしないし、女性の場合は、もっと悲惨な結果が待っていたのだとも。
(…身分の高い女の人は…)
 顔を見せないのが嗜みだったのが、平安時代。
 御簾や几帳の影に隠れて、更に扇で顔を覆った。
 それでは全く分からないのが、女性の顔立ち。
 美しい人か、そうではないのか、まるで分からないものだから…。
(手紙とか歌をやり取りしながら、どんな人なのか想像して…)
 もっと知りたい男性たちは、頑張って情報収集をした。
 人の噂をかき集めたり、覗き見しようと試みたりと。
(でも、顔なんか、そう簡単には…)
 見られないから、まず目に付くのは、その人の衣装。
 着物の袖などを御簾の外へと出しておくことは、よくあったという。
 牛車で何処かへ出掛ける時にも、同じように人目に付くように。
(そうやって見せてる着物の色…)
 その色だとか、重ね方だとか。
 趣があるか、季節に沿っているかと、男性たちは品定めをした。
 それは美しく装っているなら、教養の深い女性だろう、と。
 そういう人なら、きっと顔だって美しい筈、と考えるから、逆の女性はもうモテない。
 見向きもされずに放っておかれて、悪い噂が立ってゆくだけで。


(怖い時代だよね…)
 あの雑談を聞いた時には、教室中が震え上がった。
 教養が足りないとモテない時代で、よりにもよって季節に合った服装。
 今の時代に同じことを言うなら、全く別の意味になるのに、と。
(夏は暑いから、薄着をして…)
 半袖などを着て、暑さをしのぐもの。
 逆に冬なら、暖かい服。
 寒くないよう重ね着をして、マフラーなども巻いたりして。
(ちょっぴり取り合わせが、おかしくっても…)
 誰かにクスッと笑われるだけで、それでおしまい。
 「なんとも趣味の悪い人だ」と噂を立てられ、人生を棒に振ることは無い。
 服装で顔を想像せずとも、顔なら、ちゃんと見えているから。
 本当に綺麗な人かどうかは、顔を合わせれば分かるのだから。
(…平安時代じゃなくて、良かった…)
 ホントに良かった、とホッと息をつく。
 ハーレイの話を聞いた日の教室、あの日のクラスメイトたちも、皆、そうだった。
(学校だと、みんな制服だけど…)
 家に帰れば様々な服で、その服装には決まりなど無い。
 自分さえ良ければ、帰ってすぐに、パジャマに着替えてしまってもいい。
 平安時代の貴族と違って、誰も様子を見に来ないから。
 「あの人は何を着ているのか」と、チェックしに来ることは無いから。
(……そんな時代だと……)
 今のぼくだってアウトなのかも、と眺めるパジャマ。
 夜はパジャマで当然だけれど、これが平安時代なら…。
(季節に合った色とかのパジャマ…)
 それを着ないと「教養が無い」と笑われる。
 男性同士でも、互いにチェックしているから。
 趣味の良い人か、そうでないかと、品定めをして。
 友情を築くのに相応しい人か、相手にしない方がいいかと。


 そんな時代に生まれていたなら、上手く乗り切る自信など無い。
 なにしろ前の自分ときたら、常にソルジャーの正装だった。
(シャングリラには、四季があったけど…)
 白い箱舟には、幾つも設けられていた公園。
 其処には四季があったけれども、それとは関係無かった制服。
(ブリッジクルーなら、袖には羽根の模様とか…)
 そうした区別があった程度で、基本的には、男女別しか無かったものがミュウたちの制服。
 長老たちとキャプテン、ソルジャーにだって、それぞれの役職を示す制服があった。
(ぼくとハーレイのは、お揃いの意匠…)
 それが入っていたのだけれども、何人が気付いていただろう。
 きっと殆どの仲間は知らないままだったろう、と今でも思わないでもない。
 見た目には「全く別のデザイン」に見えたのが、ソルジャーとキャプテンの制服だから。
 色合いだって別物だったし、同じ意匠が上着に施されていることなんて…。
(よっぽど食い入るように見ないと…)
 気が付かないよ、と思い出す上着。
 前の自分でさえも、気付くまでには暫くかかった。
 気付いた時にはとても嬉しくて、有頂天になったもの。
(ハーレイとお揃いの服なんだ、って…)
 嬉しくてたまらなかったけれども、前の自分たちの服は、たったそれだけ。
 季節に合わせて変わりはしなくて、夏服と冬服さえも無かった。
 四季があったのは公園だけで、他の場所には無かったから。
(…人間らしく生きてゆくには、季節が無いと…)
 きっと駄目だ、と考えた前の自分たち。
 だから船の中に生み出した四季。
 改造を済ませた白いシャングリラの、あちこちに作った公園に。
 春には草木が一斉に芽吹き、夏には緑が生い茂る場所。
 秋は木の葉が色づいて散って、寒い冬には冬枯れの景色。
 流石に雪までは降らなかったけれど、立派に巡り続けた季節。
 船中が同じ制服のままで、季節に合わせることは無くても。


(ああいう船で暮らしていたから…)
 季節に沿った色合いの服など、とても選べるとは思えない。
 昔の日本に生まれていたら、困り果てていたことだろう。
 「どれを着たらいいの?」と、沢山の服を前にして。
 今の季節に合うのはどの衣装なのか、まるで全く分からなくて。
(教養の無い人なんだ、って思われちゃうよ…)
 誰かが教えてくれないと…、と頭に浮かんだのは今のハーレイ。
 きっとハーレイも、同じ時代に暮らしているに違いない。
 そして今みたいに知識が豊富で、頼り甲斐があって…。
(ぼくの服だって…)
 これだ、と教えてくれそうな感じ。
 「今の季節なら、こいつだよな」と相応しい色を選んでくれて。
(…うん、いいかも…)
 それなら昔の日本の世界でも、大丈夫。
 ただ、ハーレイと出会うより前は…。
(服もまともに選べなくって、教養が無くて…)
 駄目な人間の烙印を押されるのだろうか、まだチビなのに。
 十四歳にしかならない子供で、まだまだ人生、これからなのに。
(…それとも、ママが色々選んで…)
 揃えてくれて、その服でハーレイと出会うのだろうか。
 もちろんハーレイは、とても洒落たのを着こなしていて。
 季節に沿った色を選んで、教養の高さを匂わせて。
(…そういうのも素敵…)
 その世界ならば、ハーレイだってモテるのだろう。
 白いシャングリラの頃と違って。
 「薔薇の花のジャムが似合わない人だ」と、皆に笑われたりせずに。
 服の選び方が上手い男性、そういった人がモテた頃なら。
 チビの自分には難しくても、ハーレイなら得意そうだから。


(そうなっちゃうのも、楽しそう…)
 ぼくは少しもモテなくっても、と考えたけれど、問題が一つ。
 ハーレイがとてもモテるのだったら、チビの自分と出会う頃には…。
(とっくに奥さんがいるだとか…?)
 それは困る、と慌てたものの、きっとハーレイと自分なら…。
(ちゃんと出会えて、ずっと一緒で…)
 前の生とは違って離れることなく、何処までも二人でゆけると思う。
 チビの自分が大きくなっても、自分では服を選べなくても。
 「どれを着ればいいの?」と、ハーレイに訊いてばかりでも。
(……ふふっ……)
 こんな想像を広げられるのも季節のお蔭、と嬉しくなる。
 今の世界に四季が無かったら、ハーレイの雑談に服の話は出ないから。
 常夏の場所で暮らしていたなら、今も知らないままだから。
(…四季が無かったら…)
 紅葉狩りだって無いんだものね、と夢見るハーレイとの未来。
 いつかは二人で紅葉の季節に、紅葉狩りにも行けるから。
 季節に合わせた服を着ろとは言われない世界で、ハーレイが作ったお弁当を持って…。

 

          四季が無かったら・了


※ブルー君が思い出した、ハーレイ先生の雑談。季節に合った服を選んで着ていた時代。
 教養が無いと生きてゆくのも大変そう、と膨らんだ想像。四季のある世界は素敵なのですv











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(今は秋だが、その内に…)
 寒くなって冬が来るんだよな、とハーレイが、ふと思ったこと。
 ブルーの家には寄れなかった日に、夜の書斎で。
 愛用のマグカップにたっぷりと淹れた、コーヒー片手に。
 十四歳にしかならない恋人、小さなブルー。
 前の生から愛した人で、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 この地球の上で再会した時は、まだ春だった。
 忘れもしない五月の三日で、桜の花はとうに終わった後だったけれど。
(しかし、五月は春だよなあ…)
 今の暦で言うんだったら、と頭に描いた昔の暦。
 人間が地球しか知らなかった頃、日本という国で使っていたもの。
 そちらの暦だと、五月は初夏になっていたらしい。
(今の日本じゃ、初夏と言ったら六月なんだが…)
 ついでに昔からそうなんだよな、と考える。
 日本という国は長く続いて、紀元二千年にも、まだ在った。
 その頃の日本の住人たちは、五月は春だと思っていた。
 やたらめったら暦にうるさい、一部の人を除いては。
 俳句や和歌を詠む人だとか、神社仏閣を守り続けていた人だとか。
(そういう人種は、古い暦を大事にしたから…)
 五月は春ではなくて、初夏。
 世間の人たちが「行楽の春だ」とはしゃいでいても、旅の広告が「春の旅」でも。
 けれども、地球が一度滅びて、奇跡のように蘇った後。
 昔の日本があった地域で、暮らし始めた人々は…。
(古い時代に帰ると言っても、限度ってものが…)
 あったせいだろうか、五月は春だと考える方を採用した。
 だからブルーと再会したのは、春のこと。
 「春浅い」とまでは言えないけれども、花が咲き乱れる頃だった。


 ブルーと再会出来た喜び、それに酔う内に過ぎていった日々。
 やがて初夏が来て、暑い夏が来て、学校の方も夏休み。
(用事の無い日は、毎日のように、あいつの家まで…)
 行ったもんだ、と思い出す。
 ブルーの家の庭で、一番大きく聳える木。
 その木の下に据えたテーブルと椅子で、何回、お茶を飲んだだろうか。
 さほど暑くない午前中なら、涼しい風が吹き抜けるから。
(夏休みの後も、まだ暫くは…)
 休日にブルーを訪ねて行ったら、午前のお茶は庭だったりした。
 それがいつしか涼しくなって、今では、庭でのお茶の時間は午後のもの。
(すっかり秋になっちまったし…)
 午前中に庭じゃ、涼しすぎるな、と考えなくても分かること。
 午後のお茶なら、似合いだけれど。
 秋咲きの薔薇が美しく咲いて、テーブルに華を添えるのだけれど。
(こいつが、冬になったなら…)
 外でのお茶など、とんでもない。
 今のブルーも身体が弱いし、寒い屋外では風邪を引く。
 だからティータイムはブルーの部屋で、とブルーの母も言うだろう。
 けれども、ブルーが描いている夢。
 寒い冬でも、庭でのお茶。
(雪がしんしん降っている中で…)
 火鉢を置いて暖を取りながら、熱い紅茶を飲むのだという。
 もちろんポットが冷めないように、保温用のティーコジーを被せておいて。
 寒さで風邪を引かないように、周囲にシールドを張り巡らせて。
(そのシールドは、俺が張るんだぞ…!)
 今のあいつには出来ないんだし、と竦める肩。
 サイオンが不器用になった今のブルーに、そんな芸当は出来ないから。
 シールドなんかは夢のまた夢、思念波さえも、ろくに紡げないから。


 もうすぐ来そうな、そういう季節。
 庭の木の葉が鮮やかに色づき、そうして散っていったなら。
 風に舞い、地面に散り敷いた葉が、カサカサと音を立てる頃。
(そうなれば、冬で…)
 霜も降りるし、やがて空から白い欠片が舞い降りて来る。
 いわゆる初雪、同じ地域でも北に行くほど初雪が早い。
(標高が高い所も、そうだな)
 山の上の方だけ雪化粧などは、よくある話。
 雪が下界まで降りて来たなら、本格的な冬の始まり。
(あいつが、火鉢を持って来てくれ、って…)
 うるさく騒ぎ出すんだぞ、と苦笑する。
 火鉢は此処の家には無いから、隣町まで借りに行かねば。
(親父と、おふくろのコレクション…)
 隣町に住む、今の自分の血の繋がった親。
 前の自分の頃と違って、養父母ではない「本当の親」。
 両親は揃って「昔の古い道具」が好きで、火鉢も、もちろん持っている。
(居間に置くのと、客間用のと…)
 少なくとも二つはある筈なのだし、その内の一つを借り受ける。
 「ブルーが火鉢に憧れている」と言えば、喜んで貸してくれるだろう。
 二人とも、ブルーを知っているから。
 会ったことは一度も無いのだけれども、「いつか息子と結婚する子」と。
 現に今でも、「ブルー君に」と色々、持たせてくれる。
 庭の夏ミカンの実で作ったマーマレードやら、金柑を甘く煮たものやら。
(変わったトコだと、ヤドリギの枝…)
 そんなものまで、父がわざわざ届けに来た。
 「珍しいから、ブルー君に持って行ってやれ」と、隣町から。
 それほどブルーを思ってくれるし、火鉢くらいは、お安い御用。
 たとえ冬じゅう貸し出したままになってしまおうとも、春まで返って来なくても。


(……火鉢なあ……)
 ついでに炭も貰って来ないと、と借りて来る物のリストを頭に作る。
 炭を熾すための道具も、火箸も借りて来なくては。
(それから、餅網…)
 餅網を忘れてはならない。
 ブルーの夢は「火鉢で、餅を焼く」こと。
 紅茶には、あまり似合わなくても。
 どちらかと言えば、ほうじ茶の方が似合いそうなものが「焼いた餅」でも。
(…前のあいつは、火鉢も知らなかったから…)
 もちろん、前の俺も知らんが、と思った所で気が付いた。
 シャングリラにも「冬」はあったのだ、と。
 白い鯨に改造した後、あの船の中に生まれた「季節」。
 人工的なものではあったけれども、公園には、ちゃんと季節があった。
 春から夏へと巡りゆくものが。
 夏が過ぎたら秋が訪れ、冬へと移り変わった季節。
(……人間らしく生きてゆくには……)
 それが必要だ、と考えて船に作った四季。
 流石に、白い雪までは…。
(降らなかったが、あの船の四季は見事だったぞ)
 懐かしいな、と白いシャングリラで一番広かった公園の景色を思い出す。
 ブリッジからは、よく見えた。
 なにしろ「箱舟」と呼ばれたブリッジ、それが公園の端に浮かんでいたから。
(春になったら、あちこちで花が咲き始めるんだ)
 冬の間は葉を落としていた木々も、一斉に芽吹く。
 誰もが心浮き立つ季節で、子供たちがピクニックをしていたもの。
 公園の芝生に、腰を下ろすためのシートを広げて。
 厨房で特別に作って貰った、ピクニック用の軽食も持って。


 今の日本と変わらないな、と可笑しくなった。
 春になったら、何処の公園でも見かける光景。
 親子で広げるお弁当やら、幼稚園などのピクニック。
(いつの時代も変わらんなあ…)
 シャングリラに火鉢は無かったがな、と思いはしても。
 前のブルーも、前の自分も、火鉢を全く知らなかったから…。
(…火鉢で餅を焼いて食べるなんぞは…)
 考え付きさえしなかったぞ、と不思議な気持ち。
 同じように四季があったというのに、やはり何処かが違っていた。
 あの白い船と、今の日本とでは。
(…雪も降らないような船では、無理だったかもな…)
 四季のある暮らしを極めることは、と思った所でハタと気付いた。
 今の自分も、今のブルーも、当たり前のように「四季のある暮らし」をしているけれど…。
(同じ地球でも、場所によっては…)
 四季ってヤツが無いんだった、と顎に当てた手。
 蘇った地球の北と南の端に行ったら、とても極端になるのが四季。
 太陽も昇らない長い長い冬と、瞬く間に過ぎ去る夏。
 それの間に、ほんの僅かだけ春と秋が来る。
 もう少し緯度が下がった場所なら、白夜と呼ばれる頃があるほど。
(そこでも四季はあるんだが…)
 常夏の国って所があった、と南国を思う。
 一年中、鮮やかな花が咲き乱れて、其処では生き物の色まで鮮やか。
 寒い冬など来ることは無くて、人々は、それはゆったりと…。
(暮らしている、っていうのは分かるが、やはり四季が無いと…)
 今の俺たちにはつまらないな、と感じる。
 遠く遥かな時の彼方で、四季のある船で暮らしたから。
 四季が無ければ人間らしく生きてゆけない、と人工的に季節を作り出した船で。


(今から思えば、ああいう時代でなかったら…)
 四季は必要無かったかもな、という気がしないでもない。
 箱舟の中で暮らしてゆくには、四季が必要だったけれども、平和だったら。
 誰もがのんびり生きていたなら、常夏の国が今もあるように…。
(一年中、暮らしに適した温度の…)
 常春の船でも、かまわなかった。
 誰一人、そちらを唱えはしなかったけれど。
 「四季が無ければ」と考えた上で、公園に四季を設けたけれど…。
(…今の俺たちは、四季がある場所に生まれたからなあ…)
 四季が無ければ物足りないぞ、と確信に似たものがある。
 夏の暑さが厳しかろうと、冬が寒くて辛かろうとも…。
(やっぱり冬には、雪が欲しいな)
 そしてブルーと庭で火鉢だ、と浮かべた笑み。
 今のブルーが憧れている、雪が降る日の庭でのお茶。
 四季が無ければ、そんな楽しみも生まれないから。
 常春や常夏は暮らし易そうでも、自分たちには四季がお似合いだから…。

 

         四季が無ければ・了


※今は当たり前の、四季がある暮らし。シャングリラの頃にも、人工の四季が公園に。
 常夏の国もあるのですけど、そういう所より四季のある所がいいなと思う、ハーレイ先生v











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