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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

(充分、分かっちゃいるんだが…)
 俺自身が決めたことなんだが、とハーレイの口から零れた溜息。
 小さなブルーの家へ出掛けた土曜日の夜、書斎でフウと。
 今日も強請られた、唇へのキス。
 「キスして」と強請った小さなブルー。
 前のブルーがそうしたように、首にスルリと腕を回して。
 桜色の唇で、甘く囁いて。
 けれども、その腕の感触が違う。
 前の自分の記憶にある腕、前のブルーが回した腕とは。
 細く華奢ではあったけれども、大人のものだったブルーの腕。
 柔らかい子供の腕とはまるで違った、もっとしっかりとした感触。
 頼りなくはなくて、今ほどに軽い腕でもなくて。
 力だってもっとあったように思う、「キスして」と自分を引き寄せた腕。
 腕も違えば、声も違った。
 甘く囁かれた言葉は全く同じだけれども、違った甘さ。それに息遣い。
 前のブルーも若かったけれど、今のブルーとは違って大人。
 囁く声が子供のものとは違った、もっと低くて落ち着いた声音。
 息も子供の弾んだそれとは、やはり違ってしっとりした息。
(…そうだ、あいつは…)
 前のあいつはそうだったんだ、と飛び去った前のブルーを想う。
 遥かな遠い時の彼方で、前の自分が失くしたブルー。
 たった一人でメギドへと飛んで行ってしまった、暗い宇宙に散った恋人。


 それから長い時が流れて、生まれ変わって来た自分。
 青い地球の上に、ブルーと二人で。
 失くしたブルーにまた巡り会えた、奇跡のように。
 ところが、姿が違ったブルー。
 銀色の髪も赤い瞳も、顔立ちさえも同じだけれども、少年になってしまったブルー。
 遠い昔にアルタミラで出会った頃の姿に、失くしたブルーよりも幼い姿に。
 十四歳にしかならないブルー。
 今の自分の教え子の一人、両親と暮らす小さなブルー。
 お互い、直ぐに分かったけれど。
 前の生で愛した人に会えたと分かったけれども、前と同じにはならない関係。
 恋人同士には違いなくても、交わせない愛と唇へのキス。
 ブルーはそれを望むけれども、自分が「駄目だ」と禁じたこと。
 身体を重ねて愛を交わすことも、唇へのキスも。
(…何処から見たって、チビなんだしな?)
 それに中身も幼いブルー。
 小さなブルーは「前のぼくと同じ」と主張するけれど、それはブルーの勘違い。
 まだ幼すぎて分かってはいない、今の自分が幼いことを。
 前のブルーと同じではないと気付いてはいない、気付きもしない。
 だからブルーはキスを強請るし、「本物の恋人同士」になりたいと願う。
 前と同じに愛を交わして、「本物の恋人同士」になるのだと。
 小さな身体で、幼い心で、耐えられる筈がないというのに。
 泣き叫ぶことになるのだろうに、まるで分かっていないのがブルー。


 とはいえ、愛を交わすことは諦めようと考えたのか、相応しい場所が無いと思ったか。
 そちらは殆ど口にしなくなった、「早く本物の恋人同士になりたいのに」とは。
 けれど諦めないのが唇へのキスで、どんなに「駄目だ」と叱っても…。
(何かのはずみに強請ってくるんだ)
 キスして欲しいと、「ぼくにキスして」と。
 今日もやられた、その攻撃。
 軽くいなして、「馬鹿」と額を小突いたけれど。
 膨れっ面になったブルーを、「キスは駄目だと言っただろうが」と叱ったけれど。
 あの時の余裕は何処へ行ったか、さっき自分がついた溜息。
 「俺自身が決めたことなんだが」と。
 そう、自分自身が決めたこと。
 小さなブルーにどう接すべきか、どう扱うかを考えた末に作ったルール。
 今のブルーにキスをするなら、それは額か頬だけに。
 ブルーの両親もするだろうキス、親愛の情を表すキス。
 そういうキスしか与えないと決めた、ブルーは幼すぎるから。
 恋人同士には違いなくても、前と同じにはいかないから。
 「前のブルーと同じ背丈に育つまでは駄目だ」と禁じたキス。唇へのキス。
 ブルーにもそう言い聞かせてある、この決まりは絶対なのだから、と。


 自分自身が作ったルール。
 小さなブルーが前とそっくり同じ姿に育つまでは、と禁じたキス。
 けれども、たまに寂しくなる。
 ブルーはちゃんといるのだから。
 前の自分が失くしたブルーは、ちゃんと帰って来てくれたから。
(…いつかは大きく育つと分かっちゃいるんだが…)
 それまで待とうと思うけれども、そういう覚悟でいるのだけれど。
 ブルーの背丈は伸びてくれなくて、出会った時と同じまま。
 一ミリさえも伸びはしなくて、今も百五十センチのまま。
 前のブルーの背丈との差は、まるで縮んでくれなくて。
(…あいつも文句を言ってはいるが…)
 俺だって、と零れて落ちてしまった溜息。
 ブルーが育ってくれないことには、キスを交わせはしないのだから。
 唇へのキスは許されないまま、出来ないままで過ごすしかない。
 いくらブルーが「キスして」と首に両腕を回して来ても。
 子供の腕で引き寄せられても、甘い声音で囁かれても。
(まったく、どうして…)
 育たないのだろう、小さなブルーは。
 前のブルーが失くしてしまった、子供時代の温かな記憶。
 それは戻って来ないけれども、代わりに今の子供時代を長く過ごしてゆくのだろうか。
 幼い姿で、両親の愛を一杯に注いで貰って。
 きっとそうだと考えているし、それもいいことだとは思う。
 「急がずに、ゆっくり大きくなれよ」とも言ってやってはいるけれど…。


 縮んでくれない、ブルーの唇との間。
 そこにいるブルーと交わせないキス、唇までの縮まない距離。
 「キスして」と小さなブルーが顔を近づけても、本当の距離は縮まらない。
 物理的な距離が縮むというだけ、キスを交わせる日はまだ来ない。
 訪れてはこない、ブルーは小さいままだから。
 再会した日と変わらないまま、少しも大きくならないから。
(…一ミリも縮まないと来たもんだ…)
 あいつとのキスが出来る距離、と溜息が零れ落ちてくる。
 前の自分が失くしたブルーが戻って来たのに、出来ないキス。
 こんな日が来るとは夢にも思っていなかった。
 ブルーはいるのにキスが出来ない、唇を重ねることが出来ない。
(…前の俺だったら、まるで悪夢で…)
 とても耐えられはしないだろう。
 前のブルーと白いシャングリラで共に暮らす中、こうしてキスが出来なくなったら。
 ブルーはそこにいるというのに、キスを交わせなくなったなら。
 「キスして」と両腕で引き寄せられても。
 甘く囁きかけられても。
(…どんな拷問だ…)
 耐えることなどきっと出来ない、間違いなくキスをしてしまう。
 ブルーの囁きに応えてキスを。
 唇を重ねて、甘く、それでいて激しいキスを。


 それを思えば、今の自分は我慢強いと考えたけれど。
 自分で決まりを作ったほどだし、大したものだと誇らしく思ってしまったけれど。
(…単にあいつがチビだからか?)
 それで余裕があるだけなのか、と唇に浮かんだ苦い笑み。
 現にこうして溜息を零している自分。
 ブルーとの距離が縮まらないと。
 唇との距離が縮まないから、キスが出来る日は遠そうだと。
(…なんだって、こうなっちまったんだか…)
 ブルーがいるのに、失くしたブルーが戻って来たのに、出来ないキス。
 愛も交わせず、キスは額と頬にだけ。
 そういう日々がまだまだ続いてゆくのだろう。
 小さなブルーは少しも育ってくれないのだから。
 再会した日と同じ背丈で、一ミリも伸びてはいないのだから。


 前のブルーとそっくり同じに育つまでは、と自分が禁じた唇へのキス。
 ブルーも不満たらたらだけれど、たまに自分も溜息をつく。
 前のブルーを思い出しては、今の小さなブルーとの違いに気付かされて。
 白い鯨で共に暮らした、恋人とのキスを思い返して。
 いつでもキスを交わせたブルー。
 周りに人がいなければ。
 誰も見ていない所ならば出来た、いつでも唇へのキスが。
 互いの唇を深く重ねて、甘い恋人同士のキスが。
(…すっかり遠くなっちまった…)
 愛したブルーの唇との距離。
 今も変わらず、ブルーを愛しているけれど。
 小さなブルーも自分を慕ってくれるけれども、それは子供の慕い方。
 少しおませな子供の恋人、とてもキスなど出来はしなくて。
 キスをするなら頬と額だけ、子供向けのキスが精一杯。
 だから、こうして溜息をつく。
 自分が決めたことだけれども、遠くなってしまった唇への距離。
 それが少しも縮みそうにないと、まだまだキスを交わせはしないと。
 縮まないブルーの唇との距離。
 いつかブルーが育つ時まで、前のブルーと同じ姿で「キスして」と甘く囁く日まで…。

 

         縮まない距離・了


※ハーレイ先生が決めた、ブルー君とキスが出来るようになる日についてのルール。
 自分で決めても、溜息が出る日があるようです。キスが出来ないのは辛いですよねv





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(んーと…)
 今日も載ってる、と小さなブルーが広げた新聞。
 学校がある日の朝だけれども、早い時間に目が覚めたから。
 母が焼いてくれたトーストと卵一個のオムレツ、それも綺麗に食べたから。
 背丈が早く伸びるようにと、毎朝、必ず飲んでいるミルク。
 今朝もきちんと飲み終えたけれど、家を出るには早すぎる時間。
 もっとも、近い場所に住む友人や同じ学校の生徒は、早い者なら家を出ているだろうけど。
 学校までの距離を歩くのだったら、そこそこ時間がかかるのだから。
 けれど生まれつき身体が丈夫でないブルー。
 弱い身体は学校までの往復だけで悲鳴を上げるし、とても授業は受けられない。
 なんとか行きは辿り着けても、授業を最後まで受けられたとしても、きっと危ない帰り道。
 途中で疲れて座り込むならまだマシな方で、パタリと倒れてもおかしくはなくて。
 そうなってからでは遅いのだから、と今の学校へはバス通学。
 他の子たちよりもゆっくり出掛けて間に合うバス。
 その路線バスに乗りに行くにはまだ早いから、とダイニングでゆっくり、のんびり新聞。
 制服はもう着ているから。
 後は置いてある通学鞄を持つだけだから。
 そんな具合で広げた新聞、端っこの方に載っているもの。
 端っこだけれど目に付くようにと、工夫を凝らしてある部分。
 だから大抵、あると気が付く。
 「今日も載ってる」と、チラリと眺める「今日の運勢」と書かれたコーナー。


 いつもは全く気にしないけれど、占いに興味は無いけれど。
 今日の運勢がどうであろうが、チェックしようとも思わないけれど。
 時間がたっぷりあったせいなのか、それとも一日の始まりの朝だったからか。
 読んでみる気になったコーナー、「今日の運勢」。
 えーっと…、と覗き込んで直ぐに躓いた。
 どれが自分の運勢なのかが、パッと見て直ぐに分からなかった。
 占いは星占いだったから。
 地球の夜空を彩る星々、太陽と同じ黄道を巡る十二の星座。
 生まれた日に頭上に昇っていた星座、それが自分の星座に決まる黄道十二宮。
(…ぼく、なんだっけ…?)
 自分の星座など覚えてはいない、まるで興味が無かったから。
 下の学校の頃も、今の学校でも、星占いに凝っているのは女の子。
 「今月の蟹座は…」といった具合に話に花が咲いているけれど、男子は話題にさえしない。
 自分と同じで興味など無くて、きっと訊かれても「俺?」とポカンとするのだろう。
 考えたことも無かったけれどと、どんな星座があったっけ、と。
(十二宮なら分かるんだけど…)
 前の自分も名前だけなら知っていたから、本物の星座を目にしていないだけだから。
 十二の星座に何があったか、それは辛うじて分かるのだけれど。
(…順番までは覚えていないよ…)
 どういう順に並んでいたのか、その段階でもう分からない。
 だから当然、分かるわけがない、自分が生まれた日付が何座になるのかなどは。


 さて困った、と思ったけれども、もしかしたら運がいいかもしれない。
 「端から順に見ていけば…」と一番最初の枠を覗いたら、「牡羊座」の欄を眺めたら。
 ちゃんと入っていた日付。
 三月三十一日生まれは牡羊座だった、いきなり答えを貰うことが出来た。
 余計な手間は一つもかけずに。
 「ぼくはどれなの?」と端から順に探さなくても、一番最初の欄に自分の星座。
 自分が生まれた日の星座。
(そっか、牡羊座…)
 覚えておこうと思ったけれども、普段は読まない星占い。
 明日には綺麗に忘れていそうで、次に読む時は、またまた悩みそうだけど。
 自分はどれかと困りそうだけれど、きっといつでも一番最初にあるのだろう。
 前の自分の遠い記憶が「最初だ」と微かな声で告げるから。
 十二の星座の最初は牡羊、牡羊座で始まるものなのだと。
(…これだって、また忘れそうだけど…)
 バスに乗って学校に出掛ける頃には頭から抜けていそうだけれども、たかが黄道十二宮。
 学校のテストに出てはこないし、順番だって訊かれない。
 「お前、星座は何だったっけ?」と尋ねる友達だっていないし、忘れても何の問題も無い。
 要は今だけ、星占いを読む間だけ、分かっていればいい。
 今日の自分の運勢はどうか、牡羊座の欄にどう書いてあるか、それさえ読めば。
 読んで分かればそれでおしまい、その間だけの短い付き合い。
 牡羊座という星座とは。
 青い地球の上に生まれて来た日に、空にあっただろう牡羊座とは。


 なんて幸運だろうと思った、最初に見付けた牡羊座。
 苦労せずとも、手間をかけずとも、一目で分かった自分の星座。
 だから最高にツイているのだと喜んで読んでみたのだけれど。
 今日の運勢はきっと最高、いいことずくめの素晴らしい日だと胸を躍らせていたのだけれど。
(……嘘……)
 最下位だなんて、と愕然としてしまったランキング。
 ズラリ並んだ十二の星座の今日の運勢、中でも一番ツイていないのが牡羊座だった。
 最高はどうでもいいのだけれども、何が最高かはどうでも良くて。
 一つ上の星座も見る気になれない、自分が最下位なのだから。
 牡羊座よりも下には無いらしい星座、牡羊座よりもツイていない星座は一つも無い。
 よりにもよって最下位の運勢、言い方を変えれば今日は最悪。
 そんな馬鹿な、と牡羊座の欄を読み進めてみても、救いはやって来なかった。
 「気を付けましょう」だとか、「人間関係に危険信号」だとか。
 縁起でもない言葉の数々、中でも一番こたえたのが…。
(…人間関係に危険信号…)
 ご丁寧にも、「恋人のいる人は要注意」とまで書かれてあった。
 こう書かれたら小さな自分でも分かる、別れ話の危機か何かだと。
 でなければ喧嘩、ささいなことから。


(…ハーレイと喧嘩…)
 しょっちゅうやっていると言えば言える、ハーレイと喧嘩。
 自分が一方的に喧嘩を売っている気がする日常。
 「キスしてくれない」と膨れっ面になっているとか、「ハーレイのケチ!」と叫ぶとか。
 まさかハーレイの堪忍袋の緒が切れるとは思えないけれど。
 「お前の顔など二度と見たくない」と去ってゆくとは思えないけれど、危険信号。
 暫く口を利いて貰えないとか、家に来てくれないとか、そういったことはありそうで。
 「たまには一人で反省しろ」とばかりに無視されることもありそうで…。
(…どうしよう…)
 恋人と喧嘩をしてしまったら終わりらしいのが、今日の牡羊座の運勢。
 人間関係に危険信号、「恋人のいる人は要注意」。
 ラッキーどころか、まるで逆だった自分の運勢、なんとも危うい今日の運勢。
(…こんな日に限って、ハーレイが来そう…)
 そして自分がウッカリ膨れてしまって、ハーレイが「もう知らん」と眉間に皺を寄せるとか。
 両親も一緒の夕食の席では普段の笑顔で話してはいても、「またな」と帰って行ったとしても。
(…その「また」がいつになっちゃうのか…)
 かなり危ない、この運勢では。
 星座は十二もあるというのに最下位な上に、人間関係に危険信号だから。
 考えたくもない話だけれども、「恋人のいる人は要注意」とまで警告されているのだから。


 どうしたものかと考えたけれど、落ち込んでしまいそうな気分だけれど。
 今日の運勢など知らない方がまだマシだった、と思うけれども、相手は占い。
(…当たらないよね?)
 占いだもの、と睨み付けてみたランキング。
 牡羊座が最下位だと占った誰か、こんな星占いなど当たりはしないと。
 占いが当たるというのだったら、男の子だって、きっと夢中になるだろう。
 女の子ばかりが話題にしてはいないだろうし、その程度のもの。
 きっと外れるに違いないよ、と前向きに考え直した途端に、フイと掠めた遠い遠い記憶。
 タロットカードを繰っていたフィシス、前の自分が手に入れた女神。
 地球の映像をその身に抱いた少女が欲しくて、ミュウの仲間を欺いた。
 本当はミュウではなかった少女を、機械が無から創ったフィシスをミュウの女神にした自分。
(…フィシスの占い…)
 恐ろしいほどによく当たっていた、託宣とまで呼ばれたくらいに。
 ジョミーがシャングリラにやって来ることも、赤いナスカに迫った危機もフィシスは当てた。
 それを思うと馬鹿に出来ない、「占いなんて」と言い切れはしない。
 どうせ当たらないと思ってかかって、痛い目を見たら馬鹿でしかない。
(…でも、どうしたら…)
 注意したって、きっと自分はハーレイに喧嘩を吹っ掛けるだろう。
 喧嘩をしているつもりはなくても、何かのはずみにプウッと膨れて。
 それでハーレイがカチンと来たなら、「またな」と帰ったその次が無い。
 「忙しいから」と来てくれないとか、頼みの週末も「用事が出来た」と他所に行くとか。


 それは困る、と祈る気持ちで読み直してみた今日の運勢。
 書き添えてあったラッキーアイテム、ラッキーカラーに、幸運を運んでくれる場所。
(…ハサミ…)
 ラッキーアイテムはハサミだと言うから、それを鞄に突っ込んだ。
 自分の部屋まで取りに戻って、コッソリと底に。
 緑だと書かれたラッキーカラーは、色鉛筆の緑を筆箱に。
 これも部屋から取って来たもの。
 後は幸運がやって来る場所、上手い具合に…。
(学校の前…!)
 これなら確実に通る場所だし、きっと運だって良くなるだろう。
 ハサミに緑に、それから学校。
 占いといえども、けして馬鹿には出来ないから。
 ハーレイと喧嘩をしないためにも、運が良くなるよう頑張ろう。
 人間関係に危険信号が点ってしまったら、悲しいから。
 恋人のいる人は要注意だから、ラッキーアイテムで運を良くして、膨れっ面も今日は我慢で…。

 

        牡羊座の運勢・了


※今日の運勢が最悪らしいブルー君。人間関係に危険信号、「恋人のいる人は要注意」。
 可哀相すぎる運勢ですけど、膨れっ面を我慢で頑張りましょうね、今日くらいはねv





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(ふうむ…)
 朝食を終えて、ハーレイが開いてみた新聞。
 出勤までには余裕のある朝、早すぎるほどの時間に目が覚めた朝。
 これが休日なら、ひとっ走りしてくるけれど。
 朝食の前に朝のジョギング、足の向くまま町を走りにゆくのだけれど。
 学校がある日は柔道部の朝の練習があるから、運動はそちらで充分なわけで。
 のんびりしてから行くとしようか、と朝食の後に広げた新聞。
 目に付いた記事から順に読んでいる内、どうしたわけだか目に入ったもの。
 その名も「今日の運勢」なるもの、いわゆる占いが載ったコーナー。
 いつもだったら「占いだな」とチラリと眺めておしまいだけれど、暇だったから。
 出勤するには早すぎるから、たまには、と読んでみることにした。
 占いの類は気にしないけれど、そんなタイプではないけれど。


(うーむ…)
 さて、と読もうとしたコーナー。
 最初でいきなり躓いた。
 どれが自分の運勢なのかがまずは問題、日頃は馴染みのないものだから。
 枠で囲まれた幾つもの運勢、その中の一つが自分の筈で。
(確か、俺はだな…)
 乙女座だったか、と思ったけれども、無い自信。
 占いコーナーは星占いで、十二の星座に基づいたもの。
 地球の夜空を彩る星たち、季節に合わせて昇る星座もまた変わる。
 太陽がゆくのと同じ道をゆく、黄道を動いてゆく星座。
 いわゆる黄道十二宮。
 あることは知っているのだけれども、それと自分が直結するほど星占いに凝ってはいない。
 確か乙女座、その程度にしか思わないから、つまずいた出だし。
(八月の二十八日生まれだから…)
 どうだったか、と乙女座について書かれた枠を覗き込んで「よし」と大きく頷いた。
 ちゃんと合っていた自分の記憶。
 まるで全く馴染みがないのに、うろ覚えでも間違えなかった乙女座。
(…あまりに似合っていないからだな)
 この俺にはな、と浮かべた苦笑い。
 この顔で、体格で乙女も何も、と思わざるを得ない自分の外見。
 乙女座などという可憐なものより…。
(むしろ、こっちだと思うんだがな?)
 ちょっとズレて、と眺めた獅子座。
 あと少しばかり早く生まれたら、俺は獅子座の筈だったが、と。


 獅子ならともかく、似合わない乙女。
 その段階で既に当たらないような気がする占い、「これは俺とは違いそうだ」と。
 けれど、星座はイメージで選ぶものではないから。
 こっちの方が、と自分で好きには決められないから、やっぱり乙女座。
 生まれた日付で決まる星座に文句を言っても始まらない。
 おまけに、今の自分がいるのは…。
(正真正銘、地球だってな)
 星占いが生まれて来た地球、黄道の上を十二の星座が巡る星。
 前の自分が白いシャングリラで目指していた星、人間を生み出した母なる地球。
 そこに生まれて育ったのなら、もう間違いなく十二の星座に繋がるだろう。
 占いが当たるかどうかはともかく、十二の星座が人生や運勢を司るかはともかくとして。
(…前の俺なら、それほどアテにはならないんだがな?)
 それどころか当たる筈もなくてだ、とクックッと笑う。
 前の自分が、キャプテン・ハーレイだった自分が生を享けた場所。
 人工子宮から生まれて来た場所、其処の空には十二宮など無かったから。
 黄道を巡る十二の星座は、空に輝いてはいなかったから。
 地球の夜空にしか昇らない星座、それが運勢に影響したりはしなかったろう。
 あまりにも離れすぎていて。
 十二の星座があまりに遠くて。


 その上、当時は無かった地球。
 あったけれども無いも同然、人が住めない死の星だった。
 そんな地球では、十二の星座も…。
(まるで力は無かったろうな)
 地球の上には、星を仰ぐ人などいなかったから。
 あの星が自分の星座なのだと、探す人など無かったから。
(知識としてはあったんだがなあ、あの頃でもな)
 地球には八十八の星座があるということも、その中の十二が特別なことも。
 けれどそこまで、知りようもなかった前の自分の星座。
 成人検査で失われた記憶、人体実験の日々で失くした記憶。
 誕生日などは覚えていなくて、十二の星座と十二宮なる存在を知っても割り出せない。
 もっとも、前の自分の場合は、知っても意味さえ無かったけれど。
 人工子宮から取り出された時、頭上に星座は無かったから。
 地球の黄道を巡る星座は、遠い昔から巡り続けた十二の星座は。
(あの頃の地球には人は住めないし、俺は地球では生まれてないし…)
 本当にどうでもいいことだったな、と考えてしまう前の自分が生きた頃。
 それにあの頃、占いと言えば…。
(…いつもフィシスがやっていたんだ)
 前のブルーが連れて来た少女。
 仲間たちはミュウだと信じたけれども、人間ですらもなかったフィシス。
 マザー・システムが無から創った生命体。
 なのに何故だか、占い師だった。
 フィシスは未来を読み取り続けた、ミュウの、シャングリラの未来のために。


 さて…、と読み始めた占いコーナー。
 乙女座の自分の今日の運勢、それが書かれているコーナー。
 「こんなものか」と思いながら読んだ、さして悪くも良くもない今日。
 最高にツイている星座でもないし、まるでツキが無い星座でもないし…。
(…ランキング的には真ん中ってトコか)
 正確に言えば真ん中よりも辛うじて上、十二の星座は六個ずつにしか分かれないから。
 これが真ん中だと呼べる一つを作り出すには、奇数でないといけないから。
 上から六番目、今日の乙女座はそういった所。
 多分、平凡だろう運勢、此処に書かれている通り。
 思いがけないラッキーなことが起こりもしないし、不運な目にも遭いそうにない。
 この占いが当たるなら。
 黄道を巡る十二の星座が人の運命を司るなら。
(そうは思えないわけなんだが…)
 同じ地球の上、山のようにいる自分と同じ乙女座の下に生まれた人間。
 今日は最高にツイている人もいるだろう。
 そうかと思えば、家を出た途端に派手に転ぶ人もいるのだろう。
(要は、こいつは一種のお遊び…)
 運試しに、とクジを引くのと似たようなものが星占いだな、と笑みを浮かべた。
 新聞を開いて覗いたコーナー、そこにツイていると書いてあったら期待に満ちた一日の始まり。
 ツイていないと書かれてあったら、「気を付けよう」と考えてみたり。
(なんたってなあ…)
 こいつが遊びの証拠ってモンだろ、と可笑しくなったラッキーアイテム。
 今日の乙女座はカメラだとあった、それを持って仕事に行けと言うのかと。
 乙女座に生まれた子供の場合は、カメラを持参で幼稚園か、と。


 もっと笑ったのがラッキーカラーで、ピンクだという。
 ピンクの服など持ってはいないし、ピンクの小物もあるわけがない。
(乙女座だからピンクだっていうわけじゃないよな?)
 俺に似合いの獅子座はどうだ、とそちらを見たら水色だったし、これも微妙な色ではある。
 休日だったら取り入れようもあるのだけれども、スーツでは…。
(ワイシャツの生地の細い線くらい…)
 他には咄嗟に思い付かない、仕事に出掛ける時に取り入れられる水色などは。
 獅子座だったとしても難しい、今日の自分のラッキーカラー。
(真面目にやるヤツが何人いるんだ…)
 それでも需要はあるのだろう。
 こうして星占いのコーナーがあって、きちんと書かれているからには。
 運勢の他にラッキーカラーやラッキーアイテム、行けば幸運が来るという場所。
 律儀に全部実行したなら、真ん中から辛うじて上の運勢もラッキーな日になるのだろうか?
 乙女座の自分がカメラをぶら下げ、ピンクを何処かに取り入れたなら。
 水辺がツイているというから、出勤前に大きな池でも少し覗いてから行けば。
(…まず、有り得ないと思うがな?)
 俺の運勢は今日は可もなく不可もなく…、と思ったけれど。
 占いなどは信じるに足らずと、遊びなのだと笑い飛ばそうとしたけれど。


(…占いなあ…)
 まるで当たらないわけじゃなかった、とハタと気付いて窓の外を見た。
 燦々と朝日が照らし出す庭と、庭の木々の上の青い空。
 今は青くて十二の星座は一つも見えはしないのだけれど、それが輝く夜空の彼方。
 暗い宇宙を白いシャングリラで旅した自分は、前の自分たちの航路を示していたのは…。
(…フィシスの占いだったんだ…)
 無視して航路を設定した時、それは危うい目に遭った。
 思考機雷の群れに囲まれ、三連恒星の重力の干渉点からワープして逃げた。
 しかも後ろには人類軍の船、逃げ損なったら沈められたか、太陽に真っ直ぐ突っ込んでいたか。
(…当たらないとも言い切れないか…)
 あれを思えば、とブルッと肩を震わせてから、また占いのコーナーを見る。
 今日はカメラを持ってゆこうかと、車に乗せておくべきだろうかと。
 ピンク色の物は何かあったかと、行きに大きな池を回って、それから出勤していこうかと…。

 

        乙女座の運勢・了


※ハーレイ先生がたまたま目にした星占い。面白がって読んでいたまではいいのですけど…。
 怖くなったらしいフィシスの占い、ラッキーアイテムやカラーを揃えてしまいそうですねv





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(たったの十四年なんだけど…)
 それだけしか生きていないんだけど、とブルーが見回した部屋の中。
 今の自分が暮らしている部屋、両親がくれた子供部屋。
 一人息子の自分を可愛がってくれる両親が。
 いつも優しい、父と母とが。
 ほんの小さな子供の頃には、この部屋は遊びに使っていただけ。
 眠る時は両親の所へ出掛けた、でないと怖くて眠れないから。
 独りぼっちで真っ暗な夜を過ごすことなど、幼い自分には無理だったから。
(もうちょっと大きくなった後にも…)
 子供用のベッドを貰った後にも、夜中に引越ししていたりした。
 やっぱり一人の部屋は怖いと、独りぼっちでは眠れないと。
 今でこそしなくなったけれども、枕を抱えて引越してみたり。
 枕も持たずにパジャマ姿で「入れて」とベッドに潜り込んだり。
(大きくなるまでに十四年だよ…)
 ずいぶんかかった、と思うけれども、それでもたったの十四年。
 前の自分が眠り続けた十五年には及ばない。
 アルテメシアを後にしてから、赤いナスカで目覚めるまでの十五年間。
 本当に深く眠っていたから、時間の感覚はまるで無かった。ほんの一瞬にも思えた時間。
 十五年間もあったのに。
 今の自分が青い地球に生まれて、今の姿に育つまで。
 十四年で此処まで育って来たのに、前の自分はそれよりも長く眠り続けた。
 何もしないで、ただひっそりと。
 青の間のベッドに横たわったままで、十五年もの歳月を。


 あの年月があったとしたなら、どれほどのことが出来ただろう。
 赤いナスカを見て、あの星で育った作物に触れて。
 トォニィの誕生も祝えただろう、他のナスカの子供たちにも祝福の言葉を言えただろう。
 ジョミーを労うことだって出来た、アドバイスだって。
 ナスカで起こったという新しい世代と古い世代の間の対立、それも解決したかもしれない。
 前の自分が何か一言、言いさえすれば。
 アルタミラから共に生きて来た仲間たちには、自分の言葉が正しく思えただろうから。
 ジョミーが言ったら、「何を言うんじゃ」と一蹴されそうなことであっても。
 「それじゃ話にならないね」と鼻で笑われそうなことであっても、前の自分の言葉だったら…。
(…きっと、みんなは真面目に聞いたよ)
 その場では顔を顰めたとしても、きちんと考えてくれたのだろう。
 とても受け入れられないようなことでも、時間をかけて理解しようとしてくれただろう。
 「それがソルジャーの考えならば」と、けして頭から否定はせずに。
 間違っているのは自分の方かもしれないのだから、と慎重に。
(ソルジャーはジョミーだったけど…)
 それでも、先のソルジャーだった自分がいたなら事情は変わる。
 こっそりと意見を訊きに来る者も多かったろうし、意見を主張しに来る者も。
 「ジョミーにはとても従えない」と訴える者やら、愚痴を零しに来る者たちやら。
 その度に彼らと向き合って話し、自分の意見も述べていたなら。
 ナスカの扱いも変わっていたろう、古い世代がナスカを見る目も変わっただろう。
 頑なに「早く地球へと旅立つべきだ」と言い続けたりせずに、少し譲って。
 「いずれは地球に行くのだから」と、「この星に夢中にならないように」と。


 そうなっていたら、若い世代も頑固にナスカにしがみついてはいなかったろう。
 キースがシャングリラから逃げた段階、あそこで避難出来ただろう。
 「危険が去ったらまた戻ればいい」と白いシャングリラで。
 このまま二度と戻れないわけではないのだから、と誘導されるままに白い鯨に乗り込んで。
(…あんな対立が無かったら…)
 きっと彼らもそうしていた。
 ナスカに戻れる希望があるなら、白い鯨に乗っていた。
 けれど、古い世代の者たちはナスカを嫌い続けていたから、白い鯨に乗ったら終わり。
 「もうあの星へは戻らない」と一喝されて、まだ見ぬ地球へと旅立つしかない。
 せっかくナスカを手に入れたのに。
 希望に満ちた夢の大地を、踏み締めることが出来る地面を。
(…誰だって、それは捨てたくないよ…)
 前の自分やアルタミラからの仲間たちでさえ夢見た大地。
 宙に浮かんだ船の中が全ての世界ではなくて、二本の足で踏み締める地面。
 それに焦がれて、地球を夢見た。
 青い地球に着いたら降りられる地面、いつかはそれを手に入れようと。
 ナスカは地球の紛い物だった、二つの太陽と赤い大地と。
 地球のそれとは違ってはいても、若い世代には地球のようにも見えただろう。
 だから彼らは捨てたくなかった、あの赤い星を。
 シャングリラに乗って逃げる代わりに、赤いナスカに残ろうとした。
 シャングリラは二度と戻らないから。
 ナスカに戻りはしないのだから。


 その前提からして間違いなのに、と今の自分だから思う。
 嘘でもいいから、「一時的に避難するだけだ」と告げれば彼らも白い鯨に戻っただろう。
 なのに、誰もつかなかった優しい嘘。
 前の自分が十五年の歳月を起きたままで船で過ごしていたなら、その嘘もついていただろう。
 「今は危ないから、危険が去るまでシャングリラに」と。
 それが嘘だと誰も思わない、そんな雰囲気さえ作り出せていたに違いない。
 古い世代との対立は消えて、古参の者たちもナスカを認めていただろうから。
 「戻れるものなら、また戻ればいい」と誰もが口にしただろうから。
 けれども、つけなかった嘘。
 前の自分は十五年間も眠り続けて、何もしようとしなかったから。
 何も出来ずに眠っていたから、目覚めた時には、とうに全てが遅すぎた。
 ナスカに残ってしまった仲間と、そのせいで遅れたナスカからの脱出。
 キースがメギドを携えて戻るのに充分な時間、それをむざむざと与えてしまった。
 充分な時間は、自分たちの方にもあったのに。
 シャングリラに乗り込み、ナスカを離れて逃げていたなら、悲劇は起こらなかったのに。


(…やっぱり、ぼくが寝ちゃっていたせい…?)
 十五年もの長い時間を無駄に眠っていた自分。
 それに足りない十四年があれば、生まれたばかりの赤ん坊でも今の姿に育つのに。
 ちゃんと少年の姿に育って、夜も自分の部屋で眠れるようになるのに。
(前のぼくって、失敗しちゃった…?)
 眠ろうと思って眠ったわけではないけれど。
 単に力が尽きただけだけれど、目覚めると同時にキースと対峙し、最後はメギドも…。
(…あんな遠くまで、飛んで行って沈めた…)
 ナスカからは遠く離れたジルベスター・エイト、星と星との間を飛んで。
 それだけの距離を瞬時に飛び越え、まだ残っていたサイオンの力。
 飛ぶよりも前に、一度メギドの炎を受け止めていたというのに。
 ジョミーたちの助けがあったとはいえ、炎がナスカを直撃するのを防いだのに。
 その後で飛んだ、メギドまでの距離。
 飛び越えた上に沈めたメギド。
 あれだけの力が残っていたなら、十五年という長い時間も…。
(…細く長くなら、起きていられた…?)
 そんな気もする、青の間のベッドから起き上がることは出来なくても。
 ジョミーの相談役になったり、古参の仲間たちの愚痴を聞いたり、それくらいのことは。
 出来たかもしれない、眠らなければ。
 十五年を無駄にしなければ。


 深く眠ってしまったばかりに、前の自分はメギドを沈めて死んだのだろうか?
 もしも起きていたら、白い鯨で皆とナスカを離れられたろうか?
(…そしたら、ハーレイとも一緒…)
 ハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちでメギドで死にはしなかった。
 何処で命が尽きていたにせよ、ハーレイの温もりは持っていられた。
 ソルジャー・ブルーの右腕としてなら、キャプテンとしてなら、ハーレイは手を握れたから。
 死にゆく自分の手を握りながら、最期の言葉を聞こうと控えていただろうから。
(…でも、そうなったら…)
 今の自分は此処に生きてはいないだろう。
 ハーレイと二人で青い地球の上に生まれ変わってはいないのだろう。
(前のぼくが一人で頑張ったから…)
 ミュウの未来を守り抜いたから、神は奇跡を起こしてくれた。
 そう思えるから、前の自分は失敗してはいないのだろう。


(眠っちゃったことは失敗だったとしても…)
 メギドを沈めて守った未来。
 白いシャングリラは地球に辿り着き、青い地球まで蘇ったから。
 神が起こした本物の奇跡、生まれ変わって来た自分。ハーレイと二人。
(…きっと、生まれてくる前だって…)
 ハーレイと二人でいたんだよ、と眺めた右手。
 メギドで冷たく凍えてしまった、ハーレイの温もりを失くした右の手。
 それが冷たかったという気がまるでしないから、きっとハーレイも一緒にいた。
 この地球の上に、二人で生まれて来た奇跡。
 神が奇跡を起こした時まで、きっとハーレイの温もりが側にあったに違いない。
 前の自分が眠ってしまって無駄に費やした十五年よりも長い長い時を、ハーレイと二人。
 きっとそうだ、と笑みを浮かべる。
 今の自分が此処にいる奇跡、ハーレイと二人で地球に来られたことこそが奇跡なのだから…。

 

         此処に来た奇跡・了


※ブルー君が育って来た年月よりも、長い時間を眠り続けたソルジャー・ブルー。
 失敗だったと悔やむブルー君ですけど、「終わり良ければ全て良し」ですよねv





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(…この家に来てからも、けっこう経つな…)
 今やすっかり俺の家だ、とハーレイが見回した自分の寝室。
 眠る前に、ふと思い浮かべた隣町の家。
 今も両親が暮らしている家。
 庭に夏ミカンの大きな木がある家で育った、子供の頃には真っ白な猫のミーシャもいた。
 あの家から父と釣りに出掛けたし、母に料理も教わった。
 他にも沢山の思い出が詰まった、学生時代までを過ごした家。
(教師になろう、って決めた時にだ…)
 父が買ってくれたのが今の家。
 「いずれ嫁さんも来るんだから」と子供部屋までついていた。
 教え子も遊びに来るだろうし、とバーベキューなどが出来る庭まで。
 其処に一人で引越して来て、この町で始めた今の生活。
 馴染みの店などもすぐに出来たし、近所に知り合いも大勢出来た。
 道を歩けば挨拶してくれる人が何人も、ジョギングから戻れば飲み物をくれる人もいる。
 「丁度よかった」と呼び止めてくれて、自慢の手作りジュースの類。
 梅のジュースや八朔のジュース、色も鮮やかな紫蘇ジュースなど。
 「御馳走になります」と有難く飲んで、それから走る残り僅かになった道。
 嬉しい心遣いのお蔭で、羽が生えたように軽くなる足。
 元々、重くはないけれど。
 自分のペースで楽々と走っているのだけれども、心が弾むと空を飛ぶよう。
(あいつは空は走らなかったが…)
 走っていたわけじゃないんだが、と恋人の顔を思い出す。
 今は小さくなったブルーを、生まれ変わって来たソルジャー・ブルーを。


 何ブロックも離れた所に、今のブルーが住んでいる。
 まだ十四歳にしかならない子供で、両親と一緒に暮らしているブルー。
 前のブルーは空を飛べたのに、今のブルーはまるで飛べない。
 サイオンを上手く扱えないから、前と同じにタイプ・ブルーでも何も出来ない。
 空を飛ぶどころか心も読めない、それが今のブルー。
(…上手い具合に、俺はこの町に来ちまったんだ…)
 ブルーが生まれてくるとも知らずに、それよりも前に。
 まだ母親の胎内に宿りもしない内から、この町で教師になろうと決めた。
 隣町でも、教師のポストはあったのに。
 今の自分の経歴だったら、何処でも採用して貰えたのに。
 柔道も水泳もプロの選手にならなかっただけ、学校にとっては欲しい人材。
 クラブの指導を任せておいたら、素質のある生徒が在籍していれば必ず結果を出せるから。
 大会に出られて賞だって取れる、プロ級の自分が才能を伸ばしてやるのだから。
(…何処でも教師になれたんだがなあ…)
 隣町でも、もっと遠くにある町でも。
 泳ぐのが好きだし、海辺の町に行くという選択もあった。
 その道を選んでいたとしたなら、シーズンになれば海で泳ぎ放題。
 泳げない季節も父に仕込まれた釣りを楽しむとか、海辺ならではの充実した日々。
 なのに、何故だか、来てしまった町。
 小さなブルーが生まれてくるのだと、まるで気付いていたかのように。


 ただ単純に「この町がいい」と思って選んだ今の町。
 家を買って貰って住んでいるのも、考えてみれば不思議ではある。
 通おうと思えば通える距離だし、そうする人も多いから。
 隣町から勤めに来る人も、逆に隣町へと朝から出勤してゆく人も。
(…なんだって、此処に来たんだか…)
 小さなブルーと再会してから、何度も不思議に思ったこと。
 どうしてこの町にやって来たのか、此処に住もうと決めたのか。
 何度も何度も考えたけれど、これという理由が見当たらない。
 「この町がいい」と自分が思った、それだけのこと。
 特に気に入った場所があったとか、何処かに行くのに便利だとか。
 そうした小さな理由さえも無い、この町に住もうと決めたこと。
(此処に、この町があったから、としか…)
 格好をつけて言うのだったら、それより他には無いだろう。
 SD体制が始まるよりも遥かな昔の登山家の言葉、それをもじって。
 「どうして山に登るのか」と問われて、「そこに山があるから」と答えた登山家。
 地球が燃え上がった時に失われた、かつての地球の最高峰。
 未踏峰だった峰の頂を目指して、二度と帰らなかった登山家。
 今の自分は彼のように後世に名前を残しはしないだろうけれど、彼の言葉を借りるしかない。
 「此処に、この町があったから」と。
 だから自分は引越して来たと、この町で教師になったのだと。


(マロリーなあ…)
 確かそういう名前だったか、あの登山家は。
 彼が戻って来なかった日から、長い歳月が流れた後。
 別の登山家が彼を見付けた、真っ白な蝋の塊のようになってしまった彼の身体を。
 彼はエベレストの頂を見たのか、そうではないのか。
 それは分からないままだった。
 持っていた筈のカメラは見付からなかったから。
 けれども彼の言葉は残った、遥かな後まで。
 地球が一度は滅びた後まで、再び青く蘇るまで。
(…そういうヤツもいるってこった)
 しかし俺だって負けてはいない、と思い描いた小さなブルー。それに前のブルー。
 ソルジャー・ブルーと言えば知らない人などはいない、今の世界には。
 前の自分の名前も同じで、キャプテン・ハーレイの名を知らないのは幼い子供くらいなもの。
 それも本当に小さな子供と赤ん坊だけ、学校に行けばすぐに教わる。
 前のブルーの名も、自分の名前も。
 エベレストを目指したマロリーの名前を知らない人は多くても…。
(前の俺たちの名前を知らないヤツはいないんだ)
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ。
 誰もが知っている名前。
 写真も教科書に載っているのだし、ブルーの場合は写真集まである有様。
 それほどに偉大なキャプテン・ハーレイ、もっと偉大なソルジャー・ブルー。
 今も言葉が残る登山家より、エベレストに消えたマロリーよりも。


 その自分たちが再び出会った、この地球の上で。
 今の自分が引越して来たこの町で。
 「此処に、この町があったから」としか言えない理由でやって来た町で。
 あまりに不思議に過ぎる出来事、どう考えても…。
(偶然ではない筈なんだ…)
 きっと何処かで、神の力が働いた。
 神が起こしてくれた奇跡で、また自分たちは巡り会えた。青い地球の上で。
 そう考えることが一番自然で、いつもその答えに辿り着く。
 どうしてこの町にやって来たのか、それを考え始める度に。
(俺はあいつを待っていたんだ…)
 そのためにやって来たのだろう。この町に引越して来たのだろう。
 いずれブルーが生まれてくる日を待とうと、一足お先に住んで待とうと。
(そうやって待って、あいつと出会って…)
 失くした筈のブルーと出会って、また始まった自分たちの恋。
 前の自分たちの恋の続きが始まったけれど、今度は結婚するのだけれど。
(…それまでの間は何処にいたんだ?)
 これも分からない、解けない謎。
 小さなブルーも覚えてはいない、この地球の上に生まれてくる前。
 何処にいたのか、どうやって長く遥かな時を飛び越え、此処に生まれて来たのかを。


(そいつがサッパリ分からないんだ…)
 思い出せやしない、と頭を振った。
 前の自分の最後の記憶は、死の星だった地球の地の底。
 カナリヤと呼ばれていた人間の子供たち、それにフィシスを白いシャングリラに送った後。
 崩れ落ちて来た天井と瓦礫、それが自分を押し潰した。
 そこで記憶は途切れてしまって、今の自分に続いている。
 まるで分からない、抜け落ちた時間。
 地球が蘇るほどの長い長い時を何処で過ごしたのか、それが謎のまま。
(…マロリーの言葉を借りるんなら、だ…)
 こう言ってみたい、「そこにブルーがいたから」と。
 何処であっても、何処であろうとも、自分はブルーと共にいたのだと。
 今は覚えていないけれども、ブルーがいたのだろう何処か。
 そこでブルーと二人で過ごして、この地球に来たと思いたい。
 何の証拠も無いのだけれども、ブルーが側にいた気がするから。
 一人ではなかったように思うから。
(此処にこの町があったから、と同じで…)
 そこにブルーがいたのだと思う。
 何処であっても、何処にいたとしても。
(うん、きっとそうだ)
 そして俺たちは地球に来たんだ、と浮かんだ笑み。
 何処にいたんだか、今も謎だが…、と。
 きっとブルーと離れずにいた。
 何処であっても、何処にいたとしても、そこにブルーがいた筈だから…。

 

        此処に来た理由・了


※ハーレイ先生がブルー君と同じ町に住んでいる理由。偶然だとは思えないのですが…。
 考えても分からないらしい理由、きっと神様が起こした奇跡の一つなのでしょうねv





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