(ハーレイが歌っていたなんて…)
ちょっとビックリ、とパチパチ瞬きしたブルー。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドの端っこにチョコンと座って。
幼い頃からお気に入りだった歌、ゆりかごの歌。
今の自分はそれで眠った、母や父に何度も歌って貰って。
大好きだった子守唄。
子守唄は幾つもあるのだけれども、一番好きだった歌が、ゆりかごの歌。
何気なくそれを思い出した日に、気付いた違う声の歌い手。
母とも父とも違う誰かが、自分に歌ってくれていた。
優しい優しい、ゆりかごの歌を。
眠りに導く子守唄を。
(お祖母ちゃんたちかと思ったのに…)
祖母か、親戚の誰かが来た時、歌ってくれた子守唄。
きっとそうだと考えた。
自分の気に入りの子守唄だし、その人も歌ってくれたのだろうと。
けれど、違うと答えた両親。
祖母たちが来たら、はしゃいでしまって疲れて眠って、子守唄など要らなかったと。
幼稚園で昼寝の時間に聞いたのだろう、と教えてくれた父と母。
確かに聞いてはいたのだけれど…。
昼寝の時間に歌われた歌は、ゆりかごの歌の他にも色々。
こんなに優しく心の底まで届くほどには、繰り返し歌われていなかったろう。
だから違うと否定したのが幼稚園。
ならば何処で、と考えた末に辿り着いたのは前の生。
前の自分が聞いた歌だと、ゆりかごの歌で眠ったのだと。
ソルジャー・ブルーだった前の自分が、遠く遥かな時の彼方で。
(…前のママかと思っちゃったよ…)
前の自分を育てた養父母。
成人検査で家を出る日まで、優しく包んでくれた人たち。
ミュウと判断されてしまって、すっかり失くしてしまった記憶。
成人検査と人体実験、それが記憶を奪ってしまった。
欠片も残さず、何もかもを。
養父母の顔も、育てられた家も、どんな風に過ごしていたのかも。
前の自分は思い出せなくて、そのままで死んでしまったけれど。
メギドを沈めて散ったけれども、今の自分は養父母の顔を知っている。
今のハーレイから、その情報を貰ったから。
アルテメシアで手に入れたという、前の自分のデータを教えて貰ったから。
優しそうな顔をした、前の自分を育てた母。
その母が歌った歌かと思った、ゆりかごの歌。
母が歌ってくれた歌なら、この懐かしさも分かるから。
今の自分の心までも包んでしまう優しさ、その温かさも分かるから。
(…ホントに前のママなんだ、って…)
そう考えたのだった、今の自分は。
前の自分が思い出せずに終わってしまった、母の記憶が戻って来たと。
ゆりかごの歌が母の思い出を運んでくれたと、自分に届けてくれたのだと。
遠く遥かな時の彼方で、母が歌った子守唄。
優しい響きの、ゆりかごの歌を。
けれども、それを歌う声。
前の自分が耳にした声、ゆりかごの歌の優しい歌い手。
あまりにも歌う声が遠くて、母の声だと今の自分には分からない。
養父母の顔は知っているけれど、声までは知らなかったから。
前のハーレイが手に入れたデータ、それに声までは無かったから。
(…ママの声、思い出せなくて…)
顔だけでは声まで分かりはしないし、歌い手が母だとピンと来なくて。
それが悲しくて、辛かった。
せっかく歌声を思い出したのに、ゆりかごの歌だと気付いたというのに、戻らない記憶。
あれは母だと、母の声だと幸せに満ちてはくれない心。
記憶の欠片が足りないばかりに、大切なピースを一つ落としてしまったばかりに。
思い出せない、母の声。
前の自分を寝かしつけながら、ゆりかごの歌を歌っていた母。
いくら記憶を追い掛けてみても、遠い記憶を探ってみても。
戻っては来ない、前の自分の母の歌声。
ゆりかごの歌の優しい歌い手、母が持っていた声の手掛かり。
見付けられない失くした思い出、それが心に残っていたから。
抜けて行ってはくれなかったから、ハーレイの前でそれと気付かず歌ってしまった。
庭で一番大きな木の下、白いテーブルと椅子で二人で過ごしていた時に。
唇から思わず零れてしまった、ゆりかごの歌が。
(…あれでハーレイがギョッとしたから…)
今の自分の声の高さに驚いたのかと思ったけれど。
歌う時には普段よりも声が高くなるから、ボーイ・ソプラノなのだから。
けれども、実は違った真相。
思わぬ所で解けた謎。
ゆりかごの歌を歌っていたのは、前の自分の母ではなかった。
前の自分に聞かせていた人は、優しい声の歌い手は。
(ハーレイだなんて思わないよね…)
歌い手としても意外すぎたし、ゆりかごの歌の方にしても同じ。
白いシャングリラでは、一度も聞かなかったから。
ゆりかごの歌を耳にしたことが無かったから。
あの子守唄の存在自体を、前の自分は知らなかった。
シャングリラに来た子供たちには、別の子守唄があったから。
SD体制の時代に生まれた幾つもの歌、子供たちのための子守唄。
前の自分が長い眠りに就くよりも前は、それがシャングリラの子守唄だった。
アルテメシアから救い出された子供たちには、馴染みのある歌が良かったから。
子供たちが養父母の家で聞いた歌、その歌が必要だったから。
シャングリラにも同じ歌があるのだと、子供たちを安心させてやるために。
養父母の家にいた頃と同じに、幸せな眠りを得られるように。
幾つも、幾つも、前の自分が耳にしていた子守唄。
養育部門の仲間たちが歌った、優しい調べの歌の数々。
けれど無かった、ゆりかごの歌。
一度も聞かずに深い眠りに就いてしまった、ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。
十五年間も眠り続けて、目覚めた時には迫っていた危機。
赤いナスカと白いシャングリラに迫りつつあった破滅の中では、誰も歌いはしないから。
子守唄など聞こえないから、前の自分は最後まで気付きはしなかった。
新しく生まれた子守唄。
データベースから探し出された、遠い昔の子守唄が幾つも出来ていたことに。
トォニィが一番好きだったという、ゆりかごの歌。
その歌も、他の優しい子守唄も。
ゆりかごの歌があったことなど、知らずにメギドへ飛んで行った自分。
それでは分かるわけがない。
前の自分に歌い聞かせた人が誰かも、それを聞いたのがいつだったかも。
(…シャングリラの時代には、もう無くなってた歌だって…)
そう思い込んだのが今の自分で、だから育ての母の歌だと考えた。
子供時代を過ごした頃には、ゆりかごの歌があったのだろうと。
前の自分は、その歌を聞いて眠っていたのに違いないと。
けれど、全く違った真実。
白いシャングリラに、新しく生まれた子守唄。
本物の母の胎内から生まれたトォニィのために、と探し出された幾つもの歌。
人間が地球しか知らなかった頃に、青い地球の上で歌われていた子守唄。
自然出産の子に相応しいから、と歌われるようになった歌。
(…トォニィが大好きだった歌…)
トォニィの一番のお気に入りだったのが、ゆりかごの歌。
カリナもユウイも、他の仲間も、誰もが歌って聞かせていた。
優しい調べの、優しい響きの、ゆりかごの歌を。
ハーレイまでが覚えるくらいに、歌えるようになったくらいに、何度も、何度も。
そしてハーレイは前の自分に歌って聞かせた。
昏々と眠り続ける自分に、目覚めないままの前の自分に。
上掛けの下の手をそっと握って、ゆりかごの歌を。
前の自分の深い眠りを、子守唄で守ろうとするかのように。
自分は一度も、それに応えはしなかったのに。
思念の微かな揺れさえ返しはしなかったろうに、ハーレイは歌い続けてくれた。
ゆりかごの歌を、前の自分が魂の底で繰り返し聞いて、覚えたほどに。
今の自分に生まれ変わった後も、気に入りの歌になるほどに。
(…前のママの歌でも、嬉しいんだけど…)
思い出せたのなら嬉しいけれども、ハーレイの歌だと分かって喜ぶ自分がいる。
ハーレイだったと知った時には驚いたけれど、それ以上の嬉しさに満たされた心。
自分は忘れていなかったのだと、ハーレイの歌を覚えていたと。
深い眠りの底にいてさえ、ハーレイの歌は聞こえていたと。
(…きっと、ハーレイだったから…)
ハーレイが歌った子守唄だから、自分は聞いていたのだろう。
眠りの底まで届いたのだろう、愛おしい人の声だったから。
夢を見ていたか、見ていなかったか、それさえも覚えていなかった眠り。
それでもハーレイの声は聞こえた、子守唄を歌っていた声が。
ゆりかごの歌に包まれて眠って、そして覚えた。
愛おしい人がこれを歌ったと、誰よりも愛した人の歌だと。
(生まれ変わっても、あの歌が好き…)
ハーレイが歌っていた歌だから。
前の自分が愛し続けた人が歌ってくれたから。
(ハーレイ、歌ってくれたけど…)
照れながら歌ってくれたのだけれど、まだまだ足りない、ゆりかごの歌。
前の自分が聞いた数には及ばないから、もっと歌って欲しいから。
いつかはきっと、あの歌を聴けることだろう。
ハーレイと二人で眠るベッドで、優しい調べの子守唄を。
強請らなくても、ハーレイはきっと、何度も歌ってくれるのだろう。
前のハーレイが歌に託した、自分への想い。
それが届いて、もう一度、出会えたのだから。
前の自分へのハーレイの想い、前の自分のハーレイへの想い。
それを繋いだ、ゆりかごの歌。
繋いでくれた歌に御礼を言いたい、ありがとう、と。
またハーレイと巡り会えたと、また子守唄を優しく歌って貰えると。
遠い昔の子守唄。
今の時代も歌い継がれる、優しい優しい、ゆりかごの歌に…。
ゆりかごの歌に・了
※ゆりかごの歌を歌っていたのは、育ての母だと勘違いしたブルー君。子守唄だっただけに。
今のハーレイが何度も歌ってくれる日までは、まだ何年か待ちぼうけですねv
(ゆりかごの歌なあ…)
俺にも馴染みの歌だったが、とハーレイが浮かべた苦笑い。
夜の書斎で、コーヒーを淹れた愛用の大きなマグカップをお供に。
小さなブルーに「歌って」とせがまれ、披露する羽目に陥ったけれど。
太陽がまだ高い内から、ブルーの家の庭で歌わされる羽目になったけれども。
(…俺の歌だとは知らなかったんだ…)
前の俺の、と思い浮かべたシャングリラ。
遠く遥かな時の彼方で、ブルーと暮らした白い船。自分が舵を握っていた船。
あのシャングリラで自分が歌った、遠い昔に。
眠り続ける前のブルーの手を握りながら、ゆりかごの歌を。
本当は目覚めて欲しい人だったけれど、子守唄を歌って寝かしつけては駄目なのだけれど。
ブルーは目覚める気配すらなくて、ただ昏々と眠っていたから。
深い深い眠りの底にいたから、せめてその眠りを守りたかった。
思念さえも届かない深い所で眠り続けているブルー。
悪夢など見ず、幸せに包まれて眠ってくれと。
夢の中でも、どうか幸せであってくれと。
そう願いながら、前の自分は、あの子守唄を歌い続けた。
トォニィが生まれて、初めて耳にした子守唄。
それまではシャングリラに無かった歌を。
ゆりかごの歌は今の時代も歌い継がれているけれど。
今の自分も母や父に歌って貰ったのだけれど、前の自分はそれで育っていなかった。
成人検査と人体実験で失くしてしまった、前の自分の子供時代の記憶の全部。
子守唄も、両親の顔も、育てられた家も、何一つとして思い出せなかった。
だから分からない、前の自分が聞いた子守唄。
どういう歌声を聞いて眠ったか、子守唄のメロディも、歌詞の欠片も。
けれど、ゆりかごの歌ではなかった。
あの歌を聞いてはいなかった。
白いシャングリラで長く暮らしたから、ミュウの子供たちを育てた船にいたから分かる。
何度も訪れた養育部門で、ゆりかごの歌は聞かなかったから。
SD体制の時代に相応しく誕生した歌、それが歌われる場所だったから。
アルテメシアから助けた子たちが、養父母の家で聞いた歌。
温かな家で、優しい腕の中で、繰り返し聞いた子守唄。
子供たちの心を癒すためには、同じ子守唄が要ったから。
この船にも同じ歌があるのだと、養父母の歌だと、安らぎを感じて欲しかったから。
(前の俺だって、きっと…)
白いシャングリラに流れていた歌、あの子守唄で育っただろう。
幾つも歌われた歌のどれかが、前の自分を育てただろう。
耳を傾けても、「これだ」と思いはしなかったけれど。
失くした記憶が戻りはしないかと、メロディを、歌詞を捉えてみても。
補聴器を通して前の自分の耳に届いた子守唄はどれも、記憶を連れては来なかった。
それを歌ってくれた養父母の顔も、優しかったろう、その歌声も。
何度も、何度も、聴いてみたのに。
子守唄が聞こえる時に行ったら、耳を、心を傾けたのに。
自分を育てた筈の歌。
養父母が歌ってくれただろう歌。
何処からか戻って来てはくれないかと、記憶の欠片を歌が運んでくれないかと。
幼かった日に聞いた歌なら、魂のずっと深い所に刻まれているかもしれないから。
機械の力も及ばない深み、其処に沈んで眠っているかもしれないから。
(いろんな歌を聴いたんだがなあ…)
魂に響く歌は無いかと、心を揺さぶる子守唄は、と。
何度も何度も試してみたのに、聴き入ったのに、ついに戻って来なかった記憶。
失われたままだった、前の自分の子守唄。
そういう時代が過ぎ去った後に、もう子供たちがいなくなった後に。
アルテメシアを遠く離れて流離う船はナスカを見付けた。
赤いナスカを、人類が見捨ててしまった星を。
あの星に降りて、その上で生まれたナスカの子供。
人工子宮ではなくて母の胎内から、この世に生まれて来たトォニィ。
SD体制が始まって以来、一人も無かった自然出産児。
奇跡のように生まれた命に、新しい時代を生きる子供に、今の子守唄は似合わない。
本物の母のお腹で育って、本物の父がいる子供には。
人工子宮など知らない子供に、今の時代の子守唄はきっと相応しくない。
アルテメシアで子供たちを育てた仲間は、そう思ったから。
トォニィには本物の子守唄がいいと、SD体制よりも前の時代の子守唄を、と探したデータ。
ゆりかごの歌は、その一つだった。
トォニィが一番気に入った歌で、誰もが歌って聞かせていた。
カリナも、ユウイも、若い世代も、古い世代の仲間たちまでもが。
無垢な命をあやす時には、ゆりかごの歌。
トォニィが一番好きな歌をと、繰り返し歌われた子守唄。
いつしか前の自分も覚えた、ゆりかごの歌を。
前の自分が探し続けた養父母の歌とは違うけれども、温かな歌。
遥かな昔に、人間が地球しか知らなかった時代に、地球の上で何度も歌われた歌。
優しい優しい子守唄だと、本物の歌だと思った自分。
なんと温かな歌だろうかと、優しい響きの歌だろうかと。
(だから、あいつに…)
前のブルーに届けたかった。
深い眠りの底にいる人に、前の自分が愛した人に。
覚めない眠りの中にいるなら、その眠りの海が優しいものであるように。
暖かくブルーを包むようにと、ゆりかごの歌を聞かせたかった。
眠り続けるブルーの耳には届かなくても、その身体には。
ブルーの眠りを作る身体には、優しい響きの子守唄を。
そうしておいたら、歌はブルーの身体の中へと沁みてゆくかもしれないから。
子守唄だと分からなくても、ブルーが気付いてくれなくても。
ゆりかごの歌の優しい響きと、その温かさ。
それがブルーの眠りを守って、幸せな夢が幾つも幾つも、ブルーを包むかもしれないから。
幾重にもブルーを暖かく包んで、ブルーが寒くないように。
恐ろしい夢を見ないようにと、前の自分は歌い続けた。
眠るブルーの手をそっと握って、ゆりかごの歌を。
優しい優しい子守唄を。
ブルーは知らない筈だったのに。
前の自分が何度歌っても、反応が返りはしなかったのに。
握った手からは、思念の微かな揺れさえ感じはしなかったのに…。
(…あいつ、あの歌を覚えていたんだ…)
この地球の上に生まれて来るまで。
メギドと一緒に失われた身体、それの代わりに新しい身体と命を貰った今まで。
しかも記憶が戻る前から、ゆりかごの歌が好きだったという。
トォニィと同じに母の胎内から生まれたブルー。
赤ん坊だった頃のブルーのお気に入りの歌が、ゆりかごの歌。
少し育って幼稚園に上がる頃になっても、子守唄の中で一番好きだった歌。
ブルー自身もそれとは知らずに好んだ歌が、ゆりかごの歌。
前の自分が聞いていたことは、すっかり忘れていたらしいけれど。
記憶が戻っても直ぐには思い出さなくて、今までかかってしまったけれど。
それでもブルーは覚えていた。
前の自分が歌って聞かせた、あの子守唄を。
優しい優しい、ゆりかごの歌を。
(歌わされる羽目になっちまったが…)
小さなブルーが思い出したばかりに、歌う羽目になった、ゆりかごの歌。
ブルーの家の庭で一番大きな木の下に据えられた、白いテーブルで。
白い椅子に座って、ゆりかごの歌を小さなブルーに聞かせたけれど。
それは恥ずかしかったのだけれど…。
(悪い気分じゃなかったな、うん)
もう一度ブルーに会えたからこそ、歌うことが出来た子守唄。
前のブルーに届いていたと、やっと分かった子守唄。
深い眠りの底まで届いた、ゆりかごの歌。
あの歌がブルーの眠りを守り続けた、自分の代わりに。
優しい優しい、ゆりかごの歌が。
前のブルーを守り続けた、優しい響きで、その温かさで。
思念さえ届けられなかったブルーだけれども、前の自分の歌がブルーを守ってくれた。
魂の底の底まで届いて、生まれ変わっても忘れないほどに。
ゆりかごの歌を聞きながら眠ったことを、その歌声が好きだったことを。
小さなブルーは、前の自分を育ててくれた母の歌かと勘違いをしていたけれど。
申し訳ない気もするけれども、何故だか嬉しい自分がいる。
前のブルーは、そう思うくらいに、ゆりかごの歌を気に入ってくれていたのだから。
それに守られて眠る時間が、きっと好きだったのだから。
(今の俺には馴染みの歌だし…)
ブルーが今も好きな歌なら、覚えてくれていたのなら。
いつか聞かせてやりたいと思う、今のブルーに、ゆりかごの歌を。
せがまれなくても、何度でも。
いつか二人で眠るベッドで、ブルーの眠りを守りながら。
遠い昔の思い出の歌を、前の自分が歌った歌を。
優しい優しい、ゆりかごの歌。
今の時代も残る子守唄を、優しい響きの、ゆりかごの歌を…。
ゆりかごの歌を・了
※ハーレイ先生が歌う羽目になった「ゆりかごの歌」。流石に恥ずかしかったようです。
けれど、前のブルーに何度も歌った子守唄。ブルー君にも歌ってあげないとねv
(…チビなんだけどね…)
ハーレイが言う通りにチビなんだけど、と小さなブルーが覗き込んだ鏡。
お風呂上がりにパジャマ姿で、自分の部屋で。
今日は来てくれなかったハーレイ、会えずに終わってしまった恋人。
学校の廊下で会ったけれども、それは「ハーレイ先生」だから。
「先生」と呼ぶしかないハーレイでは、同じ恋人でも気分は半分。
心は同じに飛び跳ねていても、それを表に出せはしないから。
前の生でキャプテンだったハーレイ、そのハーレイにブリッジなどで会った時と同じ。
抱き付くことなど出来はしないし、もちろん甘えることも出来ない。
親しく言葉を交わせたとしても、あくまでソルジャーとキャプテンとして。
それと同じで、教師としてのハーレイもそう。
恋人なのだと顔には出せない、ハーレイの方も出してはこない。
だから恋人でも気分は半分。
本当に会えた気分になれない、教師の顔をしているハーレイ。
会えたけれども会えなかった日、そういう気分で覗いた鏡。
ハーレイも同じ気持ちでいてくれればいいと、恋人に会えた気分がしないと思って欲しいと。
けれども、鏡に映った顔は子供の顔だから。
ハーレイがよく言う「チビ」の顔だから、思わず漏れてしまった溜息。
(…これじゃハーレイ、恋人に会えた気分が半分どころか…)
四分の一とか、八分の一。
もっと少なくて十六分の一とか、三十二分の一だとか。
前の自分の、大人の顔とは違うのだから。
アルタミラで出会った頃の姿で、恋人ではなかった頃の顔だから。
これでは駄目だ、と落とした肩。
自分が見ているハーレイの姿は前と同じで、別れた時とそっくりそのまま。
忘れもしないキャプテン・ハーレイ、あの制服を着ていないだけ。
白いシャングリラの舵を握る代わりに、古典の教師をしているだけ。
メギドへと飛んで別れた時には、「さよなら」も言えずに終わったけれど。
最後まで抱いていたいと願った、ハーレイの温もりも失くしたけれど。
独りぼっちになってしまったと泣きじゃくりながら、前の自分は死んだのだけれど…。
(…でも、ハーレイには会えたんだよ…)
二度と会えないと、泣きながら死んでいったのに。
ハーレイの温もりを失くしてしまって、絆が切れてしまったからと。
あの時、冷たく凍えてしまった自分の右手。
今も右手に刻まれたままの悲しみの記憶、前の自分の涙の記憶。
それがあるから、今があることが余計に嬉しい。
またハーレイと巡り会えたし、おまけに自分は生きているから。
失くしてしまった筈の命も、失くした身体も持っているから。
奇跡のように時を飛び越え、ハーレイと二人で辿り着いた地球。
前の自分たちが行こうと夢見た、あの頃は無かった青い星。
其処へ来られたことは奇跡で、ハーレイともう一度会えたことも奇跡。
なのに何故だか、ちょっぴり足りない。
せっかくの奇跡の価値が足りない、今の自分の姿のせいで。
小さく生まれすぎたから。
ハーレイは前と変わらないのに、自分はチビ扱いだから。
(…こんなチビだと、ハーレイの目には…)
恋人だとは映らないだろう。
前のハーレイが愛した自分は、もっと大きく育った姿だったから。
充分に大人と言える姿で、周りの者にもそう見えたから。
白いシャングリラに新しく迎え入れた仲間は、ソルジャーの若さに驚いたけれど。
ヒルマンたちの方が偉そうなのに、と言った子供もいたけれど。
それでも姿は大人だったから、「どうして子供がソルジャーなの?」とは訊かれなかった。
若いとはいえ、大人には見える程度の若さ。
つまりチビとは違っていたわけで、前のハーレイが知る今の自分と同じ姿は…。
(…初めて出会った頃とおんなじ…)
あのアルタミラの地獄の中で。
共に逃げ出して、シャングリラで宇宙を旅したけれど。
長い長い旅をしたのだけれども、この姿だった頃の自分は恋をしていない。
ハーレイと恋人同士になってはいない。
(…チビって言われるわけなんだよ…)
この姿を知るハーレイにとっては、これは恋人の姿ではないから。
恋という気持ちが芽生えてさえいない、そういう時代の前の自分の姿だから。
どんなにハーレイが見詰めてみたって、チビはチビ。
鳶色の瞳に映る姿は、前のハーレイが愛した恋人の姿になったりはしない。
今の自分が育たない内は、前の自分と同じ背丈にならない限りは。
せっかく二人で青い地球まで来たというのに、足りない奇跡。
恋人と一緒に生まれて来たのに、再会したのに、ほんのちょっぴり。
もう少し大きく育った姿で、今のハーレイと出会いたかった。
前の自分とそっくり同じに育っていたなら、今頃はとうにキスを交わせていただろうから。
もしかしたら、愛も。
前と同じに愛を交わして、年が足りていたら結婚だって。
それが叶わないチビの姿で出会ってしまった、こんな姿で。
ハーレイの目には恋人の姿に映らないだろう、十四歳の子供の姿で。
(…これじゃホントに、成人検査を受けた頃のぼく…)
前の自分が成長を止めてしまった年。
育たないまま、長くアルタミラで過ごしていた年が十四歳。
前のハーレイはその頃の自分と出会って、恋をしたのはもっと後のことで…。
(…この顔だと、ただのチビなんだよ…)
どうしてこうなってしまったのだろう、と零れる溜息。
もっと大きく育った姿で会いたかったと、奇跡の値打ちが減りそうだと。
少し罰当たりな考えだけれど、本当にちょっぴり足りない奇跡。
(…でも、神様も許してくれるよ、きっと)
なにしろ、自分はチビだから。
恋人の目にもチビだと映るくらいのチビだし、本物の子供。
子供がちょっぴり膨れていたって、神様は怒りはしないだろう。
奇跡の値打ちが分からなくても仕方がない、と苦笑いしてくれるだろう。
(だって、本当に子供なんだもの…)
前のぼくが成人検査を受けた時と変わらないんだもの、と覗いた鏡。
其処に映った自分の顔。
前の自分もこの顔だったと、まるで同じだと考えたけれど。
(…えーっと…?)
同じ顔だと考えた途端に、重なった顔。
前の自分が見ていた顔。
成人検査を受ける少し前、施設の中で壁に映っていた顔は…。
(…ぼくだったけど…)
今と違った、と気が付いた。
こんな赤ではなかった瞳。銀色をしてはいなかった髪。
その後に過ごした時が長すぎて、自分でもこうだと勘違いしてしまいがちだけど。
今の自分は生まれた時からこの姿だから、すっかり馴染んでいたけれど。
違ったのだった、前の自分が持っていた色は。
成人検査を受けるよりも前は、ミュウへと変化する前は。
金色の髪に水色の瞳、それが自分の色だった。
前の自分が持っていた色、成人検査のショックで失くしてしまった色。
ミュウになったのと同じ瞬間、身体から色素も抜けてしまった。
そうして自分はアルビノになった、赤い瞳で銀色の髪の。
前のハーレイに出会った時には、当然のようにその姿。
ハーレイには、前の自分が持っていた色も教えてあったのだけれど…。
(…前のぼくの記憶を見せただけだし…)
そういう色を持っていたのか、とハーレイは思っただけだろう。
前の自分が失った色を、そうさせた成人検査を考えることはあっても、それだけだろう。
ハーレイが愛した前の自分は、赤い瞳で銀色の髪。
出会った時からアルビノだった自分。
それを思うと…。
(…今のぼくって、なんでこの色?)
生まれた時からアルビノだった自分。
前の自分とそっくり同じに生まれたのなら、金色の髪に水色の瞳になる筈なのに。
何処かで色素を失くさない限り、今もそのままの筈なのに。
(…まさか記憶が戻った途端に、アルビノになるってことも無いだろうし…)
それほどの衝撃ではなかった気がする、記憶が戻って来た瞬間。
前の自分の膨大な記憶、それが流れて来たというだけ。
絡み合った前のハーレイの記憶とも交差したけれど、成人検査とは違ったもの。
何も失くしも消されもしなくて、自分は自分のままだったから。
あの衝撃でアルビノになりはしないだろう。
金色の髪と水色の瞳、それを失くしはしなかっただろう。
そうなっていたら、ハーレイが出会った今の自分は前の自分とは違った色。
赤い瞳も銀色の髪も持っていない自分。
金色の髪に水色の瞳のチビの自分が、今も鏡の向こうに映っているだろう。
それだとハーレイの鳶色の瞳に映る姿は…。
(…チビのぼくどころか、まるで別人…)
同じ顔立ちでも、色が違えば印象は変わるものだから。
髪の色はともかく、瞳の色の違いは大きいだろうから。
(それに、育っても…)
前のハーレイが失くした自分は帰って来ない。
同じ背丈に育ったとしても、持っている色が違うのだから。
ソルジャー・ブルーだった前の自分と同じ姿にはならないから。
(…それじゃ、ハーレイは…)
前の自分を取り戻せない。
今もハーレイが止めなかったことを悔やみ続ける、メギドへと飛んでしまった自分を。
(…この色が大事…)
当たり前すぎて気付かなかったけれど、今の自分が持っている色。
アルビノに生まれた自分の色。
この姿だからこそ、いつかハーレイの心を癒せる。
前の自分と同じに育って、「ぼくはホントに帰って来たよ」とハーレイに微笑み掛けられる。
今はチビでも、きっといつかは。
(…ほんのちょっぴり、足りないけれど…)
奇跡が足りないと思うけれども、チビな分だけ足りないけれど。
この姿を神様がくれたこともきっと、奇跡の一つなのだろう。
チビな自分は悔しいけれども、この姿がいい。
前の自分と同じに育って、ハーレイの側にいられる姿。
赤い瞳に銀色の髪の、今はチビでも、いつかは前の自分とそっくり同じになれる姿が…。
この姿がいい・了
※せっかくの奇跡も、チビの姿では足りないと思うブルー君。子供ならではの不満です。
けれど、アルビノに生まれられたことも奇跡の内。あんまり膨れちゃダメですよv
(チビなんだが…)
すっかりチビになっちまったが、とハーレイが思い浮かべた恋人。
ブルーの家には寄れなかった日に、夜の書斎で。
コーヒー片手に想うブルーは、十四歳にしかならない子供。
その姿も前の自分は見ているけれども…。
(まだ恋人ではなかったしな?)
いつか恋人同士になるとは、思ってさえもいなかった。
それが互いに恋に落ちた後、長い長い時を共に暮らして…。
(逝っちまったんだ…)
たった一人で、前のブルーは。
メギドへと飛んで、二度と戻って来なかった。
前の自分はブルーを失くして、独りきりで生きてゆくしかなかった。
シャングリラが地球へ辿り着くまで、白い鯨を約束の地へと運び終えるまで。
其処に着いたら全てが終わると、ブルーの許へと旅立てるのだと。
それだけを思って生き続けた日々、旅の終わりは死の星だった。
生命の欠片も無かった地球。
赤い死の星は、前の自分にも死を運んで来た。
深い地の底、崩れ落ちて来た天井と瓦礫。
それが自分の命を奪った、望んでいた時が訪れたけれど。
(…ブルーの所へ行ったと言うより…)
何故だか時を越えちまったぞ、と苦笑いするしかない現状。
ブルーと二人で時を飛び越えた、遠く遥かな未来に向かって。
青く蘇った地球の上へと、二人揃って生まれ変わって来た。
奇跡だとしか思えないこと、生きてブルーと出会えたこと。
次に会う時は魂だろうと、前の自分は考えたのに。
前のブルーの身体はメギドで散ってしまって、もう残ってはいないから。
気高く美しかったブルーの姿は、永遠に失われてしまったから。
けれど、魂はブルーが失くした身体と同じに、美しい姿のままだろう。
自分も魂だけになったら、またその姿を見られるだろう。
その日を夢見て生きていた自分。
いつかブルーの許にゆくのだと、魂となった愛おしい人に会えるのだと。
(…そういうつもりでいたんだがなあ…)
何がどうなったか、再び手に入れた命と身体。
前の自分とそっくり同じ姿の自分が、ブルーと再び出会っていた。
魂ではなくて、命と身体を持ったブルーと。
今のブルーと。
前の自分たちが夢に見た星、白いシャングリラで目指した地球で。
会えただけで奇跡、また巡り会えたことも奇跡だけれども…。
(…あいつも前とそっくりなんだ…)
少し幼いというだけで。
キスを交わして愛を交わすには、幼すぎるというだけで。
チビとしか呼べない姿であっても、ブルーはブルー。
前の自分が愛したブルーと、そっくり同じに生まれたブルー。
(今度は生まれつきのアルビノだしな…)
だから、ブルーの名前はブルー。
今は伝説となったソルジャー・ブルーにちなんで付けられた名前。
ブルーと名付けた両親の方は、まさか本物とは夢にも思わなかっただろうけれど。
育つほどにソルジャー・ブルーに似てゆく顔立ちも、気にしていなかっただろうけれど。
ソルジャー・ブルーと同じ髪型をさせるほどだし、楽しんでいた部分もあるかもしれない。
自分たちの子はソルジャー・ブルーに良く似ていると、子供だったらこんな具合、と。
(きっと、あちこちで可愛がられたぞ)
今よりもずっと幼い姿の、本当に小さなソルジャー・ブルー。
公園などに行ったら注目を浴びて、お菓子をくれる人などもいて。
(…前のあいつのお蔭ってヤツだ)
ソルジャー・ブルーが幼くなったらこうだろうか、と誰もが思ってしまうから。
小さくて愛らしいソルジャー・ブルーに、ついつい声を掛けたくなるから。
(俺にしたって…)
記憶が戻っていなかったとしても、見掛けたら近付いていただろう。
幼いブルーの前に屈み込んで、視線を合わせて微笑んだだろう。
「小さなソルジャー・ブルーだな」と。
それでブルーが笑んでくれたら、きっと抱き上げて遊んでやった。
肩車をしたり、それは色々と。
子供と遊ぶのは好きな方だし、ブルーが慕ってくれるなら。
そういうブルーに会い損ねたな、と思うけれども、ふと気付いたこと。
もしもブルーが前と同じに、そっくり同じに生まれていたら、と。
(…前のあいつは、アルビノになってしまっただけで…)
成人検査が引き金になって、ミュウへと変化したのがブルー。
それと同時に、ブルーの身体から抜け落ちた色素。
ミュウになる前は、金髪に水色の瞳だったというブルー。
辛うじて残った記憶の欠片を見せて貰ったから、知っている。
前のブルーが成人検査を受けた施設の壁に映った、前のブルーの本当の姿。
金色の髪に水色の瞳、生まれた時には持っていた色。
(…今のブルーが、あっちだったら…)
果たして自分は声を掛けただろうか、今よりももっと幼いブルーに。
偶然出会った公園か何処か、其処でブルーの前に屈んで。
(…きっと、気付きやしないんだ…)
金色の髪と水色の瞳は、それほど目立ちはしないから。
ブルーが自分に笑い掛けるとか、懸命に小さな手を振るだとか、そうしたことが無かったら…。
(通り過ぎて終わり…)
そうなってしまったことだろう。
記憶は戻って来てはいないのだし、「ブルーだ」と分かりはしないのだから。
何処にでもいる男の子の一人、公園に大勢いる中の一人。
実に情けない話だけれども、運命の恋人に気付きもしないで通り過ぎる自分。
まず間違いなく、そうなっていたに違いない。
ブルーがアルビノでなかったら。
金色の髪に水色の瞳、珍しくもない髪と瞳だったら。
(…小さい頃には気付かなくて、だ…)
再会を遂げた時にも、アッと驚いていたかもしれない。
ブルーには違いないのだけれども、覚えていたブルーとまるで違うと。
金色の髪も水色の瞳も、自分が見ていたものではないと。
(まさか記憶が戻った途端に、アルビノになるってことも無いんだろうし…)
成人検査のような衝撃とは違うから。
劇的な変化が起こったわけではないから、ブルーは色素を失くしてしまいはしないだろう。
金色の髪と水色の瞳、そのままで生きてゆくのだろう。
そうなっていたら…。
(…俺は前とは違うあいつと…)
向き合うことになっていたのか、と鳶色の瞳を丸くした。
そこにはまるで気付かなかった、と。
もしもブルーが前と同じに生まれていたなら、そういうこと。
色素を失くしてしまわないなら、金色の髪に水色の瞳。
そんなブルーと出会っていた。
顔立ちはそっくり同じだとしても、持っている色が違うブルーと。
金色の髪に水色の瞳。
前のブルーが持っていた色は、本当はそれだと知っているけれど。
けれども、そういうブルーは知らない。
出会った時には既にアルビノ、銀色の髪と赤い瞳と。
前の自分が恋したブルーは、愛したブルーはその色だった。
色だけに惹かれた筈などはないし、金色の髪でも、水色の瞳をしていたとしても…。
(俺は恋したと思うんだがな…?)
外見で惚れたわけではないから、その自信はある。
とはいえ、実際に前の自分が恋をして共に暮らしたブルーは、銀色の髪で赤い瞳をしたブルー。
そのブルーしか、自分は知らない。
少年だったブルーも、気高く美しかったブルーも。
(…今になって、金髪で水色の目だと…)
違和感があるのか、それとも無いのか。
これがブルーだと直ぐに馴染んで、その色に慣れてしまうのか。
きっとそうだと思うけれども、何処か寂しいことだろう。
ふとしたはずみに前のブルーを思い出しては、その姿が何処にも見当たらないと。
前の自分が失くしたブルー。
その姿を二度と見られはしないと、あの面差しはもう何処にも無いと。
同じ顔でも、同じ姿でも、色で印象が変わるから。
まるで全く同じ表情、それをブルーが見せたとしても。
赤い瞳と水色の瞳、色の違いは大きいだろう。
前のブルーは赤い瞳をしていたからこそ、意志の強さが際立った。
同じ目をしても、水色だと和らいで薄れて見えることだろう。
前のブルーの意志の強さは、一人きりでメギドへ飛んだ強さは。
(ブルーの姿にはこだわらないが…)
人間ではなくて猫の姿に生まれていようが、巡り会えたら愛しただろう。
「俺のブルーだ」と抱き締めただろう。
そういう自信はあるのだけれども、本当にそうするだろうけれども。
(…やっぱり前のあいつがいいんだ…)
前の自分が失くしたブルー。
失くしてしまった、あの姿で戻って来て欲しい。
あの時の姿で巡り会いたい。
今のブルーは少々、小さすぎたけど。
十四歳にしかならないけれども、色は同じに生まれてくれた。
もう少し待てば、前のブルーとそっくり同じに育つだろう。
銀色の髪に赤い瞳の、ソルジャー・ブルーだったブルーと同じに。
金髪で水色の瞳のブルーも、けして悪くはないけれど。
猫に生まれたブルーであっても愛せるけれども、贅沢を言っていいのなら。
(あの姿がいいな)
前のあいつとそっくり同じブルーがいいな、と思ってしまう。
あの姿がいいと、あの姿をしたブルーにもう一度会えるアルビノのブルーがいい、と…。
あの姿がいい・了
※前のブルーが持っていた本当の色は違った、と思い出してしまったハーレイ先生。
そっちの色でもいいのですけど、前と同じ色のブルー君が断然いいですよねv
(ハーレイとキス…)
いつになったら出来るんだろう、と小さなブルーがついた溜息。
訪ねて来てくれていたハーレイが軽く手を振り、「またな」と帰って行った後。
丸一日を一緒に過ごした、楽しい土曜日が終わった夜に。
明日もハーレイは来てくれるけれど、そういう予定なのだけど。
会えるというだけ、会って話が出来るだけ。
(…たったそれだけ…)
恋人なのに、とベッドの端にチョコンと座って溜息をつく。
パジャマ姿で、肩を落として。
今日もキスして貰えなかった、と。
ハーレイはいつも、「キスは駄目だ」と叱るから。
額をコツンと小突かれるから、自分でも工夫したつもり。
前の自分と同じ仕草に同じ囁き、それを忠実に真似ようと。
鏡に向かって練習までした、「こんな感じ」と。
それは頑張った、表情作り。
前の自分と同じ表情をして見せたならば、きっとハーレイが釣れるだろうと。
(だって、ハーレイの家に遊びに行けなくなっちゃった理由…)
子供らしくない顔をしていたせいだと聞いている。
前の自分と重なる表情、それを自分が見せたのだろう。
ならばハーレイの心を揺さぶる弱点はそれで、その表情をすれば勝ち。
自分の部屋でも、唇へのキスをして貰えると踏んで、今日は頑張ってみたというのに…。
どうやら自分には無理だったらしい、前の自分と同じ表情。
「キスして」と強請る時の表情、上手く行かなかったキスのおねだり。
ハーレイは普段と全く同じに「馬鹿」と叱っただけだった。
額をコツンとやられてしまった、キスの代わりに。
甘く重なる唇の代わりに、額に拳。
ゴツンと本気で一撃されたわけではないから、それも嫌ではないけれど。
ハーレイの大きな褐色の手が「コツン」とやるのも、まるで嫌いではないのだけれど。
(…ハーレイの手だもの…)
嫌いになれるわけがない。
コツンではなくてゴツンであっても、「痛い!」と声を上げるくらいの一撃でも。
あの大きな手が好きでたまらないし、前の自分も好きだった。
頬を撫でられて、それからキス。
甘く優しいキスの前には、何度も撫でて貰った頬。
武骨だけれども、温かい手で。
白いシャングリラの舵を握る手で、誰の手よりも大きな手で。
だから、ハーレイの手は嫌いではない。
額をコツンと小突かれようが、コツンがキスの代わりだろうが。
けれど、あの手が寄越す「コツン」と、貰い損ねたキスの違いは大きくて。
それが悔しい、今日も失敗したことが。
キスを貰えずに終わったことが。
どうして上手くいかないのだろう、と今日までについた溜息の数。
両手の指ではとても足りない、足の指でもまだ足りない。
足りないどころか、きっと自分が百人いたって指の数では数えられないだろう数の溜息。
そのくらい何度も零した溜息、「ハーレイがキスをしてくれない」と。
キスが貰えない理由は分かっているけれど。
前の自分と同じ背丈に育たない限り、キスは駄目だと何度も何度も言われているから。
(でも、それまでが…)
長いんだけど、と自分の小さな手を眺めてみた。
前の自分よりも小さくなった手、十四歳にしかならない子供の手。
パジャマのズボンに包まれた足も、細っこい子供の足でしかなくて。
前と同じに育つまでの道は長そうな上に、更なるハードル。
(ちっとも伸びてくれないし…)
ハーレイと再会した日から一ミリも伸びてくれない背丈。
百五十センチでピタリと止まって、ほんの僅かも伸びないままで。
前の自分と同じ背丈になる日は近付いて来ない、少しも距離が縮まらない。
百七十センチだった前の自分との背丈の差もだし、ハーレイとの間に横たわる距離も。
唇と唇を重ねられる日、そこまでの距離が縮まらない。
ほんの僅かも、たった一ミリも縮まらないまま、今日もコツンとやられた額。
「キスは駄目だ」と叱ったハーレイ、キスをくれる筈の唇で。
あの唇からキスの代わりに、「キスは駄目だ」と叱る声。
何回となく言われたけれども、叱られたけども、諦められない唇へのキス。
ハーレイとキスが出来ないままだと、なんとも悲しすぎるから。
前の自分が幾つも貰った、ハーレイのキス。
唇へのキスは何種類もあった、「おやすみなさい」と触れるキスやら、「おはよう」のキス。
触れるだけのキスでさえ何種類もあって、深いキスだって何種類も。
甘く優しいキスのこともあったし、激しいキスも。
唇どころか身体中に幾つも幾つも甘やかなキスを貰っていたのに、今は額と頬にだけ。
(…唇にキスが欲しいのに…)
触れるだけでいいから、唇にキス。
恋人同士のキスが欲しいし、何度も強請っているというのに。
いつも答えは「駄目だ」の一言、額をコツンとやられたりもする。
(…すっかり遠くなっちゃった…)
ハーレイの唇と、自分の唇の間の距離。
物理的には近付けるけれど、「キスして」と顔を近づけることは出来るのだけれど。
たったそれだけ、本当の距離は縮まらない。
ハーレイが「キスをしよう」と思わない限りは、一ミリだって。
どんなに顔を近付けたとしても、ハーレイの首にスルリと両腕を回しても。
「キスして」と引き寄せようと笑んでも、本当の距離は縮まない。
ハーレイの心がキスをしたいと思わないから、一ミリさえも縮みはしない。
そして額をコツンとやられる、褐色の手で。
前の自分も大好きだった手、その大きな手で「馬鹿」とコツンと。
これが悲しい現実なるもの、いくらハーレイと恋人同士だと主張してみてもキスは無理。
唇へのキスが貰えないのでは、前の自分とずいぶん違う。
前の自分が「キスして」と甘く囁いた時は、いつでもキスを貰えたから。
周りに人がいない時なら、どんな場所でもキスを貰えた。
白いシャングリラの展望室でも、普段だったら人がいそうな通路でさえも。
なのに今では、ハーレイと二人きりの部屋でも貰えないキス。
母が「ごゆっくりどうぞ」と扉を閉めたら、暫くは二人きりなのに。
ノックもしないで開けはしないし、キスは充分出来るのに。
(…触れるだけのキスなら、ホントに平気…)
優しく触れ合うだけのキスなら、さほど時間はかからないから。
母が扉をノックした途端にパッと離れたら、絶対にバレはしないから。
けれど、ハーレイが「駄目だ」と叱る理由は、そういう事態を心配してのことではなくて。
ハーレイが言うには、幼い自分。
十四歳にしかならない子供の自分にキスは早いと、駄目だと許して貰えないキス。
前の自分と同じ背丈に育つまでは、と禁じられたキス。
唇へのキスが欲しいのに。
恋人同士のキスが欲しいのに。
どんなに強請って頑張ってみても、縮んでくれないハーレイとの距離。
キスを交わしたい唇との距離、それが一向に縮まらない。
背丈が伸びてくれないから。
前の自分と同じ姿に育たない内は、ハーレイはキスをくれないのだから。
何度溜息を零してみたって、伸びそうにないのが自分の背丈。
縮んでくれないハーレイとの距離、ハーレイはそこにいるというのに。
家を訪ねて来てくれた時は、膝の上に座って甘えられるのに。
前の自分なら、そこまで距離が縮まった時は…。
(…ちゃんとキスして、それから、それから…)
キスのその先のことだって、と遠い記憶を思い返して、また溜息が一つ零れる。
こんなにも開いてしまった距離。
キスを貰って愛を交わす代わりに、額をコツンとやられておしまい。
愛は交わせず、キスも貰えず、恋人と言っても名前ばかりな気がするけれど。
本物の恋人同士にはなれず、片想いのような気までしてくる自分だけれど。
(…でも、ハーレイの恋人だよね…?)
お前だけだ、とハーレイは言ってくれるから。
俺にはずっとお前だけだと、「俺のブルーだ」と。
そうは言っても、キスをくれないのがハーレイ。
いくら強請っても、今日のように首に両腕を回して「キスして」と顔を近づけても。
ハーレイとの距離は開いたままで、キスが出来る距離に来てくれない。
物理的には近付いていても、心の距離が。
今の自分とキスをしようという気持ちには決してなってくれない、今のハーレイ。
その距離を縮める方法は一つ、自分が大きく育つことだけ。
前の自分と同じ背丈に、同じ姿になるように。
(…ちゃんと育ったら、キスは貰えるよね…?)
きっと貰えると思うけれども、伸びてくれない自分の背丈。
ハーレイとの距離は縮まらないまま、唇は近付いてこないまま。
けれども、いつかは育つ筈だし、その日を待つしかないのだろう。
幾つ溜息を零したとしても、距離を無理やり縮めることなど絶対に出来はしないから。
「馬鹿」と額をコツンとやられて、叱られておしまいなのだから。
悲しいけれども、きっといつかは、この悲しさも笑い話になるのだろう。
今は縮まらない距離が縮んで、間がゼロになったなら。
「キスして」とわざわざ強請らなくても、ハーレイのキスが降ってくる。
前の自分がそうだったように、顎を取られて、上向かされて。
甘く優しいハーレイのキス。
唇と唇の間の距離がゼロになったら、キスを交わせる時が来たなら…。
縮まらない距離・了
※ハーレイ先生に「キスは駄目だ」と、コツンとやられるブルー君。今日も失敗です。
唇と唇の間の距離を縮めるには、育つこと。頑張ってミルクを飲むんでしょうねv