(…ぼくの楽園があったんだよ)
此処に、確かに…、とブルーが見詰めるシャングリラ。
楽園という名の白いシャングリラ、優美な姿の白い鯨を。
本物の船ではないけれど。
ハーレイに教えて貰った写真集の中、白い鯨は飛んでいるのだけれど。
前の自分が乗っていた船。
遠く遥かな時の彼方で、ハーレイと一緒に暮らした船。
二人きりではなかったけれど。
大勢のミュウの仲間たちもいて、それは賑やかだったのだけれど。
(…この船で、いつもハーレイと一緒…)
前の自分が恋をした人と。
今の自分も恋をしている、愛おしい人と。
どんな時でもハーレイと二人、この船の中で生きていた。
自分が外へと出ていない時は、文字通りに同じ船の中。
互いの姿が見えない時でも、同じ船には乗っていたから幸せだった。
ハーレイは今は何処だろうかと、サイオンで船を探ってみたり。
用も無いのにブリッジに行って、船を操るのを眺めてみたり。
もちろん、ブリッジに出掛けた時にはソルジャーの貌をしていたけれど。
ハーレイに恋した自分は綺麗に隠して、ソルジャー・ブルーだったのだけれど。
事情はハーレイの方でも同じで、キャプテンの貌で自分を迎えた。
「ようこそ、ソルジャー」と、「本日は視察でいらっしゃいますか」と。
ソルジャーだった前の自分と、キャプテンだったハーレイと。
二人で白い鯨を守った、仲間たちを乗せた箱舟を。
ミュウの未来を乗せている船を、いつか地球へと旅立つ船を。
(前のぼくが船を丸ごと守って…)
ハーレイもまた、船を丸ごと守り続けた。
舵を握って船を操り、船そのものも維持したキャプテン。
修理が必要な箇所が出たなら、直ちに補修の指示を下して。
生きてゆく上で欠かせない物資、それに不足が生じそうなら、そうなる前に手を打って。
(…いつでも、ぼくとハーレイと二人…)
手を取り合って船を守った、ソルジャーと、それにキャプテンと。
誰もがそうだと思ったけれども、そうだと信じていたけれど。
あの船の中で恋を育み、いつしか恋人同士になって。
もしもソルジャーとキャプテンでなければ、共に暮らしていたことだろう。
恋人同士で暮らせるような部屋を貰って、二人一緒に。
それは幸せに、二人きりの部屋でキスを交わして、愛を交わして。
けれども、出来なかったこと。
白いシャングリラを守る二人が、ソルジャーとキャプテンが恋人同士だと明かせはしない。
知られてしまえば、誰もついてはこなくなるから。
ミュウの未来を導くソルジャー、船の行く先を決めるキャプテン。
そんな二人が恋人同士だと知れてしまえば、誰もついてはこなくなる。
二人で勝手に決めたのだろうと、それなら二人で行けばいいと。
自分たちは自分の道をゆくから、二人で好きにするがいいと。
そうならないよう、懸命に隠し続けた恋。
誰にも明かせず、時の彼方に消えてしまったハーレイとの恋。
前のハーレイが書き残していた航宙日誌にも、何も書かれていなかったから。
恋をしたことも、二人で何度も夜を過ごしていたことも。
誰一人として気付かないままで、前の自分たちの恋は終わった。
前の自分がメギドへと飛んで、命を失くしてしまった時に。
白い鯨にハーレイが一人、取り残されてしまった時に。
(でも、それまではずっと…)
ハーレイと二人、あの船で恋をして、愛を交わして。
いつまでも、何処までも共にゆこうと誓い合っては夢を見ていた。
この船で青い地球へ行こうと、地球に着いたらきっと幸せになれるだろうと。
白いシャングリラが地球に着いたら、もうソルジャーは要らないから。
キャプテンもお役御免になるから、そうすれば晴れて恋人同士。
自分たちの仲を皆に明かして、後は二人で生きてゆこうと。
誰にも隠さなくてもいい恋、そういう恋が始まるからと。
(いつかハーレイと地球に着いたら…)
山のようにあった、やりたかったこと。
前の自分が夢に見たこと。
ハーレイと二人で、あれもこれもと。
いつか約束の場所に着いたら、青い地球まで辿り着いたら。
夢を見ていた青い星。
ハーレイと行こうと夢に見た地球。
きっと素晴らしい楽園だろうと、美しく青い星があるのだと。
遥かな昔にアダムとイブが追われた楽園、エデンの園にも負けないほどの。
(だけど、楽園…)
エデンの園には敵わないけれど、青い地球には勝てないけれど。
前の自分は其処に住んでいた、前のハーレイと二人一緒に。
楽園という名の白い船の中、あそこに楽園は確かにあった。
名前だけではなかった楽園。
ハーレイと二人で生きた楽園。
外の世界には出られない船、閉ざされた世界だったけれども。
それでも幸せに自分たちは生きた、楽園の中で暮らしていた。
船の中を探せば、必ず姿があったハーレイ。
前の自分が愛していた人、今も変わらず愛している人。
ハーレイと二人で乗っていたから、あのシャングリラは楽園だった。
恋をして共に生きていたから、愛おしい人といられたから。
二人で暮らせる部屋は無くても、恋人同士だと明かせなくても。
誰にも秘密の恋であっても、恋をしたことが幸せだった。
キスを交わして、愛を交わして、ハーレイと二人。
何処までも共にと誓い合っては、いつか行けるだろう地球を夢見て。
白いシャングリラはミュウの箱舟、仲間たちを守るための船。
ミュウの未来へと向かう箱舟、受難の時代を乗り越えるための白い箱舟だったのだけれど。
箱舟が旅をしている間は、本当は楽園は無いのだけれど。
(…何もかも水の下なんだしね?)
神の洪水に覆われた大地、其処から水が引くまでは。
箱舟が地面に降りる日までは、楽園などありはしないのだけれど。
(…楽園は船にあったんだよ…)
ハーレイと恋をしていたから。
二人一緒にいられる場所なら、其処が楽園だったから。
箱舟の中に楽園はあった、前の自分とハーレイのための。
誰にも言えない恋であっても、幸せに生きていられたから。
いつかは二人で地球に行こうと、遠い未来を思い描いて。
きっといつかは二人きりの日々が、今よりも幸せな時が来るのだと夢を描いて。
青い水の星に着いたなら。
ソルジャーとキャプテン、そういう立場を離れられる時が訪れたなら。
その日まで共に生きてゆこうと、何処までも行こうと誓ったキス。
抱き合っては二人、愛を交わして甘い未来を夢に見ていた。
今よりも、もっと幸せに。
いつか約束の場所に着いたら、地球という名の楽園に辿り着いたなら。
そうして二人で夢を見た地球、白い鯨で向かう楽園。
幾つもの夢を語り合っては、きっと其処へと重ねた唇。
いつかは二人で青い地球へと、本物の楽園へ辿り着こうと。
(…なのに、前のぼく、死んじゃった…)
地球を見る前に尽きてしまった命。
寿命が尽きると分かった時から覚悟は出来ていたのだけれども、予想もしなかった悲しい最期。
ハーレイのいない暗い宇宙で、独りぼっちになってしまって。
愛おしい人との絆の温もり、それを失くして独りぼっちで。
前の自分は楽園を失くし、恋をした人も失くしてしまった。
白いシャングリラを離れた時には、まだ恋だけは持っていたのに。
楽園という名の船とは別れて飛んだけれども、ハーレイとの絆はまだあったのに。
右手に残ったハーレイの温もり、それを抱いて逝こうと思った自分。
温もりがあれば一人ではないと、ハーレイの心は側にあるから、と。
なのに温もりを失くしてしまって、切れてしまった大切な絆。
愛おしい人との間を結んでくれていた絆、それを失くして自分は死んだ。
楽園も、恋人も消えてしまって。
暗い宇宙にたった一人で、泣きじゃくりながら潰えた命。
もうハーレイには二度と会えないと、絆が切れてしまったからと。
(あの時、全部無くなったのに…)
楽園があった白い鯨も、ハーレイとの恋も、何もかも全部。
前の自分の周りから消えた、全部微塵に砕けてしまって。
泣きじゃくることしか出来なかった自分、独りぼっちになってしまったと。
全ては其処で終わってしまって、それきりになった筈だったのに。
(…ぼく、本物の楽園に来ちゃったよ…)
辿り着けずに終わった筈の青い地球まで、ハーレイと二人。
前の自分が夢に見たよりも、ずっと楽園に相応しい星に。
人間は誰もがミュウになった世界、平和な時が流れる世界。
気が遠くなるような時を飛び越え、本物の楽園に辿り着いた自分。
前の自分がこれを見たなら、エデンの園だと思うのに違いない星へ。
約束の場所より遥かに素敵な、命の輝きと優しさが満ちた青い水の星へ。
(前のぼく、失くしちゃったけど…)
楽園という名の白い鯨を、楽園があった船を自ら捨てたけれども、恋した人とも別れたけれど。
これだけがあれば、と持っていた温もりさえも失くして、恋人との絆も失ったけれど。
(…泣きながら死んじゃったんだけど…)
今にして思えば、あれが旅立ちだったのだろう。
楽園があった白い船から、本物の楽園へ引越すための。
ハーレイと二人で地球に来るための、旅の始まりだったのだろう。
それを思うと、あの時の悲しみも愛おしいように思えてくる。
前の自分が失くした楽園、それよりも今が素敵だから。
本物の楽園へハーレイと二人で来られたのだから、あれは旅立ちだったのだろうと。
失くしてしまった楽園の代わりに、今は本物があるのだから。
ハーレイと二人、夢に見た地球で幸せに生きてゆけるのだから…。
楽園があった船・了
※前のブルーにとっては、楽園だったシャングリラ。ハーレイと二人でいられるだけで。
今は本物の楽園に来た上、ハーレイと二人。ブルー君、幸せ一杯ですよねv
(シャングリラか…)
この船が俺の全てだったな、とハーレイが眺めたシャングリラ。
自分の家の夜の書斎で、机の上で。
もちろん本物があるわけがなくて、白い鯨は本の中。
小さなブルーも持っている本、シャングリラの写真ばかりを集めて編まれた写真集。
ブルーの小遣いで買うには少々、高すぎる豪華版だったのだけれど。
父親に強請って買って貰って、小さなブルーも手に入れた。
「ハーレイの本とお揃いだよ」と自慢している写真集。
ブルーに教えた自分の方でも、気に入りの本ではあったから。
たまにこうして広げてみる。
あの白い船を思い出した夜は、見てみたくなってしまった夜は。
(あいつが守って、俺が動かして…)
シャングリラはそういう船だった。
大勢の仲間を乗せていたけれど、ブルーと二人で守っていた船。
ブルーは人類から船を守り続けたし、前の自分は船の全てを守ったキャプテン。
自ら船の舵を握って、船の設備や生活なども自分が舵を取っていた。
修理が必要な箇所が出たなら、そのように。
生きてゆくのに欠かせないものが不足しそうなら、直ちに適切な手を打って。
そうしてブルーと守り続けた白い船。
楽園という名の白いシャングリラ、世界の全てだった船。
外の世界に生きるための場所は無かったから。
宙に浮かんだミュウの楽園、その外にミュウのための世界は無かったから。
ミュウと分かれば殺される世界、そんな世界に前の自分は生きていた。
遠い歴史の彼方の出来事、今の時代はまるで違ってしまったけれど。
(なにしろ、ミュウしかいないんだしな?)
SD体制が崩壊した後、ミュウの時代が訪れた。
人類は次第にミュウと混じって、自然と起こった世代交代。
今の世界の何処を探しても、人類にはお目にかかれない。
一人もいなくなったから。
サイオンを持たない短命だった種族、人間としては損が多い種族。
進化の必然だったというミュウ、それに変わらないわけがない。
生き物は進化してゆくから。
同じ環境でもより生きやすいよう、自分たちの益になるように。
今ではすっかりミュウの時代で、シャングリラはとうに伝説の船。
遠い昔にあった箱舟、ミュウを守ったノアの箱舟。
SD体制という大洪水の中、滅ぼされそうだったミュウたちを乗せて。
洪水が引いてミュウが地上に降りられる日まで、漂い続けたノアの箱舟。
ノアが作った箱舟などではなかったけれど。
ミュウの力で作り上げた船、ノアという名の仲間はいなかったけれど。
(あの時代にノアと言えばだな…)
皮肉なことに、人類たちの首都惑星の名がノアだった。
悪い冗談だと思うけれども、彼らに悪意は無かっただろう。
きっとあの星を整備した頃は、あれこそが人類の箱舟だったのだろうから。
滅びてしまった地球に代わって、人類が生きてゆくための星。
宇宙に散らばる育英惑星や他の惑星、全てを束ねて滅びないように導いたノア。
人類のためにあった箱舟、だからノアの名が付いたのだろう。
(…本当に必死だったんだろうが…)
人類もまた、生き延びるために。
だから脅威となる新しい種族、ミュウを懸命に排除した。
生かしておいたらロクなことは無いと、ミュウは根絶やしにするべきだと。
アルタミラで星ごと殲滅しようとしたほどに。
白い鯨になった後にも、発見されたら徹底的に追われたように。
(…シャングリラの外は、俺たちには地獄だったんだ…)
ミュウと分かれば殺される世界、殺されなければ実験動物にされるだけ。
人とは認めて貰えない世界、其処から逃れて箱舟に乗った。
ノアの名は何処にも無かったけれども、あの時代のノアの箱舟に。
ミュウの命を守る箱舟、大洪水を越えて生き延びるために作られた船に。
最初は借り物の船だったけれど。
元は人類が持っていた船、それを拝借したのだけれど。
シャングリラと名付けて、白い鯨に改造した後も、船は変わらず箱舟のまま。
降りる地面は見付からないまま、宙に浮かんでいるだけだった。
何処までゆこうと、ミュウが生きられる地面などありはしなかったから。
前のブルーを喪ったナスカ、あの星でさえも仮初めの宿。
あれが本当の居場所だったなら、ブルーを失くしはしなかったろう。
他の多くの仲間たちも。
(…しかしだ、前の俺にとっては…)
あの船は楽園だったんだ、と懐かしく思い出すシャングリラ。
写真集のページをぱらりと捲って、船のあちこちを巡りながら。
ブリッジや公園、それから通路。
どんな場所にも残る思い出、前のブルーと生きていた船。
あのシャングリラで恋を育み、幸せに暮らしたブルーとの日々。
ブルーと二人で船を守って、恋も守って。
誰にも明かせない秘密の恋でも、充分に幸せだった恋。
いつも満たされて生きていた。
前のブルーとキスを交わして、愛を交わして。
何処までも共にゆこうと誓って、いつか地球へと夢を見ながら。
(…あいつがいなくなっちまうまでは…)
白い鯨は楽園だった。
ブルーと二人で暮らす楽園、エデンの園とも呼べるくらいに。
ミュウという種族の未来を思えば、憂いは尽きなかったのだけれど。
明日があるかも危うい箱舟だったのだけれど、それでも楽園だった船。
前のブルーと恋をしたから。
共に生きようと、いつかは地球へと、幾つもの夢を描けたから。
外の世界へ出られなくても、あの船があれば充分だった。
愛おしい人が生きている船、愛おしい人と生きる船。
それだけでシャングリラは箱舟ではなくて立派な楽園、エデンの園とも名付けたいほどに。
楽園の中を探せばブルーがいたから、二人きりで過ごせる時もあったから。
名前の通りに楽園だと思ったシャングリラ。
ブルーと二人で守った楽園、その中で恋を育んで。
誰にも言えない秘密の恋でも、充分に幸せだった恋。
愛おしい人がいるというだけで、前のブルーと生きられるだけで。
いつまでも、何処までも共にゆこうと、いつか地球へと二人で夢見て。
楽園という名が相応しかったシャングリラ。
前の自分のエデンの園。
ブルーがいなくなるまでは。
楽園を後にして飛び去ったブルー、前のブルーの命が潰えてしまうまでは。
ブルーがいたから、前のブルーと恋をしたから本物の楽園だった船。
こうしてページを繰ってゆく度、ブルーの姿が蘇る。
此処にいたなと、此処にもブルーが立っていたな、と。
(…本当に楽園だったんだ…)
あいつが乗っていただけで、と白いシャングリラの写真を撫でる。
俺にとっては楽園だったと、外の世界に出られなくても、と。
閉ざされた船でも、大洪水の中を漂うノアの箱舟でも、白い鯨はエデンの園。
前のブルーと恋をしたから、ブルーと二人で生きていたから。
ブルーと二人で地球を夢見て、二人で船を守り続けて。
いつかは地球へと、本物の楽園へ辿り着こうと、ミュウの未来を描き続けて。
(…楽園は地球だと思っていたが…)
エデンの園は、約束の場所は地球だと思っていたけれど。
其処へ着いたら旅は終わって、本物の楽園で暮らせるものだとブルーと夢を見たけれど。
そんな星など必要無かった、ブルーと恋をしていられれば。
二人で生きてゆけるのであれば、もうそれだけで充分だった。
前の自分は既にいたのだ、エデンの園に。
シャングリラという名の楽園の中で、ブルーと共にエデンの園に。
それでも足りずに夢を見たから、自分はブルーを喪ったろうか?
食べてはならない禁断の果実、知恵の実を食べたアダムとイブがエデンの園を追われたように。
今の楽園ではまだ足りないのだと欲を出したから、楽園を追われてしまったろうか。
ブルーを喪い、白いシャングリラに独り残されて。
この船を地球まで運んでゆけと、神の罰までをその身に負って。
(…まさか、そいつは無いんだろうが…)
望みすぎたから、楽園を追われたということは。
エデンの園を失くしてしまって、前のブルーを喪ったなどということは。
もしもそうなら、今の自分はいないだろうから。
神の怒りが下ったのなら、ブルーと二人で青い地球には決して来られなかっただろうから。
(…うん、あいつと本物の地球に来たしな?)
しかもミュウの時代で青い地球で、と素晴らしいことばかりの今の地球。
本物の楽園に生まれ変われた自分たち。
前の自分たちが夢見た以上の楽園、エデンの園としか思えない地球。
其処に二人で来られたからには、前の自分たちの悲しい別れも…。
(…きっと、こうなるためだったんだな)
箱舟から本物の楽園へ引越しするための。
地球という名のエデンの園へと、ブルーと二人で旅立つための。
そう思えば悪い気はしない。
前の自分は楽園で生きて、今度は本物の楽園なんだ、と。
ブルーと二人で生きてゆけると、また恋をして、今度は本物のエデンの園で、と…。
楽園だった船・了
※前のブルーと生きていたから、楽園だったシャングリラ。外の世界へ出られなくても。
今度は本物の楽園なのです、青い地球の上にブルーと二人。きっと最高に幸せですよねv
(やっぱりチビ…)
今日もチビのまま、と溜息をついた小さなブルー。
部屋の鏡を覗き込んだら子供の顔だし、手足だって子供。
ソルジャー・ブルーだった頃より、ずっと小さな子供がいるだけ。
何処から見たって子供でしかない今の自分が、チビの自分が。
チビのまんまで終わった一日、今日も育ちはしなかった。
制服の丈が短くなってはくれなかったし、靴も小さくなりはしなくて。
仕方ないからもぐり込んだベッド、起きていたって育たないから。
運動したなら効果があるかもしれないけれども、ただ起きていても無駄だから。
明かりを消したら、暗くなった部屋。
ぼんやりと見上げた部屋の天井、部屋の中には自分だけ。
(…独りぼっち…)
ぼくしかいない、とコロンと右へと寝返りを打った。
誰もいる筈がないベッドの上。
コロンと左の方を向いても、やっぱり自分がいるだけのベッド。
(…前のぼくなら…)
一人ではなかった、ベッドでは。
いつも隣にあった温もり、抱き締めてくれていたハーレイの身体。
眠りに落ちるまで寄り添ってくれて、眠った後も。
夜中にぽっかり目が覚めた時も、いつでも隣にあった温もり。
けれど今では独りぼっちで眠るしかない、チビだから。
ハーレイとキスを交わすことさえ出来ない子供になってしまったから。
なんとも悲しい、今の状況。
ハーレイはちゃんといるというのに、自分の隣にいてはくれない。
訪ねて来てくれて二人で夜まで過ごしたとしても、時間が来たら帰ってしまう。
「またな」と軽く手を振って。
何ブロックも離れた所へ、今のハーレイが住んでいる家へ。
この時間ならば、ハーレイはまだ起きているのだろうか。
チビの自分とは違って大人で、丈夫で夜更かしも出来そうだから。
夜遅くまで起きていたって、次の日の朝は颯爽と早起き出来そうだから。
(ハーレイ、早起きらしいもんね…)
仕事に行く前に軽くジョギング、そんな日も珍しくないらしいから。
明日の朝にも何処かへ走ってゆくかもしれない、早い時間に目が覚めたからと。
(…そんな時間があるんだったら、いて欲しいのに…)
自分の隣に寄り添って欲しい、ジョギングなどに出掛ける代わりに。
同じベッドで待っていて欲しい、自分がパチリと目を覚ますまで。
無理だと分かっているけれど。
こんなに小さなチビのベッドに、ハーレイが来てはくれないことは。
ベッドの広さの方もともかく、子供の自分。
キスさえ出来ないチビの自分は、恋人をベッドに入れられはしない。
ベッドに呼んでも、「馬鹿か」と鼻で笑われるだけで、ハーレイは決して来てはくれない。
子供のベッドにやって来たって、愛を交わせはしないのだから。
キスさえ出来ない子供相手に、そんなことなど出来ないのだから。
恋人同士で愛を交わす時間、同じベッドで眠れる時間。
自分はちっともかまわないのに、ハーレイとそうしたいのに。
ハーレイはキスさえ「駄目だ」と叱るし、恋人同士で過ごす夜など夢のまた夢。
自分の身体が小さい間は、チビの間は持てない時間。
こうしてベッドで独りぼっちで、コロンと隣を向いてみたって恋人の姿があるわけがない。
ハーレイの家はずっと遠くで、ハーレイのベッドも遠いから。
自分のベッドとはまるで違った場所にあるから、ハーレイはいない。
せっかく巡り会えたのに。
青い地球の上で会えたというのに、独りぼっちなベッドの上。
恋人は決して来てはくれない、「遅くなってすまん」と来てはくれない。
前のハーレイなら、自分が眠ってしまった後でも、そうっとベッドに来てくれたのに。
寝ている自分を起こさないよう、眠りを破ってしまわないよう、気を付けながら。
きっといつでも、心の中でだけ声を掛けてくれていたのだろう。
「遅くなってしまってすみません」と。
声に出したら、思念にしたなら、前の自分を起こすだろうから、心の中で。
謝りながらベッドに入って、眠る自分に寄り添ってくれた。
前の自分も、眠っていたってハーレイが来たと気付いていた筈。
朝になったら、ハーレイの腕の中でパチリと目が覚めたから。
いつの間にくっついていたのか分からない胸、広い胸の中に抱かれていたから。
そんな具合に過ごしていたのが前の自分で、夜はいつでもハーレイと一緒。
放っておかれたことなど無かった、ただの一度も。
(…ハーレイがヒルマンたちとお酒を飲んでた時だって…)
徹夜の宴になりはしないから、朝になったらハーレイがいた。
一人で眠った筈のベッドに、ちゃんといてくれた前のハーレイ。
それなのに今のハーレイときたら…。
(ぼくを放っておいても平気…)
「すみません」どころか、「すまん」とも言ったことが無い。
独りぼっちで眠るしかない今の自分に謝りもしない。
夕食を一緒に食べた後には、「またな」と手を振って帰ってゆくだけ。
側にいられないことを謝る気さえも無いのがハーレイ、当然だと思っているハーレイ。
キスさえ出来ないチビのベッドにいる必要などありはしないと。
いられないのが当たり前だし、帰ってゆくのが当たり前。
「すまん」と謝ってくれるわけがない、それが当然なのだから。
チビの自分と夜を一緒に過ごせはしないし、その必要も無いのだから。
(…チビの間は独りぼっち…)
こうして一人で眠るしかない、どんなに待ってもハーレイは来ない。
ソルジャー・ブルーだった頃なら、待ちくたびれて眠った後でもハーレイは来てくれたのに。
眠る自分を起こさないよう、そっと寄り添ってくれたのに。
(…チビのぼくだと…)
朝まで待っても来ないハーレイ、絶対に来てはくれない恋人。
キスさえ出来ないチビはチビだと、一人で寝るのが相応しいのだと。
悔しくて悲しい、ちっぽけな今の自分の身体。
チビになってしまった自分の身体。
前の自分と同じ姿をしていたのならば、ハーレイは隣にいるのだろうに。
自分を一人で放っておかずに、抱き締めていてくれるだろうに。
(朝だって、きっと…)
早く目が覚めたからジョギングでも、と思ったとしても、行かずに側にいてくれるだろう。
そうでなければ、そっと抜け出してジョギングに行って…。
(起きたらメモが置いてあるとか…)
「走ってくるから、ゆっくり寝てろ」と。
メモに気付いてベッドでウトウト寝なおしていたら、ハーレイが帰って来るのだろう。
「目が覚めたか?」と、「そろそろ起きて飯にするか?」と。
お土産を持っている日もあるかもしれない、「早くから店が開いていたから」と。
ちょっと入って買って来たからと、焼き立てのパンなどが入った袋を。
(…野菜なんかも買ってくるかもね?)
走りに行った場所によっては、畑で採れたばかりの野菜もありそうだから。
それを買おうと心づもりをして走りにゆく日もありそうだから。
ハーレイのお土産の焼き立てパンやら、新鮮な野菜が並んだ食卓。
自分の身体がチビでなければ、そういう朝もきっとある筈。
ハーレイと同じ家で暮らして、同じベッドで眠ることが出来る身体を持っていたならば。
十四歳の子供の身体ではなくて、前の自分と同じ姿をしていたならば。
それを思うと悲しいばかりで、チビの身体が恨めしい。
ハーレイとキスさえ出来はしないし、夜になったら独りぼっちのベッド。
せっかく二人で地球に来たのに、夢だった星に生まれて来たのに。
白いシャングリラで目指していた地球、二人で行こうと夢に見た地球。
あの頃の地球は死の星だったと今のハーレイから聞いたけれども、今では青く蘇った地球。
其処へ来たのに、ハーレイは側にいてくれない。
夜になったら「またな」と手を振って帰ってゆくだけ、独りぼっちで残される自分。
(…メギドの時とは違うんだけど…)
独りぼっちになってしまったと泣きじゃくりながら迎えた最期。
あまりにも悲しくて辛かった最期、絶望の中で死んでいった自分。
もうハーレイには二度と会えないと、絆が切れてしまったからと。
右手に持っていたハーレイの温もり、それを失くしてしまったから。
あれが本当の独りぼっちで、それに比べれば独りぼっちなどと言ってはいけないのだけれど。
ハーレイは隣にいてくれないだけで、二度と会えないわけでは決してないのだけれど。
(でも、独りぼっち…)
自分の隣に温もりは無くて、朝まで待ってもハーレイは来てはくれないから。
キスさえ出来ないチビのベッドに、恋人が来てくれる筈もないから。
(…ぼくが大きくならないと無理…)
ハーレイと一緒に眠りたければ、いつも隣にいて欲しければ。
遅くなった日には「すまん」と詫びながら、ベッドに入って来て欲しければ。
チビの間はその日は来ないし、キスさえ交わせはしないまま。
だからコロンと寝返りを打って、キュッと抱き締める自分の身体。
まだまだチビだと、もっと大きく育たないと、と。
「寝る子は育つ」と言うほどなのだし、しっかり眠れば育つだろう。
頑張って食事もしているけれども、きっと眠りも大切だから。
寝ている間に育つと聞くから、眠る前には祈るしかない。
早く大きくなれますようにと、少しでも育ちますようにと。
前の自分と同じ背丈に育ちたいから、ハーレイとキスをしたいから。
そうして一緒に眠りたいから、こんな夜には祈るだけ。
育ちたいから、早く大きくして下さいと。
前のぼくと同じになれますようにと、ハーレイの隣で眠れるようにして下さいと…。
眠る前の祈り・了
※ハーレイ先生のいないベッドで独りぼっちのブルー君。チビでは仕方ありません。
早く大きくなれますようにとベッドでお祈り、効果は無さそうですけどねv
(チビなんだが…)
すっかり小さくなっちまったが、とハーレイが思い浮かべるブルー。
夜、眠るために入ったベッド。
部屋の明かりも消したけれども、これが習慣。
小さなブルーを思い描いて、「いい夢を見ろよ」と心の中で言ってやるのが。
「メギドの夢なんか見るんじゃないぞ」と、眠っているだろうブルーに語り掛けるのが。
その声は届かないけれど。
けして届いてはくれないけれども、いつも、いつでも。
いい夢を見ろよと、朝までぐっすり眠るんだぞ、と。
(…チビでも、あいつは俺のブルーで…)
だから眠りを守ってやりたい、祈ることしか出来なくても。
側で抱き締めてはやれなくても。
十四歳の少年になってしまったブルー。
子供の姿に戻ったブルーを、少しでも守ってやりたいから。
前の生では何度も守ると誓っていたのに、言葉だけで終わってしまった誓い。
ソルジャー・ブルーだった前のブルーのサイオンは強くて、前の自分は守られる方。
白い鯨ごと、シャングリラごと、前のブルーに守られていた。
ブルーの命があった間は、ブルーがソルジャーだった間は。
(…最後の最後まで、俺はあいつに…)
守られ続けた、前のブルーが命尽きたその瞬間まで。
前のブルーはメギドを沈めて、シャングリラを守って逝ってしまったから。
何度も何度も「俺が守る」と誓った言葉は、本当にただの言葉だけ。
前の自分はブルーを守れず、守り切れずに失くしてしまった。
それどころか逆にブルーに守られ、そのためにブルーは命まで捨てた。
暗い宇宙で、忌まわしいメギドで独りぼっちになってまで。
泣きじゃくりながら死んでいったというのに、前のブルーは守ってくれた。
前の自分を、白い鯨を。
ミュウの仲間たちを乗せた箱舟、それが地球へと旅立てるように。
(…そんなあいつがチビになって…)
戻って来てくれた、自分の前に。
前の自分は死んでしまって、今は新しい自分だけれど。
あれから長い時が流れて、青い地球が宇宙に戻った時代。
そこまでの時をブルーと二人で飛び越えて来た。
青い地球の上で再び出会えた、愛おしい人に。
少年の姿になったブルーに、十四歳にしかならないチビのブルーに。
出会った時には、自分もしていた勘違い。
ブルーの姿は小さくなっても、中身は同じにブルーなのだと。
前の自分が愛した通りのブルーの魂、それが戻って来たのだと。
小さくなってしまっただけで。
身体だけがチビに戻っただけで。
(あいつが「ただいま」って言った時には…)
溢れる思いが止まらなかった。
小さなブルーの最初の言葉は「ただいま、ハーレイ。…帰って来たよ」。
どれほどにそれが嬉しかったか、その言葉を聞きたいと待ち続けていたか。
前のブルーを失くした日から。
メギドで失くしてしまった時から、何度聞きたいと思ったことか。
手では触れられない思念体でも、幽霊でもいいから、また会いたいと。
どんな姿になっていようとも、ブルーが帰って来てくれたらと。
「ただいま」という声が聞きたくて、「ただいま」とブルーに言って欲しくて。
叶いはしないと諦めていても、それでも聞きたいと願った言葉。
それをブルーは口にした。
前の自分が願い続けた、聞きたいと祈り続けた言葉を。
ようやくブルーに会えたと思った、最後まで愛し続けた人に。
前の自分が命尽きるまで、会いたいと願い続けた人に。
地球の地の底、崩れ落ちて来た瓦礫に押し潰されるまで。
その瞬間にも笑みさえ浮かべて、「これで会える」と思った人に。
小さなブルーの唇が紡いだ「ただいま」の言葉。
前の自分が願った通りに、聞きたかった通りにブルーは言った。
「ただいま」と、それに「ハーレイ」と。
「帰って来たよ」と、子供の声で。
前のブルーの声とは違った、声変わりしていない愛らしい声で。
姿も子供のものだったけれど、中身はブルーだと思い込んだ自分。
ブルーの魂がそのまま戻って来てくれたのだと、小さな身体に宿ったのだと。
だから抱き締め、その温もりを確かめずにはいられなかった。
本当に帰って来てくれたのだと、生きているブルーにまた会えたのだと。
(…あの時、キスをしなかったのは…)
それどころではなかったからだ、と今にすれば思う。
自分もブルーも互いの命の温もりを抱き締めたくて、その温もりに酔っていたから。
愛おしい人と生きて会えたこと、もう一度巡り会えたこと。
その喜びだけで心が一杯になって、ただただ、確かめたかったから。
生きているのだと、その温もりを。
愛おしい人が此処にいるのだと、こうして再び巡り会えたと。
そうしている間に、ブルーの母がやって来たから。
慌てて解いてしまった抱擁、離れてしまった互いの身体。
もう少しばかり、ブルーの母が現れるのが遅かったならば…。
(…キスしちまったんだろうな、何も知らずに)
ブルーへの想いが溢れるままに。
愛おしい人との再会のキスを、喜びのままに唇へのキスを。
あの時にはまだ、勘違いしたままだったから。
ブルーはすっかり前と同じだと、身体が小さくなっただけだと。
あと少しばかり時間があったら、きっと唇を重ねていた。
前の自分が失くしてしまったブルーが帰って来たのだから。
聞きたいと願い続けた言葉を、「ただいま」と紡いでくれたのだから。
それを紡いだ桜色の唇、それを覆っていただろう。
今の自分の唇で覆い、キスを交わしていたことだろう。
ブルーが子供だと気付かないまま、魂は前と同じなのだと勘違いをして。
長く離れていた恋人同士の再会のキスを、溢れる想いが止まらないままに。
(…そうなっていたら、どうなったんだか…)
ブルーにキスをしていたら。
小さなブルーにキスをしていたら、それから後は。
(あいつ、キスばかり強請ってやがるが…)
果たして本当に分かっているのか、その辺りが謎。
唇へのキスはどんなものなのか、恋人同士のキスはどういうものか。
小さなブルーは不満たらたら、キスが出来ないことを恨んでいるのだけれど。
自分の身体が小さいせいだと、そうでなければキスが出来たと不満で一杯なのだけど。
(…今のあいつに分かってるんだか…)
恋人同士が交わすキス。
ただ唇に触れるだけでは終わらないキス、それの甘さが、その激しさが。
小さなブルーは「知ってるってば!」と膨れっ面になりそうだけれど、怪しいもの。
実際の所は、きっと分かっていないだろう。
今の幼い身体と心に相応しく忘れているのだろう。
甘かったことだけが、今も記憶に淡く残っているだけで。
そういうキスを交わしていたこと、それが幸せだったこと。
その思い出が残っているだけ、ぼやけてしまっているのだろうキス。
幸せだったと、甘かったと。
だからキスをと、「ぼくにキスして」とブルーは強請ってくるのだろう。
もしも本当にキスをしたなら、望み通りのキスをしてやったなら…。
(パニックになるのか、泣き出すんだか…)
その光景が目に見えるよう。
赤い瞳が真ん丸になって、驚き慌てるブルーの姿が。
「何をするの!」とビックリ仰天、「こんなのじゃない」と叫ぶ姿が。
自分が欲しかったキスはこれとは違うと、もっと優しくて甘かったから、と。
出会ったあの日に、ブルーが「ただいま」と言ったあの時、キスをしようとしたならば。
ブルーにキスを贈っていたなら、そういう騒ぎになったかもしれない。
小さなブルーは逃れようともがいて、自分の方でも何が起こったかと驚いて。
(なんだってキスを嫌がるんだか、と思ったろうなあ…)
嫌われたのかと焦ったかもしれない、何かブルーに嫌われることをしたのかと。
まさか子供だとは思わないから、中身はすっかり前のブルーだと思っていたから。
(…どうやら運が良かったらしいな、俺ってヤツは)
キスを贈る前に、ブルーの母が現れたこと。
小さなブルーにキスをする前に、再会のキスをしてしまう前に。
ウッカリそれを贈っていたなら、きっと今でも…。
(何かって言えばキスを強請るんだ、あいつはな)
パニックになったことなど忘れて、「ぼくにキスして」と。
「あの時はちょっとビックリしただけ」と、「もう平気だから、ぼくにキスして」と。
(しかしだ、そうはいかないってな)
ブルーはすっかり子供だから。
身体と同じに中身も子供で、キスどころではないのだから。
いつか育ってキスを交わせるほどの背丈になるまでは。
(それまでは、俺も独り寝ってわけで…)
寂しいけれども、そんな日々さえ愛おしい。
ブルーは帰って来てくれたのだし、もうそれだけで充分だから。
幸せに眠ってくれればいい。
自分のベッドで、怖い夢など見ることもなく。
だから今夜も祈り続ける。
「いい夢を見ろよ」と、「朝までぐっすり眠るんだぞ」と…。
眠る前の儀式・了
※ブルー君がいい夢を見られるように、と祈り続けるハーレイ先生。毎晩、ベッドで。
愛されているブルー君ですけど、「キスが出来ない」と今夜も不満たらたらでしょうねv
(…なんだか変…)
こうやって見たらホントに変、とブルーが眺めたフォトフレーム。
夏休みの終わりにハーレイと写した記念写真。
それがあることは嬉しいけれども、ハーレイの写真は大好きだけれど。
一緒に写った自分が問題、ハーレイの腕に抱き付いた自分。
両腕でギュッと、それは嬉しそうに。
弾けるような笑顔の自分の、あの日の気持ちは今も鮮やかに蘇る。
ハーレイと二人で写真が撮れると、腕に抱き付いてもいいだなんて、と。
(…前のぼくだと、こんなのは無理…)
今と同じに恋人同士で、長い時を共に暮らしたけれど。
誰にも言えない秘密の仲では、こんな写真を写せはしない。
だから本当に心が躍った、ハーレイと二人で記念写真を撮るんだから、と。
ハーレイも自分もとびきりの笑顔、きっと最高の記念写真。
見る度に幸せになれる写真で、飽きずに何度も眺めるけれど。
(…ぼくがチビだなんて…)
それがなんとも変に思える、こうして気付いてしまった日には。
恋人同士にはとても見えない、大人と子供の記念写真。
教師と教え子、それを抜きにしても、やっぱり大人と子供でしかない。
あまりにも違いすぎるから。
背丈もそうだし、顔立ちだって。
すっかり大人のハーレイの隣、チビで子供の自分の姿。
今は馴染みの姿だけれども、前はこうではなかった自分。
前のハーレイと暮らした頃は。
ソルジャー・ブルーだった頃には。
成人検査でミュウになってしまい、何もかもが狂ってしまったあの日。
大人への道を歩む代わりに、待っていたのは地獄だった。
子供たちを迎える教育ステーション、其処への扉は開かなかった。
気付けば記憶もすっかり失くして、自分が誰かも、もう分からなくて。
どれほどの時が流れたのかも、今はいつかも、自分には関係無かった世界。
何一つ変わりはしないから。
地獄の果てなど見えはしなくて、出られるとも思っていなかったから。
そんな日々だから、自分の姿も気に留めてなどはいなかった。
少しも成長しない自分を、変だとも思わなかった日々。
時が流れれば子供は育つと、大きくなるのだという基本さえも忘れていたかもしれない。
本当にどうでもよかったから。
生きていようが、死んでいようが、それさえも。
身体は生きていたのだけれども、魂は死んでいたのだろう。
地獄の日々が終わるのだったら死も悪くないとさえ、思った記憶は無かったから。
地獄よりは死を、と願いすらもせず、生かされるままに生きていただけ。
考えることはとうに投げ捨て、何も願わず、夢さえも見ずに。
それでは育つわけがない。
未来が無いなら、何一つ見えていなかったのなら。
前の自分がミュウでなければ、それでも育ちはしただろう。
骨と皮ばかりに痩せていたとしても、生気の失せた顔であっても。
けれども、自分はミュウだったから。
意志の力で成長を止める能力を秘めていたから、成長はそこで止まってしまった。
自分でも気付かない内に。
育たないことを変だと思いさえせずに、時だけが周りを流れて行った。
今がいつかも分からない日々、終わりの見えない地獄の日々。
それが本物の地獄になった日、世界はガラリと姿を変えた。
燃え上がる炎と崩れゆく星、まさにこの世の終わりだった日。
アルタミラという星は壊れて、気付けば宇宙に飛び出していた。
初めて出会った仲間たちと共に、一隻だけあった宇宙船で。
共に暮らす仲間と居場所とが出来た、それまでは何も無かった世界に。
そうしたら、育ち始めた自分。
まるで意識していなかったのに。
自分で自分にかけただろう呪い、成長を止めていた呪い。
それを解こうと思うことすらしなかったのに。
自分に呪いをかけたことさえ、自分では知りもしなかったのに。
ある日、気付いたら伸びていた背丈。
前のハーレイの隣に立ったら、「でかくなったな」と撫でられた頭。
「この間までは、こんなだったぞ」とハーレイが手で示した高さ。
俺の此処までしか無かったのに、と。
(…あれでどのくらい伸びてたのかな?)
二センチか、あるいは三センチか。
前の自分を気に掛けてくれていたハーレイだから、一センチでも分かったかもしれない。
少し伸びたと、大きくなったと。
それが育ったと気付いた始まり、あの船で成長していった自分。
見上げるようだったハーレイの背丈、隣に立っては比べてみていた。
前よりも少し伸びただろうかと、今の背丈はどのくらいかと。
ハーレイとの差が縮んでいったら、顔立ちまでが変わっていった。
丸みを帯びた子供の顔から、幼さが抜けて。
背丈が伸びれば、その分だけ。
育った分だけ、顔も大人のそれへと近付く。
鏡を覗いて「あれ?」と何度も驚いたほどに、知らない間に続く成長。
自分の顔はこうだったろうかと、また大人っぽくなったけれど、と。
そうして育って、大人になって。
これくらいがいい、と止めた成長、今度は自分自身の意志で。
自分の立場やサイオンの力、そういったものを考えて成長を止めた。
今の姿が一番だろうと思ったから。
相当に若い姿だけれども、持てる力を最大限に使うためにはこの姿だろう、と。
(それでもハーレイよりかはチビ…)
生憎と、さほど伸びなかった背。
船の仲間たちと比べれば、けして低くはなかったけれど。
標準的な背ではあったけれども、ハーレイにはとても敵わなかった。
追い越したいとまでは思わなかったものの、あれほどの差が残るだなんて…。
(…負けたと思っていたんだけどな…)
肩を組もうにも、上手くいかない有様だから。
チビだった頃と同じなのでは、と悔しくなるほど、顔を見上げるしかなかったから。
もっとも、後には、それで良かったと思う日がやって来たのだけれど。
ハーレイよりもずっとチビで良かったと、この姿だから存分に甘えることが出来ると。
自分が今より大きかったなら、とても抱き上げては貰えないから。
ハーレイの大きな身体に包まれるようにして、眠ることだって出来ないから。
(だけど、あの頃とはチビの程度が…)
まるで違っているんだけれど、と悲しくなるのが今の現実。
本物のチビに戻った自分。
アルタミラで初めてハーレイに出会った、あの頃と全く変わらないチビに。
チビはチビでも本物のチビに、育つよりも前のチビの姿に。
(…前のぼくだと…)
ハーレイと記念写真を撮っても、こんな風にはならないだろう。
同じように両腕で抱き付いていても、もっと背が高くて変わるバランス。
(ちゃんと恋人同士なんです、って…)
そういう写真になっていたろう、前の自分の背丈があれば。
前の自分の顔をしていれば。
ハーレイの腕に抱き付いていても、恋人の腕に抱き付いた写真。
公園なんかで、カップルたちが撮っているように。
幸せそうな顔で二人並んで、「お願いします」とシャッターを切って貰っているように。
(…そういうのが撮れた筈なんだけど…)
自分がチビでなかったら。
チビだというのは変わらなくても、前の自分と同じ程度のチビだったなら。
そう、ハーレイの隣に立った時だけ、小さく見えてしまう程度のチビ。
他の仲間たちと一緒にいたなら充分に大人、そこまで育っていた自分。
確かにそこまで育っていたのに、その姿で死んだ筈なのに。
何故だか自分は縮んでしまった、それよりも前のチビの姿に。
背丈も、大人だった筈の顔立ちも、何処かへ落としてしまったらしい。
なにしろ、すっかりチビだから。
どうしようもなくチビで子供で、写真を撮ったら、こうなるのだから。
なんとも悲しい、ハーレイとの差。
年の違いも大きいけれども、違いすぎる背丈。
(…このせいでキスも出来ないし…)
前の自分と同じ背丈になるまでは。
それまでは駄目だとハーレイに言われた、唇へのキス。
恋人同士のキスは出来なくて、記念写真を一緒に撮っても、この始末。
誰に見せても教師と教え子、そうでなければ「親戚のおじさん?」と訊かれそうな写真。
「恋人が出来た?」と誰も訊いてはくれないだろう。
憧れの人だと思われるのがせいぜい、スポーツクラブのコーチだとか。
(…ぼくはスポーツ、やってないから…)
やはり「親戚のおじさん」コースが一番妥当な所だろうか。
ハーレイが学校の教師だということを、知らない誰かに見せたなら。
得意満面で披露したって、きっとそういうオチになる。
恋人同士の記念写真だと自慢したくても、相手が勝手に勘違い。
ようやく二人で撮れたのに。
前の生では無理だった写真、恋人同士でくっつき合って写せた最初の一枚なのに。
(ぼくが育っていないだなんて…)
それだけでこうも違ってくるか、と写真を見詰めて零れる溜息。
チビでなければ素敵な写真になったのだろうに、あちこちで自慢出来たのに。
前の自分たちのことは言わないにしても、「ぼくの恋人!」と。
大好きな人と二人で撮ったと、この人がぼくの恋人だから、と。
(…今のハーレイ、うんと人気だから…)
羨ましがる人もきっといる筈、と思い浮かべる学校の生徒たちの顔。
ハーレイが今までに教えた生徒も、大人になってもハーレイを慕っているらしいから。
(…ぼくがチビにさえなってなければ…)
記念写真の自慢も出来るし、もちろんハーレイとキスだって出来た。
いったい何処に落として来たのか、前の自分が育った分の背丈と大人の顔立ちと。
生まれ変わる時に何処かにヒョイと置いてそのまま、忘れて地球まで来てしまったとか。
(…そんなのだったらどうしよう…)
バスに荷物を置き忘れるように、育った自分を置き忘れて来てしまったろうか?
それなら自業自得だけれども、やはり悲しくて悔しくなる。
どうして荷物を確認しないで来たのだろうかと、ウッカリ者めと。
(だけど、行き先、地球だったんだし…)
はしゃぎすぎて、ワクワクし過ぎてしまって、忘れたのなら仕方ない。
前の自分が焦がれ続けた星だから。
荷物くらいは忘れて来たって、ハーレイと二人で地球まで来られたのだから…。
育ってないぼく・了
※ブルー君がハーレイ先生と一緒に写した記念写真。チビでなければカップルの写真。
それを考えては、たまにガックリ。そういう日々も、きっと幸せv