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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧

 いい天気だな、とハーレイが眺めた窓の外。
 ブルーの家へと出掛ける日の朝、いつも通りに早く覚めた目。
(その辺を軽く走ってくるかな)
 ご近所一周、そういうジョギング。
 二十分もあれば五キロは軽いし、ちょっと走るのに丁度いい距離。
 自分にとっては運動とも言えない距離だけれども。
 ウォーミングアップ程度で、準備運動。
 そういう距離になるのだけれど。
(…あまり遠くへ行き過ぎてもなあ…)
 ジョギングは好きで、走り始めたらついつい遠くへ行きたくなる。
 今日はあっちへ、と走り出したら、その先へ行ってみたくなる。
 長く暮らしている町だから。
 すっかり頭に入っているから、「この先に行くと…」と足を伸ばしたくなる。
 公園までのつもりで走っていたのに、公園を抜けてもっと先まで。
 学校の方へと走って行ったら、通り越してその向こうまで。
(悪い癖だな)
 ついつい走り過ぎるのは。
 身体の方は平気だけれども、思わぬ時間を走り続けてしまうのは。
 いつかブルーと結婚したなら、改めないといけないだろう。
 家で帰りを待っているブルーが、すっかり膨れていそうだから。


(今でも充分、あいつのために改めてるが…)
 走る時間を調整中だ、と始めた着替え。
 パジャマからジョギング用の服へと、顔を洗ったらジュースを一本。
 こういう朝に備えて買ってあるジュース、作っていたのでは遅くなるから。
 バランスが取れた野菜ジュースで喉を潤し、玄関を出たら準備完了。
 日頃から鍛えてある身体。
 此処までの間にしっかり目覚めて、動く用意はもう整った。
 長いジョギングならばともかく、ご近所一周、ほんの五キロほど。
 朝食も準備運動も要らない、ストレッチだって。
 庭を突っ切り、表の通りに出たら少しずつ上げるスピード。
 それだけで充分ついてくる身体、楽々と走れるご近所一周ジョギングの旅。
(…この程度だったら、ブルーも文句は言わんだろうさ)
 二十分もあれば戻れるのだから、「遅いよ!」と文句は言わないだろう。
 いつか結婚した時も。
 ブルーが顔を洗ったりしている間に五分以上はかかる筈。
 新聞でも広げて読み始めたなら、直ぐに経つだろう二十分。
 このくらいは許して欲しいものだな、と庭を突っ切り、門扉を開けた。
 さあ、走るぞ、と。
 ご近所一周、直ぐに戻って、お次はブルーの家へと出掛ける支度、と。


 小さなブルーに出会う前には、たっぷり時間があった週末。
 ジョギングだって朝食を済ませて走って行った。
 それこそ気まぐれ、足の向くまま。
 コースも決めずに走り出したり、コースを外れてどんどん遠くへ向かったり。
 足には自信があるのだから。
 「それを一日で走るんですか?」と驚かれそうな距離であっても、自分には普通。
 疲れもしないし、楽しいくらい。
 「今日はあそこまで行って来たぞ」と愉快な気分になったほど。
 ところが今ではそうはいかない、小さなブルーが待っているから。
 ご近所一周コースを外れて走って行こうものなら、もう膨れるに決まっているから。
 「今日は遅いよ!」と、「用事があるとは聞いてないけど?」と。
 プウッと膨れて、唇を尖らせて、プンスカと怒ることだろう。
(…あいつ、サイオンはサッパリなんだが…)
 心を読み取ることも出来ない不器用な今のブルーだけれど。
 きっと勘だけはいいに違いない、普段は駄目でもそういう時だけ。
 「ハーレイ、もしかしてジムに行ってた?」だの、「ジョギングだった?」だのと。
 ズバリ見抜かれて慌てる自分が目に浮かぶよう。
 「すまん」と、「ついつい夢中になって…」と。
 「お前を忘れたわけじゃないんだ」と、「悪いのは俺の身体でだな…」と。
 足をピシャリと叩くような羽目になるのだろう。
 この足が俺を連れてったんだ、と。


 損ねたくないブルーの御機嫌、だからジョギングは控えめに。
 ご近所一周、それだけで戻る朝の小さな運動。
(…運動ですらもないんだが…)
 気分転換程度なんだが、とタッタッと軽く走ってゆく。
 周りの景色を眺めながら。
 すれ違った人や、庭にいる人と挨拶しながらリズミカルに。
 もっと遠くへ行けるけれども、行きたい衝動に駆られるけれど。
(…チビが優先…)
 チビと呼んだら怒るんだがな、と小さなブルーが最優先。
 この道を行けば公園の方へ続くんだが、と行きたくなった道は曲がって避けた。
 次に現れた別のコースも、グイと曲がって諦めた。
 今朝はあくまでご近所一周、二十分で戻って、それからシャワー。
 朝食を食べて新聞を読んで、いい頃合いで家を出る。
 天気がいいから、ブルーの家まで歩いてゆく日。
 そのための時間も必要なのだし、ジョギングはご近所一周だけ。


 もっと遠くへと、もっと走ろうと弾む足。
 まだまだ行けると、もっと遠くへと。
 それを宥めて、走りたくなる自分も叱って、予定通りに家へと繋がるコースに入った。
 真っ直ぐ走れば見えてきた家、いつもの見慣れた家の生垣。
(ちゃんと戻って来たってな…!)
 ブルーに文句は言わせないぞ、とラストスパート、上げたスピード。
 ジョギングは同じ速さで走り続けて、最後はゆっくりゴールするのが本当だけれど。
 身体に負担をかけないためには、それが一番なのだけど。
(ご近所一周には、これが似合いなんだ)
 ゴール直前のマラソン選手よろしく、ここが最後の追い込み気分。
 残りは全力疾走なんだ、とフルスピードで門扉の前を通過した。
 ゴールは家だし、門扉の辺りがゴール地点。
 行き過ぎた分をタッタッと戻って、門扉を開けて入った庭。
 息は少しも上がっていないし、全く疲れていないのだけれど。
(まずは深呼吸…)
 こいつが大事、と大きく息を吸い込んだ。
 もっと走りたいと騒ぐ身体を鎮めるために。
 今日はここまで、と深呼吸して一区切り。
 気分をきちんと切り替えられるし、酸素もたっぷり取り込めるから。


 胸一杯に吸い込んだ空気、早い時間だから清々しい。
 庭の緑と朝露の匂い、それまでが身体に染み透る気分。
(朝はこいつに限るんだ)
 深呼吸だ、と大きく吸って、ゆっくりと吐いて、また吸い込んで。
 これで良し、と歩き出そうとして気が付いた。
 たった今、自分が吸っていた空気。
 とても贅沢で、凄いものだということに。
 当たり前のように吸ったけれども、吸って吐き出したのだけど。
(おいおいおい…)
 前の俺だと考えられんぞ、とグルリと見回した自分の周り。
 走り終えた身体を包み込む空気、今、たっぷりと吸って吐き出した分はどれなのか。
 すっかり他のと混じってしまって、まるで区別がつかない空気。
 直ぐに新しく補充されるから、澄んだ空気が満たされるから。
 もう一度息を吸い込んでみても…。
(…さっきと何処が違うんだ?)
 同じ味だが、と繰り返してみた深呼吸。
 朝の空気の味は落ちない、どんなに欲張って吸い込んでみても。
 胸一杯に吸って吐き出してみても、次に吸った空気は同じに爽やか。
 庭の緑と朝露の匂い、それを含んで酸素もたっぷり。
 息が苦しくなったりはしない、深呼吸を何度繰り返しても。


(…贅沢すぎる話だぞ、これは…!)
 いくら吸っても、次から次へと補充されてくる新しい酸素。
 それだけでも凄い、前の自分が生きていた頃に比べれば。
 白いシャングリラでは、酸素は作るものだったから。
 閉ざされた船の中の世界は、そういうもの。
 アルテメシアに潜んだ頃にも、外の酸素に頼ってはいない。
(…いつだって気を配ってたんだ…)
 酸素不足に陥らないよう、どんな時でも。
 赤いナスカに辿り着いても、酸素は今ほど多くなかった。
 懸命に目指した地球に至っては、呼吸をしたら終わりの世界。
 毒の大気を吸い込んでしまい、一瞬で死に至ったろうから。
(…その酸素が今じゃ、吐いて捨てるほど…)
 「掃いて捨てる」を「吐いて捨てる」と言い換えたくなった、今の状況。
 一度吸ったら、人の身体は空気の中から酸素を奪ってしまうのに。
 吐き出した空気をまた吸い直して呼吸していれば、いずれ窒息してしまうのに。
 けれども、そうはならないのが今。
 いくら大きく吸って吐き出しても、何処からかやって来る酸素。
 少しも減ってはいないどころか、さっきと同じに美味しい空気を胸一杯に吸い込める世界。


 なんとも凄い、と深呼吸をした、何度も、何度も。
 こんなに吸っても減りはしないと、それも本物の地球の空気だ、と。
(実に美味いな…)
 疲れちゃいないが生き返るようだ、と庭を眺めては繰り返していた深呼吸。
 地球の空気だと、おまけに少しも減りもしなくて美味いままだ、と。
 あまりに感動してしまったから、ついつい庭で過ごした時間。
 空気が美味いと、何の苦労もしないで好きなだけ吸える世界なんだぞ、と。
 ハタと気付けば、五分どころでは済まない時間。
 深呼吸しながら経った時間はどれほどなのか、と慌てて家へ駆け込んだ。
 遅刻しちまうと、ブルーがプウッと膨れちまう、と。
(でもまあ、地球の空気だしな…?)
 ブルーが「遅いよ!」と怒った時には、「まあ、落ち着け」と微笑んでやろう。
 深呼吸でもしてみるといいと、そうすればお前も分かるだろうと。
 いくら吸っても、吐いて捨てても、地球の酸素は減らないから。
 前のブルーが焦がれ続けた、青い地球の空気。
 それをたっぷり味わってみろと、俺の遅刻はその有難味を満喫していたせいなんだから、と…。

 

         深呼吸の味・了


※「吐いて捨てるほど」の酸素があるのが、今のハーレイ先生の世界。贅沢すぎる世界です。
 ゆっくりのんびり深呼吸。遅刻しちゃったら、ブルー君にもお勧めするのが一番ですねv





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(ぼくの家にも、ハーレイの家の庭にも四つ葉…)
 ちゃんとあった、と微笑むブルー。
 四つ葉のクローバーが生えてるんだよ、とパジャマ姿でベッドにチョコンと腰掛けて。
 今日は日曜日で、一日はもう終わった後で。
 ハーレイは「またな」と軽く手を振って帰って行った。
 昨日の土曜日と日曜日の今日と、ハーレイを独占していた週末。
 それはすっかり終わってしまって、明日からはまた学校だけれど。
 昼間にハーレイに会えたとしたって、「ハーレイ先生」になるのだけれど。
(だけど、今度はハッピーエンド…)
 いつかハーレイを、「先生」と呼ばなくてもいい日が来たら。
 教師と教え子の時代が終わって、恋人同士になれる時が来たら。
(前とおんなじ背丈になったら、キスが出来るし…)
 十八歳になったら結婚式も挙げられるのだから、ハッピーエンド。
 前の自分たちのような悲しい恋には、なるわけがない。
 誰にも言えない恋人同士で、おまけに最後は離れ離れで終わった恋。
 互いの顔さえ見られない場所で、前の自分の命は終わった。
 ハーレイの温もりさえも失くして、独りぼっちで泣きじゃくりながら。
 後に残されたハーレイの方も、独りぼっちで長い時を生きた。
 前の自分が頼んだ通りに、地球までの道を。
 ジョミーを支えて、支え続けて、白いシャングリラを運んで行って。
 キャプテンだからと、悲しみも孤独も自分一人の心だけに秘めて。
 前の自分を追うことも出来ずに、一人きりで。


 本物の恋人同士だったというのに、ハッピーエンドを迎えられなかった自分たち。
 ソルジャー・ブルーだった自分と、キャプテン・ハーレイの悲しい恋。
 まさかそういう恋になるとは、夢にも思っていなかった。
 白いシャングリラで生きた頃には、二人で暮らした遠い昔には。
 恋をして、同じ船で暮らして、秘密の恋でも心は幸せに満ちていたから。
 ハーレイと二人で過ごす時には、いつも幸せだったから。
(…きっと最後まで、幸せなんだ、って…)
 前の自分はそう信じていた。
 明日さえ知れない船の中でも、きっと離れずにいられるだろうと。
 もしもシャングリラが沈んだとしても、一緒に命が尽きるのだから。
 青の間とブリッジ、離れた所で命尽きても、直ぐに合流出来そうだから。
 いくらシャングリラが巨大な船でも、放り出された魂が迷子になってしまうほど大きくはない。
 自分はハーレイを見付けるだろうし、ハーレイも自分を見付けてくれる。
 互いに身体は失くしたとしても、魂になって何処までも一緒。
 二人一緒なら幸せだろうと、きっと幸せに違いないと。
 命は尽きてしまっても。
 最後まで自分は幸せだろう、と。


 けれど、無かったハッピーエンド。
 前の自分たちの恋は悲しい恋に終わって、最後は離れ離れになった。
 自分はメギドで独りぼっちで死んでしまって、それっきり。
 ハーレイはシャングリラに一人残され、遠い地球まで行くしかなかった。
 二人の道は離れてしまって、引き裂かれたまま。
 魂になって出会えもしないで、死んだ場所さえも遠すぎた。
(…ハーレイはぼくを探せたのかもしれないけれど…)
 シャングリラを地球まで運んだのだし、道は分かっていただろう。
 前のハーレイが死んだ地球から、前の自分が死んだジルベスター星系へと渡れる航路。
 こう飛んだならば辿り着けると、この方向に赤いナスカが在ったのだと。
 だからハーレイなら探せたかもしれない、独りぼっちになってしまった前の自分を。
 地球の座標も分からないまま、迷子になっていた魂を。
 それとも魂には迷子など無くて、一瞬で越えてゆけるのだろうか。
 自分が行きたいと願う場所へと、心から想う人の許へと。
(…きっと、会えたとは思うんだけど…)
 今の自分に生まれてくる前は、ハーレイと一緒にいたのだろうと思うから。
 二人で長い時を飛び越え、地球に来たのだと思うから。
 そういう風に過ごしていたなら、幸せだったろうとは思うけれども…。
(…ハッピーエンドとは言わないよね?)
 前の自分たちの悲しい恋は。
 引き裂かれた二人が出会えたとしても、それまでが悲しすぎるから。
 お伽話のような恋とは、まるで違った恋だったから。


 ハッピーエンドになりはしなかった、前の自分とハーレイとの恋。
 そうとも知らずに、前の自分は生きていた。
 ハーレイと二人で白い鯨で、楽園という名の白いシャングリラで。
 互いの部屋から外へ出たなら、出来ない恋人同士の顔。
 キスは交わせず、抱き合うことさえ叶わない二人。
 それでも幸せに生きていた自分。
 ハーレイがいれば充分だからと、同じ船で暮らしているのだからと。
 そのハーレイと二人で、何度も探したクローバー。
 幸運の印の四つ葉を探した、あの船にあった公園で。
 子供たちからクローバーの花冠を貰った時やら、ふと思い付いた時などに。
 ハーレイが暇そうにしていた時には、「キャプテンは公園も把握すべきだ」と引っ張り出して。
 二人がかりで何度も何度も、クローバーの茂みで探していた。
 今日こそは四つ葉を見付けてみせると、二人がかりならきっと一つは、と。
 「この辺りには無さそうですよ」とハーレイが言ったら、「ぼくが探す」と入れ替わって。
 逆だってあった、「君も探してみてくれるかい?」と自分が探した場所を任せて。
 しらみ潰しに探していたのに、一つも見付からなかった四つ葉。
 「無かったね…」と引き揚げた場所で、次の日に子供が見付ける四つ葉。
 一日で育つには大きすぎるのを、「あった!」と得意げに高く掲げて。
 どういうわけだか、子供たちなら同じ場所でも探せた四つ葉。
 前の自分たちは、何度挑んでも駄目だったのに。
 とうとう一つも見付からないまま、前の自分の命は終わってしまったのに。


 あの頃に自分が考えたことは、「子供たちには未来があるから」。
 いつか幸せな未来を掴むだろう子たち、だから四つ葉を探せるのだと。
 ミュウの未来を担ってゆくから、幸せの四つ葉を手に出来るのだと。
(…でも、違ったかも…)
 ハッピーエンドにはならない恋をしていた二人。
 いつか引き裂かれる二人。
 クローバーは知っていたかもしれない、そういう風に終わる恋だと。
 悲しい未来が待っているのだと、今は幸せに暮らしていても、と。
 もしもクローバーが気付いていたなら、四つ葉をくれはしなかっただろう。
 幸運の印の四つ葉を与える意味が無いから、幸せになれはしないのだから。
 だから見付からなかっただろうか、ハーレイと何度探しても。
 四つ葉のクローバーが運ぶ幸運、それに与れない二人だったから。
 幸運の四つ葉を手にしたとしても、不幸な未来は避けられないから。
 それならば分かる、あれだけ探しても一度も見付からなかった幸運の四つ葉のクローバー。
 前の自分たちの恋の最後を知っていたなら、クローバーが知っていたのなら。
 まるでフィシスの予言のように。
 それよりも、もっと正確に。
 クローバーは告げた、悲しい未来を。
 四つ葉を一つも与えないことで、幸運が待っていない未来を教えた。
 前の自分たちは、それと気付きもしなかったけれど。
 四つ葉のクローバーは子供たちのものだと、未来のある子に相応しいのだと思い込んで。


 ついに四つ葉は見付からないまま、終わってしまった悲しい恋。
 前の自分とハーレイの恋は、文字通り宇宙に散ってしまった。
 誰にも知られないままで。
 恋人同士だったことさえ、誰一人として知らないままで。
 けれども、今度はそうはならない。
 ただの教師と教え子なのだし、時が来たなら恋は明かせる。
 結婚だって出来る二人で、いつまでも二人で暮らしてゆける。
 ハッピーエンドが待っているのが、生まれ変わって来た自分たち。
(だから、四つ葉のクローバーだって…)
 今の自分は庭で見付けた。
 クローバーだらけの庭でもないのに、たまたま芝生にあるだけなのに。
 両親が庭のアクセントにと、抜かずに置いているクローバー。
 増えすぎた分は引っこ抜いたり、刈り込んだりしているクローバー。
 其処へ出掛けて、四つ葉があるかと探してみたら見付かった。
 白いシャングリラで子供たちが「あった!」と叫んだものより、立派なものが。
 大きな四つ葉が紛れ込んでいた、庭のクローバーの茂みの中に。
 それは嬉しくて、採らずにそうっと残しておいた。
 幸運の印が生えているなら、そのままでいて欲しいから。
 摘んでしまうより、庭に残して「あそこにあった」と心に刻んでおきたいから。


 今度は見付かった幸運の印、幸せの四つ葉のクローバー。
 ハーレイの家にもクローバーが生えているというから、「探してみてよ」と頼んでおいた。
 「きっと今度は見付かるから」と。
 そして案の定、ハーレイの家の庭にもあった。
 今のハーレイが初めて見付けた、朝露を纏った綺麗な四つ葉。
 思念で見せて貰ったイメージ、幸せで一杯になった胸。
 ハーレイも自分も、今は四つ葉を見付けられると。
 わざわざ探しに出掛けなくても、自分の家の庭でヒョッコリ見付かるのだと。
(もう、絶対にハッピーエンド…)
 間違いないよ、と夢が大きく広がってゆく。
 前の自分たちの悲しい恋を予言していたクローバー。
 それが約束してくれたから。
 今度は幸せになれる二人だと、四つ葉を庭にくれたから。
 きっといつかはハッピーエンド。
 「ハーレイ先生」と呼ばなくてもいい時が来たなら、前の自分と同じ背丈に育ったら…。

 

         見付かった四つ葉・了


※ブルー君の家の庭にも、ハーレイ先生の家の庭にも、ちゃんと四つ葉のクローバー。
 ハッピーエンドを迎えられる世界に、二人で生まれて来られたことが幸せv





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(四つ葉のクローバーなあ…)
 探したことも無かったな、とハーレイが開けた玄関の扉。
 庭に出ようと、まだ朝食も食べない内に。
 休日の朝も目が覚めるのは早いから。
 苦にもならない、まだ朝露が光る時間に庭に出ること。
 顔を洗って着替えを済ませて、足にはサンダル。
 ジョギングに出掛けるわけではなくて、行き先は家の庭だから。
 昨日、ブルーと交わした約束。
(俺の家の庭にも、あるだろうから、って…)
 小さなブルーに言われたのだった、「四つ葉のクローバーを探してみてよ」と。
 庭にクローバーが生えているなら、きっと見付かるだろうから、と。
 幸せの四つ葉のクローバー。
 見付けた人には幸運が訪れると伝わるクローバー。
 それこそ遠い昔から。
 SD体制が始まるよりも遥かな遠い遠い昔、人間が地球しか知らなかった頃から幸運の証。
 本当だったら三枚の筈のクローバーの葉っぱ、それが四枚。
 一枚多いと幸運の印、古い古い地球の言い伝え。


 さてと、と向かった庭の一角。
 芝生が植えてあるのだけれども、クローバーだって生えている。
 何処からか種が飛んで来たものか、芝生を植えて貰った時から混ざっていたか。
(俺にとっては当たり前のヤツで…)
 この家で暮らし始めた頃から、クローバーは庭の住人だった。
 気付けば白い花を咲かせて、濃い緑色の葉を広げていた。
 雑草だからと引っこ抜くには、もったいないように思えたから。
 均一な色で広がる芝生の、いいアクセントにも見えたから。
(そのままにしておいたんだよなあ…)
 同居人だ、と庭に許した居場所。
 ただし、広がりすぎないようにと刈り込むことは忘れなかった。
 愛らしい花を咲かせるとはいえ、繁殖力が旺盛だから。
 放っておいたら芝を駆逐しかねないことは、重々承知していたから。
 増えすぎたな、と思った時には刈ったり、時には一部を引っこ抜いたり。
 そんな具合で長い付き合い、庭に生えているクローバーの茂み。


 目的の場所へと庭を突っ切り、クローバーの側にしゃがみ込んだ。
 まさかこいつと手入れ以外で向き合うことになろうとは、と。
(幸運の四つ葉か…)
 あちらこちらでお目にかかるのが四つ葉のマーク。
 今も昔も幸運のシンボル、様々な所にあしらわれているものだから。
 店の看板やら、包装紙やら。
 文具売り場でも見掛けたりする、四つ葉の模様の便箋などを。
(本物のクローバーの姿よりも目立っているんじゃないか?)
 もしかしたら、と零れてしまった苦笑い。
 三つ葉の方のクローバーには殆どお目にかからないんだが、と。
 模様でも、店のマークでも。
 クローバーをあしらってあるな、と気付く時には四つ葉が多い。
 四つ葉だからこそ、クローバーだと思っているような節さえもある。
(クローバーは三つ葉のモンなんだがな?)
 こいつみたいに、と戯れにチョンとつついた葉っぱ。
 普通の三つ葉のクローバー。
 これが本物のクローバーなのに。
 四つ葉の方が珍しいのに。


(まあ、四つ葉だらけなら、幸運も何も…)
 滅多に見付けられないからこそ、四つ葉のクローバーは幸運のシンボルになったのだろう。
 本来の三つ葉のクローバーよりも、幅をきかせている四つ葉。
 模様になったり、マークになったり、色々な場所で。
(…しかしだ、三つ葉の方もだな…)
 捨てたものではないんだがな、とチョンチョンと指でつついてみる。
 「お前はお前で有難いモノの筈なんだが」と。
 何処かでチラと聞いたことがある、三つ葉のクローバーの意味。
 神を表すシンボルなのだと、三枚の葉を持っているから、と。
 三位一体、父と子と精霊を指している言葉。
 クローバーは三枚の葉を持っていながら、柄は一本になっているもの。
 三位一体を表した姿、そう説いた聖パトリック。
 人間が地球しか知らなかった時代に、アイルランドと呼ばれた島で。
 聖パトリックを記念する祭り、それの主役は緑の三つ葉のクローバー。
 その日だけは警察のバッジにあしらったという地域もあったほど。
 クローバーにちなんで皆が緑の衣装を身に着け、ビールまでが緑色だったほど。
 あくまで三つ葉のクローバー。
 その日にはまるで出番が無かった、幸運の四つ葉のクローバー。


 面白いもんだ、と葉っぱをつついて、それから仕事に取り掛かった。
 この年まで生きて来たのだけれども、一度もやってはいないこと。
 クローバーの茂みの中を探って、幸運の四つ葉を見付け出すこと。
(…普通、男は探さないしな?)
 幸運の四つ葉のクローバーなどは。
 どちらかと言えば女性がすること、それも幼い女の子など。
 そういう年頃に女の子と一緒に遊んでいたなら、探すことだってあるけれど。
 公園などでクローバーの茂みに子供が何人もいたりするけれど、自分は違った。
 柔道と水泳が好きだった子供、やんちゃな子供ばかりが友達。
 四つ葉のクローバーを探すよりかは、野原を突っ切る方だったから。
 此処が近道だとクローバーの茂みを踏んで走るとか、補虫網を振り回しているだとか。
 とんと興味が無かったのが四つ葉、探そうとも思っていなかった。
 この年になるまで、小さなブルーに「探してみてよ」と言われるまでは。


(俺としては、なんとも思っていなくてだな…)
 今日まで探しもしなかったこと。
 四つ葉のクローバーを探してみようと、茂みにしゃがみ込まなかったこと。
 男の子ならばよくあることだし、友人たちだって今も殆どがそうだろう。
 娘が生まれて「パパ、探そうよ」と連れて行かれたりしない限りは。
 あるいはデートの途中で誘われ、恋人と二人で探すだとか。
(…大抵のヤツらは、そんな感じで…)
 四つ葉探しとは縁が無いのが大半だろう、という環境。
 だから不思議に思いもしなくて、庭のクローバーを刈り込む時にも見ていなかった。
 増えた分の根っこを引っこ抜いた時も、調べずにポイと打ち捨てておいた。
 四つ葉のクローバーが混ざっているかは、別にどうでも良かったから。
 自分にとっては単なる雑草、クローバーがあるというだけだから。
(…そうだとばかり思ってたんだが…)
 違ったらしい、と昨日、ブルーから聞いて気付いた。
 前の自分と、ブルーの思い出。
 白いシャングリラで何度も探した、幸運の四つ葉のクローバー。
 それは一度も見付からなかった、二人で何度探しても。
 子供たちなら、簡単に見付けられるのに。
 ブルーと二人で散々探した後の筈の場所で、「あったよ!」と声を上げるのに。


 前のブルーも自分も首を傾げた、見付けられない幸運の印。
 どんなに探しても見付け出せずに、子供たちばかりが「あった」と手にする幸運の四つ葉。
(子供たちには未来が待っているからなんだ、と思ったっけなあ…)
 きっとそうだ、と考えた。
 幸せな未来を掴む子たちには、きっと四つ葉が似合いなのだと。
 その記憶が今の自分の心の底にも、刻まれたままになっていたから。
 探しても四つ葉は見付けられないと、前の自分が思っていたから。
(…今の俺も探さなかったんだ…)
 庭にクローバーが生えていたって、それの手入れをする時だって。
 「引っこ抜いた中に混じってないよな?」と、チラリと眺めもしなかった。
 もしも一本混じっていたなら、使い道はちゃんとあったのに。
 押し葉にして栞に仕立てておいたら、学校で生徒に渡してやれた。
 「一つしか無いから、ジャンケンだぞ?」と。
 喜ばれたのに違いない。
 幸運の四つ葉のクローバーだから、栞になっているのだから。
 けれども、探しもしなかった自分。
 前の自分の連戦連敗、ブルーと二人で負け続け。
 とうとう一度も見付からなかった、幸せの四つ葉のクローバー。
 今にしてみれば、予言だったのかと思えるほどに。
 幸せな未来を持たない二人だったから。
 運命に引き裂かれてしまう恋人同士で、ハッピーエンドは無かったから。


 ところが、今の小さなブルー。
 四つ葉を探そうと挑んだブルーは、自分の家の庭でそれを見付けた。
 挑んだその日に、立派な四つ葉に。
 顔を輝かせていたブルー。
 「きっとハーレイも見付けられるよ」と、「家にあるなら探してみてよ」と。
 そう言われたから、朝一番から一仕事。
(俺も四つ葉を見付けないとな?)
 今の自分なら、探し出せるというのなら。
 いつかブルーとハッピーエンドが待っている今の自分なら。
(…この辺に…)
 あればいいが、とガサガサと探し始めた途端。
 まさか、と驚いた幸運の四つ葉、朝露を纏った緑の四つ葉。
 前の自分は何度探しても、ついに出会えはしなかったのに。
 それが誇らしげに顔を出してくれた、茂みの中から。
(…そうか、今度はハッピーエンドか…)
 ブルーに教えてやらなければ、と見詰めて頭に焼き付ける。
 「摘んじゃ駄目だよ」とブルーが言っていたから。
 そのまま庭に置いてあげてと、幸せのクローバーなんだから、と。
 前の自分たちには無かった四つ葉。
 それが今度はちゃんとある。
 自分の家にも、ブルーの家にも、幸運の印のクローバー。
 いつか幸せになれるから。ハッピーエンドが待っているから、幸運の四つ葉のクローバーが…。

 

        見付けた四つ葉・了


※ハーレイが見付けた四つ葉のクローバー。前のハーレイは一度も出会えなかったのに。
 今度はブルーとハッピーエンド。そういう印が庭にきちんとあるのですv





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(…今日も温めて貰ったけど…)
 それだけだよね、と小さなブルーが眺めた右手。
 ハーレイが訪ねて来てくれた日の夜、自分のベッドの端に腰掛けて。
 前の生の最後に凍えた右の手。
 最後まで持っていたいと願ったハーレイの温もり、それを失くして。
 独りぼっちになってしまったと泣きながら死んだ、ソルジャー・ブルー。
 温もりを失くしたと気付くまでは強く生きていたのに。
 銃で撃たれた痛みを堪えて、メギドを止めようと死力を尽くしていたというのに。
 白いシャングリラを、ミュウの仲間たちを守ろうとして。
 自分の命は此処で尽きても、シャングリラは地球まで行けるようにと。
 少しも惜しくはなかった命。
 後悔など無かった、選んだ道。
 ソルジャーたるもの、こうあるべきだと。
 皆の命を救ってこそだと、そのためならば命も惜しくはないと。
(それは間違ってはいなかったけど…)
 間違えたとは今も思わないけれど、たった一つだけ、悲しかったこと。
 ハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちになったこと。
 これでメギドは沈むだろうと安堵した途端に、やっと気付いた。
 右手に大切に持っていた筈の、優しい温もりを失くしたことに。
 ハーレイと自分を繋ぐ筈の絆、それがプツリと切れていたことに。


 温もりを失くして、断たれた絆。
 もうハーレイには二度と会えないと溢れ出した涙。
 それまでの強さは脆く崩れて、泣きじゃくりながら死ぬしかなかった。
 温もりを失くしてしまった右手に、それが戻りはしなかったから。
 冷たく凍えてしまった右手を温めてくれる人はいなかったから。
(…今はハーレイ、いるんだけれど…)
 青く蘇った地球に二人で生まれ変わって、再び巡り会えたハーレイ。
 前とそっくり同じ姿のハーレイに出会えて、また恋をして。
 右手に戻ってくれた温もり、ハーレイがそっと包んでくれる手。
 自分の手よりもずっと大きな褐色の手で。
 「温めてよ」と手を差し出したら、いつも、いつでも、何度でもだって。
 今日も温めて貰った右手。
 その温かさが嬉しかったけれど、こうして部屋で一人になると…。
(…やっぱり寂しい…)
 右手が凍えはしないけれども、寂しいと訴え始める心。
 またハーレイは行ってしまったと、家に帰ってしまったと。
 何ブロックも離れた所にある家へ。
 今のハーレイが住んでいる家へ、今の自分を一人残して。


 どんなに強請ってみたとしたって、連れて帰っては貰えない自分。
 ハーレイの家族ではない自分。
 今の自分は両親と暮らす小さな子供で、いるべき家は此処だから。
 ハーレイの家に帰れはしなくて、連れて帰っても貰えないから。
 独りぼっちでベッドにポツンと腰掛けるしかない自分。
 メギドの時には及ばないけれど、独りぼっちには違いない。
 ハーレイは隣にいてはくれなくて、温めてくれる手も側には無くて。
 それが寂しい、ハーレイはちゃんといるのに、と。
 自分が小さな子供でなければ、今頃はきっと家族だろうに、と。
(ぼくの身体がチビの間は…)
 キスも許してくれないハーレイ、それ以上のことなど出来るわけもない。
 恋人同士だと主張したって、ままごとのような恋人同士。
 結婚だって出来ないのだから、ハーレイの家族になることも無理。
 ハーレイの家に帰れはしなくて、こうして一人残されるだけ。
 「またな」と軽く手を振る恋人、自分を置いてゆくハーレイ。
 次にハーレイが来てくれるまでは、温めて貰えない自分の右手。
 もしもハーレイの家族だったら、結婚出来ていたら、一緒に帰ってゆけるのに。
 手を繋ぎ合って夜道を歩いて、路線バスにも二人で乗って。
(バスの中でも、席があったら…)
 二人並んで手を繋いだまま、きっと座ってゆけるのだろう。
 ハーレイの家から近いバス停まで、其処で二人で降りるまで。
 降りた後には、手を繋ぎ合って歩いてゆく。
 二人で幸せに暮らす家まで、キュッと互いに手を握り合って。


(…ホントだったら、ハーレイと一緒…)
 自分がチビでなかったら。
 前の自分とそっくり同じに育っていたなら、きっと家族になれていた。
 ハーレイと同じ家で暮らして、出掛ける時には手を繋ぎ合って。
 今の自分の父と母とが暮らす家へも、二人で出掛けて。
 両親も一緒に食べる夕食、それが済んだら「またね」と自分も手を振ったろう。
 「また来るからね」と父と母とに。
 そしてハーレイと手を繋ぎ合って、夜道を二人で歩いてゆく。
 バス停がある所まで。
 二人でバスを待つ間だって、手を繋いだままでいるのだろう。
 「もう来るかな?」と伸び上がる間も、「そうだな」とハーレイが頷く時も。
(…ハーレイが腕時計を見る時は…)
 邪魔になるから、手を離すかもしれないけれど。
 また直ぐにキュッと握り直して、二人でバスを待つのだろう。
 バスが来たって、手を繋いだまま。
 どちらが先に乗るにしたって、繋いだ手はきっと離れない。
 乗るのに邪魔にならない限りは、一瞬だって。
 バスに乗った後も、繋いだまま。
 並んで座れる席が無いなら、二人で吊革を握って立って。
 空いた方の手を繋ぎ合えるよう、吊革を持つ手をどちらにするかに気を付けて。
 二人とも右手で吊革を持ってしまえば、手を繋ぐのに苦労するから。
 左手で握っても同じことだから、困らないよう、注意して。


 そうやってバスの中でも離さなかった手、降りる時にも離れはしない。
 流石に無理だと離したとしても、降りたらキュッと握り合う。
 お互い、寂しくないように。
 一緒なのだと、二人なのだと、離れていた手を繋ぎ直して。
 ハーレイと二人で夜道を歩いて、帰り着くだろう二人で暮らす家。
 やっと着いたとハーレイが鍵を開ける時には、もう手を離しても寂しくはない。
 家に着いたら二人きりだし、手を繋ぐよりも幸せな時間。
 キスを交わして、その先のことも。
 二人一緒にベッドに入って、朝までずっと一緒だから。
 手を繋ぐよりも素敵な時間が、幸せな時間があるのだから。
(独りぼっちじゃないもんね…)
 眠っている間も、ハーレイと一緒。
 夜中にぽっかり目が覚めた時も、ハーレイの腕があるだろう。
 温かな胸に、腕に包まれて、自分は眠っているのだろう。
 手を繋ぐよりもずっと幸せな、温もりにふわりと包み込まれて。
 前の自分がそうだったように、今の自分もきっとそうだったのだろう。
 チビの姿でなかったら。
 前と同じに育った姿で、ハーレイと会えていたのなら。


 夢は広がるばかりだけれども、チビの自分はチビのまま。
 ハーレイと手さえ繋げはしなくて、「またな」と置いてゆかれるだけ。
 右手は冷たく凍えないけれど、隣にいてはくれないハーレイ。
 ベッドにポツンと独りぼっちで、小さな右手を見詰めるしかない。
 ホントだったら繋げたのに、と。
 育った姿で出会えていたなら、ハーレイの手と繋げた右手。
 右手でキュッと握るのだったら、ハーレイが出してくれる手は…。
(…左手だよね?)
 二人並んで歩いてゆくなら、バスの吊革を持つのに苦労しない方の手を選ぶなら。
 ハーレイが「ほら」と差し出してくれる手、それは左手なのだろう。
 キュッと握ってもかまわない手は、離さずに繋いでいてもいい手は。
 きっと左手、と褐色のそれを思い浮かべたら、ふと気付いたこと。
(…前のぼく…)
 ハーレイと何度も一緒に歩いたけれども、手を繋いではいなかった。
 白いシャングリラの何処を歩く時も、公園でも、長い通路でも。
 手を繋いで歩いてゆける場所など、無かったから。
 ソルジャーとキャプテン、そんな二人が手を繋いで歩けはしないから。
(…肩を組むなら普通だけれど…)
 ハーレイと前の自分の背丈の違いは大きかったから、少々無理はあるけれど。
 それでも肩なら組んでいたって、きっと可笑しくはなかっただろう。
 ゼルとヒルマンがやっていたように、友情の証というヤツだから。
 仲のいい友達同士なのだと、誰もが思うだけだから。


 けれども手だとそうはいかない、友達同士で繋ぎはしない。
 幼い子供たちならともかく、立派な大人になったなら。
 だからハーレイと繋いではいない、前の自分は繋いでいない手。
 ハーレイと二人で歩く時には、ただの一度も。
 シャングリラの内部を繋ぐ乗り物、その中で二人きりだった時も。
(…前のぼく、繋いでいないんだ…)
 恋人同士で長い長い時を、白いシャングリラで過ごしていたのに。
 キスを交わして、同じベッドで眠っていたのに。
(…部屋の中で手なんか繋いでなくても…)
 もっと幸せに過ごせるのだから、手を繋いではいなかった。
 青の間でも、ハーレイの部屋に行った時にも。
(だから、どっちの手なのか分からなかったんだ…)
 ハーレイが「ほら」と差し出してくれる手、それが左手か右手なのかが。
 自分が右手で握るだろう手、それがどちらの手になるのかが。
(…だけど、今度は繋げるんだよね?)
 さっきから夢を描いていたように、歩く時にも、バスの中でも。
 お互いの邪魔にならない時なら、今度はキュッと繋いでもいい。
 恋人同士になっていることを、隠さなくてもいいのだから。
 前の生とは違うのだから。
 そう思ったら、独りぼっちも少し寂しくなくなった。
 いつかはハーレイと繋いでもいい手。
 それを自分は持っているから、いつか二人で手を繋ぎ合って歩ける日がやって来るのだから…。

 

         繋いでもいい手・了


※ハーレイと手も繋げないよ、と寂しかったブルー君ですけれど。手を繋げるのは今だから。
 前の自分だった頃には繋げなかった、と気付いたら寂しさが紛れたみたいですねv





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(ブルーの手か…)
 今日も温めてやったんだが、とハーレイが思い出すブルーの右手。
 ブルーの家に出掛けて行った日、帰って来てから夜の書斎で。
 今は小さなブルーだけれども、前の生ではソルジャー・ブルー。
 気高く美しかったブルーは哀しい最期を遂げてしまった。
 その身と引き換えに沈めたメギド。
 最後まで持っていたいと願った、大切な温もりを其処で失くして。
(…あの時、あいつが持って行ったなんて…)
 まるで気付いていなかった。
 前のブルーが触れて来た手から送られた思念、それに捕まってしまったから。
 「頼んだよ、ハーレイ」と駄目押しのように届いた言葉に、心が凍ってしまったから。
 ブルーは逝ってしまうのだと。
 二度とシャングリラに戻りはしないと、戻るつもりも無いのだと。
 自分にだけブルーが残した遺言、シャングリラの皆にはまだ明かせない。
 けれども自分は聞いてしまった、知ってしまった、ブルーの覚悟を。
 ブルーの思いを。
(…顔に出さないのが精一杯で…)
 それ以上は何も考えられなかった、あの時の自分。
 ブリッジを出てゆくブルーの背中に「お気を付けて」とも言えなかったほどに。


 そんな具合だから、気付かなかった「ブルーが持って行った」こと。
 思念を送り込もうと触れた腕から、前の自分の温もりを持って行ったということ。
 それだけがあれば一人ではないと、何処までも一緒だと大切に抱いて。
 自分の腕に触れた右の手、その手にしっかりと握り締めて。
(…あいつらしいと思えばそうだが…)
 何もかも一人で決めてしまって、一人きりでメギドへ飛び去ったブルー。
 一言話してくれていたなら、他に方法はあっただろうに。
 ブルーが「駄目だ」と拒否したとしても、密かにジョミーに追わせるだとか。
 太陽のように輝く笑顔が眩しかったジョミー、彼ならばやってくれただろう。
 「ナスカは私がなんとかします」と、キャプテンとして伝えたならば。
 頑固にナスカに残った仲間は責任を持って回収する、と。
 そうしていたなら、ジョミーはブルーを追い掛けて飛んだことだろう。
 生存者を探して赤い星の上を歩き回る代わりに、遠いメギドへ。
 ブルーと共にメギドを沈めて、ブルーを連れて戻っただろう。
 たとえブルーが傷を負っていても、命の焔が消えかけていても。
 ジョミーならきっと連れて戻れた、ブルーの命の灯が消える前に。


 今だから言えることなんだがな、と前の自分の決断を呪う。
 どうしてブルーを行かせたのかと、キャプテンとしても失格だろうと。
(あの時の俺は、あれが正しいと思い込んでいて…)
 ブルーの言葉を鵜呑みにした上、深く考えさえしなかった。
 そう決めたのなら仕方がないと、恋人ではなくてキャプテンとして冷静に、と。
 ブルーを「行くな」と止めてはいけない、「私も行きます」と追ってもいけない。
 どちらも駄目だと、ブルーの決意を無駄にするなと自分に命じた。
 ブルーが命を捨てて守る覚悟のシャングリラ。
 自分はそれを守らなければと、それが自分の務めだからと。
(…俺がブルーと恋人同士でなかったら…)
 咄嗟に引き止めていたかもしれない、ソルジャー・ブルーを。
 「それは駄目です」と、「別の方法を考えましょう」と。
 真のキャプテンなら、船の乗員を守るのが仕事なのだから。
(キャプテンってヤツは、最後まで船に残るものなんだ…)
 船に何かが起こったら。
 不慮の事故でも起きた時には、とにかく船にいる者たちを逃がすこと。
 最後の一人が脱出するまで、キャプテンは船に残るもの。
 前の自分が生きた時代は、そうだった。
 人間が全てミュウになった今は、そういうルールは無くなったけれど。


 キャプテンとして行動するなら、前の自分はブルーを止めるべきだった。
 ブルーも船の乗員なのだし、おまけにソルジャーだったのだから。
 「ただのブルーだよ」とブルー自身が言っても、皆が認めるソルジャー・ブルー。
 彼を失くしてしまうよりかは、他の方法を探すべきだった。
 それなのに、それをしなかった自分。
 白いシャングリラからブルーを降ろして、それでいいのだと思った自分。
 真のキャプテンなら、船から誰かを降ろす時には安全を確保するべきなのに。
 降りたら命が無いと承知で降ろすことなど、許されないのに。
(…俺は間違えちまったんだ…)
 ブルーの恋人だったから。
 誰よりもブルーを失くしたくなくて、行かせたくなかったのが自分だから。
 恋に囚われて判断ミスをしてはいけない、と心に固く掛けた鍵。
 ブルーが自分に残した言葉を皆に悟られまいとして。
 これが最後の別れだけれども、引き裂かれそうな心の叫びを顔に出してはいけないと。
 今にして思えば痛恨のミスで、キャプテンとしても失格で。
 けれども、前の自分にとっては精一杯の決断だった。
 ブルーを引き止めないということ。
 追ってゆきたいブルーの背中を、けして追ってはならないこと。


 前の自分の判断ミス。
 そうして失くしてしまったブルー。
 キャプテンならばこうするべきだ、と下した決断、それが過ち。
 ブルーの恋人だったばかりに、前の自分は間違えた。
 恋人が逝ってしまうと知った衝撃、それがあまりに大きすぎたから。
 心がすっかり凍ってしまって、気付き損ねた恋人の姿。
 ブルーは自分の恋人であるよりも前に、ソルジャー・ブルーなのだということ。
 命の重さは誰もが同じと言いはするけれど、喪えない命の持ち主なのだ、と。
 ソルジャー・ブルーは、ただのミュウとは違ったのだから。
 長い年月、皆を導き続けたソルジャー、神にも等しかったのだから。
(…そいつに俺は気付きもしなくて…)
 ブルーをメギドに行かせてしまった、たった一人で。
 何の手段も講じないまま、ブルーの命を救うための手を打たないままで。
 恋人だったブルーを喪う衝撃、それで心が凍ったから。
 冷静であろうと努めるあまりに、周りが見えなくなっていたから。
 真のキャプテンならどうするべきかも、まるで考えなかったほどに。
 船に最後まで残るべき立場、キャプテンよりも先に失われる命があってはならないのに。
 キャプテンが船から降ろす以上は。
 それが正しいと決めたからには、船を降りる者の命を守るべきなのに。
 こうした方が生き延びられる率が高いだろう、と判断した時しか降ろせないのに。


(本当に俺は、何も見えてはいなかったんだ…)
 前のブルーを失くすと気付いた瞬間から。
 ブルーの思念が届いた時から。
 キャプテンとしての決断でさえも誤る有様、それでは分かるわけがない。
 ブルーが何を持って行ったか、何を大切に抱いていたのか。
(…俺の温もりだっただなんて…)
 ずっと知らないままだった。
 前の自分は最後まで知らず、今の自分が聞くまでは。
 小さなブルーがそれを話すまでは、前のブルーの最期でさえも。
(あんなに撃たれて、その挙句に…)
 前のブルーは失くしてしまった、銃で撃たれた痛みが酷くて。
 最後まで持っていたいと願った、右手にあった温もりを。
 それを失くして、メギドで独りぼっちになってしまったブルー。
(二度と俺には会えないと泣いて…)
 泣いて、泣きじゃくって、涙の中で前のブルーの命は終わった。
 温もりを失くした手が冷たいと、凍えた右手を抱えたままで。
 その手に温もりは戻らないままで、独りぼっちで泣きじゃくりながら。


 だからブルーは温もりを欲しがる、生まれ変わった今になっても。
 「温めてよ」と右手を差し出す、「ハーレイの温もりが欲しいから」と。
 再会してから、何度あの手を握ってやったことだろう。
 小さなブルーの小さな右手を、両手でそっと包んでやって。
(お安い御用というヤツなんだが…)
 たまにこうして苛まれてしまう、前の自分の判断ミス。
 あの時、ブルーが温もりを持って出掛けたことにも気付かなかった前の自分。
(…気付くくらいの余裕があったら…)
 きっと失くしていなかったよな、と前のブルーの手を想う。
 どんな思いで触れて行ったかと、温もりを持って出掛けたろうかと。
 それさえも分かってやれなかったのが、前の愚かな自分だから。
 判断ミスをしてしまったような、馬鹿で愚かなキャプテンだから。
(…今度こそ、あいつを離しやしないさ)
 いつまでも、何処までも、ブルーの手をギュッと握ってゆこう。
 ブルーが離れてしまわないように、今度こそ二人、離れ離れにならないように。
 恋人同士だと知れてしまっても、今度はかまわないのだから。
 恋する二人は手を繋ぐもので、手を繋ぎ合って何処までも歩いてゆくのだから…。

 

        繋げる手・了


※あの決断は間違っていた、と今のハーレイが悔やむ判断ミス。恋人同士だったからだ、と。
 今度はブルーを離さないでいることが出来ます、ギュッと手を繋いで歩けますよねv





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