(今日も暑い日になりそうだな…)
夜中は涼しかったんだがな、とハーレイが眺めた窓の外。
夏休みの朝のまだ早い時間、朝日が射す庭は生命の輝きが溢れているけれど。
芝生は元気一杯の緑、庭の木々も青い葉を茂らせて空を仰いでいるけれど。
この輝きは朝の間だけ、爽やかな風が吹き抜けてゆく間だけ。
もう少し経てば太陽の光が強くなるから、暑い日射しが照り付けるから。
瑞々しい緑はうだってしまって失せる鮮やかさ、元気の良さ。
夕方に陰って涼しくなるまで、人と同じでへばってしまう。
暑すぎて駄目だと言わんばかりに、草木も疲れてしまうのが真夏。
夏の暑さで疲れてしまうのは人だけではなくて、動物も同じ。
涼しい朝には飼い主とはしゃいで散歩していたような犬でも、昼間はぐったり。
ハアハアと舌を出して暑さを訴えているか、でなければ日陰に転がっているか。
空をゆく鳥も暑い盛りは鳴かない気がする、朝夕は賑やかに囀っていても。
しんと静まってしまいそうな夏の日盛り、出歩く人影も減る時間。
心なしか車も減っているように思える時間。
それほどに暑くなるのが真夏で、その原因は…。
(今の時間は、ただ眩しいってだけなんだがな?)
庭の隅々まで明るく照らし出す夏の太陽、一年で一番、太陽が元気になる季節。
強く眩しく輝く季節。
夏の日射しは嫌いではない、夏生まれだからか、それとも水の季節だからか。
子供の頃から親しんだ水泳、海や川で楽しく泳げる季節は夏だから。
春や秋ではプールと違って泳げはしないし、冬ともなれば論外だから。
(まあ、冬は冬で…)
寒中水泳なるものもあるし、水辺と全く無縁とまでは言えないけれど。
冬の川や海で泳ごうという人もいるけれど、やはり最高の季節は夏。
水の季節は夏だと思うし、暑い日射しがよく似合う季節。
そんな具合で、夏の太陽も日射しも多分、好きな方。
四季それぞれに良さがあるから、夏を贔屓はしないけれども。
ただ、その太陽の元気の良さも少々困りものではある。
朝の間はいいけれど。
爽やかな朝だと、今日も快晴になりそうだ、と眺める間はいいのだけれど。
(…へばっちまうしなあ、庭の木とかが)
水を下さいと言わんばかりに萎れてしまう葉だってある。
太陽に炙られてもう限界だと、シャンと姿勢を保てはしないと。
夕方になって陽が陰ったなら、また勢いを取り戻すけれど…。
(何日も雨が降らなかったりしたら、ヤツらも限界…)
夏ならではの夕立が来れば、天の恵みで自然の水撒き。
ザアッと空から降ってくる雨が地面を潤し、木々も潤す。
気温も下がって暫くの間は暑さも一服、うだっていた草木も息を吹き返す。
そうした雨が来ればいいけれど、来てくれなければ乾く一方。
芝生はまだしも、木々の中には悲鳴を上げるものだってある。
夏の間は分からなくても、秋になったら水不足だったと訴える木が。
木の葉が色づく紅葉の季節に、葉がチリチリと縮んでしまって可哀相な木が。
けれども昼間は出来ない水撒き、ブルーの家に行くからではない。
家にいたってしてはならない、父に厳しく教えられた。
自然に降る夕立は地面も空気も丸ごと冷やすから大丈夫だけども、水撒きは駄目だと。
人の力で庭だけに水を撒いてやっても、一時しのぎにしかならないからと。
却って草木が疲れてしまって、その後の暑さでダウンしてしまう。
もっと水をと、これではまるで足りはしないと。
つまりは人間と全く同じ。
喉が乾いてたまらない時に一口しか水を貰えなかったら、余計に喉が乾くから。
もっと飲みたいと、ゴクゴクと水を飲みたいのに、と。
そうならないよう水撒きするなら、朝とんでもなく早い内。
暗い内から水撒きを始めて、朝日が昇る頃までに終えてしまうというのが正しい方法。
これなら草木は自然に水を吸い込めるから。
夜の間に降りた夜露を吸うのと同じで、それをたっぷり貰えたようなものだから。
(…もう何日か降らないようなら…)
そのコースだな、と考える。
ブルーの家へと出掛けるよりも前、朝食を食べるよりも、まだ早い時間。
水撒き用のホースを持ち出し、庭一面に景気よく。
しっかり水を飲んでおいてくれと、これで暑さを乗り越えてくれと。
毎朝やっても、特に問題ないけれど。
むしろいいのかもしれないけれども、庭木は甘やかさない主義。
農家の畑の野菜でもなし、せっせと手入れをしてやらずとも、と。
夏は暑いし、それを自力で乗り切ってこそと思うから。
自分の都合で庭に植えてある責任の分だけ、手をかけてやればと思うから。
後は庭木の頑張り次第で、うだる夏にはそのように。
寒い季節も、それに見合った生き方を。
そうは思っても困りものの夏、太陽が元気すぎる夏。
水撒きの手間は惜しまないけれど、出来れば自然に任せたい。
せっかく庭に植えてあるのだし、家の中に置かれた鉢植えなどではないのだから。
屋根も壁も無くて、太陽も雨も風も浴び放題、そういう場所にあるのだから。
(出来れば一雨…)
夕立でもいいし、夜中に降ってくれてもいいし、と庭を眺めて。
今日も暑そうだから、入道雲が湧いてくれないものか、と眩しい日射しの元を仰いで。
(そうか、太陽…!)
本物だった、と気付いた太陽。庭を照らしている太陽。
ごくごく見慣れた光景だけれど、太陽は空にあるものだけれど。
(前の俺だと…)
無かったのだった、こういう地球の太陽は。
白いシャングリラの何処を探しても、太陽にはお目にかかれなかった。
あの船の中に太陽は無くて、アルテメシアの太陽でさえも船体を照らし出しただけ。
雲海に潜んだ白いシャングリラ、それを昼間は白く見せただけ。
船の中にまでは日射しは届かず、天窓を通して射し込んだくらい。
ブリッジからも見えた公園、ああいった場所に。
赤いナスカに降りた時には太陽が二つ。
一つではなくて二つの太陽、しかもジルベスター星系の恒星。
あの頃に太陽と言ったら恒星のことで、太陽という言葉の源になった星ではなくて。
(…地球の太陽なんぞは夢のまた夢…)
いつかは其処へ、と夢を見た星、青い水の星を連れているのが母なる地球の太陽だった。
ソル太陽系の中心となる星、それが太陽。
太陽という言葉を生み出した元の恒星、人を生み出した地球の太陽。
それは青い地球と同じで夢の彼方に浮かんでいた星、座標さえも掴めなかった星。
いくら宇宙を捜し回っても、幾つもの星系を訪れてみても。
どれも違った、ソル太陽系とは違った太陽。
ナスカのように二つだったり、三連恒星だったものもあった。
本物の太陽には出会えないままに宇宙を旅した、前のブルーを乗せていた船で。
昏々と眠り続けるブルーを、ジョミーを救って力尽きてしまった前のブルーを乗せた船で。
そうして太陽が二つあった星、赤いナスカでブルーは消えた。
いなくなってしまった、メギドを沈めて。
白いシャングリラから飛び立って行って、二度と戻りはしなかった。
前のブルーの犠牲のお蔭で辿り着けたソル太陽系。
太陽は其処にあったけれども、地球を照らしていたのだけども。
(…肝心の地球が無かったんだった…)
死に絶えたままの赤い星しか。
前のブルーが最後まで焦がれ続けた星は何処にも無かった、青い水の星は。
(そいつが今では揃ったってか…)
元の通りに、と笑みが浮かんだ、本物の太陽と青い地球。
其処に自分はまた辿り着いた、長く遥かな時を飛び越えて奇跡のように。
生まれ変わったブルーと二人で、青い地球まで。
本物の太陽が照らす地球まで、元気すぎる太陽が眩しい地球へ。
夏の盛りにはうだってしまう草木、へばってしまう草木の緑が息づく星へ。
青い空から命を育てる恵みの雨と、太陽の光が降り注ぐ星へ。
それに気付けば、なんという幸せなのだろう。
昼間がどんなに暑くなっても、数日の内には水撒きの手間がかかっても。
青い地球があるから、太陽がそれを照らしているから、暑くなる夏。
草木もへばってしまう夏がある、青い水の星と太陽がきちんと揃っているから。
(よし、少しくらい暑くなっても…)
それも一興、と外を眺める、「たまには水撒きもいいもんだ」と。
ブルーの家へと出掛けるよりも前、暗い内から水を撒く庭。
愛おしい人と地球まで来られたからこそ、出来る贅沢、朝の水撒き。
暑くなっても草木がへばってしまわないよう、「たっぷり飲めよ」と青い地球の水を…。
暑くなっても・了
※夏の日射しも嫌いではないハーレイ先生、けれど庭木は暑さが苦手。
暑さをもたらす原因が地球の太陽と気付けば、水撒きタイムも贅沢ですよねv